伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年08月

大阪吃音教室への思い 3

 今日は、8月21日。吃音親子サマーキャンプ2日目だったはずです。朝から作文を書き、2回目の話し合いをし、午後は芝居の練習と荒神山へのウォークラリーと続きます。親たちは、午後ずっと学習会です。ウォークラリーから帰った子どもたちと合流して、外でカツカレーの夕食を食べる、これが定番でした。何度も言っていると思いますが、この夕食風景が、僕はなんともいえず好きです。荒神山のシンボルの大きなクスの木のある屋外のクラフト棟で、食堂で作ってもらったカレーを、みんな三々五々思い思いの席で食べるのです。いろんなグループができて楽しそうに話しながら、笑いながら食べています。
 2005年に放送されたTBSのドキュメンタリー番組に、繰り返しそのシーンが出てくるので、余計に記憶として残っています。このシーンを思い浮かべると、僕はとても幸せな気持ちになります。今日も、吃音親子サマーキャンプに参加した家族が、それぞれの地で、カツカレーの夕食を食べているようです。カツカレーとそれを食べている写真をメールで送ってくれました。吃音親子サマーキャンプが多くの人の胸に残り続けていること、うれしいことです。
 同じように、大阪吃音教室は、大人の吃音親子サマーキャンプのようで、集まることのできない今、再会を願いながら、思い続けることができる場なのでしょう。
 さて、昨日のつづきです。2000年5月とよく似たテーマで、2006年4月に、特集を組んでいました。大阪吃音教室に新しく参加する人へのメッセージとして、それぞれが大阪吃音教室に参加してよかったことを書いているので、紹介します。

 
新しく参加する人へのメッセージ〜吃音教室に参加してよかったこと〜

 素晴らしいどもりの見本
                         斎藤健介 (自営業)
 大阪吃音教室に参加して良かったこと、それは多くのどもる人に出会えたことだ。大阪吃音教室に出会うまでは、私の遠い親戚に一人いるぐらいで、周囲にどもる人はいなかったため、私の吃音に対する苦しみを誰にも理解してもらえずに一人悩んでいた。10年前に新聞記事で見つけて大阪吃音教室に参加して、多くのどもる人に出会うことができ、一人だけで悩むことはなくなった。
 しかし、同じような仲間に出会えたことがよかったかというとちょっと違う。どもりを治したいと訓練に励む仲間だったら、「頑張ってどもりを治そう」とか「どもりが治ると信じて、頑張ろう」という会だったら、きっと私は途中で大阪吃音教室に参加しなくなっていただろうと思う。確かに最初は、自分と同じような体験をし、苦しみを理解してくれる仲間に出会って嬉しかっただろう。でも、「吃音を少しでも改善しよう」という仲間だったら、私はどもる自分を肯定できずに、きっと相変わらず悩み続ける日を送っていただろうと思う。ラッキーだったことは、どもりながらも誠実に、人生を楽しく生きている多くのどもる仲間に出会えたことだ。大阪吃音教室で、私は素晴らしいどもりの見本に多く出会うことができた。彼らはどもりながらも、時に悩むことがあったとしても、自己を肯定し、自分の人生を誠実に、楽しく生きていた。一歩先にこのような吃音の先輩がいてくれたから、私も、この人たちのようになりたいと思いながら、毎週大阪吃音教室に参加している。

どもってもいい
                            本田昌子(主婦)
 この教室にくるまで「どもってはいけない、どもりははずかしいもの」と思っていました。私が初参加した時の講座が自分のどもりの体験を書いて発表するというものでした。 私はどもりでこんなつらい思いをしたことのみを書いて、皆さんもそうだと思っていました。それが、どもりでよかった、どもりのおかげで結婚できたなど信じられない内容ばかりでとても驚いたと同時にとてもうれしかったのを覚えています。
 そして、皆さん『どもってもいい』と言います。その時の感動は今でも忘れることができないし、家に帰った時に私がとても明るく『どもってもいいねんて』と母に言ったら母も『そうやで、どもってもいいねんで』と言ってくれたのをとても覚えています。
 また、その日は、NHKの取材が入っていて、最初はそのカメラがとても気になり、映らない場所に移動していたのですが、休憩の後は、取材のことはまったく気にならなくなりました。後で、放送された番組をみると、私もバッチリと映っていて、全国に放送されていました。
 その日以来、大阪吃音教室には行ける時には参加しています。『どもってもいい』というこの言葉が私を救ってくれたし、これからも私を支え続けると思っています。

独特の価値観
                    高橋陽子(主婦)
 息子がどもり始めたことをきっかけに、自分自身が吃音に悩んでいたこともあり、大阪吃音教室に参加するようになりました。親は、私が子どものころ、どもるたびに注意をし、どもるたびに嫌な顔をされていました、それが子どもの時はとても辛かったのです。どもることを許されない家庭環境で育った私は、この吃音教室で「居場所」を見つけました。実は高校生の時、二回ほどこの教室に参加したことがありました。その時「吃音と共存する」の独特の価値観で、長い間の苦しみから解放されたようになり、ハマっていく一方で、日常に活かす事ができませんでした。
 それまで隠していた吃音を隠さずにどもると、親の失望したことばや態度に自尊心が傷つき、大阪吃音教室に参加しなくなりました。15年経って、再び吃音教室に参加すると、当時のままの吃音教室がありました。金曜夜あの場所に行けば会える仲間がいます。そして今は、以前の私の子どもの頃の家族とは違って、私の吃音と、息子の吃音を受け入れてくれる夫がいます。“ありのままを認める”というのは、どもる子どもに限らず、子育ての基本だということも学びました。また一から息子と共に勉強していくつもりです。
                      (2006年4月 つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/21

大阪吃音教室への思い 2

 今日は、8月20日。本来なら、2泊3日の吃音親子サマーキャンプの初日にあたります。滋賀県彦根市の荒神山自然の家に集まってきた参加者を迎え、開会の集いを行い、スタッフ会議をして、最初のプログラムの出会いの広場が始まる頃でしょうか。
 昨年につづき、今年も中止になった吃音親子サマーキャンプ。荒神山には、やさしい風が吹いていることでしょう。来年につながるやさしい風を感じながら、前回に引き続いて、「大阪吃音教室と私」のタイトルで書かれたものの続きを紹介します。
 「大阪吃音教室は、大人の私にとって、サマーキャンプのようなものです」と、言っていた人がいました。

  
大阪吃音教室で世話人を引き受け、活動していく中で、変わっていった
                        齋洋之(研究員)
 大阪吃音教室を知るまでの私は、「どもりが治らなければ自分の人生は始まらない」と思っていた。しかし、治そうといろいろ努力はしてみたが、結局どもりはどうにもならなかった。「このままただつまらない人生で終わるのだろうか」と思うようになっていた。その頃、新聞の片隅に『大阪吃音教室』の記事を見つけた。「よし、これでどもりが治せる」と意気込んで大阪吃音教室に出かけた。
 しかし、期待は見事に裏切られた。最初に「どもりは治りません」と一撃を食らってしまった。大阪吃音教室では、「治すのではなく、どもりとうまく付き合っていこう」、「どもることで行動をためらうのではなくて、どもってでも自分のやりたいことをやっていこう」と教えられた。「どもりは治らない」と絶望的になりながらも、それまで会社では絶対に取らなかった電話に挑戦することにした。最初のうちは声が出なくて電話を切られたり、笑われたりしたが、そのような人ばかりではないことがわかってきた。
 そして、きちんと聞いてくれる人の方が多いことに気づいた。少しずつ自信が出てきて、その他のことにも逃げることなく挑戦していくようになった。それにしたがって、だんだんと話すことに慣れていった。その過程には、いろいろな困難ももちろんあったが、そこで逃げることなく頑張ったことがよかった。そして、大阪吃音教室でもできるだけ発言し、世話役を引き受けて活動していくうちに、以前の自分とはまるで変わった。以前のようにどもりは恥ずかしいものとはまったく思わなくなった。今では堂々と「自分はどもりだ」と宣言できる。これも大阪吃音教室と出会えたおかげである。大阪吃音教室と出会って本当によかった。


       いろんな選択肢に触れる、大阪吃音教室の魅力
                        斎藤良二(会社員)
 大阪吃音教室では、参加者が輪になって座る。毎回初参加の人がいて、自己紹介を兼ねながら、今困っていることについて話す。例えば、電話で最初の会社名が言えない、面接試験で緊張してうまく話せない。大学のゼミで発表するのに苦労しているなど、話されたことをもとにみんなで考える。自分がかつて経験したことのあることだと、あのとき自分はどう対処したのだろう、何を考えていたのだろう、と思う。いろんなことを学んできた今の自分なら、どう対処するだろう、と考える。いろいろと考えるけれど、なかなか良い対処法が思いつかない。そのとき、参加者の中から、それぞれの体験に基づいた話が聞ける。「なるほど、そうか、そんな考え方もあったんだ」、「あの人が、いつも言っていることはこういうことだったのか」など、いろんな気持ちがわいてくる。一方的に問題の解決法を教えてもらうのでなく、みんなで考えることによって、悩みを出した本人の考えが深まり、私たち参加者も人の話を聞くことで、自分の選択肢が増える。それを何度も繰り返している内に、自分でも驚くくらいの選択肢を思いつき、発言する。自分一人では思いもよらない考え方に触れることができる。大阪吃音教室の大きな魅力の一つだ。


    いい聞き手、よき仲間との出会い
                          東野晃之(団体職員)
 独りで吃音に悩んでいる時、いい聞き手、よき仲間に出会えるのは、うれしいことだ。
 大阪吃音教室に電話、面接など吃音の悩みを抱えた新しい人がやってくると、早速、みんなで話し合いが始まる。もっとその人を知り、悩みを理解したいと参加者からは、ぽつぽつと質問が出される。話を聞き、自分の体験談からアドバイスを送る人。今、同じような悩みを持っている人は、工夫し、対処している体験を話す。またある人は、ただ黙ってじっと話に耳を傾ける。それぞれに意見や反応は違うものの、大阪吃音教室の雰囲気は明るく、人に対して温かい。皆が一様に声を揃えてガンバレというわけでなく、また吃音が治らないからとただ癒しを求め合うわけでもない。大阪吃音教室では、「吃音はシンドイけれど、何とか上手く付き合って行こうよ」という、いい聞き手、よき仲間と出会うことができるのだ。


  私と大阪吃音教室との出会い
                          黒川祐二(会社員)
 あと半年で45歳になる4月上旬、私は吃音を治したくて、大阪吃音教室に来た。しかし、そこは、「吃音が治る、治せる」場ではなく、もう参加するのはやめようとすぐに思った。当時は、例会の終わりに、希望者が3分間スピーチをする時間があった。それを聞いているうちに、ここに来て、スピーチの練習をするのも悪くないと思い直した。そこで、次回の3分間スピーチで話したいと、私はすぐに希望した。
 家に帰り、どうスピーチするかを考えた。まず原稿を作ろう。絶対に原稿を読もう。原稿が無いと言い換えてしまうとの考えから、原稿を作り、何度も練習をして、次の大阪吃音教室に臨んだ。
 難発の私が、人生で初めてと思うぐらい連発でどもった。原稿を読んでいて、ここを言い換えたら楽なのにと何度も思った。その度に、今回は絶対に原稿どおりに読めと自分に言い聞かせた。3分をとうに過ぎただろうが、やっと最後まで読み終えた。司会の人が「感想は?」とみんなに聞くが、感想は出なかった。しばらくして伊藤さんが「黒川さんは声が大きい。声が大きいのがよかった」と感想を言ってくれた。それが唯一の感想だった。
 ところが、スピーチについての振り返りを書く時間があり、私には誰も書いてくれないだろうなあと思っていたのが、多くの人が感想を書いてくれ、私は20枚ほどの感想用紙をもらった。家に帰り、何度も何度も読み直した。初めて他人が私のスピーチを評価してくれた。肯定的な内容ばかりで、どもることを強く否定的に捉えていた私にとって、とても大切なものになった。13年前の事だが、この日のスピーチ体験をスタートに多くの経験をさせてもらった。私の大切な思い出である。


    大阪吃音教室のおかけで成長できた
                             来島秀夫(会社員)
 仕事の関係で、ここ2年近くは大阪吃音教室にはほとんど参加していない。しかし、この大阪吃音教室に参加しなかったら、今の自分がなかった。つまり、社会人として一人前に成長していなかったと思う。それは、吃音を理由にして甘えていたところがあった。何か言わなければいけないことを、どもるからと黙ってしまうことがあった。そのことが学生時代から許されていた自分は、社会人となって自信をなくしていった。間違っていてもいいんだ、自分の言いたいことを言えば。そのことを教えてくれた大阪吃音教室。吃音に甘えていた私を救ってくれたのが大阪吃音教室と確信している。
 それともう一つある。心の中で吃音という見えない障害のため、何かしかおびえていた。行動が消極的になり、失敗してはいけないという概念が強すぎて、自分の行動を小さくしていたようなところがあったと思う。頭の中ではいいアイデアがあっても失敗を恐れて、それを行動にできなかった自分がいた。大阪吃音教室に通うようになり、「失敗してもかまわない、人間だもの、神様ではないんだ」という信念ができたら、急に楽になり、仕事が積極的になってきた。
 このように、この大阪吃音教室により、成長していった自分。今は仕事が忙しくて参加できていないが、仕事が早く終わるようになれば、また参加したいと思っている。
 (2000年5月 つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/20

大阪吃音教室への思い

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません。全国各地で、毎日のように、過去最多を更新しています。ひとりひとりが今まで以上に気をつけることしか、有効な手立てがないというのが、もどかしいです。国や自治体による対策と、私たちひとりひとりにできることの両面で、対抗していきたいと思うのですが。
 そんな中、大阪吃音教室は、休講が続いています。今年度、開講できたのは、4月9日の「開講式 吃音と上手につき合うために」を含めて6回のみです。
 セルフヘルプグループにとって大切なミーティングの場がなくなって久しい今、大阪吃音教室という場の意味を考えています。
 そこで、2000年5月、大阪吃音教室の運営委員が、『大阪吃音教室と私』というテーマで、短い文章を書いているので、紹介します。近いうちに再開できるだろうと願いながら、当時のひとりひとりの気持ちを味わいたいです。

  
転勤で参加できるようになったことがうれしい  
                    松本進(小学校教員・ことばの教室担当 )
 今年は、大阪吃音教室にたくさん参加できるのでうれしい。というのも、(小学校を)転勤になったからです。前の学校では、六年間バスケット・チームの指導を夜やっていて、大阪吃音教室にはその間ほとんど行けませんでした。バスケット・チームの監督は楽しく、胸躍ることが多くて、私の生きがいのようになっていました。それがなくなるのは淋しいけれど、ポッカリ空いた夜の時間や休日を、今年は吃音と家族に向けようと思います。

  たかが吃音、されど吃音
                      山咲恵(中学校教員 )
 金曜日の大阪吃音教室に参加するようになってから、5年以上経過しました。
 ここに来るようになっての一番の成果は、吃音に対する認識の変化です。以前の私はとにかく、どもることが恥ずかしい、みっともないの一点張りでしたから。
 今も、どもる自分を完全に受け入れられた訳でもないし、できるだけどもらずに話そうというのは絶えず意識してます。でも、どもった後の気持ちが少しずつ変わってきたかなあと思います。前ほど落ち込まなくなったし、これが、私自身の姿なんだと。どんなにえらそうにしていても、受話器の前や、人前で話す時にはドキドキしているのが本当の私の姿なんです。母音や、自分の名前がすっと出てこず、そんな時には口がパクパク動いて、学校で子どもからは笑われてしまう。ちょっとカッコ悪いけど、そのカッコ悪さを受け入れられるようになってから、楽になったかなあと思います。
 大阪吃音教室の吃音講座の中では、交流分析、アサーション、論理療法など、自分を知り、よりよい人間関係をつくるための講座が、とても役立ちました。この5年間で、ありのままの自分を直視することができるようになったし、言いたいことも素直に表現できるようになり、随分と明るく前向きに、自然に生きられるようになりました。また、教師である私には、教育現場で子どもとかかわるときに役立つことが多かったのは、吃音がもたらした副産物のようなものだと感謝しています。

  行動を後押ししてくれた『講座たち』
                         佐々木祐二(会社員)      大阪吃音教室に参加しだした頃、わたしは吃音の知識や、対処方法以外の講座に批判的でした。というのも、『吃音は治るのか、治らないのか』、『治るのならどうすればよいのか』、『治らないのならどうすればよいのか』がわかれば十分で、それ以外のことには興味も湧かないし、こんなことを学んでも無意味だと思っていました。
 しかし、半年、一年大阪吃音教室に参加して今までくだらないと思っていた講座、たとえば『アサーション』、『論理療法』、『一分間スピーチ』、『どもる人のための聞くトレーニング』などすべて、『吃音を持ったまま生きる』私にとって、今では大変役に立っています。頭ではわかっているのに、行動できなかった私を後押ししてくれた大阪吃音教室の『講座たち』に感謝しています。

    鎧兜を脱がせてくれる空間
                          徳田和史(会社員)
 新聞の片隅に載っていた大阪吃音教室の案内を偶然見て、恐る恐る教室の扉を開いてから早や満11年になる。あの日から私は、金曜日の夜の行事は大阪吃音教室とした。一週間の最終行事であり、これを終えてホッと一息、大阪吃音教室の余韻を残しつつ家路に向かうとき週末への実感を得たものである。
 以来、大阪吃音教室で毎回、それまで私にとってタブーだった「どもり」「吃音」の言葉を自由に発し、そして浴びた。この積み重ねは私を変え、「どもり」「吃音」のアレルギーから私を解き放ってくれた。
 大阪吃音教室は、私の鎧兜を脱がせてくれる空間であり時間である。そしてその鎧兜も歳を経るごとに次第に軽くなっているように感じる。それは鎧兜が軽くなったのではなく、体力が培われたからではないかと思う。
 これからも金曜日の夜は大阪吃音教室で身軽になり、楽しい週末を迎えるようにしたい。
(2000年5月 つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/19

さわやかな自己表現のために、アサーションを学ぶ 3

 大阪吃音教室での学びは、頭での学問的な学びだけではなく、日常生活に生かせる実践的な学びであることを大事にしています。このアサーションも同じで、チェックリスト等を使っての話し合いの後、最近の出来事でアサーションを使ってみんなで考える時間を持ちました。担当者のこんな呼びかけから、後半が始まりました。
担当者:アサーション実践の例会は来週に予定されていますが、何か最近のことで、アサーションについて考えたい事例があれば出して下さい。
 若い夫婦の話題に、みんなが勝手なことを口々に言ううちに、話題提供者もそれなりに、納得できるやりとりになりました。このように、実際の話題をもとに話し合うところが、大阪吃音教室の面白さだと思います。

§ アサーションの具体例 「妻から吃音を責められて」
参加者(話題提供者) 最近妻が、育児で余裕がなくなって来ているのか、私がどもると、「早く言ってよ」とよく言ってくる。自分にとっては「どもりハラスメント」だ。どう対処すればいいのだろう。普段はあまりどもらないけれど、たまに、どもって、ことばとことばの間があいてしまうときに言われる。
 例えば家事について。家事は当番制でしているのですが、妻が分担をやっていないときがあるので、「○○をやっといて」と言いたいけど、すっとことばが出ない。そんなとき、妻から「何が言いたいの、早く言ってよ」と言われる。
参加者:育児は大変なんだから、当番制だったとしても、やれていないときは、「やっといて」と言う前に、自分でやった方がいいのでは。
参加者:文句を言われる時に、スムーズな口調ならとにかく、どもられるとイラッとするのだろうね。
参加者:ある種、ゲームになっているのかも。
参加者:「早く言ってよ」と言われて、どうしているの?
話題提起者:そう言われても言えないので、ちょっと間を置いてから言うようにしている。でも、妻の方が余裕がなくなって、待つことができなくなっている。以前はそんなことを言うことはなかったのに。
参加者:お互いに気を遣わずに、言いたいことを言えるようになってきたと考えると、ちゃんと夫婦になって来たのかも。それなら良いことだと思う。
参加者:奥さんの方が、ムカついたときに、それを言えるようになってきた、ということかな。
参加者:それで、あなたはとしてはどうしたい?
話題提供者:妻は僕の吃音を理解してくれていると思っていたのに、そう言ってくるので、全然分かってもらえてないと思っている。
参加者:妻の立場に立てば、吃音のことを理解できるときもあれば、分からないときもあるよね。だって、奥さんはどもらないのだから、当然だと思うよ。
話題提供者:僕も、そう言われると「早く言わなきゃ」と焦ってしまう。どもることは平気だけれど、どもろうとしてもどもれなくなる。家庭の中でどもれないのが嫌なんです。参加者:僕だったら、「今、俺はどもってるんだ」と言うね。「今どもってんねん、文句あるか」と。
参加者:それは、老人だから言えることで、結婚してまだ日が浅い、若い人は言えないよ。
参加者:うちでも時々口喧嘩することがある。ムッとするようなことがあったら、必ず、ちょっと冷静になってから、「あのとき、ああ言われて不愉快だった」と伝えるようにしている。「そのまま一日置いていたら、何でもないことなのに、何でわざわざ言うの?」と言われてしまうけれど、僕はその日のうちに、解決したい。
参加者:そんなとき、何とかユーモアで返せないかなあ。「早く言ってよ」と言われても言えないわけだから、何か代わりになることばがないかな。
参加者:まずやっぱり、育児で大変な思いをしていることに対する共感が大事なんじゃないかなあ。育児には、男には分からない大変さがあると思う。先ずそのことに共感し、理解し、少々のことを言われても耐えてやるぞ、くらいの気概がいる。
参加者:普段、平穏な場面ではどうなの?
話題提供者:そんなときはどもらない。感情が高ぶったり、怒っているときに、どもりやすくなる。
参加者:たぶん、あなたがどもっていると、その感情の高ぶりで「普通じゃない」ということが伝わってしまっている。あなたの吃音を攻撃しているのではなく当番制をたてに、あなたが怒っているということが分かり、当番だからしなければという思いもあるけれど、「怒らなくてもいいやん」というような思いで、カチンときているのでは。
参加者:あなたがどもるのは、私に対して怒っているときだと、彼女はキャッチしているのだろうね。怒って文句を言われたら、それは気分悪いと思うよ。きっと、そんなときの言い方は攻撃的になっているだろうし。妻としては、攻撃されたら、あなたの一番の弱点が吃音だと承知しているから、そこを反撃をしてくるのでは。
参加者:あなたに対しては、そこしか言うところがないから、言うのかもしれない。一種の甘えと受け止めてもいいんじゃないの。
参加者一同:そういうことだよ。なんだ、のろけ話だったのか。
           (まだまだ続くが、以下省略。)

§まとめ
担当者:ブレイディみかこさんの著作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年6月刊)に、息子さんの通う学校でしているシティズン シップ教育について触れた個所がある。シンパシー(sympathy)とエンパシー(empathy)の違いが書いてある。シンパシーが「気が合うこと」「同情」「共感」「分かること」なのに対して、エンパシーは「相手のことを理解する」こと。同じ「分かる」にしても違いがあり、エンパシーのほうが大事。例えば本の中のエピソードで、息子さんが他人の靴を履いてみる、というのがある。そうやって体験することで、相手に共感しなくても、文脈などを考慮して相手を理解することはできる。アサーションの「聴く」というのは、相手のことも、自分の感情や考えも聴くことになる。聴くことから、「じゃあ、どうやねん」というように対話が始まっていくのだと思う。この本を、アサーショントレーニングに繋がるものとして読んだ。ここにいる二人の若い夫婦も、夫婦の対話を進めていってもらいたい。

§初参加者感想:今日は参加して良かった。自分はどもるが、周囲にどもる知人がいない。この場に来てよかった。アサーションは初めて聞く話だったけれど、家庭を持っている方の実体験をもとにしたやりとりが聞けて、独身の自分にも参考になった。とても勉強になりました。(了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/17

さわやかな自己表現のために、アサーションを学ぶ 2

 アサーションの概要の説明の後、アサーションチェックリストを配布し、それぞれ記入しました。記入後にそれをもとに話し合いをしました。また、もうひとつ、日頃の自分の考え方のチェックをしました。無意識にしている人生の中の様々な選択ですが、改めてチェックしてみると、自分の行動や考え方が現れています。それに基づく話し合いは、具体的で、設問の仕方の善し悪しにもつながりました。

§ アサーションチェックリスト
   
次のチェックリストを記入して下さい。それぞれの状況で、自分はどちらかと言うと「はい」あるいは「いいえ」だと判断して、いずれかを○で囲んで下さい。
1. あなたは人をほめることができますか。
2. 自分の長所やなし遂げたことを人に言えますか。
3. 知らないことや、分からないことについて、説明を求めることができますか。
4. 自分が神経質になっていたり、緊張したりしているとき、それを認めることができますか。
5. 人と異なった意見や感じをもっているとき、それを表現しますか。
6. 会話をしている人のなかに加わることができますか。
7. 会話の場から立ち去ったり、別れを言ったりできますか。
8. 映画やパーティに一人で出かけることができますか。
9. 自分が間違っているとき、それを認めることができますか。
10. 人に助けを求めることができますか。
11. 贈り物を上手に受け取れますか。
12. 不当な要求を拒むことができますか。
13. 自分の行為が批判されたとき、受け答えができますか。
14. 長電話や長話のとき、こちらから切る提案ができますか。
15. 自分の話を中断して話し出した人に、そのことを言えますか。
16. パーティや招待を受けたり、断ったりできますか。
17. 押し売りを断ることができますか。
18. 注文通りのもの(料理や洋服など)が来なかったとき、そのことを言って交渉できますか。
19. 行きたくないデートを断ることができますか。
20. 援助や助言を求められ、断りたいとき、断ることができますか。

担当者 やってみての感想を聞かせて下さい。
参加者 設問13[自分の行為が批判されたとき、受け答えができますか]についてですが。対人支援の職場で、学生ボランティアから、私の支援の方針などを批判されることがあります。上司から批判されるのと、年下の学生ボランティアから批判されるのとでは、私の受け答えの感じが違ってしまったりします。上司から言われると「はい」と即答できるのに、年下からだとプライドが邪魔してしまう。言われる相手の年齢や立場などによって、受け答えできるときと、できないときがあるなあと思いました。
担当者 ジェンダーや年齢による差が出るということですね。
参加者 「批判されたとき、適切に受け答えができますか」だったら、回答が変わるかもしれませんね。この設問のままだと、攻撃的な受け答えでも「はい」の回答になる。受け答えができることはできても、それが適切かどうかが大事だと思います。
初参加者:初めてこのチェックリストをしました。設問の20問のうち19問が「はい」でした。自分では意識していなかった考え方ですが、自分がかなり主張できていると感じました。「いいえ」は、設問2[自分の長所やなし遂げたことを人に言えますか]でしたが、全問「はい」だった人はいますか?
  (二人が挙手)

§ 自分の日頃の考え方を検討する10問
担当者 次は、自分が日頃、どんな考え方をしているかをみる質問です。日頃の自分の考えとどの程度一致しているか、チェックをして下さい。正解があるわけではありません。自分の考え方に最も当てはまる数字を、○で囲んで下さい。
 
5:非常に合っている
4:かなり合っている
3:どちらとも言えない
2:あまり合っていない
1:まったく合っていない

1. 自分のすることは、ほとんどの人に認められなければならない。
2. 人は常に有能で、適性をもち、業績を上げていなければならない。
3. 人が失敗したり、愚かなことをしたりしたとき、頭にくるのは当然である。
4. 人を傷つけるのは、とても悪いことだ。
5. 危険や害がありそうなときには、深刻に心配するものだ。
6. もし人々が事実を把握するならば、ほとんどの問題には正しい答えがあるはずだ。
7. 人は実質的に自分の感情をコントロールすることはできない。だから、いやな感じをもつのはしかたがない。
8. 人生の困難や自分の責任には、直面するより回避したほうが簡単だ。
9. あることが一度人生に強く影響したら、それはずっと影響を与え続ける。
10. 幸せに到達するには、あまり積極的にならずに、来るものを楽しんでいることだ。

担当者 やってみての感想を聞かせて下さい。
参加者 僕は、設問4[人を傷つけるのは、とても悪いことだ]について、昔はその通りだと思っていました。今は「あまり合っていない」にチェックを入れています。人を傷つけることがあっても、仕方がないかなと思っている。とても悪いことだと意識しすぎると、人間関係の中で、発言できなくなってしまう。
参加者 私は、その設問には「どちらとも言えない」と答えています。傷つけたくないと思っても、結果として相手を傷つけてしまうこともあったと思うから。
参加者 自分が人から傷つけられることにとても敏感になっているときは、「とても悪いことだ」と思ってしまう。
参加者 自分の子どもを教育指導するとき、だれが見ても悪いような行為をしようとしていたら、子どもを傷つけてもしようがないような強い言葉で、叱ったり責めたりすることがありました。そういう育て方をしてきました。
参加者 子どもを傷つけなくても、善悪をちゃんと伝えることはできるのでは。
参加者 できるかもしれないけれど、つい、カッとして、そうなっていたと思います。中学高校くらいの男の子相手だとどうしても。見逃していては、親としての責任を果たせないと思ったんでしょうね。
参加者 親から叱られたことだけを覚えていて、教育的指導としての内容は伝わってこなかったということになるのではないでしょうか。
参加者 だから、そういう無駄なことはやめようという提案がありますね。
参加者 子どもがどもっているとき、「落ち着いてゆっくりしゃべれ」とか言うのは、子どもを傷つけているのだろうか?
参加者 当然傷つけていると思いますよ。実際、私たちはそのことばを何度言われても、どもってしまうのだから。何度も言われると、しゃべりたくなくなった人は多いのではないですか。
参加者 ひどくどもっているとき、黙って聞き続けるしかないのかなあ。
参加者 それしかしょうがないでしょ。
参加者 合いの手を入れたりするとかは。
参加者 子どものことは、どうして欲しいか本人に聞いてはどうですか。
参加者 それが一番ですよね。僕たちはそんなこと聞かれたことはないけれど、きっと、うれしいと思うと思うよ。
参加者 ひどくどもっている時、じっと黙ったままで、何も言われないのもつらい。
参加者 国語の時間の本読みで、どもる子どもに順番が来て、途中でことばが出なくなったとき、教師としてどうするのがいいのだろう。
参加者 その生徒がどもって声が出ないのだと、教師が分かることが第一で、その上で、どうして欲しいのか、待った方がいいのか、途中だけれど本読みを終わるのがいいのかなど、本人に聞くしかない。
参加者 昔、本読みですごくどもったとき、教室がザワついた。自分ではいつものことで仕方ないと思ったが、先生が「頑張って読んでいるのに駄目でしょ」と強くみんなを叱ったことがありました。そのときに「先生に申し訳ないことをした」と思ってしまった。その日がその先生の初めての授業の日だった。
参加者 その先生の対応は、大して深い意味はなかったのではないか。初対面で事情が分からなかったのでは。
参加者 僕が子どものころはとてもできなかったし、考えもしなかったけれど、子ども自身が、自分のことをちゃんと話していかないといけないのでは。
参加者 それこそアサーションの題材ですね。自分のことを伝え、説明する権利を行使するチャンスだよ。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/16

さわやかな自己表現のために、アサーションを学ぶ

 2021年7月2日の大阪吃音教室の講座は、「さわやかな自己表現のために、アサーションを学ぶ」でした。僕たちが、アサーションに関心をもち、講座として取り組み始めたのは、1991年、日本にアサーションを広めた、平木典子さんを講師に迎えてワークショップを行ったこと、また、このブログで何回か紹介していますが、1992年、サンフランシスコで開催されたどもる人の世界大会後に、パット・バルマーさんのワークショップを受けたこと、このあたりが最初だったと思います。それから、大阪吃音教室では、論理療法、交流分析と共に、大切にしている定番の講座です。
 この日、初めて参加した人がいました。途中からの参加でしたが、いつものように、自己紹介の時間をとりました。彼は、24歳男性。子どもの頃からどもっていたが、一番しんどい思いをしたのは、昨年の就活のときでした。特に面接が悲惨だったと言います。彼の夢は、芸大で特撮映像の勉強をして、映画関係の仕事に就きたかったのですが、面接でうまくいかず、しかたなく営業職に就きました。働き始めてから、電話で困り、会話の途中でどもり、悩んでいます。そして、それまで困っていなかった家庭でも、家族相手にどもるようになりました。それで吃音について調べて、この日初めて参加しました。
 インターネットで「吃音 交流」などで調べて、大阪吃音教室のYouTube動画にたどり着いたということでした。もともとそれほど重い吃音ではなかったし、どちらかというと明るい性格で、学生時代には接客のバイトもしていて、人と話すのは好きでした。今、仕事では、アポ取りの電話が一番つらいと言っていました。上司は吃音に理解のある人で、恵まれてはいると思いますが、電話は最低限できるようになれと言われています。将来は映画に関わりたい気持ちはあるし、YouTubeデビューも考えている人でした。

§ アサーションの概説
坂本:今日のテーマはアサーション。アサーションとは、正当な主張をすることです。最近では、高校、特に女子高で、デートDV対策やセクハラ対処、恋人関係の中でちゃんと自分の意見や気持ちを主張することなど、人権教育の一環としてアサーショントレーニングが行われている。最近は、職場にアサーショントレーニングを取り入れている企業もあります。このように、アサーションは、社会のルールの一つとしてとらえられている。
 さて、大阪吃音教室でなぜアサーショントレーニングをするのか。どもる人がよく言う悩みの一つに、「どもるから、思ったことが言えない、言えなかった」「思ったことの半分も言えない」があります。でも、本当に、どもるから言えなかったのでしょうか。どもらない人でも思ったことが言えない人は多い。また、どもって、パッと言えないことがあるからこそ、出したことばに自分の思いを乗せたいし、伝えたいと思います。それが、大阪吃音教室で、アサーショントレーニングをする意義なのです。正当な自己主張のしかたを学ぼうということなのです。

坂本:自己表現には3つの種類があります。
 “鷦臘ヅ、攻撃的、アサーティヴ です。
 この3つの特徴で、思いつくことを言って下さい。
(参加者からの発言)
“鷦臘ヅな自己表現
 消極的、内向的。服従的(本音が分かりにくい)、自虐的、引っ込み思案。他人はOK、自分は×。自己否定、卑屈。相手に認められたい。
攻撃的な自己表現
 攻撃的、無頓着、外向的。支配的、他罰的、出しゃばり。他人は×、自分はOK。他者否定、尊大。相手を見下す。
アサーティヴな自己表現
 積極的、(内省を含めた)外向的。自立的(歩み寄る)、協調的、適切な、率直な。他人もOK、自分もOK。自他尊重、正直。自他を大切に。

坂本:「きく」ということばがありますが、3つの漢字があり、3つの自己表現では、それぞれ漢字が違い、意味が異なります。
“鷦臘ヅな人は、他人の発言を音として「聞く」。
攻撃的な人は、相手から自分の聞きたいことを「訊く」。自分の思う「正解」を、生徒にしつこく問いただして言わせたりするときの聞き方。
アサーティヴな人は、相手の立場を考慮し、その場の文脈にも配慮して「聴く」。

 アサーションについて概要の説明の後、チェックリストを使って、自分のアサーションの度合いをチェックしました。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/15

あがり克服トレーニング

 8月12日のブログに投稿する文章を用意し、投稿したつもりになって、翌13日には、12日の文章のつづきを投稿したようです。本当は、今日、紹介する文の後に、具体的なトレーニングを紹介するつもりでした。順序が逆になってしまい、申し訳ありません。


 『人前で、本番で、あがらない心理学』の著者、木村駿さんを講師に迎えて、あがり克服トレーニングという特別講座を開催したことがあります。そのときの報告がありました。
認知行動トレーニングという名前が出てきますが、後に知る論理療法と同じです。
 2回に分けて紹介します。明日は、具体的なトレーニング方法を紹介します。

吃音ワークショップ
   特別講座「あがり克服トレーニング/講師:木村駿」


§はじめに
 私は心理療法家として主に吃音を扱っているわけではありませんが、実は吃音は20年位前に、神山五郎先生、内須川洸先生等と共同研究をしたことがあります。その時も難しかったのが、何故吃音になるのかよく分からないということです。先般、送られてきた資料に目を通し、事情は20年前とほとんど変わっていないのに驚いています。

§治るということ
 京都での第一回吃音問題研究国際大会の資料を読みますと、アメリカ言語病理学では、吃音のアプローチとして2つに大別できるとあります。
「吃音を治して、流暢に喋れるようにする」
「吃音はそのままで、どもりながら流暢に喋れるようにする」
 吃音を治して、流暢に喋るということですが、これは大変難しいことです。吃音でなくても流暢に話せない人はたくさんいるんですね。私も、実は流暢に喋れなかったんです。大学の教師と講釈師はこのようなところで喋って生活が成り立つわけですから、練習を重ねます。そしてやっと今のように喋れるようになったんです。どもる人が「吃音が治れば流暢に喋れるか」というのは、幻想に近いのではないでしょうか。
 ピアノを例にあげて話をしましょう。ピアノは誰でもたたけば音が出ます。猫だって上を歩かせれば音が出ます。ところが、うまく弾くことは大変なんです。「ピアノはたたけば音が出るんだ。とにかくたたいて音が出るんだ。とにかくたたいて音を出して流暢に弾けるようにしろ」と言って、いきなりべ一トーベンのソナタをひけと言っていることに等しいんです、どもる人に流暢にしゃべれっていうことは、それほど難しいことだと思います。

§ 2つのアプローチ
 どもる人が人前で話ができるように、吃音を治してほしいと訴えてきますが、この取り組みは2つに分ける必要があります。
(1)吃音へのとらわれやこだわりへのアプローチ
(2)ことばそのものへのアプローチ

 今日、私がお話するのは、(1)で、吃音へのとらわれやこだわりをどうすれば止めることができるかということです。つまり、吃音に悩む人の背景にある「ライフスタイル」を検討し、それがその人を生きづらくさせていると思えば、それを変えるんです。

§自己認知
 吃音にひどく悩む人の「自己認知」は、次のようです。
1.自分は見捨てられた存在である
2.自分の人生は吃音のためにうまくいかない
3.自分は駄目な人間だ
 このような考えが、吃音を更に悪化させたり、とらわれを強めたりするんです。人生がうまくいかない生活態度、少し気取って言えば「ライフスタイル」ですが、それを変える必要があるんです。
 変えるにはその自分の「自己認知」に気づくことがまず必要ですが、それが自分では気づいているつもりでも気づいていないんですね。ある意味で、前述のように考えている方が楽なんです。どういうことかと言うと、こう考えている限り、人生の課題を果たさなくてすむんです。それを口実に怠けることもできるんです。

§認知行動トレーニング
 どもる人も、自分一人で喋るときは喋れるんですね。ところが、一つの枠が決められると抵抗が起こります。
 例えば、面接試験などではとたんに喋れなくなってしまいます。これを普通「あがり」と言い、いざというとき喋れなくなって吃音が出てしまう。普段は喋る能力があるのに課題によって枠が決められると喋れないということですから、「言語治療」というより、ライフスタイルを変える方が有効なんです。「否定的な自己認知」「否定的な自己概念」を肯定的なものに変えていくんです。
 吃音の大きな問題として予期不安があります。人前で話すことになっていて、その時間が近づくにつれて心臓がどきどきする。うまく話せないに違いないと不安を持ち、予期すると、その通りになって緊張し、どもり、うまく喋れない。また同じような状況がくると不安が起こり、緊張し、うまく喋れない。このような失敗や挫折をくり返すと固定したライフスタイルが形成される。そうなると自分の将来に対してマイナス思考を持ってしまうのです。そうなると結論の飛躍、「一気に吃音を治したい」や拡大解釈「1つの挫折で自分は何をやっても駄目なんだと考える」や過小評価「自分はとるに足らない存在だ」をするようになります。次のようにまとめられます。

1 物事を白か黒かで考え、少しでもミスがあると完全な失敗と考えてしまう。
2 よい出来事を無視してしまい、日々の生活全てをマイナスの評価をしてしまう
3 聞き手は、どもったか、どもらなかったかを気にしていないのに、常に人の目を気にし、人が自分に悪く反応したと早合点する。心の読みすぎが起こる。
4 自分の失敗を過大に考え、自分の長所を過小評価する。
5 他人の成功を過大に評価し、他人にも短所や欠点があることを考えず、自己卑下する。

 これらの「否定的な自己概念」にまず気づき、それを変えていくのが認知行動トレーニングなのです。(つづく  1991.10.31)

木村駿
 1930年生まれ。2002年没。臨床心理学を専攻。群馬大学教育学部名誉教授。
 『暗示と催眠の世界 現代人の臨床社会心理学』 講談社現代新書
 『日本人の対人恐怖』勁草書房
 『人前で・本番であがらない心理学 好きな人・初対面の人・大勢の前・ちょっと改まった場で』日本実業出版社
 『シャイネス』訳 フィリップ・G.ジンバルドー 勁草書房
 『人間関係がよくなる8つの方法』ごま書房 他著書多数

 
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/12

あがり克服トレーニング

どもらないようにするための訓練やトレーニングではなく、過剰になっている緊張を解く方法を知っていることは悪いことではありません。人前に立つと、頭が真っ白になって、準備していたことが全部消えてしまうということを言う人がいます。緊張が悪いわけではありません。適度な緊張はよりよい結果をもたらすでしょう。緊張とうまくつき合うことができれば、生きやすくなると思います。木村駿さんのトレーニングを紹介します。

吃音ワークショップ
   特別講座「あがり克服トレーニング/講師:木村駿」

§過剰緊張
 人間は立って歩いたためにいろんな所に慢性過剰緊張があります。どもる人についてみれば、首まわり、肩まわりに緊張が非常に強い人がいます。緊張が過剰であるために、言語行動や動作行動が妨げられます。日本のスポーツ界では「やればできる」式の精神主義が根強くあり、練習では強くてもいざという時緊張し、勝てないんですね。私たちが行っているのは、緊張をなくすことではなくて、過剰緊張をコントロールすることなんです。コントロールされた緊張は必要なんです。力と力が対等なときは「リラックス」し、過剰緊張をコントロールできる人が勝つんです。では、私たちのトレーニング法を紹介しましょう。

§トレーニングの実際
 トレーニングには次のステップで組み立てられています。

準備ステップ  自己認知トレーニング
 自分自身にどのようなイメージを持っているか、現在の心の状態を知る
第1ステップ  リラクゼーショントレーニング
 リラックスする有効で簡単な方法を身につける。首まわり、肩まわり、背中の慢性過剰緊張をとる
第2ステップ  自己催眠トレーニング
 意識のレベルを自分でコントロールするため、自己催眠を習得する
第3ステップ  イメージトレーニング
 準備ステップで確認した自分のイメージと緊張しやすい状況を自己催眠状態と思い浮かべ、またマイナスのイメージをゼロ、またはプラスに変えていく
第4ステップ  人間関係トレーニング
 日常生活のあがりやすい場面に、やさしい状況から徐々に慣れていく

 具体的にトレーニングの全てをお話できる余裕がありませんので、第1ステップのリラクゼーションについて少し詳しく説明しましょう。自分をリラックスさせる方法を身につけるだけで、一味違うあなたが見えてくるに違いありません。

§リラクゼーション
1 基本姿勢
 リラックスするには、一定の姿勢をとることが必要です。椅子の背もたれから身体をはなし、足を少し開き、手はももの上に軽く置く。そして、背すじと首すじを伸ばし、肩から力を抜く。あごはひいた方がよい
2 首を後ろに曲げる
 首をゆっくり後ろにそらす。くびと肩の後ろが少し痛いが、曲げると気持ちがよい。痛くて両肩に力が入ったら、息を吐くとき、スッと肩から力を抜くようにする。すると、やや痛いのがスーッと消えるのが分かる。これがリラックスした感じ。それを感じたら頭を元に戻す。これを3回ほど。
3 首の横曲げ
 首を水平に左いっぱいにゆっくりと回し、止まったところでしばらく待つ。回した首すじから肩にかけ、痛い感じがしたら先ほどと同じように肩から力を抜く。最初は少し痛いが、こうするとじわっと痛みがとれる。それをよく味わいながらまたゆっくり首を前にもどす。これを3回。次に反対側に3回。
4 首の前曲げ
 あごが胸にくっついたとろで止める。首すじがすっとのびた感じを昧わう。首すじの根元が痛いときは思わず両肩に力が入る。そうしたら、肩の力を抜こう。首を前に曲げるとき、息を吸ってゆっくりと吐きながら胸につけるようにする。次に、手はももに置いたまま、ぐっと両肩をそらし、背中をぐっとしめて、しばらく待ってからもとへもどして緩める。これも3回。

 緊張しやすい、あがりやすい人はこのリラクゼーションを身につけるだけで、かなり緊張からくるあがりが減ってくるのに気づくはずである。(了 1991.10.31)

木村駿
 1930年生まれ。2002年没。臨床心理学を専攻。群馬大学教育学部名誉教授。
 『暗示と催眠の世界 現代人の臨床社会心理学』 講談社現代新書
 『日本人の対人恐怖』勁草書房
 『人前で・本番であがらない心理学 好きな人・初対面の人・大勢の前・ちょっと改まった場で』日本実業出版社
 『シャイネス』訳 フィリップ・G.ジンバルドー 勁草書房
 『人間関係がよくなる8つの方法』ごま書房 他著書多数


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/13

吃音がテーマの絵本『ぼくは川のように話す』

『ぼくは川のように話す』(偕成社)

 ぼくは川のように話す 表紙今日は素晴らしい絵本を紹介します。僕たちはずっと前から、どもる子どもをテーマにした絵本を作りたいと考えてきました。しかし、学童期の子どもたちへのアプローチについて考えたり、提案に集中してきたために、絵本にまで手が回りませんでした。
 吃音をテーマにした絵本は多くはないけれど、少しはあるようですが、今回の絵本は僕たちが絵本にしたかったテーマをそのままに描いてくれています。
 ことばの教室の僕たちの仲間が知らせてくれた絵本で、手に取ったときに表紙の絵の素晴らしさに目をみはりました。後で読むことになる文章や、作者のあとがきよりも前に、絵の素晴らしさに惹かれたのです。そして、詩人の文章と、絵がとてもマッチしていることがわかり、詩と絵が、吃音のテーマとともに、胸に迫ってきました。
 この素晴らしさが、作者のあとがき「ぼくの話し方」によってさらに高まります。
 まず、偕成社のホームページから絵本の紹介をし、次いで朝日新聞の紹介記事、そして絵本のあとがきを少し紹介します。 

 
《偕成社のホームページ》
 「朝、目をさますといつも、ぼくのまわりはことばの音だらけ。そして、ぼくには、うまくいえない音がある」
 苦手な音をどもってしまうぼくは、クラスの朝の発表でもまったくしゃべることができなかった。放課後にむかえにきたお父さんは、そんなぼくを静かな川べりにつれていって、ある忘れられない言葉をかけてくれた。
 吃音をもつカナダの詩人、ジョーダン・スコットの実体験をもとにした絵本。
 デビュー以来、作品を発表するごとに数々の賞を受賞して注目を集めるシドニー・スミスが、少年の繊細な心の動きと、父親の言葉とともに彼を救ってくれた美しい川の光景を瑞々しいタッチで描いている。

 《朝日新聞の紹介記事》
 『ぼくは川のように話す』(偕成社)
 松の木の「ま」、カラスの「カ」……つかえてうまくいえない音がある。吃音(きつおん)に悩む少年が、川岸で父から言われた一言に救われ、視界が開ける。「おまえは、川のように話してるんだ」。波打ち、岩に砕けながら、海へ向かって流れる水の豊かなイメージ。少年の心の揺れを内側から見せる斬新な絵と、詩人の実体験が生んだ切実な言葉がひとつになった絵本だ。なめらかに前へ進めない人の気持ちに寄り添い力づける=小学校低学年から(J・スコット文、S・スミス絵、原田勝訳、1760円)

 《あとがき〜ぼくの話し方〜》  
 (前略)どもることは不自然だと思われ、よくからかわれます。(中略)
 ゆがんだ口から、なにかが破裂したようなみょうな音が出るので、なめらかな、ふつうの話し方が爆発してしまったように聞こえます。どもるということは流れるように話せないことであり、言語療法士さんからは、「きみのめざす目標は、流れるように話すことだ」と、よく言われました。
 でも、ぼくは川へ行き、「流れるように話す」ことについて、ちがう考え方をするようになりました。川には河口があり、合流点があり、流れがあります。川というのは、永遠に、自分より大きなもの、広い場所をめざして、気負わず、たゆまず流れていきます。ところが、川は流れていく途中でどもることがあり、それはぼくも同じなのです。(後略)


 「川のように話す」というタイトルだけでは、作者が実際に指導を受けていた言語療法士のことばである「君の目指す目標は、流れるように話すことだ」と直感してしまうかもしれません。しかし、作者は言語療法士とは違う考え方をするようになったと書いています。
 父親がある日、岸を洗う川の水を見ながら言った「ほら、あの水の流れを見てみろ。おまえの話し方にそっくりじゃないか」という自然の中の動きにたとえたことばを、このように受け止めた作者の子どものころの感性に拍手です。どもる子どもにかかわる専門家が、「なめらかに、流れるように話す」ことを目指すことは少なくありません。しかし、どもる子ども本人も、どもる成人も、それを目指しても実現は難しいことを「からだ」を通して知っています。周りからは不自然な話し方であっても、本人は「この話し方でいいのだ」と考えなければ、自分を生きることはできないのです。
 「ぼくの話し方」と題したあとがき全文を紹介できないのは残念ですが、絵本を是非読んで下さい。これまで「吃音を治す・改善する」ことが、子どもの幸せにつながるのだと信じていた人にとって、吃音に対するとらえ方が変わるかもしれません。この絵本の詩と絵にはそのような力があると、僕は信じています。

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/11 

どもりを好きになる

 緊急事態宣言が出ていて、大阪吃音教室の休講が続いています。この3連休の7・8日は、本当は吃音講習会でした。感染拡大はまだピークアウトしない中、オリンピックが終わりました。医療はますます逼迫しています。オリンピックの招致活動から開催まで、ウソが多かった五輪、その五輪が残したものをしっかりと記憶し、考えなければいけないと思っています。
 緊急事態宣言が8月末で解除となれば、大阪吃音教室も再開です。その大阪吃音教室の講座は、吃音とうまくつき合うための吃音講座と呼んでいます。吃音と上手につき合うために、僕は、まず「どもりを好きになる」ことから始めませんかと呼びかけていました。1992年に書いた文章をみつけたので、紹介します。

 
大阪吃音教室 吃音とうまくつき合う吃音講座開講にあたって
       〜どもりを好きになる〜

§ どもりは古くから
 “どもり”は本当に不思議な生き物です。洋の東西を問わず、古くから、これはと思う人間に住みついてきました。それもすべての人間という訳ではなく、人口の1%程度の人間に、それも女性の4〜7倍の男性に。
 歴史上有名な人物としては、旧約聖書中の人物で、イスラエルの宗教的、民族的英雄、モーゼ。古代ギリシア時代最大のというよりも歴史上最大の雄弁家といわれる、反マケドニアの論陣をはり、その主張に殉じたデモステネス。近代的進化論を創始したチャールズ・ダーウィン。最近の人を挙げればきりがないほどです。

§ 不思議な生き物
 “どもり”は不思議な生き物です。体内に入った“どもり”を何とか取り除こう、引っ張り出して捨ててしまおうと思えば思うほど、首の回りや胸の回りにくらいついて決して離れようとしません。離れないどころか、大暴れし、だんだんと大きくふくれ上がっていくのです。
 自分の体内に入り込んだ“どもり”を、これまで多くの人間が、外へ取り出すか、小さく封じ込めてしまおうとしました。舌の先にとりついていると考えた人もいました。1世紀以上も前ですが、プロシアの外科医は、舌を短く切ってしまう手術をしました。また、小さく封じ込めてしまうために、体を鍛え、体力をつけ、特に腹の回りと口の回りの筋肉を鍛えることに力を注ぎました。“どもり”との闘いに勝利したと宣言する人も出ました。古代ギリシア時代の英雄、デモステネスはその代表者だといえましょう。

§ デモステネス・コンプレックス
 彼は口の中に小石を含み、打ち寄せる荒波に向かって、その波の音に負けないよう声を出して鍛えたといいます。そして、“どもり”を体内に封じ込め、暴れないようにして、雄弁家となり、国を救う英雄になったといいます。
 小石の話は伝説かもしれませんが、病弱な体と“どもり”を並外れた努力で克服したことは確かなようです。しかし、流暢に話すだけに努力したのではありません。文学や法律を学び、原稿を用意しました。即興で聴衆を魅了するたタイプではなかったようです。同時代の人々や先輩の弁舌家の優れた所を学び、自らに取り入れました。また、人格的にも知的にも優れた資質を持っていたようです。
 「言語明瞭意味不明」な日本の政治家とは対極にあったと言えましょう。偽物もあるようですが、その弁論は61編残っています。このデモテネスに多くの吃音者があこがれたのは言うまでもありません。そして、「どもりさえなければ人に負けない」「どもりさえなければ幸せになれるのに」と思い、そうならない現実に悩みを深めました。アメリカの言語病理学者バーバラは、この吃音者のコンプレックスをデモステネス・コンプレックスと名付けました。

§ 闘う人、仲良くする人
 デモステネスのように、勇敢にも“どもり”と闘う人もいましたが、一方で、どもりと闘わず、仲良くしようとした人もいたようです。これは勇ましいとは人から思われず、また仲良くしていることをおおげさに宣言する人もいませんので、“どもり”と闘い勝利した人より、その存在は広く知られる事はありませんでした。しかし、闘いよりも和解し、仲良くなった人がいたことは事実ですし、むしろこのような人の方が多いのかもしれません。
 “どもり”がこの世に生を受け、人間の体内に入り込んだ歴史はとても長いのですが、まだ、なぜ“どもり”が人間だけに入り込んでくるのか、明らかにはなっていません。どのように対処すればいいのか、明確な見本のようなものはありません。ある人間にとってうまくいった方法が、他の人にも役に立つという保証はないのです。一生懸命体を鍛え、“どもり”の封じ込めに成功した人もいますが、闘いに疲れ、敗れてしまう人も少なくありません。

§ 最初どもる人たちは
 私たちは、まず初め、どもりとの闘いに勇気を奮い起こしました。いい武器があれば、求め、また自ら作りもし、闘いました。一人で闘うには恐いので、集団戦に臨みました。しかし、これまで多くの人々がそうであったように、結局は闘いに勝利したとは言えませんでした。そこで、闘ってきた相手をもう一度体で感じ、見つめてみました。時には恐ろしい形相をしていますが、かわいい時もあります。肝心の時に限って暴れていたのが、手加減を加えてくれるのか、おとなしくしてくれる時もあります。そのようなときは恐ろしくも嫌でもなくなります。ひょっとするとかわいい奴かもしれない、うまくつき合えば、怖くも恐ろしくも、まして叩きつぶしてしまうほどのものではないかもしれない。また、叩きつぶそうとすると、人間の体そのものまでもつぶしてしまうことになるのかもしれない。セルフヘルプグループに集まった多くの人々はもう一度“どもり”について考え直し始めました。
 そして、10年、20年と“どもり”をみつめる中で、うまくつき合えば、体内に残しておいても人間そのものに害を与えないということに気づき始めました。そうか、これまで
“どもり”を叩きつぶして体の外に追いやろうとばかり考えていたけれど、うまくつき合いさえすれば一生の友達となることもできるのか、そう考える人間も現れ始めました。
 “どもり”とまなじりを決して闘うのも、一つの対処かもしれません。しかし、“どもり”と仲良くなってしまうのも一つの方法です。
これまでは、どもりと闘うことをすすめた人が圧倒的に多く、いろいろな武器も紹介してくれました。ちょうど武器がその人に合ったとき、“どもり”との闘いに勝つ人もいました。だからと言って、その武器、その闘い方が他の人にも同じように効くとは限りませんでした。
 私たちの先輩、チャールズ・ヴァン・ライパー博士は、「どもりの問題を、私は、長年研究してきました。自分のどもりはもちろんのこと、何千人もの吃音者を診てきました。報道機関を通してさまざまなどもりの治療方法が公表されるたびに、そのうちのひとつくらいは本物があるだろうと期待して、その検討もしてきました。しかし、それらはいつも子どもだましであったり、フォローアップでのチェックが不正確であったりしたのです。このような情勢の中から、私たち吃音者は、おそらく一生どもってすごさなくてはならないだろうという事実を認める必要が生じてきました。ぜんそくや心臓病を患っている人がその治療が難しいという事実を受け入れているのと同様に、私たちもその事実を受け入れようではありませんか。そして、私たちがその事実を受け入れると同時に、どもりを忌むべき不幸なものとしてではなく、ひとつの考えねばならない問題として理解し受け入れてくれる人を増やすために、吃音者自身が社会啓蒙することが必要なのです」と言っています。
 しかし、まだまだ多くの人は闘いを諦めてはいませんし、ひょっとして新しい武器、闘い方が開発されるかもしれません。しかし、それが多くのどもる人の手にゆきわたるには、10年、20年とかかるでしょう。その間、好むと好まざるに関わらず、“どもり”は人間の体内にあり続けるのです。そうだとすれば、“どもり”が大暴れしないようにからだ全体をむしばまないように、協定を結ぶことも一つの方法として考えられます。
 「どもりとうまくつき合う」これまでとは違うどもりとのスタンスは、負け犬のようにもとられるかもしれません。しかし、これまでの闘い方、武器であまり効果がなかったのですから、ここはひとつ試みてみることも一つの選択です。
 前口上が長くなりました。大勢のどもる人たちが体験してきたことを中心に、「吃音とつき合う」とはどういうことか、どうすればよいか、考えてみます。
 大変難しいことかもしれませんが、“どもり”を好きになることはどうでしょう。そうなれば、敵だと思ってきた“どもり”は友だちです。いかに“どもり”でも、好いてくれる相手を痛めつけはしないでしょう。闘い、挑むよりは楽かもしれません。ご緒にいかがでしょうか。(1992.2.27)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/9
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