伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2024年07月

第8回ことば文学賞

 7月に入って、吃音親子サマーキャンプの会場である荒神山自然の家との打ち合わせ、東京での「ぼくのお日さま」の試写会、「スタタリング・ナウ」7月号の編集と、バラエティに富んだ日々が続き、気がつけば、明日からサマーキャンプの事前レッスンです。親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会も、目前に迫ってきました。
 さきほど、「スタタリング・ナウ」の入稿を済ませ、ちょっとほっとしていますが、明日からの事前レッスンの準備もしなければいけません。
 さて、今日は、「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138 に掲載していることば文学賞の作品を紹介します。
 NPO法人大阪スタタリングプロジェクト主催のことば文学賞もこの年、8回目を迎えました。ことばを通して、吃音について、人間関係について、生きるということについて、書き記していこうというこの試みは、僕たちの活動の大切なひとつになっています。2006年2月17日の大阪吃音教室は、受賞作品の発表の日でした。
 30名ほどの参加者の前で、全作品が読み上げられ、ひとつひとつの作品に感想が述べられ、選考委員からはコメントが出されました。ひとつひとつの作品に、その人の人生が刻み込まれています。11人の人生に一度にふれることのできる、僕にとって、またとない幸せな時間になっています。事情によって、外部に選考をお願いできなかったので、僕が、選考委員を引き受けました。力作ぞろい、それぞれが率直に自らの人生を綴り、興味がつきませんでした。

《最優秀作品》
   隠していた頃
                 堤野瑛一(大阪府、27歳、パートタイマー)
 何かと、隠しごとの多い子どもだった。ボテボテと太っていて、目は腫れぼったく、口はいつも半開きで表情に締まりがなく、髪にはいつも寝癖がついていた。そんな冴えない風貌だった僕は、生来の内気な性格も加わって、学校でお世辞にも一目置かれる存在ではなかったし、周りの人間の僕に対する扱いも、それ相応なものだった。しかし、見た目以上に僕は、人には言えないさまざまなコンプレックスを抱えていた。
 僕は、小学3年生くらいの頃から、チック(トゥレット症候群)の症状が表れて、よく顔をゆがめたり、首をビクビクとふったり、鼻や喉をクンクンとならしていた。チックを人に知られたくなかった僕は、できるかぎり、人の前では症状を我慢していたのだけど、我慢にも限界がある。自分では症状が人の目に触れないように最善を尽くしているつもりでも、やはり気づく子は気づいていたし、何度か友達に指摘もされた。「何でそんなんするん?」と訊かれるたび、「ああ、最近首が痛くて」とか「鼻の調子が悪いねん」と、その場しのぎなことを言い、笑ってごまかしてきた。ある時教室で、症状を我慢しきれなくて、誰も見ていないことを確認し、顔を引きつらせながら首をガクガクと思い切りふり乱した。しかしふり返ると、クラスではアイドル的な存在だったひとりの女の子がじっと見ていて「頭おかしいんちゃう?」と真顔で一言つぶやいた。僕はその子に特別興味をいだいていたわけではなかったのだけど、その言葉は深く突き刺さった。しかし何ごともなかったかのように振るまい、ショックを押し殺し、自分の傷を見ないようにしていた。残念なことに、僕には当時チックの理解者がいなく、親にはチックの事を責められ、担任の先生にも煙たい顔をされたりで、チックの辛さというのは、僕ひとりの中だけに押し込められていた。また、他人に、自分がチック症という名前のついた病気があることをいつ悟られるかとビクビクし、教室のどこかで誰かが「畜生!(ちくしょう)」と言ったり、「ロマン“チック”」とか、チック症に似た言葉を言っているのを聞くたび、ドキっと心拍数があがり、冷や汗が出た。
 抱えていた悩みはチックだけではなかった。当時の僕は、相当な精神的な弱さからくる、慢性的な腹痛に悩まされていた。授業中の張りつめた空気、トイレに行けないプレッシャーから、毎時間、お腹が痛くなった。テストの時間などは最悪だった。そして、休み時間のたび、友達から隠れてこそこそとトイレに行った。もしも大便用個室で用を足しているのを同級生に見つかり、からかわれるのが怖かったため、万全を期してわざわざ別の校舎のトイレまで行っていた。学校での腹痛を防ぐために、毎朝、登校前には、長時間トイレにこもった。今ここで一生分の排泄物を出し切ってしまいたい…! そう願いながら。また、たいていの子どもにとって、遠足といえば楽しいものだけど、僕には恐怖だった。学校にいる時以上に、トイレの自由がきかないから。も…もれるっっ…、一体何度、その窮地に立たされ脂汗をかいてきただろうか。結果的に一度も“おもらし”をせずにすんだのが、奇跡的と思えるくらいだ。
 まだある。僕のヘソは出ベソで、そのことを、小・中学校にいる間中、ずっと隠し通していた。もしも出ベソがばれたら、からかいの対象になることは目に見えていたからだ。身体測定でパンツー枚になる時など、パンツはいつもヘソよりも上まであげて隠していた。太ってお腹が出ているせいで、しょちゅうずれ落ちてくるパンツを、引っ切りなしに上げ直していた。あまり上まであげるものだから、いつもパンツはピチピチしていて、股の部分は吊り上げられ、今思い返すと見るからに不自然だった。水泳の時間なども、いつも意識は出ベソを隠すことに集中していた。
 他にも、男のくせにピアノを習わされていたことや、誰もが持っているゲーム機を持っていなかったこと…人に知られたくないコンプレックスはたくさんあった。見た目もデブで不細工、くわえて運動音痴、これといって人目をひく取り柄もない。たびたび自分のことを遠くから見ながら、チックの症状を見てクスクスと笑っている女子たちに気づいたこともあった。そんな経験もあって、今でもどこかでヒソヒソ声やクスクス笑う声が聞こえると、自分のことを笑っているように思えてしまう。コンプレックスのかたまり…僕は本当にそんなだった。
 しかし僕は、そんな劣等感のさらに奥深くで、人一倍、自尊心も強かったように思う。どれだけ人からからかわれても、笑われても、大人たちがまともに相手にしてくれなくても、決して自分を卑下することはなかった。「くそ、自分はそんな馬鹿にされた人間ではない。自分にはきっと価値がある」そんな思いが強かった。劣等感と自尊心、一見そんな対極に思えることが、僕の中にはたしかに混在していた。いや、劣等感と自尊心は対極なのだろうか? 自尊心が強いから劣等感をもつ、劣等感が強いから自尊心に火がつく、卵が先か鶏が先か…そんなことは分からないけれど、とにかく両方あるから、自分を変えようとする原動力になる。
 中学生になった頃、僕は自分の容貌の悪さをさらに強く意識するようになった。これでは駄目だ、痩せよう…! そう思い立った。朝食は抜き、昼食はおにぎりかパンをひとつだけ、間食は控えて、夕食もそれまでの大食いをやめた。そして、毎晩、体重計に乗った。日に日に体重が落ちるのが楽しくて、食べることよりも、体重が減っていく達成感のほうが、快感だった。中学二年の頃には、ずいぶんとスマートになっていた。並行して、以前は親から与えられた衣服をそのまま着るだけだったが、自分で洋服を選ぶようにもなり、髪もいじるようになった。また、鏡を見るのが大嫌いだったけど、よく鏡を見るようになった。すると、それまでは半分しか開いていなかった力のない目も、自然とくっきり開いてくるし、ゆるんでいた口元も絞まる。
 また幸運なことに、クラスの同級生にたまたま、自分以外にもうひとり、しょっちゅう大便用個室に行く男の子がいた。「緊張すると、すぐお腹痛くなるんよなー。」その子は恥じらう様子もなく、いつも堂々と、チリ紙を持ち個室へと入って行った。自分ひとりではない、仲間がいる! 僕は嬉しくてたまらなかった。それ以来、その子に便乗して、「あー、またお腹痛いわ」とか冗談混じりに言いながら、人目を気にせずトイレに行くようになった。授業中に「先生、お腹痛い、トイレ!」と大声で言い、笑いがとれるようになるほど、吹っ切れた。
 そんなこともあり、自分の見た目にも以前のようなコンプレックスはなくなり、僕は徐々に明るく活発になった。そうなると、自然につき合う友達のタイプも、活発なタイプに変わってきた。もしも、以前の見るからにコンプレックスのかたまりのようだった僕が、隠れてコソコソとトイレに入って行くところを誰かに見られたら、たしかにからかわれただろう。でも、自分に自信がつき、堂々とトイレに入っていけば、誰もからかわない。出ベソを見られたって、誰も馬鹿にはしなかった。小・中学校は、ずっと地元の公立で、昔から知っている者どうしだったけど、中学も卒業し、高校に行けば、誰も僕が昔あんなだったとは、想像もしなかった。チック症のことは、おそらくたびたび、「ん?」と変に思われることもあったのだろうけど、そのことで日頃から馬鹿にされたり、とりたてて何か訊かれることもなかった。
 “変えられることは変えよう、変えられないことは受け入れよう”…太っていることは努力で解決出来た。腹痛や出ベソそのものには、対処できない。だから自分の持ち前だと認めて、隠すのをやめた。気持ちに余裕ができると、結果的に慢性の腹痛は、徐々に軽くなっていった。チックのことも、自分ではそんなに気にならないようになった。もう自分には、これといったコンプレックスは何もない…そう思っていた。
 高校二年になったころ、僕はどもり始めた。それまでは何ともなかったのに。初めは、そのうちなくなるだろうと楽観的だったのだけど、だんだんと慢性化していった。「おかしいな…」そして気がつけば、いつしか、どもりを隠している自分がいた。会話でどもりそうになると、たとえ、話が支離滅裂になってでも、どもらずにすむことを言ってごまかした。自分がどもることを知られたくない…かたくなにそう思って、隠して、隠して、隠し続けた。どもることを受け入れられず、そして、どもることを隠すがゆえに、自由がきかなくなった。まただ、こんなはずではなかったのに…。
 …あれから、もう10年が過ぎた。あまりに、いろんなことがありすぎた。
 僕は、数年前から、大阪の吃音教室に参加している。そこで、豊かに生きるためのヒントとして、“変えられることは変えていこう、変えられないことは受けいれよう”ということを学び、共感した。僕は中学生の頃、それを体験的に知っていたはずなのに、どうしてまたあの時、どもることを隠してしまったのだろう。「先生、お腹痛い、トイレ!」とか言ったのと同じように、「俺、めちゃくちゃどもるわ!」とか言って、みんなを笑わせてやる選択もあっただろうに。でも、当時はそれができなかった。どもることを、受け入れられなかった。
 今は、多くのどもりの仲間に恵まれ、たくさんの人の考えや体験に触れ“どもりながらでも、豊かに生きられる。どもる事実を認めて、どもりと上手につき合おう”と、前を向いて歩いている。どもりの悩みの真っただ中にいた頃は、自分の未来像なんてまったく描けず、ただただ真っ暗闇だったけれど、今は着実に、明るい道を歩んでいる。僕は、どもる人間だ。どもる人間が、どもりを隠そうとしたのでは、何も出来ない。たしかに、どもりは不便なことが多い。でも、どもることが理由で出来ないことなんて、本当は少ないんじゃないだろうか。ずいぶんと遠回りをしてしまったけれど、どもることが原因で一度は不本意にあきらめたことを、これからじっくり、やり直していきたい。どもりと上手につき合いながら。

◇◆◇選考委員コメント◇◆◇
 当時は、話すことさえできないほど嫌だったことでも、年月がたてば、口にすることもできるし、文章に書くこともできる。作者は、書くことを通して、当時の自分に出会っていたのではないだろうか。隠したいコンプレックスが次から次へ、これでもか、これでもかと出てくる。羅列しているかのようにみえて、実はそうではない。一つのテーマにしぼっているので、ひとつひとつのエピソードにつながりがあり、ばらばらではない。読み手をわくわくさせ、次はなんだろう? もっとないの? とさえ思うくらい、読む気を起こさせる。当時は、きっと深刻であったろうことをユーモアを交えて書いている。これは、作者の生きやすさと連動しているようだ。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/12

カンヌ国際映画祭出品「ぼくのお日さま」試写会

 「取材で大変お世話になりました映画ですが、近日マスコミ試写会を行うことになりました。もし、宜しければ、取材がどのように映画へと活きているのか、見届けていただければ大変うれしく思います」
 6月20日、そう書かれた、映画の試写会の案内をいただきました。2022年の夏、吃音親子サマーキャンプに取材のために参加した映画監督からでした。
ぼくのお日さま ポスター その映画は、先日、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門でノミネートされた『ぼくのお日さま』で、監督は、奥山大史さんです。

 奥山監督との出会いは、2022年夏。次回作の映画に、どもる少年が登場するので、吃音について、どもる人の生き方について、学びたいとのことで、具体的には、その年の吃音親子サマーキャンプに参加させてもらえないだろうかという依頼でした。2022年は、コロナ明けの3年ぶりのサマーキャンプ。その間、新規の参加者はなく、リピーターだった多くの子どもたちは卒業してしまい、参加者もスタッフも何人集まるか、話し合いはともかく表現活動のプログラムはそれまでと変わらずできるのか、そもそも基本的に密な状態になるキャンプが開催できるのか、状況が全く読めない、不安ばかりが募る中で準備をしていたときでした。
 奥山監督のことは全く知らなかったのですが、その真摯な態度に好感を持ち、快諾しました。サマーキャンプ前日に、コロナ感染者過去最多を記録する中、キャンプは予定どおり開催し、奥山さんは、サマーキャンプの2日目から、話し合いの場面、表現活動の場面などを取材されました。僕たちも、さりげなく紹介しただけだったので、特別扱いはなく、一参加者として、吃音親子サマーキャンプの場になじんでおられた印象をもっています。全体で、表現活動のエクササイズをしているときも、その場におられたので、リーダーは、つい指名してしまい、奥山さんも、流れに乗って一緒にエクササイズに参加されていたと、後で聞きました。
 それから約1年半後、映画のエンディングに、協力者として、伊藤伸二と日本吃音臨床研究会の両方を入れたいと連絡があり、完成間近なのだろうと思っていましたが、まさかカンヌ国際映画祭に出品される映画だったとは思いもしませんでした。
 奥山さんと吃音親子サマーキャンプの出会いが、吃音の少年の描写にどんなふうに反映されるか楽しみにしていたところに、試写会の招待状が届いたのです。。
 
 そして、7月9日、東京渋谷、映画美学校の地下1階での試写会に行ってきました。マスコミ試写会なので、100名弱のマスコミ関係者で、ほぼ満席状態でした。なんか場違いの所に来たのかと思っているうちに、映画が始まりました。

 この映画は、雪の降る街を舞台に、どもるホッケー少年のタクヤと、フィギュアスケートを学ぶ少女サクラ、そして元フィギュアスケート選手でサクラのコーチ荒川の3人の視点で紡がれる物語です。
 ネタばれにならないように気をつけて、いただいた資料をもとに、もう少し詳しい紹介をします。

 
雪が積もる田舎町に暮らす小学6年生のタクヤは、少し吃音がある。タクヤが通う学校の男子は、夏は野球、冬はアイスホッケーの練習に忙しい。
 ある日、苦手なアイスホッケーでケガをしたタクヤは、フィギュアスケートの練習をする少女サクラと出会う。「月の光」に合わせ氷の上を滑るサクラの姿に、心を奪われてしまうタクヤ。
 一方、コーチ荒川のもと、熱心に練習をするサクラは、指導する荒川の目をまっすぐに観ることができない。コーチが元フィギュアスケート男子の選手だったことを友だちづてに知る。
 荒川は、選手の夢を諦め、東京から恋人の住む街に越してきた。サクラの練習を観ていたある日、リンクの端でアイスホッケー靴のままフィギュアのステップを真似て、何度も転ぶタクヤを見つける。タクヤのサクラへの想いに気づき、恋の応援をしたくなった荒川は、スケート靴を貸してあげ、タクヤの練習につきあうことに。しばらくして荒川の提案で、タクヤとサクラはペアでアイスダンスの練習を始めることになり…。


 雪が降り始め、雪が溶けるまでの一冬の情景は、どの場面も、とてもきれいでした。雪の白さはもちろんですが、光も効果的で、きれいな映像でした。それに合わせて、音楽も静かに流れていました。セリフは多くなく、ハデな演出もなく、全体として、穏やかで静かで落ち着いた映画でした。最後に、監督がぜひ、この歌を使いたいと思ったという、ハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」が流れました。そのエンディングが流れる中、映画にかかわったたくさんの人の名前の中に、「日本吃音臨床研究会」と「伊藤伸二」をみつけました。

奥山監督と 2 映画が終わり、会場を出ようとしたとき、奥山さんに声をかけられ、少しお話することができました。プロデューサーとも話しました。「どうでしたか」と聞かれ、僕は正直に率直にこたえました。わずかな時間でしたが、映画好きの僕にはとても良い時間でした。
 映画の中で、タクヤの吃音は特別なものではありませんでした。音読の時間の映像もあり、指名され、ドキドキしながら、タクヤは、思い切って読み始めます。案の定どもってしまいますが、でもそれ以上の描写はありません。どもる少年が音読をしてどもった、ただそれだけなのです。ことさら悲劇的に扱うでもなく、そんな子もクラスにはいるよね、ということのようです。さらりと扱っているなあという気がしました。それは、僕たちにとって、とてもうれしい演出でした。どもりながら話すタクヤが、日常の中に普通に存在していました。家族での食事の場面では、父親が同じようにどもっていました。とりたてて問題にすることなく、よくある話としてとらえられていると思いました。さらりと描いている、それがよかったと感想を言いました。奥山さんは、ほっとした顔をされたように思いました。
 タクヤの友だちとして登場するコウセイ君のことにも触れました。タクヤがどもっていても、どもっていなくても、何ひとつ変わらない友情を示すコウセイ君。監督は、「これは、サマーキャンプで、ある子が「理解してほしいと思っているわけではない。ただ、放っておいてくれたらいい」と話していたのを聞いて、そういう子どもをタクヤのそばに置きたいと思って、その役をコウセイ君にしてもらった」と話されました。
 2年前の2日間の取材の中で、いろいろなことを見聞きし、学んだことが役に立ったと話されました。取材の依頼の真摯なお話、取材当日の真剣なまなざしを思い出しました。そして、あのとき、サマーキャンプに参加していた子どもたちの姿が、映画の中に、確かに活きていたと思いました。

 映画の中で、池に氷が張った天然のスケートリンクで、タクヤとサクラと荒川コーチの3人が滑るシーンがあります。楽しそうです。弾ける笑顔が本当に素敵でした。
 そんな映画の中で、1カ所だけ、気になるセリフがありました。インパクトのある一言だったので、これを後でどう収めるのだろうかと思って観ていました。映画の中で、その最後を収めることはなく、観客に委ねられました。
 
試写会の翌日、取り急ぎ、お礼のメールを送ると、「ご覧いただけて、すっごくうれしかっです。本当にあの取材が大いに参考になりました。感謝しています」との返信がありました。気さくな奥山監督の「ぼくのお日さま」、9月に全国公開されます。ぜひ、映画館に足をお運びください。「ぼくのお日さま」の公式サイトで、最新の予告編を観ることができます。

    「ぼくのお日さま」の公式サイト https://bokunoohisama.com

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/11

第33回吃音親子サマーキャンプ 荒神山自然の家との打ち合わせ

 第33回吃音親子サマーキャンプの参加申し込みが届き始めました。参加費も、郵便振替で届いています。また、サマーキャンプの中で子どもたちと取り組むお芝居をスタッフが練習する事前レッスンも近づいてきました。そんな中、先日、会場である滋賀県彦根市の荒神山自然の家に行き、打ち合わせをしてきました。毎年、開催の1ヶ月前には、出向いて、職員の方と打ち合わせをすることになっています。
 大阪より涼しいだろうと予想していたのですが、その日、彦根の最高気温は35度、大阪より高かったです。
荒神山背景 自然の家に着くと、所長の西堀さん、所員の堀居さんをはじめ、自然の家のみなさんが温かく迎えてくださいました。1年ぶりの懐かしい再会でした。
 プログラムを説明し、参加者がまだ全然未定だと伝え、食事や備品などの提出書類などについて丁寧に説明を受けました。学校の林間学校と違い、僕たちの吃音親子サマーキャンプは、参加者数がぎりぎりまで分からないのが大きな、悩ましい特徴です。
 ここ荒神山でサマーキャンプを開催するのは、今回で25回目。どの所員の方よりも長く使わせてもらっています。そのことはよく理解してもらっていて、僕たち独自のプログラムを尊重してもらっています。全員が作文を書くための会場を確保してもらったり、ウォークラリーの説明をサマーキャンプ卒業生が、経験を活かして行いますが、そばにいて見守ってくださっています。
 荒神山自然の家は、以前は滋賀県が、そして彦根市が運営母体でしたが、経営難で、それぞれ手を離し、今は民間会社の運営となっています。存続が危ういときもあり、僕たちもなんとか続けてほしいとお願いをしたこともあります。
 荒神山は、吃音親子サマーキャンプにとって象徴的なシンボルです。せめてもう少しこのままでと願っています。
 温暖化の影響を受けて、年々暑くなってきているとのこと、生物の生態系にも変化があるようです。名前は忘れましたが、大きななめくじの姿を見ることがなくなったとのことでした。
 来月8月16日から18日まで、荒神山で繰り広げられるであろうたくさんのドラマを思い描きながら、打ち合わせが終わりました。「吃音さん」と呼んでくださる荒神山自然の家のスタッフの皆さんの温かい見守りの中で、今年もいい時間が過ごせそうです。
 参加申し込みは、書類提出の開催2週間前ぎりぎりの8月2日です。お待ちしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/08

文章を綴るということ

 「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138 の巻頭言を紹介しようと読み始めて、ドキッとしました。遅れに遅れた年報の編集をしているとの書き出しに、今と全く同じだと思ったのです。僕は、今、毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」の編集と並行して、年報の編集に取り組んでいます。遅れに遅れとまではいかないのですが、少し遅れています。
 毎日、何か、書いています。書くという作業は、僕にとって、欠くことができない日常生活になっているのです。
 では、文章を綴るということのタイトルの、「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138の巻頭言を紹介します。

文章を綴るということ
             日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二


 今、遅れに遅れた研究会の年報の編集をしている。今年度の分も含めて、4年分が滞っていた。2002年度の年報は「建設的な生き方」だ。
 文化人類学者・デイビット・レイノルズさんとの対談の中に、内観の話がある。「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3つを通して自分の過去を振り返っていくのだ。
 吃音内観という、新しい試みを提案してみた。吃音に悩む人たちの中には、どもることで周りに「迷惑をかけたこと」を必要以上に挙げる人がいる。例えば、会社窓口業務は、どもって応対すると、会社の信用を損い、迷惑をかけているというのだ。
 吃音に悩んでいたとき、周りの人から「してもらったこと」はないのかを振り返り、さらには、どもって私たちが話していくことは、誰かに「して返したこと」ことにならないのか。つまり、社会に役に立つことはないのかと、話を展開していった。「迷惑をかけたこと」はすぐに思い浮かんでも、「して返したこと」はなかなか思い浮かばない。そもそも、そのような発想自体が全くないのだ。しかし、結果としては「して返したこと」になるかもしれないということは出始めた。
 その中の大きなことが、私たちが自分の吃音体験を綴っていくことだとは、多くの人が納得した。だからこそ、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトが、ことば文学賞を制定し、多くの人に参加を呼びかけているのだ。
 今年もll編の大作、力作が集まった。今回は事情によって、初めて選考委員のひとりとなった。作品を気楽な気持ちで楽しく読むのと、選考委員として読むのとでは大きな違いがある。この文学賞に応募した11人だけでなく、読んで下さる大勢の人々のためにも、選考は慎重になる。何度も何度も読み返した。これまでの長い間、選考を続けて下さった高橋徹さん、五孝隆実さんのご苦労に改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。
 私たちの周りには、吃音を治すのではなく、どう生きるかを真剣に考え、その道を歩み始めた人は多い。時には「どもりでよかった」とさえ口にする。今の時点のその状態だけを取り出せば、「あれは特別の人たちなのだ。人はそんなに強くなれるものではない」と感想をもたれる人がいるのは、仕方がないことなのだろう。
 今は笑顔でそう語る人たちの、ここまでの道は決して平坦ではない。行きつ戻りつ、悩み、落ち込み、時には人間不信に陥りながらも、やはり、人と直(じか)にふれ合おうとする、人としての営みを通して、やっとの思いで辿り着いた地点なのだ。このことは、ことば文学賞に寄せられた人たちの文章を読めば、分かって下さることだろう。
 人としての苦悩、劣等感、罪悪感など、自分を縛る苦悩をもつのは、どもる人の専売特許ではない。多くの、苦悩をもつ人たちが解放されていく道筋が、私たちにとって大きな道しるべとなったように、私たちの体験も共有できるのではないか。
 私たちが自らの体験を書き続けることは、結果として、誰かに何かを「して返したこと」になる。その、誰かとは、まずは、現在吃音に悩む人たちだろう。「今は苦しくても、ぼちぼちと自分の人生を大切に生きれば、きっと楽になれるよ」と体験を通して応援のメッセージを送っているのだから。さらにそれは吃音理解に結びつき、どもる人をとりまく人間関係にも広がっていく。そして、様々な悩みを持ちながら、自分らしく生きることを模索する多くの人々にも共通の財産になることだろう。
 書くことを仕事にしている人でない限り、自然に書く気持ちがわいてくるものではない。それなりの発表の場があることが動機となる。ことば文学賞がなければ人の目にふれることのなかった文章。その人の人生に触れることの幸せを思う。
 この春には、遅れていた4冊の年報が同時に発行される。その4冊の中にも、私たちならではのメッセージが込められている。
 発行できなかったことへの苦情や批判もなく、私たちを信頼してお待ち下さった皆さんに心から感謝致します。すばらしいものをお届けします。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/07

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 3

 昨日の続きです。保護者との話し合いの時間が2日間で6時間もあったとはいえ、本当にたくさんのことを話していることにびっくりします。島根スタタリングフォーラムに参加し、そこで、同じようにどもる子どもや保護者に出会い、お互いに話したり聞いたりして、学んだことの積み重ねが感じられます。今日で最後です。

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 3

◆今年で4年目です。4年前には吃音は母親のせいだ、と夫にも言われてきました。子どもがどもる姿は、私にとって不都合なことで、私の存在を否定された気がしました。4年前、吃音は母親のせいじゃない、他にもどもる人はいる、人によってそれぞれ違う、などを聞き、娘と共通のテーマができて以来、吃音のこと以外にも親子でよく話すようになりました。子どもは子どもなりに自分のことばで伝えようとするようになりました。父親も吃音だったことを知った子どもは、「私の子どももどもるかもね」と言っています。「そのときは、みんなでフォーラムに行こうね」と言っています。長いスパンで見ることができるようになりました。困ったら、行って、話すことができる場がある、情報をもっているということは心強いです。

伊藤 長い人生のスパンでみると、どもりのおかげで、充実した人生を送ることができたという人はたくさんいます。自分の自由にならない、苦手なものがあると、人は謙虚に誠実に生きていけるような気がします。私は講演や講義では、あまりどもらなくなったのですが、5年前くらいにまたどもるようになりました。正直、どもるようになってよかったと思います。初心に返れました。不都合なこと、苦手なこと、苦戦することがある方が、工夫が生まれていいと思うんです。

◆空手の昇段試験のとき、子どもは「オイ」が出てこないときがありました。空手の先生から、「両親が厳しいから、そうなったんではないですか?」と言われたけれど、すぐ「いいや、違います。あの子はしつけとは関係なくどもるのです」と言い切れた。フォーラムに参加して吃音について勉強した後だったので、言えたと思います。
◆どもるのは、母親のせいだと言われ、姑からは「私は息子(夫)が小さいとき、吃音を治した」と言われました。フォーラムに参加してから、親のせいではないと伝えることができました。母親が怒るからではないかとも言われたけれど、この会に出てからは、そう言われても、大丈夫。平気で言い返したり、説明できるようになりました。
◆吃音に大きな波があります。だから、母親からのストレスかと感じることもあるのですが、そうではないですよね。そうしないと、叱るときも叱れなくなってしまいます。トラブルも、経験して子どもは育つものだと思うのです。

◆子どもに「悩み、ある?」と聞くと、「春先4、5月はごそごそとどもりが出て活発になる。秋にはおさまり、冬眠して、また春に・・」なんておもしろいことを言います。剣道をしていますが、「オリャー」「メン」を言うとき、間があくので、苦労していることはしているようですが。
◆6年生です。高学年になると学校の中でいろいろすることが増えてきます。スターターをしたことが自信になったようです。修学旅行で、ガイドさんのクイズがあって、それに「夢はモデル」と書いて、みんなが「へえー」と言い、友達に受け止めてもらえるのがうれしかったようです。
◆うちの子の将来の夢は、先生です。それは、この会に来て、たくさん話を聞いてもらえたからだそうです。

伊藤 職業については早めに考えるとよいと思います。吃音親子サマーキャンプに小学校4年生で参加した子が、どもってもいいと受け止めたが、中学校、高校と、いろいろ悩みました。揺れ動いたのです。今、大学生になって、声優になる夢をもっています。一度はあきらめた夢をやはり捨てきれず、彼はその夢に向かって今、生きています。

◆子どもは、テレビに出たいという夢をもっています。でも、どもるので、壁にぶち当たりそうだけど、その夢につきあいたいと思っています。1年前と比べて、「あのことば、よくつまるね」と言えるようになりました。下の子が姉をからかうことも出てきました。なので、「姉がタタタ…ということについて話す会に行くんだよ」と言って、つれてきました。
◆6歳の子どもがどもりますが、今は少しおさまっているので、今は気づかせなくてもいいと思い、今回は連れてきませんでした。保護者の皆さんの前向きさにびっくりしました。今度は子どもを連れてきたいと思います。
◆このような機会があってよかったと思います。自分も経験しなかったことを体験できている子どもを思うと、本当に幸せです。妹が兄の真似をして兄のプライドを傷つけられているようです。夜尿が直らず、小児科ではストレスが原因ではないかと言われています。妹が真似をすることで辛くなっていると思います。叱った方がいいですか。

伊藤 あまりきつく叱らない方がいいと思います。「そんなにお兄ちゃんの真似をしていたら、お兄ちゃんと同じような話し方になるから、仲間になれるね」くらいで軽く受け流した方がいい。映画監督の羽仁進さんも妹から真似されたり、からかわれ、嫌だったようですが、「身内の中で、家庭の中でからかわれて却ってよかった」ともおっしゃっています。兄弟関係は大事です。家庭の中で、タブー視されず、オープンに話題にされているということの方が大きな意味があると思いますよ。

◆家では全然しないことも、このフォーラムではしているようです。やっぱり同じような仲間がいるということがいいんでしょうね。
◆自分で自分の言いやすいことばに変えることができるようになってきましたが、できないこともあります。少しずつ向き合ってきていると思っています。3年生の弟は、冬にはよくどもるから、冬は嫌いだけどサンタがくるのでいいと言います。冬を意識しているんだなあと思いました。

伊藤 今までの話し合いで、疑問に思われたこと、もっと話し合いたいことはありませんか。

◆中学校1年生の娘のことです。大変ひどくどもりながら小学校を過ごしました。そして、今年の4月、小学校5校が一緒になる中学校に進学しました。今のところ、どもりはバレずに過ごしているようです。自分の口から、先生にどもりのことを伝えることはできないでいるのですが。

伊藤 今、隠していて、バレずにいていいと思っていたのに、昨日の子ども同士の話し合いの中で、高校生から、「隠していたらだめだよ」と言われショックだったようですね。今までの自分を否定されたように思え、混乱して、今朝はもう帰りたいと言っていたけれど、さきほどグループの中に入って行きましたよ。子どものその混乱はすてきなことです。意味のあることだと思います。母親としては、中学生にもなった子どもには何もできないと思って下さい。自分で考えますよ。

◆変ななぐさめでなく、見守るだけですね。吃音を隠すのをやめようと本人が思うのは、何年後になるか分からないけれど、待ちたいと思います。

伊藤 30年以上も前、岩手県の釜石市での全国巡回吃音相談会に無理矢理連れてこられた高校生が「親に何をして欲しいか?」と尋ねたら、「僕のことは放っておいてほしい」と言いました。 向き合うと、よく言いますが、直接どもりのことを言うかどうかということではないと思います。子どもが吃音にっいて話題にしたときに、語り合う準備が親にあるかどうかです。ここに参加するだけで意味がある。正答やマニュアルはないので、感じたとおり、自分のことばで語って下さい。

◆昨夜中学生がとてもどもりながら手話落語をしましたね。娘は、落語自体を楽しんで笑っていました。私は、その子があんまりどもるので、つい笑うのを止めてしまいました。その後、娘は、私の顔色を見て、笑うようになりました。止めた自分にも、笑う自分にも腹立たしさを感じました。

伊藤 笑いには、さげすみやからかいの笑いではなく、共感や励まし、思わずにっこりとしてしまう笑いがあります。笑いは大切にしていきたいと思っています。子どもが自然に笑うのは、OKでしょう。笑いたければ笑うがいい、ただ相手が傷ついたと感じたら、そのとき本人に伝えたらいいのではないでしょうか。自分の弱点、欠点を笑い飛ばすユーモアの効用についても考えたいですね。

◆私自身は、吃音ではありません。だから、どもる人やどもる子どもの気持ちが本当には分かりません。だから、つい言いたいことも言えなくなります。

伊藤 どもる人はどもる人の気持ちが分かるかと言えば、そうではありません。どもる状態、家庭環境など、ひとりひとり違います。どもる人もひとりひとり違うので、お互いに全て分かり合うことはできないでしょう。想像力を働かせ、つきあい、分かろうとすることが大切だと思うのです。吃音の経験がないということでお母さんがひるむことはありません。分かろうとする想像力だと思います。

◆子どもは、家で見ている限り、どもりのことを気にしている様子はなかったけれど、4年生の話し合いの中で、自分のどもりについて話していたと聞きました。「どもりのことを考えると、ゴミ箱がいっぱいになりそう」という表現をしていたらしいのです。子どもなりにどもりのことを考えているのだということが分かり、うれしい。
◆小学校1年生までに吃音が消えなければ、治らないと言われ、小学校1年生になっても治らなかったので、お互い気が楽になりました。出にくいときも、出やすいときも、そのことを親子で語れるようになりました。悩みがあっても、子どもの力を信じて待てばいいことが分かってきたように思います。「スムーズに言えや」とか「どもるなや」と人に言われても、先生が「まあいいがや。どもってもいいよ」とフォローしてくれました。母親の私には悩みを何も言いませんが、悩みを持ちかけてきたときのために予備知識を得ようと、参加しました。子どもが来たいと言えば一緒に来ます。
◆人に尽くすことで、うれしさを感じてほしい。やさしい手をさしのべる子になって欲しい。

伊藤 やさしさは、一朝一夕に身につくものではありません。弱さは強さという文章を書いた教育相談の臨床心理士の私の友人は、自分のことを弱い人間だといいます。しかし、その弱さが、引きこもりの生徒に出会うとき、役立っているというのです。言語聴覚士の専門学校に講義に行っていますが、多くの学生が、こんなに弱い自分で、悩んでいる患者を支えられるか不安をもちます。そういう人たちに私はいつもこう言います。自分の弱さを自覚していることが大切だと。自信満々の人に、人は助けを求めようとはしません。自分の弱さを自覚しながらも、誠実に向き合ってくれる人を、人は求めているのです。弱さは向き合えば、恥ずかしいことではない。
 親として子どもとどう向き合うか整理します。
/道劼眇祐屬箸靴討和佚という意識、伴走することです。大したことは出来ないが、人間として精一杯関われば何かが変わると信じることです。
∋笋龍譴靴澆蓮¬ね茲見えない、不安、恐怖の予期です。どもりながらいろんな職業に就いている現実を知り、伝えること。

◆私は、この会に朝から参加させたかったのですが、夫は行かなくてもいいとスポーツ少年の集まりを優先させました。夫に何度話しても理解してくれません。夫と自分の考え方の違いで、子どもは、率直に自分の気持ちを言えなくなっていると思います。手話落語のとき、クスクス笑う子に対して、息子はいらだっていたようでした。笑える子と笑えない子の違いはどこにあるのでしょう。我が子は、きっと笑える子はいいなと思っていたのだと思います。
◆私はどもるため、不安、恐怖の連続で、自分が受け入れらなかった。今回、「受け入れておられますね」と言われたのですが、ここでは隠さなくていいのでいろいろしゃべりましたが、吃音をまだ受け入ていないと思います。私にとって、結婚は逃げ場で、必要最低限のことだけしゃべればよかったのです。息子ははずっと働くと言っています。どもりを一生背負い続けるが、越えられる試練だから、与えられたと思うので、親として、寄り添っていってあげたいと思っています。
◆子どもは優しすぎる、もっと強さがほしいと言われ、優しさをマイナスと受け止めていました。優しいのがいいと言われて、これでいいと思いました。子どもが心配事を話してくれたとき、私は的確に答えたいと思っていましたが、一緒に悩み、伴走していく気で接していきたいと思います。(「スタタリング・ナウ」2006.1.21 NO.137)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/04

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 2

 昨日のつづきです。読み返してみると、子どもは参加せず、親だけが参加というところもあるようです。僕たちの主催する吃音親子サマーキャンプでも、どうしても子どもが行きたくないと言うので親だけが参加したことがありました。真剣に自分の吃音と向き合っている親の姿は、きっと子どもにも伝わるだろうと思います。親の真剣な話が続きます。

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 2

◆周りの友だちの親から子どものことで、「そのままでも大丈夫なの?」と言われた。どもってはいけないと追い込まれたような気持ちになった。今は、どもりに関する知識も得て、大丈夫だと思えます。

伊藤 愛媛大学の水町俊郎教授と共著で新しく出る本に、どもる人がどんな職業に就いているかという調査報告をしています。多くの人がいろんな職業に就いてがんばっています。どもる人ばかりが困難を抱えているわけではなく、誰もが何らかの悩みを抱え、苦労しつつも生きています。東京のワークショップで出会った女性の絵本作家は、かなりどもって子どもに絵本を読んであげられないと悩みを言いました。でも、どもるから絵が好きになり、絵本作家になった。とてもすてきな生き方だと思いました。何不自由なく、特徴のない人生を送るのがいいか、苦労しながらも人と違ったすてきな人生を送るのがいいかは本人の選択です。欠点と考えるものがあるからこそ、工夫したり、別の力を身にっけようとする。映画監督の山田洋次さんが「男はつらいよ」で、マドンナ役の木の実ナナさんが「おにいちゃん」の一言が言えずに撮影がストップしたとき、「欠点があるから、努力する。欠点があってよかったじゃないか」と言いました。苦しむこと、悩むことは悪いことではありません。

◆夫の母が、とても心配性で、先回りをして心配している。私は、それに反抗して、できることは何でも自分でさせるようにしています。

◆子どもが大きくなればなるほど、親が直接してしてやれることは少なくなってくる。それは、どうしようもないことだ。陸上の先生が、「努力すれば必ず報われる。けれど、それは、何年先に報われるかは分からないけど」とおっしゃった。どもる子どもには「放っておいてくれ。勝手にしたい」と言われたので、放っている。

◆娘に、友達ができるか心配でした。本読みがあると聞き、それも心配していました。泣いているので、自分で担任に相談させた方がいいのではないかという助言をもらい、娘に言って、そうさせた。本人が担任に直接相談し、何でも言える関係が子どもと担任との間にできてよかったと思う。

◆自分でこうだと考えても、周囲に言われると揺れます。決めておくと、子どもに返すことばがプラスにつながるものになるので、決めることは大事だと思います。もう少し周囲の人に理解してもらいたいと思うが、どうしたらいいか。

伊藤 『どもりと向き合う一問一答』の10冊運動をしています。特別割引をしているので、10冊買って、担任や周囲の人に配ったお母さんがいます。自分のことばで説明するのは難しいので、読んでもらって、理解をしてもらうのです。

◆初めて参加しました。私だけ参加して、子どもは今回参加していません。みなさんのお子さんが元気で生き生きして明るいのにびっくりしています。考え方によるのか、気持ちの持ちようで変われるのでしょうか。紙一重だと思います。想像していたのと違って、とても新鮮な驚きです。

伊藤 どもりは治るはずだと思い、私はどもる自分を否定し、表情も暗く、陰気な雰囲気だった。どもりは簡単には治らない、どもる自分が自分だと認めてから変わりました。受け止め方の違いで、表情も違います。どう受け止めるかがポイントです。

◆私が吃音に悩んでいた時、担任に、「自分がどもることを、みんながどう思っているか、聞いて下さい」と頼んだことがあります。学活の時間、聞いてくれたんですが、そのとき先生は、「何をされたら、嫌なの?」と聞いてくれました。一人で本読みをすると、読めないけれど、誰かと一緒だと大丈夫だと言いました。そのことを友達にも話して理解してもらい、それからは友達と一緒に本読みをするようになりました。隠そうとすると、難しい。息子も同じようで、一緒に本読みをしてと頼んできます。自分の力でサバイバルして欲しい。

伊藤 子どもが苦しみ、考え、工夫している時、吃音を肯定的に考える大人が周りにいることが大切です。肯定的な態度で子どもの自己変化力が働き始め、変わります。親が直接できることはあまりないが、肯定的に考えることはできます。

◆今日は、6年生と3年生の男の子と一緒に参加しました。おととし、長男が書いた作文に驚きました。それまでは、親子でどもりについて話したことはありませんでした。「こんなにたくさんの人がいる。どうしてどもるのか、医者に聞きたい。中学生くらいになったら治ると思う」というような内容の作文だった。次男は、小学校1年生で参加しました。早朝登山の、大声で何かことばを叫ぶというときに、小学校1年生グループは、「どもりは、一生治らないぞー」と叫んだのです。そんなこと、これまでこの子に話したことはありませんのでびっくりしました。このフォーラムでこの子に、どもりは一生治らないという荷物をしょいこませてしまったようで、動揺しました。聞かせていけないことを聞かせてしまったと思ったのです。
 そして、山から下りてから伊藤さんに相談しました。伊藤さんが朝の話し合いにそのことを取り上げて下さり、「子どもを信じなさい」と言って下さいました。そして今があります。親の私が先回りしていたんだと今になって思います。

伊藤 そうでしたね。子どもはいろんな体験や、いろんなことばに出会い、動揺したり、悩んだりしながら変わっていく。一年生が「どもりは一生治らない」と叫んだ意味は深いと思います。私たちの苦悩は、どもりが治ると信じたことでした。

◆今のお話を聞いていて、親子で吃音について前向きに向き合ってこられたんだと感心しました。私はずっと逃げてきました。吃音について悩んでいたので、その頃は他に悩みはないと思っていましたが、今、吃音の悩みがなくなると、今度は、自分の性格など本質的なことで悩み始めました。もしかしたら、どもりで悩んでいたということは、幸せだったのかもしれないと思います。
 伊藤さんのご両親はどのような接し方をされたのですか?

伊藤 中学生のとき、どもりを治そうと発声練習をしていたら、母から「うるさいわね、そんなことしても、治りっこないでしょ」と言われ、母を恨んでいました。そのことを講演の時話したら、「すばらしい。お母さんはそのままで大丈夫だ、と言いたかったのではないか」と感想を言う人がいて、思ってもみなかったことでびっくりしました。
 私は、28歳まで学生でぶらぶらしていました。28歳のとき、大阪教育大学で吃音の勉強をしたいと思い、親父に「学費を出してくれないか」と頼みました。それまではアルバイトで授業料も生活費も自分で稼いでいました。大阪では勉強に集中したかったからです。親父は、「いいよ」と言ってくれました。「そろそろ就職しろ。28歳にもなって何だ」など全く言わなかった両親の我慢強さ、信じて待つ力のすごさを今は感じています。

◆息子は、一人っ子です。友達ができて友達と遊んでいると親としては安心なんですが、ゲームなどを持っているだけで、息子は安心しています。またゲートボールや相撲も好きで、共通の趣味がある友達はいない。おじいちゃんの仲間とゲートボールをしています。自分が決めたようにしている。むだな時間を作らず、自分のいいと思うことをとことんするのが大事だと思うので、これでまあいいかあと思います。

伊藤 これまでの価値観がくずれ、人生を自分の価値観で豊かに生きるのを自分で選択する時代です。人生の意味は何かを考えるとき、どもりであることは有利かなと思います。高度経済成長の時代は、強く、速く、たくましく、が必要でしたが、今は、しなやかさや優しさの時代です。優しいどもる子どもには生きやすい時代だといえます。

◆中学校3年生のとき、電話をしないといけないのに、自分でかけることができず、姉にかけてもらいました。そのとき、くやしくてくやしくて、両親に初めて、私はどもりで悩み、苦しんできたことを話しました。「産まれてこなかった方がよかった」とも言いました。両親は、「元気で産まれてきてくれたことがありがたかったので、そこまで気にしていなかった、気づけなくてごめんね」と言ってくれた。うれしくて、そうだと思いました。産まれてきてくれてありがとうが全てだと思います。自分も、我が子にそう伝えたいと思いました。
 どもりは母親のせいだと言われることがありますが、それをどう思われますか?

伊藤 「吃音は2、3歳から始まる発達性のものだから、子育てをする母の責任だ」と長い間言われました。小さい子どものときに始まることは多いのですが、中学、高校、社会人になってからという人もいます。62歳でどもり始めた人も知っています。母親が原因だとする説は現在は完全に否定されていますが、吃音の原因は未だに分かりません。どんなに理想的な母親に育てられてもどもる子はどもるし、劣悪な環境に育ってもどもらない子はどもらないのです。母親のせいだと考えることはありません。
 ただ子どもがどもっているから、子育てを考え直すチャンスだと思います。1泊2日この集まりに参加し、どもりについて話し合う。普通こんな機会はない。そう思うと、お母さん方は幸せですよ。
 言語聴覚士養成の専門学校で、私たちの滋賀県での吃音親子サマーキャンプのビデオを見せると、必ず「吃音と向き合い、自分を語り合えて、この子どもたちがうらやましい」と感想を言います。
 人は必ず何らかのテーマを与えられて生きています。私たちどもる人間は、吃音をテーマに人生を考えるということです。苦しみや悲しみは、それと向き合わなければ前に進めません。吃音で悩んだことは、音楽やスポーツや他の方面でも花開き、人を豊かにするテーマにもなり得ます。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/03

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い

 「スタタリング・ナウ」2006.1.21 NO.137 で特集している第7回島根スタタリングフォーラムでの、親の話し合いの記録を、今、読み返してみて、吃音を切り口に、なんとも幅広く、そして深く、考えて、その考えをことばにしてやりとりをしていたものだ、濃い時間を過ごしていたものだと思いました。僕は、大勢の前で一方的に話すより、顔が見える範囲で、やりとりをしながら話すのが好きです。発言に触発されて、僕の頭が活性化されるからです。
 では、第7回島根スタタリングフォーラムの様子をご紹介します。

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い
 1999年に始まった島根スタタリングフォーラム。回を重ねるにつれ、プログラムに子どもの話し合いが加わるなど変わったが、1日目3時間、2日目3時間の合計6時間のどもる子どもの親の話し合い・学習会はずっと私が担当してきました。その記録担当者からノートを見せてもらって驚きました。それぞれの発言がかなり詳しく記録されていたのです。今年は体験学習や私のまとまった講演をせず、親の発言の合間合間に、私の話を入れるという形をとりました。この場で初めて自分が吃音だと話された人、親子で吃音だという人が何人かおられました。親の子どもへの思いや変化、親子での変化などが率直に話されました。
 テープ起こしではなく、メモとして記されたものの紹介なので、感情の発露や詳しい話は再現できません。つながりが悪かったり、その場でないと分かりにくいなど限界はあります。しかし、親のたくさんの声は記録されていました。
 ◆は親の発言です。

伊藤 今日と明日で6時間。時間はたっぷりあります。話したいこと、話し合いたいこと、ご自分の体験でも質問でも、どんなことでも結構です。「ふと」思いついたり、考えたことを話して下さい。また、質問はいつでも、割り込んでいいです。質問や皆さんの話の流れに沿って私も話を致します。

◆私自身が小学校3年生からどもり、小学生のとき、ことばの教室に行きました。メトロノームに合わせて本を読む練習をし、録音されて聞かされるのが嫌でした。自分のどもる声を聞くのも嫌だったし、その度にどもりを意識させられました。
 高校卒業後、両親の反対を押し切って私は都会に出ました。社会では本読みからは解放されると思ったのが、その会社では、毎日文章をみんなの前で読まされました。社会に出たら、どもりで他人から傷つけられないだろうと思っていたのが、どもって読むと、「よくそんなんで生きてるね」と言われました。読む当番の日に出社できなくなり、苦しくなって故郷に帰りました。
 結婚して、子どもが産まれ、息子がどもるようになりました。私と同じような苦しみをこの子も、と思うと、かわいそうで、息子がどもるのを聞きたくないと思いました。しかし、だんだんと子どもの苦しみを分かってあげられるのは自分しかいないと思うようになりました。息子は小学校3年生で、友達から「おばちゃんの話し方、○○君と同じだね」と指摘されますが、そうだよと言えるようになりました。子どもには、どもることをマイナスに受け止めてほしくないと願っています。

伊藤 ことばの教室の先生が治そうとすればするほど、「先生がこんなに一所懸命治そうとしてくれる、どもりはそんなに悪いものなんだ」と子どもが吃音をマイナスに受け止めかねませんね。私は、吃音をマイナスに意識したのでどもりを隠し、話すことから逃げました。マイナスに意識すると、隠す・逃げるが始まります。一番大切なことは、子どもがどもることを強くマイナスに意識しないことです。
 どんなことをしたら、子どもが「どもりをマイナス」に意識するようになると思いますか?

◆どもりをなんとしてでも治そうとする。
◆人に接しないよう、話させないようにする。
◆子どもに言い直しをさせる。
◆マイナスになるから、がんばって治そうと言う。
◆親がどもりを強くマイナスに考える。
◆そのうちに治るよと言う。
◆知らんぷりをする。聞こえていても、気がつかないふりをする。
◆母が「この子はどもるので、極力本読みをさせて下さい」と担任に伝えた。そのことで私は、他の子と違うと思った。

伊藤 子どもがどもっても、周りが打ち合わせて決して話題にしないのが「沈黙の申し合わせ」ですが、これがいけない。話の内容よりも、表情や声の調子で伝わるものです。「吃音を意識させない」ことが何よりも大切だとの指導が、大きな間違いです。意識がいけないのではなく、「マイナスに意識」がいけないのです。幼稚園の子どもも、言いにくいことは意識していることが多いですよ。
 私は、小学校2年生の学芸会でせりふのある役を外され、強い劣等感をもちました。担任の配慮だろうが、子どもに指摘されるより、大人からのマイナスのメッセージは大きな影響を与えました。教師、親として、どうしてあげたらよかっただろう。

◆他の子どもといっしょにした方がいい。
◆「どうして欲しい?」と子どもに聞いてほしい。
◆私は親には言わなかったが、私自身は気にしていた。日記に「手を挙げたくても挙げられない」と書いたことを覚えている。私の4歳の子どもがどもり始めたとき、私がどもりだからだと自分を責めた。どもっても手を挙げる子になってほしい。

伊藤 僕は、高校の本読みが怖くて学校に行けなかった。朗読の免除を国語の教師に頼んだ。次の日、3人が職員室に呼ばれたが、他の2人が吃音だとは知らなかった。普段はどもっていなかったからだ。2人は、朗読の免除に関して免除しなくていいと言った。一人一人違う。どうして欲しいか、本人に聞くのが一番いい。自分で選択したことは、納得できる。教師と生徒、親と子も人間としては対等で、本人に決定権を与えることが大切。

◆私は吃音があるから、他の面ではよく思われたいと、こつこつ努力した。子どもの頃は、周りの友達にも恵まれた。現在は、結婚して住む地域が違い、コミュニケーションがとりづらく、子どものことを話したいと思っているが、なかなかできない。自分自身がもう少し、積極的になりたい。
◆声が出ない時、パンと体を叩くとよいと先生に言われた。子どもの叩き方がひどくなり、叩いても出なくなった。何かすることはありませんか。

伊藤 子どもに「パンと体を叩くとよい」などと教えるのはよくないことです。教師に教えられなくても、子どもは自分で声を出す方法を編み出していくものです。女優の木の実ナナさんは、「シャボン玉ホリデー」番組で、「あ」の音が出なくて、自分の足をつねって、「あーじのもと」と言ったそうです。教えられて、身につくものではなく、自分で見い出すものですね。
 どもる子どもの表現力で大事にしたいのはリズムです。僕は、講談や詩吟を練習した経験がありますが、蚊の泣くような小さな声が大きくなるなどいい影響を与えたと思う。どの早さが話しやすいか、話せるか、自分のスピードやリズムをつかむことができればいいですね。歌でも、楽器でも、表現活動はいいですね。

◆昔は子どもに意識させたくないと思っていたので、我が子がこのフォーラムで、どもりについて仲間と話しているのは、以前には考えられないことです。私自身は、どもりたくないために、伝えたい思いが違う表現になってしまった。子どもには、自分を否定しないで、自信をもって生きていってほしい。夫は、「どもりはそのうち治る」と言うが、子ども本人は、一生うまくつきあっていかなければならないことを知っているように思う。

伊藤 「そのうちに治る」と安心させ、悩みの種を親はできるだけ早く摘み取りたいと願う。これはほんとにいいことなんだろうか。私は、苦しんだり、悩んだりしてたことに意味があったと今では思う。苦しみ、悩んだから、自分なりに工夫もしたし、考えもした。それは、私自身が成長していく糧だったのではないだろうか。子どものそんな成長の糧を下手に摘み取っていいのだろうか。まして、「そのうち治る」なんて根拠なく言うのはやめて欲しい。

◆私は吃音で悩まなくても、他のことで悩むことはいっぱいある。吃音には大きなスパンがあるので見守りたいと思います。

伊藤 人は悩み苦しむものだと考えた方がいい。悩みの大きなもののひとつは、親と子どもの葛藤です。親の期待に応え、指示通りに生きてきた大学生が、初めてひとりで長時間通学するとき、電車の中で何をしようかと悩んでいました。大きくなった子に対して、親が何かするのをあきらめて、子どもは自分の人生を歩むのだと思えたとき、親も子どもも楽になる。親は基本的には子どもにできることはあまりないと、早くあきらめることです。子どもは苦しむときは苦しんでもいいと思えることです。

◆この会に来るまでの私の苦しみは、私がどもりについて何も知らなかったことです。無知だったことです。子どもが3歳でどもり出した時、私は無知だったので、なんとも思いませんでした。姑さんたちが気づき、私に教えてくれました。それで、私は悩むようになりました。子どもがどう苦しむのか分からなくて、治してあげたいと思いました。でも、この会に来て、いろんな知識を得て気持ちがとても楽になりました。
◆吃音の本を読んだり、講演を聴きにいったり、先輩の話を聞いたりして、勉強しました。欠点はマイナスだと思っていましたが、欠点を個性だと思えるようになりました。欠点に対するとらえ方が変わってきたのです。吃音も個性だと、マイナスではないと思えるようになりました。周りの子も、どもりについて言ったり、言わなかったり、です。本人も今、自分のどもりのことを自覚しかけているように思います。吃音のことばかり考えず、関わっていくようにしたいと思っています。

伊藤 「吃音をマイナスに考えることはやめよう」と決めることが大事です。私が変わったのは21歳のとき、「逃げたり隠したりするのはやめよう」と決めてからです。決めても、絶対隠したり逃げたりしないと思い詰めると、そうできない自分を責めることになります。逃げたり隠したりもありです。基本的には逃げないでおこうと決めると、ぼちぼち変わってきます。ぼちぼちでいいのです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/02

老舗鰻屋のタレ

 先週6月28日の大阪吃音教室の講座は、「幸せについて考える」でした。吃音を言語障害の問題ととらえ、「治す・改善する」というアプローチからは到底考えられない講座名です。「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ」を大切な基本としている大阪吃音教室ならではの講座でした。
 朝から警報級の雨が降っていましたが、開始の午後6時45分ころには小雨になり、その日、しばらく顔を見せなかった人が2人、久しぶりに参加しました。2人とも、初めて吃音教室に参加したときの顔とは全然違います。一人は、結婚して子どもができて、吃音がこわくて避けてきた電話などにも挑戦して、助手的な仕事ではなく、自分ひとりで仕事を担当するようになったと話していました。もう一人は、就職し、積極的に人と関わろうとして、いくつかグループに参加するようになったと言っていました。表情も明るく、どもり方もつらくなさそうです。
 大阪吃音教室での出会いが、彼らを変えたとのことでした。そんな話を聞きながら、僕たちは、人が変わっていく場に立ち会える喜びを感じていました。その日、長く大阪吃音教室に参加している人たちもその場にいましたが、2人の変化を我が事のようにうれしく思っているようでした。新しい人も、古い人も、お互いに、幸せな時間を過ごしました。
 吃音を認め、受け止め、どもりながらも、しなければならないこと、したいことを誠実にしていくことで、吃音に左右されない幸せな人生を歩くことができると、実感させられました。 この日の講座は映像として記録されており、ユーチューブで公開の予定です。

 つい先日、そんなことがあったのですが、今日、紹介する「スタタリング・ナウ」2006.1.21 NO.137の巻頭言に、僕は同じようなことを書いていました。紹介します。

老舗鰻屋のタレ
                     日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二


 どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトは、名称の変更はあったが、創立して40年になる。ミーティングである大阪吃音教室は、週1回のペースでずっと続いてきた。「吃音を治す、軽くする」路線から、「吃音と向き合い、吃音とともに生きる」路線へ、新たな視点での活動に切り換えてからも30年以上がたつ。
 毎週毎週40年も飽きませんかと尋ねられることがある。どもる状態に焦点を当てた取り組みを続けていたら、おそらく飽きたことだろうが、吃音と向き合い、「どう生きるか」を学び、話し合うことに飽きることはない。常に新鮮なのだ。大阪吃音教室の話し合いが、奥深く、かつ新鮮なことを、私は「老舗鰻屋のタレ」によくたとえる。
 創業100年の老舗鰻屋のタレは、創業時のものに、毎日新しいタレを継ぎ足し継ぎ足し、年を重ね、熟成されてきているという。100年前のものがごく微量でも残っていると思うと楽しい。
 大阪吃音教室も、40年、30年と通い続ける人からまだ半年や1ヶ月の人、今日初めて参加する人など様々だ。その人たちの人生が混じり合い、熟成されていくのがいい。新しいだけでも、古くからいる人だけでもダメで、違った年月を経た、さまざまな人がいることで、ミーティングの場は、ほどよいバランスとなり、独特の味わいを醸し出している。
 同じようなことが、滋賀県で、毎年夏に開き、16年になる吃音親子サマーキャンプの親の話し合い、子どもの話し合いにもみられる。初めて参加する人も少なくないため、最初の時間はその人たちのために使うことが多いが、だんだんと、複数回参加している人も話し合いに加わってくる。その体験に基づく話を聞きながら、新しく参加した人は、今まで気がつかなかった視点やものの見方・考え方に気づいていく。また、複数回の人は初心に返ることができる。これが、初めて参加の人、2度目の人、3度目の人と、いろんな経験をしてきた人が混在していることの素晴らしさだと言えよう。16年間続けてきた老舗の味わいだ。
 昨年5月に開かれた第7回島根スタタリングフォーラムの親の話し合いで、このグループも老舗の味わいが出てきたと思えた。第1回は、私の一方的な講演だった。その後、話し合いや学習会的な要素が加わり、回を重ねてきた。
 当初は、親のこれまでの不安や悩みに耳を傾けることにほとんどの時間が使われ、親の表現を借りれば、「涙、涙の話し合い」だった。
 どもるのは母親のせいだと、児童相談所などで言われた人がいた。どもる子どもを持ち悩んでいること、将来に不安をもっていることを初めて話すことができた親もいた。子どものどもっている姿を「かわいそう」で見ていられないというひとりの親の発言から、参加者全員が「そうだそうだ、かわいそうに思う」と反応したときもあった。「かわいそう」と思われる子どもの方が「かわいそう」ではないかと、時間をかけて話し合った。「どもりは一生治らない!!」と早朝登山で叫んだ小学1年生のことばにショックを受け、「連れてくるんじゃなかった」と私に訴えてきた親がいた。そのことを取り上げて話し合ったこともあった。
 誰にも話すことがなかった思いを存分に出し、お互いに聞く中で、共通の土壌が耕されていく。
 親の話し合いは、3時間の枠が2回あり、合計6時間。7年分をトータルすると42時間。じっくりと吃音と向き合ったことになる。参加回数の違う人たちがおりなす人生が響き合う、吃音についての話し合いは、吃音をテーマに親たちと人生談義をする趣だった。吃音をひとつの切り口にして親も自分の人生を語る時間だったように思う。
 吃音について不安を出し合い、吃音についての知識を得る段階から、自分自身の人生をみつめながら、子どもについて語り合う、しっとりとした深まりのあるものへ。老舗の味わいはこれからも熟成し、まろやかなものとなっていくだろう。
 親の人生とは交わることのない、「吃音を治す、軽くする」路線からは、生まれない世界だ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/01
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