伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2024年03月

第7回吃音の世界大会 基調講演〜吃音とつきあうセルフヘルプグループ活動38年間と新たな方向について〜

 2003年に開かれた、第7回吃音の世界大会で、僕は、基調講演をしました。
 演題は、「吃音とつきあうセルフヘルプグループ活動の38年間と新たな方向について」でした。吃音を治療の対象としてみる発表が多い中、おそらく僕の講演は異色のものだったでしょう。でも終わってから、たくさんの拍手をもらい、それなりの手応えも感じました。治したい、治るに越したことはない、でも、治らない現実を前につきあっていくしかないのだろうなと思っている人たちがたくさんいるということだろうと思いました。基調講演として発表したものを、紙面の都合で一部要約したものを紹介します。

基調講演
  〜吃音とつきあうセルフヘルプグループ活動の38年間と新たな方向について〜
            伊藤伸二 日本吃音臨床研究会(日本)

吃音は変化するもの
 私の、吃音に悩み苦しんだ21歳までの人生と、1965年にどもる人のセルフヘルプグループを設立して活動し始めてからの38年の人生は、大きく違います。38年間の活動の中で出会った数千人の人たち、14年間続けている吃音親子サマーキャンプに参加した多くの子どもたちも、私同様に大きく変わりました。
 「吃音は自然に変化し、どもる人の吃音に対する考え方や態度も変化する」と、私は確信するようになりました。吃音の変化は、専門家の治療を受けるか受けないかではなく、その人に内在する「変わる力」によって起こるのでしょう。現実に多くの人が、専門家の力を借りず、様々な要因によって変化してきました。
 そもそも、吃音は変化するのが大きな特徴です。幼児期には自然治癒がありますし、どもったりどもらなかったり、大きく変動します。学童期の子どもも、充実した楽しい学校生活で変化していきます。成人にも波があり、どもる場面とそうでない場面があります。また、私が直接出会った大勢のどもる人の中には、あまり変化のない人もいますが、以前よりはどもらなくなった人にも多く出会います。それらの人は、治療や言語訓練は一切しておらず、したい仕事に就いた、楽しい豊かな人間関係があった、話さなければならない立場になったという人たちです。

私の吃音人生
 私は、小学2年生の秋の学習発表会の劇で担任教師から、セリフのある役をはずされたことで、吃音を「悪いこと、劣ったこと、恥ずかしいこと」とマイナスに意識したことから悩み始めました。21歳のとき、民間吃音矯正所で4か月治療を受けましたが、私を含め、一緒に受けた300人全員が治りませんでした。しかし、私にとって良かったのは、「吃音は治る」という幻想を捨てられたことと、どもる人に出会えたことでした。
 私は1965年、出会った仲間とどもる人のセルフヘルプグループを設立しました。その後、どもる事実を認め、吃音を隠さず、話すことから逃げなくなると、できないと思っていたことが思い込みであり、どもっていてもできることがわかりました。相変わらずどもっているのに、吃音に対する嫌悪感や罪悪感がなくなり、吃音にはあまり悩まなくなりました。
 これだけでも大きな変化ですが、吃音そのものも変化し始めました。「どもっていては教師になれるはずがない」と思っていたのが、セルフヘルプグループの活動で自信を得た私は、言語障害児の教育にあたる、公立小学校の教員を養成する国立大学の教員になりました。大学では、どもりながら講義をしたり、大勢の前で講演しました。どもりながらも積極的に人とかかわる生活のためか、治そうとしていた時は全く変化がなかったのが、治らないもののどもり方が変わりました。
 このようにどもることが問題ではなくなった私や大勢の仲間の経験から、「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ」と確信するようになりました。この考え方を検証するために、私は北海道から九州、35都道府県、38会場で吃音相談会を開きながら、悩みの実態調査をしました。短期に集中して400人ほどの人と出会えたことで、革命的とも言える大きな発見をしました。
 どもる人全てが悩んでいる訳ではなかったのです。グループも知らず、治療も受けず、どもりながら明るく健康的に生きている大勢の人々と出会ったのです。自分が深く悩んだ経験と、多くの人の悩みを聞いてきたことから、「吃音は深く人を悩ませるものだ」と思っていました。その固定観念が破られました。
 私たちは、周りから与えられたり、自分自身が貼ってしまう「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」という烙印(らくいん)、スティグマによって悩んでいたのだということも、悩みの調査の中で明らかになりました。

吃音親子サマーキャンプ
 子どもの頃に吃音をマイナスに意識しないことが大切だと、私は小学生から高校生までを対象にした、吃音親子サマーキャンプを開催し、今年で15年目になります。最近は150名近くが参加する大きなものになりました。吃音について話し合い、どもりながら劇を上演する取り組みの中で、子どもたちはどんどん変わっていきました。私たちがどもりながらキャンプを楽しく運営する姿に接し、「どもってもいいのだ」と子どもたちは肯定的に吃音をとらえるようになったのでしょう。どもっても学校の中で朗読し、発表をし、意見を言うようになりました。「日常生活を丁寧に、大切に生きる」ことで吃音の症状そのものも変化していきました。この日常生活に出るのを阻むのが、「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」というスティグマです。このスティグマをはがすことで、吃音とつきあう道が開けるのです。「吃音を治したい」は、吃音に苦しむ人の自然な思いなのですが、私たちは次の事実に向き合う必要があります。
 ーN鼎鮗けるか受けないかにかかわらず、治っていない人が多い事実
 原因も分からず、有効な治療法がないという事実
 5媛擦貿困鵑世蝓⊃誉犬鳳洞舛鮗けるには大きな個人差があるという事実
 この3つの事実に向き合うと、吃音を治すのではなく、吃音と上手につきあうことを目指すことが、現実的な吃音への対処だと気づきます。そして、私たちは、どもりながら、豊かな人生を送ることができることを社会に知らせていく必要があるのです。最近、私は、またよくどもるようになりましたが、悩むことはもうありません。一度身についた吃音への考え方、態度は、吃音症状が変化しても変わることはありませんでした。


日本吃音臨床研究会の伊藤伸二 2024/03/31

仮面としてのことば

 オーストラリアのパースで開かれた、第7回吃音の世界大会での様子を報告している、「スタタリング・ナウ」2004.4.24 NO.116 の巻頭言を紹介します。
 ここで、僕は、基調講演と論理療法のワークショップをしています。後で、基調講演の概要を紹介します。
 オーストラリアでは、幼児期から吃音の治療が徹底していますが、実際は治ってはいません。言語訓練が成功し、吃音がコントロールできた人であっても吃音に悩んでいるといいます。吃音をコントロールすることは、社会生活の中で、吃音を隠す、仮面としてのことばを身につけたにすぎないと、僕は思います。

仮面としてのことば
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「吃音の自然治癒率は20パーセントで、放っておいて治るものではない。幼児期に治療が必要で、治せる。だから臨床家が必要なのだ」
 第7回吃音世界大会のウェルカムパーティーの会場で、オーストラリアの大学院で言語病理学を学ぶ学生数人と話し合った時、学生は口を揃えて強調していた。子どもがどもって話し始めたら、それを止めさせ、「ゆっくりと、こう言うのよ」と、セラピストがゆっくり話すモデルを示して子どもに言い直しをさせる。どもらない話し方を幼児期に身につけさせるというのだ。
 日本では、自然治癒が80パーセントで、幼児吃音はちょっとした指導でほとんどが治ると言う人がいると言うと、「それはひどい、自然治癒は、20パーセントだと学んだ」と言うのだった。
 自然治癒がそれほど多くはないとは一致したものの、幼児期に治療すれば治るとの主張には同意できなかった。どもる度にいちいち指摘されたら、子どもが、「どもることは悪いことだ」と吃音をマイナスに意識し、話すのが嫌になり、その方が問題ではないかと反論し、私は「治すではなく、つき合うことを考える」と言うと、私のような主張はこれまで一度も耳にしたことがなかったのか、興味は示したが、「それはあなたの考えで、私たちは言語治療を学んできた」と言う。吃音は治せると言い切る自信に、不思議な感覚をもった。
 では実際に、専門家から指導された親が子どもにどう接しているのか知りたくて、どもる子どもの親をパーティー会場で捜した。幸い自分自身が吃音で、子どもがどもるという人をみつけて話すことができた。
 やはり、子どもがどもったら、話すのを止めさせ、もう一度言い直しをさせるのだと言う。親はそのやり方を信じている。それで今はどもらなくなったのかと問えば、それはそうではないということだった。治療が強調されるオーストラリアでは、幼児期に専門的な治療が受けられるに十分な臨床家がいて、治せるのだから、成人のどもる人はいないことになるはずだが、大勢がセルフヘルプグループに集まり、今回の世界大会を開催している。これはどう理解すればいいのか。
 私たちの論理療法のワークショップに参加した人たちにウェンデル・ジョンソンの言語関係図をひとりひとり書いてもらった。グループで話し合ってもらったが、偶然一つのグループの7人が全員オーストラリア人だった。初めて知った言語関係図を見せ合って驚いていた。全員が同じ形をしていたからだ。吃音症状のX軸と聞き手のY軸が短く、Z軸がとても長い筆箱のようだった。その一人に、「Y軸がこんなに短かったら、Z軸も短くなるのだけれどね」と問いかけると、「どもらないようにしているから、周りは気づいていないと思う」と言った。
 子どもの頃からどもらないようにと指導されたためか、かなりコントロールする吃音を自分では軽いと思い、気づかれていないからY軸も短いらしい。しかし、本人は吃音にとても悩んでいるから、Z軸を長いものに書いたのだ。
 このグループとは違う一人のオーストラリアの女性も同じ形だ。この女性は、夫が医師で、夫のためにもどもりたくないらしい。周りの人に吃音だとは気づかれていない程度だけれど、自分自身は吃音に深く悩んでいる。
 オーストラリアで中心的に活動する友人は、社会生活の中では、できるだけどもらないようにかなり無理をして吃音をコントロールしている。家に帰ったら、ぐったり疲れていて、仮面を脱ぐのだと言う。吃音についての苦悩は深い。
 世界大会で見聞きした限り、オーストラリアでは、幼児期から吃音の治療が徹底している。そして、吃音がコントロールできた人であっても吃音に悩んでいる。吃音をコントロールすることは、社会生活の中で、吃音を隠す、仮面としてのことばを身につけたにすぎないことになる。
 私たち日本の参加者は仮面をつけないために、見た目にはよくどもっていたが、このような吃音の悩みはない。オーストラリアでは、仮面をつけさせることが治療なのか。
 私は仮面としてのことばは身につけたくない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/30

世界大会の夢

 1986年の夏、京都で開催した第1回吃音問題研究国際大会。今から38年前のことですが、会場の京都国際会館のホールも、参加した海外のどもる人たちの顔も、閉会式のとき流れた「今日の日はさようなら」の音楽も、鮮やかに思い出すことができます。
 21歳まであれほど悩み、憎んでいた吃音が、世界の人とつながる大切なものになってくれるとは思いもしませんでした。吃音のおかげで広がった世界は、楽しく豊かな世界でした。
 大谷翔平さんの通訳として、長年彼を支えてきた水原一平さんのことが連日報道されています。英語を苦手とする日本人が海外で活躍するには優秀で相性のいい通訳者が必要です。英語がまったくできない僕が海外で活躍できたのも、いい通訳者がいたからです。今でも、その人に僕はとても感謝しています。世界大会の夢を実現させてくれた人でした。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2004.3.21 NO.115 の巻頭言を紹介します。1986年の8年前、1978年の初夢の話から始まります。

  
世界大会の夢
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 ―A君、私は今、10階の大ホールのコントロール室にいます。今、まさに私たちの念願だった、どもる人の世界大会が開かれようとしています。
 司会者がどもりどもり、しかも非常に晴れやかにあいさっを始めました。でも、残念ながら同時通訳の人は、ユーモアあふれるそのどもりを再現できずにいるようです。かつて、嘆き、嫌ったどもりがその人にとってかけがえのないものとして尊重されています。世界各国のどもる人がその国の様々な障害を乗り越えて次々と「吃音者宣言」をし、その成果が今、各国の代表によって発表されています。
 一国の大統領がいます。教師や医師もいます。コックさん、トラックの運転手さんがいます。この大会期間中、様々な分野の人々がどもりだけでなく自分たちの職業に関しての交流も進めています。…
 A君、私の初夢はここで終わってしまいました。でも、いつかこの夢が夢でなくなる日がきっと来ることを信じてペンを置きます。
              1978年1月 初春

 ニュースレターの「吃談室」のコラムにこの文を書いたのは、夢の一歩が実現した、1986年の第一回吃音者国際大会の8年前のことだった。
国際大会会場写真 京都大会。海外から参加した人たちが、「夢の世界にいるようだ」と口々に言った。大会のフィナーレ、京都国際会館の大会議場に400の人の輪が幾重にも重なった。キャンプファイアーで歌う「今日の日はさようなら」を、肩を組み、隣の人の温かさを感じながら歌った。最後に目を閉じてのハミングに変えてもらった。そのハミングに合わせて、私は大会会長として、最後の挨拶をする。
 「私は、どもりに深く悩み、どもりが大嫌いでした。でも今、こうして世界の仲間達と出会い、語り、笑い、泣いた。このような体験をさせてくれたのは、どもりに悩んだおかげです。私は今、どもりが大好きになりました」
 これまでの、どもりに苦しんできた出来事が走馬燈のように浮かび、涙があふれた。そしてその涙は、しばらくして喜びの涙に変わっていった。私だけが泣いていたのではなかった。世界大会の記録のビデオを見ると、ほとんどの人が泣いていた。
 久しぶりに参加した、オーストラリアのパースで開かれた第7回世界大会は、参加国が格段に増え、文字通りの世界大会に成長していた。そのウェルカムパーティーの会場に大きな男が飛び込んできた。「シンジ!」と叫ぶ声に、私も瞬時に「マイク・マコービック!」と叫んでいた。抱き合い、18年の年月が一瞬に縮まった。彼は、京都での大会の、きつつきのロゴの入った大きな黄色のネームプレートを首からぶら下げていた。
 今回の大会開催のグループの会長で、この大会を開催したのが、これも京都大会に参加したジョン・ステグルスだった。さらに、大会初日、当時のドイツの会長だったディータ・スタインとも喜びの再会をした。彼も最後に泣いたと言っていた。
 英語ができないと評判のアジアの日本人が、なぜ、第一回の国際大会が開催でき、その後も、国際吃音連盟の創立に貢献ができたのか。一人の女性との運命的な出会いがあったからだ。
 20年前、私は当時大いにもめながらも蛮勇で強引に世界大会開催を決めた。しかし、どこの国にグループがあるかも知らないし、世界各国機関や大学への手紙など、何をするにしても英文の文書がいる。大会中の同時通訳は予定していたものの、準備段階の活動にこれだけ英語が必要なのかと、途方に暮れていた頃、親友の吉田昇平の7回忌の法事が京都であった。私と同じ「どもりの虫」で、吃音に命を賭けていたライバルだった。法事の時間に遅れてひとりで行ったことが幸いし、進士和恵さんと出会うきっかけとなったのだった。若くして病で亡くなった彼が、親友の私の窮地を救った。
 Kazue Shinjiと、Shinji Ito。海外ではよく夫婦と間違えられる。20年間、国際的な活動に対する進士さんのサポートがなかったら、私の夢は夢のままで終わっていたことだろう。改めて感謝する。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/29

第6回ことば文学賞〜書き続けてほしい〜

 「スタタリング・ナウ」2004.2.21 NO.114 に掲載している受賞作品をもうひとつ紹介します。目でさっと読むだけではなく、声に出して読んでみると、この作品の面白さが見えてきます。
 作品の紹介の後に、選者の高橋さんのコメントも紹介します。長年、僕たちの「ことば文学賞」に関わり、文章を書くことの楽しさ、喜びを伝え続けてくださいました。
 阪神淡路大震災の時、お見舞いに行くと、家が壊れ、たくさんの書籍が散乱し、「本棚の書籍に殺されそうだった」と避難所になっている体育館でお話くださったことを、今、懐かしく思い出しました。ありがたいおつきあいでした。
 「長く書き続けてほしい」のことばを僕はしっかりと受け止め、毎日、書き続けています。

《優秀賞作品》
   吃音に捧げるあいうえお
                  掛田力哉(大学生・27才)

  あいさつ
ありがとうさえ
言えないわが身の
うらめしさ
笑顔をせめて
思いに代えて

  吃音に捧げるかきくけこ
カケタコケタ(仮名)は
吃音です。
苦しんだけれど
けっこう最近
これに夢中!

  詩歌もよう
さみしさのつれづれに
詩をしたためています あなたに
すぎゆく思い出 かなしいでしょ
   だから書きたいのよ わかるでしょう
責め続けた思いを 詩につめて
   私の中の あなたにおくる
そんなあなたとの日々が
   季節の中でうもれてしまわないように

  ため息
他愛もない言葉が何よりも欲しい
ちょっとした冗談がうらやましい
積もる話を何時間でもしてみたい
定型詩には
とても収まらぬあれこれが言いたい

  寝床の夢
悩んだのはやっぱり恋、恋、恋!
逃げて帰ったふとんの中で、
   ペラペラ話す妄想にふける
塗り替えたい記憶の数々
寝言でなら言えるかしら?
残された現実と相変わらずの片思い

  変だなあ?
「話し方がすき」
「一言ひとことが面白い」
「雰囲気がある」
「弁論大会代表になってください」
本当に私が言われたことなのですよ、
   変でしよう??

  むかしむかし・・
真面目な少年がおりました。
ミジメなのが本当の所でした。
無口で一言も話さないものですから
目立たないはずでしたが、
   叱られてばかりなので目立っていました。
物語は大した変わりも無いままに、
   そのままずうっと続いてゆくようでした。

  止めたくない
やめないで、
勇気を出して書いてこれたのは
読んでくれる仲間ができたから。

  ロック21世紀
ランドセルしょって
   もう一度やり直したくはないけれど
リレーゾーン 吃音のバトンを受け取って!
ルート21 コトバの新しい道を走り続けて!
レボリューション
   きっと何かが変えられるはずさ!
Rock'n'roll ドッドッドモリの熱い魂で!

  吃音に捧げる和音(わをん)
われいまこそ どもりそなたに
ゐやまうしたし
ゑんずることなく
をしみたまへん
  (現代語訳)
わたしは今こそ 吃音あなたに
お礼申し上げたいのです
恨むことはもうありません
ずっと大切にさせて頂きたいと
   そう思っているのでございます。

〈高橋さんのコメント〉
 うかつにも、最初は「目読」してしまい、すべてが五十音の仕掛けに気がつかなかった。
 口ずさんで、そして…。作者の言葉に対する感性に脱帽。


作品を読んで
                  高橋徹


 15点の作品を読ませて頂いた。
 その感想を記す前に選者自身のことを書かせて頂くことをお許し頂きたい。
 実は、昨年の夏に体調を崩し入院加療を続けている。夏風邪、急性の脱水症状などで救急車騒動であった。秋口に入りようやく落ち着いてきたのだが、自分が自分でなくなっていることに気付いた。「読み書き」が変わっているのだ。
 思い感じた詩の一節を口ずさむのだが、周囲には捻っているとしか聞こえていないようだ。あとで手を入れようと思っていた殴り書きが自分でさえも読めない。頭の中では、確かに読んでいる、創っている、書いているのだが思うように表現できない。これが「老い」というものかと愕然とした。

 ええいと息子の手を借りることにした。(お預かりした原稿を)自身で読んだあと、音読してもらう。広辞苑もひかせる。書き出すのはもう少し大変だ。自分しかわからないメモを拾い拾い読み上げ、彼しかわからぬ乱筆で文章に。ワープロ打ちしてもらい、それを目で読み、また音読させ、さらに注文をつけて清書へ。

 こんな過程を経て皆さんの作品を読んで一番驚いたのは言葉への敏感さである。教室などでよく話すことに「とにかく声に出して読んでごらん」がある。リズム、係り言葉、過剰や言い足り無さ…その殆どが、声に出して読むとわかってくるものなのだ。
 この点において、どの作品もとても心配りが出来ている。あるいはしようとしている。細部においては「こうしたら…」と思う箇所もあったが、常日頃、発する言葉に気を遣っているのだなあと改めて思わせてくれた。

 さて、音読によって表現の調子をわかってきたら、次は、もっとギュッと刈り込むことを考えたい。ひとつの作品のテーマは基本的にひとつの筈。なのに、どんどん枝葉が繁ってしまっている。直感的な言い方だが、どの作品もあと2割から3割は短くなると感じた。そうすればもっとテーマが鮮明に浮かび上がってくる。
 文章を書くと自分が見えてくる。書き続けて欲しい。(「スタタリング・ナウ」2004.2.21 NO.114)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/28

第6回ことば文学賞

 ことばについて、吃音について、そして自分について、しっかり向き合い、綴ることで何か見えてくるものがあるだろう、また後に続くどもる人たちに大切にしているものを伝えたい、そんな思いで始まったことば文学賞。たくさんの人の人生にふれることができる絶好の機会となっています。
 第6回目は15編が集まり、元朝日新聞記者、カルチャーセンターなどで文章教室を開いておられる高橋徹さんに講評と選考をお願いしました。体調が悪い中、息子の順さんにもお手伝いいただいて、一編一編丁寧に読んでいただきました。
 「スタタリング・ナウ」2004.2.21 NO.114 から、受賞発表の日の大阪吃音教室の様子と、作品を紹介します。

ことば文学賞発表の日〜大阪吃音教室〜
 ことば文学賞発表の1月16日、大阪吃音教室は、35名の参加があり、熱気に包まれていました。参加している作者がそれぞれ自作を読みました。
 聞いていた参加者がふと思い浮かんだことや感想を話します。作者に質問したり、自分の体験を思い出して話し始めることもありました。
 作者も作品への思い入れを語ります。その後で、高橋さんのコメントを紹介しました。参加者の感想とぴったりだったり、なるほどそんなふうに表現できるのかあと、納得したり…。
 このとき、まだどの作品が受賞したのか、参加者は知りません。作品朗読の後、いいなあ、気に入ったなあと思う作品を、参加者全員による挙手で選んでみました。そして、いよいよ高橋さんによる審査の発表を行いました。温かい拍手の中、記念の楯と副賞の図書券が手渡されます。喜びいっぱいの受賞者の横顔が輝いた瞬間でした。
 2時間の吃音教室があっという間に終わったような気がしました。
 悩んでいた頃は、あれほどまでに嫌いだったどもりについて綴った文章が、こんなに心地よく耳に入り、やさしく温かい気持ちにさせてくれるなんて、参加した人の多くが、そんな不思議な空間を味わっていたことだろうと思います。
 受賞作を紹介しましょう。

  仮面
           堤野瑛一(大阪スタタリングプロジェクト・会社員・25歳)

 つい最近になって、やっと実感出来る様になってきた事である。僕は確実に、昔の僕ではない。僕はようやく、仮面をはずす事が出来たのだ。
 昔、僕は人前でどもる事を恐れ、人前で自分がどもる事がバレる事を恐れ、ずっと無口な人間を演じていた。必要最低限の事以外、何も言葉を口にしなかった。でも僕の中にはいつも不完全燃焼な気持ちが残り、大きなストレスを抱えていた。
 「本当は違うんだ、僕には喋りたい事がもっと沢山あるんだ。意見だって自論だって興味だって、もっと口にしたい事が山ほどあるんだ!」
 僕はいつも、心の中でそう叫んでいた。
 でも今は違う。今では訊きたい事を人に訊き、喋りたい事を何でも喋り、以前の様な不快なストレスは殆どない。決して吃音が治ったわけではない。人前でどもりながら喋っている。思い切りどもっている。
 昔の僕は、注文を言う事が出来なかったので、一人で喫茶店に入れなかった。コンビニで煙草を買う事が出来ず、いつもわざわざ自動販売機を探し買っていた。店にいって、分からない事があっても店員に聞くことが出来なかった。仲間との会話で、どもる事が嫌なばかりに、知っている事や分かっている事を、知らない、分からない振りをして何も喋らなかった。でも今は、この全部が出来る様になった。
 そう、僕はどもりを隠さなくなった。どもる自分を認める事が出来る様になったのだ。今になって考えてみると、それは当然の事の様にも思う。目の見えない人間が見える振りを出来ない様に、耳の不自由な人間が聞こえる振りを出来ない様に、片足のない人間が松葉杖を使わずに歩く事が出来ない様に…、又、どもる僕がどもりでない振りなど出来る筈がないのである。
 …どうしてこんな事に今まで気がつかなかったのだろう。認められなかったのだろう…。結局僕は昔、背伸びをしていただけなのである。自分を実際より大きく見せようとして無理をしていただけなのである。健常者という名の仮面をつけていたのである。だけど今になって、ようやく等身大の自分を人前にさらけ出す事が出来るようになった。仮面をとる事が出来た。
 自分を実際より大きく見せる、格好良く見せる、こんなしんどい事はない。人間は所詮、等身大でしか生きられないものである。確かにどもりは格好悪い。しかしそれが自分なのだ。実際の姿なのだ。
 しかし何も僕は、自分一人の力だけで今の自分になれたわけではない。僕の周りには、ちゃんとモデルがあったのだ。どもる事を受け入れ、人前で堂々と等身大でどもりながら喋る人間が、僕の周囲にいる。そう、見本があれば、人間というのは生きやすいものである。自分が理想とするものが、実際にモデルとしてあれば、非常にその理想の姿に近付き易いものである。そういったモデルの方々のお陰で、僕はその人達を具体的な理想とする事が出来、そして一歩一歩近付く事が出来たのである。そのモデル達に、僕は感謝したい。
 …今でも、この時はどもりたくないなとか、今どもってしまって恥ずかしいなと思う瞬間はしばしばある。しかし、もう僕は仮面を付ける事は望まない。仮面を付けると、視界が狭いし、息苦しいのである。これから僕は、素顔をさらして生きていく。そう、仮面なんてない方が、顔が涼しいし、生身の空気を肌で感じる事が出来るから…。

〈高橋さんのコメント〉
 段落ごとの入り方がうまい。「つい最近」「昔、ぼくは」「でも今は」「そう、」「…どうしてこんなことに」…。惹かれるように次の段落へと進む。多重人格、仮面夫婦などが現代社会の問題となっているが、「仮面をつけると、視界が狭いし息苦しい」に仮面の負の本質を言い当てている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/27

書くことの楽しみ

 今日、紹介する「スタタリング・ナウ」2004.2.21 NO.114 の巻頭言のタイトルは、「書くことの楽しみ」です。書き出しに、毎日毎日文章を書いている、とありますが、20年経った今でも、それはほぼ変わりません。メモ程度のものも含めると今も毎日何か書いています。ノートや紙に書いていたこともあったと思いますが、今はほぼパソコン相手です。
 2004年の春、オーストラリアのパースで開かれる第7回世界大会に出発する前日に書いていたらしい巻頭言です。国際大会のことも、第6回ことば文学賞のことも、懐かしく思い出しました。

  
書くことの楽しみ
          日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 毎日毎日文章を書いている。完成させた文章だけではなく、メモ程度のものも含めれば、おそらく書かない日はないだろう。それも、吃音に関わることがほとんどで、自分の本質に関わるテーマだから、時に重く苦しい。
 文章を書きながら、怒りや悲しみがわき上がってくることがある。そして、書きながらそれが徐々に収まっていくプロセスはうれしいが、収まった後にまた新たな怒りや悲しみがわいてくる。書くことは自分を生きることであり、今の自分の歩みに立ち会うことでもある。まだ私は、文章を書くことの中に、軽やかな楽しみを見い出せない。それは、私にとっての吃音は、大きな大きなテーマであり続けるからだろう。
 かつて私は、吃音に深く悩み、吃音を治そうと闘いを挑み、他者を自分をひどく傷つけて生きてきた。その苦しみの中から、吃音は闘うべき相手ではなく、和解し、手をつなぎ、共に人生を生きるまたとない伴侶だと思うようになった。
 その吃音を、敵視し、ねじ伏せ、自分の管理下に置くことをすすめる臨床家は少なくない。吃音に取り組む当事者はどうか。明日から出かけるオーストラリアのパースで開かれる、吃音国際大会は、1986年、私が大会会長として第1回の大会を開いて7回目になる。ここまで続き、これからも続いていくことは大変にうれしいことなのだが、国際大会のプログラムを見て、少し不満をもった。私たちの海外への発信が不十分なこともあるのだが、セルフヘルプグループにつながる人たちの意識も、吃音はあくまで闘う相手なのだ。
 第1回で私は大会宣言の中に、「吃音研究者、臨床家、吃音者がそれぞれの立場を尊重し、互いの研究、実践、体験に耳を傾けながら議論をし、解決の方向を見い出そう」と対等な立場に立って、「吃音に取り組もう」という文言を入れた。しかし、世界の動きは、まだ専門家主導で動いているとしか思えないようなプログラムになっていた。吃音の悩みからの解き放ちは、吃音の治療改善にしかないと考えているからなのだろうか。これまで以上に世界への発信の必要性を感じたのだった。
 今回で6回になる、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの「ことば文学賞」。今回は、15編と応募も多く、作品の内容の傾向が変わってきたと感じた。
 「ことば文学賞」の入賞選考は、朝日新聞の学芸部の文学担当として、長年作家の文学作品に触れ、ご自身も書き続けて来られた高橋徹さんにお任せしている。毎回私たちの作品を丁寧に読み、大阪吃音教室の「文章教室」で講評して下さる。
 どもる人の苦しみ、悩みから解放されていく喜びを常に共感をもって読み取って下さる。私たちが信頼している選者であり、長い間私たちの書くことを支えて下さってきた師匠でもある。安心して、選考は全てお任せしている。これまでは、吃音の悩みや苦しみと真っ正面から向き合い、そこから新たな生き方を探るような作品が選ばれることが多かった。ところが、今回の入賞作3編は、これまでの選考基準とは趣が違うように私には感じられた。文章を書く楽しさや喜びがある作品だ。
 どもる私たちが、長年「書くこと」をとても大切にして、取り組んできたのには、次のような意味合いがある。

*自分のために書く
 日記に自分の苦悩を書くことから始まって、私は、読み手を意識して書くことで、自分を見つめ直すことができた。
*後に続く人のためになれば、と考えて書く
 吃音にとらわれた苦しみから解放されていくプロセスを書くことは、後輩に自分のしてきた過ちを繰り返して欲しくないための発信となると思った。
*書くこと自体が喜びであり楽しみとして書く

 この三つを繰り返しながら、書いていくのだろうが、私は、自分を見つめるためと、後に続く人への発信の意味で書くことが多い。高橋さんは「ことば文学賞」の選考を通して、書くこと自体を楽しむ書き方もすばらしいのだよと、私に言って下さっているような気がする。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/26

2003年 第9回吃音ショートコース【発表の広場】3 なぜ、ここに? ここだからこそ!

 2003年に開催した第9回吃音ショートコースでの【発表の広場】で発表されたものを紹介してきました。今日で最後です。最後は、巻頭言で紹介した、「どもらない人」である掛谷吉孝さんの発表です。
 掛谷さんは、僕たちが事務局をしていた、竹内敏晴さんの大阪での定例レッスンに、毎月、広島から参加していました。そこで出会い、吃音ショートコースや吃音親子サマーキャンプにも参加するようになりました。竹内さんが亡くなってからは、自然と離れてしまったのですが、先日、久しぶりに連絡をもらいました。
 NHK EテレのハートネットTV「フクチッチ」を見て、連絡してくれたのです。「フクチッチ」のテーマが吃音というので、もしかしたら僕が出るかもしれないと思ってテレビを見たら僕が登場したというのです。イベントには参加できないと思うけれど、「スタタリング・ナウ」を購読したいとのことでした。3時間半以上カメラが回り、取材を受けたが、流れた映像はとても短いもので残念だったなあと思っていたのですが、こんなうれしい、おまけのような、掛谷さんとの再会を作ってくれました。

なぜ、ここに? ここだからこそ!
                   三原高校教諭・掛谷吉孝(広島県)

 緊張しますね、やっぱり。発表の広場で話をしてみないかと2,3週間前ですか、伊藤さんに急に言われて、どうしようかなと思ったんですけど、割と安請け合いをしちゃうタイプなので、引き受けてしまいました。僕は吃音でもないし、臨床家でもないのに、なんでここに来てるのとよく言われるのですが、どっちでもない人がここに来てどんなことを思ってるかを話してくれないかと言われたので、まとまったことは言えないのですが、思っていることを話したいなあと思います。
 もし、お聞きになって、それはちょっと違うかなということがありましたら、後でいろいろ聞かせてもらえたらと思います。足りないことは伊藤さんがつっこみを入れてくれるということなので、それに任せたいと思います。
 なぜここに来るようになったかというのは、5年前に、掛田さんが話をされた竹内敏晴さんのレッスンでたまたま伊藤伸二さんに会ったことがきっかけなんです。僕、最初、伊藤さんが何をしている人か知らなかったんです。2回か3回くらいレッスンに通って話をしたりしているときに、伊藤さんがこんなのがあるのだけどと、この吃音ショートコースのことを教えてくれました。そのときは、《表現としてのことば》というテーマで、谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんをゲストに呼ぶということだったので、そこだけ聞いて、行ってみたいなあと思って、「いいですね」と言ったら、伊藤さんが「じゃあ、案内を送るから」と言われて、それから何日かして送ってきてくれたんです。いいなあと思ったんですが、正直、案内を読んだときに、さあ、ほんとに行っていいのかなと思ったんです。
 僕は、吃音でもなくて、吃音の人にかかわっている仕事をしているわけでもない、それで行っていいのかなという迷いがちょっとあったんです。そのときに同封されていた、『スタタリング・ナウ』に、読売新聞に伊藤さんの半生記が載っているのを読んで、伊藤さんがいろいろ紆余曲折というか辿ってきた道を書いてあるのを読んでいて、ますます僕が行っていいのという気持ちがあったんです。あったんだけど、伊藤さんの方から声をかけてもらったということがあったし、これも何かの縁かなということと、参加対象という中に吃音の人、臨床家、コミュニケーションに関心のある人という項目があったので、これは自分をここに当てはめていけばいいだろうと半ばこじつけて来ることにしました。
 吃音ショートコースは研修もおもしろかったんですけど、驚いたことが二つありまして、一つは吃音の人ってこんなにいるのか、ということでした。僕は吃音ということで、思い出したのは、小学校の同級生でどもっていた子がいたんです。その子のこと、だいぶ忘れていたんですが、吃音ショートコースがあるよと聞いて吃音という文字を見たときに、その子のことを久しぶりに思い出しました。
 そういえば、あいつはどうしてるのかなあということを思い出しました。僕が吃音ということで知っている人ってそのくらいだったんですけど、ここに来たら仰山、こんなにいるのかなと、先ず一つ目はそれが驚きでした。
 それともう一つ、昨日もコミュニティアワーがありましたけど、どもる人って、こんなにしゃべるの? みんな悩んでるのとちがうの? と思ったんです。正直、部屋の中にいっぱい人がいて、みんなしゃべってる、それにすごく圧倒されました。そのときは、端の方にちょこんとすわっていただけだったと思うんですけど、何なんだろうということをしばらく思ってたことがあります。
 何回かここに来ていて、思うのは、吃音のことで悩んでいるといっても、話したいこととか思っていることはいっぱいあって、それを受け止めるということが、日常でなかなかないのかなと思います。
 僕は、高校で英語を教えているんですけど、一応そういう意味ではことばが専門ではあるのですが、ここに来て分かったことは、ことばにとって必要なのは、内容が明確であるとか、滑舌がいいとか、そういうことじゃなくて、それを受け止める相手が必要なんだということが僕はすごく大きいということです。だから、いかに筋が通っていようが、それを受け止める人がいなかったら、ことばは成り立たないということですね。僕は、ここに来てすごく身に浸みる思いで分かりました。
 それと、ここでコミュニティアワーもそうですが、話してるのを見ていて思うのは、聞き手と話し手というのが役割が固定していないんですよね。この人が聞き役をする、この人が話すというわけじゃない。この人が話してたら今度は後でこの人が聞き手になってるとかね。それがお互いにできてるというのが、僕はここが場としていい所だなあと思います。それは、ここが持っているひとつの場の力かなあという気もするんですけど、お互いが平場でいるというのは、そういうところがあるからかなあと思っています。
 さっき、ビデオであった吃音親子サマーキャンプには、僕も何回か参加をしているのですが、そこで思ったこともいくつかあって、子どもが話し合う時間があるんですね。多分配慮だと思うのですが、僕が高校の教員だから、高校生とかそれに近い中学生の所へ入れてくれてると思うんですが、そこで去年、話し合いをしているときに、普段これが言いたいけど、ここでつまるから困るってことはないか、みたいな話題になって、そのときに、僕の中ですごく印象的なことがあったんです。
 そういうときは早口で言うという子がいたんですね。早口でも分かってもらえなかったらどうするのと聞いたら、いや3回くらい言ったら大体分かってくれると言うんですね。僕は、その3回言えば分かってくれるというのは、すごいと思ったんです。僕だったら絶対3回は言わないと思うんです。2回言ってだめだったらもういいやと思うんですが、その子は3回言ってでも伝えるということをしっかりやろうとしている、これがすごいなあと思ったんです。それを聞いて思ったのは、それくらい真剣さがいるんじゃないかということです。すらすらとことばが出たら伝わるものだというふうに、多分どもらない人はなんとなく思っているんですけど、そんな甘いものじゃないなあと思います。むしろ、その人がどんな気持ちでこの人を相手に伝えようとしているか、そこがないとことばはやっぱり成り立たないんじゃないかと思います。僕は、そんなにことばに対して真剣になっていなかったんじゃないかなあということを考えさせられました。
 伝えることに真剣だということと、その子は早口ででも3回言うということをやってるわけですけど、その子が身につけたというか、自分なりに試行錯誤をしてこれだと思ったやり方だと思うんですね。それは、人によって多分違うと思うんです。どもり方もその子によっていろいろつまることばとか違うと思うし、そうなると、どうやったらうまく伝わるかということをその子は必死で考えて、自分なりに身につけると思うんです。3回言うというのを聞いて分かったのは、真剣さと、もう一つは、自分なりの伝え方をみつけるものだということですね。なんかうまい方法があって、それをやれば伝わるということじゃなくて、自分がこれなら確かだということをみつけてそのスタイルでやるということだと、これが大事だなということが僕の発見でした。
 何年か前に、論理療法がテーマだったことがありますけど、あのときに、唯一のベストじゃなくて、マイベストをみつけたらいいんだという話がありましたけど、僕はそれとつながるなあと思います。マイスタイルが大事だなあと思います。マイスタイルをみつけるということと真剣であるということが大事なんですが、それをみつけるというのはそう簡単にはいかないんですね。
 昨日、夕方の吃音臨床講座で、僕は成人吃音の方に混ぜてもらってました。そこで自己受容とか他者信頼ということで、話し合いをされたんですが、話し合いでこんなことが出てきたということを聞いていて、受容、受け入れるっていうのは、しようと思ってできるものじゃないと思いました。がんばったら自己受容できますとかいう、そういう話じゃないと思うんです。なぜかというと、自分を受け入れるというのは、ひとりじゃできないと思うんです。何かそれを聞いている人がいて、ふっと何か言ったはずみで自分が、(あっ、自分ってこういうことなのか)とか、(あっ、こんなふうに見てくれてるのか)というのが分かったときに、初めて受け入れるということが出てくるんだろうなあと思います。
 ひとつだけ僕の例で言いますと、僕は自他共に認める男前で、それは半分冗談ですが、自他共に認めるマイペースな人間なんですね。去年、僕が職員室ですわっているときに、生徒がこんなことを言ってたんですね。「なんか先生の周りだけ時間がゆっくり流れてそうな感じ」僕はそう言われたときに、ああ、僕はそういう雰囲気を持ってるのかと、それはマイペースというのとは違うと思うんですね。その表現でしかできない言い方があって、なんか僕は妙に納得しちゃったというか、ああそういう雰囲気なんだけど、それがもしかしたら合う子だっているかもしれないなということを思った。それが逆に人をイライラさせることがあるかもしれませんが。そういうときに初めて受け入れるというか、あっ、自分はこうなんだということが分かることがあると思うんですね。それは、人に出会っている中でしか分からないので、僕はここに来てそういうことが感じられたことが自分にとってはすごくいいことで、だからここに来続けてるのかなあと思っています。
 というところで、何かつっこみを入れて下さい。

伊藤 「やればできるじゃないか、ゴーシュ君」(『セロ弾きのゴーシュ』の楽長のせりふ)。 つっこみを入れてもらわなきゃしゃべれないと言ってたのに。
 僕は誰かれなしに誘うことはしなくて、どもりのにおいがするなあという人を誘うので、もちろん掛谷さんは吃音じゃないけど、なんかどもり的なものというか、そういう雰囲気がある。最近、どもり始めたでしょ。
掛谷 そう。こないだ、伊藤さんにも言ったんですが、最近たまにどもるんです。これが不思議なことに。長年どもっている人からみれば、ひよっこですけれども。僕はどもっているなあと気づいたときに、思ったのは、どもってるときって言いたいことは、ここまでいってるんだけど、ことばが追いついてないという感じがしたんです。もしかしたらこういうのがどもっている人が持っている悩みに近いのかなあと思って、それは自分でも不思議な体験でしたね。まあ、治そうとは思いませんが。
伊藤 僕、どもる人のセルフヘルプグループって何だろうと思ったときに、どもる人だけが集まってはだめだと思うんです。吃音の場合は聞き手がいてこそ成り立つものだから、できれば理想的にはどもる人半分、どもらない人半分がいて、その中で生きるということとか、コミュニケーションを一緒に考え合うのが僕の考える理想的なセルフヘルプグループのミーティングなんです。そういう意味では掛谷さんは、大変ありがたい存在です。

 どもる人本人でもなく、ことばの教室の担当者でもない掛谷さんの存在は、掛谷さんグループという名前がついて、少しずつ広がってきています。(「スタタリング・ナウ」2004.1.24 NO.113)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/25

2003年 第9回吃音ショートコース【発表の広場】2 吃音と私

 吃音ショートコースには、本当にいろいろな人が参加してくださったなあと改めて思います。
それぞれがいろんなきっかけで僕たちと出会い、直接このようなワークショップに参加してくださいました。体験を聞かせていただく中で、ぐっと距離が縮まります。人との距離を遠ざけた吃音が、今は人との距離を縮めてくれる大切なものになっていることを実感します。ご自分がお書きになった本を送ってくださったことで参加され、発表された田中さんの体験を紹介します。

  
吃音と私
                     永野病院・田中保彦(千葉県)

 ただいま御紹介いただきました田中です。現在、千葉県市原市で60床の小さな病院の雇われ院長をしております。私も自分の名前が言いにくくて、最近はうまくごまかして言ってしまうのですけれども、ひと頃はきちっと言わなくてはいけないというような固定観念にとらわれていまして、それが一層言いにくさを増した時期もありました。今、順番を待つ間も非常にどきどきしていまして、トイレにも行きたくなるし、早く順番が来ないかなあと思って順番を待っていました。随所にどもるところがありますので、いくつどもるか数えてみて下さい。
 今、順番を待つ間にどきどきしているというふうにお話しましたけれど、私がどもり始めたといいますか、それを恐怖に感じ始めたのは中学校の2年生のときです。いわゆる思春期、異性を意識し始めたりする時期だと思いますが、国語の朗読のときに最初の一語目からことばが出なくなったのです。それまでも幾度かどもっていましたが、それを恐怖に感じたことはありませんでした。初めての経験でした。さきほどお話された掛田さんと同じように、話をしていて友だちから発語の際に目を細める癖を指摘され、そのときから意識するようになったのかもしれません。得体の知れない嫌な感じというのは、常々持っていましたけれども、そういう形で自分が進退窮まるというような状況は初めての経験でした。それ以後、おきまりのコースだとは思うのですが、どうやって解決していいか分からずひたすら逃げてしまいました。
 中学3年生の1学期、自己紹介がありますね。さきほど言いましたように、自分の名前が言えない。これはごまかせないですから、もうどうにもならなくなって、自己紹介が始まってから、その途中で、先生に手を挙げて、トイレに行かせてもらいました。そのときのことばは、なぜかすらすらと出たんです。多くの吃音者の方が経験していらっしゃると思いますけれども、とっさのとき、意識しないときは、割とことばが出やすいですね。トイレに行き、自分の番が過ぎたかなと思って、そろそろ戻ろうかなと思っていましたら、手洗いを出たところで、向こうの方から数人の同級生たちがやってくるんです。あわてて、またトイレに隠れました。それからドアを閉めてずっと身を潜めていました。しかし、トイレの中までみんなで入ってきて、心配してドアを全部たたいて回るのです。さらに返事がない所を開けて確認までしている。もうこりゃダメだと思いまして、諦めてじっと身を潜めていました。ドアの上には壁がありませんので、そのままジャンプすれば中が見えるわけです。それで、ジャンプした一人に見つけられてしまいました。決まり悪く自ら外へ出て、体の具合が悪いんだなどと言いわけをして、担任の先生に付き添われて保健室まで行ったというような、そんな惨めな経験があります。
 その後、学校へ行くふりをして、実は学校には行かずに、近くの物置のような所に隠れていて、またこっそり家に戻ってくるというようなことをして学校をさぼりました。母親は、私が小学6年生のときに亡くなっていましたので、親父と兄が仕事にでかければ家の中にはもう誰もいません。そのうちたまたま途中で戻ってきた兄に見つかって、すごく叱責を受けました。それでも学校に行かず、1学期の大部分を不登校で過ごしました。幸運もあって、あるいは先生方の配慮もあって、2学期、3学期とどうにか学校に行くようになりました。3学期には同級生たちが私のがんばりを認めてくれて学級委員に選んでくれたりしましたが、自分の中では何も変わっていないという気持ちが強く、全然自信にはなりませんでした。ですから、高校に行ってから先は本当に逃げまくりの人生でした。どうにもならなければその場で「自分はことばがつかえます」とか、「うまく読めません」などと言って逃げる。一々それを言うのも面倒なので、初対面の人の集まりや、自己紹介をしなければいけない場面はもうなるべく出ないように避けておりました。
 そんなふうに吃音とつきあいながら生活は同時進行していくわけですけれど、それがどんなことで転機を迎えたかというと、別に劇的なことではないのです。結局、吃音を嫌だな嫌だなと思いながら仕方なく、不愉快な気分をずっと抱えて普通に生活をしていて、ごくありふれた日常生活での小さな感動といいますか、そういったものも経験しながら、30歳くらいまで変わり映えのしない生活をしていました。私は21歳で学生結婚しましたが、別に自分がもてたからではなくて、なりゆきで結婚しだらだらと生活をしていました。就職もせずに、自分で塾をやっていました。それが発展していって、学生を雇って、生徒数は全部で5、60人くらいでしょうか、その程度の塾をやっておりました。
 29歳のとき子どもが生まれて、直接のきっかけというと、その辺ではないかと思いますが、やはり、これではダメではないかと思い、大学の医学部を受け直しました。それまでは、1対1で話をしてもそれほど恐怖感はないのですが、電話は怖くて普通にできるようになったのは28歳のときです。子どもができたころまで電話は恐怖でしたね。自分でかけることができないのです。かかってきても、うまく最初の返事ができないこともありました。そうすると、電話の向こうで相手の誘しげな雰囲気が電話口に伝わってきます。それで自分から受話器を置いて逃げる、そんなすごく情けない思いをしました。その後もずっと頭にひっかかっていたのは、おおぜいの人の前で話をすることです。社会に出ると、結婚式などでスピーチをしなければいけない。それなのに自分は社会人としての宿題を果たせられないのではないかという不安がずっとありました。それでも一方では子どもができたし、なんとかがんばらなければいけないという思いで医学部に入りました。医学部に入っても、それまでずっと逃げ続けた学校生活を送ってきましたので、非常に苦痛でした。今度は出席の返事すらまともにできなくなりました。
「ハイ」ということばがなかなか出ないのです。
 13歳の時に朗読で立ち往生してから37年間、今50歳ですが、現在でもさきほどもお話したように、相変わらず強い予期不安を感じます。しかし、いつの間にかそれでもなんとかやるんだという気持ちに今ではなっています。これも、一口では言えませんが、その中には森田療法との出会いがあり、またごく最近ですが、インターネットで伊藤伸二さんの存在を知り、その本を読ませていただいて再確認をしましたが、やはり共通して言えることは、普通に生活をしながら、その中で吃音とつきあっていく。強引にねじ伏せるとか、逃げるとかではなくて、たとえどもっても自然にやれることをやっていく、ということです。
 私自身の性格というのは、あまり明るい性格ではないので、人の中に入って話をしていますと、自分だけが暗くて雰囲気を落としているのではないかという気持ちを抱くことがあります。さきほどの掛田さんのお話を聞いていると、私にはただただまぶしく感じられました。自分の性格ですから、それをもちろん変えるわけにはいかない。また、私は今こういう仕事をしていますけれど、びくびくするとか、どきどきするとか、これは要するに自律神経の問題で、自律神経の中の交感神経が興奮するとどきどきする、これは当たり前なんです。これをいけないことだ、お前は弱いんだというふうに私はずっと思い込んでいたのです。自然な生理現象ですから、自然のままにして、今やらなければいけない、たとえば結婚式のスピーチなら、仕方がない、友人や同僚を祝うためにとにかくどもってもなんとかやる、それに尽きるのではないかと思います。

 ご自分の吃音のことを書かれた本をお送りいただいたことがきっかけで、お誘いしたところ、急な話にもかかわらず、田中さんは遠く千葉県から参加されました。
(「スタタリング・ナウ」2004.1.24 NO.113)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/2

2003年 第9回吃音ショートコース【発表の広場】吃音を人生のテーマに

 2003年11月に、第9回吃音ショートコースを行いました。そのときのテーマは、先日から紹介している《建設的な生き方に学ぶ》でした。テーマは、毎年違うのですが、恒例になっているプログラムがあります。それが、発表の広場です。どもる人は自分の体験を、ことばの教室の担当者は、実践報告や研究を、どもる子どもの親は自分のどもる子どものことや子育てをしている自分のことを発表するのですが、毎年、内容が濃くて、心に残る3時間になっています。この年、発表者が9名と多く、全ては紹介できませんが、一部を紹介します。文責は編集部にあります。

吃音を人生のテーマに
       大阪教育大学・特殊教育特別専攻科・掛田力哉(大阪府)
 初めて参加した私がこんな場所で話をさせていただいていいのか迷ったんですけど、せっかくいただいた機会なので、私が考えてきたことやこれまでの歩みを通して、私が吃音をどう考えているのかをみなさんに聞いていただけたらと思います。私、声が小さいので、小さかったら「小さい!」と言って下さい。(「小さい!」という声あり)

1.吃音と出会うとき
 自分がことばが出にくいなあと思ったのは、小学校1年生です。クラスの私の前にすわっていたかわいい女の子から「掛田君、しゃべるとき、目ぱちぱちするね」と言われたんです。多分、言いにくいとき、目をぱちぱちしていたと思うんですが、自分ではそれまでは気にしたことが一回もなかったんです。初めて言われて自分の話し方に意識がいくようになってしまいました。自分が人に見られているということに全ての意識がいく人生がそこから始まってしまいました。
 クラスでは静かな子にはなりましたが、書くことが好きでしたので、「作文が上手だね」と言ってくれる先生のおかげで、なんとか学校生活を、ひっそりと送っていたんです。
 5年生のときの担任の男性教師から、「お前は、なよなよしている。はっきり物も言わないし、ほとんど集団の中に入っていかない。もっと入れ入れ」と言われました。でも、僕は、おなかが痛いと言って休んだり、ぜんそくがあったので、ぜんそくのせいにして、体育のスタンツなんてしませんでした。ぜんそくのふりをするということまでしたのは、自分がどもるということを知られたくなかったからだと思うんです。
 私、自分で言っちゃなんなんですけど、ちょっとその頃、女の子に人気があったようなんです。自分の正体を絶対に見せてはいけない、こういう格好悪い姿を見せたら、みんな、がっかりするんじゃないかと思いました。ほんと、考えすぎなんです。自分に意識がいってますから、考えすぎて、閉じこもっていました。
 ある日、みんなが見ている中で、ことばが出なかったので、先生の目の前で、足をバタバタやったんです。そしたら、「人前で、人の話を聞いてるときに足をバタバタさせる奴があるか」と、ダーンと殴られました。そういうことが2年間くらい続きました。

2.「吃音」なぜそんなに苦しいのか
 どうしてそんなに苦しかったのかと考えると、自分の問題が分からなかったからです。吃音ということばも知らなかったし、どもるということが他の人にもあるということも全く知らなかった。多分、自分は気が小さいから、消極的だから、ことばが出ないんだろうと、その思いだけをずっとひきずっていたんです。だから、誰にも話せないし、自分がダメなんだと思っていました。「おまえはおかしい、おかしい」と言われたから、本当に俺はおかしい人間なんだということをずっと思っていた。ほんとに孤独だったんだと思います。どもることそのものじゃなくて、どもるということを自分でも分からない、誰にも分かってもらえない、伝えられない。とにかく自分ひとりで悩んでいたという孤独が一番辛かったかなあと、今思っています。

3.転機
 中学校に入って、さすがに私も変わろうと思いました。入学してすぐに林間学校があって、女装コンテストがあったんですよ。私、なよなよしているとか、女っぽいとか言われてたものですから、女装したら大人気だったんです。かわいいとすごく言われて、男の子からも「手をつなぐの、恥ずかしいぐらいだ」と言われて、それで私はパッーと開けたんです。別に私にそういう趣味があるということではなくて。初めて、自分のマイナスだったところが人に喜んでもらえた。それで一歩を踏み出せたかなと、今にして思います。そのときは分からなかったけど、あれが大きな転機だったと思います。
 また、部活動で陸上を始めたんです。陸上競技は、集団スポーツじゃないですから、自分とだけ闘っていたらいいんです。自分ががんばればいいので、一所懸命がんばっていたら、足が速くなっちゃったんです。そしたら、キャプテンになっちゃったんです。キャプテンになると、自分のことだけを考えてはいられない、チームをどうするかとか、すごい責任を負わされたんです。人のことを一所懸命考えてるときって、どもらなかったんですね。自分に意識がいってるときは、すごくどもるんですけど。いつのまにか自分が吃音であるとか、ことばが出にくいという悩みを忘れるぐらいの生活が始まっていた。人のために一所懸命やったことが、私にとっては、結果的として吃音が治ったというか、軽くなったんです。
 結果的だったんですけども、人のことを考えるということを初めて経験させてもらったキャプテンでした。さらに、みんなからキャプテンやってるし、がんばってるからと、注目されてしまって、弁論大会の代表になってしまったんですよ。それも大変だったんです。私、ことばがぼそぼそしてますよね。ぼそぼそしてるし、はっきりとしゃべらないから、読むときでも、語尾が小さくなる。そしたら、担当の先生が「掛田君は、話し方が田村正和みたいだね」と言ってくれて、これがうれしかった。それを、声が小さいとか、語尾が小さいからもっと大きくしなさいと言うのは簡単だと思うんです。ところが、その話し方を味のあるものというふうに見てくれる、その先生の感性というのが、人を変えていくんだなあと思います。ダメなものだというよりもまずその味を認めるというか、あの感性のおかげで私はちょっと変われたのかなあと思っています。
 高校生になりまして、高校でまた吃音がひどくなったんです。すごく困って悩んでるときに、教科書に載っていた竹内敏晴さんの文章にすごく引きつけられて、こんなふうにことばやからだや心について考えたことがあったかなあと思いました。
 アヨ・ゴッという話を、竹内敏晴さんが書いているんですけど、ご存知の方、いらっしゃいますか。竹内敏晴さんは、耳が聞こえなかったので、「おはようございます」というのを聞いて、でもそれは「アヨ・ゴッ」にしか聞こえない。「アヨ・ゴッ、アヨ・ゴッ」というのが自分にとっては朝のあいさつだったんだけど、大人からはそれを「おはようございますだよ」と教えられて、一所懸命「おはようございます」と言ったら、それを周りの大人は「覚えた、覚えた」とすごく喜ぶ。ところがそのときに、自分の全身をつかって人にかかわっていた喜びも全部消えていて、「おはようございます」というのは、自分にとってはことばではなかったということを書いていた。
 そこで、私はもうガーンときて、それまでことばのことで悩んだけれども、ことばを話すというのは、そんなに単純なことじゃないんじゃないかと思った。ほんとにことばって難しいんだなあ、奇跡みたいなことだなあと思いました。私はそこまで、悩んだくせにことばのことをそんなに大事に考えてきたかなあと思った。もっともっと自分のことば、からだのことを厳しく見ないとあかんなあと思った。悩んだ人間だからこそ、もしかしたら私自身が何かことばやコミュニケーションについて伝えていけることがあるかもしれないなと思ったのが、この竹内敏晴さんの『こどものからだとことば』という本なんです。そういうきっかけで、私は学校で悩んだので、学校の先生になりたいと決心しました。
 そのまま、先生になるために北海道の教育大学に入りました。そこで、初めて恋人ができたんですよ。好きな人には自分の吃音のことを言えなかったんです。やっぱり言えなかった。言ったら甘えなんじゃないかと思った。ことばの問題があるということで、彼女に負担を負わせるのは嫌だったし、電話でも、一所懸命普通に話すふりをして、一所懸命話をしていました。
 あるときから、週末ごとに彼女の実家に行って、その両親ときょうだいと一緒にご飯を食べるという生活が始まったんです。これが地獄でね、彼女にとったら、うちに来て、うちのお父さん、お母さんに見せたいわという気持ちだったかもしれないけれど、地獄だったんです。とにかくなんかしゃべらなきゃしゃべらなきゃと思うけど出ないし、食べてるんだけど、味も分からない。気がついたら、一種類のおかずだけを食べてたんです。何種類かおかずがあるのに、一種類だけをずっと食べてた。そしたら、そこのお母さんから「ばっかり食い」というあだ名前をつけられて、それからは今度はあえて「ばっかり食い」をして、笑わせたりしていた。それがすごく情けなかった。そうなると、愛のことばをささやくということがない。
 ところが、その彼女からはすごく学んだことがあった。とにかく私は人目を気にしてずっと生きてきたので、それは彼女も多分感じてたんですね。この人は人目ばっかり意識して、人と自分を比べて暮らしているなということに気づいてたと思う。
 「お前のことなんかね、誰も見てないんだよ」
って、そういう表現しかできない人だったんですけど、そう言われて、単純なんですけど、そうか、俺のことなんて誰も見てないのかと、人目なんて気にしなくていいんだと思うと、すごく楽になりました。結局、その人とはけんか別れをしたんですけど。そういう、いろんな人との出会いが自分を変えてくれました。
 もうひとつの出会いは、留学生たちがすごく仲良くしてくれたことです。留学生は日本語が下手くそだし、私も日本語が下手くそだから、お互い下手くそな日本語どうしでしゃべっていると、すごく楽なんですね。留学生たちは私の話を一所懸命聞いてくれました。私のことばを日本語の代表として聞いてくれるのは申し訳ないなあと思いながらも、それがすごく楽しかった。「掛田さんと話すのは楽しい」「掛田さんには話しやすい」と留学生たちが言ってくれた。他の日本人と話すときと違って、話を聞いてくれるから話しやすいと言ってもらえたのが、またうれしかった。ああ、そうか、私は話しやすいんだ、ことばで悩んだからこそなのかなあと思った。

4.吃音と共に生きる
 みなさん、聞いてて分かったと思うんですけど、私、最近ほとんどどもらないですね。こういう場に立つ、特に人前で話すのは楽なんです。1対1で楽しい会話をしているのが一番どもっちゃうんですけど、それもだんだんどもらなくなってきた。自分があんなに吃音に苦しんだときのことを、あの悲しさも遠い記憶になってきた。ところが、そうなってくると、最近よく思うのは、困ってた頃のように、私は一所懸命人とかかわってるかなあということなんです。一所懸命どもりながら人とかかわっていた頃の方が、もしかしたらもっと自分らしい自分であったのかもしれません。今、吃音というのは、私にとっては私の全てではないんです。私にはいろんなやりたいことがたくさんあるし、夢はたくさんあります。でも、やっぱり私を作り上げてきたのは吃音のおかげですし、こうやって生きてきて、今、みなさんと会えるのも全部吃音のおかげです。吃音がなかったら、ことばや教育のことを考えなかっただろうなと思うと、私の根幹にあるのは吃音だなと思います。今回初めてそれを皆さんに言えることをうれしく思っています。
 吃音の人たち、今回皆さんに会っても、ほんとに思うんだけど、当たり前のことなんて何もないですね。ことばが話せて当たり前とか、そんなことってひとつもなくて、多分吃音の人ってそういうことを分かってるんだろうと思います。たとえば、暗い顔をしている人がいたら、よく「暗い顔、するなよ」とか言う人がいます。ところが、暗い顔をするにはきっと何か理由があるのですよね。やっぱりそういう人のことを思いやれる気持ちが吃音の人にはあるんじゃないかなって思います。
 「お前、もっと大きい声で話せよ」とか「お前、もっと明るい顔をしろよ」とか、ずけずけと人の中に土足で入ってくるような人は、吃音の人にはいないのではないかなあと思います。
 私はこれからも、教師になりたいという夢を追っていきたいと思うし、その中心に吃音を置き、吃音をテーマにして仕事も自分の人生も作っていきたいと思っています。吃音をテーマに生きていきたいなあと思っています。

 掛田力哉さんは、伊藤伸二の本を読み、集中講義を受けたいと大阪教育大学・特殊教育特別専攻科に入学。同級生である、内地留学の現職教員から参加費のカンパを受けての参加です。
(「スタタリング・ナウ」2004.1.24 NO.113)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/23

どもらない人

 長年、年に一度、テーマを決めて、その道の第一人者をゲストに招き、吃音ショートコースと名づけたワークショップを開催していました。「吃音」という名前がついているのに、吃音とは全く関係がない講師陣で、どもらない人も多く参加する不思議なワークショップでした。吃音とは関係ないものの、生きることやコミュニケーションについて真剣に考えたい人たちが参加していました。
 今、日本吃音臨床研究会の発行する毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」を、どもる人、どもる子どもの親、どもる子どもとかかわる仕事をしている人のほかに、吃音とは何の縁もない人が購読してくださっています。吃音を言語障害ととらえてしまうと、治療の対象にしかなりませんが、どう治すかではなくどう生きるかだととらえると、人にとって、普遍的なテーマになり得ます。吃音のもつ大きな力を思います。
 「スタタリング・ナウ」2004.1.24 NO.113 の巻頭言は、そのままズバリの「どもらない人」です。紹介します。

どもらない人
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 いろんな人の人生や実践に触れ、これまで考えてきたことやしてきたことを振り返ったり、点検したりする時間。自分自身の思索が深まったり、広がったり、確信がもてるきっかけとなる。吃音ショートコースの3時間の実践発表の時間は、私にとってとても大切な時間だ。
 今年の発表は例年に比べて9件と多く、ひとりあたりの時間がかなり短めにならざるを得なかったが、それぞれの発表者が、その制限の中で、自分の人生や吃音指導の取り組みを語って下さった。人と人との出会いの不思議さと、その出会いが意味のあるものになっていくうれしさを実感する。
 私は、どもる人のセルフヘルプグループのミーティングにひとつの理想を抱いていた。それは現在も変わらずに持ち続けていることで、どもる人と、どもらない人が半々参加するようなミーティングだ。だから吃音ショートコースも、吃音とは直接は関係のない人が、私たちの活動に関心や興味を持って下されば、できるだけ幅広く参加して欲しいと願ってきた。
 だから、どもる人が多かった第1回の吃音ショートコースから、回を重ねるにつれてどもる人以外の参加が増えてきたのはうれしいことだった。その時のテーマで割合は変わるが、谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんのお二人がゲストの時には、どもらない人の方が圧倒的に多いといううれしいことが起こった。どもる人が中心のグループに、ことばの教室の担当者や親などの吃音関係者だけでなく、吃音にこれまで全く縁がなかった人が参加するには、そのテーマが魅力的なものでなくてはならない。
 どもる人たちが、吃音が治ることや改善を中心的なテーマとしていたのでは、このようなことは起こらない。30年以上も前から提唱している「吃音はどう治すかではなくて、どう生きるかにつきる」という私の主張に多くの人が共感して下さっていることの証でもある。
 吃音とは縁もゆかりもなかった高校の教師掛谷吉孝さんは、吃音ショートコースだけでなく、吃音親子サマーキャンプの常連で、私たちの活動になくてはならない存在になっている。
 その、夏の吃音親子サマーキャンプには、掛谷さんだけでなく、吃音とこれまで全く縁のなかった人たちがスタッフとして参加して下さる。一ヶ月後、参加できる関西地方の人が集まって、打ち上げ会を開いたが、16人の参加者の中の半数が吃音とは何の接点もない人だったことに、参加者はびっくりしたのだった。
 その時もキャンプをふりかえる中で、どもる経験のない人たちが、どもる子どもたちのことを、自分の子どもやきょうだいのことのように、こんなことがあった、こんな顔をしていたなどと、報告し合い、豊かな楽しい時間を共有することができた。吃音の臨床家でも、どもる人本人でもないこれらの人々が、私たちの活動をおもしろがり、楽しんで、仲間として一緒に取り組んで下さる。ここに吃音のもつ魅力があるように思う。
 大阪吃音教室にも吃音ではない人が参加する。先だっても、ある会合で知り合った、対人関係が苦手で、大学を卒業しても就職できないと思っていた大学生が参加した。その日のテーマはインタビューゲームで、多くの参加者の体験が話された。どもる人たちが、悩みや恐れを持ちながら仕事を続け、また就職活動をしようとしている姿に接し、その学生は自分が恥ずかしくなったと言う。翌日から就職活動を始め、無事、就職試験に合格したものの、やはり働けるかどうか、不安で一杯になる。しかし、また参加した吃音教室で、どもる人たちの「どもりが治らなくても〜する」という姿勢に接して、せっかく合格した会社を断ろうと思っていたのが、自分のできることからしようと思い直したと言う。この四月からなんとか働けるかもしれないと、入社までの計画を話していた。
 その学生の話では、私たちのミーティングへの参加が大きな後押しになったという。私たちのどもりながら生きる姿が、どもらない人にも何らかの影響を与えたことになり、その話を聞いてうれしかった。まじめに人生を、人間関係を考える仲間、それはどもるどもらないを超えたところにある。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/22
Archives
livedoor プロフィール

kituon

QRコード(携帯電話用)
QRコード