伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2023年01月

冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』に寄せて 3

 昨日の内須川洸先生に続いて、水町俊郎先生の感想を紹介します。僕の考え、僕たちの活動をじっくりと見て、しっかり考え、理解し、応援してくださった方でした。
 水町先生との共著で、ナカニシヤ出版から『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』を出しました。自分の担当の文章を仕上げ、出版を楽しみにされていた先生は、本の完成を待たずに病気のため亡くなられました。亡くなられる一ヶ月ほど前、愛媛大学の水町研究室で3時間ほど、最後の編集会議と、吃音談義をしました。後でお連れ合いに聞いた話ですが、この日はとても元気で、うれしそうだったそうです。僕との最後の吃音談義をするために、一時退院し、僕と会った翌日再び入院し、その後一ヶ月もたたないうちに亡くなられました。水町先生から付箋をいっぱい貼った本をいただきました。メモもいっぱい書いてありました。他者からいろんなことを貪欲に学ぼうとしていた水町先生の誠実さを感じ取ることができました。亡くなる前に、しっかりとお話ができて本当によかったと思います。僕がもう少し早く文章を書き上げていたら、完成した本を手にしていただけたのにと悔やみましたが、先生と共著で、〈治すことにこだわらない〉とのタイトルをつけて本を出版できたことは、大きな喜びでした。
 『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)は文字通り、水町先生の遺作となりました。当時64歳だった水町先生よりも、僕は遥かに年上になりました。もうすぐ79歳ですが、そのことが不思議でなりません。水町先生の書評を紹介します。

ガイドブック『吃音と上手につきあうための吃音相談室』の書評
              水町俊郎 愛媛大学教授


 私は日本吃音臨床研究会から発行されている諸々の出版物の「読者」、というよりも「熟読者」です。ただ、最近は附属養護学校の校長を併任していることもあって、残念ながらそれらの出版物の全てにじっくり自を通す心理的余裕がありません。しかしこの度、『吃音と上手につきあうための吃音相談室』というガイドブックをお送りいただいたのを機会に、久しぶりに自分なりにじっくりと読み、読後感をまとめさせていただきました。
 「はじめに」にも書いてありますように、1978年に『どもりの相談』というパンフレットが発刊されており、今回のガイドブック『吃音と上手につきあうための吃音相談室』はそれを充実させるという意図のもとに改変されたとのことです。私はこの読後感をまとめるにあたって、久しぶりに『どもりの相談』にも目を通しました。21年前のパンフレットと今回の『吃音相談室』に共通していることは、まさに、「具体的吃音対策法というよりも、具体的な吃音問題の背後にあるどもる人の生き方」を問うているその姿勢そのものです。この度の『吃音と上手につきあうための吃音相談室』は、その基本的姿勢を堅持しながらも、改変の意図どおりに、前回のものよりもずいぶん充実した内容となっていました。この21年間の関係者の継続的な前向きの努力の跡を随所にかいま見ることができました。そのひたむきで、真摯な姿勢に心から敬意を表したいと思います。
 以下では、私がとくに印象深く思ったことことを中心に、簡単に読後感をまとめさせていただきます。

(1)吃音の先輩の経験が「見本」として提示してあること
 「エリクソンのライフサイクル論」や「吃音に悩んでいる十代の君たちへ」の章は、伊藤伸二さんの自分史を骨子にしてまとめてあります。このことをどう捉えるかということと関連して、「見本」と「手本」ということについて述べてみたいと思います。
 作家の五木寛之氏は、「生きるヒント4」(文化出版局)で、「ここに書かれたことは、ひとつの見本です。それを見て笑うもよし、呆れるもよし、反対するもよし、自由に受け取ってもらえば十分です」と述べています。「手本」とは「習字のお手本」ということからも分かるように、そっくり真似るためのものです。しかし、「見本」とは、ひとに判断の材料を提供するだけのことで、それをどう受け取るかは各自の判断に任されています。伊藤さんも再三にわたって、これはあくまでも「見本」であるという主旨のことを述べておられます。私は、伊藤さんの提示された「見本」は、吃音の読者に判断の材料を提供するという「見本」本来の役割を十分に果たしていると思います。

(2)思春期のどもる人の問題を取り上げていること
 吃音の問題を考えるとき、これまでは往々にして、幼児やせいぜい小学校低学年あたりまでの子どもやその親、それと成人のどもる人のことが中心に取り上げられ、中学生や高校生のような思春期の吃音の問題は等閑視されてきたように思います。その点、「吃音に悩んでいる十代の君たちへ」の章はとくに、吃音問題の「谷間」を埋めるための数少ない試みのひとつとして高く評価できると思います。
 『自分を好きになる本』で有名なパット・パルマーさんは、彼女のもう一冊の本『おとなになる本』(径書房)の中で、生きる方向を見失っている若者に対して、まず「自分の現在地」を確認することを勧めています。このガイドブック『吃音と上手につきあうための吃音相談室』は、吃音という森に迷い込んでいる若きどもる人が、「自分の現在地」を確認する作業を開始しようとする時、おそらく良きガイド役を果たしてくれることでしょう。

(3)どもる子どもをもつお母さんへの提言が詳細かつ具体的であること
 「お母さんへ」の章に一番多くのページが費やされていますが、量が多いだけではなくて、質の面においても読みごたえのあるものになっています。吃音が問題となるのは、吃音を《隠す、逃げる》、《否定する》ようになることであるという視点から、どもる子どもがそのような方向へ進まないための親のあり方について述べられています。「親がまず吃音を受け入れない限り、子どもが吃音および自分を受け入れるようにはならないこと」、「吃音をできるだけ意識させない接し方ではなくて、吃音のことをオープンに話す、いわゆる吃音の早期自覚教育が必要なこと」、「コミュニケーション能力を育てるという観点から子どもに接すること」、「DCモデル、あるいは交流分析の考え方を参考にして子どもに対する自分の接し方を問いなおしてみること」などがこの章で述べられているポイントではないかと思います。これらの提言は、どもる子どもを抱えて悩んでおられるお母さん方にとって貴重な指針となることでしょう。

(4)どもる子どもの学校生活を豊かにするという視点からの提言がなされていること
 ガイドブック『吃音と上手につきあうための吃音相談室』の大きな特色の一つは、「学級担任の先生へ」の章を、言語障害児教育の現場の状況に詳しい堀彰人先生が執筆されているということでしょう。「学校生活の中で、どもっているその子が受け入れられ、どもっていても自分を表現し、その子らしく学校生活を楽しむことができているかが大切なことです」、「一方的な推測をもとに配慮するのではなく、直接子どもと話し合いながら不安や緊張への対処を考えていけることが理想だと思います」、「どもることが目立ってきても、それが必ずしも悪い状態ではなく、心理的に成長し始めている時期であることが少なくありません」、「"〜しない子"というように、その子の側だけで見るのではなく、相手や状況との関係による相違を見ていくことが必要です」というような貴重な多くの提言がなされています。それと同時に、学級担任とことばの教室担当の先生との連携によって、子どもの学級での生活がとても円滑にいくようになった例が数多く紹介されています。
 受け持っているどもる子どもとの日常の係わりの中で戸惑ったり、不安に思ったりしておられる学級担任の先生方には大いに参考になることでしょう。(「スタタリング・ナウ」1999.7.17 NO.59)


親の会パンフレット表紙 水町先生がここまで評価してくださった冊子は今は絶版です。その後、冊子は、芳賀書店から『吃音と上手につきあう吃音相談室』として出版しましたが、それも絶版となりました。そして、今は、NPO法人全国ことばを育む会から、『吃音とともに豊かに生きる』として出版されています。価格は、送料を含めて700円です。ご希望の方は、700円分の切手を同封して、下記までお申し込みください。

〒572-0850 寝屋川市打上高塚町1-2-1526

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/19

冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』に寄せて 2

 一昨日に続いて、冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』に寄せて書いていただいたものを紹介します。内須川洸先生と水町俊郎先生です。内須川先生は、日本吃音臨床研究会の顧問で、この冊子の前身『どもりの相談』の監修をしてくださいました。水町先生は、どもる人の立場に立ち、研究を続けられました。お二人とも、僕たちの良き理解者でした。まず、内須川先生からです。

『吃音と上手につきあうための吃音相談室』をおすすめします
   内須川洸 筑波大学名誉教授・昭和女子大学大学院教授


 どもる人やどもる子ども、そしてその保護者にとって、またどもる子どもに係わる普通学級担任教師や通級指導教師にとっても、また、社会に正しく「吃音」を紹介する啓蒙書としても、大変親切で適切な100頁ほどの小本が発刊されました。日本吃音臨床研究会 吃音ガイドブック『吃音と上手につきあうための吃音相談室』です。
 この本は、「吃音と上手につきあう」という基本方針のもとに編集されて首尾一貫していて明快です。
 最初に、エリクソンのライフサイクル論とウェンデル・ジョンソンの言語関係図から基本構想が紹介されています。それぞれの立場、つまり「お母さんへ」、「学級担任の先生へ」、「吃音に悩んでいる十代の君たちへ」、「成人のどもる人へ」といくつかの項目に分けて親切に分かりやすく書かれています。
 巻末には資料として吃音の基礎知識が披露されています。吃音の定義、原因、治療の歴史など、吃音と上手につきあうにはこれだけの基礎知識が必要という心使いからでしょう。なによりも説得力のあるのは、伊藤伸二さん自身が日本吃音臨床研究会の会長として、いろいろな人々と吃音研究を臨床的に探求してきた体験に基づいていること、また、彼自身の吃音体験が随所にちりばめられている点でしょう。さらに、普通学級や通級指導のベテランの協力を得て協同執筆されている点です。その内容については、きっと読者の皆さんも一々首肯されることが多いことでしょう。
 吃音に係わりのある人々、未だ吃音を知らない多くの人々に是非ご一読をお薦めします。残念ですが、私自身は吃音体験を持ちません。しかし、約50年間にわたり「吃音研究」に従事してきた一吃音学者ですが、どもる人やどもる子どもを通じて実に多くの貴重なことを学ばせていただきました。「残念ですが〜」と申したのは、私がどもっていたら、今よりもっと多くの、そして遥かに深いさまざまな学びを得ただろうと感じています。
 ガイドブックいや書籍というものは、どのように優れたものであっても、それ自身に"力"をもつものではありません。読む方々の勇気ある前向きの態度と実践にこそ生きる"力"を生むものでしょう。先哲の師が「人間! この未知なるもの」と叫んだように、「吃音! この未知成るもの」にこそ何かが隠されているに違いありません。(「スタタリング・ナウ」1999.7.17 NO.59)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/18

冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』に寄せて 1

 「人生案内」の回答者である三木善彦さんが、冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』について、感想を寄せてくださいました。三木さんの文章と、「人生案内」を読んで、冊子を注文してくださった方からの手紙の一部を紹介します。
 「スタタリング・ナウ」1999.7.17 NO.59を紹介します。

気持ちが楽になって、生きる勇気がわく本
                  三木善彦 大阪大学人間科学部教授
 私は読売新聞「人生案内」の回答者の一人ですが、最近別掲のような質問が届けられました。吃音について以前にも伊藤伸二さんに相談したことを思い出し、連絡をとって今回もすてきなアドバイスを得て、よい回答ができました。そのとき「最近いい冊子が出ましたので」と送って下さったのが、冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』でした。
 この冊子はこれまでの吃音の原因論や治療論を公平な観点から述べ、ご自分の経験やいろいろな人の経験を踏まえて、「吃音と上手につきあう」コツを分かりやすく紹介しています。本書を読めば、どもる人やその家族がもちやすい罪悪感や自責感、あるいは劣等感を解消し、生きる勇気が湧いてくるように思いました。
 ことばの障害に限らず、どのような障害や後遣症や病気であっても、そのハンディキャップを本人がどのように受け取るかが、その人の人生の質を決めるのではないでしょうか。ハンディキャップをもつと、それに引け目を感じて消極的になり、対人関係を避け、障害がなくなった日を夢見ながら生きがちです。しかし、ハンディキャップをもちながらも、もちろん時には嘆いたり悲しんだり恥ずかしく思ったりしながらも、積極的に対人関係を楽しみ、自分のやりたいことをする姿勢の人も多くいます。
 本書によって吃音に悩む多くの人や家族や教師や仲間が、吃音への理解を深めていくことと思います。たぶん、この本は好評でそのうち売り切れると思いますので、次に印刷するときは、伊藤さんが全国巡回相談会で全国行脚のとき「どもりながらも、明るく、健康に自分なりの豊かな人生を送っている」人々に出会って感動した話がありましたが、私たちも誌上でだけでも会いたいので、このような人たちの手記などを載せていただければありがたく思います。


吃音相談室 2種表紙_0002 三木さんの感想を紹介しましたが、全国からいただいた750通の反響がありました。綿々とお手紙を書いてくださった方もたくさんいらっしゃいます。そのほんの一部をご紹介します。

○自分で言うのも変ですが、私は人間はよいと思っています。でも、吃音でことばが出るのが少し遅れるだけで相手の態度が変わるのがくやしいです。言いたいことが2割くらいしか言えず、伝えたいことが思ったように伝わっていない気がします。どもらずに話せないのかと言われると、よけいにのどに力が入り、口ごもってしまいます。何にしても損しているのが目に見えるので、治るものなら治したいです。(福岡県・T)
○わが家の5歳の長男は、3歳の夏に急にどもり始め、何か言い始めたら最初のことばが出せなく、本人も苦しんでいます。ゆっくりしゃべったらいいよと言ったりしているのですが、そのことでしゃべるのもいやになっても困るのでじっと聞いているのですが、そうかと思うと、どもらずにしゃべるときもあってどうなっているのだろうと首をかしげています。病院に相談に行こうかと悩み、どうしようと思っていたら、新聞の記事が目に入りました。ある所で、母親の愛情不足じゃないですかと言われましたが、そんなものなんでしょうか。(姫路市・Y)
○中学1年生の娘をもつ母親です。3歳のときから徐々に悩み始めました。落ち着いて話せと親として子どもに押しつけていたような気がします。私よりも子どもの方がもっと悩んでいるのにと思うのですが、つい口に出てしまいます。中学に入ってから緊張と不安からでしょうか、今まで以上にひどくなってきました。ひとりでずっと悩んできたと言われるAさんの気持ち、よく分かる気がします。この本をぜひ読んで娘と一緒にがんばってみたいと思います。(神奈川・H)
○小学校5年の長男です。ことばを喋り始めたときから、どもっています。今は、先生方の指導や友だちに恵まれ、どもりながらも一生懸命話します。でも、このまま一生この子は治らないのかと思うと、将来がとても不安です。これからの親の心構え、また本人が嫌な思いをしたときの乗り越え方など、参考にしたいと思いました。(静岡・Y)
○6歳になりますが、3歳頃からずっとどもりで悩んでいます。来年から小学校です。彼は精神的に弱いところがあり、気もやさしく他人のことをとても思いやる事のできるタイプの子どもです。専門の先生にもどもりになりやすいタイプの子どもだと言われました。本当にそうなのでしょうか。困っていたところでした。(埼玉・E)
○小学校4年生の息子、3歳頃からどもり始めました。神経小児科やことばの教室にも行きました。本人もどもることにめげて暗くなったり落ち込んだりはしないで明朗活発です。以前に比べて少しよくなったりまたひどくなったりと波があるようです。本人も吃音を自覚していて、一生懸命頑張っています。私たち親も気にしていないといえばうそになりますが、本人の全てを認めて成長を見届けたいと思っています。しかし、本心は完全に治ってくれればと思っています。この本を息子と一緒に読んで吃音と向き合っていきたいと思います。(山口・M)
○私は35歳の主婦ですが、子どもの頃から吃音で悩んでいます。現在では、自分の子どもにも真似をされ、ばかにされています。仕事や対人関係もうまくいかず、落ち込んでいる次第です。特にひどいときは独り言を言うのさえままならないくらいです。(茨城県・H)
○15歳の女子高生です。授業中、声がのどのところまで来ていても、喋ろうとするとことばが出ないのですが、友だちや家族とだとことばが出ます。だから、吃音のときとそうでないときがあるのです。私にとって今とても辛いのは、授業中です。ちゃんと予習などをして理解していても当てられると声が出ないために理解していないと思われるのがとても辛いです。高校生活もまだスタートしたばかりだし、人生もまだまだ先は長いので、吃音の治療法も確立されていないのだったら、いっそのこと吃音と上手につきあっていこう、そして吃音でも楽しい人生にしようと思い、この冊子を読もうと思いました。(仙台市・N)
○小学校4年の娘、毎日の宿題の音読で苦しそうな表情をしていると、心が痛みます。(埼玉・K)


 冊子を申し込んできた時の手紙の内容を紹介しました。この人たちが、冊子を読んで、少しでも吃音と共に生きるヒントを得られたらと願っています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/16

読売新聞の「人生案内」 回答者は、三木善彦さん

 先日紹介した巻頭言に書いた、読売新聞の「人生案内」を紹介します。相談者は、20代の主婦で、これまで誰にも吃音のことを相談してきませんでした。子どもに本を読んであげることができないのが辛いという切実な内容です。それに回答するのは、大阪大学教授の三木善彦さん。内観療法を広めた人で、僕たちの吃音ショートコースの講師として来ていただいたこともありました。相談内容と回答を紹介します。回答の中で、三木さんが紹介してくださったのが、『吃音と上手につきあうための吃音相談室』でした。

【人生案内】 幼いころから吃音の20代主婦 子どもに本を読んでやれない

スタナウ57〜62 新聞記事_0004 人生案内 20歳代の主婦です。幼いころから、吃音に悩んできました。
 自分の思っている言葉が口から出てこないのです。頭の中で考えていることが、のどのところまで来ているのに、しゃべろうとするとことばが出ず、顔の表情までおかしくなるのです。
 子どものころはまだよかったのですが、この年齢になると、いろいろな付き合いがあるので、ものすごくつらい思いをしています。
 子どもの保育園の先生ともうまく会話できませんし、なにより、子どもに本を読んでやることができません。
 死ぬまでこのままなのかと考えると、本当に悲しくなります。これまで、だれにも相談できず、一人でずっと思い悩んできました。どうかよいアドバイスをお願いいたします。(岡山・A子)

【回答】 三木善彦 大阪大教授
 吃音の原因はいまだに解明されておらず、治療法も確立されていません。人口の1%の人が吃音だといわれていますが、あなたのように深刻に悩んでいる人と、そうでない人がいます。その差は吃音について知り、上手につきあっているかどうかです。吃音を隠し、話すことから逃げていると、ますます話せなくなり、悩みが深まります。
 「私は吃音の癖があるのよ。聞きにくかったら、ごめんね」と言って、恥ずかしくても勇気を出して話すようにしましょう。子どもにもどんどんと本を読んであげましょう。丁寧にゆっくりと読むことは、言語訓練になります。
 言葉が不自由でも、人と交際し、やりたいことをやれば、楽しい人生になります。吃音に負けずチャレンジする姿は、子どものよい手本になることでしょう。
 「吃音と上手につきあうための吃音相談室」という冊子は、本人や親や教師にも参考になります。日本吃音臨床研究会(〒572・0802大阪府寝屋川市打上919の1のBの1526、電話 072-820-8244)まで、500円切手同封で請求してください。
               1999年6月25日付け 読売新聞 「人生案内」


 この冊子はもうありませんし、日本吃音臨床研究会の住所も変わっていますが、大きな反響がありました。

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/15

2023年の活動が、本格的に始まりました

 新しい年を迎えたかと思っていたら、早くも月半ばとなりました。ブログ、しばらくお休みしていました。
 2023年の始動は、1月7・8日からでした。東京で、今年のテーマである「どもる子どもが幸せに生きるために」をどう具体化していくか、合宿をしました。夏に開催する「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」のテーマであり、今、僕の大切なキーワードになっています。「幸せ」とは何か、みんなでKJ法で図解をしていきました。いろいろな視点からの「幸せ」が浮き彫りになっていきました。今年、これから、どう広がっていくか、とても楽しみです。
 9日は、毎年恒例の東京での吃音ワークショップでした。10回目になります。今年も、東京近辺だけでなく、鹿児島、大阪、富山など遠くからも参加があり、15人で、濃い時間を過ごしました。吃音ワークショップという名称なのですが、吃音にとどまらず、生きることにつながる話が展開されていくのが、毎回、おもしろく、刺激をたくさん受けています。中学生のときに、吃音親子サマーキャンプに参加したことがあり、今は大学生になっている人も参加しました。3年前に初めて参加した人とも再会しました。コロナのために3年間会えなかったのですが、その空白など感じさせないつながりを感じました。たった一日、それも10時から17時までの7時間、共に過ごしただけなのに、本当に不思議です。午前中は自己紹介の後、一番聞きたいことの質問を受け、午後は、公開面接を希望した人と対話をしました。場を支える人がいるからこその対話ができました。会場を出なくてはいけないぎりぎりまで使っていました。
 そして、大阪に帰ってきて、ニュースレター「スタタリング・ナウ」の編集・入稿と、かなりのハードなスケジュールが続きました。ようやく入稿が終わり、ほっとして、このブログ投稿の時間がとれたというわけです。長期の東京滞在だったため、手紙や書類、年賀状の整理もさきほど終わったところです。会えないけれど、つながっている人の近況がわかり、よかったなあと思います。
 さあ、新しい年が動き出しました。できることを精一杯取り組む1年にしていきたいです。よろしくおつきあいください。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/14

『どもりの相談』から『吃音相談室』、そして『吃音と上手につきあうための吃音相談室』、さらに『吃音とともに豊かに生きる』へ

パンフレット2冊 1978年、『どもりの相談』という淡いグリーンの表紙にりんごのイラスト入りの薄いパンフレットを発行しました。どもる子どもの保護者へ、通常の学級の先生へ、成人のどもる人へ、手紙の返事の形をとって、僕たちが大切にしている吃音の考え方、取り組み方をコンパクトにまとめてお伝えしたものでした。
吃音相談室 2種表紙_0002 それから21年後、『どもりの相談』の改訂版として『吃音相談室』という冊子を発行しました。その冊子を、読売新聞の人生相談を担当しておられた大阪大学教授の三木善彦さんが、寄せられた人生相談の答えの中で、紹介してくださいました。500円という安価だったこともあり、たくさんの注文がありました。そして、記載された自宅の電話番号宛てに電話相談もたくさんありました。
吃音相談室 2種表紙_0001 売り切れ絶版になった『吃音相談室』は、その後、芳賀書店から『吃音と上手につきあうための吃音相談室』として多くの方に読まれて、版を重ねました。さらに、内容は全く違ったものになりましたが、伝えたい精神は引き継がれ、素敵なイラストの黄色い表紙のNPO法人全国ことばを育む会の両親指導の手引き書㊶『吃音とともに豊かに生きる』になりました。
 新しい研究成果や、精神医学などの最新のトピックスを取り入れていますので、内容は変遷してきましたが、底に流れるものは50年以上変わっていません。吃音をマイナスのものとしないことをベースにした、コンパクトで、それでいて中身の濃い入門書です。この『吃音とともに豊かに生きる』のパンフレットを、どもる子どもの保護者の参加している吃音キャンプや講演会、研修会で、僕は、いつも「一家に一冊、常備薬ならぬ常備本として、持っていてください」と紹介しています。1冊700円(送料含む)です。まだお持ちでない方は、ぜひ、ご注文ください。700円分の切手を下記までお送りください。
〒572-0850 寝屋川市打上高塚町1-2-1526 伊藤伸二まで
親の会パンフレット表紙
 さて、今日は、「スタタリング・ナウ」 1999.7.17 NO.59の巻頭言です。
 「どもりの相談」に寄せていただいた、アメリガ言語病理学の第一人者、チャールズ・ヴァン・ライパー博士のことばから始まります。

  750通の手紙
                  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 ―恐怖・差恥・無知、私たちはこれまでこの3匹の悪魔にとりつかれてきました。その中でも、無知という悪魔は最も手ごわく、そのためにどもりは、わけのわからない《のろい》のように思われてきたのです。
 この冊子は、3匹の悪魔すべてと戦うために編まれました。特に、無知という悪魔と戦うために、どもる人自身にもまたどもる人やどもる子どもの周りの多くの人々にもどもりの本当の問題は何かを知らせています。私たちは、どもりながらも実りのある人生を送ってきた多くの先輩たちに学び、どもることによって起こる恐怖から逃げたり隠れたりせずどんどん話していかなければなりません。そうすることがどもりのことをあまり知らない人々が作り上げたどもりに対する悪いイメージを変えていくことにもなるのです。
 どもることはそれ自体少しも恥ずかしいことでもなく恐れるものでもありません。ただ、どもらないようにふるまおうとすることに問題があるのです。どもることを恐れ、恥ずかしがり、どもっていたら自分のやりたいことが何もできないと思いつめることにこそ問題があるのです。
 どもりにとらわれたあまり犯してきた私たちの失敗を、どもる子どもたちが繰り返さないように、また私たちの仲間が自分を無価値な人間であると思い込んで卑下することのないように、私たちは私たち自身を変えていかなければなりません。また、社会を啓蒙していかなければなりません。
 どもるからといってそれにとらわれ、自分の人生を台なしにするのではなく、輝きあるすばらしい人生を共に送っていきましょう―
                チャールズ・ヴァン・ライパー
                    ウエスタンミシガン大学教授(言語病理学)

 これは、私が21年前に、『どもりの相談』という小冊子を書いたとき、その構想と内容とを詳しくヴァン・ライパー博士に知らせ、巻頭言として書いていただいたものだ。
 今回の冊子、『吃音と上手につきあうための―吃音相談室』にそのまま使ってもふさわしい内容だ。吃音に関しては大きな変化のないことを、今更ながらに感じざるを得ない。

 『6月25日は家にいて下さいよ』
 三木善彦・大阪大学人間科学部教授から電話をいただき、覚悟はできていたものの、これほどまでの反響とは思わなかった。その日は一日中、全国からの電話は数分の途切れもなく夜の8時ごろまで続いた。10時間以上も電話の前にくぎづけになった状態で、直接たくさんの生の声が聞くことができてありがたかった。
 33年前、吃音を治したくて、ワラにもすがる思いで、民間吃音矯正所を訪れた頃の私がそのまま、今、電話口の相談する側にいるような感じだった。
 吃音に関しては適切な情報がなく、多くの人がひとりで悩んでいることを改めて知った。また、どもる子どもがまず相談に訪れる所や、最初の相談相手が、適切な対応をしていないことが少なくないことも分かった。
 一方で幼稚園などからの大量の注文が入ったり、自分の担任している子どもの理解のためという教師や、教員養成大学の学生から教師になるために知っておきたいとの電話はうれしかった。
 新聞が掲載された翌日の土曜日にはすでに30通の手紙。月曜日には200通。そして、2週間たった今現在、750通を越えた。切手だけが同封されてあるのもあるが、多くは一筆が添えられていた。これまでの吃音についての悩み、将来への不安。子どもについての悩み。『どもりの相談』から21年。今この時期に『吃音相談室』を出版できた意義を思った。
 「吃音と上手につきあう」という私たちの提案が、多くの人に受け入れられるようになるには、まだまだ多くの時間は必要なのだろう。この冊子がより多くの人達に読まれ、話し合われ、さらに多くの人が吃音について語ることが、私たち自身の、そして、結果として社会の吃音についての認識が変わることにつながっていくのだろう。
 それが吃音に生涯をかけ、吃音と共に生きた、チャールズ・ヴァン・ライパー博士をはじめとする、多くの先達の意志を継ぐことになるのだ。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/06

初恋の人

 この話は、これまでいろいろなところで何回となくしてきました。今の僕を作ってくれた原点だからです。以前、ブログにも書いたかもしれません。
 ことばの教室の教員や言語聴覚士の仲間と取り組む、今年の「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」のテーマのキーワードは、「幸せ」です。幸せに生きるために必要なものとして挙げられているのは、自己肯定感。どもりを恨み、どもる自分を認めることができなかった、つまり、自己肯定感が全くなかった僕に、どもっているそのままの僕でいいと思わせてくれた初恋の人の存在は大きいものでした。
 新しい年が始まる今、改めて、この初恋の人に感謝しています。1999年6月19日発行の「スタタリング・ナウ」NO.58の巻頭言を紹介します。

初恋の人
                  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 小学2年生の秋から、どもることでいじめられ、からかわれ、教師から蔑まれた私は、自分をも他者をも信じることができなくなり、人と交わる術を知らずに学童期、思春期を生きた。凍りつくような孤独感の中で、不安を抱いて成人式を迎えたのを覚えている。
 自分と他者を遠ざけているどもりを治したいと訪れた吃音矯正所で、私の吃音は治らなかった。しかし、そこは私にとっては天国だった。耳にも口にもしたくなかったどもりについて、初めて自分のことばで語り、聞いて貰えた。同じように悩む仲間に、更にひとりの女性に出会えた。吃音矯正所に来るのは、ほとんどが男性で、女性は極めて少ない。その激戦をどう戦い抜いたのかは記憶にないが、二人で示し合わせては朝早く起き、矯正所の前の公園でデートをした。勝ち気で、清楚で、明るい人だった。
 吃音であれば友達はできない、まして恋人などできるはずがないと思っていた私にとって、彼女も私を好きになっていてくれていると実感できたとき、彼女のあたたかい手のひらの中で、固い氷の塊が少しずつ解けていくように感じられた。
 直接には10日ほどしか出会っていない。数カ月後に再会したときは、生きる道が違うと話し合って別れた。ところが、別れても彼女が私に灯してくれたロウソクのような小さな炎はいつまでも燃え続けた。長い間他者を信じられずに生きた私が、その後、まがりなりにも他者を信じ、愛し、自分も愛されるという人間の渦の中に出て行くことができたのは、この小さな炎が消えることなく燃え続けていたお陰だといつも思っていた。
 この5月、島根県の三瓶山の麓で、どもる子どもだけを募ってのキャンプ『島根スタタリングフォーラム』が行われた。このようなどもる子どもだけを対象にした大掛かりな集いは、私たちの吃音親子サマーキャンプ以外では、恐らく初めてのことだろう。島根県の親の会の30周年の記念事業として、島根県のことばの教室の教師が一丸となって取り組んだもので、90名近くが参加した。
 「三瓶山」は、私にとって特別な響きがある。彼女の話に三瓶山がよく出ていたからだ。
 「今、私は他者を信じることのできる人間になれた。愛され、愛することの喜びを教えてくれたあの人に、できたら会ってお礼を言いたい」
 30人ほどのことばの教室の教師と、翌日のプログラムについて話し合っていたとき、話が弾んで、何かに後押しされるように、私は初恋の人の話をしていた。その人の当時の住所も名前も決して忘れることなくすらすらと口をついて出る。みんなはおもしろがって「あなたに代わって初恋の人を探します!」と、盛り上がった。絶対探し出しますと約束して下さる方も現れた。
 三瓶山から帰って2日目、島根県斐川町中部小学校ことばの教室からファクスが入った。
 「初恋の人見つかりました。なつかしい思い出だとその人は言っておられましたよ」
 私は胸の高鳴りを押さえながら、すぐに電話をかけた。34年間、私に小さな炎を灯し続けてくれた彼女が、今、電話口に出ている。三瓶山に行く前には想像すらできなかったことが、今、現実に起こっている。その人もはっきりと私のことは覚えており懐かしがってくれた。会場から車でわずか20分の所にその人は住んでいたのだった。
 電話では、《小さな炎》についてのお礼のことばは言えなかったが、再会を約して電話を切った。
 どもる子どもたちとのキャンプ。夜のキャンドルサービスの時間に、ひとりひとりの小さなロウソクの炎は一つの輪になって輝いていた。子どもたちと体験したこの一体感が、私にその話をさせ、さらに34年振りの再会を作ってくれたのだ。子どもたちとの不思議な縁を思った。
 子どものころ虐待を受けた女性が、自分が親になったときに子どもを虐待してしまう例は少なくない。しかし、夫からの愛を一杯受け、夫と共に子育てをする人は子どもを虐待しない。
 人間不信に陥った私が、人間を信頼できるようなったのは彼女から愛されたという実感をもてたからだ。
 この子どもたちは、小さな炎と出会えるだろうか。小さくても、長く灯り続ける炎と出会って欲しい。一つの輪になったローソクの小さな、しかし、確かな炎を見つめながら願っていた。(「スタタリング・ナウ」 1999.6.19 NO.58)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/05

吃音評価 3

 どもる人への聞き取り調査をして、発言を分析し、予備調査項目を作成した僕たちは、合宿を何度も繰り返し、吟味して、項目を作りました。その合宿に、筑波大学の内須川洸教授が何度も参加してくださり、できあがったのが、吃音のとらわれ度、日常生活での回避度、人間関係の非開放度、この3つからなる吃音評価法です。今から思い出しても、とても楽しい合宿でした。僕は、1965年にどもる人のセルフヘルプグループである言友会を作りました。そのときから現在まで、言友会からは離れたものの、セルフヘルプグループ活動を続けています。みんなと、わいわいがやがやと話し合い、何かを作り上げていくのが大好きな、「セルフヘルプグループ型人間」です。そのとき、僕は「幸せ」を感じるのです。今年も、1月7・8日と合宿で、「どもる子どもにとって幸せとは」(仮)のテーマの「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」の準備をしますが、それがとても幸せな時間なのです。
 吃音評価、吃音チェックリストに関しては、日本吃音臨床研究会のホームページに掲載しています。ただし、今は、改訂前のものが掲載されています。近いうちに、改訂した吃音チェックリストを掲載予定です。「スタタリング・ナウ」 1999.5.15 NO.57の続きを紹介します。

吃音評価の試み
 吃音と上手につきあうためには、その人が吃音をどのように考え、吃音がその人にどう影響しているのか、つまりその人の吃音の影響度を知らなければならない。どもる人の生活実態を把握し、対策を立てるのである。私たちはこれまでどもる人の生活実態を調査し、吃音評価のあり方、行動調査等、吃音評価を確立するために一連の調査研究を行ってきた。それらの調査をもとに、新たに評価法作成の項目作りを目的に次の調査を行った。
 現在吃音に悩んでいる人と吃音の悩みや日常生活の様子などについて話し合い、発言をカード化し、KJ法で整理し、予備調査の項目とした。大阪吃音教室などで、100人の回答を得て、内須川洸・昭和女子大学教授(日本吃音臨床研究会顧問)と私たちで何度も合宿をし、『吃音のとらわれ度』50項目、『日常生活での回避度』30項目、『人間関係の非開放度』30項目の調査項目を決定した。さらに私たちの臨床経験から、項目ごとに配点を変えた。1983年郵送およびワークショップで調査を実施した。すべてセルフヘルプグループに参加している人が対象である。(17〜73歳:男性81人、女性19人)

結果と考察
『吃音のとらわれ度』(満点155点)
最高点151点、最低点6点、平均点62.8点
 「たとえ内容がよくてもひどくどもった後には、気がめいる」の質問に「ハイ」と回答した人が一番多く66%であった。「私はどもるのが嫌さに買物にはほとんど行かない」が一番少なく2%であった。しかし100人中2人の回答は注目に価する。

『人間関係の非開放度』(満点83点)
最高点63点、最低点6点、平均点30.5点
 「休日は一人で過ごすか」の質問に「いつも」と答えた人は13%、「時々」も加えると67%になる。人間関係が全く開放されていないとする回答の割合は多くはないが、「時々」という回答を加えると、職場での人間関係や親戚とのつきあい等の項目で非開放度は高い得点となる。

『日常生活での回避度』(満点111点)
最高点lll点、最低点0点、平均点31.2点
 「結婚式でスピーチを頼まれた時、それを引き受けるか」に「いつも避ける」が一番多く25%。「避けることが多い」、「時々避ける」も加えると職場(学校)での研究発表、職場会議での発言、公式な場での自己紹介などが回避度が高い。

特徴的事例
 自分の吃音を軽いと自覚し、周囲の人は吃音と気づいていないという36歳の男性は、吃音のとらわれ度が110点に達した。回避度に関しては、30項目中27項目に「時々避ける」と回答している。一方、やや重いと本人が自覚し、周囲もそう思っているだろうと思うという30歳の男性は、とらわれ度17点、非開放度15点、回避度19点であった。
 個別に一覧表にしてみると、吃音症状は重いがとらわれていない人。吃音のとらわれ度は低いが回避度の高い人。吃音症状は軽いと自覚しているが吃音にとらわれ、回避度の高い人など、今後の指導に生かされる問題把握の資料を得た。

評価法の使い方
 どもる子ども、どもる人の指導に直接生かせることを目指してこの評価法は作成された。
 この中で、一番解決の困難なものは吃音へのとらわれである。「吃音を意識するな」と直接指導されても、長年の吃音に対する否定的な感情はたやすく消えるものではない。しかし、日常の生活態度を把握し、問題点を整理し、行動を変えていくことは可能である。どもる人はどもるのが嫌さに日常生活のさまざまな場面を回避する。本人が自覚している回避行動もあるが、無意識にまで高まっている回避は、本人もそれと自覚していない場合もある。それをある程度明らかにし、自分の行動パタンを知る。具体的に把握した回避の行動を徐々に回避しないように生活指導を行う。さらに職業の問題、将来の展望、レジャー活動等などをカードに記し、それをもとにして何に取り組むか話し合っていく。そして日常生活の回避度を減らし行動する中で、かつて「たとえ内容がよくてもひどくどもった後は気がめいる」に「はい」とつけていた人が次の調査では「いいえ」と回答するようになる。つまり、次のように循環しながら成長していくのである。

日常生活で回避しない→人間関係を開放する→吃音のとらわれから解放される→日常生活で回避しない

吃音自己チェック表
 次に紹介する自己チェック表は、当時吃音評価法として考えられたが、今では吃音の自己分析として活用している。大阪吃音教室は年間スケジュールが確立されていて、週に1回続けられているが、初期にこの自己チェックを実施し、自分なりの行動計画を立てる。そして、年間スケジュールが終わる頃再度チエックをすると、かなり大きな変化がある。さらに、どもる子どもの両親教室では、子ども、親用の吃音評価を実施する。参加と同時にチェックする『吃音へのとらわれ度』は、4時間後の相談会終了時に再びチェックするとかなりの変化が起こる。これは、親の吃音についての知識が片寄っていたり、不足していたために、吃音について誤った認識をもってしまっていたからである。親は比較的情報によって吃音についての認識を変えることはできるが、どもる子どもやどもる本人は、自らの行動を通してしか、自己のもつ吃音についての認識を変えることはできない。
 この吃音自己チェックは、どもる子ども、親にも実施したいと試案を作成しているが、さらに検討していきたい。吃音をオープンに話す話題に使えるし、論理療法的アプローチに使えるものとなっている。是非皆様も一度チェックし、感想をお寄せ下さい。これを機会に多くのみなさんと論議ができ、よりよいものに発展させることを願っています。(「スタタリング・ナウ」 1999.5.15 NO.57)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/04

吃音評価 2

 昨日の続きを紹介します。「スタタリング・ナウ」の特集として、吃音検査法、吃音評価について掲載しています。

吃音評価の試み

 1999年秋の吃音ショートコースの『論理療法』では吃音評価法を活用する。また、先月発行した日本吃音臨床研究会の吃音ガイドブック『吃音と上手につきあうための吃音相談室』で、吃音評価法について触れたため、この機会に15年前の論文だが紹介することにした。
 1981年、日本音声言語医学会・吃音検査法小委員会から吃音検査法〈試案1〉が発表された。これを機に、この検査法の検討を通してさらに従来の検査法に対する検討をも加え、私たちの主張する吃音とつきあう立場に立った吃音評価のあり方を探った。
 1983年、第28回日本音声言語医学会で発表し、『音声言語医学Vo1.25,No.3』P243〜P260(1984年)に『吃音評価の試み―吃音検査法の検討を通して』の論文を要約した。日本音声言語医学会吃音検査法はその後も検討が続けられている。

検査法の検討
1.ジャックと豆の木
吃音検査はかつて、慣習的に音読テスト「ジャックと豆の木」が使われてきた。通常5回音読させ、発吃時間、音読時間、発吃頻度、適応効果、一貫性効果を測定し、その結果から、どもる人の吃音特性や重症度を評定する。
 吃音の最大の特徴は変動性にある。場面、相対する人、その日の気分によって吃音の症状は大きく変動する。そこに吃音評価の難しさがある。難しさというよりも限界であり、本来症状の評価は不可能に近い。
 吃音頻度30%、一貫性50%が検査結果として出たとして、それがその人の吃音の問題をどう表しているのか、その数字から具体的などもる人の問題が浮かび上がってこない。このようなテストが、臨床の場でどう機能し、どのような限界があるのか、検討がなされないまま慣習的に使われてきた。吃音頻度に関しては、検査をしたその日の、その検査者の、その検査場所の、その時間帯の、その文章の朗読がそのような状況であったというにすぎない。それがその人の日常生活の中での吃音症状とはいえない。朗読の得意な人もいる。反対に日常生活ではほとんどどもらないのに朗読は苦手だという人がいる。頻度が高かった人が、日常生活の中では周囲の人がほとんど気づかない程度のどもり方であったり、反対に頻度の低い人が日常生活の中でかなりどもる人であったりする。治療前の吃音頻度35%が治療後5%となったとしても、だからその人の吃音症状そのものが改善されたとは必ずしもいえない。まして、その人の吃音問題が解決したこととは次元の違うことである。症状面で確かによくなったということを何らかの方法で表したいという臨床家のニードが満たされているにすぎない。

2.音声言語医学会検査法〈試案1〉
 「重症度を測定し、予後を推定するのに役立つような尺度を構成するための資料、すなわち相互に比較可能な症例追跡資料が十分にはない。とくに問題の核となるべき吃音行動の分類・命名・記述について統一がない。資料蓄積のためにも、症状の適切な把握・記述に基づいた、統一した検査法が必要とされる」
 「ジャックと豆の木」を使っての検査では不十分だと検査〈試案1〉は作成された。その検査法で、適切な症状把握力河能かどうか私たちは検査法を実際に試用し検討した。
a)方法
 吃音検査法〈試案1〉を、大阪吃音教室に新しく参加した人(4カ月以内)10人に実施し、2か月後再度実施した。
b)結果
 同一被検者の2回の検査結果は、10例中7例があまり差がみられなかったが、3例には著しい差がみられた。時や場所、その他の状況によって吃音症状に変化が生じるのはよく知られた事実であり、検査法小委員会もこの点についての考慮の必要性に言及している。今回の検査結果もそれを裏づけている。検査場面である限り、どもる人の「生きた現実場面」ともいうべき日常生活における吃音症状の把握とはなり得ない。特に成人の場合、その人の最も恐れている場面を検査者が観察することはほとんど不可能といえる。被検者10人全員が検査場面と日常生活の相違を指摘した。
・普段はもっとどもる。
・検査だからあまり緊張しなかった。
・会社の電話では、検査の倍くらいどもる。
・検査者が若い女性だったら、もっとどもったはず。
・先日食堂で『ごはん』と注文するとき出なかったが、今日の単語音読検査『ごはん』はすっと出た。
 検査時に吃音症状がきわめて軽いと記録されたばかりの人が、私たちとの懇談の自己紹介の時、60秒以上自分の名前が出なかったできごとは象徴的であった。目を強く閉じ、あごを突き出す随伴症状が多くみられたが、これは検査場面では全く出現しなかったものであった。
 かなり細部にわたる吃音症状の分析や重症度にあまり信頼性がなく、またそこから治療法を開発し、それを適用していくことがたいへん困難であり、『記録に時間がかかり、全体像がつかみにくい』と小委員会自らも指摘している本検査は、利用価値が少ないと指摘せざるを得ない。
3.検査による弊害
 検査をされれば当然その検査結果の提示を求める。そして、「それでは、この症状はどうすればよいのか」「この程度なら治るまでどれくらいかかるか」などの回答を求められるであろう。それに対して検査者はどのように答えるか。具体的な個別の指導法がないのに、分類だけ、症状の命名だけが詳細にされても納得しないであろう。ことばをかえれば、具体的な解決策がないのに診断をすべきではなかろう。
 被検者10人は一様にあまりにも詳細な症状の分類に驚きをみせた。吃音に深く悩んでいる人ならますます吃音への劣等意識を強めることになるだろう。また、検査者はどもっている人のこのどもり方はどの分類に入るのかなどとその判断にとまどい、どもり方に意識を集中した。つまり、吃音症状にとらわれなければこの検査は実施できなかった。検査者と被検者が共に吃症状にふり回される危険性を、この検査はもっている。
(「スタタリング・ナウ」 1999.5.15 NO.57)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 223/01/03

吃音評価

 これまで発行してきた「スタタリング・ナウ」を残しておきたいと思い、コロナが始まってからブログで紹介してきましたが、まだたくさん残っています。どれも、今、読み返してみても、何の違和感もなく、すっと入ってきます。こんな前から、今と同じことを考えていたのかと、自分でびっくりすることも多いです。
 今日は、1999年5月の「スタタリング・ナウ」です。
 どもる子どもにとって、言語訓練ではなく、対話をと提案していますが、対話を始めるときに、そのきっかけになるであろう吃音チェックリストを使ってもらえればと思い、ことばの教室に紹介しています。吃音チェックリストは、1999年5月の「吃音評価」が出発でした。まずは、巻頭言からです。

  
吃音評価
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「さあ、胸を広げなさい。何をぐずぐすしているんですか!」
 医師のことばに若い女性の患者は、「ちょっと頭が痛いだけなのに…」と思いながらも上半身裸になる。そして、からだについてや、プライベートなことまで根ほり葉ほり尋ねられる。
 この若い女性にとって、そのことがたとえ自分の病気の処方に必要なものと納得しても、決して楽しいことではないだろう。ただ、このようにして診察されたことが、次の処方となって表れ、その処方によって回復への希望がもてると思うから、あえて我慢もする。しかし、そのように我慢をして終わった診察の結果が、その後の処方に全く生かされていなかったと、その患者が後で知ったらどうだろう。その患者の身になって考えれば、思いなかばにすぎるであろう。
 1981年に日本音声言語医学会の検査法の試案が出されたとき、詳細に吃音症状を分類され、症状の程度が検査された結果、それがその後の処方にどう生きるのか疑問に思った。症状に応じた治療方法を提示できるほど吃音治療方法は確立されていないし、またバラエティに富むものではないのに、だ。
 私たちが経験した民間吃音矯正所では、バンドを腹に巻かれ、モニターの前で発音をさせられた。
「あなたの吃音はかなり重度です」と、ほとんどの人が診断されていた。「軽度」では高い料金を支払ってまで通おうとしないからか。診察はそのクリニックの戦略にもなっているのだろう。重度といわれながら、全ての人は一律に呼吸方法と発声方法の指導がなされた。軽度、重度で治療方法が変わるわけではなかったのだ。
 長い吃音へのアプローチの歴史は、吃音者と吃音を分離し、吃音症状にのみ焦点をあてた歴史だった。当然、検査は症状についてだけで、これまでの私たちの人生、現在の生活態度、吃音についての意識、これからの人生については全く顧みられることはなかった。そして私たち自身も、症状の消失・改善に一喜一憂してきたのだった。
 民間吃音矯正所の時代はようやく終わりつつあるが、日本音声言語医学会の吃音検査法をみる限りこれまでと大きく状況は変わるとは思えない。
 吃音に悩む吃音者は,これまでの悩みを切々と語り「吃音を治したい」と訴えるだろうし、それを聞く臨床家は、吃音症状の検査をし、「積極的に社会へ出ていけない吃音者に少しでも吃音を改善し、社会へ出ていくために吃症状の消失・改善を目指すのは、臨床家として当然の責務である」と吃音症状への治療に取り組むのだろう。
 吃音症状の軽重で、どもる人の抱える問題が単純に割り切れるなら、いわゆる重度な人より軽度の人が社会適応ができ、より積極的な人生を送っているはずだが、実際はその反対の場合も少なくない。どの程度まで症状が軽くなれば、社会に積極的に出て行けるのか、どの辺で納得できるのか、人によって違い、難しい問題だといえる。
 症状を検査し、吃音症状を問題の核心におく視点からは、どもるその人については抜け落ち、吃音者は吃音症状が治ればと症状への思いが強まる。
 検査はその後に結びついてこそ意味がある。臨床家にとっての検査には研究のための資料の蓄積といった側面もあるだろうが、それは本来の目的ではないはずだ。吃音児(者)とどう向き合い、どのようにアプローチするかによって検査のあり方が違ってくる。
 私たちの主張する《吃音と上手にっきあう》との視点からは、つきあう主体としてのどもる人が、つきあう相手である吃音をどのように考えているか、吃音がその人にどう影響しているのか、っまりその人の吃音の影響度を探ることになる。
 しかし、それは他者から検査され評価されるものではなく、自らの意志で自らをチェックするところに意味がある。自分で分析し、自ら吃音とつきあうプログラムを作ることができれば、取り組む意欲も違ってくる。ただその時、ひとりで行うよりは他者と共に行うことで、これまでの堂々巡りが避けられる。また話し合うことで、より問題点も明らかになる。セルフヘルプグループで吃音の自己分析を続けるのはそのためである。(「スタタリング・ナウ」 1999.5.15 NO.57)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/02
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