2022年も残り2時間半となりました。
今年は、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会も、吃音親子サマーキャンプも、新・吃音ショートコースも、対面で行うことができました。直の出会いを大切にしてきた僕たちにとって、お互いに顔を見て、対話ができたことは、本当にうれしいことでした。
このブログも、なんとか1年続けることができました。このような発信の場があることはありがたいことです。「読んでますよ」と連絡をいただくと、励みになります。読んでくださっている人の存在を意識しながら、来年もぼちぼち続けていきます。
今年最後のブログは、論理療法を日常生活の中で活かした2人の仲間の体験の紹介です。二人の体験を読んで、僕たちが学んできた論理療法をこのように生活に活かしていることがよく分かります。とてもうれしいことです。今年の最後を締めくくるにふさわしい、どもる人の体験の紹介になったと思います。今後も、どもる人の体験、生の声を届けていきます。どうぞ、おつき合いください。2022年一年間ありがとうございました。
みなさん、良いお年をお迎えください。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/31
今年は、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会も、吃音親子サマーキャンプも、新・吃音ショートコースも、対面で行うことができました。直の出会いを大切にしてきた僕たちにとって、お互いに顔を見て、対話ができたことは、本当にうれしいことでした。
このブログも、なんとか1年続けることができました。このような発信の場があることはありがたいことです。「読んでますよ」と連絡をいただくと、励みになります。読んでくださっている人の存在を意識しながら、来年もぼちぼち続けていきます。
今年最後のブログは、論理療法を日常生活の中で活かした2人の仲間の体験の紹介です。二人の体験を読んで、僕たちが学んできた論理療法をこのように生活に活かしていることがよく分かります。とてもうれしいことです。今年の最後を締めくくるにふさわしい、どもる人の体験の紹介になったと思います。今後も、どもる人の体験、生の声を届けていきます。どうぞ、おつき合いください。2022年一年間ありがとうございました。
みなさん、良いお年をお迎えください。
初めての発表
東野晃之(団体職員・42歳)
定例の理事会で初めて発表することになった。
財団法人の団体である私の職場では、予算や決算など運営上の案件は理事会で定期的に審議され、承認を得ることになっている。この会議、市長が議長をつとめ、市の幹部職員や商工、労働団体の代表などが理事として出席するため、かしこまった、固い雰囲気で進められる。私はこれまでは発表の機会がなく、事務局の一員として出席し、上司が案件を説明する様子を見ていた。理事会は、実際は形式的な審議内容になるのだが、それだけに滞りなく進んで当たり前といった雰囲気があり、会議中は独特の緊張感が漂っていた。
私は会議の日が近づくにつれて「どもらず、上手く発表できるだろうか」と不安な気持ちが大きくなっていき、次第に会議で人前に立つことへの恐れを感じるようになっていた。そこで、大阪吃音教室で学んでいた論理療法でこの不安や恐れの気持ちを考えてみることにした。まず、会議での発表で陥るかも知れない最悪の事態を想像してみた。
☆緊張してひどくどもり、ことばが途切れて不自然な発表になる。
☆緊張して声が上ずったり、頭の中が真っ白になって何を言っているのかわからなくなる。
☆最初の声が出なくて、アノー、エーと何度も繰り返して話す内容がわからない。
☆最も苦手なア行で詰まり、声が出てこなくて立ち往生してしまう
次にこのような事態になった時、心の中で私が思い描く文章記述(考え方)をノートに書き出していった。
☆市長や市の幹部、上司の前でどもって発表することはみっともないことだ。第一職員としての私の評価を下げるに違いない。
☆もしどもって立ち往生でもしたらきっと無能な職員だと思われるだろう。
☆どもる私を出席者は軽視したり、同情の目で見るだろう。
☆最悪の場合は、途中で発表を交代させられるかも知れない。それはとても耐えられない屈辱的なことだ。
これらの考えを自分なりに論理療法の手法で吟味し、自問自答して文章にしてみた。
『たぶん会議では、緊張しやすい私のことだからどもってことばが途切れたり、詰まったりしてしまうだろう。それは私がどもりだから仕方のないとだ。どもらないように意識しすぎると余計どもってしまい、またそれを隠そうとするあまり不自然でわかりにくい話し方をしてしまった経験がある。少しくらいどもって話の間があいてもいいではないか。肝心なことは、出席者にわかりやすく内容を説明し伝えることだ。そのためには、提出する資料とは別に発表原稿を用意しておこう。緊張してあがっても対処できるぐらいに準備をしておこう。
どもることで自分の評価が下がったり、無能な職員と思われるだろうか。日常の仕事は人並みにやっているつもりだ。今回の発表でどもったからといって今までの努力が帳消しになる道理はない。またこの事業に関しては、年に2回程度会議に出席する役員より私の方が遙かに熟知している。直接業務にあたる私は、上司より現状について把握しているつもりである。本来、この会議に私はなくてはならない人間なのだ。もっとリラックスして会議に臨んでみよう。
もし、どもって立ち往生してしまったら、出席者の中には私を軽視したり、同情の目で見る人がいるかも知れない。しかし、それはその人が思うことだから、どうにもならないことだ。だからといって私自身がその場で悲観的になったり、人の同情を引くような態度をするのはよそう。どもっても堂々と前を向いて発表しよう』
大阪吃音教室で学んだ論理療法は、理事会で初めて発表する私の不安や恐れを随分小さくした。不安や恐れの気持ちを生じさせた心の中の文章記述、つまり非論理的な考えを吟味し、粉砕して考え方を整理したことは、精神的圧迫を軽減していった。また最悪の事態を想像してみたことは、心の準備だけでなく、発表に備えるための原稿づくりなど現実的な取り組みにつながった。理事会では、あまりつっかえることなく、無事発表を終えることができた。しかし、仮にひどくどもって立ち往生でもしていたら、どんなになっていただろうと考えてみたりもした。が、それは推量の世界であって非論理的思考の領域である。推量や思い込みはやめて、実際にそんな事態になった時、実感し事実を確かめてみたい。推量や予期不安などによる取り越し苦労は、もうごめんだなと、この経験で思った。(当時・32歳)
学会発表
斎 洋之(製薬会社研究員・40歳)
昨年、私に学会発表の機会がめぐってきた。発表形式には、口頭発表とポスター発表の二つがある。同僚のほとんどが口頭発表していたので、私も当然そのつもりでいた。上司の主任研究員から、大丈夫かと打診があったが、大丈夫だと答えていた。その後部長と主任研究員から呼び出された。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だと思います」
「絶対にうまくやれると思うか」
「100%とは言えませんが、やれると思います」
「ポスター発表の方がいいんじゃないか」
「口頭発表の方が聴衆が多く、研究の成果をより多くの人に知ってもらえます」
部長は私の発表を口頭からポスター発表にどうしても変更させたいらしい。だんだん気分が悪くなってきた。どうして私だけこのようなことを言われなければならないのか。実力的にも、経験もまだ不十分だと思われる私の後輩も、口頭発表している。部長の心配は吃音にあることは明らかだ。
しかし、私は大学時代に学会発表をする機会があり、その時には練習をかなり積み、なんとか発表した経験があった。だから今回も、人一倍練習を積めばできる自信があり、口頭発表にこだわった。
「口頭発表だと所長の前でも練習しないといけないし、大変だぞ」
「みんなもしていることですから、やります」
「発表の時どもってしまったらどうするんだ?」
「多少どもることはあっても、発表に支障をきたすようなことはありません」
「学会発表は自分だけのものではなく、会社を代表しているものだからな」
部長と主任研究員は、私が何を言っても、口頭発表はさせたくないようであった。しかし、ポスター発表にしろと、命令することに後ろめたさを感じるのか、直接には言わない。あくまでも私の口からポスター発表に変えると言わせたいのだ。
そう思うとよけいに、悔しさと腹立たしさが胸一杯に広がった。しかし、今決断しなければならない。だんだんことばに窮し始めた時、日頃学んで来た《論理療法》が思い浮かんだ。何故、こうまで悔しく腹立たしいのか。自分の考えを探った。
『発表するからには口頭で発表するべきで、ポスター発表はランクが一つ下だ』
『どもりを口実に止めさせようとするのは、絶対許されないことだ』
悔しく、腹立たしいのはこのように考え、こだわっているからではないかなどと気づいた。
『このまま頑張って、口頭発表を主張することはできる。しかし、そこまで主張すると、今後の上司との人間関係が難しくなるだろう。また、頑張って主張して、実際学会発表で失敗したら、取り返しのつかないことになるかもしれない。例えポスター発表でも、発表することに違いないのだから、今回は、ポスター発表にしておこう。そして、この次には堂々と口頭発表をしてやろう』
このように考えたら、少し気持ちが落ち着いてきた。そして冷静に、部長にこう言った。
「ポスター発表でやれということでしたら、今回はポスター発表にします」
このように決断しても、気持ちがすっきりはしない。しばらくしてあった大阪吃音教室で、事情を話し、まだ悔しさや腹立たしさの気持ちが残っていると言った。皆は私の、腹立たしさや悔しい気持ちを聞いてくれ、分かってくれた。その上で、多くの人がかかわってくれ、話し合いが持たれた。
◎どもってでも発表したいと、ひるむことなく再度主張したのはすごいと思う。
◎今後のことを考え、今回は上司の言う通りにしようと決断したのはあなた自身だ。
このような意見を聞く中で、だんだんと私の気持ちが落ち着いていくのを感じた。そして、次のようにさらに自分の考えを整理した。
『私は、無理にでも主張を押し通すこともできたし、その主張を引くこともできた。その上で、今回これ以上主張しないことを自分で選んだんだから、あれこれ悩むのは止めよう。学会発表をポスターでしたからといって、自分の研究が葬りさられるわけでも、研究者として、だめだということでもない。まして、ポスター発表はできるのだ。口頭発表ができないことを嘆くより、素晴らしいポスター発表ができるよう全力をあげよう』
こう考えることで、悔しさや怒りの感情は消えていった。こう私が考え方を変えることができたのは、《論理療法》をかなりしっかりと大阪吃音教室で学んでいたからである。
《論理療法》を知らずに、この場面に遭遇していたら、悪い結果になっていたものと思われる。また、自分で考えたことを大阪吃音教室の仲間に話すことで、さらに確信をもつことができた。仲間の力も大きい。(当時36歳)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/31