伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2024年07月

第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、無事、終わりました

講習会3横断幕 7月27・28日の2日間、千葉県教育会館で、久しぶりに講師を迎えて、第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会を開催しました。
 今回の講習会の講師は、長いおつきあいのある東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんでした。また、今回のテーマは、「やってみての気づきと対話〜どもる子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること〜」でした。
 始まる2日前には、多くて40人かなという状況だったのですが、終盤、参加者がぐんと増えて、50名になり、印刷した資料集が足りないかもと心配しましたが、当日キャンセルがあって、結局は48名でした。沖縄、鹿児島、新潟、山形など、遠いところからの参加もありました。
講習会4渡辺さん 講師の渡辺貴裕さんとのおつき合いは、25年ほど前に遡ります。大阪での竹内敏晴さんのからだとことばのレッスンに、レッスン生として参加していた、当時大学院生の渡辺さんに、吃音親子サマーキャンプに参加しませんかとお誘いし、渡辺さんが参加したことから始まりました。竹内さんが2009年にお亡くなりになってからは、竹内さんの代わりに、サマーキャンプの大事なプログラムである演劇の担当として、スタッフへの演劇指導の事前レッスンからお世話になっています。今年も、講習会のつい2週間前、吃音親子サマーキャンプの事前レッスンでお世話になったばかりでした。

 1日目、最初のプログラムは、僕の基調提案でした。どもる子どもとの対話ができない、難しいという声を聞くので、なぜできないのだろうか、なぜ難しいのだろうかということをテーマに話を展開していく予定にしていました。その答えは、昨年6月、鹿児島県大会で話したことの中にあると思うのですが、それは今回の資料集の中に入れていたので、同じような話をすることもないかと思い、急に予定を変更しました。
 そもそも、「どもる子どもってどんな子?」という問いかけから始めようと思いました。吃音とは? どもることとは? という話はよく出てきますし、本にもそのようなことばを章立てしているものを見かけることはあります。しかし、どもる子どもとは?という問いかけはあまり見たことがありません。
講習会1講習会2 そこで、実際に、2人組になり、どもる子どもと担当者になって、対話をすることで、参加者のもつ、どもる子どもの像が明確になるのではないかと思いました。
 参加者のみなさんは、最初からそんなワークをすることになるとは想像されていなかったでしょうから、きっと戸惑われたことと思います。
 どうしても、今、自分が担当している子どもの姿から、どもる子どもを想像してしまいがちですが、実際にはいろんな子どもがいます。今、とても明るく元気でも、将来ライフステージが変わると、どんな悩みをもつか分かりません。担当者の思い込みで、子ども像を決めてしまわないで、当の本人に聞いていくという姿勢を大切にしてほしいと思いました。そのための対話なのです。戸惑いの中で始まった講習会でしたが、最初の頃は、不安げだった参加者も、だんだんと表情がやわらかくなり、その場の自分の気持ちを素直に表して、楽しんでいたように見えました。
 午後の渡辺貴裕さんのワークショップになると、渡辺さんの魔法にかかったかのように、ワーク、ふりかえり、グループで場面やシーンをつくり、ふりかえり、考え、動き、みんなでシェアし、など、頭と身体を目一杯動かした研修会になりました。 次々と出される課題設定が刺激的で、新鮮な研修会になりました。
講習会5伸二とみんな まさか本当に、夜の8時45分まで研修をするとは思っていなかったという初参加者もいましたが、プログラムに書いてあったとおり、きっちり8時45分までして、1日目を終えました。ハードな一日が終わり、心地よい疲れの中に、満足感もたっぷりでした。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2024/07/31

暗黒面のパワー

 さあ、今週末は、第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会を千葉県で開催します。今、地元千葉の仲間が、資料を印刷をしたり、もちものを確認したり、参加者名簿を整理したり、横断幕を作ったり、と忙しく準備をしてくれています。
 僕たちも、明日、千葉に、前日入りします。
 どんな出会いが待っているか、とても楽しみです。
 遠くから参加いただく方もいらっしゃるようです。どうぞ、みなさん、気をつけてお越しください。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2006.4.23 NO.140 の巻頭言、「暗黒面のパワー」を紹介します。劇作家で演出家の鴻上尚史さんから教えていただいた言葉です。
 吃音の暗黒面、それに引っ張られないで、吃音とつきあっていきたいです。

暗黒面のパワー
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 長い長い吃音研究臨床の歴史は、吃音の暗黒面にだけ焦点を当てていたといっていいだろう。
 民間吃音矯正所は、吃音治療を金儲けの手段としているからできるだけ多くの客を呼び込まなくてはならない。そのためには、吃音の暗黒面ばかりを強調するのが一番手っ取り早い。吃音からくる悲劇を並べ立てた。それを読んだ私たちは「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの、治さなければならないもの」と思い込み、多くの人が吃音矯正所の門を叩いた。私が経験したこの吃音事情は、現在も大差はないだろう。
 「ひどくどもっていては決して有意義な人生は送れない」と、吃音研究臨床の中核に吃音症状の消失、軽減を置かなくてはならないと、私を批判する吃音研究者もいる。吃音の暗黒面は、吃音研究臨床の原動力になっていたということなのだろう。
 暗黒面のパワーは強い。そして、「吃音を治そう」「吃音は治る」と結びついて、パワーは倍増する。「吃音は必ず治る」とするインターネットのサイトや書籍は、吃音に現在悩んでいる人を引きつける。インチキなガン治療に多くの人が半信半疑ながらもひきつけられていくのは、パワーアップした暗黒面の力による。どもる子どもの親、どもる人本人も「治る」「治せる」にひきつけられていく。
 2002年の吃音ショートコースのゲスト、劇作家で演出家の鴻上尚史さんと私との対談は、楽しい中に、私の問いに誠実に答えて下さる鴻上さんから多くのことを学べた実りある対談となった。その中で特に印象に残ったのが暗黒面のパワーだ。他の劇団がつぶれていく中、鴻上さんの劇団が人気劇団になっていったこと、イギリス留学のとき英語に苦戦しながらサバイバルしていったことは、私たちの吃音に通じるものがあり、興味深かった。
 「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ」と真正面からそう主張し始め、精力的に動き始めて35年ほどになる。しかし、なかなかこの主張が大きな流れにならないのは、吃音の暗黒面の巨大なパワーによるのだろうか。
 何かひとつの主張を明確に打ち出すと、人はよく、もう一方の主張にも耳を傾けなくてはならないと言う。どちらにも一長一短はあるし、一理はあるのだからと。吃音についても例外ではない。
 言語聴覚士の専門学校で、私が私の主張を説明すると、私とは反対の主張も、もっと知りたかったと言われることがある。そちらの方がむしろ主流派で、インターネットでも書籍の中でも知ることができるからと言っても、納得してもらえない。時間を割いて解説することになるのだが、吃音の暗黒面をかいま見ることになり、私自身は、むなしさ、腹立たしさを改めて感じてしまう。
 21歳まで私を苦しめた暗黒の世界には、もう決して戻りたくはない。そして、暗黒面のパワーを知り尽くしているから、見たくもないのだ。
 「どもっていても大丈夫。どもっていてもあなたの未来は決して暗くない」
 35年以上、私の考えは微塵もぶれることはなかった。ぶれることがなかったのは、このような主張が私だけの体験によるものではないからだ。
 この春、一緒に活動してきたふたりの仲間からうれしい連絡があった。
 ひとりは、大学を卒業して養護施設に勤めた。最初、彼があまりにもどもるので、施設の子どもたちは彼の吃音をからかい、なかなか指示が行き渡らなかった。もうひとりは、小学校の教員になった。離任式の時、用意した挨拶がどもってできなくて「ファイト、ファイト」とだけ言って壇上を降りた。
 養護施設の彼は施設長となり、教員の彼は150人の教職員のいる養護学校の校長になった。ふたりとも、勤め始めた頃は、どもるための苦労が絶えなかっただろう。それでも、暗黒面に引っ張られずに、がんばり続けてくれたことがうれしい。
 サマーキャンプで出会った子どもたちも、「どもっていても大丈夫。どもりが治らなくてもなんとかなる」という生き方をしている。
 暗黒面のパワーに負けることなく、私たちなりの発信を続けていきたい。大勢の仲間と共に。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/25

ことばの教室における吃音児童グループの実践

 どもる子どものグループ指導が、近年、増えていることを、研修会に参加して感じています。コロナの影響を受け、少し状況が変わってきたかもしれませんが、大人のセルフヘルプグループがずっと続いてきているように、子どもたちにとってもグループの力は大きいようです。
 今回、「スタタリング・ナウ」 2006.3.25 NO.139 に掲載している、日野市のことばの教室のグループ活動の実践を紹介します。その歩みを丁寧に綴った実践報告です。

ことばの教室における吃音児童グループ活動の実践
  東京都日野市立日野第二小学校 きこえの教室・ことばの教室「せせらぎ」  楠雅代

 日野市は、土方歳三や、井上源三郎の出身地で、新撰組のふるさととも言われています。市の中央には浅川、北東側を多摩川が流れ、東京の中でも、まだ、田園風景の見られる、人口17万人の街です。
 日野市立日野第二小学校は、校舎の南側には大きな浅川が、北側には、透き通った用水が流れています。教室名の「せせらぎ」は、教室の開設準備に携わった多くの方々が、その豊かな自然から、考えてくださった名前です。きこえの教室は平成9年度に、ことばの教室は平成11年度に開設されました。
 今回、平成15年度から始めた、吃音児童グループ活動の3年間の実践を報告する機会を与えて下さった伊藤伸二先生に、紙面をお借りして感謝を申し上げると同時に、お読み頂く多くの方々から、忌憚のないご意見、ご感想を頂戴したいと思います。
 実践報告に先がけ、初回相談、吃音のアンケート、保護者会について、吃音指導と関連のある部分だけ、お話します。

【初回相談】    

  [保護者の初回相談]
 せせらぎの指導の対象は、小学生ですが、幼児の相談も受けており、4・5才の吃音の症状が出て間もない子も時々、やってきます。多くは、お母さんが、我が子の吃音を心配して、電話をかけていらっしゃいます。ある程度、お話をお聞きしたところで、初回相談の日時をお伝えする段になると、
 「吃音のことは、家庭では触れないようにしているから、どう説明して、子どもを連れていけばよいか?」
 「そのような所へ連れていくと、子どもが傷つくので、親だけが相談したい」
 という方も、時折いらっしゃいます。
 そんな時には、検査によって子どもを傷つけるようなことはしないということを理解していただけるようにお話します。そして、子どもは、どんなに幼くても、たとえ親が、話題にしていなくても、自分の話し方に気づいており、だからこそ、吃音の相談にのってくれる場所があることを、きちんと子どもに伝えてから来てほしいとお願いします。
 保護者担当は、保護者と共に、モニターで子どもの様子を見ながら、面談を行います。生育歴や、吃音歴の他、現在の心配事等の聞き取りをします。一方で、吃音の症状や、進展悪化、波等、吃音についての簡単なガイダンスを行います。
 そして、吃音の症状がある程度軽くなることはあっても、完全に消えるような指導技術を当教室がもっていないこと、自分達が行っていることは、子どもが、自分の吃音に向き合い、吃音と共に生きていくことを支援するということもお話します。

  [子どもの初回相談]
 吃音に限らず、相談で来室する全ての児童に、家庭のこと、園、学校生活の聞き取りや、構音検査等、同じ内容で実施しています。聞き取りの中で、「せせらぎ」に通級している児童の様子や、指導内容を説明をした後で、来室理由も、必ず訊きます。吃音のことで相談に来る子ども達は、皆、自分の話し方に気づいており、悩んでいることがわかります。
 私自身、今に至るまでに紆余曲折はありましたが、現在は、子どもが求めていると感じた時には、初回から、吃音のことを話題にしています。幼くても、吃音全般の大まかな説明をし、その子の吃音の症状についても話します。さらに、吃音を完全に消す方法が見つかっていないことも伝えます。
 それにより、「ことばの教室」に、一縷の望みをもってきた子どもは、落胆もするようですが、自分が一番気にしていることに正面から向き合い、真剣に話をしてくれる大人に出会えた、という喜びにも似た驚きを感じてくれるようです。

【吃音のアンケート】

 平成15年に吃音グループ活動を開始するにあたり、当時の担当者で検討し、児童用、保護者用、在籍学級担任用を作成しました。同じものを現在も、学期の始まりや、年度末に使っています。
 子どもにとって、節目節目に、アンケートを通して、どもる場面や状況、相手、その時の感情や、行動等を具体的に振り返らせることは、時に、辛く、哀しい出来事を思い起こさせ、その時の感情を追体験させることがありますが、その時の思いのままではないこと、その時の自分のままではないことを、自分自身で気づく機会となっているように思います。
 また、以前のアンケートと比較して、吃音の症状、行動、吃音に対しての考え方の変化がわかり、自分が精神的に成長していることも、改めて実感できるようです。そして、時には、この先の行動目標を具体的に考えるきっかけにもなっています。
 子どもに、アンケートをとる時には、保護者にも必ずアンケートを実施しています。保護者も、以前のものと比較して、我が子の変化や成長を改めて感じ、そして、ご自身の吃音に対する考え方の変化を知る機会にもなっているようです。担任の先生用は、アンケートに答えることで、吃音の子どもへの接し方のヒントになるようなものを考えて作成しました。それによって、担任の先生方が、ことばの教室に期待することもわかりましたが、忙しさに紛れ、十分に活用しきれていない現状です。今後は、内容の再検討、実施方法が課題です。

【保護者会】

 開設当初は、ことばの教室全体の保護者会を行っていました。しかし、吃音の悩みと他のことばの悩みを共有して話し合うことの難しさを感じ、グループ活動開始の15年度から、吃音の保護者会を単独で行っています。今までに、伊藤伸二・日本吃音臨床研究会会長、信國久子・元横浜国立大学講師をお迎えして、講演会を兼ねた保護者会も開きました。その時には、市内の小・中学校、幼稚園、保育園にも案内を出し、せせらぎの卒業生の保護者にも声をかけます。講師の先生のお話だけではなく、中学生になった保護者の方々のお話は、低学年や園児のお母さん方の悩みを軽くして下さっています。

【吃音児童グループ活動開始の経緯】

 平成15年度に、吃音の通級児童が5名に増え(1年生2名、2年生2名、3年生1名、全て男子)、それぞれが、在籍校では、唯一どもる存在であり、親子双方が、孤独感や不安を感じておられました。親子にとっては、「せせらぎ」を共通の悩みを抱えている者に出会う場として、教師にとっては、完全には、吃音を消すことのできる技術をもたずして、どのようにどもる児童へ関わっていけば良いのかを考えていく場として、三者が、共に「吃音」に向かい合う場としてのグループ活動がスタートしました。

平成15年度
・月に1回、実施。
・児童担当(楠)のメインティーチャーとサブティーチャー、保護者担当を決め、それぞれの役割を年間を通して同じ者が行う。
・活動内容は、吃音や、グループ活動についての話し合い、ことば遊び、調理、キックベースボール等、児童担当が子ども達に提案する教師主導で行った。話し合いを除いては、活動を楽しむことで結果的に、話すことが増えるような内容を考えた。
・保護者は、内容によっては、一緒に活動に参加。それ以外は、待合室で、モニターを通して、子ども達の様子を見ながら、保護者担当のリードのもと、子どもの家庭での様子や、兄弟関係、吃音にまつわる悩み等を話し合う時間とした。

 〈経過〉
 グループ活動の1回目には、子ども達にこのグループ活動を始めた理由を話しました。
 「メンバーは皆、どもること。全員が、学校では、唯一どもる存在であること。共通の悩みや辛い体験をしていること。だから、他の人のことを、全員が自分のことと同じように考えられること。そんな仲間と一緒に、吃音のことを話し合ったり、楽しいことをしていこう」
 そして、吃音のアンケートに答えてもらいました。この時は、初めてのアンケートでしたので、担当が質問を読み上げながら、答えてもらいました。
 印象深かったのは、お互いに用紙を見せ合い、「何個、ついた?」「俺なんか、全部○がついちゃった」「そうそう、同じ!」…と、気軽に言い合っていたことです。アンケートは、児童、教師、(保護者は、待合室で)にとって、その後に続く話し合いをしやすいものとしてくれました。子ども(保護者)にとっては、どもる仲間といっても、まだ、気心も知れず、教師にとっては、当たって砕けろで始めたグループ活動であり、皆がドキドキしてのスタートでした。
 その日のアンケートに、B君は、「友だちになりたいです」と書き、A君のお母さんは、「本日のような吃音の児童だけのグループ指導は、本人にとって初めての体験であり、良い刺激になると思います。また、息子以外のどもる子どもと会ったことがないので、私も、子ども達と接するのが楽しみです」
 と書いていました。
 2回目以降は、日直を決め、日直が、出席、開始、終了の挨拶をすることにしましたが、この日直が、子ども達にとっては、吃音に直面するやっかいな役となりました。個別指導場面では、ほとんどどもらなくなっていたD君、E君が、グループでは、ひどくどもる上に、手助けさえも拒み、涙を流すことが、何度かありました。
 一方で、1番の年長で、吃音の症状の重いA君は、机に両足を載せる、机の下に潜る等、在籍学級では見せたことのない、傍若無人とも見える態度を続けました。それに、B君、D君、E君が、小規模ながら追随し、C君は、それをあっけにとられて黙って見ているということが、続きました。
 E君のお母さんは、それを見て心配になり、「自分の躾の問題でしょうか?」と訊きに来るほどでした。
 グループ活動を始める前は、どもる仲間の中にいるのだから、どもることを気にせず、安心して話すだろうと予想していましたが、子ども達の様子は、大きく違っていました。子ども達の地に足のつかない不安気な様子は、他の子のどもる姿が、自分のどもる姿と重なり、安心感より、不安を増幅させていたのかもしれません。
 しかし、平行して、個別指導で、グループ活動での出来事や、吃音についての話し合いを続けることで、それぞれが、自己洞察を深めていることを実感していましたので、私の中には、いずれ、子ども達が、自分自身で行動を変えていけるだろうという自信のようなものがありました。
 2学期になり、D君は、せせらぎという同じ場所でありながら、グループでは、緊張し、消極的になる自分を自覚し、グループ参加が、自分の課題であるとお母さんに宣言しました。
 E君は、他の子の態度に影響を受けなくなる等、それぞれが、落ち着きを見せ始めました。
 11月には、成人の吃音の人に会わせることを企画し、大阪から伊藤伸二先生にグループ活動に来ていただきました。当日は、担当者が、子ども達が訊きたいと思っていること、また、子ども達に聞かせたいと思うことを質問して、答えてもらうという形で授業を行いました。子どもからは、年長のA君が、将来の就労について質問をしました。
 「これからの夢は?」という最後の質問に、伊藤先生が「どもる少年を主人公にした映画を作ること」と答えられた時には、全員が歓声を上げました。伊藤先生との出会いは、どの子にも強烈な何かをもたらしたようでした。
D君:「伊藤先生は、メチャメチャどもっていたけど、格好良かった! また、会ってみたい。せせらぎでなら、もっと話がしたい」
E君:「どもる大人にはなりたくない!」
B君:「伊藤先生がどもりながら話すのは、格好悪くなかったけれど、自分がどもるのは、格好悪いと思う」等々…
 3学期には、他のグループとの合同で、キックベースボールを楽しみ、年度末には、保護者同室で、1年間のグループ活動を振り返って、感想や意見を出し合いました。

平成16年度
・メンバー、回数、担当は、前年度と同じ。
・活動内容は、1回毎に、リーダーを決め、リーダーが考えたことを全員で行うという児童主導に変更。

〈経過>
 1回目は、吃音のアンケートを行い、1年前のものと比較をさせ、それぞれの、変化や成長を考えさせました。A君、D君はチェック項目が減り、1年前より、話しやすくなっていると感じたようでした。E君は、逆に増えていましたが、「前より、いっぱい話すようになったからかな」と自らを分析していました。
 その後、今年度の活動を児童主導でいくことを話しましたが、子ども達は、それをすんなりと受け入れ、不安そうな様子はありませんでした。ジャンケンで、いつ、誰が、リーダーをやるのかも簡単に決まりました。
 子ども達が計画したのは、ドッヂボール、サッカー、サンドイッチ作り等でした。リーダーになる子は、事前の個別指導の時に、何をやるのかを担当と話し合いました。準備する物のお知らせを作ったり、また、5人でやるためのルールを考えたり、それを文書にしてまとめる等、各自が、自分で計画、準備、当日の説明や進行を行いました。
 前年度、日直の挨拶だけでも、緊張していたことを考えると、大きな飛躍でしたが、全員が、その日は、「自分が仕切る!」と、自らを奮い立たせ、臨んでいることが感じられ、終わった時には、どの子も頬を紅潮させ、満足そうでした。
 2学期には、A君、B君、E君が、「せせらぎに来なくても大丈夫になってきた」と、自ら、個別の通級回数を減らしました。C君は、逆に「個別指導が自分にとって大切な時間」と言うようになり、D君は、「もう、強くなってきたから、せせらぎ辞めても大丈夫じゃない?」という担当に向かって、「僕は、まだ、どもっているから、来るも〜ん!」と明るく返すようになってきました。
 そんな中で、B君は、3学期には、通級の終了を自分で決めました。年度末の「終わりの会」で、B君が、「どもりは、まだあるけれど、何も困ることはなくなったので、せせらぎを終わりにします」という内容の作文を読んだ時には、他の4人の子どもから、[エーッ!!」というどよめきの声が上がりました。
 それは、そろそろせせらぎを終わりにしても大丈夫そうだけれど、まだ決断できないという状態にある子ども達にとって、先を越されたという思いをもたせると同時に、B君の強さを感じさせたようです。そして、それぞれに、来年度の通級の必要性を考えさせる問いにもなりました。
 B君が、辞めることになり、来年度のグループ活動は、存続も含めて、新年度になってから相談するということで、この年は終わりました。

平成17年度
・メンバーは、5年生1名、4年生1名、3年生2名の4名。児童担当は前年度と同じ。
・活動内容は、全員が揃わないことが多く、そのため教師主導、保護者同室で実施。

<経過>
 5月の1回目に、今年のグループ活動をどうするかを話し合う予定でしたが、A君は、欠席、C君、D君、E君3人のスタートでした。職員の異動があり、この日、新しい担当がグループに初参加していましたが、皆、緊張と言うより、改まった様子で、落ち着いて自己紹介をしました。
 その後、アンケートを元に、吃音についての話し合いをしました。3人ともに、「吃音は、消えてはいないけれど、生活に支障はない。でも、吃音が消えるのであれば、消えてほしいと思っている」と非常に正直な気持ちを言っていました。
 前年度末のB君の終了が、子ども達には、大きな後押しとなったようで、各自が、進級の変化に動じなかった自分に自信をもち、この頃には、A、D、E君は、せせらぎの終了を具体的に考え、「グループだけで良い」と言うようになっていました。
 一方C君は、担当との個別の時間に、今までになく、自分の気持ちを話すようになり、グループよりも、個別指導の必要性を強く感じ始めていたようです。
 6月のグループは、D君とE君の二人だけでした。前回、「次回は、自分を語ると題し、今までの自分の変化や成長を話してほしい」と予告していました。まず、D君が、「自分は幼稚園の頃から、せせらぎに来ていて、その頃は、どもりがひどくて、全くしゃべれなかった。でも、今はちがう。自分は変身した。それは、自分が、頑張ろうと思ったから」と、一つ一つ思い出すように、考えながら、そして、少し照れくさそうに話しました。
 その後、E君が、「いろいろな人にどうしてそんな話し方なのときかれて、辛かったこともあったけれど、その一人一人に、自分の癖のようなものだからと説明してきました。今でも、どもるけれど気にせず、生活しています。今、自分は、漢字検定に取り組み、頑張っています。…」と、まるで、原稿を読んでいるかのように滑らかに、尚かつ真剣に話しました。すぐ横で聞いていたD君は、E君の話し方は勿論のこと、その話の内容、そして、この発表の為に、E君が、真剣に考えてきたことを感じ取り、「すごい! すごい!」と繰り返しつぶやいていました。
 二人の発表の後は、お母さん達に、お子さんの成長を話してもらいました。両名のお母さんは、共に、吃音があっても前向きに生活していることを話して下さいました。
 この日、D君、E君が、自分は変わったと繰り返し言うので、私が、冗談で、「それは、もしかしたら、私のお陰かな?」と訊くと、二人とも、大きく首を横に振り、「ううん、違う。自分で変えた!」と、あまりにきっぱりと言うので、全員で大笑いするという一幕もありました。
 1学期は、結局、全員が揃うことはありませんでした。その後、教室内で2学期以降のグループ活動をどうするかを話し合いました。その結果、早晩、子ども達は、せせらぎの終了を自ら決めるであろうから、自分たちの成長をきちんと発表する機会を与え、それを伊藤先生に見てもらおうということになりました。
 タイミング良く、民放のTBSの「報道の魂」というドキュメンタリー番組で、日本吃音臨床研究会主催の吃音親子サマーキャンプの様子や、小学生の話し合いの場面や、中学生、高校生のインタビュー場面が放映されました。昨年、退級したB君親子にも知らせ、伊藤先生が教室にいらっしゃる1週間前に、そのビデオを子ども、お母さん、せせらぎ担当の全員で見ました。(残念ながら、A君は欠席でした。)
 見た後の話し合いの中で、B君、C君は、級友から、繰り返される吃音への質問や、からかいを止めてもらいたくて、担任の先生に自ら頼み、先生から、学級全体に話してもらうことで、その後は、そのようなことがなくなったという体験を披露してくれました。また、私からは、映像の中にあった、「将来、吃音が自分のマイナスにはならないと思うか?」を子ども達に問いました。
 それには、つい最近まで照れくさがりやだったD君が、「頑張って勉強して頭が良かったり、格好良ければ、マイナスにならないと思う」と、きっぱりと答え、一同納得と頷きました。
そこで、次回は、今日話してくれたような自分の成長を作文にまとめて、伊藤先生の前で発表してほしいと伝え、終わりました。この日、作文の宿題に難色を示す子は、一人もいませんでした。欠席したA君には、活動の様子と作文の主旨を伝え、ビデオを貸しました。
 さて、伊藤先生との2年ぶりの再会の日。1番に来たのは、A君でした。私の顔を見るなり、「作文が用紙半分だけどいい?」と訊いてきました。貸したビデオも家では、音声が出なかったので、よくわからなかったとのこと。開始までに40分あったので、A君親子には、ビデオを見てもらうことにしました。そして、「作文は、書きたいことが書けているのであれば、長さは関係ないこと」を話しました。
 次々にやってくる子ども達は、皆、引き締まった顔つきで、教室に入ってきました。緊張を解きほぐす為に、座席をゲームで決め、席についてから、全員で「伊藤センセ〜イ!」と呼ぶと、「ハ〜イ!」の明るい声と共に、颯爽と入ってきて下さいました。
 子ども達の発表の前に、まずは、私がドキドキしながら、作文を発表しました。なぜなら、子ども達は、この1週間、この日を迎えるにあたって、自分自身を問う時間を過ごすのだから、私も同じ時間を過ごそうと思ったことと、私自身は、吃音はないけれど、どうにも解決できない悩みがあり、生きにくさを抱えているということは同じであることをきちんとことばに出して伝えたかったからです。
 私に続き、いよいよ子どもの発表です。発表の順番は、ジャンケンで負けたE君が、トップでした。E君は、用紙3枚にわたる作文をしっかりとした声で、読み始めました。途中、2年生の時に吃音を真似されたことや、吃音のことを訊いてくる相手一人一人に、癖になっているんだと答えていたという箇所では、こぼれそうになる涙をこらえるために、声がうわずりましたが、立て直し、「2年生までは、早く治りたいと思っていました。でも、今は、去年のB君の卒業作文を聞いたり、先生やお母さんと話したりして、(このままでいいじゃん)と思ったので、無理に治さなくてもいいと思っています。今まで、頑張ってきたので、これからも頑張っていけると、僕は思います」
と、最後は、力強い声で、読み終えました。
 ただでさえ緊張する今日の中にあって、最も緊張する1番手を立派にこなしたE君の真剣さは、参加者全員の心に大きく響くものがありました。自然と拍手が沸き起こりました。
 すると、2番手のA君が、「よくわからないまま、作文を書いてきちゃったから、変えていい?」と訊いてきました。開始前、用紙半分の作文を気にはしていたものの「このままでいい!」と言っていたA君でしたが、E君の発表が、彼の心を動かしたのです。書いてきたものを全く見ずに、「小さい頃から、どもっていて、せせらぎに来る前にも、別な所へ通っていて、小学校に入ってからは、せせらぎに通った。まだ、どもりはあるけれど、生活に何も困ることはなくなったから、これで良いと思う」と発表しました。
 続いてB君は、「僕は、どもりが、治ると思って、せせらぎに通い始めました。楠先生と、どもってしまっても安心して、自分の考えを言う経験を重ねてきました。グループ活動で、初めてどもる友だちに会いました。その時、僕みたいな思いをしている人がいたんだと思いました。どもりは、治るかもしれないと思っていたのが、伊藤先生に治らないかもしれないと告げられて、ガクリときました。けれど、先生の話を聞いて、自分なりの考えが浮かんできて、どもってしまっても最後までしゃべれるようにしようと思った。考え方も変わって、どもりは治さなくては、いけないものだと思っていたけど、今は、治んなくてもいい、そこをどう生き抜いていくかを考えるようになりました」という作文を披露しました。
 C君は、「(前略)…今まで、話し方を馬鹿にされて、泣いたことがあったけど、担任の先生が、せせらぎで勉強していることをみんなに話してくれて、あまり、馬鹿にされなくなりました。3年間、劇団でレッスンをしたので、人の前で発表したり、音読したりするのは平気です。たまにつまって言葉が出ない時があります。もっと上手に話せるようになりたいけど、今の話し方でもダメだとは思いません」
 D君は、文字の丁寧さからも、真剣さが伝わってくる作文で、「僕は、幼稚園の年長の2学期にせせらぎに入りました。最初は、人の前に立つと何も言えませんでした。でも、今はちがいます。なぜかというと、手を挙げて自分から発表するようになりました。たまに、言いづらい言葉があるので、小さい声で練習してから言う時があります。(中略)・・・もっと勉強して、格好良くなって、性格がよければ、大人になっても大丈夫だと思います」
 全員が、読み終えた後は、やり遂げた安堵感と満足感、そして、皆が共に成長してきたことを実感した喜びの表情をしていました。
 子ども達に続く、お母さん達の発表も、それぞれに胸を打つものがありました。子ども達は、お母さんが、自分の苦しかったこと、それを乗り越えてきたことを見守ってくれていたことを改めて感じたようです。そして、自分の良いところ、成長したところを皆の前で話してくれたことが、何よりも、嬉しく晴れがましいことのようでした。
 最後に、伊藤伸二先生が、「吃音の辛い体験をして、吃音が消えないけれど生きていこうと思えるようになった皆さんは、素晴らしい。でも、思春期は必ず、揺れ動き、再度、吃音のことで悩む。しかし、一度でも、辛さを抱えて生きてきた体験は、その人の免疫力という力になり、再び、吃音と共に生きていくことができるようになります」
と締めくくって下さり、感動の内にこの日のグループ活動は終わりました。
 3学期の1回目は、『報道の魂』で、「私からどもりをとったら何もない。どもりがあるから私なのだ」とインタビューに答えていた、島根県のろう学校の教員佐々木和子氏が、『治すことにこだわらない吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)で自ら書かれている、吃音にとても悩んだ時期を経て、今があるという体験談を聞かせました。
 2月には、親子そろっての茶話会形式で、来年度について話し合います。来年度は、進級に伴い、さらに全員が集まることが難しくなることが予想され、継続するならば、長期休業中の開催や、回数の検討が必要です。
 また、小学校卒業後、思春期以降の支援については、『スタタリング・ナウ』(No.136号)で報告されていた、神戸市立稗田小学校きこえとことばの教室で実践されているような、「出会いの場」を作る必要性を感じています。

 この3年間のグループ活動で、子ども達が、どもる仲間との出会いを通して、共に成長をしてきたことを、そこに参加した子ども、保護者、教師、全ての者が実感しました。
 真に「出会い」は、「人と自分」を変えていくのだと思います。日本吃音臨床研究会の伊藤伸二先生との出会いが、グループ活動に繋がったことを改めて感謝すると共に、これからの出会いを大切にしていきたいと思います。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/22

親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、近づいてきました

 連日、猛暑、酷暑が続いています。
 僕たちが「吃音の夏」と呼ぶ大きなイベントが近づいてきました。まず、一週間後に迫っているのが、第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。
 吃音講習会は、これまで、下記のように、研修、学びを積み重ねてきました。講師の肩書きは、当時のものです。

1回 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み(2012年 千葉)
    講師:浜田寿美男(奈良女子大学名誉教授)
2回 子どもとともに、ことばを紡ぎ出す(2013年 鹿児島)
    講師:高松里(九州大学留学生センター 准教授)
3回 ナラティヴ・アプローチを教育へ(2014年 金沢)
    講師:斉藤清二(富山大学保健管理センター長 教授)
4回 子どものレジリエンスを育てる(2015年 東京)
    講師:石隈利紀(筑波大学副学長・筑波大学附属学校教育局教育長)
5回 子どものレジリエンスを育てる〜ナラティヴからレジリエンスへ(2016年 愛知)
    講師:松嶋秀明(滋賀県立大学人間文化学部人間関係学科教授)
6回 ともに育む哲学的対話 子どものレジリエンスを育てる(2017年 大阪)
    講師:石隈利紀(東京成徳大学教授 筑波大学名誉教授)
7回 どもる子どもとの対話 子どものレジリエンスを育てる(2018年 千葉)
8回 どもる子どもとの対話〜子どものレジリエンスを育てる〜(2019年 三重)
9回 対話っていいね〜対話をすすめる7つの視点〜(2022年 千葉)
    健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長)
10回 どもる子どもが幸せに生きるために〜7つの視点の活用〜(2023年 愛知)
    健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長) 


 そして今年、第11回は、やってみての気づきと対話〜どもる子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること〜をテーマに、教育方法学、教師教育学が専門の東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんを講師に迎えます。渡辺さんは、演劇的手法を用いた学習の可能性を現場の教員と共に探究する「学びの空間研究会」を主宰されています。
 昨年の講習会では、子どもとの対話をすすめる教材として、「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」の3つを紹介し、それらの実践交流の場にしました。
 今年は、それら教材の実践を取り上げ、子どもと一緒に学び合う活動にどうつなげていくか、もう一歩すすんだ実践を参加者みんなで探ります。
 渡辺貴裕ワークショップでは、ことばの教室の実際の授業を参加者で経験し、その授業を講師の渡辺さんと参加者で振り返るようなことも考えています。従来の授業検討会とは違って、自分自身も授業で行われたことを実際にやってみること、新たな気づきを得ることを目指します。「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」などの実際の授業が体験できます。例えば、「学習・どもりカルタ」は持っているけれど、それをどう活用したらいいのか、よく分からないという方には、実践に直結する研修になるでしょう。
 昨年、参加していなくても大丈夫です。初めてことばの教室担当になった人も、長年経験している人も、基本的なことを丁寧に押さえながら、ゆっくりすすめていきますので、どうぞ、安心して、ご参加ください。
 これまで積み重ねてきたことを踏まえ、新たな視点で、子どもたちとの時間を振り返ります。吃音の新しい展望を、共に探っていく研修会になればと願っています。
 開催日ぎりぎりまで申し込みを受け付けています。
 日本吃音臨床研究会のホームページから、吃音講習会のホームページを検索し、参加申込書をダウンロードして、郵送していただくか、メールに添付して送信してください。
郵送   〒260-0003 千葉市中央区鶴沢町21-1  千葉市立鶴沢小学校 黒田明志
メール  Mail:kituon-kosyukai@live.jp
 吃音講習会のホームページは、これまでの講習会の報告、大会要項に載せた資料などをご覧いただけます。講師からの貴重な提案、ことばの教室の実践報告、どもる子どもや大人の声など、日々の指導の参考になる資料が満載です。
 なお、吃音講習会に関する問い合わせは、日本吃音臨床研究会まで。
           TEL/FAX 072−820−8244
           〒572−0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1−2−1526

日本吃音臨床研究会のホームページ https://www.kituonkenkyu.org 

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/21

子どもの前でどもること

 どもる状態は変化する、ずうっと僕はそう言ってきましたが、本当にそうだと自分のどもり方を見て思います。第1回のどもる人の世界大会を開催した42歳のころ、僕は人前ではほとんどどもっていませんでした。同時通訳の人が驚いたくらいです。それから38年、どもるようになったり、どもらないようになったり、今またよくどもるようになりました。どもりながら、「吃音は治らない」と話すと、説得力があるようです。
 「スタタリング・ナウ」 2006.3.25 NO.139 の巻頭言は、「子どもの前でどもること」です。ことばの教室担当者は、子どもの前で上手にどもってみせることができなければいけないなんて言われたことがありました。表面的などもり方をまねてみせても、敏感な子どもたちは、見抜くでしょう。僕は今、自然にどもり、子どもたちの前で、どもっている姿ではなく、どもりながら生きている僕自身の生き方を見せています。

 
子どもの前でどもること
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 吃音を隠さず、話す場から逃げないで、どもりながら話していく中で、私はいつからか、普段はよくどもるものの、初対面の人や、講義や講演など、緊張する場面では、あまりどもらなくなった。
 「吃音は治らないものと考えて、吃音と折り合いをつけて、上手につき合っていこう」
 こう講演している私が、あまりどもらないので、「治らないと言っている伊藤さんが、あまりどもらないじゃないか」とよく言われた。どもらないのが何か申し訳ないような気になったこともある。
 ところが、私は数年前からかなりどもるようになった。私は再びどもり始めて本当によかったと思う。どもる子どもの前で、本当にどもることができるからだ。真似でも、わざとらしくでもなく、自然にどもることができる。これは実にありがたいことなのだ。
 アメリカの言語病理学では、《吃音を受容しよう》と言われることがあるが、それは治療プロセスの中でのことで、結局は吃音が軽くなることを目指している。私のように本音で、「どもっていても大丈夫」と言っているわけではない。
 吃音を軽くするための方法として、楽にどもる、流暢にどもるがある。その指導は、臨床家が実際にどもってみせることが不可欠だという。また、吃音と直面させるためだとして、臨床家がどもってそれを子どもに指摘させたり、子どものどもるのをまねたりする。そして、軽いどもり方のモデルを示し、徐々に楽などもり方にしていくのだという。時にはこの方法は効果があるのかも知れないが、臨床家がどもるそれと、自分のどもるのは本質的に違うということを敏感な子どもなら感じとるだろう。吃音親子サマーキャンプなどで、多くの子どもと話し合いを続けてきてそう思う。
 私はこのような方法に対して以前から強い違和感を持っていた。よほどの子どもとの信頼関係や、ユーモア感覚、ことばの豊かな表現力、吃音に否定的でなく、自らが自己肯定の臨床家でなければ使えないだろうと指摘したこともあった。
 ここ数年、私が再びどもり始めてから、東京都の4つの小学校のことばの教室のグループ指導の、子どもたちの輪の中に加わる経験をしてきた。ことばの教室の担当者が「どもる大人」に会わせたいと考えたのだ。
 サマーキャンプとは違って、限られた時間で、初めて出会う子どものグループの中で話すのは勝手が違う。それでも子どもたちから質問を受けたり、質問したりしながら楽しい時間を過ごした。
 先だって、青梅市立河辺小学校から、子どもの描いた絵を表紙にした「伊藤先生へ」という作文集が送られてきた。
 「私はいとう先生に会ってとてもびっくりしました。大人で先生なのにどもっていたからです」
 「ぼくよりひどくどもっているのに、明るくて大学の先生をしていることがすごいと思いました」
 「先生の話を聞いていて「り、し」のつく言葉でどもっていると思いました。ぼくもときどき言葉をくりかえしますが、こまることはありません」
 グループ学習に参加した12名の子どもが、私との出会いで感じたことを、自分のことばで書いている。この冊子は私の元気グッズになっている。
 私は現在本当にどもる。ちょっとオーバーなときもあるが、わざとどもっているわけではない。どもらない臨床家が指導としてどもってみせるのとは本質的に違うといえるだろう。また、私が見せているのは、どもっている姿ではなく、どもりながら生きている私自身の生き方なのだ。
 どもる子どもが「どもる大人」に出会うのは、とてもいいことだが、どもる人なら誰でもいいというわけではない。現在まだ悩みの中にいる人はちょっと危ない。「どもる大人」の体験談で、子どもが元気になるには、これまでの吃音のつらさや苦しみを笑い飛ばせるくらい、心の整理がされていなければならない。
 今回、日野市立日野第二小学校の実践を報告していただいて、子どもたちの声を知り、私は、どもるようになって本当によかったと思った。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/20

第8回ことば文学賞 2

 先週末の13・14日と、吃音親子サマーキャンプの事前レッスンがあり、それに関連して、うれしい話もあり、ことば文学賞の作品紹介がストップしてしまいました。つづきです。「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138より、優秀賞作品を紹介します。

《優秀作品》もう、大丈夫だよ
                    鈴木智恵(神奈川県、36歳、主婦)
 あまりの痛さに声も出ない。天井まで届きそうな、我が家で一番大きなドアに手の指を挟んでしまった。脂汗を流し、その場にうずくまると、父親のことが頭に浮かんだ。
 私がまだ生まれる前のこと、父は岩に手の指先を挟まれ、一本の指の爪が大きく変形してしまったという。「お父さんもこんなに痛い思いをしたのだろうか。今日は元気でいるだろうか…」そんなことを考えていた時、突然、電話の呼び出し音が鳴った。実家の母からだった。
 「お父さん、入院することになったよ」
 父は12年前に、脳内出血で倒れ、リハビリをしながら療養生活を送っていた。大きな病気をして、体が弱くなっていたのか、風邪をこじらせては、時々入院することもあったがいつもすぐに退院していた。今回もきっと大丈夫だろう。思わぬ父の入院騒ぎに、指の痛さのことはもうすっかり忘れてしまっていた。
 父は吃音者だった。と言っても会話に困っている様子もなく、話す声は誰よりも大きかった。消防士として、現場で仕事をしたり、緊急連絡のやりとりをするうちに、鍛えられたのだろうか? 自宅にかかってきた電話を真っ先にとって話す父の声は、家中に響き渡っていた。幼い頃、私は父が吃音者であるとは考えたこともなかった。でもやがて、自分自身の吃音の悩みが深いものなっていくと、父の話し方が、私と同じであることに気づいてしまった。父のどもる姿は、自分を見ているようだった。どもることはいけないこと、劣っていることと思っていた私は、次第に父との会話の場面を避けるようになっていた。その上、「私が吃音になったのは、お父さんのせい」、そう思い込むことで、どもっている自分から何とかして逃れようとしていた。父と吃音について話したことはない。私には、語り合える勇気がなかった。父も同じだっただろう。きっと私が傷ついてしまうことを恐れていたのかもしれない。
 母から毎日のように、父の病状を聞いていた。検査の結果はあまり良くない。ここ数年、父の老いていくスピードが速くなっていったような気がしていた。実家からの電話がだんだんと怖いものになっていった。
 そんなある日、吃音者の人達だけのワークショップが開かれる知らせが届いた。日本吃音臨床研究会が主催する吃音ショートコースで、2回目の開催だという。前回は参加しなかった。どもる姿を見られたくないし、他の人がどもっているのを見るのも嫌だった。自分と同じ吃音の「仲間」を求めていたにもかかわらず、いざとなると、最初の一歩が踏み出せなかった。迷っていた参加だったが、今まで体験したことのない、「どもる人達だけの世界」に身を置くことで、父の入院という現実を忘れられれば…そんな思いで行くことにした。
 当日、ワークショップの会場に恐る恐る入っていくと、そこには暖かい空気が流れ、仲間達が迎えてくれた。どもりながら言葉を交わすと、不安も吹き飛んで、その心地よさに感激して、胸がいっぱいになっていた。ありのままの自分でいられる場所をようやく見つけた瞬間だった。仲間達の語る言葉には力があった。それが、体験であっても、悩みであっても、心の中にスッと入ってくる。今までに体験したことのない、不思議な感覚だった。そして、私の吃音に対する思いを劇的に変えた出来事が起ころうとしていた。ただその時の私は、まだそのことが大きな意味を持っことになろうとは思ってもいなかったのだが。
 その出来事とは、伊藤伸二さんがお話の中で、吃音者であったご自分のお父様がなくなった時、本当に悲しい思いをしたが、お父様が、吃音というプレゼントを自分の中に残してくれたと思うことで、悲しみを癒すことができた。…と語られていたことだった。プレゼントだなんて…。とてもそんなふうに思うことはできない。私の吃音はあくまでも、「お父さんのせい」、治るものなら消えてほしいよ。どもることは自分なりに受け入れていたつもりだったのに、まだ別の思いがあることにも気づかされた。ワークショップの2日間、私の思いは、オセロゲームのようにパタパタと入れ替わっていた。
 仲間達とも別れ、いつもの生活に戻ってからしばらくたったある日、母から電話が入った。
 「お父さん、亡くなったよ・・」
 検査をするたびに悪いところが見つかり、ついには体に負担がかかるからと、検査することさえできなくなっていた。覚悟はしていたが、知らせを聞いて頭の中が真っ白になってしまった。荷物をまとめ、亡くなった父が待つ実家へと急いだ。
 父は和室で静かに眠っていた。入院から3ヶ月、食事がとれなかったので、ずいぶんと細くなっていた。口はしっかりと閉じられ、いい顔をしていた。葬儀屋さんの説明を受けながら、お通夜の準備が進められていった。旅支度のため、父に草履をはかせ、手に杖を持たせようとした時、母が葬儀屋さんに尋ねた。「主人は病気で、右半身が麻痺していたので、杖はいつも左手で持っていました。この杖はどちらの手に持たせたらいいのですか」
 すると葬儀屋さんは、「病気はみんな治って旅立たれていきます」。「じゃあ、お父さんの利き手の右手に持たせてあげようね」とみんなで父の右手に杖を握らせた。私は固く結ばれた父の口元を見つめながら、吃音はどうなるの? 治ってなくなっちゃうの? でもどもりは障害でも、病気でもないと思うし・・。では、父は吃音と一緒に天国へ旅立っていったのだろうか。「ねえ、お父さんはどっちがよかった? 治った方がいいと思っていた? 不自由な体も苦しかった病気からも解放されたけど、吃音の調子は今どんな感じ?」心の中で父に問いかけていた。
 父と娘で語り合うことのなかった「吃音」。3人の子ども達の中で、私だけが父と同じ吃音者であったことを父はどう感じていたのだろうか。ちょっぴり本音を聞いてみたいと思った。もう叶わないことだけど。
 父の葬儀、告別式は大勢の人に参列していただいて、それはにぎやかなものだった。遺影の父は、いつもの笑顔でにこにこと笑っていた。告別式の時、「3人のお子様達は、お父さんに怒られたことがなかったといいます」というエピソードが紹介された。子煩悩で優しい父だった。参列者の中には、「本当に怒られたことがなかったの?」とびりくりしていた人もいた。もちろん本当のことである。
 幼い頃、私は父と過ごすことが多かった。母が仕事で家を空けていたし、交代制勤務だった父は、時間こそ不規則だったが、昼間家にいることが多かったからだ。勤務明けで、疲れていたこともあっただろうが、とにかくよく遊んでくれた。しかし、後になって、私が吃音のことに対して、悩み、嫌悪感を抱くようになると、私がどもるようになったのは、この父と過ごした時間が多かったから、吃音が私にうつってしまったのではないか、と考えたこともあった。キラキラとした楽しくて、素敵な思い出ばかりだったのに。
 最後のお別れの後、ついに父の姿形はなくなってしまった。今までに味わったことのない喪失感である。もう二度と会うことはできない。悲しくて、悲しくて、父のことを思い出さないようにしていても、寂しさは募る一方だった。そんな私の脳裏に、ワークショップのときに聞いた伊藤さんのあの言葉が再びよみがえってきた。「吃音は自分の中に残されたプレゼント」。そうか、その通りなのかもしれない。人一倍寂しがり屋で、心の弱い私。父を亡くしても悲しみにくれることのないよう、神様が父と私に、吃音というものを分け与えてくれたのではないだろうか。
 昔から私は父に良く似ていると言われてきた。そっくりな顔、のんびりとした性格、そして話し方。多感な時期には、そのことが恥ずかしいと思ったこともあった。でも今は違う。私の中に父は確かに生きている。そう実感できることが、心から嬉しい。父の入院によって背中を押され、参加したワークショップ。大勢の吃音者の仲間達との出会い、吃音や父に対する思いを大きく変える出来事にめぐり合えたことは、娘を思う父の想いが、私を貴重な体験へと導いてくれたのだろうか。
 どもりで困ったこともたくさんあった。泣いたこと、悩んだことも数えきれない。もちろん今だって、不便な思いをすることもある。でも、今、「吃音」に感謝している。どもりだったからこそ、いろいろな経験をした。嫌なことの方がはるかに多かったが、そこで考えたこと、感じたことは、私が生きていく上での大きなパワーとなっている。もし吃音でなかったら、人生の中で大切な「何か」に気づくことが出来なかったかもしれない。父への「思い」も少しずつわかりかけてきた、その「何か」の一つだと思う。日々の生活の中、様々なことを感じ、父を思うことができるのは、吃音のおかげである。父からプレゼントされた私の中にある吃音と共に、これからは自分らしく、しっかりと前を向いて歩んでいきたい。
 「お父さん、私、もう大丈夫だよ。どもりで本当に良かったと思っているから。私の中で、ずっと、ずっと一緒にいようね」
 遺影の父がうなずいてくれたような気がした。

◇◆◇選考委員コメント◇◆◇
 父への思いが大変すなおに綴られている。父の入院、死を経験する中で、自分のどもりと向き合い、どもる人たちのワークショップに参加して自分の視野を広げていった。そして、そこで出会ったことばをかみしめながら前へ向かって歩こうとしている。行動することで、その区切りがついたということになる。人やことばと出会うことの意味の大きさを思う。一人で考えていたのでは堂々巡りになってしまいそうなことも、人との関わりの中で、新しい視点が見えてくる。自分の中で、深く吃音と向き合った作者は、今後、社会に向けて広がっていくだろう予感めいたものを感じさせる。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/19

第33回吃音親子サマーキャンプ 事前レッスン3〜吃音親子サマーキャンプは、事前レッスンから始まる〜

 事前レッスンの報告の前に、うれしい話を2つ紹介しました。吃音親子サマーキャンプは、今年、33回を迎えますが、本当にいろいろなドラマを生み出してきました。小学生として参加していた子が卒業して、またキャンプのスタッフとして戻ってきてくれるなんて、なかなかないことでしょう。僕たちがキャンプで伝えたかったことをしっかりとつかんでくれた子が、今度はスタッフとして、どもる子どもたちに伝えてくれている、そんないい文化、いい伝統が受け継がれているのです。

事前レッスン2 さて、今年の事前レッスン、22人の参加でした。東京、埼玉、千葉、静岡、三重、愛知、兵庫、新潟、大阪など、かなり遠くからの参加もありました。この事前レッスンを担当してくれているのが、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんです。渡辺さん自身、吃音とは全く関係ありませんが、大学生の頃から今まで欠かさず、25年このキャンプに参加し、竹内敏晴さんが亡くなった後、竹内さんのシナリオをもとにした演劇をスタッフが子どもに指導するための事前レッスンの担当をしてくれています。

 今年の演劇の演目は、トラバースの作品の「王様を見たネコ」。10年ぶりの上演です。登場するのは、知識集めに夢中になり、「自分がこの世で一番賢い」と思い込んでいる王さまと、そんな知識はないけれど、ある意味賢い総理大臣や側仕えや妃。彼らは王さまには困っていますが、王様のことは大好きです。そして、王さまに大切なことを思い出させる役割を果たすのが、ネコです。

事前レッスン1 初めはからだを動かし、声を出し、歌を歌い、演劇に入る準備をしました。みんながいろんな役を交代でしていきます。途中でストップしては、小さなグループを作り、似た場面を演じたり、せりふの言い回しを考えたりします。すると、舞台の上で繰り広げられる世界の厚みが広がります。このエクササイズが、サマーキャンプ当日、子どもたちと劇を作っていく上でとても役に立つのです。
 立候補したり、推薦したりして、役が決まっていきました。積極的に出ていく人、遠慮がちな人、それぞれの性格が表れます。衣装や小道具のことも相談しました。いつも、衣装・小道具を担当してくれる人には、これとこれとこれがいる。これはこうして…とアイデアが浮かぶようです。長年続けているので、これは私の出番だと思って、自ら仕事を分担してくれるスタッフたち。ありがたいことです。
事前レッスン3事前レッスン5 二日目の午後、ようやく形になり、通し稽古ができました。録画して、それをみんなで共有し、復習をします。当日までの自主練です。

 「サマーキャンプは、事前レッスンから始まる、そう言われるのがよく分かった。去年、思い切って事前レッスンから参加したら、サマーキャンプがいつもの何十倍も楽しかった」、そう言ったスタッフのことば、うれしかったです。
 吃音親子サマーキャンプは、ここ、事前レッスンから始まります。
事前レッスン6
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/18

第33回吃音親子サマーキャンプ 事前レッスン 2 クマが出た!の人との再会

 事前レッスンのスタートにふさわしい、結婚届証人としての署名をしたという、うれしい話を紹介しました。もうひとつ、事前レッスンに入る前に、うれしい話を。

 このキャンプは、どもる大人とことばの教室担当者や言語聴覚士などの臨床家とが協同で行っているものです。どもる大人は、サマーキャンプの卒業生や、大阪吃音教室のリーダーに限定しています。ただどもる人というだけでは参加できません。よく大学生や大学院生が、卒論のために参加したいと連絡をしてきたり、子どもの役に立ちたいと成人の吃音の人からよく連絡がありますが、全てお断りしています。きちっと自分の吃音に向き合い、常に吃音について僕たちの考えを学び続けているに限っています。吃音ワークショップなどへの参加経験があり、毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」を読んでいる人。また、吃音親子サマーキャンプの基本図書である「親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック」の本や「吃音とともに豊かに生きる」のパンフレットを読んでいることが最低の条件です。
 今回も、事前レッスンの少し前に、ひとりのどもる人からメールがありました。その人は、11年前の1月、東京ワークショップに参加した人でした。僕は、その人のことを鮮明に覚えていました。ワークショップでは、いろんな話が出たのですが、「どもってはいけない場」というのがひとつのテーマになりました。近くでクマが出たので、気をつけるように住民に知らせるために、広報車に乗ってマイクでその呼びかけをしないといけないことになったその人は、その場面は、「どもってはいけない場」だと言いました。僕は、「じゃ、あなたがどもって、ククククククマが出たので、注意してくださいと言ったら、住民は本気にしないで、逃げないのですか」と尋ねると「いや、そんなことはないです」と答え、みんなで大笑いしたことを覚えています。「それは、どもってはいけない場ではなく、どもりたくない場でしょう」と、僕は言いました。その彼からのメールでした。あれからずっと、ホームページやブログなどを見て、サマーキャンプにぜひ参加したいと思っていたというメールでした。どもる大人というだけでは参加できないのだと説明しました。なんとか参加したいということなので、最低の条件を話しました。すると、「スタタリング・ナウ」を購読するなどを約束してくれたので、特別に参加をOKしました。
 土曜日の夜遅くまで仕事だった彼は、夜行バスで大阪に来ました。そして、日曜日のレッスンが始まる前に会場に到着しました。あの東京でのワークショップの後、組合の執行副委員長を10年つとめ、今回執行委員長になったとのことでした。あのときのワークショップでの出会いが大きな転機になったと話してくれました。
 演劇の練習にすっと入り、その中で、声を出し、歌い、踊る彼の姿がありました。「一日だけど、参加してよかったです。楽しかった」と彼は、帰り、話してくれました。
 こうして、吃音親子サマーキャンプは、長い歴史を重ねてきました。事前レッスンからして、ドラマの連続です。こんなつながりがあること、本当に幸せなことです。

 昨日、紹介した葵ちゃんのお父さんから、先ほどお礼の電話がありました。「いろいろ心配なこともあったんですが、サマーキャンプでの出会いは大きかったです」と話されました。何か特別なことをしたという自覚はないのですが、僕や僕の仲間の存在が、誰かの支えになったとしたら、こんなにうれしいことはありません。そして、僕は、同じくらいたくさんの人に支えられてきました。その支えで、今の僕があるのだと、心から思います。ありがたい出会いに感謝です。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/16

第33回吃音親子サマーキャンプ 事前レッスン 1 〜うれしいサプライズ〜

 先週末の13・14日は、第33回吃音親子サマーキャンプの事前レッスンでした。サマーキャンプの中で、子どもたちと作り上げる劇の練習に、スタッフがまず合宿で取り組みます。それを、キャンプ当日、子どもたちや保護者の前で披露して、3日間で子どもたちと作り上げるのです。事前レッスンに参加したのは、22人。
 千葉、埼玉、東京、新潟、静岡、愛知、三重、兵庫、大阪と、遠い所からの参加もありました。この事前の合宿レッスンを担当してくれるのが、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さん。渡辺さんは、大学生の頃から、この吃音親子サマーキャンプにかかわってくれていて、竹内敏晴さんが2009年に亡くなってから後、演劇を担当してくれています。実に15年になります。この事前レッスンに参加したスタッフの中には、子どもとして参加していて、卒業した後、スタッフとして戻ってきてくれた人もいます。長い長い歴史があるのです。
 いつものように、レッスン場所である銀山寺に集まり、レッスンが始まろうというときに、すてきなサプライズを用意していました。レッスンの様子を報告する前に、そのすてきなサプライズについて、紹介します。

葵 結婚証人1 「伊藤さん、ご報告したいことがあるので、電話してもいいですか」と、一本のメールがありました。サマーキャンプに小学校5年生から参加して、2019年に卒業した葵ちゃんからでした。ご報告? 結婚? ちょっと早いか? 何だろう? といろいろ想像しましたが、電話で話すと、「結婚することになった。ついては、その婚姻届けの証人になってもらえないか」ということでした。ご両親が健在なのに、僕でいいのかと思いましたが、本人の強い意志のようでした。翌日、お母さんからも電話があり、よろしくとのことでした。
葵 結婚証人 2 葵ちゃんは、サマーキャンプの長い歴史の中で、印象に残っている参加者のひとりです。とても印象に残っている場面がありますし、葵ちゃんが書いた作文もよく覚えています。それにしても、結婚の証人とは。双方の親が証人になるのが通例だと聞いていましたが、葵ちゃんは、もし、結婚することになったら、絶対、伊藤さんに証人になってもらうと決めていたのだそうです。署名したらいいだけのことなのですが、そのために、京都から大阪に来ると言います。いつにしようかということになって、じゃ、葵ちゃんとの出会いの場である吃音親子サマーキャンプに関連する事前レッスンの場に来てもらったらいいのではないかということになりました。葵ちゃんを知っている人もその場に何人もいます。みんなで、お祝いができると思いました。

葵 結婚証人 3 13日、葵ちゃんは、結婚する彼と一緒に銀山寺にやってきました。聞いていたとおり、優しそうな彼がそばについています。僕たちは、大きな拍手でふたりを迎え入れました。そして、僕は緊張しながら、署名しました。その後、僕は、葵ちゃんとの思い出をふたつ、話しました。

 ひとつは、初めて参加した小学5年生のときの作文に書いていた映画「英国王のスピーチ」の感想のことです。言語聴覚士養成の大学や専門学校で吃音の講義をしていたとき、学生に、その映画を観て感想を書くレポートの提出の課題を常に出していました。すると、全員が、スピーチセラピストの指導でジョージ六世は開戦のスピーチができたと思っていました。
 僕はいつも、「そうではない。吃音はまったく改善していない。つまり、セラピーは成功していないが、私は国王で、国王として、どもっても国民に話さなければならない。どもったらどもったときのことだと覚悟を決めて、あの開戦スピーチに臨んだのだ」と解説してきました。葵ちゃんは、そのことを見事に書いていたのです。『ジョージ六世は、自分は自分やし、どもってもいいやという気持ちがあったから、最後に話せたのだと思いました』と書いていました。

 もうひとつは、2回目の参加の小学6年生のときのことです。主役に立候補して、予想どおりたくさんどもって劇は終わりました。その後で感想を聞いたとき、葵ちゃんはさっと手を挙げて、「役になりきれていなくて悔しかった。ひどくどもる自分が主役になり、他の人がしていたらちゃんとできたのに申し訳ない」と発言し悔し涙を流しました。たくさんどもって嫌だった、悔しかった、つらかったという内容の感想ではなく、役になりきれていなくて悔しかったという発言に、僕は心を揺さぶられ、僕も涙があふれてきました。それは、事前レッスンを担当してくれている渡辺貴裕さんもよく覚えていたことでした。
 そんな思い出のある葵ちゃんが結婚とは、感慨深いものがあります。
 昨日、お礼のメールがあり、彼のことばが紹介されていました。「彼も、伊藤さんと葵の話が聞けて、今の葵があるのは、伊藤さん夫婦やここの場所の存在が大きいからなんやな!って言ってました」と。

 サマーキャンプにまつわるうれしい話を紹介しました。事前レッスンのいいスタートになりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/15

第8回ことば文学賞

 7月に入って、吃音親子サマーキャンプの会場である荒神山自然の家との打ち合わせ、東京での「ぼくのお日さま」の試写会、「スタタリング・ナウ」7月号の編集と、バラエティに富んだ日々が続き、気がつけば、明日からサマーキャンプの事前レッスンです。親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会も、目前に迫ってきました。
 さきほど、「スタタリング・ナウ」の入稿を済ませ、ちょっとほっとしていますが、明日からの事前レッスンの準備もしなければいけません。
 さて、今日は、「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138 に掲載していることば文学賞の作品を紹介します。
 NPO法人大阪スタタリングプロジェクト主催のことば文学賞もこの年、8回目を迎えました。ことばを通して、吃音について、人間関係について、生きるということについて、書き記していこうというこの試みは、僕たちの活動の大切なひとつになっています。2006年2月17日の大阪吃音教室は、受賞作品の発表の日でした。
 30名ほどの参加者の前で、全作品が読み上げられ、ひとつひとつの作品に感想が述べられ、選考委員からはコメントが出されました。ひとつひとつの作品に、その人の人生が刻み込まれています。11人の人生に一度にふれることのできる、僕にとって、またとない幸せな時間になっています。事情によって、外部に選考をお願いできなかったので、僕が、選考委員を引き受けました。力作ぞろい、それぞれが率直に自らの人生を綴り、興味がつきませんでした。

《最優秀作品》
   隠していた頃
                 堤野瑛一(大阪府、27歳、パートタイマー)
 何かと、隠しごとの多い子どもだった。ボテボテと太っていて、目は腫れぼったく、口はいつも半開きで表情に締まりがなく、髪にはいつも寝癖がついていた。そんな冴えない風貌だった僕は、生来の内気な性格も加わって、学校でお世辞にも一目置かれる存在ではなかったし、周りの人間の僕に対する扱いも、それ相応なものだった。しかし、見た目以上に僕は、人には言えないさまざまなコンプレックスを抱えていた。
 僕は、小学3年生くらいの頃から、チック(トゥレット症候群)の症状が表れて、よく顔をゆがめたり、首をビクビクとふったり、鼻や喉をクンクンとならしていた。チックを人に知られたくなかった僕は、できるかぎり、人の前では症状を我慢していたのだけど、我慢にも限界がある。自分では症状が人の目に触れないように最善を尽くしているつもりでも、やはり気づく子は気づいていたし、何度か友達に指摘もされた。「何でそんなんするん?」と訊かれるたび、「ああ、最近首が痛くて」とか「鼻の調子が悪いねん」と、その場しのぎなことを言い、笑ってごまかしてきた。ある時教室で、症状を我慢しきれなくて、誰も見ていないことを確認し、顔を引きつらせながら首をガクガクと思い切りふり乱した。しかしふり返ると、クラスではアイドル的な存在だったひとりの女の子がじっと見ていて「頭おかしいんちゃう?」と真顔で一言つぶやいた。僕はその子に特別興味をいだいていたわけではなかったのだけど、その言葉は深く突き刺さった。しかし何ごともなかったかのように振るまい、ショックを押し殺し、自分の傷を見ないようにしていた。残念なことに、僕には当時チックの理解者がいなく、親にはチックの事を責められ、担任の先生にも煙たい顔をされたりで、チックの辛さというのは、僕ひとりの中だけに押し込められていた。また、他人に、自分がチック症という名前のついた病気があることをいつ悟られるかとビクビクし、教室のどこかで誰かが「畜生!(ちくしょう)」と言ったり、「ロマン“チック”」とか、チック症に似た言葉を言っているのを聞くたび、ドキっと心拍数があがり、冷や汗が出た。
 抱えていた悩みはチックだけではなかった。当時の僕は、相当な精神的な弱さからくる、慢性的な腹痛に悩まされていた。授業中の張りつめた空気、トイレに行けないプレッシャーから、毎時間、お腹が痛くなった。テストの時間などは最悪だった。そして、休み時間のたび、友達から隠れてこそこそとトイレに行った。もしも大便用個室で用を足しているのを同級生に見つかり、からかわれるのが怖かったため、万全を期してわざわざ別の校舎のトイレまで行っていた。学校での腹痛を防ぐために、毎朝、登校前には、長時間トイレにこもった。今ここで一生分の排泄物を出し切ってしまいたい…! そう願いながら。また、たいていの子どもにとって、遠足といえば楽しいものだけど、僕には恐怖だった。学校にいる時以上に、トイレの自由がきかないから。も…もれるっっ…、一体何度、その窮地に立たされ脂汗をかいてきただろうか。結果的に一度も“おもらし”をせずにすんだのが、奇跡的と思えるくらいだ。
 まだある。僕のヘソは出ベソで、そのことを、小・中学校にいる間中、ずっと隠し通していた。もしも出ベソがばれたら、からかいの対象になることは目に見えていたからだ。身体測定でパンツー枚になる時など、パンツはいつもヘソよりも上まであげて隠していた。太ってお腹が出ているせいで、しょちゅうずれ落ちてくるパンツを、引っ切りなしに上げ直していた。あまり上まであげるものだから、いつもパンツはピチピチしていて、股の部分は吊り上げられ、今思い返すと見るからに不自然だった。水泳の時間なども、いつも意識は出ベソを隠すことに集中していた。
 他にも、男のくせにピアノを習わされていたことや、誰もが持っているゲーム機を持っていなかったこと…人に知られたくないコンプレックスはたくさんあった。見た目もデブで不細工、くわえて運動音痴、これといって人目をひく取り柄もない。たびたび自分のことを遠くから見ながら、チックの症状を見てクスクスと笑っている女子たちに気づいたこともあった。そんな経験もあって、今でもどこかでヒソヒソ声やクスクス笑う声が聞こえると、自分のことを笑っているように思えてしまう。コンプレックスのかたまり…僕は本当にそんなだった。
 しかし僕は、そんな劣等感のさらに奥深くで、人一倍、自尊心も強かったように思う。どれだけ人からからかわれても、笑われても、大人たちがまともに相手にしてくれなくても、決して自分を卑下することはなかった。「くそ、自分はそんな馬鹿にされた人間ではない。自分にはきっと価値がある」そんな思いが強かった。劣等感と自尊心、一見そんな対極に思えることが、僕の中にはたしかに混在していた。いや、劣等感と自尊心は対極なのだろうか? 自尊心が強いから劣等感をもつ、劣等感が強いから自尊心に火がつく、卵が先か鶏が先か…そんなことは分からないけれど、とにかく両方あるから、自分を変えようとする原動力になる。
 中学生になった頃、僕は自分の容貌の悪さをさらに強く意識するようになった。これでは駄目だ、痩せよう…! そう思い立った。朝食は抜き、昼食はおにぎりかパンをひとつだけ、間食は控えて、夕食もそれまでの大食いをやめた。そして、毎晩、体重計に乗った。日に日に体重が落ちるのが楽しくて、食べることよりも、体重が減っていく達成感のほうが、快感だった。中学二年の頃には、ずいぶんとスマートになっていた。並行して、以前は親から与えられた衣服をそのまま着るだけだったが、自分で洋服を選ぶようにもなり、髪もいじるようになった。また、鏡を見るのが大嫌いだったけど、よく鏡を見るようになった。すると、それまでは半分しか開いていなかった力のない目も、自然とくっきり開いてくるし、ゆるんでいた口元も絞まる。
 また幸運なことに、クラスの同級生にたまたま、自分以外にもうひとり、しょっちゅう大便用個室に行く男の子がいた。「緊張すると、すぐお腹痛くなるんよなー。」その子は恥じらう様子もなく、いつも堂々と、チリ紙を持ち個室へと入って行った。自分ひとりではない、仲間がいる! 僕は嬉しくてたまらなかった。それ以来、その子に便乗して、「あー、またお腹痛いわ」とか冗談混じりに言いながら、人目を気にせずトイレに行くようになった。授業中に「先生、お腹痛い、トイレ!」と大声で言い、笑いがとれるようになるほど、吹っ切れた。
 そんなこともあり、自分の見た目にも以前のようなコンプレックスはなくなり、僕は徐々に明るく活発になった。そうなると、自然につき合う友達のタイプも、活発なタイプに変わってきた。もしも、以前の見るからにコンプレックスのかたまりのようだった僕が、隠れてコソコソとトイレに入って行くところを誰かに見られたら、たしかにからかわれただろう。でも、自分に自信がつき、堂々とトイレに入っていけば、誰もからかわない。出ベソを見られたって、誰も馬鹿にはしなかった。小・中学校は、ずっと地元の公立で、昔から知っている者どうしだったけど、中学も卒業し、高校に行けば、誰も僕が昔あんなだったとは、想像もしなかった。チック症のことは、おそらくたびたび、「ん?」と変に思われることもあったのだろうけど、そのことで日頃から馬鹿にされたり、とりたてて何か訊かれることもなかった。
 “変えられることは変えよう、変えられないことは受け入れよう”…太っていることは努力で解決出来た。腹痛や出ベソそのものには、対処できない。だから自分の持ち前だと認めて、隠すのをやめた。気持ちに余裕ができると、結果的に慢性の腹痛は、徐々に軽くなっていった。チックのことも、自分ではそんなに気にならないようになった。もう自分には、これといったコンプレックスは何もない…そう思っていた。
 高校二年になったころ、僕はどもり始めた。それまでは何ともなかったのに。初めは、そのうちなくなるだろうと楽観的だったのだけど、だんだんと慢性化していった。「おかしいな…」そして気がつけば、いつしか、どもりを隠している自分がいた。会話でどもりそうになると、たとえ、話が支離滅裂になってでも、どもらずにすむことを言ってごまかした。自分がどもることを知られたくない…かたくなにそう思って、隠して、隠して、隠し続けた。どもることを受け入れられず、そして、どもることを隠すがゆえに、自由がきかなくなった。まただ、こんなはずではなかったのに…。
 …あれから、もう10年が過ぎた。あまりに、いろんなことがありすぎた。
 僕は、数年前から、大阪の吃音教室に参加している。そこで、豊かに生きるためのヒントとして、“変えられることは変えていこう、変えられないことは受けいれよう”ということを学び、共感した。僕は中学生の頃、それを体験的に知っていたはずなのに、どうしてまたあの時、どもることを隠してしまったのだろう。「先生、お腹痛い、トイレ!」とか言ったのと同じように、「俺、めちゃくちゃどもるわ!」とか言って、みんなを笑わせてやる選択もあっただろうに。でも、当時はそれができなかった。どもることを、受け入れられなかった。
 今は、多くのどもりの仲間に恵まれ、たくさんの人の考えや体験に触れ“どもりながらでも、豊かに生きられる。どもる事実を認めて、どもりと上手につき合おう”と、前を向いて歩いている。どもりの悩みの真っただ中にいた頃は、自分の未来像なんてまったく描けず、ただただ真っ暗闇だったけれど、今は着実に、明るい道を歩んでいる。僕は、どもる人間だ。どもる人間が、どもりを隠そうとしたのでは、何も出来ない。たしかに、どもりは不便なことが多い。でも、どもることが理由で出来ないことなんて、本当は少ないんじゃないだろうか。ずいぶんと遠回りをしてしまったけれど、どもることが原因で一度は不本意にあきらめたことを、これからじっくり、やり直していきたい。どもりと上手につき合いながら。

◇◆◇選考委員コメント◇◆◇
 当時は、話すことさえできないほど嫌だったことでも、年月がたてば、口にすることもできるし、文章に書くこともできる。作者は、書くことを通して、当時の自分に出会っていたのではないだろうか。隠したいコンプレックスが次から次へ、これでもか、これでもかと出てくる。羅列しているかのようにみえて、実はそうではない。一つのテーマにしぼっているので、ひとつひとつのエピソードにつながりがあり、ばらばらではない。読み手をわくわくさせ、次はなんだろう? もっとないの? とさえ思うくらい、読む気を起こさせる。当時は、きっと深刻であったろうことをユーモアを交えて書いている。これは、作者の生きやすさと連動しているようだ。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/12
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