伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2022年06月

セルフヘルプグループと吃音 (2)

 松田博幸さんの話のつづきです。話の中に、上智大学の岡知史さんの、セルフヘルプグループで人はどう変わるか、が出てきます。わかちあい、ときはなち、ひとりだち、この3つは、セルフヘルプグループの原点であり、僕も実感しています。専門家との対等な関係、仲間同士の対等な関係、それが基本になっています。

セルフヘルプグループとのかかわり (2)
                  日本福祉大学(当時) 松田博幸

セルフヘルプという考え方
 セルフヘルプグループを、嫌なことばですが、「同類相憐れむ」と見る人は結構います。悩みをもっている人が集まって愚痴をこぼし合って、「傷のなめ合い」をして何になるんやという声がまだまだあると思いますが、本当にそうでしょうか? 私は、それは違うと思います。
 セルフヘルプグループという場合の、「セルフヘルプ」ということば自体は、19世紀の中頃から世界に広がった古いことばです。明治時代に日本に入り、日本語では自助と訳されることが多いようです。その場合のセルフヘルプと、1930年ぐらいにできたセルフヘルプグループの人たちがいうセルフヘルプとは、似ているようで、どうも違うのじゃないかと、早稲田大学の成富先生は言います。
 ひとりの人間が生きていくには、仲間や専門家や社会制度と関わっています。しかし、このような様々なものとの関係を断ち切って、「自分の力でやっていく」というのが明治時代に入ってきたセルフヘルプということばの意味で、日本で、自助ということばが使われる場合、古いセルフヘルプの考え方が込められています。
 一方、セルフヘルプグループでいうセルフヘルプは、「自分の力でやっていく」という点は同じですが、仲間、専門家といった様々な人たちや様々な制度と関係を主体的に作り、関係を大切にしながら、「自分の力でやっていく」ということです。
 仲間や専門家や制度などと関係を持つといっても、様々な関係が考えられます。支配する・されるという関係もありますし、対等な関係もあります。
 新しいセルフヘルプが成り立つ関係は、支配する・されるという関係ではなく、対等な関係です。専門家が「こういうような方法でやればうまくいくからやりなさい」と一つの方法を押しつけることで、支配する・されるという関係が生じることがあります。大阪吃音教室に、どこかで吃音の矯正法を広めている専門家が現れたとしましょう。そして、自分のやり方を押しつける。そうなると、きっと、そんなの嫌だと言う人が出てくる。すると、専門家は「嫌だったら、あんたはもう出て行きなさい」と言う。こういうのは、専門家に支配されている関係です。
 セルフヘルプグループによるセルフヘルプというのは、専門家との対等な関係のなかで行われることなんです。
 専門家が何か方法を考えても、それを鵜呑みにして従うのではなくて、自分たちで話し合えばいいわけです。そして、そのやり方を取り入れることが自分たちにとってどんな意味があるのかとよく考えて、自分たちにとって必要であれば取り入れたらいいし、必要でなければ取り入れなくてもいい。そういった関係が対等な関係だと思います。
 自分たちで話し合う場合も、仲間同士の対等な関係が必要です。いろんなものとの間に、支配したりされたりすることのない対等な関係を主体的に作りながら自分の力でやっていく、それが新しいセルフヘルプなんです。
 その際に、仲間とのわかちあいが力の獲得の基礎となるのです。いろいろ関係を作るんだけど、仲間との関係が特に大事になってくる。その関係があるから自分の力でやっていけるようになる。それが、セルフヘルプの考え方なんです。

セルフヘルプグループのなかで人はどう変わるか
 セルフヘルプグループのなかで、人はどう変わるのでしょうか? 
 みなさんも経験されていると思いますが、セルフヘルプグループに参加すると、同じような体験をしてきた人たちがそこにいます。そのなかでいろんなものをわかちあいます。
 上智大学の岡知史さんは、セルフヘルプグループの基本的要素として、
1.わかちあい 
2.ときはなち 
3.ひとりだち 
の3つを挙げていますが、その3つを岡さんの説明で紹介しましょう。

1.わかちあい
 「複数の人が情報や感情や考えなどを対等な関係のなかで自発的に交換することであり、しかも互いの人柄が明らかになり情緒的に抑圧されていない形で交換されること」(岡知史)

 みなさんもグループのなかでいろんなものをわかちあっています。自分は吃音をもつことでこんな体験をしてきたと誰かが話すと、他の人が自分もそうだと思う。それが《体験のわかちあい》です。また、病気をもった人たちのグループだと、こんな医療機関があるよという《情報のわかちあい》があります。《感情のわかちあい》もあります。自分はこんなつらい思いをしてきた、また今しているんだと誰かがみんなの前で話すと、他の人も自分もそうだと思える。そういうことが行われるのがセルフヘルプグループです。
 わかちあいには、語ると綴るがあります。《語るわかちあい》は今述べたようなものですが、《綴るわかちあい》は、会報などを通して行われます。会報に自分の体験を載せると、それを読んだ人が、あっ自分だけじゃなかった、自分も同じような体験をしているんだなと思えるわけです。
 《話し合い》と《わかちあい》は違います。話し合いは、結論を出します。例えば、何かある行事をする時、その進め方についてみんなで話し合います。みんなで意見を出し合って最終的に結論が出る。だけど、わかち合いに結論は関係ありません。ある人が自分のしんどさを皆の前で表現する。みんなはそれを聞いてああ自分もそうだったんだなと思い、共感する。自分だけじゃなかったんだと思える。これには結論も何もない。ただ、誰かが話して、それを聞いて、あるいは見て、自分も同じだと思える。それがわかちあいです。そんなわかちあいがあると、次に「ときはなち」が起こります。

2.ときはなち
 「自分自身の意識のレベルに内面化されてしまっている差別的・抑圧的資源をとりのぞき、自尊の感情をとりもどすことであり、しかも、外面的な抑圧構造をつくっている周囲の人々の差別と偏見を改め、資源配分の不均衡や社会制度の不平等性をなくしていくこと」(岡知史)

 「自尊の感情」は、英語にすると、セルフエスティーム(self-esteem)で、自分自身に対する評価のことです。グループに来る人は、それ以前に、自分自身に対して低い評価をしてしまっていることが多い。自分は“つまらない人間”だとか、“変な人間”だとか、“劣った人間”だとか、“情けない人間”だといったイメージをもってしまっています。だけど、グループのなかでわかちあいが行われ、そんな体験を繰り返していくと、自分自身はそんな変な人間でもなかったんだなと思うようになってきます。
 例えば、子どもを虐待してしまう親のグループの場合、世間一般の「常識」では、子どもに手を出すということはひどいことです。あるグループのメンバーが言っていました。自分たちは、本当は心の底ではやめたいけれど、手が出てしまう。子どもをほったらかしにしてしまう。そして、自分自身を、世間が言うような“ダメな母”だと思ってしまう。
 アルコール依存症の人たちも一緒で、心の底ではお酒をやめたいけれど、手が出てしまう。そこで、自分自身を“あかんたれ”だと思ってしまう。自分自身をコントロールできない“ダメな奴”だと思ってしまう。
 それがグループで「わかちあって」いると、自分は、“変な人間”だと思っていたけど、まあ、そうでもないなと思えてくる。楽になれる。自分だけじゃなかったんだと思える。

3.ひとりだち
 「わかちあいを通じて、自分自身の状況を自分自身で管理し、問題解決の方法を自己決定し、社会に参加していくこと」(岡知史) 

 「わかちあい」「ときはなち」を通して、「ひとりだち」が可能になると言います。
 「わかちあい」があって、「ときはなち」が行われ、「ひとりだち」ができるようになる。そのような過程は、まさしく、新しいセルフヘルプの過程だといえるでしょう。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/28

セルフヘルプグループと吃音

 「スタタリング・ナウ」(1998.4.18 NO.44)の巻頭言を紹介しましたが、その号には、大阪吃音教室に講師として来て下さった松田博幸さん(現在 大阪公立大学准教授)の「セルフヘルプグループとのかかわり」というお話が掲載されています。
 松田さんとは、長年大阪セルフヘルプ支援センターで一緒に活動していました。私は最近は全く参加できていないのですが、松田さんがずっと活動を継続して下さっています。大阪セルフヘルプ支援センターには参加できていないのですが、毎年、年に一度、大学のご自分の講義に僕をゲストとして呼んで下さいます。松田さんが、僕にいろいろ質問して下さり、僕がそれに答えるというスタイルですが、いつも新しい発見があり、学生たちの感想を読ませていただくのも楽しみになっています。
 今回の松田さんの文章、今、読み返すと、セルフヘルプグループについての基礎的な知識として、整理されていて、知っておいていい、いや知っておくべきお話です。

セルフヘルプグループとのかかわり
                  日本福祉大学(当時) 松田博幸

はじめに
 私は、セルフヘルプグループについて研究しています。今日は、セルフヘルグループとは何かについて話させていただきます。
 私は、社会福祉系の大学を出て、福祉事務所で仕事をした後、精神科の病院でソーシャルワーカーの仕事をしました。その後、仕事を辞めて大学院に行き、勉強をしているうちに、専門家が行う援助のほかに別の形の援助があるのが分かってきました。そして、自分が勉強したいのはこれだと思い、次第に、セルフヘルプグループに関心が向いていきました。
 また、一方で、グループを支援しようというボランティア活動にも参加しました。それが、後で話す「大阪セルフヘルプ支援センター」です。
 大阪吃音教室はセルフヘルプグループです。グループの活動をしている方の前で、グループとは何かと話すのはしづらいことです。
 「専門職者にセルフヘルプグループの意義や値打ちを伝えようと思えば、何冊も教科書を読んでもらうより、グループのメンバーに5分話をしてもらう方がずっと効果的だ」
 グループを支援する活動は、アメリカ、カナダ、ドイツで盛んですが、アメリカでそのような活動にかかわっている人のことばです。
 グループはこうこうですよと私が話すよりも、実際に活動しているグループの方に来てもらって話してもらう方が本当はいいのです。
 今日は、皆さんがされている活動を整理していくのに役立つ枠組みのようなものを研究者の立場から示せたらいいなと思ってお話します。

いろいろなセルフヘルプグループ
 セルフヘルプグループが世界的に増えてきています。古いものは、1930年代から活動を始めています。アメリカでアルコール依存症の人のグループが1935年にできました。AAです。知的障害をもつ人たちの親の会もその頃から活動を始めています。そして、どんどん世界中に広がっていきました。セルフヘルプグループは、何か生活上の課題を抱えた人がその問題や課題を解決するために集まって活動を行っているグループです。実に様々なグループが活動を行っていますが、いくつかのグループの例を、このような人たちがグループを作っているという形で、紹介しましょう。
 セルフヘルプグループというと、心や身体に病気・障害のある人たちの会が思い浮かべられやすいのですが、実際にはいろんなグループがあります。どのような人がグループをつくっているか紹介しましょう。

◎身体に障害のある人たちの会
◎難病等の病気の人たちの会
 〈稀少難病友の会〉は、日本に2人、3人という数が極端に少ない病気をもつ人たちが集まってるグループです。それぞれみんな違う病気だが、共通するのは、それぞれの患者が極端に少ないことです。私も、この会の旗揚げ式に行きましたが、自己紹介を聞いていると、名前も聞いたことのないような病気の人たちが集まっていて、それぞれ、「自分のこの病気は、日本で数人しかいないのです」と話しておられました。
◎手術や事故の後遺症をもつ人たちの会
◎精神障害をもつ人たちの会
◎アルコール、薬物、摂食障害、ギャンブルなど依存や嗜癖のある人たちの会
 何かを止めたいが、止められない。つまり何かに対するコントロールが効かなくなる状態です。お酒をやめられない人たち。シンナー、睡眠剤など、薬をやめることができない薬物依存の人たち、いっぱい食べて、そして吐くことを繰り返してしまう、食べることに対するコントロールが効かなくなる摂食障害の人たち。ギャンブルがやめられない人たち。
◎子どもや伴侶を亡くした人、離婚した人たち等の会
 阪神大震災のとき、神戸でも子どもを亡くした親のグループができました。
◎不登校や中退、出社拒否、閉じこもりなどの状況にある人たちの会
◎人間関係に悩む人たちの会
 ソーシャルワーカーや看護婦や医者など、援助専門職の人で人間関係に悩んでいる人たちのグループがあります。
◎虐待してしまう人たち、虐待される人たちの会
 一般的な機能不全の家庭で大きくなった人たち、家族にアルコール依存症の人がいたという人たち。子どものときに虐待を受けた、虐待とまではいかないが、例えば、家族からすごく厳しく育てられた、あるいは、親から構ってもらえず寂しかったなど、辛い目をしてその傷が癒せない人たちがメンバーになっています。
 「アディクション・ママネット」というグループが最近できました。子どもを虐待してしまう親の会です。子どもに手を出す、ほったらかしにして放置してしまうなど、心のなかではやめたいが、してしまう。あるメンバーのことばを借りると、子どもを可愛いと感じることのできないママさんのグループです。
◎ライフスタイルを共有する人たちの会
 男の人はこの社会のなかで、男らしさを意識して生きています。心のなかに“男らしくないといけない”が自然に入りこんでいる。でも、それはしんどいから、ときはなたれて楽に生きようというグループです。
◎上記の人たちの家族等の会
 アルコール依存症の人を家族にもつ人たち、薬物依存の人を家族にもつ人たちのグループもあります。
◎その他の会

ガイドブック セルフヘルプグループ表紙 ともかく、いろんなグループがあるということを知っていただければと思います。
 外国には、さらにいろいろなグループがあります。例えば、〈顔に傷がある人たちのグループ〉には、手術をして傷が残っている人も、アトピーの人も、口唇口蓋裂の人も含まれます。カナダには、〈大きい人たちの会〉があります。身体が大きい人たちも悩みを抱えています。人の目も気になるし、服を買うとき、どこで買うかの情報も必要になってきます。〈物をうまく片づけられない人たちの会〉もあります。一所懸命片づけようとするんだけど、うまく片づけられなくて家が散らかっていて、いらいらしている人の会です。実にいろんなグループが世界中で活動を行っています。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/27

第31回吃音親子サマーキャンプ、開催します

 6月というのに、夏のような日が続いています。「吃音の夏」と呼んでいる私たちのイベント。2年間中止になりましたが、今年は開催に向けて準備を始めています。
 7月30・31日は、千葉市で、第9回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会を、8月19・20・21日は、滋賀県彦根市で、第31回吃音親子サマーキャンプを行います。
 詳細は、日本吃音臨床研究会のホームページに掲載しています。

 今日、紹介する「スタタリング・ナウ」(1998.4.18 NO.44)の巻頭言は、吃音親子サマーキャンプに初めて参加した母親から届いた手紙を読んで書いたものです。
 セルフヘルプグループが大切にしている3つのメッセージ「あなたはひとりではない、あなたはあなたのままでいい、あなたには力がある」で救われた僕たちは、子どもたちにも、同じメッセージを伝えたくて、吃音親子サマーキャンプを始めました。しっかりと受け取ってくれた子どもたちが、これまでにたくさん卒業していきました。
 今年も、どんな出会いがあるか楽しみです。コロナの感染拡大防止のためできる限りの対策をして、「吃音の夏」を迎えます。ぜひ、ご一緒して下さい。

初めての友達
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「私の大好きな友だちはいっぱいいる。だけど、その中で一番好きなのは、私と同じどもりの女の子だ。名前は、ゆきちゃん。私が生きてて初めてとても気が合う友だちだった。けど、その子とは、1年に1回しか会えない。その1回とは、サマーキャンプの事だ」  本田みほ 小学5年生

 昨年の吃音親子サマーキャンプに参加した本田さんからいただいた手紙に、みほちゃんが学校で書いた作文の一部が紹介されていた。
 キャンプに来る前、本田さん親子は、どもりということばは使ったことがなく、なるべくその事には触れないできた。児童相談所のどもりを意識させてはいけないという指導があったからだ。意識させずに、なんとかどもりを治したいという思いを一杯もってキャンプに参加した。
 「初めて母娘ともに、同じ悩みをもつ多くの人と出会い、私達だけじゃないという思いと、そして、真剣にどもる子どものことを考えて下さる多くのスタッフの存在を知ったことは、私の大きな支えになっています。キャンプから帰ってから、みほもみちがえるほど明るくなったのですが…」
 帰りの新幹線の中で、母と娘は初めてどもりについて話し合い、「どもってもいいじゃないか」と母は娘に言えるようになった。しかし、夏が終わり学校が始まると、キャンプの時とは違って、実際にどもるのは娘だけだ。「どもってもいい」がどれだけ娘の支えになるか空しく感じたという。
 そんな中、4年生後期の代表委員に立候補してみほちゃんは当選する。母は内心びっくりしながら、自ら立候補したその勇気を褒めた。
 ところが、その夜、布団の中で娘はこう言う。
 「代表委員にならなければ良かった。今度の全校集会での自己紹介の時、きっと言葉が詰まってしまう・・。」
 「言葉がどもってもいいじゃない。ママは、代表委員で頑張ろうと思ったみほちゃんの気持ちを素晴らしいと思う。どもってもみほちゃんは偉いよ」
 今度は、心から母はそう答えることができたと言う。
 そして、4年生の3学期の終わりに学校で書いたのが、『ともだちと自分』のこの作文である。
 本田さんは手紙をこう結んでいる。
 「半年以上も前、たった3日間の交流しかなかったゆきちゃんが、今でも娘の心の中で、大きな支えになっているんだと思いました」
 この本田さんの手紙には、セルフヘルプグループの最も基本の大切なことが含まれている。
「あなたはひとりではない」
「あなたはあなたのままでいい」
 ひとりどもりに悩んでいた頃は、どもるのは本当に自分ひとりのように思っていた。他にいるだろうとは想像すらできなかった。仮に想像できたとしても、実際に出会うのとは全く違うことだろう。
 セルフヘルプグループの人達は、「同じような悩みをもつ人との出会い」の喜びがいかに大きなものだったか口を揃えて語っている。
 みほちゃんにとって、同じようにどもるゆきちゃんとの出会いが、学級代表に立候補する後押しをしたのだろう。そして、辛いことがあったとき、ゆきちゃんのことを思い出したことだろう。まさにみほちゃんは、「あなたはひとりではない」。
 どもりを一切話題にせず、どもりが治ることを願っていた母が、子どもに「どもってもいいじゃない」と心から言えたというのは、すごいことだ。
「あなたはあなたのままでいい」は、セルフヘルプグループの最も大切にしているコンセプトだ。
 娘は「私はひとりではない」と実感でき、母は、心から「そのままのあなたでいい」と言う。
 セルフヘルプグループのもつ意義の大きさを改めて思った。
 本田さん親子を含めた、どもる子どもと親の体験文集が『どもり・親子の旅』としてまとめられた。朝日福祉ガイドブック『セルフヘルプグループ』と殆ど同時に発行されることに不思議な縁を感じる。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/26

「ことば供養」に寄せて

 以前、『スタタリング・ナウ」NO.41の巻頭言《ことば供養》を紹介しましたが、それに対して寄せられた3人の感想を紹介します。まず一人目は、内観を思い起こした人です。今、大阪吃音教室では、「どもり内観」という講座が定着しつつありますが、それと通じます。ことばへの深い思いがあふれている感想です。

  
ことばに対する内観
                          伊藤光大郎
 供養というと、死んだ人に対して弔うことを言い、自分たちの祖先を大切にする心の現れです。それを、「ことばに対する供養」という発想は、普段、どもる人たちがもっている自分のことばに対するいろいろな気持ちを考える時に、とても新鮮で、有意義な視点だと思いました。
 私もどもってことばが出ないとき、そのときの出ない感じや体の緊張へのいらだち、聞き手に対する恥ずかしさなどを感じてしまいます。そうしたときに、どもってでも自分の言いたいことを言うという習慣がついていたらいいのですが、ずっと小さい頃から、ある種の自分のみえを守るために、ごまかしたり、黙ったりする習慣がついていて、そのたびに、いつも「不全感」のようなものを感じてきました。
 今回の『スタタリング・ナウ』を読んで、その気持ちの中に、自分の体の中からわいてくることばをぐっと押さえつけ、闇の中に葬り去ってしまったということばへの申し訳なさという気持ちが入っていたんだということに気づかされました。
 そして、自分のそういったことばを大切にしてこなかったことへの反省の気持ちが自然とわいてきました。これが「ことば供養」なんですね。
 以前にも一度、この「ことば供養」のような発想の視点を感じたことがありました。それは、以前、大阪吃音教室に講師として来られた三木善彦先生のところで「内観」をしたときです。内観は、自分の身近な人に対して、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3点から、その中で特に「迷惑をかけたこと」に重点を置いて自分自身を調べていくんです。内観にはその人の抱えている問題によっていろんなバリエーションがあります。そのひとつに、「自分の体に対する内観」というのがあります。自分の身体に対して、知らず知らずのうちに負担をかけていたことを反省し、自分のからだの一部一部に対して感謝するのです。
 例えば、朝、目が覚めたときにちゃんと目が見えること、一日の疲れを癒す風呂の湯船の中で、心臓や手足の指ひとつひとつに対していろいろほめてあげる徹底的な得点主義です。
 患者さんに対してこの「身体に対する内観」を試み、心身症などにとても効果があるそうです。私は自分の「ことばに対する内観」をしてみたくなりました。
 今まで吃音を理由にどれだけ自分のことばを傷つけてしまったか。そして、逆にその傷つけてきた自分本来のどもっていることばによって、どれだけ今まで自分が生かされてきたかということを、ひとつひとつ調べあげていくのです。これは、『スタタリング・ナウ』に書いていた「ことば供養」そのものだと思います。私が大阪吃音教室でいろんなどもる人を見ていて、しっかりと自己主張できる人、いい人間関係を作っている人に共通することは、みな、自分のことばを大切にしている人ではないかなあと思います。
 大阪吃音教室でしていること、日本吃音臨床研究会の『吃音ショートコース』で内須川洸先生、竹内敏晴先生、平木典子先生のおっしゃっていることの根底には、この「自分のことばを大切にする」という考えがあるように思えます。私も普段から「ことば供養」をしっかりして、自分のことばを大切にしていきたいと思いました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/21

特集・ことば供養 どもり方を磨く 3

 昨日の続きです。自分のどもり方を個性にして活かすという発想は、昔も今も、変わっていない僕の発想です。

伊藤 絶対どもりたくない、できるだけ隠そうと思ったときは、どもり方は変化しないんですね。隠すテクニックが多少上達するだけで、それは症状の変化とは結びつかない。
 どもりを否定していると、自分では相手に向いてるつもりでも、相手と向かい合っていない。このことばを言ったらどもるやろうと、コンピュータが瞬間に判断して、言わないとか、言い換える。相手と向き合うのではなく、自分のどもりと向き合っている。それは、自分のどもりとのコミュニケーションで、相手とのコミュニケーションではない。
 相手と向き合うためにはまず、相手の目を見る。目を見ることで相手と向き合うと、相手も向き合わざるを得なくなる。しかし、どもる姿を見られたくないと、うつむいてしゃべる。すると、相手は関係がつかめない、関わりにくい。いかにどもっても、相手の目を見て向かい合うと相手との関係は生きる。
 しかし、目を見るということは大変難しいんですね。東野さんも、竹内敏晴さんに質問したときに「あんた、さっきから僕の目を見てしゃべってないやないか」と言われたね。相手の目を見るようになって、東野さんも電話がずいぶん楽になった。どもりとの対話ではなくて、相手と対話することが基本ですね。
 真似をしてもいいと思える《どもり方の見本》を見つけることを考えたい。真似をすることから、自分のどもり方のプロポーションを変えようということです。
 どもり方のパターンにもいろいろありますね。ブロックの難発型と、連発型がある。本来ブロックを連発型にすれば良いんだけど、なかなか大人になってからでは難しい。わざとどもるという《随意吃》がどもる人にあまり支持されなかったが、できないことは無理してせずに、できる範囲でプロポーションを変える。難発なら難発なりのしゃべり方を活かす。連発だったら連発なりのしゃべり方を活かそうと、当面考えた方がいいかも知れない。
 例えば、ノーベル賞の作家・大江健三郎さんや物理学者・江崎玲於奈さん。あの人たちは、難発型のブロックを上手に活かしているように僕には思える。決して連発型にはならない。難発型のブロックの、「間」が生きている。どもるからゆっくりではなくて、自分の個性、パーソナリティーとして、どもって声が出ない時の「間」を活かすという発想をしてもいいと僕は思います。
 僕が「間」が素晴らしいと思った人に、徳川夢声という人がいます。ラジオの時代に、宮本武蔵などを朗読していて、随分ゆっくりした話し方だなあと聞いていました。その徳川夢声さんから「間」を学んだどもる人に、社会評論家の扇谷正造さんがいます。扇谷正造さんからは、「私はかってどもったが、今はどもりではない」と、私たちが吃音の仲間扱いをした時に叱られましたが、週刊朝日の編集長時代に、徳川夢声さんと対談して、その「間」にほれるんですね。その「間」を真似たと扇谷さんは言っていました。徳川夢声さんはどもる人ではありません。
 東京都知事だった美濃部亮吉さん、知っていますか。ちょうど美濃部さんが立候補して東京都知事に初当選する時、僕は大学生でした。直接的な応援はしませんでしたが、演説会場に演説を何度も聞きに行きました。その時の美濃部さんの話し方のとてもゆっくりでした。
 「みぃ・ん・しゅぅ・しゅぅ・ぎぃ・とぉ・い・う・もぉ・のぉ・はぁ…」
 僕は、民間吃音矯正所で教えられた極端にゆっくりの喋り方が嫌だったのですが、そのゆっくりさとあまり変わらない程度にゆっくりなのに、不自然さが全く無い。ソフトな語り口に、本当にびっくりしました。絶叫型の演説がまだ多かった時代に、美濃部さんは、自分のことばで淡々と聴衆に語りかけていく。それがものすごく素晴らしかった。
 この人、上手に間を使ってるなとか、この人のしゃべり方はゆっくりだなという人を、難発型の人は、「間」を活かすというふうに、発想を考えてモデルにしてはどうでしょうか。どもるからつっかえて「間」が開くんだと考えないで、「間」をどう活かすか。どもっているそのどもり方が、その人の個性を作る。このように有名人じゃなくても、僕らの仲間の中にも、どもり方の見本はあるんじゃないかと思います。
 難発型から連発型に変えようと思ったときは、羽仁進さんや平野レミさんのどもり方がモデルになるかも知れない。羽仁進さんの話し方は軽快ですし、平野レミさんは料理番組かなんかで聞いてると、明るく楽しくどもっている。
 ことば供養の中に書いた大分のSさんは、ブロックを突き破ってでもしゃべろうとするから、派手に爆発するようにどもりますが、彼がしゃべり始めると、思わずこちらの顔がほころんできて、笑いたくなる。彼のどもり方が、その場を柔らかくし、雰囲気を盛り上げる。温かい、明るい雰囲気なんです。いつもニコニコしている。
 あなたはどのどもり方、どのプロポーションを選ぶでしょうか。
 どっちみちどもるなら、かっこよく楽しく。いっぺん、今度上手にしゃべるのではなくて、どれだけ上手に格好良く、どもるかというどもり大会をやればおもしろいと思います。

東野 どもる人の有名人で、どもっているところをあんまり見たことないが、この間、映画監督の篠田正浩さんが出てて、ちょっとどもるのだけれど、柔和な感じでゆっくりと話をしていて、感じがいいなあと思いました。軽くどもって、気にならない。

伊藤 おっちょこちょい役を演じさせるとき、昔はよく俳優にどもらせていました。森の石松役の俳優はよくどどもっていたように思います。
 ユーモアはなかなか難しいことなんだけど、昔から吃音がり笑われ、からかわれた対象になったのはやっぱり、人がどもると、聞いていて面白い部分があるからですね。
 連発型のどもり方は、面白がられる。そして笑われると、僕たちは屈辱感を感じる。だから、今度は難発の状態になってしまう。本来というか、子どもにみられる、どもり初めのころのどもっている状態は、かわいそうだなあという印象を持たれるよりも、笑いの対象であることが多い。そう考えてくると、僕たちは、期せずして笑いをとっていることになる。
 面白い人は人気があるわけですが、私たちは期せずして、苦労せずにユーモアを醸し出すことができると考えることもできるのではないかと思うのです。
 では試しに、今から自分の名前を格好良くどもって言ってみましょうか。

 (次々と試みるがぎこちない。普段どもっているのに、いざ意識してどもろうとするとできない)

平沢(男・小学校教諭) 隠そうという意識が働いたときからブロック、難発が始まったなあと思う。小さいときはものすごい早口でどもりながらしゃべってたんですよね。中学生になって恥ずかしいと思い始めて、連発じゃなくて難発になって定着していった。だから、笑われたことを恥ずかしいと思わなかったら、今頃はなんともなかったかも知れない。

伊藤 人が笑ったことを、自分に対するさげすみととるか、「笑ってもらった」と喜ぶかで随分違いますね。どもる状態を自分で判断して、今日はしゃべりにくいなあと思ったら、今日は熟慮に熟慮を重ねてるようなどもり方するとか。結局サバイバルですよね。生き残るためにほとんどの人が、どもりを隠そうとしたり、また、どもらないふりをしたりして、失敗してきた。だけど、どもってもいいと思ったときに、少しずつどもりは変化してくる。どもらないように変化させようと思ったときは、変化は起こらない。
 このままでいい、悩んでいる自分も自分だ、落ち込んでいるのも自分だと思ったとき、変わっていく。これはどもりだけに限ったことではないように思います。(了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/17

特集・ことば供養 どもり方を磨く 2

 昨日の続きです。「ことば供養」について、大阪吃音教室で話し合った内容を紹介しています。

伊藤 アメリカの、自身がどもる言語病理学者でもある12人の、吃音者へのメッセージを集めた本を翻訳して出版しましたが、その『人間とコミュニケーション』(NHK出版)の中に「言い替えをする自分を許そう」という表現があります。
 吃音を受け入れて生きるという主張の中に、どもっても決して言い替えをしてはいけないという主張がこれまでにあって、息苦しさを感じていたのですが、「言い換えを許す」はとても新鮮で、そうだそうだと共感したのをよく覚えています。
 言い替えをすることに罪悪感を持ってしまうと、横田さんが言ったように、いつも自分を責めてしまうことになり、とっても辛い。
 そこである人は、自動的に自分の身を守るために、感じなくしてしまう。それが日常的になってしまうと、気づけなくなる。
 知人のスピーチセラピストが広島の病院で仕事をしていた時の話です。
 ある人が、上司から紹介されて吃音の相談に来た。つきあいのある私たちのことを話したり、どもりは、逃げたり隠したりするのが問題ですねなどと話をしていたら、その人がワーっと泣き出して、自分のことを話し始めました。

 『子どもが学校で事故で片目を失明した。裁判で訴える話もあったが、仕方がないと示談で済ませた。物分かりのいい人間を演じていた。《どもる人は吃音を隠し、逃げる》という話を今聞いて、実は僕もそうだったのだと気づいた。
 裁判になると、話さなければならない。吃音については隠して、誰にも話していなかったので、周りの人に吃音であることを知られるのが怖かった。それで示談で済ませたのだ。どもりを隠して、どもりたくないために、自分は大事な娘の失明の事でも、主張しなければならないのに主張しなかった。自分がどもりでなかったら、きちんと言っていただろうと思うと悔しい。娘に申し訳ないことをした』

 いつも避けたり逃げたりが日常的になると、逃げていることに気づかなくなってしまう。そうでないとバランスがとれないので、サバイバルという意味でそれはそれなりに意味があったのですが、一方で、それを意識化していく作業も必要な時がある。逃げている自分を意識するのは辛いけれど、そうしなければ、東野さんが言う不全感であったり、徳田さんが言う納得できない生き方であったりする。こう気づいた時に、辛い対応かも知れないが、その問題に直面していくことが大切ですね。ことばについて言えば、直面するきっかけに「ことばの供養」がなればいいなあと思います。
 それでは、どもり方を磨くに話をすすめますが、気持ちだけでなく、症状面でも変化している人は多いと思いますが、以前のどもり方と今とずいぶん違うと思う人、いれば教えて下さい。

佐藤(女・会社員) だいぶ変わってきました。言い替えをしてどもるのをごまかしてきたので、友達もどもるのを知らなかった。それが、ごまかさないようになったので、前よりどもるようになりました。

徳田 随分変わりました。今は自分がどもりだと自覚してしゃべっている。以前はどもりだと思いたくなかったし、なんとかうまくしゃべろうとして、言い替えを非常にしていた。今はほとんどやってません。今は言いたいときは、随意吃を使ってでもしゃべる。その方が自分そのものやと思うし、今はかっこよくしゃべろうとは思わない。同じどもるにしても素直にどもりたい。
 僕は心地よいどもり方という表現が好きで、それは、しゃべる方も聞く方にもいい。同じどもるにしても、聞きやすいし、心地よい。表情が豊かであれば、症状的にどもっていても、何を言ってるか素直に伝わってくる。

曽根 僕は今年の正月ぐらいから、どもりがひどくなった。自分で考えたんですが、いつも緊張気味の方が、どもらずに喋れるので、僕の体が自分のどもりを受け入れてきたようで、緊張が緩んで反対にどもり出したんかなと思う。症状的には目立つが、気分的には違います。

平沢(男・会社員) この大阪吃音教室に初めて来た中学1年の頃は、あまり人の顔を見ることができずに、しゃべることが多かった。顔をひきつるように話すことがあったのですが、どもっても声を大きくしてしゃべろうとして、だいぶどもりが軽くなった。最近は、どもっても、人の顔を見てしゃべればみんな聞いてくれます。

杉本(男・自営) 僕はあまり昔はどもりを意識しなかったが、ここに来て自分はどもると意識するようになった。最近よけい、ひどくなった。最悪です。それでも楽ですが…。

東野 ずいぶん軽くなりました。最初出なくて、難発だった。変わった理由は、どもってもいいやと思い出してからです。どもってもいい、どもりを受け入れようと思ったときから軽くなっていきました。それまではやっぱりどもらずにしゃべりたいとか、どもりであるのにどもりの自分を否定してるからよけいことばが出なかったのです。
 今は気持ちが沈んでいる時は確かに調子悪いですが、また元に戻るわぐらいで、吃症状に関しては考えませんからね。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/16

特集・ことば供養 どもり方を磨く

 『スタタリング・ナウ』のNo.41の一面「ことば供養」に3人の方からお手紙をいただきました。どもることばの言い換えや、言わないで済ませる時の気持ちが伝わってきます。
 どもる人にとって、どもりたくない気持ちは根強いのですが、その思いを理解しつつも、あえて、『どもり方を磨く』という表現をしました。
 『どもり方を磨く』なんて果たしてできるのか? 大阪吃音教室(1998年2月6日)で、『どもり方を磨く』をテーマに話し合いました。
 3人のお手紙とともに吃音教室の様子を紹介します。
 まず、「ことば供養」について感じたことから話しました。

徳田(男・会社員) その人が創ることばというのは、その人の人間そのものだと思う。だから、以前、私がどもるからとことばにしてこなかったのは、自分という人間を表現できずにいたことになる。納得して生きてこなかったような気がする。

溝口(女・小学校教諭) 自分らしさということをよく言うが、その中に《自分のことば》のことはあまり入ってなかった。他の人にはどもると分からない難発の状態や、連発で「卵」というのを「タ・タ・タ・」とどもっているとき、それは、私にとっては私のことばではないと思ってきた。
 しかし、それは決してそうではなく、どもっている状態を全部ひっくるめて私のことばであり、それが私らしさなんだと改めて気づかされた。

森山(男・会社員) 自分の言いたいことばを言い換えて、納得できないことがあります。こう言いたいのだけれど、どもって声が出ないと、出ることばで言うから、遠回しに言ってしまうこともある。

東(男・会社員) 私は、揺さぶりをかけられたような気持ちになりました。合理的なものとか現実的なものばかり追っかけて、役に立たないものや非効率的なものは、わりと今まで切って捨ててきたなあと思いました。

桑野(男・会社員) 感情が伴うときには、あまりどもらずに話せますが、冷静に構えたら、発言を逃すとか、タイミングを逃してしまうことがよくあります。言いたいことがあっても、最初の一声が出るかなどまず最初に意識してしまいます。間を取るというか、自分では意識してゆっくり言うようにしています。

名村(男・自営) 書いてあるように、軽く自分らしいいいどもり方ができれば素晴らしい。自分を振り返ってみて、45歳頃まではどもってても、ほとんど気にしなかったが、大勢の前で話す機会が増えると、人前でええカッコしてしゃべろうと、すごい意識過剰になった。
 だからどもってもいいから自分を表現するどもり方が出来ないかなというのを読んで、その人の表情とか、体から出るものとか、どもってても個性が出ればいいなあと思う。

横田(男・会社員) 僕は、ことば供養というものの見方にびっくりした。言いたかったことば、言いたいのにあえて言い換えたことばがたくさんある。大阪吃音教室に入った時、言い換えるのが嫌やと言う人がおられたんでびっくりしました。
 僕は言い換えることは、嫌でもなく苦しくも何ともなかった。あえて感じなくしていたのでしょう。そこで悩んでたら、しょっちゅう辛い思いばっかりしていなければならない。それをあえて、供養と聞いて、本当に驚きました。

山本(女・中学校教諭) 私もことば供養という感覚まではなかったが、最近になってよく感じていたことがある。素直に自分の言いたいことがストレートに言えてないなと。自分の気持ちとは裏腹なことばがパッと出るときがあると。
 どもるのを避けたい感情が先に働いて、すり替える。ことばだけのすり替えならいいけれど、言いたい内容のすり替えもある。あがってしまい、言いたいのが迂回して伝わるような言い方になったり、言わなくてもいいことを言ったり。後から、何でこんなこと言ったんやろと思う。

曽根(男・元会社員) 僕は交通事故で4年間の入院生活のあと再び社会に出て就職しました。それまでは全くどもらなかったのに、会社で、これまでと違う感じで周りを意識してしまったのか、どもり始めた。30歳ごろですが、それからは、簡単なことを聞かれても、どもりそうなことだと、どもって笑われたり、恥ずかしい思いをするよりも、「分かりません」と言う方がいいと思い、ずっと「分かりません」と言ってきた。
 その「分かりません」と言った後で、こんな簡単なことも分からんのかと相手に思われたような気がして、自分でじくじたる思いをしていたんだけど、大阪吃音教室に参加するようになったら、どもっても自分の言いたいことばを言う方がいいという気がしてきました。

東野(男・団体職員) 僕は以前、ことばをただ音声としてとらえ、意思の伝達ができればいいやととらえていた。だけど、ことばはその人の気持ちとか思い、その人らしさの表現だと思うんです。言い替えしたり、言いたいときに言えなかったことを振り返ると、その時は僕は自分のことばというのを、つまり自分を殺していたことになり、ずっと不全感がありました。
 だから、どもるそのものよりも、言えないときのもどかしさとか、そういう面のストレスが非常に強かった。まさしく自分が自分でないという、そんな感じがありました。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/15

どもり方を磨く

 いつのまにか6月半ばになりました。もうすぐ今年の半分が過ぎることになります。時の経つのがあまりに早く、戸惑ってしまいます。
 毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」6月号、「竹内敏晴の世界」のタイトルの年報ができあがってきました。そして、今、僕は、この夏、2年ぶりに開催する「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」と「吃音親子サマーキャンプ」の準備を本格的に始めています。吃音講習会では、これまでの学びの集大成と位置づけて、整理しています。
 今日は、1998年3月の「スタタリング・ナウ」NO.43の巻頭言を紹介します。タイトルは、「どもり方を磨く」。吃音を肯定的にとらえているからこそのタイトルです。

どもり方を磨く
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 どもる人としての表現をしたい、どもることばを話す少数者として、どもりを磨くことによって、新しい文化を作ってもいいのではないかと、「どもりの歌を歌いたい」と、No.39号に書いた。
 アメリカでは、《どもらずに流暢に話す》と《流暢にどもる》の論争が長く続いていた。
流暢に話すとは、いわゆる吃音症状を治し、どもらずに話せるようになることであり、一方、流暢にどもるは、どもっても言いたいこと、言わなければならないことを言っていこうとする。前者は吃音を否定しているが、後者は吃音受容ととらえることもでき、私たちの主張に近いと思ってきた。
 根本の発想が違い、本来統合などあり得ないと思われるこのふたつが、近年アメリカで、統合に向かっていると聞く。互いのいい点を取り入れようということで、なんであれ、どもる人が生きやすくなればいいということなのだろう。
 根本的に違う両者が、統合に向かうというのは、結局は、両者とも吃音治療にとって何が有効かということになるのだろう。《流暢にどもる》も、そうすることによって吃音が軽くなると考えられるからではないか。そうであれば、ふたつが最近統合に向かっているのは納得がいく。吃音受容ととらえていた《流暢にどもる、楽にどもる》は、全面的な吃音の肯定ではないことであり、私たちの言う「どもってもいいんだ」とは少し違うことになる。
 吃音を治すという行動の動機は、どもっていては聞いてもらえない、マイナスの評価を受けるなど、吃音への恐れや不安の場合が多い。不安から逃れよう、不安だからするというネガティブな動機による行動といえる。不安や恐怖は《からだ》に大きな影響を与える。緊張し、自由さが失われる。
 そのような《からだ》と、〜しなければとの気持ちでの取り組みはうまくいかないだろう。これまでの吃音治療の多くが失敗に終わったのは、動機がネガティブだったからだと思う。
 その反対は、〜したいからする、楽しいからするということだ。この違いはかなり大きい。どもりを治したいから治すという人がいるかもしれないが、治す、軽くする、普通に近づくと、ことばを変えてみても、マイナスから出発していることに違いない。
 どもり方を磨くは、「どもってもいい」が大前提としてある。マイナスからの出発ではない。そのままでいいのだが、本人がしたい、楽しくするというなら、磨くことも悪くはないという発想だ。
 どもりは悪いもの、劣ったものと考えていたら、磨くという発想は生まれない。治す、軽くする、流暢にどもるというところから一歩離れて、自分のどもり方を見てみたい。
 このままでも悪くはないが、プロポーションを少し変えてみようか、といったような自由な気持ちで取り組むことが肝要だろう。
 どもりを磨くために、まず、自分の声と向き合いたい。竹内敏晴さんのレッスンで私たちが身につけようとしている《一音一拍》《母音を押す》ことは、どもる、どもらないにかかわらず、日本語を話す人の誰にも必要な基礎的なレッスンだと言っていい。
 一音一音を、前の音の息を切らずに、しかもしっかりと出していくと、あせって言おうとする人にとっては、結果として話し方をゆっくりとさせる。
 「みぃ・ん・しゅぅ・しゅぅ・ぎぃ・とぉ・い・う・もぉ・のぉ・はぁ…」
 東京都知事だった美濃部亮吉さんの話し方は、今から思うと《一音一拍》《母音を押す》話し方だったように思える。ゆっくりだが、民間吃音矯正所のどこか間の抜けたゆっくりさとは違って、不自然さを感じさせない、説得力のある、個性ある話し方になっていた。自分のことばで、自分の表現のスタイルをもって私たちに語りかけてきた。
 基礎的なレッスンをもとに、自分なりの話し方のスタイルをみつけていきたい。楽しく、気軽に、どもり方を磨く。それが、どもる人の新しい文化につながるように思われる。
(1998.3.21 NO.43)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/14

もうひとつの、どもり・親子旅

 先日、紹介した松尾さん親子のどもり旅の続編として編集した『スタタリング・ナウ』(1998年2月21日)を紹介しています。次に、松尾さんの文章を読んだ感想を紹介します。今日は、松尾さんと同じように、どもる子どもの親であり、後にそれがきっかけで、大阪教育大学の特殊教育特別専攻科(言語障害児教育)で吃音を学び、小平市の障害者センターでスピーチセラピストとして働いていた安藤さんの感想です。安藤さんは、松尾さんの「どもり・親子の旅」を読んで、ご自分の親子の旅を振り返って下さいました。その安藤さんとは、僕は公私ともに親しくさせていただきました。最初のパンフレット「どもりの相談」を作ったときも一緒に合宿をしたり、内須川洸先生との年に一度の旅行にもご一緒しました。ご病気で亡くなられましたが、こうして文章を読むと、包み込むような温かさと鋭い指摘とが思い出されます。

  
どもり・親子の旅を終えて

                  小平市障害者センター言語相談室 安藤百枝

はじめに
 松尾さんの「どもり・親子の旅」、とても懐かしい気持ちで読ませて頂きました。
 私は現在、スピーチセラピストとして働いていますが、20数年前、当時幼稚園児だった息子とどもりの旅をスタートしたひとりの母親でもあります。その旅がいつ終わったのかはっきりしませんが、松尾さんの文に触発されて、長いようで短かった私共の旅をふり返ってみました。

息子のどもりが重くなり
 時々軽くつっかえる程度だった息子のどもりが、5歳の時自家中毒のあと急に重くなった時には、どうしたらよいのかわからず、あわてました。
 どもりに関しては、注意したり、言い直しをさせたりしなければ、そのうち治るという程度の知識しかなかった私は、なんとかして治さなければ、と総合病院の小児科を受診し、そこですすめられたスピーチクリニックに通いました。
 話す前にフゥーッと息を吐くという練習をして、一時的に軽くなったのも束の間、以前よりひどくなってしまいました。そしてまた、別の吃音研究所に通うという愚かなことをしました。そこでは、機械を背中に背負わせるなどする治療にインチキ臭さを感じ、2回ほどでやめました。
 どうすればいいのか戸惑っていたある日、テレビを見ていると、NHK教育テレビ番組「NHKことばの治療教室」が出演メンバーを募集していると案内していました。ここなら信頼できるだろうと応募し、条件に合ったため、メンバーに入れていただきました。

NHKことばの治療教室
 ここでの一年間は、それまでの私のどもりに対する考え方が、根底からくつがえされる葛藤の日々となりました。
 NHKでの指導は、どもりだけを追放するのではなく、子ども全体を良くすることでどもりを追放しようという考え方で、どもっている子どもをそのまま受け入れ、子どもの話をよく聞いて、話しやすい雰囲気をつくり、どもっても平気でいられる母親になるように、という母親指導が中心でした。しつけについても色々と考えさせられ、反省することばかりでした。
 子ども達は別の部屋で研修の先生が遊んで下さり、息子も「今度はいつ渋谷に行くの?」と楽しみにしているようでした。
 5人の母親グループの中で私は一番の劣等生で、いつまでも治したいという気持ちが強かったのですが、宿題の日記をつけながら色々な角度から自分を見つめる中で、少しずつ私の中味が変わってきました。
 母親が変われば子どもも変わるという見本のように息子の吃症状は軽くなり、自分でも「僕、ウウ、ウ、ウルトラマンていわなくなったね」といっていました。
 今思えば、どもりのことをきちんと話す絶好のチャンスだったと思うのですが、当時はどもりを意識させるなんてとんでもないことで、「ウ、ウ、ウってつっかえてもたくさんおしゃべりするほうがいいんだよ」と言ったと思います。
 『どもり』ということばは禁句でした。
 私の中にも、どもるという症状があることは認めても、『どもり』だとは認めたくない気持ちがあったと思います。
 一年間の指導が終わる頃には、どもりも軽い症状での波となり、私自身も一年前の自分からは想像できない位に平気になっていました。
 そして心の中では、治らないのかもしれないと薄々感じておりました。その一方で、親がどもる症状を気にしないで、大らかな気持ちで接することができるようになれば、子どものどもりの問題は解決する、という当時の指導の「解決する」ということばに、親の接し方次第で治るのでは、という希望を抱いていました。

治らないどもりをどうするか
 そんなあいまいな気持ちで、私共は夫の転勤で大阪へ転居することになり、もう少しどもりのことを勉強したいという気持ちもあって、大阪教育大学の神山五郎教授を訪ねました。
 そこで私は「目からウロコが落ちる」という体験をしたのです。
 特殊教育特別専攻科(言語障害児教育)の授業を聴講させてもらった時、神山教授や当時専攻科の学生だった伊藤伸二さん達、魅力あるどもる人達が、「治らないどもりをどうするか」というテーマで、どもりながら話し合っていたのです。
 はっきりと「治らないどもり」ということばを耳にした時、私の気持ちは落ち込むどころか、むしろすっきりして目からウロコが落ちる思いでした。
 テレビや映画の中の吃音者ではなく、ナマの成人吃音の人に身近に接したのは初めてでしたが、嫌な印象は全くなくて、「どもりをもったままいかに生きるか」という授業の内容にもすっかりはまってしまい、次の年、大阪教育大学・特殊教育特別専攻科の学生となりました。
 息子のどもりのことは二の次となり、言語障害についての勉強をしながら、どもる人達と一緒に、私自身が自分の人生と向き合う旅を始めたのです。
 『吃音者宣言』が発表される少し前の頃です。

息子との旅を終えて
 息子との旅が終わった今も、わたしの旅は続いています。私の中で、吃音の受容を、自分自身の受容を確かめる旅でもあります。
 息子は3年生までを大阪で過ごしました。幼稚園時代の友達と別れて知らない土地での学校生活のスタートは、不安だったことと思いますが、すばらしい先生に出会えて、どもりが悪くなることも、からかわれたりすることもなく、学校に行くのがとても楽しそうでした。ひとりひとりの気持ちをとても大切にして、子ども達の話をじっくり聞いて下さる先生でした。
 松尾さんも、3年の時の担任の先生との出会いが、その後の松尾君の成長に大きく影響していると書いていらっしゃいますが、学童期のどもる子どもに担任の先生が与える影響は、その子の生き方を左右するといっても過言ではないと思います。
 当時、吃音親子サマーキャンプはありませんでしたので、将来どもりが重くなったり、悩んだりした時には、大阪吃音教室に託そうと思っていました。大阪吃音教室に中学部や高校部を作って欲しい、と伊藤さんに頼んだのもその頃です。
 子どもがどもり始めた時の親の悩みは、今どもっていることだけでなく、この先どうなるだろう、まともな人生を送れるのだろうか、という将来への不安が大きいと思うのです。
 社会で活躍している著名人が、どもりながら話されたり、子どもの頃どもっていた、という話を聞いて安心したりもしましたが、身近に接した大阪吃音教室の人達の存在は、私にとってそんな不安をかき消してくれるものでした。
 その後、症状が重くなることもなく、楽天的な性格もあったのか、思春期を迎えても、どもることで深く悩む様子もなく、大阪吃音教室とは今のところ縁がありませんが…。

おわりに
 『スタタリング・ナウ』40号で、伊藤伸二さんが、「どもりに関しては、吃音ファミリーにお任せ下さい。吃音ファミリーはひとり立ちするための母港です」と書いておられるのを読んで、気持ちがとても広やかになりました。
 吃音親子サマーキャンプで、自分の悩みや、どもりについて思いきり語り合い、力を合わせて劇に取り組んだ子ども達の中には、忘れられない共通の記憶と心の結びつきが生まれ、光となって輝き続けることと思います。
 松尾君の作文を読むと、日本吃音臨床研究会が目指しているものがじわじわと彼の中に浸透して、輝いていく様子が感じられます。
 特に、人権作文「やさしさを見つけよう」は、頭の下がる思いで読みました。彼の内面から湧き出ることばがあふれています。
 人を殺すのも生かすのも人だ、と言われますが、だからこそ、人との出会いが大切だと思います。松尾君が、まだ色に染まっていない時期に、日本吃音臨床研究会のどもる人達に出会えたのは幸運でした。
 中学生になった彼が、ひとりでも多くの理解者と出会い、ふれあう中で、また違う輝きを見せてくれることを願っています。
 吃音ファミリーを母港として、自分の海路図をつくり、ゆっくりと大海に漕ぎ出していって下さい。(1998年2月21日)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/12

どもり親子の旅・松尾さんの場合

 先日、紹介した松尾さん親子のどもり旅の続編として編集した『スタタリング・ナウ』を紹介しています。松尾君が「先生は、僕のこと分かってくれてるねん」と言っていた、その先生が、卒業する松尾君へのメッセージとして、文章を書いて下さいました。
 僕は、小・中・高と、僕のことを理解してくれる教師に誰ひとり出会っていません。
 「先生は、僕のこと分かってくれてるねん」の松尾君のことばは、とてもうらやましいです。

  
卒業にあたって、松尾君へ
                     田嶋美子

 松尾さんよりいただいた日本吃音臨床研究会の「スタタリング・ナウ」2月号を読み、小学校卒業を控えた松尾君の成長を担任として振り返っておきたいと思い、ペンをとりました。
 松尾君との出会いは小学校3年生のときでした。その頃は、小さい肩に精一杯力を入れて、ひとりで心ない周りの友達と戦っていたのを思い出します。遊びに外に出ると、休み時間の終わりには握りこぶしを振るわせて怒ることがたびたびありました。話し方の真似をされたり、嘲笑されたり、子どもはストレート過ぎて残酷です。松尾君にとって心が休まる日が少なかったようです。とにかく、この肩の力を抜かせてやりたいという思いから、ひとつひとつ、起こったできごとをていねいに解決していくことから始めました。同時に、松尾君の心をみんなに伝え、松尾君側に立った気持ちも考えようという語りかけもたくさんしました。
 松尾君のクラスは、一年入学後まもなく不登校になってしまった女の子や、友達への接し方、甘え方が分からず、つい手が出てしまう暴力的な男の子など個性豊かで、重い問題も背負う子が多くいました。
 「ひとりひとりにていねいに対応する」ことを心がけ、どの子の方にもきちんと向き合えるだけ向き合いました。特別なことはしていませんが、お母さんの文にあったように、そんな私に心を開き、松尾君は肩の力を少しずつ抜いていきました。
 笑顔で遊ぶ姿が見られ、親友のような友達もでき、クラスは戦う場所ではなくなりました。
 4年生になると、給食委員会に入って、給食のメニューやそれにまつわる話を全校児童に放送する仕事を引き受けました。松尾君が放送するという日は、いつもはおしゃべりでにぎやかな食事時なのに、しいんと静まり返り、耳を傾け、放送が終わるとスピーカーに向かって拍手が起こります。松尾君を応援し、励ましていけるクラスとして育ったことを確かに感じ取れるひとときです。授業の朗読でも同じような姿が見られました。
 しかし、松尾君をもっと内側から成長させたのは、日本吃音臨床研究会との出会いだと思います。サマーキャンプのことを目を輝かせて、繰り返し語ってくれました。会で出会った人達に支えられて、自分のことをきちんと見つめ直そうとしているのがよく分かりました。ちょうど、深く物事を考え始めようとする4年生という時期の出会いもよかったのでしょう。自分から友達を誘い、我が家へ遊びに来たりして、行動的になってきたのもサマーキャンプ以後のことでした。
 5年生では担任をはずれましたが、運よく、6年生でまた担任になることができました。クラスの中でも、松尾君と話すのは特に楽しみです。
 手応えがすごいのです。映画『もののけ姫』を見に行った後で(彼は2回も見たそうです)クラスのみんなも「よかったなあ」とか「分からんわ、あの映画は」と喋っています。松尾君は「先生、あの映画は悲しいなあ」と語りかけてきます。「なんで?」「だって、あの中に出て来る人はみんないい人ばっかりや。いい人ばっかりやのに、戦ったり、憎しみ合ったりしやなあかんところが悲しいやん。つまり、分かり合えないんや」松尾君と話していると、ついこちらも考え込まねばならず、力が入ります。深く考えることが苦手な子が多くなっている中で、松尾君は特に頼もしい12歳です。作文でも、自分の考えを整理して、問題を投げかけるという力がついていることを感じます。人の痛みを自分のこととして感じられるやさしさを持っているので、友達からの悩み相談も多いようです。日本吃音臨床研究会で、大人に混じってディスカッションできる体験も、深く考える力をつけるのでしょうね。そして、何よりも苦しみから自分で抜け出してきた力が、他の12歳とは違う魅力を松尾君に与えてくれたのだと思います。
 クラスの友達と別れて、私立の中学校に進む松尾君ですが、人間的な魅力の前には、ことばの問題はかき消されていくことと信じています。夢を語り、自分を語ることを楽しんで下さい。応援しています。(1998年2月21日)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/11
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