伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年11月

チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」より (2)

 一昨日は、巻頭言を紹介しました。今日は、その号の紹介です。
 「どもっているのは、仮の自分であって、本来の自分はどもらないはずだと思うことによって、現実の辛さや苦しさから逃避してきた」とあります。僕も、どもっている自分は仮の人生で、治ってから、本当の人生が始まると思っていました。吃音と向き合うこと、現実と直面すること、それがスタートだということを知らず、目をそむけていたのです。
 
『スタタリング・ナウ』NO.9 1995.4.28

『The Treatment of Stuttering』第9章 動機(2)
―動機、その特質の克服―Charles Van Riper


§はじめに
 吃音のセラピストには様々な能力や技術が要求されるが、どもる人の治療動機をどう評価し、どう扱うかは最も重要なものである。吃音治療の成功、失敗を決定づけるものである。
 どもる人の、話すのを避ける行動は、過去の恥ずかしい体験の積み重ねや、心理的葛藤によって無意識な行動にまでなっており、その解消は容易ではない。
 治療は、当然吃音と向き合わなければならないが、その吃音と直面することに抵抗する人がいることを認めなければならない。それは吃音と直面することで自分自身が抱いているイメージが崩れてしまうからである。
 現実を否定することで、どもる人はある安定を保ってきた。どもることによって起こる、様々な辛さや苦しさを現実のものとしないことで、精神的な平静を保つことができたのである。どもっているのは、仮の自分であって、本来の自分はどもらないはずだと、思うことによって、現実の辛さや苦しさから逃避してきた。
 私たちは、このどもる人の現実を否定する態度を一切認めないという、どもる人を袋小路に追い込むようなことにならないよう注意する必要がある。
 幸いなことに、どもる人の現実を否定する態度は、常に一貫しているというわけではなく、愛や天候のように変動するものである。もしセラピストがその不安定な態度につけこんでタイミングよくふさわしい状況を作り出せれば、どもる人がいつも拒んでいた現実に直面できる時があるであろう。この場合に、私たちは彼らが起こすほんのちょっとした行動にも評価し、認めることが大切である。
 クリニックからクリニックへと渡り歩いた人は、奇跡的なおまじないに取り憑かれている。そうなると、専門的な治療に対して懐疑的になり、吃音を自分ではどうしようもない運命と考え、治療に対して否定的である。この時点で、自分の問題を解決するために援助を受け、自ら努力をしようという動機はほとんど消えうせてしまっている。その人の治療動機を高めるためにその人を勇気づけることは非常に難しいことなのである。
 どもりたくないために話すこと、また話す場面に出ていかないなどは、長い苦闘の歴史の中で条件づけられているため、容易には消えるものではない。回避をやめようという人の気持ちとは裏腹についつい回避をしてしまう。回避が恐れや苦しみを減らすのは一時的なものにすぎず、結局はみじめなものだけが残るということは、どもる人に頭で理解させることはできる。しかし、実際は、恐れている場面、語、そして時には治療課題をも回避し続けるということを、セラピストは予想しておくべきである。
 どもる人が回避するのを、治療動機がない証拠だと決めつけるわけにはいかない。気持ちの上ではやる気になっていても、実際の行動が伴わないのである。これまで、一時的であったにせよ、彼らに安心感を与えて来た唯一の方法である回避行動をやめることを期待するのは非現実的である。
 初期段階におけるどもる人の抵抗の多くはセラピストを試しているともいえよう。試されている状況の中でもセラピストは自分たちがいかに有能であり、献身的であるかを常に言動で示し、あなたの治療を引き受けたということを表明していかなければならない。そうすれば、大抵その人の態度は一変するものである。

§初期の説明
 これまで、どもる人の動機について少し悲観的に述べてきたようだが、一般的に、どもる人の多くは熱心に治療に励んでいる。治療に取り組む体験は楽しく充実したものである。これまで述べてきた動機の不足や減少の問題で、私たちが解決できないものはない。その解決に役立ついくつかについて述べてみよう。
 初期における問題解決には、その人にセラピストの能力とどもる人への熱意を繰り返し繰り返し伝えなければならない。治療初期が治療の動機を左右する最も大切な時期である。どもる人がセラピストに対して持つ第一印象は、その後に容易に修正できるものではない。だから、治療の初期の段階でどもる人がセラピストに信頼を持つよう努力する必要がある。
 「私を担当してくれるセラピストは、私以上に吃音のことを熟知しているし、また実際多くのどもる人の治療に取り組み成功してきている。私に対しても私の問題を理解しようと強く望み、私を助けるためにできるだけのことはしてくれそうだ」
 こうその人が感じてくれれば成功である。
 「あなたは私のどもりを治すことができますか」
 口に出すか出さないかは別にして、どもる人は質問をするであろう。この時にセラピストがどう答えるかが、治療の成功、失敗を決定づける。
 「医学的な意味では、吃音は障害ではなく、学習されてきたもので、吃音が治ると保証できる人は誰もいない。簡単に克服できるものではないが、今よりは滑らかに話すことを学習することはできる。中にはほとんどどもらずに話せるようになった人もいる。治療から得られるものが何もなかったという人もいるが、それは本人の熱意が足りなかったからであり、本当に努力した人はよくなっている。私たちの目標とするところは、滑らかに話すようになることであるが、たとえ滑らかに話せなくても最低限どもることの恐れや異常さを伴わずにどもれるようになれる」
 セラピストが、ガイドとして、仲間として、援助者として、このように答えることは、どもる人を勇気づける。どもる人は自分の吃音が魔法のようにパッと解決できるものではないことは知っている。必ず吃音を治してみせると公言するあきれた図々しいセラピストの力量には遅かれ早かれ、疑いを持つようになる。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/18

チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」より

 また、途中で別の話題を入れてしまったので、「スタタリング・ナウ」の紹介が中断してしまいました。チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』の第9章「動機」―動機、その特質の克服―の紹介を続けます。紹介しているニュースレター「スタタリング・ナウ」は、NO.9で、1995年4月28日発行のものです。まず、その号の巻頭言から紹介します。

『スタタリング・ナウ』NO.9 1995.4.28

   動機
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 12年間の充電の後、長島茂雄は巨人の監督を引き受け、前に巨人監督をしていた時の選手と今の選手の違いに驚く。プロとして、当然しなければならないシーズンオフでのからだの手入れ、キャンプでの練習態度など以前とは違うという。プロ野球の選手が、お金を稼ぎ、プロとして成功するに十分な動機を持っているとは限らないというのだ。叱って、厳しく指導しても今の若い選手はついてこない。監督に復帰して1年は戸惑い、次の1年でこの現実を受け入れ、選手へのかかわりを変えた。そして、巨人は日本一の座についた。

 大阪吃音教室の例会が、吃音について、広くコミュニケーションについて、人間関係などについて、体験的に学び合う現在の《吃音講座》と変わって9年になる。発声練習をし、雑談的に話し合ったそれまでの例会とは違う雰囲気の中で、真面目に吃音に取り組まない人は来なくなった。
 一方、吃音に悩み、自らの吃音を解決したいと考える人にとっては、吃音と真剣に取り組める、《吃音講座》は魅力的だったようだ。例会参加者が以前とは比較にならないほど増えたことでもそれは分かる。適度な緊張があり、学ぶことに対する充実感があった。学び合うことが、多くの人が継続して参加する動機となった。
 セルフヘルプグループは、教える、教えられる関係にはない。入会して1年の人も講座を担当する。担当者は、書物を読み、他の機関の講習会に参加するなどし勉強する。これまでの活動にはなかった熱意と努力を必要とする。
 担当者同士は厳しく指摘しあい、よりよいものを目指した。回を重ねるごと、改良が続けられ、分かりやすくなったと世話人は自負していた。
 大阪吃音教室では、《吃音講座》を検討する合宿を持つ。この合宿には世話人だけでなく、若い人も参加し、率直な意見を述べ合い、1年間の総括をし、次年度の講座の年間スケジュールを決める。
 「もっと、雑談的なものを入れ、おもしろく、楽しいものにした方がよい。講座は難しいし、話し合いの中での若い人への指摘が厳しすぎる。私たちは勉強より、話し合える友達が欲しいのだ。もっとサークル的な楽しいものがいい」
 合宿では、このような若い人たちからの意見が相次いだ。
 私たちは、大阪吃音教室をどもる人の親睦のためのサークルとは考えていない。自分自身の吃音の問題解決だけでなく、どもる子どもやその両親をも視野に入れた、吃音問題の解決を目指している。サークル的な楽しさだけを求められたら困るのだ。しかし、若い人たちに、受け入れられなければ、大阪吃音教室の意義は半減する。吃音に悩み、自分を生かせず、立ち止まっている若い人にこそ役立ちたいと、考えているからだ。
 自分の悩んでいる吃音問題への解決には、ある程度の厳しさは必要だ。私たちの意図することを堅持しながらも、若い人たちの声によく耳を傾け、できる限り分かりやすく、身近なもの、楽しく学べるものにしたいものだとは思う。
 4月14日、昨年よりは、ソフトな分かりやすい開講の初日だったと若い人が評価してくれた。11名の初参加者の全員が次回も参加した。1回で来なくなることが少なくない中では珍しいことだ。若い人の意見を取り入れた成果だろうか。
 年齢、吃音経験、社会環境の違う人間が一堂に集まっての大阪吃音教室だ。それぞれの動機を維持し作り出すことは至難の技だが、それを考えることは、世話人にとっては楽しいことでもある。
 5年、10年と続けて教室に参加する人がいる。30年近く、大阪吃音教室は活発に活動を展開している。このことに自信をもち、あまり作為的な動機の創造より、永遠のテーマでもある「人として、如何に自分らしさを発揮して生きるか」を追求していくしかない。
 長島巨人は今年、どんな闘いをするだろうか。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/16

島根吃音キャンプ(島根スタタリングフォーラム)で、子どもや保護者からの質問に答えて

 今日は、11月15日、2021年も残り少なくなりました。
 2021年も、2020年に続いて、吃音親子サマーキャンプも吃音講習会も中止になりました。僕が関わっている各地のキャンプも、状況を見ながら、なんとか開催できないかと、模索されていました。11月6・7日は、群馬のキャンプでしたが、日帰りに変更して、開催されました。毎年講師として行っていた僕は、今年もメッセージを送りました。
 10月30日には、島根スタタリングフォーラムが、会場に来ての参加と、Zoomでの参加の両方で開催されました。僕は、自宅からZoomで少しだけ参加しました。参加者の声が聞こえるだけで、「場」が伝わってきます。そして、来年は、あの「場」に、立ちたいなあと思いました。島根スタタリングフォーラムでは、僕に質問をしてくれる時間がありました。2週間が経ち、よく覚えていないところもあるのですが、こんな話題が出たということだけでもお知らせしようと思います。
 質問がある子どもや保護者が、ひとりずつ、Zoomを通して質問してくれました。「質問のある人?」の進行係の声に、勢いよく手を挙げてやってきた男の子は、開口一番「伸二さんの好きな食べ物は何ですか?」と聞いてきました。予想できない質問にずっこけましたが、「天ぷらかなあ」と答えるところから始まりました。

○吃音でよかったことはありましたか?

 吃音に悩んでいるときは、吃音でよかったことなど何もなかったね。吃音を治したいとばかり思っていた。だから、したいことも、しなければいけないことも「僕は吃音だから」と、話すことから逃げてばかりいた。だから、とてもつまらない人生だった。
 だけど、21歳の夏に、たくさんのどもる人に出会って、「どもるのは僕だけじゃない。みんな、悩んでいたけれど、ちゃんと生きているんだ」ということを知ってからは、僕も、話すことから逃げないでおこうと考えた。どもる自分を認めて、どもれるようになってからは、ずっと楽しく幸せだった。
 吃音のおかげで、吃音の本をたくさん書いたり、島根のキャンプのように、どもる子どもとキャンプをしたり、世界で初めてのどもる人の世界大会を開いたりできた。世界中に、友達がいるんだよ。僕は、君たちのおじいさんのような年、77歳になったけれど、今でも、いっぱい勉強をしているし、いろんな本をたくさん読んでいるよ。今でも、吃音に関係することを勉強できることが、吃音でよかったことだね。また、今日のように、僕に質問をしてくれたり、僕の話を聞きたいと島根県のことばの教室の先生の研修会に呼んでもらえたり、「伊藤さんに会えてよかった」と言ってくれる人もいて、吃音のおかげで、少しだけど、人の役に立っているいると思うと、すごくうれしい。だから、どもることを認めて、どもれるようになってからは、とてもいいことばかりの人生でした。

○伊藤さんが吃音になった原因は何ですか?

 なぜ、吃音になったのか、昔はよく考えたこともあったけれど、分からなかった。吃音の専門的な本を読んでも、吃音の原因は分からない。だけど、吃音に悩むようになった原因は分かる。小学校2年生の秋、僕は、学芸会で、「どもるとかわいそう。どもらないようにさせてやろう」との担任の先生の「やさしさ、おもいやり」なのか、三人で「さようなら、亀」というセリフを言うことになった。確かに、学芸会でどもらなかったけれど、「僕は、どもってもたくさんセリフを言いたかったのに、どうして三人で言う短いセリフなのかなあ」と考えたときに、「僕がどもるからだ。どもることは、いけない、恥ずかしいことことなんだ。僕は他の人とは違うんだ」と、初めて吃音に強い劣等感をもってしまった。これを、今では、難しいことばでいうと、担任の先生の、合理的配慮とか、教育的配慮とかいうんだ。
 それによって、僕は、「どもりは悪いもの、恥ずかしいもの、劣ったもの」という考え方をもってしまった。これが悩むようになった原因だね。それからは、どもれなくなって、音読や発表もしなくなり、勉強も遊びもしなくなったから、とてもつまらない、小学校、中学校、高校時代を送った。だから、みんなには僕のような考え方を持ってほしくない。「私はどもるんだから、どもって、音読も発表もするよ」という君たちの方が、僕よりもずっと素晴らしい。どもって嫌なこともあるかもしれないけれど、どんどん、どもっても、自分のしたいこと、しなければならないことはしないと「損」だよ。
 僕のような失敗をしないでね。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/15

平田オリザ作・演出「忠臣蔵 キャンパス編」を、芸術文化観光専門職大学の静思堂シアターで観てきました

忠臣蔵 キャンパス編 チラシ 所用があり、城崎あたりに来たので、豊岡でなくてもよかったのですが、兵庫県豊岡市のホテルをとりました。豊岡に来たのは、初めてです。
 12日(金)は、大阪吃音教室があるので、10日(水)宿泊し、11日(木)に大阪に帰る予定でした。それを急遽変更して、豊岡にもう一泊しています。
 さきほど、平田オリザさんが学長をしている、芸術文化観光専門職大学の静思堂シアターのこけら落とし公演、平田オリザ作・演出『忠臣蔵 キャンパス編』を観てきました。

 10日の夜、初めて訪れた豊岡の町をぶらぶらと散歩していたら、ほとんどシャッターが降りている商店街で、ポツンと明かりがついているところがあり、「小さな図書館」とありました。後で調べてみると、「だいかい文庫」というところでした。
 立ち止まって、店の中をのぞいていたら、座って本を読みながらコーヒーを飲んでいた男性が、「よかったら、入りませんか」と誘ってくれました。他に店は開いていないし、本を販売しているようなので、入りました。どうして、「豊岡市」に来たのかと尋ねられたので、「平田オリザさんが好きで、豊岡は平田さんの町だから来たのだ」と言うと、「そんな目的で来た人など聞いたことがない」とびっくりされました。少し、演劇の話などをしていると、明日、平田さんの公演があることを教えてくれました。

 それで、男女の関係ではないものの「縁は異なもの味なもの」と、急遽、豊岡市にもう一泊して、昼間の町をぶらぶらして、平田オリザさんが作った大学と、第1回公演を観にいくことにしたということなのです。演劇を中心にした、芸術文化を大事にする「平田オリザ」さんの空気を味わおうと思いました。

 そして、今日の昼間、昨夜歩いた通りを歩きました。豊岡なので、カバンストリートという、鞄のお店がたくさん並んでいました。
 夕方4時開演だったので、少し早めに会場の芸術文化観光専門職大学の静思堂シアターに行きました。

 「ひとりの力は小さいけれど、集まれば大きな力になる」と言われるけれども、平田オリザのひとりの力は、とてつもなく大きいことを実感しました。大学をつくり、地域に、演劇を中心にした文化を根付かせようとしています。
 静思堂シアターは、満席でした。豊岡市の市民は、直に舞台を観ることができる、うらやましい限りです。学生の舞台なので、シロウトと言えばシロウトなのでしょうが、やはり生の舞台はいいものです。コロナ禍にあって、久しぶりに生の舞台を味わいました。
 僕は、東京で大学生活を送っていた時、民藝のファンで、滝沢修、宇野重吉の舞台をよく観に行きました。東京と比べて舞台が少ない大阪では、切符をとるのも大変ですが、またまた演劇の血が騒ぎ始めました。なんとか調べて、舞台を観に行きたいと改めて思いました。

 本日の公演は「忠臣蔵 キャンパス編」ですが、昔はよく「忠臣蔵」を観ました。今回のキャンパス編は、討ち入りをするか、籠城するかを、大学生がキャンパスの学生食堂で食事をしながら、話し合います。結局は討ち入りを決意するという、合意形成の過程を描いていきます。台詞の応酬がおもしろい舞台でした。

 また、大学の内部も見学することができました。演劇関係の図書は、それほど多いとは思えませんでしたが、立派な図書館なので、これから本を集めていくのでしょう。
 家族と一緒に引っ越してきてまで、地方都市に演劇だけではなく、芸術全般の文化を根付かせようとしている、平田オリザのエネルギーに敬服です。

 「だいかい文庫」は、シェアするまちの、新しい図書館のカタチというコピーがついていて、次のような説明がされていました。この図書館のメッセージ、コンセプトのようなものが書いていました。ここにも、豊岡の文化を感じました。
 「棚にある本を借りていく図書館でもあり、家に置いておきたいなと思った本を買っていくこともできます。コーヒーを片手に気になった本を読みふけることもできます」
 シェア型の図書館で、文庫内に自分だけの本棚を持つことができるオーナー制度「一箱本棚オーナー」で運営されています。本棚を借りて、好きな本を並べて、訪れる人に貸し出すことができるそうです。

 豊岡の町は、今回、初めて来ましたが、いい町でした。コロナの影響でしょうか、シャッターが下り、貸店舗の紙が貼ってあるところが多かったのですが、これから度々訪れたい町になりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/11

金曜日の大阪吃音教室は、「吃音の当事者研究」を開催します

 11月12日の大阪吃音教室は、「吃音の当事者研究」です。ひとりのどもる人の人生に耳を傾け、その豊かな世界を参加しているみんなで味わう時間です。
今回、登場するのは、女性です。大阪吃音教室に参加して、自分の吃音を認められるようになりましたが、認められるようになるまでには、いろいろとあったようです。吃音親子サマーキャンプに参加し、どもる子どもたちの姿を見て勇気づけられ、仕事を通して社会の課題に気づき、少しずつ変わっていきました。当日、僕が彼女に質問していきます。
 参加している人は、しっかり彼女の話を聞きます。そして、感じたことを伝えます。場を支える仲間がいることで、自分を語ることができるのです。自分の生き方と重ね合わせながら、聞いていただければと思います。

 僕は、1965年の秋、どもる人のセルフへルプグループを創立し、毎週一度のミーティングで、対話を続けてきました。大勢のどもる人たちが、深く悩んでいた吃音と向き合い、自分自身で吃音と対処し、自分らしい生き方を見つけていきました。当事者研究ということばは知りませんでしたが、ずっと、当事者研究を続けてきたことになります。

 ご一緒に、吃音の豊かな世界に浸ってみませんか。ご参加、お待ちしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/09

第9回 吃音と向き合い、語り合う 伊藤伸二・吃音ワークショップin東京

 安心していいのか分からないのですが、ここに来て、コロナの感染者数は減ってきました。専門家は、第6波があると言っているので、油断はできないのですが、来年1月の東京でのワークショップを計画しました。
 東京でのワークショップは、年に一度行ってきて、2020年1月に第8回を行いました。丸2年のブランクを経ての開催です。午前10時から午後5時までの一日ワークショップです。
 吃音について自分について真剣に考える時間、ひとりの人の人生に耳を傾ける時間、場を支えてくれる仲間の中で自分を語る時間、そんな時間をぜひ、ご一緒しましょう。
 案内を掲載します。

  
第9回 吃音と向き合い、語り合う 伊藤伸二・吃音ワークショップin東京

 「吃音を治すことにこだわらず、吃音と共に豊かに生きていくことを目指そう」と、大阪を基盤に活動している日本吃音臨床研究会の伊藤伸二とその仲間と一緒に、吃音の問題について考え、話し合い、吃音との上手なつきあい方を探る関東地方での吃音ワークショップです。参加者ひとりひとりの吃音の悩み、知りたいこと、体験したいこと、学びたいことに関わり、それを皆で共有し、「当事者研究」のように進めていきます。
 人生について、吃音について深く考えたい方、どもりながら生きていく上でいろんな思いを抱えている方、どもる仲間とじっくり話したい方、伊藤や日本吃音臨床研究会の活動に関心があっても大阪まではなかなか行けない方、この機会にぜひご参加下さい。
 内容は参加者の要望によって組み立てますが、次のようなことが考えられます。
◇吃音を生きる、論理療法、交流分析、認知行動療法、アサーティヴ・トレーニング、健康生成論、レジリエンスなどについて
◇吃音で苦戦している問題についての具体的対処
◇どもって声が出ないときの対処・サバイバル
◇吃音を治す言語訓練に代わる、日本語の発音・発声のレッスン
◇今、困っていることや悩んでいることの課題を明らかにし、展望を探る公開面接<対話>
◇当事者研究の手法を用い、やりとりをしながら、今後の対処を明らかにする
         
□日時 2022年1月10日(月・祝)   10:00〜17:00
□会場 北とぴあ 東京都北区王子1−11−1  TEL 03−5390−1100
      JR京浜東北線「王子」駅北口徒歩2分
      東京メトロ南北線「王子」駅ト崕亳直結
□定員 18名  
□参加費 5,000円…当日、受付でお支払い下さい。
□申し込み方法…メールか電話でお申し込み下さい。 
 〔樵亜´年齢 住所 づ渡暖峭罅´タΧ函´ο辰傾腓辰討澆燭い海箸篳垢たいこと О貌伸二・吃音ワークショップを知ったきっかけ  
□申し込み締め切り 2022年1月9日(日)
□申し込み先  日本吃音臨床研究会・伊藤伸二
メールアドレス jspshinji-ito@job.zaq.jp
TEL    090-1228-2360 
FAXの場合    072-820-8244 (2021年12月29日まで)

今後のコロナの状況で、開催が難しくなることも考えられます。ホームページなどでご確認下さい。中止になった場合、お申し込みいただいた方にはご連絡します。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/08

どもる人の治療動機〜チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」〜(3)

 昨日の続きを紹介します。
 「吃音は、つきあうことのできる程度のハンディなのである」
 チャールズ・ヴァン・ライパーがこう書いていますが、僕もそうだと思います。吃音を治したいと言いながら、なかなか治す努力の継続できない人が多いということは、治らなくても、このままどもりながら、なんとか生活していくことができるということではないでしょうか。治療に向けて努力するのではなく、自分の人生の充実に向けて努力していくことが大切だと思います。また、疾病利得というほどのものではありませんが、「人前に出ていきたくない口実に吃音を利用している」という、アドラー心理学で言う、目的論にも共通していることです。僕は吃音をいいわけに、勉強だけでなく、すべての努力を放棄していました。だからといって「得」できなく、「損」ばかりしてきましたが。

§5 目標設定の困難さ
 どもる人は話すことに関係のない仕事においてさえ、どもらない人に比べて向上意欲に乏しいという研究がある。一方、非現実的な高い人生目標を持ったり、話すことが必要以上に要求される仕事(弁護士、アナウンサーなど)に就きたいと考えたりする。これは稀に見られるどもる人の反応ではなく、デモステネスコンプレックスの現れとも言える一般的な反応である。このような大きな人生目標よりも当面の具体的な目標を立てて治療に取り組まねばならない臨床家にとっては、この防衛ともいえる反応が時には障害となる。臨床家が用意した自分にとっては小さいと思える目標やまたすぐには効果が現れない目標に向かって地道に努力することにはほとんどやる気を起こさない。彼らは、もしどもりでなかったらどんなことでもできると思っている「鎖につながれた偉人」である。その偉人にとっては治療プロセスの中での多少の行動変容は評価に値しないものなのである。

§6 疾病利得
 どもる人の治療動機の欠如や減少の説明として、「疾病利得」が使われる場合がある。
ある人は、「確かに私たちはどもりのために得をしていると言えないことはない。例えば、本来しなければならないことを努力しなくてもまた成功しなくても自分はどもりだから仕方がないのだという責任逃れの立派な口実を持っている」と言う。一方ある人は、「どもりから得たちっぽけな隠れ蓑は、苦労して手に入れるほどの価値はない」と言う。どもることでの損失は、疾病利得として得られる安心感よりもはるかに大きい。

§7 治療動機の不足を示す例
 吃音のために何かしなければならないと強く思わない人もいる。彼らは、比較的軽い人か、あるいは若い人で、吃音によって傷つけられたという経験に乏しい。どもってはいても、それを誉められたり、注意されたりすることのあまりない、どもる人にとってよい環境で育ってきており、コミュニケーション上のハンディを十分カバーできる。彼らは、治療のための努力とそれから得られる結果とを秤にかけたとき努力の割には結果が小さいと思うのである。吃音はつきあうことのできる程度のハンディなのである。彼らが臨床家の所へ来るのは、多くの場合、他人から強要されてである。彼らは流暢に話したいとは思っているが、それは努力や苦労、または訓練なしに流暢になればという条件つきの要求である。私たちは自己の吃音に取り組もうという動機があまり強くない吃音者がいることを認めなければならない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/07

どもる人の治療動機〜チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」〜(2)

 吃音治療の予測の調査は、興味深いものがあります。半永久的に続けるのが一番効果的とありますが、僕などはとても続けられません。1965年の夏、30日間の東京正生学院の治療経験で、完全に治療を諦めることができたことは大正解でした。そして、それからの、「吃音と共に豊かに生きる」生活は現在も続いていますので、死ぬまで続いていくということになります。どもってはいても、困ることも悩むこともない生活は続けられますが、常に「治療」を意識した生活は続くものではないので、「治療」の意識から「共に生きる」の転換を早くした方がいいというのが、僕の持論です。吃音親子サマーキャンプは、学童期からその生き方をして欲しいと願って続けています。
 それでは前回の続きです。

§3 治療の見通し
 治療期間の長さと効果の予測に関しての調査がある。どれくらいの長さの治療が一番効果的だと考えるか、評価させた。調査した全員が週1時間、半永久に続けて行うのが一番効果的だと考え、次に1日1時間を2年間継続するとなった。どんなハードなスケジュールでも、4か月で治療が完了すると考えた人は一人もいなかった。軽度な人、また社会的に適応している人ほど楽観的な予測をしていることも明らかになった。軽度な人にとっては吃音が治るというゴールはすぐそこにあるように感じられて多くの努力が必要であることが想像できないからだ。重度な人の方が軽度な人より予後がいいと言われるのは、治るまでの道程が遠いことを知っており、そのために一生懸命努力するからでもある。
 初心の臨床家は、この重度の人でさえ自分のことばを改善するためにほとんど動機を持っていないように思えて驚きとショックを受ける。吃音を軽くするためなら何でもすると言ってきた人がほとんど努力をしない。彼らは治療という名のビンのふたを開け、中身をちょっと匂ってみるが、その薬を飲もうとしない。彼らの治療のための努力は形ばかりのものである。要するに、どもる人は必ず治療動機を持っていると仮定することはできないのである。初心の臨床家はこの抵抗のダイナミックスを理解する必要がある。どもる人は、治療結果の保証なしには治療には乗らない。また、臨床家が何らかの成功を期待して提案する課題には正確な努力の量を見積もれなければならない。これまで私たちは治療の見通しを立てることに失敗してきた。どもる人が治療努力を拒否したり怠ったりするのは、彼の弱さからくるものだと結論づけていた。彼らを責めるよりも臨床家のなすべきことは、治療効果をさらに大きくし、それに伴う犠牲をさらに小さくしていくことだ。

§4 治療過程における動機の変化
 治療動機の評価は、治療の初めに一度だけ行えばよいというものではない。動機は日々減少したり増大する。動機の評価は継続的に行わなければならない。臨床家なら誰でも「ハネムーン効果」を知っている。どもる人は、治療の初期に一旦希望が見えると非常に熱心に課題に取り組むが、しばらくして治療の目新しさがなくなると、努力をしなくなる。これは、飽きがきたこともあるが、主には治療の結果、吃音がいくぶん軽くなったことにもよる。以前よりも楽に話せるようになり、周りからの否定的な反応も減っているのになぜ治療に励まなければならないかと考えるからである。
 治療の動機の減少や消滅は、「治療の第1段階」にしばしば現れる。吃音を回避したり否定したりするのでなく、受け入れて自ら対処すべき問題として直面するというこの段階は、どもる人にとっては高いハードルである。彼らは何年もの間「裸の王様」の国で暮らしてきた。その国の親しい人たちは彼の吃音に対し、知らないふりをしてきた。
 流暢なジキル博士は、どもっているハイド氏をじっと見つめろと命令されることを好まない。このどもるという現実を否定することで、どもる人はある程度の精神的平静を保ってきた。どもっているのは現実の姿ではない。どもっているのは仮の自分で、本来の自分はどもっていないと思うことによって、現実の辛さや苦しさから逃避してきたのだ。
 動機の減少は、自分の吃音行動を修正するためにこれまで恐れ、避けてきた場面に出ていく「治療の第2段階」においても起こる。これまで非常に傷つけられてきた領域に入るのはどもる人にとって非常に耐え難いことなのである。
 実際に滑らかに話せるようになる「治療の最終殺階」にも動機の減少が起こる。彼は新しく発見した話す能力を喜び、これまでの不愉快な思いが取り除かれたと思うので、一時的でなく本物になるまで努力をするという動機はほとんどなくなる。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/06

どもる人の治療動機〜チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」〜

 「私は、私の研究実践の集大成として、二冊の本を書きました。もし翻訳ができるのでしたら、日本の翻訳権をあなた方に差し上げます。それを活動資金として下さい」
 1980年、チャールズ・ヴァン・ライパーのうれしいお申し出に、内須川洸・筑波大学教授と僕たちでチームをつくり『The Treatment of Stuttering』の翻訳作業に入りました。大勢の力で大体の訳出を終えるまでは順調でしたが、その後の編集作業が続かず、出版を断念しました。その時の作業の中で、特に僕たちが興味をもったのが、第9章の『動機』でした。どもる人にも、臨床家にとっても興味が持てる章です。かなりの長文なので要約で紹介します。

§1 どもる人の様々な動機
 吃語恐怖や場面恐怖を取り除きたい。自尊心を高めたい。異性から好感を持たれたい。よりよい条件の仕事に就きたい。社会的不適応を克服したい。どもる人はこのように様々な治療動機を挙げる。どもる人の内面的苦悩は、どもる時に感じる恐れや不快感、そしてどもった後にくる周りからの反応に対する嫌悪感など、他者とのコミュニケーションの際のフラストレーションや恐れからくる。
 これを減らしたいと考えるのは、非常に強い治療動機となる。しかし、全てのどもる人に対して、この動機を強化したり、調整したりすることはできない。人それぞれに異なった人生目的、計画、興味などがあり、ある人にとって強力な動機となることが、他者にも有効とは限らない。臨床家が勝手にどもる人の治療動機を憶測してはいけない。動機は新たに発見され、養成され、作られる。

§2 犠牲と報酬
 吃音の若い医師が治療を受けたが、臨床家が彼の治療動機が握めない間は治療は上滑りなものだった。臨床家は彼の悩みが電話のトラブルに集中していることが分かり、そのための治療方法を提示した。しかし、彼は、吃音が治らなくても医院にかかってくる電話さえトラブルがなくなればいいと言い出した。そこで彼は、電話をとる秘書を雇うことを決め、互いの同意でその治療は終わった。
 彼は、治療計画に伴う犠牲が、治療によって期待できる報酬より大きかったと考えたのだろう。吃音を治したいという治療動機は、それほど強いものではなかったと考えられる。
 動機の強さの測定は、常に犠牲と報酬の比率抜きには考えられない。有能な臨床家は、吃音を治したいという人の治療動機の強さを評価するだけではない。治療によって得られる悩みの軽減と治療課題に取り組むための労力やストレスを比較した上で本人がどんな期待を持っているかを確かめようとする。臨床家の力量は、犠牲よりもいかに多くの報酬を作り出せるかに尽きるのである。
 『吃音に悩む人は、人に知られずにこっそりと吃音を治したいとの秘密主義を持っている。また、これまでの失敗の経験から治療に懐疑的である。簡単で手っ取り早い方法にはすぐ飛びつくが、治療に必要な努力はあまりしたくないとの特質を持っている』と、百年以上も前にクレンケは言っている。
 このどもる人の特質との闘いは、極めて難しい。最初の6週間で、特質の克服ができなかったら、その人への治療は断念すべきだ。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/05

吃音人生を綴る―ことば文学賞

 10月29日の大阪吃音教室は、本当なら、新・吃音ショートコースの場でするはずだった、ことば文学賞の受賞発表を行いました。講座のタイトルは、「吃音体験を味わう」でした。今回で、24回目となることば文学賞。話すことに苦手意識をもつ僕たちが、講座として「書く」ことを取り入れていることは、普通に考えれば不思議なことかもしれません。発声練習やスピーチ練習などをしているのなら違和感はないのでしょう。でも、大阪吃音教室では、ずいぶん前から「書く」ことを活動に取り入れてきました。「書く」ことだけでなく、「読む」「聞く」ことも含めて、コミュニケーション能力を高めることは、大阪吃音教室の講座の3つの柱のうちのひとつになっています。

 この日、冒頭で、僕はこんなふうに切り出しました。

『ことば文学賞は、新・吃音ショートコースという2日間のワークショップの場で発表することになっていたのですが、コロナで新・吃音ショートコースが中止になりました。今日、ここで、発表し、表彰をします。
 ことば文学賞は、今年で24回です。自分のうちにあるいろんな考えや思いを表現することは大事が、それにはもちろん話し言葉があるけれど、的確に表現するには、文章力こそ育てなければいけないものじゃないかと思います。それで、文章教室が始まりました。文章教室の講座の日、大阪吃音教室に初めて参加した人はびっくりします。どもる人の集まりだから、発声練習とか3分間スピーチとか、声を出すことをしていると誰もが想像します。しかし、みんな机に向かって静かに文章を書いているから、すごく不思議に思うんです。コミュニケーション能力を育てるという観点からも、「話す・聞く・読む・書く」で、表現することが総合的にできないといけないと考えました。
 また、自分たちの体験を後につづく人たちに伝えていきたいと思いました。これまで、「吃音は、劣ったもので、治さなければならない」とされてきました。治そうという強い意志で訓練すれば、改善できるものだとの考えがずうっと根強くあったのです。それは、どもる人たちがどもりながらちゃんと生きているのに、その体験を綴ってこなかったこともひとつの要因としてあるでしょう。僕がまだ吃音にとらわれ、治そうとばかり考えていた21歳まで、「どもりながらでもちゃんと生きていけますよ。どもりを治そう治そうと考えない方がいいですよ」、そのような考え方はゼロでした。全くありませんでした。誰かが、文章として表現してこなかったからです。どもりながらちゃんと生きている人たちはいっぱいいたはずです。だけど、その人たちは、わざわざ、どもるけれど、ちゃんとやっているなんて言う必要もないし、書く必要もなかったのです。
 自分たちの体験を、後に続く人たちへの参考になるようにしてこなかったということが言えます。これはまずいんじゃないか、僕たちが、自分たちの体験を綴り、発表していくことが、後に続く人たちの生きるヒントに多少でもなるんじゃないか、そう考えて、ことば文学賞というものを続けてきました。
 今年も、9編集まりました。以前は、朝日新聞の学芸欄を担当していた新聞記者が講評してくれていましたが、最近は、その後を継いで僕たちが、応募された作品を読み、最優秀作品、優秀作品を選んでいます。ただどうしても甲乙つけがたい作品ばかりです。順位をつけられるものではありません。文学作品というのはそういうものです。読み手によって感じ方が違います。芥川賞の選考などでも、もめてもめて、満場一致で決まるなんてことはありえません。選考する人の先入観とか人生観とかが反映されるので、選ばれなかった人の作品がよくないとか、選ばれたのが特別いいとか、そいうことはありません。
 作者名を伏せたまま読んだ僕は、3編と、迷いに迷ってもう1編、計4編選びました。今から、その4編を読みます。それを聞いてもらって、皆さんに感想を言ってもらいます』

 こう話して、作品を4編、ひとつずつ読み、その都度、参加者から感想を聞いていきました。ひとりの人のどもりにまつわる人生をたっぷり味わうことのできるこの時間は、幸せな気持ちになります。もう少し後になりますが、このブログでも、選ばれた作品を紹介することにします。

 今年の文学賞のテーマは、「吃音と家族」でした。この日の参加者の中には、親子の参加が2組ありました。きっと自分たちの親子関係も振り返りながら、吃音人生を味わっていただけたことでしょう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/04
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