伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年02月

能力主義的発達観に警鐘 村井潤一

 村井潤一先生と僕との対話を、4回にわたって紹介してきました。僕が大阪教育大学の教員だったときに、本当にお世話になった先生でした。
 気さくで親しみやすく、どんなことを話しても何か自分の考えを話して下さる、安心感がある人でした。「伊藤君、伊藤君」と呼んで下さった声がまだ聞こえるようです。
 村井先生について、同じ頃、大阪教育大学におられた清水美智子先生の、村井先生を悼むと題した文章をみつけました。清水先生も、聴覚・言語障害児教育が専門で、僕は大変お世話になった方でした。清水先生の文章には、村井先生のお人柄がよく出ていて、村井先生の業績・功績が紹介されています。
 この追悼文を紹介して、村井先生との思い出は、一旦終了です。


      
心理学評論 1997, Vo1.40, No.1, 161

追悼記 村井潤一先生を悼む
                       清水美智子(大阪教育大学)

心理学評論の表紙 2年前に京大を定年退官後、甲南女子大学で引き続き教鞭を取っておられた村井潤一先生は、去る平成9年2月26日早朝永眠なさいました。
 数年来病を得ておられたとはいえ、3週間前には大阪教育大学で集中講義をして下さり歓談したばかりでしたので、信じ難いことでした。
 村井先生は学生時代から一貫して発達研究を志し、初期には言語発達を乳児期からの音声の記号化および体制化の過程としてとらえる視座で基礎的な研究を行って学位論文を著されました。これは心理学界で近年流行している言語発達研究・乳児研究の先駆けをなす業績です。
 その後重症心身障害者施設びわこ学園勤務を経て、大阪教育大学に赴任され、障害児教育の研究と教育、とりわけ聴覚障害児及び言語障害児の教育に関わる教員養成課程の中核にあって、一時代を築かれました。一般に、日本の障害児教育教員養成課程の教官スタッフは特殊教育専攻の人々が圧倒的に多い中で、村井先生のような発達心理学者が赴任されたことの意義は実に大きく、新しい時代が拓かれたように思います。
 村井先生のその後の教育者として研究者としての優れたご功績を思いますと、心理学科ではなく障害児教育学科に赴任されたことは、天の絶妙の配慮であったと思えるのです。 そのように思う理由は、一に、障害児の心理と教育の研究に人間発達の視点を取り入れていかれたこと、二に、心理学における発達研究・発達心理学は健常児だけでなく障害児を含めて統一的に理解できる視点を持たねばならないという立場でとりくまれたこと、即ち、障害児者を健常児者と切り離して考えない、障害別に切り離して考えない、人間としての共通の地平において理解するという視点、またどんなに重症であっても人間である以上は発達的存在であり、発達研究の対象たり得るという立場を明確にして、実践的には発達研究と障害児教育とを統合するような先駆的な業績を残されました。今日では当り前のことと思われていますが、今から30年も前のことです。
 現代は発達研究が隆盛を極めていますが、自分はどのような発達観をもっているのか、どのような人間観をもっているのかを吟味しないで、曖昧にしたまま無自覚に発達研究が行われがちであるように思います。その場合は結局、何かができるようになることが即ち発達だとみなす類の、能力主義的発達観に陥っていることに気付かないわけですが、村井先生はその危険性を早くに見抜いて、発達研究には価値的視点が不可欠であるとして思索を深められました。いいかえれば村井先生の発達論には哲学があり、だからこそ、一般教育論としても乳幼児保育論としても、また様々な障害児教育論・福祉論としても展開可能で魅力的でした。
 庶民的でざっくばらんなお人柄に包み込まれた村井先生の発達観や障害児観教育観に学びつつ、教育や福祉の分野で幅広く活躍している人達は少なくありませんが、先生を囲んで大いに語り、飲んで食べてちょっと真面目に考えることもあって、何かしらリフレッシュして新たな活力が得られるといった愉しい集まりも、今は想い出になりました。
 私見では、これからの超高齢社会で、生涯発達研究を推進していく上で、村井先生の発達論は有効な鍵になるように思えるのです。発達心理学を志す若い研究者によって村井先生の発達論が吟味検討されることを願いつつ、謹んで先生のご冥福をお祈り申し上げます。
        Japanese Psychological Review 1997, Vo1.40, No.1, 161


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/16

まず、気ごころの知れた友達を一人作ろう。一方で友達がいなくても問題ないと考える−発達心理学者・村井潤一先生と伊藤伸二の対話

 僕は、吃音に悩んでいるときは、まず、悩みの元の吃音を治してから〜しようと考えていました。友達も、恋人を作るのも、吃音を治してからです。だから、21歳の夏まで孤独で生きてきました。ところが、東京正生学院という民間吃音矯正所で、すぐに恋人も親友もできました。不思議な感覚でした。村井先生は、どもりながら、ときに嫌な思いも失敗もしながら気心の知れた友達を作ってみてはどうかと提案しています。
 「どもりが治ってから〜しよう」は、吃音に悩んでいる人の考え方のクセのようです。 21歳の時の初恋の人との出会いについてはよく書いていますし、話してもいます。どもりまくって話す僕のことを、彼女は受け入れてくれました。僕がもっていた考え方はすべて思い込みでした。行動して、愛されて初めて分かったことでした。自分が体験したことからしか、人は学べないようです。村井先生との対話は今回で最終回です。
 村井先生は、今の僕の年齢よりかなり前に亡くなっています。まだまだ、いろいろと話したかったなあとの思いは残ります。

吃音とコミュニケーション(4)
   大阪教育大学教授 聴覚言語障害児教育教室  村井潤一
                            聞き手  伊藤伸二

伊藤 さきほど、どもらない人がどもる人と話をする時、吃音だからといってバカにするとか軽蔑すると決めつけないで、いろいろな人がいるんだと考えることが大切だ。そしてどもる人がどもらない人を理解し、どもらない人がどもる人を理解すること、お互いにわかり合っていくことが豊かなコミュニケーションを作るんだとのお話でしたが、やはりそのようなことができるには、普段からいろいろな人と無駄だと思うことでも、話していくことが大切なんですね。

村井 そうですね。いろいろな人と話していくことが大切でしょうね。とくに本当に気ごころの知れた友達を作ることが大切でしょうね。どもる人であろうとなかろうと話が非常によく通じる友達を作ることでしょうね。

伊藤 同じようにどもる人同士でも、話の通じない人だとイライラしますけれど、仲のいい友達ならスゥーと通じますものね。

村井 まず、気ごころの通じる友達ができれば、その友人の輪を広げていくことが非常にいいと思います。ただそういった友達を作りにくい人にとっては、どもる人のグループの中でそういった友達を作るというステップがあると思うんです。どもる人のグループの中に入ることによって、少しずつ気楽に話せるようになり、さらに誰とでも話ができるようになると、どもるとかどもらないとかの別なく通じ合える友人を作っていくのが望ましいと思います。どもる人のグループでは、友達の作り方とか楽しい会話のしかたなどを考えて行っているんですか。

伊藤 みんなの親交を深めるために、ハイキングや、スポーツや合宿や飲み会などをしています。グループ内では仲よくやっているんですが、会外での友人関係がどうなっているかわからないです。とくに異性の友人を持っている人は少ないような気がします。楽しい会話が上手になるために、会として何か考えて行っているかということですが、あまりしていないです。古くからある吃音矯正法や人前でスピーチする練習はしていますが。

村井 吃音矯正法がどんなものか詳しく知らないですけれど、もう少し個人のパーソナリティーを十分考慮した考え方をしていかなけれはならないんじゃないでしょうか。異性の友達が少ないのではないかと言っておられましたが、どうなんですか。

伊藤 私の場合、21歳の夏まで女性と話したことが全くなかったです。学校で必要な用事で話をしても、吃音を知られたくないので、ぎこちなく形式ばった話しかできなかったです。気楽になにげなく話すなんと、とんでもないことでした。だから、異性の友だちがいる人がとてもうらやましかった。

村井 伊藤さんたちの会では異性の友達が作れるように何か配慮をしているんですか。

伊藤 配慮しなくてはならないんでしょうけれど、まったくやれていないんです。もともと吃音の女性は男性より少ないので、私たちの会でも女性はやはり少ないです。少ないので、女性が会に定着しないんです。
 ある会の話ですが、かわいい女性が入会してくると集中砲火が始まったんです。普通の人ならかなり個人的に付き合ってから結婚を申し込むんですが、相手の都合もおかまいなしにプロポーズするんです。それでその女性はやめてしまい、また男性ばかりのグループになってしまったと話していました。どこの会でもそうなんですが、お互いに恋人がいないとつまらないと言いながら、「まず、どもりを治して恋人を作ろう」と、吃音にとらわれていることが、もてないことに通ずることがあると思います。

村井 女性のサークルの情報などを知らせてあげたらどうですか。同じくらいの人数の女性ばかりのサークルとサークル交流するというのは難しいでしょうし、また、どもる人は気の毒だから遊んであげようといった感じになったら具合が悪いでしょうしね。女性の友達を作るということでは、女性の多いサークルを知らせてあげるということ位ですかね。例えば、何日ではどこでなんという会があるとか、どこそこの会では男性会員が少なくて募集しているとか。やはり女性がいないと気勢があがらないですか。

伊藤 あがりませんね。女性の多い時の例会と女性の少ない時の例会では活気が全然違います。また、女性の多いサークルとの交流したことはあるんですが、今まで気楽に女性と話していないので、チャンスがきても、つかまえることができないんです。
 女性と話すコツとか、女性に好かれるテクニックなりの練習があるようでないですね。僕なんかは大学生の時、女子大学の文化祭や、ダンスパーティーによく行きました。また、僕たちが主催してダンスパーティーをしたこともあります。僕は社交ダンスを習っていて、少しは踊れたから、女性を誘うことができましたが。
 ことばの教室なんかでも、言語面のことをやるよりは、もっと普通学級で友達をどう作るか、遊びが上手になるにはどうしたらいいかといったことを小学生の頃からやっていけばいいと思いますね。

村井 それは小さい頃から行うことが大切ですね。一般の人から見ると一度でもどもる人とつき合ったことのある人の場合と、今まで一度もつき合ったことのない人の場合とでは吃音に対する意識がずいぶん違いますよ。一般につき合ったことのない人の方に偏見が多いですし、つき合ったことのない人は、たとえ偏見をもたなくてもぎこちなくなる。すると、どもる人も困りますね。

伊藤 案外、小さい頃からどもる人と一度も会ったことのないという人が多いんです。実際は会っているはずなんですが。それはどもる人が自分の吃音をひた隠しに隠していて知られないようにしていたからではないかと思います。だから、どもる人は、子どもの頃から吃音を出していく、どもって話していくことが大切ではないかと思います。

村井 そうやっていった方が治る場合も多いのではないですか。どもりを知られたくないということで話してきたといわれましたが、やはり小さい頃から友達とのつき合いは少なかったんですか。

伊藤 私の場合、友だちとさりげなくつき合うことがなく、常にどもりを意識して話していたから、本当に親しい友達といえる人はいなかったですね。

村井 何かその辺が突破口になるような気がするんですね。さきほどの話から、友達が少ないとか、みんなと楽しくできないと言われましたが、確かにその事実があると思います。そして一般の人がもっとどもる人を受容すべきだと思います。しかし見方を変えれば、友達がなくてもかまわないわけですよ。いい加減な友達であれば、あってもいいけれど、なくてもいいわけですよ。それがなかなかそう思いにくいんでしょうけれどね。

伊藤 そうですね。友達がないことを問題だと思うところが問題なんですね。大学一年生の時、広いキャンパスの庭に一人ぽつんと坐って平気でいる人がいたんです。その人を見て非常にうらやましく思ったことがあります。「あいつは周囲が楽しくやっているのによく平気で本など読んでいられるなあ、オレだったらたまらない」と思いました。
 誰かと常に一諸にいたいんですね。あいつはどもりだから一人ぼっちなんだと思われるのではないかと考えました。しかし孤独でもちっとも問題ではないんですね。

村井 そうしていくとかえって友達ができることもあります。どもる人は友達が少ないというのは事実だとしても、一方では友達が作れるような場を誰かが提供していけばいいんですけれどね。その一方で、別に友達がたくさんいなくてもいいわけだし、どもらない人でも友達のいない人もいます。そして真の友人であればどもりなんか気にしないでしょうし、真の友人ということになればどっこいどっこいというところではありませんか。
 こういった考え方が万能だと言うのではないけれど、こういう考え方をしていくと今までの考え方でうまくいかなかった人の何%かの人に対しては何らかの力になるかもしれません。
 今の話のように、考え方を切り替えることも吃音の問題を解決する一つの方向かもしれませんね。だからいろいろ視点を変えて考えていくと、何か今まで考えられなかった手が見つかるのではないでしょうか。
 一遍にすべてのどもる人の問題をなくすにはどうしたらよいかと考えるよりも、個人個人に適した方法を地道に考えていかなければならないでしょうし、今までの考え方で間違っていたところはないか、今までの考え方でどれだけの人が救われ、どれだけの人が残されたまま悩んでいるかということを事実に即して考えることが大切だと思います。その中で、吃音を克服していく道が少しでも拡がっていくのではないかと思います。(おわり)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/15

仲間はずれの心理−発達心理学者・村井潤一先生と伊藤伸二の対話

 一昨日の続きです。村井潤一先生と僕の対話は、どもることが嫌さに仲間の輪の中に入れないという話になっていきました。村井先生は、子どもを例にして、「仲間はずれになるのは障害のためばかりではない、また普通の子どもでもかなり努力をして仲間入りをしているのだという事実を理解していかないと、楽しくしているみんなを見ても、ねたんだりうらんだりするだけでいつまでたっても孤立したままの状態が続くことになります」と話されました。うまくいかないことを、吃音のせいばかりにして、何も努力しないで嘆いてばかりいてはいけないということなのでしょう。
 他者は本当にいろいろな考えの人がいます。いい人もいれば悪い人もいる、過去と他人は変えられないのだから、自分の考え方を変えていくしかないのです。

吃音とコミュニケーション(3)
  大阪教育大学教授 聴覚言語障害児教育教室  村井潤一
                            聞き手  伊藤伸二

村井 さきほどおっしゃった非現実感というんですか、どもらない人とどもる人と、話す感じが違うということなんですけれど、小さいときから進行してきたのでしょうか。

伊藤 小さいときはそんなことはなかったです。やはり吃音に劣等感を強くもって、どもることが嫌さに仲間の輪の中に入れず、仲間とわいわい騒ぐことから遠ざかっていった頃からでしょうか。だから、他の人がわいわい騒いで楽しくしているのを見るのは嫌でしたね。本当は自分も一緒に騒ぎたいのですが、できないんです。そんな積み重ねが大きいと思います。この感覚は、人と十分につきあえるようになった今でも、感覚的に残っています。

村井 それは吃音が直接作用しているというより、仲間はずれになったということからくるんでしょうな。ほかの人が楽しくすればするほど腹が立つとかね。吃音に限らず仲間はずれになった人はみんなそのような気持ちになりますよ。
 仲間はずれになった側と仲間はずれをした側と、どちらに責任があるかと考えていくと難しくなりますけれど、この点は十分考えてみる価値のある問題です。成人の場合は複雑でしょうから、言語障害のため仲間はずれにされたりいじめられたりして、遊んでもらえない子どもを考えてみましょう。
 障害児の場合、母親と一諸にいることが多いため、母親は子どもがよくいじめられる状況を見るんです。そうすると、普通の子どもは楽しくやっているのに、うちの子は言語障害児だから障害のために仲間はずれにされたりいじめられたりするんだとすぐに考えがちなんです。そう考えてしまうと厄介で、視野が狭くなり他のことが見えなくなってしまい、ますます閉鎖的になります。
 たしかに障害を持っているとそうなる確率は高く、世間の理解を深めていく努力をしていくことの必要性は言うまでもありませんが、障害のためばかりではなく、例えば遊ぶ経験を与えられなかったことにより遊びが下手だから遊んでもらえないということがあるわけです。かなり重い障害児でも遊びが上手だと仲間からかなり受容してもらえることが事実としてみられます。
 また普通の子どもでも何の苦労もなく遊びに参加しているかというと、そうではなく、子どもによってはかなり苦労して仲間に入っているんです。いじめられたり仲間から放り出されたりしながらも、母親から独立して仲間に入る努力をしているんですね。
 障害のために仲間に入れてもらえないんだ、とのみ思いこんでしまうと、今言ったようなことが見えなくなってしまうし、障害が治らない限り仲間に入れないということになります。
 仲間はずれになるのは障害のためばかりではない、また普通の子どもでもかなり努力をして仲間入りをしているのだという事実を理解していかないと、楽しくしているみんなを見ても、ねたんだりうらんだりするだけでいつまでたっても孤立したままの状態が続くことになります。

伊藤 障害を持っているから疎外されたり、遊んでもらえないと考えがちだという話でしたが、吃音の場合もそうだと思います。私の場合も、どもるからみんなと話せない、楽しくやっていけないというように結びつけていました。私を含めて、どもる人は、笑いが少ないとか楽しい表情や雰囲気が作れないとか、他にもいろいろな問題があるはずなのに、吃音のせいにすることによって問題をそらしてしまっていることがよくあります。つまり、自分は努力しなくても済んでしまう。

村井 頭では納得できても、体ではなかなか納得できないということがあると思います。それができると案外気が楽になるかも知れませんね。

伊藤 障害を持っているから疎外されたり、みんなと楽しくできないのではなく、もっと他にも問題があるんだと納得していく方法として、何かないでしょうか。

村井 見方を変えてみることも一つでしょうね。どもる人と話す場合、相手はどう思っているのか、どういう態度をとるかという点について考えてみましょう。
 どもらない人がどもる人と話す時、どんな人でもいつも以上にどもる人に対して、優越感を持ってペラペラ話すかというと、そうでもないでしょう。世の中にはそのような人もいるかも知れませんが、話し手がどもるからより真剣に耳を傾ける人もいるでしょう。普通の人は常にどもる人を吃音だからといってバカにするとか軽蔑するとかいうふうに決めつけてしまわないで、聞き手のことをよく理解していくことが大切ではないでしょうか。
 きめつけみたいなものが多くの場合、コミュニケーションをうまくさせない要因になっているんですからね。

伊藤 「どもる人が気にしているほど周りは吃音に気をとめていない」ということは、アメリカ言語病理学でもよく記述にみられます。私たちも頭ではよくわかっているんですが、なかなか納得というか、腑に落ちないんですね。

村井 どもらない人でも、話し手が吃音であれば気にする場合もあるし、気にしない場合もある。世の中にはいろいろな人がいていろいろな考え方をしているんです。吃音のことを良く考えている人もいれば、悪く考えている人もいる。また忙しい世の中だから、吃音のことなど考えてない人もいるでしょう。もちろん現在でも、依然として吃音に対して偏見を持っている人が多いのですから、それを是正する働きをしていかなければならないと思います。
 ただそのような場合でも個々の人を眺めた場合いろいろな人がいるという見方をしていった方が、あれかこれかというようにパッと分けて考えるよりいいのではないですか。
 逆にいえばどもる人でも、真面目な人もいれば不真面目な人もいるわけですし、吃音だから性格はこうだと十把ひとからげに見ない方がいいのではないでしょうか。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/14

森喜朗女性蔑視発言とオープンダイアローグ−森発言問題の本質は「対話拒否」

 僕のこのブログは、「吃音」に特化したブログなので、時事的な問題については極力発言を控えていました。しかし、オリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言を巡っての、新聞やテレビなどメディアの発言がひとつの方向に偏りすぎていることが、ずっと気になっていました。今、村井潤一先生と僕との対話を連載中ですが、ひとつ文章を挟みます。
 
 僕が瞬間的に思ったようなことを、指摘する論調がほとんど見当たりません。すべてをチェックしているわけではないので、僕が見つけられないだけかもしれませんが、少なくとも全国紙の社説などで、「対話拒否論」を強調しているところはありません。

「さらに発言は、女性蔑視にとどまらず、開かれた場での議論を尊ぶ民主的なルールにも反する」(東京新聞)
「会議での自由な議論の必要性を否定し、異論を認めない姿勢を示すものだ」(毎日新聞)

 新聞の社説はこの程度で、朝日新聞にはこのような記述はありません。
 今回、吃音と離れたことを書きます。吃音にかかわる人間である前に、僕は、今の日本を憂えているひとりの人間として書きました。いろいろな考えがありますので、僕の意見には反対で、気分が悪くなる人もいることでしょう。その場合は、どうぞ無視して下さい。

 森喜朗発言は「女性蔑視」「女性差別」発言であることは言うまでもありません。だからこそ、海外でも話題になり、辞任にまで追い込まれたのはそのためです。しかし、もう一つの大事な視点が抜けています。それは「黙ってオレについてこい」の「対話拒否」です。
 森喜朗は、話の長いのは男性女性の区別はないと、後で釈明のように言っています。森発言の問題のもうひとつの本質は、異質の意見の封じ込めです。だから、辞任を表明しながら、後任人事を、自分が首相にしてもらった時と同じように、「密室人事」で決めようとしました。そして、それをうれしそうに川淵三郎がメディアに話し、メディアも無批判に流すところがありました。

 「黙って、オレたちの言うことを聞いておけばいいんだ」
 「権威のある、経験のある、長老の言うことを聞いて、賛成することが、わきまえていることだ」
 「オレたち本部役員で考えたことが、唯一の正しい方向だから、それを推進していけばいいだけで、異質な意見は、それにストップをかけることになり、邪魔なんだ」
 「異論を挟まれると、それに対する説明に時間がかかって仕方がない。オレたちは忙しいんだ。黙って従っていればいい。余計なことは言うな」

 この体質は、「野党など、国会議事堂に置いてやっているだけで、何もできないくせに、ごちゃごちゃ言うな」の「アベ政治・アソウ政治・ニカイ政治・スガ政治」の政治姿勢そのものです。「対話」をする姿勢など微塵もないのです。

 今、僕は精神医療、福祉が大きな転換をしていくことに期待をもっています。健康生成論のレジリエンスやポジティヴ心理学、当事者研究やナラティヴ・アプローチや、オープンダイアローグなどです。オープンダイアローグについて、ある研修会で話したことを少し紹介します。

 
オープンダイアローグ(開かれた対話)
 フィンランドで始まった精神医療に対する新しいアプローチです。急性期の精神疾患に、24時間以内に精神科医、看護師などで専門家チームを作り、本人の家庭に出向き、本人、家族、友人などと、開かれた対話を続けます。対話を続けることで、統合失調症などの精神疾患のある人が入院せず、薬にもあまり頼らずに回復し、地域で生活できるようになります。最近、特に注目されている精神医療の新しい流れです。これは私たちが言語訓練は一切せずに、セルフヘルプグループで仲間との対話を続け、どもりながら生活を大切にすることだけで変わっていったことと通じます。オープンダイアローグで重要なのは、専門家の姿勢で、開発者のセイックラ教授は、「技法」や「治療プログラム」ではなく、「哲学」や「考え方」だと強調します。吃音にかかわる人にも生かせるものです。
・対等性 すべての参加者の発言は対等に尊重される。「本人抜きでは何もしない」。
・応答性 どんな発言にも速やかに応答し、対話を進める。発言者の言葉を使い、しぐさや行動、表情などのメッセージを受け止め、対話を進める。
・不確実性への耐性 最初から「診断」はせず、最終的な結論が出されるまでは、あいまいな状況に耐えながら、病気による恐怖や不安を支える。

 
 もちろん、精神医療の枠組みを政治の世界にそのまま、もってくることはできません。限られた時間の中で法律を決め、ある程度のゴールがある政治を同じようには語れないことは当然のこととしても、少しでも、オープンダイアローグの発想を政治が学べないものかと思います。
 「本人抜きでは何も決定しない」は、政治の世界では、大多数の国民の同意なしには、何もしないということになります。しかし、世論調査などどこ吹く風で物事が決められていきます。政権与党も野党も国民から選ばれたという意味で「対等」のはずです。与党自民党には、「対話」をする考えなどさらさらありません。与党に与えられた質問時間を雑談で空費するなど、国会の議論は、「仕方がないから、してやっている」の態度です。
 
 野党にも大きな問題があります。糾弾をして溜飲を下げているだけの質問があまりにも多いように思います。質問の仕方や言い方も、相手に「失礼じゃないですか」と言わせてしまうようなものがあります。もう少し「対話」の仕方を学んでほしいとつくづく思います。政権与党のおごりの原因のひとつに、野党の「質問力」「対話力」の貧困さがあります。
 少なくとも、アベや自民・公明が「ヤジ」を飛ばしても、野党の議員は一切「ヤジ」を飛ばさないぐらいの取り決めをしておく。きちんと対案を提示して、対話に持ち込む。まともに対話をしない政権だから、まずは野党が、国会論議をまともな「対話」にしていくためには、どうすればいいかを、真剣に考え、実践すべきだろうと思います。

 1960年6月15日、日米安保条約の改定に反対する学生デモが国会議事堂に突入、警官隊との衝突で一人の東大生が亡くなりました。僕の母校の三重県立津高等学校の高校生は、樺美智子さんの死に抗議してデモ行進をしました。僕は子どものころから、絶対戦争反対論者で、「非武装中立」の一点だけでも、昔の日本社会党を応援し続けていました。なので、今の政治状況で言いたいことは山ほどあります。しかし、「吃音のブログ」としているので、これまで吃音以外のことはあまり書かないでいました。
 
 今回は、「どもる子どもとの対話的アプローチ」を提案している人間として、日頃講演などで話している、オープンダイアローグとも関係すると考えて、怒りに任せて書いてしまいました。 
 次回からは本来の「吃音ブログ」に戻ります。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/13

発達心理学者・村井潤一先生と伊藤伸二の対話 どもる人とサロン的言語

 1973年のインタビュー記事の続きを紹介します。
 村井先生は、ろう教育、僕は言語障害児教育で、同じ聴覚・言語障害講座に所属していた関係で、よく話す機会がありました。何かの話の時に、僕が講演や講義などまとまった話はいいけれど、雑談がとても苦手だと話したとき、村井先生がそれは「サロン的言語」が苦手ということだねと話してくれたことがありました。僕は、どうしても伝えたいこと、どうしても言わなければならないことは、どもろうと何しようと、伝えるし、言います。でも、日常の何気ない会話、軽い冗談などのときには、どもりそうだと思ったら、言わないかもしれません。そんなことを村井先生と雑談していたことがあります。
 吃音親子サマーキャンプのときに子どもたちが、おもしろいことを思いついて言おうとしたけれど、どもって言えなくて、そのうちに話題が変わってしまっていたと話していました。必需品ではないけれど、あれば、生活に潤いを与え、人間関係の潤滑油になるような「サロン的言語」。どもる人の核心部分に触れていく、どもらない村井先生の話はおもしろいものでした。

吃音とコミュニケーション(2)
   大阪教育大学教授 聴覚言語障害児教育教室  村井潤一
                            聞き手  伊藤伸二

村井 言語障害の人が困っておられる一つには、案外この「サロン的言語」がうまくいかないことがあるのではないでしょうか。どうしても言わなけれはならない事に関しては、いろいろな方法を工夫して何とかやれると思います。紙に書くとか、代わりの人に話してもらうとか。しかしどうでもいいことを話す、すなわち会話を楽しむときは、そういう方法がとれないし、またとっては意味がなくなります。そこがうまくいかないことが多いのではないでしょうか。
 どうですか、どもる人はそういう点では。

伊藤 吃音で悩んでいた時の私は、どもって話すことは他者を遠ざけることでもあり、とても話すことを楽しむことはできませんでした。私に限らず、吃音に悩んでいる人の共通のことのように思います。楽しくおしゃべりをする場面に慣れていなかった、少なかったということもありますが。

村井 この問題を解決するのは難しいでしょうね。さあ、話せ話せ、楽しめ楽しめと言うだけでは意味がないことが多いと思います。ただこういうことがあるのです。うまく遊べない小さい子どもがいますね。遊ぶとみんなからいじめられ、お母さんもかわいそうに思い、遊ばさないような子どもです。ところが、そのような子どもは遊ばさないとますます下手になっていくのです。遊びとか言語は経験していかないとうまくいかないんです。だから少しぐらい下手でも遊ばせていかなければならないでしょう。また案外、本人または周囲の思いすごしで、遊びに参加してみると結構うまくいく場合もあるのです。
 もしこの見方が成立すると、どもる人だとリラックスのできる会話状況を設定してできるだけ話していき、その中で会話の楽しさを覚えていくようにするといいんじゃないですか。

伊藤 私たちにとってリラックスできる場の一つにどもる人の会があるわけですが、その会の中ではうまく話せて楽しいんですが、外に出るとうまくいかないことがあり、身につかないんです。

村井 それはどういうことでしょうか。聞き手である、どもらないい人が拒否的な態度をとったりするからですか。それともその人たちが受容的な態度でいてくれてもうまくいかないのですか。

伊藤 私の場合、吃音に悩んでいた時は、相手が受容的で、場面がリラックスしていても、すごく緊張していることがあります。相手が平静でこちらが緊張しているとき、そのアンバランスが非常に苦痛ですね。

村井 相手も緊張している方がいいのですか。

伊藤 そうですね。そんな場合はよくあります。例えば、初めて会った人の場合とか、大勢の前で話す場合など、どちらも緊張しているからか、うまく話せることもあります。
 また、どもらない人と話しているときと、どもる人同士で話しているときの感じが違うんです。どもらない人と話しているときは、非現実感とでも言うんでしょうか、現実的な感じがしないんです。話している内容はつまらないことなんですが、つまらないことを緊張しながら話しているからでしょうか。どもる人同士だとお互いにリラックスしているからつまらない話をしていても現実感があります。

村井 緊張する場面では、ある決められた線路を走ればいいというように、ある水路ができているんですかね。リラックスしている場面では、話題に何がとび出してくるかわからない、そういう意味では何を話してもよいという可能性があるということでしょう。可能性があると却ってどうすればいいのかわからず困るタイプのどもる人もいるんでしょう。また、リラックスできないところの不安みたいなものもあるんでしょう。ほかの人はリラックスできるのに自分だけはできないので、かえって緊張するようになるんでしょうか。そうなりますと、単に狭い言語技術の問題だけでなく、パーソナリティ全体の問題としてとらえねばならない場合もあると思いますね。

伊藤 そのようなことは今まであまり考えてこなかったですね。緊張する場面でうまく話せるようになんとかしようということばかりに目を向けていました。普通の人でも緊張しているとうまく話せないですね。でもリラックスしている場面で緊張して人と打ちとけられないというのは、どもる私たちの大きな問題ですね。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/12

発達心理学者・村井潤一先生と伊藤伸二の対話−より良いコミュニケーションのために

 昨日は、僕が大阪教育大学にいた頃に、聴覚・言語障害教育講座におられた、ろう教育の村井潤一先生からのメッセージを紹介しました。
 その村井先生に、僕がインタビューしている記事をみつけました。どもる人とコミュニケーションについての話でした。かなり具体的な質問をしていますが、村井先生は常に真摯に答えて下さっていました。
 マージャンが好きで、お酒が大好きで、飲むとよく「小指の思い出」や「私、バカよねえ、おバカさんよねえ・・・」の歌詞の「心のこり」の歌を歌われていました。
 お亡くなりになったときは寒い時期で、葬儀は冷たい雪の降る日でした。大好きな人だったので、その日のことはよく覚えています。久しぶりに懐かしく思い出しています。
 1973年のインタビュー記事を紹介します。


吃音とコミュニケーション(1)
        大阪教育大学教授 聴覚言語障害児教育教室  村井潤一
                            聞き手  伊藤伸二 

伊藤 今日は、村井先生に、どもる人のコミュニケーションの問題と、今後成人のどもる人が考えていかなければならない事など、お話いただきたいと思います。
 最初に、「どもる人はサロン的言語がうまくいってないのではないか」との以前の話の中でお聞きしたことがありますが、「サロン吃的言語」とはどのような事なのでしょうか、そのことについてお話していただけないでしょうか。

村井 「サロン的言語」についてお話する前に、ことばの心理についての一般的な問題に関して簡単にお話したいと思います。
 私たちがお互いにこのような対話をしているとき、話が通じているかどうかという点については、基本的に考えなければならないことがあります。それは、物の考え方の共通性みたいなものが話し手と聞き手の間に成立していないと、ことばがうまく通じないのではないかということです。例えば、「オマエは、ばかだなあ」と言ったとき、軽蔑して言っている場合と、人がいいなあという意味で言っている場合とで意味が違っている場合があるわけで、お互いにわかり合っていないと、善意で言っているのに相手はそう取らない事も起こってきます。このように、ことばを支える基本としてお互いにわかり合っているということが非常に大切なことなんです。
 極端にいえば、人と人とのつきあいの中で複雑な場面が生じてくると、お互いにわかりあっていてもうまくいかない面があるので、よりわかり合うために、ことばが出てきたんではないかというような考えすら十分成り立つわけです。
 また、お互いにわかり合おうとする姿勢がなければ、通じるものも通じなくなるということがあります。例えば、自閉症児の場合、どう接していいのかわからないときがあります。これは、彼がなぜそのような行動をするのかという、行動原理がなかなかつかめないことが、接し方の困難さをもたらしているといえます。例えば、頭をなでてやればニコニコすると思って頭をなでてもニコニコしない。こちらの期待どおりに反応してくれないから奇妙な気がするわけです。奇妙な感じがして、彼はわからない子どもだということで、はねのけられていたことが多かったわけです。
 とくに障害児の場合は少数ですから、はねのけても一般の人々は困らないということがこの傾向を強めていたといえます。でも、そこでもう少し相手の行動原理を理解しようという気持ちをもつと、すなわち自分の思考のシステムの粋を拡げると、もう少しわかり合える範囲が拡がってくるのではないかというような気がします。わからないということではねのけるのでなく、常にわかり合おうとする姿勢がコミュニケーションの問題を考えていく基本的な姿勢といえます。
 今、思考システムの共通性の問題について簡単に話しましたけれど、コミュニケーション活動の中には、それだけでは律しきれない点があります。
 例えば、「赤い」ということばから起こってくる私のイメージと、あなたが「赤い」ということばに持つイメージは、ある点では共通しているけれど、ある点では違っているかもしれませんね。そこに話が通じたり、通じなかったりすることが起こってくる。またそこが、言語が単なる符丁ではなしに、象徴であるということの大事なポイントなので、そこに言語のもつ個性という問題が生じます。こういったことは、基本的に考えてゆかなければならないことです。
 もう一つ、教科書には、言語とはコミュニケーションの道具とか、思考を高める道具とか書いてあり、まさにそのとおりなんです。言語がないと抽象的な思考が困難ですし、生きていく上でどうしても必要な情報の伝達に困難をきたします。しかし、私達が日常、ことばを話すときはいつも高級な話ばかりしているのではなく、かなりの部分はどうでもよいことを話しているということです。どうでもいいようなことを話しているけれど、そういうことを通じてお互いの親密な関係ができたり、重要な主題へ入るための前ぶれになったりします。初めて会った人とは、黙っているのは気まずいから何か話さなくてはならないですね。そうすると、あたりさわりのない天気の話とか季節の話とかをする。そのような話をしているうちに親しくなり、いろいろな話に発展していくことがあるわけです。
 こういったように、どうでもいいような話が私の言う「サロン的言語」で、実は人間生活の中で非常に重要なんだということなのです。「サロン的言語」というのは、貴族社会のご婦人方がサロンに集まって現実ばなれした夢のようなことを話して楽しむことからきているのであまり良いことばではないのですが、私が言いたいのは、おかみさんの井戸端会議のようなものをも含んでいるので、話すことの楽しさみたいなことなんです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/11

吃音を吃音の人だけで考えないで 村井潤一先生からのメッセージ

 これまで、ニュースレターの巻頭言を中心に紹介してきましたが、巻頭言だけでなく、ニュースレターに掲載している文章についても、読んでいただきたいと思うものがあります。それらも、時々紹介していきます。
 かつて僕が勤務していた、大阪教育大学平野分校には、聴覚・言語障害児教育、病虚弱児教育、肢体不自由児教育、知的障害児教育の教員養成課程がありました。そのため、周りからは、障害児教育研究のメッカとも言われていました。僕が所属していたのは、聴覚・言語障害児教育講座で、今日紹介する村井潤一先生は、ろう教育科学会の事務局や、雑誌「ろう教育科学」の編集の仕事をされ、「ろう教育」の先頭を走っている人でした。
 平野分校の教員は専門分野を超えて議論が活発で、とても仲が良く、珍しいことかもしれませんが、年に一度、一泊二日の親睦旅行もしていました。新人で若手の教員であった僕は、親睦旅行の計画を立てて、引率する係でした。とても楽しい旅行でした。
村井潤一の本2冊表紙_0001村井潤一の本2冊表紙_0002 また、村井潤一研究室は現場の教員がよく集まっていて、おでんの大鍋を囲んで、よく飲んで、話したものでした。研究室にとどまらず、現場とつながり、現場の声をしっかり聞く人でした。
 村井先生は、僕をとてもかわいがって下さり、個人的な相談にもよくのって下さいました。当時はまだあった分校主事の宿直の時、マージャンによく誘ってくれました。話す機会がたくさんあったために、吃音についての僕の話を聞き、吃音について一緒に考えて下さっていました。僕たちが発行するニュースレターの発刊によせて、書いていただいた文章を紹介します。当時は、大阪教育大学から、奈良女子大学へ、そして母校の京都大学に移られていました。1988年に書かれた文章です。

   
吃音について考える       京都大学教授 村井潤一

 吃音をもつ人と話していると、しばしば“吃音の問題は結局、どもる人間でないと分からない”とか“私の苦しみ(吃音をもつことによる)は、他人には分からない”と言われることがある。揚げ足とりになるかもしれないが、吃音の問題がどもる人でなければ分からないのであるならば、吃音の問題はどもる人に任せておけばよいということになる。
 フロイトは、自分自身を客観的に正しく知ることは、人間形成の上で極めて重要であるが、極めて難しいことであると述べている。一般にわれわれはものや現象について正しい知識を得ようとするとき、可能な限り、観察する側と、される側との関係が独立性を保つことを基本条件にする。これが科学的認識の基本である。この視点に立つならば、自己自身を知るということは、切り離すことのできない知ろうとする自己と、知られる自己とを切り離さなければならなくなる。また、客観的視点は、情意を絶ち切ることによって成立するといえるが、われわれが、われわれ自身に持つ愛着を絶ち切って、われわれ自身を眺めることができるであろうか。まして自分自身の中に弱さや欠点を多く持つ平凡な人間にとって、それを冷静にとらえることは至難の技といえる。
 しかし、多くの人間が持つ自己像は、客観的とは言えないにしてもそれほど大きい歪みはないようである。その理由は、人間が社会的存在であり、社会的関係の中で人間が発達するからである。自己像は自閉的、自己中心的につくりあげられていくのではない。社会的関係の中で他者を意識し、他者の中に自己との共通性と異質性を発見する、また他者かちの働きかけによって他者の自己に対する判断を知り、それによって自己の自己に対する判断との異質性と共通性を知る。そのような過程を通すからこそ、自らについての判断について客観性が保証されるのである。
 このように考えると、どもる人のみによって真の吃音問題が理解できる、私だけが私の苦しみを理解できるというのは誤りであることが理解できよう。敢えて言うならば、そのように思い込むようになった、思いこまされるようになった原因としての閉塞的状況が問題なのであり、より開かれたコミュニケーション状況が、吃音の人たちがより豊かな生き方をしていく上でも、是非必要である。
 事実、どもる人の中には、吃音症状のみが、現実の社会的疎外状況を引き起こしていると強く信じている人がいる。確かに吃音が社会的疎外状況を生み出すのは事実としても、少し現実を広く見渡しただけでも、吃音を持ちながらもそうでない人がいることに気づくであろうし、吃音がなくても社会的疎外状況にさらされている人もいるのである。社会的疎外の原因を吃音におく人は、吃音症状を取り除くべく努力する。彼らは、吃音が続いていくならば、人生は絶望だという。しかし、世の中には、その障害が治る見込みのない人たちがかなりいるが、この考えでは、彼らは絶望の中で生きていけということになり、少なくともこの考えには普遍性はない。しかも全く治る見込みのない障害を持った人でも社会の中でたくましく生きている人も多いのである。私はどもるの人々に、より世界を広げていくこと、しかもその広げる方向を、必ずしも健常な人の方向だけではなく、障害者の方向へも広げることを提案したい。なぜならば、その人たちから生き方の問題について、そしてコミュニケーションの問題について、学ぶことは極めて多いと考えるからである。
 このように述べてくると、「貴方は吃音が治らなくてもよいと考えるのか」という人がいるかもしれない。しかし、私は決してそういう考え方を持っていない。吃音を個性の一つだと格好よく言う気はない。吃音を持っている人は大変な苦労をしていると思う。吃音症状をなくす方法がみつかればと願っている。しかし、個別的には可能であっても、自分なら治療可能という人がいても、少なくとも今日の社会は、吃音症状を取り除く科学的な方法を生み出し得ていず、治せていない現実に立って吃音問題は考えられねばならないのである。
 そこで今日必要なことは、
 1)吃音を持ったままでも充実した生を送れるためには、どもる人をとりまく社会が何をなすべきかを、どもる人自身が考え、発信すること
 2)吃音治療のための科学的方法を生み出すべく、長期的展望に立って努力すること
 そのためには、このニュースレターが、形骸化した学会誌のようになることなく、どもる人を中心にしながらも広く吃音以外の人も参加できて、生きたことばで吃音問題、どもる人の問題が語られる場になることが重要であろう。そのためには自由な開かれたニュースレターであることが必須の条件となる。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/10

「どもり」を死語にしたくない

 「どもり」を死語にしたくないと、僕は、ずっと言ってきました。つまる、つっかえる、弾む、そんなことばで、「どもる」ということを言い表すことはできないと思います。また、最近よく出てくる「吃音症」、「吃音障害」は、絶対に使って欲しくないことばです。どもる人本人が、平気で「吃音症」と使うのにはびっくりします。
 漢和辞典で「症」を調べると、病気の兆候の意味、身体の異常、病気の兆候・状態とあります。日本語の一般用語として「依存」という言葉があります。僕たちの命は、空気や水に依存しているし、僕たちの社会生活は他者に依存しています。ところが、「依存症」となると、医学的意味における「依存」になり、アルコール依存症、薬物依存症のように疾患になります。吃音のもつ広い世界を経験し、吃音を話し方の特徴だと考えている僕には、「吃音症」には強い違和感をもつのです。1994年に書いた文章ですが、「どもり」は「どもり」と呼べ、映画監督の羽仁進さんのことばを思い出します。


   
どもりはどもり
                     伊藤伸二

 《吃音》を正しく読め、《どもり》のことだと認識している人は、言語障害関係者以外にどれだけいるだろうか。
 私たちの大会に講師として来て下さった方でも、《吃音》を「とつおん」と読まれ、私たちの指摘で大変恐縮されていたのを思い出す。
 新聞で、大阪吃音教室や、吃音ワークショップなどの案内が出ると、必ず、「《吃音》とありますが、何でしょうか」との問い合わせがある。
 マスコミに、《どもり》を使って欲しいと求めても、《どもり》は差別用語になっており、使えないと、《吃音》と変えられる場合が多い。
 また、昨年、「こどものための吃音相談会」をある福祉団体が企画した時、教育委員会から各小学校、幼稚園に案内が出される手筈になっていた。案内文の《どもり》は全て、教育委員会によって、《吃音》に改められた。
 このように、《どもり》という言葉は今では、禁句にされつつある。行政でもマスコミでも、《どもり》は《吃音》に必ず言いかえられる。
 これほど、一般的でなく、多くの人が知らない《吃音》に何故言いかえなければならないのか。
 それは、《どもり》に対する否定的な固定概念によるものであることは言うまでもない。
 かつて、「どもりの悲劇」として、自殺や犯罪などが、とりあげられた。嘲笑、蔑視の対象として、「滑稽なもの」「おっちょこちょい」として、映画や大衆芸能で笑いを誘うものとして、登場した。それは《どもり》ということばが使われた。
 こうして、《どもり》の否定的なイメージが、できあがったのだろう。
 私たちも、子どものころから《どもり》という言葉は知っていたが、《吃音》は知らなかった。《吃音》を知ったのは、吃音矯正所でや言語障害の専門書を読んでからというどもる人が多い。
 《どもり》が《吃音》に変わっても、本質が変わるわけではなく、誤った固定観念は続いている。
 現在でも、「圧倒的多数のどもる人は暗く消極的に生きているはずだ」「就職では多くのどもる人は面接で落とされる」などの認識は、一般にも、どもる人自身の中にもある。
 しかし、「暗く、消極的に生きている人もいるが、自分なりの積極的な人生を明るく生きている人は多い」「どもるからと面接試験に落ちる人もいるが、どもりだけで評価されるのではなく、多くの人が就職試験に合格している」が事実だ。
 この事実が、正しい認識としてなかなか浸透しないのは、根強くある《どもり》への否定的な固定観念ではなかろうか。
 私たち自身も過去、一般の否定的な固定観念に影響を受けてきた。
 《どもり》だけでなく「やもり」「いもり」「・・ども」など、《どもり》という三文字に近い言葉にすら嫌悪した。それが、どもる人同士の触れ合いの中で、《どもり》を自ら口にし、他者が《どもり》と言うのを耳にしても平気になったとき、どもりと直面する勇気がわいてきた。
 《吃音》というと、《どもり》と言うより、何か他人ごとのようで気が楽だというどもる人は事実いる。しかし、《どもり》という言葉を嫌って、《吃音》と言いかえをするのではなく、《どもり》のもつ否定的な固定観念に気づき、それを克服していきたい。そのためにどもる人の姿を、事実をもって伝える努力をしなければならないだろう。
 《吃音》が知られていない言葉だからという理由だけでなく、どもりに対する否定的な固定観念を崩すためにも、どもりと直面するためにも、《どもり》を私たちは禁句としたくない。
 どもりが、どもりとしてそのまま認められる社会の実現こそ、私たちの願いなのである。
1994.1.31 


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/8

生活の発見会の創立者、長谷川洋三さんの人生

 長引くコロナの影響で、また自粛生活で、心身の不調を感じている人が多いとの報道をたくさん見ます。これからどうなっていくのか、展望がつかめず、不安な生活を送る人が少なくありません。そのような不安とのつき合い方を、体験を通して、森田理論として確立し、集談会として続けておられる「生活の発見会」とのおつき合いは、1973年からで、とても長く続いています。創立者の長谷川洋三さんが、神経症のある自分の人生を「味わい深い人生」と表現されていました。
 思えば、僕も、吃音があったからこその人生を、今、生きています。どもり内観ではありませんが、吃音にしていただいたことは数知れずたくさんあります。感謝してもしきれないほどです。長谷川さんがお亡くなりになったことで書いた文章を紹介します。

 
  
味わい深い人生
                          伊藤伸二

 神経症の人のセルフヘルプグループ「生活の発見会」の創立者であり、今年長年務めた会長を退き、「のんびり生活を楽しみます」と退任のお手紙をついこの間下さった、長谷川洋三さんが、のんびりと旅をされた旅先の温泉で、心不全でお亡くなりになった。
 1973年2月、朝日新聞の「生きるなかま」の欄で生活の発見会のことを、森田療法の名前を、初めて知った。私たちと考え方が似ている、が実感だった。
 この年は私たちにとって大きな転換の年でもあった。
 「どもりは治らないかも知れないことを考えていこう」から、「治す努力の否定」を提起したのである。
 『どもりが治れば良い。しかし治らない場合はどうするのか、このことは、ほとんど省みられることはなかった。少なくとも、私たちは、治っていない事実を無視することはできない。どもりを治すことを前提にした研究、実践はすすめられてきた。治っていないことを前提にした研究、実践は全くなかった。また、私たちも吃音を持ったまま生きる決意ができないでいた。今私たちは、どもりを治すという前提を取り払いたいと思う』
                                 (1974.11)
 
 1974年9月、生活の発見会の集談会に参加する機会があった。その時の講師が長谷川洋三さんだった。「とらわれから自己解放へ」のお話は、私たちが長年活動を通して考えた「吃音を治す努力の否定」にぴったりくるものがあった。長谷川さんにすぐに手紙を出し、当時編集しつつあった雑誌『ことばのりずむ』の第8号《特集治す努力の否定》に長谷川さんのお話を使わせていただけないかとお願いした。快く承諾して下さった。その後、機関紙の交換を通してずっとお付き合いが続いていた。私たちの発行するニュースレターを楽しみにして下さり、会長退任後は、自宅に送って欲しいとお手紙をいただいたばかりだった。
 生活の発見会は、新聞で紹介された当時、会員数600人、集談会場11ヵ所。それが現在は、会員数6500人、集談会場129ヵ所までに発展している。
 ストレス時代、心の健康問題をもつ人が急激に増えている時代、森田療法の社会的評価の高まり、などの背景もあるが、ここまで生活の発見会が発展したのは、長谷川洋三さんの力によるところが大きい。長谷川さんは、「肩がこる、鼻風邪が何ヵ月も治らず、肝臓がはれ、ひどい喘息」に悩まされる。医者に診てもらうが体に異常はない。あちこちまわった結果、「現在のオレはオレ以外の人間にはなれない。周りが、オレの不安やイライラをなんと思おうとオレの知ったことか」の心境になった。するとこれら病気はまもなくきれいに治った。「いまから思えば、私は神経症だった。当時、森田療法を知らなかったが、後で思うと、森田療法と同じことをしていた。この体験を同じ悩みを持つ人たちと分かち合いたい」と、生活の発見会をつくる。57歳で仕事を辞め、会の仕事に専念する。
 「この病気を体験した人は、かえって味わい深い人生が送れます」
 こう常に言っていた。
長谷川洋三本表紙 精神療法としての森田療法となると、医師の領域だ。それを森田理論として、一般大衆の理論学習の場として、会を位置付けたところに、会の独自性がある。医師にかかるほどではないが、心の問題を感じている人にとって、会はなじみやすいものとなった。
 森田理論のどこをどう学ぶか、手探りの中から基準型学習会が定着し、誰もが利用できる森田理論の学習方法が確立されていく。学習活動こそが、会の発展の原動力であり、会の存在の意義そのものだと言えよう。
 セルフヘルプグループの仲間として、私たちの活動はどうかと省みた時、学習活動の面で立ち遅れている。学習活動をすすめるために、テキストになる本を出版しようと計画中である。長谷川さんの「味わい深い人生」を聞き、「もし、どもりでなかったら、浅はかな人生を送っていただろう」と言っていた私たちの仲間のことを思い出す。
 長谷川洋三さんのご冥福を心からお祈りする。 1992.12.18


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/7

吃音問題国際大会 6

 1986年、京都国際会館で開催した、第一回吃音問題研究国際大会を振り返ってきました。長年の夢だった世界大会を開催できたことは、本当にうれしいことでした。閉会式の最後、国際会議場の大ホール、参加者全員に丸くなって肩を組んでもらいました。そして、キャンプの時などによく歌われる「今日の日はさようなら」を日本人だけで一番を歌い、後は目を閉じてハミングしてもらいました。みんなのハミングをバックに、僕はこう語り始めました。
 
 「私は、ずっと吃音を恨み、治さなければならないと思ってきました。吃音が私の人生を、人間関係を閉ざしたと考えていたからです。しかし、今、吃音が結びつけた人の輪が、日本で始まった輪が、3年後はドイツで、その次はアメリカへと広がっています。天国にいるようだと言った人がいました。確かに、夢のような4日間が今、幕を下ろそうとしています。今、私は、あれだけ憎んでいた吃音が、好きになっています。3年後、西ドイツで会いましょう」
 こう挨拶をしながら、僕はぼろぼろと涙を流していました。心の底から「どもりでよかった」と思えた瞬間でした。
 
終えて新聞 大会が終わって、毎日新聞の記者・八木晃介さんが、毎日新聞への寄稿を依頼して下さいました。八木さんは、僕たちの吃音の取り組みに心底共感し、記事を書いたり、『吃音者宣言−言友会運動十年』(たいまつ社)の本の出版を企画して下さった人です。
 「どもりつつ自己表現を〜吃音問題研究国際大会を終えて〜」とのタイトルの記事です。これを紹介して、しばらくおつき合いいただいた吃音問題国際大会の紹介を終わろうと思います。1986年8月28日の毎日新聞の記事です。

   
どもりつつ自己表現を
       〜吃音問題研究国際大会を終えて〜


 海外十カ国から三十四人、日本から三百六十人の成人吃音者、研究者、臨床家が参加した世界で初めての吃音問題研究国際大会(八月八日〜十一日、国立京都国際会館)が終わった。準備の段階から成果、今後の課題について振りかえってみたいと思う。

【準備】
 法人格も経済的基盤もない、成人吃音者のセルフ・ヘルプ・グループが、多額の経費を必要とする国際大会のイニシアチブをとり、準備を進めた意義はどこにあったのか。
 今まで大きな壁や人生のさまざまな重要な問題にぶつかると、「どもるからできない」と逃げてきた吃音者は多い。<どもり>という言葉にすら嫌悪し、どもることに病的なほど否定的な感情をもっている人も多い。どもりを家族にも友人にも隠している吃音者もまた多い。そのように日常の生活で逃げてばかりいる吃音者の集団であれば、国際大会の開催など不可能であったろう。
 今回の国際大会は、吃症状にとらわれるのでなく、どもりながらも明るく、より良く生きることを提唱する言友会ならではの事業であり、言友会のこれまでの成果が問われる大会でもあった。また、会に入って新しい人や<吃音者宣言>は頭では分かるが実際には行動できないという人が、頭での理解から経験を通して学び直す好機でもあった。
 成果はどうであったか。職場の同僚全員にカンパを訴えた人がいた。多くの吃音者が、自分の両親、友人、知人に、誇らしげに言友会の活動を、どもりのことを、国際大会のことを語った。大口カンパのまったくない中で、言友会が集めたカンパ総額は千百万円に達した。大勢の会員が<吃音者宣言>を実践した証であった。

【討議】
 世界各国のどもりのとらえ方、治療プログラムが明らかにされた。世界の大勢は、吃症状へのアプローチの重要さを強調するものであった。しかし、スウェーデン、アメリカなどは、吃音に対する態度の改善についても強調していた。
 そのような状況の中で、言友会は吃症状そのものへのアプローチの危険性を指摘し、生きる方向へのアプローチを主張した。治療からくる副作用、治療から生活指導へと移行した経過、吃音の評価とそれに基づく指導プログラムの組み立て方など、基調報告やシンポジウムを通しての言友会の主張は、新しいひとつの方向を示し、参加者の共感を得たようであった。

【成果】
大会宣言は次のように言う。
 「ここで研究、臨床上、考慮しなければならないことは、吃音は単に表出する言葉だけの問題ではなく、その人の人格形成、日常生活にまで大きく影響するということである。だからこそ吃音問題解決は、吃音児・者の自己実現をめざす取り組みであり、吃音症状の改善、消失もその大きなわくの中に位置づけられるべきである」
 参加した世界各圏の吃音者、研究者、臨床家が、この点で合意に達した意味は大きい。これは、ともすれば吃症状にのみ目を向けがちであった吃音者、研究者、臨床家への警告であり、さらには「どもりは簡単に治るもの」という一般社会通念への忠告であった。
 また、三年後、西ドイツでの第二回大会開催が決定したことの意義も大きい。吃音にかかわるすべての人々が集う第一回大会の基本理念が第二回大会へと継承されることになる。
【課題】
 吃音をどう評価し、その結果どのようなプログラムを組み、その成果をまたどのように評価するか。開発された治療法の有効性をどのように追跡し、またその問題点を指摘していくか。国際的なレベルで取り組まなければならない課題は多い。単なる世界各国の情報交換だけでなく、調査、研究、臨床の真の共同の歩みが実現するよう、まず日本がそのモデルを作らなければならない。そして、三年後に開かれる西ドイツ大会では、一歩前進した共同の取り組みが提起されなければならない。第一回の開催国であった日本の私たちの役割は大きいといえる。

伊藤伸二(いとう・しんじ)
全国言友会連絡協厳会会長、第一回吃音問題研究国際大会会長
1944年、奈良県生まれ。明治大学文学部・政経学部卒業。1966年、言友会創立。1976年まで大阪教育大学講師(聴覚・言語障害児教育)。著書に「改訂吃音研究ハンドブック」「人間とコミュニケーション」「吃音者宣言」(いずれも共編著)など。1986.8.28毎日新聞


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/5
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