今日は、6月30日。今年の半分が終わろうとしています。時間が経つのが、怖ろしく早いです。7月には、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、8月には、吃音親子サマーキャンプと続きます。どちらも、参加申し込みが届き始めました。出会いを楽しみに、準備を進めています。
さて、斉藤道雄さんと出会うことになったきっかけの文章を紹介しました。最後に、もう一度、「報道の魂」という番組に戻ります。言語障害の分野では少数派の僕ですが、こうして、他の領域、ジャンルでは、深く理解し、応援してくださる方がたくさんいらっしゃいます。そのことに力を得て、歩き続けてきました。
「報道の魂」に対する斉藤さんの思い、毎日新聞の記者である荻野祥三さんの文章、そして、番組を観た2人の感想を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/30
さて、斉藤道雄さんと出会うことになったきっかけの文章を紹介しました。最後に、もう一度、「報道の魂」という番組に戻ります。言語障害の分野では少数派の僕ですが、こうして、他の領域、ジャンルでは、深く理解し、応援してくださる方がたくさんいらっしゃいます。そのことに力を得て、歩き続けてきました。
「報道の魂」に対する斉藤さんの思い、毎日新聞の記者である荻野祥三さんの文章、そして、番組を観た2人の感想を紹介します。
◇斉藤さんから周りの人たちへのメール
この秋から、ささやかに新番組をはじめることになりました。初回放送は以下のとおりです。
番組名「報道の魂」 内容「吃音者」
10月17日(月曜日)午前1時20分〜50分
放送エリア 関東地区のみ(関東以外のみなさん、申し訳ありません)
以下は、番宣コピーです。
しゃべるという簡単なことが、簡単にはできない。それが、吃音者の悩みだ。しかしほんとうの悩みは、吃音を見る「まなざし」のなかにある。当事者を、時には鎖のように縛りつけているこのまなざしは、「治さなくてもいい」といった瞬間に瓦解する幻影かもしれない。どう治すかではない、どう生きるかだという吃音者、伊藤伸二さんを取材した。
おそろしく地味な番組です。時間もよくありません。このメールをお送りしているほとんどのみなさんは、こんな時間に起きてはいらっしゃらないとよく知っています。でも、こんな時間だからこそ、まるで解放区(古い!)のように、視聴率を考えずに(!!)ドキュメントを作ることができました。ので、よろしければ録画してご覧ください。伊藤伸二さんという、すてきな吃音者と、その仲間たちに出会えます。斉藤道雄
◇ブロードキャスト 深夜の「報道の魂」=荻野祥三
「泥つき大根の青臭さを感じさせる番組です!」。新番組の資料にそう書かれている。TBSで16日の深夜(17日午前1時20分)からスタートする「報道の魂」である。「魂」とは、また古風な。
一体どんな中身なのか。
1回目のテーマは「吃音(きつおん)者」。吃音とは「物を言う際に、声がなめらかに出なかったり、同じ音を繰り返したりする」などと辞書にある。番組は、日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さんの独白で始まる。「国語の時間が怖くて、学校に行けなくなった……」。ナレーションが「伊藤さんは吃音者、つまり、どもりである」と続ける。
「どもり」は、通常はテレビでは使わない言葉だ。新聞でも「気をつけたい言葉」とされ「言語障害者、吃音」と言い換える。ただし「差別をなくすための記述など、使わなければならない場合もある」とも「毎日新聞用語集」に書かれている。番組の中では、ある吃音者が「意味は同じなのに、どもりを吃音と言い換えることで、かえって差別されている感じがする」と語っている。
伊藤さんは大阪を中心に、さまざまな活動をしている。その精神は「どもりを隠さず、自分を肯定して、明るく前向きに生きること」にある。吃音の子供たちを集めたサマーキャンプでは、子供たちが同じ仲間たちと話して、心が解き放たれていく様子がうかがえる。
登場する全員が「顔出し」。モザイクをかけずに自分を語る。タイトル以外には、音楽も字幕もない。一カットが長く、じっくりと話を聞ける。画面をおおう青やピンクの字幕。けたたましい効果音。そして、長くても15秒ほどで次の人に代わるコメント。そんな「ニュース・情報番組」を見慣れた目には、粗削りな作りに見える。だから「泥つき大根」なのかと納得する。「報道の魂」は月1回の放送。それにしても「今なぜ?」。来週もこの話を続ける。
毎日新聞 2005年10月15日 東京夕刊
◇◆◇◆◇番組をみての感想◇◆◇◆◇
「できないこと」でつながる
平井雷太(セルフラーニング研究所代表)
今は10月17日の午前2時。1時20分からの30分のドキュメンタリー番組『報道の魂・吃音者』を見たところです。伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会会長)から、この番組のことを聞いたのですが、ディレクターは私が「ニュース23」に出演したときと同じ、斎藤道雄さんでした。
斎藤さんは、精神障害者の作業所「べてるの家」や聴覚障害の報道に取り組まれていた方ですが、應典院(大阪市)というお寺が出している小さな冊子(私も登場したことがある)に掲載されていた伊藤さんへのインタビュー記事を偶然に読まれて、今回のドキュメンタリー番組の製作になったということでした。
つい最近、伊藤伸二さんが主催する2泊3日の「第11回吃音ショートコース―笑いの人間学―」の合宿に参加してきたばかりなので、出演されていた方は会ったことのある方がほとんどでしたが、圧巻だったのは、そこに登場していた子どもたちでした。
今年の夏の吃音親子サマーキャンプで、そこに参加していた子どもたちは、テレビカメラに顔をさらしながら、じつに堂々と、自分の吃音体験を赤裸々に語っていたのです。困っていることや悩みがあっても、それを明るく語っているのですから、いままで見たことがない子どもたちの姿に驚きました。そして、以前、観た「べてるの人たち」の映画のなかで、「分裂が誇りだ」と語る人がいましたが、私はべてるの映画を観た次の日から、人前で、自分がそううつ病体験を語るようになっていました。もし、私が子どものときに、今回のこの「吃音者」の映像を観ていたなら、人前でもっと早い時期に私の吃音体験を語るようになったでしょうか?わかりません。とにかく、私が人前で自分の吃音体験を語るようになったのは、50歳すぎて伊藤伸二さんに会ってからですから、自分の問題を語ることで、自分の深いところを見つめ、人は人になっていけるのだとしたら、吃音であることは本当はめぐまれたことなのではないかとさえ思わせるような映像になっていました。
また、このキャンプは16年続いていて、それに出続けてきた子どもたちのうち、高校3年生の4人が卒業ということで、キャンプの最終日にみんなの前であいさつをしている場面がありましたが、18歳の青年が泣きながら話しているのです。感動が伝わってきましたから、こんな映像が吃音でない子どもたちにさりげなく届いたらいいのにと思いました。それにしても、子どもと大人で、こんなに長期にわたって関係を持ち続けることができるのも、吃音が媒介になっているからなのでしょう。また、このキャンプには参加している大人のなかにも吃音者がたくさんいましたから、吃音者と吃音を治す人という関係がないのも、子どもが自分を語りやすい雰囲気を醸しだしているのだと思いました。
「できること」でつながる関係よりも、「できないこと」でつながる関係のなかにこそ、「安心」の二文字が潜んでいるような気がします。(月刊「クォンタムリープ」の考現学)
あらためて感じる、映像の力
西田逸夫(大阪吃音教室 団体職員)
「報道の魂」の初回を見た。サマーキャンプの子どもたちの、元気な笑いと暖かい涙を見た。伊藤さんが爽やかな笑顔で、吃音で悩んだ日々の記憶を語るのを見た。これをテレビの前で、多くの吃音者や、吃音の子どもを持つ親たちが見たんだろうな。これからも、口コミでこの番組のことを知った人たちが、録画を探して見るんだろうな。そんな風に思うことで、大きな安堵が僕の胸に広がった。映像の力って凄いと、改めて感じた。
もうこれまで、長いあいだ僕は、一種のあせりを感じて来た。インターネットで「吃音」とタイプして検索すると、現れる画面には苦しくつらい体験記があふれている。いや別に、つらかった体験を書くのは構わない。むしろお奨めする。けれども、ひたすらつらい、苦しい、分かってほしいと訴えるメッセージを読んでいると、こちらの気持ちが塞がって来る。吃音を、避けるべきもの、隠すべきもの、治すべきもの、克服すべきものと、ひたすら攻撃するメッセージを読んでいると、何だか気持ちがすさんで来る。もっと違う見方があるのに、吃音は単に治療や克服の対象ではないのにと、僕は思い続けて来た。
数年前に吃音関係図書のホームページを始め、やがて大阪スタタリングプロジェクトのホームページ管理を引き受けた。それでも、吃音治療を目指す声に満ちているインターネットの世界で、「吃音と向き合おう、吃音とつき合おう」と言う伊藤さんはじめ僕たちの声は、まだまだとてもか細いものだ。大阪吃音教室に通って、真剣に話し合ったり底抜けに笑ったりしながら、頭の隅ではこれまで、こんな今の日本の、いや世界の状況が、ずっと気に懸かっていた。何とか多くの人たちに、僕たちのメッセージを届けたい、と思いつつ、力量不足を感じて来た。「報道の魂」の初回は、そんな僕の長年の懸念を、一気に払拭するものだった。
うわさに聞く斉藤道雄プロデューサーは、凄い映像をこの秋の深夜、関東の人たちに贈った。この番組を見て、僕たちにすぐに近付いて来る人は少数だろう。治そうとせずに向き合うという吃音とのつき合い方に、とまどいや反発を感じる人も多かろう。でも、こういう考え方もある、こういう考えで活動している人たちがいるというメッセージは、そんな人たちも含めた多くの人々に、やがて届いて行くだろう。そんな確信を、僕は持った。
ところで、「報道の魂」の画面に、僕はある種のなつかしさを感じた。近頃のテレビ番組によくある、見るものの気持ちをあおるようなBGMがない。わざとらしい効果音がない。画面を覆う字幕がない。シンプルでいて、カメラの向こうの人物がストレートにこちらに語りかけて来る、見やすくて訴える力の強い番組になっていた。古いタイプの、でもとても新鮮な味わいのドキュメンタリーだと感じた。良質のものに触れた満足感を、味わえる番組だと思った。
(「スタタリング・ナウ」2005.11.22 NO.135)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/30