伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2024年02月

あきらめ上手

 「あきらめる」ということばからは、マイナスのイメージが連想されるようです。でも、語源にあたってみると、そのイメージが変わることが少なくありません。「あきらめる」は、「明らかに見極めること」、そう知ってから、僕は、「あきらめる」を大切なことばとして使うようになりました。
 学習・どもりカルタにも、「あきらめる 治す努力はしないけど、よりよく生きる努力する」があります。
 何をあきらめ、何をあきらめないのか、「スタタリング・ナウ」2003.7.21 NO.107の巻頭言を紹介します。

あきらめ上手
           日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「あきらめなかったから、今の私がある」と、人生を振り返るテレビ対談番組がある。「決してあきらめない」「がんばる」「一生懸命努力する」は、日本人の好きなことばだ。
 私は、「あきらめたから、今の私がある」と、最近よく言うらしい。言うらしいというのは、自分では、あまり意識はなく、これまで主張と変わることがないからだ。ところが、この夏、二つの言語聴覚士養成の専門学校では、学生のふりかえりに、「あきらめる」という私のことばに対する反応がとても多かったのには驚いた。
 「あきらめる。このことばは、負け、マイナスのイメージが私にはありました。あきらめるということが選択肢の幅を広げることになる。このような意見や考え方を持った人に初めて会いました。あきらめることで見えてくるものが多くある、本当にそうだと思いました。ベースにある人生観、人間観を変えなければあきらめることは何もマイナスではないことを学びました」
 このような感想が多く出されたのは、「何でもすぐにあきらめてしまう」や、「あきらめずに執着する」のとは違うものを感じ取れたからだろう。
 あきらめるは、仏教用語の「諦める」の、「真実を見極め、明らかにする」が語源だが、現在は一般的に、「中止する、放棄する、断念する」といったような、消極的な意味に使われている。広辞苑では、「(明らむの意から)思い切る。仕方がないと断念したり、悪い状態を受け入れたりする」とあり、諦観と断念の意味が含まれ、決して消極的な意味合いではないことがわかる。

 「変えることができるなら変えていく勇気を、変えることができないならそれを受け入れる冷静さを、変えることができるかできないか見分ける知恵を」
 神学者ニーバーのことばは、まさに「あきらめのすすめ」だ。多くのセルフヘルプグループが大切に伝え続けてきたのは、あきらめないと損をするのは自分自身だからだ。
 1965年、吃る人のセルフヘルプグループを作ってからの初期の7年は、吃音の真実を見極める時期だった。「吃音は治る」は本当にそうか。どのような方法で、どれだけの時間努力すればいいか。これまで実際に治った人はいるのか。治すための指導者はどのような人で、どれだけいるのか。
 事実を明らかにしていくと、治療法がなく、治っていない人の多い事実に向き合うことになる。
 あきらめるには、このような見極める手続きが必要だ。この手続きをおろそかにする人は、「なんでもすぐにあきらめてしまう」か、「あきらめられずに執着する」かになってしまう。何を断念して、何を断念しないで追求していくかを見極めることが出来るのを、「あきらめ上手」という。自分にとって起こる可能性が極めて低いことや、人間にとって宿命ともいえること、済んでしまった過去のことについてあきらめるが、あきらめる必要がないことは、とことん取り組んでみる。
 新しい一歩を歩み出すとき、これまでの思いを切っていかなければならない。吃音が治ることを夢みて、今を仮の人生だと思っていた私にとって、治ることをあきらめることは、どもっている自分を肯定し、自分の人生を歩む出発となった。国語の朗読ができず、人前で決して話すことがなかった私は、どもっていては話す仕事にはつけないと思い込んでいた。それが、吃音が治ることはあきらめたが、自分の人生をあきらめずに、私は大学の教員という仕事についた。どもりが治る、軽くなることはあきらめるが、自分自身の楽しい、豊かな人生は決してあきらめないと、自分のしたいことや、楽しいことに取り組む人は実に多い。
 「吃音を治すことはあきらめ、吃音の真実を伝え、吃音に苦しむ人と共に泣き、選択肢を一緒に考え、本人のしたいことであきらめる必要のないことに取り組む、その人の人生を支援する」
 このような吃音の専門家が増えることを、私はあきらめない。(「スタタリング・ナウ」2003.7.21 NO.107)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/29

三重県いなべ市の梅林

いなべ梅林パンフレット いつの間にか2月も残り1日となりました。年々、時間が経つのが早く感じられます。
 天候は、夏日があるかと思えば、雪が降るというかなりの変動があります。僕は寒暖差に弱いので、注意が必要です。
 春の訪れを感じたくて、梅の花を求めて、日帰りのショートトリップ。車を少し走らせて、三重県いなべ市の農業公園内の梅林を訪れました。
 風が強い日でしたが、青空に、白い花、淡いピンクの花がとてもきれいでした。しだれ梅が多く、平日にもかかわらず、たくさんの人出でした。
 昔、よく花の名所を訪れていましたが、また、再開しようと思います。そのスタートが、ここ、いなべの梅林でした。
 大阪吃音教室の運営会議が終わり、「スタタリング・ナウ」の入稿まで少し時間がある今、隙間の時間を利用しての気分転換、いい時間でした。こんな時間が次へのエネルギーにつながります。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/28

いなべ梅林1いなべ梅林2いなべ梅林3いなべ梅林4

どもる子どもの交流活動 4

 どもる子どもの交流活動を紹介してきました。今日がその最後です。子どもたちの感想、子どもたちの変化、そして、担当者としての今後の課題など、今につながるものがたくさんあります。複数のどもる子どもの交流活動をしたくても、ことばの教室側の事情で、同じ時間帯に子どもが集まるのが難しいこともあるでしょう。1人の子どもがホワイトボードに書き込み、次にことばの教室に来た子どもが、その思いを知り、それに返事することでつながっていったという実践もあります。せめて年に一度みんなで集まる機会を持つとか、ビデオメッセージを作るとか、工夫しているところもあるようです。ひとつの学校では人数が少ないので、市内や近隣のことばの教室に呼びかけて、どもる子どものグループ学習に取り組んでいるところもあります。今回の報告が、そんなきっかけになれば、うれしいです。

子どもが自分の吃音と向き合うことができるような活動の工夫〜どもる子どもの交流活動を通して〜
渡邉美穂(千葉市立誉田東小学校ことばの教室)

これまでの交流活動をふりかえって

子どもたちの感想
 これまでの交流でよかったこととして子どもたちは次のことを挙げた。
・番組作りに友だちが協力してくれた。
・何と言っても、Aさんと出会えたこと。
・みんなで先生の家に出かけたこと。また、みんなで出かけたい。
・みんなで劇をやったこと。
・話し合いは、堅苦しくないようにやれたらいいな。時々話し合うことは自分にとって大切だと思う。
・僕もみんなと同じ時間にことばの教室に来たい。
・やっぱり、性別や年齢が同じであるほうがいい。話しやすいから。
・ことばの教室に来て、初めてどもる友だち出会った。会えてよかった。

子どもたちの様子の変化
・自分以外の人がどもっている様子を見て、「自分だけではない」と安心していた。
・人とのかかわりが苦手な子も、遊ぶ活動を通して、友だちと楽しく過ごせるようになった。
・以前よりも、家族や学級、担当者と、吃音の話題をするようになった。
・吃音に対する気持ちを伝え合える友だちができた。
・活動を重ねていくにつれて、協力をしたり、助け合ったりする友だち関係になってきた。
・どもっても明るく活動している友だちを知ったり、一緒に表現活動の楽しさを味わったりして、「どもってもいい」という気持ちが表情や態度に表れてきた。
・苦手だと思うことにも挑戦することが増えた。
・自分の吃音に対する考え方や向き合い方をみつめたり、自分の変容に気づいたりすることができた。
・生活の中で、人とのかかわりや自己表現の広がりにつながってきた。

保護者の感想
・自分以外のどもる子どもの存在を知ることにより、以前より自分の吃音に対する気持ちや考えを話すことが多くなった。また、どもる友だちと一緒に活動したいと言うようになり共に活動する中で、自己表現の楽しさを体験したりお互いに助け合ったりすることができた。
・「どもってもあまり気にしない」と言うようになった。
・我が子だけではなく、どもる子にもいろいろな子がいると知った。
・親子の間では聞けないような子どもの気持ちを知ることができた。
・同じ吃音がある友だちができてうれしく思う。

担当者にとっての成果
・複数の担当者が交流活動に対して同じ思いで取り組むことができるように、話し合う時間を多く設けるようにした。このことにより、考えを出し合ったり、担当以外の子どもについて理解し合ったりすることができた。そして、複数のどもる子どもを複数の担当者でかかわることができた。
・個別と交流活動を組み合わせることにより、子どものいろいろな様子や気持ちを知ることができた。

今後の課題
・ことばの教室への通級は、週1〜2回であり、どもる子どもの通級時間を同じにすることは、かなり難しい。ファックスやコンピュータによるメールなども活用できると考えている。実際、担当者の勧めで、メールで連絡を取り合うことを楽しんでいる子どもたちがいる。
・ひとりひとりの内面とかかわっていくことが大切で、交流活動での経験や得られたことが、個の活動につながっていくという相乗効果があることが分かった。そのため、個の活動と交流活動との関連を吟味しながら進めていくようにしたい。そして、交流活動が、どもる子どもの気持ちや人とのかかわりの変容につながる一つのきっかけとなるようにしたいと考えている。
・ただ交流活動を行うのではなく、その後にふりかえりをすることが大事であると思う。そして、その後の活動に生かされていくとよいだろう。

おわりに
 どもる状態にしか目を向けなかったら、その子がどうなっていくのかが心配だ。一時的に症状がなくなって、ことばの教室を卒業した後にまたどもり始める例は、思春期・成人期のどもる人の体験を聞いても少なくない。その時にどうするだろう。私たちは、ことばの教室が小学校の中にしかないが、そこで出会えた子どもたちといくつになっても交流したいと考えている。人と人とのかかわりに終わりがないように、いつまでも会える距離でいたいと思う。一人では生きていけないからではなく、仲間がいていつでも相談できるという安心感が、その子らしく生き生き過ごすことにつながると思うからだ。
 こんな発想から始まった交流活動だったが、吃音のある子と時々会う事で、私たち自身が安心感を得ているのかもしれないとも感じている。あの時の取り組みは、間違ってなかったと思えるように、子どもたちは毎日を楽しく生き生きと過ごしているからである。
 交流の始まりは、『どもるのは、一人ではないよ』と伝えたいという担当者の思いからであった。このことは、いくらことばや資料で伝えても子どもたちが安心感を得られるほどの伝え方ではないと思う。「出会うこと」により、「交流活動を行ってよかったこと」として書き記したようなことが、子どもたちの内面に起きている。しかし、すぐに変容や成果、結果が出ることできないと思いながら取り組んでいる。
 これからも、「どもる子どもといっても、ひとりひとり違う」「その子の吃音にではなく、その子とつきあっていく」ということを念頭におきながら、必要なときに願いや思いに添った交流活動を行っていきたい。
 交流しているどもる子どもたちの感想や成人のどもる人の話を聞くと、学童期にどもる子ども同士が出会っておくことは、その後の成長に何か大きな意味をもたらすのではないか。吃音の不安が軽減し、思春期や社会へ出る時など、成長に伴って起きてくるであろう悩みや問題を乗り越えていく力が育つのではないかと思う。そのため、卒業後の子どもたちにとっての交流活動の場が広がっていくよう、地域に働きかけていきたい。
 この活動を報告した時にいろいろな質問や疑問が出された。特にAさんの症状についての指摘が多かった。質問した人たちは、症状の重い・軽いという表現はどうとらえて使っているのだろうか。子どもと向き合いかかわり合っていく時、最も大切にしていることは何と考えているのか。子どもたちが、どんな姿に成長してほしいと考えているのか。質問した人たちと、もっと話し合っておきたかったとの思いは残る。
 どもること、その症状が一番の問題なのではなく、どもることを否定していること、どもる自分を否定していることが問題であり、生きにくくさせていると私たちは考えている。
 このことは、吃音に限らず、悩みを抱えている人、みなに通ずることだと思っている。
(「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/27

どもる子どもの交流活動 3

 どもる子どもたちの交流活動の続きを紹介します。
 卒業を控えたAさんが、ことばの教室での学びの集大成となる記念番組を作る様子を公開録画し、それを研究授業としました。いきいきと番組を作っているAさんですが、授業後の検討会では、Aさんのどもる状態にばかり注目が集まりました。分かってもらえないもどかしさを抱えつつ、子どもたちや保護者、担当者の率直な感想に支えられて、交流活動を続ける千葉の担当者たちに敬意を表しています。

子どもが自分の吃音と向き合うことができるような活動の工夫〜どもる子どもの交流活動を通して〜
渡邉美穂(千葉市立誉田東小学校ことばの教室)


Aさんの集大成となる卒業記念番組作り
〜最新の電車情報&クイズ番組〜

1999年
 3年生のHさん、1年生のFさん、Gさんの3人が通級を始めた。下学年の交流だけでなく、個々の求めに応じて、高学年のどもる子どもと出会い、一緒に遊んだり話し合う機会をつくった。「どもるお兄さん、お姉さんがいるんだ」ということは、心の大きな支えになったことだろう。
 Aさんは、6年生の2学期、継続してきた番組作りのまとめに、Bさんと共同制作をしたいと言い始めた。さらに、CさんとDさんにもゲスト出演してほしいと自分で依頼した。卒業前に、これまで交流してきたどもる友だちと一緒に活動をしたいからだった。また、Fさん、Gさん、Hさんは、番組の公開録画を担当者から聞き、お客さんとして参加しようと思った。Aさんの、卒業後の将来への漠然とした不安が、「今、みんなと一緒にこの作品を作りたい」という形になり、同じ思いをもつBさんが、これに応えたのだろう。

(AさんとBさん:6年生、CさんとDさん:5年生、FさんとGさん:1年生、Hさん:3年生)

Aさんの思い
 Aさんは、Bさんとの共同制作を願い、CさんとDさんにもゲスト出演してほしいと考えた。「どもる友だちは、僕の仲間だ」という意識があったのだろう。
△劼箸蠅劼箸蠅了臆辰琉婬
 Bさんは、Aさんに協力したいと答え、制作過程で、多くのアドバイスをした。ゲスト出演を依頼されたCさんとDさんは、どんな質問をされるのか心配だとAさんに伝えた。また、Dさんが「すぐに自分の考えを話せないから困っている」と言うと、Cさんが「私が先に答えるから、その間に考えればいいよ」と励ました。
 Fさん、Gさん、Hさんへは、担当者が観客として誘った。楽しく活動している様子やどもっても伝えようとしている姿を知ってほしいと考えた。
H崛箸慮開録画
 公開録画番組が始まった。オープニング曲にのせて、タイトルコールをした。Aさんは、スタートと同時にかなりどもっていたが、顔は笑っていた。説明のことばが出てこないので、時間がかかったが、Bさん、Cさん、Dさんに話しかけている時には、ことばがすっと出てきた。
 電車について詳しいAさんは、そのことをニュースにしたり、クイズにして番組を進めていった。今回は自分の思いを話す場面もあり、Aさんの一番苦手なことだったが、素直な気持ちを話していた。低学年の頃は、人とのかかわりが苦手で、グループ活動にも参加できなかったり、自分の気持ちを話せなかったことを考えると、大きな成長だった。
 公開番組の途中で、Aさんの母親はこんなにどもりながら一生懸命話している姿がうれしくて涙を流し、昔と比較して成長を喜んでいた。
 Aさんは、自分の予想以上にどもったが、「助けてほしい」のサインは出さず、途中でやめそうになる素振りも見られなかった。担当者たちは、最後までやり遂げることを見守った。そして、Aさんは、自分が考えた番組構成を全てやり終えたことに満足し、笑顔で帰っていった。
 AさんとBさんは、お互いにことばがつまったときに小さな声で一緒に言ってあげるという関わりを自然に行っていた。また、Cさんは、打ち合せ通り先にゲスト感想を話し、続いてDさんも感想を話せたことを喜んでいた。Dさん自身も、ほっとしていた。
せ劼匹發燭舛隆響
・Aさん「楽しかった。気持ち良かった。満足。まだ、卒業記念番組の途中なんだ。次は、学級の友達全員からメッセージをもらいたい」
・Bさん「番組を最後までできてよかった」
・Cさん「Dさんが感想を言えてよかった。Aさんはとてもどもっていたけれど、途中でやめるとは考えなかった。自分でやりたいって決めたことだから、最後までやったんだ。もし、自分だったら、やっぱり最後までやると思う。Aさんは、とても楽しんでいたね」
・Dさん「番組の中で、感想を言うことができてよかった。ほっとした」
・Fさん「Aさんはいっしょうけんめい。つまっちゃったけれど、ぼくはみていてうれしかった。また、でんしゃのはなしききたいな」
・Hさん「でんしゃのはなし、よくしっているね。ときどきどもるけれど、ぼくもどもるから。かたのちからぬいて、おきゃくさんを石ころだとおもってはなすと、どもらなくなるよ」
・Gさんは、人や場に対する緊張感が大きく、会場には入れなかった。しかし、別室のテレビ中継で、お父さんと番組の様子を少し見ていたようであった。

ヂ膺佑隆儺劼隆響
・本人の一生懸命な姿に感動しました。このような体験が積み重ねられて、自信がついてくれればよいと思います。録画終了後のAさんが、輝いた顔をしていたのが印象的でした。
・あまりの吃音にびっくりしました。それでも、それを恥じることなく、とても一生懸命に発表していることが、とてもすばらしく感動しました。彼を支える協力したお友だち、先生方、聞いていたお友だち、皆の協力でこのような発表ができたことは、大きな自信になったと思います。なんとか、もっと楽に話すことはできないか。でも、何よりすばらしいのは、Aさんの中で、とても強い心が育っていることだと思います。そして、大好きな電車の知識は、すばらしいです。
・普段の会話はもちろんですが、今日のように人前で発表する、進行することも、機会があればどんどんやっていくとよいと思いました。
・自信をもって話していた子どもたち、励ましていた子どもたち、ほのぼのとした気分になりました。普段から、子どもたちにそういう雰囲気をつくってきているのですね。

γ甘者の感想
 公開録画時に、Aさんは、いつもよりひどくどもった。しかし、Aさんの様子から、自分で構想を立てた活動をやり遂げたい気持ちでいるのだろうと4人の担当者全員が受け止めた。もし、ひどくどもってつらそうだからと、番組を中断させていたら、Aさんに「いつもよりもどもっていたから、やめさせられたんだ」「どもってはいけないんだ」の自己否定感を与えてしまうことになっただろうと思う。
・子どもたちが活動を進めることを通して、お互いのことを知り合ったり助け合ったりすることができた。下学年の子どもたちも、Aさんの伝えたいという強い思いを感じることができたと思う。
・この時期に通級していたどもる子どもたち全員と、その家族や担任の先生の参加もあり、子どもへの理解やお互いの親睦を図る機会にもなり、よかったと思う。

С萋阿鮨兇衒屬辰
・Aさんの活動により、通級している子どもたちが出会うきっかけになった。その後、出会った友だちのことを話題にするようになった。
・AさんBさんCさんDさんたちが活動を通して、お互いのことをさらに知り合えたり、助け合ったりすることができた。また、FさんGさんHさんたちも、Aさんたちの活動意欲を強く感じたようであった。
・Aさんは、これまでにいくつかの番組を作ってきたが、今回初めて友だちと内容を話し合ったり、一緒に準備をしたりした。また、番組の中で、自分の気持ちを話すという苦手なことにも挑戦できた。Aさんは活動を通して、人とのかかわりに積極的になった。
・この時期に通級していたどもる子どもたちの家族や担任の先生の参加もあり、子どもへの理解やお互いの親睦を図る機会にもなった。

┿笋燭舛了廚
 公開録画は、教育研究会の研究授業として、教師には事前に説明しておいた。研究授業を、その子にとってプラスになるように行いたいと考えていたから、番組を公開録画という形で多くの方々に見てもらえるチャンスだと考えた。教室の中に、観客がたくさんいたので、Aさんはかなり興奮していたが、Aさんの表情から読み取ると不安ではなく喜びであったと思う。
 公開番組が終了して、先生方との話し合いが始まったが、話の中心がどもる状態のことだった。私たちは少なからずショックを受けた。
 「公開録画を行うことで、吃音を悪化させたのでは」
 「途中で中断させたほうがよかったのではないか。苦しそうであった」
 「吃音がひどく、相手に伝わりにくい。伝える手段をもっと身につけさせておかなくてはいけないのではないか」
 「あれだけどもっていたら、6年生として終了の目安に達していないのではないか」
 Aさんの成長や気持ちの変化などには全くふれられず、一番見て欲しかったところを見てもらえなかったのは、悲しく残念だった。しかし、Aさんは、学級で自分のことを話す機会をもらい、やりたいと思っていたことを着々とすすめて小学校を卒業していった。同時に、ことばの教室も卒業だが、その後は私たちと、どもる子どもが集まる場で会っている。
 その後、いくつかの場でこの交流活動を報告する機会があり、「どもる状態」ではなく、「交流のよさ」を伝えられるように努力した。しかし、私たちの表現力の限界なのか、やはり、Aさんのどもる状態が気になったようだ。「あの状態をどうするんだろう?」「あのままでいいの?」と疑問に思っている方が多かった。その中でも、感想に次のように書いて下さる人もいて、私たちの思いを分かって下さる人もいることが分かってうれしかった。
 「自分を受け入れてくれる仲間がいる、一緒にやってくれる仲間がいることを実感できた機会になったのではないか」
 「このような実践をみて、自分の指導がどこかしばられていたことに気がついた」
 「気持ちの面で分かり合えることは、どもる子どもにとって、安心した気持ちになれるひとときであることだと感じた」
 「担当者の共通理解があっての実践である事がわかった」
 「やはり、交流活動は必要であると思った」
 「交流活動の様子をもっと教えてほしい。私の学級の子も交流させたい」
 「みんなの前で堂々と話しているAさんに会いたいな」  つづく


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/26

大阪吃音教室の運営会議が終わりました

大阪運営会議4 2月24・25日は、大阪吃音教室の年に一度の運営会議でした。2023年度を振り返り、2024年度を展望する大切な会議です。今年も、それぞれ忙しい中、時間を工面して、15名が集まりました。24日(土)の午前中に、大阪吃音教室のニュースレター「新生」を印刷し、発送しました。そして、午後2時、運営会議が始まりました。会長の東野晃之さんが準備してくれた議題は、次のとおりです。

1.2023年度のふりかえり…一人ひとりが2023年度をふりかえりました。大阪吃音教室で担当した講座のこと、参加した中で印象に残っている講座のことなど、共通するものもたくさんありました。それだけでなく、プライベートなことについても話しました。子育て真っ最中の人もいれば、働き盛りもいれば、定年して時間的な余裕のある人もいて、なかなかおもしろいふりかえりでした。気がつけば、2時に始まったのに、すでに4時半を過ぎていました。

大阪運営会議12.2024年度の事業計画…世話人や講座の年間スケジュールについて話し合いました。日程や講座内容を決め、担当は、自分の希望で空欄を埋めていきました。別の講座にチャレンジしてみたい、もう一度深めてみたい、それぞれの思いが出されます。大阪吃音教室の例会当日の世話人も、機関紙の編集担当も、決まりました。

3.日本吃音臨床研究会の事業について…新・吃音ショートコース、吃音親子サマーキャンプ、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会など、決まっている日程を知らせ、一緒に活動していきたいと願っていることを伝えました。

大阪運営会議2大阪運営会議3 ふりかえりも、年間のスケジュールも、誰かが話すと、その話を受けて誰かが話し、と話題が広がっていきます。長いつきあいをしている間柄ですが、まだまだ知らないこともあり、新しい発見もあります。年齢、仕事、考え方など、さまざまな背景をもつ者が集まって、わいわいがやがやと話をするという、不思議なおもしろい関係だなと思います。僕は、こういうセルフヘルプグループ活動を長く続けてきました。ひとりひとりが対等な立場で話をするというこの活動が、僕には合っているし、好きなのだと改めて思いました。

 24日(土)は、午後2時から夕食をはさんで夜の9時まで、25日(日)は、午前10時から正午12時まで、2日間にわたっての会議で、大阪吃音教室の2024年度の活動のおおまかなことが決まりました。日本吃音臨床研究会とともに、活動していけること、うれしく、ありがたいことだと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/25

どもる子どもの交流活動 2

 吃音親子サマーキャンプに参加した先輩の担当者が、通級してきているどもる子どもたちの交流を考え始めました。ビデオと手紙を使ったこのときの取り組みが続いているのです。
 どもる友だちは他にもいるんだよと伝えた1996年の取り組みにつづき、1997年、1998年の取り組みの紹介です。吃音について話し合う吃音の会議も開かれました。子どもたちと相談しながら、柔軟に取り組んでいる様子が分かります。昨日のつづきです。


子どもが自分の吃音と向き合うことができるような活動の工夫〜どもる子どもの交流活動を通して〜
渡邉美穂(千葉市立誉田東小学校ことばの教室)

1997年
ビデオを作成し、どもる友だちに見せ、感想を書いてもらう


 先輩のことばの教室の担当者が、日本吃音臨床研究会の吃音親子サマーキャンプに参加し、担当しているA君と同じ学年の4年生の話し合いのグループに入る。4年生が、話し合いや作文を通して、こんなに真剣にこんなにいっぱいどもりについて語るものなのかと驚いた。キャンプのもうひとつの目玉、劇に取り組む時も、どの子もみんな自分の声、からだ、そして心に必死で語りかけていた。
 「どもってもいいんだよ」とは誰も口に出しては言わないけれど、子どもたちはみんな、そのメッセージを受け取って、力強くなっていく。キャンプに初めて参加した子どもたちは、「どもるのは私だけじないと知ってほっとした」と口を揃えていっている。1対1の指導では、気づけないことはある。どもる子ども同士の交流はできないだろうか。
 「子どもは、自分で答えを持っている。ただ、それを確認する場所がないだけなんだ。この吃音親子サマーキャンプのような大掛かりなことは、到底できないけれど、ことばの教室でもできることがあるはずだ。今通級しているどもる子ども4人はそれぞれ、学校が違うので同じ時間に集まることは、なかなかできないが、ビデオと手紙を使って、まず交流を図ることから始めよう」
 この先輩の思いが、院内小学校の交流活動の最初の一歩となった。
 3年生のYさんは、「大人になってもこのままなのかなと考えると怖い」と言いながら、「将来はアナウンサーになりたい」とも言う。どもることを友だちにからかわれ、とてもつらい思いをしてきているのになぜ、アナウンサーなのか。「番組の途中で、どもってしまってもいいの?」と尋ねると、しばらく考えて、声を張り上げて、「私の声をみんなに聞いてほしい!」と言ったという。どもるから、なるべく人前でどもらないようにしたいとYさんは思っているのではないかとの担当者の思いこみが、Yさんの本当の声を聞いていなかったことになる。「私の声をみんなに聞いてほしい!」という言葉は、吃音親子サマーキャンプで、劇に取り組む子どもたちの姿につながった。みんな自分の声を聞いてほしいから、あんなに夢中になっていたんだ。そんな表現の場をことばの教室でも作りたい。Yさんの夢を実現したのが、『Y家の動物パラダイス』というクイズ番組の制作だった。
 この取り組みから、交流活動が始まり、その取り組みは、院内小学校の担当者が変わっても、引き継がれていくことになる。

ビデオでクイズ番組、お店屋さんで交流
 通級してくるどもる子どもは、Aさん、Cさん、Dさん、Eさんの4人になっていた。4人はそれぞれのペースで自分の吃音に向き合い、担当者に不安な気持ちも伝えられるようになっていた。CさんとAさんは、自分の得意な分野でクイズ番組を作成した。それをビデオに撮り、他のどもる友だちに見てもらい、感想を書いてもらった。間接的な交流だったが、自分の得意なことをどもりながら楽しそうに話す友だちの姿を見た子ども達は、その後、吃音について自然に語るようになった。この交流で、「どもってもいいんだ」という安心感を感じることができたからではないかと思う。

・なんで、ぼく(わたし)だけうまく話せないんだろう。
・友達みたいに、つっかえないでうまく話したい。
・ことばがつまっちゃう。なおしたい。いやだ。
・みんなに、変な話し方だと言われるんだ。

 直接的なかかわりは、なかよし交流会での「お店屋さん」で実現した。クイズ屋をAさん、Cさん、Eさんが、ケーキ屋をDさんが出した。昔から知り合いであるかのように意気投合し、それぞれの店を切り盛りして楽しんでいた。子どもたちの様子を見て、「どもっていい」の安心感のもつ力に改めてハッとさせられた。

1998年
先輩の先生に会いに行こう


 CさんとDさんの通級時間を同じにした。また、AさんとEさんも同じ時間になることがあり、直接会い、遊んだり話し合ったりする機会が増えた。
 「育児休暇に入った先輩の先生に会いたいね」という会話から、みんなで訪問する計画が立てられた。企画をまとめ、しおりを作ったCさん、最寄り駅から先生宅への道順を電話で問い合わせたDさん、電車の時刻を調べて参加者の家に電話で知らせたAさん。それぞれ役割分担をして準備した。子どもたちから、「とても楽しかった」という感想が出された。保護者を含めて、大人と一緒に行動することの喜びを感じたようだった。
 2学期には、Aさんと同学年のBさんが通い始めた。一人で吃音に悩んでいたBさんにとって、Aさんとの出会いは衝撃的であったようだ。すぐに仲良くなり、ことばの教室で毎週会うことを楽しみにするようになった。

吃音の会議
 子どもたちや保護者と相談し、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんの4人を同じ通級時間にした。
 5、6年という高学年になった子どもたちは、どもることに対する思いをことばで表現できるようになってきていた。そこで、Eさんがことばの教室を卒業したいと言っていることについてどう思うか。吃音をどう思うか。このように吃音について話し合う活動をどう思うかなどを議題に、「吃音の会議」を3回行った。友だちの考えを聞いたり自分の思いを伝えたりすることができ、皆「堅苦しいのは嫌だけど、時々話し合うことは自分にとって大切だと思う」という感想であった。その中でいろんな思いが出された。Eさんに対しては、ひとりひとりが手紙を書いた。次のような話が印象的だった。
・自分の学校には、どもる人がいない。
・ことばの教室で、初めてどもる友だちに会った。
・どもる友だちに出会えて、うれしい。
・一生、Aさんについていきます!     (つづく)
(「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/23

どもる子どもの交流活動

 千葉県のことばの教室との関係は古く、ひとりの担当者が、僕たちが送った案内のチラシを見て、吃音ショートコースに参加したことから始まりました。吃音ショートコースから吃音親子サマーキャンプへ、そして、ひとりの担当者から複数の担当者へと、広がっていきました。
 千葉県とのつながりの歴史を見ているような今回の実践の紹介です。「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106 に掲載の実践を紹介します。

子どもが自分の吃音と向き合うことができるような活動の工夫〜どもる子どもの交流活動を通して〜
渡邉美穂(千葉市立誉田東小学校ことばの教室)

はじめに

 私たちがことばの教室で出会う学童期のどもる子どもは、いわゆる二次性吃音に移行しつつある子どもたちで、どもること以上に話すことへの不安や、どもることへの恐れをもち始め、話すことを回避するようにもなって来ている。話すことへの不安や恐れから、コミュニケーションや自己表現に対して消極的になっていく。私たちは、ことばの症状の問題よりも、このほうが大きな問題になっている子が多いと考えた。
 アメリカの言語病理学者、ウェンデル・ジョンソンは、吃音の問題をX軸(吃音症状)、Y軸(聞き手の反応)、Z軸(本人の吃音に対する態度)からなる問題の箱として表した。ことばの教室の担当者としては、X軸である吃音症状の消失および改善を要請されているのだろうが、吃音は未だに原因も解明されず、吃音治療法も確立されていない。国語の朗読は苦手だが、通常の会話にはあまり困難を感じていない子ども。反対に、普段はどもるが、国語の朗読や発表は得意な子など、吃音の症状は現れ方も、現れる場面も様々である。私たちもこれまで、ことばの教室などで実践され報告されてきたいくつかの吃音症状に対する指導方法を試みたが、私たちにも、子どもたちにとっても、納得できるものでなかった。
 ジョゼフ・G・シーハンは、吃音を氷山に例えた。人が見ている部分の吃音症状は、吃音のごく一部分で、水面下に沈んでいる氷の固まりが大きい。それは、どもることへの不安や恐れ、回避で、それこそが吃音の大きな問題だと指摘した。ジョンソンにしても、シーハンにしても、吃音症状以外のアプローチの重要性を提唱している。
 どもることに不安や嫌悪感を持ち始めている子どもたちの吃音に対する不安や悩みを、私たち担当者はどれだけ受けとめているのだろうか。何ができるだろうか。どもる子どもたちに「どもってもいいよ」と言ってきた自分自身が、本音で言ってきたのか。吃音に直に、からだや心で感じる経験をしたい。
 今後、通級してくるどもる子どもにどう向き合えばいいかを、私たちは模索し始めた。

交流活動の経過
1996年
「他にもどもる友だちがいるんだよ」【情報提供】

 先輩のことばの教室の担当者が、日本吃音臨床研究会の吃音ショートコースに参加した。「どもる子どもが大人になったらどんなふうになるのか。どもりについてもっと知りたい」との思いからであった。そこで、たくさんのどもる人と出会い、触れ合いの中で、これまで気づけなかった自分の教師としての打算的な、また何かできるはずだという思い上がった態度に気づく。「どもらない私には何もできないのか」と、落ち込みながら、成人のどもる人Mさんの、「どもりを治そうなんて思わんといて。ただ、友だちになってくれるだけでええんよ」のことばに救われ、「ことばの教室の教師として、何かをしてあげるではなくて、何もできない。しかし、友だちになることなら、私にもできるかもしれない」と、これまでのどもる子どもとのつきあいを点検していく。
 「どもるおっちゃんやおばちゃんにいっぱい会って来たよ。素敵な人ばっかりだった。どもり、治らないかもしれないけど、大人になっても、大丈夫だよ。みんな、魅力的にどもってたよ」との話を当時3年生だったA君は、「はあ、そうですか。それで?」といつもの調子で話を聞いていたようだ。しかし、からだは前のめりになっていたことで、自分以外のどもる人のことについて興味をもったことは理解ができた。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/22

交流活動

 以前は、個別学習の実践が多かったと思いますが、最近はよく研究会などでも、どもる子どものグループ学習の実践が報告されることが増えてきました。
 今日は、そんなどもる子どもたちの交流活動についての報告です。まず、巻頭言から紹介します。滋賀県の吃音親子サマーキャンプ、島根スタタリングフォーラムなど、宿泊を伴う交流活動とはちょっと一味違うことばの教室での交流活動です。巻頭言に続いて紹介します。
(「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106)

  
交流活動
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもりは一生治らない!!」
 小さな山の頂で、小学1年生が、声を張り上げて叫んでいる。第5回島根スタタリングフォーラムの2日目の早朝、山のてっぺんから、自分の言いたいことを叫ぶとき、1年生の3人が、みんなでこう言おうと、示し合わせて練習もし、こう叫んだ。
 夜遅くまで、教師や両親と話し込んでいたために早朝の登山には参加しなかった私は、朝食の前に、是非話を聞いてもらいたいと、初参加の小学1年生の子どもの母親からこの話を聞いて驚いた。
 これまで、吃音について一切話してこなかった我が子は、この叫びをどんな思いで聞いていたのだろう。親として、とてもショックだった。山からの帰り道、子どもに尋ねたら、この集まりにはもう来たくないと言っている。まだ早かったのだろうか、これからどう接したらいいか、不安だ。
 私には、母親の不安よりも、1年生のグループでどんな話し合いがなされ、このことばをみんなで言おうと提案した子どもはどんな思いだったのだろう、また、一緒に大きな声を出した子どもたちは、と想像がふくらんでいく。しかし、母親の疑問や不安を解決しないと、子どもにも大きな影響を与えてしまう。午前中の親の学習会の予定を変更して、このことについてみんなで話し合うことにした。このような不安や疑問が率直に出され、その話し合いが充実して深まっていくのは、この島根スタタリングフォーラムが、5年の経験の中で成熟してきたためだろう。
 できるだけ吃音について触れずにと、大人の配慮で話されなかった吃音の話題は、その子どもにとって、これまで聞いたことのない話ばかりだったに違いない。驚き、楽しくはなかったかもしれない。小学校1年生ならなおのことだ。ところが、子どもは、いつか否応なしに吃音と直面せざるを得なくなる。吃音を隠すことなく、オープンに話題にして、吃音は悪いものでも劣ったものでもなく、隠したり、逃げたりするものではないことを伝えたい。それは、吃音を意識し始めたときがチャンスだ。私たちは、できれば早期に一度は通過しておいた方がいいと、「早期自覚教育」を提唱してきた。私たちの夏に開かれる吃音親子サマーキャンプでは、小さい子どもは小さい子どもなりに、吃音について向き合い、話し合うことを、プログラムの中心に据えてきた。キャンプに来るまでは、一切家庭で吃音にふれずにきた子どもが、帰りの道中で吃音についていっぱい話したという報告は、たくさん聞いており、吃音を話題にしたことで、マイナスの影響が出たことは、少なくとも13年間、キャンプにたくさんの子どもたちが参加しているが、聞いたことがない。話し合いや、作文や、親や子どものふりかえりを常に重視しているので、本当は大変なことが起こっているのに、そのことを私たちだけが知らないということはおそらくないだろう。
 そのような経験を不安に思う、初参加の母親に話した。むしろ吃音についてふれずに成長する方が、思春期に起こるマイナスの影響は、それこそ、挙げればきりがない、とも。学校に行けなくなり、あるいは引きこもってしまい、吃音に向き合うことを恐れ、いくらキャンプに誘っても、参加すらしない思春期の子どもたちを、実際にたくさん知っているからだ。
 近年、吃音に向き合うとか、オープンに話し合うとかのことばを見聞きすることが多くなり、直面することそのものを否定することは少なくなった。しかし、子どもが吃音と向き合うことをどう支援するのかという、議論や実践は多くはない。
 千葉の院内小学校の実践は、その数少ない実践だ。しかし、その取り組みが必ずしも正しく評価されるわけではない。公開番組が終了して、先生方との話し合いでは、「交流のよさ」よりも「吃症状」に話の中心がいってしまった。
 「ことばの教室は小学校にしかないが、そこで出会えた子どもたちとは、いくつになっても交流したい。人と人とのかかわりに終わりがないように、いつでも会える距離でいたい」
 渡邉さんのこのことばは、吃音症状にしか目を向けない人には言えないのでないか。(「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/21

【鯨岡峻さんと竹内敏晴さんの対談 2】「生きる」うえでのコミュニケーションとは?

 昨日の続きです。どもる僕たちは、すらすらと流れ出る効率のいいことばを求めてきました。そして、それができない自分を劣った人間だと思ってきました。でも、情報伝達のことばと、今、生まれる表現のことばがあることを知っただけでも、ずいぶん楽になりました。鯨岡さんと竹内さんの対談は、〈生きる〉、〈ことば〉、〈コミュニケーション〉をめぐり、深まり、広がっていきました。竹内さんのヘレンケラーとサリバンの話は、映画も舞台も観ていますので、とてもよく分かります。竹内さんの話に、エリクソンのライフサイクル論を重ねて、僕は何度か講演や講義で話しましたが、よくわかると言ってもらえました。
 対談の続きは、2000年度の日本吃音臨床研究会年報に掲載しましたが、売り切れになっています。また、どこかで紹介したいとは考えています。

「生きる」うえでのコミュニケーションとは? 2
                     京都大学大学院教授 鯨岡峻
                     演出家       竹内敏晴


暮らしの中でのことば

鯨岡 ブーバーの話はとてもいいお話で、ありがとうございました。私たちは今、いろんな場面で、コミュニケーションについて語っています。特に、学校では、「先生と子どもの間でもっとコミュニケーションを」と言うし、家庭の中でも、「夫婦の間で、もっとコミュニケーションを」、「親子の間で、もっとコミュニケーションを」と言う。その場合、ことばによる会話が前提としてあるようです。確かに、そこではことばが必要なのかも分かりませんが、本当に、そこで求められてるのはことばなんでしょうか。私たちはコミュニケーションというと、すぐにことばというところにいってしまって、ことばのキャッチボールをたくさんすればするほどコミュニケーションが深まっていくと考えてしまうところがあります。けれども、本当にそうなんだろうかなと思うわけです。
 ことばは情報を運ぶ道具、あるいはカッチリした意味を運ぶ上ではすごく便利な道具です。それがなければ決して正確な情報は伝わりません。会社の仕事の上で正確な情報を交換しなければならない時には、もちろんことばが大事になるだろうと思います。けれども、普段、暮らしてる時、つまり日々、親しい間柄のなかで共に生きていこうとする時に、そんなにカッチリした意味を運び合わないと生きていけないのでしょうか。たぶん、違うと思うんですね。場面によって、気持ちと言ったり、情動と言ったり、情緒と言ったりしますが、ともかく感性的なものが動いていくところで、何かがつながったという感じが得られるかどうかが身近な間柄では大事です。
 ことばにできないところで何か伝わってくる。分かり合えるものがある。それがたぶん、親しい間柄において「生きる」ことの喜びなのではないかなと思います。「今日、学校で何があった」とか、「仕事でこういうことがあったんだよ」といろいろ語り合う中で、お互いの理解が深まるのでしょうが、そういうことがなくても、「ただいま」、「おかえりなさい」という簡単なことばであっても、そこに、その二人が今幸せに生きている、どこかでお互いを思い合って生きていることが通じ合えれば、もうそれで十分じゃないか。「ただいま」、「おかえりなさい」がなくても、手をつなぎ合えば分かり合えるのかもしれません。私たちはもっと、ハートが動く水準で、つながりたいな、分かり合いたいなと思っているところがあるんじゃないでしようか。
 今、「コミュニケーション」が大事だと言うと、ことばが遅れ加減の子どもの場合には、コミュニケーションのために「ちゃんとことばを習得しなければいけません」とか、「もっと的確に自分を表現できなければいけません」などと、何かしら、ことばの指導にもっていこうとします。しかし、そう考えなくても、私たちはもっと気持ちの上で、向き合えたり、相手のことを思いやれたりできるはずです。さっきの竹内さんの楕円の焦点の話でいえば、お互いが気を配りあえば、その二人はいつのまにか楕円の焦点になって、そこに楕円が自然に出来上がる。その楕円に包まれていれば、私たちはなにかしら安心し、ホッとした気分になる。そういうところが、実はコミュニケーションで一番求められている部分ではないでしょうか。
 二人のあいだをことばでつなごうとすると、むしろ二人はどんどん疎遠になっていってしまうことがしばしばあります。特に西欧の文化には、ことばにできない世界はない、全てことばにできるんだという、〈言分け(ことわけ)主義〉が色濃くあって、西欧的理性はことばに絶大な信頼を置きます。これに対して私たち日本人は、ことばは基本的に〈言の葉(ことのは)〉です。二人の間だけで通用するような言外の意味(通じ合えるもの)を大事にして、ことばは〈言の葉〉だという感覚があると思うんです。それなのに私たちは、いまや、コミュニケーションのために、ことば、ことばと「ことば」に頼ろうとします。もちろん、ことばは大事なものだし、それがなければ困るのですが。
 ところで、ことばによって表現しようとすると、どうしても「私は」という主語がきます。そういう形で自分を境界づけると、今度は相手も自然に境界づけてしまう。幼児の言語発達を考えていますと、ことばは本来、子どもの感性が動いていく中に引っかかってきたものだという思いが強くあります。ところがことばというとそれはカッチリした意味を運ぶ道具だと考えられ、そうなると、それはとても理性的なものになっていく。そして、その理性的なものになったことばをキャッチボールして意味を伝え合うことがコミュニケーションだと考えられるようになってしまいました。
 障害児教育での言語指導やコミュニケーション指導の問題を考えて見ますと、そこらへんにボタンの掛け違いが起こっているところがあるんじゃないかでしょうか。そして、ことばの習得に困難のある子どもたちに対して、ことば、ことばと周りが言い過ぎるために、子どもたちが生きにくくなっているようなところがあるんじゃないかなと思います。
 いま、「コミュニケーション」という今日の主題のためにすこしことばの問題に踏み込んで見たのですが、そういう、ことば観、言語観みたいなものについて、竹内さんからまた少し教えていただきたいのですが。

ヘレン・ケラーとサリバン

竹内 そこまで言っていいのかわかりませんが、ヨーロッパでは、言語をしかも、理性的言語を重視しますね。大雑把に言うと、理性が非常に重要で、論理のことばで語れることが人間性の根本であるといっている感じがする。これはギリシヤ以来の思考の歴史によるのでしょう。そうすると、どうもこれは違うんじゃないかなと思うことがあるんです。昨年ドイツからある教育学者が来て、日本でいくつか啓蒙的な話をして、その話をまとめた冊子を読みますと、ヘレン・ケラーのことが書いてあった。正確には憶えてないけれど、こんなことだったようです。
 「彼女は目が見えず、耳が聞こえないのでことばが獲得できず話せなかった。だからまるで、野獣のように、自分の欲しいままに暴れていた。ところが、アン・サリバンに出会い、サリバンの努力で、ポンプから流れる水の冷たさを手に感じてるうちに、これがウォーターという名前のものかと、はじめてことばというものに気がついた。ことばを知った後は、アン・サリバンの抱擁を受け入れ、キスを受け入れて、様々の感情が動くようになって、人間として成長していった。だから、ことばはとても大事なのです」と。
 私は、ヘレン・ケラーに関しては、何遍も芝居にして、その度に、勉強してきたので、これは明らかに間違いだと言い切れます。事実過程から言って違う。この学者は言語を知った時から彼女は人間性を持ったという、非常に単純な割り切り方をしてる。芝居の「奇跡の人」は非常に有名で、映画になったのが戦後すぐですが、同じ誤りの上に立っている。その原文を随分早く手に入れた人がいて、わたしの友達が演出しないかって言ってきた。読んでみたのですが、わたしが耳が聞こえるようになって、7・8年目ぐらいで、自分の体験からいって、どうしても話に納得できないところがあって、その時は断りました。それから、20年もたってから、神戸の湊川高校(定時制)へ、林竹二先生と一緒に授業に入り、芝居を持っていくことになった。障害のある人、在日朝鮮人やいろんな人がいたので、わたしはこの芝居をやってみようと思った。しかし、書き直さなければならない。おしまいのところで、やっぱり同じ問題にぶつかりました。
 事実のプロセスを言いますと、サリバンは、ヘレンが勝手気ままに動いてるのに対して、一所懸命これをコントロールしようとする。彼女の言い方では、ヘレンはまず服従することを知らなければいけない。それを教えようと一所懸命やればやるほど喧嘩になってしまう。それで、ヘレンと自分と二人だけ小屋に入って、過ごすことをする。ヘレンはサリバンの匂いをかぎつけると、途端に、窓によじ登って逃げようとするくらい寄せつけなかったのが、小屋で生活した何日目かに初めて、サリバンに抱かれて、キスを受け入れるようになる。その時に、サリバンは「奇跡が起こりました」って、喜んだ手紙を書いています。2週間の間に、スプーンでご飯を食べること、ナプキンをつけること、刺繍をすることなんかを教える。彼女がだんだんおとなしくなっていくのを窓の外から見ていた親御さんが喜んで、2週間の約束だからと、「まだ、早い」とサリバンが言うのを家へ連れて帰って、お祝いの晩餐をする。と、ヘレンはいきなりナプキンをむしり取って、スプーンを下に叩きつけて、手づかみで食べ始めて、サリバンの皿にまで手を突っ込む。つまり、サリバンが来た時と全く同じところへ戻るわけです。
 それまでは犬の調教みたいな強制的なやり方をしてきた。犬だったら、小屋にいた時のように教えたことが続くだろうが、ヘレンは見事な戦略を持っていた。小屋ではしょうがないからサリバンの言う通りにするが、自分の自由が認められる時になったら、全部、叩き返した。これは見事なことだと思うんです。
 戯曲では、喧嘩になって、水差しから水がこぼれる。サリバンは、水をもう一ぺん水差しに入れさせようとポンプのところへ連れて行く。そしてもみ合って、その水差しを持たせたまま、水を汲んだ時に、水に手が当たって、「ウォーター」を思い出す。これは、大変、劇的で、華々しくて、芝居としては具合がいいんですが、わたしが一番引っかかったのはこのシーンです。
 「この先公、殺してやりたい」みたいにもみ合って、暴れているのに、なんで、水差しをポンプのところへ黙って持って行くものか。水差しなんか叩きつけて、ぶつかって、取っ組み合いの喧嘩になるのが当たり前なんでね。「そんなばかなハナシがあるか」、が、一番最初の私の反発だったんです。それで、実際のサリバンの友達にあてた手紙を読んでみると、そういうことにはなってない。
 ナプキンもスプーンもたたき返して、とっくみあいが始まったとき、親父さんが止めに入って、「小屋ではあなたに全権を預けたが、家では自分の全権に従え。従わなければこの家から出ていって欲しい」、と言ったみたいですね。サリバンはほとんど目が見えなくて、貧窮院で育って、弟もそこで死んで、身寄りがない。ここを出たら、たぶん生きることができない。随分、屈辱を感じただろうとわたしは思いますけれども、そこから先は、書いてない。手紙にはその晩、ヘレンは私の部屋に来ませんでしたと書いてあるだけです。
 次の日の朝、食事に降りていくと、ヘレンがもう座っていて、しかも、ナプキンをつけてる。ところが、そのナプキンのつけ方が問題で、習ったようにはつけてない。「自分で工夫して、胸に止めていました」とサリバンは書いている。かの女だけが気がついていたわけです。ジーッと座っている。家族はなんにも気がつかないが、サリバンはそれを見て、何も言わないで、自分の席へ座って食事する。食事が終わって、サリバンが立ち上がって自分の部屋に戻ろうとすると、ヘレンがやってきて彼女の手をさする。サリバンは非常にびっくりしたって、手紙に書いています。
 つまり、ヘレンがナプキンをして座っているのは、あなたが私に伝えたかったことはこういうことでしょうってことのサインですよね。しかも、サリバンが教えた通りの仕方ではなくて、その意味を伝えてる。これは、こういうわたしを受け入れますか?という問いかけですね。それに対して、サリバンが何にも言わないってことは「それでいいのよ」っていうサインを返してることです。何もしないことの中に、二人で、ある意味ではものすごい勝負をしている。周りで見てる人達はたくさんいたけれども、そんなことはなんにも分からない。
 その日から、ヘレンはサリバンに心を開いて、一緒に寝て、朝から晩まで、一緒にご飯も食べ、出かけて、花に触ったり、鳥の巣に手を突っ込んだり、指文字を習ったりする。それが、一週間続いて、ある日、水を汲もうとして、「ウォーター」が起こるわけです。
 ことばが分かったから、人間性が戻るんではなくて、はるか前から、人間性が動き、交流が行われている。言語という形はとってないけれども、思考が明確にあって、ずるいといっていいくらいの駆け引きがある。そういうことがあるから、「ウォーター」がいっぺん見つかった時に、他の名前が次から次と意味を持ってくる。理性的言語が先にあるという考え方はいろんなところで、私たちを縛ってると思うんです。さっき、おっしゃった通りで、それを越えていくことがいる。ただ、だからと言って、感情的な言語だけでいいかというわけにはいかない。
 私は戦争中に、少年時代を過ごしましたから、非理性的な言語がいかにひどいか、そういうものに縛られた自分が、戦後になってから、ある思考の論理を自分のものにするために、どれぐらい時間がかかったか。というよりもそういうことがどういうことなのかが分かるまでに時間がかかった。そういう経験がありますので、理性的な言語と感情的な言語がどういうふうに統合されていったらいいかを非常に考えた。ただし、近頃、見てると、吃音の場合も同じですが、論理的なことばをいかに早く、意味伝達を早くするかに、私たちは追いかけられてる。そのために、非常に苦しんでる。コミュニケーションと言うけれども、実は情報のやりとりだけであって、鯨岡さんがおっしゃるようなコミュニケーション、人と人とのコミュニケーションとは遥かに遠いところへ追い込まれつつあるなあというようなことをしきりに思うんです。
                   (「スタタリング・ナウ」2003.5.17 NO.105)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/20

【鯨岡峻さんと竹内敏晴さんの対談】「生きる」うえでのコミュニケーションとは?

 應典院で開かれたコモンズフェスタ2001、僕は、その中で、鯨岡峻さんと竹内敏晴さんの対談を企画しました。
 鯨岡さんとの出会いは、前年の全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会島根大会でした。鯨岡さんは記念講演をされ、僕は吃音分科会のコーディネーターでした。鯨岡峻さんは、発達心理学から幼児や障害児のコミュニケーションを考えてこられました。また、竹内敏晴さんは、ご自身が聴覚言語障害のあった時代や、からだとことばのレッスンを通して多くの人と出会い、コミュニケーションについて考えてこられました。この、人一倍コミュニケーションについて考えてこられたお二人に対談していただきたいと企画し、それが実現しました。
 2001年11月7日、應典院本堂ホールでの対談の一部を紹介します。

「生きる」うえでのコミュニケーションとは?
                     京都大学大学院教授 鯨岡峻
                     演出家       竹内敏晴


共に生きる

鯨岡 京都大学の鯨岡です。竹内さんとこうして直にお話できるのは大変な喜びです。
 伊藤さんから与えられた今日のテーマは、「生きる」ことと「コミュニケーション」です。これはすごく大きなテーマなので、対談形式でどのように進めていったらいいかとても迷ってしまいますが、せっかく竹内さんとお会いできたのですから、何とか話をつなげていければと思います。まず私から口火を切らせていただきます。
 「生きる」という問題を、「私」を主語に立てて「私が生きる」と言い始めますと、途端に議論が難しくなって、随分しんどい話になっていくなあという気がします。「私が生きる」という切り口よりも、私たちが「共に生きる」という切り口の方が接近しやすいのではないか。そもそも「生きる」ということは、この「私」が生きるという前に、皆が共に生きることではないか。皆が、という言い方はちょっとまずいですかね。少なくとも身近な人たちと言うべきでしょうけれども、まずは身近な人たちが「共に生きる」ということが基本にあって、むしろ「私が生きる」は、その後から出てくるテーマではないだろうかと思います。そういうところを考えて行けば、たぶんコミュニケーションの問題に話をつなげていけるのだろうと考えています。
 私たちはみな、思春期以降、「私は」「私は」と、「私」にこだわるところがすごく強かった時期があると思います。ところが「私」にこだわる意識が強くなりますと、当然、私の目の前の他者達も「私」に面と向かって対峙する関係になってきます。けれども、「私」というのはそんなに閉じているのでしょうか。「私は」「私は」とよく言いますが、「私」というのは円に描いてくくれるような閉じた「私」なんだろうか。確かに、私のこの身体は私のものであり、唯一無二のからだですが、では私はこのからだの中に閉じこめられた、閉じた存在なんだろうかと考えますと、どうも、そうじゃなさそうです。少なくとも私が研究しようと思っています赤ちゃんとそれを育てる人の関係は、そんな閉じた私とあなたという関係ではありません。
 私が、「私」というところに閉じていきますと、実は他者達も閉じてしまう。そういう閉じた私と閉じた他者が共に生きようとすると、「私とあなた」が分断されたままギシギシしながら生きているというような構図が生まれてくるんです。でも、普段、身近な私たちが共に生きている状態においては、「私」はそれほど閉じていない。「私」は結構、「あなた」(たち)に開かれている。私の方が他者たちに己(おのれ)を開いていくことができれば、他者達もおのずから開かれてくる。そこにコミュニケーションが生まれる素地があるのじゃないかなと思います。
 コミュニケーションと言うと、すぐにことばで何かの考えを伝え合うというように、「伝える」ということに重きを置いて理解しようとします。けれども、私はむしろ気持ちをつなげる、気持ちを分かち合うところにコミュニケーションの基本の形を見ようとします。自分が他者に開かれていくと、他者も開かれてくる。そこに気持ちのつながる瞬間が生まれるのですが、それがコミュニケーションの原点だと思います。つまり、気持ちをつなげあうということがコミュニケーションであり、それが私たちが「生きる」ということにおいて、究極、目指していることなのではないかと思うわけです。
 気持ちをつなぐというと、少し抽象的に聞こえるかもしれません。どんなふうにして気持ちをつなぐのかと言われるかもしれませんが、切り分けられた私と切り分けられたあなたとがよそよそしく向かい合って、対峙する関係のまま気持ちをつなごうとすると、とてもしんどい。向かい合った対峙する関係ではなくて、むしろあい並びの関係になると、実はいろんなところで気持ちと気持ちがつながれてくる。人はやはり一人では生きていけないんですね。誰かと共に生きていきたいという志向性を根本的に持っているんじゃないかと思います。
 私たちは表現することをすごく大事に考えていると思いますが、ここに谷川俊太郎さんと竹内さんの対談が掲載された、日本吃音臨床研究会の年報「スタタリング・ナウ」があります。その中で竹内さんは、聴くということが大事だと述べられています。人と人がつながれていくためには、自分がこう思うことを単に相手に伝えるだけでなく、むしろ相手が何を言おうとしているかを聴こうとする態度が必要です。
 聴こうとする態度の中に、自分を他者へと開いていく根本的な志向性が現れているんじゃないかなと思うわけです。そして、「私が生きる」ではなくて、周りの人と「共に生きる」という視点に立ってみますと、まずは人と共にその場にいようとする、そして、人のことを聴こうとする態度が重要だということが分かるだろうと思います。要するに、気持ちを相手に向けていくということですね。赤ちゃんとお母さんの関係を見ておりますと、お母さんは赤ちゃんを分かろうとして、実に一生懸命、赤ちゃんに気持ちを向けていく。だから赤ちゃんのことがわかる。そこで、赤ちゃんとお母さんの気持ちがつながれていく。私はそこに「共に生きる」ということの原点を見ようとします。
 気持ちをつなぐというところから「生きる」ということを考えてみると、たぶん、コミュニケーションというところにいくんじゃないか。そうすると、竹内さんとうまくお話が絡むのではないかと思って、今日はやってきました。

深いところで、何かがつながる

竹内 竹内敏晴です。今のお話を伺っていて、大変、根本的なことをおっしゃったので、さて、どうお話したらいいか分かりませんが、初めにおっしゃった切り分けられた〈わたし〉と〈あなた〉でなく、共にその場にいる、ということから考え始めさせていただきましょう。
 〈わたし〉は〈からだ〉としてここにある、ということから、わたしは出発しますが、二人がここの場に一緒にいると、話をしてもしなくても、からだとからだとして、もうこの場にいることでつながりがあるわけです。私がAで、鯨岡さんがBとすると、一つの楕円形の中に、AとBがいる。切り分けられたそれぞれの個人でなく、一つの場にいるだけで、どんなに自分が孤立していると思っていてもつながりがある。こちらが動けば、関係が変わりますから、必ず、向こうが動く。向こうが動いたら、こちらも動かざるを得ない。一つの楕円が動くわけで、両方が開けば、楕円が大きくなったり、小さくなったりすることもありますが、そんなふうに、元々がつながっているのだととらえます。
 私の場合、ことばが不自由な人間でしたから、どこかで、ことばでつながりたいという気持ちが随分ありました。しかし、ことば以前にからだの触れ合いの方が大事だろうという気持ちも、元々非常に強いものがありました。今、鯨岡さんの母と子を例に話されたことを聞いてるうちに、私がことばをしゃべりはじめた頃を思い出しましたので、その話をしようと思います。
 しゃべり始めというよりも聞き始めですね。私は子どもの頃は難聴で、聞こえるときと聞こえないときがあって、そのためによくしゃべれなかった。十代に入り、全く聞こえなくなり、16歳の時に新薬が発明され、聞こえるようになりました。それまでは化膿性疾患に対する薬はなかったんです。学校の体操の時間、お天道様がたとえば左から照ってると、しまったと思っても授業中なので動くわけにはいかない。ずうっと照らされると、左耳が熱くなって、家へ帰ると必ず熱を出す。すると、のども耳も痛くて、飲むことも、食べることも、唾をのむこともできず、絶対安静で、何日か寝てる以外に方法がない。それが新薬のおかげで、16歳の時に、左の耳の耳垂れが止まった。音が聞こえてくると、ことばが分かるだろうと、皆さんは思うでしょうが、そうじゃない。この頃、ことばの教室の先生方にもそのことの理解があまりないことが分かったので、この間、ある研究会で初めてその話をしました。
 新薬の開発という条件のために、私のような場合は例外なんです。耳の場合は、それまで聞こえなかったものが手術で聞こえるようになるということはまれです。ところが、目では手術で見えるようになることがあるようです。その場合、目が光を感じられるようになっても、ここに鯨岡さんがいて、そこに本があるというように見えるわけじゃなくて、光の斑点が見えるだけなんです。あそこに白っぽい斑点があって、そこから茶色っぽい斑点があり、それがつながって、また光の斑点がたくさんある。それが、まとまって、一人の人間として見えてくるまでにはいろんなステップがいる。その解説みたいな文章を読んだときに、「ああ、音も同じだ」と思ったんです。いろんな音が入ってくるけれど、鳥の声か、足音か分からない。非常に単純化して言っていますが、鯨岡さんが「竹内さん」と呼び掛ける音が、他の音と違うことは分かるけれども、鯨岡さんから出てきた音とも、ほかの人の声とも分からない。鯨岡さんが私の肩を叩いて、「ねえ、ねえ、君」と言ったら、声と働きかけがつながって、「ああ、これが鯨岡さんの声なのか」とそこで発見できる。直に触れなくても、目の前で話すことでもいいですが、この触れ合いがあって、「はあ、これがこの人から出てくる音なのか」が初めて分かる。そういう触れ合いがないと、声だけで判別できるわけでは全くないわけです。
 人と人との触れ合いを、ことばのレベルで言いますと、皆さん方はそういう時期を幼児の頃に過ぎているので、お気づきにならないが、からだからからだへ触れてきたり、一緒に揺れる体験の時に声が出て、初めて、何かの意味が伝わり、ことばが意味を持ってくる。音ではなくて、これが人の声だと分かり、その人の感情の動きだか、こちらに対する働きかけだかが動いてくる。そういう触れあいの中で、初めて起こってくることが、鯨岡さんがおっしゃった母と子のつながりなんでしょう。私の場合には、皆さんが幼児の頃、自覚しないで通過されたところを10代の終わりになってから、全面的ではありませんが意識的に通過しました。意識で考えなきゃいけなかったために、非常に中途半端なものになったんだろうと思うんです。だから、ことばが成立してくる以前に、からだとからだが触れることがとても大事なんじゃないかと思うわけです。
 こういう話をしますと、どうしてもしゃべりたくなることが一つあります。それはマルチン・ブーバーのことです。彼は、ユダヤ人の哲学者ですが、自伝のようなものに、自分の幼児期のことを書いています。
 小さいときに、両親が別居して父方に行く。牧場をやっていたのか、お父さんは馬を飼っている。そこで暮らしてるうちに、一匹の馬と非常に仲良くなり、手から餌を食べるようになり、撫でたりして毎日一緒に遊んでいた。ところが、ある日、たてがみを撫でていて、「ああ、これはいい気持ちだなあ」と思ったんだそうです。その次の日から、馬は彼の手から餌を食べなくなった。今まで、自然につながっていた、つながってること自体の中で、二人とも生きてたのが、ああ、これは気持ちがいいなと思い、気持ちがいいために撫でるということになった途端に、そこでプツッと何かが切れた。自分にとって気持ちがいいから撫でることは、私に言わせると自分に閉じこもることなんです。だから、気持ちがいいと思った途端に、馬は自分の裏切りに気がついたんだろうか、というような意味のことをブーバーは書いている。
 これは立証はできないことだけれど、私は非常に良く分かる気がするんです。私たちは一人一人、別々だけれども、その中で、何かがつながる、コミュニケートする。わかり合うということの原点に戻ると、少年ブーバーと馬が、毎朝会っていた時のような関係。意識の層でいうと、いつもの私たちの生活の層が意識の上の方にあるとすれば、それよりずっと深いところの層で、そういうものが生きていて、そこで私たちはつながるんじゃないだろうかというようなことを考えるわけです。(「スタタリング・ナウ」2003.5.17 NO.105)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/19
Archives
livedoor プロフィール

kituon

QRコード(携帯電話用)
QRコード