「吃音を治そうとする取り組みは、本当に気持ちのいいことですか?」との問いかけから始まった野口三千三さんのことばひとつひとつが心に残ります。
「どもりを治そうと努力しすぎると、ことばだけでなく人間全体が歪んでしまう。
自分の欠点ばかりに目を向けすぎると、全体が萎縮してしまう。
喉や口だけがあなたのすべてではない、全身まるごと全部があなただ。
どもるかどもらないかにこだわらないで、もっと全体をよくすることを考えよう」
50年前から僕が考えていたことを、他の領域の人たちも同じように考えて下さり、さらに、僕たちが説明しきれなかったことを丁寧に説明して下さっています。とてもありがたいことでした。
現在の世界の吃音臨床・研究の現状は、あいかわらず「吃音症状」の消失及び改善のための言語訓練が主流です。この現状にもどかしさを感じつつ、今、「スタタリング・ナウ」を読み返しています。とても新鮮な気持ちで、再び、野口三千三さんに出会っている、そんな気がしています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/15
「どもりを治そうと努力しすぎると、ことばだけでなく人間全体が歪んでしまう。
自分の欠点ばかりに目を向けすぎると、全体が萎縮してしまう。
喉や口だけがあなたのすべてではない、全身まるごと全部があなただ。
どもるかどもらないかにこだわらないで、もっと全体をよくすることを考えよう」
50年前から僕が考えていたことを、他の領域の人たちも同じように考えて下さり、さらに、僕たちが説明しきれなかったことを丁寧に説明して下さっています。とてもありがたいことでした。
現在の世界の吃音臨床・研究の現状は、あいかわらず「吃音症状」の消失及び改善のための言語訓練が主流です。この現状にもどかしさを感じつつ、今、「スタタリング・ナウ」を読み返しています。とても新鮮な気持ちで、再び、野口三千三さんに出会っている、そんな気がしています。
野口体操から考えた吃音
野口三千三
はじめに
私はどもりについて詳しく知りませんが、身体障害や精神障害の問題には関心を持っています。肢体不自由児施設にはよく出かけ、身体障害の人達と親しくしています。また、施設の先生方が、脳性麻痺児の指導の参考にしようと私の体操教室へ来られます。
「からだや顔の歪みを直そうとしてはいけない」
「自分にとって動きやすい動作をしなさい」
私はアドバイスを求められたとき、こう答えます。施設の中だけでなく、恥ずかしがらずに街へ出て、楽な姿勢で歩いてみるように勧めます。からだの歪みを少なくしようとすると、無理な姿勢をとることになります。表面はどうであれ、自分にとって楽な動作を覚えていくと、顔やからだの歪みは一時的にひどくなりますが、次第に少なくなります。そして、平気で自分なりの動きができるようになります。しかし、やっぱりからだの歪みを直したいと努力する人は、はじめの状態に戻ってしまいます。
どもりの場合も、恐らく同じことが言えるのではないでしょうか。どもりを直そうと努力しすぎると、ことばだけでなく人間全体が歪むのではないかと思います。自分の欠点ばかりに目を向けすぎると、全体が萎縮してしまいます。
喉や口だけがあなたのすべてではありません。全身まるごと全部があなたなのです。どもるかどもらないかにこだわらないで、もっと全体をよくすることを考えて下さい。これから私がお話することが、何か参考になればと思います。
からだは意識の奴隷ではない
みなさんがどもっているときには、首や肩が緊張していると思います。どもりそうだと思ったとき、緊張を解こう、力を抜こうとされるでしょう。ところが、力を抜こうとしても、意識的にできるものではありません。
どもりの問題に限らず、「力を抜こう」とするのは、意識で人間のからだを支配できると考えているからです。そもそもこの考え方が誤っているのです。からだは決して意識の奴隷ではありません。
私が人間のからだと意識をどのように考えているか、説明しましょう。
大抵の人は、人間のからだは、骨が中心にあってそこへ筋肉や内臓がつき、一番外側を皮膚が覆っていると考えています。解剖学的に言えば確かにそのとおりでしょうが、しかし、それは死んだ人間のからだを説明しているにすぎません。生きたからだとは、皮膚という袋の中に液体的なものがつまっていて、その中で骨も筋肉も内臓もプカプカ浮かんでいるものです。つまり、からだの主体は体液であり、骨とか筋肉とか内臓は、体液が後で作った道具なのです。発生学的に考えていくとそうなります。
人間のこころの面も、はじめは非意識であり、意識は徐々にっくられてきたものです。このことは、誕生したばかりの赤ちゃんを考えてみると分かるでしょう。主体は非意識なのです。もし意識が主体であり、からだを思うままに動かせるとしたら大変なことになってしまいます。歩くという簡単な動作でさえ、短い時間で何百という筋肉に対して、時々刻々変化に合わせて数え切れない命令を出さなくてはなりません。そんなことは到底できるわけがないのです。つまり、人間が生きていくために意識の果たす役割はほんの少しであり、非意識こそが主体なのです。この「体液・非意識主体」を無視して、意識によってからだを支配しようとしていることがどんなに多いことでしょう。
例えば、吃音矯正の方法も、意識的に発声器官や呼吸をコントロールしようとしているのではないでしょうか。意識的に話そうとするから話し方が不自然になったり、喉や口に注意が向き過ぎて話せなくなったりするのです。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/15