伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2022年12月

吃音と論理療法 5

 2022年も残り2時間半となりました。
 今年は、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会も、吃音親子サマーキャンプも、新・吃音ショートコースも、対面で行うことができました。直の出会いを大切にしてきた僕たちにとって、お互いに顔を見て、対話ができたことは、本当にうれしいことでした。
 このブログも、なんとか1年続けることができました。このような発信の場があることはありがたいことです。「読んでますよ」と連絡をいただくと、励みになります。読んでくださっている人の存在を意識しながら、来年もぼちぼち続けていきます。
 今年最後のブログは、論理療法を日常生活の中で活かした2人の仲間の体験の紹介です。二人の体験を読んで、僕たちが学んできた論理療法をこのように生活に活かしていることがよく分かります。とてもうれしいことです。今年の最後を締めくくるにふさわしい、どもる人の体験の紹介になったと思います。今後も、どもる人の体験、生の声を届けていきます。どうぞ、おつき合いください。2022年一年間ありがとうございました。
 みなさん、良いお年をお迎えください。

初めての発表
                   東野晃之(団体職員・42歳)
 定例の理事会で初めて発表することになった。
 財団法人の団体である私の職場では、予算や決算など運営上の案件は理事会で定期的に審議され、承認を得ることになっている。この会議、市長が議長をつとめ、市の幹部職員や商工、労働団体の代表などが理事として出席するため、かしこまった、固い雰囲気で進められる。私はこれまでは発表の機会がなく、事務局の一員として出席し、上司が案件を説明する様子を見ていた。理事会は、実際は形式的な審議内容になるのだが、それだけに滞りなく進んで当たり前といった雰囲気があり、会議中は独特の緊張感が漂っていた。
 私は会議の日が近づくにつれて「どもらず、上手く発表できるだろうか」と不安な気持ちが大きくなっていき、次第に会議で人前に立つことへの恐れを感じるようになっていた。そこで、大阪吃音教室で学んでいた論理療法でこの不安や恐れの気持ちを考えてみることにした。まず、会議での発表で陥るかも知れない最悪の事態を想像してみた。

☆緊張してひどくどもり、ことばが途切れて不自然な発表になる。
☆緊張して声が上ずったり、頭の中が真っ白になって何を言っているのかわからなくなる。
☆最初の声が出なくて、アノー、エーと何度も繰り返して話す内容がわからない。
☆最も苦手なア行で詰まり、声が出てこなくて立ち往生してしまう

 次にこのような事態になった時、心の中で私が思い描く文章記述(考え方)をノートに書き出していった。

☆市長や市の幹部、上司の前でどもって発表することはみっともないことだ。第一職員としての私の評価を下げるに違いない。
☆もしどもって立ち往生でもしたらきっと無能な職員だと思われるだろう。
☆どもる私を出席者は軽視したり、同情の目で見るだろう。
☆最悪の場合は、途中で発表を交代させられるかも知れない。それはとても耐えられない屈辱的なことだ。

 これらの考えを自分なりに論理療法の手法で吟味し、自問自答して文章にしてみた。
 『たぶん会議では、緊張しやすい私のことだからどもってことばが途切れたり、詰まったりしてしまうだろう。それは私がどもりだから仕方のないとだ。どもらないように意識しすぎると余計どもってしまい、またそれを隠そうとするあまり不自然でわかりにくい話し方をしてしまった経験がある。少しくらいどもって話の間があいてもいいではないか。肝心なことは、出席者にわかりやすく内容を説明し伝えることだ。そのためには、提出する資料とは別に発表原稿を用意しておこう。緊張してあがっても対処できるぐらいに準備をしておこう。
 どもることで自分の評価が下がったり、無能な職員と思われるだろうか。日常の仕事は人並みにやっているつもりだ。今回の発表でどもったからといって今までの努力が帳消しになる道理はない。またこの事業に関しては、年に2回程度会議に出席する役員より私の方が遙かに熟知している。直接業務にあたる私は、上司より現状について把握しているつもりである。本来、この会議に私はなくてはならない人間なのだ。もっとリラックスして会議に臨んでみよう。
 もし、どもって立ち往生してしまったら、出席者の中には私を軽視したり、同情の目で見る人がいるかも知れない。しかし、それはその人が思うことだから、どうにもならないことだ。だからといって私自身がその場で悲観的になったり、人の同情を引くような態度をするのはよそう。どもっても堂々と前を向いて発表しよう』

 大阪吃音教室で学んだ論理療法は、理事会で初めて発表する私の不安や恐れを随分小さくした。不安や恐れの気持ちを生じさせた心の中の文章記述、つまり非論理的な考えを吟味し、粉砕して考え方を整理したことは、精神的圧迫を軽減していった。また最悪の事態を想像してみたことは、心の準備だけでなく、発表に備えるための原稿づくりなど現実的な取り組みにつながった。理事会では、あまりつっかえることなく、無事発表を終えることができた。しかし、仮にひどくどもって立ち往生でもしていたら、どんなになっていただろうと考えてみたりもした。が、それは推量の世界であって非論理的思考の領域である。推量や思い込みはやめて、実際にそんな事態になった時、実感し事実を確かめてみたい。推量や予期不安などによる取り越し苦労は、もうごめんだなと、この経験で思った。(当時・32歳)


 学会発表
                  斎 洋之(製薬会社研究員・40歳)
 昨年、私に学会発表の機会がめぐってきた。発表形式には、口頭発表とポスター発表の二つがある。同僚のほとんどが口頭発表していたので、私も当然そのつもりでいた。上司の主任研究員から、大丈夫かと打診があったが、大丈夫だと答えていた。その後部長と主任研究員から呼び出された。
 「本当に大丈夫か?」
 「大丈夫だと思います」
 「絶対にうまくやれると思うか」
 「100%とは言えませんが、やれると思います」
 「ポスター発表の方がいいんじゃないか」
 「口頭発表の方が聴衆が多く、研究の成果をより多くの人に知ってもらえます」
 部長は私の発表を口頭からポスター発表にどうしても変更させたいらしい。だんだん気分が悪くなってきた。どうして私だけこのようなことを言われなければならないのか。実力的にも、経験もまだ不十分だと思われる私の後輩も、口頭発表している。部長の心配は吃音にあることは明らかだ。
 しかし、私は大学時代に学会発表をする機会があり、その時には練習をかなり積み、なんとか発表した経験があった。だから今回も、人一倍練習を積めばできる自信があり、口頭発表にこだわった。
 「口頭発表だと所長の前でも練習しないといけないし、大変だぞ」
 「みんなもしていることですから、やります」
 「発表の時どもってしまったらどうするんだ?」
 「多少どもることはあっても、発表に支障をきたすようなことはありません」
 「学会発表は自分だけのものではなく、会社を代表しているものだからな」
 部長と主任研究員は、私が何を言っても、口頭発表はさせたくないようであった。しかし、ポスター発表にしろと、命令することに後ろめたさを感じるのか、直接には言わない。あくまでも私の口からポスター発表に変えると言わせたいのだ。
 そう思うとよけいに、悔しさと腹立たしさが胸一杯に広がった。しかし、今決断しなければならない。だんだんことばに窮し始めた時、日頃学んで来た《論理療法》が思い浮かんだ。何故、こうまで悔しく腹立たしいのか。自分の考えを探った。
 『発表するからには口頭で発表するべきで、ポスター発表はランクが一つ下だ』
 『どもりを口実に止めさせようとするのは、絶対許されないことだ』
 悔しく、腹立たしいのはこのように考え、こだわっているからではないかなどと気づいた。
 『このまま頑張って、口頭発表を主張することはできる。しかし、そこまで主張すると、今後の上司との人間関係が難しくなるだろう。また、頑張って主張して、実際学会発表で失敗したら、取り返しのつかないことになるかもしれない。例えポスター発表でも、発表することに違いないのだから、今回は、ポスター発表にしておこう。そして、この次には堂々と口頭発表をしてやろう』
 このように考えたら、少し気持ちが落ち着いてきた。そして冷静に、部長にこう言った。
 「ポスター発表でやれということでしたら、今回はポスター発表にします」
 このように決断しても、気持ちがすっきりはしない。しばらくしてあった大阪吃音教室で、事情を話し、まだ悔しさや腹立たしさの気持ちが残っていると言った。皆は私の、腹立たしさや悔しい気持ちを聞いてくれ、分かってくれた。その上で、多くの人がかかわってくれ、話し合いが持たれた。
◎どもってでも発表したいと、ひるむことなく再度主張したのはすごいと思う。
◎今後のことを考え、今回は上司の言う通りにしようと決断したのはあなた自身だ。
 このような意見を聞く中で、だんだんと私の気持ちが落ち着いていくのを感じた。そして、次のようにさらに自分の考えを整理した。

 『私は、無理にでも主張を押し通すこともできたし、その主張を引くこともできた。その上で、今回これ以上主張しないことを自分で選んだんだから、あれこれ悩むのは止めよう。学会発表をポスターでしたからといって、自分の研究が葬りさられるわけでも、研究者として、だめだということでもない。まして、ポスター発表はできるのだ。口頭発表ができないことを嘆くより、素晴らしいポスター発表ができるよう全力をあげよう』

 こう考えることで、悔しさや怒りの感情は消えていった。こう私が考え方を変えることができたのは、《論理療法》をかなりしっかりと大阪吃音教室で学んでいたからである。
 《論理療法》を知らずに、この場面に遭遇していたら、悪い結果になっていたものと思われる。また、自分で考えたことを大阪吃音教室の仲間に話すことで、さらに確信をもつことができた。仲間の力も大きい。(当時36歳)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/31

吃音と論理療法 4

 「吃音と論理療法」、これで最後です。論理療法に出会ったとき、吃音にぴったりだと思いました。それまで考えてきたことが、きれいに説明がつくことに驚き、そしてうれしくなりました。論理療法は、吃音だけではなく、どもる人の日常生活でいろいろ役立っているようです。
具体的な例は、また後で紹介します。

ラショナル・ビリーフと人生哲学
 では何をもってラショナル・ビリーフというのか。原理的には次のことである。
  1)事実に基づくビリーフ
  2)論理的必然性のあるビリーフ
 実際には日常生活で我々に幸福感(C)をもたらしてくれるビリーフのことである。たとえ「かっこよい」「立派な」考えであっても日常生活が楽しくなければ、それは多分、ビリーフのどこかにイラショナルな要素があるのである。
 言い換えれば、論理療法には歯をくいしばって禁欲的に生きるのではなく、今その時を楽しめという発想がある。目標達成主義(結果主義、完全主義)ではなく、プロセス主義である。しかし、だからと言って、論理療法は刹那主義ではない。目先の快楽追究の結果将来苦痛を招くと思われるときには、その目先の快楽を断念するほうが結局は快楽を得ることができると考える。つまり、きわめて実用主義的な発想がある。
 論理療法のもつ人生哲学の第二の特徴は、この世の中で絶対善とか絶対悪はないという考えである。「ねばならない」「すべきである」「すべきでない」に縛られない人生哲学である。したがって「罪障感」も「恥ずかしさ」も「不安」も「落ち込み」も論理療法にはない。特定の「ねばならぬ」を金科玉条のように頑なに持ち続けるから「罪障感」「恥」「不安」「落ち込み」に悩むというのである。どうすれば、とらわれのない状態が得られるのか。それは各自がもっているイラショナル・ビリーフに気づき、それを粉砕することである。

イラショナル・ビリーフの粉砕
 吃音についてのひとつの例を論理療法的に考えてみよう。新入社員が、1週間後に職場の朝会で3分間スピーチをしなければならなくなった。彼の不安、恐怖は次のようなものであった。

 「どもってしまうかもしれない。もしどもったら、それはとても醜い、ひどいことだ。また、同僚全てに自分のどもりがばれてしまう。ああ、なんて恐ろしいことだろう。こんなことはあってはならないことだ。絶対にどもってはならない」
 「どもっている自分の姿を見て、みんなはどう思うだろう。びっくりし、目をそむけ私に憐れみと同情を感じるだろう」
 「その日から、腫れ物に触るかのように私に接するだろう。そして心の中でに『あんなひどくどもってどんなにか苦しんでいるんだろう。かわいそうに』、また別の人は『まともな仕事はとてもできないだろう』と考えて、私を無能な人間のようにみなすだろう。課長などは、私をダメ社員ときめつけ昇進など、もはや望むべくもないだろう」

 こう考えれば、眠れなくなり、やがて食事も満足にのどを通らなくなるだろう。
 論理療法は、上のような文章記述を変えるよう自己に迫れという。不安や憂鬱や絶望感や恥の意識ではなくて、単なる不快や失望だけを感じる状態に変えるよう自分を説得しようという。そしてこのことは、可能だというのである。
 では、上の例で、彼はどういう具合に考え方を変えていくことができるか。

 「私は朝会でどもるかもしれないが、私はどもりなんだ。しかし、どもることはそんなに大変なことだろうか。私がどもることで、誰かが傷ついたり、不利益を被ったりするだろうか。みんなちょっと驚いて、私も少しイヤな気になるだけだ。ましてや、その日一日の仕事に何らさしさわりが生ずるはずもない。朝会のスピーチは儀式にすぎないし、しいて意味をみつけるとすれば、我々社員の自己主張訓練だ。私にとって絶好の自己主張訓練の場ということだ。完壁にやれなくても、これで少しでも度胸がつくなら私にとっては大変なプラスになる。自分のどもりがばれるが、とっくに知られているかもしれない。それにこの際ばれてしまった方が、いつばれるかとビクビクしているより、気が楽ではないのか」
 「どもることをどう思うかは私の態度によって変わるだろう。私自身が『大変な姿を見られてしまった』と恥辱にまみれていれば、周囲も私自身が評価したように評価して憐れみや同情を感じるだけだろう。しかし、『これが私だ。どもるけど仕事はちゃんとこなしている。誰にも迷惑はかけていない』と、平然としていれば、周囲も『なんだ、あの人はどもるのか』とあっさり受け入れるだろう。そもそも他人は、人のことを深刻に受けとめるほど他人に関心を持たないものだろう。むしろ私の欠点(どもり)を知って安心感、親近感を覚える人もいるかもしれない。もしそうなら、私の吃音は人間関係をよりよいものにするために一役買っていることになる」
 「私がどもることは悪いことだろうか。どもりになったのは私の責任ではないし、誰の責任でもない。どもるからといって自分という人間そのものの価値が低いなどとは断じて言えない。むしろ弱い立場の人に対するやさしさは人一倍持っている。これはすばらしいことではないのか」
 「当日は堂々とどもってやろう。どもって落ち込んでいれば、これからどもるたびに落ち込んでしまうことになる。いつも落ち込んでばかりいられない」

 このように、まず、自分が考えた最悪の自分、つまりひどくどもっている状態を想像し、そのような状態になったとしても大丈夫だと考える。思い浮かんだ一つ一つのイラショナルな考え方(文章記述)に反撃を加えていくと、やがて実体のない不安感や絶望感は消えていき、ずっと落ち着いた気分でその日を迎えることができるだろう。
 反撃を加えていく過程をよく観察してみると、自分の信念体系(ナンセンスな考え―Bの段階)を変化させて、その結果として感情が変化した(Cの段階)ことが分かるはずである。間近に迫った不快なできごと(A)に関して、新たな悪くない感情が生じる(C)原因となったのは新たな考え方(B)に他ならないことが理解できるだろう。
 論理療法を学ぶとは、考えることを学ぶ、あるいは習慣が身につくということである。
(吃音と上手につきあう吃音講座テキストより)

文献(川島書店発刊)
『論理療法』 A.エリス他著 國分康孝他訳
『論理療法に学ぶ』 日本学生相談学会編
『どんなことがあっても自分をみじめにしないために 論理療法のすすめ』國分康孝、石隈利紀、國分久子訳


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/30

吃音と論理療法 3

 昨日は、今年最後の公式行事で、愛知県名古屋市に行きました。昨年、岩倉市のことばの教室の奥村寿英さんの紹介で呼んでいただいたもので、昨年に続いて、愛知県のことばの教室の教員研修、「愛知県版はじめのいっぽ」の講師です。タイトルは、「どもる子どもが幸せに生きるために〜ことばの教室でできること」です。朝早く家を出て、新幹線で名古屋に向かいました。土曜日の記録的な大雪で、名古屋市内にはまだ雪が残っていました。会場は高蔵小学校の図書室でした。
 9時半から12時過ぎまで、休憩なしのノンストップで話しました。皆さん、真剣に熱心に聞いてくださいました。終わってから、短い時間でしたが、具体的な質問も受けました。今年最後の研修会、気持ちよく対面で終えることができました。
 今日は、吃音と論理療法のつづきです。大阪吃音教室の講座で僕がつくった資料を紹介します。いくつかの論理療法の本をかなり読み込み、作ったものです。

《吃音とつきあう吃音講座》吃音と論理療法 大阪吃音教室資料

a)もしかしたら、どもって失敗し、立往生しているかもしれない
b)そのように人前でどもって立往生することは実に恐ろしいことだ

 吃音問題の中心は、どもることを予期し、不安を持つことだといっていい。不安は、自分の心の中でa)、b)のように思いをめぐらす(心の中で文を語る)ことによって起こると、論理療法では説明する。人がa)の段階に思いをとどめておき、b)の代わりにb')の文を語れば事態は違ってくる。

b')どもって失敗し、立往生することは決して立派なことではないが、だからといってこの世の終わりがくるわけではなく、別に恐ろしいことが起こるわけではない。恐ろしいことだと考える必然性はない。

 このような文を自らに語れば、不安は減少するであろう。また、a)の文だけでは多少の不安は感じても、その場を回避しようとまでは考えない。しかし、b)のように考えてしまうと不安は大きくなり、その場に出るのを避けてしまうであろう。
 不安を解消し、回避行動を起こさないようにするためにb)の文をb')の文に変更することが大切なことである。
 このように人が何かに不安を持ったり、動揺したりするときには自らにその不安を起こさせるような文を心の中で語っているからである。したがって心の中で語る文、つまり考え方を変化させれば、感情の持ち方や行動の仕方も大きく変化する。また、自らが語った文によって不安が生じたとしても、それにめげずその場に出て、どもっても発言をすれば「たとえどもって立往生したとしても別に恐ろしいことが起こったわけではない」ことを体験的に理解することができる。このようにあえて行動を起こすことによって不安が解消される。

論理療法の特徴
 論理療法は、1955年頃からアルバート・エリスによって提唱された心理療法のひとつである。
他の心理療法と比べて次のような特徴がある。

1)折衷主義
 精神分析、行動療法、意味論、実存主義、論理実証主義、来談者中心療法、ゲシュタルト療法、サイコドラマなど多種な理論と方法が集大成され、しかも一貫性のある理論に統合されている。
2)自己分析の色彩が強い
 論理療法は、精神分析や交流分析に劣らず自己分析的である。エリスはこれを自己洗脳といっている。また、カウンセラーの援助がなくとも、独力で自己分析が可能な療法でもある。
3)理性に訴える
 これまでの心理療法の多くは、感情が行動の源泉であるというが、論理療法は、感情は思考の産物だと考える。思考を変えれば感情が変わる、感情が変われば行動も変わると考える。
 「頭では分かるが、どうしても行動できない、やはりどもるのが嫌だ、怖い」と私たちは言う。これは論理療法では「まだ本当には頭で分かっていない。分かり方が不十分だ」となる。

論理療法の骨子
 くよくよ思いわずらったり、思い切った行動ができないと悩んでいる人は、その考え方が非論理的(イラショナル)だからであると、論理療法では考える。
 非論理的とはどんなことか。「事実に基づかない考え方」、および「論理的必然性を欠いた考え方」のことである。自分らしく生きられるとは、非論理的な考え方が論理的な考え方に変わることである。考え方が変わるとは、心の中の文章記述が変わることなのである。したがって論理療法とは、心の中のイラショナルな文章記述をラショナルな文章記述に変える療法だということになる。

 「僕のように重いどもりは、女性から好かれるはずがない。それに大学を出てもまともな会社になど就職できず、人並の人生さえ送れない」

 こう思っている人がいるとする。上の文章はラショナル(論理的)であると言えるか。いくつかの非論理的な考え方(イラショナル・ビリーフ)がある。
 まず、何を根拠に「重いどもり」と考えているのか。吃音検査法が信頼できないにしてもこれらを受けた上でのものではないだろう。「重い」であろうと推論しているだけである。推論は事実ではない。推論と事実を彼は混同している。
 また、「重いどもりは女牲から好かれるはずがない」も事実とは言えず、思い込みに過ぎない。聞き手から、すごくどもると思われている吃音者が女性にもてる例は、仲間の中でも少なくない。「好かれるはずがない」という思い込んでしまうと、異性を引きつける人としての魅力を身につける生き方をしようという努力も、女性とつきあうというよりも人間関係をよりよいものにするためのコミュニケーション能力を向上するための努力もしようとしていないだろう。
 さらに、「人並の人生が送れない」という文章記述には論理的必然性がない。自分の思い込みで作った自分の文章記述をあたかも全ての人に共通する必然であるかのように信じこんでいる。
 大手の企業の就職試験にいくつか落ちたとしても、「だから人並の人生が送れない」ということにはならない。「かなりの数の就職試験に落ちた、だから自分の本当にやりたい道は何か、さらに探してみよう」、「だから自分の個性、能力を発揮できる小さい会社に就職しよう」、「だから田舎に帰って親と一緒に住み、親の農業を手伝い両親を安心させよう」、など、いくらでも文章は作れるはずである。たくさんある文章の中からたまたま任意にひとつを選んで将来を悲観しているに過ぎない。
 したがって論理療法ではこう考える。
 できごとそのもの(例:どもる)が悩み(感情)を生むのではなく(人は普通そう思っているが)、できごとをどう受けとるか、その受けとり方(考え方、文章記述)によって悩みは決まるのである。論理療法ではこれをABC理論といっている。

ABC理論
 A(Activating event:できごと)
 B(Belief system:考え方、受けとり方、信条、文章記述)
 C(Consequence:結果の意、感情、悩み)

 AがCを生むのでなく、BがCを生むのである。Aに変化はなくともBが変わればCも変わるのである。これが論理療法の骨子である。
 ところで、今は、そのあとにDとEが付け加えられている。DとはDispute(反論)である。イラショナルな考え方(B)を粉砕する段階のことである。イラショナル・ビリーフをラショナル・ビリーフに修正する段階である。それには、自分自身を逆洗脳(人に洗脳されたイラショナル・ビリーフを解除すること)である。それが成功すると行動が変容する。これがEである。EはEffect(効果)のあらわれる段階である。
 したがってABCDE理論ともいう。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/27

吃音と論理療法 2

 1999年秋の吃音ショートコースのテーマは『論理療法』でした。講師は、筑波大学の石隈利紀さん。石隈さんとは、その後、「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」にも講師として2度来ていただくなど、長くお付き合いが続いています。
 まず、大阪吃音教室講座資料のまえがきとして書いた、論理療法の取り組みの変遷を紹介します。

 
論理療法 取り組みの変遷  
                          伊藤伸二

 『論理療法』(川島書店1981年発行)と出会う前に、論理療法のべースになることを体験した。それは、私がまだ大阪教育大学(言語障害児教育)の教員をしていた頃のことだ。
 「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかにつきる」として、『吃音を治す努力の否定』という問題提起をもって、全国吃音巡回相談の旅に出た。自分自身の体験、セルフヘルプグループの体験、大学の研究室の中で、相談や実践の中で考え得たひとつの考えが、専門機関も相談機関もない全国の各地で一人で悩んでいるどもる人々や、どもる子どもの親に、果たして受け入れられるだろうか。その検証の旅でもあった。(1975年)
 北海道・帯広から九州・長崎まで35都道府県38会場での相談会は、6か月かかり、成人吃音者432名、ことばの教室の教師87名、吃音児の両親72名の参加者と、吃音についてじっくりと語り合った。その旅で得た最大の収穫は「どもりながらも、明るく、健康に自分なりのよりよい人生を送っている」多くの吃音者との出会いだった。
 自分自身が吃音に深く悩んだ経験、セルフヘルプグループに集まる吃音に悩む人々、大学の研究室では、吃音に悩む人としか出会ってこなかった。どもる人は悩んでいるはずだ、困っているはずだとの先入観をもってしまった。論理療法でいう非論理的思考に陥っていたのだった。その先入観を、非論理的思考を、見事に打ち砕いてくれたのが、この全国吃音巡回相談会だった。
 もちろん吃音に悩む人々の相談をたくさん受けたが、それと同じくらいに多くの、明るく健康に生きる吃音者にたくさん出会えた。どもる人全てが悩んでいるわけではなく、吃音治療や指導を受けた経験がなく、また受けようともせずに自分なりの人生を歩んでいる人がいることが初めて分かったのである。どもる人がもつ吃音についての意識は幅広く、吃音がその人に及ぼしている影響も様々だったのだ。吃音のために自分の行動や人生が左右されずに生きている人がいる一方で、どもることを嘆き、自分の殻に閉じこもり、不本意な生活を送る人がいる。これは吃音をその人がどう受けとめているかの違いになる。
 ウェンデル・ジョンソンは言語関係図で、吃音者自身の吃音の受けとめ方の大切さについて言うが、書物で説明を読んだだけでは、その考えは自分のものとならなかった。日本全国各地で直接間接に多くの人々と出会って、初めて理解できたことなのである。その後、論理療法と出会い、言語関係図と私が体験したことが結びついた。そして、日本音声言語医学会の、吃音症状の把握を重視した吃音検査法を批判し、独自の評価法を提唱した。(音声言語医学 VOL25No.3 1984年)

 「人間関係非開放度」「日常生活での回避度」「吃音のとらわれ度」の3つの要素からなっているこの評価法の「吃音のとらわれ度」が、論理療法でいう非論理的思考であり、吃音者の持ちがちな自分を縛っている考えを探ろうとした。
 1986年、京都で開いた第1回吃音問題研究国際大会での私の基調提案は、世界各国に受け入れられたが、どう実践すればいいのかと世界各国の代表から質問を受けた。そこで大阪吃音教室で、「吃音とつきあう吃音講座」が始まったのである。そのプログラムの中心をなしたのが論理療法だった。47回の吃音教室のためのテキストが作られた。論理療法の部分を当時のテキストのまま紹介する。10年前に書いたもので訂正したい部分もあるが、論理療法と出会った喜びと勢いがある。今としては適切でない表現に気づくが、そのまま紹介した。その後のことは、今秋の吃音ショートコースで考えたいし、新しく出版された『論理療法と理論と実際』に譲りたい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/25

論理療法と吃音

 大阪吃音教室の講座の定番になっているのは、論理療法、交流分析、アサーション、認知行動療法、アドラー心理学、内観法、森田療法など、たくさんありますが、その中でも、今回紹介する論理療法は、本当に吃音との相性がいいです。吃音のためにあるのではないかと思うくらいです。
 吃音ショートコースで、直接、講義を受けたのは、1999年の筑波大学の石隈利紀さんからですが、論理療法的な考え方とは、ずいぶん前に出会っています。
 今日、紹介する「スタタリング・ナウ」は、1999年3月20日発行のNO.55です。まず、その巻頭言から紹介します。

  
論理療法と吃音
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 論理療法は吃音のためのものかと思えるほど、吃音と相性がいい。どもる人が論理療法によって、自分を縛っている非論理思考に気づき、それを修正できれば、どもる人の悩みはかなり軽減される。生き方が楽になる。
 吃音治療の有効な方法が確立していない現在、論理療法の活用が、どもる子ども、どもる人にとって最も現実的で有効なアプローチになり得るのである。
 アルバート・エリスは論理療法を心理療法のひとつの流派として1950年頃から提唱し始めたが、言語病理学の分野で、1930年代に吃音研究の第一人者として世界的な規模で活躍したウェンデル・ジョンソンの「吃音診断起因説」「言語関係図」に論理療法の源流をみることができる。
 私たちは、言語関係図を、現代に通用する吃音へのアプローチの基本構想として重要視してきた。しかし、一般には言語関係図が十分に臨床に生かされているとは言いがたい。論理療法と結びつくことで、より注目されることを期待したい。
 ウェンデル・ジョンソンは、X軸(話しことばの特徴)、Y軸(聞き手の反応)、Z軸(話し手の反応)という3つの要素の重症度、強さを各軸の長さで表し、できあがった立方体の容積の大きさや形が、その人の吃音問題の大きさや質を表すとした。吃音の問題は、吃音症状だけにあるのではなく、聞き手と、本人が吃音についてどう考え、聞き手の反応をどう受け止めるかも大きな要素であると考えた意義は大きい。いわゆる吃音症状がたとえ重度であっても、周りがいい聞き手であり、吃音者本人が自分の吃音を受け入れていれば、吃音の問題は小さいとした。
 この言語関係図は、自身が吃音者であり、一般意味論の立場をとるジョンソンならではのものであり、論理療法に通じるものである。ジョンソンは、X軸を短縮するために、流暢にどもることを、Y軸に関しては、母親がよりよい聞き手になることを臨床の場で提唱した。ところが、Z軸については《吃音の態度テスト》を提案したが、取り組みについてはあまり言及していない。私たちは、X軸、Y軸よりも、Z軸重視の立場をとり、Z軸へのアプローチとして、アサーティブ・トレーニングや論理療法、交流分析などを取り入れた。その中で、中心的に据えたのが論理療法である。
 吃音の原因は未だに解明されず、有効な治療方法は確立されていない。幼児期の吃音の50%近くが自然に吃音症状が消失することがあっても、小学校まで持ち越した吃音が治ることは難しい。X軸への取り組みは難しく、Y軸については、一般社会の吃音についての理解のためには重要なアプローチだが、他者を変えるには限界がある。
 Z軸へのアプローチが、最も現実的で、最も効果のあるものである。日本吃音臨床研究会では、吃音は治すべきものとしてでなく、治るに越したことはない程度に考え、《吃音を治す》から《吃音とつきあう》へ転換した。上手につきあうために、論理療法が役立つのである。
 私は、他の吃音者と出会うまで、自分ひとりが吃音に悩んでいると思っていた。またどもりは必ず治るはずだと信じてきた。そして、吃音が治らなければ、自分らしくよりよく生きられないと考え、治ってからの人生を夢見た。
 ひとりで吃音に悩む人々の話を聞くと、私と同様の思い込みの世界で悩んできている。多くの吃音者が論理療法でいう、イラショナルビリーフをもってしまうのは、吃音について誤った情報が横行し、吃音者の判断を、思考を歪めているからである。私がどもる人のセルフヘルプグループを作る33年前までは、「吃音は必ず治る」との情報しかなかった。そして、治療者から「吃音を治さなければ、有意義な人生は送れない」とまで言われた。その結果、どもりは悪いもの、劣ったものと思い込んでしまったのである。現在でも、この状況にそれほど大きな変化はなく、吃音者がイラショナルビリーフをもちやすい環境は残っている。
 私たちは大勢の吃音者と出会い、これまで常識と思い込まされてきたことがいかに事実に基づいていないかを知った。どもっても悩まず、人生にマイナスの影響を受けない人の存在も知った。そして、自分を生きやすくするためには、イラショナルビリーフを粉砕しなければならないことに気づいたのである。この秋、論理療法を学ぶ。(「スタタリング・ナウ」)NO.55 1999.3.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/24

対談―表現としてのことば― 4

 「ことばの人」の谷川俊太郎さんと、「からだの人」の竹内敏晴さんの対談のさわりを紹介してきましたが、その最後です。
 僕はこの時の司会以外に、谷川さんと対談をしています。2000年、山形市で開かれた全国難聴・言語障害教育研究協議会での記念対談でした。谷川さんは、ひとりで話を展開していくのは好まない、誰かが尋ねてくれれば、それについて思ったり考えたりしたことを話すことはできるけれど、とおっしゃったそうです。何人かの候補を事務局は挙げたのですが、対談相手に、谷川さんは僕を指名したと、大会の関係者から聞かされました。1998年のこの吃音ショートコースでの出会いの2年後のことでした。そのときの対談はとても楽しく、谷川さんもおもしろかったと言ってくださいました。その対談はまた紹介します。
 質問されるといろいろと喋ることがあると、話は展開していきます。僕も、質問を受けて、話すのが大好きです。それまで全く考えていなかったことが生まれてきて、自分でもびっくりすることがあります。谷川さんと、竹内さんの対談の続きです。

ことばが出てくるということ

谷川 自分でも疑問ですよね。(笑い)
 普段から考えてることを、喋ってることもありますね。対談などで質問されれば、その質問に関しては、自分はこう考えてるんだから、それを全部喋る。でも、普段考えてることじゃないことが、何か一種の条件反射みたいに、瞬間的にことばになって出てきて、出てきたあとで「あっ、そうだ、俺はこう考えていたんだ」って思うことがあるんですよ。

竹内 思うことがある、というよりも年中そうじゃないですか? 僕から見ていると、そういう気がするけれども。
 そんなことはないんですか?

谷川 年中っていうのはちょっとオーバーだけれども、僕一人で何か頭の中でずうっと考えていくことに、すごく限度があるような気がするんです。むしろ人と喋っている、キャッチボールしているときの方が、自分の考えが発展していく。それは別に音声言語で喋ってなくても、書かれたものを読むんでもいいんです。書かれたものを読むことは、自分には考えるきっかけとしてありがたいということがありますね。

竹内 僕は、話し合ってる間に発展することはたまにはありますが、僕に、谷川さんのおっしゃることに近いことが起こるのは、レッスンをしてるときなんです。からだが動いているときに飛び出してくることばは、あとで思い出しても自分で、「そうか! そう言えばいいんだ」と嬉しくなることがある。しかし、意識がないってほどじゃないんですが、あとで「あのときあんなこと言われて、おもしろかった」と言われても、全然覚えがないこともある。
 だから言語として、それによって先へ思考がうまく発展したというふうになるかどうかは、はなはだあやしいんだけれども、からだが動いているときには、からだの動きがことばになるということがある。会話でなるというのはものすごく難しい。

谷川 それはでも、会話で何か刺激を受けて自分に新しい考えが出てくるってことは、そんなにあとで書き残すとか、はっきり覚えていて何か発展したとか、そんなシステマティックなものではなくて、その場で自分で思ってもいないことを相手のおかげで言えたみたいなことであるに過ぎないんですけどね。

竹内 そのときには、そのことばっていうのは、さっきのことばが信用できないとおっしゃったことから言えば、本当か嘘かみたいなことで言うと、どのへんになるんですか?

谷川 現実にそういうふうに会話してるときに出てくることばは、ほとんど本当だろうと思ってます。少なくとも、それが本当か嘘かをはっきり検証するような場面ではないところの話ですね。つまり、今こうして話しているときは、公的な人間関係ですね。だから、そこでは、非常に矛盾した感情は、ほとんど持たないで済んでいる。もっと突き詰めていくと、例えば竹内さんに関して、僕が何か愛と共に憎しみを持ってるということがあるかも知れない。(笑い)ですけども、普通こうやって話している場合には、一種ニュートラルな感情で話していると思うんです。少なくとも僕の場合には。だけど、例えばもっと身内と僕が話すとなると、もう絶対にそういう感情には最初からないわけだから、そこに混沌とした矛盾に満ちた感情みたいなもののやりとりになる。そうしたら、全然話は違ってくる。

竹内 話に割り込んで悪いんだけど、混沌とした、谷川さんの言う感情のやりとりでも、ちゃんとことばになるわけでしょ? (笑い)

谷川 そこがすごい問題なんですよ。

竹内 僕はそういう場合、全然ことばにならなくなっちゃうから、甚だ具合が悪い。

谷川 僕は少なくとも、ものすごくことばにしようと努力する方で、しかもそれが、僕の経験からいうと2年後にやっとことばになったとか、そういうことはあるんですよ。でもそれだと、夫婦げんかに間に合わないんですよね。(笑い)

竹内 なるほどねえ。いや、そういう気持ちはよくわかる。僕は夫婦げんかじゃなくても、年中そういうことをやっているからね。僕は2年後かどうかは、分からないけど。
「スタタリング・ナウ」(NO.54 1999.2.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/23

対談―表現としてのことば― 3

 昨日の続きです。「ことばの人」と言われる谷川俊太郎さん、よどみなく次から次へと発言が続きます。「からだの人」の竹内敏晴さんは、谷川さんのようにはいかないとおっしゃっていましたが、このときの対談は、竹内さんご自身が「珍しくたくさん話した」とおっしゃったくらい、話が途切れず続きました。お互いが刺激し合って、活性化されている様子がよく分かりました。竹内さんの発言を読み返して、このような内容の話は、竹内さんの他の著作には出てこないもので、貴重なものだと思います。たくさんの贈り物を竹内さんからいただき、改めてありがたいことだと、感謝の気持ちがわいてきます。

恨みや不信をもつ余裕すらない

竹内 谷川さんはペラペラ喋る、伊藤さんはことばに恨みがあるという。僕はどうなんだろうなあって考えてみると、子どものころ僕は、ともかく聞こえないでしょう。だから、ことばに恨みがなんていうところまで、行かないわけですよ。人のことばを理解できないということで、全然切れちゃってるわけですから。やっと聞こえるようになってからは、今度は、自分の中に動いているものをどうやって人様に伝えたらいいのかに必死でしたから、恨みつらみをもつ余裕なんてなかったなあ。
 谷川さんと私はあべこべに歩いてるなあという感じがしたのは、自分が何か喋ろうとすると、自分の中で動いているものを一所懸命ことばにするんだけど、相手はきょとんとして何を言ってるのか全然分からないという顔をする。こっちは伝えたつもりでも、相手には全然見当の違う何かがあるらしいというのが一番最初の発語体験ですね。
 文章はまあ読んでいるから、文章としての言語は知ってるけど、言いたいことを文章に当てはめてみても、どうも違うらしいんです。今から思えば、発音がはっきりしてないから、相手に分からなかったという部分が非常に大きいと思う。けれども、その当時はそう思っていないから、こういう言い方をしたら、単語をこう組み合わせたら相手に伝わるだろうと必死になって考えている時期があった。まあ、この時期は今でも続いていると言ってもいいですけどね。
 芝居にするため、ヘレン・ケラーのことをだいぶ調べたんですが、彼女は81歳くらいだったかで亡くなるんですが、毎朝起きると30分くらい、たぶん私と同じような感じで、自分の中でことばを組み合わせて表現することを考えていたようです。この場合は、情報伝達と言うか、表現と言っていいのか分かりませんが。そういうものを見つけようとしているときには、ことばが信用できないなんていうものが入ってくる余地がない。ことばが信用できないものだと気づいたのは随分後からですね。
 「情報伝達のことば」で急に思い出したんだけど、私が宮城教育大学にいたときに、事故で障害を持って、何年もかかってリハビリしてやっと喋れるようになった青年が推薦入学で受験したいって言ってきた。彼が大学での課業に耐えられるか、テストをしたが、1年目はだめで、2年目に学生部長の発達心理学の教授とスクラムを組んで引き受けた。彼は僕の研究室に入ったので、関西から来た3年生に「相談相手になってやってくれ」と頼んだのです。2ケ月ほどしてその3年生が「どうしたらいいか、分からない。彼はやっぱり、大学は無理なんじゃないか」と私の所に相談に来ました。
 大学で講義を受講するには受講カードを出さなきゃいけないが、期日がきても彼は出さない。出さなきゃダメだと教えてやるとどうしたらいいかと聞く。履修要項で説明すると、「うーん」と聞いているが、やっぱり彼は出さない。こう書けばいいと教えてもやっぱり出さない。と言うより書けないのです。それで先輩も訳が分からなくなった。その話を聞いたとき、言語障害をもつその青年の気持ちが、僕にはものすごくよく分かった。
 なぜかと言うと、僕も同じような経験をしているからなんです。私は芝居をやってましたので、50代の半ばまで勤めたということがなく、大学教授が初めての勤めなんですが、そのとき同じような経験をしたわけです。
 芝居をしていた頃、アルバイトなんてあまりなかった時代だから、どうやって食ってたか、今だってよく分からないんです。とにかく、芝居をしたい女の人は飲み屋に行けばいいんだが、男にはアルバイトってのが全然ない時代なんです。
 御茶ノ水から東大前のYMCAの学生会館の稽古場に通っていた。ある日稽古が終わって帰り道、御茶ノ水から電車賃が10円の代々木で降りて、ポケットを探ったら10円玉ひとつしかない。それで飯を食うかパンを買うかすると、明日稽古場に行けない。仕方がないから何も食べずに、アパートに帰ってお湯を飲んで寝る。次の日に代々木から10円玉で電車に乗って、御茶ノ水から歩いて、稽古場に着く。すぐに「おーい、だれかパン買ってくるから、お金貸してくれ」。私だけじゃなくて、芝居をする人間ははみんなお金がなかった。
 長年そんな生活を続けてきて、とにかく大学教授が生まれて初めての職だ。何年も宮城教育大学の林竹二先生に誘われていたのをずっとお断りしていたんだが、林先生が学長を辞められた後で、「やっぱり、おいでなさい」と電話があり、「じゃあ、行きます。お世話になります」と言ったのは、ボーナスってものをもらってみたいと思ったからなんだな。その時、初めての就職なわけで、いろんな手続きがあるんです。その手続きの書類を読むのが苦痛でしょうがない。芝居のせりふを読むと、その人はどんな表情で、どんな風に動くだろうかなんかはすぐ出てくるけど、あの手続きの書面は全然からだに入ってこない。仕方がないから、頭の中でスイッチを切り替える。向こうから入ってこないから、こっちから出ていくしかない。「これはこうでこうなって」と、積木を重ねるみたいに思考を組み立ててやっと処理する。これはすごくくたびれることでした。
 そういう経験があるものだから、障害のある彼が今、そういうことができる手前にいるんだってことが分かった。書類を読んだって文章が入ってこないだろうし、説明されれば意味は分かるが、それによって自分が触発されることにならないから、彼は行動が起こらない。
 そのときによく分かったのは、非常に単純なんだけど、彼があるいは障害を持った子どもが回復していくのは、何とか日常生活でことばを交わすことができるようになってくるということなんです。彼にとってみると情報伝達などというものではなく、人間関係が回復してきたということなんです。
 こんなこともありました。共同作業をしたり、作品をつくるときなんかは周りが彼を手伝う。実験なんかも、手伝ってもらってやっとできる。ところが彼は礼を言わない。それが気になったある教授が、「みんながあれだけ手伝ってくれたんだから、ありがとうって言ったらどうか」と言ったら、彼が嫌ーな顔をした。その後も、彼はやっぱり「ありがとう」を言わない。それで、「彼はやっぱり人間的に欠陥があるんじゃないか」と言う人があったのです。
 私はそのときのことも、ものすごくよく分かるわけです。つまりね、手伝ってもらうのは、仲間として一緒に取り組むのだから、善意でやってくれてるその人本人も楽しんでるわけですよ。一緒に取り組んだことが終わったから「できた。良かったねー」でおしまいだ。それを、手伝ってもらったことに「ありがとう」と言ったら、これは他人行儀の関係になってしまい、冷たい関係に戻ってしまう。「ありがとう」を言うような関係にしたくないのです。これは彼に会って確かめたことですが。
 そういう彼に、事務的な手続きがワッと来たって、どうにもならないんです。私が大学を辞めて、彼は残ったんですが、私と組んで彼を支えていた先生が亡くなり、結局彼は、卒業できず、中退という形になりました。
 今振り返ってみると、彼にとって、「表現としてのことば」と言うべきかどうかは分かりませんが、つながりとしての人間関係の発語みたいなものが回復してきたのであって、「情報伝達のことば」が身についてくるには、まだまだものすごい距離があったわけです。
 伊藤さんの話で、どもる人たちが、「情報伝達のことば」を求めて、「表現のことば」がなかなか戻ってこないということを聞いて、どういうふうに考えればいいかを考えながら、さっきまでの話を聞いていました。
 僕なんかは、相手から何か言われると一所懸命考えてやっとことばをみつけるんですが、ものすごい時間がかかる。ところが谷川さんを見てて、僕は驚嘆しているわけですが、さっと来たらパッと鏡みたいに反射する。ことばが出てくるってことが、谷川さんが考えてるってことなのかなあ? あれは何だろうなあと僕は考えてしまう。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/21

対談―表現としてのことば― 2

 昨日の続きです。谷川さんと竹内さんの対談、なんとも贅沢な時間でした。この対談が行われた吃音ショートコースの参加者は、どもる人よりどもらない人の方が多かったことも思い出されます。吃音という入り口から入ると、普遍的な広い世界が広がっていたということだろうと思います。

極度に制限された中での表現

谷川 今一つ、思い出したことがあるんです。情報伝達でも、自分の感情の表現でも、あるいは必要なことの伝達でもいいんだけれど、それが極度に制限された形があって、僕の身近にそういう人が二人います。
 一人は僕のいとこで、バイクの事故で完全に首から下が不随です。意識はあり、頭は正常に働いている。彼がどうやって情報伝達するかというと、気管切開してるのでほとんど声はうまく出ないけれど、非常に身近にずっと付き添っている人にはどうにか判別できる声がある。それと、もう一つはワープロです。
 普通のワープロと違って常に五十音がディスプレイに映ってて、カーソルみたいなのが「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ」と常に動いている。寝てる頭上にディスプレイがあって、細い針金みたいなのが出てて、それに舌でタッチするとことばが確定する。「か」なら「か」のところにきたときに、ペロッとなめる。つぎに「く」のところでぺろっ「て」でぺろっ、「い」でぺろっと確定させて初めて「かくてい」というひらがなが出てきて、それを漢字変換する。だから、「こんにちは、よく来てくれましたね」と彼が表現するだけでも、5、6分待ってなきゃいけない。そういうコミュニケーションの仕方です。
 もう一人は進行性の筋萎縮症の人で、その方は僕のいとこよりももっと体の自由が利かなくなっていて、彼の場合は瞬き(まばたき)で確定する。全然身動きできないんですが彼はすごい元気な人です。身動きできない人に元気といえば変な言い方なんだけど、生きる意欲満々な人なんです。彼の生きる意欲に周りの人がすごく励まされている。それで、お祭り騒ぎみたいな感じでボランティアが来ている。
 彼が病室でピアノのコンサートと詩の朗読会を開きたいと言うんで僕は初めてその人のところに行きました。キーボードでピアノの演奏があって、僕が詩の朗読をしました。彼は王様のごとく、豪華な電動ベッドに身動きもせずに横たわっている。主人公は何にも言わないのに、そのそばでボランティアがキャーキャー言っておすしを作ったりなんかして、楽しんでいる。何かこれでいいのかな、という感じなんですね。それでも彼は、そういうことをちゃんと受け入れる知的能力、環境的能力のある人だから、とても喜んでいる。そのあとで感想なんかをEメールで書く。「Eメール1ページ分どれくらいかかるんだろうね」と聞くと、「まあ、3週間ですね」と周りの人が言う。だから、すごい努力なんですよ。そういう形ででも、とにかくコミュニケーションしているし、していこうという意欲があるということに、こっちは励まされてしまう。
 また、普段自分がペラペラペラペラ喋っていることが、どんなに運がいいのかってことを、痛感させられちゃうんですね。
 そういう極限の形が、僕の頭の中にあって、一方で例えばテレビの喋りにしても新聞の文章にしても、本当に一種決まり文句の羅列みたいな文章とか話し方ってありますね。だから、吃音の人たちが抱えているもどかしさや不安やあせりというものは、ある程度僕の頭では理解できているつもりなんです。
 現実的な場面での交信速度の速さが、現代の特徴のような気がします。たぶん昔は、こんなにみんな早口で、しかもパッパッとお互いに受け答えしないでも済んでいたんじゃないか。昨日NHKの大河ドラマを見てたんだけど、あれでも全然ゆっくりさが違いますよね。まず部屋に入ってきて、きちんと座ってお辞儀をして、「恐れながら」から始まるわけでしょう。現代はそうはしませんよね。パッと座ったらすぐ用件に入っちゃう。
 交信速度が速くなきゃいけないというのは、たぶん今の社会の成り立ちの上で必要なんでしょうね。つまり、大量に情報を処理しなきゃいけないことになってるから。お金をおろすあの銀行の機械なんか、コンピューターだからすごく速いはずなのに、それでも僕なんか時々イライラしたりするんですよ。もう一瞬の間も許さないみたいな。もしかすると、そういうのに、友達と会ったりするときの話なんかも影響されてるんじゃないかと思って怖くなることがあるんです。
 ゆったりとした場であれば、どもっていたってコミュニケーションは可能なはずなんだけど、せかせかした場だからついあせっちゃう、ということがあるのでしょうね。だから、昔の社会と今の社会では、吃音の置かれている状況は変わっていて、それが吃音の人達にすごく影響してるんじゃないかなということは考えられます。
 僕は、さっきの伊藤君のエピソードで分かるように、何の因果か、ことばがわりとすらすら喋れる人に育ってしまったので、ことばができない恨み、つらみというのがたぶんないんです。そのかわり、ことばが信用できないという疑いがずうっとあるんです。それは、詩を書き始めた頃からありますね。何かすれちがってんなあという感じがするんです。
 20代の初め頃、戦後いいアメリカ映画が入ってきた時期、「吃音宣言」の武満徹さんと僕はその頃わりと親しくつき合っていて、二人とも共通して西部劇が好きなんです。二人は似てるところがあって、彼もすごく音楽が好きで音楽を作りながら、「音楽なんてくだらない」ってすぐ言う人なんです。「俺はもうあと5年たったら、作曲家を止めて佃煮屋になる」なんて。(笑い)なぜ佃煮屋なんだか分からないんだけど。ずうっと、佃煮屋、佃煮屋って言う。彼の音楽が世界的に有名になってから、僕が「佃煮屋、どうしたの?」(笑い)って聞くと、困ったような顔してましたけど。
 僕もなんか詩っていうものが信用しきれないし、ことばそのものが信用できないという感じがずうっとあったもんだから、二人で自分達の仕事を、「こんなこと男子一生の仕事じゃねえ!」みたいな雰囲気だったんです。
 そこから非常に単純に西部劇のヒーローに飛ぶのが疑問なんだけど、とにかく二人とも早撃ちにあこがれていました。当時は今みたいにモデルガンがないから、子どもが遊ぶ、先端にコルク栓があってポンとコルクが飛ぶのを買ってきて、二人で棚の上に紙の人形かなんか並べて、ポンッポンとやってたんです。
 それは要するに、言語活動と無言のアクションとを対比させて、無言で行動する方がかっこいいと。ことばとか音楽で表現するのは、なんかかっこいいもんじゃない、と思ってたんだと思いますね。さすがに、僕は今そういうふうに単純には考えてはないけれども。
 自分が詩を書くのと実生活で人間関係の中で生きていくのとどっちが自分にとって大切かというと、詩を書くことよりも実生活の人間関係の方が何か大切だし、実生活はむしろ複雑怪奇で、詩はそういう自分の送っている現実の生活に追いついてないんじゃないか、みたいな気持ちは今でもありますね。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/20

対談―表現としてのことば―

 1998年9月12〜14日、奈良県・桜井市で吃音ショートコースが開かれました。テーマは、《表現としてのことば》でした。特別ゲストは、詩人の谷川俊太郎さんと、演出家の竹内敏晴さんのお二人。最終日の午前中、僕が進行をし、対談が行われました。〈ことばの人〉と言われる谷川さんと〈からだの人〉と言われる竹内さんの話は尽きることなく深いものになりました。そのほんのさわりを紹介します。3時間の完全採録は、1998年度の年報『表現としてのことば』に掲載しましたが、現在は、絶版となっています。


対談  谷川俊太郎・竹内敏晴
司会  伊藤伸二

 
はじめに

伊藤 この対談を何故企画したのか、出始めだけを少し話させていただいて、後は谷川さんと竹内さんにお任せします。
 3年前でしたか、名古屋で行われた「すすむ&すすむフォーラム」で、谷川俊太郎さんのお話の中で出てきた、谷川さんが小学4年の時に、ケンカした相手の名前は「伊藤君」ではなかったでしょうか? その伊藤君とけんかをして、「運動場へ出ろ! 体で勝負だ!」と言われたときに、谷川さんは「体でやるんじゃなくて、ことばで自分は勝負するんだ」と。今、再び谷川対伊藤の対決を・・
谷川 そうきましたか、よく覚えておられますね。でも、そうは言いませんでしたけどね。要するに、けんかの仕方を知らないから、運動場へ出て取っ組み合いなんかは嫌だから、「俺はここを動かない」と言って椅子から立ち上がらなかったわけ。伊藤君も公平で、むりやり僕をひきずり出すということをしなかったんです。
伊藤 そうでしたか。僕は谷川さんのお話を、「ことばで勝負だ!」と受け取ったものですから、僕たちとはずいぶん違うと思いました。僕は、ことばではケンカができなかった。けんかになり、いくら僕が正しくて、また体力的に勝っていても、「何や伊藤! どもりのくせに!」と言われたら、それでけんかは一瞬にして終わります。体もそんなに大きくはなかったけれど、まあ体なら、自分の体を張ってでもけんかをするんですが、言い合いになると全く太刀打ちできない。また「どもりのくせに」という、一番の弱点をつかれると戦意を喪失してしまう。そういう経験をしてきたので、「ああ、僕とずいぶん違うな」と思ったんです。
 僕は喋れなかったために、けんかができなかった。ことばでは勝負できなかった。どもることばを嫌悪し、ことばに恨みを持ち続けた人間です。僕と似たような体験を、どもりに悩んだ人がしているとしたら、今この会場にはそのような人が半分近くいます。
 谷川さんは、いろんなところでお話になってこられたでしょうが、今回は吃音ショートコースに来ていただいていますので、ことばに障害のある人たちの表現ということを少し視野に入れながら、表現としてのことばについて、お話いただければと思います。
 竹内さんは、「表現としてのことば」と「情報伝達としてのことば」を説明されて、どもる人はもっと「表現としてのことば」を大事にした方がいいのではないかと提言して下さっています。そのような提言を受けて、私たちが自らの表現について点検していきますと、私たちはこれまでの長い間、うまく現代社会に適応したいという思いにかられて、駆り立てられるように、「情報伝達のことば」を獲得しようとしてきたように思います。まず、「表現としてのことば」と、「伝達としてのことば」の区別さえ考えなかった。全てことばが話せないとしてひとまとめにして処理をしてきたように思います。流暢に喋りたいとばかり考え、その結果、「表現としてのことば」をおろそかにしてきたように思います。そして、そのことにも気づかなかったのでした。
 今、「表現としてのことば」を育てたいと、話しことばだけでなく、自分の思いや気持ちを例えば詩のような形にして書く、散文にして書くなどで、表現を大切にして来ています。『ことば文学賞』を制定したのもその現れなのです。
 その一方で、「情報伝達のことば」を何とかうまくこなしたい、という思いがなかなか捨て切れないのも事実です。やはりどもりに悩む多くの人が日常の生活で困っているのは、勤めている自分の会社や自分の名前が言えない。業務上の報告や伝達などがうまくできないなどの情報伝達のことばについてです。周りが、なんなく情報の交換をスピーディーにしている中で、自分の名前が言えない、電話ができないなどの辛さは、経験者以外には、なかなか理解されにくいのではないでしょうか。やはり、てきぱきと情報交換しなければならないときに、ことばが出ないのは悩みの種なのです。
 そこで、「表現としてのことば」と「情報伝達としてのことば」とをどう折り合いをつけながら、僕らがどうことばに向き合っていけばいいのか。探っていきたいと考え、おふたりに吃音ショートコースに来ていただきました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/19

今年最後の大阪吃音教室

 12月も早半ばを過ぎ、今年も残り少なくなりました。大阪吃音教室も、先週の金曜日、今年最後の講座「1分間スピーチ」を終えました。吃音でよかったこと、来年の抱負、など参加者ひとりひとりが前に出て、スピーチをしました。
 翌日の土曜日は、大阪吃音教室のニュースレター「新生」の印刷・発送の日でした。「新生」は、吃音教室の報告、どもる人の体験、レク活動の報告、ことばや声などに関するエッセイなど、12ページ仕立ての月刊ニュースレターです。コロナ禍の3年間、2回お休みしましたが、後は欠かさず発行し続けて、会員同士をつなぐ大切なものになっています。
 そして、いつもなら、その発送の日は、忘年会でした。夕方6時から始まって10時頃まで続くロングランの僕たちの忘年会、今年も残念ながら行うことができませんでした。ひとりひとりが1年間を振り返ってスピーチをし、それに周りが、合いの手を入れたり、ヤジをとばしたり、なんともいえない温かい忘年会なのです。
 来年こそ、みんなで集まってわいわいとにぎやかな時間を過ごしたいものです。

 さて、今日は、「スタタリング・ナウ」(NO.54 1999.2.20)の巻頭言を紹介します。
 谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんのことばが、今も心に残っています。目の前に広がることばの海へ出ていくことを勇気づけてくれます。

  
表現としてのことば
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 幼稚園でわが子が大勢に囲まれて、なぐられたり、けられたりしている。何が起こっているのか分からないままに様子を見ていたら、「早よ言え、早よ言え」と子どもたちが言い、わが子は半泣き、歯をくいしばっている。飛んできた先生が子どもたちから事情を聞いた。子ども同士がぶつかって、一方が「ごめんなさい」と言ったが、S君はどもるために言えない。ごめんなさいを言わない子は悪い子だと寄ってたかって「早よ言え」「謝れ!」となぐられていたのだと分かった。
 この幼稚園では、悪いと思ったらお互いに「ごめんなさい」と謝ろうと指導し始めた頃で、子どもたちはそれを忠実に守っていたのだった。
 S君はその日、寝る前にも何かぶつぶつ言う。
 「お母さん言えた!『すみません。ごめんなさい。これでもいい?』〈ご〉は言えないけれど、〈すみません〉をつけたら言える」
 S君は涙を流しながらこう言ったと言う。
 また、ゲームをしている時に、何か話し始めると「分かった、お前もう喋るな」と言われる。
 大阪吃音教室で、幼稚園年長組の母親のこの話を聞いて胸が痛んだ。小学校2年生の秋から、私にもこのようなことが起こったが、S君はまだ幼稚園児だ。こんなに小さな頃からこのような体験を積み重ねなければならないとは。
 言いたいことが頭に思い浮かんでも、表現しようとすると、ことばそのものが出てこない。忘れるはずのない自分の名前さえ、いざというときに言えないことがある。この空しさ、苦しみは、恐らく体験しなければ理解しにくいことだろう。
 「誰でもあせったりあわてると、どもりますよ」と人は言う。「言いたいことを全ての人が言えているわけではない」とも。しかし、名前を尋ねられて自分の名前が言えないということがあるだろうか。ごめんなさいと言いたくても言えないことがあるだろうか。どもる人のそれとは本質的に違う。
 子どもの頃からこのような辛い体験を積み重ねると、私たちは、あることを言いたいと思うと同時に、どもることへの恐れのために話したくないという気持ちも起こる。
 私は、どもりを恨み、治ることだけを夢見、どうせ表現できないのだからと、感じたり、気づいたり、考えたりすることをしなくなった。書くことで表現することすらも放棄してしまった。
 ところが、ことばの葛藤に悩んだ人たちの中には、それゆえにことばへの感覚がより研ぎ澄まされて、書くという表現方法を得て、小説家や詩人の道を歩んだ人がいる。また、この葛藤をひとつのバネにして、話すということに活路を見い出した人もいる。落語、講談、演劇の世界に身を投じたり、アナンウサー、弁護士など、より話すことを求められる仕事に就く人たちだ。
 このように活躍している人だけでなく、私たちの周りには、どもっていてもごく自然に自分を表現している人々はたくさんいる。どもるということが表現にとって、一時的にはハンディになったとしても、《ことばの海》に出ていけば、十分に泳ぎ切ることはできると頭では理解できる。
 しかし、かつての私のように、S君はことばの海があまりにも広くて大きく果てしないために、立ちすくみ、おびえてしまうことだろう。
 S君を含めどもりに悩む人々が、この《ことばの海》に出て行くには、まずどもりを仮にでも受け入れ、どもりながらも、これまであきらめ、避け、逃げてきたことばの海の中に、勇気を出して飛び込むことしかない。それを励まし支えるのは、共に飛び込もうとするセルフヘルプグループの仲間たちや、吃音親子サマーキャンプの同じような体験をしている子どもたちだ。そして、ことばの海の世界の魅力を語る人たちだろう。
 谷川俊太郎さんは、私たちに、「書くことにおいては何のハンディもないではないか。書くことを大事にしよう」とすすめている。
 竹内敏晴さんは、聴覚障害児者としての体験から、「今生まれ出ることば、表現としてのことばを大事にしよう」と提言する。
 おふたりの対談を中心にしてまとめられた、《谷川俊太郎・竹内敏晴の世界》と題した日本吃音臨床研究会の年報(2001年発行)は、ことばの海へ飛び込むことの勧めに他ならない。
 ことばの感性がどんどん失われて行く現代社会の言語生活。この中で、つらい葛藤を生きた私たちは、悩んだからこそ、ことばを大切にし、豊かな言語生活を送りたい。私たちの目の前には、広くて大きなことばの海が待っている。

  
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/18
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