伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2024年06月

報道の魂〜番組に込めたもの、番組を観た人の感想〜

 今日は、6月30日。今年の半分が終わろうとしています。時間が経つのが、怖ろしく早いです。7月には、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、8月には、吃音親子サマーキャンプと続きます。どちらも、参加申し込みが届き始めました。出会いを楽しみに、準備を進めています。

報道の魂DVD さて、斉藤道雄さんと出会うことになったきっかけの文章を紹介しました。最後に、もう一度、「報道の魂」という番組に戻ります。言語障害の分野では少数派の僕ですが、こうして、他の領域、ジャンルでは、深く理解し、応援してくださる方がたくさんいらっしゃいます。そのことに力を得て、歩き続けてきました。
 「報道の魂」に対する斉藤さんの思い、毎日新聞の記者である荻野祥三さんの文章、そして、番組を観た2人の感想を紹介します。

◇斉藤さんから周りの人たちへのメール
 この秋から、ささやかに新番組をはじめることになりました。初回放送は以下のとおりです。
   番組名「報道の魂」   内容「吃音者」
   10月17日(月曜日)午前1時20分〜50分
   放送エリア 関東地区のみ(関東以外のみなさん、申し訳ありません)
   以下は、番宣コピーです。
 しゃべるという簡単なことが、簡単にはできない。それが、吃音者の悩みだ。しかしほんとうの悩みは、吃音を見る「まなざし」のなかにある。当事者を、時には鎖のように縛りつけているこのまなざしは、「治さなくてもいい」といった瞬間に瓦解する幻影かもしれない。どう治すかではない、どう生きるかだという吃音者、伊藤伸二さんを取材した。
 おそろしく地味な番組です。時間もよくありません。このメールをお送りしているほとんどのみなさんは、こんな時間に起きてはいらっしゃらないとよく知っています。でも、こんな時間だからこそ、まるで解放区(古い!)のように、視聴率を考えずに(!!)ドキュメントを作ることができました。ので、よろしければ録画してご覧ください。伊藤伸二さんという、すてきな吃音者と、その仲間たちに出会えます。斉藤道雄

◇ブロードキャスト 深夜の「報道の魂」=荻野祥三
 「泥つき大根の青臭さを感じさせる番組です!」。新番組の資料にそう書かれている。TBSで16日の深夜(17日午前1時20分)からスタートする「報道の魂」である。「魂」とは、また古風な。
一体どんな中身なのか。

 1回目のテーマは「吃音(きつおん)者」。吃音とは「物を言う際に、声がなめらかに出なかったり、同じ音を繰り返したりする」などと辞書にある。番組は、日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さんの独白で始まる。「国語の時間が怖くて、学校に行けなくなった……」。ナレーションが「伊藤さんは吃音者、つまり、どもりである」と続ける。
 「どもり」は、通常はテレビでは使わない言葉だ。新聞でも「気をつけたい言葉」とされ「言語障害者、吃音」と言い換える。ただし「差別をなくすための記述など、使わなければならない場合もある」とも「毎日新聞用語集」に書かれている。番組の中では、ある吃音者が「意味は同じなのに、どもりを吃音と言い換えることで、かえって差別されている感じがする」と語っている。
 伊藤さんは大阪を中心に、さまざまな活動をしている。その精神は「どもりを隠さず、自分を肯定して、明るく前向きに生きること」にある。吃音の子供たちを集めたサマーキャンプでは、子供たちが同じ仲間たちと話して、心が解き放たれていく様子がうかがえる。
 登場する全員が「顔出し」。モザイクをかけずに自分を語る。タイトル以外には、音楽も字幕もない。一カットが長く、じっくりと話を聞ける。画面をおおう青やピンクの字幕。けたたましい効果音。そして、長くても15秒ほどで次の人に代わるコメント。そんな「ニュース・情報番組」を見慣れた目には、粗削りな作りに見える。だから「泥つき大根」なのかと納得する。「報道の魂」は月1回の放送。それにしても「今なぜ?」。来週もこの話を続ける。
                  毎日新聞 2005年10月15日 東京夕刊

◇◆◇◆◇番組をみての感想◇◆◇◆◇
  「できないこと」でつながる
                    平井雷太(セルフラーニング研究所代表)
 今は10月17日の午前2時。1時20分からの30分のドキュメンタリー番組『報道の魂・吃音者』を見たところです。伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会会長)から、この番組のことを聞いたのですが、ディレクターは私が「ニュース23」に出演したときと同じ、斎藤道雄さんでした。
 斎藤さんは、精神障害者の作業所「べてるの家」や聴覚障害の報道に取り組まれていた方ですが、應典院(大阪市)というお寺が出している小さな冊子(私も登場したことがある)に掲載されていた伊藤さんへのインタビュー記事を偶然に読まれて、今回のドキュメンタリー番組の製作になったということでした。
 つい最近、伊藤伸二さんが主催する2泊3日の「第11回吃音ショートコース―笑いの人間学―」の合宿に参加してきたばかりなので、出演されていた方は会ったことのある方がほとんどでしたが、圧巻だったのは、そこに登場していた子どもたちでした。
 今年の夏の吃音親子サマーキャンプで、そこに参加していた子どもたちは、テレビカメラに顔をさらしながら、じつに堂々と、自分の吃音体験を赤裸々に語っていたのです。困っていることや悩みがあっても、それを明るく語っているのですから、いままで見たことがない子どもたちの姿に驚きました。そして、以前、観た「べてるの人たち」の映画のなかで、「分裂が誇りだ」と語る人がいましたが、私はべてるの映画を観た次の日から、人前で、自分がそううつ病体験を語るようになっていました。もし、私が子どものときに、今回のこの「吃音者」の映像を観ていたなら、人前でもっと早い時期に私の吃音体験を語るようになったでしょうか?わかりません。とにかく、私が人前で自分の吃音体験を語るようになったのは、50歳すぎて伊藤伸二さんに会ってからですから、自分の問題を語ることで、自分の深いところを見つめ、人は人になっていけるのだとしたら、吃音であることは本当はめぐまれたことなのではないかとさえ思わせるような映像になっていました。
 また、このキャンプは16年続いていて、それに出続けてきた子どもたちのうち、高校3年生の4人が卒業ということで、キャンプの最終日にみんなの前であいさつをしている場面がありましたが、18歳の青年が泣きながら話しているのです。感動が伝わってきましたから、こんな映像が吃音でない子どもたちにさりげなく届いたらいいのにと思いました。それにしても、子どもと大人で、こんなに長期にわたって関係を持ち続けることができるのも、吃音が媒介になっているからなのでしょう。また、このキャンプには参加している大人のなかにも吃音者がたくさんいましたから、吃音者と吃音を治す人という関係がないのも、子どもが自分を語りやすい雰囲気を醸しだしているのだと思いました。
 「できること」でつながる関係よりも、「できないこと」でつながる関係のなかにこそ、「安心」の二文字が潜んでいるような気がします。(月刊「クォンタムリープ」の考現学)

  あらためて感じる、映像の力
                     西田逸夫(大阪吃音教室 団体職員)
 「報道の魂」の初回を見た。サマーキャンプの子どもたちの、元気な笑いと暖かい涙を見た。伊藤さんが爽やかな笑顔で、吃音で悩んだ日々の記憶を語るのを見た。これをテレビの前で、多くの吃音者や、吃音の子どもを持つ親たちが見たんだろうな。これからも、口コミでこの番組のことを知った人たちが、録画を探して見るんだろうな。そんな風に思うことで、大きな安堵が僕の胸に広がった。映像の力って凄いと、改めて感じた。
 もうこれまで、長いあいだ僕は、一種のあせりを感じて来た。インターネットで「吃音」とタイプして検索すると、現れる画面には苦しくつらい体験記があふれている。いや別に、つらかった体験を書くのは構わない。むしろお奨めする。けれども、ひたすらつらい、苦しい、分かってほしいと訴えるメッセージを読んでいると、こちらの気持ちが塞がって来る。吃音を、避けるべきもの、隠すべきもの、治すべきもの、克服すべきものと、ひたすら攻撃するメッセージを読んでいると、何だか気持ちがすさんで来る。もっと違う見方があるのに、吃音は単に治療や克服の対象ではないのにと、僕は思い続けて来た。
 数年前に吃音関係図書のホームページを始め、やがて大阪スタタリングプロジェクトのホームページ管理を引き受けた。それでも、吃音治療を目指す声に満ちているインターネットの世界で、「吃音と向き合おう、吃音とつき合おう」と言う伊藤さんはじめ僕たちの声は、まだまだとてもか細いものだ。大阪吃音教室に通って、真剣に話し合ったり底抜けに笑ったりしながら、頭の隅ではこれまで、こんな今の日本の、いや世界の状況が、ずっと気に懸かっていた。何とか多くの人たちに、僕たちのメッセージを届けたい、と思いつつ、力量不足を感じて来た。「報道の魂」の初回は、そんな僕の長年の懸念を、一気に払拭するものだった。
 うわさに聞く斉藤道雄プロデューサーは、凄い映像をこの秋の深夜、関東の人たちに贈った。この番組を見て、僕たちにすぐに近付いて来る人は少数だろう。治そうとせずに向き合うという吃音とのつき合い方に、とまどいや反発を感じる人も多かろう。でも、こういう考え方もある、こういう考えで活動している人たちがいるというメッセージは、そんな人たちも含めた多くの人々に、やがて届いて行くだろう。そんな確信を、僕は持った。
 ところで、「報道の魂」の画面に、僕はある種のなつかしさを感じた。近頃のテレビ番組によくある、見るものの気持ちをあおるようなBGMがない。わざとらしい効果音がない。画面を覆う字幕がない。シンプルでいて、カメラの向こうの人物がストレートにこちらに語りかけて来る、見やすくて訴える力の強い番組になっていた。古いタイプの、でもとても新鮮な味わいのドキュメンタリーだと感じた。良質のものに触れた満足感を、味わえる番組だと思った。
(「スタタリング・ナウ」2005.11.22 NO.135)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/30

斉藤道雄さんとの出会いのきっかけとなった《「弱さ」を社会にひらく》

 斉藤道雄さんとの、奇跡のような、不思議な出会いとなった、僕の記事を紹介します。
 大阪市内に、應典院(おうてんいん)というお寺があります。「ひとが集まる。いのち、弾ける。呼吸するお寺」が、應典院のキャッチフレーズでした。この應典院は、竹内敏晴さんの大阪定例レッスン会場として、竹内さんが亡くなる直前まで10年以上、そのほか、講演会や相談会など、日本吃音臨床研究会のさまざまな催しの場でした。大阪吃音教室の定例会場でもありました。
 その應典院の秋田光彦主幹が伊藤伸二にインタビューをした記事がTBSの斉藤道雄さんの目に留まり、新番組「報道の魂」につながったのです。
應典院寺町倶楽部のニュースレター「サリュ」のNO.43 2004.10.5発行 から紹介します。

  
「弱さ」を社会にひらく
      セルフヘルプとわたし
                 日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二さん


 少子高齢化社会を迎え、「弱さ」に目を向ける生き方が求められるようになりました。「弱さ」に目を向けるといっても同じ苦しみや境遇を癒しあうだけの、閉じこもった関係であってはなりません。自閉せずに「弱さ」を力にしてつながりあい、受容する社会を創造するには、どうすればよいのでしょう? また「弱さ」はどのように社会に参加することができるのでしょう? 「どもり」という「弱さ」を社会にひらき、同じ悩みを持つ人たちの支えとなる活動を40年間続けてこられた日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さんにお話を伺いました。

互いを支えあうセルフヘルプ
 ぼくは子どもの頃から、ずっとどもりで悩み、孤独に生きてきました。それが、大学の時に初めて同じようにどもりに悩んできた人たちと出会い、自分の話を聞いてくれる人が横にいて、そのぬくもりと安らぎを感じる体験をしました。これは何ともいえない喜びでした。一度その感覚を味わうと、また一人ぼっちになるのは耐えられません。
 1965年、私はどもる人のセルフヘルプグループをつくりました。このグループでは同じように吃音に悩んできた人が集まり、支え合うだけではなく、自分の殻に閉じこもらないで、積極的に社会に出て行く活動をしました。当時は「セルフヘルプグループ」という言葉は日本に紹介されていませんでした。患者会や障害者団体はありましたが、その目的は生きる権利を主張したり、できれば「治す、改善」を目指しています。セルフヘルプというのは同じような体験をした者同士が支えあって、自分の人生を生きようということですから、治らないとか治せない、つまり簡単には解決しない問題をもっているというのが前提なのです。

配慮という暴力
 ぼくは、どもりの苦しみを同じように体験した人と出会うことで、ほっとしたり、力がわいてきたりという経験をしてきました。だから、子どもの頃に「ひとりぼっちじゃない」という経験をしてほしいと、16年前に始めたのがどもる子どもたちのための、吃音親子サマーキャンプです。毎年8月に開催して、全国から140名を超える参加があります。
 そこで16年、どもる子の親に接していますが、最初のころは、「うちの子はかわいそう、なんとかして治してあげたい」「どもりを意識させずにそっとしておいたほうがよいと指導された」「治ることを期待してどもりについて話題にしない」という親がほとんどでした。それは親子を取り囲む社会全体、教師にも強くインプットされていて、子どもの欠点や弱さを指摘したらかわいそうだという、配慮に満ち満ちているからです。ぼくは「配慮の暴力」というのがあると思います。配慮が人を傷つけるということはいっぱいあると思うのです。
 そんな大人のこれまでの意識を変えて欲しいと、本を書いたり、発言したりしてきていますが、なかなか浸透していきません。インターネットの時代で簡単に情報発信ができるために、「どもり治療の秘策」みたいな劣悪な情報が増え、状況は40年前よりさらに悪くなっています。親は治るというメッセージや情報にすがりつきたいわけですから、飛びつきます。
 「どもりが治る」とはどういうことか。ぼくも実際はっきりわかりません。一般的にいうと、空気を吸うように何の躊躇もなく話せるというのが治るということでしょう。また、どもりながらでも、吃音に影響されずに自信を持って生きるというのも治ることだといえるかもしれません。今、ぼくは何も悩んでないし、どんな不自由もないし、どもりで困ることは100パーセントありません。だから、「伊藤さんは、治っているんじゃないか」と言われたらそうだけれども、それを治るといってしまっていいのかどうか。どもりながら「俺は平気だよ」というほうがいい。だから治るという言葉はあえて使わないで、治らないけれども自分らしく生きることはできるんだよというメッセージを投げかけたい。治る、治らないの二元論的な世界から違う見方を提示したのが、セルフヘルプの活動といえるのかもしれません。

弱さに向き合うこと
 だから何が何でも治そうということではなくて、どもりという欠点と言われるものや弱さは弱さのままでいいんだときちんと受け止められたら、社会でひとつの力になる。弱さの持っている強さを自覚できたら、弱さのままでも社会に出ていける。弱さはしなやかですから。これまでは「どもってかわいそう」と弱さの中の弱さを押しつけられたりしました。弱かった人間が強くなると周りから叩かれるという矛盾もありました。そうならないために、きちんと自分の問題を見つめることは大切なのです。
 例えば「どもって恥ずかしい」と思ったのは、一体なぜか?と自問してみる。それは周りの人から、どもるあなたは、こんなことはしなくていいよと配慮されたり、弱い立場を押しつけられたりしてきたことと関係があるのかもしれない。烙印(スティグマ)を押されてそこに安住させられてきた。弱さを自分で演じてきたこともあるでしょうね。それを明らかにしていくというのはある意味でつらい仕事だけれども、それに向き合うということをしないといけない。一人では難しいからセルフヘルプグループがあるんです。
 しんどいけれど一緒に向き合おう。それをしないとただ「そうだね、苦しいね、よくわかるよ」という表面だけの共感に終わってしまう。それだと本当の苦しさは超えられない。

失敗から学び、悩むことを恐れない
 今と違って、ぼくらの時代はがんばれば何かできるんじゃないかという希望がありました。今の子は悩んでいる感じはするけれども、悩み方がすごく下手になっている。悩み方のノウハウを教えるというのは変だけど、「お前の悩み方、変じゃないの」ということを言う大人がいてもいいんじゃないですかね。悩むチャンスを大人が奪っている。それも配慮ということなんでしょうね。失敗したらこの子はだめだと、失敗させないように何とかしないと、と言う。そうではなくて、むしろ失敗したほうがいい、悩んだほうがいいわけですよ。悩むことのなかに工夫があり、発見があり、気づきがあったりするのに、悩むことを恐れてしまう。これからの自分とか、なぜ生きているのか、そういう問いを発見するのも、若い人がもっと創造的に悩むことじゃないかと思っています。
 そのために、弱さに向き合うチャンスや場を、もっと大人が提供していかないといけないですね。向き合うということは苦しいけれども喜びもあり、発見もある。吃音親子サマーキャンプが成功しているのは、ぼくらがどもりながらでも楽しく過ごしている、その姿を子どもたちに見せているからです。大人がモデルとなるような生き方をし、人生の喜び、楽しさを提示することです。じかにふれあえて向き合う経験をさせる。そういう場を与えることが大人の役割じゃないかと思います。
         (「サリュ」應典院寺町倶楽部のニュースレターNO.43 2004.10.5発行)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/28

斉藤道雄さんの『メッセージ』

報道の魂DVD 2005年、斉藤道雄さんから送られてきた原稿を読んで、僕が涙が止まりませんでした。そして今、その原稿を読み返して、また涙が滲んできます。
 僕は、不思議な出会いをたくさん経験してきていますが、斉藤さんとの出会いもまたとても不思議な、奇跡のようなものでした。
 「スタタリング・ナウ」2005.11.22 NO.135 で紹介している、斉藤道雄さんの『メッセージ』を紹介します。

メッセージ
                     TBSテレビ報道局 編集主幹
                     TBSテレビ解説委員      斉藤道雄


 「ぼくは配慮の暴力というのがあると思います」
 小冊子のこのひとことに、僕は引きつけられた。
 配慮の暴力というのは、たとえば「子どもの欠点や弱さというものを指摘したらかわいそうだ」という親の思いこみからからはじまっている。あるいは、「治ることを期待してどもりについて話題にしない」という「大人の意識」のことだ。そうした意識が、子どもが本来もっているはずの力を、押さえつけているのではないか。
 この問題のとらえ方には、なじみがある。そう思いながら、先を読み進んだ。
 話は、吃音者の生き方をめぐるものだった。
 「治るとはどういうことか。ぼくもはっきりわかりません。…だから治るという言葉はあえて使わないで、治らないけれども自分らしく生きることはできるんだよというメッセージを投げかけたい」
 治らないけれども自分らしく生きる、これもまた、なじみのメッセージではないか。
 だれだろうと名前を見ると、伊藤伸二とあった。
 伊藤さんは、大阪の應典院というお寺が出している機関紙「サリュ」の2004年秋号に載ったインタビュー記事(「弱さ」を社会にひらく。セルフヘルプとわたし。)で、吃音について、吃音をめぐる「配慮の暴力」について、そして吃音を治すということ、治るということの意味について語っていた。それを読み終えて僕は思った。ああ、いつかこの人に会ってみたいものだと。会って、話を聞きたい。そしてたしかめてみたい。伊藤さんがいっているのは、僕がかつて受け取ったあのメッセージのことですよねと。「サリュ」の一文は、夜空に打ち上げられた一瞬の花火のようなものだったけれど、僕はたしかにそれを見たし、そこに伊藤さんの存在を感じることができたのですよと。
 いってみれば、そのことを伝えるために、僕は今回の取材に取りかかったのかもしれない。配慮の暴力ということばに出会ってからちょうど1年後、僕は東寝屋川駅にちかいマンションの自宅に伊藤さんを訪ねていた。そこで話を聞き、資料をもらい、この秋からはじまる新番組の企画で、伊藤さんの取材をしたいとお願いしたのだった。
 それがたまたま、年に一度の吃音親子サマーキャンプの時期と重なっていたのである。キャンプには伊藤さんたちの仲間と吃音の子どもたち、それにその親が、全部で140人も集まるという。好機を生かすべく、僕はさっそくカメラマンとともに、キャンプ地である滋賀県の荒神山まで出かけることにしたのだった。2泊3日の短い期間ではあったが、おかげでじつに密度の濃い取材ができたと思う。突然のテレビの闖入で参加者にはずいぶん迷惑をかけたことだろうが、それにもかかわらず快く取材に応じていただいたみなさんには、ここであらためてお礼を申し上げたい。
 もちろん、吃音などという問題にはかかわったことがなく、キャンプにもはじめていくわけだから、取材できることはかぎられていた。しかしそこで子どもたちが真剣に話しあい、劇の練習をするところを見ながら、そしてまたインタビューをくり返しながら、サマーキャンプがどのような場であり、その場をつくりだしているのがどのような人びとなのか、そしてそこでなにが語られ、なにが起きているのかを、多少なりともつかみとることができたと思う。
 ひとことでいうなら、それは長い物語をもつ人びとの集まりだった。
 吃音がもたらす苦労と悩み、そして人間関係のむずかしさや社会との緊張は、他人がなかなかうかがい知ることのできない生きづらさを、吃音者にもたらしている。その生きづらさは、時間を経てこころの奥底に滓(かす)のように沈殿し、重さをもち、それぞれの物語をつくる下地となる。キャンプの参加者はみな、そうした滓や重さや経験をことばにして、あるいは仲間の語ることばに共鳴する形で、自らの物語を紡ぎだしていくかのようであった。
 たとえばスタッフとして参加していた長尾政毅さんは、小学校2年生のころは吃音がひどくて、話がほとんど会話にならなかったという。
 「友だちと話してるときに、やっぱり通じなかった記憶、ものすごいある。これ話したい、だけど一部分も話せずに去っていく、って経験がいっぱいあった」
 どもりをまねされ、からかわれ、「負けじとしながら、だいぶこたえて」いた。ふつうに話せないのが「ほんとにいやでいやで」、でもそれを認めたくないから「逆に強くなろうと突っ張って」いた。それだけではない。吃音を「隠そうっていうことを無意識に」しつづけていたから、表面的にはものすごく明るいいい子を演じていなければならない。そういう無理を重ねながら小中高と進んではみたものの、高校2年のある日、ついに合唱部の顧問の先生にいわれてしまう。「君は、ものすごい自分を出さない、こころを閉ざす子やな」と。
 それはそうかもしれない。しかし、じゃあどうすればいいのか、長尾さんは途方にくれたことだろう。吃音がもたらす厚い壁は、自分で作り出したものかもしれないが、それは作らざるをえなかった防壁であり、そのなかでかろうじて自分を維持できるしくみだった。なぜそうしなければならないのか、どうすればそこから脱け出せるのか、それは周囲ではなく、だれよりも本人が自分に向けなければならない問いかけだったろう。その問いかけに、当時の長尾さんは答えることができなかった。いまそれを語れるようになったということは、果てしない堂々めぐりのあげく、いつしか壁を抜け出していたということだったのではないだろうか。
 ここまでこられたのは、おなじ仲間との出会いが大きかった。そこで長尾さんは目を開かれ、新しい世界に入っていくことができたからだ。いまでは自分が吃音に対してどういう心理状態にあるかを把握し、整理できるようになったというから、克服したとはいえないまでも、吃音との関係を以前にくらべてずいぶんちがったものにしているといえるだろう。しかしそれでもまだ、こころの底に鍵をかけているところがあるんですよと、テレビカメラの前で率直に語ってくれた。
 その長い話は、まだ先へとつづくのである。
 最近、長尾さんはアルバイトで水泳のインストラクターをはじめるようになった。子どもたちに泳ぎ方を教えながら、「名前よぶとき、だいぶ詰まる」ことがあって、危ないときもあったが、「ごまかしまくって」なんとかやってきた。それが最近、仕事が終わったところで先輩にいわれてしまったという。お前、がんばってるな、だけど「これからは、どもらずにやろうな」と。それを「さくっと」告げられた経験を、苦笑いしながら話す胸のうちには、かなわんなあという思いと、どうにかなるさという居直りとが交錯していたことだろう。
 吃音をめぐる長尾さんの物語は、いまなおつづいているのである。いや、吃音者はみな、終わることのない物語を刻みつづけている。それは一人ひとり異なっていて、みなおどろくほどよく似た部分をもっている。
 サマーキャンプでは、そうした物語が無数のさざめきのように、ときに深い沈黙をはさみながら語りあわれていた。そうしたことばと沈黙のはざまで、参加者はみなそれぞれに考えていたことだろう。吃音とはなにか、吃音を生きるとはどういうことか、なぜそれを生きなければいけないのか、それはなぜ自分の課題なのかと。しかしそうした困難な課題に判で押したような答がみつかるはずもない。いやどれほど考えても、そもそも答はないのかもしれない。答がないところでなおかつ考えなければならないとき、人はほんとうに考えているのかもしれない。
 取材者としての僕は、そのまわりをうろうろしているだけだった。ただはっきり感じることができたのは、そこで語り、語られる人びとの集まりのなかに、たしかな場がつくられ、その場をとおしてさまざまなつながりが生みだされているということだった。それはおそらく、絆とよぶことのできるつながりなのだろう。その絆が、吃音をめぐる苦労と悩みから生みだされるものであるなら、そしてまた生きづらさをともにするところから生み出されるものであるなら、僕はそうした絆をすでにそれまでにも目にしていたと思う。それも一度ならず。すでに見たことがある、その場にいたことがあるという、なじみ深さをともなった記憶は、キャンプにいるあいだ、いや最初に伊藤さんのことばに出会ったときから、僕にまとわりついていたものだと思う。
 それはもう20年も前、先天性四肢障害児との出会いにさかのぼる記憶でもある。その後のろう者とよばれる人びととの出会いと、そしてまた精神障害をもつ人びととの出会いにくり返し呼び覚まされた記憶なのだ。その核心にあるのは、自分ではどうすることもできない生きづらさを抱え、苦労し、悩みながらその経験を仲間と分かちあってきた人びとの姿なのである。彼らがみなそれぞれにいうのは、「そのままでいい」ということであり、「治さなくていい」ということであり、「どう治すかではない、どう生きるかなのだ」ということなのである。
 たとえばそれは、北海道浦河町の「べてるの家」とよばれる精神障害者グループの生き方であった。
 彼らとかかわってきた精神科ソーシャルワーカーの向谷地生良さんは、精神病の当事者に、はじめから「そのままでいい」といいつづけてきた。精神病はかんたんに治る病気ではないし、かんたんに治らないものを治せといわれつづけることは、その人の人生をひどく貧しいものにしてしまう。そうではない、病気でもいい、そのままで生きてみようと向谷地さんは提案したのである。そのことばで、どれほど多くの当事者が救われたことだろうか。彼らの多くは、病気は治らなくても生きることの意味を探し求めるようになり、妄想や幻覚は消えないのにむしろそれを楽しもうとさえしている。
 おまけにそこには、川村敏明という奇妙な精神科医がいて、「治さない医者」を標榜し胸を張っている。医者が治そう治そうと必死になったら、患者は服薬と闘病生活を管理されるだけの存在になってしまう。それがほんとうに生きるということだろうか。川村先生はそういいながら、患者を診察室から仲間の輪のなかにもどすのである。もどされた患者は病気の治し方ではなく生き方を考え、お互いに「勝手に治すな、その病気」などと唱和している。
 そこには、「この生きづらさ」をどうすればいいのかと、深く考える人びとがいる。その生きづらさは、それぞれが自ら引き受けるしかないものであり、だれもその生きづらさを代わって生きることはできないという、諦念というよりは覚悟ともよぶべき思いが共有されている。ゆえに浦河では苦労をなくすのではなく、いい苦労をすることが求められ、悩みをなくすのではなく、悩みを深めることが奨励される。みんながぶつかりあい、困難な人間関係を生きながら、しっかり苦労しよう、悩んでみようと声をかけあいながら、すべての場面で笑いとユーモアの精神を忘れない。彼らの生き方そのものが、ひとつのメッセージとなっている。
 そういう人びとを取材していると、さまざまなことが見えてくる。
 そのひとつが、当事者の力というものだ。
 「べてるの家」は、いまや全国ブランドといわれるほど有名になったが、見学者はそれがソーシャルワーカーや精神科医のつくりだしたものと勘ちがいしてしまうことがある。しかし浦河で真に状況を切りひらき、暮らしを築いてきたのは精神障害の当事者たちであった。生きづらさを抱え、苦労と悩みを重ねてきた彼らが仲間をつくり、場をつくり、自らの経験をことばとして物語にしてきたのである。
 まったくおなじことが、吃音親子サマーキャンプについてもいえるだろう。
 伊藤さんをはじめとするスタッフは、もう15年あまりこのキャンプにかかわっているという。そこでどれほどたくさんの子どもや親が救われたことだろう。けれどもしこのキャンプが、吃音の子どもたちを守り、助けることだけを考えていたのであれば、これほど豊かな場をつくりだすことはできなかったはずだ。その豊かさは、使命感に燃えるリーダーがつくりだしたものではなかったのだ。
 キャンプになんどか参加した中学生の宮崎聡美さんや松下詩織さんは、ともに吃音でもいい、治さなくてもいい、あるいは治したくないとまでいっている。中学生でそこまでいえるのはすごいことだし、そういえるまでにはいろいろな苦労や悩みがあったことだろう。そのいい方は、これからも揺れたり変わったりするかもしれない。しかしふたりがこのキャンプで変わったということは、まぎれもない事実なのだ。灰谷健次郎がいうように、変わるということは学んだことの証でもある。子どもたちはキャンプにきて、確実に生きることを学んでいる。そして彼らが、だれに教えられるのでもなく自ら学び、変わっていくということ、そのことが伊藤さんを支え、そしてまたキャンプにきたみんなを支え、動かす力になっている。
 あなたはひとりではない。あなたはそのままでいい。そしてあなたには力があるという、そのことばは、伊藤さんが子どもたちに送るメッセージであるとともに、子どもたちが伊藤さんに送るメッセージでもあるのだと思う。

斉藤道雄
 1947年生まれ、慶應大学卒業、TBS社会部・外信部記者、ワシントン支局長、「ニュース23」プロデューサー、「報道特集」ディレクターを経て、TBSテレビ報道局編集主幹。
著書『原爆神話五十年』中公新書1965年
  『もうひとつの手話』晶文社1999年
  『悩む力 ベてるの家の人々』みすず書房2002年は、講談社ノンフィクション賞受賞

 ―べてるのいのちは話し合いである。ぶつかりあい、みんなで悩み、苦労を重ねながら「ことば」を取り戻した人びとは、「そのままでいい」という彼らのメッセージを届けにきょうも町へ出かけている。―『悩む力』より


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/27

場の力

 2005年秋、TBSのディレクターである斉藤道雄さんが新しく始められた番組「報道の魂」、その初回に取り上げられたのが「吃音」でした。取材を通してたくさんのことを語った僕は、斉藤さんに、原稿をお願いしました。「スタタリング・ナウ」2005.11.22 NO.135 の巻頭言は、原稿を寄せてくださった斉藤さんへの僕からの返信の形をとっています。
 今、自分で読み返してみても、温かく、大きな力を得て、胸が高鳴るような喜びを感じているのが伝わってきます。斉藤さんは、今も「スタタリング・ナウ」を読んでいてくださるし、ときおり、自分の知り得た吃音の情報を知らせてくれます。バイデンが大統領選挙を戦っているときの記事を紹介してくださったのも斉藤さんです。
 人と人とのつながりの不思議さを思わずにはいられません。
 タイトルの「場の力」、吃音親子サーキャンプだけでなく、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会にも大阪吃音教室にも、場の力を思います。人が出会い、語り、聞き、つながる、そんな場の力に支えられ、これまで僕は生きてきたのだとしみじみと感じています。

 
場の力
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


斉藤道雄様
 「勝手すぎる書き方かもしれず、ご希望に添えなかったかもしれません」の前置きの後、「メッセージ」と題した力のこもった文章を一気に読みました。読み進み、涙がにじんできました。ここに私たちを深い部分で共感し、理解して下さる人がいる。大きな力強い援軍を得た、そんな気がしました。うれしい原稿ありがとうございました。
 長い時間カメラが回っていました。吃音親子サマーキャンプの2泊3日間、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室、さらに私の自宅や大阪教育大学にまで来て下さいました。かなり大量の取材テープだったことでしょう。私もインタビューでいろんなことを話したように思います。
 取材に来られた日の大阪吃音教室は、今秋の吃音ショートコース、「笑いとユーモアの人間学」の前段階として、自分の吃音からくる失敗やかつては嫌だった体験を笑い話として笑いとばす講座でした。笑いやユーモアについて考える時間であるため、大きな笑い声に満ち満ちていました。斉藤さんに代わって取材に来られた方が、予想をしていた内容、雰囲気とは全く違うと本当に驚いておられました。編集作業が始まった頃、斉藤さんからも「どの部分を切り出しても、伊藤さんたちの笑いや明るさが際だっている。吃音に悩む人にこのまま紹介したら、どのようなことになるか、ちょっと心配もあります。でも、本当のことだし…」といったような内容のメールをいただいていました。苦労をしながらの編集作業だったと推察します。
 「報道の魂」は、私たちの明るさよりもむしろ吃音に悩む人々への思いに満ちていました。どもる人のもつ苦しみと、苦しかったからこその明るさを表現して下さっていたように思います。
 世界の日本の吃音臨床・研究の主張は依然として「吃音の治癒・改善」を目指しています。私たちの考えや実践は少しずつですが理解されるようになり、仲間も増えました。しかし、少数派であることに変わりはなく、時に大きな壁、流れに空しさを感じることもあります。そんな時、いつも私たちを励ましてくださるのは、不思議なことに言語障害の研究や臨床にあたる人々よりも、今回のように、違う領域で活動をされている方々です。
 以前、NHKの海外ドキュメンタリーで「もっと話がしたい、吃音の克服への道のり」という番組がありました。吃音が改善され、幸せになった、だから、「吃音は治る、改善できる」というような内容だったように記憶しています。今回、メディアを通し、あのような切り口で吃音が扱われたのは恐らく世界でも初めてのことではないでしょうか。「どもっていても大丈夫」「吃音に悩むことにも意味がある、悩んだからこそ今がある」という私が伝えたいことのほとんどは、あの番組の中で、私以外のどもる人や子どもたちも語っていました。本当によく切り出して下さったと感謝しています。
 「どもりは差別語か?」の問いかけに対する高校生たちの意見。話し合いをしたこともないテーマに、自分のことばで自分の意見を語る子どもたちに、本当にびっくりしました。私たちが考えている以上に子どもたちは育っていました。子どもたちのすごさに驚き、誇りに思えました。
 斉藤さんが最後に書いて下さったように、あの映像から私が一番勇気づけられました。私が主張し活動してきたことは間違いではなかった。あんなに大勢の子どもや親やどもる人たちが私に、「これまで言ってきた、そのままでいいんだよ」「あなたはひとりじゃない。大勢の仲間がいる」「あなたには、40年も継続してきた力がある」このメッセージを送ってくれたんですね。また、斉藤さんがこれまで取材されてきた、先天性四肢障害の人、ろう者、べてるの家の精神障害者と斉藤さんを通してつながることができました。私の主張は何も奇をてらったものでも、非現実なことでもなく、人がそれぞれに豊かに生きていくためのキーワードなのですね。 これからも、私たちの考えや活動を見守って下さい。ありがとうございました。出会いに感謝します。伊藤伸二

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/26

第16回吃音親子サマーキャンプ〜作文と感想〜

 吃音親子サマーキャンプの2日目の朝は、作文教室です。どもる子ども、どもる子どもの保護者、どもる人、ことばの教室担当者や言語聴覚士、参加者全員が机に向かい、作文を書きます。ひとりで、吃音と自分に向き合う静かな時間です。そのときの作文と、終わってから送られてきた感想を紹介します。こうして読み返してみると、みんなはこのように深く悩んでいたのかと、今更ながらに思います。
 僕も、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、小学2年の秋から、21歳の夏まで、あんなに深刻に悩み、思い詰めていたことが、ウソのように思えてしまいます。吃音は、人をそこまで深刻に悩ませるものである一方、どもることを認めてさえしまえば、思いもしなかった明るい未来がみえてくるものなのです。そのことを、なんとか、多くの吃音に今悩む人に伝えたいと日々努力しているのですが、なかなかうまくいかないのが、悔しく、残念でなりません。

《作文教室で書いた作文》
  やっぱサマキャンの力はすごい
                              みほ(高校3年生)
 サマーキャンプに小4で初めて参加してから早くも卒業という時期を迎えてしまいました。今までの自分の吃音を振り返ってみると、いろいろなことがあったなあと思います。小さいときに、友達の家のインターホンを押したときに、自分の名前が言えなくて泣いて家まで帰ったこと。小4で代表委員に立候補し、全校生徒の前で自分の名前がなかなか言えなくて泣いたこと。小学校の音読で最初の音がなかなか出せなくてすぐ終わるような文章を何分もかかってしまい、その場から逃げ出したかったこと。他にもここに書ききれないくらい吃音で嫌だったこと、苦しかったこと、泣いたことはいっぱいありました。そのたびに吃音のことを憎んでたし、「吃音じゃなかったらこんなに苦しい思いはしなかったのに」と、何度も思っていました。でもそのたびに吃音サマーキャンプのことを思い出して、「自分だけじゃない。みんなもがんばってるんだ」と思って、サマーキャンプに早く行きたい気持ちでいつもいっぱいでした。
 サマーキャンプに参加してからも中学くらいまでは、吃音の原因がどうとか、治したいという気持ちが全くなかったわけではなかったけど、今は原因とかどうでもいいし、治したいとは思いません。それでも日常では無意識に言いやすいことばに換えて喋っちゃってるんですけどね。
 それでも吃音に対して前と考えが変わったのは、サマーキャンプのおかげだと思っています。これから吃音で嫌なことは、いっっっっぱいあると思います。人前でも堂々とどもれるのにはまだ勇気がいるし、吃音から逃げることができないけれど、今までどうにかなってきたんだから、これからだって失敗はいっぱいするだろうけど、やっていけると思っています。そう、信じています。

《サマーキャンプ感想》
  吃音が生みだす「出会い」〜第16回吃音親子サマーキャンプに参加して〜
                         原田大介(広島大学大学院生)
 滋賀県でおこなわれた「第16回吃音親子サマーキャンプ」に参加した。はじめての参加だった。
 キャンプの名前の中にもある「吃音」。このことばの意味を完全に理解している人は、今回のキャンプの参加者だけでなく、地球上のすべての人の中にも存在しないのかもしれない。私もまた、吃音を理解することができない人間のひとりである。キャンプを終えた今も、それが何なのかが、さっぱりわからない。吃音とは、何だろう?
 私の生年月日は、1977年5月24日である。母が残してくれた「母子健康手帳」には、5歳の欄にある「発音が正確にできますか?」の項目に「いいえ」とチェックされている。6歳の欄には、「保健所の人に相談する」と記されてある。
 私自身、6歳のときには吃音であることを自覚していた。吃音をコンプレックスに感じ始めたのは、小学校2年生のときである。
 現在の私は28歳。計算してみると、私は吃音に、約20年間以上苦しめられてきたことになる。私にとって吃音とは、「嫌い」で「憎いもの」でしかない対象である。忘れるはずのない自分の名前が言えない瞬間は、身がちぎれるほど悲しくて、苦しい。実際、日常生活のなかでは、電話を使うなどの事務的な作業も多く求められる。
 多くの人があたりまえにできること。それが、あたりまえにできない存在であるということ。その事実を突きつけられる瞬間は、ただただ、みじめな気分になる。自分がちっぽけな存在であることを自覚する。吃音であることの「痛み」を笑って受けながすことができるほど、私は、強くはなれない。
 最初の問いにもどりたい。吃音とは何か。あえて定義すれば、吃音とは、「その存在すら忘れていたいのに、ことばを口にしたとたんに、「私」であることを突きつけてくるもの」である。吃音に対する私の否定的な気持ちは、今でも変わらない。
 しかし、少しずつ、ほんの少しずつだけれど、目には見えない静かな変化が、私のなかで起こりはじめている。その感情の変化にとまどい、揺れ動いている私がいる。
 「第16回吃音親子サマーキャンプ」に参加した数は、140名にのぼる。私はたくさんの人と話し、笑い、泣き、考えを深めることができた。すべての人と直接に話すことはできなくても、「時間を共有する」という大切な時間を私は過ごすことができた。
 吃音に関係する多くの人が気づいていることでもあるが、吃音について考えることは、吃音だけの問題に限定しない。吃音は、一人ひとりが抱えている「痛み」を投影している。ここで言う「痛み」とは、「生きづらさ」や「生き苦しさ」と言い換えてもよいだろう。それは、「隠しておきたいもの」であり、できることならば、「思い起こしたくないもの」である。避け続けていたい「私」の「痛み」と向き合うことの大切さを学ぶこと。そして、少しでも前にすすむための可能性を探ること。このキャンプは、吃音を通して、「痛み」について学ぶところでもあったのである。
 「人」の「痛み」について敏感な人は、「私」の「痛み」にも敏感な人である。「私」の「痛み」ときちんと向き合った人でなければ、「人」の「痛み」と向き合うことなどできるはずもない。吃音である人も吃音でない人も、キャンプにかかわり続けている人の多くは、そのことを直感的に見抜いている。
 おそらく、私が吃音でなかったら、キャンプに参加したメンバーと出会うことは一生なかっただろう。また、「私」という存在のありかたについて、ここまで考えることもなかっただろう。「吃音」という存在が、「人」とのつながりを生み出す「場」を提供しているだけでなく、「私」について考える場も提供しているのである。
 嫌いで、憎くて、その存在すら忘れていたいものが(私の場合、吃音)、人の「出会い」を生み出すことがある。そして、「私」という存在について考える機会を生み出すことがある。
 世の中には、こんな不思議な現象があるようだ。逆に考えれば、嫌いで、憎くて、その存在すら忘れていたいものにしか生み出すことができない「出会い」も(つまり、吃音という特別な条件でしか生み出すことができなかった「出会い」も)、この世の中にはあるということだ。キャンプに参加したメンバーとの出会いは、まさに、そんな奇跡を感じさせる「出会い」だったように思う。
 私のなかには、「意味のないもの」や「無駄なもの」など、ひとつもない。それが、どんなに世間で言われるところの「欠点」であるとしても、人とのつながりを生みだし、「私」について考えるものになりうる。繰り返すが、吃音に対する私の否定的な気持ちに変わりはない。きれいごとだけではすまされない現実が、そこにあるからである。
 けれど、このキャンプに参加したことで、少しずつ、吃音に対する私のとらえかたが変わりつつある。そして、少しだけ、私という存在を、あるがままに受けとめようとしている私がいるのである。
 このキャンプに参加できたことを、私は心から感謝したいと思う。

《サマーキャンプ感想》
  心から認め、応援したい
                   秋原圭子(小学3年生の母親)
 キャンプに参加して肩の荷が降りたような、気が楽にもてるようになりました。本人には、この吃音が治らないかもしれないということは前から伝えてありました。私もそれを受け入れていこうと思っていましたが、やはり気になるものです。完全に治らなくても、ましにはなるのでは、という気持ちは残っていました。でも、このキャンプで親との語り合いの中で、自分よりもはるかに深い悩みや、高学年の子を持つ方の体験話、また親本人もどもる人の経験や気持ちの持ち方、考え方などを聞かせてもらい、体から余計な力が抜けていったように感じました。自分の子も、どもりがあってもなんとかやっていくだろうと思えるようになりました。
 「あなたはあなたのままでいい。あなたには力がある」ということばを素直に受け入れることができました。親の学習会では、子どもを信じ、悩んでも大丈夫と思うこと、子どもは悩みの中からいろんな力をつけていくものなので、先回りして解決してはいけないと聞きました。また、私は子どもがどもることがハンディだと思い、自信を持たせるために何かをやらせたいと思っていましたが、親から何かをさせるのはよくないことで、本人から進んでするまで待つ方がよいと聞きました。子どもを信じて待つということは、忍耐のいることだと思いますが、子どもが吃音とちゃんと向き合い、本当の自信を持つことができるように、私も努力をしたいと思います。本人もきっとがんばっているのだと思います。朝の健康観察のときの「はい、元気です」がどもって言いにくいと言っている子ども。それでも朝、元気に「行ってきます」と言って出かけていきます。私から見れば些細なことでも、本人にとっては重大事項なのでしょう。心から認め、応援してあげたいと思っています。
 本人もキャンプはとても楽しかったと言っています。同じ学年のどもる子どもたちとの話し合いで、どんなふうに感じたのか知りたいところですが、本人は何も言ってくれません。でも、キャンプ後は、自分からどもることを話題にしたり、友達から言われて嫌だったときのことを聞かせてくれました。初めて聞きました。少し明るくなったように感じます。
 これから先、人生の節目節目で、困難なことに出くわすことになると思うけれど、勇気をもって強い心で乗り越えていってくれることを願っています。私もそのときどきに力になれるように勉強し続けていきたいと思います。(「スタタリング・ナウ」2005.10.22 NO.134)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/24

第16回吃音親子サマーキャンプ〜卒業した高校生を中心に〜 2

 昨日、卒業生4人のうち2人を紹介したので、今日は残りの2人の卒業証書文やあいさつなどを紹介します。涙、涙の卒業式でした。ぎすぎすした、せちがらいこの時代に、別世界のようでした。不思議な空間といえるでしょう。僕は、この場が好きで、この場にいる人が好きで、そんな人たちの中にいる僕自身のことも好きで、ずっとこのキャンプを続けているのです。
 若いスタッフが育ってきてはいますが、80歳という年齢を考えると、来年も再来年も、と簡単には言えなくなりました。一年一年、今年が最後かもしれないという思いで、サマーキャンプを開催していきます。よかったら、どうぞ、ご参加ください。詳細は、日本吃音臨床研究会のホームページからダウンロードしてください。

みほさんの卒業証書
 小学校4年生から高校3年生まで、8回、遠くからサマーキャンプに参加しました。
 「私の大好きな友達はいっぱいいる。だけど、その中で一番好きなのは、私と同じどもりの女の子だ。名前はゆきちゃん。私が生きてて初めてとても気が合う友達だった」(小学5年生のときの作文)。
 みほちゃんにとって、ゆきちゃんとの出会いは、大きいものでした。おでことおでこをくっつけるようにして、深夜までよくおしゃべりしてましたね。こんな仲間との出会いは、みほちゃん、あなたを強くしてくれました。代表委員に思わず立候補したこともありましたね。いっぱい泣いて、いっぱい笑って、いっぱい考えていたあなた、そう、あなたはひとりではないのです。
 サマキャン、卒業、おめでとう。

みほさんのあいさつ
 私がサマーキャンプに初めて参加したのは、小学校4年生のときです。キャンプを知ったのは、お母さんが、朝日新聞にキャンプが紹介されてたのを見たからです。最初は、やっぱり今まで自分と同じどもる人と会ったことがなかったから、行くのがすごい嫌で不安でした。友達ができるかなとか、いろんなことを思ってて、最初は行くのをやめようかなと思ったんですけど、もしかしたらなんかあるかもしれないと思って、参加しました。そして、初めて自分と同じどもる人と会って、友達ができて、自分の吃音の話ができて、すごい充実した3日間だったんです。それからずっとキャンプに参加して、参加するたびに新しい発見がありました。やっぱり学校の友達とはしゃべれないこととかいっぱいしゃべれて、参加するたびにいろんなことがあったなと思います。もう卒業なんだなと思うと、なんか涙が出てきて、卒業したくないなという思いでいっぱいです。来年はできたらスタッフとして参加させてもらいたいです。ありがとうございました。

伊藤伸二
 実は、キャンプのスタッフになるには厳しい筆記試験と面接試験があるんです。それに通ったら、来年、ぜひサマキャンのスタッフとして来て下さい。

ゆきさんの卒業証書
 小学4年生から高校3年生まで、連続9回、サマーキャンプに参加しました。
 「私は最初はどもりについてあまり考えていなかったけれど、最後にはやっぱり日本中にもどもる人はたくさんいて、そのひとりとひりがちゃんとがんばっているんだなと思ってじーんときました」(小学4年生のときの作文)
 「中学1年生のころが一番どもりがひどかった気がする。そして、一番苦しんでいたとき、一番密度が濃く生きていたと思う。どもることによって、他の人が気づかないことを考えることができるようになった」(高校3年生の作文)
 毎年の作文に成長を感じていました。どもりをみつめ、自分をみつめ、人とのかかわりをみつめ、深く考え、自分のことばで語ろうとする姿、とてもすてきです。
 サマキャン、卒業おめでとう。

ゆきさんのあいさつ
 卒業式を開いていただいて、どうもありがとうございます。最初、小学4年生で参加したとき、母親が吃音だったから、みんなのように世界中でどもるのは私ひとり、とは思ってはいませんでした。それ以前に、参加したばかりの頃は、あまり吃音に対して深く悩んでなかったんです。でも、毎年すごくおもしろかった。中学生になって、思春期ということもあるかもしれないけれど、吃音が大嫌いになっていきました。ちょっとどもっただけでも嫌で、自分のことがすごい嫌いでした。話せなくなったらいいのになあとか、どもるくらいならそっちの方がいいなあとか、思い詰めたりしていた。中学の頃が一番ひどくて、家族にもあまり相談できなくて、ほんとにサマーキャンプが大事でした。サマキャンがなかったらどうなっていたんだろうと思っています。
 現在は、吃音に対して結構プラスに考えているんだけど、これから人生は長いし、60年くらいはあると思うから、吃音や自分を否定することもあるかもしれません。でも、大事なのは、悩みや欠点を持っていることではなくて、それを克服するとか、一緒に考えてくれる手段とか仲間がいないことの方がすごく大きいと思います。その仲間を持てたことが、サマキャンで一番の財産だと思います。吃音に対してもその他のいろんなことについても、みんなと真剣に語り合えてよかったです。劇も毎年がんばったけど、今年は特に思いを入れてやりました。今年は、女王とおばさんのダブルキャストでお送りしたんですけど、いかがだったでしょうか。
 今、卒業したくないという気持ちです。帰りたくないので、もう1泊したいです。もう1泊するとすると、24時間。睡眠時間8時間、食事とおふろで12時間とって、あと残りは12時間。劇の練習を3時間して、あと3時間話し合いして、とか頭の中で計算してます。ほんとに実行できないのがさみしいです。毎年、3泊4日になってくれ、と思っていました。今年は入試なので、これから勉強をがんばっていこうと思っています。大学もなんですけど、それ以上に厳しい筆記試験と面接に受かって、スタッフになれたら、来年ここに来ます。スタッフの人も、子どもたちも、みんなすごくやさしくて、サマキャンはほんとにいいと思いました。ありがとうございました。

ゆきさんの父のあいさつ
 9年間のうち、私がついてきたのは、記憶が定かじゃないんですけど、5回か6回くらいかなと思います。子どもがどもり出してどうしたらいいか全然分からずに第一回に参加しました。そこで、伊藤伸二さんがどもりは治らない、受け入れなさいと言われました。表面的にはそうなのかなあと思ったんですけど、心の中では治ってほしい、どうしたらいいかというのをずっと思っていました。子どもがサマーキャンプに来て、ほんとに成長していくなあというのは実感しています。
 私自身もいろんなところに欠点のある人間です。からだが固いから、からだほぐしの体操をしたり、子どもの劇の前座のために、大声を出して普段やらないようなことをグループでやったりしました。最初はそれが非常に嫌で、それが嫌でなんか行きたくないなあと思ったりしたんですけど、途中からは少しずつおもしろくなってきました。自分がこういうことで楽しめるようになった、要するに親である私自身が変わってきたなあと思いました。ゆきは、これで最後なんですが、本人はスタッフで是非来たいと言っています。ペーパーテストと面接をがんばってほしいと思います。スタッフのみなさん、本当に長い間、ありがとうございました。

ゆきさんの母のあいさつ
 さきほど子どもの方から紹介がありました、どもりの母親でございます。
 私自身もどもりで、結婚する前の26歳の頃に、東京の正生学院というどもりの矯正所で初めて伊藤伸二さんとお会いしました。私は握手をしてもらっただけなんですけど。伊藤さんは、有名人だったので、その他大勢の中で握手をしてもらったんです。
 私は、どもりであるため、結婚の不安とかいろんな不安をもっていたんです。その後、結婚してどもる人のグループとは離れていたんですが、子どもがどもりになったということで、また、どもる人のグループと自分がつながることになりました。なんか自分は、吃音と永久に離れられないようです。
 子どもが吃音になったということで、また新たに、自分の吃音もみつめるきっかけになりました。子どもと一緒にキャンプに来ることで、自分の吃音もそこで考える時間ができたのです。子どもが吃音になったことを、私はすごく感謝しています。吃音のおかげでこういう場所に来れたし、友達もできました。すごい不思議なことだと思っています。私たちは最初、家族そろってここに何年か来ていました。だんだん他のきょうだいの都合もあって、なかなか家族全員で来ることができなくなったんですけど、今回、ゆきが最後のキャンプとなってしまい、私たち家族はこのキャンプに来れなくなって、これからどうしていったらいいんでしょうか。これから考えていこうと思います。
 ゆきは、もっと長くキャンプをやってほしいとか、勝手なことを言っていました。スタッフの方はお疲れで、もうこれ以上は無理だと思っています。ほんとうに9年間という長い間、子どもを見守って下さって、ありがとうございました。

伊藤伸二 
 卒業生の4人、お疲れ様でした。あいさつがとてもよかったから、推薦入学でスタッフ試験に合格したことを、今、皆様にお伝え致します。
 では最後に、卒業生を送ることば。高校2年生のはるなさんです。

はるなさんのあいさつ
 今、話を聞いていて、すごく泣いてしまいました。一回止まったんですけど、話している途中に泣いたらごめんなさい。
 おととしも、よしのり君とまさき君の卒業式のときに、送辞みたいなことを言わせてもらいました。そのときに、その二人の先輩は、考えること、考えたことを伝えること、自分を表現することの大事さを教えてくれた、ということを話しました。そのこともいっしょにさっき思い出していました。今回、卒業する4人の人たちとは、考えたり自分を表現することをほんとにずっと一緒にやってきたなあと思いました。上の先輩に教えてもらったことを、一緒にやってきました。私が初めて参加したとき、ゆきさんやみほさんはもう何回か参加していて、私は一人で行ったから不安だったけど、最初から分け隔てがなくて、すぐ友だちになってくれました。すごいあったかかったし、みんなで一緒にいろんなことを考えて夜までしゃべってました。いろんな人に迷惑をかけちゃったりもしたんだけど、でも、自分がそれをやっていてすごい楽しかった。2年前、自分で考えることや表現することの大事さに気づけたのは、私がひとりで考えて気づいたことじゃなくて、みんなと一緒に考えて、しゃべって、自分が考えたことを表現することって、ああすごい大事なことだなあと気づかせてもらったんです。ほんとにみんなに成長させてもらい、たくさんの思い出もつくってもらい、大事なことに気づかせてもらったと思います。もしも、ここで今回卒業する4人に会えなかったら、友達同士で大阪に行くなんてことはしなかったと思います。ほんとにいろんな経験ができて、いろんなことに気づかせてくれて、一緒に考えてくれて、一緒に表現し、話してくれて、ありがたいと思っています。長い間、本当にありがとうございました。

伊藤伸二
 僕は、「今日の日はさようなら」という歌が好きなので、今回はそれを歌って、ハミングにのせてちょっとしゃべりたいと思っていたのだけど、時間がなくなりました。僕が16年間、キャンプをやってこれたのは、スタッフとして一緒に取り組むありがたい仲間たちのおかげです。偶然の出会いから、その後何回も来てくれる仲間。大阪だけでなく、遠く関東や九州などから来てくれる仲間。こんな仲間がいるから、キャンプを続けることができています。僕はこの人たちは、何物にも代え難い宝物だと感謝しています。そして、ここで出会う子どもたちや保護者の皆さんにも感謝しています。ありがとうございました。(「スタタリング・ナウ」2005.10.22 NO.134)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/22

第16回吃音親子サマーキャンプ〜卒業した高校生を中心に〜

 「スタタリング・ナウ」2005.10.22 NO.134 は、第16回吃音親子サマーキャンプを特集しています。そのとき、卒業した高校生を中心に、僕のことば、卒業式の様子、卒業証書の文、卒業生のあいさつなど、臨場感を大切にしたテープ起こしのまま、紹介します。
 その年の卒業生は、こういちろう君(高1から3回連続の参加)、よしき君(小6から7回連続の参加)、みほさん(小4から8回の参加)、ゆきさん(小4から9回連続の参加)の4人でした。小学生のときから参加している子もいて、幼く、かわいかった頃から見てきた僕たちにとって、まさに我が子の成長を見る思いでした。
 今年のサマーキャンプを前に、19年前の卒業式を懐かしく思い出しています。

伊藤伸二
 今から、卒業式というか、卒キャン式をします。今年は4人の卒業生がいます。卒業証書授与式です。卒業証書を渡した後、本人に挨拶をしてもらいます。

こういちろう君の卒業証書
 高校1年生から3年生まで、サマーキャンプへの参加は3回でした。回数は少ないけれど、中身の濃い3年間でした。高校1年、初めてひとりで参加したときは、不安だったことでしょう。でも、そのときの出会いがきっとあなたを変えるきっかけとなってくれたことと思います。あなたの夢に向かって大きく羽ばたいてくれることを心より祈っています。
 サマキャン、卒業おめでとう。

こういちろう君の挨拶
 毎年ここで泣くんです。高校1年のとき、ひとりで初参加し、知っている人も誰もいなくて、ちゃんとやっていける不安でしたが、たくさんの人が僕に話しかけてきてくれて、仲良くなってすごく楽しかった。2年目も覚えててもらえるか不安で、怖かったんですが、みんな「よく来たね」と言ってくれた。3年目もみんな仲良くしてくれて、ぼくのことを分かってくれる人がこんなにたくさんいて、やさしかった。
 ぼくは吃音にすごく悩んでいたけど、それ以外にもいろんなことに悩んでいて、それもみんなちゃんと話を聞いてくれた。サマーキャンプに来て、自分でも成長したと思うし、変わったと思う。大切ないい人たちがたくさんいて、本当に来てよかったと思います。ありがとうございました。

伊藤伸二
 こういちろう君は、将来に大きな夢をもっています。どもっていると、それが実現するかどうかという不安をもっていました。それを高校生の話し合いの中で出してみんなで話し合いました。その中で、なんとかがんばれるという力をみんなからもらっていました。

よしき君の卒業証書
 小学6年から高校3年まで7回、吃音親子サマーキャンプに参加しました。とてもやさしいあなたは、よく小さい子の面倒を見てくれました。1年ごとにぐんぐん背が伸びて、会うたびに大きくなりました。夜遅くまで階段の踊り場の隅っこでひそひそ声でしゃべっていたことを思い出します。劇ではいつも見る者をびっくりさせてくれました。思春期まっただ中のあなた、これからも悩んだり落ち込んだりすることはあるでしょう。でもきっと、自分自身で自分らしい道をみつけていってくれることを信じています。
 サマキャン、卒業おめでとう。

よしき君のあいさつ
 今回で7回目です。一番最初は、この地球上で自分のようにどもる人は、自分ひとりしかおらへんとずっと思っていたのに、ここでは幼稚園から社会人までどもる人がいて、いっぱい仲間がいることを実感できたことがよかった。中学生になって、もう吃音のことは、治さんでいい、ぐいぐいとやろうと思っていた。
 ところが、最近いろいろあって、今年の夏くらいから、吃音のことは自分の中でも欠点やと思うようになった。欠点やないと思って生きていこうとしたけど、面接のときに、吃音やから落ちるんじゃないと思うようになった。でも、また今回のキャンプで少し考え直すと、吃音もちゃんとした個性で、個性があるほうがいいと思えました。そりゃ、ちゃんとしゃべれた方がいい、どもらなければそれに越したことはないけど、吃音があることによって、これだけ多くの仲間に会えたとことはほんまにうれしいことやし、みんなが同じような悩みを持っていて、いろいろ相談できたことは、うれしかった。だから、卒業したらスタッフとして参加したい。参加してたら、難しいサマキャンスタッフ試験に合格したんだと思って下さい。小学6年から高校3年まで7回、面倒をみて下さった皆さん、ほんまにありがとうございました。

伊藤伸二
 僕は、すてきなことは、悩まなくなることじゃないと思うんです。今回のキャンプで、よしき君と最初に会ったとき、これまでと違う暗い感じがした。今、悩んでいる時期だったんですね。高校生の話し合いの中で、彼は、今までどもりは欠点じゃないと思っていて、ぐいぐいとやっていたけれど、やっぱり自分のどもりは欠点だ、みんなはどう思うかという話を出した。他の高校生からもいろんな意見が出され話し合った。本人が気がついているかどうか分からないが、彼の発言する前の顔と話し合いが終わったときの顔はずいぶん違っていた。成長は順調に一直線にいくわけじゃない。今はどもっていても大丈夫だと思っていても、後でやっぱりどもりは治したいと思ったり、揺れて苦しんでいくと思う。でも、このキャンプに来て自分の考えをもう一度言って、話し合う。キャンプをそういう場にしてもらえたらなあと思っている。僕らは、悩むということは大切なことだと思っています。
 親ができることの唯一のことは、どもる子どもをサマキャンに送り出すことだと思っていますが、よしき君を毎回、一緒に連れてきて、本人以上にサマーキャンプを楽しんでいたおかあさん、どうぞ。

よしき君の母のあいさつ
 7年間、スタッフのみなさん、一緒にキャンプに参加してお友達になったお母さんたち、ありがとうございました。残念なことに今回で最後になってしまいました。結婚して子どもが生まれる前は、夢にも吃音親子サマーキャンプに来ることは予定に入っていませんでした。よしきが3歳くらいでどもったときに、よしきもびっくりしたかも分かりませんけども、私が一番びっくりしました。どうしていいか分からないままに、6年生まで放っておいたら治ると言われて放っておいたんですけど、それはあかんということになって、このサマーキャンプに来ました。もうどうしていいか分からずにへとへとでした。このサマーキャンプの3日間、最初の日は泣きまくりました。いろんな人に「気持ちが分かる」とか「あなたのせいとちゃうねんで」とか「一緒や、一緒や」とか「一緒にがんばろ」と言ってもらえました。そして、7年も来ることができました。
 よしきに感謝しないといけないことがひとつあります。どもり出したときは、すごくびっくりしたけれども、ここに来てちゃんと吃音のことや、吃音だけじゃなくて、それにつながるいろんなことを勉強させてくれるようになっていたんやと思います。そういう巡り合わせで、よしきはうちの子に生まれてきたんだと思います。よしきがもしどもってなかったら、こんなにいい友達に私も会えてませんでした。私は来年からはもういませんけれど、よしきがまたこちらにお世話になるかもしれません。そのときには、みなさん、なんかまだ子どもみたいですけれど、悪いことしてたら、叱ってやって下さい。
 最後に、よしきに。お母さんはどもってないから、よしきの気持ちは分からないかもしれませんけど、応援をすることには変わりがありません。ほかの人がみんな変やと言っても、お母さんとお父さんは、そんなことは絶対に思ってないということを忘れないで下さい。ありがとうございました。


 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/21

楽しさと喜び

サマキャンの写真 ワークブック表紙 10% 吃音親子サマーキャンプは、今年、33回目を迎えます。また来年、という参加者の声に励まされ、回を重ねてきました。たくさんのどもる子どもたち、保護者、きょうだい、ことばの教室担当者、言語聴覚士と出会ってきました。高校3年生となり、サマーキャンプを巣立っていった子どもたちも大勢います。スタッフとして、またサマーキャンプに戻ってきてくれた子もまたたくさんいます。
 今年の参加申し込み第1号は、すでに受け取りました。詳しい案内、参加申し込み書は、日本吃音臨床研究会のホームページからダウンロードできるようになっています。
 竹内敏晴さんの定例レッスンの事務局をしていたとき、竹内さんの「からだとことばのレッスン」をぜひ体験してほしいと思う人に、僕はいつも、「竹内さんだって、いつまでもレッスンができるわけではないから、できるだけ早いうちに一度は経験しておくといいよ」と勧めていました。吃音親子サマーキャンプも、いつまで開催できるか分からないから、一度は経験しておくといいよという気持ちです。ホームページには、吃音親子サマーキャンプに関して話している動画もありますし、DVDもあります。DVDについては、お問い合わせください。
 ご一緒できること、楽しみにしています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2005.10.22 NO.134 の巻頭言を紹介します。2005年、第16回のサマーキャンプを特集している号の巻頭言です。

楽しさと喜び
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「日頃どもることで苦戦をしている子どもたちに、楽しさをいっぱい与えるキャンプにしたい」
 「吃音と向き合い、苦しい中にも、何かひとつのことをやりあげ、そこから子どもたちが喜びを見い出すキャンプにしたい」
 吃音親子サマーキャンプを始めた数年ほどは、ある児童療育施設の言語聴覚士のグループと実行委員会を組んでの取り組みだった。この言語聴覚士のグループは、「楽しいキャンプ」を強く主張した。吃音についての話し合いや、厳しい劇の上演に取り組むより、遊びが主体で、表現活動をするにしても、自分たちでシナリオをつくり、楽器を使って楽しい無理のないものにと主張した。
 どもることで苦戦している子どもたちにとって、同じようにどもる子どもと出会うこと、そのことだけでも大いに意義あるものには違いない。
 しかし、吃音に苦しみ、吃音に向き合うことで吃音と共に生きる道筋に立つことができた私たちが取り組むキャンプは、難しいかもしれないが、一歩踏み込んだものにしたかった。楽しいだけのものにはしたくなかった。吃音と向き合い、苦手なことに挑戦し、そこで得られる達成感や充実感によって自信をもち、生きる力や吃音と向き合う力、表現する力が育つきっかけとなるようなものにしたかった。そこに子どもたちは喜びを見い出すだろうと信じていたからだ。
 このように、臨床家とどもる人間である私たちとのキャンプに対する基本姿勢はかなり違い、実行委員会は常に激論が交わされた。第一回のキャンプから、話し合いや、劇の上演は取り組まれていたものの、私たちとしてはかなり譲歩した内容で物足りなさを感じていた。数年後、いろいろな事情が重なり、そのグループと離れ、私たち単独の取り組みになったとき、現在の吃音親子サマーキャンプの原型ができあがった。それから10年以上、プログラムはほとんど変わっていない。
 初日の夜に第1回の90分の話し合い。2日目の午前中の90分は、作文教室でひとり吃音に向き合う。その後2回目の90分の話し合いがある。話し合うグループは年齢別に分かれ、ファシリテーターとして、臨床家とどもる私たちの仲間が入る。数年前、作文の時間に泣き出し、後の話し合いに参加できなかった女子高校生がいた。吃音でいじめられた体験がよみがえり、苦しくなったのだ。その後の話し合いには加わらず、ひとりで2時間ほど散策していた。その後は、劇の練習に加わり、精一杯演じた。「小さな子どもたちが劇に一所懸命取り組んでいる姿に、私もがんばろうと思った。今、とても気持ちが楽になった」と語っていた。
 話し合いも、ひとりで吃音に向き合う作文も、心楽しいものではないだろう。劇にしても、プロの演出家である竹内敏晴さんの脚本・演出で取り組む本格的な劇だ。大人のスタッフが合宿で竹内さんの演出指導を受けて取り組む。話し合いや遊びの時にはどもらなかった子がセリフを読み始めるととたんにひどくどもり、泣き出すこともある。
 このように子どもにとってキャンプは楽しいだけのものではない。しかし、子どもたちはもっと話し合いたい、劇が楽しかったと言う。ほとんどの子どもが最後までやりきる。
 楽しいキャンプも子どもたちにとって素晴らしいものには違いないが、それは与えられたものを受け取っているに過ぎない。私たちのキャンプは、子どもたち本人の努力が伴う。少し困難な課題に取り組み、それをみんなで成し遂げた達成感は、自信となり、次の課題に挑戦する力となる。キャンプで育った子どもたちは、思春期に再び苦しみ悩むという揺れは経験しながらも、「吃音を生きる」という道を確実に歩み始める。
 今年、キャンプを卒業した4人の高校生。どもることを恥ずかしいものと考え、吃音を隠すために話すことを避けて、劣等感を募らせ、みじめで暗かった私の高校生活とは全く違う子どもたちの明るい笑顔に、キャンプに楽しさだけでなく喜びを自分の力で見い出した子どもたちの素晴らしさと、その場を共に経験できた幸せを思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/20

我の世界

 2004年の第4回臨床家のための吃音講習会での梶田叡一さんの話を紹介してきました。話の流れを優先させたので、「スタタリング・ナウ」2005.9.18 NO.133 の巻頭言の紹介がまだでした。
 吃音に悩んでいるとき、吃音が占める割合が大きくなり、「どもる私」が全面に出てしまいます。もっといろんな私がいるはずなのに、どもっている私だけが大きくクローズアップされるようです。映画監督の羽仁進さんは、「どもる人の奥にある世界を豊かにしよう」とメッセージをくださいました。梶田叡一さんも、内面の自分としっかりと向き合い、それを豊かにすることを提案してくださいました。
 僕も、まだまだ我の世界を磨くことはできそうです。

  
我の世界
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 吃音は他者との関係の中ではじめて問題となる。どもることで息が苦しくなったり、からだが緊張することはあっても、どもること自体で苦しむことはない。どもった私を他者がどう見ているか、感じているかという他者の視点、評価が気になって悩むのである。
 私たちはどもることを他者から指摘されたり、笑われたりすることで、否応なしに、他人の目を意識せざるを得なかった。社会と向き合う私の前面には常に吃音が立ちはだかった。吃音を通して他者や社会をみつめていたことになる。子どもの頃から、社会に適応するために、我々の世界に生きるために、どもらずに話せるようになりたいと願ってきた。
 社会に適応する力は必要だが、そればかりにからめとられると、肝心の我の世界がおろそかになる。社会と向き合うときのどもる私は、私のごく一部にすぎないのに、吃音に深く悩んでいたときは、その吃音が私の全てを代表しているかのように思っていた。どもる・どもらないとは無関係の自分の豊かな我の世界があるはずだ。話さなくても我の世界を楽しむことはできる。楽器やスポーツやダンス、何かを育てたり作り出す、絵を描く、好きな音楽を聴く、本を読む、映画を観るなどたくさんのことができる。
 学童期、劣等感にからめとられていた私は、エリクソンの言う勤勉性が全くなかった。勉強もせず、友達と楽しく遊ぶこともなく、学校やクラスの役割も引き受けなかった。当時の通信簿には、そうじ当番をよくさぼると記されている。本読みや発表ができなくても、話さなくてもいいクラスの役割はあったはずなのに、私はしなければならないこと、したいことをせず何事に対しても無気力になっていた。
 思春期の私は社会に適応したいと願いながらできなかった。ゆえに私は孤独であった。このことが後になってみると、ある面では私に幸いしたらしい。本当はしたくないのに友達に合わせて時間を浪費することはなかった。周りに合わせようとしていたら、多くの無駄なエネルギーを費やしていたことだろう。
 私は、仲間を必要とせず、社会にも合わせようとせず、ひとりの世界に入っていった。孤独の辛さを紛らわせるために、私は映画と読書にのめり込んだ。中学生から映画館に入り浸った私は、1950年代の洋画全盛時代のほとんどの洋画を観ている。ジェームス・ディーンの「エデンの東」に何度あふれる涙を流したことだろう。世界・日本文学全集と言われる多くを読んで、自分では経験できない世界を味わった。我々の世界に入れず、不本意ながら我の世界の中に入り込んでいったものが、今私が生きる大きな力になっている。
 人間関係をつくりたくて、夜のコンビニエンスストアを俳徊し、たむろして時間をつぶす若い人たちを見て、私は吃音に悩むことによって内的な世界に入ることができた幸せを思う。
 私のように不本意ながらではなく、我々の世界に適応することはしばらくの間は諦めて、奥にある内面の自分としっかりと向き合い、それを豊かにすることだけを考える時期が必要なのではないかと最近考えるようになった。自分の喜びや楽しみのために、能動的に時間を使うのだ。私の場合、我々の世界に未練を残しながらの中途半端なものだった。それであったとしても私にとってよかったと思えるのだから、我々の世界に合わせることをとりあえず一時期断念し、自分に向き合い、自分を豊かに育てるのだ。
 楽しみを豊かに持つことは、自分自身の根っこの中の自信となっていく。その自信があってこそ、どもっていても大丈夫、「私は私だ」と、奥にある豊かな世界を意識しつつ生きることができるのだろう。
 子どもの頃から否応なしに我々の世界を意識せざるを得ないからこそむしろ早く、我々の世界に適応することはとりあえず置いておいて、我の世界を豊かにする。それは、我々の世界に生きるには周りからはマイナスのものと思われているものを持っている人々の特権ではないだろうか。
 国際吃音連盟ではどもる著名人をリストアップして、ホームページに掲載しようとしている。どもるからその人たちは一芸に秀でたり、成功したりしたのではない。どもる、どもらないにかかわらず、自分の奥にある内的な我の世界を大切に生きたからこそ、様々な分野で活動ができたのだ。このリストアップの動きが、「どもってもいい。我の世界を大切に生きよう」という声に結びついていけばいいのだが。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/19

我の世界と我々の世界 2

 吃音講習会の時の梶田叡一さんのお話を紹介してきました。
 僕が梶田さんを講師として講習会に来ていただきたいと仲間に提案したとき、当時、京都ノートルダム女子大学学長でしたが、忙しい学長職の人に断られるに決まっているという人がほとんどでした。島根県松江市での開催なので、合宿の形式にした40名ほどの参加者の講習会です。僕は、梶田さんの本はたくさん読んでいました。そのことを強みにして、梶田さんの出身が松江市だということを手がかりに、心を込めてお願いの手紙を書きました。すると、「小さな集まりが好きなので行きますよ」と快諾してくださいました。その言葉通り、たくさん話をし、質問に答えて、また話していただくという、とても贅沢な時間を過ごしました。お酒が好きで、夜遅くまで話につき合っていただきました。本棚にあるたくさんの梶田さんの本を眺めては、懐かしく思い出しています。
 我の世界と我々の世界を行ったり来たりしながら自由自在に生きること、僕自身は、かなりそうできているのではないかと思います。21歳からは、自分の納得のいく人生を歩いてきました。
今回で、梶田さんのお話は終わりです。(「スタタリング・ナウ」2005.9.18 NO.133)

第4回臨床家のための吃音講習会・島根 2004.8.7
    我の世界と我々の世界
                梶田叡一(現・兵庫教育大学学長)特別講演


自由自在に生きる
 自由自在に生きるということは、自分のいろんな条件が完備することではありません。事実は変わらないのです。不完全で不満足な条件を、パーフェクトではないものを与えられて、私の命が機能しているわけです。だったら、自分に与えられたものは存分に楽しんだらいいし、ないものねだりをしてもしょうがないと思うのです。ないものねだりが一番いけないです。どこへ行っても私は私のペースで私なりに生きていく。だからといって、世の中のネットワークから自分だけ逃がす必要はない。世の中のネットワークは大事にする。そして、仮の主語として、我の世界は、とっても大事。しかし、世の中のことも、自分自身のことも、どちらも、どこかで、「まあいいか」と思えること。一所懸命になりすぎるのがいけない。できれば死ぬときに、ああ、いい一生だったなあと思って死ねるかどうかです。
意識としての自己 梶田叡一 今、お話したことは、私の本『意識としての自己』(金子書房)の中に書いております。また、見て下さい。
 私はどういう者だとか、私は自信があるとかいう自己概念は、結局自分の意識の中のあるひとつのあり方でしかなくて、事実の問題じゃない。意識の中での、主語述語の組み立て方の問題です。若いときからあまり死ぬことにとらわれたらいけないですが、ときどき、自分が自分だけの固有の命を生きていることを思い出すときには、死ぬんだよなあということを思えばいい。勲章をもらっても意味ないし、私も伊藤さんも本をたくさん書いているけれど死んでしまったら、ほぼナンセンスな話です。どういう所に住んで、家族は何人いたなんて、どうってことないことです。まして、吃音があったかどうかなんて、死ぬということと比べたら別にどうってことない話です。
 ひとつは世の中での価値、我々の世界での価値観があるけれど、これを一度全部ちゃらにしてしまう。もうひとつの我の世界の価値、たとえば私は石川さゆりがいいとか、私の中での価値観ができている。最後はそれもちゃらですよ。一度全部ちゃらにして、物を考えるためにはメメントモリという死ぬということを考えたらいい。自分が死んでしまうのではなく、頭の中での考えた死です。生きている間は死ということにこだわって、とらわれて、つかまえられて、意味づけとして、死という事実があると考えたらいい。私は人生をこう意味づけると考える。そして、くれぐれも言いますが、死ぬことだって、私に責任がある話じゃない。もっと言えば、今、生きていることだって、ほんとは私に責任ないです。そう思ったら楽でしょ。これが自由自在に生きるということです。

位置づけのアイデンティティ
 心理学の本を見ますと、アイデンティティということは、たとえば自分は男だとか女だとか、自分は学校の教師だとか、そういう我々の世界での位置づけのことを言っています。
 年齢も全部我々の世界の符丁です。性別も、役割も、自分は長男だ、何人子どもがいる、親と一緒に住んでるとかが、普通アイデンティティです。それが自己概念なんですが、自己概念の中で一番自分中心的面、たとえば私にとって一番中心的面は、学校の教師であれば、それがアイデンティティになる。これが〈位置づけのアイデンティティ〉です。
 我々の世界のネットワークの中で、世の中から与えられた、いわば符丁、シンボル、サイン。こういうものの中で、私をどう規定していくかです。吃音も、世の中で、そういうカテゴリーを与えられて、そういうものかと思っている。ダウン症だって、引きこもりだって、登校拒否だってそうです。世の中で生きていく上で、全部ちゃらにする必要ない。事実として知っておけばいいが、これにこだわらなくするにはどうしたらいいかがひとつの大問題だと思うんです。事実であっても、それにこだわると、ちょっと窮屈なところがある。上手に世の中からはみださない形で、どうやってそれにこだわらないようにするかです。
 私は親だけれども、自分のアイデンティティを親にすると、窮屈になります。親でもあるけれどなあ、ということです。私は教師だとなると、日本ではなんとなくいい子をしていないといけない感じになる。自分の全存在が位置づけの間にからめとられたら、こんなつまらないことはありません。これが、最初の罠です。

宣言としてのアイデンティティ
 この罠から抜けるためには、〈宣言としてのアイデンティティ〉が必要です。
 「教師でもあるけれど、なんとかでもある」という何かを出していく。便利な宣言としてのアイデンティティとして、私は男だ、女だ、何歳だ、「教師だと言われるけれど、私は人間だ」と言います。「私は人間だ」というのは、位置づけとして相対化するには一番いいでしょう。それでなくて、人には分からないけれども、こういうものだという宣言を自分の中で、もったらいい。教師だとか女性だとか、あるいは親だとかなんとかだという前に、「私はこういうことが私にとって、自分のコアになるんだ」というものです。一番簡単なのは、「人間だ」ということです。
 位置づけのアイデンティティで、他の人がどう自分を呼ぶかを知っておいた方がいい。だけども、それを乗り越えて、がんじがらめにされない。私というものを意識化する。一番自由自在に生きるとしたら、「私はカモである」とか、「空気である」と言ってしまえばいいが、あんまりそれをやると、「熱、あるんじゃない?」と言われてしまう。上手にTPOを見て言わないといけない。人には言わないで、自分でもっていたらいい。「私は水でありたい」とか、「風でありたい」とか。そういう宣言としてのアイデンティティを自分なりに作っていけるかどうかは、とても大事です。宣言としての自己意識、自己概念です。自分が自分とっきあって、自分と対話して、私ってこうなんだから、という土台になるような自己概念です。
宗教教育、宗教的なこだわり宗教ということばを使うと、戦後は、みんな、疎ましく思うようでほとんど勉強することはない。だけど、私はあえて言うけれども、特に障害のある子にかかわるとか、命の問題を考える時、宗教をぜひ勉強してみて下さい。これが、一番関連の深い文化です。
 お釈迦さんだって、なぜ出家したかと言うと、自分が死ぬということ、病気の人がいるということ、などからでしょう。しっかり勉強して、資格をとって、肩書きもできて、大きな家にも住むという右肩上がりの単純化した人生を考えていくと、命の問題は分からない。障害をどう意味づけるかは分からない。人間の一生は、右上がりじゃないと言っているのが宗教です。この宗教でないといけないという宗教心は嫌いです。でも、大きな宗教思想家はいい。
そういう人のものはぜひ皆さん、読んでみて下さい。
 道元や親鶯です。親鷺はぜひ『歎異抄』を、読み返して読み返して下さい。易しい例と易しいことばで、あんなに深いものはないと思います。『歎異抄』を読んでいくと、道元も分かってきます。道元は難しい難しい本ですが、読んでいくと、聖書の中に出てくるイエスのことばが分かるようになります。
 なぜ、幼子の如くならないといけないのか、なぜ野の花を見よというのか、です。いろいろなことで思い煩っているけれど、この花は、誰がどうしたわけでもなく、本人が美しく咲こうとか思ってるわけじゃないのに、こんなに素晴らしい花を咲かせているじゃないか。命の自己展開です。命は自己展開するんです。ユダヤ民族をもった伝説的なソロモン王朝のときの栄耀栄華のときよりも、この花は、はるかに美しいじゃないか、というわけです。
 道元を読み、親鷺を読み、あるいは聖書を読んで下さい。ほかにもすばらしいものがいっぱいあると思いますが、ぜひお読みいただきますと、結局は、この意味づけ、こだわりというのを深く考えていくということが自分の中でできるようになるんじゃないかなと思います。ですから、私は、宗教教育をこれから本当にやらないといけないと主張しているんです。
 何宗の教育でなく、宗教をひとつは文化の問題としてとらえたいのです。教育改革の論議のなかでもずいぶん言いました。そしたら、宗教教育は結構だけれど、宗派でない宗教をだれが教えるのかと言われる。確かに道元や親鷺、イエスなどの宗教的な天才のような思想家のことを、自分でこだわって、勉強して、小学校、中学校、高校で、大学で、宗派的でなく、教えることができる人が日本でどれくらいいるか、と言われました。でも、私はあえて言いますけれど、そういうこだわりを、いろんな意味での、広い意味での教育に関係する人が、宗教的なこだわりを持ってほしいなと思います。

質問 位置づけのアイデンティティは、よく分かりました。宣言としてのアイデンティティみたいなものは持っているような気がするんですが、それを自己中心的なものと勘違いしてしまう危険性はあると思うんです。それを越えて、第3段階の目覚めという本当の本質、本源的なもの、そういうものを持つコツのようなものがあるんでしょうか。
梶田 コツは多分ないだろうけれど、そういうものがあるんだろうなあということを自分の頭の中のどこかで前提にしておけば、自然にそういう方向に近づくと思うんです。
 頓悟と漸悟ということばがあります。頓悟というのはある瞬間に、たとえば石がぱちっという音がしただけで、それに気がついた、悟りを開いた、というものです。まあそれは、そういう人たちに任せておいて、私たちは、漸悟です。漸悟とは、少しずつ少しずつ、ものが見えてくるということです。自分がまず我々の世界に目覚めてからです。世の中というのがあって、自分勝手はいけないよねというのが分かってくる。しかし、自分が生きなきゃしょうがないよね、となる。結局両方をどうやって生かすかという工夫をしないといけない。工夫していくけれど、我々の世界に生きるとか、我の世界に生きるとか、私が生きるみたいな、そこも乗り越えないと、どこかしんどいよねという筋道が見えていれば、私は徐々にそういうふうになっていくと思うんです。
 だから、私は宗教的な神話として、いろんな、ある瞬間に悟ったという、目が見えるようになったという頓悟の話があるけれど、私はそういうことにこだわる必要は全くないと思います。

梶田叡一さんの紹介
 1941年島根県松江市に生まれる。京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業。大阪大学人間科学部教授、京都大学教授、京都ノートルダム女子大学学長を経て、現在兵庫教育大学学長。
主要図書『自己意識の心理学(第2版)』(東京大学出版会)『生き方の心理学』(有斐閣)『内面性の心理学』(大日本図書)『生き方の人間教育を』(金子書房)など多数。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/18
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