伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年12月

どもる子どもの両親教室での話 (3)

 昨日のつづきを紹介します。両親教室では、いろいろな質問が出ます。僕は、いつも、僕自身の体験と、これまで会ったたくさんのどもる人やどもる子どもの顔を思い浮かべながら、話をします。実在する多くの体験が、僕の発言を支えてくれています。

どもる子どもの両親教室
    1995.7.8
    大阪市社会福祉指導センター

 〈子どもが内向的なんです。将来、困った時に精神的に強くなってほしいが、どうしたらよいか〉

 精神的にめちゃくちゃ強くなる必要はありませんが、どもっていてもこんなことができるぞというような、自分で自分を認められるような子どもには是非して下さい。内向的だから精神的に強くしてやりたいというお話でしたが、この発想はできたらやめた方がいいです。強くなれと言われてもできないわけで、それは子どもがどもりを治せと言われるのと同じくらいにプレッシャーになります。

 参加している方の中で、自分のことを内向的だと思う人、手を挙げてみて下さい。(成人のどもる人のほとんどが手を挙げる)

 ここにいる人のほとんど内向的ですね。今は、内向的だからこそ成功するとか、内向的だからこそこういう仕事で成果が上がったということが言われるようになりました。そのような本も出ています。内向的というのは、ちっとも悪いことではありません。ただ、人間関係に過敏すぎると問題が起こる場合がありますので、気をつけることです。こんな子どもには、あまり無理ない程度に、できるだけ子どもの頃からいろんな人間関係に出させる、体験をさせるということは必要です。
 親戚や近所とのつき合い、子ども会やサークルのつきあいなど、出来る限りいろんなつき合いの中に子どもを出して下さい。うちの子は、どっちみちはにかみやで、〜さんが来ても挨拶しないからそのまま放っておくというのではなくて、できるだけ人間関係の体験をさせることが大切です。
 親以外の人間関係がほとんどない子どもと、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人と「おはようございます」と挨拶をしたり、赤ちゃんをあやしたり、こんな体験のある子とでは、何か困った時に自分でその問題を処理をしていこうとか、忍耐力とか、がんばろうとする力が全然違ってきます。
 今から、人間関係のタフさをつけるために、いろいろな体験を一杯させてほしいと思います。
 また、家の中でのお手伝いの体験も大切です。どもるからかわいそうと考えるのではなく、家族全員がそれぞれに役割をもち、皆が平等に仕事をこなすというのが理想的です。私も子どもの頃、買い物をしてくるようによく言われました。八百屋で「たまご下さい」がどもって言えずに、瞬間的に「鶏卵、下さい」と言って変な顔をされました。よくお使いにいかされたと記憶にあります。
 これまで避けていたことができるようになれば、何も強い子どもにならなくても大丈夫です。子どもたちが、豊かで、多様な人間関係を結んだり、一緒に何かをやり遂げるような体験、今までしたことがなかった新しい体験ができるよう心掛けて下さい。

 〈どもるようになったのは厳しく躾すぎたからでしょうか。今後どうしたらよいでしょうか〉

 アメリカの吃音の原因についての一つの考え方として、DC(ディマンズ・キャパシティー)モデルというのがあります。これは、母親や周りの育てる人たちの持っている子どもの話しことばに対するD(期待、指示、命令、要求)などと、その子どもの持っているC(能力、言語能力)がバランスを崩した時にどもるのだというのです。言語能力がまだまだ未熟な子どもに、親が「ちゃんと言いなさい」とか、きちんと言ったことを褒めたりすることによって、子どもは親の期待に合わせようとする、そういうことによってバランスを崩してしまうというのです。この考え方は原因論としてはともかく、吃音への対処にも活かせます。
 話しことばに対する期待、要求だけでなく、生活全般にあてはめてもらってもいいと思います。お母さん方が日常生活の中で子どもにどういうことばかけをするのが多いかということを小学校で調査した時に「早くしなさい」とか「しっかりしなさい」とか「長男のくせに」とか「男の子のくせに」とかいろんな期待と要求とプレッシャーを子どもに与えていることが多いという結果が出ました。厳しく躾すぎたがために、自分の持っている能力とのバランスを崩してしまうということは現実にはあることでしょう。そこで、過去は過去として、これからのことで、厳しすぎたと気づいたら、できるだけ要求を減らすことです。一時期は要求を減らすことが必要な子どもがいます。子どもが親の顔色をうかがったり、親の前で萎縮している場合です。その場合は、できるだけ、こうしなさい、ああしなさいとかいう要求はやめましょう。そうすると、我が儘な子になってしまうという心配があるかもしれませんが、一時的に我が儘になってもあまり心配はいりません。学校やその他の集団の中で我が儘が通らないことが少しずつ分かってきて、自分で修正していくでしょう。
 厳しくしすぎていると気づいたら、それを緩めることは必要です。日常生活の中で是非、自分がどういうことばかけを子どもにしているかということを拾ってみて下さい。お母さんやお父さんが自分で拾うのもいいですし、子どもに1週間ほど書き出してもらってもいいです。結果は、多分愕然とするんじゃないでしょうか。
 さきほど、成人のどもる人の体験談の中であったように、子どもは褒めてもらいたいと思っているのに褒め言葉よりは指示や命令のことばかけの方が多いんじゃないでしょうか。褒めるというよりは、認めることに重点を置いていただいて、指示とか要求とか命令とかはできるだけやめていただければと思います。
 これは何も、どもりを治すためとか、軽くするためではありません。皆さんもご存じの《こどもの権利条約》にあるように、子どもを大切にしたり、全体的な成長を願ってのことだと考えて下さい。どもる子どもにだけ必要なことなのではなく、全ての子どもに必要なことなのです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/20

どもる子どもの両親教室での話 (2)〜両親指導の手引き書41『吃音とともに豊かに生きる』〜

親の会パンフレット表紙 昨日のつづきを紹介します。両親教室では、よく祖父母との考え方の違いに悩む親からの質問が出ます。孫のことを心配してくれるのはありがたいのですが、方針が違うと、一番影響を受けるのは、当のどもる子ども本人です。こんなときには、両親教室に参加してもらうのがいいのですが、現実にはそうもいかず、まず、読みやすいパンフレットを紹介しています。ここで紹介している『どもりの相談』はもう絶版ですが、日本吃音臨床研究会のホームページで読むことができます。
 今は、NPO法人全国ことばを育む会から発行している両親指導の手引き書41『吃音とともに豊かに生きる』(定価500円、送料200円)のパンフレットを紹介しています。55ページのうすい冊子ですが、大事なことはぎっしりつまっています。(欷郤圓粒Г気鵑悄´△海箸个龍擬爾寮萓犬悄´D名錣粒惶蕕寮萓犬悄,箸いΓ撹構成になっていて、どもる子どもの周りの大人が正しい知識を持ち、吃音を否定せず、子どもと接してほしいという願いのもと、作りました。僕は、この本を「一家に一冊置いておいてほしい」とよく言うのですが、子育ての方針を一貫してブレずに保つために、役立つ冊子だと思っています。
 祖母とのしつけの違いに困っている人からの質問に答えている文章を紹介します。

どもる子どもの両親教室
    1995.7.8
    大阪市社会福祉指導センター

<おばあちゃんは孫のどもりを治したい一心。おばあちゃんとの躾の違いに困っています〉

 是非、私たちが作ったパンフレット『どもりの相談』などを使っていただいて、話し合ってもらいたいです。このような相談会で、京都の旧家に嫁いで、「老舗の家系にはどもりはそぐわない」と、祖母から責められるという話がありました。そして、今のうちに治しなさいと、おばあちゃんが一生懸命孫に喋り方を教えたりする。お母さんはそのおばあちゃんとの間でものすごくストレスがたまる。おばあちゃんに理解してもらうためにはおばあちゃんにこういう所へ来てもらうのが一番いいんだけど、まず資料を読んでもらって理解してもらうということが大事です。家族で方針が違うと、子どもは混乱します。
 この、周りを変えていくというのは大変難しいことです。周りを変えたいのであればまず、自分自身が変わることです。結果として周りが変わっていく。そのときに、曖昧な知識では祖母は変わらないので、母親がしっかりと勉強しつて、方針を決めることです。お母さん自身がどもりについて勉強していただいて、ぼちぼち周りの人に話していくことじゃないでしょうか。おばあちゃんだけでなく担任の先生もどもりの子どもとどう接したらよいか知らない場合が多いので、パンフレットなどを読んでもらって理解してもらうことが必要です。先程のお母さんの体験談で、担任の先生にこのパンフレットを読んでもらい、担任の先生も理解し、「○○君のそのままを受け入れればいいんですね」と言って下さって、それから子どもが明るく、積極的になったという話でした。
 とにかく、あなた自身が吃音の知識をしっかり身につけて、この方針が子どもの幸せにつながる道だと確信できたら、おばあさんとよく話し合って下さい。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/19

どもる子どもの両親教室での話

 「地震予知と吃音」が巻頭言だったときのニュースレター「スタタリング・ナウ」では、どもる子どもの両親教室の様子を特集していました。
 以前は、新聞の告知板、お知らせなどを利用して、イベントの案内をしていましたが、
今は、ネットがその役割を担っているようです。古き良き時代の頃の話なのかもしれませんが、そこで話し合われているのは、古さなど全く感じさせない、今でも充分に通用する内容だと思います。

どもる子どもの両親教室
   1995.7.8
   大阪市社会福祉指導センター

 毎年開いているどもる子どもの両親教室。新聞のお知らせ欄などを通して呼びかける。記事として大きく扱われた時は、41家族が参加したこともある。ことばの教室やセンター等が設置されていても、その情報を知らずに、どうしたらよいか悩む親は多いようだ。今回は、家族、どもる人を含め25人が参加した。
 紙面の都合で話し合いの全部は紹介できなかった。また、成人のどもる人、どもる子どもの親の体験談も興味深かったが掲載できなかった。機会をみて、今回掲載出来なかった分も紹介したいと考えている。

両親教室の概要
 教室は次のようなプログラムで進められる。
☆小さいグループでの話し合い
☆グループで話し合ったことの発表
☆どもる子どもをもつ親、成人のどもる人の体験発表
☆全体での話し合い

 小さなグループの方が話しやすいと、まず2つのグループに分かれて、どんな悩みがあるか、困っていること、吃音に関して、子育てに関して知りたいことを出してもらった。その場で処理できた問題もある。1時間ほど悩みや問題を出し合った後、そのグループでどんな問題が出されたか、報告され、黒板に書き出された。
 その後、成人のどもる人、どもる子どもをもつ親が体験談を話し、その2つの体験談と、グループで出された質問や問題点をもとに、全体で話し合った。

全体での話し合い
 〈○○学園というところを紹介された。30万円、40万円とかかるようだが、治ると言われた。そこに行った方がいいかどうか。実際治るのか〉

 それは行かない方がいいじゃないでしょうか。九州にある学園が大阪に出張してきているのですが、いい評判は聞いていません。幼稚園や保育所に案内に送られて来て、すすめられたから、行ったけれど、全く効果がなかったとの苦情は何度も聞いています。治療方法もお母さんから聞きましたが、それで治るとはとても思えません。これまで使い古され、効果がなかった方法です。かえって悪化したという話も聞いています。
 お母さん方がこの子のどもりをなんとかしたい、治してあげたいという気持ちは大変よく分かります。僕たち自身がずっと治したい、治したい、どもりが治りさえすれば何でもできると思いつめてきましたから。しかし、現実には確実に治るという治療法はまだないんです。また、仮にどもりが軽くなったりしたとしても、それがその子の幸せにつながるかと言えば、直線的にはつながりません。
 どもりの問題を考えるのに、特徴的なのは、非常に個人差があるということです。これは、どもる状態の個人差ということだけではなくて、どもりから影響をすごく受ける人とあまり受けない人との差が激しいということです。
 どもる状態そのものが重いなあ、ようこれだけどもっていてセールスの仕事ができるなあと、一般的には思える人でも、そんなことなんとも思わないで実績をあげている人がいます。反対にほとんどどもらないのに、どもりを意識して落ち込んで、学校へも行けなくなったり、会社へも行けなくなったりする人がいます。こんなに個人差があるということは、どもりからくる影響は、吃音そのものを治したり軽くしたりすることで、変わるものではないということです。
 例えばどもる状態がどの程度まで軽くなれば、学校でいじめられなくなり、どんどん発表するようになるか、という線なんて全然引けない。ここまで軽くなったら元気になって友達ができて、不安がなくなるという線があれば、みんなはその線に向かって努力するでしょう。結果はどうであれ、少なくとも目標は設定できます。ところが、この線は引けないんです。
 そして、残念ながら現在、こうしたら吃音が軽くなる、治るという明確な治療法はありません。となると、お母さん方に目指していただくのは、どもりが軽くなる、治るということではなくて、どもりから受ける影響を最小限に止め、どもりながら自分らしく生きていける子どもに育てることです。
 このためには、どもりを受け入れることが、まず、必要です。どもっている状態そのままを受け入れる、これに尽きます。どもったまま大きくなったら、将来どうなるのだろう、かわいそうだと思う気持ちはよく分かりますが、私たち自身そんな不安を持っていましたが、ここにいるどもる人たちは、自分らしく、それなりの人生を送っています。
 吃音が治るという点では、悲観的ですが、子どもの将来については、楽天的になっていいんじゃないでしょうか。子どもの明るい将来のためにも、まず、現在のそのままを受け止めてほしいのです。もし、子どもが症状も含めて変化していくとしたら、そのまま受け入れるというところからです。
 ここの学園のように、どもりを治そうとか、軽くしようとかという前提で行っている所へはまず行かない方がいいでしょう。そこでは、吃音を治そうとの取り組みがあるわけです。悪いものだから治そうとするわけですから、治らない場合、《こんなに努力して治さなければならないほどの悪いものだ》との意識だけが残ります。どもりを意識することが悪いのではなくて、どもりをマイナスのものとして意識することが問題なんです。治しに通うたびに、暗示がどんどん加わります。
 どもりを否定するということは、どもっているその子どもも否定することになるのです。
 どもりを否定的にとらえると、成人のどもる人がほとんど経験していることですが、どもりを隠すということが起こってきます。そして、隠したいばっかりに、話すことから逃げるということが起こってきます。僕らの若い頃の人生を振り返ってみると、どもりを隠すために、逃げるためにものすごいエネルギーを使って生きてきました。どもりを隠して逃げてきて得をしたことがあったかと聞くと、まずほとんどが得をしたことはなかったと言います。損をしたことばっかりです。損をすることを子どもの頃から植えつけることになってしまいます。

成人のどもる人に伺います 。どもりを否定的にとらえていた時はどんな時でしたか。

◆どもりを隠し、逃げ、やりたいことをやらなかったことはかなりあります。振り返ると残念です。どもってでもやれたことかもしれないのに。
◆どもりをどうしても治したいと思い詰めていました。中学校の時に、本に東京正生学院のことが載っていて、本を取り寄せてこれで自分の人生は変わるんだと思ってやりましたけど、治りませんでした。本ではだめだが、実際にそこへ行ってやってみたら治るんじゃないかと思って、そのそばの大学に入学することが目標でした。そこは早稲田大学なんですが、結局はそこには行けませんでしたけど、別の大学に行って、真っ先に学院に行き、4か月やりました。でも、治らなくて、随分無駄なことをしてきました。
◆何でもどもりと結びつけていました。どもっているから、勉強してもあまり意味がないとか、どもっていたらいい人間関係が結べないとか考えていて、どもりが治ってから〜しようと考えていました。5年たっても10年たっても同じことの繰り返しでした。大阪吃音教室を知らなかったら死ぬまでそんなことをしていたのではないかと思います。
◆自分で自分自身を認められませんでした。どもりだったら、何をしてもダメなんだと、どもり=自分ということで、何の将来性も感じませんでした。辛かったです。大阪吃音教室に入って皆さんの話を聞いたときに、どもりは全人格を否定されるものではないと聞き、そのとおりだ、どもり=自分と考えていたのでは何もできないと、どもりは自分の中の一部だと、他の部分を生かせばいいという気になりました。それで、自信が出てきたような気がします。
◆最初の頃は隠そう隠そうとしていたので、あまり人前ではどもりませんでした。どもらないでいこうとすると、本来の自分ではありません。どもってもいいわと思うと、本来の自分に戻れます。今までの自分を考えてみると、どもりに振り回されていたかなと思います。どもりのことばっかり考えていて、それ以外のことに意識があまりいっていなかったのです。

 どもりの問題は、どもるということではなく、どもりを否定し、自分を受け入れずに、自分が嫌いで、どもりを隠し、逃げることによって、本来、こういうことをしたかったのにしなかったという後悔の人生をどもる人が歩んでいくことです。これは、もったいないし、残念だなあと思います。できれば早いうちに、小さいうちから、どもりだからといって自分の全人格を否定するような子どもに育てるのではなくて、僕はどもるんや、どもるけど、こういうこともできるし、するんだと、どもってでも大丈夫だという子に育ててほしいと思います。これは早ければ早いほどいい。早期自覚教育といえます。
 これまで30年間、ずっとどもりとかかわって、大勢のどもりの人とつき合ってきた中での結論としては、どもることが悪いのではなくて、それを否定をして不本意な人生を送ることが問題なのです。
 できたら、吃音を受け入れていくという方向からの出発をしてもらいたいです。どもりを受け入れるということはとっても難しく、簡単なものではありません。それは私たちの経験からもよく分かります。だからお母さん自身がどもりの子どもを受け入れるということはそんなに簡単にできることではないだろうとは思います。
 どもりが受け入れにくい原因として、ふたつのことがあります。ひとつは《波現象》です。どもりというのは常にどもっているのではなくて、どもったりどもらなかったり、常に調子の波があります。だから、どもっていない自分が自分なのか、どもっている自分が自分なのか、分からないんです。できたらどもっていない時の自分を自分と思いたいです。これがどもりの大きな特徴なんです。あとひとつは、目立たないということです。僕らは、目に見える障害と見えない障害という話をよくするのですが、はた目から誰から見ても障害があると見える場合には、むしろ受け入れ易い。辛いし、困難な場面はいっぱいあるけれど。しかし、僕らみたいに喋らない限りはどもりだと分からないから、消極的に逃げて生きている限りは分からないから、ついつい隠したいがために話すことから逃げてしまうのです。いつまでたっても吃音を受け入れられないということが起こってきます。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/18

地震予知と吃音

1965年の秋に、どもる人のセルフヘルプグループ・言友会を創立し、リーダーになってから、機関紙や吃音の雑誌などに文章を書くようになりました。それから55年以上、吃音をテーマに書き続けていることになります。活動の歴史の中でいろんなことを学んで、それを文章に書いてきました。僕が伝えたいことは、「吃音を否定しないでほしい、吃音をマイナスのものとしないでほしい」、ただそれだけだったように思います。それを伝えるために、僕は、いろんな分野から、ヒントになるものはないだろうかと常に探しています。そして、文章を書くときには、そのタイトルに反映させています。
 今日、紹介する「スタタリング・ナウ」の巻頭言のタイトルも、えっと思わせるものになっているのではと思います。「地震予知と吃音」が、どこでどうつながるのか、想像しながら、お読みいただければ、うれしいです。
 1995年9月の「スタタリング・ナウ」NO.13を紹介します。

「スタタリング・ナウ」NO.13 1995.9.11

地震予知と吃音
            日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「地震予知は原理的に不可能である。国民に幻想をふりまく予知研究者は詐欺師だ。地震予知連絡会は一刻も早く解散すべきだ」
 東京大学地震研究所の学者の中で、『暴れん坊』と異名をとる地震学者、ロバート・ゲラー助教授は、阪神大震災を機に日本の地震対策に対して、一殺と厳しく批判するようになった。
 米国では、「実用的な予知は不可能」との前提で、地震発生後に被害を最小限にくい止めるシステムづくりに力を入れ、震災対策がとられている。
 一方日本では、「予知の可能性はあり、国民の期待がある以上、研究は推進すべきだ」と地震の予知研究にこだわる。[朝日新聞1995.8.28]

 どもる子どもの両親教室、とそのすぐ後にあった、吃音親子ふれあいスクールで、どもる子どもの親とじっくりと話し合う機会があった。
 吃音を受け入れることがまず大切だと、話し合いが進む中で、「本当に、どもる子どもの親が、その子どものどもりを受容できるのだろうか。私にはとてもできない」と前置きし、小学校5年生の子どもの親は次のように語る。
 「子どもがどもると分かってから、保健所、児童相談所、そしてかかりつけの小児科医に相談をした。そこでは、『子どもにどもりを意識させないように。そうすればそのうちに治るでしょう。心配しなくてもいい』などと言われた。これまで、そのうちに治ると信じてきた。5年生になっても治っていないから、少し不安にはなっているが、今、急に『どもりは治らないかもしれない。それを自覚した上で、どう対処すればよいか考えましょう』と言われてもとても難しい」
 信頼できると思える公的機関で、そのうちに治りますと言われ、それを信じて指導されるままに対処してきた。話題にしないで腫れ物にさわるようにしてきた吃音を、オープンにして受け入れようと言われても、すぐにはできるものではない。
 またある親は、民間のクリニックを幼稚園の先生からすすめられた。費用は40万円ほどかかるが、必ず治ると言われたので行きたいがどうだろうかとの質問があった。そこがどのような指導をしているか知らないままに、高額な費用を必要とするクリニックを親にすすめる幼稚園の関係者がいる。そして親も、治るのならとその気になる。
 《どもりは治る》との情報がどもる子どもの親の周りにはまだまだ満ちていることを、改めて実感した。吃音は治るという情報の割りには、具体的なアプローチは提示されない。親はただ何もしないで治るのを待っていたのだ。
 このような状況の中で、親は子どもの吃音を治してあげたいと思うのは当然のことだ。治ると信じ、実際そうなった場合は問題はないが、治らないまま、親のその願いの中で育ったら、どもる人本人は吃音を治したいと願うだろう。どもる人が吃音を受け入れ難い土壌がここにある。
 私は、どもる子どもの親と、時間をかけて話し合い、必要な情報を提供する。更に成人のどもる人が体験を語る。同じ悩みをもつ親同士と出会う。これらの体験を通して、話し合いの最後の方では、完全にはできないが、吃音受容の方向で進みたいと親は決意を語ってくれる。実際は、吃音受容の道程は遠いかもしれない。しかし、その道を歩もうと決断することができる。そう決断すると、これまで《治る》ことしか考えてこなかったために、目に入らなかった情報が入り、違った行動も少しずつできるようになるだろう。
 ロバート・ゲラーさんが、この親をとりまく現状と、吃音の原因が未だに解明されず、100年近くもアプローチが続けられても成果が上がっていない事実を知れば、次のように言うに違いない。
 「吃音を完全に誰かが治してあげることは不可能だ。その前提に立って、吃音のマイナスの影響を最小限にくい止めるシステムを作る必要がある」
            1995年9月記


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/16

「感じる心」こそ、どもる人には必要なこと

 前回は、今年7月の大阪吃音教室の講座を紹介しました。
 今日は、初期の「スタタリング・ナウ」から紹介します。1995年8月の巻頭言です。
 ある日の大阪吃音教室での話です。今も定番となっている「聞くトレーニング」がその日のテーマでした。この大学生の話は記憶に鮮明に残っています。吃音を治すことではなく、語るべきものを持つ、語るべきものがある生活をする、どもるから話したくないという思いを突き破って話したい思う気持ちを起こさせる体験をする、そんなフレーズが浮かんでくる大阪吃音教室でした。

「スタタリング・ナウ」1995年8月

     感じる心
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 大阪吃音教室のこの日のテーマは、『聞くトレーニング』。互いの話を、じっくり聞き合おうと、交互に聞き手、話し手になった。教室には、大きな声と、笑いがあふれた。振り返りで、一人一人にどんな体験をしたか聞いていく。この4月から参加している大学生は、「こんなに話したのは生まれて初めてだ。よく聞いてもらえたから」と言った。その他、聞くという本質に迫る体験と、感想が次々と出された。そして、9人目の大学生の前に立つ。

◆どんな体験をしましたか?
◎・…《25秒》(下を向いているが、喋ろうとしているのか、からだは動かしている)
◆どもっているときは、顔を上げましょう。下を向いてたら何をしてるのか分からない。
◎・…《40秒》
◆聞く実習はどうでしたか。
◎(やっと声が出て)別に何も。
◆うーん。別に何もないと言おうとしてたの? 別に何もない? 何も心は動かなかった?◆他の人の感想を聞いていて、どんな感じがしましたか?
◎・…《1分15秒》
◆他の人の感想を聞いていて、どんな感じ。
◎・…《25秒》
◎みんな、よう、言うことあるなあ。
◆あなたは何もなかったんですか。うーん。それでは、例え、どもりが治って、すらすらしゃべれるようになっても、何もしゃべらないことになりませんか。「別にない」とすらすら言うだけですか。

 彼は、からだは話そうとしているかのように動かしているが、口元は結ばれ、話そうともがいている様子はない。そして、「こんなに僕はどもっているのだ。いいかげんにして、次の人に回してくれ」とからだは言っているようだ。私はその彼と向き合った時、吃音にひどく悩んでいた10代の頃の自分自身が鮮やかに蘇ってきた。
 あの頃、とにかくどもるのが嫌だった。話せないというより、話さなかった。指名され、答えが分かっていても、どもりたくないために、言えることばの『分かりません』で切り抜けた。当初は、悔しさを感じたが、だんだんと、慣れてきた。分かっていても『分かりません』としか答えないのだから、勉強しても仕方がないと思うようになった。知っていても、知らないと言わなければならない悔しさより、知らないことを『分かりません』と言う方が、まだましだった。こうして私は、だんだんと勉強をしなくなっていった。
 また、黙ってからだを動かしていたら、「はい次」と順番が飛ばされた。一瞬の嫌な思いがしたものの、どもって嫌な思いをすることからは免れた。どうせ話せないのだから、何かを感じたり、意見を持つことは意味のないことだった。ついには、物事に感じない、意見を持たない人間になっていった。元々人一倍感受性の強い人間だったのに、私は堅い鎧を着てしまった。その堅い鎧のために、不本意な生活を送り、それを脱ぐのには相当の時間を必要とした。
 どもっても聞いてくれる仲間の中でも、長い沈黙のあとに、やっと『別に何も』と言った彼に、その頃の自分自身をダブらせていた。
 私が、いかに堅い鎧を作っていたか、自分の体験を話し、祈るような思いで『話す、話さないは別にして、まず、感じることから始めよう。意見を持つようにしよう』と関わっていた。
 どもりたくない人は、その人独自の天秤をもっているようだ。どもることへの嫌悪感が、話したいとの気持ちに勝れば口をつぐむ。どもりたくない気持ちを突破してその人が話すには、話したいとの強い欲求が必要だ。そのためには、話したくなるような体験、話したいと思えるだけの自分自身の意見をもつことが必要となる。物事に心を動かす、感じる心こそ、どもる人に必要だと思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/15

論理療法 自分の認知の歪みをチェックする〜ABC理論〜

  大阪吃音教室 2021.07.30(金) 論理療法       担当:西田逸夫

 初参加者の美和さんの話の一区切りがついたところで、本来の講座が始まりました。参加者の発言を中心に報告します。
 論理療法は、大阪吃音教室の大きな柱です。1986年の第一回吃音問題研究世界大会の翌年から大阪吃音教室の講座スタイルのミーティングが始まったのですが、最初からプログラムに組み入れたのが、交流分析、論理療法、アサーティヴ・トレーニングでした。そして、現在もそれが中心的な講座になっています。吃音はジョゼフ・G・シーアンの吃音氷山説を待つまでもなく、吃音をどう捉えるかで人は悩みます。同じようにどもっていても、ほとんど吃音に人生を左右されない人がいれば、大きく左右され深く悩む人がいます。
 1981年にアルバート・エリスの『論理療法』(川島書店)を読んだのが論理療法との出会いですが、おもしろくて、むさぼるように読みました。アンダーラインと手垢にまみれた本が今も残っています。読んで理解するのと、それを周りの人に教えるのとはかなり違います。どう説明すれば、吃音に悩む人に伝わるか、必死で読んだことを覚えています。
 論理療法を簡単に言ってしまうと、「考え方で悩みは軽くなる」というものです。
 ABC理論はこうです。
   A  マイナスに心を動かされる出来事
  B その人の考え方の癖、人生観
  C 結果(悩み)、行動の決定
 例えば、A 大切な会社の行事で、ひどくどもった。
     C 恥ずかしい思いをして、ひどく落ち込み、もう二度とあんな行事に行かないと決心する。ひどくどもったことは事実であっても、それをどう受け止めるかで人は悩む、そこには必ずその人の非論理的思考があるというのです。Aが悩みを引き起こすのではなくて、考え方が悩みを引き起こすと、アルバート・エリスは言います。
 では、どんなB(ビリーフ・システム)があるかを、大阪吃音教室ではみんなで発見していき、その考え方を、みんなとの対話で柔軟にしています。
 関心が持てたら『やわらかに生きる―論理療法と吃音に学ぶ』(石隈利紀・伊藤伸二、金子書房)をお読み下さい。
     
「会社を辞めた理由は、吃音です。他の仕事はできるけれど、電話が全然できないというのが大きかった。電話に出なくてもいいと言われたんだけど、自分としては、ほかの人が出ている中で、ずうっと電話に出ないのは駄目だというのがありました。そんなとき、自分が本当にしたいことは何かと考えて、今の大学院でしている心理学に興味があったので、自分のできることを増やしたいと思って、それで仕事を辞めて、大学院に入りました」

 この初参加の人の体験を聞いていろいろと話し合った後で、論理療法的にはどうかという、今日のテーマの論理療法へと話は進みました。担当者が論理療法について説明し、事例のいくつかを説明したあとのやりとりを紹介します。

西田:ABC理論のことを初めて聞いてどうですか?
美和:私も出来事があって結果があると考えていました。特に落ち込みと不安が大きかった。電話はマニュアル通りでないといけないと考えていて、一回失敗したらこれからも失敗するんじゃないかという勝手な不安があったと思います。自分ではすごく駄目だと思っていたことを、そうではないこともあるのかなと、今日の話で思えました。
西田:電話でどもってしまった、うまく言えないというのが美和さんの経験だから、そこに注意がいくのは当然ですが、ちょっと視野を広げて、全然違う方向から考えられるかも知れません。美和さんの立場では、自分は新入社員なんだから、会社で決められたマニュアル通りに言うのが当たり前で、もし上司に聞けばそう言うだろうが、上司自身も必ずしも常にそうしているとは限らないし、内心では少々違っていてもいいと思っているかも知れません。
東野:マニュアル通りしゃべれと、会社の求めていることに従おうとするとしんどくなります。現実的ではない。できないことはできないと言わないとね。
徳田:自分のやりたい電話応対をしていて、会社なり上司なりが何か言ってきたときがチャンスで、そのときにどもるという事情を話せばいいと思います。しかし、理由を話して会社側が解雇することはまずないでしょう。話して駄目なら辞めないと仕方がないけれど。五島:大阪吃音教室でいろいろ話を聞いて、私も「こうあるべきだ」とか「会社名変えたらいかん」とかが以前はありましたけど、ここに来てから「べきだ」はやめようと思うようになりました。うまく電話の最初の一言が言えたらいいんだと思って、接頭語をつけたり、第一音を話さず第二音からしゃべるとか、サバイバルしています。どんどん変えていいんだという気持ちになっているのです。ここへきて一番驚いたのは、電話で自分の名前が言えないので、会社の中だけ言いやすい姓にしてもらったという話は、聞いたときは、「無茶苦茶や、そんなことをしても良いんか」と思いましたが、それくらいの柔軟さがあっていいと思えるようになりました。
伊藤:この世の中に、「こうでなければならない」ということは殆どないと考えた方がいいよね。
正原:電話の相手にマニュアル通りでなく、自分の話しやすいように話すことにしています。
伊藤:今は、各地でどんどん対応マニュアルを崩していく方向に変わっていっています。杓子定規なマニュアルは余り良くないということが、よく分かってきているのでしょう。
坂本:マニュアルを作るのは、会社にとって一つのリスク管理。ぞんざいな受け答えをする人がいるからで、名前を名乗れということになる。だったら、先に名前を言おうが、ほかのことの後で言おうが、電話対応のある程度のことを満たしていれば、順番は何でも良いということになると思います。
伊藤:会社を辞めたことが良い選択肢だったかも知れません。「私は会社を辞めた」、その後に続く選択肢はたくさんありますよ。

○選択肢療法
西田:今日の最後に選択肢を増やす実習をしましょう。
 「私は人前でうまく話せない。だから、ダメな人間だ」
 「私は人前でうまく話せない。だから・・・・・・・」
 後半分の選択肢を、たくさん出していきましょう。
坂本:良い聴き手になろう。
徳田:うまく話そうとしない。
東野:中身のある話をするようにしよう。
伊藤:人に親切にしよう。
五島:話すのが上手な人の話を聞いて、参考にしよう。
正原:短い言葉で、わかりやすく話そう。
永滝:話の内容について、できる限りの準備をしよう。
美和:良い聴き手になろう。
西田:次の発表がどうしても不安なら、ドタキャンしよう。
坂本:話すとき、笑顔を失わないようにしよう。
徳田:図面やパネルを用意して何とかしのごう。
東野:うまく話せる人と代わってもらおう。
伊藤:文章で勝負しよう。
五島:私は人前でうまく話せない。だからどうした。(開き直り)
西田:次の発表は「私は人前でうまく話せません」から始めよう。
東野:自分のペースで、ゆっくり話をしよう。
伊藤:人前にどんどん出て行くようにしよう。
伊藤:できるだけ恥をかいて、耐性を身につけよう。
伊藤:人前で話せるように練習しよう。
西田:一分間スピーチの例会や聴き上手になる例会に参加しよう。
西田:好きな落語や講談をたくさん聴こう。
西田:ABC理論を身につけよう。

〇参加者感想
徳田:今は多様性の時代です。「これでなければならない」ということはありません。選択肢をたくさん出して、その中からチョイスすることが大切でしょう。
東野:今日は余り話題にならなかったが、「現実的でない」という視点は大事だと思います。どもった時、相手の反応に腹が立つとかモヤモヤするとかのときは、自分の理想像を持ってしまっているせいで、自分の中の現実的でない非論理的思考が出てきています。日常生活でも応用できることが多いと思います。
五島:妻とのありがちな会話パターンについて、考え直したいと思いました。
正原:選択肢は、自分一人だと余り思いつけないけど、みんなで話し合うと、出てくるものですね。
永滝:ついネガティブな選択肢を考えてしまうところがあるなあと思いました。

〇初参加者感想
美和:今日はありがとうございました。今まで「自分はうまく話せない。だから、ダメな人間だ」と思っていました。そんな自分でどうしようとも思っていたのです。今は自分自身でやりたいことも見つかっているし、自分が思い込んでいることも周りはそう思っていないということも分かってきました。「それって本当なのか」とか「自分はどうしたいのか」などを考えて、自分と向き合っていきたいです。「うまく話せない。だからどうしたんだ」と言えるくらいになりたいです。学んでいきたいと思いました。
西田:今日はとても良いタイミングで来られましたね。
美和:2月頃から大阪吃音教室に参加したと思っていましたが、コロナのために緊急事態宣言などで来れませんでした。今日参加できて良かったです。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/14

論理療法 自分の認知の歪みをチェックする〜ABC理論〜

大阪吃音教室 2021.07.30(金) 論理療法       担当:西田逸夫

 その日の大阪吃音教室は、論理療法でしたが、まず、初参加の人の悩みについて考えました。

◇初参加者の美和さん
 大学院1回生。こどもの人権や制度について学習している。今年の3月まで、ある大企業の介護現場に勤務していた。社会人2年目くらいから、電話口で特定の音が出てこないブロック(難発)になり、悩む。将来は、子どもの人権保護の現場で働きたいと考えている。

◇美和さんの退職の理由
東野:仕事を辞めた直接のきっかけは、何ですか。
美和:ほとんどの理由は、吃音です。ほかの仕事はできるけれど、電話が全然できないというのが大きかったです。電話に出なくてもいいと言われたんだけど、自分としては、ほかの人が出ている中で、ずうっと電話に出ないのは駄目だというのがありました。そんなとき、自分が本当にしたいことは何かと考えて、今の大学院でしている心理学に興味があったので、自分のできることを増やしたいと思って、それで仕事を辞めて、大学院に入りました。

◇美和さんが一番困っていること
美和:電話が一番困っています。声が出ないときは、本当に出ないんです。
東野:電話は、相手のペースに巻き込まれますからね。電話を取ったり、電話をかけたり、その両方とも、そうですね。
西田:電話の、特にどんな場面が困りますか?
美和:電話をとることの方が多いんです。電話をとったときに「はい、どうもありがとうございます。どこどこの○○です」と言わないといけないのに、「はい」が出ないし、「ありがとうございます」の最初の「あ」も出ません。最初のことばが出たら、あとはスラスラ必要なことは言えるのですが、最初のことばが出ないから、相手も「僕のせい?」みたいな感じに思ったりするようなんです。

◇美和さんからみんなに聞きたいこと
東野:美和さんから、参加しているみんなに聞いてみたいことはありますか? 僕も以前は予期不安があって、電話が怖かったんですが、電話を苦手にしている人は多いですよ。
美和:私が一番苦手意識があるのが電話です。電話で声が出ないことが続くと、一人で落ち込んでしまいます。そんなときに、気にしない方法と言うか、乗り越える方法があれば知りたいです。
伊藤:気にしない方法ねえ。
美和:電話をとっていくうちに、電話に慣れたりすることはあると思います。私のところは、結構広いオフィスに電話があって、周りが静かなときは取りにくいんです。私が一番新人で、取らなきゃいけない立場だったからよけいに困りました。
正原:電話を掛けてくる相手はどんな人ですか?
美和:最後の一年は訪問介護の管理者をしていたので、ケアマネージャーの方との連絡とか、業者からとか、一般の方から介護資格の取り方の質問だったりだとか、いろんな方からかかってきました。顔見知りの方からの方が多かったのですが。
徳田:電話はとる方が多かったの? それともかける方でしたか?
美和:かかってきた電話に出る方が苦手でした。かける方は「すみません」から始めたりして、ちょっと誤魔化しが効いたんです。
東野:電話を取って、「ありがとうございます。どこそこの誰それです」と言うんだけど、その「ありがとうございます」から声が出にくいということですね。僕は実は誤魔化しているんです。僕が働いているところでも、新しく入った人は、接遇マニュアル通りに「ありがとうございます」を言っているけれど、僕は最初から、それを言っていません。先ず「はい」と言って、こちらの名前が言えるときは言うし、言えないときはそのまま本題に入ります。もし、周りや上司から「ちゃんとマニュアル通りに言いなさいよ」と言われたら、事情を説明するつもりでいます。「僕はどもっていて、声が出ない。だからこうしている」と言うつもりでいます。幸い、誰も言って来ないので、まだ説明はしていませんけれど。そのことについて、僕は悩まないようにしています。そうすることが変だと思わないようにしているんです。大事なのは、「はい」から後で、それが本題だからです。本題の前のことで悩むのは、嫌だと思ったからです。勤め始めの頃は言えないことが嫌でした。名前が言いにくかったから、辞めようと思ったこともあります。それで、接遇マニュアル通りに言うのをやめたんです。今、僕はそんなふうにしています。
伊藤:(美和さんに、)電話応対のマニュアルの文章はあるのですか?
美和:一応、「はい、ありがとうございます。株式会社どこどこの何々です」と言うことに決まっています。
伊藤:マニュアル通りの電話は、僕も嫌だなあ。有名メガネの銀座店で売上げ1位のどもる女性店員が、マニュアル通りにすることを求められ、退職を考えているという相談の電話がありました。「営業成績が極めていいが、電話がマニュアル通りにできない社員」と「電話応対は完璧だけど、売り上げがよくない社員」のどちらをとるかと言われたら、僕ならマニュアルどおりにできないが、販売力のある社員をとる。どうしてもマニュアル通りでなけれだめだと言われれば、その会社を辞めるしかない。社長に相談したら」とアドバイスしました。吃音のことを説明したら、「辞めないで欲しい」と言われたそうです。電話応対を自分ができるように変えて、仕事を続けています。マニュアル通りにすることは、僕たちにはできません。でも、こんなふうに、自分ができる電話のかけ方やとり方をしたいと、掛け合ったり、相談したり、要求したりしていいと思います。
五島:私もそう思います。できることとできないことを話して、相談したらいいですね。
伊藤:できることを精一杯やればいいのであって、できないことはできないと言うことです。社会で生きていく上で、互いにできないことをカバーし合いながら、できることをしていくことが重要だと思いますね。
東野:僕はズボラしてるって言ったけど、掛けないといけない電話は、不安があっても掛けています。そこはズボラしないです。
伊藤:どうでもいいことに、悩むのは損ですよね。会社名や自分の名前を言うことは、小学生でもできます。でも、僕たちにはそれができません。だから、そういうできないことで悩むのは損だと思います。
西田:別の角度から言うと、私はマニュアル通りの電話はできませんと言うからには、ほかの仕事はちゃんとやる努力が必要ですね。
伊藤:そうね、それが前提です。ほかのことでズボラ、そして電話もズボラ、それではだめですね。
坂本:僕は、学校が職場なんですが、窓口にかかってくる電話は、ちゃんとした取り次ぎをすることが大事です。応答を丁寧にすることよりも、相手が何を欲していて、その電話は誰に取り次げば良いかをしっかりやってくれたらいいわけです。ちゃんと聞き取らないせいで、電話がグルグル回っていることがよくあります。それをあまりやると、相手がだんだん怒ってきます。電話をかけてきた人にしてみたら、窓口の人間がちゃんと聞き取らないせいで、何回も一から説明させられるんですから。
西田:用事があって学校に電話する人は、丁寧にマニュアル通りに対応して欲しいのではありません。丁寧な対応で、たらい回しにされたら、そっちの方に対して腹を立ててしまうでしょう。
坂本:まあ、電話に出たら緊張してしまって、難しいとは思いますが。でも、対応をちょっと変えたとして、それをだめだと言う人は多分いないと思いますよ。
美和:そういうことに、多分、私は、自分に自分でプレッシャーをかけていたのだと思います。
伊藤:そうだね。
五島:「何々すべきだ」というのが、どもる人には強い。真面目だからでしょう。
伊藤:真面目過ぎるんです。真面目はいいけど、くそ真面目はいけません。くそを取ったらいいんです。
西田:どもりに限らず、口下手な人ほどちゃんと言おうとします。真面目さのポイントがずれているんです。しゃべりが下手なので完璧にしゃべりたいと思うけれど、それができない、それで悩むんですね。
美和:電話がうまくできないことで、「どうしよう」という意識が入り過ぎてしまっていました。相手が何を望んでいるとか、どんなことを話したいと思っているとか、そこまで考えていませんでした。最初の段階で、「声が出ないからどうしよう」と考えてしまい、その循環に入っていたようです。
東野:相手のことより自分のことを考えてしまうんですね。
美和:そうですね。周りの人や、近くの席で仕事している人からは、指摘されることはありませんでした。周りのすべての人が、「あかん」といっているわけではないことが、自分ではよく分かりませんでした。
東野:電話の相手は、美和さんがどもっていると、気がついていなかったのでしょうか?
美和:多分気づいてないですね。普段はあまりどもらないんです。自分が吃音というのを意識し始めてから、友達と話すときや、実家に帰って話すときなど、時々、声が出ていないタイミングがあったと気づきました。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/09

吃音が治ったことの歓喜の舞と、土佐の名字を与えられたことの歓喜の舞 文楽と歌舞伎の違い

 中村吉右衛門さんが亡くなったことをきっかけに、以前書いた文章を紹介していますが、「傾城反魂香」シリーズの3番目になりました。今までは、歌舞伎でしたが、今回は、文楽です。文楽でも、「傾城反魂香」が上演されていますが、これまでの歌舞伎との違いは、最後の場面でした。吃音が治ったことになっていました。
 そういえば、「英国王のスピーチ」も、映画と舞台では少し違っていました。映画では、ジョージ6世が「結果がどうであれ、あなた(スピーチセラピスト)に感謝する」として第二次世界大戦後開戦のスピーチにのぞみます。これは、たとえ、どもってもスピーチに臨むという、ある意味、ジョージ6世の「どもる覚悟」だと僕は受け止めています。実際に、とつとつと、注意しながら、誠実に、一所懸命話しています。ところが、、東山紀之主演の舞台では、スピーチセラピストの訓練のおかげで、吃音が治ったような設定で、ジョージ6世役の東山紀之が、堂々と演説風のスピーチをしていました。とても違和感を感じました。文楽を観たときの文章を紹介します。


「傾城反魂香」 文楽と歌舞伎の、吃音をめぐる最後の場面の違い

文楽 傾城反魂香1文楽 傾城反魂香3 2020年1月17日10時半過ぎ、開場より少し遅れて、国立文楽劇場の中に入ると、たくさんの人がすでに会場にいました。平日の昼間、さすがに年齢層は高いのですが、この伝統、文化を大切に守ろうとしている人がたくさんいることを知り、ほっとしました。劇場でも、資料館に文楽の歴史や資料を展示したり、子ども向けのパンフレットを用意したり、人形を置いておいて動かすことができるようにしていたり、その様子を写真撮影する手伝いをしたりと、いろいろと工夫されているようでした。

 ちょうど、六代目竹本錣(しころ)太夫の襲名記念だったようで、サイン会が行われていました。僕もパンフレトを買っていたので、サインをしてもらいました。パンフレットの中に、これまで錣太夫を名のった人の紹介がありましたが、最初は天保11年生まれ、明治16年没の豊竹錣太夫でした。ここでも、歴史の重みを感じました。伝統、文化の継承は難しいと思いますが、人形遣いの人の中にも、太夫や三味線を弾く人の中にも、比較的若い人がおられました。引き継いでいってほしいものです。

 昼間の演目は、3つ。正月らしい華やかな、にぎやかな話が選ばれているようでした。
 その中の『傾城反魂香』を楽しみにしていたのです。

 あらすじは、次のとおりです。
 『傾城反魂香』は、『ども又』とも呼ばれ、どもる夫の絵師又平とそれを支える妻、お徳の夫婦愛が主題です。いくら又平がどもっても、人一倍口の立つお徳が通訳のようにしゃべるので、又平の悩みはともかく、日常生活に困ることはありません。二人三脚の仲のいい夫婦です。
 弟弟子が、土佐の名字を授けられ、免許皆伝の書を与えられるが、又平は師に認めてもらえず、与えてもらえない。妻のお徳と共に、師に土佐の名字を与えて欲しいと頼み込むが、聞き入れられません。又平は、人がよく、絵の腕は抜群ですが、吃音のうえにあまり欲がない。せっかくの腕を持ちながら、東海道を旅する旅人たちに土産物になる絵を描いて生計を立てています。そんな弟子に師は覇気がないとみなして許可しないのです。
 絶望した又平は死を決意して、この世の名残に絵姿を描き残そうと、手水鉢(手を洗う石の鉢)を墓標に見立てて自画像を描きます。それが、石を通して裏側にまで突き抜けていたために、師は、又平の筆力を認め、土佐光起の名を与えます。師から晴れて免許状の巻物と筆を授けられた又平夫婦は大喜び。又平は喜びの涙に暮れ、お徳の鼓に合わせて、心から楽しげに祝いの舞を舞います。

 この歓喜の舞が、傾城反魂香のクライマックスですが、歌舞伎と文楽は全く違ったものになっていました。
 絶望の悲しみから、土佐の名字を与えられた歓喜にかわる、その祝いの舞が大好きなのですが、文楽では、改作されていました。仏像を二つに切り病を治したという故事にならって、師匠が手水鉢を二つに切り分けると、又平の口からは、師匠への感謝のことばがなめらかに出るようになりました。そして、吃音が治ったことの歓喜の舞になっていました。
 僕は、文楽のこの終わり方より、歌舞伎の終わり方のほうが、断然好きです。片岡仁左衛門と中村吉右衛門の歓喜の舞は、いつまでも僕の中に残り続けています。

 解釈の違いはあれ、近松門左衛門の時代からあった「吃音」や「吃音の苦しみ」。長い歴史を思います。その長い歴史を、どもる人は、どもりながら生きてきました。どもる人がどもりながら生きることの意味が、この世の中にはあるということなのだろうと思います。(2020/1/28)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/08

どもりの絵師・又平 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)

 中村吉右衛門さんがお亡くなりになった話から、吉右衛門さんがどもりの又平を演じた「傾城反魂香」を観たときのことを紹介しました。僕は、吉右衛門さんとは別の人が又平を演じる「傾城反魂香」も観ています。役者によって、またどもり方によって、違いを感じたというブログを紹介します。
 2015年2月、大阪松竹座で観た、中村鴈治郎演じる又平の「傾城反魂香」です。そのときの様子を2015年5月のブログに書いています。

傾城反魂香 どもりの又平のどもり方

傾城反魂香のチラシ縮小版 2月大阪松竹座で、中村鴈治郎四代目襲名興行に行って来ました。初代鴈治郎は知りませんが、二代目、三代目はよく知っています。二代目は映画によく出ていたからですし、三代目は今の藤十郎です。藤十郎よりも扇雀の時代の方がよく知っています。

 さて、今回は「傾城反魂香」を観たくて行きました。近松門左衛門のこの作品は、どもり絵師又平と恋女房お徳との夫婦の情愛をえがいたものですが、どもる僕たちにとっては、又平の「どもりっぷり」に興味が湧きます。ひどくどもる人間として描かれているので、どもり方も役者の演じ方で変わります。

 以前のブログに書きましたが、中村吉右衛門の又平と、片岡仁左右衛門の又平の三人をこれまで見ています。又平を演じる役者のどもり方に二通りがあります。いわゆる連発(繰り返し)のどもり方と難発(ブロック)のどもり方です。役者はそのどちらかを選ぶのですが、今回のか鴈治郎はブロックのどもり方でした。ブロックはことばが詰まって「・・・・・・・」となるので表現はできません。そこで息を吸いながらどもる、いわゆる「引きどもり」というどもり方でした。この選択はまちがいだったと思います。

 息を吸いながらどもるので、何を言っているのかが聞き取れないのです。ただ「わあわあ騒いでいる」だけに周りからは見えるのです。

 中村吉右衛門も片岡仁左右衛門も、はでな連発(繰り返し)のどもり方ですが、すごくどもっているのですが、何を言っているかはよくわかるのです。二人とも、見事などもり方でした。

 ここで、僕が思ったのは、ひどくどもっても、「ぼぼぼぼぼほぼく・・」の連発のどもり方のほうが、日常生活でもずっと楽だということです。著名人でテレビに出てくる人は、自分がどもりだと公表していても、あまりどもりません。ブロックの軽い状態で、どもらないように工夫しているのがよくわかります。

 最近はほとんどテレビに出なくなりましたが、映画監督の羽仁進さんは、すごくどもりながら、気持ちよく話していました。子どものように連発してのどもり方は、とても心地よいものでした。どもりたくないとすることが、かえって聞き手には違和感を持たせますが、羽仁監督のように堂々とどもると、とてもさわやかです。
 僕も最近、講演でもよくどもるようになりましたが、目立つどもり方を心がけています。
 またどこかで、「傾城反魂香」が歌舞伎でかかることがありましたら、是非見て下さい。とてもいいお芝居です。どこがいいかは、以前のブログで書いたので今回は省きます。
                    (2015/05/13)


 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/07

中村吉右衛門さん逝く

 中村吉右衛門さんが亡くなられました。片岡仁左衛門さんと、吉右衛門さんが、僕の大好きな歌舞伎役者でした。僕の父親は風流人で、歌舞伎、能、文楽などをこよなく愛し、自分の吃音を治すためにと始めた「謡曲」でしたが、第二次世界大戦の敗戦後は家業の材木関係の仕事か立ちゆかなくなり、「芸が身を助ける」で、謡曲、仕舞を教えることが生業になりました。何かを父に質問したときには、白浪五人男の「知らざあ言って聞かせやしょう」、何かに遅れたときには「遅かりし由良之助」など、家ではよく、歌舞伎の名セリフが日常生活の中で使われていました。
 そういう訳で、子どものころから歌舞伎は好きでした。東京での大学生活の時は、お金がないので、歌舞伎座の一演目だけの安い席で観ていました。
 先日は、これも大好きな落語家の柳家小三治さんも亡くなられました。小三治さん、吉右衛門さんと、相次いで、僕は、大好きだった、人間国宝を失ったことになります。
 中村吉右衛門さんの死去を、朝日新聞は、次のように報じています。

 
歌舞伎界を代表する立ち役のひとりで、「熊谷(くまがい)陣屋」の熊谷直実(なおざね)など重厚な時代物を屈指の当たり役とした歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名波野辰次郎〈なみの・たつじろう〉)さんが11月28日、心不全のため死去した。77歳だった。大きな芸容と陰影に富む人物描写、卓越したせりふ回しに定評があった。「俊寛(しゅんかん)」の俊寛、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)、「勧進帳」の弁慶、「寺子屋」の松王丸、「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」の大蔵卿、「河内(こうち)山(やま)」の河内山宗俊(そうしゅん)、「籠釣瓶(かごつるべ)」の佐野次郎左衛門など、時代物、世話物の幅広い芸域で多くの当たり役を生んだ。テレビ時代劇「鬼平犯科帳」シリーズ(フジテレビ系)では過去に実父も演じた鬼平を4代目として主演。89年から28年間、150本続き、人情味あふれる火付盗賊改方の長谷川平蔵が人気となった。


 吉右衛門さんは、80歳で「勧進帳」の弁慶を演じたいと語っていました。それは叶わぬ夢になってしまいました。ちなみに、吉右衛門さんと僕は同年の77歳です。したいこと、しなければならないことは先延ばしにしないで、今日一日、今日一日を大切にしていきたいと思います。
 吉右衛門さんで特に記憶として刻みつけてあるのは、「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」です。どもりの又平が登場する歌舞伎「傾城反魂香」は、これまで何度か、このブログでも書きましたが、僕は、3人のどもりの又平を観ています。同じ演目なのに、演じる人によって、又平のどもり方も人物像が違ってきます。最後の場面の歓喜の舞も、趣が違います。もう生の舞台を見ることができないのかと思うと、残念でなりません。
 2013年1月に書いたブログを再掲します。

どもりの又平に会えた日、東京は大雪だった

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P1020275 初春・大歌舞伎「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)の昼の部の舞台がはねて、どもりの又平と、歓喜のおどりを一緒に踊っているような高揚感をもって、新橋演舞場を出ると、予想もしなかったそこは一面の銀世界になっていました。

 金曜日は神奈川での研修、その後の東京での滞在は、吃音ワークショップや志の輔落語、思いがけないうれしい人との出会いがあるなど、充実した4日間でした。その締めくくりが、新橋演舞場での歌舞伎でした。

 1月14日、久しぶりに観た歌舞伎が、以前から観たかった「傾城反魂香」です。歌舞伎に行くことになろうとは、大阪を発つときは想像もしませんでした。金曜日に行った神奈川県の秦野市立西小学校で、昼間はどもる子どもと、保護者と語り合いました。夜は、その催しを企画した4人の教師との懇親会でした。そこで、ひとりの教師から、正月に初めて行った歌舞伎が、どもる人間が主人公だったので驚いたとの話を聞きました。
 東京滞在の最終日の予定は、未定でした。以前から観たかった舞台です。「ここで会ったが百年目」と、観に行かないわけにはいきません。千葉のことばの教室の仲間を誘って三人で行きました。また、報告しますが、土曜日に聞いた、立川志の輔落語の演題が「百年目」です。何かの因縁を感じざるをえません。

 大きな力のはからいで、念願だった「どもりの又平」の、それも大好きな、人間国宝・中村吉右衛門の又平を観ることができたのです。そして、7年ぶりの東京の大雪の銀世界に、「こいつあ、春から縁起が良いわい」の歌舞伎の名セリフが口をついて出てきました。

 近松門左衛門作の「傾城反魂香」は、絵師の又平が、土佐の名字で名乗ることを、後輩に先をこされてあせり、師匠に自分も名乗らせて欲しいと訴えますが、どもって言えません。代わりに弁の立つ妻とくが切々と訴えるのですが、実力があっても絵師としての功績がないために許してもらえません。絶望して死ぬことを覚悟し、切腹しようとした時、妻のとくに説得されて、今生の名残として石の手水鉢に自画像を描くと、その絵が石を通して鉢の裏側に抜ける奇蹟が起こり、絵師としての実力が認められて、土佐の名字を名乗ることを許されるのです。

 絶望から、天国へ、歓喜のおどりは、はちきれんばかりでした。ひどくどもって言えない夫と対照的に弁が立つが、夫を常に支える夫婦の情愛を描いた名作です。

 死を覚悟して、必死に絵筆を握る又平にはもう世間体とか、名誉とかは関係がありません。ただ、一心不乱に絵を描いてく。書き終わったときには、侍が大勢の人を切った大立ち回りをしたとき刀が手から外れないのと同じように、又平の手から絵筆が離れません。まだ、奇跡が起こっていることを知らない妻は、死に向かう夫とのこれまでの夫婦生活を思い出しているのか、慈しむように、一本一本指を絵筆からほどいていきます。必死で絵筆をふるった夫を誇りに思い、お疲れさんでしたと、労をねぎらう、妻の愛情あふれる名場面です。

 人並み以上に弁の立つ又平の妻おとくは、出しゃばりではありせん。ほとんどの場面で、夫の求めで、夫の考えや気持ちを代弁します。今回も、又平はどもる自分に変わっておとくに言ってもらっているのですが、妻の切々たる訴えを、師匠が聞き届けてくれません。どんなにどもろうと、自分が、自分の言葉で言うしかない。
 それまで、妻の代弁に頷いてばかりいた又平が、今度ばかりは、自分のことばで、どんなにどもっても伝えたいと思って、敢然と話し始めます。のどをかきむしるように、必死に、自分の言葉で、必死に声を振り絞る、中村吉右衛門の名演技で、その必死さがつたわってきます。 
 近松門左衛門があの時代、このような、どもりを温かく描く作品を書き、それを歌舞伎の名優が演じ続けてくれている。どもりの歴史を思い、感謝の気持ちがわいてくるのです。いろんなことが起こった4日間でした。 (2013/01/15)


 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二  2021/12/06
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