伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年01月

吃音問題国際大会 2

 吃音の世界大会の夢は、実は、ずいぶん前からありました。1978年1月に、僕たちのニュースレターの「吃談室」という小さなコラムに、僕が書いた文章があります。今から43年も前の夢の話です。世界大会はこの文章の8年後に開催され、「一国の大統領」の文言の通り、ジョー・バイデンさんがアメリカの大統領になりました。
 これを機会に、しばらく第一回世界大会のことを紹介していきます。
吃談室
      
<コラム:吃談室>
 A君、私は今、言友会館の10階にある大ホールのコントロール室にいます。今、まさに私たちの念願だったどもる人の世界大会が開かれようとしています。司会者がどもりどもりしかも非常に晴れやかにあいさつを始めました。でも、残念ながら、同時通訳の人は、ユーモアあふれるそのどもりを再現できずにいるようです。
 かつてどもる人が嘆き、嫌ったどもりがその人にとってかけがえのないものとして尊重されています。世界各国のどもる人たちがその国の様々な障害を乗り越えて次々と「吃音者宣言」をし、その成果が今、各国の代表によって発表されています。一国の大統領がいます。教師や医師もいます。コックさん、トラックの運転手さんがいます。この大会期間中、様々な分野の人々がどもりだけでなく自分たちの職業に関しての交流も進めています。……A君、私の初夢はここで終わってしまいました。でも、いつかこの夢が夢でなくなる日がきっと来ることを信じてペンを置きます。(1978.1)


第一回国際大会報告書、カンパパンフ_0001 第一回吃音問題研究国際大会は、今から35年前の1986年に京都で開催しました。今のように、インターネットもない時代です。海外のグループと連絡をとるのも大変でした。どの国にどんなグループがあるのかも分からず、最初は、日本でいう文部科学省や厚生労働省へ、吃音の研究・教育機関とどもる人のグループの所在を問い合わせる手紙からスタートしました。長い長い道のりだったなあと思います。
 そうして、海外と連絡をとりつつ、日本国内では、カンパが少しずつ集まり始め、これまでつきあいのあった方から、応援のメッセージが届き始めました。
 それらを励みに、僕たち事務局は、フル活動をしていたのです。あのエネルギーは、今、思い出しても、すごいものだと思います。「私たちも応援します」とメッセージを下さった方のことばを紹介します。

井上ひさし(作家)
 私もどもりの苦しさは体験して『日本人のへそ』を書きました。私にとって「ことばと人間」は、永遠のテーマです。

コロムビア・トップ(参議院議員)
 口蓋裂の問題について、福祉の方面から取り組んできた関係で、言語については関心があります。この国際大会をきっかけに吃音問題の理解の輪が広がることを期待しています。

羽仁進(映画監督)
 皆さんとお会いしたこと、『吃音者宣言』のこと、いつまでも忘れません。話すということ、聞くということについて私たちが、もう一歩深く考えるヒントがそこにあるからだろうと思っています。

沼田曜一(俳優)
 語るということは、生きるということだ。がんばりましょう。

村井潤一(京都大学教授・心理学)
 自主的に国際大会の開催、すばらしいことと思います。皆の力で成功させたく思っています。

山内久(シナリオライター)
 私は多くの吃音者が持っている羞かみの心はむしろとても大切なものだと思います。ずうずうしくなったからといって上手く口がきけるものでは決してありません。恥ずかしいけれども言いたいことはハッキリ正確に言おうという人間的な意欲を持ったとき、きちんと話ができる人間になるのではないでしょうか。クヨクヨしない大らかさと科学的に物を見る目を持った人間になって下さい。世界大会の成功を祈ります。

小川口宏(東京学芸大学教授・聴力言語障害研究)
 来年の京都で開催されるという国際会議は恐らく、古くて新しい文化の流れの一つのエポック・メーキングとなるのではと大きな期待を抱いております。小生のほんの些細な余力でもお役に立てるようでしたら喜んで提供させていただきます。

水町俊郎(愛媛大学教授・言語障害児教育)
 周知の如く、我が国における吃音研究は大幅に立ち遅れています。今度の国際大会が、吃音研究の活性化を促す契機になればと期待しています。グレゴリー博士をはじめ、著書や論文を通じてしか知らない著名な研究者に直接お会いできるかと思うと、今から胸躍る思いです。

野木孝(全国公立学校難聴・言語障害研究協議会副会長)
 自閉症患者の過去を振り返って手記を読んで、自閉に対するアプローチについて大きな示唆を受けたことがあります。我が国における吃音教育は、まだ混乱状態といっても過言ではないほどなので吃音者自身の発言が大事だと思います。貴大会が成功し、臨床家にとっても示唆に富んだ大会になるよう祈念致します。

川端柳太郎(神戸大学教授)
 昨年、京都で開かれた全国大会で、自分史についてお話しながら、講師である私の方が強く感動しました。それはこの運動が単に吃音の方々の持つ様々な問題を、総合的に解決する方向に向かっていると知ったことだけでなく、普通の人と見なされながらもハンディを持つ人の生き方をも示唆していると感じたからです。現代の社会では、ハンディのない人、悩みのない人などいません。それでこの運動の輪が世界にまで広がるということは、普通の人も含めた人間の生き方にまで、大きな福音をもたらすものと信じています。

入部皓次郎 日本放送出版協会 取締役第1図書編集部長
扇谷正造  社会評論家
大久保忠利 日本コトバの会会長
大橋佳子  金沢大学教授(言語障害児教育)
神山五郎  鳥山診療所所長
佐野浅夫  俳優
田辺一鶴  講談師
長沢泰子  国立特殊教育総合研究所(言語障害研究室)
永淵正昭  東北大学教授(聴覚言語欠陥学研究室)
西川盛雄  熊本大学助教授(言語学)
村山正治  九州大学教授(臨床心理)
八木晃介  毎日新聞大阪本社学芸部記者
山口彰   臨床心理学者
柚木馥   岐阜大学教授(障害児教育)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/31

吃音の世界大会

 昨日は、第三回吃音国際大会を終えての文章を紹介しました。僕はあまり後ろを振り返り、懐かしむことはしませんが、国際大会には特別な思いがあります。僕自身が年齢を重ねてきたせいかもしれません。
第一回国際大会報告書、カンパパンフ_0002第一回国際大会報告書、カンパパンフ_0003 1986年8月、京都で開催した、第一回吃音問題研究国際大会のことを少し紹介しようと思います。昨日も出てきましたが、まず大会宣言を紹介します。そして、第一回の国際大会の報告書から、僕のあいさつ文を紹介します。
 大会運営費捻出のため、500円2万人カンパ運動をしましたが、そのときの3つ折りのパンフレットも出てきました。35年前の国際大会に、おつき合い下さい。
 吃音児、吃音者の表現は、今では使いませんが、当時のまま紹介します。

      
第一回吃音問題研究国際大会 大会宣言

 話しことばによるコミュニケーションが欠かせない現代、吃音は人間を深く悩ませる大きな問題のひとつだと言える。また、吃音は人口の1%の発生率があり、これは国や民族の違いを越えてほぼ同率である。この世界の多くの人々が悩む吃音問題を解決しょうと、様々な調査、研究、及び治療プログラムが世界各国で進められ、セルフ・ヘルプ・グループも多く発足した。しかし、長年にわたる調査、研究にもかかわらず、吃音の本態で不明な部分は多く、したがって全ての吃音児・者に100%有効な治療法はまだ確立されていない。吃音児・者は吃音にどう対処すればよいか、また臨床家はどのようにアプローチすればよいか悩んでいるのが現状である。
 一方、一般社会には「どもりは簡単に治るものだ」という安易な考えがあり、吃音児・者の真の悩みは知られていない。社会における吃音問題への理解の浅さが、吃音児・者本人にも影響を及ぼし、吃音問題解決に大きな障害となっている。
 このような吃音を取りまく厳しい状況の中で、吃音問題の解決を図ろうとするためには研究者、臨床家、吃音者がそれぞれの立場を尊重し、互いに情報交換することが不可欠である。互いの研究、臨床、体験に耳を傾けながらも相互批判を繰り返すという共同の歩みが実現してこそ、真の吃音問題解決に迫るものと思われる。
 ここで、研究、臨床上、考慮しなければならないことは、吃音は単に表出することばだけの問題ではなく、その人の人格形成や日常生活にまで大きく影響するということである。だからこそ、吃音問題解決は、吃音児・者の自己実現をめざす取り組みであり、吃音症状の改善、消失もその大きな枠の中に位置づけられるべきである。
 1986年8月、京都で行われた第一回吃音問題研究国際大会を機に、我々は世界各国の研究者、臨床家、吃音者に呼びかけ、吃音問題解決のための輪を広げることを宣言する。

  1986年8月11日           第一回吃音問題研究国際大会



<第一回吃音問題研究国際大会 報告書>

           
巻頭のあいさつ
                      大会会長 伊藤伸二

第一回国際大会報告書、カンパパンフ_0001 未経験なものに挑戦するのは楽しい。しかし、それには大きな不安も伴う。多くて20人程の人々が集う例会を全国各地で続けている言友会。全国大会といっても100名程度の参加。それぞれの言友会は月々 300円程度の会費で運営され、その中からの拠出金で賄っている全国言友会連絡協議会の年間予算は、30万円にも満たない。
 20年の活動実績があっても、海外との連絡は、西ドイツ、アメリカなどのグループと時折機関紙などの交流がある程度。さらには西ドイツやオーストラリアなどが開きたいという希望を持ちながらも実現してこなかった世界で初めての国際大会。
 このような状況の中では、国際大会の開催に、躊躇するのは自然な姿であろう。大会開催を決め、実行委員会のメンバーを募ったとき続いた長い重い沈黙は、如実にそのことを物語っていた。
 吃音問題といえば、症状にばかり目を向けてきたこれまでの考え方に『吃音を治す努力の否定』を提起し、『どもりながらも明るくよりよく生きる』ことを目指した、つまり困難な未知の分野に初めて足を踏み入れた私たちならではの決意であった。また、私たちの活動成果が問われることにもなった。私たちの力のない部分を、未熟な分野を、幅広い大勢の人たちが補って下さった。口頭発表やシンポジウムなど、大会の全てのプログラムの中で、話題提供者、司会者として、また、翻訳、通訳、その他様々な仕事を、大勢の人々が積極的に手弁当でお手伝い下さった。第一回吃音問題研究国際大会を成功に導いたのは、これら大勢の方々の善意と熱意であった。
 国際大会そのものは、熱気あふれるものとなり、海外からの参加者が、「夢の世界にいるようだ」「これまで国際会議に何度も参加したが、これが最高」と本当に喜んで下さり、それをことばで体で表して下さった。公式プログラムのほとんどは、この報告書に収めたが、「大会宣言」を作成するときの海外代表との話し合い、国際吃音連盟の設立や第二回大会開催についての討議、夜を徹してのフリートーク、ウェルカムパーティ、さよならパーティの盛り上がりなどは紙上では再現できなかった。感動や国際交流がその中にこそあっただけに残念である。しかし、世界各国の吃音事情はよく表現できていると思う。この報告書をきっかけに吃音に関する論議がさらに深まればこれにまさる喜びはない。
 直接・間接に協力して下さった大勢の方々に心から感謝したい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/30

どもる人の世界大会 第三回吃音問題国際大会・アメリカ大会

 1986年、京都で、僕が大会会長になって、第一回吃音問題研究国際大会を開催しました。そして、その後3年ごとに世界大会が開かれることになりました。どもることは悪いこと、恥ずかしいこと、劣ったことと考えていた僕たちが、どもるという共通項で世界中から集まる、それだけでも、すごいことでした。参加した多くの人が、まるで夢のようだと言ったのも、当然なのかもしれません。人を遠ざけていた吃音が、人をつなぐ役割を果たしたのですから。
 インターネットがまだ無かった時代です。今から思えばよくまあ開催できたものだと思います。2000万円の大会経費をカンパと参加費だけで集め、京都国際会議場の大ホールに海外からの代表34名を含め、世界11の国から400人もの人が集まったのですから。僕の人生の中で一番の思い出になりました。
 僕は、世界大会を開くにあたり、どもる当事者だけでなく、吃音研究者、臨床家、どもる子どもの保護者など、立場の異なる、吃音に関わる人たちが対等に議論し、対話することを大切に考えていました。お互いの立場を尊重し、互いの体験、研究、実践に耳を傾け、どもる人にとってよりよいものをみつけていきたいとの思いからでした。
 コロナ禍の今、過去に書いた文章を紹介していますが、1992年9月30日に書いたこの文章が、今回紹介するもので、アメリカ・サンフランシスコで開かれた第3回大会世界大会が終わってから書いたものです。遠い、遠い昔の出来事ですが、今も僕の心の中には、親友の、ジョン・オールバックがいます。会いたいです。
 

  
第三回吃音問題国際大会雑感
                           伊藤伸二
 「夢の世界にいるようだ」「こんなに楽しいことを3年後なんてとても待てない、来年アメリカでしたい」
 京都で開かれた第1回国際大会での次期開催国を決める代表者会議。第2回大会を3年後に西ドイツでとの流れに、だだっ子のように一人抵抗を続けたのが、アメリカのグループの一つNSPの会長ジョン・オールバックだった。
 待てなかったはずの6年が過ぎ、彼は今大会の大会会長として、楽しそうに動き回っている。その彼を眺めながら、6年前の京都での国際大会のフィナーレでの彼のスピーチを思い出していた。
 「これまで私たちは、皆、孤立していました。希望の光を求めてさまよってきたのです。私たちの歩いている道は平坦ではありませんでした。どもりからの解放を叫んでも、社会の人たちは、その叫びに耳を覆い、聞こうとしてくれませんでした。でも京都のこの大会でこうして出会えた私たちは、もうひとりぼっちではありません。世界中に仲間がいるのです。どんな困難があろうとも、決してあきらめないでがんばりましょう」と言い、更に次のように呼びかけた。

・どもりは必ず治るなどと偽りの希望を与える人たちとは戦いましょう。
・自分自身を、吃音を素直に受け入れられない人には温かく援助しましょう。
・どもりを差別し、さげすむ人には、私たちが啓蒙しましょう。
・どもりで悩む若者、子どもがいたら愛情をもって接しましょう。

 第3回大会は、ジョン・オールバックのこの考え、取り組む姿勢が色濃く出た大会となった。
 『この大会を、カナダのどもる人たちのために素晴らしい仕事をし、昨年自動車事故で亡くなったマリー・ポウロスに捧げる』としたこと。
 社会へ吃音問題を訴える映画「勇気について」の製作者や主人公の11歳のアリッサを特別ゲストとして迎え、大きく取り上げたこと。
 劇、ダンス、チャリティー・オークション、全米の活動家の表彰式など、参加したどもる人個々人の交流に重点がおかれたことなどだ。
 しかし、吃音の研究、臨床の本場アメリカで開かれる大会にしては、また、6年目の国際大会としては、内容の薄いものとなった。30あったワークショップもバラエティーに富んでいたものの、内容について物足りなさを感じた人が少なくなかった。企画の段階で、吃音研究者、臨床家にあまり協力を求めなかったのも一つの要因だろう。「どもる人だけが集まるのではなく、世界の吃音研究者、臨床家、どもる人が参加し、それぞれの立場を尊重し、互いの研究、臨床、体験に耳を傾けながら議論をし、解決の方向を見い出そう」との、第1回を開催した私達が目指した国際大会の方向性がだんだんと稀薄になっていく危惧さえ感じられた。
 また、世界各国の吃音へのアプローチの違いが明確になりながら、それはなぜなのか、突っ込んだ議論ができず、吃音問題解決に、世界各国のセルフヘルプ・グループがどのように体験を出し合い、議論し整理していけばよいかの展望を見い出せなかったのも、残念なことであった。
 このような大会内容に対する不満を漏らす海外参加者も少なくなく、日本のリーダーシップを期待する声も多く聞かれた。
 幸い、世界吃音連盟の推進母体となる世界吃音コミュニティーの三人委員会のメンバーに、アメリカのメル・ホフマン、ドイツのトーマス・クラールとともに日本の伊藤伸二が選ばれた。この三人で、第1回大会の大会宣言の趣旨を今改めて思い起こし、その方向性を皆で確認していきたい。
 日本が、真に世界に羽ばたく時がきたようだ。 1992.9.30


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2012/1/29

障害の受容、自己受容は、それを目指してできることではない

 障害の受容、吃音の受容、自己受容、そのようなことをよく言っていた時期がありました。しかし、いつの頃からか、「受容」のことばに抵抗をもつようになりました。吃音や自分を受容できないと、自分を否定する人に会ってきたからです。自分の人生を振り返っても、吃音に深く悩んでいたときに、「吃音を受容すれば、自分を受け入れたら」と言われても、到底受け入れられなかっただろうと思います。吃音を受け入れられないと悩む人に、「受け入れなくてもいいけれど、今、あなたは実際にどもっているよね。その事実は認めますか」と尋ねると、「それは事実だから、認めざるを得ない」と言います。僕は、「それでいいんじゃないでしょうか。事実を認めることからスタートしましょう」と言うようになりました。自己受容はその人の人生のプロセスの中で、何かのきっかけで結果として起こることで、誰かに勧められたり、それを目指してできるものではないと思います。
 
 石川県金沢市にある石川県教育センターとは、長いつきあいがありました。九州大学の村山正治先生の、「九重エンカウンターグループ」に、2回目に参加した時、当時教育センターの相談課長だった、関丕(せき ひろ)さんに会いました。グループの中での僕の発言にとても共鳴して「伊藤さん、大好き」と話しかけてくれました。そして、翌年度の石川県の新任教員の研修会の講師を依頼されました。関さんが定年退職の後、ふたりの相談課長が引き継いで、僕を講師として呼んで下さいました。その一人、徳田健一さんのことは以前のブログで書きました。新任教員の一日研修だけでなく、「いのちの電話」の研修やいろんなカウンセリング研修、金沢エンカウンターグループのファシリテーターなど、金沢の教育関係の人たちとの深いつきあいが続きました。
 そのありがたい出会いのきっかけとなった、関丕(せき ひろ)さんとそのお母さんとの話が本になり、映画化されました。吃音とは直接関係はないのですが、とても参考になりました。このように他の分野から学ぶことが多かったです。


  
パッチンして! おばあちゃん
                    伊藤伸二

パッチンしておばあちゃん 表紙 障害、病気や怪我、老いによる寝たきり。このような一般にマイナスと受け取られる状態になっている自己を受容して生きることは容易なことではない。
 寝たきりになった、おばあちゃん(母親)に
「あなたは、生きていることだけで、十分に意味があり、周囲の人々を幸せに出来るのだ」 娘の、関丕(せき ひろ)さんは、繰り返し、繰り返しそう伝えた。おばあちゃんは、「パッチン!」というまばたきで周りの人と心を通わせ、その看護に、100人を越える仲間達が代わる代わるかかわった。
光のなかの生と死 金沢で実際あった出来事が『光のなかの生と死』という本になり、今度は、『パッチンして! おばあちゃん』というアニメーション映画となって、今秋一般に公開されることになった。
 関さんは映画化にあたって、つぎのように語る。
 『「寝たきりになって、醜態をさらしたくない」と多くの人々は言われる。私は、それを聞く度に、もしかしたら、母も自分が醜態をさらし、まわりの人々からひんしゅくをかったのではないか、と不安に思ったことはなかっただろうか…と気になる。しかし、3年2か月間ベッドに横わっていた母の姿は、醜態どころか、仲間たちや私に、力強く大らかに生きていくことの大切さを教えてくれた。母に残された、唯一のコミュニケーションの機能であった目の開閉サイン「パッチン」によって、健康であった頃の母と同じくらいいや、それ以上に真実の交わりができた。その事実をこのアニメーション映画は、いろいろなエピソードをアレンジしたり、仲間達の創意工夫を細かい点にいたるまで見逃さずに取り上げて、しかもユーモラスに伝えてくれている』
パッチンしておばあちゃん映画ポスター どうして、このような真実のふれあいができたのだろうか。いろいろと条件はあるだろうが、関さん親子が自己受容の人であったことに注目し、自己受容について考えたい。
 吃音に悩んできた私達の自己受容は、障害(吃音)の受容から始まる。障害の受容は、吃音問題にとって最大のテーマだと言っていい。吃音に悩み、吃音を治したいと願ってセルフヘルプグループを訪れたどもる人が、「どう治すかではなく、どう生きるかだ」という考えを知る。それに反発する人がいる一方で、納得し、吃音を受容し、これまでの生き方を変える人がいる。これら自己受容の道を歩み始める人々にこれまでの人生を聞くと、次のような経験を持っていることが多い。
  吃音にとことん悩んだ経験
  一時でもとことん吃音を治す努力をした経験
  何らかの喪失体験、挫折休験から立ち直った経験
 ここでは、喪失体験、挫折体験から立ち直った経験のもつ意味について考えたい。
 仲のよい友との別れ、可愛がっていたペットの死、親との別れ、財産や職業、地位の喪失など、人は子どもの頃から、多かれ少なかれ様々な喪失体験をする。入試、スポーツ、仕事、恋愛などで挫折もある。
 これらの体験にどう対処してきたかが、障害の受容に大きく影響しているようだ。
 苦しんだり悩んだりすることを避けず、困難な場面から逃げず直面してきた人と、中途半端に悩み、中途半端な解決をしてきた人とでは、障害の受容の程度、それに至るまでのプロセスに大きな差があるようだ。
 このように考えながら、『光のなかの生と死』を読むと、関さん親子が、様々な喪失、挫折の体験と真正面に向き合い、ぶつかり、自分に正直に、自分を信じて、その時その時を生ききっておられるのがよく分かる。喪失、挫折への対処のこの体験があったからこそ自己を受容し、他者を受け入れることを、身につけてこられたのではないか。
 人間には将来、どのような試練や障害が待ち受けているか分からない。たとえば、自分自身が、あるいは身近な人が寝たきりになった時、どう対処できるか。
 困難な状況にどう対処するかの、日常の小さな体験の積み重ねが意味を持つのだろうと思う。
 吃音を通しての、障害の受容、自己受容は、さらに大きな障害と直面したとき、生きてくるに違いない。 1992.7.30


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/28

吃音を隠すことによって起こる、プラス面とマイナス面

 吃音を周りの人に公表するかどうかは、吃音を考える際の定番ともいえるテーマです。僕も、いろいろな相談会やワークショップなどで、吃音を公表するかどうか、よく相談を受けました。公表すべきかすべきでないかなどと、大上段に構えることでもなく、どもる僕たちは、いつものようにどもりながら話していくしかないと思うのですが。
 就職の面接や自己紹介で、どもったらどうしよう、どもったら大変だと言う人がいます。
どもる人間である僕たちが、どもって話すのは、ある意味当然のことです。どもらないように工夫することはあったとしても、うまくいかないときは、自然にどもるしかありません。隠せるのなら隠してもいいでしょうが、同じような場面は今後いくらでも出てきます。どこかで、えいやっと覚悟を決めるのが、僕はいいと思います。「さらけ出して生きる」なんて言われると、大事のように感じられますが、どもるときはどもるままに、自然の成り行きにまかせてどもりながら話していくしかないと思うのです。古くて新しいテーマです。1992年6月25日に書いた文章を紹介します。


  
自らをさらけだして生きる
                          伊藤伸二

 多かれ少なかれ、隠したいことを持たない人はいない。秘密を持つこと、それを守り続けることが出来るのは、成熟した人間の証でもある。また、自らが認めたくないこと、劣等感を持っていることを隠したいと思うのは自然な気持ちだ。全てをさらけ出していることが、無条件に素晴らしいこととも思えない。しかし何かを隠し続けることが、日常生活に支障をきたす場合、検討してみる必要がある。
 話す場面をうまく避ければ、また普段はあまりどもらない人であれば、吃音は隠し続けることができる。しかし、隠しおおせないのではと不安や恐れを持つ場面に遭遇する時がある。その時悩みが噴出する。

 「近々新しい職場で歓送迎会があり、大勢の前で自己紹介をしなければなりません。うまくできるかどうか心配で、この一カ月ずっと悩み、円形脱毛症になりました。今、病院で薬をもらって飲んでいます」
 過日行われた、吃音の個人的な悩みに焦点をあてたグループワークで悩みが出された。

伊藤  あなたの今の悩みの源になっている考えを探してみませんか。
参加者 人前ではどもりたくない。どもるべきではない。どもるとばかにされる。どもりだと分かると仕事上でマイナスになる。このように考えてきました。だからずっと、どもらないように工夫し、どもりを隠す努力をしてきました
伊藤 これからも、ずっと隠し続けて生きるつもりですか。

 このようなやりとりがしばらく続いた後、本人と15名の他の参加者に、「どもりを隠すことによって起こるプラス面とマイナス面を挙げて下さい」と問いかけた。つぎのようなことが出された。

プラス面
  嫌な気持ちにならないで済む
  普通の人間に見られる
  ばかにされないで済む
  相手と対等に立てる
マイナス面
  疲れる
  実際の能力以下にみられる
  精神的負担、苦痛が大きくなる
  行動が制限される

 どのようなことでもプラスとマイナスはある。しかし、一時的に嫌な体験をしないで済むなど、吃音を隠し続けることによって得られるプラスは、活力あるものとは言い難い。一方、隠すことによるマイナス面は自分自身の人生に大きな影響を与える場合がある。
 プラスとマイナスを厳密に検討している訳ではないだろうが、自分を大切によりよく生きようとすると、人は、隠さない方を選択していく。しかし、子どもの頃からそのように意識的に育てられている人でない限り、例えばハンディキャップをさらけ出して生きることを選択することは、容易いことではない。隠すことでプラスとまではいかないまでも、それなりの安定を得ているからだ。隠さない生き方への転換には、きっかけとなる出来事や人との出会いがある。

 この5月、私たちの吃音ワークショップで、中学校の教師、崎坂祐司さんが、「自分をさらけ出して生きる」の演題で話して下さった。崎坂さんは、除々に体が不自由になる難病に、「夢だ、悪い夢だ」といらだち嘆く生活を送っていた時、先輩教師と出会う。自分の全てをさらけ出してかかわってくれる彼との出会いの中から、「子どもたちに自分の体のことを語り、出来ない事は出来ないと素直に話す」、自分にしか出来ない教育を目指し始める。
 崎坂さんが会長を務める難病アミロイドーシスの患者の会「道しるべの会」では、崎坂さんのように「自分をさらけ出して生きている人」と「隠し、ひっそり生きたいとする人」がいると坂崎さんが話した。同じ難病のスウェーデンの団体に次のスローガンがある。アミロイドーシス患者の吃音者宣言のようなものだ。

 1 我々は隠してはならない
 2 我々は見られなければならない
 3 我々は沈黙してはいけない
 4 我々は要求をはっきりさせ、その立場で影響をあたえなくてはいけない
 5 我々は諦めてはいけない
 6 我々は厄介な状況にもかかわらず、闘わなければならない

 「今、とっても落ち着いています。歓送迎会、がんばります。失敗しても逃げていては、いつまでも成長しないし、そこでドキドキしながら立ち向かうことが、自分にとって、プラスになっていくことを信じて…」
 グループワークが終わった後、彼はこう振り返った。
 勝手なことを言わせてもらえれば、歓送迎会でどもらずに言えるより、周りの人にはっきりと、どもりと分かる程どもればいいなあと私は思う。なまじっか、どもらずうまくいくと、隠すことに成功したことになり、同じことをまた繰り返すからだ。ピンチはチャンスなのだ。1992.6.25


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/26

ゲシュタルトの祈りで、僕の気負いが消えた

 今日、紹介する「ゲシュタルトの祈り」には、助けられました。どうしてもこれが大切だ、これが必要だと思い、一生懸命伝えても、それをそのまま受け止めてくれる人ばかりではありません。そんなときは、空しさを覚えるのですが、それをすぐ打ち消してくれるのが、「ゲシュタルトの祈り」です。その後、僕は、倉戸ヨシヤ先生のゲシュタルト・セラピーに出会うことになります。高野山のワークショップなど、関西でのワークショップにはかなり参加し、最後には「ゲシュタルト療法50セッション」にも参加しました。その時、修了書としていただいたのが、英文の「ゲシュタルトの祈り」でした。今も大切にしています。
 老子の思想をわかりやすく紹介した、加島正造の「求めない」も、僕を助けてくれました。ついつい「…してやったのに」となりがちだったところを、消してくれました。
 人はそれぞれに違うことを肝に銘じ、僕は僕の信じる道を歩いていきたいと思っています。

  
ゲシュタルトの祈り
                         伊藤伸二

 他者に自分の意見や行動が理解されない、支持されない時、人はどう対処するだろうか。
 自分の意見や行動に誤りがあるか検討し、修正すべきはするという人もいるだろう。ある人は理解しない、支持しない人を責めるかもしれない。自説を信じ、それが広く理解されることを願い、そしてそれがこれまでの方向と全く違う場合、摩擦が起こる。
 “どもりは治る、治すべき”に対し、“どもりは治らないかもしれない。治すことよりそれを持ったまま生きる道を探ろう”は、どもる人に、また吃音にかかわる人々にとって、180度の発想の転換を意味する。
 この方向転換は、10年の歳月と一万人近いどもる人の体験の中から生まれた。また、言語障害の研究者や臨床家の指導を受けたり、他の分野からの借りものではないだけに、大いなる自負と自信があった。
 自信はあったが、批判は当然予想していた。しかしいざ痛烈に批判されると、気負ってそれに対峙した。また、批判のための批判と、どもる人や言友会を思っての善意の批判との区別がつかず、全ての批判に勢い込んで反発した。私たちのあまりの尖鋭な反論に、善意の人はたじろぎ、私達との交流を断った。
 また、一気に流れを変えようとしたために、反発するどもる人が言友会から去った。
 どもりを治したいと集まってくるどもる人にどうすれば〈吃音者宣言〉を理解してもらえるか。どもる人への愛情から、どもりを治そうとする臨床家に私たちの真意をどうすれば分かってもらえるか。
―私たちの会に入ったどもる人なら〈吃音者宣言〉を理解して欲しい。私たちの会は全てのどもる人の役に立たねばならない。臨床家は、治そうとすることによるマイナス面に思いを巡らすべきだ―このような意識を自分自身では気がつかないままに持っていたのではないか。
 だから周りの人々から、「あなたたちは気負い、肩肘張って声高に自らのことを主張している」と感じられたのかもしれない。生み出すことに立ち合った〈吃音者宣言〉だが、それと今後どうつき合うか悩んだ。宣言が出され3年目、13年程前のことだ。その頃、ゲシュタルト・セラピーの提唱者パールズの詩『ゲシュタルトの祈り』と出会った。
 
 私は私のことをする
 おまえはおまえのことをする
 私はなにも、おまえの気にいるために
     この世に生きているわけじゃない
 そしておまえも、私の気にいるために
     この世にいるわけじゃない
 おまえはおまえ、私は私
 もし私達がお互いに出会うなら、
     そりゃあ素晴らしいことだ
 もし、出会わなかったら、
     そりゃあ、仕方のないことさ

 スーッと、肩の力が抜けるのを感じた。人はそれぞれに違うのだ。また違うから素晴らしいのだ。〈吃音者宣言〉と出会ってよかったという人もいれば、反発する人もいるだろう。他者に自分の考えや意見を押し付けられるものではない。ことばだけで説明したり説得したりするより、〈吃音者宣言〉の実践を積み重ねることが大切なのだと知った。
 その実践を通して、できるだけ広く理解されるように分かりやすく語る努力は続けたい。しかし、それがうまくいかなかったとしても、それは仕方のないことだ。全てのどもる人に、吃音にかかわる全ての人々に支持されるということは無理な話だ。私たちと合わないどもる人がいて当然なのだ。
 その後、私たちは〈吃音者宣言〉を直接のテーマに議論することが少なくなった。それがかえってよかったと思う。だから言語障害の分野以外に目が向き、いろいろなことが学べた。回り道をしたからこそ〈吃音者宣言〉が静かに根付いた。この回り道のきっかけを作ってくれたのが『ゲシュタルトの祈り』であった。この出会いに感謝したい。1992.6.4


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/25

「ほうれんそう」と吃音

 「ほうれんそう」は、一時流行ったことばですが、最近も使われているのでしょうか。僕が昔書いた文章の中に、社会人になるどもる人への応援歌がありました。僕はサラリーマンの経験が全くありません。「吃音を治す、改善する」にこだわらず、「今の自分を肯定して生きよう」と「吃音を治す努力の否定」を提起したころ、僕は大阪教育大学の教員をしていました。そのためか、「伊藤さんのように国家公務員の安定した仕事をしているから、そんな甘いことが言えるのだ。現実のサラリーマン生活は甘いものじゃない」とよく批判されました。だからこそ、新しく社会人になるどもる人への応援の気持ちがとても強かったのだと思います。1992年4月30日の文章は、その思いから書いたものですが、今でも通用するように思うのですが、どうでしょうか。
 「ほうれんそう」は、社会人として仕事をしていく上で不可欠なことです。どもりたくない、どもるのが嫌だと思うと、どうしてもおろそかになってしまいます。僕は、自分にも他者にも誠実に生きるということが大事だと思いますが、他者に対して誠実であるということが、この「ほうれんそう」につながります。報告と、連絡と、相談。ありふれたことばですが、それができることが社会人としての基本なのだと今も思います。


   
ほうれんそう
                      伊藤伸二

 「社会人になって一番期待していることは?」の問いに、「新しい出会いがあること」と答え、「一番不安なことは?」の問いに、「職場の対人関係がうまくいくかどうか」と答える新社会人が多いと、新聞記事にあった。
 新しい世界で、新しい人間関係を作ることへの期待と不安は誰しもが持つ。しかし、まだ吃音とうまくつき合えていないどもる人にとっては、不安ばかりが先行する。
 「学生時代から不安でいっぱいでした。案の定、新入社員研修でつまずきました。私だけが取り残されて皆の輪の中に入っていけませんでした。研修が終わり、ある部署に配属されましたが、人間関係がうまく作れません。仕事もうまくこなせるかどうか不安です…」との手紙をいただいた。
 いかに能力を持っていても仕事は一人で出来るものではない。価値観、立場、年齢の違う人々と協力し合わなければならない。日頃から、日常の仕事を通してよりよい人間関係を作る努力は怠れない。
 そこで、どもるがゆえにしてきた失敗をもとに、私たちが得たものを、新社会人のお祝いとして贈りたい。それは、『ほうれんそう』だ。もとよりポパイを強くする野菜のほうれんそうではない。
 「仕事の経過は、上司に報(ホウ)告しながら、同僚とは連(レン)絡を密に、困ったことや疑問に感じたことは相(ソウ)談する」ということだ。
 なんだ、そんなこと常識じゃないか、と思うかもしれない。何も目新しいことではなく、常識なのだが、これがなかなか難しい。出来そうで出来ていないからこのようなことばを作り、常に意識しようということなのだ。
 報告、連絡、相談、というありふれた言葉を結びつけ、新しい概念のように『ほうれんそう』としたのは山種証券の、当時社長だった山崎豊治会長だが、先月2人の社員の証券不祥事「飛ばし」が発覚し、会長辞任に追い込まれた。社員に野菜のほうれんそうを配るなど、社をあげて「報・連・相運動」を展開してきただけになんとも皮肉な話だ。
 私たちが行っている吃音評価に、日常生活での回避度をチェックする項目がある。
 「上司に伝言すること」「同僚に伝言すること」「上司に報告すること」「大切な用件で電話すること」などの項目で、いつも避けるという人はほとんどいないものの、時々避けるという人は少なくなかった。
 報・連・相が主としてスピーチで行われるだけに、どもる人が苦手意識を持ってしまう。しかし、新社会人として今から、『ほうれんそうは、今後社会で自分の能力を十分に発揮するためにも、職場の人間関係をより良いものにするためにも不可欠なビタミンのようなものだ』という認識を持っていれば、また、日頃から報・連・相を心がけ、工夫と努力を怠らなければ、『ほうれんそう』は強い味方になるだろう。
 『ほうれんそう』を味方につけるには、どもることを隠さないことだ。避けずに大いにどもることだ。
 私たちは、どもりたくないために、必要なことでも報告しないことがあった。その時決まって「いちいち細かいことまで」と言い訳をした。相手の立場に立たない思い込みや早合点はほうれんそうの敵だ。また、ことばを言い変えたり、まわりくどい言い方をし、「何を言いたいのか?」と叱られた。こちらが緊張しているために、相手も緊張させ、相手の注意が表情や態度に向き、内容が伝わらないこともあった。どもりたくないためにとる行動がほうれんそうを腐らせた。
 ほうれんそうは生きており、手作りの個性的なものだ。作り置きが出来ないものだ。臨機応変の柔軟性が求められる。ということは、実際の社会生活の中でしか育たない。試行錯誤しながら自分自身が育てるものだ。そうすることによって同時に、ほうれんそうが私たちを育てる。
 どもっても、こまめに連絡しよう。困ったことや疑問に感じたことがあれば、遠慮しないで、できるだけ早めに相談しよう。報告は、要領よく簡潔に、結論から言う習慣を身につけよう。1992.4.30

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/24

「吃音のままでええがな」と優しく語りかける相田みつをさん

 相田みつをさんが、吃音に悩んでいた時期があったことはあまり知られていません。僕たちも知らなかったのですが、1984年にリーダー研修会で栃木県の仲間が書いた自分史で知りました。改めて、詩を読むと、「トマトとメロン」の詩は、どもる私たちにこそ読ませたかったのではと思えてきます。相田さんの、やさしい、でも厳しいことばに出会い、そうだよなと頷いたり、背中を押してもらったりしました。
 今回、文章の冒頭で紹介する詩は、論理療法そのものです。平易なことばで真実に迫る相田さんと、どもりについて話してみたかったなあと思います。
 僕たちが相田さんを知ってからすぐに、相田みつおさんは、多くの人に知られるようになりました。銀座には「相田みつお」記念館が開設され、今でも多くの人が訪れています。
 1992年3月26日に、僕が書いた「トマトとメロン」を、そして、その前の1984年の「自分史づくり」の研修会で仲間が書いた自分史「トマトはトマト」を、合わせて紹介します。

       
トマトはトマト
 足利市の長林寺で、月に一度、洗心講座という仏教の教えを学ぶ勉強会が開かれている。講座が終わると、懇親会が行われる。和気あいあいでこころにしみる会話がなされる。その懇親会の中で私は時々、どもりの悩みを話した。
 ある日、相田みつをという書家が私に向かってやさしく、しかし力強くことばを放たれた。
 『若い時私も、どもりに苦しんだ。ある日町を歩いていて、八百屋の店先にみずみずしいトマトが並んでいるのが目にとまった。ふと、頭をよぎるものがあった。「そうだ!トマトはトマト。ドモリはドモリ。ありのままの自分で生きればいいんだ!」それ以来、私は楽になった』
 自分を変えよう、なんとかしてどもりを治そうと、一人であがいていた私に、相田さんから送られた<ことばの布施>であった。私の心と体に、このことばはしみこんでいった。やさしくも、力強いことばを他者に投げかけることの大切さ。それが良寛の言う『愛語』であろう。
 どもりのままでも、しっかり生きなければならないという覚悟。そして、ことばの力『愛語』を信じること。私は相田さんから大切なことを学んだ。



  
トマトとメロン
                     伊藤伸二

 いつでも言うように
 問題はむこうにはない
 こちらにあるんだな
 つまり、自分がそのことをどう受け止めるか
 どう解釈するか…ってことだなあ

 今回、私たちが学んでいる論理療法は、アメリカの心理療法家、アルバート・エリスが開発したものだが、日本には論理療法の発想は古くからある。論理療法ということばに抵抗を感じる人は、冒頭のことばにふれていただきたい。書家であり、在家の禅師ともいえる相田みつをさんが、論理療法のすすめを易しいことばにしてくれている。
 1987年、吃音ワークショップin名古屋で、論理療法を学ぶ時、相田みつをさんのこのことばを紹介した。そのときから、相田さんのことばの一つ一つが、私たちの吃音者宣言と通じるものがあり、吃音ワークショップに来ていただきたいと願っていた。お住まいが関東でもあったので、昨年の東京で開かれた言友会25周年の吃音ワークシヨップの講演のお願いをした。しばらくしてたくさんの資料とともに、体調をくずしており、当日出かけられるかどうか、今約束はできないとの丁寧なお手紙をいただいた。体調が戻られたら再度お願いしようと考えていたが、昨年12月17日、亡くなられた。直接お話が聞けなかったことは残念だが、たくさんの詩を、書を、残して下さっている。
 どもりを忌み嫌い、なんとか治したいと悪戦苦闘してきた私たちに、相田さんは、さりげなく、
 「そのままでええがな」と、ほほ笑み、
 「悩みはつきないな、生きているんだもの」と、人間の弱さをみつめる。そして、
 「自分が自分にならないで、だれが自分になる」と、私たちに迫る。

 数々の詩の中で、トマトの詩に特に共感を覚えた。長い間、私たちは、どもっている自分を否定し、吃らない自分を夢みた。今でも使う人がいる「正音者」という嫌なことば。その「正音者」と「吃音者」を対比させ、正音者より吃音者は劣ったものとして、正音者になることを夢みた。そうなるべく、努力もした。しかし、そうならない現実に悩み、ますます自分を否定した。現在もこのような状態の中にいる吃音に悩む人は少なくない。
 トマトの詩は、トマトのままでいいと呼びかけている。トマトの詩を紹介しよう。
にんげんだもの表紙
  トマトとメロン

トマトにねえ
いくら肥料やったってさ
メロンにはならねんだなあ

トマトとね
メロンをね
いくら比べたって
しょうがねんだなあ

トマトより
メロンのほうが高級だ
なんて思っているのは
人間だけだね
それもね
欲のふかい人間だけだな

トマトもね メロンもね
当事者同士は
比べも競争もしてねんだな
トマトはトマトのいのちを
精一杯生きているだけ
メロンはメロンのいのちを
いのちいっぱいに
生きているだけ

トマトもメロンも
それぞれに 自分のいのちを
百点満点に生きているんだよ

トマトとメロンをね
二つ並べて比べたり
競争させたりしているのは
そろばん片手の人間だけ
当事者にしてみれば
いいめいわくのこと

「メロンになれ メロンになれ 
カッコいいメロンになれ!!
金のいっぱいできるメロンになれ!!」
と 尻ひっぱたかれて
ノイローゼになったり
やけのやんぱちで
暴れたりしているトマトが
いっぱいいるんじゃないかなあ
      『にんげんだもの』相田みつを著 文化出版局    1992.3.26


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/23

自分を好きになる―新しく歩み始める一歩

 サンフランシスコで開催された第3回世界大会の後、コロラド州デンバーにあるアサーティブ・トレーニング・センターのパット・パルマー所長に来ていただき、ワークショップをしました。その時の内容も、会場の雰囲気、パルマーさんの立ち居振る舞いもよく覚えています。パルマーさんは、アサーティヴな言動を日常的に実践している人でした。
 ワークショップの前日、サンフランシスコの中華街で数人と夕食をとりましたが、人気のある店でとても混み合っていました。どのような状況だったのかは思い出せませんが、店の人に交渉し、快適に食事ができたのは、パルマーさんの行動でした。
 当日のワークショップでいくつかのエクササイズをしました。その終盤でした「褒める」のエクササイズに、僕は本当に驚きました。7人ほどが円くなって座り、一人が真ん中に座って、周りが順番にその人のいいところを伝えていくものです。

 まず、パルマーさんが見本を示しました。「あなたは、初めてのことにも積極的に挑戦する、その積極さが素敵です」、「あなたは、他者をとても大切にする人で、その温かさが大好きです」など、当日初めて出会った参加者に、このようにコメントしました。初めて出会った人になら、その人の服装や雰囲気など、外見的なことしか褒めようがありません。
 そうして始まったエクササイズで、真ん中に座った人は、初め、緊張していて、恥ずかしそうにしています。順に話していくと、「いえいえ、そんなことない」とクビを横に振っていた人が、どんどん笑顔になっていくのを見ました。世界大会に参加した人たちは前から知っている人もいますし、初対面でも日本から一緒に旅をしてきた人たちです。なので、少しは外見ではない部分を褒めることができました。ワークショップの最後に誰かが質問しました。
 「初めて今日、出会ったのに、パルマーさんは、どうしてあのようなコメントができたのですか」
 「このワークショップが始まって、昼食もとりみなさんとは知り合いですよ。みなさんのこのワークショップに取り組む姿勢や動きを私はよく観察していました」
 とても納得したので、そのことが強く印象に残り、僕自身がこのようなワークショップをするときも、よくパルマーさんのことを思い出します。
 「いいところさがし」は、学校現場でもよく行われているようですが、実際にことばで伝えられると、うれしいものです。パルマーさんが提示してくれた、自分を好きになる3つのヒント、皆さんは、できていますか。


  
自分を好きになる
                           伊藤伸二

 どもりに悩んでいた頃、自分が大嫌いだった。
 どもってみじめになっている自分。からかわれたりいじめられている自分。友達が欲しくてたまらないのにいつもひとりぼっちの自分。自分の全てが嫌いだった。
 自分で自分が嫌いな人間を、他者が好きになってくれるわけがないのだが、当時はそれが分からなかった。自分が嫌いだと、何事にも自信が持てず、困難な場面からはすぐ逃げる。逃げるたびに自分を責め、さらに自分が嫌いになった。
 私は、このように、ますます自分を嫌いになる悪循環の中に入っていったのだが、それに気づくことも、それから脱出する術も知らなかった。
 この悪循環をどうしたら断ち切れるだろうか。

 「教育上、特に援助を必要とする子どもに対する指導―ことばの教室はどのような役割を果たせばよいか、担当教師はどうすればよいか―」
 先日、このようなテーマの、ことばの教室の教師を対象とした研修会があった。そこで話をしたが、話す内容を「自分を好きになる子に育てる」にしぼった。教育上、特に援助を必要とすると考えられる子どもは、自分が嫌いになっている子どもでもあるからだ。子どもが悪循環に気づき、それを断ち切ることはたやすいことではなく、周りの人々の援助が必要となる。「自分が嫌い」という子が「自分が好き」と言えるようになるよう、少なくとも、「自分が嫌い」にならないように援助することが、ことばの教室の役割だと言いたかった。
 「自分が好きだ」と言える子を育てるには「自分が好き」という周りの人が必要だ。そこで、この研修会での話のはじめに「自分が好き、あまり好きじゃない、嫌い、の3つに分けたらどれか」という質問をした。参加した60名程のことばの教室の教師の中で、「自分が好き」に手を挙げた人は4人しかいなかった。
 謙虚で控え目の答えだろうが、少なくとも半数以上の人が「自分が好き」に手を挙げるだろうと予想していただけに驚いた。
 子どもにとっても大人にとっても、自分を好きになるということは難しいようである。
どもる子どももどもる人も、また周りの親や教師も、自分自身を好きになるにはどうすればよいのか、共に考える必要がありそうだ。
自分を好きになる本表紙_0001 アメリカ・コロラド州デンバーにあるアサーティブ・トレーニング・センターのパット・パルマー所長は、子ども向けの『自分を好きになる本』(径書房)で自分を好きになることの大切さを説き、どうしたら好きになれるか、いくつかヒントを示している。

◎1日にひとつ、好きなことをしよう
◎「ここが私のいいところ」と友達や家族に話そう
◎自分が何をしたくて何をしたくないか、はっきり言おう

自分を好きになる本表紙_0002 これらは子どもだけでなく、大人でも通用する。
 より良いことばの教室の教師とは、自己を肯定的にとらえている人、つまり「自分を好き」だと言える人である。そして、通級してくる子が陥っている自分を嫌う要因を把握し、悪循環に気づきそれを断ち切るために、その子自身が、また周りが何をすべきか、考え、提示できる教師である。
 今夏、私たちが主催し、パット・パルマーさんのワークショップをサンフランシスコで開くことになった。参加した人たちは、さらに自分が好きになって帰ってくることだろう。1992.1.30


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/21

第46代アメリカ大統領に就任するジョー・バイデンさんが語る吃音

「あなたが誰であろうと、きつ音であろうとなかろうと、常に自らの成長を意識し、きつ音があなたの未来を決めることがないようにしてください」

バイデン画像 まもなく第46代アメリカ大統領に就任するジョー・バイデンさんが、僕たちと同じようにどもるということを少し前に知りました。日本よりも、人前でスピーチする力が重視されるアメリカ社会で、大きな苦労があったことだろうと推察します。
 NHKのニュースサイトNHK NEWS WEBの特集1月19日で、下記のタイトルの記事を見ることができます。映像もあります。どもりながらスピーチしている少年に、バイデンさんは、「同じクラブの仲間だ」と言ったそうです。僕は、これがいいなあと思いました。治すのではなく、共に豊かに生きるそのものだと思ったのです。

「きつ音」の大統領誕生へ アメリカ社会に希望見いだす人たち(1月19日 20時52分)

 1月20日に第46代アメリカ大統領に就任するジョー・バイデン氏。バイデン氏の就任を特別な思いで見守っている人たちがいます。「きつ音」がある人たちです。会話の際に、言葉を繰り返したり、詰まったりする「きつ音」。日本国内で100万人以上、そしてアメリカでも300万人以上にあるとされています。実は、バイデン氏も、子どもの頃からきつ音に悩んできました。スピーチなど、人前で話すスキルが重視されるアメリカ社会。そのアメリカで、きつ音の人が大統領になることに希望を見いだす人々に話を聞きました。
(ワシントン支局 太田佑介)

全米が注目した「きつ音」の少年のスピーチ
 去年8月、オンラインで開催された民主党の全国党大会。バイデン氏の指名受諾演説に備えていた私は、ある少年のスピーチに思わず作業を止めて、画面に見入りました。

ブレイデン・ハリントンさんのスピーチ
 「こんにちは。僕の名前はブレイデン・ハリントンです。13歳です。バイデンさんがいなければ、こうしてここでお話していません。僕たちは数か月前にニューハンプシャー州で会いました。バイデンさんは『僕たちは同じ“クラブ”の仲間なんだ』と教えてくれました。僕たちは…きつ音なんです。僕と同じような人が…大統領になったなんて本当にすごい。僕はただの普通の子どもです。そして、生まれてからずっと気になっていたことについて、ほんの短い間にバイデンさんは僕に自信をくれたんです」
 全米の多くの人が視聴する党大会でスピーチすることは、並大抵の緊張ではないはずです。しかし、言葉に詰まりながらも、カメラを見据えて懸命にバイデン氏にメッセージを送ったハリントンさんのスピーチは、全米の注目を浴びました。

 ハリントンさん本人に、話を聞くことができました。
 去年2月、父親に連れられて地元の東部ニューハンプシャー州で行われたバイデン氏の集会を訪れたといいます。その会場で、父親がバイデン氏にハリントンさんがきつ音であることを伝えると、バイデン氏はハリントンさんに肩を寄せながら、こう声をかけたのだそうです。

バイデン氏がハリントンさんにかけたことば
 「私もきつ音の時、こここういう風に、ははは話していた。練習が必要だったが、約束する。君にはできる。君の未来はきつ音によって左右されるべきではない」

子どもの頃「きつ音」に悩んだバイデン氏
 バイデン氏は子どもの頃、重いきつ音に悩んでいました。自らの自伝「守るべき約束」の第一章は「障害」。きつ音でうまくしゃべることができず、「障害のジョー」などとあだ名をつけられたとしています。また、高校では全校生徒が朝礼で順にスピーチをするのに、バイデン氏には順番が回ってこなかったといいます。その時の気持ちについて「今日でさえ、その時感じた不安感、恥ずかしさ、強烈な怒りを、当時と同じくらい鮮明に思い出すことができる」と記しています。バイデン氏は発声練習のために、鏡に向かって詩を暗唱することをひたすら繰り返したといいます。

バイデン氏が実践した詩の朗読 ハリントンさんに
 バイデン氏はハリントンさんに、自らが過去に実践した詩の朗読を勧めました。ハリントンさんはそれ以来、熱心に朗読を続けています。バイデン氏はハリントンさんをはじめ、きつ音がある人々およそ20人と連絡先を交換して、アドバイスを続けているのだといいます。ハリントンさんもバイデン氏に応援メッセージを送るなど、2人は今も交流を続けています。バイデン氏が大統領に就任することに勇気をもらったというハリントンさん。
 将来、同じようにきつ音に悩む子どもを助けるために、言語聴覚士になりたいと夢を語ってくれました。
 インタビューの最後に、世界中の「同じ“クラブ”の仲間たち」に向けて、バイデン氏から教えもらった次のメッセージを送りたいと話しました。

 「あなたが誰であろうと、きつ音であろうとなかろうと、常に自らの成長を意識し、きつ音があなたの未来を決めることがないようにしてください。あなたの進む道に困難があるとき、それはその困難を乗り越えるための新たな力になるのです」

バイデン氏の大統領就任で “社会の変化の兆し”も
 バイデン氏が大統領となることに、社会の変化の兆しを感じる人もいます。南部テキサス州ダラスで雑誌の記者として働くホセ・ララットさん(44歳)です。ララットさんもきつ音があります。

ホセ・ララットさん
 「自分自身の名前を言うのさえ難しいです。言葉を出そうとしても、竜に胸や首に爪を立てられているような感じです。電話の時には特に症状がひどくなります。相手からは『電話が壊れたのか』と思われるほどです」

 ララットさんには辛い過去があります。8年前、地元のラジオ局の番組に出演した時のこと。放送中に緊張からか、きつ音が何度も出てしまったところ、番組の途中にもかかわらず、スタジオから追い出されてしまったというのです。

ホセ・ララットさん
 「コマーシャルに入ったとたん、プロデューサーが駆け寄ってきて、私のひじを持って椅子から引っ張り、建物の外に追い出されました。とても辛かったです」

 きつ音が社会でよく理解されていないことを痛感したというララットさん。バイデン氏の大統領への就任が、きつ音に対する社会の認識を高めてくれることを期待しています。

ホセ・ララットさん
 「彼は我々に誇りを与えてくれました。国のトップにもなれることを示してくれました。きつ音のことをまだ多くの人が知らないのが現状ですが、きつ音があるバイデン次期大統領のおかげで、認識が高まりつつあります」

きつ音への向き合い方 変わることへの期待
 きつ音の支援の現場では、バイデン氏の就任が、きつ音への向き合い方そのものを変える助けになることへの期待が高まっています。

きつ音の研究と教育を行っているテキサス大学オースティン校。
 大学では子どもから大人まで、年間500人のきつ音の人たちを対象に、オンラインやサマーキャンプで無料のセラピーを実施しています。ここでは、きつ音を治したり隠したりするのではなく、むしろ、個人の特徴として受け止め、きつ音で大勢の人の前で話す練習などを繰り返すことで、自信をつけることに力を入れています。

セラピーに参加した男子学生
 「誰かが私に…きつ音を出さないよう言ったら、…それは私に話すなと言っているのと同じです」。

セラピーに参加した女子学生
 「…私はきつ音ですが、きつ音についてみんなに分かってもらいたいのは、その人の知性や学習能力とは関係がないということです」

テキサス大学オースティン校 コートニー・バード博士
 「見方を変えて、きつ音を障害とみなす必要はないと理解することです。世界に同じ人は2人とおらず、誰もが違うしゃべり方をするのですから。私たちは今、きつ音の人が大統領になる世界を目にしています。私がバイデン氏に伝えて欲しいメッセージは、きつ音があってもいいということです」

スピーチ重視されるアメリカ社会で
 アメリカ社会では、人前でいかに自信を持ってスピーチし、明確に表現し、相手にどれだけ強い印象を残せるかが非常に重視されます。それは幼いころからの学校での授業、就職面接、顧客へのプレゼンテーション、法廷での質疑応答から選挙まで、社会で最も重要なスキルのひとつと言っても過言ではありません。そうした中で、きつ音の人々は、言葉を発することに自信が持てないことによって、キャリアの形成や人間関係に深刻な影響を受ける可能性が高いことが、研究でもわかってきています。

「誰も1人で重荷を背負うべきではない」
 バイデン氏のきつ音は消えたわけではありません。大統領選挙期間中の2019年12月にも、民主党の討論会の最中に、きつ音が出たことがあります。その様子について、サンダース元ホワイトハウス報道官が「わわわわわわわわ私はバイデン氏が何を言っているのか分からない」とツイートしました。これに対し、バイデン氏は「私はきつ音を克服するために生涯をかけて努力してきた」と反論。サンダース氏はバイデン氏がきつ音であることは知らなかったとして謝罪し、ツイートを削除しました。

 バイデン氏は自伝の中で、自らのきつ音について、こう語っています。

バイデン氏の自伝より
 「誰もがそれぞれ、何らかの重荷を背負っていて、その重荷はほとんどの場合、私のものより重い。そして重荷があるからといって、誰も肩身の狭い思いをするべきではないし、誰も1人で重荷を背負うべきではない」

 「きつ音の大統領」の誕生をきっかけに、アメリカ、そして世界で、きつ音に対する理解が広がり、その障壁が低くなることが、人々の願いです。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/20
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