伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2023年03月

大阪吃音教室、2023年度は、4月7日(金)からスタートします

大阪吃音教室、2023年度は、4月7日(金)からスタートします

 今日は、3月31日、2022年度が終わります。明日から4月、新年度のスタートです。
 大阪吃音教室も、今日はお休みで、4月7日から、2023年度がスタートします。2月の運営会議で話し合い、決めたスケジュールに沿って、講座が始まります。
 講座が金曜日の夜開催となったのは、第1回吃音問題研究国際大会が終わった翌年からでした。「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ」との僕の提起に賛成してくれたものの、具体的にセルフヘルプグループがどう活動していくのかは、未知の世界でした。治す、改善するための訓練ではなく、何をしたらいいのか、初年度は、毎週の講座を僕が全て担当し、資料を作り、みんなで話し合い、みんなで作り上げていった大阪吃音教室でした。そのスタイルになった大阪吃音教室は、今年度で37年目に入ろうとしています。よく、マンネリにならないのかと質問を受けることがありますが、テーマが同じでも、参加者によって全く違う展開になります。大阪吃音教室は一期一会で毎回、新鮮です。僕は旅に出ることも少なくないので、大阪にいないときは参加できませんが、大阪にいるときには必ず参加しています。
 吃音のこと、自分のこと、ことばについて、生きること、ぜひ、ご一緒してください。すてきな僕の仲間たちが、迎えてくれます。お待ちしています。

会場  アネックスパル法円坂(大阪市中央区法円坂1−1−35)
スケジュール 18時30分〜20時45分
 4月 7日(金) 吃音と上手につき合うために
 4月14日(金) 吃音一問一答〜どんな質問にも答えます〜
 4月21日(金) 吃音の物語を味わう〜文章教室〜

 詳しくは、日本吃音臨床研究会、大阪吃音教室のホームページで確認してください。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/31

揺れる思春期

 3月も残りわずか。また、新しい年度が始まります。今年は桜の開花が早く、僕の家のマンションの敷地にある桜も満開を過ぎ、少し散り始めています。新学期が始まる前はいつも、不安な気持ちになりました。自己紹介や新しい友だちのことなど、不安で胸がキュンとするこの時期、今となっては懐かしい思い出になりました。
 今日は、揺れる思春期とのタイトルで書いた巻頭言を紹介します。「スタタリング・ナウ」2000.10.10. NO.74のものです。

  
揺れる思春期
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもっている僕は僕じゃない。どもらずに、流暢に話しているのが僕で、そのようになるまでの僕は、仮に生きているにすぎない」
 吃音に悩み始めた小学2年生の秋から、ずっとそう思っていた。仮の人生なのだから、仮の僕が何かに勤しみ、努力することはない。勉強も、クラブもクラスの何かの役割もほとんどサボった。
 エリクソンのいう、学童期の社会・心理的課題である勤勉性を全く達成できずに、劣等感だけを募らせて、私は学童期を生きた。当然、次の発達の段階、思春期で私の悩みはさらに深まる。
 「自分は一体何者なのか」「これからどう生きていくのか」。それでなくても、波乱に満ちた思春期に、劣等感の強烈な対象である吃音とどう向き合えばいいのか。考えたくもないことだった。
 学童期に、友だちや先生に恵まれ、劣等感に勝る勤勉性ももって小学時代を送ったが、思春期深刻に吃音に悩んだという人は少なくない。それらの人の話を聞くと、勉強やスポーツなどで自信があったが、吃音については一切、向き合うことはなかったためか、思春期に自信が一気に崩れたのだという。
 キャンプの問い合わせが相次いだ頃、大阪府下のある中学校から教員研修の講師の依頼があった。大阪では山里の、大きくないその中学校に5人のどもる生徒がいて、その対応に困っている。どもる生徒に学校としてどう対処すればよいか、研修をしたいとの話だ。音読ができないので学校へは行かないと言い始めた女子中学生の親からの訴えが、研修会のきっかけとなった。全ての教科の音読を免除するという保証をとりつけ、その女子中学生は再び登校するようになる。果たしてその対応でいいのか、吃音に悩んでいる他の4人の生徒とも、どう向き合えばよいか、教師は悩んでいるという。そこで、それぞれ担任をしている、ひとりひとりの教師の具体的な悩みや質問に答える形で、話し合いを進めた。
 ひとつの中学校に、吃音で困っている生徒が5人もいるということにまず驚いたが、誠実に対処したいと願っている学校の姿勢がありがたかった。その研修のきっかけとなった女子中学生の母親と、研修会の後、近くの喫茶店で話した。
 ―子どもの頃からどもっているのは気にはしていたが、友だちにも恵まれ、元気に学校に行っていたのでそれほど心配していなかった。吃音を意識させてはいけないと指導されてきたので、吃音について一切触れずに来た。中学生になって、悩みを強く訴えられ親としてはびっくりした。治して欲しいというので、困って病院に相談に行った。その病院から吃音親子サマーキャンプをすすめられた。父親も賛成し、子どもに「あなたの困っていることで同じように悩んでいる中学生がたくさん参加するようだから一緒に行こう」とすすめたが、嫌がった。それでも子どものために今がチャンスだと父親と二人で強くすすめたら、今度は泣き出して、絶対に行きたくないという。吃音の状態は軽く、普段はほとんど目立たないので、周りはどもることを知らない。だからよけいに、朗読のときだけどもる姿をみせるのが辛いのだろう―
 他人に分からないよう、こっそりと治してくれる所を探し求めた自分自身のの思春期を振り返ると、この女子中学生の気持ちは痛いように分かる。だけど、キャンプには参加して欲しかった。
 今回、それぞれに悩みを持ちながら、キャンプに参加した高校生が3人。ある女子高校生は、親と一緒に参加したが、親が急用で帰った後自分も直ぐに帰ろうと思っていたらしい。第1回の話し合いで小学校5年生から不登校になっている体験を話したが、次の作文を書くセッションで、ひとり静かに吃音について向き合い、書き進んで行くうちに辛くなり、第2回の話し合いに参加できなくなった。彼女は、会場の周りの山道を散歩して戻ってきた。少し気分が落ち着いた彼女は、小さい子どもが、どもりながら一所懸命劇の稽古に取り組んでいる姿に触れ、私も頑張ろうという気持ちになり、劇の稽古に熱中し、最後の上演でも頑張っていた。第3回目の話し合いでは、第1回ではみられなかった、爽やかな顔で、「とても最後までいるとは思わなかったが、最後までいてよかった」と振り返った。
 中学1年生の参加は多かったが、中学3年生から高校生は4人。思春期の子どもたちとの3回の話し合いで、思春期の揺れる様々な思いに触れた。しんみりと、ときには大声で笑い、人生論が飛び交う、まじめな話し合いに、「どもりについて話し合うことが、こんなに楽しいとは思わなかった」と初めて参加した男子高校生が言った。十年前からの友だちのようになれて、別れるのが辛いと涙ぐんだ高校生がいた。
 参加出来なかった中学生や高校生の思いを大切に感じつつ、今年のキャンプは終わった。
(「スタタリング・ナウ」2000.10.10. NO.74)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/30

第11回吃音親子サマーキャンプ〜参加者の感想〜

 サマーキャンプ参加者の感想の中からいくつかご紹介します。

  
どもるのはこの世で自分だけと思っていた
                      角田大希(小学校5年生)

 最初、キャンプに来る前集合した大阪駅では知らない人ばかりで、とてもきんちょうしました。ぼくは、母と二人で初めて参加しました。いやなことはほとんどなく、友だちが9人もできて、うれしかったです。このキャンプに参加するまで、どもるのはこの世で自分だけだと思っていたので、参加して自分の他にもどもって困っている人がいたのが分かったときは、ほっとしました。話し合いのとき、吃音でいやだったことが言えて、すっきりしました。
 ウォークラリーはとてもつかれました。だから、神社に着いたとき飲んだジュースはとてもおいしかったです。帰り道では、琵琶湖が見えました。島もありました。景色がとてもきれいでした。劇では、大人の人がするとおもしろかったけど、自分たちがするとドキドキして、きんちょうして、はずかしかったです。でも、ちゃんとセリフが言えてよかったです。練習は大変で、つかれました。
 とても楽しかったので、また来年も参加したいと思います。

  初めての一人旅
                  横田直人(高校2年生)

 僕は、今回生まれて初めて一人旅をしました。1年前から決意していたのですが、いざ来るとなるとすごく緊張してしまいました。河瀬駅に着くと、周りは子どもだらけで少し驚きました。宿舎に着いても、最初のうちは緊張していて、あまり会話ができませんでした。しかし、その日の夜、高校1年の子が来て、ようやく僕の部屋の4人がそろって、だんだん打ち解けられるようになりました。そして、2日目は、もうみんな仲良くなっていて何でも話せるようになりました。この日の話し合いでは自分の思っていること、感じていることを話し、また聞くこともできたのでとても楽しく、有意義な時間を送ることができました。
 その日の夜はもうみんな親友みたいな感じで、何でも話し合い、夜遅くまでふざけ合いました。これが今回一番楽しい思い出として残っています。
 3日目は、朝からあと数時間でこの3人と分かれると思うとさびしい気持ちでいっぱいでした。
恥ずかしかったけれど、劇も無事終わり、帰る時間になると、別れるのが悲しくて涙が出そうになりました。今回のキャンプでいろいろな人たちから親切にしてもらい、いろいろな人から優しさをもらいました。おかげで僕は積極的に劇にも参加できたし、友だちもできました。この感謝の気持ちは一生忘れません。

  自分だけではないことを知ってほしくて
                角田美津代(小学校5年生男児の母親)

 昨年、病院で開かれた『どもる子どものの親の相談会』で、吃音親子サマーキャンプのことを知りました。スタッフの方から、今までに参加された人たちの感想等が紹介され、子どもにとって良い経験になるからと勧められましたが、その頃息子の吃音の状態は比較的軽かったため、キャンプに参加することで本当に良い影響だけを受けるのだろうか?もしかして他の吃音者と接することで余計にひどくなるのではないか?という不安の方が大きくて、スタッフの方のことばを素直に受け入れることができませんでした。結局、家の行事ごとと重なったこともあり、昨年は参加を見送りました。
 そして今年キャンプに参加させていただいたのは、今まで吃音のことについて自分から話さなかった息子が、3ケ月位前にテレビに出演されている自閉症やダウン症の人が話し辛そうにしていらっしゃるのを見て、「僕もこの人たちと一緒?」と聞いてきたのがきっかけです。普段から学校での様子や友だちのことを自分から積極的に話してくれる方ではないので、息子がそう問いかけてきたときは、学校や友だちとの間で吃音のことで何かあったのかな?とすぐに感じとりました。吃音は治らない。だから吃音自体をどうすることもできない。それなら吃音で嫌な思いをしたり苦しんだりしているのは自分だけではないということを息子が判れば、精神的に楽になり、がんばろうというファイトが湧いてくるのではないか。そう思った私は、親子サマーキャンプのことを子どもに話し、息子も「うん、行ってみる」と前向きでしたので、参加させていただくことにしたのです。
 実際キャンプに参加してみて、私も息子も本当に有意義な3日間が過ごせたと思います。初対面の方が多いので最初は緊張しましたが、しばらくするとスタッフや親、子どもとの間に壁や気負いのようなものが感じられなくなり、ありのままの自分で接することができました。
 どもる子どもをもつ親としての悩みや心配事を伺うと、共通する所が多いためどれも他人事ではなく、みんな想いは同じだと、心が癒され、励まされました。また、社会や人間関係のしがらみで、なかなか自分の思いを正直に出せないときがある自分にとって、相手を思いやりながら自己主張することの大切さを教えていただいたことは、本当に勉強になりました。
 子どもの方も吃音についての作文の中で「今までどもるのはこの世の中で自分だけだと思っていたのに、キャンプに来てみて他にもどもる人がいることを知り、ほっとして安心した」と書いており、それを見たときキャンプの目的はほぼ達成されたように思え、うれしく感じました。
 将来、さまざまな困難にぶつかったとき、親以外にも相談できる、自分のことをよく理解してくれる誰かがいることは、息子にとって本当に心強いことだと思います。今回の出会いはその一歩として大切にしていきたい、また大切にしていってほしいと思います。

  子どもがどもりだったからこそ
                  綾部辰浩(年長男児の父親)

 今年初めてキャンプに参加したのだが、本当によかったと実感した。それは、キャンプ中もそうであったが、帰宅して康平に「どもっててどうだ」と聞くと、「行く前はどもるのが恥ずかしかったけど、今はどもってもいいかな」と言ってくれたことである。当然、来年も絶対に参加したいとも言ったのだが、親としてこの一言は本当にうれしかった。正直、私自身、キャンプに参加する前は、自分の子どものことばかりを考えていたのだが、実際に多数の子どもを見たとき、こんなにも悩んだり苦しんだりしている子がいるという現実に対して何とも言えない衝撃を受けたのが、初めの正直な感想だった。
 次の1日目のプログラムが進んでいくと本当に親としてこれまで心情を吐き出す場がなかったという苦しさから少しずつ解放されていくという流れの中で、親に対して何も言わなかった、言えなかった子どもがどんなに辛く、苦しい強い気持ちを自分の中にかかえていたのか、申し訳なさでいっぱいになった。
 ただ、親として具体的に何もしてやれないという虚しさ、苦しさの中で伊藤さんがこのキャンプに来たということだけでもすばらしいと言ってくれて私たち夫婦は本当に救われたような気がした。
 話し合い、学習会ともども、皆さんが本心を話し、そして共に悩み、苦しみを共有するという経験の中で、普段の日常生活では忘れがちな家族とは何か、改めて考えさせられた。
 話し合いの中で、ある人が子どもに吃音があるおかげで子育てに対していろいろ勉強させられるという話をした方がいた。私も同感である。当然、子どもがどもりでなければキャンプに参加することもなかったわけだし、スタッフをはじめ参加者と知り合うことがなかったのだから。
 スタッフに個人的な相談をしたのだが、普通であれば私が患者ということでわたし自身が一歩引いてしまうのだが、悩み、相談に対して同じ目線に立って話をしてくれたことに感謝したい。ここでは一つの大きな家族、飾る必要がない、ありのままの自分が出せるというありがたさを感じた。(「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/29

第11回吃音親子サマーキャンプ〜参加者146名のキャンプ〜

 吃音親子サマーキャンプを始めたのは、1990年、第1回の参加者は、50名でした。それが、2000年、第11回の参加者は146名と、約3倍になりました。どんなキャンプになるのだろうか、不安と期待が入り交じった気持ちで当日を迎えたこと、覚えています。
 もうひとつ、忘れられないのは、このキャンプには、竹内敏晴さんがゲストとして参加してくださったことです。集会室で、大勢の参加者を前に、からだとことばのレッスンをしました。みんなで取り組んだ『森のくまさん』のダイナミックな動きは忘れられません。「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73で紹介している、第11回吃音親子サマーキャンプの報告です。

第11回吃音親子サマーキャンプ
                            報告:溝口稚佳子

146名のキャンプ
 申し込み第1号は4月。「要項を送って下さい」という電話も相次ぎ、いつもの様子とはちょっと違う。6月末にはすでに60名を越え、スタッフが加わったら宿泊定員一杯だ。もうこれ以上は無理だ、そう言いながら切実なお手紙やお電話を受けると、「もう定員一杯なので、1年待って下さい」とは言えない。100名を越えたとき、荒神山自然の家に切々と手紙を書いた。本来宿泊できない学習室に布団を持ち込むことで大幅に増えた参加者を受け入れてもらえないか頼み込んだのだ。それでも、その後のスタッフとして参加したいとの申し込みについては断らざるを得なかった。
 146という数字が、実際どのように集団となって目の前に現れてくるのか、予想がつかない。気持ちを引き締めて、第1回の初心に返ったつもりで臨んだ。

黄色のフラッグ
 『吃音親子体験文集』の表紙。福岡市の鬼塚淳子さんがあのデザインをキャンプのフラッグにしてくださった。文集にはたくさんの子どもや親の体験がつまっている。文集はこのキャンプから生まれ、キャンプに帰ったといってもいいだろう。
 大阪駅で、大津市の河瀬駅で、黄色のフラッグが、不安な気持ちで集まってくる参加者を温かく迎えた。

表現〜歌、芝居〜
年報用 竹内写真3  サマキャン 出会いの広場で参加者の気分がほぐれたところで、竹内敏晴さんの登場。これだけ大勢の子どもと大人混合の集団は初めての経験だろう。『息を入れて吐いて!』からだを動かし、大騒ぎしながらいくつかの歌を歌う。最後に歌った、『森のくまさん』。父親とスタッフが熊の集団、母親が森の木、子どもたちが女の子、と3つに分かれ、大きなフロアーをいっぱいに使って動き、歌った。楽しく、からだが大きく弾んだ。
 1日目の夜、スタッフによる芝居の見本上演。『森は生きている』を、この吃音親子サマーキャンプ用に竹内敏晴さんが書き下ろした脚本は、歌をたくさん入れ、風や木もしゃべるという竹内さん独特の世界が広がっていく。
 7月15・16日に合宿をして演出・指導を受けたスタッフがまず演じるのだ。それを見ながら、子どもたちは、今年はこの役をしよう、あれをやってみたい、などと考えるようだ。昨年は『ライオンと魔女』の魔女が一番人気だったが、今年は、主役でも主なやくでもないカラス役だった。カラスになりきるスタッフの演技のたまものだ。3人も4人もカラスをしたいと言い出して困ったというグループがあったそうだ。私たちスタッフも、竹内さんの観ている前で演じるのは初めてなので、緊張する。
 子どもたちとの練習は、合計して約6時間。声を出すゲームを取り入れたり、外で大きな声を届かせる練習してみたり、それぞれ工夫する。この練習の集中とプロセスが、キャンプのハイライトだ。衣装、小道具も子どもたちのやる気を引き出してくれた。
 練習中、グループごとにそれぞれいろんなドラマがあった。どもりながら台詞を言う姿を見て、自分もがんばらなくっちゃと思った子。スタッフに特訓を受けた子もいた。子ども同士で励まし合っている姿も見られた。小さい子どもが頑張る姿に、高校生も恥じらいながらも一所懸命だった。
 そして、最終日、いよいよ上演。前座の親たちの派手なパフォーマンスでちょっと気が楽になった子どもたちも、出番を前に顔が違ってきた。
 思春期真っ最中の、恥ずかしさが先に立つであろう大きいお兄ちゃんたちがお互いの出番が終わると、それぞれVサインをしてたたえ合っていた。どもることばなど全然気にならず、みんなが芝居に熱中し、楽しんでいた。
 終わった後、親たちひとりひとりに感想を聞く。そのどれもが温かく、やさしさに満ちていた。出演した子どもたちも満足げである。「始まる前は、心に矢がささったみたいだった」なんて緊張していた子が、それを乗り越えての上演だった。苦手なことでもみんなと一緒にやりきったという達成感は自信につながる。子どもはいい顔をしていた。

僕だけじゃなかった〜仲間との出会い〜
 恒例の吃音についての話し合い。何よりもこの話し合いを楽しみにしてくれている子がいることがうれしい。もっと時間を使って欲しいとの注文には驚かされる。普段は話せない吃音について、思いきり話せるのはうれしいのだと言う。
 この1年間の、吃音にまつわるいろいろなできごとをどもりどもり話す。こんな嫌なことがあったと言えば、そうか、そんなことがあったのか、大変だったね、でもその中でよくがんばったねと心から反応してくれる。吃音についてこんなことを考えていると話せば、うんうんとうなずきながら聞いてくれる。どもりながら話しても誰ひとり嫌な顔をせず、みんな真剣に聞いてくれることがうれしいと言った子がいた。それまで親にも話したことがないようなことを、その場の雰囲気で話したという子もいる。2回の話し合いは、自分の体験を語り、他人の体験を聞く、貴重な場となる。
 中学生2、3年生・高校生のグループでは、ひとりひとりが自分について、自分の生き方について語り合い、人生論のようになったという。他人とつながっていくことの喜びを感じられるのは、このような出会いや経験だろう。
 どもるのは自分だけかと思ってキャンプに参加したら、こんなに大勢のどもる人がいてほっとして、安心した。大人もどもる人がいるなんてびっくりした。先生(という職業の人)もどもるなんて知らなかった。こんなにたくさん仲間がいることが分かってうれしかった。これは、小学生の中学年が口を揃えて言ったことばだ。

親たちも負けてはいられない
 キャンプのハードスケジュールをこなしていたのは、子どもたちばかりではない。親も、ハードなスケジュールに驚かれたことだろう。
 今回参加した親は50人。初めは全員で竹内さんの体験、子育てについての話を聞く。
 次は、グループに分かれて話し合った。初めて参加した人の疑問や質問に、さりげなく答えていくのは、このキャンプに何回か参加しているリピーターの親たち。なんとも言えないいい雰囲気だ。子どもたちが芝居の練習をしている間も、親たちは休まない。今回で3回目になるが、親たちも何か声を出す、表現のパフォーマンスを練習して、子どもたちの芝居の前の前座をつとめている。今年は北原白秋の『お祭り』に挑戦した。4人のグループを作り、ひとつの連を工夫して読む。グループ練習の時間、あちこちでキャーキャー言いながら子どものように楽しそうに練習していた姿が印象的だった。
 本番は、『鉄腕アトム』(谷川俊太郎作詞)を歌った後、『お祭り』だ。今までこんなことを人前でしたことはないという父親。緊張してしまってことばにつまり、子どもたちの緊張感がよく分かったという母親。それぞれにいい体験をしたようだ。

このキャンプの力
 3日間のキャンプは終わった。ここに書き切れないほど多くのものをそれぞれの参加者に残して。
 「来年も絶対来る」と言いながら、みんな自分の日常生活に戻っていった。初めて参加した女の子が、「ここみたいにどもる子ばっかりの学校があったらいいのに」と言っていたように、キャンプ中はどもる子どもや大人が多く、どもっていることは何の問題にもならず、自然だ。ところが、現実はそうはいかない。日常生活では困ることや不便なことも多いし、からかわれることも笑われることもあるだろう。そんな現実に落ち込んでしまうこともあるだろうが、それでも立ち上がっていく力をつけてくれたことと思う。真剣に吃音の悩みを聞いてくれる人がいる、仲間がいることの喜びを参加した子どもたちひとりひとりが感じとってくれたことだろう。遠く離れている子どもの今の困難に手を貸してあげることはできないけれど、見守っているよということは伝えたい。それが今、私たちにできる最大のことだと思うから。

国際交流〜ドイツからの参加〜
 ドイツから国際吃音連盟の役員のステファン・ホフマンさんが参加した。親の学習会での講演、中学生の話し合いへの参加など、精力的に参加してくれた。多くのことを学んだと言っていたが、私たちにも多くのものを残してくれた。講演はもちろん、その時折のスピーチは深い洞察に満ちていた。キャンプを通して国際交流ができたのはうれしい。
 全国から手弁当でスタッフとして参加する、ことばの教室の担当者や、スピーチセラピストのな多くの仲間がいるからこそ、このキャンプが11年も続き、また来年も行われる。多くの仲間に改めて感謝。
 (どもる子ども…40名、きょうだい…25名、親…50名、スタッフ…31名  計146名)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/28

谷川俊太郎さんとの記念対談〜山形新聞の記事〜

 昨日、第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会山形大会で、谷川俊太郎さんと僕とが記念対談をしたことを、巻頭言で紹介しました。テーマは、《内なることば・外なることば》で、約600人が参加し、その様子は夕方のテレビ放送でも流れたようです。記念対談のことを、山形新聞が写真入りの記事で紹介しています。「スタタリング・ナウ」2000.10.10 NO.74に掲載した、その新聞記事を、紹介します。

「言葉は愛情の形」
難聴・言語障害教育研究全国大会山形大会 谷川さん(詩人)対談

谷川さんとの対談 新聞記事 第二十九回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会が、二十七日、山形市民会館で開幕し、詩人の谷川俊太郎さんと日本吃(きつ)音臨床研究会代表の伊藤伸二さんが「内なることば・外なることば」をテーマに記念対談した。二日間の日程で、聞こえと言葉の教育の在り方を探る。
 同協議会は、難聴や言語障害を持つ子どもを指導する全国の公立幼稚園、小・中学校の教諭らで組織。県内では二十五の小学校が「ことばの教室」を設置し担当教諭らが加入している。
 全国大会は、毎年、各県で開いており、今年は本県を会場に約六百人が参加した。
 記念対談で、谷川さんは「言葉は人間にとって、生まれた時に母親から受ける愛情の一つの形」と指摘し、「言語障害児に言葉遊びを披露したら、驚くほど反応した。意味のある言葉を交換するだけが言語ではなく、意味がなくても、言葉の肌触りを交換することが大切で、それが人間のコミュニケーション」と話した。伊藤さんは「言語の障害があっても書くことに支障がない場合が多いが、自分で否定してしまうと黙読でも、障害が出る。障害を肯定できるかどうかがポイント」と説明した。
 きょう二十八日は、市霞城公民館などで分科会を開き、言語発達の遅れや吃音、聴覚障害などを指導する基礎知識を学ぶ。(山形新聞 2000.7.28)
(「スタタリング・ナウ」2000.10.10 NO.74)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/27

「ことばの名人」・谷川俊太郎さんとの対談〜第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会山形大会での記念対談〜

 僕は、これまで、吃音ショートコースという2泊3日のワークショップで、いろいろな分野の方と、対談をしてきました。それぞれその分野での第一人者の方でした。
谷川さんとの対談 舞台 今日、紹介するのは、僕の主催する吃音ショートコースではなく、第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会山形大会での記念対談です。対談の相手は、詩人の谷川俊太郎さんでした。谷川さんとは、その2年前に、竹内敏晴さんと共に吃音ショートコースにゲストとしてきていただいており、お話したことはありました。それでも、山形大会では、600人の聴衆の前での公開対談ということで、今から思っても、よく引き受けたものだと思います。「ことばの名人」である谷川さんと、「ことばの迷人」の僕との対談について書いている「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73の巻頭言を紹介します。


ことばの迷人
   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「谷川さんは、俊太郎という名前はお好きですか?」この最初の切り口を考えた以外どう展開していくのか、見当がつかないまま対談が始まった。
 第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会が山形で開かれ、「内なることば・外なることば」をテーマに、詩人の谷川俊太郎さんと対談をした。大会事務局からこの話をいただいたとき、谷川さんの気さくな人柄を知っているので、気楽に引き受けたものの、日が近づくにつれてだんだんと不安になってきた。
 詩集だけでなく、対談集、散文、ことばについての著作など改めて読み直し、どんな話が展開できるか、準備を始めた。読めば読むほどに自分が谷川さんとの対談相手としては、あまりにも役不足であることが感じられ、安易に引き受けたことを悔いた。しかし、もう後へは引けない。聴覚言語障害児教育に携わる、ことばについて日頃実践している教師、600人ほどの前での公開対談だ。びびらない方がおかしいのだと開き直った。
 谷川さんがことばの名人なら、私はことばの迷人だ。ことばに迷いに迷い生きてきた。ことばの迷い人として向き合えばいいのだ。そう考えたとき、私の中の気負いが消えた。
 大きなホールの600人以上の聴衆をほとんど意識することなく、谷川さんとの対談を楽しめた。
谷川さんとの対談 ふたり 『ことばの迷人』とは何か。
 谷川さんは、私たちに「内的などもり」という洞察に満ちた文章を寄せて下さっている。
 ―自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか―
 このようなことは、カウンセリングの訓練の中のひとつである、自分自身がクライエントになっての面接場面のテープを聞くと、誠によく分かる。普段話しているのとは全く違い、まさにゴツゴツと行ったり来たりしている。内的にも、外的にもひどくどもっている自分にびっくりする。
 どもる人の言葉には滑らかに流暢に話す人にはないリアリティがあると、どもりを肯定的にとらえて下さる人は多い。どもりは個性だと言い切って下さる人もいる。
 どもりを忌み嫌い、人前では絶対にどもりたくない思いばかりが強かった21歳までの私は、人と話す時、いかにどもりがばれないようにということばかりに腐心した。向き合う相手のことなど少しも考えていない。このことばはどもるか、どもらないか。自分の気持ちを探り、自分の中の言葉を探るのではなく、どもらない言葉だけを探っていた。例えば、本当は『悔しい』と言いたかったのに『く』がどもると思うと、とっさに『さみしい』とか『悲しい』などと言ってしまう。言った後で、常に不全感が残った。自分の気持ちや、ことばを大切にせず、どもらない音だけを散らせた。私の、このことばにリアリティが出るはずもない。これを、「ことばの迷人」と言わずになんと表現しようか。まさに、ことばの迷い人が、当時の僕にはぴったりとするのだった。
 どもる人のことばを個性と言うには、大きなポイントがある。それは吃音を受容しているかどうかだ。完全に受け入れているとまではいかなくても、肯定的に考える。少なくとも、吃音を忌み嫌い、強く否定していないことが、決め手だろう。
 「どもってもいい」と、吃音を自分自身が受け入れると、いかにどもっても自分の気持ち、思いを表現しようとする。話すことは苦手でも、文章なら大丈夫だと書くことにも目が向いてくる。どもりを強く否定していた時は、どもりを治そう、少しでも軽くしようとの選択肢しか思い浮かばなかったが、どもりを受け入れたとき、選択肢は人生、趣味などとも関連して、広がっていく。
 吃音の経験があり、その人なりの人生を生きた人は、一時は吃音を否定していたとしても、吃音否定のままでいたわけではない。
谷川さんとの対談 垂れ幕 谷川俊太郎さんの父君、著名な哲学者の谷川徹三さんも、自分の名前が言えずに悩み、1か月、伊沢修二の楽石社で矯正を受けた。しかしその後は吃音を受け入れ、個性として生きたからこそ、今日の谷川さんの吃音への思いにつながったのではないか。ことばの迷い人にならないために、まず、どもってもいいが基本なのだ。(「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/26

“弱さ”は“強さ”

 石川県の教育センターとのつながりが深く、石川県の新任教員の一日研修、いのちの電話の担当者の研修など、吃音とは関係ない分野の研修会に講師としてよく呼んでいただいたことは、このブログでも何度か書いていますが、それは、今回、紹介する徳田健一さんとの出会が出発でした。
 九州大学の村山正治さんが主催する、大分県・九重高原でのべーシック・エンカウンターグループに、当時、相談課長だった関丕(せき・ひろ)さんと徳田さんが参加していました。4泊5日のグループの終わりにふたりが僕のところへ来て、「私が課長の時に必ず伊藤さんを講師として呼ぶから来てね」と言ってくれました。そのことばどおり、講師として呼んでいただき、次の課長の徳田さん、その次の課長の浦田肇さんと、三代にわたって、歴代の相談課長が僕をいろんな研修会の講師として呼んでくださいました。金沢のカウンセリングや教員研修などで、一年で数回、金沢に行ったこともありました。本当にありがたいつきあいでした。
 「にんげんゆうゆう」を見た感想をお願いしたのだと思うのですが、思いがけず、長文の、そして今でも僕の心に残る文章を送ってくださいました。
 “弱さ”は“強さ”、このタイトルは、絶妙で、吃音を認めて生きることで生まれてくる奥深さを言い表していると思います。また、「“強さ”も人を救うが、“弱さ”もまた人を救うし、“弱さ”しか人を救えない場合もある」とのことばも、僕の心にずしんと残ります。
 23年を経た今、再度、「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72に掲載された、徳田さんの文章を味わいたいと思います。


  
“弱さ”は“強さ”
               石川県教育センター次長 教育相談課課長  徳田健一


出会い
 伊藤さんとの出会いは9年前の、人間関係研究会の大分県・九重高原でのべーシック・エンカウンターグループだった。スッと自己開示ができ、自己実現のために積極的な生き方をされている姿勢が印象的だった。そこで、その次の年からずっと、石川県の教員の初任者研修や教育相談の研修会の講師をお願いしてきた。再会するたびに、吃音の話は聞いていたが、毎週金曜日のセルフヘルプグループのミーティングはテレビで初めて知った。メンバーにとって、あのコミュニティはエネルギーの補給基地なのだと思った。

私の吃音
 私は、小学校4年生ぐらいからどもるようになり、思春期にはかなり辛い気持ちをひきずっていた。
 最も思い出したくない体験は、教師になって3年目の卒業式。担任がクラスの卒業生の名前を読みあげるという習わしの中で、鈴木君から竹内君へ移るときに「タ」を発声できなかった。卒業式は最も緊張度の高い儀式で、私にとっても生徒にとっても「失敗は許されない」という感じだ。卒業証書を受け取るために呼ばれた生徒が、壇の前で列をつくるのだが、鈴木君の後で列がとぎれてしまった。「いつ読みあげられるのか」と不安そうな竹内君や他の生徒たち。それに保護者や来客も私の方を見る。こちらは汗だくになって発声しようにも、タ行が出てこない。そこで、何度も一番の「相川」に戻り、はずみをつけてようやく「タケウチ…」と読みあげたが、「もう3年生はコリゴリ」という気持ちだった。
 伊藤さんの「トロ」同様、私も「テッカ巻」は、今でも食べ損なう。今は回転鮨のお店もあり、運よくトロやテッカの回ってくる可能性は高いが…。

吃音は個性
 吃音で困った体験をもつ私は、教育相談の仕事を永く続けているが、心理的な側面から吃音に悩む子どもと出会う。自分自身が相談に乗ったり、時には言語治療教室を紹介したこともあった。しかし、あの番組を見て、治療機関では治りにくいことが初めて理解できた。伊藤さんの「日常生活の中に出よう」ということばがとても新鮮に響いた。
 そのことで思い出すのは映画監督の羽仁進さんだ。随分前になるが、かなりどもりながら2時間ほど講演されたことがあった。内容がすばらしく、一生懸命伝えようとされている誠実さも加わって吃音のことは気にならず、むしろ大きな感銘を受けたことを今でも憶えている。
 また、教師仲間でもひどくどもる人はいたが、やはりその教師の人柄のせいか、少しも生徒は気にせず、静かに授業を受けていた。
 伊藤さんの吃音も人を魅了してやまない個性だと感じてしまう。もし、突然タテ板に水の如く話し出したら、私の心の中の伊藤さんは伊藤さんでなくなってしまうだろう。それほど吃音は個性の問題として受け止めている自分に気がつく。

大阪吃音教室
 吃音を媒介にして一生懸命自分の人生を生きようとしているあの大阪吃音教室の人たちを見ていると、いつまでも心に感動が残り、いいかげんに生きている自分が恥ずかしくなった。「どうしても話したいと思うような、内容のある生活を送っているかどうかが問題なのです」としめくくられた伊藤さんのことばを回想すると、よけいそう思ってしまう。これは吃音の問題を抱えた人たちだけのテーマではない。人生をいきいきと生きているかどうかが私たちに問われている問題なのだ。
 もうひとつ共感できたのは「うまく話そうと思う気持ちがコミュニケーションの楽しさを奪ってしまう」と話された一人の女性のことばだ。「こうあらねばならない」「こうすべきだ」という枠組みは、その人から個性を奪い、人生を無味乾燥にしてしまう。この考え方はどの世界においても言えそうだから、どもることを自分の個性として受け容れ、それを生かしきるまでには、相当な活動の期間が必要なのかもしれない。しかし、そのような課題意識を人前に出せること自体、もうその人は吃音と対峙しているのだと思う。自分の気持ちを表現することは、自分のマイナスをプラスに変えることだと思った。

吃音に悩む生徒
 最近、久しぶりに吃音に悩む生徒と出会った。吃音を教師や仲間に知られたくないことから授業が苦痛になり、学校から遠ざかってしまう。教育センターの面接に来所したときもついに吃音の問題を私にも言えず、沈黙で耐え抜いた。しかし、私にとって吃音の問題よりも、彼は自分を抑制することが多く、自分を生きていないことの方が気になった。私は「同じ悩みを共有できる場に彼を誘いたい」と思い、吃音親子サマー一キャンプへの参加をすすめた。最初渋っていたのをなんとか参加させたものの、彼にとってそのキャンプは不安で、いたたまれなかったと見え、途中で帰ってしまった。
 ところが、そのことでキャンプに参加していた高校生の一人が彼のことを心配し、手紙や電話でコミュニケーションをとってくれた。そして、彼の住む神戸に遊びに誘ってくれた。その出会いの中で、彼の社会化が促進され、内的世界も広がって、生きる自信を得たのであった。
 この吃音親子サマーキャンプも、あの大阪吃音教室と同じように悩みを共有しあい、生きるエネルギーとなる安心感を提供しているのだと思う。

弱さが人を救う
 最後に私はこんなふうに思う。「弱さも人生に価値をそえる」と―。伊藤さんのことばで言えば、「吃音と上手につきあう知恵が身につく」ことだ。「充実した生活を目指せば人はどもってもしっかり聴いてくれる」という知見もそのひとつだろう。これは「弱さ」が「強さ」に転じる姿だ。もっともそのことに気づくのはずっと後になるかもしれないが…。
 少年期にすっかり生きる自信を失い、いつも聞かされっ放しだった私が、人生の後半になって人の話を上手に傾聴できるようになったのも、先の弱さが生かされたからだと思っている。
 「強さ」も人を救うが、「弱さ」もまた人を救うし、「弱さ」しか人を救えない場合もある。自分の置かれた状況は変わらないけれど、仲間の支えさえあれば、その辛さをひきずってでも生きることができる。「仲間がいるから乗りきれる」を見て、そんなふうに思えた。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/25

NHK番組「にんげんゆうゆう」を偶然見て、その後、大阪吃音教室に参加した人の話

 たくさんの人に視聴いただいた「にんげんゆうゆう」。中には、この番組がきっかけで、大阪吃音教室に参加してくださった方もおられます。
 偶然というものは、あるのですね。たまたまテレビをつけたときに流れていたとか、テレビ欄を開いたときに目に入ったとか、そんな偶然の出会いが、これからの自分の生き方に大きく影響するということもあるようです。思い切って行動するということの大切さを思います。
 偶然「にんげんゆうゆう」を見て、大阪吃音教室に参加された方の感想を紹介します。

 
偶然見たテレビがきっかけで参加した大阪吃音教室
                              大島純子

 私自身が最近あるセルフヘルプグループに参加するようになって、今までの自分を振り返りながら思うことをことばにし、他者に共感してもらうことで、「なんだか気持ちが軽くなるなあ」という経験を少しずつですが、しています。
 「自分だけではない、自分が悪いのではない」と自分を肯定的にとらえる努力をしながら、コンプレックスをもつ自分を徐々に受け入れていっているといえるでしょうか。
 そんな時期に、NHK教育テレビでセルフヘルプ活動についてのリポートがあることを偶然見つけ、とても興味を持って見ました。
 大阪吃音教室では、どもりを持つ自分の体験を各々が皆の前でスピーチされていました。つっかえたりしながらもご自身を表現し、それを皆さんが共有し、時には考えを言い、和やかな印象を受けました。やはり同じ悩みを持つ仲間に共感してもらうということはいいことだなあと感じ、私も勇気を出して大阪吃音教室に参加しようと思いました。
 私もどもることにコンプレックスがあります。中学、高校時代には症状が結構目立っていたし、何より自分自身がどもることを非常に恐れていました。人づきあいが苦手というか、性格的なことやその他の要因はあったにせよ、人と喋ることにいつも緊張し、実際どもってしまうので余計に息苦しくなっていました。最近はその頃よりは目立たなくなっている(うまくごまかしているだけかもしれませんが)とはいえ、完全になくなったわけではなく、心のどこかでいつもどもる自分を恐れています。そしてうまく話せない瞬間には、なんともいたたまれない気持ちが襲ってきます。
 「うまくつきあっていくしかないのか」と思うようになった時、このグループにつながることができてよかったと思っています。どんなふうにどもりとつきあっていくかを一人で模索するより、同じ仲間のいるグループで見聞きしながら考えていく方が力づけられると思います。また、毎週のプログラムは、幅広いテーマを扱い、よりよい人間関係を作ったり、自分を成長させることに役立つ教室のようで、ちょっと期待もしています。参加して間もないですが、あせらずマイペースで、いろいろ吸収して前進したいと思っています。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/24

NHK番組「にんげんゆうゆう」のカメラが入った大阪吃音教室に初めて参加し、最後の感想で「吃音でもいいかな」と発言した人の話

 あまりにも劇的なしめくくりとなったあの日の大阪吃音教室。最後に初参加の感想を語った野村さんは、収録の翌週、大阪吃音教室に参加し、再度感想を求められ、「先週はああ言ったけれど、…やはり、できることならどもりたくない」と言います。正直な人です。自分の気持ちに正直な人だからこそ、その後、僕たちの仲間として活動を続けることができたのだと思います。

    
どもっていいかな…
                                 野村貴子

 私が吃音になったのは、中学2年の時です。でも、全く気にしていなかったので、困るようなことはありませんでした。
 しかし、就職活動の時、自分の大学名と名前が言いづらく、だんだんと気にするようになり、ひどくなっていきました。そして、吃音を治そうと決心し、話し方教室に1年間通いましたが、結局は治りませんでした。
 そんな時に、インターネットで大阪スタタリング・プロジェクト(大阪吃音教室)を知り、藁にもすがる思いで参加しました。
 第一印象にとても驚きました。なぜかというと皆さんとても明るかったからです。私は今まで吃音を隠そうと思っていましたし、恥だと思っていたからです。
 そして、なんとその日はNHKテレビ収録の日だというのです。一週、参加を遅らせばよかったとチラッと思いましたが、まあ私は映らないだろうと思っていました。でも、バッチリ映っていたので驚きました。その中で私は例会の最後に、初参加の感想を求められ、「吃音でも別にいいかなと思えた」と言いました。言い終わった後すぐに、とんでもないことを言ってしまったと思いましたが、でも本当のその時の気持ちです。単純に吃音でもいいかなと、その時は思えました。
 番組放映の次の日の大阪吃音教室で、あの時あのように言ったけれど今はどうですかと聞かれ、「やはり、できることならどもりたくない」と、収録の時言ったこととは少しちぐはぐなことを言いましたが、これも、その時の本当の気持ちです。
 このように揺れてはいますが、ひとつ私が確信を持って言えるのは、心の負担が軽くなったことです。どもる人は私の他にたくさんいて、堂々とどもっている。驚きと同時に安心感やうれしさを感じました。
 吃音を隠そうとして、辛い思いをされている方々がまだたくさんいると思います。その方々が大阪吃音教室のことを知り、参加されれば、私のように気持ちが楽になれるだろうと思います。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/23

NHK番組「にんげんゆうゆう」視聴者の感想

 「にんげんゆうゆう」をご覧いただいた方は大勢いらっしゃいました。番組の最後に、僕の自宅の電話番号である、吃音ホットライン:072-80-8244 が流れたのですが、相談の電話がたくさんかかってきました。1週間で200件はあったでしょうか。その後もしばらく反響は続きました。僕は自宅の住所も、電話番号も、そして顔写真もオープンにしています。その頃と比べて、今は、インターネットの世界は格段に広がり、いろいろな人が吃音に関しても発言しています。きれいに飾られた、見やすい画面に、たくさんの情報が発信されています。それを作った人がどんな人なのか、どんな考え方をもっている人なのか、その発言にどんな背景があるのか、それらを確かめてみる必要があるだろうと僕は思います。安易に、耳に優しい情報に惑わされないよう、気をつけたいものです。
 今日は、「にんげんゆうゆう」をご覧になったひとりのどもる子どもの母親の感想を紹介します。

   
二度のテレビ体験
                           松尾ひろ子

 久しぶりに、中学校3年生になる息子とテレビを囲んだ。この日は、朝から自分がテレビに映るかもしれないと、とてもうれしそうであった。
 5年前、私は、当時小学校4年生になる息子の吃音に悩み、はじめて大阪吃音教室の両親のための相談会に参加した。その時も、『週刊ボランティア』という番組のNHKのカメラが入っていた。その時は、何とか吃音を治してやりたいことしか考えられず、息子の吃音をテレビの電波を通して公表することなどとても考えられなかった。
 今、こうして息子も映り、吃音を取り上げたテレビを二人で見て、吃音の話ができるなんてその時は想像すらできなかったことである。改めて自分自身の変容に驚いている。
 新聞のテレビ欄ではよく目にしていた『にんげんゆうゆう』ではあったが、実際に最後まで見たのは初めてであった。限られた時間の中で見事に『吃音』が語られていた。《吃音って何?》《吃音の人は何が困るの?》《セルフヘルプグループって何をするの?》そんな見る側が抱くであろう疑問に、具体的にわかりやすく説明されていた。また、大阪吃音教室の様子や親子サマーキャンプの紹介、そして吃音ホットラインが画面上に流れたことも、吃音理解に効果的であった。
 吃音でない人も、吃音の人も、また、どもる子どもを持つ親やそれに携わる人々が、それぞれの立場でそれぞれ得るものがあった貴重な番組ではなかったかと思う。
 その中の「話したい内容がある」「生活の質」が大切という点について、思いつくままに自分の子育てを振り返ってみたいと思う。
 まず、日常の生活の中で、子どもがどもってでも話したくなるような聞き手(母親)であっただろうかということである。どうしても、話の内容よりもことばがすらすら出るか、母音が出にくい、などの話し方がとても気になってしまい、子どもにとっては「聞いてもらった」「わかってもらえた」という実感は持てなかっただろうと思う。
 これは私自身の未熟さに起因するものであるが、子どもが今、伝えたい気持ちを話し方も含めて全部を受け止めてやるだけの心の余裕が持てなかったことも実感している。
 子どもが小さい時ほど不安が大きく、『何とか話させないと、話せなくなってしまうのではないか』というような強迫観念にも似た気持ちが働いていたと思う。
 今、思春期に入った息子は成長と共に口数も少なくなってきた。何を考えているのか不安になる時もあるが、話したいことがある時は嬉々として話すことがある。(話すというより、「今の僕の気持ちわかるやろ!なあなあお母さん」という感じである)
 私は、「ふーん」「そうなの」ぐらいの相づちぐらいしか打てないが、その時は手を休めテーブルに座り、その情景を想像しながら聞くように心がけている。息子がうれしい、悲しいといった感情を親にぶつけてくるのも、後僅かであろうと思うが、丁寧につき合っていきたいと思っている。
 どもる子どもの子育て(私は基本的には、特別な子育ては必要ないと思っているが)で配慮がいるとしたら、「いつでもあなたの話は聞けるよ」という心の余裕と、子どもがいくつになっても親として聞き上手になるための工夫や努力であると思う。
 番組が終わり、私は吃音という重いテーマにもかかわらず、さわやかな印象を感じていた。吃音を《贈り物》と言える伊藤さんの生きざまに脱帽しながら。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/22
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