伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2023年03月

桂文福さんとの出会い〜「にんげんゆうゆう」がご縁となって

 このブログにもよく登場する落語家の桂文福さん。出会いのきっかけは、今、紹介しているNHK番組「にんげんゆうゆう」でした。その番組を録画しておいて、旅から帰った文福さんに見せた息子さん。文福さんは、録画を見てすぐに僕に連絡をとってくださいました。そのときいただいたお便りを「スタタリング・ナウ」で紹介したいと依頼したところ、快諾いただきました。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)
 このときのお便りには、〈29年もこの世界でメシを食い〉とあります。番組は2000年6月だったので、それから22年経っています。文福さんは、51年間、落語家としてがんばってこられたことになります。2週間ほど前のブログで紹介しましたが、文福さんとの出会いに感謝し、これまでの文福さんのがんばりにエールを送るため、来月4月3日、天満繁昌亭での「古希おろしの会」に行ってきます。

 
落語家の道に飛び込んで
                               桂文福

 暑中お見舞い申し上げます。我々は「笑中お見舞い」となりますが、お元気でご活躍のこと、心強く思います。
 私は落語家の桂文福と申します。先日、テレビを見せていただきました。仕事の旅に出ておりまして、帰ってきましたら、家族がビデオをとってくれていました。
 実は私も小さい頃から「どもり」でした。本名がノボルなのに「ドモル」と呼ばれたりしました。でも、相撲や柔道で身体を使って発散していましたのであまり気にはしませんでした。こんな私が「話芸」といわれる落語家になり、しかも29年もこの世界でメシを食い、弟子も数名かかえて、落語家を職業として家族を養っていけてること自体、時に不思議に感じます。
 私は落語どころか人前でしゃべるのも苦手で対人恐怖、赤面症でした。それだけに一人でしゃべって多くの方を笑わせ、泣かせ、感動させられる落語にものすごくあこがれ、聞くことが大好きでした。(もちろん、田舎なのでラジオ、テレビ等で…)
 でも、大阪に印刷製本工として出てきて、生の高座を聞くにつけ無我夢中でこの世界に飛び込みました。落語研究会出身者やクラスの人気者だった方は「プロで有名になる」「売れてもうける」「スターになる」等の野心がありますが、私は師匠桂文枝(当時、小文枝)に付かせてもらうことで「何とか人前でしゃべれるようになれる」との思いの入門でした。伊藤会長のお話で「立て板に水のごとくしゃべっても、話の中味がなければ…」あのことばは胸に残りました。
 私が普通にペラペラしゃべれていたら、今頃そつのない平凡な落語家になっていたでしょう。自分で言うのもなんですが、相撲甚句や河内音頭(東西600人近い落語界で唯一の河内音頭取り)や体験談(ふるさと和歌山の農村の話等)を生かしての新作落語でユニークな独特のムードの落語家になれたことは、吃音だったおかげと、今は感謝しています。
 皆でバラエティ的にしゃべりあいすると、おもろいギャグ、トンチが浮かんでもすぐことばに出なかったり、悔しいこともありました。でも、音頭やかえ唄などは即興でスラスラと文句が出てきて盛り上がります。あえて厳しい所へ、皆さん(田舎の親、きょうだい、親戚、会社の仲間、上司)の心配をふりきって飛び込んだのも自分の勝手な行動なので、苦労を乗り越えたとか、どもりで辛かったとかはあまり人には言いません。
 しかし、先日の番組を見せてもらい、仲間で取り組んでいる会合を見て、乱筆ながらペンをとりました。歩き方、しゃべり方、人それぞれの個性です。私も障害者の友だちがたくさんおりますが、お互いにええとこ、あかんとこを心から話し合っています。今後の貴会のご発展を仲間の一人としてお祈りしています。ご自愛下さい。

 いただいたお便りの、『スタタリング・ナウ』への掲載をお願いしたところ再度メッセージをいただきました。

 皆さんの心の通う会報の末筆をけがさせてもらえれば幸せです。私の文を読んで福を呼んでもらえば光栄です。会報をお送りいただき、それにしても皆さんの吃音への取り組み方、ひしひしと伝わってきて感動しました。ぜひ、ゆっくりお会いして、いろいろお話をさせてほしいです。笑いと涙のエピソード、ぎょうさんおまっせー。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/21

「にんげんゆうゆう」の番組から

 その日、大阪吃音教室に初めて参加した人の最後の感想が、「吃音でもいいかな」でした。大阪吃音教室の映像を含めた30分番組「にんげんゆうゆう」の中から、僕の発言を少し集めて、番組で伝えたかったことをまとめました。以前は、NHKのホームページに掲載されていたのですが、今は、時間がかなり経過しているため、このページは存在しません。当時、掲載されていたものを紹介します。

 
2000年6月のNHK番組「にんげんゆうゆう」 放送内容の概略

 6月第3週 シリーズ「仲間がいるから乗りきれる」
 言葉に詰まったりどもったりする吃音を持つ人たちのグループ活動を紹介します。


6月22日(木)吃音
ゲスト:伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会会長)
    岡 知史さん(上智大学助教授)
      *社会福祉の立場からセルフヘルプグループを研究

言うべき内容があるのか
 どもる・どもらない以前に、自分には言いたいことがあるのか、言うべき内容があるのかということを問いかけていきたい。つまり、話したいという気持ちを持つような充実した生活をいかに送るか。その中でしゃべりたい内容を育てる。それが大切なんじゃないでしょうか。(伊藤さん)

 3歳の頃から吃音に劣等感を抱いていた伊藤さんは、35年前にセルフヘルプの会を作りました。21歳の時に4ヶ月間、吃音治療機関に通ったことがきっかけでした。
 「吃音は治らなかったけれど、同じ悩みを持つ人たちの中で初めて自分の苦しみを話し、聞いてもらえたことが嬉しかった。どもることを気にしないでしゃべるのがこんなに楽しいのかと。この安らぎや喜びを失いたくないと思ったったんです」(伊藤さん)

 伊藤さんの会の活動の一つに、吃音と上手につき合うための「大阪吃音教室」があります。この日は、吃音で困っていること悩んでいることを、まず作文に書いて発表しました。

 「…いま私は、時々どもってしどろもどろになる弱いところを、出しながらも、強い父親として子どもに関わっています」(会社員44歳)

 そして、作文の発表をきっかけに話し合いが始まります。この日初めて大阪吃音教室に参加した女性は、吃音のイメージが変わったと語りました。

 「吃音に対してはマイナスなイメージが強かったんですが、みなさんとお会いしてお話を聞いて、良いこともあるんだなと。私も吃音ですけれど、吃音でもいいかな、と思えるようになりました」(会社員24歳)

 伊藤さんの会では、子どもを対象にした吃音親子サマーキャンプも開いています。
 「吃音が変化するとしたら、日常生活でどんどんしゃべることしかないんです。日常生活でしゃべろうよ、と背中をポンと押す。そして、しゃべって失敗したら、それをみんなで聞いて支え合い工夫をするのが、セルフヘルプグループの大きな役割だと思います」(伊藤さん)

●吃音ホットライン
  TEL&FAX(072)820-8244


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/20

吃音でもいいかな〜NHKテレビ番組「にんげんゆうゆう」

 インターネットの世界で、吃音を検索すると、さまざまな情報が得られます。大事なのは、どの情報を選ぶか、です。何が、どもる人やどもる子どもを幸せにしてくれるか、僕は、それが大切な基準だと思います。
 今日紹介するのは、2000年に、スタジオ出演した「にんげんゆうゆう」の特集です。30分間の短い番組でしたが、「仲間がいるから乗り切れる」との大きなテーマのもと、柿沼アナウンサーの的確な問いと、ゲストとして登場した岡さんの話、そして大阪吃音教室の様子が流れ、充実した番組だったと思います。その特集号「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72の巻頭言から紹介します。初参加者の野村さんの最後のことばが光っていました。

吃音でもいいかな
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「吃音に対しては、すごいマイナスのイメージをもっていたんですが、でも皆さんとお会いして、木村さんや横の人の話を聞いたとき、良いこともあるんやと、私も吃音ですけれども、吃音でもいいかなあと思えるようになりました」
 日本吃音臨床研究会と協力し合いながら、共に活動をする、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリング・プロジェクト(大阪吃音教室)のミーティングの様子が、NHKの教育テレビを通して全国に流れた。
 《仲間がいるから乗りきれる》というテーマで4日間セルフヘルプグループが取り上げられた。最終日『吃音』の、インサートVTRとして、大阪吃音教室が収録されたのだ。
 テレビ収録のために特別の吃音教室をしたのではない。年間スケジュールを変えることなく、また、気負う事なく、いつものごく普通の吃音教室が進行していた。その日のテーマは、「吃音体験を綴る」。秋の吃音ショートコースに関連づけて『吃音と人間関係』について体験を綴った。自らの体験を文章にしてまとめることは、大阪吃音教室が大切にしているプログラムのひとつだが、初めて参加した人がまず驚く。大きな声で朗読の練習をしたり、人前で話す訓練をしていると予想して参加した人は、40分ほど静かに皆が一斉に、原稿用紙に向かっている姿に戸惑うのだ。
 書いた文章を、書いたその人が読むことが多いが、時間の都合で、担当者が全員の文を一気に読み上げる場合もある。30人ほどの吃音体験を一気に知る、すごい時間になることもある。
 この日は、8人が自分で書いたものを読み上げ、それを聞き、感想を言い合ったり、自分の体験を語った。驚いたり、笑ったり、拍手が起こったり、一体感の出る時間だ。
 そして、これも恒例になっている、ミーティングの最後に、その日初めて参加した人が、参加しての印象や感想を話す。NHKテレビのカメラが入っていることを全く知らずに、その日初めて参加した女性が、時に涙ぐみながら、冒頭の感想を述べたのだった。
 「うおっ」という歓声と、拍手が起こった。
 番組の展開としては、あまりにも出来過ぎている。そう感じた人もいたのではないか。
 柿沼アナウンサーも驚き、私に問いかけた。
 「今の女性は吃音に対してマイナスのイメージを持っていたけれども、吃音でもいいかなと考え方が変わったのは、まさに、人の話を聞いているうちに考え方が変わったのですね?」
 このようなことはどうして起こるのか。
 吃音の辛さや苦しみを分かち合い、だから吃音を治そう、軽くするために努力しましょうというのでは、セルフヘルプグループは安上がりの吃音治療機関になってしまう。治療となると専門家の領域だ。専門家の援助を得なければならない。
 吃音と向き合い、治すのではなく、それと上手につきあうことを目指してこそ、セルフヘルプグループは大きな力を発揮する。大阪吃音教室はそのことに徹しているから、野村さんのような変化が起こるのだと言える。
 最後にどもりどもり読んだ木村一夫さんの文章に、参加者のみんなから思わず大きな拍手が起こった。「よかったね。そんなこともあるんだ」なんだかほっとして、うれしくなる。野村さんならずとも、「吃音でもまあいいか」と言ってしまいそうだ。

 ―私自身、結婚するまでは、「自分は一生ひとりかもしれない。結婚できない」と思っていました。ところが、実際には、私の吃音が私を結婚させるきっかけになりました。
 それは、友人の披露宴で一芸をしてお祝いのことばを話したときのことです。うまくしゃべれなかった私を見た披露宴の出席者の一人に「こいつはすなおで良い人間だ」と思ってくれた人がいました。その人の娘の結婚相手を探すとき、一番初めに思いついた相手、それが私だったそうです。
 『吃音はマイナス』と考えていた私にとって、人生の転機となる結婚に対し、逆にプラスに働いたことは、うれしいことのひとつです―


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/19

吃音の苦しみとは、誰でもが言えること、言わなければならないこと、言えて当然のことが言えない苦しみ

 いつの間にか3月も半ばを過ぎました。あわただしく時間が過ぎていくのを感じます。
 3月11日は、僕にとって大切な日です。あの東日本大震災から12年が経ちました。テレビなどでは特集を組んでいて、今なお故郷に戻ることのできない人たちの声を紹介していました。同じころ、長編ドキュメンタリー「水俣曼荼羅」を見て、水俣病で苦しんでいる人たちの声を聞いていました。まっとうな声がなぜ届かないのか、怒りの感情が湧いてきます。11日は、ちょうど、千葉にいて、今年の夏の吃音講習会に向けての学習をしていました。
 2日間、吃音のことばかり話していて、ブログの更新もできませんでした。阿部莉菜さんのことを思いながら、僕は合宿に参加していました。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2000.7.15 NO.71の巻頭言を紹介します。吃音の苦しみとは、何か。苦労して、書いた記憶があります。

  
吃音の苦しみ
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもる人はどういうことに悩み、つらい思いをしているのか、まとめて下さいませんか」
柿沼アナウンサーの問いかけに、これも言いたいあれも言いたいと、いろんな思いがあふれた。
『にんげんゆうゆう』の放送時間は30分に満たない。その制限の中で、言い切れただろうかと不安があったが、放送の後、「吃音の苦しみを、私のことを言ってくれているようでうれしかった」「テレビを見た親が今まであまり理解してあげられなくてごめんねと電話をかけてきてくれた」などの感想を聞くと、ほっとする。
 3年前、世界的ミュージシャン、スキャットマン・ジョンさんが、ドイツのテレビ番組に出演するので、吃音について理解を深めたいから、何を話せばいいか提案してほしいと、国際吃音連盟の役員に問いかけてきた。収録後、思いどおりに話せなかったとしょげていたのを思い出す。テレビで吃音について話す機会はそうあるものではない。ジョンさん同様私も、吃音への理解が少しでもすすむように話したいとの気負いがあった。
 言いたいことが言えない。電話ができない。自分の名前が言えない。吃音に悩む人は声を揃える。しかし、そう言われても、どもる人の悩みはそう簡単に理解されるものではない。どう表現すれば理解が得られるか。その表現の仕方で悩んだ。
 「吃音は、何も難しいことではなく、誰でもが言えるようなこと、言わなければならないこと、言えて当然のことが言えない苦しみなのだ」
 緊張したら誰でもどもる。あわてたらどもる。確かにそうだろう。だからどもる人を前にして多くの人は、「さあ、もっと落ち着いて、あわてずに、ゆっくり話しなさい」と言う。「そんなんではないのだ、どもりは」と言いたかった。
 難しいことを話そうとして「うーん」などと口ごもる。感極まっての愛の告白、「ああああ、あなたが、すすすすすすすすすす好きだ!」
 そんな時は、どんなにどもろうとかまわない。どもりたくない気持ちをすでに突破している。
例えば、名前が言えない―商品の説明もうまくでき、営業の話が順調にすすんでいる。もう商談は成立したようなものだ。急に、「ところで、まだ貴方のお名前お聞きしていませんでしたね。お名前は?」こう聞かれてぐっと詰まって「ううううう・・」顔を歪めて名前を言おうとするが言えない。長い時間がたったように思う。やっと出た名前が「いいいいいいいとうしんじ」。相手はまずびっくりし、気まずい雰囲気が流れる。恥ずかしさがからだ全体に広がり、その場から消えてしまいたくなる―
 この5月、インターネットを通して悩みを聞いていた人が「会社の名前が言えない。もうこの苦しみは味わいたくない。不況で転職は難しいだろうが、どもらずに言える名前の会社に変わりたい」と退職した。自分の会社の名前が言えずにその会社をやめる人は後を断たない。
 例えば、切符が買えない―どもりを治したいと通った吃音矯正所が山手線の「高田の馬場」にあった。自動販売機がまだなかった時代。「たたたたたた…」出てこない。後ろには人がずらっと並び、「何してんだ。早くしろ」と怒鳴る。駅員は迷惑顔で見つめる。何度立ち往生したことか。人の並んでいない窓口を探すが、すぐに人は並ぶ。ただ切符を買うだけのことだけで、何故僕だけがこんなに苦しまなければならないのか―
 小さな子どもでも、自分の名前は言えるだろう。切符だって教えてもらえば買うことができる。だれもが苦労なく、なんなくしていることだ。ことばそのものが出ないのではなく、普段は普通に話せることが多いのだから、相手は、当然のこととしてことばを要求するし、期待もする。そのなんでもないことばが言えない。
 こう説明して、吃音体験のない人にどもる人の悩みを理解していただけるだろうか。
 このように苦しんできた人にとって、どもりを治したい、少しでも軽くしたいは、悲痛な願いなのだ。その悲痛な願いに、「恐らく治らないだろう。吃音と上手につきあうことが現実的だ」と私たちは言う。たかが少しことばが出ないだけで、君は喋れるではないかと、そのままでいいと言うのと、この辛さを熟知しながらも、「どもってもいい」と言い切るのとには相当の開きがある。(「スタタリング・ナウ」2000.7.15 NO.71)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/18

どもり礼讃

 大江健三郎さんの訃報に接し、大江さんとのつながりについて、以前の「スタタリング・ナウ」から紹介しました。
 「スタタリング・ナウ」の紹介に戻ります。今日は、芥川賞作家の村田喜代子さんにゲストとしてきていただいた吃音ショートコースの特集号のニュースレター(「スタタリング・ナウ」2000年6月 NO.70)です。巻頭言は、そのときの村田さんの講演のタイトルからお借りしました。村田さんは、ご自分の吃音とのつきあいから「どもり礼讃」との演題でお話してくださいました。村田さんのお話は、明日以降に紹介します。

村田喜代子 吃音ショートコース写真  
どもり礼讃
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 村田喜代子さんの、「どもり礼讃」とは何と思い切った表現だろう。ひとりの世界で、自分だけがどもりに悩んでいると思い、なんとか治したいと思い詰めている人にとっては、ある意味で我慢ならないことばではないだろうか。
 実際お話を聞くと、どもりに苦労していないわけではなく、どもって立ち往生もする。吃音に深刻に悩んでいる人なら、落ち込みそうなことを、村田さんは、スリリングなこととして楽しんでおられる。窮地に陥ったときの対処が人生を豊かにしているのだと誇らしげだ。
 村田さんの、「どもり礼讃」ということばだけを聞くと、反発する人もいるだろうが、どもって立ち往生している様子、その窮地からの脱出の様子は、大いに共感することだろう。
 どもる人の多くが、村田さんのように考えることができたら、随分と楽になるだろうと思う。なぜこのような村田さんになったのか。
 どのようなどもる人に出会うかが、大きな影響を与えるのだと思う。どもりを嘆き、隠し、不本意な生活を送る人と子どもの頃出会っていれば、今の村田さんはなかったのかも知れない。最初に出会ったというより、うつした叔父が、ひどくどもりながらも、明るく臆せず堂々とどもり倒す叔父だった。親分肌の叔父に弟子入りをしたからだ。その叔父は、どもりをうつしたが、その対処方法も伝授したことになる。
 このような明るくどもり倒すモデルに出会う事なく、どもりの暗いイメージだけをもって生きてきた人が、「どもり礼讃」にまで至ることができるだろうか。
 子どもの頃どもり倒す師匠には出会えなかった私は、その分時間はかかったが、大勢のどもる人と出会った。その人らしく誠実に生きるどもる人に大勢出会い、さらに自分自身の生き方を問い直し、吃音と上手につきあうことができるようになった。ひとりでは難しいかも知れないが、仲間がいれば、人は変わっていく。
 ところで、どもる人間を他者はどう見ているだろうか。人それぞれに大きく違うのだろうが、ひとつのヒントとして、映画や芝居でどもる人がどのようなキャラクターとして設定されているかをみると興味深い。あなたが映画監督とすれば、どもる人間をどう生かすだろうか。
 誠実な人間を描くのに、訥々とどもらせる人がいるし、ひょうきんな人間として描く人もいる。どもる症状を強調して、神経質な人間、滑稽な人間、豪快な明るい人間、暗い人間と、実にさまざまな人間設定として、どもる人間は登場してくる。
 病気や、障害、いわゆるハンディキャップと一般的に言われているものの中に、こんなに幅広くその特徴を強調して人物を描くものは他にはない。どもり全面否定から、どもり礼讃まで、どもる人本人にとっても他者にとっても受け止め方は実に幅が広いということになる。
 24年前の私の著書『吃音者宣言』(たいまつ社)に、当時福岡市教育委員会の指導主事・守部義男さんは、どもる人を自分自身を含めて、まじめで正直で純情だとし、こう書いて下さった。
 「人生において、どもりのような適度な抵抗を持ったために、それを克服する努力がそのまま自分を磨くことになった。もともと素晴らしい人格がもっと磨かれるという意味で、私はどもりであることを喜んでいるのです。どもりを持ちながらありのままにふるまえばいい。私は、どもりと徹底的に仲良くなれた、どもりが私を育ててくれたという実感があります」
 どる人のセルフヘルプグループを作って、35年。私は吃音一色の人生を送ってきた。仕事は時に変わったが、吃音というライフワークだけはしっかりと離さなかった。おかげで、日本全国の大勢のどもる人、さらには国際大会を開いたために、世界中のどもる人々に出会った。恐らく、35年間、吃音にこだわり続けて生きてきた私が、世界で最も数多く、どもる人やどもる子ども、その親と出会ってきた人間のひとりだろう。
 数千人以上のどもる人々との出会いの中では、どもりの苦しみに共感する一方で、どもり礼讃は、すとんと落ちるのだ。どのような人に出会うかが、吃音否定のままか、どもり礼讃まで行き着くかを決定することだろう。(「スタタリング・ナウ」2000年6月 NO.70)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/16

大江健三郎さんと吃音

 大江健三郎さんの訃報に接し、昨日は、大江健三郎さんの思い出を「スタタリング・ナウ」NO.4で振り返りました。「スタタリング・ナウ」では、もうひとつ、大江健三郎さんのことを書いています。武満徹さんが、羽仁進さんと大江健三郎さんを、「吃音家」と表現していました。「吃音家」、いい響きです。1996年3月の「スタタリング・ナウ」NO.19の巻頭言を紹介します。

 
  
武満徹さんと吃音家
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 ダ・ダ・ダ・ダーン。
 ………ダ・ダ・ダ・ダーン。
 ベトーヴェンの第五が感動的なのは、運命が扉をたたくあの主題が、素晴らしく吃っているからなのだ。

 武満徹さんのエッセー《吃音宣言》に出会って、すでに27年になる。このエッセーは、今なお私の中で生き続けている。
 どもりは悪いもの、劣ったものと思い続けて生きてきた。民間吃音矯正所の宣伝には、必ずどもりの悲劇が取り上げられ、早く治さないと大変なことになると脅かされた。
 吃音矯正所に通い、一所懸命どもりの矯正に励んだが、どもりは治らず、1965年、吃音矯正所などで知り合った人達と言友会を創った。
 大勢の吃音者との出会いの中から、少しずつ吃音への取り組みや、考えが変わっていく。
 武満さんの問いかける、どもりが本当にコミュニケーションの妨げになるのか問い直す作業が続く。どもりを隠さないで、話すことから逃げないで、恥じらいつつも自分を語れば、ことばはどもっていても、人は耳を傾けてくれることを知る。
 吃音矯正所でも、言友会でもどもりは治らなかったが、悲劇的なことは起こらなかった。自分なりの人生を歩むことができるという確信が徐々に育っていく。「吃音を治そう」とのスローガンはいつしか色あせていく。
 この大きな変化の時、武満徹さんのエッセー《吃音宣言》に出会った。新鮮な驚きだった。吃音に対する否定的な思いは少なくなりつつあったが、吃音をプラスとまでは考えなかったからだ。
 武満さんは「自分を明確に人に伝えるひとつの方法として、ものを言う時に吃ってみてはどうだろう」と勧める。また、どもりは革命の歌だ、とさえ言う。吃音を肯定的にとらえた考え方との初めての出会いだった。
 それが、1976年の『吃音者宣言』へ繋がるとは、このエッセーに出会ったとき時の私には思いもよらなかった。
 武満さんが、このように吃音をとらえるのは何故だろうか?
 長年、音楽家同士としてつき合いの深かった、指揮者の岩城宏之さんは、次のように言う。
 「フルート二本のための曲でも、オーケストラ曲でも、不協和音でも、きれいな音でも、音符を三つ、四つ聴くだけで『あ、武満だ』と分かる。そんな自分だけの音を持つ作曲家は、ほかにはいない。また、ペラペラとうまく演奏するより、心のこもった演奏を喜んでくれた」
 この、武満さんの音楽家としての音へのこだわりと共に、出会った吃音者の影響も大きかったのではないか。《吃音宣言》は、羽仁進・大江健三郎さんというふたりの吃音者とのつきあいなしには、決して生まれることはなかったであろう。
 「親しい友人であるすばらしい二人の吃音家、羽仁進・大江健三郎に心からの敬意をもって」《吃音宣言》の冒頭のこのことばがそれを示している。吃音家とは、なんといい言葉だろう。
 エッセーを最初読んだ時には、この吃音家という表現に出会っても素通りしてしまっていた。
 私が、『スタタリング・ナウ』No.4号の巻頭で、ノーベル文学賞受賞の大江健三郎さんについて書いた時、「吃音に影響されずに生きている人にとっては、吃音者のレッテルは不本意ではないか」と書いたのは、大江さんを吃音者と紹介したことへの違和感からだった。27年ぶりに読んだ《吃音宣言》では、武満さんは、大江さんを《吃音家》と表現していた。
 2月29日、武満徹さんの告別式。「小説断筆宣言」をしていたはずの大江健三郎さんが、友人代表の挨拶でこう語った。
 「私は長編小説を書いて、あなたにささげようと思います」(「スタタリング・ナウ」NO.19 1996年3月11日)

                     
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/15

大江健三郎さんが亡くなられました

大江健三郎さん死去 朝日新聞 大江健三郎さんが亡くなられたとの速報が流れたのは、昨日のことでした。今朝の新聞では、どこも大きく扱っているようでした。ノーベル文学賞受賞、反戦反核、障害のある息子のことなど、たくさんのエピソードのある人でしたが、僕たちには、それらに加えて、吃音のことが思い出されます。
1991年の「スタタリング・ナウ」に、大江さんのことを書いています。大江さんに、言友会創立25周年大会の記念講演をお願いしたときのエピソードです。私たちのワークショップや講演に来ていただいた映画監督の羽仁進さんとも親しく、「吃音宣言」の武満徹さんとも親しい人でした。
 また、僕は、若い頃、大江さんの講演を聞いたことがありますし、岩波新書「ヒロシマ・ノート」は読んだことがあり、政治的関心は極めて近い人でした。吃音に関しては、ご本人から直接に話を聞くことはできなかったのは心残りでしたが、存在は身近で、仲間のような親しみを勝手に持っていました。また、伊丹十三監督の『静かな生活』を、つい最近、久しぶりに観たところだったので、余計に残念で、寂しいです。大江さんが生涯をかけて取り組んでいた「九条の会」や東日本大震災以降の反原発の取り組みは、僕は、僕にできる形で引き継いでいきたいと思っています。
 ご冥福を祈ります。
 1994年11月の「スタタリング・ナウ」NO.4の巻頭言を紹介します。

ノーベル賞と吃音者
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 ―「エッ、江藤、しっ、しっかりしろよ。エ、江藤、お前は堂々としているなあ。しっ、しっかりしろ。だ、だいじょうぶか。江藤。お、お前本当に堂々としているな」

 大江はほとんどひとりごとをいっているのであった。私が聴いているなしにはおかまいなく、吃りをまるだしにして、さすってくれながらそうつぶやいていた。これを聴くうちに、私の両の眼に熱いものがあふれてきた。そういえば、大江が「お前」と言ったのも私を「江藤」と呼び捨てにしたのも、このときがはじめてだったような気がする。大江がそれをまるでひとりごとのようにいっているのがよかった。私はその時、大江の優しさが私を包むのを感じた。 ―
 大江健三郎全作品2 付録 新潮社

 若いころ、羽仁進さんらと一緒に飲んで泥酔し、みじめになっている時、大江さんから受けた介抱を、江藤淳さんがいつまでも覚えている。大江さんの人柄が偲ばれて心温まる、エピソードだ。
 「ノーベル賞の受賞者は日本に8人いるが、その中に吃音者が2人いる。物理学賞の江崎玲於奈さんと今回の文学賞の大江健三郎さんだ」との発言から、大江健三郎さんのノーベル文学賞受賞が決まった次の日、大阪吃音教室で大江さんのノーベル賞受賞が話題になった。
 「僕は吃るし、そのことで悩んだことはあったかもしれないが、吃音者とレッテルを貼られるのは…、僕は小説家だ」と、自分のことが吃音者のグループで話題になっていることに、当の大江さんは苦笑いをされることだろう。
 大江さんが吃るということを知っている私たちは、吃音者の先輩としてだけでなく、さらに平和や障害者問題に対する発言に共感をし、尊敬と親しみを抱いていた。そこで、不躾にも、言友会創立25周年の記念大会に記念講演をお願いした。
 「せっかくですが、私は吃音に関して何も話すものは持っていません…」と、その時丁寧な断りのおハガキをいただいた。吃音ではなく、核の問題、障害者問題について話して欲しいとお願いしたら、来て下さったかもしれない。
 私たちはいろいろなメディァを通して他人の人生を知ることができる。吃ったことがある、あるいは自ら吃音者と名乗る方々にお手紙をさしあげたり、講演をお願いしたりする場合がある。その時のその人の対応は様々で、興味深い。吃音者であることをむしろ誇りにし、私たちの働きかけに応じて下さる方もいるが、「かって吃った経験はあるが、私は吃音者ではない」と、吃音者からの仲間扱いに不愉快さを率直に表明される方もいた。
 大江さんは、『個人的な体験』にみられるように自己受容の人である。吃音を否定されている人ではない。むしろ吃音の受容が大江さんのことばにある《仮の受容》の役割をし、ご子息、光さんの誕生から子育ての過程の《本当の受容》に至ったのではないかと推察することも可能だ。

 吃音に悩み、吃音に大きく人生を左右されている人にとっては、《吃音者》としての自覚が必要な時期はあるが、吃音に影響されずに生きている人にとっては、《吃音者》のレッテルは不本意ではないだろうか。また、《吃音者》のことばには、吃音を過剰に取り込みすぎている感じがしないではない。
 大江健三郎さんのノーベル賞受賞の日、大江さんからのハガキを思い出し、『吃音者宣言』の起草者でありながら、《吃音者》ということばにっいて改めていろいろ考えてみた。
(「スタタリング・ナウ」No.4 1994.11.1)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/14

新聞によく取り上げていただきました〜読売新聞・東京版、10日おいて大きな記事

 2000年4月の読売新聞に、僕たちの活動、考え方が大きく取り上げられました。日付をみると、4月14日と4月24日。10日おいての写真入りの大きな記事です。
 今は、吃音に限らず、あらゆることが、ネットで検索でき、情報があふれています。誰でもが発信できるのは、いい面もあるのでしょうが、僕たちからみると、これは間違っているのでは?、これはどもる子どもやどもる人が幸せに生きることにはつながらないのでは? と思うものもたくさんあります。発信している人は、よかれと思ってそうしているのかもしれませんが、見る者が、情報を選ぶ時代になっているということでしょう。
 2つの新聞記事の文字データを紹介します。
 1つは、読売新聞の人生案内のまとめのような記事。もう1つは、「山口博弥」さんの署名入りの記事です。

読売新聞・東京版 2つ_0001
こころ物語 10
人生案内
  吃音、理解されず孤独に
  治そうと力まず仲間作りが大事


 「苦手な言葉は?」との問いに、年配の女性が「あなたの名前が言いにくいわあ」。集まった約20人からどっと笑い声が上がった。大阪市立労働会館の会議室。言葉が詰まってうまく話せない吃音の人たちが毎週金曜日に開いている「吃音教室」は、こうして和やかに進む。
 「吃音とうまく付き合うための集まりです。治そうと力むより、楽しい人生を送る方が大事だからです。みんなここでは、スムーズにしゃべれるでしょ」と、教室を運営する日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さん(55)は説明する。

 〈20代の主婦。幼いころから吃音に悩み、つらい思いをしてきた。何より子供に本を読んでやれないのが悲しい〉(岡山・A子 1999年6月)
 「隠さず、人と交際してやりたいことをやれば楽しい人生になる」(回答・大阪大教授の三木善彦さん)
 この回答では、「吃音を受け入れて生きる」伊藤さんたちの活動や本を紹介、全国から5000人近い問い合わせがあった。「人知れず悩んでいる人がこんなにいるのに改めて驚いた」と三木さん。

〈19歳青年。幼時から吃音に悩み、無理解な世人の侮辱を受け、絶望と悲しみの中で耐えてきた〉1950年12月
〈3歳の孫が吃音。学校や社会で人と話せなくなるのではと思うと夜も眠れない〉1984年4月

 吃音に悩む人からの相談は、途切れることなく『人生案内』に寄せられてきた。吃音は障害として理解してもらえないことが多く、特に思春期の若者は孤独の中で苦しむ。

 伊藤さんも吃音を知られるのが嫌で、初恋の女性と話もできなかった。三重県から上京、大学で学びながら、吃音矯正学校に通う。そこで出会った仲間と作った自助グループが、孤独から抜けるきっかけになった。
 「心許せる仲間と話し合い、人生をどう生きるかに関心が移ったんです。吃音も次第に気にしなくなりました」
 大学を出て大阪教育大専任講師となり、吃音者のカウンセリングや相談会を開くうち、「治そうとするのをやめた方がいい」と確信。23年前、大学を辞めて相談所を開いた。「治すという立場からの批判も強かったけど、私には自信がありました」

 吃音を隠さない伊藤さんたちの生き方は、障害のある人もない人も支え合ってこそ社会が成り立つというノーマライゼーションの実践の先駆けにもなった。
 三木さんは「私たちは勝敗ばかり競い、結局、むなしさや孤独に悩んでいる。競争とは違う生き方もあることをもう一度考えたい。吃音の人たちは、それを教えてくれています」と指摘している。(質問と回答は要約)
                         読売新聞・東京版 2000年4月14日



気にせずどんどん話そう
読売新聞・東京版 2つ_0002 言葉をしゃべる時、冒頭の音声を繰り返したり詰まったりする吃音。人知れず悩んでいる人や親は少なくない。確立された治療法はまだないが、吃音とうまくつきあっていく方法の一例を紹介したい。

百人に一人が悩む?
 吃音は、例えば「たまご」という言葉を発音する時に、「たたたたたまご」と音を繰り返したり、「たぁーまご」と音を引き延ばしたり、「……たまご」と最初の言葉に詰まったりする、いわゆる〈どもる〉症状を言う。百人に一人くらいが吃音に悩むとの見方もある。
 発音しにくい言葉は「た」行や「さ」行など人それぞれで異なる。脳や、のどなどに異常は見られず、原因はまだ解明されていない。
 大阪教育大非常勤講師(言語障害児教育)の伊藤伸二さん(55)は、小学2年の時、学芸会で吃音のためセリフのある役から外されたのを機に、劣等感を持つようになる。
 授業中に教師からあてられ、答えを知っていても、どもるのが嫌で「分かりません」と答えた。高校でも念願の卓球部に入部したものの、合宿で好きな女性部員を前にした自己紹介を恐れ、退部した。
 「あれから、少しでも困難にぶつかると逃げる癖がついてしまった。現実からの〈逃避〉こそ、精神的な根深い問題でしょう」と伊藤さん。

決定的治療法なし
 では、吃音を治す方法はあるのだろうか。
 「世界的に研究や試みは続けられていますが、決定的な治療法はまだ見つかっていません」。吃音の研究を約50年続けている昭和女子大大学院教授(心理学)の内須川洸さん(72)は断言する。
 大半の吃音は、3、4歳ごろまでに発生するが、半数近くが小学校入学時までに自然に治るとされる。治らなかった場合、大人になるまで症状を持ち越すことが多い。
 だが、親が子の吃音を治そうと熱心になればなるほど、子どもは敏感に感じ取り、「吃音はいけないこと。治さなきゃ」と思う。極端にゆっくり話す練習などで一時的に治ることがあるが、再発も多い。結局は治らず、子どもはますます劣等感や恐れを抱いて消極的になる―。この悪循環が症状をさらに悪化させるというのだ。

どもってもいい
 そこで内須川さんの助言は、親が症状を取ろうとする努力を捨てること。「どもってもいいんだよ。言いたいことはどんどんしゃべりなさい」と、子どもに吃音へのマイナス意識を抱かせないことだ。
 「完全には治らないかもしれませんが、これで悪化しないことが多い。心ない同級生にからかわれるなど嫌な経験もするでしょう。でも、そうして耐性ができ、子どもは強くなっていく。決してあせらないことです」
 伊藤さんは21歳の時、民間吃音矯正所で4か月間、泊まり込んで練習した。吃音は全然治らなかったが、同じ症状の仲間としゃべることの喜びを知り、仲間と自助グループを結成。その活動をする中で、「どもっていてもやりたいことはできる」という自信を得て、どんどん積極的になっていった。
 1994年には、吃音に悩む人や家族、研究者らとともに「日本吃音臨床研究会」(事務局・大阪府寝屋川市)を作り、電話相談(072・820・8244)や親子サマーキャンプ、会報の発行などの活動を続けている。
 伊藤さんが提唱する「吃音と闘うな」という"逆転の発想"は、内須川さんの助言と基本的には同じ。「新・吃音者宣言」(芳賀書店)などの本も出版している。そこでどもりながらでも行動するコツをいくつか挙げてもらった。
 私と話している時、伊藤さんはほとんどどもらない。
 「いや、今でも気を抜くとよくどもるんですよ。でも、吃音から逃げないで、時には傷つきながらも言うべきことを言う。その日常生活の積み重ねが、結果的に良い言語訓練になっているのではないでしょうか」。そう語る伊藤さんの表情は明るい。

前向きに行動するコツ
◇「みんなの前で発表する」「電話をかける」など、不安や恐れを感じる場面に順位をつけ、易しい場面から少しずつ挑戦する。
◇人の集まる場面にはできるだけ出かけていく。ただ黙っているだけでもいい。
◇人前で話すとき、まず「私はどもりますが…」と公表する。
◇呼吸法やストレッチ、ヨガなど、身体をリラックスさせる方法を何か一つ身につける。
◇明るい表情、明るい声で、明るくどもろう。
                 山口博弥  読売新聞・東京版 2000年4月24日


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/12

こころに響く「ことば」

 この頃の「スタタリング・ナウ」には、竹内敏晴さんがよく登場しています。改めて、深く、そして親しく、おつき合いをさせていただいていたのだなあと感謝しています。
 今回、紹介する、NHK総合テレビ『ホリデーインタビュー』の収録の日のこともよく覚えています。聞き手である斎藤季夫さんも、僕たちの大阪での定例レッスンに参加されました。レッスン修了後、レッスン会場がインタビュー会場に変わり、竹内さんのインタビューが始まったのでした。

   
こころに響く「ことば」
                         演出家・竹内敏晴


 ―演出家、竹内敏晴さん、75歳。竹内さんはいきいきとしたことばを取り戻すレッスンを主宰しています。レッスンの第一歩は人に自分のよびかけが届くかどうかです。―

 5月3日(祝)朝6時30分、NHK総合テレビ『ホリデーインタビュー』は、こんなナレーターのことばから始まりました。
 番組の収録は、4月の大阪でのレッスンの時、行われました。レッスン風景もおりまぜながらのインタビュー番組です。聞き手の斎藤季夫さんも2日間のレッスンを体験されて、レッスン終了後にインタビューは始まりました。

斎藤:私自身も、レッスンに参加させていただいた。あれはレッスンと言いますけども、むしろ拝見してると、教えるというよりも、いろいろなことを気づかせようとなさってますね。

竹内:自分自身のからだが、非常に生活に追いまくられていて、自分ではいろいろコンディションを整えたりしてるけれども、自分の気づかないところまで、こわばって、緊張して、固まってる。からだが固まってるというよりも、身構えてる。人様にどう見られるか、人様にどう答えようかと身構えている。その身構えに気づくというのが、一番わかりやすい言い方でしょうか。

斎藤:今、レッスンをずうっと続けていらっしゃって、参加する人の姿から今の世の中、からだを固くするような様子が多いように見えますか。

竹内:はい。とにかく、疲れてるというか、いろんなことで、閉じこめられていて、くたびれてるからだが非常に多い。まず休みたい、やすらぎたい。二日続きのレッスンで、一日目ではほっとするけど、よく分からない。『あー、そうか。自分はこんなに疲れてたのか』とか『こういう時に、こんなに固まってたのか』と、本当に気がつくのは、二日目のお昼過ぎくらいで、しみじみと分かってくるわけです。その時、初めて自分がはっきりしてきて、それから、息が深くなって、歌やことばで、まっすぐに、自分を表現していくという方へ一歩一歩上がっていくという風になってくる。レッスンというのは、自分のからだの中から、動いてくるものが、湧き上がってくるようなものがあって、丁度、お祭りみたいなんです。中からいきいきとしたもの、自分の手応えみたいなものがあります。

斎藤:からだの緊張に自分自身、気づいていない。ところが、こういう所に来て、やすらぐ。それがことばと結びついてるんですか。

竹内:うまく声が出ない、話しかけが十分でない。人付き合いがどうもうまくいかないというような人の場合には、横になってからだをゆすってもらっても、人に自分のからだを、自分の重さを預けることが初め、なかなか出来ない。人に自分のからだを預けるということ自体、抵抗があるわけです。だから、私は初めに、触れ合ったり、実際にからだに手をかけて、とやってみる。『あー、そうか。こうやってると安心できるんだ』ということがわかってくるということがあります。そうすると、自分のからだがふあっとしてくることを感じると、どんなに今まで自分が固めて、周りに向かって身構えてたかというのが、わかってくるようになる。そうすると、息がふおーっとしてくる。息がふおーっとしてくるということは、要するに、声が出てくるということです、私に言わせると。
 しゃべれるっていうことは、一番最初に息が出るということです。息が出なきゃ、声が出ないわけです。ところが、息を吐くということを、ほとんど考えずにしゃべりたがる。しゃべろうということだけで一所懸命になっているから、人の顔なんか見ていない。自分の中で一所懸命、声を作ろう、ことばを作ろう、ということばかりで、相手の人に、自分が話しかけるっていうことを忘れている。というか、人がもう、見えてなくなってる。

斎藤:竹内さんご自身が小さい頃、音を失っていらっしゃった時代があるわけです。そういう体験が生きてる、土台にある、ということでしょうか。

竹内:この頃になって、つくづく思うけれども、それ一つから歩いてきたという気がします。耳が聞こえるようになったからといって、人のことばがわかるわけじゃないです。いきなりいろんな音が一度に入ってくるわけで、その中からことばというものが聞き分けられるというプロセスがありますし、その次に自分が今度は、そういうことばを発してくというプロセスがもっとずっと大変なわけです。僕が「斎藤さん」て言うと、斎藤さんがこう目をぱちぱちさせる。すると、僕の声が斎藤さんにすうっと届いてるってことが自分でわかるわけです。そうすると、頷かれる。自分の声が届いた。斎藤さんから、また声が出てくると、それが僕のからだに浸みてくる。自分の発したことばが相手に届いて、相手からその答えが戻ってきて、自分のからだに浸みてきて、またこれで話ができる。この喜びというのがすごくあったんです。
 ところが、そうやってるうちに、あれっ、変だなと思うことがあります。僕は自分がうまくしゃべれないから、よくしゃべれる人はAがBにしゃべって、BがAにしゃべって、ことばのキャッチボールみたいなことがすっーと出来てるんだとばかり思ってたんです。ところが、しゃべってるのを聞いてみると、なんか様子が違うわけです。こっちの人はこっちの人で自分の勝手なことを言ってる、こっちの人はこっちの人で勝手なことを言ってる。会話してるっていうより、各自が勝手なことを言ってるばかりで、全然相手に、自分のことばが届いてないじゃないかっていうのが突然見えてきたときに、ものすごく慌てたんです。

斎藤:それは他人同士のことばのやりとりですね。

竹内:それから自分のことで言えば、自分が一所懸命話してるのに、ことばが届いてることはわかるわけですよ、向こうの反応で。ところが、相手から返ってくることばっていうのは、決して僕に触れようとしてるんじゃなくて、なんか、触れないために、こういう風に壁を作ってる。ことばっていうのは、コミュニケーションの道具という言い方がよくありますが、いやー、コミュニケートしないための道具なんじゃないかなっていう風に、一時期はとっても強く思いました。

斎藤:そこで、発せられてることばはコミュニケートしないとしたら、何なんですか。ただ、単なる音なんですか。

竹内:いやあ、そうばっかりは言えないと思いますよ。自分を守るために、音やことばで防壁を作ってるっていう作用があるように思います。逆にこちら側もそれを知って、それならば仕方がないから距離を置いたまんまにしておくとか、或いは、その防壁を、もっと破って、或いは、その中にしみ込んでくるように話しかけるとか、という風なことは出来なければだめなんだなあと思うんです。相手に何かが伝わるってことは、さっき、いくっかレッスンをしましたけれども、本当に、ことばそのものが相手に伝わるっていう、直にことばが、相手のからだに触れてゆくことですよね。

斎藤:ことばがですね。

竹内:ことばと言った方がいいですね。声も含めて。ことばっていう、まるごとの、或いは、わたしという人間そのものと言ってもいい。それが触れていくっていうことであって。だって、ことばっていうのは、聞いてる相手のからだの所で、成り立たたなければ意味がないわけでしょ。私がいくら一所懸命しゃべったって、これは、自分が一所懸命しゃべってるだけの話でね。相手のからだで、はっと、『そうか』っていう風に納得する様に成り立った時に、初めてことばとして成り立つのであって、こちらでいくら一所懸命しゃべっても、それはことばとは言えない。ただ、音声を発してるだけです。そう意味ではさっき、あなたがおっしゃってたことのお答えが今、やっと出来上がった。音声にすぎない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/10

吃音ホットライン

 この一面記事を書いたのは、2000年。今から23年も前のことですが、状況は変わっていないことに驚きます。変わらないどころか、より悪くなっているのかもしれません。3年に及ぶコロナの影響もあり、人と人とのつながりはますます希薄になりました。マスクの下に、人の表情は隠れてしまい、マスクの顔しか見ないで育った子どもへの影響を考えると恐ろしくなります。
 さて、吃音ホットラインの電話、ホームページからの問い合わせメール、膨大なネット情報の中、たどり着いた方から、届きます。いい出会いになることもあれば、誠実に丁寧に返信したつもりでも、まったくレスポンスがないことが少なくありません。せっかく問い合わせてくれたのに、その後どうしているのだろうと心配です。僕の思いが届かなかったということでしょうか。仕方がないことだなあと思いつつ、それでも、今、僕たちにできることを精一杯していこうと、自分自身が書いた、この巻頭言を読み返して、そう思いました。
 「スタタリング・ナウ」2000年5月 NO.69の巻頭言を紹介します。

  
吃音ホットライン
              日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「東京からひとりぼっちの若者をなくそう」
 ひとりぼっちでいることの辛さを人一倍経験している都内のサークルのリーダーたちと実行委員会を作り、『第1回東京若者フェスティバル』を開いたのは、私がどもる人の会を作って3年目の頃だった。
 1960年代は、集団就職の青年、思想や政治などを学ぶ意欲をもつ青年、趣味やスポーツなど、自らが求めれば受け入れてくれるサークルが多種多様にあった。若者のサークルがまだ力をもっていた時代だった。
 また、ひとりでふらっと入った"歌声喫茶"で隣の人と肩を組み、『カチューシャの唄』や『学生時代』を歌う時、新しい友となることさえあった。そこには、ひとりの世界に閉じこもり、自らの身体の中に、声を響かせるカラオケとは全く違う横のつながりがあった。ひとりひとりの力は小さくても、仲間が集まれば何か新しい動きが生まれそうな、そんな夢があった時代だった。
 我が国の経済的な成長は、豊かな暮らしと引き換えに様々なものを奪っていったが、そのひとつが人と人とのつながりだろう。
 最近、引きこもりの少年の衝撃的な凶悪な事件が続いた。全体の事件からすれば、割合としてはごくわずかだろうが、連続して起こると引きこもりが事件の要因であるかのように見られるのが怖い。誰も引きこもりたくて引きこもっているのではない。それにはそれなりの様々な要因があり、今はそうでなければ生きられない、というメッセージだと私は思うが、引きこもりの…という短絡的な論評を見るたびに私の身は縮む。
 極めて独断的な推論だが、これら事件を起こした少年は、引きこもりの状況からの脱出を試みたのではないか。それも仲間を求めるそれではなく、自己の存在を否定し、人間として生きることを放棄するという方法で。この覚悟、とまではいかなくても予感はしていたのではないか。犯罪というひとつの後押しを得て、この社会から退場する。ひとつの引退劇だ。ひとり寂しく引退していくのは嫌だから、大勢の人を観客にして、見知らぬ人を巻き添えに引退劇の主役を演じる。あたかも犯人は私だ、と言っているように、遺留品を残したりするのは、その計画の稚拙さだけではないように思えるのだ。
 この少年たちの特異性を指摘するのは容易い。しかし、それだけでは今後の何の役にも立たない。競争に一度負けたら二度と立ち直れない社会。少しの違いを認めようとしない社会。教育に最大の投資をしなければならない時期にきているというのに全く動こうとしない日本の政治。大人がしなければならないことが多いのに、空しさが、絶望感が広がる。
 しかし、かって「ひとりぼっちの若者をなくそう」と私たちが立ち上がったように、その力は小さくても数多く集まれば大きな力となることを信じたい。
 「あなたはひとりではない」
 この、世界に共通するセルフヘルプグループからのメッセージを、今こそ広げなければならない。
 『吃音と上手につきあうための吃音相談室』(芳賀書店)の出版を機に、吃音ホットラインと名づけた電話相談を始めた。何かの記事の連絡先に電話をかけてくるのとでは明らかに違う電話が最近多くなった。「そちらは、吃音ホットラインですか」で始まる電話は、時に1時間ほどかかることもある。初めて他者に吃音のことを話せたという人。電話でしばらく泣いた後、「泣かせていただき、ありがとう」と言った中年の女性。「また、電話していいですか」と、3度、電話をかけてきた高校生。人と人のつながりが薄れていく時代に、せめて吃音に関しては、ひとりぼっちで悩む人につながりたいと始めたのが吃音ホットラインだ。
 これが私にできる唯一のことだから、今日もあなたからの電話を待っています。
(「スタタリング・ナウ」2000年5月 NO.69)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/09
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