伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2024年04月

私の聞き手の研究 3

 水町俊郎さんのお話のつづきです。
 どもる症状ではなく、どもる人やどもる子どもに焦点を当てた研究です。日本吃音臨床研究会や大阪吃音教室、日本放送出版協会発行の『人間とコミュニケーション』や第1回吃音問題研究国際大会など、僕たちの取り組みを紹介してくださっています。

  
私の聞き手の研究 3
                   水町俊郎(愛媛大学教授)


私の聞き手の研究

 それでは聞き手の研究の概要について話します。
 私は心理学的な観点からの研究をしていましたので、吃音者のパーソナリティについて関心がありました。吃音者のパーソナリティに関する今までの研究を、自分なりにずっと過去にさかのぼって文献を調べました。調べるとたくさんの研究がありました。吃音者に対していろんなパーソナリティテストや観察をした結果、吃音者に非吃音者とは違った独特なパーソナリティがあるという事実はないというのが結論なんです。
 吃音のパーソナリティに関する研究で、どもる人とどもらない人に差はないが、違った観点からの研究、つまり、周囲の人は一体どもる人をどういう人間だととらえているかという周囲の人のイメージの研究に関しては、おもしろい結果が出ました。吃音者は、周囲の人によっては違ったとらえ方をされていることが多かったんです。どもらない人より暗いとか、社会性に乏しいとか、神経過敏であると見られているとか、私はそれに非常に関心を持ちました。
 吃音者に直接調査したりテストしたりすると、非吃音者とは変わらない結果が出ているのにも関わらず、周囲の人は吃音者をなんか独特な存在として見ている側面がある。私はそれに非常に興味を持ち、日本でもやってみようと思ったんです。アメリカを中心にした、聞き手に関する研究は、シルバーマンという人が作成したと思うんですが、25項目の質問だけなんです。それぞれに関して、例えば、劣等感のある、真面目か、などを5段階にわけて、どもる人はどのあたりか、と聞いていく。私は聞き手の態度を調べるには、そんな少ない項目では、把握できるはずがないと思いました。それで事前調査もして、質問項目を80項目に作り直しました。項目を増やすと、今までにはとらえることができなかった聞き手の吃音者に対する態度が把握できるかもしれないと考えたのです。
 その結果、どもる子どもはどもらない子どもに比べて、「緊張しやすい」、「おどおどしている」、「消極的である」、「自信がない」など、ネガティブな特性を持っているようにみられている面は確かにあるけれども、それだけではありませんでした。もう一方に、「責任感がある」、「根気強い」、「礼儀正しい」、「誠実である」、「親切である」など、ポジティブに評価されている面も、少なからず、あることが明らかになりました。アメリカの研究では、マイナスの側面からしか周囲は見ていないという結果だったのに、私がやり直してみると、そういう面もないことはないが、逆にどもる子どもたちの方が、高く評価され、好ましいものを持っていると見られているという側面もあるという事実が明らかになったのです。
 今度は、どもる人に対する周囲の今までもっているイメージ、見方が、吃音者がどもっているところを実際見たり聞いたりすることによって、変化するのかしないのかを調べました。
 まず吃音に対してどういうイメージを持っているかを調査をします。そして、次にビデオで小学校5年の男の子が、非常にどもりながら文章を3分15秒かかって読んでいる場面をずっと見せます。どもっている場面を、映像で見せたり、聞かせたりして、今度は、その直後にまた、先程の調査をして、ビデオを見る前と見る後で、変わったのか、変わらないのか、変わっているとしたら、どういうふうに何が変わっているか、どの項目が変わっていたのか、それからどういう方向へ変わったのかを調べました。
 そうすると、ビデオを見て、視覚・聴覚的な情報が入ってきたときの方が変化がたくさん出ました。変容の方向については、どもる子どもに対する見方が、物事へのとりかかりが遅いというように、ネガティブな方向へと変化していく項目もありましたが、実はそういうネガティブな方向へよりも、ポジティブな方向に変わった項目が多かったのです。例えば、「最後まであきらめない」、「情緒が安定している」という方向に評価が移っていきました。引っ込み思案ではないというように、ポジティブの方向へ変化した項目の方が多かったのです。
 私の、聞き手の態度に関する研究では、アメリカあたりの研究とは基本的に違って、ネガティブだけに見られてるんじゃなくて、ポジティブの面から見られてるものもある。実験条件を入れて、どもってる場面を見ることで、むしろ理解が深まるという方向へと変わることもある。これらの事実を明らかにしたということになると思います。
 このように、吃音は周囲からもちろん笑われたり、馬鹿にされたりこともある。しかし、人さまざまだから、いろんな人がいる。いろんなことを言ったりしたりする人がいる。どもっている時に、確かに目をそらしたり、何か変な態度をとる人もいる。それらは全てどもった自分に対するネガティブな反応に違いないと、どもる人の多くは思うかもしれない。けれども、実は聞き手の側に立つと、目をそらす態度も人によって違う。たとえば、相手がどもっているとき、どういう態度をしたら、あの人を傷つけないで済むだろうかなどと、気をもんで下を向いたり、目をそらしたりすることもあるし、相手に対する誠意や配慮であったりすることもある訳です。それをすべて、聞き手の反応を自分がどもりであるということに対するネガティブな反応だととってしまう。吃音者自身が、そういう色メガネで周囲をみるということもあるんじゃないかという指摘は、実は、吃音者自身の中からもちゃんと洞察して出てるんです。
 1975年の出版の本で、伊藤伸二さんが、内須川洸先生、大橋佳子さんと出された『人間とコミュニケーション』(NHK放送出版協会)があります。その中に、自ら吃音者であったマーガレット・レイニーという女性のスピーチセラピストのことが書いてあります。彼女が吃音の講演をし終わって資料を片付けていたら、一人の青年がこつこつとやって来て、「先生、ちょっと」と何かいろいろ質問をし始めた。自分の周囲は自分が吃音であるということで馬鹿にしている。さげすまれてることばっかりだということを切々と言う。その時のことをレイニーは、次のように書いています。
 「彼にとって肝心なことは、自分が自分自身を、吃音者である自分自身をどう思っているか、と自問自答することでしょう。それをしないで、相手がどう思うだろうかと考えるのは、まさに馬の前の荷車です。馬に荷車をつけて動かそうとしても馬が動かない。よく見ると、馬の前に荷車をつけていたから、馬は先に行かないんだ。自分がそれをしているのに、気づいていない、つまり肝心なことを見落としていることに気づかずあせっているのでしょう。恐らく、自分自身に最もひどい批評を下しているのは、彼自身だったのでしょう。長い間、他人から受ける批評より、もっと厳しく自分を批評してきたのです」
 それから当時のノースウェスタン大学の教授であった、ヒューゴー・グレゴリーさん。京都で開かれた第1回吃音問題研究国際大会に参加され、基調講演をされた白髪の方ですが、あの人も自分の吃音経験からほぼ同じようなことを言っておられるんです。それをちょっと読んでみます。
 「私はこれまでの人生で吃音による影響をあまりにも意識しすぎてきたのではないか、あるいは他人が私の吃音をどう見ているかということを意識しすぎてきたのではないかと考えるようになりました。他人は自分が考えているほどには、私がどもっていることも気にしていないこともわかってきました」
 先程も、ウェンデル・ジョンソンが、大人になると周囲の理解を求めるだけじゃなくて、自分が、周囲のあり方をどうとらえるかという自分自身のとらえ方も、自分で追及していかなければいけませんよということを言ってるといいましたけれども、そのことと絡み合わせてみると、非常に理解しやすいんじゃないかと思います。
 そのことと関連して、大阪スタタリングプロジェクトの西田逸夫さんが、川柳でそのことを非常に見事に表現しているんです。『どもること 聞き手 大して気にもせず』。これは非常に名句です。周囲に理解をしてほしい、そのための努力は一方でずっと継続してやらなければいけないことは事実ですが、いろんな人がいるということ考えると、自分自身のとらえ方そのものを追求していくことも欠かせません。これはウェンデル・ジョンソンが言ってることでもあり、日本吃音臨床研究会が論理療法を取り上げているのも、そういう意味合いがあるんだと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/30

私の聞き手の研究 2

 2002年8月に開催した第2回臨床家のための吃音講習会での水町俊郎さんのお話の紹介を続けます。一昨日紹介した、〈はじめに〉のところで、水町さんの背景が分かります。
 僕は、学会や研修会など、いろいろな実践発表を見聞きしますが、書いた本人がどういう人なのか、どんなことを考え、何を大切にして生きてきたのか、人柄というか背景というか、それらを知った上で、その実践を読ませてもらうのが好きです。講演もそうです。だから僕も、どんな人間なのか、まず自己紹介をして、話を始めるようにしています。
 水町さんの話の本題に入ります。ウェンデル・ジョンソンの背景である、一般意味論、言語関係図から始まります。言語関係図がわかりやすく説明されています。

  
私の聞き手の研究 2
                  水町俊郎(愛媛大学教授)

一般意味論

 ウェンデル・ジョンソンの背景の、キーワードは一般意味論です。『国語教育カウンセリングと一般意味論』(明治図書)の中に、一般意味論の定義として二つの事例が紹介されています。
 ある若い娘さんはインテリアデザイナーと結婚したいが、「インテリアデザイナーみたいなニヤけた職業のやつと結婚することは許せない」と両親が強く反対して許さない。そのことをその若い娘さんはこういうふうに言っている。
 「デザイナーと聞いただけで何か浮ついた職業のように思う。それじゃ彼が可愛そうです。早く両親に死なれ苦労して学校を出た人で、本当に真面目なんです。父たちはどうして会ったこともない彼をダメな人間と決めこむことができるのでしょう。一度でいいから彼に会ってくれればと思う」
 子どものことで相談にきた母親がカウンセラーに、「うちの太郎はとてもわがままで困ります。親の言うことなどてんで聞きません」と言う。そして、カウンセラーが何を聞いても答えの最後には必ず「うちの子はわがままだから」と付け加える。
  うちの子=太郎=わがまま
  デザイナー=浮ついた職業
 このように、周囲が決めつける固定観念、あるいはレッテル貼りが、両者に共通しています。また、レッテルを貼る心理経過も共通している。「どちらも事実を十分に見極めようとせず、確認しないで、言葉に反応してレッテルを貼っている」ということです。
 論理療法で問題にするようなことを言っています。言葉に反応して、レッテルを貼る。そのレッテルはその人がたまたま見たり聞いたり経験したりした幾つかの例を過度に一般化して得られた産物です。このようにレッテル貼りをするということは、それにある言葉を与えるということです。
 1回レッテル貼ってそれに言葉を与えると、その言葉が一人歩きをして、その後の人間の行動に影響を与えます。言葉はそういう力を持っているのです。そういうことを背景にしながら、一般意味論を次のように定義づけています。
 「一般意味論は人々がいかに言葉を用いるか、また、その言葉がそれを使用する人々にいかに影響を及ぼすかについての科学である」
 一般意味論とは論理療法の基本的な考え方と全く同じなんです。一般意味論の基本的な背景を、私なりに整理をいたしました。

吃音の問題の箱

 ウェンデル・ジョンソンは、吃音の問題の箱について次のように言います。
 吃音症状であるX軸に関しては、流暢にしゃべるように、です。どもらないようにしゃべりなさいではなく、どもってもいいから、以前よりも楽にどもればいいと言います。流暢に、どもらないで話すことだけで、人間は生きているんじゃないと言っています。アイオワ学派の人たちがそうですが、怖れや困惑を持たず、吃音を回避しないで、異常な行動は最小限にしてどもれるようになりなさいと言っています。二次的な、心理的な問題までいかないことの方がもっと大切なんだと言います。
 Y軸に関しては、子どもに限定した表現の仕方がなされていますが、大人に対しても同じことです。周囲がどうあるべきか。子どもにとって心配、緊張、非難のない意味論的環境を整えるよう求めています。意味論的環墳とは、個人を取り巻く、つまり周囲の社会が持っている態度、信念、制御、価値観あるいは既成概念などのことを言います。「どもることはいけないことだ、どもることは恥ずかしいことだ、すらすらしゃべるべきだ」という意味論的環境の中で子どもが育つと、子どもがそれを内面化してしまって、どもることに対して罪悪感を持ったり、しゃべることを避けようとしたりする。そこが諸悪の根元だという考え方です。
 そうならないようにするために、ポイントを3つ挙げています。
〇劼匹發価値ある一人の人間として取り扱われる。
 どもりだからどうこうじゃない。いろんな個性を持っているいろんな人がいるけれども、一人一人それぞれ意味があるんだということです。子どもを価値ある一人の人間として、かけがえのない存在として取り扱ってほしいということです。
∋劼匹發どんな話し方をしてもそのまま受け入れる。
 どもるからだめじゃなくて、どもろうが、どもろまいが、話の内容が分かればそれでいい。どもることを否定しないことだ。どもる子どもがどんな話し方をしても、まずそれを受け入れるような状況を作るようにしてほしいのです。
わざとどもる「随意吃」。
 随意的にわざとどもることを適切に指導すれば、非常に効果があると書いてあります。今までの意味論的環境は、どもることはいけないことでどんな変な話し方をしてでもいいからどもらないようにしましょうでした。それをがらっと反対のことを求めて、どもってもいいんだよ。どんどんどもりながらしゃべりなさいという。わざとどもるというのは、一朝一夕にはできないだろうが、どもってもいいんだよ、ということになると、どもることを避ける傾向が、結果として弱まることになる。したがって、結果として、どもることが少なくなるだろうという予測が、背景になる考え方としてはあるわけです。
 成人吃音の場合は、周囲の意味論的環境、周囲の在り方が、吃音に対して理解のあるような状況になってほしいという希望は継続してあっていいのですが、もう一つそれに加えて、吃音者自身が、やはり自己変革の努力をする必要があると言っています。つまり、環境が変わってくれるのを待つのではなく、成人吃音者の場合は自らが意味論的環墳を変えていく努力をすべきであるというのです。人が、吃音者である自分に対してどういう目で見ているのか、どもることに対してどういうことを言ったのか、どういう対応を実際にしたのか。現実を見極め、それと自分がどう向き合うかが大切だということです。他人が下す評価が、吃音者自身の生活に影響する度合いは、人によって大きく違います。受け入れるこちらの態度に大きく左右されます。それこそ、人はいろいろですから、周囲はいろんな反応をします。そして、その相手の態度をどう受け取るかによって、その人が受ける影響も違ってきます。ある状況をどう受け取るか、受け取り方の世界が非常に重要だと、論理療法では言いますよね。同じことを、ここでも言っているのです。
 周囲の、吃音者と吃音を否定するような意味論的環境の中で、吃音は起こったのでしょうが、大人になった以上は、過去のことばかり考えないで、自分自身が吃音を持ちながら、どう生きるかを考えないといけません。そのためには、周囲の状況をどう受け止めるか、どう受け取るか、です。受け取り方自体には、今度は自分の責任が出てくると、ウェンデル・ジョンソンは言っています。(「スタタリング・ナウ」2004.10.21 NO.122)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/29

80歳になりました

伸二 偕楽園 決定1 今日は、4月28日、僕の80歳の誕生日です。
 何の根拠もなく、63歳で野垂れ死にをするという、それも金沢の香林坊で、そんな予想をしていたのですが、思いがけず、長生きをしてしまいました。63歳の根拠はないのですが、野垂れ死にには根拠がありました。吃音に深く悩んでいた学童期、思春期、社会で働いているイメージが全くもてませんでした。どもる僕が、どんに仕事にも就けないと思い込んでいました。仕事に就けず働かないのですから、当然、行き着くところは野垂れ死にです。
 それが、21歳の夏、僕を愛してくれた初恋の人のおかげで「どもれない体」から「どもれる体」になって、パッと道が開けました。家が貧しかったこともあって、様々な職種のアルバイトをしました。その結果「どもるからといって、できない仕事は何ひとつない」と確信をもつことができました。そして、いい風に吹かれて、流れに逆らわず、吹かれるままに生きてきました。だけど、まさか80歳の誕生日を、健康な体で迎えられるとは、僕自身が一番驚いています。著名人が、何人も、70代で亡くなっているニュースを目にするたびに、重度糖尿病の僕がここまで生きてこられたことは、奇跡に近いことです。おまけのような、付録のような現在です。これまでもそうでしたが、自由に、我がままに生きてもいいだろうと思い、嫌なことはせず、自分のしたいことだけをしようと、終活を続けています。
 脳の衰えは全く感じませんが、身体はそれなりに年相応になってきました。速くは走れません。走る必要もないので、何の支障もありませんが。ゆっくり歩くと、今まであまり気がつかなかった、木々の緑や花々の豊かな色合いが、目にとまるようになりました。雲の形も、空の色も、ふと足をとめ、眺めることが増えた気がします。同じマンションに住む人とエレベーターなどで一緒になったとき、返事が返ってきそうな人を選んで、ちょっと声をかけるようになりました。そんな人のひとりが、「寝屋川広報」を見たと言ってくれて、ぐっと距離が縮まりました。昨年の11月に「寝屋川広報」で僕の吃音親子サマーキャンプなどの活動が取り上げられ、それを見て話しかけてくれたのです。僕より少し年上の陽気な人です。それまでは、「陽気なおじちゃん」と呼んでいましたが、名前も分かりました。先日は、その人と一緒に、童謡の会に行きました。歌を歌って声を出したいなあと思っていたちょうどそのときに誘ってもらったのです。近くの交流センターには、70代から80代くらいの人たちが15人ほど集まっていました。からだの体操、口の体操、そして、たくさんの歌を歌いました。キーを下げずに原曲のまま歌うので、普段出さないような高い音も出していました。久しぶりに大きな声を出し、気持ちよかったです。
伸二 偕楽園 決定2 家では相変わらず、毎月発行しているニュースレター「スタタリング・ナウ」の編集や、書かなければならない文章のために、必ずパソコンに向かっています。本も書評を見て気になったものはすぐアマゾンで購入し、よく読みます。読むこと、書くこと、そして、話すこと、歌うこと、これからも変わらず続けていきます。
 吃音に関しては、まだまだ取り組まなければならないことが多くあります。これまで以上に吃音に集中して取り組んでいきたいです。

 あっという間に5月に入ります。「吃音の夏」が近づいてきました。「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」や「吃音親子サマーキャンプ」など、多くの出会いを楽しみに、今はその準備期間として、充電しています。
 みなさん、よろしくおつき合いください。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/28

私の聞き手の研究

 昨日は、水町俊郎・愛媛大学教授がお亡くなりになったことの巻頭言を紹介しました。
 水町さんは、今夏、第11回を迎える「親、教師、臨床家のための吃音講習会」の前身である「臨床家のための吃音講習会」の常任講師として、共に取り組んでくださいました。水町さんがお亡くなりになったことで、「臨床家のための吃音講習会」は第4回で閉じましたが、8年後に「親、教師、臨床家のための吃音講習会」としてよみがえったのです。
 今日は、2002年の第2回臨床家のための吃音講習会で、水町さんにお話いただいたことを少し紹介します。

治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方 表紙 3 水町俊郎・愛媛大学教授は、吃音のメカニズムではなく、常にどもる子ども、どもる人に関心を持ち続けた吃音研究者でした。どもる時の脳の状態はどうなっているのか、聴覚システムはどうかなどにはほとんど関心を示されませんでした。それが分かったとしても、どもる子どもやどもる人がどうすることもできないし、どもる人をとりまく人々が、どう対応すればいいかヒントを得ることはできません。
 水町さんは、どもる人や、どもる人の周りの態度に関心をもち、研究を続けられました。どもる人を対象にした研究は、当然どもる私たちを抜きにはあり得ません。私たちへの研究調査の依頼が、私たちとのつき合いの始まりです。吃音研究に貢献でき、それが私たちにも役に立つ、喜んで私たちはそれに応じました。これまでは、たとえば質問紙による調査であれば、既に印刷されたものが配られ、それに応えるというものが全てでした。しかし、水町さんは愛媛から何度も大阪に足を運び、調査研究の趣旨を丁寧に説明し、調査項目についても、原案を皆さんで検討してほしいというところから出発しました。水町さんを中心とした勉強会のような形に、私たちの仲間と加わったのでした。
 そのような姿勢で続けてこられた研究が、どもる人に貢献しないはずがありません。多くの示唆を与えて頂きました。その研究の成果を踏まえて出版されたのが、『吃音を治すことにこだわらない、吃音との付き合い方』(ナカニシヤ出版)です。水町さんはご自分が担当する章はきっちりとお書きになって、入院されたのに、私たちが書き上げていないために、生前に出版することができませんでした。とても悔いが残ります。水町さんの吃音にかかわる全ての人々への、30年以上吃音の研究を続けてこられた吃音研究者としてのメッセージが伝わってきます。 その本の一部を紹介することはできませんので、2002年8月、第2回臨床家のための吃音講習会でのお話を紹介します。
 水町俊郎さんのお顔を思い描きながら、お読みいただければ幸いです。(「スタタリング・ナウ」2004.10.21 NO.122)

 
私の聞き手の研究
                       水町俊郎(愛媛大学教授)


はじめに

 アメリカの多くの言語病理学者は、自らが吃音者であるといわれています。日本でも翻訳されている、フレデリック・マレーの『吃音の克服』や論文によると、特に吃音研究の中心的な存在は、トラビスとヴリンゲルソン以外はほとんど吃音者であったと書いてあります。私は吃音だから吃音研究を始めたのではありません。もうちょっとハンサムで頭がよければ、性格がもっと明るければ、など悩みはたくさんありますが、吃音に関する悩みを私は持ったことはありません。
 私は大学は福岡学芸大学で、大学院は広島大学です。福岡学芸大学の当時の恩師が、「しいのみ学園」を作った昇地三郎先生です。現在、96歳。中国に講演旅行され、僕以上に元気な方で、40年以上も前、「障害児教育の今後は、肢体不自由か言語障害だ。君は言語障害をやらんかね」と言われました。その時から、言語障害をテーマにしようと漠然とした思いを持っていました。そういう時に、九州大学の心療内科で、当時日本に紹介されたばかりの行動療法を基に、吃音をチームアプローチしているところから、心理学の立場で入ることを誘われ、吃音にかかわり始めたました。はずみでやり始めたことで、何かの深い思いがあってではありませんが、30年以上続けてきました。
 今回の講座は、〈ウェンデル・ジョンソンの言語関係図を考える〉ですが、私に与えられているのは、Y軸、つまり聞き手に関することです。まずはじめに、ウェンデル・ジョンソンの言語関係図にポイントをおいた話から始めます。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/27

誠実、真面目、努力の人

 今日は、「スタタリング・ナウ」2004.10.21 NO.122 より、故 愛媛大学教授・水町俊郎さんの紹介をします。今でこそ、吃音研究の指導的立場にある人たちからは距離をおかれている僕ですが、この当時は、内須川洸・筑波大学教授、水町俊郎・愛媛大学教授のお二人は、僕の考え方、実践に全面的に共感し、著書や論文のなかで紹介をしてくれていました。
治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方 表紙 3 日本吃音臨床研究会と共に歩いてくださった二人の吃音研究者のうちのお一人でした。ちょうど今から20年前、2004年の夏、現役の教授のままお亡くなりになりました。たくさんお話をし、いろいろなことを一緒に取り組みました。でももっと、いろいろなことを一緒に取り組みたかったなあとの思いは残ります。遺作となった、僕との共著の『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)を手にとるたびに、水町さんの分までがんばろうと僕は思います。

  
誠実、真面目、努力の人
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「…吃音をとりまく厳しい状況の中で、吃音問題の解決を図ろうとするためには、研究者、臨床家、吃音者がそれぞれの立場を尊重し、互いに情報交換をすることは不可欠である。互いの研究、臨床、体験に耳を傾けながらも、相互批判を繰り返すという共同の歩みが実現してこそ、真の吃音問題の解決に迫るものと思われる。…」1986年8月11日

 私が起草した第一回吃音問題研究国際大会大会宣言のようには、世界のどもる人のセルフヘルプグループと吃音研究者との関係は必ずしもうまくいっていない。その現実を、オーストラリアでの第7回大会で実感したばかりだった。一方的に情報提供や指導を受けるだけの関係であったり、吃音研究者に理解されないとどもる人が反発する関係がそこには見られ、対等ではなかった。
 幸い、日本吃音臨床研究会には長く私たちに関わり、共に歩いて下さるふたりの吃音研究者がいた。日本吃音臨床研究会の顧問でもあり、30年以上一緒に歩いて下さっている内須川洸・筑波大学名誉教授と、「私は、『スタタリング・ナウ』の愛読者ではありません。熟読者です」といつも言っておられた水町俊郎・愛媛大学教授だ。
 そのおひとり、水町俊郎教授がこの夏、お亡くなりになった。まだまだ、一緒に語り合いたいことがたくさんあった。一緒にしようと考えていた仕事がいっぱいあった。こんなに急に早くお亡くなりになるとは考えもしなかったので、あわてることなく、じっくり取り組もうと思っていた。先延ばしにしていたことが悔やまれる。それでも、3年前には、「臨床家のための吃音講習会」を始めたり、「吃音のテキスト」を出版する話を進めたり、共同の取り組みは動き始めていた。
 ご病気のことは少し前から知っていた。治療の難しい病気で、確率のそんなに高くない治療に挑戦するというお手紙をいただいたときの私の返事が、少し感傷的になっていたのか、すぐに再度お手紙がきた。「私は限りない可能性を信じて治療の場に臨むのですから、病人扱いしないで下さい」というお手紙に、強い生きる意欲を感じた。
 5月23日、次の治療への挑戦のために一時退院されている時に、私は愛媛大学の研究室を訪れた。この度出版することになっていた本の最終の打ち合わせのためだった。共著で書く予定だったある章を細かにつめるためだった。しかし、その章の話にはなかなか入らず、吃音についてのこれまでのいろんな思いを熱っぽく話されていた。同席していたご夫人の啓子さんも、こんなに元気なのは久しぶりですとびっくりされるくらいで、私は内心はらはらしながらも、共感し、うれしく楽しい吃音談義に、しあわせなひとときを過ごした。
 私と会った翌日に再度入院された。私は、病室以外の場所でお会いして、あんなにたくさん話をした最後の人間だったのではないだろうか。
 告別式の日、弔辞のことば、ご子息の挨拶で共通していたことがある。「誰に対しても誠実で、真面目で、努力の人」ということだった。まさに、この生き方を貫いた人だった。ご研究の中で、「どもる人たちは、マイナスのイメージだけでなく、誠実で、まじめで、ねばり強いと見られている。そして実際にそのような人に会ってきた」と、どもる人のプラスの面を強調しておられたが、ご自身が、十分にどもる人の資質を備えた人だった。
 『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)のご自分の担当の章を一気に書き上げてから入院された。ご夫人の啓子さんから亡くなる数日前に、「残念ながら、生きる支えにしていた完成した本を見ることができないと思います」と電話があった。
 吃音研究者とどもる当事者が初めてがっぷりと組んでつくる本。遺言とも言える本の表紙には、愛媛大学教授・水町俊郎、日本吃音臨床研究会会長・伊藤伸二として欲しいと強く要望された。吃音研究者とどもる人が対等の立場で吃音に取り組むことの必要性を、最後のメッセージとしてお残しになりたかったのかもしれない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/26

2004年夏、60歳の僕はかなりハードに動いていました

 「スタタリング・ナウ」2004.9.18 NO.121 で特集した第7回吃音の世界大会での基調講演を紹介してきました。シャピロ博士の講演自体は、昨日で紹介し終わったのですが、最終ページの《編集後記にかえて》を読んで、なんというハードなスケジュールをこなしていたのだろうと我ながら驚き、感心したので紹介したくなりました。
 どれも、よく覚えており、懐かしいです。こんなビッグイベントが立て続けにあったんですね。うーん、当時は若かったなあと思います。若いといっても60歳になっていましたが。2004年、ちょうど今から20年前の僕の夏です。

夏の報告(編集後記にかえて)
 にぎやかだった蝉の声が、いつの間にか涼やかな秋の虫の声にかわっています。季節は確実に移り変わっているようです。殊の外暑かった今年の夏、会員の皆様、読者の皆様にはいかがお過ごしでしたでしょうか。日本吃音臨床研究会はおかげさまで充実し切った夏を過ごすことができました。何人かの会員の皆様とも直接お会いすることができ、うれしく思いました。
 日本吃音臨床研究会の夏は、2冊の本の完成から始まりました。『知っていますか? どもりと向きあう一問一答』(解放出版社)と日本吃音臨床研究会の年報『杉田峰康ワークショップ・生活に活かす交流分析』が本格的な夏の到来を前に完成しました。
 7月28・29日、大阪で全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会が開かれました。記念講演は「鞠と殿様」の陽気なお囃子にのって登場した桂文福さん。長い間、続けてこられた人権講演やご自分の吃音のこと、NHKの福祉番組、「にんげんゆうゆう」がきっかけとなった日本吃音臨床研究会や伊藤伸二との出会いなど、参加者を笑いの世界に引き入れていました。伊藤がコーディネーターをした吃音の分科会は、実践発表者も参加者も全員が顔を見合わせるよう、円く座って話し合いました。
 8月1日は、北九州市立障害福祉センターで吃音の講演と相談の集いが開催されました。仕事の範囲をはるかに超えたセンターの言語聴覚士の田中愛啓さんと志賀美代子さんの献身的な好意で毎年開かれています。今年も会場に入りきれないほどたくさんの参加がありました。
 8月3・4日は、大分で九州地区の難聴言語教育の大会。基調講演者は、2001年の吃音ショートコースでワークショップをしていただいた、交流分析の杉田峰康さん。吃音分科会の助言者が伊藤伸二というまたとない機会に、完成したばかりの交流分析の年報を会場に並べることができました。全難言の九州大会の懇親会はいつも盛大に行われます。その交流会で、伊藤は「万歳三唱」を頼まれ、「ばばばばばんざい」と万歳をして、みんなにも「ばばばばばんざい」をしてもらい、大いに盛り上がりました。
 8月6・7・8日は、島根県少年自然の家で、臨床家のための吃音講習会。気さくな梶田叡一・京都ノートルダム女子大学学長の提言を受け、参加者同士、顔を突き合わせ、ゆったりじっくりと自己概念教育について深めることができました。「まっ、いいか」が合い言葉になりました。
 夏のしめくくりは、第15回目を迎えた吃音親子サマーキャンプでした。吃音についての話し合い、作文、劇「飛ぶ教室」の練習と上演、親の学習会など、子どもたちの成長を感じながらのキャンプでした。キャンプから帰ると、吃音ショートコースの申し込みの第一号のFAXが届いていました。実りの秋の到来です。夏の経験をもとに、じっくり温めていければいいなあと思っています。(「スタタリング・ナウ」2004.9.18 NO.121) 


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/24

第7回世界吃音者大会〜シャピロ博士による基調講演〜3

金鶴泳 シャピロ_0003 2004年、オーストラリアのパースで開かれた第7回世界大会での、シャピロ博士の講演の紹介をしてきましたが、その最後です。先日、紹介した巻頭言のタイトル「ふたりの少年の物語」も、ここからヒントを得ています。
 しめくくりに挙げられているたくさんの「ありがとう」が印象的でした。

Beyond Speech Fluency:
professor
Western Carolina University

言葉の流暢さの向こうに
  コミュニケーションの自由を求めて学んだこと


ある少年の物語

 昔の私自身のスピーチセラピストに再び会う機会があるとしたら、彼らに何を言いたいかを書いてもらえないかと頼まれたことがあります。そのとき私の中から浮き上がったものは、ある少年の物語でした。なぜそれが浮かんできたのかうまく理由を説明することはできないのですが、結びに換えて、その物語を皆さんに話します。皆さんが、コミュニケーションの自由を追求する中で何か学び、他の人たちと分かち合っていただければと思います。

森を抜ける一本の道
  ある少年のハッピーエンドの物語

 昔、9才になる1人の少年がいました。その子は他の子どもたちと特に違ったところもない普通の子どもでした。小川が幾筋も流れ、湖も点在する森に囲まれた家で、両親、兄弟姉妹と一緒に幸せに暮らしていました。
 少年には遊び友達も数多くいました。しかし、彼の一番の親友はバディという名の、黒と白と茶色の長い毛を全身に生やし、いつも鼻をぬらしている、こっけいな犬でした。バディと少年は長年の友達で、お互いに子犬と生後3週間の赤ん坊の頃からのつき合いでした。一緒に育つ中で、二人は森の中を長い時間散歩をしたり、小川のそばで日光に当たりながら一緒に昼寝をしたりしました。少年がいる場所の近くにはいつもバディがいる、というのは誰もが知っていることでした。
 バディを見かけないたった一つの場所は学校でした。しかし少年には学校にもたくさん友達がいました。少年は校庭や体育館で友達のビリーと一緒に遊んだり、美術や音楽の授業が好きでした。これらは彼のお気に入りの時間で、なぜかというと、それらのことは自分は上手くできると思えたからです。少年は他の子どもたちよりも高くそして遠くまでボールを蹴ることができましたし、とても速く走ることもできました。ほとんど足を使わずにロープを登ることだってできました。歌うことが好きでしたから、音楽の授業もとても楽しい時間でした。
 しかし少年は学校に行きたくないと思うこともたびたびありました。その理由は、授業中に話しづらいということでした。彼は言葉がどもりました。そして自分でもそのことに気づいていました。質問の答えがわかっている時でも、その答えを言おうとしませんでした。自分が口を開けば、他の子どもたちに笑われることがわかっていたからです。
 ある時などは、先生さえもが笑いました。朗読の順番が回ってきた時、少年はどうしても読めませんでした。文章を正しく理解していましたが、ただ単に声を発することができなかったのです。声を出そうとしてあまりに頑張りすぎるため、まるでハイイログマの声のように聞こえることもありました。
 先生が「読み方はわかっているよね?」と言ったり、少年が自分の名前を言えなかった時「君にも名前はあるだろう?」と言った時、他の子どもたちは笑いました。ただ一人ビリーだけは笑いませんでした。ビリーは少年の友達でしたから。少年は明るい子どものように振舞っていましたが、心の中では泣いていました。どもりをからかわれるのはとても辛いことでした。彼は頭が良く、ほとんど全ての教科で90点や95点など高得点を取っていましたが、朗読の科目だけは65点でした。彼の心は傷ついていました。
 少年がとりわけ嫌だったのは、校庭や体育館、美術の時間や音楽の授業から離れて、ことばの教室に行かされることでした。これらの時間こそ、少年が得意で好きなことができる大好きな時間であり、自分のことを他の子どもと変わらないごく普通の子どもだと思える時間だったからです。
 長年にわたり、少年は何人ものスピーチセラピストの治療を受けました。彼らはたいてい親切でした。ただ一人、少年が好きになれないセラピストがいました。彼女はいつも少年に朗読の練習をさせたのです。自分は声に出して読むことができないと少年は自覚していました。スピーチセラピストはなぜそれがわからなかったのでしょう? できない朗読をするより、ビリーやバディと遊びたいと少年は切実に願いました。ある時、セラピストの前で朗読を続けることがあまりにつらくなったので、彼は泣き出し、走って部屋を出て行ってしまいました。それっきり、少年は二度とそのスピーチセラピストの所へ行くことはありませんでした。
 ある日、担任の先生が少年の両親に、少年が最近授業中に発表することがどれほど難しくなっているかということ、それによって少年がどんなにつらい思いをしているかということについて話をしました。そこで両親は少年を放課後に別のスピーチセラピストの元へ連れて行くことにしました。それはいい考えだ、と少年は思いました。もうこれっぽっちもどもりたくなかったからです。「バディに話す時みたいな感じで誰とでも話すことができるようになればすばらしいのに」と少年は思いました。バディに話しかける時には、全くどもらなかったのです。
 さて、今度のスピーチセラピストは男の人でした。その人は少年に朗読をしなさいとは言いませんでした。また、これをしろあれをしろとは一切言わず、少年が何をしたいかを聞いてくれました。「これはずいぶん様子が違うぞ」と少年は思いました。少年は、いつもバディとするように小川のそばを散歩したいと言ったので、二人はそうしました。歩きながら話をする時もありましたし、黙っていることもありました。少年は新しい友達が一人できたと感じました。奇妙にも、セラピストと一緒にいると、自分のお祖父さんと一緒にいるような気がしました。少年はよくお祖父さんと長い散歩を楽しんでいたのです。少年は何か特別な気持ちになりました。少年とセラピストは時々言葉をかわしましたが、たいていは小川の流れる音に耳を傾けながら歩きました。少年が新しいセラピストと一緒にやっていたのは、そんなことでした。
 月日は流れ、バディも、ビリーも、お祖父さんも、新しいスピーチセラピストも、少年の前を通り過ぎていきました。セラピストとの最後の散歩から四半世紀を経た今でも、少年はその散歩のことをよく覚えています。もしもう一度あのセラピストと一緒に散歩することができ、感謝の気持ちを言葉にできたなら、さらにその感謝の言葉が、願いをかなえてくれるなら、少年は感謝の気持ちを次のように表したでしょう。それは少年だけでなく、他のどもる子どもたちにとっても彼の思いが実現することを願っているからです。

・僕と話すことより、僕の話を聞くことを大事にしてくれて、ありがとう。
・朗読や僕に合わないプログラムを無理やりやらせるのではなくて、「君の考えや希望を話してくれないか」と言ってくれて、ありがとう。
・僕の気持ちを大切にしてくれて、ありがとう。僕ができないと自分でもわかっていることを無理強いするのではなく、僕が上手にできるとあなたが信じてくれていることに気づかせてくれて、ありがとう。
・こんなことをしてはいけないよと命令するのではなく、こうしたらいいんじゃないのかなと導いてくれることで、僕が落ち着いて話せるよう助けてくれて、ありがとう。
・専門的な言葉ではなく、僕にもわかる言葉で話をしてくれて、ありがとう。
・ベストを尽くしてもうまくいかなかった時に、いらいらした様子を見せずに、忍耐強く理解しサポートしてくれて、ありがとう。
・僕にとても熱心につきあってくれて、ありがとう。そして最悪の結果となった時でも僕がベストを尽くしたことをわかってくれていて、ありがとう。
・先生たちに吃音について理解させ、授業中にはどのように対応すべきかを彼らに教えてくれて、ありがとう。
・僕の両親に、両親がしたことの多くは間違っていなかったのだということを気づかせてくれて、ありがとう。
・僕のことを気にかけてくれて、ありがとう。あなたが力になってくれたおかげで、僕の両親は、息子が森を抜ける道を自分で見つけることができたと思っています。そしてそれは正しかったのです。

 この少年は、もっとも大事で難しいものを手に入れるには、たいてい長い時間がかかること、とりわけ実現不可能と思われるものを手に入れるには、さらに時間が必要だということを、他の子どもやその親たち、言語病理学者たちに思い起こさせています。
 前向きに進んでください。知らないことは知らないと正直に認めましょう。助けを求める頃合いを知っておくことも大事です。自分の気持ちに向き合い、自分を信じ、健全なプロセスが建設的な変化をもたらすことを信じましょう。皆さんには素晴らしい仲間がいます。皆さんの幸運を祈ります。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/23

第7回世界吃音者大会〜シャピロ博士による基調講演〜2

金鶴泳 シャピロ_0005 2004年、オーストラリアのパースで開かれた第7回世界大会での、シャピロ博士の講演のつづきです。4つの「L」、とても印象深く、心に残っています。

Beyond Speech Fluency:
Lessons Learned in Pursuit of Communication Freedom
David A.Shapiro,Ph.D.,CCC-SLP
ASHA Fellow,Professor
Western Carolina University

言葉の流暢さの向こうに
  コミュニケーションの自由を求めて学んだこと


私たちの旅

 私たちの旅についてお話ししましょう。
 旅の目的地として、流暢に話すことだけにとらわれる余り、そこに至るまでの道筋を見失ってしまうことは、よくあることです。
 今ここで、アドバイスというわけではありませんが、私のいくつかの思いをお話したいと思います。もし夢というものが人に与えることができるなら、それを包装紙に包んで皆さんの旅のプレゼントにしたいものです。
 それは、Learn(学ぶ)、Live(生きる)、Laugh(笑う)、Love(愛する)の四つです。

Learn(学ぶ)
 学び続ける力を身につけて下さい。従来の意味での勉強、つまり学校や本から学ぶことは必須です。必須ではなくとも大事なこととして、あらゆる人から、毎日の生活から、そしてあらゆる状況や瞬間において私たちは学べます。
 とりわけ学んでほしいのは、どんなに辛い時でも「楽しみを見出す」ことです。楽しみは人生にとって大事な多くのことを生み出してくれます。
 もう一つ学ぶべきは、「他人や自分を受け入れる」ことです。完壁な人などいません。素晴らしくも不完全なこの世界では、人は皆、与え、受け入れ、許すことが必要です。
 T.H.ホワイトの小説「永遠の王一アーサーの書」の中で、王の地位を約束されているアーサーはいつまでも消えない悲しみを抱き、自分の師である魔術師のマーリンに助言を求めます。若きアーサーに向かって、マーリンはこう言います。

 悲しみを癒やす最良の薬は学ぶことじゃ。それが唯一の、まちがいなく効きめのある方法じや。年老いて、体にふるえがやってきたとき。夜眠れずに横たわり、脈の乱れに耳をすますとき。たったひとつの愛を寂しく思い出すとき。あんたを囲む世の中が、邪悪な狂人どもによって荒廃させられるのを見るとき。あんたの名誉が、卑しい者どもの心の下水溝で踏みにじられるのを知ったとき。
 そういうときによいものは、ただひとつ学ぶことじゃ。世界はなぜ動いているか、それを動かしているものは何かを学ぶ。これこそは、精神が研究しつくすことも、うとんじることも、それによって苦しむことも、恐れることも、不信を抱くことも、また後悔することもゆめありえない、唯一のことだからじゃ。あんたは学問をするべきじゃな。(森下弓子訳より)

 学習とは、様々な道を通過することで得られるものですが、私たちは学ぶことに常に心を開いていなければなりません。幸いなことに、どもる人たちのセルフヘルプグループやセラピスト、そしてあなたの家族が、学習の機会と手段を与えてくれます。自分自身について、また、自分のコミュニケーションスキル、コミュニケーション環境について学ぶ手助けをしてくれます。さらに、それぞれの旅を成し遂げるための指針を与えてくれ、旅には辿る道がいくつもあること、そして旅には必ず道連れがいることを教えてくれるのです。
 この講演の準備をしている時、私は、皆さんに学んでほしいことを一つだけ挙げるとすれば、それは何かと考えてみました。それは、「ただすらすらと話すことがコミュニケーションの自由をもたらすのではない」ということです。
 コミュニケーションの自由をどうとらえ、どのように話していくかを決めるのは、皆さんの当然の権利です。どもりながらも自分の言葉で話すのも、口を閉ざして話さないことを選ぶのも、それはあなたの自由です。ただ、聞き手の反応や流暢に話すためのコントロールにとらわれないことが大事です。
 また、自分はいつの世のどんな人々とも対等で、その人たちと同じように素晴らしいのだということを、自信を持って学んでください。そしてまた、彼らより優れているわけではないと感じる謙虚さと礼儀も同時に身につけてほしいと思います。自分のことを他のどもらない人々と対等で、同じように素晴らしい存在だと感じることは、私にとって人生における最も難しい課題の一つでした。それは、吃音に強い劣等感をもち、ひとりで悩んでいたからです。昔は吃る人のセルフヘルプグループの集まりやこのような吃音者世界大会などありませんでした。ですから、私はそのような考えをもつことはできなかったのです。
 臨床家として私は、「吃音にとらわれず自由になる」ために援助を受けることができることを皆さんに知ってほしいと思います。あなた方にはその自由を得る権利があるのです。そしてあなた方が自由になれば、他の吃音に悩む人にとっても貢献することになるでしょう。そのための選択肢がいくつもあるのです。夢を実現するために、常に自分から学ぼうという気持ちを忘れないでください。
 学ぶということには限りがなく、永遠に続くものです。私たちは成功のみならず、失敗からも学ぶことができます。学習によって人生が決まることもあります。人生におけるあらゆる出来事や、このような吃音者の世界大会は、学ぶための絶好の機会なのです。

Live(生きる)

 旅を続けるあなたに私が望む二つ目のことは、「人生を思う存分に生きる」ということです。。
 陳腐に聞こえるかもしれませんが、あなたの人生と生活を情熱で満たしてください。私にとって情熱とは、深い愛情であり、肩書きや職種、報酬など表面的なことが重要なのではなく、深く何事かに心を捧げることを意味します。
 私は、私たちがやっていること、やろうとしていることは、本質的に大事であるということに揺るぎない信念をもっています。それは人間に対する信頼であり、個人としても集団としても、私たちは自分たちの力で変化を作り出すのです。情熱の力によって私たちは前に進み続けることができます。情熱によって、私たちは人生の驚異を生み出すのです。
 様々な経験を情熱の心で受け止め、その経験を生きる能力は、私にとって生活の質を高めることであり、よりよく生きていくための条件です。医学的な根拠は抜きにして、私は人間は脈拍が止まったり脳波が動かなくなった時に命が終わるのではなく、情熱をもって生きることをあきらめた時に終わるのだと確信しています。

Laugh(笑う)

 私がみなさんに望む3番目のことは、笑うことです。大きな声で笑ってください。わき腹が痛くなり、目がまん丸になるまで笑ってください。
 自分自身のことを笑い、他の人たちと互いに笑い合いましょう。笑いは元気の源です。笑いは、処世術の一つです。笑うことによって、心を解放し、エネルギーを吸収することができるのです。実際、笑いとは楽しいことやユーモアの自然な表現であり、情熱的、陽気、楽天的、豊かな感情、エネルギッシュといったポジティブな性格と関係があります。恐れや憂鬱、怒り、無関心、無感動といった性格とは相容れないものです。また、笑うことは病気に対する治癒力や心身の健康とも関連しています。ですからたくさん笑ってください。笑いはあなた自身が喜びを生み出す装置となるのです。

Love(愛する)

 私が皆さんに望む最後のことは、愛することです。あなたの家族を愛してください。あなたの両親を、祖父母を、子どもたちを、セラピストを、クライアントを愛してください。そしてあなたのインスピレーションの源を愛してください。最悪の事態の時でも、私たちは最善を尽くそうとしているのだということを忘れないでください。
 私たちは愛するために生まれてきたのです。愛こそが、私たちが生き続ける理由です。アントワーヌ・ド・サンテグジュペリは「星の王子様」の中で、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」ということを私たちに気づかせてくれます。また、パーカー・パルマーは、究極の愛の形を「お互いの違いを受け容れる親密な関係」と表現しています。「モリー先生との火曜日」(ミッチ・アルボム著)に登場するモリー・シュウォーツは、「お互いを愛しなさい。さもなければ滅びるだけだ」と言っています。
 ある人のことを他の誰もが信じなくてもあなたが信じ続けてあげること、これは信頼と愛の行為であることも私はつけ加えておきます。愛とはすばらしいものです。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/22

第7回世界吃音者大会〜シャピロ博士による基調講演〜

 2004年、オーストラリアのパースで開かれた第7回世界大会での、シャピロ博士の講演を紹介します。成人式の儀式でのできごと、大学での専攻科目のこと、息子の名前のこと、どれも、どもる人ならよく分かるエピソードばかりです。そんな彼はやがて、言語病理学を学び始めます。彼が大切にしていることが伝わってきます。

Beyond Speech Fluency:
Lessons Learned in Pursuit of Communication Freedom
David A.Shapiro,Ph.D.,CCC-SLP
ASHA Fellow,Professor
Western Carolina University

言葉の流暢さの向こうに
  コミュニケーションの自由を求めて学んだこと


        旅路
私の旅

金鶴泳 シャピロ_0005 人と人とのコミュニケーションの担い手である一人の人間としての私の旅を辿ってみると、ほぼ20年間はひどくどもり続けたものの、今では比較的流暢に吃音をコントロールしながら話せるようになったと実感します。しかし、今も私の旅は続いています。旅の途中に経験した様々な体験が蘇ってきます。そのうちのいくつかを紹介しましょう。

 私はアメリカの北東部、ニューヨークで育ちました。重い吃音とそのために失望感を抱いていた私は、自分自身の吃音に取り組み、さらに他の吃音に悩む人の力となるために、言語病理学を勉強したいとずっと思っていました。ですから、ニューヨークの言語病理学科のある一流大学に合格したのは、私にとって大きな喜びでした。しかし一つ問題があることを知りました。言語病理学の専攻では、パブリック・スピーキングの授業が必修科目になっていました。弁論など、どもる私にはできません。やりたくないのではなく、実際問題としてできなかったのです。
 私の周りのユダヤ人の男子はたいてい、13才の誕生日を迎えると、シナゴーグと呼ばれる礼拝所で成人式の儀式を行い、バル・ミツバーとなります。しかし私はバル・ミツバーの儀式を済ませることができませんでした。成人式では、成人になった証しとして出席者の前で話をしなければなりません。私にはとてもできないことでした。ところが、ラビ(ユダヤ教の会衆の指導者)が、私が人前で話をする代わりに、ソロでサキソフォンを演奏することを許してくれたので、なんとか成人式を済ませることができたのでした。
 ラビは成人式の後で、今回は仕方がないにしても、今後はきちんと自分自身の言葉を見つけ、それを言える力を身につけてほしいと私に言いました。
 私は吃音にとらわれていたのです。

大学時代

 成人式の経験でもわかるように、人前で話をすることができなかった私にとっては、言語病理学ではなく心理学を専攻するのがベストではないかと思いました。心理学では、パブリック・スピーキングの授業が必修科目になかったからです。そういうわけで心理学専攻を決めたのですが、自分は本当にやりたい―言語病理学者になること―をやっていないという思いに私は苦しみ、さいなまれました。学期の終わり頃に私は指導教官のところへ行き、是が非でも言語病理学専攻に変わり、言語病理学を学びたいと話しました。
 「いいことを教えてあげよう」と指導教官は、言語病理学専攻で、パブリック・スピーキングの授業がもう必修科目ではなくなったと教えてくれました。たしかにそれは少し前の私だったらいい知らせだったかもしれません。この授業から逃げるために、言語病理学専攻をあきらめたのですから。しかし、挑戦することを避けた私が、改めて覚悟の上で言語病理学専攻に変わりたいと考えたのですから、このままこの授業を避けては人生を先に進むことができません。そこで私がどうしたと思いますか?
 その通りです。私は必須科目ではないにもかかわらず、パブリック・スピーキングの授業を受けることにしたのです。
 私は私の強敵である吃音、ひいては自分自身に向き合わざるを得なくなり、前に向かって進み、カリブの民話に出てくるアナンセのような強さを手に入れなければなりませんでした。
 その授業の最後となった3回目の私の発表は「発語ブロックの打開と、吃音のコントロール」でした。クラス全員が大きな拍手をしてくれました。私は必ずしも「A」をもらえるような優等生ではありませんでしたが、その授業は「A」でした。
 吃音のとらわれから私は自由になりました。

息子の誕生

 息子の誕生を心待ちにしながら、名前を決める時も、私は自分の吃音に直面しなければなりませんでした。妻のケイと私は、二人目は男の子だとわかっていたので、アロンという名前にしようと決めていました。アロンという名は、聖書、特に旧約聖書の出エジプト記に関わりのある名前で、私にとって特別な意味をもっものでした。アロンは、吃音者であったモーゼの弟で、モーゼはアロンを自分の代弁者としてあちこちに同行させた、と多くの聖書研究者は考えています。そんなわけで、吃音に悩んできた私にとって、息子の名前はアロン以外に考えられなかったのです。とはいえ、アロンの最初のアという母音は、私にとって言いにくい音であることは、自分でもわかっていました。息子が生まれる前から、言葉につまりながら息子を紹介している自分の姿が思い浮かびました。
 「…アアアロン・ジョゼフ。息子の…アロンです」
 ジョゼフは、私の祖父に対する敬意から息子のミドルネームにしようと考えていました。「ジョゼフ・アロンの方がいいかもしれないな」と私は密かに思いました。「ジョゼフ」は私にとって言いやすいのでその後に続ければアロンも言える。「アロン・ジョゼフ」と違って言いやすい。それとも、アロン以外の、最初に言いやすい子音がくる名前にすべきか。私がどのような経過で子どもの名前をつけたか、誰も気づきはしないでしょう。しかし、アロンとなるはずだった名前を、父親の勝手でケビンだのセスだのロバートなどにしたとしたら、私はどうやって息子を育てていけるだろうか。別の名前に決めたとしても、永遠に罰を与えられることはないにしろ、少なくとも私と息子にとっては究極の逃避となったでしょう。いろいろと思い悩んだ末に、結局息子の名前をアロンと名付けました。
 私は吃音のとらわれから自由になりました。

専門家への道

 これまでの道のりで、私にとって最も重要な岐路となったのは、人々の助けとなることを決心した時でしょう。それまでの人生で、私を励ましてくれた専門家も確かにいましたが、一方では、悪気はないにしろ行く手を阻む人も少なくはありませんでした。彼らは専門性を振りかざし、私ができることよりも、できないことを遠慮なく指摘しました。この経験から私は次のことを学びました。
 ―最高の贈り物とは我々が与えるものであり、専門家として、この地球に住む人間として、私たちが果たすべき役目は、夢を分かち合うプロセスに関わることであり、このプロセスにおいて、どもる人とその家族がこれまで想像もできなかったようなことを想像できるように、そして彼らの夢の実現のために援助することである―
 他の人々を支援することで私自身も成長します。他の人々に教えることで私も学びます。自分の道を見出そうと思い、他者を助ける決心をした日のことを、私はよく覚えています。その日以来ずっと私は感謝の気持ちを忘れずにいます。
 どもる人たちと関わるこの仕事は、私を元気にしてくれます。実際、どもる人やその家族の皆さんと一緒に仕事ができる特権をありがたく感じない日は、一日たりともありません。私は自分の仕事を心から楽しいものと感じると同時に、非常に大事な仕事だと思っています。
 人生のある時期、私は、専門家である「自分の力」で吃音に悩む人の世界を変えることができればと思ったことがあります。当時より少しは分別のついた今は、吃音者とその家族自身が自分たちの世界を変えるのであり、私はそのためのちょっとした「手助け」をしているに過ぎないと気づいています。「自分の力」でできないことへの専門家としての挫折感ではなく、前向きな気持ちで、吃音に悩む人が自分を変えていく「手助け」ができていることを嬉しく思います。
 結果的に私は、あらゆる限界を超えることのできる人間の力と、人と人とのつながりの力を感じています。今私がしていることや、それに関わる人々に対して満足しています。人と人とのコミュニケーションのプロセスこそが大事なことであり、そこから生まれるものが、とても重要であると考えているからです。(「スタタリング・ナウ」2004.9.18 NO.121 (つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/21

ふたりの少年の物語

金鶴泳 シャピロ_0003 僕の本棚に、分厚い本があります。本のタイトルは、「STUTTERING INTERVENTION」。国際吃音・流暢性障害学会の会長だったディビッド・シャピロ博士からいただいたものです。
 シャピロ博士は、2013年、第10回オランダで開かれた世界大会で、この本を紹介しながら基調講演をしていました。その講演の後、「今回1冊しかもってこなかった本だが、今後、シンジと一緒に研究を進めたいので、是非読んで欲しい」と手渡されたものです。世界中からたくさんの参加者がいる中で、僕にだけプレゼントしてくれた特別の本です。事情があって、その後僕が国際吃音連盟から距離を置いたこともあって、連絡はとりあっていません。567ページの大作なので、とても翻訳できません。機会があれば、AIに翻訳してもらいたいものだとは思っています。
 そのシャピロ博士とは、オランダ大会の9年前、2004年にオーストラリアで開かれた第7回世界大会でも会っています。ずっと覚えていてくれたのはありがたいことでした。オーストラリアでも、シャピロ博士は、招待基調講演者でした。そして、僕をみつけて声をかけていただき、いろいろと話をしました。ふたりの共通点もたくさんみつかりました。その様子を書いた「スタタリング・ナウ」2004.9.18 NO.121 の巻頭言を紹介します。

  
ふたりの少年の物語
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


金鶴泳 シャピロ_0006 「シンジ・イトウ?!」
 2004年2月、オーストラリアのパースで開かれた、第7回吃音者世界大会のメイン会場に初めて入ったとたん、やさしそうな、あごひげのおじさんがまっすぐに私たちに向かって歩いてきて、こう話しかけてきた。日本人は私以外にも大勢いるのに、なぜ私が伊藤伸二だと分かったのだろう。ホームページの私の写真を見ていたのだろうかと不思議に思った。
 こうして、親しく話しかけて下さったのが、大会のメインの招待基調講演者シャピロ博士だった。日本に招かれて講演もし、日本の吃音研究者ともつき合いがあると話していたが、私は全く知らなかった。私のことはよく知っていて、私に関心を示し、この大会期間中に是非いろいろと話したいと言って下さった。
 シャピロ博士の基調講演は、温かく静かに私たちに語りかけるものだった。話の後半の、「ある少年の物語」の中で、ことばの教室のスピーチセラピストに対しての感謝をことばにし、「何々してくれてありがとう」といくつも言う「ありがとう」がことばの響きと共に心に残った。是非『スタタリング・ナウ』で紹介をしたいと、講演の原稿をいただけないかとお願いした。今は原稿はないが、アメリカに帰ってから送ると約束して下さった。そして、送られてきた講演の全てを読んで驚いた。シャピロ博士の講演と、2日後にした私の講演の内容がとても似ていたからだ。道理で、私の講演を聴きに来て下さって、とてもすばらしかったと言って下さったのはこのためだと思った。
 特に、「どもる子どもの吃音が変化するのは、充実した学校生活があるからだ」との部分に共感したと感想を言って下さり、是非一緒にプロジェクトをつくって仕事がしたいと、申し出ても下さった。吃音親子サマーキャンプにも参加したいようなことを言われていた。
 シャピロ博士は、13歳の成人式を、人前で話せないからと、サキソフォンの個人演奏に変えてもらった。その後も、大学の専攻を選ぶときも、吃音に大きな影響を受けている。私と言えば、学校の朗読ができずによく学校を休んだ。そして、ついには、高校2年生の時、あまりの辛さに、国語科の教師に、朗読を免除して欲しいと頼みに行った。話すことから逃げた生活だった。
 シャピロ博士も私も、どもって話せないからと、話さなければならない場面をできるだけ逃げてきた。そして、逃げたことに対する罪悪感と、このままでは自分がだめになってしまうかもしれないとの予感をもっていた。多くのどもる人が辿ってきた道なのかも知れないが、思春期のこの経験は、私たちふたりにとても共通している。
 成人式で挨拶もできなかったシャピロ博士。国語の朗読ができずに免除を申し出た私。ふたりが共に、その後同じように大学の教師としての仕事をするようになる。これもとても似ている。そして、話しことばを含めて、コミュニケーションの自由も手に入れた。今はどもるからといって、そのことがコミュニケーションの妨げには全くなっていない。よく似た旅をしてきたふたりが、よく似た講演をしたのは当然のことだったのだ。
 その中から学んできたことも、多少の違いはあるが、基本的には共通するものが多い。特に、子ども時代のスピーチセラピー体験を踏まえて、セラピストに伝えたいことを「ある少年の物語」で伝えようとされたことは、私が常日頃、ことばの教室の担当者や、言語聴覚士の臨床家の皆さんにお願いをしてきたことばかりだ。
 『「吃音症状は変化し、どもる人の吃音に対する考え方や態度も変化する」と、私は確信するようになりました。吃音の変化は、専門家の治療を受けるか受けないかではなく、その人に内在する「変わる力」によって起こるのでしょう。現実に多くの人が、専門家の力を借りず、様々な要因によって変化してきました…』
 この私の講演に人一倍拍手を送って下さったのは、シャピロ博士だったのかもしれない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/20
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