伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2022年05月

ひとつの家族の物語 吃音親子サマーキャンプでの出会い

 2019年に、第30回吃音親子サマーキャンプを開催してから、2年間、コロナの影響で中止になっていました。あのとき、出会った子どもたちは、今頃、どうしているだろうと気になりながら、2年間、過ごしてきました。
 まだ、感染は収まっていません。全国から集まり、密な状態での活動ばかりの吃音親子サマーキャンプです。開催できるかどうか、全く見通しが立ちませんが、準備だけはしておこうと、今、始めています。
 日程は、8月19・20・21日、場所は滋賀県・彦根市荒神山自然の家です。
 吃音親子サマーキャンプで出会ったひとつの家族の物語を紹介している「スタタリング・ナウ」の巻頭言です。(1997年12月 NO.40)


吃音ファミリー
               日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 障害や病気あるいは自分を生き辛くさせている事柄を明確に自覚している人にとって、その事柄を同じように体験している人との出会いは、その人が、その事柄と向き合い、自分なりに対処していくために不可欠なことだろう。
 どもる人が思春期に深く悩むのは、どもりについて話せず、理解してくれる人がいないからだ。そんな人がひとりでもいたら、あれほど悩まずにすんだろうし、他者の悩みも理解できたのではないか。自分の悩みだけをみつめていると、他者の悩みに思いが至らない。自分の悩みを話し、距離を置いて向き合えた時、人は初めて他者の悩みを理解し、他者への想像力が機能し始めるのだろう。
 松尾政毅君の人権作文を読んでそう思った。
 1995年6月、どもる子どもをもつ両親教室で松尾君のお母さんと出会った。この日が松尾さん親子のどもりの旅のはじまりだと言うが、私たちにとっても、吃音ファミリーの誕生の日だったと言える。
 その日は、NHKの番組『週刊ボランティア』の収録のためにテレビカメラが入っていた。ディレクターの「テレビに映りたくない人、手を挙げて下さい」のことばに救われたように直ぐに手を挙げ、カメラの映らない場所にいち早く移動したのがひろ子さんだった。その姿が、初めて出会った印象として強く残っている。
 その出会いから2年半。これからは子どもの生きる力を信じたいと、政毅君とのどもりの旅を一旦終える意味で、体験をまとめて下さった。
 ひろ子さんのこの決意に、私たちは応える。
 「お母さんが親としてできることは全てしました。政毅君自身が言っているように、これからは普通のお母さんでいて下さい。どもりに関しては、私たちが責任をもって引き受けます。これからも、悩んだり、挫折したりいろいろなことがあるでしょうが、以前と違って、私たちがいます。私たち吃音ファミリーに安心してお任せ下さい」
 30数年前、成人のどもる人のセルフヘルプグループを創ったとき、小学生を含めたこのような関係ができるとは思いもよらなかった。最近、私たちの大阪吃音教室に、小学生、中学生、高校生が参加するようになった。彼たちに合わせたプログラムではないので難しいだろうが、何度も参加するのは、何かを感じとってくれているからだろう。
 先だっての大阪吃音教室には、医療センターのスピーチセラピストに付き添われて、小学校4年生の親子が2組参加した。松尾君と中学生も参加しており、4人の子ども、3人の親が参加する、これまでにない吃音教室の風景になった。この日のテーマは1分間スピーチ。大人が次々とスピーチする中で、初めて参加した彼たちも、自分について話した。松尾君と中学生の存在が、緊張の中、どもりながらも話す意欲を彼たちに与えたのだろう。
 吃音親子サマーキャンプが定着するにつれ、その子どもたちが、大阪の吃音教室やハイキングなどにも参加するようになった。成人のどもる人は弟や妹のように親しく声をかけ、一緒に遊ぶ。学校で起こる悩みを聞き、皆でけんけんがくがく論議する。6年生になって全校レベルの委員になったが、どもるためか指示に従ってくれないとの松尾君の悩みに、皆が一所懸命アイデアを出していた。どもる子どもの悩みに寄り添い、うれしいことがあれば皆で喜ぶ。この姿は、まさに家族そのものだ。
 この吃音ファミリーは、どもる子ども・どもる人だけのユートピアではなく、ひとり立ちするための母港だと言える。時には厳しく接するし、吃音でない多くの人が出入りする開かれたファミリーだ。秋の吃音ショートコースの参加者がどもる人とどもらない人が半々になったが、吃音親子サマーキャンプでも吃音と全く縁のなかった幼稚園教諭や主婦がスタッフとして参加するなど、様々な幅広い人々が訪れる。
 家族にも話せず、ひとりで悩んできた経験をもつ私たちは、この吃音ファミリーを大切にしていこうと話し合っている。 (1997年12月 NO.40)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/16

吃音文化宣言

 日本吃音臨床研究会は、「スタタリング・ナウ」という月刊のニュースレターを発行しています。今月号で、333号。よく続いてきたと自分ながら感心します。特にこのコロナ禍では、イベントがほぼ中止になり、その報告を兼ねていた「スタタリング・ナウ」は、記事の材料がなくなったのです。それでも、なんとかやりくりして、続けてきました。
 先月号は、竹内敏晴さんの特集をしました。また、2020年度の日本吃音臨床研究会の年報も、「竹内敏晴の世界」と題するもので、大阪で日本吃音臨床研究会が主催して開催していた、毎月一度の二日続きの定例レッスンをしているとき発行していた「たけうち通信」に掲載された文を紹介しました。ほぼ編集を終え、入稿直前です。ここ2、3ヶ月は、竹内さんの生き方、考え方に改めて触れてきました。
 そして、ブログの続きも竹内さんです。ろう文化宣言につながる確かな歩みを、これからも続けていきたいと思います。

「スタタリング・ナウ」NO.39 1997年11月

   どもりの歌を歌いたい
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 ―シバイと違って ひとりひとりが
    みんな主役だ 公開レッスンは
      舞台という魔法の力で 新しい自己が目覚めて
          輝き出しますように    竹内敏晴―

 9月の合宿から始まり、10月に数回、上演前の2日間は、朝の10時から夜の10時までという集中レッスンで、11月3日の上演当日を迎えた。
 私がどもりに強い劣等感をもち、深く悩み始めたのは小学校2年生の秋の学芸会だ。どもるからと、台詞のある役を外されてからだから、舞台に立つなど、全く無縁のものと思っていた。
鹿踊り1鹿踊り2 今、大勢の観客の前で、主役のひとりとして、宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』の鹿を演じている。喋り、歌い、踊る舞台の上で、私も新しい自己が目覚めて輝き出していた。
 30数名の出演者の中で、どもるのは私ひとり。どもらない人たちとの今回の集中レッスンで、大勢の人のことばのレッスンと出会えた。どもらないが、息が浅く、声が出ず、相手に声が届かない人。からだがこわばり表現できずに立ち往生する人。一方で、丁々発止の軽妙なやりとりをする人や、長台詞を朗々と言う人。これらの人々のレッスンに立ち会い、どもるどもらないにかかわらず、様々な表現があることが実感できた。
 声がうまく出ないのは、どもる人に限ったことではないことが分かると同時に、どもる人間とどもらない人間の違いも鮮明に自覚した。
 私は、どもりの悩みをもつ人とグループを作ってからは、どもりを隠さず、話す場面から逃げず、どもってもどんどん話した。結果として、ある程度どもりをコントロールできるようになった。日常での会話や、講演などで大勢の前で話す時も、今はほとんど困ることはない。しかし、目の前の30数名の人たちと同じように台詞が言えるかとなると、それは言えない。軽妙なやりとりや、テンポの早い台詞は到底私にできることではない。
 声に力がある、届くかは別にして、私以外の全ての人は、《音》そのものは間違いなく滑らかに出る。私は特定の《音》が出ないことがある。出ないと一瞬思うと、しばらくは全く出なくなる。吃音のコントロールがきかない時もあるのだ。今回のように台詞が確定していると、《音》の言い換えができないからなおさらのことだ。
 このように、ことばにする前に《音》そのものが出ないどもる人間と、《音》の出る人が声をことばにしていくのとは決定的に違うのではないか。
 疎外感や、孤独感を感じたのではない。卑下をしたり、悔しい思いをしたのではない。
 「本当に違うんだ!」とからだが感じ取ったのだった。むしろさわやかだった。
 どもる私たちが、どもらない人をうらやましがり、それを追いかけても、できることではなく、またその必要もない。私たちなりの表現をつけていけばいい。この思いが沸き上がってきた時、私は「ろう文化宣言」に思いを寄せていた。ろうと吃音と同一には語れないが、示唆するところは多い。
 治らないから受け入れるという消極的なものでなく、いつまでも治ることにこだわると損だという戦略的なものではない。
 どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちは、どもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚をもち、自らの文化をもてたとき、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか。
 楽しく喋り、歌い、踊り弾んでいた舞台の鹿は、「私は、どもりの歌を歌いたい」と、歓喜の歌を歌い、踊っていたような気がする。

 「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」
『現代思想』1995年3月号 青土社 1997年11月


 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/14

平木典子さんを講師に迎えてのアサーショントレーニング 4

 番外編ですが、このときの吃音ショートコースに参加した、あることばの教室担当者の感想を紹介します。当事者と専門家が同じ立場に立ち、ひとつのことを考えるとき、生まれてくる心地よい空間を感じさせてくれる感想です。

《吃音ショートコースに参加して》
   どもってもいいんだ〜実感できた揺るがない気持ち〜


                  幼稚園のことばの教室担当者

 多くの、吃音を持たれた方や吃音に関わる方にお会いできたこと、お話できたことが何よりの勉強でした。振り返って思い浮かぶのは、一緒にお話できた方の笑顔、真剣な眼差しばかりです。
 自分が吃症状そのものに目を奪われ、“自分のかかわりで症状を重くしてはいけない、軽くしなければ…”ということにプレッシャーを感じ、一喜一憂していたことに気づくことができました。
 どもる子どもと楽しい時間を過ごしたいと思うのも、よい聞き手になろうと努めるのも、心の根底に“症状を軽くするために”という思いがあったからだと思います。もっと、かかわりそのものを楽しみたいのに、どうしてもすっきりしない自分でした。「どもってもいい」というメッセージはとても中途半端に子どもに届いていたと思います。もしかしたら伝わっていなかったかもしれません。
 堂々と、さわやかに、また必死の思いで表現される方とお話を重ねるうちに、「ああ、どもってもいいんだ」という、揺るがない気持ちをやっと実感できました。何だかとても安心しました。素晴らしい方ばかりに会えました、というか、皆さん一人一人が素晴らしい人でした。
 次の休みにすぐに会いたいという気持ちです。吃音親子サマーキャンプに参加した方々が、一年後が待ち遠しく思われるのは当然だと思います。帰りのタクシーに乗ってすぐ、一緒に参加した仲間と、「来年も来たい、来ようね」と話しました。今度は子どもを誘って来たいです。
 2日目の夜のことばの教室関係者等のコミュニティアワーはあっという間に時間が過ぎたように感じました。(他のプログラムもほとんどそう感じたのですが…)
 偶然、話題となった「どもる幼児にどうかかわっていくか」は、いつも直面している悩みでもありました。このテーマはとてもラッキーでした。“その子の興味のある遊びに加わって、話したり聞いたりすることを楽しめる子どもに”という気持ちでかかわっていましたが、なんとなくぼんやりした願いのような気もしていました。表現力(話す、描く、奏でるなど何でも)を伸ばす援助が大切ではないかとうかがい、そのとおりだなと思いました。
 また、母親と話す時間を大切にしたいと思いながら、時間も十分とれず、あわただしい時間をプレゼントしていた自分を改めて反省しました。あるどもる子どもの母親の体験をうかがい、親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ちを、またひとつ知りました。お母さんの話をじっくり聞こうと思いました。
 カール・デルさんの『学齢期の吃音指導』(大揚社)についての話は、私自身あまり慎重とはいえない使い方をしてしまった経験(あの席でお話しました)があったので、緊張してうかがっていました。
 どもることに対する恐れを軽減させ、自分でもコントロールできるものなんだという感じをもってほしくて取り組んでみたのですが、あの本をマニュアルとして使ったということは否定できず、苦い経験として残っています。現在は“何のため?”を考えているところです。「本当の直面ではない」というあの本についての思いを聞き、真に吃音と直面されている方々のことばだけに重く、落ち込みました。
 ただ、伊藤伸二さんは、カール・デルさんの本の内容全てを否定したわけではないと言われました。
 今夏、大分で開催された全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会の吃音分科会で、伊藤さんからお聞きしましたが、「ことばへの直接的なアプローチをしてもいい先生の条件」を満たす人が、どもるという状態を分かりやすく、客観的に感じさせるために、よい形で示されれば、意味のある出会い方のひとつのように思います。
 特に、まだ“吃音を悪いもの”ととらえていない子どもにとっては、先生がどもってみせることにも意味がある場合があるのでは…と思います。この宿題についてはもうしばらく悩んでみようと思います。
 とにかく今は参加された皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/12

平木典子さんを講師に迎えてのアサーショントレーニング 3

 吃音ショートコース最後のプログラムは、「みんなで語ろう、ティーチイン」です。
 2泊3日、共に過ごした参加者が、ひとりひとり、経験したこと、感じたこと、思ったことなどを語ります。びっくりするような自己開示をする人も中にはいます。それだけの「場」の力があるということなのだろうと思います。
 このときの吃音ショートコースに限らず、僕たちは、集まりの最後には、このプログラムを設けます。自分の思いを自分のことばにすることで、経験したことを自分のものにすることができるからです。周りがちゃんと聞いてくれるので、この時間は温かく、居心地のいいものになっています。

みんなで語ろう、ティーチイン
 午後からは、いよいよフィナーレ。台風の接近のため新幹線などがまだ動いている間に帰ろうと早目に出られる遠方の方もいて、80名近かった参加者も少し減ってしまったけれど、その分一人一人がたっぷり時間をかけて、3日間の感想を語ることができた。
(参加者の感想)
○アサーショントレーニングを受けてみて、世界が広がった。
○先日、大阪吃音教室で「吃音は治療か受容か」ということを討論した。私は治療の立場であったが、今はどっちでもいいと思えるようになった。
○自分や誰かを操作するのでなく、ありのままの自分でいい。
○不安のまま参加したが、楽しかった。
○去年はこの吃音ショートコースで何度か泣いた。あまりにも暖かい場なのでまた来年も参加したいが、遠方からの参加なので費用をどうしようかと思っている。
○勉強にきたつもりが、自分のことに向き合ってしまった。
○発表をするので、緊張しながら参加したが、皆さんが真剣に聞いてくれて感激した。「どもる子どものお母さんってすてきな方が多いですね」と言われて嬉しかった。
○どもり浸けの3日間だった。究極のどもりを目指します。
○こんなに真面目な研究会はない。ほとんど眠くならずに一生懸命聞かせていただいた。アサーションは分かりやすくて日常の中で実践していけそう
○自己表現ができないと初めの自己紹介で言って、皆さんの失笑をかったが、私は攻撃的表現が得意だったと認識できた。
○昨年の吃音ショートコースは、私自身の心の瘍を癒すことを目標に参加した。今年は自分をみっめる場がこれまでいかに少なかったが分かった。
○吃音ショートコースという名前の合宿には、その昔大阪教育大学の学生の時の集中講義の時に行っていた時から参加していた。私自身はどもる人が好きだから参加したいのだろうと思っていたが、そうではなく、私は吃音ではないけれど、同じ根っこの問題を持っていたから、参加したかったと分かった。
○特別に暖かい空間で、自分を考える事ができた。
○感謝の気持ちで一杯です。共感することが一杯ありました。
○みなさんが爽やかだった。
○ことばの教室の先生やスピーチセラピストの方がたくさん参加されていた。私の幼いときにこのような先生方に会えていたらと思う。
○帰ってからアサーションの勉強を妻と一緒にして行こうと思いました。
○10年ぶりの吃音ショートコース参加で感激をしている。
○アサーションはこれまで分かっていたつもりだったが、アイメッセージができていない事が分かった。
○吃音ではないが、ピアノでつっかえたことがあった。参加してみて、今はピアノでもつっかえてもいいと思えるようになった。暖かく見守って下さった雰囲気に浸れ、自分をさらけだせたことが嬉しかった。
○一人一人がユニークで、これが人間なんですね。人間っていいもんですね。
○どもってもいいんだよと、強く感じられた。
○来て良かった。人と会うのがこんなに楽しいことかと感じた。KJ法がとても良かった。
○アサーションはスラスラ自己表現すると思っていたが、そうでないことが分かった。
○何事も時間がかかるもので、長い目で見て行けばいいと思えるようになった。

 車椅子で初参加ながら熱心に交流されたLさん。千葉から参加のM先生やN先生。一生懸命話されるO君。少し疲れた表情のPさん。すっかり明るくなったQ君。皆さん個性に溢れた振り返りのスピーチの2時間が、あっという間に過ぎた。

おわりに
 ことばの教室の先生方は、みな若くてとても熱心。遠方の方も北は北海道から南は九州まで、全くの手弁当で来られ、頭の下がる思いがしました。
 教え子たちは、とても幸福でしょうね。羨ましい!
 そしてどもる人たちの何と魅力的なこと。一方的に与えるのではなく、語ったことが心に染み入り、温かいことばとなって返ってくる喜び。生き生きとした表情、明るく前向きな姿勢。吃音って本当に素晴らしい!こんなにも魅力的な人たちと交流できた3日間が夢のようでした。
 幸いにも台風はまだやって来ず、天気が悪くならないうちに帰途につくことができました。が、眠い。振り返れば殆ど寝ていない。休んでいない。そして飛鳥散策もまた…。
 超ハードなスケジュールに、私の描いた目算は脆くも消え去ってしまったのでした。ああ、来年こそは、きっと!
 家に帰って綿のように眠りこけたことは、言うまでもありません。
                        ((1997年10月 報告 了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/11

平木典子さんを講師に迎えてのアサーショントレーニング 2

 この年の吃音ショートコースは、平木さんが、年賀状で、「今年一番のハイライトでした」と言って下さったものでした。分かりやすい講義、みんなが取り組んだ実習、内須川洸さんを入れての対談と、目一杯動き回って下さった平木さんでした。

アサーショントレーニング
 さて、いよいよメインの平木典子先生の登場。初めてお目にかかる先生は、気さくで魅力的。
 手と笑顔を上手に使われる、まさに歩くアサーション。
 内容はとても充実したもので、久しぶりに大学時代の講義を思い出した。その内容をまとめると。
アサーションの要点
/邑△箸靴謄▲機璽轡腑鷂△ある。
違いを受け入れることが大切。
やりとりしてみることが当たり前と思う。
ずの自分の気持を素直にアイメッセージで表現する。
ゥ▲機璽轡腑鵑蓮∩蠎蠅竜せち・感情に訴えかけるものである
Ε▲機璽轡腑鵑梁羯貂遒蠅離好謄奪廚蓮DESKという順序で行う

 夜は、アサーティブ・トレーニング。即ち実習の時間。4人のグループに分かれ、次のような状況で、ロールプレイを行った。
〔10時過ぎてもマンガを読み続けている子どもに母親がマンガをそろそろやめてもう寝たらということを伝えるという状況
⇔戮離團▲里硫擦農屬舛磴鵑起こされてしまって困り、隣にピアノをやめてほしいといいに行く状況
L覬悗泙派廚魴泙┐帽圓妻が、遅く帰るのはやめて欲しいと伝える状況

 かなり生活に密着したテーマのため、何人かの家庭生活が垣間見えたのは面白かった。
 論理的会話を妻に要求するGさん。
 妙に生々しい実名入りの対話をしてくれた1さんとJ君のお母さん。
 新婚ホヤホヤのアツーイ関係をまだ!曳き続けているKさん。
 いいなア結婚って、と今日この頃思う私。因に私は「どもっていたら結婚できない」と思い込んでいたので、大阪や神戸の人たちが、ズラリと家庭持ちの人たちと接したときは、はっきりいってカルチャーショックだった。
 攻撃的主張とアサーションの違いや非主張、アイメッセージ(I Message)について、実習を通して学ぶ。
 この夜も日付が変わるまでの交流会。ゲームする人、討論する人、ある人の話を真剣に聞き入る人々。平木先生も顔を出され、熱心に質問に答えたりして、なごやかで温かな夜が更けていった。
 そういえば、食事時間を除けば、トイレ休憩もないハードスケジュール。それについていく参加者たちのタフさと熱意に半ば呆れ感動しつつ、最終日へ。

吃音と自己表現〜鼎談とディスカッション
 3日目午前中は、平木先生、内須川先生、伊藤会長の「吃音と自己表現」の鼎談と質疑応答。内容は私が印象に残ったものを紹介しよう。

平木「どもりがなくなれば、表現の悩みがなくなる、とはいえない」
平木「緊張したとき、“今、緊張しているんです”と言えば緊張がとれる。今の自分の気持ちを素直に出すことが大切」
平木「機械は壊れたりすると原因がつきとめられるが、人間がやっていることは原因がつきとめられない。不登校の子どもの原因を探ろうとすると、母親のしつけが悪い、それは夫が悪い、そのことから祖父母が悪い、社会が悪いと限りなく原因が広がってしまう。このように原因がグルグル回ってしまう。原因を除くのでない」
内須川「会話の流れを断ち切ることなく、表情や身振りでつなげればよい」
平木「子どもは非言語的なことがらに、より受容性が高いのに、教育では言語重視になり、表現の変質化が行われている」
内須川「吃音は型を壊すもの。自由奔放に感情表現をしたほうがいい」
伊藤「どもりとしての存在感を持つこと」
平木「いい加減のすすめ」
平木「間違えをたくさんしてもいい、小さな失敗を怖れない。失敗はたいしたことではない」
伊藤「どもることを失敗と考えるよりも、どもってでもできた経験を積み重ねること。失敗を褒めあえばいい」
内須川「子どもには、失敗したときに叱らないで、すばらしいと伝える。成功した時は何も言わなくてもよい」
平木「よく遅刻をする人がいたけど、その人を遅刻の名人として話を聞いてみると、遅刻する前にいい時間を使っている」
伊藤「言いたい欲求が、吃音へのとらわれを上まわればよい」
平木「吃音をハンディではなく、個性ととらえればよい」
内須川「プラスとマイナスは相対して存在する。マイナス面ばかりを考えないこと」
伊藤「机を叩くなど、ことば以外での“非言語のアサーション”も使える」
平木「拒否もことばで断ろうとだけせずに、態度で断るといい。同じ言葉で3回拒絶すると断れる」
伊藤「どもる人はトレーニング可能なことと、不可能なこととを見極めること」
平木「今、言いたいことは何かを捜して言うこと。アサーショントレーニングを重ねているうちに、本当に言いたいことが分かってくる。ことばで自分を飾ると、だんだんと自分の気持が分からなくなる。ものの見方を積極的にいい方向へと変えること。対等な関係でこそ、アサーションは行える」

 平木先生のお話を聞くと、まさしくアサーションとは爽やかな自己表現であり、これまで少し難しく学問的だった印象が、ごく身近で常に応用できる考え方であることが分かる。(1997年10月)(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/10

吃音ショートコース報告 平木典子さんを講師に迎えてのアサーショントレーニング

 「スタタリング・ナウ」NO.38では、1997年に開催した吃音ショートコースの報告が掲載されています。吃音ショートコースは、1995年から始まり、21回開催しました。さまざまな分野の第一人者といわれる方を講師に迎え、2泊3日の実習・体験型形式にこだわったワークショップでした。このときは、アサーショントレーニングの平木典子さんが講師でした。じっくりと語り合い、楽しく真剣に実習に取り組んだことを懐かしく思い出します。参加者のひとりが、詳しいドキュメントを報告してくれていますので、紹介します。

    
1997年吃音ショートコース〜ドキュメント〜
                       
 1997年9月13日〜15日、奈良県桜井市にある国民年金保養センター『大和路』で'97吃音ショートコースが開催された。
 今年は吃音と自己表現をテーマに平木典子・日本女子大学教授をお招きし「アサーション・トレーニング」を行った。
 今年もどもる人、ことばの教室の担当者、スピーチセラピスト、どもる子どもの親など計78名が近畿地方を中心に、遠くは北海道、長崎から参加した。

はじめに
 思い出すこと、書き留めておきたいことが、キラ星の如く現れ、容易にまとまりがつきません。吸収しようとすれば、いくらでも自分の糧にできる事柄。まさに嬉しい消化不良に、今、陥っています。無くさないように、忘れないように、そっと手のひらに掬いとって、いつまでも自分の心に留めておきたい、そんな貴重な体験でした。
 本音で語り合えることって、本当に愉しいですね。終わった後、すぐに一年後の吃音ショートコースが楽しみになっています。

 『台風が来そう』と心配したのは、吃音ショートコースの休憩時間を利用して、会場付近の飛鳥散策をする思惑があったからです。昨年の大津市から奈良へと吃音ショートコースの舞台が移り、体調も万全で、だいぶ前から楽しみにしていました…。
 
出会いの広場
 初日は、滋賀県のことばの教室担当者の司会による出会いの広場で幕を開けた。
 「猛獣狩に行こうよ」「3歩下がって、3歩進んで」等など、当意即妙の進行に乗せられ、楽しいスキンシップ。これですっかり緊張がとれる。狭い新聞紙の上にくっつくように立ったり、おんぶしたりしていると、もう家族のような雰囲気。とても初めて出会ったという気がしなくなる。
 続いて、参加者全員の自己紹介。なにしろ参加者が多い。吃音者にはきついが、30秒の制限付き。「○○の○○さん」と、自己紹介した人が次の人を指名して行く。初めて出会ってる人も多いはずなのに、形容詞や副詞をつけながら指名するとは…。出会いの広場が生きていた。
 固くなっている人、ユーモアを交えて語る人それぞれだが、全員がもれなく話すいい時間だ。出会いの広場からが始まりと思っていたが、正式には開会式からが本番だった。余裕とユーモアたっぷりの司会と、顧問の内須川洸先生の明るくにこやかな挨拶、日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さんのなごやかな挨拶が、開会式という堅苦しさを取り去り、楽しく吃音ショートコースで学びあおうという意欲と参加者の一体感を生み出した。(この雰囲気がいいんだよね)

どもる子ども、どもる人の自己表現を探る〜KJ法を使って 
 夕食の後、KJ法なるものに挑戦(KJ法とは、川喜田二郎氏の考案した創造的問題解決の技法)。
 成人のどもる人は、「自分自身の自己表現について」、ことばの教室の教師は「どもる子どもの自己表現について」8人ほどを1グループとして取り組む。
 思いついたことをカードにどんどん記入するグループ。話し合った発言を全て記録係がカードに記入するグループなどさまざまだが、最後には大きな模造紙に図式化しなければならない。
 カードづくりで話し合い、そのカードをグループで関連づけて、図式化していく中で話し合う。K(かなり)J(時間)がかかる方法のため、その日中に終わらないグループも出てきてしまった。
 時間はかかったけれど、参加者全員の意見が尊重され、いろんな考え方が検討され、グループで集中できるやり方だった。ことばの教室の先生たちのグループは翌日も頭を絞りながら取り組まれていた。
 模造紙にグループで考えたことが図式され、最後までやりとげたことは、いい思い出になった。
 終わったグループからコミュニティアワーと称する宴会に参加。恒例の、自分のお金が続く限りでの飲み放題(アルコールは自動販売機からのセルフサービス)、食べ放題のドンチャン騒ぎ。お酒を傾けて笑顔と話し声と笑い声が一杯。どこにどもる人がいるのか分からない。みんな話をすることが好きなんだと思った。
 一番遅く終わったところで、2時頃まで続いたというから、ああ眠う〜。(そしてこの時間もまだまだKJ法を続けていたグループがあったというから驚き)

実践発表
 発表数が増えたため実践発表は時間を繰り上げ8時半から。(これじゃ〜休む間もないよ〜。昨夜は、お風呂にも入れなかったのに。)
◇成人の体験
 兵庫県龍野市から参加された人が、ライオンズクラブの定例会の1年の進行役を引き受け取り組む中で、吃音者宣言をせざるを得なくなったという体験を発表。身につまされると同時に励まされた。
◇神戸吃音教室の仲間による劇
 出し物は『ベニスの商人』。中には体調がすぐれない人もいたが、4人で、ドタバタ劇を演じ、吉本喜劇より面白いというお褒め?の言葉をもらっていた。
◇活動報告
 大阪吃音教室の東野晃之会長の吃音親子サマーキャンプの報告は、スタッフが楽しく取り組んでいることがひしひしと伝わり、僕も参加したいという思いになる。日本吃音臨床研究会の伊藤伸二会長は、今夏サンフランシスコで開かれた第2回IFA大会(国際吃音学会)での発表の様子の報告。国際的に活動が広がっていくのが実感できる。
◇どもる子どもの母親の体験
 小学6年生のお母さんの体験発表。子どものどもりとどう向き合えばいいのか悩んでいた頃のこと、吃音親子サマーキャンプに参加して子どもが成長し、変化してきたことなどを振り返っての話だった。からかわれて、「自分ががまんすればいいんや」と言っていた小学4年生が、「僕、どもりやからどもるねん。気にせんといて」と言えるようになり、さらに6年生では、校長に投書して、「この学校にはどもる子がいます。いじめたり、からかったりしないで」と全校生徒の前で言ってもらうというエピソードなど、子どもの変化と、自分自身も変わったという話に、成人のどもる人は自分の子どもの頃を思い出し、ことばの教室の先生方は担当している子どものことを思い出して、涙を流している人もいた。
◇吃音親子サマーキャンプの劇
 子どもたちと取り組んだ劇『狼森と旅森、盗人森』をキャンプのスタッフで、その一部分を上演。出演者が本当に楽しそうに演じているのにっられて、見ている方も楽しくなってきた。キャンプに参加した子どもたちもきっとそうだったのだろうと想像できる。小道具の立派さにも感激。
◇実践発表
 ことばの教室の先生方やスピーチセラピストの先生方の実践発表が続いた。昨年まではことばの教室の担当だった人が、長崎・佐世保市から参加された。今年は普通学級の担任に変わられたが、月に1度はどもる子どもや親たちと集まりを持っておられ、その報告の発表だった。
 千葉県からの参加者は、ことばの教室の担当経験と現在のセンターでの経験とから、今吃音について考えていることや、吃音児の指導として行われている環境調整について、自分の率直な思いを語られた。
 カウンセラーとスピーチセラピストの立場からの発表もあった。交流分析学会で発表されたもので、交流分析の手法を使ってあるどもる人のカウンセリングをされ流暢になった事例の発表だった。
 それらのまとめを内須川顧問は、環境調整についての解説や、今流暢になっても再発の危険性と、長期のフォローの大切さを強調。学会のようなやりとりに、どもる人にとっては、新鮮な緊張が走った。ちょっと時間がオーバーし、そのため、昼食の後直ぐに午後の部が始まるということに(休む間がないよ〜) 1997年9月 (つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/09

当事者の思い

 昔の「スタタリング・ナウ」の紹介をしていましたが、途中で寄り道をしました。戻って、1997年10月 NO.38の巻頭言を紹介します。この号では、平木典子さんを講師に迎えて、アサーショントレーニングについて学んだ、第3回吃音ショートコースを特集しています。関心が高かったのか、成人のどもる人以外に、ことばの教室の担当者や言語聴覚士が30数名も参加した吃音ショートコースです。
 研究者・臨床家・どもる子ども親・どもる人が一つの《場》で共に語り、学び合いたいという、日本吃音臨床研究会設立の意図が実現したワークショップともいえます。立場の違う者が集まる中で、僕たちどもる人の当事者としての存在の大切さを感じたときでもありました。

  
当事者の思い
               日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「医療は人間を対象とするべきであって、病気を対象とするべきではない」
 医療現場に生きる人々に、医の哲学をこのように説いてきた、医療哲学者中川米造さんが9月末亡くなった。その数日後、友人のKさんから次の手紙をいただき、久しく叫ばれているこの考えがまだ現場では生きていないことを痛感した。
 「この秋、児童虐待、性的虐待を中心的なテーマとする日本の学会と、国際シンポジウムに参加しました。それぞれの自助グループが思いを語るプログラムもありましたが、いろんなケースが症例としてあげられて、この治療で症状が改善したとか、被虐待児・者にはこの障害が○○パーセントの割合であらわれるというような報告が多くて腹が立ちました。専門家の学会という事を理解しても、被虐待児・者の複雑な心境や苦悩など、全部フィルターにかけられ、数字的に処理されてしまうことが不快でした。
 自分自身の問題が、このように当事者でもない人たちの手によって、知らないところで研究され、心的外傷とはこんなものなのだと言い切られてしまってよいのかどうか疑問に思いました。これは、私の問題であり、また私を含む当事者の問題であり、何で他の人の研究材料にならなければいけないのかと、また自分の問題に手も足も出せなくて、他人にそのようなことを許している自分の怠慢さに腹が立ちました。
 そう考えると、日本吃音臨床研究会は吃音の当事者が、自身の問題を自分自身の手で追究され続けているのですから、本当にすごいことだと改めて思いました」

 中川さんの哲学が医療現場になかなか浸透しないのは、ひとつには、専門家は専門家だけで集まり、当事者は当事者だけで集まることが多いからではないか。当事者の思いを専門家が受け止め、臨床に生かす。このことはそんなに難しいことではないはずなのだが。
 医師などの専門家は病気や障害について専門的な知識を持っている。しかし、それを持ちながら生きるということ、どこに本質的な事柄があるかということは、当事者が一番知っている。専門的な知識や技術と、体験を通して得た生きる知恵を互いに生かし合うことができればこんな素晴らしいことはない。それが実現するには、取り敢えずは、専門家の集まりに当事者が参加し、思いを語ることだろう。さらには、対等の立場で語り、学び合うことができる場を作っていくことだ。
 日本吃音臨床研究会設立の意図は、研究者・臨床家・どもる子どもの親・どもる人が一つの《場》で共に語り、学び合いたいというところにあった。
 1997年吃音ショートコースは、ことばの教室の教師やスピーチセラピストが30数名参加するという、これまでにない広がりをみせた。臨床家が、これほど多く参加して下さったことは大変うれしいことだった。さらに、専門家に親を加えると、どもる人とどもらない人の割合がちょうど半々になった。これに気づいたとき、特別の感慨があった。どもる人が思いを分かち合うミーティングを基本にしながらも、親や専門家と一緒に取り組む活動ができれば、セルフヘルプグループの活動の意義がさらに深まるとかねがね考えていたからだ。
 「吃音と自己表現」という今回のテーマにも助けられ、成人のどもる人、親、臨床家、研究者が対等の立場で、思いを出し合い、語り合った。
 そのかかわりの中で成人のどもる人は、後輩のどもる子どもに熱意をもって関わって下さることばの教室の教師の姿に感動し、自らの体験を積極的に開示した。ことばの教室の教師は、どもる人の思いに接し、これまでの臨床を振り返った。
 専門家と当事者がひとつの《場》で、共通の体験をすることで互いの信頼感が強まるのだ。
 「吃音への取り組みは、人間を対象とするべきであって、吃音症状を対象とするべきではない」
 吃音の当事者の思いが、伝わる日は遠くない。(1997年10月)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/08

大阪吃音教室 特別講座 何を大切に生きるか? 講師:櫛谷宗則さん

大阪吃音教室 特別講座「何を大切に生きるか?」

 櫛谷宗則さんとの出会いは、2004年頃だったでしょうか。朝日新聞のコラム「小さな新聞」で、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読んだ櫛谷さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。
 それまで縁のなかった仏教関係の冊子への執筆依頼でしたが、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたいことでした。そして、お付き合いが始まり、毎回、「共に育つ」の冊子が出版されるたびに送って下さり、僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。読んで、ときどき、はっとするような感想を書いて私を励まし続けて下さっていました。新潟で講演があったとき、足を延ばして五泉市のお寺にお伺いしたかったのですが、お互い都合がつかず、お会いすることができなかったという残念なこともありました。
 2015年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間坐禅会をされると知って、1日参加しました。一番前に座っていた僕に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけて下さいました。そして、僕の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」と見抜かれたのです。そのとき、何か文章を書いていただけないかとお願いしたのですが、その文章に添えて下さったお手紙にこう書かれていました。

 「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」

櫛谷宗則 坐禅会案内 櫛谷さんを、大阪吃音教室の講師にお迎えして、お話をお聞きすることは、2016年から始まりました。毎回、静かで、深い時間が過ぎていきます。昨年、一昨年と、コロナで大阪吃音教室も休講となり、櫛谷さんの坐禅会も中止になっていました。今年、坐禅会は、定員を減らして開催されます。大阪吃音教室にも来ていただけることになりました。新潟のお寺なので、大阪に来られるのはそう多くはありません。吃音について理解の深い禅の老師のお話は、きっと参加者の心に響きます。ご参加お待ちします。

日時 2022年5月27日午後6時半〜
会場 アネックスパル法円坂
演題 何を大切に生きるか?
講師 櫛谷宗則
〈プロフィール〉昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。19歳の時、内山興正老師について出家得度。以来安泰寺に10年安居し、老師隠居後は近くの耕雲庵に入り縁のある人と坐る。老師遷化のあと、新潟に帰り、地元や大阪・福岡等で坐禅会を続けている。
編著 「禅に聞け」「生きる力としてのZen」「内山興正老師いのちの問答」(大法輪閣)「共に育つ」(耕雲庵)等。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/07

吃音動画 大阪吃音教室 吃音Q&A(吃音の基礎知識)7

 最後の質問になりました。自分の吃音をどう理解してもらうかについては、自分なりに整理しておく必要があります。人は、人のことはなかなか理解できないものだという前提に立って、たとえ理解してもらえない環境であったとしても、自分自身を自分できちんと支えていく覚悟をもつことが大切だと思います。また、どもらずに話すことは難しいですが、相手に届く声で、相手に届くことばを発することはできます。その訓練は、日本語のレッスンとして、普段の生活の中に取り入れることはできます。

どう理解してもらいたいか整理しておくことと、日本語のレッスン

《第7問》
 奥田 実際、会社に入ってからのことですけれど、自分の吃音をどう理解してもらうかということについての質問です。ことばで伝えられたらいいと思うけれど、相手が理解することはなかなか難しい。同僚にどう伝えたらいいか、上司にどう伝えたらいいか、何かポイントになることについて、教えて下さい。

伊藤 まず、その人がどう理解してほしいのか、整理しておくことが、大切だと思います。
 どもっているとき、待っていてほしいのか、大目に見てほしいということか、代わってくれということか。こういう条件があれば、仕事がしやすいから、条件を作ってほしいということか。それらをきちんと整理しておくことです。どもる事以外の仕事に自信があれば、上司や同僚に対して、「〜はできないけれど、〜はできる」と、きちんと説明することはできるし、していくことは必要なことでしょう。
 ただ、それより先に、大事なのは、人は他人を理解しにくいものだと考えておくことです。特に吃音のことは、理解されにくいと思います。人が人を理解するのは難しいことだということは、前提として持っていた方がいいと思います。
 僕の友人で、関節リウマチの人がいます。24時間の激痛があると話してくれましたが、その痛みの生活を理解するのは難しいです。痛みが少しましになったときに眠るのだと聞きましたが、大変だろうなとは思っても、彼の本当の痛みが理解できるかといったら、できないと思います。最近よく、吃音のことを理解してくれないと言う人がいますが、じゃ、その人自身がどれだけ他の人のことを理解しているかといったら、できていないでしょう。 他の人のことは理解していないのに、自分のことは理解してほしいというのは、虫が良すぎます。だから、自分のことを理解してくれないことへの愚痴、批判はしないことです。でも、一応、話してみることはいいことだと思います。協力してくれる人はいるかもしれない。いたなら、そういう人を少しずつ増やしていくことはできるかもしれません。
吃音Q&A  4吃音Q&A  7 また、どもるから思っていることの半分も言えないということを聞くけれども、自分の思っていることを伝えるには訓練が必要です。その訓練は、どもらずに言う、つまり治すための訓練ではありません。相手にちゃんと伝える訓練です。それはできます。
 相手に伝えるためには、相手の人と向き合っていく体かどうかが大切です。人を拒んでいては、人とつながることはできません。他者に対して開いていく、まるごとの体で人に向き合うことができるようにしていくことです。
 分かりやすく話すためには、要約力、文章力をつけることも大切です。
 また、相手に届く声を育てるための日本語のレッスンはできます。僕たちは、竹内敏晴さんから、教わりました。息を吐くこと、息の流れを大切にすること、一音一拍で母音を押していくことです。母音を押していくことで、結果としてゆっくり話すことになります。 何をどう伝えるかということと、相手にしっかりと届く声を意識して話すこと。つまり、相手に対して、自分に対して誠実に話していくことです。
 日本語のレッスンについては、また話したいですね。(了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/05

吃音動画 大阪吃音教室 吃音Q&A(吃音の基礎知識)6

 就活に際して、対策を考えてきました。どういう仕事が向いているのか、どういう仕事に就いたらいいのか、吃音相談会では必ずといっていいほど出る質問です。ひとりひとり違うのだから、その人の選択しかないと思います。たくさんのどもる人、どもる子どもたちに出会ってきた僕の経験から、話しました。

《第6問》
吃音Q&A  1奥田 どもる人にはどういう職種がいいんでしょうか。私は電話が嫌だったので、電話がない所を探そうと思いました。営業はできないし、事務職もだめだし、電話も嫌だし。でも、探しても、電話がない仕事なんてないんです。どういう仕事ができるでしょうか。私を含めて、どもる人はよく、話すことが少ない仕事をした方がいいのではないかと考えがちだけど、それが本当にいいのかどうか、どう考えますか。

伊藤 どもる子どもの親はよく、この子は話すことが苦手だから、できるだけ話すことの少ない仕事をした方がいいのではと思うようだけど、僕は、これには反対です。
 一番いいのは、本人の興味のあることであり、勉強をしてきたことが活かせることです。将来のことを早目に考え、将来変わるにしても、一応決めてそのための勉強に取りかかる。将来、就職で苦労すると予想するからこそ、他の人よりも深く考えたり、早めに決めたりできることが、どもる人のラッキーな所だと思います。基本的には、話すことが少ない仕事に就くことは損だと思うね。研究職なら話すことが少なくていいかと思うけれど、研究職だって、話すことはついてくるし、研究発表など「話さなければいけない場面」はだんだん増えてくる。そう考えると、若いときにいっぱい苦労することが必要だと思う。
 僕は、むしろ、話すことが多い仕事に就く方がいいと思う。話すことが多い仕事に就いている人の方が、早く壁にぶつかるし、それをなんとか乗り越えていく耐性ができる。大切なことは、次の2つだと僕は考えます。
・できるだけ早く、自分が好きなことをみつけて勉強する。
・話すことが多い仕事を選ぶ方がいい。
 消防士になりたいが、どもっていてできるだろうか、どもる人間がそんな仕事に就いていいだろうかと相談を受けたとき、僕は、こんなふうに彼に伝えました。
 「どんな仕事に就いても、どもる苦労はついてくる。自分にとってあまり好きでない仕事をして、さらにどもる苦労があれば、耐えるのは難しい。だけど、自分の好きな仕事なら、耐えられるだろう。消防士を目指してがんばれ」
 どもるから理工系、なんて単純なことではないと思う。親の、誤った価値観で、大学に入学して、後で子どもは苦しむことになる。親は、子どものためにと勝手に決めないこと。子ども本人と対話し、常に本人の意向を尊重し、相談相手になって実現を目指す。このことが親にとって大事だと思う。
吃音Q&A  2 それと大事なことは、親以外の大人か先輩で、自分の味方になっていろいろと相談にのってくれる人を見つけておくことですね。吃音親子サマーキャンプでは小学生が中学生に、中学生は高校生に、高校生は大学生や成人に相談しています。僕たちは「メンター」と言っていますが、その人にいろんなアドバイスをもらっています。架空ではなく、また著名人でもなく、同じようにどもる人が就職をどう考えていたか、どう対処したかを聞いています。僕も、吃音を治すために行った東京正生学院で、社会人が吃音に悩んでいることには違いないが、いろんな仕事に就いていることを知り、実際にその人と話ができて、「僕も仕事に就ける」と思えました。どもりながら、苦労しながらも、実際に働いている人と出会い、話を聞いておきたいですね。
 
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/04
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