伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年01月

セルフヘルプグループの社会的意義

 僕は、1965年の秋に11名の仲間と創立した言友会で、長年全国組織の事務局長や会長をしてきました。1994年に、事情があって、僕は大阪、神戸の仲間と共に全国言友会から離脱しました。それから26年経ち、今では、目指す方向が随分と違ってきたように思います。僕の、吃音の改善を目指すのではなく、徹底して「生き方の問題」だとする姿勢は、会創立以来55年ですが、全く揺らぐことはありません。
 精神医療、臨床心理学の領域が、健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、オープンダイアローグへと関心が広がっています。この流れは、僕たちが考えてきた方向と、ほとんど軸を同じにしています。今日紹介する文章は、僕がまだ言友会に所属していた頃、1991年12月12日に書いたものです。

  
セルフヘルプグループの社会的意義
                           伊藤伸二
 「セルフヘルプグループ活動は究極の遊びだ」と巻頭言に書いた時、共感もあったが、批判も寄せられた。「セルフヘルプグループ活動の社会的意義から考え『遊び』と言われては困る」との指摘だった。
 もとより、セルフヘルプグループの持つ社会的意義は承知しており、それは益々高まることはあっても低まることはない。
 だからこそ、私たちは肩肘をはらず、おおらかに、楽しみながら続けたい。
 吃音を治すことだけに関心があった言友会創立当初は、自分のことだけに目が向いていた。セルフヘルプグループ活動を続ける中で、広く社会や、後に続く吃音の後輩にも目が向くようになった。活動は徐々にその輪を広げていった。
 しかし、今、セルフヘルプグループはある意味で安定期を迎え、当初ほどエネルギーを使わずとも、それなりの地域の活動はできる。「新しい会員が入ることが少ないので、同じ顔ぶれになっているが、それなりに楽しい例会ができている。しかし、社会的に動こうとするエネルギーが今一つ高まってこない」とあるリーダーは言う。
 セルフヘルプグループの社会的意義が高まる中で、これまでセルフヘルプグループがどのように社会的に目を開き、また今後開こうとしているか、全国の仲間と論議しておくのも意味のないことではない。

◎会員外の読者の広がり
 言友会の会員のみを対象としたニュースレターから、今は、広く吃音に関わる人々と、吃音問題を通してコミュニケーションしたいと編集方針を変えて発行している。ことばの教室の教員の読者が大幅に増えた。難しすぎるとの会員の声もあるが、読書会が持たれたり、例会で活用しているところもある。
◎『全国大会』から『吃音ワークショップ』へ
 その年の運動方針だけを討議する全国大会から、どもる人個人の成長に焦点をあて、参加者の吃音問題解決に役立つように、また、一人で悩んでいるどもる人や吃音に関わる幅広い人々が参加しやすいように『吃音ワークショップ』と改めた。ことばの教室の教員の参加者が増加しつつある。国語学者、禅僧、俳優、アナウンサー、映画監督、医師、心理臨床家など幅広く学んだことは例会活動にも生かされている。
◎国際大会への取り組み
 世界における吃音治療、研究、臨床の動向を知り、世界的レベルで吃音問題を考えていきたいと、日本で第1回国際大会を開いた。以後、世界交流のネットワークは広がり、第2回・西ドイツでは18か国、約550名が参加した。そして、来夏は第3回大会がアメリカ・サンフランシスコで開かれる。
◎パンフレット、ブックレット等の発刊
 吃音研究者、ことばの教室の教員、どもる子どもの親、成人吃音の私たちが知恵を出し合い、議論を重ねて作成したパンフレット『どもりの相談』は、現在2万5千部がことばの教室や保健所などに広まっている。最新刊のブックレットも好評である。
◎親の会とのつき合い
 第14回全国言語障害児をもつ親の会全国大会に私も参加したが、初めて分科会の中にOB部会が入った。岩手県盛岡市のことばの教室OBの大坊英一さんの『私の人生』と題する難聴者としての体験発表は、両親に、また、現在通級している子どもたちに、勇気と展望を与えた。この分科会は、OB組織「やまびこ会」の活動があって初めて実現したものだ。今後、難聴だけでなく口蓋裂、吃音が話題になってくるものと思われる。OBとしての私たちにできることがあるかもしれない。
 また、親の会が現在、進めていることばの教室の「通級制」の充実に関する運動に、成人の私たちとしての役割があれば、積極的に担っていきたい。
◎吃音親子サマーキャンプと両親教室
 吃音親子サマーキャンプやどもる子どもの親のための両親教室の中で、成人の私たちは自らの人生を語る。小学生から高校生、親、そして私たちが一つの輪になって互いの話に耳を傾け、語り合う。自らの吃音にのみ取り組んでいた初期のセルフヘルプグループとは別人のように変わってきているのである。
 今後も、人と人との関わりを大切にし、楽しく活動を展開していきたいと思う。
1991.12.12


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/19

どもる子どもの早期自覚教育

 吃音親子サマーキャンプを主催するようになって2年目の1991年の文章を紹介します。どもる僕たちは、自分たちの吃音について、これまでの「治す・改善する」ではなく、「共に豊かに生きる」を大切にしていこうと活動を続けていました。そして、自分たちの子どもの頃を振り返り、どもる子どものために何かできないかと、吃音親子サマーキャンプを始めたのです。「治るもの、治すべきもの」と思ってきた僕たちは、そのために悩み、現在のどもる自分を否定し、つらい学童期を送りました。そんな思いをしてほしくないと思い、僕たちならではのキャンプを始めました。早期に治療するのではなく、早期に、自分がどもるということを自覚することで、どもりながらも豊かな人生を送ることができると伝えたかったからです。
 今、僕たちには、ことばの教室の教員の大勢の仲間がいます。僕たちの体験と、ことばの教室担当者の実践とをコラボさせて、どもる子どもたちへメッセージを送り続けています。

 
どもる子どもの早期自覚教育
                          伊藤伸二
 盛岡市で開かれた日本公衆衛生学会で興味ある2つの発表があった。(1991.10,16)禁煙教育と性教育に関してである。
 喫煙経験者の低年齢化が進んでいる。中学校ではたばこを吸う教師が多い学校ほど、また、両親、兄弟など近親者や友人がたばこを吸う環境にある生徒ほど喫煙経験者が多いことも報告された。この状況の中で、小学校からの禁煙教育の必要性が叫ばれている。
 関西のある小学校でスライドやビデオを使っての取り組みがなされ、5年生の女子は次のような感想を寄せている。『たばこを吸うと体に悪いことは知っていましたが、けむりを吸っただけでも、がんになったりする確率が高いと聞いてびっくりしました。今までもお父さんに「たばこをやめたら」と言ってきたけれど、今日帰ったら「家族のためにもやめて」と言います』
 また、現代の母親の大半が性教育は小学校3・4年生までに始めるべきだと考えるなど親の意識の変化が報告された。家庭内で性の話がタブー視された一昔前から考えると大きな変化だと言える。また、望まない妊娠をし、中絶する少女たちの増加や子どもの性意識や性行動の変化を受けて、来年度からは、生活科・理科の教育の中に性教育が入ってくる。性の管理ではなく、本来の豊かな性を教えることが必要だとする教師の動きも出始めている。
 これら早期教育の視点からとらえるとき、どもる子どもの教育の実態はどうであろうか。
 今夏開かれた吃音親子サマーキャンプで中2の子どもを持つ父親から次のような発言があった。
 『小学校の2年からことばの教室に通っているが、ことばの教室の先生は「ちょっと言いにくいからそれをスムーズになるために教室に来るのやで」と子どもに説明してくれました。何年も通級しても変わらないので子どもは「こんなにしているのになんで治らないのや」と言うようになり、6年生になったら「こんなに来ているのに、普通の病気でもこんなに長くない」と行かなくなりました。そのときは、ことばの教室の先生からは子どもに説明がありませんでした。家庭の中でも、どもりについて話題にするのを避けてきました。これからどう対応したらいいでしょうか…』
 家庭の中でも、またことばの教室の中でも、吃音が直接の話題になっていない実状が話された。

子どものどもり表紙 幼児期の吃音は、本人にどもりを意識させないようにすることが治療の眼目です。
 「子どもの面前で、ことばの問題を話題にしないようにします」
 「子どもにことばの異常を意識させないよう工夫することによって悪循環が進むのを防ぎ、吃音の問題が自然に衰え、通過するのを待ちます」
 学齢期の吃音は、教師や友だちの態度や考え方が、子どもの行動に大変大きな影響力をもちます。教師や友だちの協力が絶対に必要になります。
 「自分のことばの問題を進んで人に打ち明けるよう励ましましょう」
  『子どものどもり』(平井昌夫・田口恒夫・大熊喜代松・笹沼澄子共著、日本文化科学社1963年)

 幼児期には吃音を意識させないようにと、ひたすら隠し、話題にのぼらなかった問題を、学齢期になれば急に誰かに話せるようになるだろうか。
 親も、指導する側も「どもりを治したい」との本音を持ち、治るならと建前で「どもってもいいよ」と励ます。敏感な子どもであれば、本音と建前を見破ってしまうであろう。自分らしくよりよく生きるためには、どもる自己を肯定して生きることが大切だが、自己肯定する態度の育成はできるだけ早期に始めた方が効果がある。どもっている子どものそのままを本音で受け入れ、吃音のことをオープンに話していくことを早期にする必要がある。
 子どもの頃、母親にも先生にも友達にも、どもることを話題にできず、一人で悩んでいた。誰かに話したかったという成人のどもる人は多い。吃音をできるだけ意識させない接し方でなく、吃音をオープンに話すことで、自覚をうながすことがむしろ必要なのではないか。
 私たちは、吃音の早期治療ではなく、どもる子どもの早期自覚教育を提唱し、その教材作りやプログラム化の取り組みを開始したい。そのとき、禁煙教育や性教育の取り組みや教材作りに学ぶべきものはあるかもしれない。 1991.10.31


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/18

吃音と国語教育

 コロナの感染拡大が、世界中で止まりません。今は、世界中の全ての国で、同じ課題に取り組んでいるというとても珍しい状況になっています。この問題をどうとらえ、どう考え、どう対策し、どう今後に備えるか、各国のリーダーたちが、発信する姿を瞬時に見ることができるのも、現代ならではと言えるでしょう。
 ニュージーランドのアーダーン首相は、緊急事態宣言の出た期間、毎日定時に国民に対して状況を伝えました。ドイツのメルケル首相は、科学者らしいエビデンスをもとに冷静に話すことが多かったけれど、あるときは感情をあらわにして訴えました。ニューヨーク州のクオモ知事も感染が爆発しそうなとき、必死の形相でメッセージを発していました。
 その中で、日本の政治家のことばの軽さ、貧困さが目につきます。官僚の作った文章を棒読みするだけでは、国民の心に響いてきません。伝わってきません。

 伝えたいことがあり、伝えたい人がいて、自分のことばで伝えるとき、相手に届くのだと思います。僕は、そういうことばを持ちたいし、そういうことばを届けたいと思います。
正確に、流暢に話すことが大事なことではありません。
 吃音親子サマーキャンプの卒業式で、高校3年生になった子どもたちは、サマーキャンプで学んだこと、これからどう生きていきたいかなど、自分のことばで話します。今、生まれてくることばを大事にして、どもりながら、メモなど一切もたないで、周りをちゃんと見ながら話します。会場にいる人たちは、小学校1年生の子どもたちも含めてみんな、しっかりとその話を受け止めます。僕は、その光景を誇らしく思います。
 1991年8月にNHK日本語センターで学んだような国語教育を、子どもの頃に学びたかったなあと思って書いた文章です。
 

   
楽しい国語教育
                         伊藤伸二

小学校時代、国語が大嫌いだった。
 朗読の順番が近づくと、胸はドキドキ、顔がほてる。つまってつまって読んで、時には先生から叱られ、友達からは笑われた。「国語」といえば、朗読の時、立往生している姿しか思い出せない。文学作品に親しむこと、文を書くことは好きであり、「国語」が全て嫌いだったわけではない。しかし、当時の「国語」は、読解・音読が中心であり、正確に、流暢に読むことが評価された。

 「国語」の学習指導要領が大幅に改訂され、「話しことば」を前面に出した国語教育が、来年度から始まる。今後、どのように展開されるかは未知数だが、この方向は画期的なことだと言える。
杉澤陽太郎本表紙 それに先立って、NHK日本語センターが主催し、杉澤陽太郎さんたちを講師に、国語科教師のための「話しことば教育」のセミナーが開かれた。全国から集まった100名程の教師と共に、話す、読む、聞くトレーニングを受けた。グループに分かれ、人前でスピーチをし、順番に朗読し、テープにとって検討していく。実習やディスカッションを通して「話しことば教育」の重要性を確認し合った。夏休みを利用し、自己研修に励むこれら多くの教師の真摯な姿に接し、ここに参加している教師が、子どもの指導に当たれば、どもる子どもにとって「国語」は好きな科目になるのではないかと期待が持てた。
 長年にわたって私たちは、どもる子どもの指導は、「ことばの教室」の指導だけでなく、通常学級での「国語教育」の充実が必要であると主張してきた。しかし、これまでの「読み」中心の国語教育は、どもる子どもに役に立つどころか、プレッシャーを与えてきた。今回の改訂による「話しことば教育」が、「読み」でされてきたように正確な発音や流暢さを強調されることがないよう願いたい。どもりながらでも、自分のことばで話すことが最も大切なことだ。
 話すことは本来楽しいことである。その楽しさや人に伝える喜びを知れば、どもることの不安や恐れがあっても、話そうとする意欲は失われないだろう。そして多少の厳しいトレーニングにも耐えることができるだろう。これまでの「国語」の読みは、私たちの生きた日常会話に生かすことができなかった。吃音治療のための音読練習も、またそうであった。
 セミナーでは「話をするように読む」ことを指導された。私自身、人前で順番に読むことが楽しく、また他者のを聞いていても楽しかった。読むことの楽しさを初めて知ったと言っていい。ここでは読みと話すが一体となった。

 今夏行った吃音親子サマーキャンプでのこと。あるエクササイズをし、最後に順番に発表する。小学生、中学生が、どもりながらも誰もが最後まで言い切った。ふりかえりの時、中学生は次のように言った。
 「これまで、読みや発表で順番が回ってくるのがとっても怖かったし、嫌だった。でも、今日は発表が待ち遠しかった。順番が回ってくるのがうれしかった」
 どもる子は発表したり、話したり、読んだりすることが嫌いだろうと決めつけられない。言いたい、他の人に伝えたい、そんな気持ちが強ければどもっても話そうとするだろう。今回のエクササイズで、中学生は、自らの頭で考えたことを是非他人にも知ってもらいたいとの気持ちが強く働いたのだろう。
 言いたくもないことを言わされる、それもどもってとなれば、話すことが楽しくなるはずがない。
 話そうとする意欲を持ち、話すことが楽しいことだと思える子どもを育てることが「話しことば教育」にとって最も大切なことではないか。

 話しことば教育に無縁だった私たちは、大人になった今改めて、自分史、聞く5つのスキル、表現よみ、1分間スピーチ、アサーティヴ・トレーニングなどを通して、コミュニケーション能力を高めるトレーニングを5年前から続けている。
 「国語」がコミュニケーション能力を高めるのに役立てば、日常に生かせるものになれば、国語が好きだというどもる子どもやどもる人が増えるえるに違いない。1991.8.31


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/17

どもる子どもの生き方教育

 コロナの感染急拡大が止まらず、大阪にも緊急事態宣言が発出されました。それに伴い、大阪吃音教室の会場の、アネックス・パル法円坂も、時短要請を受け、原則午後8時までの開館となります。昨日の大阪吃音教室は、年末年始のため、ほぼ1ヶ月ぶりの開催でしたが、来週からは休会になります。セルフヘルプグループにとって大切な、直(じか)に出会うということができなくなることは、とても寂しいことです。
 昨日の講座は、年の初めの恒例の「どもりカルタを作ろう」でしたが、急遽、吃音について今考えていることを出し、話し合いをすることになりました。話題提供された話について考え、話していく中で、僕は、たくさんのことが浮かんできました。浮かんできたことをことばにしていく作業は、とてもおもしろく、わくわくする時間でした。直に出会い、考えをやりとりし、「間」を活かしながらことばを紡いでいく時間は、とても刺激的でした。改めて、僕は、セルフヘルプグループ型の人間なのだと思いました。
 そこでの話は、ぜひ、紹介したいと思います。

 どもる僕たちが、自分の子どもの頃のことを振り返って、今、どもる子どもに伝えたいことは何か、できることは何か、と考え、吃音親子サマーキャンプを開催してきました。「かわいそうな子ども」ではなく、「困難に直面し、それを自分の力でなんとか処理していこうとする子ども」になってほしいと思います。そのように生きている人が、吃音以外のところにたくさんいます。そんな人の一人、レーナ・マリアさんの話から、文章はスタートしました。1991年6月27日に書いたものです。


  
どもる子どもの生き方教育
                           伊藤伸二
 スウェーデンの女子学生、レーナ・マリアさんの人生に対する考え方と日常の生活ぶりがテレビで紹介された(朝日テレビ、ニュースステーション1991.6.12)。
 両手がなく、片足が短いという障害を持って生まれたマリアさんは、今、誰の助けも借りずに、アパートで一人生活をしている。上手に足と口を使って買物をし、アパートに帰ると、今度は足をきれいに洗い、包丁を巧みに使って料理をする。足で車を運転し、ドライブを楽しむ。多少時間がかかることはあるだろうが、両手がないことで行動がほとんど左右されていない。将来はプロの歌手になるのだと夢を語り、実際、声楽を学び、レッスンを受けている。見事という他はない。マリアさん本人だけでなく、このように育てた両親の凄さ、素晴らしさを思った。
 見てそれと分かる障害を持って子どもが生まれた場合、親は驚き、できれば人前に出したくないと最初は思うだろう。唇裂・口蓋裂の子どもが生まれ、「唇の手術が終わるまで決して他人に見せないでおこうと心に誓った」「他の子と遊ばさねばと思いつつも、外へ出すのがかわいそうで、家の中で遊ばせることが多かった」とふり返る親がいる。「どもったらかわいそうだと思い、買い物には一切行かせなかった」と、ついつい甘やかして育てたことを反省するどもる子どもの親も少なくない。
 マリアさんの両親の場合は違った。彼女をどんどん外へ出し、様々な体験をさせた。あらゆる生活の場で困難な場面に直面させ、それをのりこえる力を育てた。生易しい工夫と努力ではなかっただろう。そして、今マリアさんは、「両手のない自分を嫌と思ったことはありません」と明るい笑顔で話す。子どもの頃の、未知なものへの不安や恐れを取り除く教育から、このように自己を肯定して生きる姿勢が育ったのであろう。

 子どもががんにかかったら、真実を知らせるべきだろうか―「がんの子供を守る会」の総会で『告知』の問題が取り上げられた。
 2歳10か月で発病したという女子学生(21歳)は、
 「親が話してくれたので、記憶のある5歳の頃から自分ががんだということは知っていました。親にうそをつかれていないということで、信頼関係が強くなったと思う」
 と言う。また、真実を話してきたという母親は、「大人が考える以上に、子どもたちはたくましく乗り越える」と話す。医師の立場からは「成人でも6割が知らされたいと思っているのに、子どもだから隠した方がいいとは思わない。事実を知りながら親が悲しむと思い、言わずに亡くなる子どももいる。たとえ、治らなくても病名を共有して分かりあえたら、と思います」 1991.6.20朝日新聞『小児がん告知すべきか』

 私は3歳頃からどもり始め、9歳の時にはどもりということばは知っており、どもりを強く意識した。けんかをすると「どもりのくせに」といじめられた。自らの吃音を認められず、吃音が治ることばかりを夢見ていた。話さなければならない場をことごとく避け、自己を否定し、逃げてばかりの生活を21歳まで続けた。レーナ・マリアさんの生き方、小児がんの告知の問題と、自らの子どもの頃を比べると、もっと早くから吃音と直面し、吃音を持ったままの生き方を目指していたら、と悔やまれる。
吃音の克服表紙 『吃音の克服』(新書館)の著書で知られるアメリカの言語病理学者、フレデリック・マレー博士は、「7歳までに吃音が治らないと将来ずっと吃音を持ったまま生きる可能性は極めて高い」と指摘している。ことばの教室に通う年齢に達している吃音は治りにくいと考えるのが現実的であろう。そうであるなら、吃音症状へのアプローチだけでなく、吃音を持ったまま生きる、つまり吃音を直接話題にし、吃音と直面するどもる子どもの生き方教育が必要になってくる。
 自己概念の確立、コミュニケーション能力の育成、アサーション、感情の表現、自己開示、ユーモアセンス。成人のどもる私たちが大阪吃音教室で、学び、トレーニングしているこれらを学童用にプログラム化できれば、どもる子どもの生き方教育のすすめとすることができよう。   1991.6.27


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/16

吃音者宣言」を放任主義で育てることにした

放任主義の本の表紙 映画監督・羽仁進さんのことは、どもりながら軽やかに生きる先輩として、尊敬していました。羽仁さんも、私たちとの出会いを大切に考え、関係を大事にして下さっていました。ニュースレターやブログなど、これまでに何度も登場していただき、紹介してきました。その羽仁さんの著書『放任主義―一人で生きる人間とは』(光文社)の「放任主義」のタイトルを貸していただいて、吃音者宣言について書いた文章がありました。
 私が吃音者宣言を起草し提起してから、今年で46年になります。改めてそれについて論じることはありませんが、今の「吃音を否定しない」「吃音と共に豊かに生きる」の土台になっていることは間違いありません。その土台が決して揺らぐことなく、どっしりとあるからこそ、今の活動があるのです。
吃音者宣言の本表紙 敬愛する芸人・松元ヒロさんは、日本国憲法を「憲法くん」として親しみをこめ、自分が憲法になりきって舞台で披露しています。僕たちも、「吃音者宣言」を何度もかみしめていきたいと思います。「吃音者宣言」は日本吃音臨床研究会のホームページで紹介しています。『吃音者宣言―言友会運動十年』(たいまつ社)も、本の全文を紹介しています。吃音者宣言の歴史がわかるようになっています。
 僕のこのブログは、Facebook、Twitterにも同時にアップしています。コメントや、シェアをして下さる人もいます。とてもありがたいです。多くの人に吃音を正しく知って欲しいと願っていますので、広くご紹介いただければうれしいです。

    
放任主義
                           伊藤伸二

 「どもりはどもりと呼べ」
 こう呼びかけた羽仁進さんの著作のタイトルは『放任主義』。
 私が起草文を書いた、《吃音者宣言》が生まれるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。どもりを治す試みに挑み、工夫し、努力もした。また、思い切りエネルギーを集中して、セルフヘルプグループ活動に取り組んだ。時には沈潜し、どもる人の苦悩、喜び、そして人生にじっくりと耳を傾けた。幅広く活動していても、セルフヘルプグループ活動の中だけで考えていては一人よがりになる。私は、北は北海道・帯広、南は九州・長崎まで、全国35都道府県、38会場でどもる人との直接の対話の旅を続けた。そうして、起草した《吃音者宣言》だが、反対も少なくなかった。厳しい陣痛の中から《吃音者宣言》は生まれたのである。生まれた我が子をどう育てるか。育てることは生むことよりも難しい。
 宣言文にある、「生活を犠牲にしてまで治そうとした人などいるのか?」「明るいどもる人なんて言われても困る」「なぜ、たくましく生きるのか」など、あの部分、この部分が嫌いだといじめられもした。
 我が子への批判に対して、その都度丁寧に説明し、答えて大切に大切に育てようか。それとも、子どものけんかに親が出ていくのはやめ、いじめられても、批判されても、それに耐え、自らの力で自立していくよう「かわいい子には旅をさせよう」か。
 そのとき、羽仁進さんの『放任主義―一人で生きる人間とは』(光文社)のタイトルを思い出した。私は、後者の放任主義を選んだ。それからは、言友会の全国大会のレベルで、また、リーダー研修で、我が子のことを直接話題にすることはほとんどなかった。
 吃音者宣言で言っている、吃音を受け入れるなんて、ウェンデル・ジョンソン(1961年)も言っていて、何も目新しいことでも専売特許でもないという軽視。理想論・建前論にすぎないという批判。これらの軽視や批判にひとつひとつ丁寧に反論していけば、それだけでエネルギーを消耗し、また、子育てに対する自信もなくしていたかもしれない。宣言文の一行一行の文章が意味を持つものではなく、セルフヘルプグループに集う一人一人のどもる人が自らの行動を検討し、自らの人生を誠実に生きる中からこそ《吃音者宣言》は理解されると考えた。だから、吃音に悩み、吃音の問題を解決したいと私たちを訪れるどもる人には《吃音者宣言》を直接提示するのではなく、「吃音が治らないと、あなたの問題は本当に解決しないんですか?」「できないことをどもりのせいにし過ぎていませんか?」「逃げたり避けたりばかりしないで、立ち向かうことを考えませんか?」「自分をそんなにいじめないで、ほめてあげませんか?」などと、《吃音者宣言》文そのものは紹介しなかったが、基本原則はわかりやすく伝える努力はしてきた。
 日本の伝統食品に納豆やみそがある。これら醗酵食品は高温多湿の環境の中で、酵母・細菌などの力を借り、終産物になる。《吃音者宣言》の子育てはこの醗酵作用を利用したといってよい。じっくりと時間をかけ、我が子が成長するのを待った。ただ、待つだけではなく、環境を作り、酵母・細菌を用意した。年に一度の全国規模での吃音ワークショップやリーダー研修では、自分史作り、表現読み、民話の語り、自己形成史分析、交流分析、論理療法、サイコドラマ、竹内敏晴からだとことばのレッスン、構成的エンカウンターグループなどを体験的に学んだ。これらが細菌・酵母役になったと言える。
 これらとどもる人の悩み、喜び、人生が混ざり合い、熟成され、そして《吃音者宣言》は、15歳の若者にいつしか成長していた。15年ぶりに初めて《吃音者宣言》を直接的な話題とした吃音ワークシヨップの時、番外編でのディスカッション、私の主張、みんなで語ろうティーチインの中に、成長した我が子の姿があった。放任主義で子育てをしてよかったとつくづく思う。 1991.5.3


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/14

ユーモアセンス

 ユーモアと笑いについては、前にも、ブログなどで書いてきました。先日、松元ヒロさんのドキュメンタリー「テレビに出ない芸人」を紹介したときにも、ユーモアや笑いの力について書きました。
 僕の家の本棚には、笑いやユーモアに関する本が90冊ほどあります。本のタイトルに「笑い」「ユーモア」などとついていたら、すぐ買うという本の買い方をしますので、こんなにたくさんの本が集まりました。それだけ、昔から笑いやユーモアに関心を持ち、吃音のことを考える上で大切な視点だと思ってきたからです。笑いには、いくつか種類があります。攻撃の笑い、人をさげすむ笑いの一方で、共感の笑い、応援の笑い、うれしい笑い、ふとしたことがおもしろくて笑う、笑いの芸に笑う、たくさんの笑いがあります。どもる子どもたちが、吃音親子サマーキャンプで「笑われて嫌だった」と話すことがあります。その時、その状況での笑いについて話し合い、笑いにもいろいろとあることを知ると、「笑いの意味づけ」が変わります。笑われたことで、落ち込むのではなく、それがどんな笑いなのか落ち着いて考えることができれば、同じ景色でも変わって見えます。受け取り方で、局面が変わるのと同じことです。
 「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」は、アルフォンス・デーケンさんのことばでした。ユーモアを味方につけていきたいものです。僕たちは、ずっと笑いについて考え続けています。昨年亡くなられた織田正吉さんが大阪吃音教室で話して下さったことを、僕たちのニュースレターで紹介する予定です。
 今日は、1991年に書いた文章を紹介します。

   
ユーモアセンス
                         伊藤伸二

 「山のアナアナアナ…アナタの空遠く…」

 自らの吃音体験をもとにした三遊亭歌奴、現在の三遊亭円歌の創作落語が、連日テレビ、ラジオで流れた時期があった。この落語を聞き、吃音を笑いの対象としていると感じた当時の私たちは不快の念を持った。直接、歌奴さんに抗議し、歌奴さんと話し合う機会も持たれた。
 どもっている声や姿だけでなく、「どもり」ということばにさえ嫌悪するどもる人には「山のアナアナアナ・・」は笑って済まされないものであった。
 吃音は本人にとって人生を狂わすほどに大きな問題となる場合がある一方で、このように一般の人々にとっては笑いの対象でもあり得た。悪意のからかいは論外として、他の障害を笑いの材料とすることは、障害者本人だけでなく、一般の人々にも受け入れられることではない。しかし、吃音は一般の人々が、笑いの対象としてもあまり罪悪感を持たない唯一のものではないだろうか。
 大阪吃音教室に初めて参加した人が驚くことのひとつに、どもる人同士がどもっている姿を見て笑うことがある。誰に対してでもという訳ではないが、明るくどもって、立往生している人にヤジがとび、笑いさえ生まれる。「どもる人がどもっている人を笑うなんてひどいじゃないですか」と本気で怒る人がいる。しかし、怒った人も半年後には大阪吃音教室で他者のどもっている姿を笑顔で受け入れるようになっていく。私たちの笑いはさげすみでもからかいの笑いでもなく、ふともれる自然な笑いである。また人の笑いを誘うどもり方に変えることができれば、その人にとって前進なのだ。私たちはどもる。どもりたくないと思いながらもどもる。どっちみちどもるなら暗くどもらないで、明るくどもろうと言い合ってきた。
 私の親友だった京都の吉田昌平さんは、大きな集まりの挨拶で、「本日は…」でどもってなかなかことばが出てこない。そこで「ハーヒーフーへーホンジツは…」と切り抜けた。大爆笑が起こり、それまで会場に張りつめていた緊張が一気にほぐれた。
 大分の北島さんは、底抜けに明るく、笑顔いっぱいにしてひどくどもる。憐憫、哀れみはみじんも感じさせないどもり方だ。思わず、聞き手がひきつられて笑ってしまう。
 第一回吃音問題研究世界大会で出会いの広場の司会をしていた福岡の内野敏彦さんは、どもって声が出なかったとき、ほっぺをピシャピシャと何度もたたいていた。その姿はいかにもユーモラスだった。外国からの参加者も笑っていた。
 伊豆で開かれた「生きがい療法」のワークショップ、生きがい療法実践会の伊丹仁朗さんの指導でユーモアスピーチに取り組んだ。どもりを笑いとばす楽しい話がたくさん聞けた。また、ユーモアスピーチの模範例として話して下さった末期のがん患者の藤原さんの話はおもしろかった。死と直面しながら、自らの闘病生活をおもしろおかしく、笑顔をたたえて話す姿に人間の素晴らしさと凄さを思った。
 自分の苛酷な姿を客観的に第三者の目で見、笑いの対象とする。物は一面的な見方でなく、いくつも見方があることを、笑いと共にさりげなく示して下さった。他人への思いやりが欠け、人間関係がとげとげしくなった現代、笑いの持つ意味は極めて大きい。今、「山のアナアナアナ…」を聞いて不快感を持つより、アッハッハッと笑えるどもる人が私たちの仲間の中では増えている。
 自身がどもり、ユーモアの達人でもあったイギリス首相のチャーチル。そのイギリスの教育から学んで、ユーモア教育をすすめる松岡武さんは、次のようにユーモアについて言う。
 『私は、ユーモアとは、おもしろおかしいことを言って、周りの人を笑わせる才能ぐらいにしか考えていませんでした。しかし、それはひどく間違った認識であることが分かりました。ユーモア感覚というのは、人生のどたん場の状況に追いこまれたとき、うろたえ騒がず、さりげなく肩ひじ張らずに、その苦境を切り抜けていける、鍛え抜かれた精神のたくましさと人間的英知を持った人のことを言うことばだったのです』 1991.5.23


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/13

吃音からのメッセージ

 日本吃音臨床研究会では、「スタタリング・ナウ」という月刊のニュースレターを発行しています。2021年1月号で、317号を数え、26年ほど続いていることになります。毎月、締め切りに追われていますが、そのときどきの社会状況を織り込みながら、また、精神医学や臨床心理学、社会学で学んだ新しいことを盛り込みながら、ただ伝えたい「吃音を否定しないで欲しい」「吃音と共に豊かに生きることができる」を、様々な角度から、多様な切り口で、紙面8ページで構成しています。そして僕は、毎月の特集にふさわしい巻頭言を欠かさず書いています。すんなり書けるときもあれば、締め切りぎりぎりまで苦戦することもあります。苦戦しながらも書き上げたときの喜びは格別です。
 「スタタリング・ナウ」の発行は、1994年6月ですが、それ以前にも、名前は違いますが、ニュースレターは発行していて、その巻頭言も書いていました。最近紹介している文章は、その頃のニュースレターに書いた文章です。よく続いているなあと我ながら思います。今年いただいた年賀状にも、「巻頭言のネタは尽きませんね」と添え書きして下さった方がおられました。
 随分前に書いたものなので、よく覚えている文章もあれば、そうでもないものもありますが、どれも、そのとき、僕から生まれ出たことばたちで、愛おしく思います。
 今日、紹介するのは、ニュースレターのタイトルを切り替えてしばらく経った頃のようで、当初の目的が達成できたかどうか、振り返っています。この目的の中には、すでに達成できたものもあれば、まだまだ届いていないものもあります。今も変わらず、僕の中にある大切な目的です。

    
キャッチボール
                          伊藤伸二

 私たちの発行するニュースレターも2年以上が過ぎた。発行を始めた当初の目的が達成されたかどうか、振り返ってみたい。

1)幅広い人々に読んでいただくこと
 当初、私たちがニュースレターを発行し始めた時の読者のほとんどは成人のどもる人だった。それが今では半数がどもらない人たちだ。そのことを考えれば当初の目的は達せられたといえる。言語障害関係者だけでなく、吃音とはあまり関わりを持たない人々の読者が増えつつあることはうれしい。今号の「読者の広場」のコメントは、言語障害関係者でもない、あるワークショップで知り合った人で、「自分で自分を認め、好きになるためのエッセンスが、このニュースレターにはたくさん入っている」と書いて下さっている。吃音を中心テーマとしながちも、「人として、今を生きる」ことを追求しているからだと思う。
 吃音をテーマに実践・研究することが、吃音でない全ての人々にも共通のものとなることを、《吃音者宣言》を出した頃から意識していた。どもる人のための大阪吃音教室には、吃音とは全くかかわりのない人も参加して下さったり、また本紙を読み、「より良く生きる」ための参考になったと喜んで下さっている。私たちが意識していたことが、実証されているようでうれしい。吃音と直接には関わらない人々の間に読者が広がっていくことを、まず喜びたい。そして、その輪をさらに広げる努力をしたい。

2)どもる人にとって役に立つこと
 どもる人の自分史、実践記録など、どもる人の生の声をできるだけ載せたいと願った。どもる人の生き方、生きるプロセスの中から、現在吃音の悩みの中にある人の生きるヒントがそこにあると信じていたからだ。自分の体験を綴ることをセルフヘルプグループ活動の大切な活動として位置づけて続けているのもそのためだ。実際に掲載できた自分史の数は少なかったが、断るつもりだった仲人の役を引き受け、当日までの取り組みを綴った体験には、共感の多くの感想が寄せられた。このような読みごたえのあるどもる人の自分史がもっともっと集まることを期待したい。

3)吃音研究および実践の交流の場とすること
 ニュースレターを吃音研究と実践の交流の場としたいという願いがあったが、当初はことばの教室の先生方の実践記録はほとんど掲載できなかった。吃音研究に関しても愛媛大学の水町俊郎教授の研究が掲載できたにとどまった。この点が現在の私たちのニュースレターの一番弱い部分である。吃音の研究者・臨床家との交流をより深め、研究・実践を数多く掲載できるようになりたいものである。

 わずか8ページのささやかな情報紙だが、私たちは毎号毎号、一生懸命に作っている。労がむくわれるのは、それに対する反響があった時である。読んでどのような感想を持たれたか、一番知りたい。一般の新聞には読者の広場欄があり、新聞と読者のコミュニケーションが常に行われている。その欄を読むたびに情報紙制作者として大変うらやましいと思う。
 私たちも読者ともっとキャッチボールをしたいと思う。当初の目的として、私たちの主張とは異なるものを含め、できるだけ幅広く吃音問題を扱いたいと願った。だから、私たちが投げかけるボールは直球もあるし、変化球もある。投げたり受けたりする中から「私はこう考える」というその人の考えが出され、ディスカッションできればうれしい。そのキャッチボールを通して、私たちが学べるからである。 1991.4.10


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/12

吃音の研究に生涯を捧げた、吃音研究者・内須川洸先生

 「吃音を治す・改善する」ではなく、「吃音と共に豊かに生きる」という僕たちの生き方・考え方を、深く理解して下さった吃音の研究者が二人いました。お二人とも、もう亡くなっていますが、内須川洸・筑波大学教授と水町俊郎・愛媛大学教授でした。お二人のことは、今後また紹介することになりますが、今日、紹介するのは、内須川先生の定年退官のときに書いたものです。どもらない人である内須川先生は、どもる人の心理をとてもよく理解されていました。押しつけがましいところは全くなく、さらりとしたつきあいを長くさせていただきました。プロイベートでも、僕たちとは25年以上、秋の2泊3日のグループ旅行を続けました。いろんなところを旅しました。そのプライベートの旅行をとても大切に考えて下さり、忙しい学会シーズンなのに、優先的にスケジュールを確保して下さいました。大笑いした旅先のできごと、真剣に語り合った合宿など、優しく、穏やかな笑顔を、懐かしく思い出します。
内須川本表紙4冊_0001内須川本表紙4冊_0002
   
水の若く淡き交わり
                            伊藤伸二
 「君子の交わりは淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと醴(れい:甘酒)の若く」
                                 『荘子』

 一年に一度程度お会いするかしないか、普段は全く音信不通の状態なのだが、何か私たちがお願いした時には、快く応じて下さる。押しつけは全くなく、過度な情報提供も全くない。このようなおつきあいをさせていただいた中で、パンフレット『どもりの相談』、『人間とコミュニケーション―吃音者のために』(NHK出版)が出版できた。そして、1968年の夏に、私が大会会長として開催した、第一回吃音問題研究国際大会の顧問を引き受けて下さった。
 西ドイツのセルフヘルプグループと吃音研究者や臨床家の関係は厳しい対立が、イギリスのグループでは指導する側とされる側のはっきりした依存関係が見られた。海外の吃音の研究者・臨床家と成人のどもる人との関係は、敵対か依存かが少なくない。
 日本の吃音研究の第一人者、内須川洸筑波大学教授と私たちの関係は敵対でも依存でもなく「淡きこと水が若き」関係であった。それだからこそ、吃音の第一回国際大会を日本で開くことができたのだと思う。その国際大会。大会顧問として「こうしたらいいのに、こうあるべきだ」というものがおありになったであろう。しかし、「こうしたらどうか」式の押しつけは一切なかった。いろいろアイデアやアドバイスが過剰にされていたら、とても私たちは対処できなかったであろう。緊張し、自由に行動できなかったのではないか。自由に動けたおかげで、また大会顧問として後ろに控えていただいたおかげで無謀とも言えたゼロからの出発の第一回吃音問題研究国際大会は大成功を収めた。大会フィナーレ。舞台で満面に笑みをたたえて大きく両手をふり、拍手に応えておられた子どものようにはしゃいだ姿が忘れられない。
 このおつきあいの中から、吃音に悩む人とのつきあいにおける私たちのスタンスを学んだ。
 吃音に悩んでいる人であれば、私たちのセルフヘルプグループに参加すべきだとは私たちは考えていない。セルフヘルプグループが全てのどもる人に有効だとは思わない。人それぞれの考えがあり、私たちの「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」との主張を受け入れられない人もあろうし、民間の治療クリニック、宗教、スポーツ、芸術、心理療法など、どのようなルートからでも吃音に悩んでいた人が、自分らしさを発揮し、よりよく生きていればうれしい。
 私たちだけが吃音に悩む人の為になっているという意識はない。しかし、吃音に悩む人が私たちを求めてきたら、私たちは最大限の努力と工夫をして応えたい。セルフヘルプグループが必要なときに、必要な人が、門をたたいてくれたらよい。
 ある研究者から、「あなたたちは吃音者宣言を出し、治すという目標を下ろしたのだから、具体的に何をすべきか、羅針盤を示すべきだ」と言われたことがある。吃音の悩みからの脱出は共に考えられても、その後の生き方は個々人の問題だ。私たちから「このように生きるべきだ」と押しつけるものではなく、押しつける必要もない。押しつけられることこそ迷惑だ。人それぞれよりよく生きる道は違うはずである。それは、個々人がみつけることだ。
 吃音に悩む人との交わりは、内須川教授から学んだ「淡きこと水の若く」でありたいと思う。
内須川本表紙4冊_0004内須川本表紙4冊_0005 この春、内須川洸教授は、筑波大学を定年退官される。学生時代から一貫して吃音を心理学の立場から研究テーマにされ、定年まで続けられた初めての人だ。どもる人間として、長年、吃音と、私たちと、つきあって下さったことに心から感謝したい。その感謝の気持ちを込め、昨年末、私たちが呼びかけ、『内須川先生の退官記念の関西の集い』を持った。水の若きつきあいの人々ばかりが大勢集まって下さり、心温まる集いができた。
 そのときのフィナーレに、内須川先生は「ありがとう」と、ことばをつまらされた。私たちも胸がいっぱいになった。ギブ・アンド・テイクがつきあいの基本なのに、私たちの一方的なテイクだった。いただいたことへのギブは、吃音に悩む人、どもる子どもたちにしていきたい。きっと喜んで下さることだろう。4月からの内須川先生の、新しい出発に乾杯!! 1991.1.31


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/11

吃音を生きるとは、自分も他者も大切にして誠実に生きること

 日本吃音臨床研究会のホームページからの問い合わせ、吃音ホットラインへの相談の電話、一頃のようなことはありませんが、今も、ぽつぽつと続いています。大阪近郊に住んでいる人には、大阪吃音教室への参加をすすめます。遠い所に住んでいる人は、話を聞いてふさわしいと思える僕の書いた本や、ホームページの動画を見て欲しいと紹介しています。吃音に悩んでいる時は、自分の経験だけで考えてしまい、固い考えになってしまいがちです。それをちょっと緩めて、やわらかくして、楽に生きる道があることを知ってほしいと願うからです。
 電話をかけてきた人は、一言一言どもるような人ではないことが多いです。あまりどもらないからこそ、ちょっとした違いが気になるのでしょう。「頭では分かっているけれど…」と言う人が多く、どもることが許せないようです。
 その人の生き方なので、僕がこうしなさいと言うことはできないのですが、一度きりの人生なので、大切に生きてほしいと思います。
 自分を大切に、そして、相手も大切に、そうなると、誠実に生きることにつながります。 どもっていても、言いたいことは言う、伝えなければいけないことは伝える、どもる覚悟と誠実さに尽きるのではないでしょうか。
 今回、引用の文章に出てくる望月勝久さんには、名指してよく批判されました。一時期、リズム効果法の講習会が開かれ、参加していた教員もいたようですが、今は、ことばの教室でこのような実践をしている人は全くいないと思います。
 1990年12月20日に書いた文章を紹介します。


  
誠実に生きる
                         伊藤伸二

 来年度、言語障害の子どもの教育に携わる予定の人々20数人と、吃音についてじっくりと語り合う機会があった。多くの人が私たちの考え方に共感して下さったが、共感しつつも、『吃音者宣言』的生き方は「強い人」ならできるが「弱い人」には無理だとの意見も出された。つまり、どもってでも話せる人は、「強い人」であり、「弱い人」には「どもらずに話す」方法を身につけさせるべきだと言うのである。これはいつも出される懸念でもあり、批判でもある。
 リズム効果法を使えば「どもらずに話す」ことができると主張する日本吃音治療教育連盟の望月勝久さんも、次のように、私たちの考えを批判している。長くなるが、引用しておこう。

 『どもりを持ったままの生き方を確立』しようとする決意の底に、吃音を気にせず、喋りまくろうというふてぶてしい意志が秘められているに違いない。
 それはそれとして、どもり丸出しで喋ろうではないかということは、確かに単純、容易ではない。世間ずれしたむくつけき中年男がどもり丸出しにして喋って吃公開したとしても、非常に愉快であるなどとは思わない。やはり辛い。まして、うぶな少年や青年にそんな度胸があるとは思えない。番茶も出花の女性ではなおさらのことである。
 自己の欠点をさらけ出して、人生を雄々しく生き抜くには筆者自身を含めて、あまりに人間一般は脆弱といっていい。
 集団の中で「やろう、やろう」の雷同の気勢はあげられるが、ただひとり千万人に立ち向える勇気のある者が、どれだけいるか。―中略―
 「アノー、○○○、エー、○○○、エー、アー、○○○、アノー、○○○」という連系語を40%くらい挟んでも、音節を延伸しても、吃音が目立たない話し方ができれば、それでいいではないか。その程度の連系語なら、ポピュラーなのである。誰の話でもそうである。話し方を苦労して工夫しながら、「自分はまだどもりは治っていないかもしれないと思っても、他人様がどもりに気づかなければ万万歳」で、そうなれば社会人としてももはや吃音者ではない』
      『リズム効果法による吃音の治療教育』(望月勝久著 黎明書房1981年)

 この、私の考えに対する批判からも、「ふてぶてしい」「雄々しく」「千万人に立ち向かう」の表現があり、「強い」が強調されている。「強い」との表現に対しては「誠実」と表現したい。『吃音者宣言』的生き方を目指したり、実際しているのは、「強い」からというより、むしろ「誠実」なのだと言いたい。
 つまり、自分に、他者に、「誠実」であれば、吃音の完全な治療方法がない中で、どもりながらも話すことになる。自分に誠実であれば、「言いたいことを言う」だろうし、他者に「誠実」であれば、「言わなければならないことを言う」だろう。
 ふてぶてしくなくても、雄々しくなくても、まして千万人に立ち向かう勇気がなくても、それはできることだ。「私はどもりです」と公開することだけが『吃音者宣言』なのではない。弱さを自覚しつつ、不安を持ちつつ、恥じらいつつ、「言いたいこと」「言わなければならないこと」は言っていく。自分に、他者に誠実に、今を大切に生きるのが『吃音者宣言』的な生き方なのだ。
 最初、『吃音者宣言』的な生き方なんてとてもできないと反発する人も、日常生活を大切に生きることでどもることを避けない生活ができるようになる。そして、それが自分に、他者に、誠実な生き方であり、楽だということにも気づいていく。『吃音者宣言』の文字づらだけでは誤解されることがある。
 どもる人の体験をもとにくり返しくり返し、『吃音者宣言』を説明していくことの必要性を痛感した。 1990.12.20


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/10

吃音と論理療法は相性がいい 損か得かで考える

論理療法 本表紙_0001論理療法 本表紙_0002 1981年『論理療法 自己説得のサイコセラピイ』(アルバート・エリス/ロバート・A・ハーパー著 国分康孝・伊藤順康訳 川島書店)と、1984年『神経症者とつきあうには―家庭・学校・職場における論理療法』(アルバート・エリス著 国分康孝監訳 川島書店)で、論理療法を初めて知ったとき、吃音と相性がぴったりだと思いました。
やわらかに生きる表紙 また、国分康孝教授の論理療法のワークショップで、アルバート・エリスの面接を受けているような気がして、その思いはますます強くなりました。1987年から、これまでと全く違う講座のスタイルの大阪吃音教室が始まって、論理療法、交流分析、アサーションが講座の中心になりました。その後、国分さんに紹介していただいた、筑波大学の石隈利紀さんに3日間のワークショップをしていただき、その記録は『やわらかに生きる―論理療法と吃音に学ぶ』(石隈利紀・伊藤伸二、金子書房)の本として出版しています。その後、石隈利紀さんとは、長くおつき合いしています。国分さんとの面接の経験から、どもる人と提唱者のエリスとの仮想面接を書いた、1990年9月30日の文章を紹介します。
 大阪商人につながる、大阪に住んでいるせいか、「損か得か」の迫り方は、効果があるようです。
 交流分析、アサーション、論理療法については、今後度々紹介することになるだろうと思います。


   
損か得か
                           伊藤伸二

どもる人: 『吃音者宣言』は、「吃音を治そう」とするより、「どう生きるか」を考えているようだが、とてもその姿勢についていけないのです。治るかもしれないのに、どもったままでいいなんておかしいですよ。
エリス: 君は、どもりが治らないと有意義な人生は送れないと考えているのかい。
どもる人: それはそうです。どもってバカにされ、笑われて、嫌な経験をいっぱいしてきたんです。治らないとお先は真暗ですよ。それにどもりじゃ、今の会社で出世もできませんよ。
エリス: そりゃ、今まで辛い、苦しいことがあったのは事実だろうが、それが将来もずっと続くとは限らないだろう。またどもっていても出世している人はたくさんいるから、どもったままでは出世できないというのは事実じゃないね。
どもる人: どもっていて立派な仕事をしている人はいるかもしれません。でも、それは特別な能力がある人ですよ。
エリス: それもおかしいな。何も特別な能力のある人たちでなくても、自分なりの有意義な人生を歩んでいる人は周りにいっぱいいるじゃないか。
どもる人: 人は人ですよ。私は、どもりは治さないと現実の厳しい社会で生きていけないと思うんです。
エリス: 君は今、どもっているわけだろう。現実の社会で現に生きているじゃないか。君は、どもっている今は死んだ状態で会社へ行っているというのか。
どもる人: そうじゃないけど、治れば、軽くなれば、今よりもっといい仕事が、もっと楽しい人生が歩めると思うのです。先生は私に、『吃音者宣言』のような生き方をすべきだとおっしゃるのですか。
エリス: 「〜すべき」とまでいうと論理療法では非論理的な考え方に入るんだ。「〜すべきだ」とは言わないが、その方が得だと思うよ。どれだけの訓練を、どれだけの時間すれば治るか分からないものを、また、これまでのどもる先輩たちが治らずにきたものを、つまり結果が分からないものに取り組むのかい。治ることを信じて使う時間的、金銭的、精神的エネルギーは大変だと思うが、治らなかったら損だよ。それよりも、よりよく生きるために、自分を高めるために、努力しろというのは、勉強や仕事や楽しい人生を歩むために努力しろということだから、どっちに転んでも損をしないじゃないか。

 もとよりこれは、論理療法の提唱者、アルバート・エリスの実際の面接場面ではない。架空の面接だが、当たらずとも遠からずだと思う。なぜ、このような紹介をしたのか。
 日本への論理療法の紹介者、国分康孝・筑波大学教授の論理療法のワークショップ(主催:日本人間性心理学会)に参加し、クライエント体験もし、改めて論理療法と私たちの考え方の共通点を見い出したからだ。
 「吃音に悩み、吃音に影響される人とそうでない人の差は大きく、その差に注目するところから、新しい吃音へのアプローチが探れる」と私は主張してきた。
 論理療法では、A(出来事)そのものがC(悩み)を生むのでなく、A(出来事)のB(受け止め方)によって、C(悩み)は変わるということになる。
 私たちの吃音への考え方に反発する人に、理想で迫るより現実で迫ってきた。つまり、「〜するべき」よりも「〜した方が得だ」との迫り方だ。論理療法でも「損か得か」で迫ることもあるという。また、論理療法は、全て考え方だけ変えればよいと狭く考えていない。A(出来事〉を変えることができるなら変えようとする。しかし、Aを変える前にまず、B(受け止め方)をしっかりとさせるのだという。
 吃音受容の取り組みに自信を深め、今広くコミュニケーションという立場に立って「ことば」そのものにアプローチしようとしている私たちの今の姿によく似ている。
 デモンストレーションの面接をしていただいた国分康孝教授とアルバート・エリスがだぶって、前述の架空の面接場面となった。 1990.9.30


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/9
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