伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2023年02月

大阪吃音教室のすばらしい仲間たち

 2月25・26日、毎年恒例の、大阪吃音教室の運営会議がありました。年に一度、この時期に、運営委員が集まり、1年を振り返り、翌年度の活動を展望します。今年は、17人の運営委員が参加しました。
 まず、ひとりひとりの2022年度の振り返りからです。プライベートな話、自分が担当した講座や印象に残った講座など大阪吃音教室の講座について、振り返っていきました。コロナの影響を受け、運営委員同士も、頻繁に会って話をすることはできませんでした。以前なら、教室終了後、喫茶店に行ったり、飲みに行ったりして、お互いの近況はそれなりに分かっていたのですが、最近はそれもできず、この運営会議の場で、そんなことがあったのですか、ということも少なくありませんでした。病気のこと、仕事のこと、子育ての大変さ、親の介護の話など、運営委員ひとりひとりの話に、共感したり思わず笑ったり、自分と重ね合わせたり、大切な時間を共有しました。
 そして、大阪吃音教室のスケジュールを、2022年度を参考にしながら、立てていきました。新しい講座を新設したり、講座名を変えたり、毎年毎年、少しずつ変更が加わり、改定されていきます。担当者も、立候補を基本に、自薦他薦でどんどん埋まっていきました。講座を担当すると、その前に事前に学習しますし、結局は担当した者が一番得をします。学びを大切にしている大阪吃音教室です。
 講座の世話人、ニュースレター「新生」の編集担当も決めました。吃音教室に初めて参加される方への対応についても、話し合いました。ナラティヴ・アプローチの国重浩一さんに教えていただいたことをヒントに、「どんなことで困っていますか?」という質問ではない問いかけをみんなで考えました。困って悩んでいる人と決めつけず、いろいろあってもここまで生き抜いてきた人、サバイバルしてきた人としてリスペクトする気持ちを持ちながら接していこうと確認しました。吃音を否定しない、どもっている自分を否定しないことを大事にしている僕たちならではの確認だったと思います。
 最後に、日本吃音臨床研究会からのお知らせやお願いをし、会計の途中報告を聞いて、会場が使えるぎりぎりまで使って、今年の運営会議を終わりました。
 こんな時間を大事にする仲間と、2023年度も活動していけること、幸せだなあと思いながら、帰りました。写真を撮るのを忘れてしまい、運営会議の様子を文字でしかお伝えできず、残念です。

日本吃音臨床研究 会長 伊藤伸二 2023/02/27

芹沢俊介さんの書評〜吃る言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である〜

 「スタタリング・ナウ」2000年4月 NO.68の巻頭言を紹介しました。津市に住む僕の同級生がみつけてくれた、教育評論家・芹沢俊介さんによる『新・吃音者宣言』の書評を紹介します。
 毎日新聞社発行の雑誌『エコノミスト』(2000.2.29)に掲載されたものです。少数者の誇り、というものは確かに僕の中にあります。それを、このように第三者から言っていただき、うれしい気持ちでいっぱいでした。記事と、文字起こしをしたものとを紹介します。

  
新・吃音者宣言
  伊藤伸二著  芳賀書店  1600円
吃る言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である
                          評者・芹沢俊介(評論家)


芹沢さんの書評  長い吃音へのアプローチの歴史は吃音と吃音者を分離し、吃音症状にのみ焦点をあてた歴史だった。症状の消失、改善に一喜一憂するその陰に吃る主体である人間が置いてきぼりにされていたと著者は述べる。
 著者は三歳ごろから吃りはじめた。しかし吃るということが、悪いこと、劣ったことだという意識をもった(もたされた)のは小学校二年生の秋の学芸会のときからであったと書いている。成績優秀だった著者は、ひそかに学芸会の劇でせりふの多い役がつくのではないかと期待していた。だがまわってきたのはその他大勢の役でしかなかった。
 落胆した著者は、友だちに、伊藤は吃りだからせりふの多い役をふられなかったのだと言われ、言いようのない屈辱感を味わう。そして教師への不信とあいまって稽古期間中に、明るく元気な自分から暗くいじけた自分に変わっていってしまった。いじめの標的になり、自信を喪失し、自分が嫌いになっていった。吃ることを自己存在を否定する核に据えてしまったのである。人前で話すこと、人前に立つことを避けるようになった。自己をも喪失した状態になっていったのである。
 著者はすべての不幸の原因は吃音にあると考え、必死に吃りを治そうと試みる。だが治そうとすればするほど、逆に自分の居場所を失うことにやがて気がつくのだ。
 この本はそこから吃ることの全面肯定にたどりつくまでの、著者の涙と笑い、苦しみと喜びの軌跡が綴られている。吃ることを症状として自己の外に置いてしまったことの内省のうえに立った、吃音の自分への取り戻し宣言である。
 吃る自己の全面的受け入れにはじまり、吃る言語を話す少数者としての誇りをもって、吃りそのものを磨き、吃りの文化を創ろうという地点まで突き進むのである。負の価値としての吃りの解体が目指されているのである。
 吃る言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である。こうした自覚にいたるにはどうしたらいいか。
 まず吃音症状に取り組むという姿勢から離れること、吃音症状と闘わないこと、矯正の対象にしないことである。吃ることをオープンにしていくことも大切だ。いまでは幼稚園段階で吃音を意識する子どもたちが出てきている。親は子どもと吃音について話しあうために、自己の内部にある境界線を壊しておく必要があるだろう。
 さらには「吃ってもいい」を大前提に吃音を磨いていくには、吃音者は自分の声に向き合うという課題も生まれてくる。言葉とは何かを考えることも大切になってくる。長い間、虐げてきた自分の吃り言葉に無条件でOKを出すと、このように様々な喜びに満ちた未知が開けてくる。
 この本は意図された自分史ではない。そのときどきに発表されたエッセイの集積が、自分史を構成するまでに熟したものだ。子育て論、自分育て論に通底する爽快感あふれる一冊。
  本の著者  伊藤伸二(いとうしんじ)
    伊藤伸二ことばの相談室主宰。
    日本吃音臨床研究会会長
                  (2000.2.29 エコノミスト〈毎日新聞社発行〉)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/26

多くの仲間に支えられて

 先日、2023年度も継続して購読していただきたいとのお願いの手紙を同封して、毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」NO.342を、2022年度の購読会員に送りました。 今日、郵便局から、送金の第一報が入りました。ニュースレターが届いてすぐ手続きをしてくださった方からの送金でした。本当にありがたいと、感謝の気持ちでいっぱいです。
 吃音についての僕の思い、どもる人やどもる子ども、その保護者の体験、ことばの教室担当者の実践、さまざまな領域の方との対談、寄稿文など、吃音やことば、生き方などをテーマにしたニュースレター「スタタリング・ナウ」を発行したのは、1994年6月でした。 コロナ禍で対面での行事がストップする中、これまでの「スタタリング・ナウ」をブログでほぼ毎日紹介し続けてきましたが、まだ NO.68までしかできていません。今、NO.342なので、とても追いつけそうにありません。
 「スタタリング・ナウ」の前には、「吃音とコミュニケーション」という名前のニュースレターを発行していました。そのときからの読者の方も大勢いらっしゃいます。たくさんの方に、長い間、支えていただいていることを実感しています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2000年4月 NO.68の巻頭言を紹介します。
 故郷、三重県津市での小中学校時代の友人からの1枚のFAXが、ひとりぼっちで何の楽しい思い出もない故郷のイメージを変えてくれました。

仲間この素晴らしいもの
           日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「小、中、高校と一緒だった分部紘一です。先週、中井君から連絡が入り、エコノミスト誌に出ていた「新・吃音者宣言」の書評を拝見しました。早速、中根、行方、尾崎、守田…、石田秀生先生にファックスを入れ、君の出版を紹介させていただきました。中根君は、新聞などで見て、貴兄のこれまでの活躍、出版もよく知っていました。津市立図書館に「吃音と上手につきあうための吃音相談室」(芳賀書店)がありましたので、昨日借りてきました。妻と一緒に読ませていただきます。今後の一層のご活躍祈念します」

 先だって、一通のファックスが入った。一瞬、信じられない思いだったが、温かい幸せな気分が胸一杯にひろがった。直ぐに彼に電話をしてみた。
 「シンジの本には孤独だったと書いてあるが、お前とは高山神社で遊んだぞ。津高の教頭になっている中条もシンジのこと覚えていたぞ」
 吃音に悩み始めた小学校の2年生の秋から、ひとりの友達もなく、21歳まで、ひとりぼっちで生きてきたと信じ込んでいた。孤独で生きていた頃は、級友は誰も僕の存在など意識はしていないだろう。完全に忘れられた存在だと思っていた。
 このファックスと電話が一気に僕をその頃へと引き戻してくれた。しかし、名前を挙げてくれた10人の仲間。分部君からすると僕をよく知っているだろうと思った人達だろうが、僕が思い出せたのはわずかに2人だった。中学、高校の卒業アルバムを出して、名前をたよりに探したが、全く思い出せない。仲間と遊んだこと、何かをしたことが、すっぽりと記憶から抜け落ちている。苦しく、悲しかったことだけが、鮮明に思い出されて、記憶を強化してきたのだろうか。
 確かに、彼たちの遊ぶ場所にはいたのかもしれないが、主体的に遊んでいたわけではなかったのだろう。常に僕は人の後で目立つ事なく、そっとついていっていたのだろう。楽しかった記憶はない。
 数日後に、故郷の津市で、急遽ミニ同窓会がもたれたようだ。僕の本『吃音相談室』を酒のさかなに飲んだと、再び分部君から僕が湯布院のエンカウンターグループにいっている間に電話が入った。僕の逃げの人生のはじまりとして鮮明に記憶している卓球部をやめるエピソードにある、片思いの彼女は一体誰なのか、そのあてっこで盛り上がったのだと言う。みんなが一度シンジに会いたいと言っていると、その電話は終わったのだった。
 誰も、僕のことなど気にかけていてくれないし、覚えている人などいないと思っていた。それが一冊の本のおかげで、僕は決して忘れられた存在ではなかったのだと知った。どもりを否定し、自分をも否定して生きていたから、仲間の気持ちも、思いも、僕には触れることはなかったのだ。
 今年の1月3日。島根県の玉造温泉に長期に滞在していた僕は、34年振りに初恋の人に会った。34年の年月は一瞬のうちに縮まり、次から次へと話題はひろがり、6時間以上も話し込んだ。21歳の僕は、今とは違ってかなりひどくどもっていた、それでも一所懸命話していたと彼女は言う。
 中学、高校時代の仲間からの思いがけない連絡。34年振りの初恋の人との再会。20世紀の最後の年に、奇跡のように起こったふたつの出来事。吃音を忌み嫌い、吃音を否定してきた暗い闇の人生を全て照らし出せたのは、新しく吃音とつきあう歩みを大きく踏み出した象徴でもあるだろう。
 日本吃音臨床研究会の中で、共に活動する仲間たち。大阪や神戸の吃音教室の仲間たち。吃音親子サマーキャンプにスタッフとして集まって下さる仲間たち。たくさんの印刷物の発送に休日に集まってくれる仲間たち。
 さらに、私たちの活動に共感し、支えて下さる幅広い多くの人々。多くの仲間がいる。
 吃音が縁で出会う仲間を大切にしていきたい。
(「スタタリング・ナウ」2000年4月 NO.68)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/23

吃音と論理療法 4

 昨日のつづきです。石隈さんとの対談の紹介は、今日で最後です。このときの吃音ショートコースの詳細は、金子書房から『やわらかに生きる〜論理療法と吃音に学ぶ〜』として出版しました。大阪吃音教室での話し合いや、奈良さんの「仲人」の体験など、論理療法を生かした体験が満載です。
やわらかに生きる表紙 思い出してみても、石隈さんとの出会いは、僕にとって本当にありがたい出会いでした。
 その後、レジリエンス、ポジティブ心理学、ナラティヴ・アプローチ、健康生成論、オープンダイアローグなどたくさんの「吃音とうまく生きる」ために学んできたことはたくさんあるのですが、吃音に一番役立つのが論理療法です。その論理療法を石隈さんから学べたことはうれしいことでした。
 もうひとつ、僕は「先生」と呼ばれるのが好きではありません。いや、むしろ嫌いです。医者、教師以外の人に、特に政治家に「先生」と呼ぶのには嫌悪感さえ覚えます。一時期、僕は、大学の教員だったし、大学や専門学校の非常勤講師はずっとしてきたので、「先生」と呼ばれても仕方がないのかもしれませんが、それでも、「さん」と呼んでほしいのです。吃音親子サマーキャンプでは「先生」は厳禁です。参加者もスタッフも、みんな「さん」づけで呼び合おうと、キャンプのはじめにみんなに言います。
 石隈さんとは、最初の出会いのときから「石隈さん」でした。僕が何の抵抗もなく「石隈さん」と最初から言えたのは石隈さんのお人柄でしょう。僕は全ての場面で「対等性」が大事だと言い続けています。
 そろそろ日本も「先生」と互いを呼び合うことはやめたいものです。
 余談がはいりましたが、石隈さんとの対談の最後です。ごく一部なので興味を持たれたら、是非、金子書房の『やわらかに生きる〜論理療法と吃音に学ぶ〜』をお読みください。
 では対談のつづきです。


石隈 今の電話の方はなんかそんな意味があって、ただそれが一人ではしんどいからね。誰かが後押しする。それが論理療法家ですよ。

伊藤 ああ、そうですか。そういうふうに、ぽんと後押しすることですね。僕らどもる人たちのセルフヘルプグループでも、またことばの教室の教師でもスピーチセラピストでも、できることと言えば、どもりを治すことじゃなくて、ちょっと背中をポンと押してあげることしかなんじゃないかと、僕はいつも言っているんです。

石隈 そう思います。いろいろな問題で困っていることがあって、優秀なお医者さんがいて、お医者さんにがんばってもらって、いろいろなことが治るようになることはありがたいですけど、それはもちろん私も否定しません。同時に、その病気をもっている患者であるとか、つきあう立場で言えば、治してもらうことばかりに依存しないで、それは置いておいて、うまく活用して、どうつき合ったらいいかなというのは、自分のできることです。
 学校心理学という分野の話ですが、学校で子どもを援助していて似てることがあります。学校は、教育機関で、お医者さんじゃないが、精神疾患であるとか、発達障害の知的な遅れのある子どもが来る。ところが、それは治せないんです。一時、ご存じのように、障害児教育でも、とにかく訓練して、治すんだということを一生懸命やってきたことがありました。それは大事なんだけど、そればっかりやってると、ほかの生活の面とか、その子らしいいいところが伸びず、時間がもったいない。だから、学校の中で、また我々の仲間うちで治すことはできないが、どうやったらうまくつきあえるか、どうやったら自分らしく生きられるかを、お互いに支えることはできる。これは大きいと思います。
 私は頭で言っているんじゃなくて、私自身がいくつかのつきあっているものがあるんです。私は小さい頃から喘息なんです。つきあいは長いです。私がちっちゃい頃、母は大変だったと思います。夜中に起きてぜいぜい泣くので、親としては辛かったと思います。いろいろ病院にも行きました。喘息のいいところは、薬である程度押さえることはできる。だけど、治ったわけじゃない。別に、それは不幸でもないし、ちょっと不便なだけです。お酒を飲みすぎると出ますが、たまたま私はお酒が強くないからいいんですけど、朝と晩にお薬を2錠ずつ飲んで、朝と晩にスプレーを自分でやって、発作が出たときにはこっそりこれをやる。最近、喉の薬が、まだ売れてなかった歌手(失礼!)が宣伝してヒットしたのがある。喉の薬のおかげで、私がスプレーしても最近は、喘息の薬だとばれないんです。
 これは私がつきあってることです。不便だけど、これで困っていることはない。これを治そうと思ったら、合宿に行ったり、いろいろ治す場所に行ったり、確かにいろいろあります。でも、今の不便さが3だとして、それを0にするために頑張るよりは、他にやりたいことがいっぱいあるので、3とつきあっていくというのです。私はすごく似ているなと思っています。
 だから、伊藤さんの吃音とつきあうというのは、私なりに分かりますし、やっぱりせっかく1回きりの人生だから、いろんなことはあるけれど、つきあうとこはつきあって、たくさん楽しもうと思っています。だから、共感します。
 伊藤さんの最初の21歳の素敵な女性と、23歳の図書館の青年との面接の話は、論理療法からみると、ストンと落ちますね。論理療法って、別にしゃちほこらなくても、選択肢を示すとか、後押しするとか、いろいろ思い切ってとにかく1回試してみるとか、そういうところがあるんですね。(「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/22

吃音と論理療法 対談3

 昨日のつづきです。僕が面接で話してきたことを、石隈さんに、論理療法的に解説していただきました。論理療法を知らなかったときの面接です。論理療法と出会って、吃音と相性がいいと思ったのは、当然のことだったのでしょう。僕が今でも記憶として強く残っている二人の面接を、石隈さんに解説していただきました。腹話術に挑戦することを提案した彼は、僕の「恩人」とも言える人です。彼との面接がなければ、「吃音を治す努力の否定」は、幻と消えていたかもしれません。ここまで言うのは無理だろう、となっていたかもしれないのです。まさに、私をずっと支えてくれた「恩人」のひとりです。

論理療法実践

伊藤 僕は、論理療法について全然知らないときに、いくつか自分が面接でしてきたことがあるんです。それを論理療法的に言うとどうだったのか、コメントをいただけるとありがたいですが。
 ぼくが勤めていた大阪教育大学の言語障害児教育課程は、吃音のメッカと周りから言われていた。そのため、吃音を治したい、治してくれるはずだと思ってたくさんの人が相談に来るんです。そこで21才のうら若き女性が相談に来ました。この人に対しては一所懸命になったから鮮明に覚えているんですが、どうしても吃音を治したいと言う。僕は自分の経験を含めて、そんなに簡単に治るんものじゃない、吃音とうまくつきあうということが現実的だよとかなり時間をかけて丁寧に説明しました。彼女は反論を続け、最後にあなたはそうかもしれないけど、私は受け入れられない、絶対吃音を治したいと引かないんです。ぼくはもう、手詰まりでピンチに立たされました。
 「分かりました。僕たちが吃音を治すたあに一所懸命やってきた方法を、僕の知っている知識としてあなたに教えます。私は失敗しましたが、あなたが19年間、それに対して一所懸命頑張れば、ひょっとしたらうまくいくかもしれない。吃音というのはデモステネスの時代からずうっと延々と続いてきて、それでもなおかつ多くの人が治っていないんだから、19年はかかるという覚悟が必要です。19年間、一日に3時間は発声練習や呼吸練習を一所懸命おやりなさい」

 19年というのはあてずっぽうなんですけども、彼女は計算しました。19+21=40、40歳になってから治ってどうなんだと、急展開しました。あれは、僕の面接の中で劇的に変化したケースでした。「40歳ならもういいと」と言うんです。「確かに21歳まで吃音で悩んできたけど、友だちもいるし、生活もそこそこやってきた。これから19年間、吃音を治すためにだけ、3時間も4時間も使うというのは損だなあ」と言う。

石隈 それは、論理療法ですよ。治したいという気持ちを否定していないで選択肢を示している。19年間かかって治したい人もあるかもしれない。でも考えたら、友だちもいるし、他にもいいところがたくさんある。治すことにこだわらない他の選択肢もいくつかあるということに気づく。選ぶのは本人ですけど、正に論理療法ですよ。
 それからカウンセリングでいう進路選択の相談ですよね。進路相談は、たとえば、あなたが歌手になりたいならどうぞと、そんなに簡単に高校や大学の先生は言わないわけですよ。歌手になるためには、どういう勉強をして、どうなるのかなという将来のシミュレーションを一緒にしますね。それでなれなかったらどうするのかと、いろんな選択肢を一緒に考える。よくカウンセラーは誤解されていますけど、あなたの気持ちはよくわかる、お好きにどうぞと、やっているわけじゃない。

伊藤 論理療法的かどうか詳しく知りませんけど、僕は19年とか3年とか期限を切ったり、具体的な提案をすることがとっても好きなんですね。

石隈 具体的ですね。まあカウンセリングについて言えば、長くやればいいということではありませんから、自分でいろいろ選択肢を、しんどいけど決めていかなきゃいけない。「私は今から5回ほどカウンセリングをおつきあいしますから、その間にこのことについて決めましょう」と言うことありますね。具体的な数字を出すことはありますよ。だから伊藤さんはそのときから意識されなかったけれど、論理療法的だった。選択肢を示した。治療するのをやめろとは言ってないわけですよ。やりたい人はいるかもしれない。それはその人の選ぶ選択肢なんです。ただ一つの選択肢しか知らない人に他の選択肢も伝えてあげるのが、専門家の役割ですよね。

伊藤 それと一つ、臨床家が、一人のケースとの出会いで、何かいろいろなものが見えてくる、変わるってありますね。僕にとって大きなひとつのケースがあるんです。もう26年も前のことです。
 大学の図書館に勤めている23才の男性。その彼との面接が、僕が『吃音を治す努力の否定』を提起する後押しをしてくれたんです。彼は、ブツブツ途切れて、喋ることばを無理なく書き留められるほどで、これまで僕が出会った中で、吃音がとても目立つ人でした。そしてなおかつその人は吃音を治そうというモチベーションが全くない。
 吃音だから話さなくてもいい仕事と、本人も希望し、父親もどもるのだから喋ることの多い仕事には就けないだろうと、大学の図書館に就職させた。最初は確かに黙々と本の整理をしていたが、学生とのやりとりも出始め、整理ばかりしてはいられない。上司がたまりかねて、このままでは図書館の仕事としても成り立たないから吃音を何とか治せと迫った。上司の命令で、しぶしぶ僕の所に相談に来たんです。
 1週間に1度の面接を始める前に契約をしました。僕は吃音を治せない。吃音とつきあうことを一緒に考えることを了解してもらえれば引き受けますと。それで面接がずっと続くんですが、課題を1週間ごとに出しました。
 彼は随伴症状として舌が出る。どもるたびにものすごい長さの舌が出て、どもること以上にそのことに悩んでいたので、この舌は何とかならないか考えた。舌を出さないようにはできないが、結果として舌が出ない話し方は腹話術しかない。これも思いつきで、6か月後にどもる人の全国集会があるので、腹話術の練習をして6カ月後の全国集会で発表しようと提案をしたんです。ノーが言えない人ですから、そこにつけこんで、やりましょうとなったわけです。僕は彼に、腹話術の情報を一切与えないで、全部自分で探すことから始めた。
 最初の1週間がたって、「腹話術の情報はあったか」と尋ねたら、「本屋さんに行ったけれども腹話術の本はなかった」でした。近所の本屋さんです。結局やりたくないものだから、紀伊国屋や旭屋書店などの大きな書店に行かない。それを指摘して、やっと次の週は紀伊国屋に行ったが本はなかった。1週間の彼の行動はたったそれだけ。

石隈 それで次の週は?

伊藤 労働会館とか青年会館であれば腹話術のサークルがあるかもしれないと、サジェストすると、「探したが、場所が分からなかった」と、なんだかんだと口実をつけて動こうとしない。
そこで、これまでの生活を振り返って、僕と話し合い、それをテープにとり、テープ起こしをして、KJ法で整理してみたら、まあ彼が今まで吃音を否定して、どれだけ逃げてきたかが図式化された。
 それまで彼は全て親にしてもらって、自分では一切買い物をしたことがない。散髪に行っても、黙って座るだけだから、いろんな刈り方をされる。それぐらい話すことから逃げて、消極的に生きてきた。単に面接ということだけでは、話してしまったら、消える。ところがKJ法で視覚化できる図にすると、直面せざるを得なくなる。
 次に、僕の方から、腹話術のサークルの電話番号だけを教えました。今まで一度も電話しなかった彼が、電話をしなければならない。彼は意を決して電話をします。どもってどもって汗びっしょりになりながらも、電話ができた。ひどくどもりながらも、情報を得るという、目標は達成できた。相手も、電話を切らずに最後まで聞いてもくれた。
 この経験で、彼の行動は少しずつ変わっていきました。だけど、3ヶ月くらいまではまだ大きくは行動が変わらない。川上のぼるというプロの腹話術師が近所にいるらしいということがわかった。どもらない人なら電話帳を調べて電話して行く道を聞くでしょうに、彼は目安をつけた近くを、一軒一軒、家の表札を見て回った。電話をしたり、人に聞くのが嫌だから、自分の足で探した。

石隈 だけど、積極的に選択肢は増えてますね。

伊藤 そうんなです。結局、川上のぼるさんに相談にのってもらい、かなり高価な腹話術の人形を買い、もう後に引けなくなって、本格的な練習を始めました。
 6か月後、高野山で行われたどもる人の全国集会の200人を越える人の前で、実演をしました。
どうして腹話術をするようになったかの説明ではひどくどもるんですが、腹話術では全然どもらない。大いに受けて、拍手喝采でした。そういう経験をして、彼は明るくなり、積極的になりました。一時的なものかどうか、職場の人にも会って確かめたのですが、職場でも随分変わったんです。吃音の症状も、軽くしようとか治そうとか一切していないのに随分言いやすくなりました。また、舌の方はほとんど出なくなりました。
 このケースから、僕はたくさんのことを学びました。吃音の軽い人なら、元気のある人なら、吃音と共に生きるというのはできるけど、吃音が目立つ、消極的な人には、伊藤さんの言うことなんて無理だって言われてきたのが、彼との経験で、いわゆる吃音の重い人にも通用するんだということに自信をもてるようになりました。

石隈 そうでしょうね。今の腹話術をすることになった人に対する関わり方は、まさに論理療法なんです。彼は最初に吃音でいて今のままでいいと思っているわけでしょ。それも彼の選択肢で、それはそれでいいと思うんだけど。違う選択肢に挑戦してみるという自分にとって大変なことは回避してるわけです。それも人生それぞれで回避する人もいるわけですが、その人は伊藤さんに出会うことによって、他のことをすることを避けてきたのかもしれないと気づいていく。他のことも可能かも知れない。
 これは積極的に選択肢を挙げるというのとは少し違うかもしれないけど、違う選択肢が伊藤さんの支えでその人に見えてきたんです。こういう道もあるよと。これが半分だと思うんですけど、残りのあと半分は、やってみないかと勧めてもらった。モチベーションが高い人なら選択肢を示しただけで、自分で選んでいけるんだけど、低い場合も、こういう選択肢があってやってみるんならお手伝いするよと言われたら、やりやすい。こういうところが論理療法的ですね。やってみたらって、背中をちょっと後押してもらうとありがたい。なんでも、始まるというのが心配ですから。カウンセラーも友達もそうですけど、やっぱり相手のことを真剣に考えたら、まあ、お好きにどうぞとは言えない。こういう選択肢もあるから一回試してごらんと言って提案する。この点は伊藤さんの迫力だと思うんです。
 例えば、エレベーターに乗るのが怖い人というのが、エリスの患者で出てくるんですが、エリスはまあ、エレベーターに乗って見なさいって言うんですよ。でも、怖いから嫌だって言うんです。それなら、あなたは、あなたの人生だから、これから50年間、エレベーターに乗らずにどこに行くのも歩いていくというのもいいよと言います。特にニューヨークは高いビルがたくさんあるから、説得力があるんですよ。10何階なんてエレベーターに乗らないと足で歩いて行けないです。ほんとに不便でしょ。今から私と一緒に10回ほど練習して、乗れるようになれるかも分からないけど、そういう選択肢もある。やってみるかと言うんです。じゃ、とりあえず1回だけしようとなる。最初から10回全部をつきあおうと思ってないかもしれませんが。
 次に、論理療法的なのが電話ですね。電話をかけるっていうのはその人にとって、とっても大きなチャレンジだし、こわいし、大変だった。でも、相手に通じた、目的を果たせた、もちろん嫌なことはいっぱいあったけど、相手に通じた。これは昨日話した、エリスが18歳のときに、女の子とうまくいかなくて、植物園でいろんな人に声をかけて結局デートの相手は一人もできなかったけど、でも、思ったほどひどいことじゃないぞと、人生最悪のことじゃないぞと気づいたことと似ています。そのことをその人が意識されていたのかどうかは分からないけど、そのときの電話っていうのは、その人にとってものすごく大きな体験だったと思います。
 論理療法が、系統的脱感作(ステップバイステップの行動療法)とちょっと違うところは、論理療法は、当たって砕けろというのをやるんですよ。だって、ずっと待っていたらこわい。ちょびちょびやるという行動療法では、学校が怖い人は一歩ずつ近づく。それもひとつの方法なんですけど、論理療法は目をつぶってでも怖いところに行ってみる。行ってみたら、殺されるかどうか…。それがすべてに通じるかどうかは分かりませんが、今の電話の方はなんかそんな意味があって、ただそれが一人ではしんどいからね。誰かが後押しする。それが論理療法家ですよ。

伊藤 ああ、そうですか。そういうふうに、ぽんと後押しすることですね。僕らどもる人たちのセルフヘルプグループでも、またことばの教室の教師でもスピーチセラピストでも、できることと言えば、どもりを治すことじゃなくて、ちょっと背中をポンと押してあげることしかなんじゃないかと、僕はいつも言っているんです。(「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/21

吃音と論理療法 対談2

 昨日の、石隈利紀さんと僕の対談のつづきです。対談は、打てば響く、そんな感じで進んでいきました。とても気持ちよく、その場にいたことを覚えています。

伊藤 スキャットマン・ジョンというミュージシャンが、どもる人のためにスキャットマン基金を作ろうとして、僕ら国際吃音連盟の役員に使い道について意見を求めてきました。ドイツ、アメリカ、そして日本の私が役員でしたが、インターネット上でのやりとりで、吃音治療の実践研究のためにお金を使おうと話が進んでいる。そこへ僕が強く反対したんです。
 「あなたは、50才まで吃音を隠し続けてきたが、吃音を受け入れ、そのままの自分を認めて、CDのジャケットで自分の吃音を公表した。そうして楽になった経験をしているあなたの基金が、吃音を治すためにお金を使うのは残念だ。吃音と共に生きる、自分を受け入れて生きるという方向にこそお金を使って欲しい」
 この主張に、スキャットマン・ジョンは、とても喜んでくれました。
 「大賛成だ。シンジの言う通りだ。私もそういう意見が欲しかったんだ」と。そして、いろんなイベントや、本を出そうと、二人で盛り上がったんですが、あとの二人の役員が反対で、オブザーバーのカナダ人も大反対なんです。「吃音受容も大事だけど、治療をないがしろにしてはいけない。今自分があるのは専門的な治療を受け、喋れるようになったからだ。教師の生活ができているのは、治療のおかげだ」とカナダ人は言いました。少しでも普通に近づこうという発想なんです。

石隈 アメリカで治療という背景に、一人一人違うというすごい強烈な社会の思想があるけれど、同時に、健常に近づくという発想があります。アメリカでも最近は変わりつつあるんです。障害児教育の領域で、昔は知的障害のある方、精神疾患の方は、一般社会と離れて病院や治療するところで暮らしていた。これが最初です。それじゃおかしいと次に出てきたのが統合教育で、少しでもその子の能力に応じて、普通の子どもと一緒か、近いところでやろうと、一番障害の軽い子は普通学級、それから少し障害のある子どもは一日のうち何時間か行く通級指導の学級、もうちょっとしんどい子は一日中障害児学級にいる。もっと援助が必要な子は日本でいえば養護学校にいる。
 この発想が、ここ10年来、ちょっとおかしいんではないか、結局はどのくらい健常児に近いかと、言葉は悪いですけど段階分けをしている。もちろんその子の大変さに応じて、たくさんのケアがいる子と少しのケアがいる子と違うからそれ自体悪いことじゃなく、アメリカも一生懸命やってきているんです。だけど、どれくらい健常児に近いかというところに、今伊藤さんの言われた少しでも健常者、あるいは普通に近づくという発想がアメリカにもあったのかもしれないですね。それは今変わりつつあって、統合教育じゃなくて、融合教育というか、インクルージョンというのですけど、どうやったらみんながいっしょに生きていけるかを模索をしているところです。治療へのこだわりを、そういう文脈から私は感じましたね。

伊藤 なるほどね。吃音の特徴的なこととして、どの程度まで症状が軽くなれば積極的に社会に出て行けるか、これまでの生き辛さから開放されていくのか、その線引きがものすごく難しいのです。これはほかの障害とは全然違うところです。
 たとえば視力障害で何等級の障害であればこの位のハンディがあり、身体障害でもこれぐらいの障害ならこれぐらいのハンディがあるという、障害の程度によって一つの線引きがあるでしょう。ところが吃音の場合はない。ものすごくどもっているのに全然悩んでない平気でハンディを感じない人がいる。僕らが聞いてほとんどどもっていない人が20年生活している伴侶にも自分のどもりを隠して、人前で話すことを避けている。症状としては軽くても、その悩みは深い。ここに論理療法が入る余地があるんです。

石隈 なるほど。どうすれば自分の悩みが軽くなるか、あるいは自分の吃音とつきあっていけるかが、吃音という症状が少し軽くなるかどうかよりももっと先に来るというか、大事なことなんでしょうね。アメリカと日本と比べてそれぞれいいところがあるし、アメリカはやっぱり個人主義で、一人一人違うことのよさと、それを主張しなければならないしんどさと、それとさっき言ったやっぱり健常者への憧れというのが逆に強く出てくる。でも、本当は、健常者って一体何なのかというと何か分からないですよ。
 健常者とそうでない人がいるんじゃなくて、それぞれ人がいるんですね。だから日本では皆さんがやっている、まず吃音とつきあうことから始めて、実際は話し方の練習は自分でやりたい人がその人なりの方法でやる、その方が私にはぴったりくる。こんなやり方があるというのを、昨日伊藤さんがあいさつで言われたように、海外に輸出できればいいですね。スキャットマン基金の問題でも最初は反対していても、だんだん分かってくれるんじゃないですかね。文化の問題だから、時間がかかるかもしれませんが。

伊藤 私たちの、吃音と上手につきあうという提案も、スキルというか、技術的なことが伴うと、アメリカなども取り組んでくれるかも知れない。そういう意味では論理療法を一つの武器として、論理療法の取り組みを翻訳して提案ができればと思うんです。

石隈 論理療法は共通の言語になりますね。論理療法はアメリカではかなりメジャーで、よく使われている。カウンセリングを勉強する大学院の1年生の教科書に載っているぐらい。私も出会いはアメリカでカウンセリングのトレーニングを受けた1年目で、精神分析や行動療法と同じように、交流分析や論理療法が載っていました。
 吃音とつきあうというのはこれから日本が発信していくことができますね。ただアメリカは違う人種とつきあうというのは慣れているんですよ。これは白人と黒人とで苦しんできたから。自分の吃音とつきあうのは日本の方が上手かもしれないけど。お互いちょっと慣れている領域と考えれば、そんなに違わないかもしれません。

伊藤 日本の僕たちが吃音を受け入れる取り組みをまずやってみて、禅問答のように分かりにくいものでなく、論理療法という共通の言語を通して提案していけば世界に貢献できますね。

石隈 そう思います。だから一つの生き方というか、アメリカと日本とは全然違うけれどお互い学べる所がたくさんあります。今よく「共に生きる」とか言われますけどまだ私たちは苦手ですよね。だから吃音とつきあって生きるという生き方を論理療法という枠組みで訴えていけると、アメリカ人にも分かってもらえるし、アメリカ人も楽になるんじゃないですかね。
「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/20

吃音と論理療法 石隈利紀さんと伊藤伸二の対談

 1999年度の吃音ショートコースのテーマは、論理療法でした。筑波大学の石隈利紀さんの講義と演習で楽しく論理療法を学んだ後、僕との対談がもたれました。打ち合わせを全くしないままに始まった『吃音と論理療法』の対談は、石隈さんと僕のパーソナリティーがぴたりと合ったのか、論理療法への共通する熱い思いからか、楽しく弾みました。それまでもそれ以後もたくさん対談をしていますが、石隈さんとの対談は特別でした。まるで漫談のように軽妙に話は進み、参加者からは、聞くのも口にするのも嫌だった吃音についての話であれだけ大笑いするなんて信じられないとの感想がありました。テープ起こしされたものには、爆笑につぐ爆笑とあります。しかし、紙面には限りはあるので、漫談風の話はカットし、楽しさの雰囲気を伝えることより、内容優先としました。
 吉本新喜劇風の漫談バージョンではなく、クソマジメバージョンで対談をお届けします。

伊藤 『吃音と論理療法』と最初にお聞きになってどんな感じでしたか?

石隈 私は論理療法とのつきあいは長いですが、論理療法と吃音と言われた時に何かぴたっとこなかったですね。論理療法は、悩みがあって、落ちこんだり不安になったりする人に役立つのはもちろん知っていますし、自分のためにも使っていたんですが、吃音の方がどうやって論理療法を使っていらっしゃるのか知らなかったものですから。最初聞いたときはびっくりしました。私が果たしてお役に立てるか、私のほうが予期不安を抱いて、緊張しました。
 國分康孝先生が編集された本、『論理療法の理論と実際』に伊藤さんが書かれた章を読んで、ああそうか、吃音の方は論理療法を自分とのつきあい方で使っていらっしゃるのかというのを初めて知りました。

伊藤 アメリカにもどもる人はたくさんいるんですが、アルバート・エリスの論理療法研究所にどもる人はあまり来ないのでしょうか?

石隈 どうですかね。私はアラバマ州という南部の方と、最後はカリフォルニア州という西の方に住んでいました。アルバート・エリスは東の方のニューヨークに住んでいまして、時々しか会わなかったから、どういう人が来ているのか知らないで過ごしているかもしれませんけど。

伊藤 7年前に、『自分を好きになる本』(径書房)を書いた、アサーティブ・トレーニングセンターのパット・パルマーさんにサンフランシスコに来ていただいて、ワークショップを私たちが主催したんです。その時、アメリカのどもる人が相談に来ることがあるかとお聞きしたら、全然ないと言うんですね。言語療法には行っても、心理療法やカウンセリングには関心がないようなのです。

石隈 そうですか。吃音と論理療法の関係はアメリカで私は聞かなかったですね。何でですかね。こうしてみなさんがよく使っていらっしゃるのを見ると不思議ですね。
 英語のほうが、ぺらぺら喋ることに対してのこだわりが強いと思うんです。だけど、私もアメリカに行く前には、英語をアメリカ人みたいに喋れたらいいなあと思って行ったんですが、ぺらぺら喋るのはやはりアナウンサーくらい。そして、アメリカは、いわゆる白人のアメリカ人ばかりじゃない。アフリカ系、メキシコ系、アジア系のアメリカ人など、みんな言葉が違うんです。だから、一人一人言葉が違うということが、アメリカではわりに普通でしたね。
 これは喋り方だけじゃなくて、英語の種類とか語彙も人によって違うというのは、当たり前です。行って1年目ぐらいに、アラバマ州のバーミングハムという大きな(かつて鉄鋼で有名だった)町で、ジャパンウィークがありました。そこで、アトランタから日本人の外交官が来て、英語で話したんです。つっかえつっかえ、上手な英語じゃないが、アメリカ人はみんな、話の内容に喜んで拍手している。アメリカ人って、ぺらぺら喋ることに確かに憧れているけれど、一人一人が喋る場合は違うのかな、そんな感じを受けました。

伊藤 今までお話をうかがっていて、不思議に思うんです。アメリカはいろんな人がいて、一人一人が違うということは子どもの頃から身についているように僕は思えるんですが、どもる人たちのセルフヘルプグループですと、日本の僕たちがどもってもいい、人は全部違うじゃないか、と言うけれども、アメリカはやっぱり治す、治療を捨て切れないんですよ。

石隈 治す方ですか。何でですかね?。一人一人違うということは、僕らみたいにいい意味にとらえたら楽なんですけど、自分は他の人とどう違うかを相手にちゃんと伝えなくちゃいけない。こちらでおやりになった、平木典子先生のアサーティブ・トレーニングもそうですね。アメリカ人みんな喋って、えらそうな顔をしてるのに、何でアサーティブ・トレーニングがアメリカで流行ってるのかと思うでしょう。だけどアメリカ人でがんがん喋ってえらそうにしている人もいるけども、どんどん喋らないと置いていかれる、自己主張しないと相手が分かってくれないという辛さはあるでしょうね。それがしんどいです。日本は黙っていても分かってくれるという部分がまだありますね。その辺が違うかな。
 アメリカは確かに一人一人が違っていいんだけれども、違うことを言うのはあなたの責任だという部分がある。僕がアメリカの学校に勤めていた時の教員会議ですが、すごい。みんなワーと喋って早い。僕が喋ろうと決意する時は大体会議が終わる2分ぐらい前なんです。僕も言いたいのに、会議が終わる。しょうがないからメモに書いて、司会者に会の後で渡す。『トシ、おまえの意見はよく分かった。何でもっと早く言わんのか』って。早う言わんのかって言われても、みんなが早く喋りすぎなんです。
 自分のことは自分で言わないといけないというのと、思っているのを隠しているのは卑怯だということがあり、とりあえず皆がワーと言ってみて最後に決めようとするのがアメリカ的なんです。
 やっと何とか一言二言会議で言えるようになった頃、日本の教員になった。私の先輩の先生が、『石隈君、日本であんまりぺらぺら喋ったら嫌われるからね、会議の時は黙っときよ』って。私、会議では、日本に帰ってから2年間ぐらい無口でした。今は多少喋った方が分かってもらえるので喋ってますけど。

伊藤 他の人と違うということを、社会全体が分かってくれているということではなくて、自分自身が主張しないといけないというのは、きついですね。日本の場合は何となく違いを分かってよという、甘えのようなものが、ある程度許される。

石隈 関西弁で「ぼちぼちです」ってありますが、アメリカじゃ、ぼちぼちって、どのくらいぼちぼちかって聞かれる。ところで、アメリカでは吃音を治そうとしているんですか。
つづく 「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/19

吃音と電話

 昔は、どもる人の悩みの一番に挙げられるのは、電話でした。今はどうでしょうか。通信手段の多様化によって、一番ではなくなったかもしれません。すべての人が携帯電話をもつようになり、友人、知人なら、相手を呼び出す必要がなく、ダイレクトに相手につながります。彼女の家に電話をかけたとき、どういうわけか相手の父親が出ることが多く、苦労したのは笑い話になるくらいです。だからといって、電話にまつわる悩みがなくなったわけではないでしょう。大阪吃音教室に初めて参加する人からも、電話の悩みはよく聞きます。
 「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67で、論理療法を活用して、電話のことを考えようと書いています。電話の三段階活用と呼んでいます。巻頭言を紹介します。

  
電話と論理療法
            日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「すみません。今日僕、腹が痛くて、仕事にならないので休ませて下さい」
 吃音とまだ上手につき合えなかった学生時代。腹の痛みに堪え1時間かけてアルバイト先に出向き、今日休むことを伝えた。何度も公衆電話で受話器をとったが、体調だけでなくことばの調子がその日は最悪で、声が出なかった。どうしても電話ができないのなら、不精をきめて、無断欠勤という手もあったろうに、電話もできないほどの痛さだったと、翌日言い訳もできるだろうに、他の選択肢が全く浮かばないこの固さ、律義さ、愚直さ。電話は私に苦痛を与えるだけの道具だった。
 私に限らず、吃音に悩む人の具体的な悩みの筆頭は電話をすることだ。多くの人が電話にまつわる辛い体験を持ち、電話を苦手としている。電話さえなければこんなに吃音で苦しまなくてすんだのにという人もいる。
 4月入社の新社会人は今、電話のかけかたなどの研修中だろうか。一般的な電話のマナーはともかく、吃音に悩む人にとっては、電話とのつきあいは大きなテーマだ。電話で悩んできた先輩として、どもる人の電話と上手につきあう手掛かりを、論理療法を使いながら考えてみよう。フレッシュマンへの応援歌となればうれしい。

第1段階 電話をかける前
 電話をかける前の不安や恐れが入り込む前に、電話が鳴ったら間髪を入れずに受話器を取る習慣を身につけたい。しなければならない電話は、直ぐにかけることも大切だ。取ろうかやめようか、いつ電話しようかと思うと不安が大きくなる。なぜ不安や恐怖をもつのかも考えておきたい。これまでの電話による嫌な体験から、また、いたずら電話と間違えられて切られたり、怒鳴られるに違いないなどと思ってしまうからだろう。これは論理療法でいう《過度の一般化》だ。これまでの苦い体験が、今後も続くとは限らない。ガチャンと電話を切る人もいるだろうが、じっと聞いてくれる人もいる。人はいろいろだと考えた方がいい。

第2段階 電話での話し方
 「音声だけが頼りの電話だからすらすら喋らなければならない」と考えないことだ。音声だけが頼りだからこそ、早口だと通じない。これまでどもることでよく聞き返されたのなら、一音一拍、母音を押して丁寧にゆっくりと言うことを心掛けよう。どもるからではなく、相手により伝えるために、普段の話し方よりゆっくり話そう。
 また、本来の目的、相手に情報を伝えることに集中する。込み入った説明などの時は、伝えることをメモに書いておく。結論を先に言う習慣や、簡潔に要約して話す普段の努力も欠かせない。どもるどもらないにこだわると、これらの努力がおろそかになる。メモした文字を書きながら話すなど、工夫している人もいる。どもらない人なら見過ごしてしまうところで、私たちが努力することはある。
 また、コードレス電話のおかげで、歩きながら話せる、携帯電話で本人と直接話せるので楽になったという人もいる。

第3段階 落ち込まない
 得意先から「誰か他の者に代われ」と怒鳴られたり、上司から「電話もできないのか」と注意をされることがあるかもしれない。これらは、残念なことだが、だからといって自分をだめな人間だと思う必要はない。《過剰な反応》をして自分をおとしめることはないのだ。
 どのような場合でも、苦手な電話から逃げずに、最後まで電話した自分を褒めよう。
 吃音に悩む人がこんな苦労をしているなどは、どもらない人にとって想像もできないことだろう。多くの人は、電話を便利な道具として、楽しんでいる。電話を恐ろしいものだと考えるのではなく、便利なものだと考え、どんどん電話をするしかない。その内、悩んでいたことさえ忘れるほど、楽に電話している自分に気づくだろう。早口で何を言っているか分からない、流暢だが要領を得ない電話より、どもるけれど丁寧に、要領よく伝える努力をすることで、電話上手になる可能性がある。
 吃音親子サマーキャンプで出会う高校生の何人かが、みんなが持っている携帯電話を、どもるのが嫌さに持てないのだと嘆いていた。私たちの時代とは違う電話での悩みがある。しかし、どもるからと電話を恐れていたら損だ。たかが電話、されど電話。(「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/18

吃音と向き合う

 「吃音と向き合う」、「自分と向き合う」、今ではよく使われ、使い古された感じさえすることばですが、本当はとても難しいことを表していると思います。どもる子どもたちが、まずこの地点に立ってくれたらと思いますが、そのために、親やことばの教室担当者、言語聴覚士などの臨床家が、どもっていてはかわいそうと思わないことが第一条件です。このままでいい、どもっているそのままでいいと本気で本音で思える人であれば、どもる子どもの同行者としての条件をクリアしていると思います。
 「スタタリング・ナウ」2000年2月 NO.66の巻頭言「吃音と向き合う」を紹介します。

吃音と向き合う
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 劣等感をもっている事柄、自分を悩ませている事柄、否定したい事柄。これらのことに向き合うことは容易いことではない。心楽しいことでもない。できたら避けたいことでもある。
 吃音を否定してきた思春期の子どもが、自らの吃音と向き合うことの難しさを、私は吃音親子サマーキャンプの取り組みの中で、随分と体験してきた。キャンプに参加した子どもたちが、吃音と向き合うのが難しいのではない。キャンプに参加する思春期の子どもたちは、キャンプの参加を決めることで一番難しい第一歩を踏み出しているからだ。参加しようか、しないかの葛藤の中で、子どもたちは心の準備ができ、キャンプという装置の中で、同じように悩む仲間の支えで、子どもは実に吃音についてよく話し、吃音と直面していく。
 吃音と向き合うのが難しいのは、子どもの頃に、吃音について一切話題にしないできて、吃音について辛い経験をし、吃音を否定して、自己同一性の確立されていない思春期の子どもたちだ。吃音親子サマーキャンプのことを知った親や教師が、いくら参加を勧めても参加できない中学生や高校生は多い。
 自己同一性の確立とは、自分が何者であるか、自分は何ができて何ができないか、自分であることを確信することで、エリクソンは、これを思春期の社会心理的課題とした。思春期は嵐の時代だと言われ、病気や障害、あるいは深刻な劣等感をもっていなくても、揺れ動く、難しい時代である。その時代にさらに、自らを悩ませてきた吃音と直面するのは、極めて困難な課題だと言える。
 そこで、思春期の前段階である学童期は、まだ吃音と直面しやすい、取り組みやすいから、学童期に吃音をオープンに話題にし、吃音と直面することを提案してきた。また、さらに学童期の前段階である幼児期、吃音を意識したことをチャンスに吃音の早期自覚教育のすすめもしてきた。しかし、比較的、取り組みやすいと思われる学童期、吃音を直接的な話題にし、子どもが吃音に直面するのにどう立ち会うか、ことばの教室の担当者は悩んでいるという声を聞く。
 何故難しいのだろう。何故、親は、ことばの教室の担当者は、フランクに吃音について話せないのだろう。自覚しているにせよ、無自覚にせよ、吃音を全面的に肯定していないからではないか。「どもっていても大丈夫」だと、本音ではなかなか思えないからではないだろうか。子どもが「吃音と直面する」ことに立ち会う人は次のような人であって欲しいと思う。
◇自らが、自己肯定の人である。
◇吃音を悪いもの、劣ったもの、絶対に治さなければならないものだとは思っていない。
◇ユーモアのセンスがある。
◇自分自身、ことばの表現が豊か。
 吃音を否定的にとらえていない人がそれぞれのスタイルで、子どもが吃音と向き合うことに立ち会ってくださるのはうれしいことである。できれば治してあげたいの本音をもち、戦略的な吃音受容で、「どもってもいい」と言うのと、無条件に「どもってもいい」と言うのとは、実はものすごく大きな隔たりがあるのだと、吃音を否定することがいかに辛いことかがからだに染みている人間としては思ってしまう。
 子どもが吃音と直面する立ち会い人は、無条件の吃音肯定の人であって欲しいと、祈るような気持ちで願っている。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/16

吃音と論理療法

 石隈利紀さんをゲストに迎えた、1999年秋の、論理療法をテーマした吃音ショートコースを紹介してきました。今日は、その最後、参加された方の感想を紹介します。

吃音と真剣に向き合った
            長野県・佐久総合病院外科医 結城敬
 まずはじめに、今回初めてこのようないに参加させていただき本当にありがとうございました。私の人生に影のようにつきまとっていた「吃音」というものとあんなに真剣に向き合ったことは初めての経験でした。これまではいつでも自分一人の問題として「吃音」を考えてきたのに、同じ悩みを持つ大勢の方々とお会いし、じっくりと話すことができたことは素晴らしい経験でした。また、みなさんこころゆくまでどもっていてとても感激しました。どもるということはけっして恥ずかしいことではないのだと実感できましたし、あのように「あじ」が出るなら、どもるのも悪くないなと思いました。また、どもらない人たちが、まるで自分のことのように吃音に対して真剣に取り組んで下さっている姿にも感激しました。この年になってこんなに深く感動したことは初めてです。人との出会いで得られる感動は、本を読んだり講演を聞いただけでは得られないほど大きなものです。素晴らしい3日間をどうもありがとうございました。
 少し自分の話をしますが、私の母親も私同様にどもっていて、電話が大の苦手でした。店屋物を頼むときなど、電話がうまくできずにいつも父親から「どうしてそんなこともできないのだ」と怒鳴られ、陰でこっそり泣いていた母の姿を今でも思い出します。子どもの前で怒鳴られる母親がかわいそうで、自分自身の吃音のことも忘れて私も一緒に泣いたものでした。いつの日か必ず吃音を完治させて電話を恐れない人生を送りたいと思いました。
 あれから30数年が経ち、父も母も年老いました。もちろん私は今でも吃音と共に生きています。現在私は長野県の山の中で癌を専門とする外科医者をやっています。世界中で莫大な費用が癌研究に投入されているにもかかわらずその成果があがらず、癌と闘うのは無駄な努力であるとさえいわれてきましたが、ようやく少しずつ原因が解明されつつあります。吃音は癌とは異なり、死にいたる病ではありませんが、社会生活における死に匹敵するほどの苦しみを与えることがあります。吃音を受容できず治療法を探し求めることのみに時間を費やし、本当に自分のやりたいことができなくなってしまう人がいるのは非常に残念なことですが、私の場合、ここまで母親と自分とを苦しめた吃音というものの正体をどうしても見たいのです。それがやりたいことなのです。それが、自分を肯定することなのです。というのは、最近私の甥に強い吃音症状が出始め、人とあまりつき合わなくなってきたからなのです。私自身は吃音に対する受容もできつつあり、もう治らなくてもいいような気がしています、けれども自分が生きている間に一歩でも二歩でも吃音の正体に近づきたい。そんな気持ちでいっぱいなのです。


私が参加する訳
             滋賀県・草津高校図書館司書 中嶋みな子
 「どもる人でもないし、ことばの教室の先生でもないのにどうして参加していますか」と尋ねられ、ふっとわたしにも分からず「何となく」とこたえてしまいました。
 「吃音ショートコース」という名称で、日本吃音臨床研究会が主催されているのです。ところが、中味は吃音というより、人の生き方、自分のからだやこころについて、共に話し合ったり、共に勉強したりするようなのです。とても不思議に思うことがあります。
 だから、吃音の人にもことばの教室の先生も吃音のことを話しながら、生き方を話し合っている。つらい吃音の体験を話しながら、みんな、イキイキとノビノビと映っている。
 人はみんな、異なる明るさや楽しさを持っていると自覚し、解放されるワークショップはこの「吃音ショートコース」以外にないのでは?と痛感します。
 今回の体験発表の松本さん、去年の同室だった岡本さんの時のように、泣き笑いの感動でした。石隈利紀さんの論理療法も実践的で分かりやすく理解もでき、何だか肩の力が抜けました。村田喜代子さんの講演も村田さんの生き方と個性にひかれました。「まっとうに生きる」が印象に残りました。
 私自身は去年よりも落ち着いて生き方を学べ、省みることのできた3日間でした。
 今は「だから私は参加しています」と答えます。答えになりましたでしょうか?

 選択肢を広げる
              広島市立皆実小学校ことばの教室 楢崎順子

 3年前、吃音ショートコースに初めて参加した。その当時、教室に通ってくる吃音の子どもたちを目の前に、どう支援したらよいか分からず悩んでいた。そして、成長して大人になったときの姿が見えないまま、子どもたちを支援することなんてできない、どうしても成人のどもる人に直接会って話してみたい、そんな強い気持ちから参加した私。
 共に語り、共に過ごしたあっという間の3日間。その間、私は吃音があるとかないとかいうことをすっかり忘れていた。「どもることは、悪いことでも、人より劣ることでもない」「どもっていてもあんなに素敵に生きていける」ということを確信して帰路に着いたことを昨日のことのように思い出す。
 それからの私は「どもっていても、それがあなただよ。そのままのあなたでいいんだよ」そんな思いが溢れる中、吃音の子どもたちと接してきた。"吃音をマイナスにとらえてほしくない"との思いも強く、子どもたちと吃音について語り合ってきた。その中で、ある子どもは「どもっていても、わざとじゃないから仕方がない」「無理に治そうとしなくても、まっいいか、自然によくなるかと思っていたら、ちょっと楽になる」と吃音はマイナスではないということをその子なりに理解してくれた。
 でも、「つまってもいいように、リラックスするために、この教室に来ているんだよ。ここでしっかり遊んだら、嫌なことを忘れてスッキリするもん」そのことばからは、「吃音を軽くしたい。治したい」という気持ちを持ち続けていることが痛いほど伝わってくる。そんな子どもたちをこれからどう支援していけばいいのか行き詰まり、3年ぶりに吃音ショートコースに参加した。
 今回、論理療法を学び、どうして行き詰まったのか、私の中のイラショナル・ビリーフを探ると「吃音を受け入れなければならない」という考えがあることに初めて気づいた。「吃音を軽くしたい。治したい」今のその子の気持ちがそうなんだから、それもひとつの選択肢、それもOKなんだということが分かった。そして「吃音を受け入れなければならない」から「吃音を受け入れるにこしたことはない」という考え方に変えると、気持ちがとても楽になった。これからは、その子の「吃音を軽くしたい。治したい」という気持ちに寄り添いながら、その子がその子らしく楽に生きていけるように支援していこうと思う。
 3年ぶりの吃音ショートコースは、また、新たな刺激を私に与えてくれました。

自分自身のために
                大阪府豊中市・看護婦 松本文代
 今まで娘の愛子と共に吃音親子サマーキャンプに参加していましたが、もうキャンプにつき合う必要もなくなり、これからは、自分自身のために活動してみようかなと思い、初めて吃音ショートコースに参加しました。
 参加するにあたり、『意見発表を希望される方は・・』というのが心に残り、娘の吃音との12年間と成長を皆さんに伝えたいという思いにかられました。発表にあたり、今までのことを振り返ってみました。こういう機会でもなければ、振り返ってみることもなかっただろうと思います。
 3歳からの発表に始まり、教育研究所に通ったこと、学習発表会で笑われ辛い思いをしたこと、伊藤伸二さんとの出会いによりサマーキャンプに参加するようになったこと、次々と思い出されてきました。サマーキャンプに参加するようになり、大阪吃音教室の方々とのふれあいの中での成長ぶりが、心の中を熱くしました。また、自分のことも振り返り、みつめ直すこともできました。
 自分の発表まで胸がドキドキしていましたが、マイクの前に立ち、マイクが高すぎてドッと笑いがとれてから、スーッと緊張もとれ、リラックスして発表することができました。初めて発表ということをしましたが、和やかな雰囲気の中で、安心して発表できました。思ったより反響があり、いろんな方から声をかけられました。看護婦ということもあり、医者や看護婦の方もおられ、話も弾みました。また、愛子を知っている方からも「愛子ちゃんによろしく」と言われたり、サマーキャンプでの話を聞かせてもらいました。改めて、娘の愛子の大きさに驚きです。
 午後からの石隈利紀さんの論理療法は、分かりやすくて、おもしろく、長時間というのも忘れて学ぶことができました。吃音だけでなく、仕事や日常生活など、いろいろな場面で活用できることが分かりました。今まで落ち込んだり、腹が立ったりすることが多かったように思いますが、考え方により、気持ちを楽にすることができるように思います。
 今回、ショートコースの参加と、意見発表により、自分が前向きに変われたような気がします。やはり参加するんだったら発表してよかったと満足感でいっぱいです。
 昨年は、『どもる人のための、からだとことばの公開レッスンと上演』に参加し、今年は吃音ショートコースでの意見発表をしました。来年も、何かに参加できるようにがんばろうと思います。(「スタタリング・ナウ」1999年12月 NO.64)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/15
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