伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2020年12月

どもる人の甘えの構造

 2020年12月18日が、今年最後の大阪吃音教室でした。当初の計画では「一分間スピーチ」でしたが、コロナの影響で、毎年初夏に開いていた新・吃音ショートコースでの「ことば文学賞」の授賞式が開けなかったために、この日は、「一分間スピーチ」と「ことば文学賞授賞式」のコラボの教室になりました。集まった12編の作品の中から4作品が候補作になり、それを1作品ずつ読み上げて、参加者全員がそれに対して感想を述べる、豊かで、心温まる時間でした。4作品の中の2作品が就職活動や就職試験、その後の仕事をしていく上での生活のことでした。かなりどもると自他共に認める2人が、面接を受け、合格し、その後、苦労しながら就労している生活を丁寧に綴っていました。その2人は、吃音に決して甘えることなく、自分にも社会にも誠実に生きています。苦労をしながらも、よくここまでがんばってきたことだと、心からの敬意の気持ちがあふれてきました。
 その余韻がある中で、今日紹介する文章は、昨日の大阪吃音教室で読まれた2つの作品とは随分違います。同じように吃音に悩んできても、21歳までの僕のように吃音に甘えて生きてきた人間と、そうでない人間がいるのです。「どもる人は」と、絶対にひとくくりにできないと改めて思います。 1989.5.25日に書いた文章です。


   
どもる人の「甘え」の構造
                    伊藤伸二

 『吃音者宣言』の鍵概念に私は「甘え」を入れた。どもりに悩み、現実から逃げ回っていた私自身の生活、また多くのどもる人とのふれ合いの中から、「甘え」の概念抜きには吃音問題は語れないと思ってきた。だから『吃音者宣言』の中に「甘え」のことばを入れ、甘えている自分を自覚し、生活態度を変えようと呼びかけた。その後のセルフヘルプグループ活動の中で、「甘え」を互いに戒め合ってきたと思っていた。
 1989年の吃音ワークショップは、「生きがい療法」の伊丹仁朗医師の熱意あふれる話と実りあるワークによって、105名の参加者に大いなる満足感を残して終わった。実りあるワークショップであっただけに、散見された「甘え」に触れておきたい。「甘え」は相手に好意を求め、それが当然であるかのように思っているところから生じる。

甘え1 どんなにどもって話しても、的を得ない発言であっても、相手は最後まで話を聞いて決して中断させてはならない。

 ワークショップ最終日の「みんなで語ろう、ティーチイン」は、ワークショップ期間中学び合ったこと、考えたり感じたこと、また日常の生活の中で悩んでいることなどを出し合い、参加者全員で話し合う大切な時間として、ここ数年定着している。
 「こ、こ、こ、高校の時、合唱クラブに入っていました……高校は商業科で……」どもってどもっての発言に最初は耳を傾けた。しかし、一生懸命聞こうとしても本人の本当に言いたいことは伝わってこない。「何をみんなに伝えたいのですか。本当に言いたいことだけにしぼって話して下さい」と私は司会者の立場から介入した。「会に合唱団を作りたいと思っています」これが、彼の伝えたいことであった。そこで、彼が話したいことは伝わったと判断し、私は話を打ち切ろうとした。しかし、「もうちょっと、もうちょっと」と話を続けようとする。その時すでに発言し始めてから20分も経過していた。「できたらここで止めていただけませんか」という私の司会に、「言おうとしているのだから最後まで発言させるべきだ」「途中で止めさせるのはおかしい」と会のリーダーの二人から批判が寄せられた。この発言で、私は司会役を続ける意欲をすっかり失ってしまった。
 どもってどもって、それでなくても時間がかかる私たちだからこそ、その場その時にふさわしい発言をしていきたい。その場に適した、また心から伝えたいことばであれば、人はいかにどもろうと耳を傾ける。しかし、内容のない、場にふさわしくないことをどもってどもって発言し、それでも最後まで聞けというのは、どもる人のグループであっても難しい。話そうとする前に話すべきことばを持っているか、自らに問いたい。臨機応変に対応する柔軟性を持ちたい。伝えたいことを簡潔に言う習慣を身につけるため訓練をしていきたい。それはどもらずに話す訓練よりも大切なことである。

甘え2 どもる人の会合には、どもる人は予約しなくてもいつでも気持ちよく受け入れてもらって当然である。

 宿泊を伴うワークショップは、宿泊所への予約関係で苦慮するため、申し込み締切り日を2週間前にしている。締切り間近に速達で申し込んでくる人も、また遅れて申し訳ないと電話をしてから申し込む人もいる。が、締切りに全く無頓着な人も多い。前日に「ワークショップに参加しますから。だめならやめるけど」申し訳ないという一言もなくただこれだけの電話があった。日帰り参加だからと全く連絡もなく、当日飛び込んでくる人がいた。伊丹仁朗さんの用意して下さった「生きがい療法」のテキストを読んだり、アンケートに記入したり、自分史を書いたりして参加しようと呼びかけたワークショップだっただけに、このような参加は断りたかった。
 土居健郎は、日本人の中の「甘え」の構造を指摘した。もちろん、「甘え」はどもる人特有のものではないし、「甘え」が全て悪いとは思わない。しかし、「甘え」がどもる人の自立を妨げているのも事実である。私たちは「甘え」に人一倍繊細になり、それを自覚し、減らしていきたい。自分で気がつかなければ互いに指摘し合いたい。それがセルフヘルプグループの役割だとも思う。 1989.5.25


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/19

吃音と共に、社会へ出ようとしている人たちへ&社会人一年生の皆さんへ

 新型コロナウイルスの影響で、就職活動がこれまでとは違う様子だという報道がされています。春先、内定が取り消しになったとか、就職はしたけれど、入社式も研修もなく、とまどう社会人一年生の話もありました。
 今日の大阪吃音教室は、今年の「ことば文学賞」の授賞式です。応募作品の中のいくつかは、就職活動や、その後のどもりながらの会社生活での努力や苦労が綴られています。それを読むと大変だろうなあと想像できるのですが、実は、僕には就職活動の経験がありません。2浪して大学に入り、4年間の大学生活の後、学士入学で別の学部に3年間在学し、卒業と同時に大阪教育大学の言語障害児教育1年課程に入学。そして、研究生として1年研究した後、大阪教育大学文部教官助手として採用されました。それが僕の初めての就職です。論文はいくつか書いたものの、試験のない採用でした。28歳の新社会人ですから、随分おそい出発です。
 民間企業で生活したことがない僕に、こんなことを書く資格はないのかも知れませんが、大勢の就職活動中の人や社会人から話を聞いて、相談にのってきた立場から、書いたものです。1989年4月2日に書いた「フレッシュマンへの応援歌」を紹介します。
 
   
フレッシュマンへの応援歌
                  伊藤伸二

 私たちの仲間でも多くのフレッシュマンが社会へ出発ち、早一ケ月たった。なんなくこなしている人もいるだろうが想像よりは厳しいと立往生している人もいるかもしれない。どもりに悩み、大きな不安を持って社会に出て、いろいろ体験してきた、つまり君たちと同じ道の、ちょっと先を歩んでいる先輩として、ほんの少しのよびかけをしたいと思う。
 まず、何かできなかったり、うまくいかなかったことをどもりのせいにしないことだ。得意先から苦情がきた、人間関係がうまくいかない…など、これから職場の中で様々な問題が起こってくるだろう。これまでは、私たちはこういうとき、うまくいかない原因を、自分のどもりに求めた。「どもりだから仕方がないのだ」と。だからどもりを治そうと思った。
 しかし、ちょっと待ってほしい。本当にどもりだけが原因なのだろうか。単純にどもりを原因としてしまうと、本来すべき努力がおろそかになってしまう恐れがある。物ごとに取り組むにあたっては、自分のことば以外の能力、誠実さ、努力、工夫などに問題はなかったか、考えてほしい。どもりだけのせいにしないで他に問題はないか、チェックする習慣はつけておいた方がいいだろう。
 次にどもっている自分を全ての人に受け入れてもらおうとは思わないことだ。どもって立往生しているときにじっと聞いてくれる人もいるが、いら立つ人もいる。どもる人は採用しないと公言する社長もいるし、むしろどもる人をよろこんで採用する社長もいる。
 こんなに苦しんでいるのだから、周りの人はどもる人を温かく受け入れるべきだと考えてしまうと、そうならない現実に悩み、落ちこむことになる。一人の人から受け入れられなかったとしても、人はどもる人に対して冷たいと、過度な一般化はしないことだ。「人はそれぞれに違う」ということは、肝に命じておいた方がよい。
 三番目に、事実と推測を混同しないようにしよう。どもっていると会社に迷惑がかかる、窓口でどもって応対すると相手に不快な思いをさせる、とよく聞くが、本当にどれぐらい会社に迷惑をかけているのか、相手にどれほど不快な思いをさせているのか確かめたわけではないだろう。事実ではないかもしれないことを想像し、自らの行動を狭めてしまうことはやめよう。何が事実か確かめることは、かなりの勇気がいる。推測していたことが実際に事実であれば、大きなショックにもなりかねない。しかし、推測に惑わされるほどつまらないことはない。事実かどうか確かめる勇気と習慣を持ちたい。
 四番目に、困難に出会ったとき、避けないでできるだけそれに立ち向かうことだ。これまでは困難に出会ったとき、回避しても学生だからと許される部分もあったかもしれない。しかし、これからはそうはいかない。いつも困難から逃げていると、いつまでも自信が育たず、慢性の劣等感に悩まされる。実際行動してみると困難と思ったことがそれほどでもなかったことが分かるだろう。
 自分で困難だと考えたことに立ち向かい、うまくいったときは大きな自信につながるし、たとえ失敗したとしてもそれは後に生きてくる。また一つのことが失敗したとしても、自分の全てがダメになるわけではないし、まして殺されるわけではない。そう考えると大きく落ちこまなくてすむだろう。
 最後に、苦しいとき、困ったとき、決して一人で悩まないことだ。そんなときはセルフヘルプグループの集まりに参加してほしい。どんなに小さい問題でも、その人にとっては大きな問題なのだ。私たちは、真剣にその問題を、共に考えたいと思う。
 フレッシュマン、がんばれ!!                1989.4.20


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/18

人生を根底から変える出逢い

1989年3月16日に書いたものです。
セルフヘルプグループで、自分以外のどもる人と出会い、語り合い、お互いの体験に耳を傾けることが、自分の人生を根底から変える出逢いになることがあります。

  
よき出逢いを〜
                            伊藤伸二

☆どもる人が今の社会で明るく前向きに生きることは無理だ
☆どもる人が教師など話すことの多い仕事にはつかないだろうし、ついたとしてもうまくやっていけるはずがない
☆私が「どもりながらも行動する」ということができないのは、私のように重いどもる人でそのように行動している人に会ったことがないからだ

 これらは、どもる人から実際に聞いた話である。今、私たちが学びつつある論理療法の考え方からすると、これらは、非論理的な考え方ということになる。なぜなら、推論と事実の混同があり、一般化のしすぎがあるからである。
 セルフヘルプグループには大勢のどもる人が集まる。私は、日常の例会活動、全国を回っての巡回相談、一人で悩む人のための相談会などで様々なタイプの大勢のどもる人に直接・間接に出会ってきた。大勢のどもる人の体験からすると事実は次のようである。

☆吃音に大きく影響を受け、不本意な生活を送っているどもる人も多いが、ほとんど吃音に影響されず、明るく前向きに生きているどもる人もまた多い。
☆吃音のために話すことが多い仕事に就きたくてもあきらめた人も多いが、かなりどもりながらもセールスや教師などの仕事を十分こなしている人は多い。

 2月10日の大阪吃音教室で、参加して2回目の人から次のような話が出された。
 『知人から結婚式の仲人をしてくれと頼まれた。結婚式で仲人がどもっていたのでは、相手に迷惑をかける。どもる人が仲人などすべきではないと思うので、今70%の確率で断ろうと思っている』
 そのときの例会はちょうど論理療法について学ぶ例会であったので、具体例として取り上げた。アルバート・エリスの指摘する非論理的思考の一つ、『人生の困難に出会ったとき、それに直面するよりも、避ける方が楽である』を使い、話し合った。

☆結婚式の仲人をすることが、人生の困難かどうかは疑問。
☆そのとき仲人を断ってほっとするかもしれないが、後味が悪く、後悔するのではないか。

 自らの体験を通し、参加者全員から多くの意見が出された。次の例会で、次のような報告があった。

 『相手は私のどもりのことを知らない。だから、どもりのために引き受けられないとは言えない。でも、他に適当な理由もみつからないし、ずっと悩んでいた。しかし、先週の例会で、私の吃音に対する考え方は根底から変わった。4日後、仲人を依頼した人と会い、初めて私のどもりのことを公表した。結婚式でどもって仲人することになると思うが、それでよければ引き受けると話すと、是非お願いしたいと言われた。不安はあるが、結婚式の仲人を引き受けることにした』

 自分が日本で一番どもりが重いと信じ込んでいる人がいる。吃音であれば話すことの多い仕事などに就けるはずがないと思い込んでいる人がいる。自らの消極的な暗い生活と照らし合わせて、明るく前向きに生きる人などいないはずだと信じている人がいる。
 一人で、また狭い人間関係の中にいると、自らの体験を通して作り上げた固定観念を打ち破ることはできない。仲人を引き受けることを決心した人は、20人ほどのどもる人たちから様々な体験や意見を聞き、自分で「天と地がひっくり返った」と表現するほどに考え方を変えた。
 頭の中だけで考えるのではなく、大勢のどもる人と出会うことによって、これまで持っていた吃音に対する考え方を点検することは意味のあることである。

   そのときの出逢いが
   人生を根底から変えることがある
   よき出逢いを        相田みつを『にんげんだもの』
                             1989.3.16 記


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/15

セルフヘルプグループ活動の意義−楽しい活動の結果として、後に続く人の役に立てればなお素晴らしい

 僕の唯一のスポーツ観戦はラグビーです。僕の出身大学は明治大学で、友だちにラグビー部の人がいました。「スクラムを組んでこうなったんだ」と、耳が少しつぶれているのを見せてくれました。ラグビーは、格闘技のようなスポーツだと感じたことを思い出します。正月には大学ラクビーをいつも見ていました。現役時代の松尾雄治も、今の日本ラグビー教会の会長の森重隆のリーダーシップもよく覚えています。
 もちろん、同志社大学時代の平尾誠二たちの三連覇も記憶に残っています。雪の中の早稲田と明治の戦いもみて、ラグビーは激しいスポーツで大変だろうなあと考えていたところ、「究極の遊びだ」と楽しそうに語る平尾に、そうだ、僕たちのセルフヘルプグループも「究極の遊びだ」と本当に思いました。「世のため、人のため」にだったら、僕の場合、55年も続けることはできなかったでしょう。
 活動が楽しくて、楽しくて、明日の来るのが待ち遠しいという時代があり、思うように会の運営ができなかった時代もあり、様々でしたが、基本的に僕が楽しみ、喜び、はしゃいでいたから、僕の周りに人が集まってきてくれたのだと思います。
 吃音に深く悩んだからこそ、セルフヘルプグループの活動が究極の遊びになったのです。一生の遊びを手に入れた僕は、なんと幸せなのだろうと、最近つくづく思います。
 1989年2月23日に書いた文章です。

  
セルフヘルプグループの活動は、“究極の遊び”だ
                伊藤伸二
 “ええかっこしようぜ”
 キャプテン平尾誠二の大きな声と共にグランドに出た神戸製鋼フィフティーンは、楽しそうに走り回り、ラグビー日本一の座についた。
 雪の中のきびしい練習に耐え、“鉄の男たち”の異名をとり、連戦連勝を続けた新日鉄釜石のラグビーとは一味違うラグビーの出現であった。根性よりもしなやかさが強さを発揮する時代のあらわれだとも言えよう。
 神戸製鋼の練習は短く、ユニークだという。その練習について、平尾はインタビューで次のように話す。

 『どうしてもっと練習しないのかと言われるが、これでいいと思う。我々はラガーメンである前に、一人の企業人であり、家庭人なんです。練習を倍にしたち、どれだけ犠牲が出るか分からない。
 ラグビーは“究極の遊び”だと思う。遊びだからこそいろいろ考えて創造できるが、仕事みたいになれば、義務感が先に立って創造力がなくなる。練習はやりたい練習をしているが、やる時は真剣です』  毎日新聞1989.1.28

 セルフヘルプグループの活動が停滞している時のリーダーは苦しい。例会やイベント等への参加者は少なく、新しいリーダーも育たない。楽しかったはずのセルフヘルプグループ活動がおっくうになり、あまり活動していない仲間に批判的になる。それでも「今ここで自分がくじけたら…」と義務感からがんばり続ける。楽しさよりも悲壮感が漂い始めると事態はさらに悪化する。
 セルフヘルプグループは“遊び人”の集団ではない。しかし、「努力」「忍耐」「まじめ」「世のため人のため」だけでは、一時的な活動はできても、創造的な活動を長年続けることはできない。10年、20年と活動を続けるのは、活動の中に喜び、楽しさを見い出した人々である。
 セルフヘルプグループ創立当初の活動は、楽しいものであった。誰のためでもない自分自身のためにだけ、力いっぱい活動した。そして、楽しい活動の中から多くの夢が語られ、そのほとんどが実現した。
 1986年の夏の、第一回吃音問題研究国際大会はまさに遊びであった。国際大会を開こうと提案された時の重く、長い沈黙が過ぎてからは、もうお祭りであった。
 「一人でも二人でも外国からの参加があれば国際大会や」「赤字が出たら、実行委員のメンバーがボーナスを一回パスすればええんや」
 私たちは楽天的に考えた。しかし、最悪の事態も考えていた。そして最悪の事態になっても、たいしたことでも恐ろしいことでもないと思っていた。失敗するなち堂々と盛大に失敗してやろうとさえ本気で考えた。実際は、『人、この素晴らしいもの』と心の底から思えるほどの多くの人々との出会いがあり、とびっきり楽しい、夢のような5日間があっという間に過ぎた。
 日常の活動でも同じである。例会には大勢が参加すべきである、吃音で悩んできた人は、後に続くどもる人のためにセルフヘルプグループ活動を活発にすべきであると考えると、そうならない現実を目の前にして苦しむことになる。自分にとってセルフヘルプグループ活動を遊びと考えることができれば参加者の数に一喜一憂することもなくなるだろう。

 『学習が「何々のため」というせっばつまった目的から「自分のため」に変わった時、知ることは100%楽しい、最高の贅沢になる』−週刊朝日・生涯学習Vプラン−

 「自分のどもりを治すため」に入ったセルフヘルプグループで活動し、活動の意義を見い出し、「後に続くどもる人のために」から「自分自身の成長のために」が加わり、「セルフヘルプグループの活動は究極の遊びだ」と感じる人が増えていく時、そのセルフヘルプグループはさらに素晴らしいグループに成長する。そして、楽しく活動する結果として、後に続くどもる人の役に立てればなお素晴らしいことである。
 神戸製鋼の平尾は、理想のラグビーはと問われて『見て楽しいラグビーです。そんなラグビーはやっている者も楽しいんです。ラグビーは楽しまないとね』と言う。
                                 1989.2.23


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/13

どもる子ども、どもる人、その親、いろいろな人の思いを受け止めて

 僕は、小学2年生の秋から、21歳の夏まで、吃音を隠し、どもりたくないからと人間関係に全く出ていけなくなり、友だちのまったくいない、孤独で、惨めな日々を送りました。今、考えても、どうしてあんなに思いつめて悩んでいたのだろうと不思議に思うことがあります。
 何度も著書に書き、講演などで語り、いろいろな所に書いてきましたが、1965年に行った東京正生学院での30日間の合宿生活で僕は変わりました。長い間、吃音が治らない現実に向き合い、治ることを「諦めた」ことが、僕を変えたと思ってきました。ところが、2018年の秋、東京大学先端技術研究センターで講演準備をしているときに、僕は「どもる覚悟」ができて、「どもれない体」から、「どもれる体」になれたからだとの気づきを得て、やっと腑に落ちました。なぜ、僕だけが、55年前に「吃音を生きる」道を選び取ったのか、説明がなかなかつかなかったのですが、東京大学での講演をきっかけに長年の謎がとけた感じがしました。その1965年の秋から、今年で55年です。
 これまで、いろんなところに書いてきたものが消えてなくなるのはとても惜しいと思うようになりました。ずいぶん昔に書いたものでも、今でも全く色あせていないと、僕自身は思っています。今年は、コロナ禍にあって、いろんな研修会が中止になったことをきっかけに、ブログ、Twitter、Facebookなどに、過去の記事を紹介してきました。これから、ニュースレターなどに書いたもので、まとまったものがありますので、しばらく、それらを紹介していきたいと思います。僕が書いたものだけでなく、他の人の文章も紹介していきます。お読みいただければ、僕の活動、思索の変遷の一部が分かっていただけると思います。
 まずは、1989年1月20日に書いたものから紹介します。

   
三通の手紙
                      伊藤伸二

★私は29才の男性です。どもります。5月までは仕事に行ってましたが、今は部屋に閉じこもっています。生きていくのが辛いです。どもりのために不自由な生活を送ることに疲れました。もうどうしたらよいか分かりません。今は自分の弱さに腹を立て、人生を恨み、世間を妬み、毎日のように両親を責め立てています。ほとほと自分が嫌になり、死んだ方がましと思いますが、死ぬ勇気もありません。
★私の吃音は軽い方だと思います。でも症状は軽くても悩みは大きいのです。就職して4年目に結婚しました。主人には私の吃音のことは話しておりません。高校の同級生ですので、もう知り合ってから16年たつのですが、気がついていないようです。私が極力隠すように努めているせいかもしれません。子どもができてから悩みは一段と大きくなりました。“もし、この子がどもり出したらどうしよう”こんな心配をしていると、やはり2才頃からどもり出しました。長い人生、まだまだこれからです。私のようにこんな辛い、苦しい苦労はさせたくありません。
★私の主人と息子はどもります。私が一番心配している事は、息子も結婚適齢期30才になり、お世話して下さる方も沢山いらっしゃるのですが、息子の吃音が分かり、そしてその父親もとなるといくら本人がやさしく、仕事にも熱心であってもお見合いして体裁よく断わられるのではないかと大変怖いのです。今までにも何回もお世話をいただき、駄目だったこともございます。これだけが原因とは思いたくないのですが、本人も本当のことは言ってくれませんし…。

 「吃音者宣言」を出すにあたって、私には一つの危惧があった。それは、「吃音者宣言」が出されることによって、どもる人が、これまでとは全く異なったものに見られるかもしれないということであった。つまり、「吃音者宣言」から、どもる人のたくましさだけがよみとられ、どもる人の持つ悩みが軽く見られることへの恐れであった。
 事実、セルフヘルプグループの内外でもそれは見られた。

*例会で、どもりの悩みや苦しみを出せない雰囲気が感じられるようになった。
*参加する人たちがあまりにも明るく元気なので圧迫を感じた。

 吃音の問題は、一般に考えられている以上に、その人を悩ませ、人生を狂わせる場合がある。どもらない人々の中で疎外感を持った人たちがセルフヘルプグループを訪れ、どもらない人との間に感じた疎外感を少しでも感じたとしたら、セルフヘルプグループの意義はなくなってしまうだろう。
 吃音に打ちひしがれた、吃音に人生を大きく左右された悩みの中から、その悩みの源である吃音を取り除きたいと、私たちは「吃音矯正」を目指した。多くの仲間とのふれ合いの中から「吃音克服」への勇気が出た。そして、今、「吃音とつき合う」ゆとりさえ生まれた。しかし吃音の悩みの中にいるどもる人はまだまだ多い。
 「吃音とつき合う」には、悩みや苦しみの中にあるどもる人だけでなく、吃音に左右されない、つまりどもりながら明るく前向きに生きる人の存在が前提としてある。しかし、後者の前提が強調されすぎると、どもる人の持つ深い悩みや苦しみを軽く見てしまう。そうなると、どもる人の悩みや苦しみを過大にクローズアップし、吃音症状へのアプローチにのめりこみ、更にどもる人の悩みを増幅させたと同様の危険がある。
 私たちのところには、3通の手紙に見られるような、わらにもすがる思いで書いたであろうと察せられる手紙がしばしば寄せられる。吃音が人を深く悩ませ、人生を大きく左右するほどの問題であるとの認識に立って、それだからこそ、吃音に拘泥しない吃音とのつき合い方が大切なのだということを主張し、その実践を積み重ねていきたい。そのときにいつもこのような3通の手紙の存在に立ち戻ることを心がけていきたい。(1989.1.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/12

「訊(き)く」「聞く」「聴く」−聞き上手 (6)

 交流分析のストロークについて紹介しました。交流分析は、1987年から始まった今のスタイルの大阪吃音教室の定番講座で、多いときには4回くらいの連続講座として設定していたこともあります。実習が多く、文章で表現するのは難しいのですが、いつか紹介できたらと思っています。
 僕が、最初に、交流分析を書籍以外で直接、ワークショップ形式で学んだのが、日本交通公社に勤めていた国谷誠朗さんからでした。その後、深沢道子さん、杉田峰康さんには、僕たちが主催するワークショップに講師として来ていただいています。それらの記録をいずれ紹介したいと思います。
 深沢さんとは、深沢さんがアメリカでの仕事を終えて日本に帰国され、大阪教育大学の神山五郎教授を訪ねて来られて、研究室で長い時間話を聞かせていただいてからのおつきあいでした。いろいろと古い資料を整理していると、いつの新聞か記載はないのですが、日経新聞の「あすへの話題」欄に深沢さんの記事がありました。話のききかたというタイトルで、「訊(き)く」「聞く」「聴く」の3種類について書いておられます。紹介します。
 
 
話のきき方 深沢道子

 話のきき方には少なくとも三種類あるようだ。
 「今日学校で何があったの? だれと何をしたの? 先生は何と言ったの? 宿題は何が出たの?」式のきき方は「訊(き)く」一方である。これがこうじると子どもは「うるさいな」と反応するようになる。あまりに一方的に追いつめられた感じを持つためだ。訊かれれば訊かれるほど話すのが面倒になるのは、子どもばかりではない。
 「今日学校ですごく面白いことがあったんだ!」と報告する子どもに、背を向けたまま「フーン」と返事をしているのは「聞く」だけである。話を耳に入れてはいるが、子どもの表情や、何を伝えたいのかをきちんととらえてはいない。私のきらいなあるコマーシャルに「ホームラン王になったよ!」「ウソ、ドロンコ王でしょう」というのがあるが、これは子どもの心を傷付ける、最もしてはならない悪い「聞き方」の見本だと思う。
 子どもが話しかけてきたら、子どもの目を見ながら「それで?」と水を向け、合いづちを打ちながら子どもの言おうとしていることを、内容だけでなく感情のレベルでも理解してやるのが「聴き方」である。聴くという字には“心”が入っている。訊くのは“言”葉だけ、聞くのは“耳”だけ。こうしたきき方では、本当のコミュニケーションは成立しようもない。
 訊かれたり聞かれたりには“口”だけの答えが戻るが、心の入っている聴き方には“心”が入った応(こた)え方をするだろう。「心のこもったやりとり」という表現が、漢字にそのまま具体化されているのは素晴らしい。劇画ばかり見ていると、こうした心象風景も読みとれなくなるのでは、とちょっと心配になる。
 上手に「聴く」には、時間を掛ける必要がある。先まわりをして言葉をはさんだり、解釈を加えるより「それで?」「それから?」と言う方が、話をする側にとってはずっと続けやすいし、自分のことをわかろうと努力してくれている、関心を持ってくれている、と安心を覚えるものだ。
 何かきいても「ワカンナイ」「ベツニ」と言う子どもたちがふえているが、それは大人の方の「きき方」に相当の原因があるようだと思うが、いかがなものだろう。
        あすへの話題 日経新聞  (聖マリアンナ医大病院医療相談室長)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/10

高倉健さんとストローク−聞き上手 (5)

 しばらく、聞くことについて考えるとして、聞き上手をテーマにいろんな文章を紹介しています。
 昨日、聞いてもらった気持ちよさを味わうことに関連して、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの東野晃之会長が、交流分析のストロークにからめて書いていました。そのストロークについて、もう少し紹介するために、1991年に書いた文章を紹介します。
 僕は、高倉健さんが大好きでした。映画初出演のときから、一本も欠かすことなく、観てきています。その健さんが著書『あなたに褒められたくて』の中で、母親に褒められたくて、俳優を続けてきたと書いているところがあります。まさにストロークです。

    
あなたに褒められたくて
                     伊藤伸二

 お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青を描れて返り血浴びて、さいはての『綱走番外地』、『幸福の黄色いハンカチ』の夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、30数年駆け続けてこれました。
 別れって哀しいですね。
 いつも−。どんな別れでも−。
 あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。
          『あなたに褒められたくて』 高倉健 集英社

 数々の賞を受け、大勢のファンを持つ最後の映画スターと呼ばれる映画俳優の高倉健さんは、ただ母親からのストロークが欲しくて、30数年俳優を続けてきたのだという。
 交流分析のエリック・バーンは、人が生きていく上で、食物をとり、睡眠が欠かせないように、プラスのストローク(撫でられる、微笑みかけられる、褒められる)は、欠かせないと言う。
 マイナスのストロークを与えられ続けられると、自分自身にもマイナスのストロークを与えるパターンが身につく。そして他者に対してストロークを与えることができない。そして、素直にストロークを受けることができなくなる。
 あるワークショップで、「みんなの前で、自分のことをことばに出して褒めよう」というエクササイズがあった。私も含め、なかなか自分を褒めることができない。たとえ、褒めてもいいなあということに思い当たっても自慢話をするようで気恥ずかしい。自分を甘やかしているようだという人もいる。自分のことをけなしたり、叱ることはいくらでも浮かんでくるが、自分を褒めることばはどうしても浮かんでこないと立往生した人もいた。
 他者を自分を褒めることは、他者を自分を批判し、けなすよりはるかに難しい。自分が与えるストローク、受けるストロークにまず気づくことである。そして、他者に自分にマイナスのストロークを与えがちな人はプラスのストロークを与える練習をする必要がある。
 どもる子どもの両親教室で、「子どもを叱るよりも少しでもいいことをみつけて子どもにプラスのストロークを与えて下さい」と親にお願いする。
 「捜してもいい所はみつかりません」「そんなことをすると子どもがいい気になって困ります」「いい所なんてない子を褒めるなんて、嘘をついていることになります」と親は少なからず抵抗する。
 物事には必ず両面があり、短所と思っていることが裏返してみると長所ともなる。またいろいろと捜してみて全くいい所がないという人はない。何がしかのいい所は必ずある。子どもの中のどの部分に注目するかの違いであって、嘘をついているわけではない。嘘をついているようだという人は、「私はワンパターン人間で、狭い見方しかできません。そして、その見方を変えたくありません」と表明しているに等しい。
 吃音に関して、私たちは、「流暢に話せたという経験」を積み重ねるよりもむしろ「どもってでも目標を達成できた」ということを評価している。たまたまどもらずに成功したことよりも、嫌だと思いながらも逃げずに実行し、上手といかなくてもそれなりに目標が達せられたことにプラスのストロークを与えたい。それはその後の人生を肯定的に生きる支えになる。
 「これまでの私なら、どもるのが嫌さに友人の結婚式の挨拶を断ったろう。でも、今回は逃げずにやれた。どもってうまく話せなかったが、最後まで言い切った。こんな自分を褒めてやろう」

 高倉健さんは、母親に褒められたくて30数年間、俳優を続けた。私たち、どもる人のセルフヘルプグループは、吃音の悩みの中にあるどもる人に「この会と出会えてよかったです」と言ってもらいたくて、25年間活動を続けてきたと言える。
 そう、あなたに褒められたくて。 1991.7.25 記


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/09

聞いてもらった気持ちよさを味わった、聞き上手の講座 (4)

 大阪吃音教室での「聞き上手になろう」の講座の前半は、自分が聞き上手かどうか、との問いかけから始まり、次のようにすすめられます。みんなに、どうして話が聞けなくなるのか考えてもらい、聞き上手になるためのいくつかのヒントと、聞くにあたっての技法の説明があります。基本的なこれらのことを知った上で、後半は実践です。いい聞き手になりたいと思っても、実際に態度や行動に表さないと、相手には伝わりません。後半のワークと、参加した人の感想を紹介します。

 
大阪吃音教室だより 「聴き上手になろう」の報告

【聴き上手になるための実習1】
 ペアになって、話題を「自分の趣味、好きなこと」にして片方が3分間くらい話す。聞き手は「傾聴の5つの技法」をできるだけ使って話を聴く。3分たったら交代する。お互いの距離や顔の向きにも注意。二人とも話し終わってから、お互いに感想を述べた。

・相手の質問が良くて、気持ちよく話せた。
・話しやすかった。相手が途中で「繰り返し」の技法を2度使ったと言ったが、話していて気づかなかった。
・相手に繰り返してもらって、しっかりと聞いてもらっている安心感があった。
・相手が、感情の反射の上手な人だと思った。
・「明確化」を実行するには、集中力が必要だと思った。
・質問するのが難しいと思った。話題によってできる場合とできない場合がある。
・とても話しやすかった。
・「あいづち」などを意識しすぎて、却って相手の話に集中できないという、「本末転倒」になりそうだった。質問などするタイミングも難しいと思った。
・自分が話していて、次に何を話そうか迷っているときに、相手が質問してくれて、話しやすかった。
・「繰り返し」などに気をつけて聞き始めたのに、途中から演習の目的を忘れ、普段通りのような話の聞き方になってしまった。自分が話す番では、自分の話す声が小さいことを改めて自覚した。
・話すこと自体に緊張してしまったが、聞いている方が楽しかった。
・話していて、相手が「知らないのに適当に話を合わせているという感じ」がしなかったので、話しやすかった。
・話を聴くときに、(大阪吃音教室で以前していたインタビューゲームで言われるように)「人の話に寄り添う」事を心がけた。
・これまで自分が「人の話を聴くのが苦手」だとは思っていなかったが、今日の内容を聞き、演習してみて、自分が人の話を聴くことが全然できていない、得意じゃないんだと気づいた。
・話し手側では、話しやすかった。聴き手側では、質問のタイミングが難しかった。
・自分の方が喋り過ぎたと思う。切れ目なく話したので、相手は質問しづらかったのだろう。それにもかかわらず、相手の表情やあいづちのお陰で、話しやすかった。
・普段の会話では、あまり質問しないので、質問のタイミングが難しかった。
・相手が笑顔で話を聴いてくれて、話しやすかった。
・自分は聴き上手のつもりでいたが、今日は、さきほど出ていた「本末転倒」をやってしまいそうだった。最初、技法に気を取られて話に集中ができなかった。途中からは自然に聞けるようになった。
・「質問してくれたからこれも話せた」ので、質問が大事だということが分かった。
・5つの技法の順番は、難しさの順番に並んでいる。質問するには相手の話したいことや気持ちをすべてキャッチする必要がある。
・ドンピシャの質問をされると話しやすい。

【聴き上手になるための実習2 『守護霊のワーク』】
 五人でグループになり、一人が自分の夢を話す(3分ほど)。夢を聞いたメンバーは順に話し手の後ろに立ち、話し手の肩に手を当てて、感想や夢の実現に役立ちそうなことを他のメンバーにも聞こえるようにささやく。「あなたの夢のここがすごい」「あなたの夢を聞いてこう思った」「夢の実現にお手伝いできるかもしれない」等。このフィードバックは、メンバー各人にパワーを与えると共に勇気をもらうことになる。このワークを、人の話を聞いてフィードバックを返すことの練習として行った。
「守護霊のワーク」で夢を語った人が、感想を述べた。

・「守護霊」をしてもらって、一人ひとりの的確なアドバイスが有難かったし、うれしかった。
・誰の発言が一番うれしかったかを言うように決めて始めたけれど、実際に自分の語る夢に対していろいろ言ってもらうと、誰が一番とか言えなくなった。皆発言するポイントが違い、それぞれにありがたかった。
・人からアドバイスをもらったり、褒められたり、励まされたりするのはとても良かったし、勇気が湧いてきた。
・自分のことを分かってもらえた気がした。
・4人に言ってもらえて本当に良かったし、自分の夢を諦めずにがんばろうと思った。
・普段は夢を話すきっかけがなくて、こういう場で話せてうれしかったし、良いことばをもらえてとても良かった。そのことばに対してがんばろうと思った。
・自分の言うことをバックアップしてもらえることを心強く思った。
・話を聞いてもらえたこと、共感してもらえたことがうれしかった。安心もし、もしかしたら実現できるかも知れないと思った。(了)
(NPO法人大阪スタタリングプロジェクト機関紙「新生」2009年5月号より)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/08

聞くことは相手への最高のプラスのストローク−聞き上手 (3)

 聞き上手になろう、聞くトレーニング、聞き上手になるために、講座名はその年によって変わることはありますが、聞くレッスンは、大阪吃音教室の定番講座です。2009年の大阪スタタリングプロジェクトのニュースレター「新生」より、東野晃之会長の巻頭言を紹介します。大阪吃音教室では、アサーション、論理療法、交流分析など巾広く学んでいるため、「聞く」についても、交流分析のストロークに絡ませて東野さんは書いています。 交流分析の創始者のエリック・バーンは、人の存在や価値を認める刺激(言動や働きかけ)のことをストロークと名付け、ストロークは人が生存するためには不可欠なものとしています。
 僕たちは、話すことと同じくらい聞くことも重要だと考えています。しばらく、聞くことについて考えます。
 
  
聴き上手
            大阪スタタリングプロジェクト会長 東野晃之

 吃音での悩みを振り返れば、聞き手がどう反応するかに翻弄されてきたように思える。どもったとき、「嫌な顔をされるのではないか」、「馬鹿にされるのではないか」と、相手の反応をいつも気にしていた。どもると、相手にきちんと話を聞いてもらえるはずがないと、どもらないように口数を少なくし、どもりを隠した。どもっても普通に話を聞いてくれる人はいるはずだが、どもりを隠さず、相手の前に差し出していく勇気は持てなかった。ことばが引っかかり、少し間があいたときの相手のちょっとした表情の変化を見れば、どもりに対する否定的な態度を憶測するのには充分に思えた。どもることでの強い劣等意識と聞き手への不信感は、人とのコミュニケーションを狭めていったようだ。
 交流分析では、人は心のふれあい(ストローク)を求めて生きているといい、安定した人間関係には、お互いにプラスのストロークを交換し合うことが必要で、その中で最高のものは傾聴であるという。傾聴の態度として、次のようなことが大切な要素だと言われる。

・相手の身になって気持ちを感じ取り、理解する。
・相手の人生観、価値観を認める。
・声の調子、顔の表情、姿勢、ジェスチャーなどの非言語的交流を大切にする。

 大阪吃音教室で、皆が発言者に耳を傾けて熱心に聞き入ることの大切さを改めて思う。ストロークとは、「あなたがそこにいるのを私は知っている」ということを伝える心身両面の様々な刺激である。人にあまり理解されない吃音で悩む人にとって、存在を認められ、受け入れられた経験はとても大きな刺激である。
 人に受け入れられない悔しさを知り、聞き手の態度によって影響を受けてきたどもる人は、いい聞き手になれるか? 上手に話せなくても、いい聞き手にはなれるはずだが、意識を集中し、相手に寄り添って話を聞くのはそう簡単ではないようだ。相手や話の内容に関心や興味がなければなかなか集中が続かず、また次に話すことを考えていると相手の話はうわの空になる。大阪吃音教室では、傾聴の技法として、〈あいづち〉、〈繰り返し〉、〈明確化〉、〈感情の反射〉、〈質問〉などを、聞くトレーニングに取り入れている。聞き手として、集中力を切らさないために活かせ、話し手にとっては聞いてもらっているという実感があり、話しやすい聞き手の態度でもある。このなかで、あいづちはどもる人にとって比較的簡単でフィードバックの効果がある。

・打てば響くあいづち  ・同意のあいづち  ・整理するあいづち
・促すあいづち  ・体で打つあいづち

などのバリエーションがある。いい聞き手になりたいとの気持ちがあっても、実際に態度に示さなければなかなか相手には伝わらない。聞き手の反応に影響を受けてきたどもる体験者として、少しでも相手が話しやすく感じられる聞き手でありたい。傾聴が他者にとって最高のプラスのストロークであるとの自覚を忘れないでおきたい。(了)
  (NPO法人大阪スタタリングプロジェクト機関紙「新生」2009年5月号より)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/07

「きつ音を治さない、大阪吃音教室」〜ありのままの自分で−NHK公式サイトのWEB特集に

 ありのままの自分で−「きつ音を治さない、大阪吃音教室」

 昨年の秋ころから、NHK神戸放送局ディレクターの真崎俊介さんが、吃音についての僕たちの考え方に共感し、大阪吃音教室に何度も参加し、参加者にインタビューし、取材を続けてくれています。昨年のちょうど今頃、関西のニュースとして映像が流れました。さらに、吃音親子サマーキャンプを是非取材し、紹介したいと計画して下さっていました。僕たちも楽しみにしていたのですが、残念ながら、今夏の第31回吃音親子サマーキャンプは中止になってしまいました。でも、その後も、ときどき大阪吃音教室の講座に参加し、今年の秋にも、前の映像も使いながら新しい映像を流して下さいました。そして、今回、その映像を見たNHKの東京から、WEB記事にしたいと連絡があり、公開されました。
 ひとりの青年にスポットを当てて、大阪吃音教室の様子が映し出されています。何より、「きつ音を治さない、大阪吃音教室」の小見出しに、インパクトがあります。映像と、語りを文字に起こした文章と、動画と、小見出しと、それらの中に、僕たちの考え方、生き方、大切にしているものを切り取っていただけたと思います。大阪スタタリングプロジェクトのメンバーもたくさん登場します。

 NHKのWEB特集「ありのままの自分で 〜きつ音と僕〜」は、大阪吃音教室に通う常連の一人で、教員を目指している青年が、吃音に長く悩んでいた状態から、大阪吃音教室に参加して吃音ときちんと向き合うようになり、一歩ずつ前へ歩んでいる姿を捉えた映像です。ぜひご覧ください。

 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201202/k10012739631000.html

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/06
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