2020年12月18日が、今年最後の大阪吃音教室でした。当初の計画では「一分間スピーチ」でしたが、コロナの影響で、毎年初夏に開いていた新・吃音ショートコースでの「ことば文学賞」の授賞式が開けなかったために、この日は、「一分間スピーチ」と「ことば文学賞授賞式」のコラボの教室になりました。集まった12編の作品の中から4作品が候補作になり、それを1作品ずつ読み上げて、参加者全員がそれに対して感想を述べる、豊かで、心温まる時間でした。4作品の中の2作品が就職活動や就職試験、その後の仕事をしていく上での生活のことでした。かなりどもると自他共に認める2人が、面接を受け、合格し、その後、苦労しながら就労している生活を丁寧に綴っていました。その2人は、吃音に決して甘えることなく、自分にも社会にも誠実に生きています。苦労をしながらも、よくここまでがんばってきたことだと、心からの敬意の気持ちがあふれてきました。
その余韻がある中で、今日紹介する文章は、昨日の大阪吃音教室で読まれた2つの作品とは随分違います。同じように吃音に悩んできても、21歳までの僕のように吃音に甘えて生きてきた人間と、そうでない人間がいるのです。「どもる人は」と、絶対にひとくくりにできないと改めて思います。 1989.5.25日に書いた文章です。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/19
その余韻がある中で、今日紹介する文章は、昨日の大阪吃音教室で読まれた2つの作品とは随分違います。同じように吃音に悩んできても、21歳までの僕のように吃音に甘えて生きてきた人間と、そうでない人間がいるのです。「どもる人は」と、絶対にひとくくりにできないと改めて思います。 1989.5.25日に書いた文章です。
どもる人の「甘え」の構造
伊藤伸二
『吃音者宣言』の鍵概念に私は「甘え」を入れた。どもりに悩み、現実から逃げ回っていた私自身の生活、また多くのどもる人とのふれ合いの中から、「甘え」の概念抜きには吃音問題は語れないと思ってきた。だから『吃音者宣言』の中に「甘え」のことばを入れ、甘えている自分を自覚し、生活態度を変えようと呼びかけた。その後のセルフヘルプグループ活動の中で、「甘え」を互いに戒め合ってきたと思っていた。
1989年の吃音ワークショップは、「生きがい療法」の伊丹仁朗医師の熱意あふれる話と実りあるワークによって、105名の参加者に大いなる満足感を残して終わった。実りあるワークショップであっただけに、散見された「甘え」に触れておきたい。「甘え」は相手に好意を求め、それが当然であるかのように思っているところから生じる。
甘え1 どんなにどもって話しても、的を得ない発言であっても、相手は最後まで話を聞いて決して中断させてはならない。
ワークショップ最終日の「みんなで語ろう、ティーチイン」は、ワークショップ期間中学び合ったこと、考えたり感じたこと、また日常の生活の中で悩んでいることなどを出し合い、参加者全員で話し合う大切な時間として、ここ数年定着している。
「こ、こ、こ、高校の時、合唱クラブに入っていました……高校は商業科で……」どもってどもっての発言に最初は耳を傾けた。しかし、一生懸命聞こうとしても本人の本当に言いたいことは伝わってこない。「何をみんなに伝えたいのですか。本当に言いたいことだけにしぼって話して下さい」と私は司会者の立場から介入した。「会に合唱団を作りたいと思っています」これが、彼の伝えたいことであった。そこで、彼が話したいことは伝わったと判断し、私は話を打ち切ろうとした。しかし、「もうちょっと、もうちょっと」と話を続けようとする。その時すでに発言し始めてから20分も経過していた。「できたらここで止めていただけませんか」という私の司会に、「言おうとしているのだから最後まで発言させるべきだ」「途中で止めさせるのはおかしい」と会のリーダーの二人から批判が寄せられた。この発言で、私は司会役を続ける意欲をすっかり失ってしまった。
どもってどもって、それでなくても時間がかかる私たちだからこそ、その場その時にふさわしい発言をしていきたい。その場に適した、また心から伝えたいことばであれば、人はいかにどもろうと耳を傾ける。しかし、内容のない、場にふさわしくないことをどもってどもって発言し、それでも最後まで聞けというのは、どもる人のグループであっても難しい。話そうとする前に話すべきことばを持っているか、自らに問いたい。臨機応変に対応する柔軟性を持ちたい。伝えたいことを簡潔に言う習慣を身につけるため訓練をしていきたい。それはどもらずに話す訓練よりも大切なことである。
甘え2 どもる人の会合には、どもる人は予約しなくてもいつでも気持ちよく受け入れてもらって当然である。
宿泊を伴うワークショップは、宿泊所への予約関係で苦慮するため、申し込み締切り日を2週間前にしている。締切り間近に速達で申し込んでくる人も、また遅れて申し訳ないと電話をしてから申し込む人もいる。が、締切りに全く無頓着な人も多い。前日に「ワークショップに参加しますから。だめならやめるけど」申し訳ないという一言もなくただこれだけの電話があった。日帰り参加だからと全く連絡もなく、当日飛び込んでくる人がいた。伊丹仁朗さんの用意して下さった「生きがい療法」のテキストを読んだり、アンケートに記入したり、自分史を書いたりして参加しようと呼びかけたワークショップだっただけに、このような参加は断りたかった。
土居健郎は、日本人の中の「甘え」の構造を指摘した。もちろん、「甘え」はどもる人特有のものではないし、「甘え」が全て悪いとは思わない。しかし、「甘え」がどもる人の自立を妨げているのも事実である。私たちは「甘え」に人一倍繊細になり、それを自覚し、減らしていきたい。自分で気がつかなければ互いに指摘し合いたい。それがセルフヘルプグループの役割だとも思う。 1989.5.25
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/19