伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2022年02月

吃音者よ、吃音と闘うな (5)

 「スタタリング・ナウ」1996年8月15日 NO.24に掲載されていた、「吃音者よ、吃音と闘うな」に関連した僕の文章の紹介の後、2人の体験を紹介しています。小さい頃から、吃音と闘ってきた人の生の声です。2人目の横山さんの文章を紹介します。文章に書かれている『どもりの相談』のパンフレットは絶版になりました。日本吃音臨床研究会のホームページに掲載していますので、お読みいただければうれしいです。

  
どもりと戦い続けて
                 高校3年生・横山有紀子
 
 私は今までどもりと戦い、克服することしか考えていませんでした。だから、「喋る」という行為に異常なほど執着し、高校1年生のとき、生徒会長に立候補したり、演劇部に入ったりして、人前で話すことを自分に強要しました。
 私は吃音で悩んでいるのを誰にも悟らせないため、人前では明るく振る舞い、負けん気で何にでも熱中できる性格で、演技と議論では誰にも負けない自信がありました。
 でも、どもっていては、せりふが言えませんし、議論にしてもときどきつまっては言いたいことの半分も相手に伝わってくれません。それでも、まくし立てているうちに相手が折れてくれるのですが。
 そうして、何よりどもっている間の私の顔は、見ていられないほどに醜いのです。私の吃音にとってこの性格はとんでもない自虐でした。それでも私は喋り続けました。吃音に負けたくなかったからです。しかし、実際には、私は既に負けていたのかもしれません。劇の役選考に落ちたとき、いつも「どもりでさえなかったら、あの役は私が・・・」と思っていたからです。そう思わなければ、自分自身の存在まで危うくなってしまいそうで、怖かったのです。
 しかし、その当時の私は、自分の気持ちさえ認めず、「弱い者同士、集まりましょう」とか「同じ悩みを持った者同士、話し合いましょう」といった集団を軽蔑していました。私にしてみれば、彼らは、一人で戦うことをあきらめてコロニーに逃げた卑怯者に見えたのです。
 私は、子どもの頃、ばかにした人たち、憐れみをくれた人たち、そして、吃音という障害を持たない人たちを見返すたあに、戦い続けることを決心しました。表面上は、仲の良い友達にも私は決して心を許しませんでした。
 しかし、劇のチョイ役のたった3つのせりふを本番でどもり、とても仲の良かった男子生徒に交際を断られ、やけくそで立候補した選挙で涙が出るくらいひどくどもった演説をして大差で落選したとき、(1年のときは、歌を歌ったのが成功し、次点でした) 私は、吃音の自分がどうしようもなく嫌になって、死を決意しました。
 2日間、ナイフを握って考えて、またナイフを握って考えて、でも切れませんでした。しかし、「私は今までの屈辱をエネルギーに変えてきたんだから」と、自分を慰めても、立ち直るには何らかの別の励ましが必要でした。
 そんなとき、新聞で見た『どもりの相談』のパンフレットを申し込みました。(日本吃音臨床研究会のホームページに全文掲載)。
 誰にも相談できなかったので、ほんの慰めにでもなればという気持ちだったのですが、読み進めていくうちに、私は自分の考え方が恥ずかしくなってきました。私は結局、吃音にこだわり、自分を特別視し、ごまかしていたに過ぎないのです。私も吃音を悪視している一人であり、吃音につっぱって何かを忘れてきた人間です。被害者意識にこりかたまって吃音を真正面から見ることを忘れていました。
 読んだ後、肩の力を抜いて喋れるようになった気がします。先輩方の例もある。いつかは肩の力を抜いて喋れるようになりたい。たとえ、どもりは治らなくてもハンディキャップを持たない吃音者になることはできる。
 私はパンフレットの中の、「どもってもよい。でも、この次はさっきよりかっこよくどもってみよう」ということばが好きで、鏡で表情の研究などをしています。弁護士になれるかということと、結婚できるかということが少し心配ですが、私なりに頑張ってみようと思います。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/13

吃音者よ、吃音と闘うな (4)

 「スタタリング・ナウ」1996年8月15日 NO.24に掲載されていた、「吃音者よ、吃音と闘うな」に関連した僕の文章を紹介してきました。この号には、僕の他に、2人の体験が紹介されています。小さい頃から、吃音と闘ってきた人の生の声です。
 子どもの頃から、親や、教師に、「吃音を治さなければ」と言われ続けた人は、吃音に対する否定的な感情が強くなり、「治さなければ」との呪縛からなかなか抜け出せません。そして、自己否定の感情を持ちます。そのような人に出会うと、吃音と闘うのをやめたら楽になるだろうにと思えます。吃音に闘いを挑む人がどのような体験をしてきたのでしょうか。そして、その闘いから抜け出るきっかけをどのように掴んだのでしょうか。お二人、西山芳人さんと横山有紀子さんの生々しい体験を紹介します。
 
  
長い長い時の後、「今」僕は、どもりたい
                    高校教諭・西山芳人

 1988年2月27・28日は、僕にとっては、歴史的な意味のある日であった。「吃音者の集い」に参加すること。それは、僕の中では、大袈裟ではなく、僕が作り上げてきたタブーを犯すこと。
 僕の中のタブー―それは、吃音を気にすること、意識すること。「吃音は気にしてはいけない! 意識してはいけない!」長い長い間、多分幼児期にどもり始めると同時に、思い込み続けた僕の価値観―どもりは悪いこと、恥ずかしいこと、笑われるもの、損をするもの、バカにされるもの、一日も早く治さねばならぬもの…。
 僕は長い長い間、どもりにバッテンをつけ続けた。憎み、のろい、罵倒した。同時に、僕は僕自身を憎み、のろい、罵倒した。
 僕は、物心つくと同時にどもりで、「僕=どもり」であった。親も兄弟も親戚も教師も友達も、みんな「僕=どもり」であった。
 学校で本を読まされる。僕は「僕=どもり」だから、またみんなも「僕=どもり」だから、僕はどもりながら、みんなは笑いながら、僕の本読みは進行する。僕はどもりを責め、僕自身を責める。
 情けない奴、意気地のない奴、勇気のない奴、弱い奴、ダメな奴。
 だけど、今、考えれば、自分にとっても、他者にとっても「僕=どもり」の中で、いかに強かろうと勇気があろうと、どもらずに本など読めるはずはない。それでも、もっと強くならねば、勇気を持たねばと思い込むことのうんざりする程の途方もない精神力と努力。
 僕は長い長い間、発声練習を続けた。僕は長い長い間、どもりを隠し続けた。どもりは悪いこと、だから隠した。
 だけど、隠し続ける中で、僕は一度でもいい、誰かに僕のどもりのことを話したい、聞いてほしいという欲求を持ち続けていた。夢の中で、僕は僕について僕のどもりについて、心を開いて話している僕を夢み続けた。僕は長い長い間、夢み続けていた。
 僕は随分、話せるようになっていた。随分、巧みに隠せるようになり、恐ろしいことに、隠している自分に気づかぬようにさえなる。現実には、言いにくいことばを避けて、別のことばに置き換えたりしているのに、僕にとって最も大切なことはどもるかどもらないかであり、どもりさえしなければ、満足するようになる。
 長い長い時の後、「今」僕は、自由にどもりたくって仕方ない。どもるのが怖くって飲み込み続けてきたことばは、僕の中で、いったいどれだけ積もり重なっていることだろう。もし、そんなことばに人格があるとしたなら、彼らは、僕に何と訴えたいだろう。どもりそうになって、言い換えたことば。
 彼らに命があるとしたならば、彼らは、僕の中で今、どこでどうしていることだろう。そして、彼らは、僕に何を伝えたいだろう。
 僕はどもりたい。「どもること=悪いこと、恥ずかしいこと、損をするもの、バカにされるもの、情けないこと、意気地のないこと、勇気のないこと、弱いこと、ダメなこと。・・」といった、いっさいの僕が僕自身に押し付け続けた価値観をとっぱらった世界で。
僕は思いのままにどもりたい。
 僕がどもることが今の僕の自然であるなら、僕は僕の自然を尊重し、どもりたい。
 1988年2月27・28日。「吃音者宣言」を生まれて初めて聞いた日。それは、僕の「今」やりたくってやりたくって仕方のないことの確かな実践と出会った最初の日。
 (1988年3月記、当時35歳)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/12

吃音者よ、吃音と闘うな (3)

 「スタタリング・ナウ」1996年8月15日 NO.24に掲載されている、『吃音者よ、吃音と闘うな』関連の文章の2つめを紹介します。副作用と副産物、損か得かで物事をとらえることを、この頃から考えていたことになります。

副作用と副産物

 「3錠でどもりが治る」という、かぜ薬のように簡単に飲める薬があれば、また実際にそれを飲んでどもりが治ってしまえば、問題はない。しかし、実際にそのような薬はない。
 これまでいろいろな治療法が開発され、紹介された。その治療法に取り組むにあたり、それの持つ副作用および損失を充分に考慮しておく必要がある。従来、吃音治療にあたって、それは全く省みられることはなかった。
 治療を受け、吃音が治らなかった場合、その副作用はかなり大きい。治った場合ですら、その治療に費やす精神的、時間的、金銭的な損失はかなり大きいものになっているといえよう。どもる子ども、どもる人にとって、吃音治療が本当に幸せにつながったのか、検討しておく必要がある。
 吃音に悩み始める時期、また悩みの深まる時期、つまり吃音を治療したいと思う時期は、その人の人生設計にとって最も重要な時期と重なる。吃音の治療を受けるのは、そのような時期にあたっているということを勘案しないで治療に取り組むことはできない。
 吃音治療に励むことによって、吃音に対する拒否的・否定的な態度が強まる可能性がある。それがいつまでも吃音にこだわらせることになり、日常の生活上様々な場面で消極的になり、逃げの人生を歩む結果となりやすい。逃げの人生が、吃音治療からくる副作用だといえる。
 子どもが吃音治療に励む時間、また吃音に思い煩う時間、他の子どもたちは仲間と楽しく遊び、また苛酷な受験戦争の真っ只中で戦っている。成人のどもる人が吃音治療に明け暮れる時間、他の人々は楽しく仲間と語らい、また、学生として社会人として、実力を身につけるために励んでいる。どもる子どもやどもる人が吃音にとらわれることによってその人の人生設計が狂ってしまったとしたら、これは吃音治療からくる大きな損失だといえよう。
 そして、実際、吃音は治りにくいものであり、その治療は長期にわたる。また、いかなる治療法を試みても治らなかった人はかなり多い。
 そう考えれば、「どもりが治らないと、どもる人はより良い人生は送れないのか?」という疑問が出され、吃音治療とは違う立場の解決策が考えられるのは自然なことといえる。それは、自分の人生に副作用が表れ、実際に損失を被ってきたどもる人本人の側から生まれた。
 「どもりが治ってからの人生を夢みるより、どもりながらより良い人生を生きよう」と吃音者宣言は出された。「ひどくどもっていれば決して楽しい人生やより良い人生は送れないであろう」という立場に立ち、吃音症状そのものの治療を勧める声に対して、どもる人は自らの人生をかけて、どもりながらも明るくより良く生きていけることを証明しょうとしている。
 この夏、「表現よみとユーモアで人生を明るく」のテーマで、全国大会は、講師に大久保忠利氏(日本コトバの会運営委員長)を迎え、琵琶湖畔で行われる。多くのどもる人を悩ませた「国語教育」が、どもりながらも楽しいコミュニケーションをと願うどもる人の現実的・建設的な解決策としてよみがえろうとしている。そこから生まれる副産物はどのようなものであろうか。
 吃音の新しい夜明けが、琵琶湖から始まる。(1982.7.17記)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/11

吃音者よ、吃音と闘うな (2)

 「スタタリング・ナウ」1996年8月15日 NO.24の巻頭言を紹介しました。その号には、『吃音者よ、吃音と闘うな』に通じる文章を2つ掲載しています。今日は、その中の一つ、1988年に書いた「吃音と民間療法」を紹介します。33年前の文章ですが、僕の主張が今でも一貫していることと、あまりにも変化のない現在の吃音の世界に驚きを覚えます。
 
吃音と民間療法
 『結核の治療法が確立する前に、「石油を飲めば治る」などのデタラメな民間療法が広まり、知識人までが信じ込んだ。治療法が確立すれば、インチキ療法としてこれらは歴史的に批判されるだろう。残念ながら、治療法が完全に確立するまで、患者の心をつかむ民間療法が百鬼夜行し続けると思う』―医事評論家 川上武―

 「あなたはがんだ。でも、必ず治る」と大勢のがん患者の治療をしていた断食道場の会長が、医師法違反の疑いで逮捕された。彼は『それでもがんは治る』等7冊の本を出し、テレビ番組にも出演し、有名人も支援していた。著書の中で「80%は回復させた」と自己の治療法の有効性を主張している。多くの本、有名人の支援、公表された実績から、多くの患者や家族がその療法にひきつけられた。
 「命をもてあそばれた。許せない」と怒る人がいる一方で、「希望を与えてくれた」と支援する人もいる。実際に効果があったと信じている人がおり、その判定が非常に難しいところから、このような複雑な反応が起きる。しかし、実際は、大阪府警が押収したカルテから再調査をすると「80%回復」はウソであり、入所2年後の生存率は35%。死者のカルテの中には捨てられたものもあり、実際の生存率はもっと低いと見られている。
 ほとんどの難病には、民間療法があり、吃音も例外ではない。新しい治療法が紹介されるとき、「何%の人に効果あり」と実績が示され、「吃音は治る」と宣伝される。全ての吃音者に効果がなかったということはない。少なくとも治療を受けて良かったとする吃音者はいる。この度のがん治療と事情は同じである。
 しかし、吃音には、そのときは効果があったと報告しても、その後再発する可能性が残されている。また治療後何らかの事情で人間関係が好転した、異性の友人ができた等、日常生活の変化によって、吃症状や悩みの度合いは大きく影響を受ける。つまり、調子の良い時と悪い時があるという波現象があり、自然治癒もある。いい時がたまたまあると、あの○○治療法のおかげだと信じる人がいても不思議はない。ほとんど効果のない療法であっても治療効果ありとして実績が積み上げられる。
 一方、効果がなかった場合でも、治療者の側からは、「本人がまじめに取り組まなかったから、日常生活に活かせなかったのだ」とする逃げ道があり、吃音者本人もそのように考える。したがって、それがインチキ療法だったとしても、○○法を非難したり、告発したりはしない。これが、効果のない治療法であっても、大手を振ってまかり通る一因ともなっている。
 吃音の確かな治療法が確立されていない今、また様々な治療法が開発されるであろう。その治療法が吃音児・者にとって本当に効果があったのかどうか考える時に、今回の事件は参考になるであろう。    (伊藤伸二1988.3.25記)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/10

吃音者よ、吃音と闘うな

 センセーショナルなタイトルの『患者よ、がんと闘うな』(近藤誠)が刊行されたのは、今から27年も前のことでした。僕は、その本を手にし、「吃音者よ、吃音と闘うな」、「どもる子ども・吃音者を、吃音と闘う戦場に送るな」ということばが浮かびました。
 1996年に書いた巻頭言を紹介します。今は使っていませんが、当時は「吃音者」ということばを使っていましたので、そのまま使います。今と現状は全く変わっていないことが不思議です。

  
吃音者よ、吃音と闘うな
               日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 ―人は夢や希望を持つことが大切とよく言われます。しかし、ことがんに関しては、それは当てはまりません。いや、むしろ、夢や希望を持つことは有害とさえいえるでしょう。なぜならば、夢や希望にすがった結果、からだを切りきざまれ、単なる毒でしかないものを使われてしまうからです・・(中略) 
 せっかくよかれと思ってつらい治療をうけたのに、あとで後悔するのは悲しすぎます。後悔しないためには、がん治療の現状を正確に知り、がんの本質を深く洞察することが必要になるのです。できることとできないことをはっきりさせて人々に知らせることも科学としての医学の役割でしょう。これまで、患者や家族が悲痛にあえいできたについては、がんと闘う、という言葉にも責任があったようにも思われます。自分のからだと闘うという思想や理念に矛盾はないでしょうか。徹底的に闘えば闘うほど、自分の体を痛めつけ、滅びの道へと歩むことにはならないでしょうか―
           『患者よ、がんと闘うな』近藤誠 文藝春秋社

 今、ベストセラーになっている、この本はがんについて書かれたものだが、がんを吃音に置き換えると、そのまま、私たちがこれまで主張してきたこととほぼ同じだ。
 「今まで言われているがん治療法は手術を含め、ほとんど有効ではない。抗がん剤の副作用で多くの患者たちが悩んでいる。抗がん剤が効くのは、1割程度。がん検診は百害あって一利なし」
 近藤さんはこう主張し、がんと闘うなという。
 吃音は、薬も、手術もない。これといった治療方法はまだ確立されていない。その中で、治したいという希望だけが根強く残っている。
 確実な治療方法がないのに、吃音を治したいと夢をもつこと、吃音を治そうと試みることが、どんなにその人の自分らしく生きることを阻害するか。私たちは多くの実例をみてきた。
 ギリシャのデモステネスの時代から、吃音を治す試みは続けられた。多くの人が果敢にも、どもりとの闘いに挑んだ。闘いに挑み、勝利した人もいるだろうが、実際には、努力しても治らない人の方が圧倒的に多い。
 治らないことに気づき、早く闘いを投げ出した人はいいが、諦められず、吃音を治さなければならないと思いつめる人は、果てしない闘いに駆り立てられていく。治らないのは、自分の努力が足りないからだと自分を責め、あくまで吃音との闘いを止めず、疲弊していく。
 吃音者の悩みは、治せないものに対して、治ると信じて闘いを挑むことだと言っていい。挑戦し続け、それが実現せず、自己不信に陥り、自己を否定していく。吃音の場合の、治療からくる副作用は自己否定である。
 早くこの闘いの無意味さを知らさなければならない。私たちは20年以上も前の1974年、《吃音を治す努力の否定》を提起した。
 この20年間、吃音についてどんな進展があったろうか。有効な治療方法が確立しただろうか。一方、私たちの主張は広く受け入れられるようになっただろうか。
 残念ながら、両者とも全く変わっていない。
 20年前、それこそ清水の舞台から飛び降りる決意で提起した《吃音を治す努力の否定》以降も、吃音との闘いに挑む人、どもる子どもをその闘いに向かわせる吃音研究者、臨床家も後を絶たない。
 吃音者の悩みの多くが、治らないものを、治そうと挑むことなのに、その吃音との闘いをすすめることはなんと残酷なことか。
 私たちは、再び声をあげなければならない。
 『吃音者よ、吃音と闘うな』
 『どもる子ども・吃音者を、吃音と闘う戦場に送るな』
              (「スタタリング・ナウ」1996年8月15日 NO.24)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/09

自分に対して、他者に対して、正直に誠実に生きることは、結果として言語訓練に一番近いところにいることだ

 僕たちは、これまで多くの幅広い分野の方からたくさんのことを学んできましたが、「からだ・ことば・こころ」について多くの示唆をいただいたのは、竹内敏晴さんと内須川洸さんだったと思います。お二人を迎えて、吃音ショートコースを開くという、大きな期待の中で書いた巻頭言を紹介します。
 どもるどもらないという次元ではなく、自分らしい「ことば」について追い求めていくことの決意のようなものを感じます。自分に対して、他者に対して、正直に、誠実に生きることは、意識はしていないが、結果として言語訓練に一番近いところにいることだとの思いは、今も変わらず、僕の中にしっかりと刻まれていることです。

からだ・ことば・こころ
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもりを治したい」から出発した、セルフヘルプグループとしての私たちの歩みは、吃音症状へのこだわりと、そのこだわりからの解放の歴史でもあった。30年に及ぶ歩みの、最初の7年ほど、私たちは、吃音症状の消失及び改善の夢を捨てることができなかった。
 1974年に提起した、「吃音を治す努力の否定」は、その夢をきっぱりと捨てる、私たちの決意表明でもあった。その後の、吃音を受け入れて生きる、取り組みの中で、私たちの関心は、吃音症状そのものから、自分の《ことば》へと移った。
 どもるどもらないは大きなことではなくなった。他者とどうかかわるか、自分をどう表現するか、自分らしい《ことば》への模索が続く。
 どもるのが嫌さに閉じこもっていた《からだ》は、他者に向かい始め、少しずつ自分の《ことば》を語り始める。どもりを引き受けて生きる覚悟ができはじめた私たちの《ことば》に、大きな変化が現れる。その変化は、当然、吃音症状にも現れた。
 どもりを隠し、話す場面から逃げた生活。どもりたくないために、言いたいこと、言わねばならないことを言わない生活は、結果として言語訓練から一番遠い位置にある。たとえどもっても言いたいことを、言わなければならないことを言う。自分に対して、他者に対して、正直に、誠実に生きることは、意識はしていないが、結果として言語訓練に一番近いところにいたということだろう。
 他者に向かって話すとき、相手に伝えたいとの思いが一杯に広がると、一音一音を丁寧に、ゆっくりと話している。遠くの人にも聞いてもらいたいと思うと、自然と声が大きくなる。伝えたい気持ちが高まると声に力が生まれる。どもるどもらないはいつしか問題でなくなってくる。
 以前よりはあまりどもらなくなったり、その人らしく自然にどもる人に、なぜそうなったのか尋ねると、その多くが分からないという。どもりを治そうとして取り組んでそうなったわけではないから、人に説明ができないのだが、何か共通のことはありそうだ。多くの人が、自らの《ことば》について考え実践してきたことをその人だけの体験とせず、吃音症状そのものだけではなく、《ことば》についてもっと語り合いたい。
 吃音を受け入れても、自分らしく生きるには、自分の《ことば》が必要だからだ。
 竹内敏晴さんは、耳の病気から聴覚を失い、話せず、12歳から16歳まで、完全な聾唖の世界にあったという。竹内さんは、聞こえ始めた16歳の終わりごろから、対話の世界に入っていく。
 言語障害の苦しみの中から、自ら閉じこもった経験をもつ竹内敏晴さんは、現在のように話せるようになったのは、40歳代半ばになってからだ。ご自身の、《ことば》をひらいていった体験を語って下さり、私たちにからだとことばのレッスンをして下さっている。
 内須川洸さんは、1954年ごろ設立された、「東京大学吃音研究会」の主要メンバーとして、心理学の立場から、吃音に取り組む。『吃音者の要求水準の研究』などを通して、どもる人のどもる時の《こころ》の動きの面から、《ことば》について考えてこられた。ご自身、吃音の経験はないが、どもる人の《ことば》と《こころ》の苦しみに常につきあって下さっている。
 竹内さんが、体験やレッスンを通して考えてこられた《ことば》と《からだ》。内須川さんが、心理学の立場、吃音の研究臨床から考えてこられた《ことば》と《こころ》が出会う機会がきた。
 それに、どもる人自身が生きる中から考えてきた《ことば》が加わる。興味深い出会いとなるだろう。
 お二人の対談を軸に、参加者全員の《ことば》についてのディスカッションなどを通して、私たちにとっての《ことば》について考える。
 '96吃音ショートコースはこの秋行われる。(「スタタリング・ナウ」NO.23 1996年7月18日)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/07

ことばの教室への応援歌

 今日、紹介するのは、1996年6月のニュースレター「スタタリング・ナウ」の巻頭言です。タイトルは「ことばの教室への応援歌」。大切な役割を持っていることばの教室への、僕からの心からの応援として、紹介します。

ことばの教室への応援歌
              日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 かつて私は、ことどもる子どもの指導に限ってのことだが、ことばの教室不要論者だった。
 ひとりひとりの子どもを大事にし、国語教育で《読む・話す・聞く・書く》を適切に指導できる学級担任であれば、どもる子どもはことばの教室に通う必要はないのではないか。また、どもる子どもが悩んだ時、養護教諭も、カウンセリングマインドで適切に対応できれば、子どもののよい味方になってくれるのではないか。個人を大事にする担任と、国語教育と、養護教諭に期待していたのだ。
 20年前、大阪教育大学・言語障害児教育教員養成過程に在職していた頃、ことばの教室の教師を養成する立場にありながら、そう考えていた。
 私自身が、小学2年生の秋、担任教師から不当な扱いを受け、それが吃音に悩む原因となっただけに、担任教師にどもる子どもの味方になってほしいという願望と期待がより強かったのだと思う。
 しかし、それはそうたやすく実現できるものではなかった。家庭の教育力は落ち、子どもを取り巻く社会状況は年々悪化している。教育現場でも、個人が大事にされているとは言い難い。
 『小学生の3人に1人は自分が嫌い』
 大阪市内の小学生5・6年生男女1,558人を対象にして出された自己意識調査の結果だ。従来、諸外国に比べ、日本の子どもは自己評価が低いと言われてきたが、それを裏付けるような結果だ。(1996年3月・幼少年教育研究シンポジウム・大阪)
 自分が嫌いだという子どもがこれほど多いのは、現在の学校教育システムが子どもの自己概念を破壊し、無力化させているからだとはいえないか。
 この現在の通常学級の現状の中で、私が求めたどもる子どもへの対処は期待できるだろうか。
 私は今、かつての、ことばの教室不要論者から大きく変わった。ことばの教室こそ、日本の教育を変える突破口になるのではないかとさえ思う。
 ことばの教室は、「自分が好きだ」という子どもを育てる場だと考えているからだ。
 不登校やいじめの問題への対処としての学校カウンセラー制度は、まだ試験的に一部の学校に導入されたにすぎない。しかし、ことばの教室は、全国各地にかなりの数設置されている。
 ことばの教室では、45分間、ひとりの教師がひとりの子どもに、個人を大事にしてかかわる。こんなぜいたくなことはない。現在の日本の学校教育の中で、恵まれた存在だといえる。
 吃音の症状を治すのではなく、その子どもの持っている悩みに耳を傾け、その子どもの個性を尊重して、「どもっていても自分が好きだ」、少なくとも「自分が嫌いではない」と言える子どもに育てることは、なんとやりがいのある仕事ではないだろうか。
 しかし、どもる子どもへのこの指導は、ことばの教室だけでできることではない。学級担任のどもる子どもへの適切な対応が不可欠である。学級担任が、どもる子どもに適切に対応できるようになるには、ことばの教室からの、学級担任への積極的な関わりと連携が必要になる。一般的に学級担任は、吃音について無知であり、どのように対応すればよいか戸惑っているのが現状だからだ。
 ひとりのどもる子どもを周りが大事にしていく、通常学級をまきこんでの取り組みで、どもる子どもがどんどん「自分が好き」になっていけば、その成果は、ひとりどもる子どものものだけでなく、そのクラスの他の子どもにも影響していくことになるだろう。
 「自分が嫌いだ」という他の子どもへの対処にも結びつくはずであり、ことばの教室は、日本の教育を根本から変えていく可能性を秘めている。
 この取り組みは、単に吃音症状の消失や改善を目指す指導より、はるかになすべきことは多い。
 ことばの教室で何ができるか、一緒に考え、実践をしていきたい。(「スタタリング・ナウ」NO.22 1996年6月15日)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/06

松元ヒロさん、新聞で大きく掲載 テレビがだめでも新聞がある

 松元ヒロさんとの対談の一部を紹介し終わり、さて、次にと考えていたら、昨日の朝日新聞朝刊に、ヒロさんの大きい記事。びっくりしました。すごいと思っていたら、夕刊にも、そして毎日新聞にも掲載されています。まさに「時の人」です。
 確か、「サンデー毎日」最新号にも、記事が掲載されていました。夕刊のことは、関東地方に住む友人が「ヒロさんのことが載ってたよ」と知らせてくれたので、朝刊は関西版(大阪版)だったのかもしれません。
 ブレないで、ひとつの信じる道を歩いてきたら、大きくブレイクすることもあると思わせてくれました。新聞記事を紹介します。

朝日新聞朝刊 2022/02/04
       なんとなく「テレビに出せない芸人」

空気読み、表現萎縮させる自主規制
松元ヒロ 朝日新聞 2月4日_0001 「映画「テレビで会えない芸人」が公開されている。政治や社会を風刺する芸人を、テレビマンが追ったドキュメンタリーだ。「会えない」のはなぜなのか。誰がそう決めているのか。

 「鹿児島のテレビ局が私のことをドキュメンタリーで撮りたいと追っかけているんです。でも私のやっている内容、ほとんど放送できないものばかりですよ」
 舞台に立つ白髪交じりの男性が自虐的にネタにすると、会場は笑いに包まれた。芸人・松元ヒロさんに密着した「テレビで会えない芸人」のひとコマだ。松元さんは舞台で、「第3次」安倍改造内閣を「大惨事と言っていた」と風刺して、笑いを誘っていく。
 松元さんもかつてはテレビで人気を博した。社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」で多くの番組に出演していたが、1990年代末にその姿が見られなくなった、と映画は伝える。
 一方で現在、年120本ある独演会などのライブは満席続きだという。この映画は、なぜテレビが人気者を手放したのかを考察し、自己批評するドキュメンタリーだ。
 監督を務めたのは鹿児島テレビの四元良隆さん。かつて周囲に「テレビではできないネタばかりやる芸人がいる」と言われて松元さんを知った。それから15年後、鹿児島での公演の打ち上げで初めて会い「テレビ局の人には出せないと言われるんです」と聞かされた。
 四元さんはそれらの言葉に刺激され、テレビドキュメンタリーの制作を決意。「テレビ自身が『出せない』と言ってしまうものは何か。そこにチャレンジしたい気持ちがあった」 四元さんの後輩で、誘われて共同監督になった牧祐樹さんは「ハレーションがあるのではとのちゅうちょもあった」と明かす。それもそのはず、松元さんのネタは苛烈(かれつ)を極める。時の政権に手厳しく、原発や憲法といった世論を二分する問題もお構いなしに斬る。「テレビに出ない人を、不要なバッシングにさらすのではないかとの心配があった」と牧さん。
 撮影は順調に進むも、仕上げの段階で局内から「大丈夫か」という声があったらしい。ただ、2019年7月に放送すると話題になり、翌年には長尺版を放送。関東ローカルでも流れ、日本民間放送連盟賞など各賞を獲得したことで今回の映画化に至った。
 これまで、一つのクレームも来ていない、という。
 四元さんの入局は94年。当時の制作の基準は「面白いかどうか」だったのに、現在は「大丈夫か、抗議が来ないか、という言葉が先に出る」と苦笑する。かたや07年に業界に入った牧さんは「許可を得て撮影しています」といった注意書きの説明など、先回りしてクレームに備えるところがある、と自覚している。
 牧さんは言う。「結局、ヒロさんみたいな芸人が見られないのは、自分たちで表現を萎縮させ、何となくの空気で自主規制をしてしまっているせいなんです」

森達也監督「タブーは共同幻想」
 テレビ番組からキャリアを始め、「テレビのタブー」を作る放送局側にカメラを向けてきた先達に森達也監督がいる。
 99年放送の「放送禁止歌」では、誰も禁止していないのに、テレビ自身のあいまいな自主規制で“放送禁止歌”が生まれた実態をあぶり出す。「タブーに明確なラインがあるわけでもない。ほとんどが共同幻想ですよ」
 これを含め、昨年末発売のDVD「Tatsuya Mori TV Works〜森達也テレビドキュメンタリー集〜」に収められた90年代の4作品は、小人症の人々によるプロレス、薬や化粧品の会社への配慮からテレビが扱わなかったとされる動物実験と、テレビが嫌がるテーマが並ぶ。「テレビは以前から反応を過剰に気にする存在だった。特にスポンサーにクレームをつけられるのを怖がる」
 今はさらに、自主規制が業界に蔓延(まんえん)しているのではないかと森さんは言う。背景にはコンプライアンス(法令や社会規範の順守)やリスクヘッジ(危険回避)という言葉に代表される安全志向や、SNSの普及があるという。
 「社員を危険な場所に行かせない。炎上を回避する。普通の企業では当たり前のことだが、メディアとしてどうなのか。空気を読んで、会社として成熟すればするほどに、テレビは牙が抜かれ、つまらなくなってきたんです」(小峰健二)


朝日新聞夕刊 2022/02/04
     「テレビで会えない芸人」に主演 松元ヒロ

小さな声 笑いで伝える
松元ヒロ 朝日新聞夕刊 「主演」と書くのは、ドキュメンタリー映画だからおかしいかも知れない。しかし映画はさながら「独演会」だ。ステージの上でも下でも、電車の中でも自宅でも、その語りはとにかくおかしい。そして自由で、まっすぐで、最後はあたたかい。
 ソロのライブは政治風刺から始まる。「日本は戦争で310万人が死んだんですよ。『軍人勅諭』『教育勅語』、分からない人は森友学園で聞いて下さい」
 たたみかける痛快なネタに満員の客席は沸く。「いいね今日は! 非国民が相当集まってるねえ」。テレビで敬遠されるゆえんだ。
 「風刺がやりたいというより、制限なしにしゃべりたいだけです。自民党の人が呼んでくれたって、ちゃんと面白い話できますよ」と語る。こうも言う。「お客さんも僕も、政治的には少数派でしょう。その少数派の声を代弁したい。庶民の笑いをやりたい」
 コント集団「ザ・ニュースペーパー」の創設メンバーとして活躍したが、1990年代末にテレビを離れ、ソロ芸人に。体ひとつで舞台に立ち、練り上げたネタを披露する孤高の芸人に、故郷である鹿児島のテレビ局が2019年春から密着取材した。「放送できない芸」を放送してみせた番組は、日本民間放送連盟賞最優秀賞やギャラクシー賞優秀賞など数々の賞を受賞。長尺の劇場版が公開される運びとなった。
 20年以上語り続けるネタに、日本国憲法を擬人化した「憲法くん」がある。立て板に水のごとく前文をそらんじ「『現実』にそぐわないから私を変える? 私って『理想』だったんじゃないですか?」。井上ひさしが絶賛、永六輔は「ヒロくん、9条を頼む」との言葉を残した。
 護憲集会に呼ばれることも多く、朝日新聞でも集会を報じる記事にたびたび名前が出るが、その芸の面白さを紹介する記事は、実は少ない。
 これはいけない。マスコミ向け試写で一番ウケたネタを紹介しよう。
 妻俊子さんが電車の優先席に座る女子高校生を一喝した一幕。乗客らが凍り付く中、隣の松元が「怖かったでしょ、でも―」。ああ、いけない。紙幅が尽きた。オチは劇場で。(文・小原篤 写真・外山俊樹)

*まつもと・ひろ 1952年生まれ。パントマイムを学び、コミックバンドを経て、89年に「ザ・ニュースペーパー」を立ち上げる。四元良隆・牧祐樹監督「テレビで会えない芸人」は東京・大阪・鹿児島などで公開中。順次各地で。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/05

「テレビで会えない芸人」、松元ヒロさんとの対談 2

 2006年の年報、「笑いとユーモアの人間学」と名づけた冊子に掲載されている、僕と松元ヒロさんと対談の一部を紹介しています。今日は、そのつづきです。対談は、まだ続きます。機会があれば、全文紹介したいと思いますが、今回の紹介はここまでとします。
七芸3 舞台挨拶サイン会 改めて、幅広い分野のたくさんの方から、たくさんのことを学んできたと思います。ヒロさんとは、あのときからずっとつながりがあり、これもとてもうれしいことです。ありがたい出会いに感謝しています。

松元ヒロさん・伊藤伸二対談「笑いと人間」
 〜第11回吃音ショートコース、2005年10月10日(振休・月)、於・ソフィウッド〜

松元ヒロさんとの出会い

伊藤:僕は20年も前から笑いやユーモアに関心があって、特に僕たちの場合は“笑い”というのはすごく大事なのではないか、と思い続けてきたんです。それで、ぜひいつか、笑いやユーモアに関するワークショップをしたいと思ってきました。笑いの芸だけでなく、ワークショップとなると、イメージがなかなかつくれず、良い人と巡り会えませんでした。お笑いの本場と世間では言われている大阪に住んでいながら、自分の感覚にピッタリくる人と出会えなくて困っていたんです。
 そうこうするうちに、ある日、ずっと定期購読している『週刊金曜日』という雑誌に、在日韓国人二世で東京大学教授の姜尚中(かんさんじゅん)さんと松元さんとの対談が載っていて、それを読んで「この人しかいない!」と思ったんです。でも、やっぱりヒロさんのライブを直接見て確認しないとと思い、一所懸命インターネットで調べたんですが、なかなか見つけられなくて、関東地方のライブが多くて、関西ではほとんどないんですね。去年の吃音ショートコースの前に、名古屋でのライブをみつけ、これはチャンスだと思ってすぐに電話で申し込んで行きました。実際にライブを体験して、もう笑い転げました。これまでにない心地よい笑いでした。「この人だ。この人しかいない」と事務局の人に強引にお願いして、ライブの後、会っていただいたんですね。
 僕は、「笑いとユーモア」は大きな力になると思う一方、ある意味では非常に危険な要素もはらんでいると感じています。笑いによって傷つけたり傷ついたりする。あるいは周囲が笑っているのに自分は笑えないという心理的状況もある。だから、かなり慎重にしないといけないテーマだと思ってきました。でも、恐れてばかりいては一歩踏み込めないという気がして、傷ついた人には心の中で「ゴメンね」と思って、いつか笑ってくれるかもしれないという願いも込めながら、一歩踏み込んでいきたいと考えています。
 僕たちのグループでは、どもっている人の姿を見て笑うときがあります。それを、初めて参加した人やグループに参加して日の浅い人が見て、「なんだ、このグループは、同じように吃音で悩んでいるはずなのに、なぜ人がどもっているのを見て笑うんだ」と怒る場合があります。でも、僕たちはどもっている人すべてに対して笑っているわけではなくて、「この人ならどもったときに笑っても傷つかない」と確信しているつきあいの古い人で、実際に自然に笑いが出るどもり方の人に対してなんですね。どもることだけで笑っているのではなく、そのどもる状態と、話の内容、その人の存在を含めて出てくる自然な笑いです。まあその人は、どもりの上級編なんですが(笑)、どもっていること自体が笑いなんですよ。そういう人を見ると僕たちは思わず自然に笑ってしまうんですが、このような笑いに慣れていない人は、自分が今までに受けてきた笑い、つまり嘲笑ですね、それと同じではないかと感じて怒ってしまうことがあるんです。でも、私たちの笑いは、「どもっているあなたは素敵だ」という、その人を肯定した応援の意味での笑いなのです。その人がこれまで受けてきたのは、吃音を否定する、嘲笑の笑いなんです。それと混同して怒るんです。このふたつの笑いには、すごく差があるんですよ。笑いをすべて同じものに感じてしまうところがありますね。

笑われることと笑わせること

松元:皆さんが発表していた川柳の中にもありましたね。自分が幼い頃に笑われて、それで自分がどもっていることに気づいた、というのが確かありました。だから、2日間皆さんとご一緒して、皆さんは笑われることにすごく敏感な人たちだなあと思いました。僕はある意味、一番の敵ではないかなと思っています。皆さんは笑われることが嫌で、今までもすごく悩まれたでしょうし、笑われることさえなければ、ただちょっとことばが出にくいとか、同じことばを繰り返してしまうというだけで済んだのに、他人から笑われることによって自分のプライドを傷つけられた、そういう経験をお持ちの方なんですよね。

伊藤:そう、そうなんです。

松元:だから、僕は大変な所へ来たんだな、と今改めて感じています。昨日はただ、「ああ、みんな笑ってくれてる」と思ってただけなんですが、終わってみて、よくよく考えてみたら、笑いによって傷ついた人たちが笑ってくれたんだ。そこをもっと考えておかなくちゃいけないのに、終わってから「あれとあれは、ふさわしくなかったな」と反省したりしています。
 それと、僕の奥さんという人がですね(笑)、「ことばではない、心なんだ」とおっしゃっていたので、「そうか、今の僕のままで、あまり気を遣い過ぎることなく、よかったんだ。あとは自分自身が変わっていけばいい。いわゆることば狩りのように、気を遣ってうわべだけ変えるのではなく、心が変わっていけば自然に仕事の内容やスタイルも変わっていくだろう」と、そう感じています。

伊藤:すごく大事な点なんですが、どもることで一番苦しかったことは何か、一番嫌だったことは何かと訊くと、「笑われて嫌だった」という人が多いんです。これが吃音ではなく、他の病気や障害をもっている人の場合だと、周囲がそのことに対して笑うのはやめておこうという気持ちが働いて、笑われることは少ないかもしれません。もちろん中には笑われた方がいるかもしれませんが、比較的少ないでしょう。ところが、どもる人は笑いにさらされて生きてきたから、どもることは恥ずかしいものだという意識が根強くあります。笑いにさらされてきたことで傷ついた人間です。だから笑いというのは、それまで自分が他人から攻撃されてきたこと、一番嫌だったものなんです。それに対抗する手段はないのか、自分を救うものはないのか、と考えたときに、笑いは一番の攻撃だったけれど、「攻撃は最大の防御」と言いますが、むしろ自分から先手をうって笑ってしまえばいいんじゃないか。自分が自分を笑ってしまえば、相手も笑って、攻撃するきっかけを失ってしまう。そんなことを考えたりしてきました。

松元:確かに、笑われることと笑わせることは違いますね。僕もそうですが、やっぱり人間は笑われることは嫌ですよ。自分が下に見られているということですから。僕も人に笑われて恥ずかしい思いをしたことはいっぱいありますが、今のように笑いを商売にしていると、笑われるというのは逆に、自分が相手を笑わせたということですから、それが武器になるというか、「ああ、これはまた使えるな」と思ったりします。でも、よっぽど自分に自信がないとできないことですね。
 この吃音ショートコースの最初に皆さんがたくさん失敗談を話してくださって、すごく笑わせてもらいましたが、実際の出来事があったときには多分、とっても悲しくて嫌な出来事だったんでしょうね。でも、後になって人に話して笑ってもらったというのは、それを乗り越えたということですよね。だから、その出来事が悲しみや嫌な感情が深ければ深いほど、笑いも深いような気がします。ただのダジャレで笑わすのではなく、その人の深さや聞いている人のやさしさ、そういうものが入っている笑いだと思います。
 たとえば皆さんが一番大笑いして受けていた話なんか、そうですね。上司に夜に電話をかけなければならない、丁寧に言わなければならないと思って、「夜分すみません」と言うところを、「や」がなかなか出てこなくて、「お」が発音しやすいからと思わず「お」をつけて言ってみた。すると、相手には「親分すみません」になってしまうという体験談を話してくださいましたね。すごくおもしろかったんですが、そう言わざるを得なかったとき、本人はずっと内緒にしておきたいほど、嫌な、恥ずかしいことだったんでしょうが、後になって、あっけらかんと語ってくださった。すごく深い、その人の人間性というようなものが感じられて、上級の笑いだという気がしました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/03

「テレビで会えない芸人」、松元ヒロさんとの対談

七芸2 舞台挨拶ヒロさん ドキュメンタリーが映画になった「テレビで会えない芸人」の紹介をしています。第七芸術劇場で買った「テレビで会えない芸人」のパンフレットに、何人かの著名人がコメントを寄せていました。その中に、鴻上尚史(作家・演出家)さんのコメントがありました。

 
映画の中で紹介されている松元ヒロさんのネタに大笑いしました。
 松元ヒロさんという芸人さんがいることは、日本のひとつの希望だと思います。
                  鴻上尚史(作家・演出家)


 21年間続いた、「吃音ショートコース」と名付けた3日間のワークショップに、鴻上尚史(作家・演出家)さんも来てくれています。3日間の楽しいワークショップでした。「吃音ショートコース」のふたりの講師がこのパンフレットで出会ったことになります。
 鴻上尚史さんのワークショップも冊子になっていますが、今回は、松元ヒロさんのワークショップの記録を掲載した、2006年の年報の一部を紹介します。「笑いとユーモアの人間学」と名付けた冊子は、たくさん印刷したのですが、全て売り切れ、絶版になってます。
 その「笑いとユーモアの人間学」に掲載されている、僕と松元ヒロさんと対談の一部を紹介します。対談の冒頭の部分です。

松元ヒロさん・伊藤伸二対談「笑いと人間」
 〜第11回吃音ショートコース、2005年10月10日(振休・月)、於・ソフィウッド〜

伊藤:おはようございます。今回のショートコースは早くも11回目となりますが、毎回、ゲストの方との対談を行っています。対談といっても堅苦しいものではなく、漫談というか雑談というか(笑)、になる場合があります。今回は特にそのようになるのではないかとの予感がします。どうぞ気楽にお付き合いいただければと思います。
 さて最初に、松元ヒロさんにお伺いしたいのですが、私たちのように劣等感というか、社会的には弱点をもっていると言われる、障害や病気のある範疇にくくられるグループから「来てください」と言われて、どんな感想をもたれましたか?

参加したのは、何でも知りたいから

松元:最初の出会いは、私が名古屋で公演したときに伊藤さんが来てくださった時ですね。そこで熱く思いを語られたのを覚えています。私は、基本的には公演、ライブで、ナマでやれる所へ行くのは好きですし、まあ、うちの女房は「お金をいただければどこへでも」という感じなんです(笑)。「(お客さんは)3人でもいいです」なんて言うんですが、僕はお客さんさんは多い方がいいけど……(笑)。
 ライブでいろんな方と出会えるのは楽しみですし、テレビでできないようなこと、まあ、自分ではテレビ向きの人間ではないと思っていますが、とにかくナマでやることが活動で、声をかけていただくとどこへでも行かせてもらってます。
 それと、今回はワークショップも実施してほしいという依頼でしたが、実はあまりやったことがないので、それも楽しみでした。また、吃音に少しなじみがあったことも、お誘いにのった理由でもあります。僕自身は小学校時代に少しどもっていて、親戚の叔父さんもどもっているし、ピースボートに乗ったときもルポライターの鎌田慧さんと同室だったんですが、鎌田さんもそうなんです。マルセ太郎さんの息子さん、この方は弁護士をされていて、東京で開催された憲法フェスティバルの指揮を執っていらっしゃいましたが、吃音なんですね。そういうふうに、慣れていると言っては変ですが、周囲に吃音の方が多いんです。
 マルセさんの息子さんは金さんといって、普通、在日朝鮮人の方は名前を変える方が多いんですが、金さんは絶対に嫌だと言って、そのままの名前で活動されています。自分が在日だからなのか、いわゆる社会的弱者の方たちの弁護活動を率先してやっておられます。お金のない方がほとんどなんですが、放っておけないんでしょうね。そんな感じで、自分の周囲にどもる人がわりといるので、すごく身近に感じています。まあ僕は、何かの役に立ちたいというよりは、半分は「これはネタになるだろう」と思ってるんですけどね(笑)。 実際に昨日、ライブをやる前にみなさんのユーモアあふれる失敗談を聞かせてもらって、「ああ、これはネタだ」と思っていました。集まっておられる方々は年齢層も幅広いし、楽しかったですね。

伊藤:そうですか。じゃあ、これまでにどもる人と会ったことがないというのではないし、おもしろそうだと思って参加してくださったんですね。

松元:ええ、ただ今までは個別に吃音の話をしたことがなかったので、昨日ここで皆さんの話を聞いて、吃音に関する悩みや葛藤がいろいろあることを、改めて気づかされました。でも、けっして暗くはないし、皆さんは吃音をネタに、ときには笑い飛ばしながら話されていたので、いつも自分がやっていることを考え直すきっかけになりました。
 今回、伊藤さんからのお話を引き受けたのは、自分が知らないことを少しでも知りたいという思いがあるからなんです。鹿児島の田舎から出てきて、自分の知らないことを知っておこうという好奇心は強いんです。パントマイムを始めたのもそうですし、暗黒舞踏の合宿にも3日間参加したことがあるし、とにかく知らないものがあることが嫌なんです。
 ジャズも最初はよく分からなかったんですが、知らないままでいるのは嫌だったので、ライブを聴きに行ったんですね。すると、やっぱり背中にビンビンと感じるものがあって、「これなんだ」と思いました。理論的に説明できなくてもいいから、ピアノとベースの音を背中にビンビン感じていることをとにかく楽しめばいいんだ、と納得できました。
 暗黒舞踏の合宿に言ったときも最初は全然意味が分からなくて、土方巽という、舞踏の世界では百年に一人と言われていた人に、「僕、意味が分からないんですけど」と直接質問したんです。そしたら、「意味なんか考えんなあっ!」とすごい剣幕で怒られたんですが、その後にすごく親切に教えて下さって、「これはオブジェなんだ。形を見ろ」と言われました。たとえば、きれいな音楽が流れているけれど、このきれいな音楽にただ乗っているだけでは芸術ではなくて、音楽を食うように自分の身体で音楽を食べていくんだ。そして地鳴りのような汚い音楽が聞こえてきたら、その汚さ、ウンコの中に美を見いだすんだ。そこに自分がまみれていって、きれいに昇華されるまで、何か美しさを見いだすまで戦うんだ。それをおまえたちは見て、何かを感じろ、見たままでいいんだ。そんなことを教えてもらいました。
 すると、その後に抽象画を見たときも、特に考える必要はなくて、きれいだなと感じたり、何かショックを受けたなと感じたり、ただそれだけでいいんだということが実感として分かったんです。
 そういうふうに、とにかく僕はなんでも知りたいんです。今回も、同じ悩みを持つ仲間同士だからこそ話せることを聞かせてもらって、それがすごく、単純にうれしかったです。
(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/02
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