伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2020年10月

吃音の豊かな世界を体現する、特別な空間−吃音親子サマーキャンプ (30)

 第30回吃音親子サマーキャンプは、2回にわたり、特集しました。今日は、最後の巻頭言です。月刊紙『スタタリング・ナウ』(日本吃音臨床研究会発行・年間購読費5000円)の僕の巻頭言を中心に、吃音親子サマーキャンプについて紹介してきました。31回が中止になりましたので、今回で終了ですが、吃音親子サマーキャンプについては、もう少し紹介していこうと思います。

第30回吃音親子サマーキャンプ 2019年
  会場    滋賀県彦根市荒神山自然の家
  参加者数  114名
  芝居    コニマーラのロバ

第30回吃音親子サマーキャンプが特集されたニュースレターの巻頭言

  
特別な場
      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「吃音親子サマーキャンプは特別だ、と伊藤さんは時々言うけれど、何が特別なのですか」
 昨年のキャンプの最終セッションで、30年間続いた吃音親子サマーキャンプとは何かについて話し合っている時、渡辺貴裕さんから聞かれた。
 27年前にアメリカで開かれた、国際吃音学会でキャンプについて発表した時、多くの吃音研究者が、吃音に向き合う話し合いと演劇を中心にしたキャンプは聞いたことがないと注目してくれた。6度参加している吃音世界大会でも、子どもたちが出会える場を提供するキャンプの報告はあったが、「どもっていても大丈夫」という価値観を子どもたちに示す明確な意図をもち、話し合いと演劇が中心の吃音キャンプは世界的にも例がなかった。
 私は、島根、岡山、静岡、群馬、沖縄、千葉で開かれる吃音キャンプに講師として招かれ参加している。子どもに話す場面もあるが、主として保護者への講演や学習会などのためだ。それらは1泊2日か、1日の日程で行われる。私たちのように、90分の話し合い、120分の話し合い、その間に、ひとりで吃音に向き合う90分の作文を挟むことや、演劇の稽古をし、上演まで行き着くことができるのは、日程が3日間あるからだ。
 25年間全く変わっていない、この吃音に向き合うために3日間を有効に使ったプログラムは、世界に例がないほどに特別なのだと思う。
 「何が特別なのか」について、このプログラムについて話した後に、もうひとつ大事な特別なことを話し損ねたことに気づいた。それは、このプログラムを支え続けてきたスタッフのことだ。
 世界中で行われている、同じような体験をしている子ども同士の出会いは、それだけでも、どもる子どもに「私ひとりではなかった」と安心感をもつ大きな意義がある。しかし、それだけでは、不十分で、「吃音は劣ったものでも、悪いものでもない」との価値観をもつことが大事だと私は考えてきた。だから、セルフヘルプグループの意義である、3つの分かち合い、《気持ちの分かち合い》《情報の分かち合い》《価値観の分かち合い》の中でも、価値観の分かち合いをもっとも重視していた。その私たちには、吃音に特化した話し合いが不可欠だった。話し合いには、ファシリテーターの役割はとても大きい。子どもたちだけでの話し合いでは難しいことは、私たちは何度も経験している。子どもたちの話し合いのグループには、ことばの教室の教師や言語聴覚士などの専門家と、成人のどもる人が必ず入る。話を聞き、質問し、整理し、深めるためには、専門的な知識や、成人のどもる人の体験が役立つのだ。
 また、私たちが目指す劇の稽古に取り組むには、竹内敏晴さんのからだとことばのレッスンを経験し、劇の指導ができるスタッフが必要だ。幸い、竹内さんの後を継いで、演出や稽古の手順を示してくれる渡辺貴裕さんや、竹内レッスン経験者が大阪には数多くいる。だから、子どもと一緒に楽しく表現活動に取り組むことができる。7月、その年に取り組む劇の事前合宿レッスンが大阪で行われる。合宿には大阪だけでなく千葉、神奈川など遠方からも参加する。
 このような3日間のプログラムに対応するには、大勢のスタッフが必要になる。果たして今年は何人集まってくれるか、毎年不安になるのだが、結局40名以上のスタッフが集まってくれる。大阪吃音教室のリーダー以外に、ことばの教室や支援学級の教師、言語聴覚士などの専門家が、沖縄や関東地方など全国から、全員が手弁当で、参加費を払って参加してくれる。当初はどもる子どもの指導に生かしたいと参加したことばの教室の教師や言語聴覚士も、吃音の豊かなテーマに惹かれて、今は自分のために参加していると言う。
 小学生で参加していた子どもが卒業して、スタッフとして戻ってきている。一緒に参加する親もスタッフも、ともに成長し、大きな吃音ファミリーになっている。「素の自分になれ、幸せな気持ちになれる、現代の奇跡のような空間だ」と言った人がいた。人を大切に想う人たちが集まる空間にいることが幸せだと思う人たちが、全国からスタッフとして集まる。やはり、特別なのだと思う。(了) (2020.1.20 )


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/19

吃音に悩んだおかげで出会った子どもたち−吃音親子サマーキャンプ (30)

 2019年、吃音親子サマーキャンプは、30回目の夏を迎えました。1990年に第1回を行ったとき、誰がここまで続くと予想したでしょう。この年、僕は、75歳になりました。
 ことばの教室、難聴学級の担当教員の研究協議をする全国組織である、全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会が、僕の故郷である三重県津市で開かれました。僕は、吃音分科会のコーディネーターと吃音講習会の講師をしました。
 キャンプの30回と、故郷での全国大会の講師ができて、ひとつの区切り、節目を迎えたような気がしました。あれほど僕を悩ませた吃音が、こんなにも豊かで彩りある人生にしてくれました。小学2年生の秋から、吃音に悩み、吃音を否定し、「どもれないからだ」になっていましたが、21歳で「どもれるからだ」になれ、僕の人生は一変しました。苦しかった時代よりも、楽しく豊かに生きた時間がはるかに長くなりました。楽しく、豊かに生きた吃音人生でした。
 そんな僕たちを応援してくれるように、朝日新聞が、第30回吃音親子サマーキャンプの3日間を密着取材をしてくれました。最終日の朝刊を、参加者みんなで喜びながら見た夏の日を、僕は忘れられません。
 出会ったたくさんの子どもたち、その保護者、そしてスタッフのみんなに感謝の気持ちで一杯です。

第30回吃音親子サマーキャンプ 2019年
  会場    滋賀県彦根市荒神山自然の家
  参加者数  114名
  芝居    コニマーラのロバ

第30回吃音親子サマーキャンプを特集したニュースレターの巻頭言

  
私が出会った子どもたち

      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 自己受容 / 吃音児の早期自覚教育 / ああ、学童期 /  楽しさと喜び / それぞれのセルフヘルプグループ / 書くことの意味 / 直面すること / ライオンと魔女 / ことばの迷人 / 揺れる思春期 / どもり往生記 / 変わる力 / どもってもいいって? / どもってもいい、は免疫力 / たいしたことはできないが / 受け継がれる / 吃音が治らなくても / キャンプでの劇の意味 / 体験することの意味 / ひとつのきっかけにすぎないけれど / 吃音親子サマーキャンプ20年 / 卒業生への応援歌 / 吃音親子サマーキャンプの仕組み / 共振する力 / 小さな哲学者たち / みんなが元気になる / 高倉健さん、ありがとう / ひとつの家族の物語 / 変わるきっかけ / キャンプに流れる真剣さ / 大きな声で、はっきりと

 吃音親子サマーキャンプが30回を重ねた。これらは、その時のキャンプの記録を特集した『スタタリング・ナウ』のニュースレターの巻頭言として私が書いたタイトルだ。タイトルだけで、書いた内容はだいたい思い出すことができる。
 30年間でたくさんの子どもたちと出会った。その中で特に記憶に残り続ける子どもがいる。
 30年の年月と1000人を超える子どもたちだ。キャンプ後の消息が把握できているのはそんなに多くはない。その中で、3人の高校生が、今どうしているだろうと、ずっと思い続けている。
 石川県教育センターで会った源君は、不登校の原因が吃音にあることを親に絶対知られたくないと言う。カウンセラーも知らない。「自己成長のためのキャンプ」と案内を書き換えて参加を勧めた。しぶしぶ参加したものの、話し合いが苦痛だったようだ。翌日午前3時ごろ、「伊藤さん、源君がいない」の高校生たちの声で起こされた。車3台で探し回っていたとき、これでキャンプは終わるかもしれないと思った。翌年の秋、教育センターでの講演のために前泊していたホテルに、母親とネクタイのプレゼントをもって尋ねてきてくれた。吃音と向き合いたくなかった彼に参加をすすめたのは時期尚早だったのかと考えていたが、その後彼は学校へ行くようになった。
 土井君も途中で帰った。無理を言って残ってもらった母親に伝えたいことはないかと、バス停に送る道すがら尋ねた。「吃音の話は家ではタブーだった。小学2年生の妹には吃音のことを話して、絶対来年のキャンプにつれてきて欲しいと伝えて」と言った。自分がどもりながら、吃音を否定していた教師である父親を、彼は強く憎んでいたのだった。翌年、母親と妹が参加した。
 吉野君は、「どもりは治る」と横隔膜バンドをキャンプに持ち込んで練習していた。最後まで不機嫌だった。彼にとってキャンプは意味がなかったのかと思ったが、半年後父親から長い手紙がきた。「キャンプから帰って1週間ほど、死んだように寝ていた。行きたくないといっていたキャンプに無理に行かせるべきではなかったと思ったが、むくむくと起き出して、学校へ行かずに何もしていないのはだめだからと、新聞配達のアルバイトを始めた。学校へも行くようになった」
 この3人の高校生は今、どんな人生を送っているのだろう。時々思い出している。
親の会パンフレット表紙 これからも伝えていきたい子どもがいる。
 2011年の東日本大震災で津波で亡くなった阿部莉菜さんだ。小学6年生の春からの長い不登校状態だった彼女は、初日のキャンプの90分の話し合いの後、翌朝「どもっていても大丈夫」との作文を書いて、学校へ行くようになり、将来の夢を語って高校に合格したが、その夢は叶わなかった。その時の話し合いの場面は、今も時々思い出す。
 『吃音とともに豊かに生きる』(全国ことばを育む親の会)で、彼女のことは作文と共に紹介できた。いつまでも忘れないでおきたいからだ。(了) (2019.12.21)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/18

吃音をからかってくる子どもへの対処−吃音親子サマーキャンプ (29)

 1990年から始まった吃音親子サマーキャンプは、その後、島根、岡山、静岡、群馬、沖縄、千葉と広がりました。それぞれに特徴がありますが、「吃音とともに豊かに生きる」をベースにしていることは共通しています。
 2020年はそのどれもが中止になる中、群馬だけが、日帰りでも集まろうと計画されています。出会うこと、話し合うことを大切にした場で、子どもたちの変化に立ち会えることは、大きな喜びです。

第29回吃音親子サマーキャンプ 2018年
  会場    滋賀県彦根市荒神山自然の家
  参加者数  98名
  芝居    カラスのくれたきき耳ずきん

第29回吃音親子サマーキャンプを特集したニュースレターの巻頭言

  
大きな声で、はっきりと

     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 1990年から始まった吃音親子サマーキャンプが島根に広がり、今年20年目を迎えた。その後の、岡山、静岡、群馬、沖縄、千葉のキャンプでは、実行委員会が考えるプログラムに沿って、私は保護者やスタッフ、一般参加者に向けての講演会や、子どもや親との話し合いなどを担当してきた。
 今年3回目になる沖縄のキャンプは、言語聴覚士やことばの教室の教師、保護者らが数人、吃音親子サマーキャンプに参加した上で、吃音の哲学やキャンプの伝統を沖縄の地に根づかせたいとの強い熱意で始まった。そのためか、私たちのキャンプで最も大切にしている、子どもたちが吃音に向き合うことを重視している。初日に話し合い、翌日に吃音についての作文教室を入れ、2回目の話し合いが行われる。私たちには長い伝統があり、語り合う文化が定着しているが、全ての参加者が初参加の沖縄の地で、子どもたちの話し合いが成立するのか、多少の不安があった。1回目から3回目の今回まで、私たちの仲間が大勢応援に駆けつけて、話し合いに加わった効果があったのかもしれないが、不安は危惧に終わった。
 私は今回、3・4年生のグループの話し合いに入ったが、その前に私は4年生の女子の父親から相談を受けていた。どもることを「どうしてそんな話し方になるのか」と何度も指摘され、からかわれ、繰り返し説明することに嫌気がさし、これからずっと吃音の説明をし続けなければならないのなら、「死んでしまいたい」と言うらしい。このことばが本意ではないと思いつつも、父親は不安をもっていた。そのことを話題にすることの了解を父親から得ていた私は、これをテーマに話し合いたいと考えていた。話し合いが始まってしばらくして、「○○さん、お父さんから聞いたけど、最近、死にたいと言うんだって?」と問いかけた。そうだと答えて詳しく話してくれたので、何度もしつこく聞いてくる子どもへの対処をみんなで考えた。
 子どもの意見で一番多かったのは、無視することだったが、彼女は意を決したように、「自分が同じように言われたらどう思うか、考えてみろ!」と強く言うのはどうかと発言した。実際にはそう言えずに、怒りが溜まり、攻撃的に言うか、黙るかの二者択一しか考えられなかったようだ。そこで、そう言われた相手はどんな気持ちになり、どんな反応が予想されるかと話をすすめながら、アサーティヴな表現の仕方があることを例を出して伝えた。時間がなくて、実習はできなかったが、子どもたちは理解してくれたようだ。
 その話し合いに、同年の女子がいた。1回目の話し合いの時、声は小さく聞き取りにくく、内容も明確ではなかった。それが、2日目の朝、作文を書いた後の話し合いでは、背筋を伸ばし、顔をまっすぐに上げ、声も大きくなって、はっきりした口調で、このキャンプで学んだことを語った。この大きな変化に私は驚き、彼女の何が変わったかをスタッフに尋ねたが、話す内容の変化には気づいたものの、彼女の話す姿勢、声の大きさに触れる人はいなかった。私は、彼女の話す内容は当然のことながら、大きないい声や姿勢の変化に注目してほしかった。子どものちょっとした変化を見逃さず、そのことを言語化して相手に伝える。そのことが子どもにとって大きな自信になっていく。
 私は、「○○さん、話したり聞いたりする姿勢がずいぶん変わったね。声も大きく、よく通る声になり、内容も自分のことをしっかり言っていて、1日でこんなに変わるとはびっくりしたよ」と伝えた。また、死にたいと言っていた女の子は、最後に、もう決して「死にたい」ということばを使わないと、みんなの前で約束して、3・4年の話し合いは終わった。1泊2日のキャンプであっても、2回の話し合いと、その間に、吃音と向き合う作文の時間を入れる構成の効果を私は思った。
 大きく変わった子は、作文にこう書いていた。
 「私はキャンプで、もう一人じゃないんだという勇気をもらいました。悩むことはみんな同じなんだなと感じました。話し方をからかわれたときは、攻撃的な言い方をしない方がいい、ということを教えてもらい、そうやって乗り越えていったんだと学びました。参考にしてみたいと思います」(2018.12.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/17

オープンダイアローグ的試みをことばの教室で−吃音親子サマーキャンプ (28)

 鹿児島のことばの教室担当者である溝上茂樹さんによる、第28回吃音親子サマーキャンプの報告のつづきです。
 話し合い、劇、そして卒業室の様子を報告した後、溝上さん自身のことばの教室での実践を報告してくれています。ホワイトボードを使った、間接的なグループ活動です。

 
吃音親子サマーキャンプに導かれて(5)
    鹿児島市立名山小学校 ことばの教室 溝上茂樹


 ことばの教室での取り組み〜オープンダイアローグ的試み 間接的なグループ活動〜
 
 子どもたちが吃音親子サマーキャンプへの参加を繰り返す中で成長していくように、どもる子どもと何ができるか悩んでいた私も、吃音親子サマーキャンプへの参加を繰り返し、キャンプで知り合ったことばの教室の教員仲間と「吃音講習会」の開催や「吃音ワークブック」の制作に関わる中で、ずいぶんと変わりました。今では自信をもって子どもと話し合い、その実践を全国難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会で発表することもできるようになりました。吃音親子サマーキャンプは、どもる子どもだけでなく、ことばの教室の教員や言語聴覚士をも成長させる大きな力をもっていると思います。最後に、吃音親子サマーキャンプが大切にしていることに通じるものを、私のことばの教室に通ってくる子どもたちに伝えたくて、取り組んでいる実践を紹介します。

 ホワイトボードに質問や意見を書いて、話し合いをする間接的なグループ活動です。そこに参加しているのは、5年生1人、4年生1人、3年生3人、2年生2人、1年生1人の計8人です。1学期に実施した話し合いの一部を紹介します。

 ○英人さん(4年)からみんなへ
・新しいクラスになって吃音でからかわれることが心配です。みんなはどうですか。
 ○みんなから英人さんへ
・100のうち15くらいはどもることが心配でしたが、今はそれほど気にならないです。
・まったくどもっていないので、みんなが知らないから私は大丈夫です。
・心配な気持ちはレベル10の1くらいです。発表したいという気持ちがレベル1にしています。人の前で話すことに慣れたいです。
・先生がぼくのどもりのことをみんなに話してくれたので、心配はぜんぜんありません。
・みんながどもりのことを知っているから、全然気にしません。
・ぼくは新しいクラスでいっぱい発表しています。1回発表したらだんだん楽しくなったからです。

 みんなが知っているから大丈夫という意見が多い中で、「みんなが知らないから大丈夫」と書いた誠也さん(3年)に聞いてみると、「みんなが知っていると楽だというのは分かるんだけど、前にまねされたり、笑われたことが忘れられない。だから今はみんなが知らない方がいい」と話してくれました。
また「人の前で話すことに慣れたい」と書いた航太さん(1年)に理由を聞くと「僕は新幹線の運転手になりたい。新幹線の運転手は駅の中で放送をしないといけないから、話すことに今から慣れておきたいんだ」と話してくれました。
 2人が話したこともみんなに紹介していきながら、書き込みが展開していきました。

 ○留奈さん(3年)からみんなへ
・わたしは仲がいい友だち1人にどもることを話しました。その友だちとは安心して話すことができます。
 ○みんなから留奈さんへ
・どもることを話すのはとてもいいことだと思います。
・1人でも話せて、えらいと思います。
・ぼくもそう思います。先生に言ってもらったり、自分で言ったり、いろいろな方法があると思うけど、やっぱり自分が話すのが大事だと思います。
・仲がいい友だちに話すのはとてもいいことだと思います。親友じゃなくても信用できる人だったらいいと思います。留奈さんが話したことを知って、僕も話してみようかと少し思い始めました。

 それまで、「知られたくないからどもりのことは人に話せない」と言っていた留奈さんの、どもることを友だちに話した行動に大変驚きました。その行動に触発されて、「みんなが知っていると楽だというのは分かるんだけど、前にまねされたり、笑われたことが忘れられない。だから今はみんなが知らない方がいい」と話していた誠也さんも行動を起こしました。

 ○誠也さんからみんなへ
・ぼくは3人の友だちに、自分のどもりのことを話しました。

 誠也さんに、自分のどもりのことを話したときの友だちの反応を聞いてみると、「いきなり話したから、びっくりした顔で何も言わなかった」「話す前と話した後で友だちの態度は何も変わらなかったから話して良かった」と壁を乗り越えたというような満足そうな笑顔で教えてくれました。

 このホワイトボードを利用してのやり取りは、子どもたちが直接会って話し合っているわけではありませんが、そこには確かに他者が存在しています。それはすごく大きな事だと思います。子どもたちは、自分の思いが分かち合える場で、友だちの様々な考え方や生き方に触れ、自分がどう生きるかを見直すことができます。

 おわりに
 2008年、参加した吃音親子サマーキャンプは、私にとって大きな転機になりました。自分のことを再度見直す契機となった経験は、私に本当にどもって生きる覚悟を決めさせてくれたように思います。その後、私は、何回も吃音親子サマーキャンプに参加し、日本吃音臨床研究会の様々な活動に参加するようになり、「吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会」の一人として積極的に活動するようになりました。
 今は、どもる子どもと過ごす時間が楽しくてたまらなくなっています。新しい刺激を受け、子どもとの対話の中で、新しい気づきや子どものもつ力に驚かせられながら、自分と重ね合わせて過ごしています。どもる私が、どもる子どもたちと共に生きているという実感を日々感じています。
 ホワイトボードによる間接的なグループ活動の中で、どもる自分はひとりではない、同じようにどもる子が確かにいる、その存在を感じながら、自分の生き方をみつめてほしいと願っています。
 今年ももうすぐサマーキャンプがあります。今年は、初めて鹿児島からスタッフとして1人のことばの教室の担当者が参加してくれることになっています。一緒にサマーキャンプのすばらしい場を共有できるのが楽しみです。 (了) (2018.7.21)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/15

自分のことばで語る、キャンプ卒業生−吃音親子サマーキャンプ (28)

 鹿児島のことばの教室担当者である溝上茂樹さんによる、第28回吃音親子サマーキャンプの報告のつづきです。話し合いに続いて、もうひとつのキャンプの大きな柱である劇と、恒例となった卒業式についてです。

 
吃音親子サマーキャンプに導かれて(4)
     鹿児島市立名山小学校 ことばの教室 溝上茂樹 

 みんなで一体になって取り組む劇

 話し合いと並んでもうひとつのキャンプの柱の劇は、「モモとと灰色の男たち」でした。これは、2010年第21回のキャンプでも上演された劇で、私はその時は、サマーキャンプの1ヶ月前に行われた劇の指導のためのスタッフの事前合宿に参加しました。私が演じたのは床屋のフージーさん。劇はとても苦手なので、できれば避けたいことでした。かなり緊張していたのか、合宿の初日の夜に飲んだ紙コップ一杯のビールで夜中に気分が悪くなり、次の日の練習はふらふらになりながら練習したのを覚えています。避けたいはずの劇なのに、なぜ事前の合宿にも参加したのか、今でもよく分かりませんが、避けたい気持ちよりみんなと劇をやりたいという気持ちが上まわったとしか言えません。結局、子どもたちの前で見本として演じる本番はうまく演じることはできなかったような感じがしますが、終わった後、経験したことのない達成感を感じたのを覚えています。
 今年の劇が終わった後の子どもたちの感想の中にも「灰色の男をやって、アドリブで倒れるときにしりもちをついたら痛かった」「工夫してやってみた最後の万歳が楽しかった」「仕事のお笑い芸人がおもしろかった」「ぼくらの漫才がそんなに笑われると思ってなかったので、むっちゃうれしかった」など、自分たちが話し合って、演技の工夫をして演じたことが観客に大いに受けたことで、達成感が感じられたようです。
 子どもたちの劇の上演の前座として、保護者によるパフォーマンスが行われます。毎年、工藤直子さんの「のはらうた」からとった「荒神山ののはらうた」と題する詩で構成されたものです。子どもたちは、自分たちの出番の前に繰り広げられる、家では見たことのない親の姿に驚き、勇気をもらうようです。保護者の中にも、実は人前でのパフォーマンスが苦手だという人もいるでしょう。しかし、子どもも苦手なことに取り組んでいるのだからと、自分を奮い立たせている人もいると聞きました。卒業式で挨拶した保護者のひとりが、「もし皆さんがお知り合いの方に、この吃音親子サマーキャンプのことを紹介するときには、とりあえず作文とパフォーマンスのことは隠して、だまして連れてきて下さい。私も苦手だったパフォーマンスと作文からやっと卒業させていただきます」と笑いながら話していました。このお父さん、パフォーマンスの練習では率先してみんなをリードし、心の底から楽しんでいる様子でした。「恥ずかしかった」と言っていたお母さんが、参加回数を重ねるにつれて、熱が入り、女優のように熱演している様子も見てきました。子どもも親もスタッフも、ともに、苦手なことに一緒になって取り組むことに意味があるのだと感じます。仲間の力を借りて、少し自分自身を奮い立たせて、苦手なことに挑戦しているということなのでしょう。

 卒業式

 「子どもによっては、なかなか話し合いに参加できなかったり、劇に加われなかったりする子もいると思いますが、この場の空気に触れるだけでいいのです。それぞれの参加の仕方があります。その中でのいろいろな経験が、この三日間の中で積み重なっていくのだろうと思います。このサマーキャンプに連れてくることだけで、親の役割は十分に果たしたと、いつも思っています」
 伊藤伸二さんのことばで卒業式が始まりました。
 今年の卒業生は4名です。

こうき : キャンプに参加するようになって、吃音のとらえ方や考え方が変わりました。最初の頃は、治したいと思っていたけど、気にしなくていいんだと思えて、気持ちが前向きになりました。友だちもいっぱいできたし、自分にとってサマーキャンプは、前向きになろう、また一年がんばろうと思える場所となりました。大学に行くと環境が変わるので不安もありますが、前向きな気持ちで一日一日過ごせたらいいなと思っています。

えんじゅ : 初めてキャンプに参加したのは小学生6年生の時、半ば、無理矢理引っ張って来られたような感じでした。昔からことばが出づらいと思ったときはあったんですが、吃音ということばも知らず、あまり気にしていませんでした。でも、小5、6年ぐらいに顕著になり、どうしても音読ができませんでした。読もうと思っても読めないし、でも先生は当ててくるし、周りからからかわれても、一体何が起こっているのか分からないので言い返しようもなかった。ちょうど反抗期と重なって、精神的にもぐらぐらしたときがあり、その時が一番しんどかった。そんなときにサマーキャンプに初めて参加したのです。まず驚いたのが、自分以外にも同じようなどもる人がいっぱいいるのを知ったことです。そこで自分だけではないんだと安心できた。自分に起こっていることなのに何なのか分からないものにちゃんと「吃音」という名前がついていたということにも安心した。どもりについて話すことは今までなかったことなので、みんなで話し合いをして、1回参加しただけでも、だいぶ価値観や考え方が変わりました。結局5回参加しましたが、ようやくちょうどいい向き合い方をつかんだように思います。やっぱり回数を重ねることは大事だと思います。最初は本当に、どもることが嫌で、本当にこんなのなかったらいいのにと思っていました。今は、いろんな場で困ることがあるから好きではないけれど、まあ自分の一部みたいになり、どもったらどもったでしょうがないか、みたいな楽観的な感じになれたのがよかったと思います。初めは、同学年の子がいなかったんですが、卒業した年上の子や年下の子たちも、話しかけたら返してくれるし、小学生なんかは何もなくても寄ってくるし、私はそういうことがあまり得意ではないから、素直にうれしいです。やっぱり普通の友だちとは違う感覚、同じ吃音というものをもっているという前提で集まっているというのが違うなと思って、ここで出会った人たちは大事だなあと思います。貴重な経験でした。ここに参加しなかったら、今頃、どんなにひん曲がった人間になっていたか分からないので、このキャンプに参加してよかったと思います。

たいち : 初めてサマーキャンプに参加したのは、中学1年生の時で、それから連続で参加しました。初めて参加したときにびっくりしたことは、たくさんのどもる人に出会えたことです。僕よりひどくどもる人もいれば、軽い人もいたけれど、自分とは違うどもる人に出会え、それぞれの経験を聞けたので、そこから学べることがいろいろありました。同年代の子と、学校で嫌なことがあったとか、吃音でからかわれたとかいう話もしたけれど、でも自分以外にも同じ思いをしている子がいるんだ、みんながその中でがんばっているんだと聞いてとても救われました。どもっていても、その前にひとりの人間であることに変わりはないということを強く思いました。

あおい : 小学6年生で初めて参加して、本当に安心し、ほっとできました。サマーキャンプから帰った後、吃音について、いろいろ調べてみました。2年目の中学1年生のときに、「僕と吃音は、切っても切れない」と作文に書いたことを覚えています。今、高校3年生になり卒業を迎え、改めて思うことは、本当にサマーキャンプに参加してから性格も明るくなって行動も積極的になったということです。今の自分があるのは、小学六年生で吃音サマーキャンプに参加できたからだと思います。そして、自分が吃音だったから、いい自分になれたんじゃないかと思います。本当に、吃音とは、切っても切れないいい仲になったので、感謝しています。

 メモを読む子どもは一人もいません。一人一人がちゃんと前を向いて、自分で考えたことを、自分のことばで話していきます。真摯に語る4人の姿は、本当に頼もしい存在でした。
 伊藤さんの「最後にこの4人の前途に祝あれとみんなで大きな拍手で送りましょう」のことばで卒業式が終わりました。(2018.7.21)(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/14

どもる子どもの語る力をひきだす、吃音親子サマーキャンプ (28)

 鹿児島のことばの教室担当者である溝上茂樹さんによる、第28回吃音親子サマーキャンプの報告のつづきです。溝上さんの自分自身のことや、キャンプの感想が続きましたが、いよいよ、本題の第28回吃音親子サマーキャンプの報告に入ります。まず、キャンプの大きな柱の話し合いについてです。子どもたちの生の声をたくさん拾ってくれています。

 
吃音親子サマーキャンプに導かれて(3)
    鹿児島市立名山小学校 ことばの教室 溝上茂樹 

第28回吃音親子サマーキャンプ報告
話し合い 1日目
 キャンプの目玉の活動である話し合いは、初日の1時間半と翌朝2時間、設定されています。小学低・中・高学年と中学生、高校生のグループに分かれ、ファシリテーターとして、話し合いを深める役割を担ったどもる成人やことばの教室の教員、言語聴覚士がそれぞれのグループに入ります。私は小学5・6年生のグループに参加しました。
 1回目の話し合いは自己紹介から始まりました。名前やどこから来たか以外にキャンプに来た理由などについて話していきます。「ここではほぼ全員の人がどもっているので、どもりについて話し合いたいなと思って来ました」「特に理由はないけれど、自分と同じようにどもる人と全然会話をしたことがないから話したくて来ました」「来るのは2回目です。1回目の時に、同じようにどもる人と一緒に話して気持ちが分かるようになって、よかったからです」「今年で2回目です。1回目ですぐ友だちもできて、その友だちが、会えるの楽しみにしているよと言ってくれたので、2回目も来ました。学校だったら早く言えと急かされるけれど、ここでは急かされることもなく、安心して話せるし、みんなの思いが分かるから参加しました」。
 子どもたちが話すキャンプに来た理由から「普段の生活の中ではどもるのは自分だけ」という孤独感を感じました。そして、だからこそ、同じようにどもる仲間とつながりたい、どもりについて話し合いたいという強い気持ちが感じられました。
 まず、自己紹介の中にあった「学校だったら急かされる」という話題で話し合いが始まりました。「急かされるのか?」の問いかけには、「たまにある」「それはない」「1年生から一緒の子は大丈夫だけど、転校生は自分の吃音のことが分からないから、急かされることもある。でも、みんなが転校生に教えてくれるから大丈夫」など様々だった。
 そんな中で「急かされるのではなくて、無視される」と話す子がいました。みんなで詳しく聞いていくと、「言いたいことがあっても待ってくれなくてどんどん話が進んで、話が別の方向に行ったり、自分が言う前に話が終わったりしてしまう。言いたいことがあっても結果的に何も言えない」との様子を「無視される」と表現しました。そのことが、友だちや先生との関係の悪化につながったり、不登校や途中で家に帰ってしまう行動の原因の一部になっているのかもしれません。
 次に「自分と同じ病気」と言った子どものことばから、「吃音は障害か病気か、どちらでもないか」という話題になりました。「病気ということばを使っていたけど、病気だと思うの?」と、みんなに投げかけると、「障害じゃないし、病気でもない。障害と病気の中間くらい」「病気でもないし、障害でもない。障害っていうほど深くない」「治らない病気だというわけでもない」「おおざっぱに言うと、病気か障害だろうけど、でも障害ではない」「そんなに深くもないけど、軽くはない」などの考えが出され、更に話し合っていく中で、「吃音は、普通にしゃべれたりどもったりする波があるから障害じゃない」「病気だったら、薬で治る。吃音って病名じゃないし、病気だったら治らない病気もあるけど、吃音っていう障害名ではない」「病気ってなんか身体に怪我とか異変があるようなこと。異変がないから病気とはいえないと思う」など、子どもたちの多様な吃音に対する考えが出されました。

話し合い 2日目
 2日目の話し合いでは、昨日出されていた、「友だちとの会話で、どもっている間に話題がどんどん通り過ぎていって嫌な思いをするときに、周りの人にどうしてほしいか」について話し合いました。「どもっていても、ずっと聞いてほしい」「時間がかかっても聞いてほしい」「ことばが出ないときに、こうじゃないかなというのが予想できたら、言ってほしい」など、自分のしてほしいことを話すことができました。
 「どもって時間がかかるというのが迷惑をかけているみたいな感じがする」の話では、「別に吃音になりたくてなったわけじゃないんだから、いいんじゃない」「空手の号令とかたまに自分がするけど、どもってみんなの練習時間を減らしてしまうから、ちょっと悪いかなと思うことがある」「待ってくれるのはいいけど、みんなが、はあーとためいきをついて、声には出さないけど早く終わってほしいという感じがする。そんなときに、せっかく言おうとがんばっているのになあという気持ちになる」と、自分のことも周りのこともよく観察していると分かる発言が続きました。
 授業中の音読については、「学年が上がってくると音読が少なくなって、黙読が増えたから楽になった」「音読ではあまりどもらない」という子がいる一方で、「4年生のころ、ようし今度回ってきたら今日はちゃんと読もうと準備をしていたら、とばされた。それが原因で音読をしなくなった」「たまにどもらないときもあるけど、どもる時は1行に2、3分かかるときもある」と音読での苦戦を話す子がいました。
 普段の学校生活の中で感じたいくつかの話題について話し合っていく内に、昨日、「言いたいことがあっても、話が進んで、話が別の方向に行ったり、自分が言う前に話が終わったりしてしまう。言いたいことがあっても結果的に何も言えない」と話した子どもが、「実は、どもっているときに、補助してくれて、代わりに言ってくれる親友がいる。どもった時に助けてくれたことがきっかけで親友になった」とうれしそうに誇らしげに話しました。吃音は友だちや先生との関係の悪化の一因である反面、親友ができる要因にもなっていました。
 「私の教室の1年生のどもる子どもが、幼稚園の時はどもることを知ってくれている子が多かったから聞かれなかったんだけれど、小学校に入学して、いろんな幼稚園や保育園から来ているから、どうしてそんな話し方をするのと聞かれて、悪気があるわけではないと分かっているけれど、どうやって説明するか困っている。みんなだったらどういうふうに説明しますか」
 ことばの教室の教員がみんなに質問すると、4人が一斉にしゃべり始めました。「吃音っていうのは、最初のことばが出にくくて、つまってしまうようになるものです。なぜそうなるのか、どうしたら治るのかは判明していませんなどと、吃音について説明したらいいと思う」「僕は、まず、吃音は治らないものだということを伝えたい」「吃音は、個性と考えた方がいい。方言みたいに地域によってことばも話し方も違うし、人はそれぞれ違うから、それと同じように考えたらいいと言う」4人の子どもたちの、少しでも困っているどもる子どもの役に立ちたいという、他者貢献の気持ちの強さを感じました。(2018.7.21)(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/13

自分を語ることで、様々な考え方や生き方に触れることができる−吃音親子サマーキャンプ (28)

 鹿児島のことばの教室担当者である溝上茂樹さんによる、第28回吃音親子サマーキャンプの報告のつづきです。
 今日は、溝上さんが初めてサマーキャンプに参加したときの様子が書かれています。自分もどもる溝上さんは、サマーキャンプ初参加のとき、子どもも大人も自らの吃音と向き合い、しっかりと悩み、自分の問題として取り組んでいる姿に圧倒されます。
 そして、溝上さんも自分のことを語り、他者の語りを聞いて、様々な人の生き方に触れることができました。そのときのことを、溝上さんは、しっかりと吃音に向きあい、「どもりになれた」瞬間だったと表現しています。それからずっと、吃音親子サマーキャンプや、日本吃音臨床研究会の研修会に、毎年、遠く鹿児島から駆けつけてくれています。また、『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』『どもる子どもとの対話〜ナラティヴ・アプローチがひきだす物語る力』などの編集会議に毎回欠かさず参加している、僕たちのプロジェクトの中心メンバーの一人です。
 
   
吃音親子サマーキャンプに導かれて(2)
      鹿児島市立名山小学校 ことばの教室 溝上茂樹

 転機となった吃音親子サマーキャンプ

 2008年、第19回吃音親子サマーキャンプに参加しました。初めての場所に行くのは苦手なので、サマーキャンプのことは知っていましたが、実際に行動を起こすのに3年かかりました。それも、ことばの教室の先輩が「あなたは、絶対行かないといけないよ」と私の不安を見抜いたかのように強く背中を押してくれたため、やっと参加しようと覚悟を決めることができました。
 参加する前になんとなくイメージしていた吃音親子サマーキャンプとは全く違いました。人数がとても多いのに、「出会いの広場」のゆるやかな、明るい雰囲気に初めての場所が苦手だった私もすぐに輪の中に入ることができました。そして、私が、ことばの教室の担当になってからもなかなか吃音と向き合えなかったのに、同学年の子どもの話し合い、作文の時間、劇の稽古を通して、徹底的に吃音と向き合うプログラムが組まれていました。これらのキャンプの柱となっている活動を通して子どもも大人も自らの吃音と向き合い、しっかりと悩み、自分の問題として取り組んでいる姿に圧倒されました。自分の吃音をありのままに口に出し、どもっても大丈夫と自然体で生きているその姿に、私自身も受け入れられている安心感と、どもりに向き合うことの心地よさに、何とも言えない魅力を感じ、心を揺さぶられました。子どもたちはそれまで私が考えていたような、かわいそうな弱い存在ではなく、むしろ尊敬できる存在でした。

 自分のことを語ることで、様々な考え方や生き方に触れることができる

 夕食後に始まった話し合いは、私と同じく初参加のことばの教室の教員の、栃木県宇都宮市の睫攅戚世気鵑函伊藤伸二さんが担当する、小学6年生8人のグループに入りました。運動会の係や委員会のことなどが話題になる中、Aさんが話し始めました。
 「私は、5年生の後半から学校を休んでいます。学校は嫌いでないし、友だちもたくさんいます。5年生で担任が替わり、一日に何回も当てるようになって、どもらないように話していたけれど、だんだん辛くなってきて、学校を休みたくなった。友だちは、私がどもることを知らないと思う。でも私は、自分がどもるのがイヤなんです」
 周りの子どもたちは、じっとその話を聞いた上で次々に発言していきます。「どもりを隠しても、どもりが治るわけではないから、僕はそうしない」「僕は、タイミングを掴んで話せばどもらないない」「僕は、隠そうと思っても、隠せないから、そのままどもる」。それぞれ自分の思いをことばにしていきます。
 初対面の子どもも多い中で、子どもたちにこのように語らせる力は何なのだろう。そうできる雰囲気が、このキャンプにあるのだと思いました。Aさんが学校に行ってもいいと思うのは、もう少し先のことだとしても、誰かに悩みを話していいこと、自分には伝える力があること、真剣に聞いてくれる人がいること、自分だけでなくみんなどもりと向き合って、いろいろあるけれど生活していること、それらのことに気づくだけで、何かが変わっていく気がしました。
 子どもたちとの話し合いに心を揺さぶられているところに、「明日、司会、やって」と1日目の話し合いが終わるときに、いきなり言われました。1日目の話し合いでは、私は、そうか、そうなんだと思って聞いているだけで済んでいました。いきなり司会をと言われて、「えええっー、初参加なのに」と思いましたが、断り切れず司会をすることになりました。
 2日目、不安を抱えながらスタートです。教員という職業柄、うまく話し合いを進めないといけないみたいな意識があって、どうしたらいいかなと思いながら、とりあえず子どもたちと同じように、自分のことを話しました。すると、それに触発されたように、子どもたちも自分のことを話し始めてくれたので、話し合いは進んでいきました。その経験から、教師である私も、どもる一人の参加者として自分のことを話すことは、とても大事なことなんだと実感しました。
 子どもたちは、初めてキャンプに参加した私を受け入れ、いろんなことを話してくれました。キャンプに参加し、吃音としっかり向き合う子どもたちの姿に接して、言語訓練をして吃音を治さなくても、吃音とともに豊かに生きていけるのだと強く思いました。ただそれをするためには、自分のことを語って、他者の語りを聞いて、様々な人の生き方に触れることが大切だと思いました。
 最終日、劇上演の後の最後の振り返りで、初参加の感想を求められた私は、3日間の体験をふりかえって話し始めたとき、思いがけず涙があふれてきました。大勢の前で涙を流している大人の姿を子どもたちはどう思ったのでしょう。私にとっても、参加する前には想像もできない自分の姿でした。吃音にきちんと向き合うことなくこれまで生きてきた私が、しっかりと吃音に向きあい、「どもりになれた」瞬間だったのでしょう。(2018.7.21)(つづく)
 

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/12

ことばの教師の教師にとっての、吃音親子サマーキャンプ (28)

 第28回吃音親子サマーキャンプを特集したニュースレターの巻頭言を紹介しましたが、このときのサマーキャンプ全体の報告を紹介します。
 報告してくれたのは、鹿児島から参加した溝上茂樹さんです。溝上さんは、鹿児島のことばの教室の担当者であり、自身もどもる人です。初めてサマーキャンプに参加したとき、最後のふりかえりで、溝上さんは、涙を流しながら感想を話しました。それ以降、ずっと、遠く鹿児島から駆けつけてくれています。
 今回の報告のタイトルは、「吃音親子サマーキャンプに導かれて」。溝上さんの足跡を辿りながら、お読みいただければ、うれしいです。

           
吃音親子サマーキャンプに導かれて(1)

   鹿児島市立名山小学校 ことばの教室 溝上茂樹

 はじめに 吃音と向き合うことなく過ごす

 第28回吃音親子サマーキャンプの報告をするに当たって、まず私自身のこと、初めてキャンプに参加した時のことについてふれます。
 私は、鹿児島県の甑島(こしきじま)という小さな島で育ちました。小学校、中学校と少人数だったので、周りからは、私のどもりは自然に受け入れられ、まねやからかいはありませんでした。そのせいか、毎日どもり、「嫌だなあ、治らないかなあ」との思いはあったものの、どもることが強い劣等感や辛さにはなりませんでした。しかし、将来には漠然とした不安や恐れを感じていて、話すことの多い仕事、たとえば学校の教員などは無理だと思っていました。
 島には高校がなく、中学校を卒業して、鹿児島市内の生徒が3千人近くいる大きな高校に進学しました。そこでは、古典の時間にどもって本を読むと、先生から「もういいよ」と、読む順番を飛ばされる経験もしました。それでも深刻に悩むことなく高校生活を送れたのは、勉強中心のクラスにいたために、周りも私も、他人のことよりも、自分の勉強に一所懸命だったからでしょう。
 東京での大学生活は、高校時代と違って自由で楽しいものでした。就職活動をしないまま、友人の父親が経営する一般企業に就職しました。3年間勤めて家の事情で鹿児島に帰ったとき、中学時代はあきらめていた教員になりたいとの夢が頭をもたげました。私と同じようにどもる子どもたちのために何かできないかなあとの思いが膨らんできたのです。通信教育で教員免許をとり、採用試験を受けて、鹿児島の教員になりました。
 最初の11年間は、通常学級の担任でした。担任した子どもたちに「先生はどもるんだよ」と話し、子どもたちも自然に受け入れてくれました。授業中、私がどもっても、笑ったり嫌な顔をする子もいないし、ひどくどもったときなどは、「先生、今日、調子悪かったね」と自然に声をかけてくれる子もいました。周りから自然に受け止めてもらえてよかったと思う反面、それ故に、私はきちんと吃音と向き合わずに、教員生活を送っていました。
 希望を出し続け、やっと、念願のことばの教室の担当になることができましたが、本当にどもる子どもの役に立てるか不安でした。私自身がどもりを完全に受け入れていたわけではなく、どもりたくないとの思いも、どもった後の否定的な感情もありました。どもることにまだ劣等感を持っている私が、どもる子どもと向き合って、指導できるのだろうかとのジレンマも感じていました。
 一方で、自信にあふれる教師ではなく、弱さを持っている今のままの私が教師を続けることで、子どもたちに何か伝えられることがあるのではないかとも思っていました。
 このように揺れながら、私は自分のどもりを隠すことなく、周りにオープンにしてなんとか教師生活を続けていましたが、自分はどもる、弱くてかわいそうな人間だという気持ちが常に心の片隅に存在していたように思います。どもる子どもたちと向き合ったときにも、そういう気持ちが投影されていたのか、かわいそうな子どもたちだから、少しでもどもりを軽くしてあげないといけないという気持ちで接していたと思います。
 しかし、言語訓練のようなことをしても結果は出ません。どもる子どもたちのために何かできないかと思って、ことばの教室の担当になったのに、どうしたらいいんだろうと迷う中で、どもる子どもたちと共有する時間に苦痛を感じ始め、どもる子どもが教室に来るのを喜べない自分がいました。(2018.7.21)(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/11

吃音に向き合う真剣さが人を動かす−吃音親子サマーキャンプ (28)

 吃音親子サマーキャンプというひとつのできごとを、様々な切り口で、よくこれだけ書けるものだと、我ながら感心します。それだけ、サマーキャンプという場が、たくさんのドラマを作ってきたということなのでしょう。
 深刻に悩むのではなく、真剣に悩もうというキャッチフレーズを作ったことがあります。吃音に向き合い、自分について、人生についてしっかり考えるとき、「真剣さ」は不可欠です。サマーキャンプの底流には、「真剣さ」があります。一度限りの自分の人生、真剣に生きたいものです。


第28回吃音親子サマーキャンプ 2017年
   会場    滋賀県彦根市荒神山自然の家
   参加者数  125名
   芝居    モモと灰色の男たち

第28回吃音親子サマーキャンプを特集したニュースレターの巻頭言

  
キャンプに流れる真剣さ

       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 吃音親子サマーキャンプは、28年間数々のドラマを作ってきた。初めて参加した人たちは、参加する前に想像していたイメージとはまったく違ったと口をそろえる。通常の「キャンプ」を想像するからだろう。先日、言語聴覚士養成専門学校での講義でキャンプの記録の映像を見せた。いつもその前に、グループに分かれて、「言語聴覚士がどもる子どものためにする吃音親子サマーキャンプ」を計画してほしいと提示する。
 学生たちは楽しそうに計画を立てているが、「専門家がどもる子どものために」の視点は意識しても、どもる子どもに話すプレッシャーを与えないなど配慮した内容が多く、通常のキャンプと変わらない計画になる。
 学生に見せているキャンプの映像は、竹内敏晴さんが参加して下さった第16回、2005年の映像だ。映像作家を目指していた青年が、『新・吃音者宣言』(芳賀書店)を書店で立ち読みして、自分の知らなかった吃音の奥深い世界をぜひ記録として残したい、放送局で放送するかドキュメンタリー映画としてまとめたいと申し出てくれた。そうして3日間、吃音親子サマーキャンプを丁寧に追ってくれた。子どもの話し合いのシーン、劇の練習、親のパフォーマンスなどが適度な長さで収録されている。放送局で放送されなかったが、貴重な映像として残してくれた。竹内敏晴さんが、「出会いの広場」で140名を超える参加者を相手にする歌のレッスンは迫力がある。父親が熊になり、母親が森になり、子どもたちが森を散歩し、全員で「森の熊さん」を歌うシーンは、何度見ても楽しい。専門学校の講義の度にこの映像を見ることができるのは、竹内さんと出会える私の幸せなひとときでもある。
 今回も映像を見た後、学生ひとりひとりに感想を聞いていったが、全員に共通するのは、話し合いや作文を通して「吃音に徹底的に向き合う」キャンプの厳しさだ。学生はそのようなキャンプはまったく想像できなかったと言う。そして、劇を通してことばに対して指導をしているシーンでは、吃音を改善するための言語訓練を否定している私たちが、子どもひとりひとりのことばに取り組んでいる姿にも驚く。
 何人かの感想に必ず出てくるのが、親のパフォーマンスだ。親のはじけた、めいっぱい演じるパフォーマンスに目を見張る。誰もが劣等感や苦手をもち、また生きづらさを抱えて生きている。そのテーマにこれだけの大がかりな装置で取り組める子どもたちが、とてもうらやましいという。また、子どもたちが話し合う姿を見て、自分たちが学童期・思春期にここまで真剣に自分を語り、人生を考えることはなかったので、共通のテーマで、一体感をもって取り組んでいる姿にもうらやましさを感じるらしい。
 「私は途中で帰ろうと思っていたが、小さい子どもが劇の練習に一生懸命に取り組んでいるのを見て、帰れなくなった。小さな子も大きな子も関係なく、一所懸命な姿が、私が途中で帰るのを押しとどめてくれ、結局最後まで残り、私も劇でがんばれてよかった。とても気持ちが楽になった」
 女子高校生のことばへの共感もあった。キャンプが始まってすぐ祖母が亡くなり、母親が途中で帰り、自分も帰るつもりだったのが、彼女を引き留めさせたのは、子どもたちの「真剣さ」だった。「真剣さ」は、吃音親子サマーキャンプにずっと流れている空気だ。携帯もゲームも持ち込み禁止で吃音にだけ集中して取り組む3日間のプログラムは、話し合い、作文、劇の練習と真剣に取り組まざるを得ない。劇の練習では、最初ふざけ気味だった子どもも、周りの真剣な姿勢に、だんだんと集中してくる。真剣さがキャンプ全体を包み込むとき、人は身をたださずにはいられない。
 今回のキャンプの報告者の溝上茂樹さんは、自分がこれまで向き合えなかった吃音に、子どもたちが真剣に向き合う姿勢に心動かされた。最後の振り返りで涙を流した溝上さんの姿は、私の記憶に残っている。真剣に何事かに取り組む姿勢は、ここまで人を動かし、その後の人生をも変える力があるのだ。吃音親子サマーキャンプには、「真剣さ」に加えて、温かさ、笑い、ユーモア、楽しさがある。人が変わっていくきっかけになる場に立ち会うことはうれしい。(了)(2018.7.21)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/10 

人が変わっていくきっかけ−吃音親子サマーキャンプ (27)

 吃音に深く悩み、どもっていたら僕の人生は始まらないと思い詰めていた僕が、治すこと、治ることをあきらめ、吃音と共に生きていくことを選択してから、50年以上が過ぎました。吃音のことを深く掘り下げていったら、世界が広がっていったと実感しています。
 第27回吃音親子サマーキャンプ特集号の「スタタリング・ナウ」の巻頭言に、僕は、直接キャンプにふれないで、渋谷のロフトで開かれたトークイベントに関して書いていました。トークイベントの壇上にも客席にも、これまでに知り合った人、おつき合いのある人がいて下さいました。吃音が結びつけてくたれ人たちです。
 ここでも、僕は、阿部莉菜さんの話をしていました。

第27回吃音親子サマーキャンプ 2016年
   会場    滋賀県彦根市荒神山自然の家
   参加者数  137名
   芝居    ライオンと魔女

第27回吃音親子サマーキャンプの特集をしたニュースレターの巻頭言

   
変わるきっかけ
 
    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 一年の計画を立てる合宿、伊藤伸二・東京ワークショップ、映画の上映とトークのイベントと続いた東京での3日間で、日本吃音臨床研究会の、2017年が始動した。
 今年のテーマは「哲学的対話」。夏の吃音講習会などで、哲学的対話について考えていくが、渋谷で開かれたマイケル・ターナー監督の吃音のドキュメンタリー映画の上映とトークは、その幕開けにふさわしいものとなった。
 司会は、「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」などのNHKの看板番組に長年携わり、今は地域で自殺予防や認知症の人にかかわる仕事をされている永田浩三・武蔵大学教授。トークは、「べてるの家の非援助論」などで、べてるの家の実践を紹介した医学書院の編集者白石正明さんと私。そして、会場にはTBS「報道の魂」で私たちの活動をドキュメンタリー番組として放送して下さった斉藤道雄さん。ジャーナリストの土井敏邦さんがおられ、私は安心して話すことができた。
 永田さん、白石さんが、私に吃音について大事なことを話すよう励まし、コメントで深めて下さった。そのごく一部を紹介する。
永田:映画の中で気づかれたことをお話し下さい。
白石:ターナーの友だち、親友や一緒にキャンプに行った人たちがめちゃめちゃいい奴ですね。彼の人をひきつける力がどこからくるのかなと思うと、ちょっと強引かもしれないけれど、吃音という、ちょっとした自信のなさそうな人に、どっと人が寄ってくる感じがしました。あの独特の繊細さは、最近、映画でも見ないし、それを映画にした時点で、ほんとにすばらしい映画でした。
永田:私も、後半、ぐっときましたね。キャンプの中で、女の子が「吃音を治すではなくて、それを持ちながらちゃんと生きていく、自分はこれでいいんだ」と、グループワークの中で気づいていく所、すばらしいと思いました。伊藤さんは、ワークショップなどで、人が変わっていく場に多く立ち会ってこられたと思いますが、どういうことがきっかけになっているんでしょうかね。
伊藤:僕は対話の力だと思うんですね。同じような経験をした仲間や少し先を行く先輩や専門家など複数の人との対話が大きいと思います。ひとつ例を話します。6年生になってすぐ、どもることで転校生からいじめられ、不登校になった女の子が、吃音親子サマーキャンプに参加しました。初日の90分の話し合いで、彼女は学校へ行きたいのに行けない苦しさを話します。グループの中で、子どもたちから質問を受けて答え、またレスポンスを聞きながら、自分を見つめ直し、大事なことに気づいていきました。翌朝、彼女は「どもっていても大丈夫」という作文を書き、3日間のキャンプが終わったら、すぐに学校に行き始めました。不登校の間の5か月間、彼女は本当に苦しんだと思います。しかし、悩んだからこそ、話し合いをきっかけに新たな方向を見いだすことができたのでしょう。大人から見れば、何か月もの不登校が、話し合いだけで突破できるのかと不思議でしょうが、他者との対話の力は大きいと思います。
白石:そういうのは、治療では出てこない力だと思うんです。今、精神医療の分野でブームになっているのが、オープンダイアローグです。急性期、これまでは薬や入院で治療して、しばらくたってから、社会復帰だった。それをその人のところに数人で行って、雑談をする。対話をすることで回復させようという動きがある。治療するかしないかじゃなくて、それに取り組むのが、一人なのか、複数なのかの選択肢がこれから大きいテーマになってくると思うんです。治療しないと決めて、一人でいても変わらない。治療するにしても、仲間と一緒に何かをする場を設定できるかが、決定的に重要なことになると思うんです。
 吃音も全く同じで、治療関係で何か先生に教えてもらって治すというのじゃなくて、複数の人との対話の場で治っていく。治っていくって変ですが、生きやすくなっていくというのが、今後、多分メインストリームになっていくと思うんです。(了)(2017.1.22)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/8
Archives
livedoor プロフィール

kituon

QRコード(携帯電話用)
QRコード