伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2024年08月

たいしたことはできないが

 今日で8月も終わり。明日から9月です。
 吃音親子サマーキャンプが終わって2週間、昔の「スタタリング・ナウ」を紹介していますが、ちょうどサマーキャンプに関係する内容が続いています。
 今日紹介する巻頭言は、「たいしたことはできないが」です。僕の口癖のようになっていることばです。「スタタリング・ナウ」2006.10.21 NO.146 を紹介します。

  
たいしたことはできないが
                      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「たいしたことはできないが、ひとりの人間としてその人に誠実に向き合い、一所懸命かかわれば何かが変わる。人間の変わる力を確信している」
 「人と人とは援助する側される側の役割はあったとしても、人間としては対等であり、同行者である」
 「その人の現在を決して否定しない」
 大学や言語聴覚士の専門学校など、対人援助の仕事に就いている人、就こうとしている人への講義や講演などで私が常に言い続けていることだ。
 吃音親子サマーキャンプは、17年間、ずっとこのことを貫いて行われてきた。私は吃音親子サマーキャンプのはじめにあたって、必ずこう話す。
 「このキャンプは、世話する人と世話される人、参加者とスタッフという垣根はない。スタッフも九州や関東地方などのことばの教室の教師や言語聴覚士が、交通費を使い、参加費を払って参加しているのであり、参加者全員が対等なのだ。私たちは自らがキャンプが楽しくておもしろいから、計画をし、運営をしている。参加者のためというよりも自分自身のために参加している。私たちは勝手にキャンプを楽しむので、皆さんも勝手に自分で動いて自分で楽しんで欲しい。少年自然の家はホテルや旅館とは違ってサービスはない。私たちも一切サービスはしないが、子どもたちには精一杯かかわる」
 子どもと親の同行者である40名のスタッフは、キャンプがスタートする1時間ほど前に初めて顔を合わせる。半数以上が複数回参加者だが、初めて参加する人も少なくない。キャンプの会場で初めて出会って、事前の打ち合わせがないままに、150名近くの参加者の2泊3日のキャンプが運営されていく。
 私たちは子どもの吃音を軽くしようとか、治そうとはしない。吃音を否定しない。マイナスのものと考えない。だからといって、「どもってもいい」と子どもたちに直接言っているわけではない。どもる私たちが平気でどもりながら話し合いに参加し、劇の見本の上演ではひどくどもりながらも最後まで演じきる。つまり、キャンプの場ではどもることばがあふれ、どもっているのが自然な空間なのだ。初参加の中学生が「どもっているのが当たり前で、気兼ねなくどもれるのがうれしい」と言った。どもって当たり前の空間の中で、子どもたちは「どもってもいいんだ」「どもっていても大丈夫なんだ」と自らが感じたり考えたりするだけのことなのだ。特別なことは何もしていないと言える。
 ただ、子どもたちや親の話し合いに耳を傾け、その都度感じたり考えたりしたことや自分の体験を話す。演劇にしてもどもる子どもたちが声を出すことの喜び、楽しさ、気持ちの良さを味わってほしいと、歌を歌ったり、劇の上演に取り組むのであって、できるだけどもらずに、そつなく劇を上演するために、演劇、表現活動に取り組んでいるわけではない。大勢の前で、どもって声が出なくても、お芝居が中断しても途中で子どもが役を降りてもそれもあり、なのだ。17年間の活動の中で、どもって立ち往生して泣き出した子どもも何人かいた。
 しかし、舞台が終わった後は、泣いてすっきりした顔になっていた。そして、その子どもたちは、次の年のキャンプにまた参加し、今度は泣かずに堂々とどもっていた。
 たいしたことをしているわけではないが、私たちが一所懸命かかわることで、子どもたちはどんどん変わっていく。そして、吃音と向き合い、吃音と上手につき合い始める。今後、悩んだり落ち込んだり、元気になったり、また悩んだりしながら、自分の人生を生きていくことだろう。キャンプで子どもたちは、私の言うゼロの地点「どもっても、まあいいか」の地点に立ち、そこから歩み始める。子どもたちが自分の力で考え、気づき、行動しているだけで、私たちは、キャンプという場を設定をしているだけだ。変わるのは子どもたちの自己変化力によるものだ。今年も初参加のときと比べて大きく変わった3人の卒業生がいた。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/31

〜作文と感想文に見る〜第17回吃音親子サマーキャンプ

 台風10号が、ゆっくりゆっくり日本列島を縦断しています。サマーキャンプに参加していたあの子は大丈夫だろうか、「スタタリング・ナウ」の購読者のあの人のところは大丈夫だろうかと、気になります。被害が大きくなりませんようにと祈っています。
 今日は、第17回吃音親子サマーキャンプの2日目の午前中に書いた作文と、キャンプが終わってから送っていただいた感想文を、「スタタリング・ナウ」2006.9.20 NO.145 より紹介します。

  
みんな、みんな、いっしょだよ
                             りな(小学3年生)

 今、わたしは、声がつまる子ばっかしが来ているキャンプに来ています。みんなたしかに声がつまっています。わたしも声がつまります。
 学校の本読みでみんなに「声、どうしてつまるの」とかいろいろ言われました。でも声がつまる子がこんなにいるとは思いませんでした。みんなだって、わたしと同じ思いをしているんだから、もうわたしも3年生なんだし、声のことで泣いているばあいじゃないってこのキャンプに来てはじめて分かった。
 声のつまる子なんか、わたしだけかと思っていたのに、ちょっとわたしは安心した。だって、140人って、さいしょ聞いたときとってもびっくりした。わたしはどうしてこんなことで泣いていたのだろう。ほんよみのこととかスピーチや声を出すことぜんぶいやがっていたのに、こんな声がつまる子ががんばって言おうとしているのを見て、気持ちがかわった。本当にこのキャンプに来て、本当の本当によかったです。

 
  大ちゃんらしくていいね
                             だいすけ(小学校4年生)
 3年生の終わりに友だちが「大ちゃん、『ぼ、ぼ、ぼく』って言うけど、大ちゃんらしくていいよね」と、ぼくに言ってくれました。
 どもりのことで言われたと言えば、2年生のときに「あんた、口こわれてんじゃないの」と言われたのと、女子がこそこそ話だけでしたが、どちらもいやな気持ちでした。
 しかし、「どもるのは、大ちゃんらしい」と言われるのは(この人は、ぼくのどもりをちゃんと分かってくれている)と思ったら安心してみんなの前でどもれます。普段は、どもったらいつバカにされるか分からないから、どもらないように話しています。
 でも、どもらなかったら、その「大ちゃんらしさ」がなくなってしまうから、(どうかな)と思っています。


  僕、だいじょうぶですよ
                            げん(高校1年生)
 高校に入って、もう4ヶ月になる。どもることに関して、あんまり嫌なことはなかったが、最初の国語の時間のことだ。
 本読みがあって、「次は、おれの番だなあ」と思っていたのだが、前の人が読み終わり、僕をとばして僕の後ろの人に、先生があてて読ませたのである。一瞬僕は、「え、なんで僕じゃないん?もしかして吃音だからかなあ」と思っていました。
 僕は、このままずっと本読みの時間とばされるのがイヤだったから、授業が終わってから、国語の先生に「僕、だいじょうぶですよ」と言った。そしたら先生はうなずいて職員室に帰っていった。
 それからは国語の時間、本読みを普通に当てられて読むようになった。


  自分を変える機会を与えてくれた
                             まい(高校3年生)
 今年、卒業になるまで、このキャンプではいろいろなことを考えたりみんなの意見を聞くことができました。そこでどもりは、自分の個性という子、治らなくてもいいと思っている子などの話を聞いて、自分は心のどこかで何でも「どもりだから無理」と言ってあきらめていたことがなんだかちっぽけなことに感じられました。
 例えば、文化祭の劇で友だちが出ることになって自分も少し出たいなあと思ったことがあったのに絶対にどもってしまうしなあとあきらめていました。そんな、何でもどもりだからといって本当は自分に勇気がないだけなのにどもりのせいにして逃げている自分が本当に嫌で変えたかったです。
 そこで今年は、高校最後だしと思ってナレーションに挑戦してみました。でも、仲がいい子3人でやるので練習しよってことになって読んでみたらすごいどもってしまって、何とか最後まで読むことはできたけど本番は何十人という人の中で一人で立って言うのにこのままで大丈夫なのだろうと心配でしかたがありません。
 でも、多分こういう経験ができるのももう最後だし、自分を変えられる一歩になると思うからやりとげたいです。
 こういうふうに考えられるようになったのも自分だけが苦しい思いをしているのではないと分かったし、本当にこのキャンプに来ていなかったら、と考えると恐いなあと思いました。


  愛情を持って、まっすぐに生きることを
                       小学6年生女子の保護者
 キャンプの申し込み書を投函するまでは不安やいろいろ思いが交錯し、参加することを躊躇していました。しかし、私の友人でLDの子を持つ母親から背中を押されたり、申込書に同封されていた温かいメッセージを見て、「参加することでマイナスになるはずはない…」と信じ、決心しました。
 そして、期待、いや期待以上の収穫を得ることができ、3日間の日程を終えたときには、このキャンプに参加できたことを光栄に思い、胸が熱くなりました。
 帰りの車中、驚いたことに娘は、私が質問をする前に、もう早く言いたくてたまらない様子で、キャンプの感想を語ってくれたのです。そして、それは私の想像を遙かに越えたものでした。まず、キャンプに参加してよかったこと、同学年同志の話し合いが一人ではないことを確信でき、大きな喜びであったこと、3日間でからだの中にあった大きな石が抜け落ちたようだということ、そして「私、吃音でよかった」とポツリと笑顔で言いました。それを聞いたときには、今まで辛いことがたくさんあったんだなあと思いましたが、前向きに考えている娘の姿をみて、またひとつ成長できたことを実感できました。
 家に着くとすぐにDVDで昨年のキャンプの様子を見て名残惜しそうにし、もう来年のキャンプを楽しみにしています。
 そして私自身もこの3日間で得たものがたくさんありました。それは、吃音についてだけでなく、子育てや人としての生き方まで考えさせられる内容でした。伊藤伸二さんが基本とされている「自己肯定、他者信頼、他者貢献」は、今の子どもたちの親や教育者など、子どもに関わる全ての大人たちが、真摯に受け止めるべきことがらであると思います。そして子どもたちには、愛情をもって、まっすぐに生きることを教えていく責任が私たち大人にはあることを再認識させられました。子どものためだけでなく、このサマーキャンプは、自分自身をみつめる良い機会になりました。

 サマキャンで成長する
                        小学4年生男子の保護者

 今年のサマキャンで受け取ったメッセージのひとつに「ピンチはチャンスだと思い、環境を自分で変える力をつける」ということがあります。これこそ、まさに昨年のキャンプで息子が学んだことです。「これからは、連絡帳に書いてくれんでも、自分で言うから!」このことばを聞いたとき、私はとてもうれしかった反面、少ない息子の語彙数で、先生や友だちに言いたいことが伝わるのかどうか不安でした。
 幸か不幸か、それからは、何のハプニングもピンチになることもなく、穏やかに時が過ぎています。私の知らないところであるのかもしれませんが、昨年の担任から「けんごは、自分の許せることと許せないことの区別がきちんと整理できる子で、その許せることのキャパシティーが他の子よりもずいぶんと深く広いんです」と言っていただきました。
 それは、まぎれもなく、サマキャンのおかげだと私も息子も思っています。いろんな方々の話を聞け、自分の心を開き、さらけ出せる場所。そして近い将来の自分、遠い将来のモデルになる、どもるお兄ちゃんや成人のどもる人々との出会い。そこには、心に幅を持たせ、肩肘張らずに、のびやかに、生きることへのヒントがたくさんあり、自分のことばを大切に扱ってくれる空間があります。そこで、私の知らないうちに成長しています。
 今年の話し合いの中で、成人の吃音の方が、お勤めされいるとき、電話でどもってしまう、ピンチに直面した折、「電話口で、つまっていたら、僕だと思って下さい」と言うと、次から電話口でどもっていたら「あ〜、何々さん?」と相手の方から、言ってくれるようになったというエピソードを、息子たちの前でして下さったそうです。息子は、ニコニコしながら私に教えてくれました。
 ピンチをチャンスに変える、すばらしい具体例を示してもらえた話し合いは、今年も息子の成長に大収穫をもたらすことでしょう。
 最後になりましが、弟の面倒を見て下さったスタッフの皆さんや参加された方々に深く感謝します。おかげさまで私もじっくりと腰を据えて有意義な3日間を過ごせましたし、弟がとてもしっかりしたように思えます。劇で歌っていた歌をもじって、「来年も行こうね。♪ダニーはホラふきうそっぱち!ルビーの目をしたフラナガン♪」と歌いながら。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/30

第17回吃音親子サマーキャンプ〜吃音親子サマーキャンプ基礎講座〜

 第17回吃音親子サマーキャンプを特集した号の巻頭言を紹介した翌日から、今年の吃音親子サマーキャンプに突入し、その報告をしていて、続きの紹介までにかなりの時間が過ぎてしまいました。
 「スタタリング・ナウ」2006.9.20 NO.145 では、サマーキャンプ2日目の午前、作文教室と平行して行われるサマーキャンプの基礎講座に焦点を当てて、報告しています。今年のサマーキャンプでもこのプログラムはありました。サマキャン卒業生スタッフにとっては、サマーキャンプの裏側を知る貴重な機会にもなっています。

第17回吃音親子サマーキャンプ
 今年も多くのドラマを生んで、17回目のサマーキャンプの夏が終わった。
 申し込みの時点で今年はキャンプ史上初の参加者150人の大台にのるかと思われたが、結局は例年並の143名が、遠くは、九州地方の大分・福岡、関東地方の埼玉・千葉などから、滋賀県立荒神山少年自然の家に集まった。初参加者が例年より多かったこと、昨年のキャンプを卒業した子たちが若手スタッフとして参加したことで、新鮮な雰囲気の中、キャンプがスタートした。
 今回は、2日目の午前中のプログラム・作文教室と並行しているプログラム「新スタッフとの懇談会」に焦点を絞って、キャンプを振り返る。この90分は、初参加のスタッフのキャンプに対する疑問や質問にこたえながら、キャンプがこれまで大切にしてきたことを確認していく時間となる。昨年卒業したばかりの新スタッフにとっては、キャンプの裏側を初めて知ることにもなる貴重な時間となった。
 キャンプは高校生までしか参加できない。従って、その子どもと親以外はすべてスタッフとなる。昨年卒業した高校生が大学生となった。試験と面接に合格した(?)人がスタッフ見習いとして迎えられる。今回はその5人に、セルフラーニングの平井雷太所長とことばの教室の教師3名、言語聴覚士の専門学校の学生、久しぶりに参加の言語聴覚士がこの話し合いに加わった。

伊藤 キャンプが大切にしていることを初めて参加のスタッフに知ってもらおうと、この時間にこんな話し合いをしています。キャンプの大きな特徴は、どもる人がスタッフで半分近くいるということ。これは、とても大事なことです。
 まず、去年、卒業して今年スタッフとして参加した人に、感想を聞いてみよう。

浜津 中学校まではずっと参加していて、クラブのために高校からは参加できなかったので、少し自分が楽しんでいるところもあるんです。でも、スタッフになって、観察すると、こんな感じやったんや、こういう気分でやるねんなあとかが分かるようになってきた。

小川 参加者と違って疲れます。すごく忙しくて。

小野 一番変わったのは、参加者だったら、周りの大人が見てくれてたけど、今は逆に面倒を見ないといけない。劇を教えたことがないので、大変です。裏で人が動いてるというのが分かった。

保坂 全然違いますね。参加者のときは、話し合いが終わった後も、みんなと話してたけど、今回は、次の仕事があったりして。スタッフはこんなにがんばってたんだと初めて知りました。

長尾 参加者としてが長いから、参加者気分の方がだいぶんありますね。

参加者もスタッフも対等
伊藤 このキャンプが大切にしていることは、参加者は対等であるということ。参加者意識が抜けないのはとてもいいことなんです。私は世話する側だから、何かしなきゃならんなんてあまり思う必要はない。今のそれでいいと思う。

平井 参加者と対等って言ったけれど、絶対対等じゃないと思う。伊藤さんがそう言っても、こっちが伊藤さんと対等とは思えない。対等の中身についてもう少し詳しく話して下さい。

伊藤 経験者としての浅い・深いの違いや、僕はこのキャンプの責任者であるという役割はある。だけど人間としての対等性を常に意識している。そうでないと、僕が大切にしていることが崩れてしまう気がする。子どもや親は助けられたり、指導されたりの弱い存在ではなく、何かのきっかけで「変わる力」をもっていると信じているからです。指導する側とされる側、教える側と教えられる側の一方通行ではなく、一緒に学び合っていきたいからです。

平井 指導者意識はないと言ってしまうのは簡単だけれど、どうすると、なくなるのか。

伊藤 指導する側に常にいるという意識を捨てることでしょうね。自分は一参加者なんだと思っているというか。なんとかしてあげようとか、世話をしてあげようという意識を捨てる。

平井 だからといって、何もしないわけじゃないよね。

伊藤 もちろん、スタッフとしては、いろいろとやってるんだけど、それは「してあげている」が消えて、僕たちも勝手に楽しんでいる。一緒にキャンプを楽しむとしか言いようがないなあ。

話し合いの意味
楠 私は、ことばの教室を担当しています。通級している子どもたちは、みんなそれぞれ悩みや課題があるゆえに、同じ年齢の子たちよりも洞察力が深いという気がしているんです。昨日の4年生の話し合いでも、自分のことをとてもよく見ている。自分の辛かったこととか、周囲がどういうふうに働きかけてきたか、ということをひとりひとりが話せるのがすばらしい。自分のことを話せる力があるということを改めて実感しました。

伊藤 中学生が、高校生が自分を語る姿を見て、自分を語るときにこう表現をすればみんなに分かるのかと学び、自分も語ってみようと思う。自分を表現する練習のようなことができる。キャンプに参加して、モデルを見ながら少しずつ歩んでいるのでしょうね。

劇の意味
伊藤 劇の稽古と上演は大切なプログラムだけれど、基本的に、うまく上演することには全く関心がない。声がなかなか出ない子や、いつまでも台本に向かってぼそぼそ話している子に、セリフを覚えて、アクションを使って相手に向かって話せということは言いますが、セリフを覚えてちゃんと上演することが必要なのではない。実際に上演されたものが、はちゃめちゃであったとしても、それは別にどうってことはない。
 キャンプの大きな柱として考えているのは、子どもたちの吃音と向き合う力、それをことばで表現する力、自分の気持ちや考え方をことばで表現する力が育ってほしいことです。病気や障害のある子どもなどの療育キャンプで、これだけ長い時間集中して話し合ったり、作文を書いたり、自分と向き合う時間を持っているキャンプはまずないと思う。
 僕たちが17年前からずっと大事にしてきたのは、結局親も教師も基本的には何もできないという所に立って、子どもたちが自分の力で困難に向き合い、そして「困難を自分で解決する力」を少しでも持ってほしいということ。どもる子どもにとって困難な場面で、できたら避けたい、逃げたい場面は、朗読や人前での話、そして劇だろう。僕たちも主役はやらせてもらえなかったし、道具係だったりした。どもりそうなことばがせりふにいっぱいあるのに、そこに挑戦して、実際に舞台ではどもってどもって、それでも最後まで言い切る、そういう困難な場面に直面して、そしてそこから自分もやれるんだということを実感してほしい。
 キャンプを始めた最初のころ、言語聴覚士の専門のスタッフと意見が対立しました。それでなくても吃音に悩み、ストレスを受けているどもる子どもに、こんな辛いことをさせるのはかわいそうだと言われた。決められたせりふではなく、子どもたちに全部シナリオを作らせて、楽器を使ったりして楽しくすべきだと、激しい議論をしていました。(「スタタリング・ナウ」134号一面「楽しさと喜び」参照)
 今のスタイルになってだいぶ経ちます。お芝居も、学校の学芸会のようなものではなく、本格的なもので難しいです。竹内敏晴さんが毎年書き下ろして作って下さいます。
 このような本格的な芝居に取り組む意義は、子どもたちに提供するひとつの課題であったとしても、良質のものにしたいという思いがあります。キャンプの運営の事前準備はほとんどやってないけれども、お芝居に関しては、1泊2日の合宿で、かなり時間をかけて竹内さんの演出指導をスタッフが受けて、直前にも練習しています。
 困難な場面にぶつかったとき、避けたり逃げたりしないで、それに向き合って、そして自分の力でなんとか解決できるぞという解決能力をつかんでほしいという思いなんです。これが演劇の目的です。さらに声も大きく豊かにしたいし、表現力も豊かにしたい。
 吃音にもいろいろなタイプがあって、普段友だちと話す時はいいが、発表や朗読がダメだとか、その反対の子もいる。今まではしゃいでしゃべっていた子が、劇では急にどもり始めて、自分と向き合わざるを得なくなる。それが酷だと言われた。

平井 伊藤さんはそういう姿を見て、どう思う?

伊藤 僕はどんなにどもっている子どもを見ても、平気ですよ。でも、30年くらい前はそうではなかった。やっぱり人がひどくどもっているのを見ると、自分のことのように嫌だなあという思いはありました。でも、30年ほど前からはどんなにひどくどもっても、かわいそうとも思わないし、まあいいか、今日はようどもってるなあと思うくらいですね。そのあたりが、専門家と当事者との違いがあったんじゃないでしょうか。

平井 演劇を嫌だという子はいなかったんですか。

東野 いました。無理強いはしないで、「じゃ、みんなのを見ておいて」と言うと、最後の方になったら、「なんかさせて」と言って出てくる。

平井 そういうような確信、ほんとはやりたいのだろうなというのはあった?

伊藤 何も押さなかったら、そういうことはしないかもしれない。ちょっと押せば、本人にはやる力があるとの確信はありました。
 キャンプでの演劇の原点は、僕の体験です。僕がどもりで悩み始めた小学2年生のとき、主役をしたいし、しゃべりたいのに、先生が教育的配慮でセリフのある役を外した。僕と同じように、子どもたちは表現したい、しゃべりたい、演じたい、という持っているんだろう、それは確信のようなものを持っていました。17年間やってきて、嫌がる子は最初いたけど、また最初はばーっと見てせりふの少ない役を選んだ子もいた。ところが、年々経るうちに主役になってくるんだよね。

平井 昨年卒業した皆さんは、初めて参加したとき、お芝居をしてどうだった。

小川 高校生だったので、ちょっと嫌でした。でも、何回か来ているうちに、主役やりたいとか。

平井 主役やりたい、みたいになっちゃう。吃音が気にならなくなっちゃう?

小川 どもっても、もう盛り上がったらいいや、みたいな。

平井 すごい効果があるよ。みんなの聞きたいな。

小野 小学校のときは、本読みを、段落の途中で先生に止められて、「ああ、もういいよ、そこで」と言われた。なんでやねん、とずっと思っていて、キャンプに来て、最初はちょっとどうしようかと思ったけど、中学生くらいになったら、若手芸人並の、前へ前へ出ていく精神で、台本を読んで、おいしいとこはこことここやから、これやると言って、おいしいとこだけを持っていった。このキャンプは、普通のキャンプとはちょっと違う。
 小学校のときは、劇なんかしなかった。最初来たのは小6で、そのときは世界に、こういう喋り方をする人はオレしかおれへんと思っていたけど、ここへ来たら、みんな同じようにどもってしゃべってて、オレだけやないんやなあと思って、そこで心の壁がバーンと外れた。それが、劇で、受けそうな、おいしいとこ、持ってこか、に変わった。

長尾 小学4年で初めて参加したときは、プログラムの中にあったから、キャンプでは劇をやるんだと思ってた。中学のときはだいぶ恥ずかしくてやりたくないと思ったこともあった。前に立つことが恥ずかしいんじゃなくて、子ども向けの役柄自体が恥ずかしかった。かっこつけたい時期やったから、あんまりこういうことしたくないなと。
 高校生に入ったくらいからは、ちょっと落ち着いてきて、そんなに抵抗はなかった。高校2年では、結構、主役系をしてみたいというのがあった。目立ちたかった。日頃は、どもるから、確かにしやべることからはひいているところがある。でも、ここやったらそういう要素がなくなるので、目立つところをと思う。もともと、主役をしたい、目立ちたいという気持ちはあったと思う。でも、日常ではできないから、ここでやってた。

平井 晴れの舞台や。ここなら、主役。

浜津 僕は、最初来たのが小6で、小6でも恥ずかしかった。確か、オオカミ役で「ガオーッ」とかいって。一番恥ずかしい時期やったから。でも、みんなの前で劇ができるというのは、そう機会がないから、どうせするなら名演技をしたいと思った。どもらんとかっこよく言ってやりたいとか、そういう気持ちはあるんですけど、やっぱりどもってしまって、でも、それでもええやん、とだんだんなってきた。一生懸命するのが大事と思うようになった。どうせするんやったら、僕より下の子が、「おっ、あんなのいいやん」「いいなあ」と思えるくらいのものができたらええかなと思ってます。

伊藤 今年はスタッフとして事前の合宿にも参加したね。参加者として劇をしていたときと、スタッフとしてみんなの前で演じたときと、どう?

浜津 参加者でするよりかは楽だった。キャンプに来ているのは、みんなどもる子ばっかりで、僕もどもる子やし、僕が参加者のときにスタッフが劇をやってるのを見たときに、いいなあと思ったんです。かっこいいというか、恥ずかしがらずにどもりながらやってるし、なんかおもしろかったし。僕もそうなりたいなあと中学校のときから思っていました。スタッフになってやりたいとずっと思ってたから、恥ずかしいというのはなかったですね。

保坂 学校の演劇だと、ほんとはいっぱい話す役をしたいけど、みんなの前でどもるのが嫌だから、なるべく話しやすい役を選んでるけど、ここだと全然そういうことも考えない。一番最初は、なるべく話さない役にしようとしたら、周りの人が「やりなよ」と言ってくれて、押してくれたりすると、ここだからできるというのもある。主役の役もできて、すごくよかったなあと思います。

谷沢 劇自体、小学校以来全然やってなかったんです。久しぶりだったので、最初は気がひいてしまい、消極的になっていた。竹内さんの事前のレッスンのときから、難しそうだなと思ってた。実際やってみると、結構楽しくて、声も自然と大きくなった。どもることも心配だったんですけど、実際劇だとそれもなんか大丈夫だった。多分、これが普通の学校の劇だったら、また違った結果になってたかもしれない。楽しかったです。

伊藤 よかったね。一所懸命がんばってたものね。さきほどの対等性ということと関係するけれども、僕たちスタッフが前で演じるよね。さっき、一所懸命大人たちがやっている姿を見て、オレもやらないかんと思ったと言ってくれたけど、やっぱり真剣さというか、真面目さといっていいのか、手を抜かないというのか、僕ら大人がお芝居を楽しんで一所懸命やっている、それがある意味対等性かな。模範演技をするので、お前ら見とれ、というものではない。すごくどもるスタッフを、子どもたちがクスクスと笑ったりもしてるけど、あんなにどもりながらでも人前でやるんだと、あれは初めすごくびっくりしたんじゃない?

保坂 本当にびっくりしましたね。大人があんなにどもりながら劇をするのかと思いました。

伊藤 したやろね。それは大事で、大人が真剣にやってるというのを見せたい。どもっても最後まで言い切る、その姿を見てもらいたい。だから、よくどもる人を選んでいるわけでもなくて、偶然だけど、それを見て、かわいそうだな、あんなにどもるんなら出なかったらいいのにと思う人もいるかもしれない。でも、一方では、すごいな、がんばってるなあと思う子や親もいるだろうし。それは、人の思いは様々ですからね。

平井 最終日の上演に、子どもは全員出るの?

伊藤 全員出ます。どもる子のきょうだいも。高校生で初めて参加した子が、小さな子が一所懸命にやっているのを見て、私もがんばらなきゃと思ったという声があったり、あんな高校生が恥ずかしがらずにやってるんだから、私もがんばらないといかんと思ったとか、年齢が幼稚園から高校生までいるというのが、すごい大きな意味をもつ。

平井 親たちはやらないの?

親たちの表現活動
伊藤 親たちもやりますよ。親のパフォーマンスも結構おもろい。最初、びっくりしなかった?

長尾 なかなかえぐいことしますね。おかん…よくやるわと思った。もっとすごいことしますよ。

浜津 子どもとしてはあれ。恥ずかしい。

伊藤 毎年、変えるんだけど、一番最初にやったのは、「祭り」で、グループに分かれて練習して、みんなの前で、祭りだ祭りだ、わっしょいわっしょいとやった。今年は工藤直子の「のはらうた」というシリーズをやる。僕たちのキャンプは、付き添いで来ているという親はいない。全員参加だから、お父さんもお母さんも話し合いや学習会に参加し、出し物の練習をする。最初、なんで私、こんなことしないといかんのと思うでしょうが、そのうち楽しくなる。お父さんお母さんがグループに分かれて、一所懸命こうしよう、ああしようと、嬉々としてやっている姿をみて、2年ほど前は涙が出ました。子どもたちが上演する前にやるんだけど、親たちは恥ずかしさを越えて、からだで詩を表現する。

長尾 よくやるわ。もっと恥ずかしいと思う。

浜津 見たとき、わーっと思いました。

小野 何やってんねんと。

伊藤 最初親がやったとき、みんなおーっと歓声が上がりました。それから、毎年必ず子どもたちの演劇と親たちのと両方やることになった。それもいい効果ですよね。ことばの教室では、もっともっと声に関していっぱいしなければいけないことがある。ところが、吃音の話し合いが大事だというと、それに流れて、大事な表現のことがちょっと忘れられたりする。だから、詩を読んだり、お芝居をしたり、楠さんが親子でしている、谷川俊太郎さんの「きりなしうた」は、アサーティブ・トレーニングにもつながっておもしろい。
 どもる子どもたちに味わってもらいたいのは、声を出す楽しさ、声を出す喜び。日本語って豊かなんだな、声を出すということは心地よいし、そのことが相手に伝わり、そしてまた相手を動かしていく力になるんだなという、ことばに対する信頼というか、尊敬というかを味わってもらいたい。
 どんどんことばがないがしろにされていき、芸能レポーターとかアナウンサーの発音を聞いていても、ほんとに発音が悪くなっている。どんどん母音が抜け落ちていって、早口でぱーっとしゃべってしまう。そんな中で、どもる僕たちが、どもる人間としての言語というのを確立していくことが大事。一音一音丁寧に発音する、早口でしゃべらず、ゆっくりしゃべる、自分の話し方のスピードを身につけていくと、今の話し方や日本語に対するあり方に一石を投じることになるのではないか。べらべらしゃべることだけが、意味のあることじゃないということは、やっぱり僕たちが伝えられることじゃないかな。そうなると、ことばの教室の実践は、声や呼吸にももっと目を向けてもらいたいなあと思う。
 吃音親子サマーキャンプのプログラムは、10年以上全く変わっていない。変えようがない。ちょっとハードだが削れないし、加えることもできない。変更の余地がないと思えるほど、完成度が高まってきましたね。8年ほど前に親のパフォーマンスが入ったことで、完成しましたね。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/29

第33回吃音親子サマーキャンプ スタッフの感想〜安心に満ちていた吃音親子サマーキャンプ〜

つどいの広場の丘 吃音親子サマーキャンプが終わってから10日経ちました。後の細々とした仕事をしながら、キャンプで出会った人たちの顔を思い浮かべています。疲れているだろうにと思うのに、すぐに感想を送ってくれた人もいます。参加者やスタッフからの感想が、今、ぽつぽつと届いています。へえ、そんなことがあったのか、へえ、そんな話をしていたのか、知らないエピソードもたくさん出てきます。それぞれに、3日間を楽しんでいただけたようです。
 今日は、今回初めて参加されたことばの教室担当者の感想を紹介します。不安な思いを持ちながら参加し、よく分からないままキャンプが始まり、その中でどもる子どもや保護者の声をしっかり聞き、感じ取ってくださったことがよく伝わってきます。

  安心に満ちていた吃音親子サマーキャンプ
                                                                     
                         ことばの教室担当者(初参加)

  この度は大変お世話になりました。現地に着くまでは心配と不安でいっぱいでした。しかし、今思い返してみると、前日にお電話をいただいた時からすでに、伊藤さんや溝口さんをはじめとするスタッフの方々の思いやりに包まれた『安心に満ちたキャンプ』だったなと感じます。
  駅に着いた瞬間から、スタッフの方ににこやかに迎えていただき、昨年参加した「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」でお会いした方が声をかけてくださり、一気に不安は小さくなりました。とてもありがたかったです。

  出会いの広場のレクも落ち着いたトーンの声で進行してくださり、まずは個人でできることから…と徐々に会場を温めてくださる展開でとても楽しめました。若干人見知りのところがあるので、いきなり接近戦だとどうしようと思っていました。(あとから、それぞれのゲームは劇に通じる伏線だったと知り、驚きました!)
 
 そして、話し合いです。初めて、中高生のみなさんとの話し合いに参加させていただきました。どうなるのかな、どんな話がでるのかな?と気になっていたところ、伊藤さんも気にかけておられたのがとても印象的でした。こうやって細やかに気を配ってくださっていることがみんなの安心につながっているのだなと感じました。

 当初、なかなか意見が出なかったですが、口火を切ってくれた子がいて、そこから話がつながっていきました。彼のどもりは結構な感じで、第一声を発するだけでもかなり体力を消耗するのではないか?と思うほどでした。しかし、高校ではクラブの部長さんだと聞き、どうやったらそんな風に強い気持ちで前向きにがんばれるのか、本当に立派な青年だな…と大変頭が下がる思いがしました。
 また、後から聞いたところ、彼はコロナ禍で声すら発することができなくなってしまったと知り、その時の彼・ご両親はどんなお気持ちだっただろうと胸が痛くなりました。しかしそんな中、彼を思う気持ちが伊藤さんとの出会いにつながり、伊藤さんからの具体的なアドバイスを誠実に実行し、自分で努力を重ね、今に至っていると聞き、ますます尊敬の思いが強くなりました。

 それ以外にも、今回初参加だった子どもたちへのお声がけもありました。涙が止まらなくなった子もいました。後で聞くと、「どうしてあんなに涙が出たのか分からない」と言っていましたが、そのくらい何とも言えない『安心感』があの場にはあるのですね。始まる前に、伊藤さんがおっしゃっていた約束。あのことがとても印象に残っています。「対等な関係での対話」、「傾聴」「この場で話したことについて、必ず秘密は守る!」この姿勢が子どもたちへの安心につながるのだと分かりました。
  話し合いは90分×2回ありました。伊藤さんは、当初より、腰が痛いとおっしゃっておられたので、きっと座っておられるのも大変だったのだと思いますが、それでも、身を乗り出して必死に子ども達の意見を聞き逃さないようにしようとされていました。そのお姿から『誠実さ』がひしひしと伝わってきましたし、その熱い思いが子ども達にも波及していくからこそ、彼らも何か話をしよう!と思うのだろうなとしみじみ感じました。
 「話し合いは2回ある。1回目から一晩置くことにも意味がある」と伊藤さんがおっしゃっていた通り、2回目は子ども達からの発言がぐっと増えました。その場でとても印象的だったのが、周りの「この人吃音じゃないかなあ」と思われる人に、自分ができることは何かを考えている子が多かったことです。それに対し、伊藤さんから、「あなたが、どもるままの。ありのままでいることで相手が何かしらをキャッチしたら、必然的に相手が何かアクションを起こしてくるかもしれない、それまで待つしかない」といわれていたのも心に残りました。私は普段から、自分が良かれと思ったことを周りの人たちに伝えると、すぐに動いてほしいと思うところがあります。それは傲慢だったなと改めて反省しました。これからは、こちらからの思いを投げかけたとしても、待ってみようと思います。

 あと、自分の思いだけを通そうとして、いくらどもっていてもしゃべりきるというのは違うのではないか?という投げかけも衝撃的でした。みんな本当によく考えていますね!彼の言う通り、自分の権利ばかりを主張するのではなく、お互いの立場を思いやりながらというのは、どこの場面でも大切ですよね。

 お芝居があるということは知っていたのですが、あれほどの大作を演じるのだとは全く予想していませんでした。また、2回とちょっとの練習時間で、果たしてどうなるのか、できるのか??と正直、心配でした。
 しかし、時間を大切に使いながら、大人や年長者の子ども達があれこれアドバイスをしていき、それらを子ども達が必死で吸収することで声の張りや表情、動きもずいぶん変わりました!
 本番では動きや態度が堂々とし、お客様に聞こえる大きな声を出し、セリフの読み上げも滑らかでした(それまでは逐次読みだった子が)!思わず引き込まれ、あっという間の一時間となりました。
ウォークラリー 山頂  荒神山劇場に参加したみんなの表情を見ていると、それぞれが達成感に満ちているのが伝わってきて、本当にすばらしい取り組みだな、これに参加できる子は本当に幸せだな〜と感じました。

 保護者のパフォーマンスも素晴らしかったです!ああいう取り組みを通して、保護者も当事者として一緒に考えていこうとしてくれますよね。普段の通級ではなかなか難しいですが、「保護者はお客さんではないのだ」というところは本当にその通りだなと感じました。

 ウォークラリーもよかったです。これまであまり話せていなかった方とじっくり話しができ、かつきれいな景色を拝むことができ、ほっとしました〜。

基礎講座 サマーキャンプの基礎講座もありがたい企画でした。これまで皆様が、どういう思いでキャンプを立ち上げられたのか、何を大事にされているのか、よくわかりました。
 ・最初の出会いを大切に
 ・楽しいばかりではなく、吃音にじっくり向き合う時間を
 ・いろんな表現・考え方に触れる機会を
 ・ただそこにいてくれる存在がある
中でも特に印象的だったのが
 ・人は自然と変わっていくのだから、変えようとはしない
 ・目の前の人に誠実に、自分の人生を懸けて関わっていく
 というところです。
 決して簡単なことではないですが、今回の2泊3日のキャンプ全般を通して感じさせていただいた、この2つのことを常に念頭において、これからも誠実に子ども達と関わっていきたいと思います。
 暑い中、丁寧にご準備くださり、私達を快く受け入れてくださった皆様に心から感謝申し上げます。
 
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/28

「これはどもっている人の特権だと私は思う」〜第33回吃音親子サマーキャンプに参加して〜

 第33回吃音親子サマーキャンプの3日間を、ダイジェスト版で報告してきました。
 今日は、大学院生時代からこのキャンプに参加し、竹内敏晴さんが亡くなってからは、演劇の担当として、スタッフ向けの事前レッスンからかかわっていてくれる渡辺貴裕・東京学芸大学教職大学院准教授のnoteから、渡辺さんの許可を得て、紹介します。


「これはどもっている人の特権だと私は思う」 〜第33回吃音親子サマーキャンプに参加して
note 丘 aa

渡辺 貴裕|教育方法学者
2024年8月19日 15:40


 8月16日(金)から18日(日)の3日間、彦根市の荒神山自然の家で開かれた吃音親子サマーキャンプに参加してきた。
「吃音と上手につきあう」ことを掲げる日本吃音臨床研究会(代表:伊藤伸二)による、今年で第33回となる催しだ。

渡辺 伸二挨拶
キャンプを主催する、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さん





 参加者は、どもる子どもと親を中心に、さらに、どもる大人、ことばの教室の教師、言語聴覚士、どもる子どものきょうだいなども加わる。計90名近く。
 誰かが何かを「してあげる」場ではなく、一緒に、どもることについて話し合い、作文を書き、劇の練習をして上演し…の3日間だ。

 私は、まだ自分が大学院生だった頃から連続で、もう20数回参加している。ネットがつながらず生活上の制約も多い自然の家での3日間は、(普段快適環境ぐらしに甘えている私には)疲れるもの。けれどもそれでも私がここに来続けるのは、ここに来ると、子どもってすごいな、子を思う親の気持ちもすごいな、てんでばらばらな人たちが吃音というその一点でつながって普段とは違う関係性をもてるこの場ってすごいなと、毎回鮮烈に感じられるからだ。

 どもる子どもたちが、いくらどもろうが気にせずおしゃべりや人前での表現ができる。からかわれたり真似されたりの苦労や将来への不安を共有して一緒に考えることができる。この場の貴重さ。
(なお、どもる程度は人さまざまで、言い換えでかなり回避してしまう子から、随伴運動や難発の程度が強くいったんつまるとなかなか声が出てこなくなる子までいろいろ。そして、どもる程度と悩みの度合いが必ずしも一致するわけではないのも、吃音というものに関して大事なところ。)

 中学生のどもる子をもつ、あるお母さんが話していた。

 今回、ちょうど学区のお祭りが重なっちゃって。学校の友達がみんな行くということで、あの子も楽しみにしてたはずなんですけど、迷わず「こっち(=キャンプ)」って言って。

 この場が子どもたちからいかに大事に思われているかを感じる。

 去年、さんざん途中で「帰る」「帰る」と言っていた(実際リュックサック背負って抜け出そうとしていた)小学生の男の子。
 今回、兄も一緒に参加していた(「どもる子のきょうだい」として)。弟から話を聞いて、「自分も参加して劇やりたい!」と思ったらしい。

 あの弟から何を聞けば「自分も参加したい!」になるねんと私は心の中でツッコんだが、弟、なんだかんだで去年楽しかったらしく、今年は自ら進んで参加したらしい。去年の劇「森は生きている」の「おばさん」役のセリフ「役立たず! 死んじまえ」をいたく気に入ったそうだ。今回は、「帰る」の一言もなく、初日から目一杯楽しんでいた(兄も)。

 人は変わる。

 コロナ禍での2020&21年の休止により、リピート参加の断絶がかなり出てしまったが、再開後からのリピーター組が新たなつながりを生み出している。

 小学校高学年の子たち、初回の話し合いにてスタッフが「吃音について話し合いたいんだけれど、どんなことを話したい?」と尋ねたときに、
「もう部屋でも話し合いしました」
と言ってきて驚いた。初日の夕食後の話し合いで、それまで自由になる時間なんてそれほどないのに!

 吃音とじっくり向き合うということが文化として定着している。


荒神山山頂

プログラムの一つ、荒神山ウォークラリーにて、山頂から琵琶湖を望む




 私にとっては、キャンプは、普段とは違う角度から、学校のこと、教師のことを考える機会でもある。

 ある小学生の男の子が憤っていた。

 自分の吃音のこと、担任の先生に言ってあったのに、音読テストのときに、「もっと練習してきてください」と言われた。先生は、真剣に取ってないから忘れてるんじゃないか。

それに対して別の男の子はこう話す(なお、さっきの子もこっちの子も、どもる程度という点では、かなりはっきりと「どもるな」と分かる子だ)。

 自分は吃音のことで先生(学級担任)から何も言われたことない。けれども多分それは、その先生は自分(この男の子)が考えすぎないようにと考えて、何も言ってこないんじゃないか。自分としても、先生にはそこまで深く考えてもらわないでいい。

 普段私自身なかなか知る機会のない、子どもたちのこうした思いとたくましさ。
なお、この後者の子、先生はだいたい1年で変わっていくからよいけれど、家族(きょうだい)には自分の吃音のことを理解しておいてほしい、とも話していた。


荒神山自然の家
自然の家



 私は、何年か前から、作文の時間に、子どもたちが書いてきたのをその場で読んでやりとりする(時にはもう少し書き足してもらう)役割を務めているが、彼らが自分の吃音と向き合いながら生きている様子、それを綴る言葉に、何度も何度も圧倒される。

 一つだけ紹介しておく。
 「言えない時はメモをとって相手に見せることで自分が伝えたいことを伝えるようにしている」という、高校生の女の子。

 その子がこう書く。

 ただ、自分の言葉で相手に伝えたいと思ったことはどもってでも、自分自身の言葉で伝えるようにしている。
 伝えることができ、相手に理解されたときの喜びは、どもりながら言わないとわからないものだなと思った。
 これはどもっている人の特権だと私は思う。

 どもってでも伝えたときの喜び。それを「どもっている人の特権」と言える感覚。

 彼らには本当にかなわない。
 それを思い知るために、私は毎年参加している。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/27

第33回吃音親子サマーキャンプ 最終日

シーツシスターズ いよいよ、最終日となりました。昨日と同じように、朝の放送で起きて、つどいをしました。ここで登場するのが、恒例のシーツシスターズ。いつ頃からそう呼ぶようになったのか、定かではないのですが、シーツ返却係の女性スタッフが、アイドルさながら登場し、シーツの返却のお知らせをします。初日のオリエンテーションで、所員の方から説明がありましたが、最終日、もう一度、返却の仕方をみんなの前で再現してくれるのです。単に連絡の形にしないのが、僕たちの仲間です。シーツシスターズという名前のサマキャンアイドル、1年に一度結成され、今年も大活躍でした。
 朝食の後は、子どもたちは、劇のリハーサルです。その間、親は、子どもたちの劇の前座をつとめるため、集会室で「荒神山ののはらうた」の表現に取り組みます。話し合いのグループごとに詩を用意して、ふりつけを考え、からだ全体で表現します。緊張している子どもたちも、初めて見る親の姿にびっくりです。劇上演前の子どもたちのドキドキを同じように体験してみよう、親も自分の声や表現を磨こうと始まった親の表現活動、「荒神山ののはらうた」も、今年で18回目となりました。話し合いのグループは4つあるのに、用意した詩は3つというドジをしましたが、グーチョキパーで3つに分かれてもらい、短時間で仕上げました。この練習中の親たちの楽しそうなこと。参加回数が多くないのに、この伝統はちゃんと受け継がれています。見事に息のあったパフォーマンスを見せてくれました。
親のパフォーマンス 逆立ち親の表現 練習 そして、いよいよ荒神山劇場のはじまりです。前座は、親のパフォーマンス。すてきなオープニングとなりました。そして、子どもたちの劇「王様を見たネコ」が始まりました。どもりながら、でも、楽しそうに参加しています。アドリブも効いています。衣装や小道具は、これまで作ってくれたものと、足りないものはスタッフの西山さんが手作りしてくれました。僕の家には、西山さんや今回参加できないけれど鈴木さんが作ってくれた衣装・小道具が、段ボールに5箱分くらいあります。
 荒神山劇場の後、卒業式をしました。今年は、小学4年生から連続7回参加し、今年高校3年生になった男の子が卒業でした。卒業証書を渡し、本人の挨拶、連れてきた親にも挨拶をしてもらいました。卒業証書を渡すのは、サマーキャンプに3回以上参加することが条件です。サマーキャンプと出会うのが遅く、3回に満たない高校3年生が今回もこれまでもいましたが、この原則は崩していません。
 最後にサマーキャンプ初参加の人を中心に、感想を聞きました。いくつか紹介します。

・誰も知っている人がいないので、参加する前は不安や心配があったけれど、我が子がどこにいるのか分からないくらい、すぐに仲良くなっていて、安心した。
・話し合いの時間が長くとってあるので、そんなに話すことがあるのだろうかと思っていたが、それぞれ深い話ができて、勇気づけられた。
・サマーキャンプがこんなに長く続いている訳が分かった。来年も、ここに帰ってきたい。
・始まる前は不安だったけれど、子どもの声にハリがあり、普段と違っていきいきとしていた。
・同じようにどもる子どもに会いたい、それもどもる女の子に会いたいと思って参加した。いい先輩に出会えてよかった。
・子どもより親の方が不安だった。どもる子どもの親と出会えて、縁を感じた。
・去年と比べると、劇の中に入り込んで、せりふをちゃんと言っていたのがうれしかった。
・願いは一つ。伊藤さん、長生きしてください。そして、サマーキャンプを続けてください。 

子どもの劇2子どもの劇3子どもの劇 観客
















 おまけのショータイムがありました。西山さんが、新聞紙を使った手品を披露してくれたのです。破ったはずの新聞紙が、見事つながって、すてきな笑顔の僕たちや仲間が現れました。西山さんは、元ことばの教室担当者で、退職して何年も経つのに、サマーキャンプを大切に思ってくれているスタッフのひとりです。

 最後の食事をして、バスが待つこどもセンターへ移動です。迎えには行けなかったけれど、見送りはしようと思いました。参加者もスタッフも、これから、遠い自宅に帰っていきます。そして、いつもの生活が始まります。楽しいことばかりではないかもしれませんが、なんとかサバイバルしてほしいと思います。今年、初参加のサマキャン卒業生が言っていました。「嫌なことがあっても、みんながそれぞれがんばっているんだと思うと、僕もがんばろうと思った」と。そんな力を育んでくれるサマーキャンプという場。また、来年、荒神山自然の家で、「おかえりなさい」と言って、みんなを迎えたいと思います。
帰りのバス お疲れ様でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/26

第33回吃音親子サマーキャンプ 2日目

朝の体操 吃音親子サマーキャンプ、2日目の朝6時、起床放送が流れました。つどいの広場では、サマキャン卒業生の若いスタッフが声をかけ、子どもたちが遊んでいます。つどいでは、サマーキャンプの黄色い旗を揚げ、ラジオ体操をしました。放送で流れる「元の隊形に戻ってください」のことばが、「元の体型」を想像させるので、「元の体型には戻られへん!」と、恒例の笑いになっています。





作文教室12日目の活動は、作文教室から始まります。毎年恒例の光景ですが、どもる子どもも、その親も、きょうだいも、スタッフも、参加者全員が、原稿用紙に向かいます。吃音にまつわるエピソードをひとつに絞って書きます。話し合いは、みんなで吃音を考えますが、この時間はひとりで自分の吃音に向き合うのです。90分、静かな時間が流れます。もし、作文が書けないとしたら、それはそれで構わないと思っています。みんなが書いている中、書けない自分と向き合うことも大切ではないかと考えているからです。結局、書かなかった子はひとりもいなくて、全員が書き終えました。


基礎講座 作文教室と並行して、参加経験が3回以下のスタッフのために、サマーキャンプ基礎講座を開いています。初めて参加したスタッフは、おそらく訳の分からないまま一日を過ごしたので、たくさんの質問・疑問があるでしょう。それに答え、これまでサマーキャンプが大切にしてきたことをできるだけ丁寧に伝えます。それぞれのプログラムの持つ意味、プログラムの順序の持つ意味など、サマーキャンプの歴史が語られるのです。僕はいつも、この時間、これまで参加したたくさんの子どもたち、親、スタッフの顔を思い浮かべます。あんな子がいた、こんなことがあったなど、32年間の歴史を語ればキリがありません。
 作文の後は、2回目の話し合いです。作文を書いたことが少なからず影響している子もいます。話し合いと作文がサンドイッチ状態になっていることは、絶妙なプログラムだと思っています。
 午後は、劇の練習と荒神山へのウォークラリーです。からだをほぐし、声を出し、劇の練習に入る前の準備を、それぞれのグループでした後、いろんな役を交代でします。誰に向かっているのか、話しかけている相手は誰なのか、相手のことばをどう受け止めたのか、ひとつひとつ考えながら、練習します。どもるとかどもらないとかは全く関係がないし、劇を上手に仕上げることが、重要なことではありません。子どもたちからのアイデア、アドリブを活かしながら、みんなで作り上げる楽しさを存分に味わっているようです。劇が嫌で昨年参加を見送った子どもがいました。1回目の練習では、交代して役をすることさえ消極的な子どももいました。強制はせず、そのままを受け止めつつ、練習は進んでいきます。
 と、劇の練習風景を書きましたが、実は、僕は、この場にいません。別プログラムがあるため、書いたことはあくまでも想像です。夜のスタッフ会議で様子を聞かせてもらいますが、基本的には、生活・演劇グループのスタッフたちが独自にすすめています。
ウォークラリー 山頂ウォークラリー 人 午後3時半から、荒神山へのウォークラリーです。それぞれのグループごとに、出発しますが、グループのリーダーはサマキャン卒業生です。何度も登って、荒神山のことはよく知っていますが、事前に自然の家の所員の方と打ち合わせをして、安全第一で、計画を立ててくれました。僕は、実は、このウォークラリーにも参加したことがありません。一度も、荒神山に登ったことがないのです。
 子どもたちが劇の練習をし、ウォークラリーに行っているとき、親は学習会を行っています。このプログラムを僕が担当しています。午後1時から5時過ぎまで、かなり長い時間の学習会です。この親の学習会も、これまでいろいろと変化してきました。ひとりの子どもの例を出して、その子のもつ力について、グループで話し合い、模造紙にまとめたこともありました。アサーションについて説明して、その演習をグループごとに、みんなの前で演じてもらったこともあります。最近は、初参加の人が多いので、その人たちが持っている疑問・質問にはきちんと答えたいと思い、対話形式の時間にしています。どもる子どもに同行する親として、知っておいてほしいことがたくさんあります。今後、子どもが何かSOSを出してきたとき、一緒に考える土台となる知識・情報はもっていてほしいからです。初めは、こんなに長い時間と思うようですが、終わってみれば、あっという間だったと、初参加の人が言っていました。これまでに相談に行ったところで言われたことについて疑問に思っていたことが解決したと晴れ晴れとした顔になった人もいました。
 荒神山から無事戻ってきた子どもたちを迎え、夕食の後、親たちはやっと一息。フリートークの時間です。和室の部屋は、子どもたちが練習に使っているので、学習室やホールで、それぞれに話していました。
劇の練習1 子どもたちは、劇の練習です。役の本決めをして、立ち位置も考え、練習に熱が入ります。
 長い一日が終わって、スタッフ会議が始まるのは、午後9時過ぎ。2日目の一日を振り返り、それぞれのプログラムごとに気づいたことを話し、みんなで共有していきます。出てきた話がつながっていくので、気がつくと、10時半近くになっています。 こうして、サマーキャンプ2日目が終わりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/25

第33回吃音親子サマーキャンプ 1日目

 8月16日、第33回吃音親子サマーキャンプの初日です。
 台風で新幹線が全面運休しているとは思えない滋賀県彦根市の天気でした。僕たちは、先発隊として、みんなより少し早く荒神山自然の家に到着しました。ここ数年、スタッフのうち何人かが先発隊として、早く来て、参加者に配るしおりや劇の台本や、スタッフの進行表などの製本、シーツの配布など、事前の準備をしてくれるようになりました。今年は、前泊組もいたので、先発隊の人数がいつもより多く、早く終わって参加者を待ちました。
オリエンテーション 河瀬駅に、自然の家行きのチャーターバスを用意しました。いつもの黄色い旗が参加者を出迎えます。初参加組はドキドキしながら、リピーターは1年ぶりの再会を喜び合いながら、バスに乗り込みます。バスが到着する所は、自然の家とは少し離れています。例年、そこまで迎えに行っているのですが、今回は暑さと腰痛のため、勘弁してもらいました。
 集会室に集合し、自然の家の所員さんからのオリエンテーションを受けました。途中、車組やバスに間に合わなかった人たちが集会室に到着し、人数が増えていきます。
スタッフ会議 その後、参加者には部屋に入ってもらって、スタッフ会議です。今年のスタッフは、キャンセルがあって、39名。初めて顔を合わせる者もいます。学習室に集まり、簡単に自己紹介。そして、1日目の流れを確認しました。細かい説明をする時間がないので、初めて参加するスタッフは、訳が分からないままスタートするのですが、不思議なことに、それぞれに様子を見ながら、適切に動いてくれています。見事というほかない、僕たちのスタッフの力です。
 開会のつどいでは、まず主催者として僕があいさつをしました。2年前の吃音親子サマーキャンプに参加し、そこでどもる子どもを取材した映画監督・奥山大史さんの「ぼくのお日さま」の話をしました。カンヌ国際映画祭に出品した映画です。2年前の奥山監督のこと、映画の試写会に行ってきたこと、全国公開されたらぜひ見てほしいことなどを話しました。
 そして、サマーキャンプに参加した2人の女の子の話もしました。結婚することになり、その結婚届けの証人になってほしいと頼んできたあおいちゃんのこと、2011年の東日本大震災で亡くなったりなちゃんのこと、僕は、この子たちのことを伝えていくのが大切なことだと思っています。
出会いの広場1出会いの広場2 参加者を紹介し、3日間生活をするグループに分かれて名札やしおりを渡し、いよいよ活動1の出会いの広場です。これは、千葉のことばの教室の教員の渡邉美穂さんが担当してくれています。初めての参加者の不安が少しでも減り、リラックスして参加できるようにと、エクササイズを工夫して進行していました。1時間ほどの間に、みんなの顔が柔らかくなり、笑い声もたくさん聞かれるようになりました。初参加者も多いのに、かなり難易度の高い表現活動も楽しくこなしている姿を見て、僕は、今年のキャンプもうまくいきそうだと思うのです。
 夕食の前後に、スタッフが上演する劇の復習をしました。指導してくれている渡辺貴裕さんは東京在住なので、当初は2日目からの参加になるだろうとの連絡を受けていました。渡辺さん抜きで復習をし、みんなの前で上演するのは少し不安だったのですが、渡辺さんが運休の東海道新幹線とは別ルートを探してきてくれました。北陸新幹線を使って、金沢を廻って河瀬駅に着くというルートです。おかげで、少し遅れたけれど、復習にも上演にも間に合いました。
 夕食の後は、1回目の話し合いです。親は4つのグループに分かれ、子どもたちは、小学2・3年生、5・6年生、中・高校生、きょうだいと分かれました。ファシリテーターとして、どもる人とことばの教室担当者や言語聴覚士が入ります。サマーキャンプに行ったら、こんな話をしたいと前もって考えて参加した子もいるようです。自分にとって大切な吃音の話題について、きっちりと向き合い、経験を話し、ほかの人の話を聞きます。
スタッフによる劇1スタッフによる劇2 夜8時から、スタッフによる劇の上演です。できるだけせりふを覚えてこようと伝えていたので、みんながんばって覚えてきていました。劇のあらすじをつかんでもらうことと、自分は何の役をしようかなと考えるときの参考にしたもらうこと、が目標です。ちょっと長い劇だったのですが、子どもも親も、真剣に見ていました。いい観客のおかげで、演じたスタッフも、いい感じでした。
 夜の9時から、スタッフ会議です。なんと長い一日だったでしょう。スタッフ会議で出てくる子どもたちの話、細やかな観察に、僕はいつもすごいなあと思います。何気ないことばをちゃんとつかみ、丁寧に対応してくれているスタッフは、本当に強い味方です。ひとりひとりの細やかな対応と、お互いの連携とそれらがつながって、スタッフにも、スタッフのセルフヘルプグループができあがっているようです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/23

第33回吃音親子サマーキャンプ、無事、終わりました

横断幕 申し込みは92名、体調不良、骨折などでの直前のキャンセルが4名で、88名の参加でした。大阪、三重など比較的近くからの参加、遠くは、沖縄、鹿児島、長崎、埼玉、東京、千葉などからも参加がありました。
 コロナで2回中止になって再開した2022年からの参加者がほとんどという新鮮なキャンプでした。
 開催2日前に、台風の影響で、初日の16日、東京−名古屋間の新幹線が終日運休というニュースが流れ、あわてて関東方面からの参加者に連絡をとりました。キャンセルということになるだろうという予想が外れ、前泊して予定どおり参加する人、2日目からの参加に変更する人、北陸新幹線が動いているという情報からルートを変更し金沢を廻って現地入りする人など、キャンセルはなし、でした。困難な中、参加してくれる人たちの思いをしっかりと受け止めて、キャンプが始まりました。
 最初のプログラムは、出会いの広場です。短い時間で、参加者がリラックスし、楽しそうな顔に変わりました。いいキャンプになるぞという予感がしました。
挨拶する伸二 その後、話し合い、事前合宿で練習したスタッフによる劇の上演で、一日目が終わりました。
 二日目は、作文教室、2回目の話し合い、子どもたちは劇の練習、荒神山へのウォークラリー、親は学習会と続きました。
 そして、最終日、最後のリハーサルと、親の表現活動、子どもたちによる劇の上演があり、卒業式、全体でのふりかえりと、2泊3日を目一杯使い、無事、終わりました。
 最後、初参加の人に感想を話してもらいましたが、満足してもらえたようです。
 「伊藤さん、長生きして、キャンプを続けてください」と言ってくださいました。

 今、高校2年生になっている子どもたちが小学6年生のとき、僕は、その子どもたちの話し合いに入っていました。そのとき、「僕たちが卒業するまで、キャンプをしてください」と言われたことを覚えています。言われたときは、「とんでもない、何歳になってると思うんや」と思ったのですが、いつのまにか、それが来年のことになっています。約束を守れそうです。守りたいと思います。目標ができたので、がんばれそうです。

挨拶する伸二とみんな 今年、スタッフは39名でした。そのうちの10名がサマキャン卒業生です。キャンプ中に稽古をして、最終日に上演をする演劇のためのスタッフのための事前レッスンには、約半分が参加しました。まず、スタッフ自身が楽しんでいる、珍しいキャンプです。

 おおまかな報告をしました。これから、少しずつ、印象に残ったことを発信していこうと思います。



つどいの広場の丘 例年、荒神山から帰ると、秋の気配が感じられるのですが、今年はまだまだのようです。「吃音の夏」の余韻を楽しみながら、体調を整え、「吃音の秋」を迎える準備をします。みなさん、「吃音の秋」、またご一緒いただけるとうれしいです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/20

受け継がれる

サマキャンの写真 ワークブック表紙 10% いよいよ明日から、吃音親子サマーキャンプです。地震や台風を気にしながら、準備してきたのですが、昨日の夕方6時過ぎに、「東海道新幹線、東京−名古屋間、16日終日運休」のニュースには驚きました。影響はあるだろうと思っていましたが、まさか運休とは…。
 関東方面からの参加者やスタッフに連絡をとりました。まだニュースを知らず、電話に驚かれた方、すでに情報を得ていて、急遽、前泊すべく新幹線の予約取り直しとホテルの手配をされていた方、「今、東京駅に来て新幹線の変更をしています」という方もおられました。結局、前泊したり、2日目からの参加に変更したり、ということになり、誰からも「キャンセル」ということばは出ませんでした。それだけ、吃音親子サマーキャンプを大切に思っていてくださるということが伝わってきて、僕は胸がいっぱいになりました。困難がある中、こうして集まってくださるのだから、僕たちも、できる限り、力を尽くしたいと思います。
 今日も、吃音親子サマーキャンプと関連する内容の巻頭言を紹介します。サマーキャンプの卒業生がスタッフとして戻ってきてくれる、こんなうれしいことが今年も続いています。今年のスタッフ41人の中で、サマキャン卒業生は、10人。だんだんスタッフが高齢化していく中で、頼もしい限りです。「スタタリング・ナウ」2006.9.20 NO.145 から巻頭言を紹介します。

  
受け継がれる
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 吃音親子サマーキャンプは、17年の歴史の中で、熟成し、また新たな段階へと飛躍した。そんな思いを強く持ったキャンプだった。
 昨年、東京のTBS放送のテレビカメラが入り、高校生の感動の卒業式が、TBSの番組「報道の魂」「ニュースバード・ニュースの視点」で映像として流れた。番組を見なかった人が、ビデオ・DVDを購入し、多くの方々から感想をいただいた。その中で、今、いろんな問題を抱え、難しい位置にいる思春期の高校生たちが、人前で感極まって泣いたり、ひとことひとことかみしめるように、自分を語る姿が印象的だったとの声が多かった。
 その彼たちが、その後どうしているか報告できるのがうれしい。卒業生はそれぞれ進学し、全員がスタッフ見習いとして参加した。それに一人が加わり、5人が一度にキャンプ卒業生としてスタッフに申し込んできたとき、とてもうれしい反面、キャンプ自体がどのような影響を受けるか、一抹の不安もあった。
 これまでのスタッフは、長年一緒に取り組んでいる、どもる人のセルフヘルプグループである、大阪スタタリングプロジェクトの仲間たちと、私たちの活動に共感して下さる、ことばの教室の教師や言語聴覚士。初めて参加する人も臨床家ばかりだ。正式なプログラムがスタートする前の一時間の打ち合わせだけで、キャンプの運営はスムーズに進行していく。昨年まで、夜遅くまで話していて、叱られていた子どもたちが5人も同時にスタッフ会議に参加する様子はなかなかイメージできなかった。キャンプの運営だけでなく、5人のスタッフ見習いがどう育っていくのか、話し合いのグループにどう入れるか、正直言って心配だったし、例年になく苦労した。
 しかし、そのような不安は、最初のプログラム「出会いの広場」で吹き飛んだ。これまでベテランが担当していた、キャンプにとって大きな意味をもつ「出会いの広場」をすべて若いスタッフに任せた。それぞれが自覚をもって140名の参加者をさわやかにリードしていく。緊張していた参加者も、若いスタッフたちが一所懸命に関わる姿に、優しいまなざしを送っている。
 子どもの話し合いにも、親の話し合いにも、若いスタッフを入れた。ただ子どもや親の話し合いの場に立ち会うだけでも、彼たちにとって意味あることだと考えたからだ。ところが、子どもたちのグループでも親のグループでも、彼たちは出過ぎることなく、必要があれば発言をしていた。何人かのファシリテーターが、親にとっても子どもにとっても、身近なモデルの発言は興味をもって受け取られていたと報告した。
 遊びや劇の練習では、積極的に子どもたちをリードしていた。若いスタッフのこの姿勢に影響されたのか、参加者の高校生が小学生の子どもたちの面倒を実によくみていた。中学生や高校生は自分のことでまだ精一杯のところがあるし、思春期特有の照れもある。それなのに、小さな子どもと楽しくかかわる姿は特に今年目立っていた。
 島根県から高校生の息子と参加した杉山悦子さんがこう感想を寄せた。
 「今回のキャンプを一言で言うと、幼児は小学生の、小学生は中学生の、中学生は高校生の、そして我が息子は大学生や社会人のモデルを身近に見ることができ、これからのおよその道筋を見い出すことができる、そんなキャンプだと思いました。そして、モデルを見つけたのは、子どもだけでなく、親もモデルを見て考えることができました。先輩のお母さんの話を聞き、ある部分は安心し、納得し、また、まだまだ未熟な母親を実感しました。すべて先回りして助けることなどできないので、試練はたくさんあるが、助けてくれる人を信じてがんばってと祈るような気持ちも沸いてきました」
 続けて参加している子どもたちにとっては、キャンプの卒業式を迎え、スタッフになることが、キャンプでの一つのゴールになっているようだ。まだまだ私たちは続けなくてはいけない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/15
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