伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2023年08月

「吃音の夏」のしめくくり 第32回吃音親子サマーキャンプ 一日目

荒神山 丘 吃音親子サマーキャンプが終わって早10日経ちました。
 会場である荒神山自然の家やその食堂への支払い送金や礼状、チャーターバスの支払い、参加者やスタッフへの礼状、劇の小道具の片付けや、朝のスポーツや遊び道具の片付けなど、準備と同様に、いろいろ思い出しながら、そして来年のことをイメージしながら、後片付けをしています。ぼちぼちと届くサマーキャンプの感想を読んで、10日前のさまざまなできごとを思い出しています。劇のせりふが口をついて出てきたり、あのときあの場面での発言などが鮮やかに思い出されたり、キャンプの余韻を楽しんでいます。

入所のつどい 8月18日(金)、キャンプの初日、2台の車に荷物を積み込み、荒神山に向けて出発しました。普段、僕は車の運転をするのですが、キャンプのときはどうしても睡眠不足になるため、車の運転を控え、大阪のメンバーに車を出してもらっています。高速を走っている頃、先発隊が電車で最寄り駅の河瀬駅に向かっています。自然の家に着くと、打ち合わせをはじめ、キャンプの資料集や劇の台本、スタッフの進行表の製本、シーツの配布、麦茶の用意など、参加者が到着するまでにしなければならないことがたくさんあります。打ち合わせは、僕たちがしますが、その他諸々の準備のため、先発隊が早く来てくれるようになり、本当に助かっています。
 チャーターバスは、自然の家への狭い道には入れず、こどもセンターに着きます。そこから自然の家まで歩きます。雨が降ったらいやだなあといつも思うのですが、僕の記憶する限り、雨が降ったことはなく、バス組が集会室に到着です。リピーターは、すでに河瀬駅で懐かしい再会をしているようです。今回は、初めての参加が多いので、少し緊張している様子も見られました。

開会のつどい開会のつどい 伸二up開会のつどい みんな 入所のつどいが終わり、36名(残念ながら直前に病気などで3人がキャンセル)のスタッフの打ち合わせをします。この日、初めて顔を合わせるスタッフも多く、自己紹介の後、少なくとも初日の分だけの打ち合わせをします。この間、待っていてもらって、全員が集合するのが開会のつどいです。
 僕は、ここで、2つの話をしました。これから始まる2泊3日のキャンプで心がけたいことを話しました。ひとつは、オープンダイアローグが大切にしている3つのことです。対等性、応答性、そして不確実性への耐性です。

 対等性…先生という呼び方はせず、子どもも大人もスタッフも、みんな対等に、みんなでつくりあげていくキャンプだということです。ボランティアとか、支援者という概念は僕たちにはないのです。遠く鹿児島や関東地方から交通費を使って、参加費もまったく同じの全員が参加者という立場を32年間貫いてきました。普段「先生」と言われているたくさんの人たちが参加していますが、「先生」と言わないことがひとつのルールになっています。
 対等だから、世話をしない、教えない、指示しないが私たちのルールです。

 応答性…誰かの発言に対して必ず応答することの大切さを話しました。ちょっとした小さな声を聞き逃さず、丁寧に応答していく。話し合いを中心にしたプログラムを組む僕たちは、普段の行動のときにも対話を重視します。

 不確実性への耐性…僕たちは、「〜すべき、〜せねばならない」を、論理療法から学んだ「非論理的思考」として、もたないように心がけています。吃音親子サマーキャンプの3日間のプログラムはありますが、パスもありです。最初からそれを言うことはしませんが、劇をしたくない、山登りはできないという場合も、一応はすすめますが、最終的には本人の決定にまかせます。吃音親子サマーキャンプの目的は何かとよく聞かれることがありますが、目的やゴールはありません。ただ、ずっと続いているプログラムがあるだけで、キャンプで参加者がどのような経験をするかは、本人次第なのです。もちろん、話し合いもゴールはありません。この、どこへ行くか分からない、不確実なものに耐えていく、こうしなければならないというゴールはないこのキャンプをみんなで楽しんでいこうということです。僕たちは不安の中で始まり、最後には「今年もいいキャンプだった」と胸をなで下ろすのです。
 もうひとつは、トーベ・ヤンソンのムーミンの話からヒントを得た「三間」です。
 空間・時間・仲間、この3つの「間」を大切にしようという話です。このことばは、キャンプの間中、ずうっと、ホワイトボードに書いておきました。

出会いの広場2 プログラムのスタートは、出会いの広場です。集会室に全員が集まり、声を出したり、ゲームをしたり、歌を歌ったり、グループに分かれてふりつけをしたり、固かった表情が柔らかく、穏やかになっていくのが見えました。

話し合い1話し合い2 夕食の後は、第1回目の話し合いです。保護者は3グループに、子どもたちは小学校低学年と高学年、中・高校生は混合で2グループに、それぞれ分かれて、吃音について話し合いました。これまでなら、どのグループにも、リピーターがいて、その子たちが、話し合いをひっぱっていってくれていました。話したいことをいっぱい持って参加しているので、話がいつの間にか広がっていきます。初参加の子どもたちは、その輪の中にいて、自然と、他者の語りを聞くことになります。そして、いつの間にか、自分も語り出すという流れができていたのです。初参加者と二回目の参加者の多い今年はどうかなと心配でしたが、スタッフにリピーターが多いこともあって、また協力的な子どもたちが多かったこともあって、いつものような話し合いの場になっていきました。聞いてもらえるという安心感のある場で、子どもたちは、自分の本音を話していたのだろうと思います。対等性と応答性が保証されている中で、共に、不確実性への耐性を発揮していたのだろうと思います。
話し合い3話し合い4話し合い5話し合い6 僕が参加していたのは、小学校5、6年生グループでした。

 夜の8時、全員が学習室に集合します。事前レッスンに参加したスタッフによる劇が始まります。荒神山劇場のオープニングです。この日のために、小道具を作り、郵送してくれたスタッフもいます。今回どうしても参加できないから、せめて小道具作りで参加したいと申し出てくれました。車にたくさんの小道具、材料を運んで、その場で必要なものをつくってくれたスタッフもいます。7月に2日間の合宿で稽古をした、スタッフとしては本番の劇の上演です。いいお客さんのおかげで、多少せりふをとばしたり、間違ったりもしましたが、それもご愛敬で、今年の劇「森は生きている」を演じました。真剣にみつめてくれている子どもたちや保護者のおかげで、みんな役者になったつもりで演じることができました。一番心配そうに見ていたのが、演出を担当してくれている渡辺貴裕さんでした。出演者はみな、楽しんでいました。その様子はしっかりと観客の子どもたちや保護者に伝わったことと思います。
台本配布のとき こうして初日のプログラムが全て終了しました。上々の滑り出しです。自然の家に到着したときの、固かった顔が、緩んでいます。
 夜10時からスタッフの打ち合わせを行いました。それぞれのプログラムの中で気づいたことを率直に出し合います。気になった子どもの話が出ると、関連する話題が続きます。こんなことをしていたよ、こんなことを言っていたよと、自分が見聞きしたその子の話が出てきます。子どもを一面的にとらえてしまうことを防ぐことができます。それらを共有することで、子どもの見方が広がるのだと思います。翌日の打ち合わせをして、スタッフ会議は終わりです。参加者同様、初参加のスタッフの固かった表情もすっかり和らいでいました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/31

第32回 吃音親子サマーキャンプ、無事、終わりました

荒神山 丘 台風がほんの少し早く抜けてくれて、無事、第32回吃音親子サマーキャンプを開催することができました。昨年、たくさんのリピーターが卒業式を迎えたことと、2年間の中断が影響して、リピーターが減って、初参加が多く、2回目の人と合わせると、8割くらいでした。
 これまで自然と培われていた伝統や文化がどうなるのだろうと、少し心配でしたが、新鮮な出会いを楽しみながら、「今までどおり」は通用しないので、丁寧に対応していこうと思っていました。
 始まってみると、確かに最初は固い表情の人も少なくなかったのですが、だんだんと、毎年のように和やかな雰囲気になっていきました。
 今年のプログラムは、コロナ前と同じ、フルバージョンで行いました。
 吃音についての話し合い、演劇、話し合いと話し合いの間に設けた作文、ウォークラリー、親の学習会、どれもサマーキャンプには欠かせない大事なプログラムです。親のパフォーマンスも、最初はリピーターが少ないので難しいかなあ、やめようかなあとも思ったのですが、やっぱりちょっと負荷のかかった課題に挑戦してもらおうと思い、設定しました。練習が始まると、いつの間にか、これまでどおり、わきあいあいで、話し、動き、笑い、みんなで作り上げていく姿を見ることができました。話し合いをしてきたグループだからこその結束力でした。これまで大切してきた伝統や文化は、しっかりと根付いていたことを再確認できました。

 スタッフは、当日、初めて顔を合わせる者もいる中、子どもに対する目が温かく、子どもを大切にすることが自然にできているのがよく分かります。ひとりひとりが、その場で、それぞれの役割を果たしていること、そしてそれを信頼する仲間であること、自然に育まれるその雰囲気がなんとも言えず、居心地のいいものでした。このスタッフのチームワークは、本当に不思議で、とてもありがたく、誇らしく思います。
 終わってみれば、今年もまたいいキャンプでした。
 大勢の人の力が集まって、サマーキャンプというすてきな空間が作られているのだと思います。
 感想文が届き始めていますが、いつも演劇のための事前の二日間、スタッフに演劇指導をしてくださる、東京学芸大学教職大学院の渡辺貴裕さんの感想をまず紹介します。noteからです。

 (https://note.com/takahiro_w/n/nccfd06b1b104 参照 2023年8月24日)
          子どもがもつ力に圧倒される
       〜第32回吃音親子サマーキャンプに参加して〜
                      渡辺 貴裕
 第32回吃音親子サマーキャンプ(主催:日本吃音臨床研究会)を終えた。
 どもる子どもと親が、琵琶湖畔にある荒神山自然の家に集まり、2泊3日を共に過ごす。
 どもる大人(成人吃音者)やことばの教室の教師や言語聴覚士などもそこにスタッフとして加わる。
 8月18日(金)〜20日(日)に開かれた今回、2000-2001年のコロナ禍による休止を挟んだ影響か、子ども&親のリピーター参加が減っていたが(初参加者率増)、それでも参加者は全体で80名ほど。大阪・兵庫を中心に、三重やら千葉やら神奈川やら鹿児島やら全国から集まる。
 学生時代から、かれこれ連続22回目の参加になる。なぜ私はこうして参加し続けているのか。 今でこそ竹内敏晴さんの後を継いで事前合宿でのスタッフ向け劇の指導を担当するようになってはいるが、元々はそうではないのだし、別に、演劇教育の専門家として参加しているわけではない。もちろん、吃音の専門家でもない。また、ボランティアとして他人の役に立つために、というのもちょっと違う。むしろ、「専門家」でも「ボランティア」でもなく、何も背負わない者としてその場に居て、それでいてかつ(あるいは、だからこそ)、子どもがもつ力に圧倒される、人間ってすごいなあとしみじみ思える、そんな経験を毎年できるから、私は参加し続けているのだと思う。
 1日目の話し合いでは(吃音の調子もあってか)一言もしゃべらなかった高校生の子が、2日目の話し合いでは、自分が就きたい仕事のこと、オープンキャンパスに行って「どもっててもその仕事でやっていけるか」尋ねたときのこと、なぜその仕事を目指すようになったのかといったことを、時々言葉が出なくなりながらも、話す。周りのメンバーは、それにじっと耳を傾ける。ごく自然に、けれども極めて濃密に、話すことと聴くこととが行われる。
 2日目朝の作文で、ことばの教室のこととキャンプのことを書いてきた小学生。どちらもすごく楽しい、特にことばの教室は、学校の中で一番楽しい時間だという。ただし、その楽しさは、椅子取りゲームとか、いっぱい「ゲームができるから」。「じゃあキャンプの楽しさは?」と尋ねてみると、その子いわく、「キャンプの話し合いでは、吃音でイヤだったこととか、みんなの、吃音への思いを聞ける」。「相手の気持ちを分かれて、うれしい」と。子ども自身が、吃音と正面から向き合うこと、仲間とつながることの価値を認識している。
 担任の先生への怒りを作文にぶつけた小学生もいる。「ゆっくり話して」と言ってくる先生に対し、「ゆっくり言おうとどもるもんはどもるんだから、そういう問題じゃない」。「知らないように知ってるように言うな」と。そうやって言語化できることの強さ。
 私自身、3日間というほんのわずかな間に、子どもへの見方をどんどん塗り替えられる。
 話し合いのときには引き気味で、あまり自分のことをしゃべらなかった子が、劇の練習のときには自分なりの工夫なり表現なりをバンバン入れて、周りの笑いと喝采をかっさらっていったりとかも。こんなふうに、子どもってすごいなあと思わされることの連続だ。それは、普段自分が背負っているものを降ろして、ただただ、人がもつ力の前に謙虚になれるということでもある。
 吃音のキャンプは他の場所でも行われるようになったけれども、こうした関係性をもてるのはなかなかないという。他だと、ことばの教室の教師なりの専門家が準備してプログラムを提供する、という形になりがちだし、成人吃音者が来る(招く)場合でも、「吃音の当事者や先輩の話を聞く」といったプログラムの一部に組み込まれてしまいがちだそう。それはそれでよく分かる。「教師」なり「専門家」なり、というのは、「ちゃんと自分が役に立たないと。何かやってあげないと」と思ってしまうものだから。
 一方、この吃音親子サマーキャンプは、「専門家」が何かを提供するという図式ではない(ことばの教室の先生も参加してるけれど、むしろ、自分が学びにきている気分だろう)。もちろん、支柱としての伊藤伸二さんの存在は大きいが、キャンプそのものに関しては、どもる子どもも親も(時には子どもの兄弟も)スタッフも一緒になって場をつくっていく。
 劇の練習のときのリードとか話し合いの進行&記録とか食事の準備とかシーツの管理とか、スタッフが担う役割はいろいろあるものの、スタッフみんなが同じように担うわけではないし(臨機応変に入れ替わりもするし)、親が担うものもあるし、名前がつくような「役割」ではないけれど、キャンプ卒業生でもある若手スタッフらがいきいきと人前でしゃべったり子どもとかかわったりしてさまざまなタイプの「わが子の将来像」を示すといった、私が決してできない類の「役割」もある。
 そんなふうに、参加者同士が固定的な関係に陥ることなく、一緒につくる。だからこそ、子どものすごさに圧倒されることが可能になるのだろう。自分の背負っているものを降ろすからこそ、純粋に、人のすごさを楽しめるのだろう。そうした時間をもてるのは私にとって貴重で有難いものだし、それは他の参加者にとってもそうなのかもしれないと、思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/24

「吃音の夏」第二弾 第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜参加しての感想  吃音親子サマーキャンプを前に

 第10回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜参加しての感想

 明日からは、いよいよ第32回吃音親子サマーキャンプです。今年のキャンプは、初参加者が多く、フレッシュなキャンプになりそうです。きっと、今頃、不安と期待が入り交じった複雑な思いで、準備されていることでしょう。鹿児島県から初めて参加する親子は、今日は京都に前泊すると聞いています。私たちスタッフも、初めて参加される方、遠くから参加される方の思いを想像しながら、明日の出会いを楽しみに、最後の準備をしています。
 キャンプが始まってしまうと、ブログの更新はできないと思いますので、しばらくお休みします。サマーキャンプの前日の今日は、これまで報告してきた第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の感想を紹介します。
 初めは、講習会の主催者である、吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会の事務局長の渡邉さんの報告、そしてその後に参加者ふたりの感想を紹介します。


横断幕 吃音講習会は、全国難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会で発表した安田さんの提案でスタートしたので、子どもと安田さんが対話しているビデオを観て、やはり吃音について「対話」するっていいなと思ました。伊藤伸二さんの基調提案では、安田さんが健康生成論をことばの教室の実践にいかしている提案を解説しながら「対話」の大切さを丁寧に話してくれました。どもることを否定しないが、言語訓練も大切だとする、一貫性のないかかわりが危険であることを参加したことばの教室の担当者や言語聴覚士の方々にわかってもらえたと感じます。
osp 公開講座 大阪のみ 大阪吃音教室のみなさんが、普段の例会の様子を再現してくれました。内容は、吃音チェックリストでセルフチェックを話し合うことでした。〈自分のことを語る、相手の語りを聞く〉を私たちはみることができました。どもることだけでなく、私たちが子どもを全体的にみることや相手の話を聞いて、真剣に考え、知りたいと質問していくことが「対話」になっていると思いました。語っている人が語りたくなるような雰囲気がとても伝わってきました。私も大阪吃音教室に一度は参加してみたいと思っていますが、ここで一コマですが再現してもらって、うれしかったです。そのあともグループの話し合いや休憩時間などで、どもる人の考えや思いを聞くことができて本当によかったです。
 講習会以外では、このようにどもる人本人と一緒に研修をする経験がないので、とてもよかったと参加者が感想に書いていました。これからも、大阪吃音教室のみなさんに参加してもらいたいなと思っています。

牧野さん 次の日は、牧野さんの基調提案からスタートしました。一日目の様子をふまえて、やわらかい雰囲気で話してくれました。私は最近、今回のテーマである「幸せ」について考えるようになりましたが、牧野さんはずっと前から「ハピネス!」と発信していました。幸せをベースに「どもる子どもの生きるかたちを支えるために」について話してくれました。子どものありのままを受け止め、暮らしの中での子どもの思いを知ることが大事ではないか、どもることだけが課題だと大人が勝手に考えてしまわないように大人のかかわりについて、たくさんのことを話してくれました。子どもの幸せという意味で将来を一緒に考えていくことが大事であると実感しました。
渡邉 その後、実際に教材を工夫してつくり実践をしている四人のことばの教室の担当者が、「言語関係図」「吃音かるた」「吃音チェックリスト」など、ことばの教室で子どもと取り組んでいることを紹介しました。「言語関係図」や「吃音かるた」など、同じテーマでも違う教材を制作し、それぞれの工夫がある実践を紹介できたと思います。参加者が自分が取り組むときにどう活用しようかと思って実践してくれたらいいなと思いました。
ティーチイン 2日間もあると思った吃音講習会もあっという間にふりかえりの時間になりました。みんなで輪になって一言ずつ話しました。2日間で印象的だったことや考えたことなど、参加者のことばでふりかえることができました。多かったことは、安田さんが実際に子どもと対話をしている様子がビデオで見れたこと、大阪吃音教室の実際の対話をみることができたことでした。実際のことが伝わってよかったなと思いますし、それをどんな意味があるのかを伊藤さんや牧野さんの話でよりわかり、参加者が意見を交換できた、いい講習会だったと思いました。
 来年は千葉市で行います。来年もたくさんの方々が集まっていい時間を過ごせる講習会にしたいなと思っています。以上、報告でした。


 
 
安田さんのことばの教室の実践発表はもちろん、教材の紹介の中で皆さんが紹介されていた事例の一つ一つに、一人の人間として子どもを信頼し、子どもと対等な立場で共に取り組むということが徹底されており、温かい思いが満ちていた2日間でした。子ども達のことを思うと、自分のことのように嬉しいです。
 ことばの教室の担当者が、それぞれの実践での、子どものエピソードを紹介しているときの、皆さんの柔らかい笑顔が印象的でした。
 安田さんの担当しているB君のように、「軽い気持ち」「重い気持ち」などと自分の気持ちを表現できる子どもにとって、「重い気持ち」を語ることができる場があり、それを語れる大人がいるということは、どれほど大きなことだろうと思います。たくさんの子ども達に、安田さんのような人に出会ってほしいと願います。
 僕は、教育の場で子どもと関わる立場ではありませんが、吃音に取り組み始めた頃から、どもる子ども達のことにすごく関心があります。様々な場面で、子どもが一生懸命に生きている姿にふれると、力をもらうし、自分のことのように嬉しく、幸せな気持ちになります。反対に、合理的配慮が濫用され、どもる子どもが生きていく力を、削ごう、削ごうとしている現状にふれると、涙が出るほど悲しいです。「どもる子どもが幸せに生きるために」という思いの輪が、もっと大きく広がり、根付いて欲しいと切に願っています。
 妻によると、僕は今朝、寝言で吃音がどうのこうのと言いながら大笑いをしていたそうです。仲間も大勢できました。我がことながら、名古屋での二日間が、よっぽど楽しかったのだろうと思います。
 次は、いよいよキャンプです。よろしくお願いします。



 
「人は人を図らずも傷つけてしまうものだ」「傷つけるかもしれないとの不安は、人との関係の中では一生ついてまわる」という言葉を聞き、「人を傷つけてしまってはいけない」「不安は取り除かなくてはいけない」という思考になっていましたが、このようなことを前提に人と関わることを知れたことで少し楽になりました。人を傷つけてしまうかもしれないことを極端に恐れてしまっていたことに気づき、「納得する/させる」と同じように傷つくかどうかは相手次第であり、伝えるべき情報は、極度にこだわらず伝えていきたいと思いました。
 「どもる」を「つっかかる」や「ひっかかる」と言い換えることについて、伊藤さんの話を聞き、小学生の頃、自分で「どもる」という言葉を使うのが嫌で、吃音のことを相手に「ひっかかる」と表現していたら、相手から「私もひっかかるよ」と言われて「どもる」ことが伝わらず、「みんなのひっかかるじゃなくて、毎日の会話でどもることなのに」と悲しんでいたことを思い出していました。他の人から「どもり」「どもる」と言われるのは嫌でしたが、表現を曖昧にしてしまうと、語れる言葉がなくなってしまう危険性もあり、「自分を語れる言葉」として残すべきものの見極めが大切だと感じました。
 今回の吃音講習会では、特に、「対話」について深めていけたらと思いながら参加していましたが、「対話」以外のこと(自分自身の生き方、どもる人として、仕事のこと)でも学びがとても多かったです。対話に関して、相手に質問する力だけでなく、話を聴く力をさらに身につけることで、相手がどう向き合ってくれるか変わっていくのではないかと思いました。
 4年ぶりに参加し、自分自身の吃音をとりまく課題や思いを改めて見つめ直すきっかけになりました。来年の講習会でも、自分の思い、行動の振り返りをしたいと思います。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/17

対話における大阪人の突っ込み力は、相手への信頼があるから

対話における大阪人の突っ込み力は、相手への信頼があるから

吃音の夏」第二弾 
 第10回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜大阪吃音教室の公開講座を終えて


 参加者が丸く円になり、講習会のふりかえりをした後、短時間だったのですが、感想を記入していただきました。そこに書かれていたことは、また機会があれば、ぜひ紹介したいのですが、今日は、それとは別に、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトのメーリングリストで交わされた、講習会1日目の午後、吃音チェックリストを使っての、大阪吃音教室の公開講座をめぐるやりとりを少し紹介します。

osp 公開講座 大阪のみ 吃音講習会に参加のみなさん、お疲れ様でした。
 吃音チェックリスト公開講座を担当いただいた嶺本さん、ありがとうございました。
 実際に活用する様子を見て参考になったと、最終日ふりかえりで参加者から感想がありました。吃音チェックリストは、吃音に関するとらわれ度や回避度の数値が下がったもの、数値に変化がないものも含めて、互いの吃音について語り合う、対話のツールでした。
 話し合いの中で普通に、なぜそうなのか? どういう気持ち? など、知りたいと思ったことを相手に質問しますが、どもる子どもを傷つける恐れがあるので、「大阪の人のようなつっこみはできない」ということばの教室の担当者がいました。予想外の反応でしたが、相手の気持ちを配慮し、あまり慎重になりすぎると対話になりません。短い期間で異動することばの教室担当者のとまどいや悩みを知ったようでした。
 吃音チェックリスト、言語関係図、吃音氷山説などは、大阪吃音教室でやっていますが、ことばの教室でも教材として実践され、事例研究が進みます。講習会ではそれらの事例研究が報告され、教材としての意味づけを知り、参考になりました。
伸二 伊藤さんが基調講演で話された健康生成論の首尾一貫感覚の〈わかる、できる、意味がある〉感覚は、幸せに生きるためになくてはならないものですが、私たちがこれまで教材としてきた論理療法、交流分析、アサーションなどで学び、自分への気づきを得てきたのは首尾一貫感覚で意味づけることができます。ことばの流暢性を求めなくても吃音の悩みから解放され、幸せに生きることができる裏づけをもらったようでした。
 内容の濃い、盛りだくさんの吃音講習会でした。大阪のメンバーが参加し、いろいろな体験を話す意味合いを改めて思いました。(東野)     
 
 参加されたみなさん、講習会でのチェックリストの例会実演、いい時間でしたね。吃音チェックリストの数値は、ともすれば数字の低さをよしと考えがちになるのですが、やりとりの過程でそうではないことが示されていく様子は、吃音講習会の参加者にとって圧巻の展開だったと思います。
 吃音チェックリストは健康生成論の首尾一貫感覚における「わかる」に焦点化したものでしょうが、「できる」、「意味がある」ところにまで私たちの話し合いは進んでいましたのでなおさらです。
 プログラム最後の振り返りでは、公開講座に参加していた大阪吃音教室の人たちの話に「つっこむ力」が話題になりました。興味・関心ゆえのつっこむ力、応答する姿勢は伊藤さんや顧問の牧野さんが語ったこととも通じて、ことばの教室の教員の夏休み明けの子どもたちに向き合っていきたいという振り返りのことばに結実したと感じました。
 嶺本さん、普段の大阪吃音教室と違って、それなりに緊張感がともなう担当だったと思いますが、それこそ嶺本さんにとっての適度なバランスのとれた負荷、経験だったのではないでしょうか。いい時間をともにさせてもらいました。ありがとうございます。(坂本)

 「大阪で普通にしていることが、参加者にとっては、とても新鮮で、衝撃的だったようですね。大阪人だから? いえいえ、相手を信頼しているからできることだと思います」と、伊藤さんたちが書いていましたが、名古屋での吃音講習会での反応で、私が一番驚いたのがその点です。
 普段子どもを相手にしている先生や言語聴覚士が、吃音のことを子どもに質問したり、子どもの発言にツッコんだりするのに、何をためらうんだと思いました。まあ、参加者のそういう反応を通じて、「これからは子どもたちとの対話を心掛けよう」と思う、そんな先生たちが増えていきそうな実感が持てた講習会でした。
 今後とも、大阪から参加しやすいときは、講習会に参加しようと思っています。(西田)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/15

「吃音の夏」第二弾 第10回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会 2日目

牧野さん牧野さんup 2日目は、国立特別支援教育総合研究所の牧野泰美さんの基調提案から始まりました。
 タイトルは、『子どもの「生きるかたち」を支えるために』です。牧野さんは、僕たちのこの会の顧問として、第一回講習会から、ずっと、この場にいてくださいます。牧野さんの大好きなことば「そばにいてくれるだけでいい」のことばどおりの存在です。今回、牧野さんファンの参加者も多く、牧野さんの話すことにうなずきながら、聞いていた姿が印象的でした。参加者のそれぞれに響くことば、フレーズがあったようです。子どものありのままを受け止め、暮らしの中での子どもの思いを知ることが大事ではないかと、牧野さんらしいソフトな語り口で伝えてくださいました。大人が勝手に考えてしまわないよう、常に子どもが中心にいることの大切さを強調していました。
渡邉溝上奥村黒田高木 その後は、子どもと対話をすすめるためのツールとしての教材の紹介です。吃音カルタ、言語関係図、吃音チェックリストの3つに分け、僕たちの仲間のことばの教室の担当者が次々と登壇し、自分の実践を紹介していきました。うれしそうに、楽しそうに、そのときの子どもの様子を伝えながら、紹介していく様子は、聞いていて気持ちがいいものでした。
 毎週、ことばの教室にやってくるどもる子どもとどう過ごそうかと悩んでいる、吃音のことを話してみようと思うが傷つけないだろうか、「困ったことはない?」と聞いても「別に」と答える子どもとどう対話をしていったらいいのだろうか、どもりカルタを買ったはいいけれど、どう使ったらいいのか分からない、そんな思いを持っておられた参加者にとって、具体的な実践がどんどん紹介されていく時間は、私にもできそうと思ってもらえた時間だったのではないかと思います。昨年、この時間が短すぎたので、今年はたくさん時間をとりました。それでも、もっと長くてもよかったようでした。僕たちにとっても、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
ティーチイン 最後は、参加者全員が丸く円になり、講習会のふりかえりをしました。2日間を通して、自分が感じたこと、考えたことを話していきます。僕は、この時間が好きです。充実した2日間が、みんなのふりかえりの中でよみがえります。片付けを全員でして、会場を出たのが、午後4時半でした。会場内の喫茶室で打ち上げをして解散しました。その後、僕たちは、難聴・言語の教員の研修の千葉県大会のために、千葉へ向かいました。なんと慌ただしいスケジュールでしょう。東京に向かう新幹線に乗る前、夕食に、名古屋名物のきしめんを食べました。JRに貢献しているなあと思いつつ、東京へ、そして千葉へ向かいました。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/14

「吃音の夏」第二弾 第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会 1日目

横断幕 「吃音の夏」の前半、大阪を出発して埼玉県大宮で全難言大会、そこから愛知県名古屋市に移動して「第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」、そこから千葉市に移動して千葉県の合同夏季研修会、と紹介しようとしていたのですが、前半の前半で止まっていました。
 夜8時過ぎに、吃音講習会の会場の最寄り駅「金山」に着きました。先に来ていた仲間たちが迎えに来てくれていて、合流し、明日から始まる講習会に向けて、打ち合わせです。全難言大会の余韻を味わいながら、明日からの2日間を楽しみにしていました。
 7月29日、ホテルのすぐ近くの日本特殊陶業市民会館(名古屋市民会館)が会場です。午前9時に入り、会場設営の準備を始めました。すでに参加者も来られていて、みなさんに手伝ってもらいました。
吃音講習会 自己紹介風景 実行委員長の奥村さんのあいさつの後、全員が会場を動き回って簡単な自己紹介をして、公式プログラムがスタートしました。
安田+映像 最初のプログラムは、前日、大宮で発表した千葉市ことばの教室担当者の安田さんの実践発表「吃音のある子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること」です。「大宮の全国大会で予行演習をしてきました」と、みんなを笑わせながら、始まりました。子どもとの対話場面の映像を流し、安田さんの飾らない、素直な気持ちがあふれた発表でした。その後、僕が進行しながら、参加者から質問や感想を受けました。前日と違ったのは、そこで、たくさんの質問、感想、意見が出たことでした。これでこそ、実践発表が生きてくるのだと改めて思いました。いいスタートでした。
基調提案 伸二up基調提案会場風景 午後は、僕が基調提案として、「どもる子どもが幸せに生きるために〜ことばの教室でできること」とのタイトルで話しました。具体的な取り組みを午前中に安田さんが話してくれたので、僕の話が、参加者に入りやすかったのではないかと思いました。PowerPointを使わず、一気に話しました。
 そして、今回の講習会の目玉のひとつ、どもる人のセルフヘルプグループである大阪吃音教室の公開講座です。今回は、吃音チェックリストをつかって自分の吃音の課題を発見するという、いつもの講座風景を参加者が周りを取り囲む中で行いました。大阪吃音教室の常連のベテラン、初めて吃音チェックリストをするという新人、いろいろな立場のどもる人が、自分のチェックリストを見ながら発言していきます。そして、その発言を聞きながら、気づいたことを質問していきます。自分と比較して「そこは、なんでなん?」と、考えるきっかけをみんなに広げていきます。
osp 公開講座 少しアップosp 公開講座 大阪のみ 後の感想で、大阪人のツッコミがおもしろかったという意見がありました。僕たちにとっては、普段どおりの講座での会話ですが、そこまでつっこんで聞いていいのか、みたいに思う人もいたようです。でも、そこまで聞いていかないと、どもる子どもとの対話は成立しないのではないかと思います。表面だけをなでるような話をしているだけでは、吃音の真の課題に触れることはできないと思います。どもる大人が、こうして、吃音チェックリストをひとつのツールとして、対話を続けている場面を実際に見ていただけたことは、今後、どもる子どもと対話をしていくときの参考にしていただけたと実感しました。普段と同じようにしていたと、きっと大阪のメンバーは思っているでしょうが、普段から、しっかりと取り組んでいるからできたことなのだと、僕は、誇らしく思いました。
 夕方からは、グループに分かれて、僕の基調提案についての意見や感想、質問を出してもらうことを目的に話し合いをし、その後全体でふりかえりをして、1日目を終えました。プログラムどおり、本当に8時まで研修をするのだと驚かれた人もおられたでしょう。ただ黙って坐って、講師の話を聞くだけの講習会ではないのです。これが、僕たちのスタイルです。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/13

第32回 吃音親子サマーキャンプ開催まで、1週間となりました

 第32回吃音親子サマーキャンプが1週間後に近づいてきました。今年も、関西地方を中心に、遠くは沖縄、鹿児島などの九州地方から、東京、神奈川、埼玉など関東地方から、山口などの中国地方から、参加申し込みが届いています。
 昨年は、吃音親子サマーキャンプの華であり、大事にしている演劇の稽古と上演が前年までの形ではできませんでした。当初は大きな声を出し、歌い、相手に伝わることばを吟味していくプログラムは抜いていたのですが、やはり、少しでも演劇をしたいと急遽小さな劇に取り組みました。みんな、大喜びでした。誰よりもスタッフが大喜びで張り切るのが、僕たちのキャンプの特徴です。
 今年は、全面的にコロナ前の形に戻しての開催です。同年代のグループに分かれての吃音についての話し合い、自分の声やことばに向き合うための演劇の練習と上演、親の学習会など、久しぶりのフルバージョン開催に向け、わくわくしながら準備をしています。
 演劇のためのスタッフの事前レッスンは、7月15・16日、大阪市内のお寺で行いました。そのレッスンに参加したスタッフは、そのときの映像を見ながら、それぞれ自主練習をしています。事情があり、今回、サマーキャンプに参加できない、サマーキャンプ常連スタッフは、演劇の小道具作りを申し出てくれて、サマーキャンプのあの場を想像しながら、せっせと小道具作りに励んでくれています。会場の荒神山自然の家に郵送してくれることになっています。それぞれが、自分の持ち味を出して、サマーキャンプにかかわってくれています。このようなスタッフのおかげで、サマーキャンプは、32年間も続いてきました。
 今年、初めて、事前レッスンに参加したスタッフから、手紙がきました。長くスタッフとして参加してくれている関東地方のことばの教室の担当者です。

 
念願叶って、事前レッスンに参加でき、幸せな2日間でした。帰り際に、坂本さんから「昨日より元気そうだね」と声をかけられました。充実した時間を過ごした満足感が表情や身体にあらわれていたのでしょうね。
 レッスンが始まって、身体を動かしたり声を出したりしたとき、身体は動かないし、声も出ないし、続かないしで、自分がこんなにも固まっていたのだと気づきました。でも、劇の練習を通して、楽しさが増してきて、事前レッスンに参加できてよかった、うれしいという気持ちが広がりました。事前レッスンの場は、サマーキャンプ当日と同じように、ぬくもりが感じられて、いいなと改めて思いました。すてきな機会を設けていただきました。サマーキャンプ本番も楽しみにしています。


 今年の吃音親子サマーキャンプは、初めて参加される方が多いです。昨年、初めて参加したという人も合わせると、全体の7、8割くらいでしょうか。フレッシュなキャンプになりそうです。これまでは、リピーターが多くいて、その中で初参加の方が自然と混じり合って、いつの間にかその人たちがリピーターになっていって…、そうして、サマーキャンプの伝統が受け継がれてきました。コロナ禍のため、空白の3、4年間ができたことがこんな所にも影響しているようです。
 サマーキャンプのもつ伝統は、それを目標としたわけではありませんが、いつのまにか熟成されていったように思います。話し合いのとき、ひとりひとりの語りにしっかり耳を傾けること、話す人は、自分のことばで自分の思いを伝えること、ただ共感するだけでなく、関心をもって聞き、質問してその人の物語の世界を広げていくこと、指示・命令のことばはできるだけ最小限にして、それぞれが時間を守って動くこと、強制はしないが、自主的に自分の課題に取り組むこと、精一杯表現すること、それらのことが自然にできていたように思います。鰻の名店が、伝統のタレをつぎたし、つぎたし、伝統の味を守ってきたようにして、吃音親子サマーキャンプは32年の年月を積み重ねてきたました。小学1年から高校卒業まで連続して参加していた、リピーターが全員卒業し、今年は、ベテランのいない初めてのキャンプになります。吃音親子サマーキャンプの文化を、一から作っていく再スタートの年になりそうです。その新鮮さを楽しみ、ドキドキを味わいながら、サマーキャンプの2泊3日を過ごしたいと思います。また、報告します。このブログを読んでくださるみなさんと、素敵な時間を共有できることを願って…。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/11

13年ぶりの、うれしい再会

 吃音の分科会の会場で、9年前、北海道での大会で実践発表された方が声をかけてくださり、うれしい再会をした、埼玉県大宮市での全国難聴言語障害教育研究協議会全国大会埼玉大会が終わり、次の名古屋市での第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会に参加するため、名古屋へ移動しました。今日は、その名古屋での吃音講習会を報告する前に、13年ぶりに再会した人とのできごとを挟みます。
 その人との最初の出会いは、14年前。横浜での吃音相談会に、ひとりの大学生が、両親とともに参加しました。両親の陰に隠れるようにしていた彼は今、自分の夢を叶え、ドイツの大学院に留学し、そのままドイツに住み、何度もオーディションを受けて、大好きなバイオリン奏者として、ドイツの楽団に所属しています。有名な楽団のニューイヤーコンサートでは、毎年、来日し、演奏しています。とてもたくましく、自分らしく、いきいきと生きている人です。
 その彼、小林さんとの一番の思い出は、横浜での吃音相談会の翌年参加した、「サイコドラマ」をテーマとした吃音ショートコースでした。講師は、サイコドラマの第一人者の増野肇さんでした。精神的にとてもしんどかった時期だったと彼自身が振り返って言うのですが、そんな時に参加した吃音ショートコースで、最終日、彼は、自分の課題に挑戦しました。曼荼羅というサイコドラマのひとつの手法で、参加者が見守る中、個人ワークをしたのです。かなりどもりながらも、真摯に自分の課題と向き合う姿が印象的でした。講師の増野さんが、彼のことばを丁寧に拾い、サイコドラマの舞台を展開してくださいました。
 その2泊3日の吃音ショートコースのときに、宿泊の同室だったのが、大阪スタタリングプロジェクトのメンバーである川東さん。ひとりで参加した小林さんが、何かと心細いのではないかと思い、気にかけてほしいとお願いして同室にした川東さんですが、その後13年もの間、やりとりが続くことになるとはそのときは思いもしませんでした。
 大阪で開かれたニューイヤーコンサートに招待された川東さんにとって、舞台で演奏している彼の姿は、とてもまぶしい、宝石のような輝きをもっていたと言います。その時の様子を、川東さんは几帳面な文字で詳しく丁寧に知らせてくれました。僕たちも東京公演の時、招待を受けたのですが、恒例の「吃音講習会」のための事前合宿と、東京ワークショップの日程が重なり、いまだに実現していません。一足先に、川東さんが、ニューイヤーコンサートに招待されたことになります。
 今、小林さんは、夏休みでドイツから日本に帰省していました。川東さんと会うことになっていたところへ、僕が79歳という高齢だと知って、二人が僕にも是非会いたいと言ってくれたおかげで、再会が実現しました。
2023.8.5 三人 喫茶店でゆっくりと話した後、予約されていた店で食事をしながら、いっぱい話しました。主として、小林さんの海外留学のこと、何度もオーディションに挑戦してつかみとった現在の地位の話、ドイツでの生活など、バイオリン演奏に関係した話でした。時折、吃音についての話題を挟みますが、彼にとって、吃音は、今、本質的な問題ではなくなっていました。

 印象に残った話をいくつか。
 初めて、僕に出会ったときは、吃音を理由にして、現実から逃避し、人との関係をシャットアウトしていたと小林さんは言います。どもっていても、人とコンタクトをとり、かかわりを持っていくことに欠けていたことに気づいて、哲学の勉強に他の大学に通うなど生活の場を広げていったことが、ドイツへの留学につながったのでしょう。
 思わず、これまでのことを書いてもらえないかと頼んでいました。

 また、ドイツが治療大国であることも、彼から聞きました。ドイツでは、多くの人が吃音治療を試み、手軽に無料で治療を受けられるそうです。そのため、吃音治療を強く勧められたこともありました。しかし、自分にとって吃音は、優先すべきことではないと、治療をするつもりはないようです。ドイツ語は、子音だけで発音するものがあって発音が難しいだけでなく、外国語を話すときには、脳内で話したいことを整理する時間が必要で、せっかちな自分の性格が邪魔してなかなかスムーズには話せないと言います。でも、苦労はすることはあるけれども、問題なく生活ができていると、爽やかに報告してくれました。
 一人でドイツに留学し、実力を磨いて、日本の公務員にあたる楽団員となって、世界で演奏活動を続けている自信が、ことばの端々に表れていました。13年前とは別人のようによくしゃべり、日本語ではあまりどもらなくなっていました。「ドイツ語では苦労しているんだけど」と笑っていました。

 13年という長い間、友好を温めていた、小林さんと川東さん、ピュアな二人に感謝です。出会いとは、本当に不思議なものです。あるひとつの出会いが、人生を変えることもあります。その出会いの場に同席させてもらったこと、吃音のおかげだと、感謝しています。そして、楽しく、うれしい時間を過ごせたこと、二人の若者に感謝しているのです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/08

吃音の夏〜北海道の方と、大宮で9年ぶりに再会〜

 埼玉県大宮市での全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会、仲間のことばの教室の担当者が実践を発表する吃音分科会の会場に座っていると、ひとりの男性が僕をみつけて近づいてきました。そして、懐かしそうに、「伊藤さんですね」と声をかけてくださいました。
 名前を言われても、すぐには思い出せません。でも、少し話していると、話の内容で思い出しました。9年前、北海道言語障害児教育研究大会・渡島、函館大会に、講師として呼んでいただき、記念講演をしました。その翌日の分科会で、実践を発表した人でした。僕は、その分科会のコーディネーターではなく、一参加者として、その分科会に参加していました。そのときの分科会は、発表者に対する敬意に満ちて、それぞれが率直に発言する、とてもすてきな分科会でした。コーディネーターに発言を求められ、僕は少し話したようです。そして、帰ってから、ブログにそのときのことを書いたらしいです。そのブログの発信を支えに、今までがんばってきたのだと、その人は言いました。そして、スマホで、僕のブログの文面をすぐに出して見せてくれました。2014年9月のものでした。北海道大会のことは覚えていましたが、その後に書いたブログのことは、すっかり忘れていました。
 これまで、研修会、講演会、講習会などで、本当にたくさんの人に出会い、お話してきました。その後、長いおつきあいをさせていただく人も大勢いますが、お会いするのが、そのときたった一回限りの人がほとんどです。そう思うからこそ、僕は、そのときそのとき、自分のもてる力を出し切って、その人と向き合い、対応していますが、そんな僕との出会いを、またそのときの僕の発言を、支えとしてくれている人がいるということ、ありがたく、うれしく思いました。
 2014年9月20日のブログを再掲します。

真剣な温かい討議

 北海道言語障害児教育研究大会・渡島、函館大会。
 僕の記念講演の翌日は。午前と午後の時間がたっぷりとある分科会です。僕は全国難聴言語障害教育の全国大会、九州大会、東海四県難言大会などで、何度も分科会の助言者をしています。助言者とひとりの参加者としてその場にいるのとは当然違うのですが、今回ほど気持ちよくその場にいられたのは初めてです。

 事例検討は、医療、教育、福祉の臨床の場の全てで、必要不可欠なもっとも大事にしなければならないことだと思います。しかし、僕は本当は「事例検討」の「事例」のことばが、どうも好きになれません。自分がどもる当事者だから、事例と言われるのが生理的に抵抗があるのだと思います。大切なことなので、もっと違う言い方はできないのだろうかといつも思います。「事例検討」そのことは、ありがたいことだと思うのですが。

 その名称はともかく、多くの事例検討会に参加して、事例である、Aさん、Bさんのことは当然のことながら、生育歴などを含めて、詳細に述べられるのですが、指導、支援した側の思いが、あまり語られなかったとは、僕の印象です。詳しく語られる、Aさん、Bさんであったとしても、客観的なことがら、自分が観察したことが中心で、その子どもの考え、思いなどを主観的な、実際にその人が語った言葉として表現されることはあまりありません。

 子どものことばを、親のことばを、担当者のことばや思いを、もっと出した「事例検討」ができないかなあと、常に考えていました。今回僕が参加した分科会、濱崎健さんの「周囲のことが気にかかってしまうAさんの事例」の報告には、その時々のことばが紹介され、その時、担当者である自分がどう感じ、どう考えたかが、正直な反省も含めて、表現されていました。

 吃音の分科会では、ともすれば「言語指導・言語訓練」でこのように改善され、それがその子どもの自信につながった、というような発表になりがちです。濱崎さんの発表にはそのようなものはなく、子どもの思い、担当者の思いの軌跡が丁寧に語られました。

 討議の時間です。感想、質問を無理強いされていないのに、つぎつぎと出される、質問や感想は、発表者へのねぎらいと、敬意と励ましに満ちていました。
 2000年の全難言全国大会・北海道・千歳大会で千葉市の渡邉美穂さんが、子どもの様子をビデオでみせたら、「6年間ことばの教室で指導しながら、こんなにどもらせていいのか」と助言者から批判され、周りもそれに影響されて、批判的な空気が流れて、悔しかったという思いをしました。だから、同じ北海道だったこともあり、その違いを思いました。

 僕も、何度も全国大会の助言者をしていますが、僕の考えと多少違うところがあり、疑問があっても、できるだけ、すばらしい所を探そうとします。それを伝えた後で、僕はこう考えると伝えることはありますが、発表者への敬意を失ったら、その分科会は後味の悪いものになります。今後の展望を考える意味で、時に厳しく感じるような発言を僕がすることは時にあるかもしれませんが、それは、個人攻撃ではありません。どもる子どもに、こうかかわって欲しいとの思いを、その事例とは別の次元で伝えることはありますが。

 この分科会、それぞれの発言が、とても共感できるものでした。僕が発言しているような気持ちにさえなりました。だから、コーティネーターが好意で、僕に発言する機会を与えて下さいましたが、僕が言いたかったことは、ほとんど参加者が発言していましたので、あえて、僕が繰り返すことも有りませんでした。なので、僕ならではの、必要最小限の発言にとどめました。

 それは、この発表を聞いて、ふたつのテーマで子どもと「当事者研究」ができるのではないかというものでした。

 長い時間を、ひとつの事例で徹底的に話し合う。それも発表者への、ここまでまとめた、思索への労をねぎらい、敬意と、温かさにあふれる発言に、この人たちにかかわってもらえる、どもる子どもは幸せだと思いました。

 コーディネータのまとめが終わり、これで終了という間際になって、「すみません、一言だけ感想を言わせて下さい」と、「僕は今までたくさんの吃音の分科会に出ているが、今回初めて、北海道のことばの教室のみなさんの分科会に参加して、みなさんの、ひとりひとりの、よく感じ、よく考えた発言のすばらしさに敬意を表します」と、発言していました。気持ちのいい分科会でした。
 そして、吃音を改善しようとする「言語訓練」は止めて欲しいと強く訴えていたのが、北海道では、取り越し苦労に終わるかもしれないとも思えました。
(日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/20)


 こんなことを書いていたのかと、自分でも懐かしかったです。
 どもる子どもの声を丁寧に拾い、自分の気持ちを自分のことばで語る、そんな実践発表を今後も求め続けていって欲しいものです。どもる子どもたちとの対話は、まさにその実践だと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/04

吃音の夏、前半戦は暑かった

吃音の夏

 7月27日、大阪を出発して、埼玉県に向かいました。埼玉県の大宮市で、全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会埼玉大会が行われました。久しぶりの対面での開催です。
 大宮には27日の昼頃に着きました。精神科医の本田秀夫さんの記念講演からスタートしました。本田さんのことは、以前、NHK番組で見て知っていました。本もあります。発達障害の人に対する見方、捉え方に似たものを感じていました。発達障害の人と発達障害ではない人との違いや差について、どこからが障害でどこからが障害でないのか、そんな線を引くことはできない、ちょっとその特性が強く出る人と弱く出る人の違いではないか、そんな表現をされていました。流暢性と非流暢性の違いも同じだと思います。どこからが吃音で、どこからが吃音でないのか、くっきりとした境界線があるわけではありません。一本の線の端が健康で、もう一方の端が死を表すとして、健康要因が強いと健康に近づき、そうでないと死に近づくという健康生成論に通じるものを感じながら、聞いていました。最後に、自立に大切なことは、自己決定力と相談力だということを強調されていて、これもまた僕の主張に共通のものとして印象に残りました。
 28日は、分科会です。千葉市のことばの教室担当者が、吃音の分科会で、実践を発表します。その応援のため、僕は大宮に来ました。実践のタイトルは、「吃音のある子どもが幸せに生きるために ことばの教室でできること」。昨年秋、僕は、その担当者の学校を訪問して、子どもたちと出会っています。子どもたちと対話を重ねてきた実践は、言語訓練ではなく、対話が大切だという僕たちの考えを実践に結びつけてくれたものでした。発表の中に、担当者と子どもとの対話の場面の映像がいくつも流れました。おもちゃで遊びながら、それでも担当者との話をやめようとはしない子ども。大切なことばがたくさんちりばめられていました。吃音と接するときの心の持ち方を発表している子どもの映像もありました。吃音に悩んでいるときは、心が吃音でいっぱいになっている。けれど、その反対に、したいことや熱中することがあってそれに夢中になっているときは吃音が小さくなっていると言います。この子のことは、以前、ブログで紹介しました。再掲します。昨年12月10日のものです。

ことばの教室訪問 子どもたちとの対話

 千葉市のことばの教室とは関係が深く、秋には千葉で吃音キャンプがあったばかりです。ふたつの学校から依頼を受けて訪問し、どもる子どもたちや保護者から質問を受け、対話をしました。
 まず午前中の山王小学校に入ると、手作りの歓迎の立て看板が目にとまりました。チャイムが鳴り、子どもたちが集まってきます。子ども6人と保護者、担当者、そして僕たちがそろって、授業が始まりました。
山王小訪問 みんなで輪 はじめに、子どもたちが、自分にとっての幸せとは何かについて書いた画用紙を見せながら自己紹介をしてくれました。
 そして、子どもたちから僕への質問コーナーに移りました。
・今年、放送委員をしている。アナウンスするときに、自分がどもることを考えたことはない。もし、伊藤さんが僕と同じ放送委員だったら、どんなことを思いますか。
・大人になってから、どもって困ったことはありますか。
・休みの日は1人で遊ぶことが多いですか。
・どもっていると、つけない仕事があると思いますか。
・私は友だちが110人います。自分から「友だちになろう」と声をかけて友だちを作るけれど、伊藤さんはどうやって友だちを作りますか。
・どうして、世界大会やどもる人のグループを作ったのですか。
・僕は吃音について、将来の不安がありません。「なんでそういう話し方なの?」と聞かれることは今までもあったし、これからもあると思うけれど、慣れていくしかないと思っています。どもりと向き合う心の作り方も分かりました。困ったら、そのとき考えればいいと思っています。こんな僕をどう思いますか。
・どもらなければもっと楽しい生活になるだろうと思う人がいます。なぜ、そう思うのだろうか。どもっていても、楽しい生活はできると私は思います。
・吃音を気にしないレベルを10段階で表したら、伊藤さんは10に見えます。私は10を目指しているけれど、今、レベル7の位置にいます。あと3は気になってしまいます。気になる3をなくし、10になるにはどうしたらいいですか。

 小学生の子どもたちが、こんなことを考えているのかとびっくりします。質問の意味を確かめ、子どもひとりひとりとやりとりをしながら、僕は自分の考えていることを話していきました。個別学習やグループ学習で、しっかり吃音を学び、自分の吃音について考えているからなのだろうと、自分自身の小学生の頃と比べてしまいました。

山王小訪問 心の作り方図解 僕と同じ名前の伊藤君が、「どもりと向きあう心の作り方」という図を見せてくれました。
 前は、僕の全体が吃音だったけれど、今は、僕の中のほんの一部が吃音で、ほかにもいろいろあるのが僕だ、ということだそうです。すごいなと思います。
 もちろん、これからの人生の中で、いろいろなことがあると思います。理不尽なことにも遭遇するかもしれません。でも、そんなときもきっと、小学生のある時期、こんなことを考えていたという実績は消えることはありません。吃音親子サマーキャンプで出会った子どもたちのように、苦しいことやつらいことがあったとしても、なんとかしのいでいってくれるだろうと確信しました。(昨年のブログ)


 そんな子どもたちの様子をいきいきと語り、子どもの声を紹介する発表は、本当にすてきでした。
 分科会が終わって、そのまま吃音講習会の会場である愛知県名古屋市に向かいました。
 埼玉大宮の分科会の会場で声をかけてくださった方がいます。その男性の話は、明日。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/03
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