最初に、一番行きたい会社を受ける
僕は、21歳の夏までは、社会人として働いているイメージが全くもてませんでした。吃音を治さないと働けないと本当に考えていました。だから、吃音を治すために「吃音は必ず治る」と宣伝する東京正生学院で30日間の寮生活を送ったのです。そこで、治らないと断念して、どもる僕でも働けるとやっと思えたのです。だから、どもる人が就職に果敢に挑戦する姿には、敬意の気持ちがわいてきます。
その僕がえらそうなことは言えませんが、就職に不利だ、どもっていたら就職できない、どもっていても就職できるよう社会が理解してほしい、そう嘆いているだけでは、問題は何も解決しません。どもっているからこそ、他のことはしっかり準備するとか、どもっているからこそ、笑顔だけは絶対負けないとか、何か必要だと思います。
今日は、どうせ落ちるだろうから、最初に、一番行きたい会社を受けると心に決めていた人の話です。強い決意と覚悟、それが就職への道を開いたのではと、彼は考えています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/9
僕は、21歳の夏までは、社会人として働いているイメージが全くもてませんでした。吃音を治さないと働けないと本当に考えていました。だから、吃音を治すために「吃音は必ず治る」と宣伝する東京正生学院で30日間の寮生活を送ったのです。そこで、治らないと断念して、どもる僕でも働けるとやっと思えたのです。だから、どもる人が就職に果敢に挑戦する姿には、敬意の気持ちがわいてきます。
その僕がえらそうなことは言えませんが、就職に不利だ、どもっていたら就職できない、どもっていても就職できるよう社会が理解してほしい、そう嘆いているだけでは、問題は何も解決しません。どもっているからこそ、他のことはしっかり準備するとか、どもっているからこそ、笑顔だけは絶対負けないとか、何か必要だと思います。
今日は、どうせ落ちるだろうから、最初に、一番行きたい会社を受けると心に決めていた人の話です。強い決意と覚悟、それが就職への道を開いたのではと、彼は考えています。
決意
時は、就職氷河期、真っ只中。来年就職を控えた一人の青年がいました。彼は幼い頃から吃音でした。
「吃音があると就職すらままならない」
そう将来を悲観していました。しかし、就職しないわけにもいきません。大きな不安を抱えながら就職活動を開始しました。
彼の学校では、就職活動サポートの一環として、模擬面接を実施していました。模擬面接は、集団面接と個人面接の2回に分けて実施されました。彼は非常に大きな予期不安を抱きました。そう、学校名と名前が言えないのです。さらに、自分が吃音であることをクラスメイトや学校関係者に告げていませんでした。不安と恐怖を抱えながら、集団面接に挑みました。
受験者の5人が、部屋に通されました。面接官は学校の先生、後は、同じ学校の就職を控えた同級生です。クラスメイトもいました。受験者は全員起立し、端から学校名と名前を言っていきます。彼の順番は最後でした。学校名と名前なのでそれほど時間がかかることはありません。
そして彼の番になりました。不安は的中しました。学校名が言えない。最初の一音が出てこない。面接官も受験者も怪訝そうな目で彼を見ました。彼が言い終わるまで、受験者は着席できません。彼はなんとか声を絞り出し、どもりながら小さな声で学校名と名前を言いました。
情けない思いと惨めさで、顔が真っ赤になりました。違う学校の受験者ならともかく、同じ学校の同級生、クラスメイト、先生にまで吃音があることがバレてしまった。恥ずかしい…。ずっと吃音を隠し続けてきたツケがこんなころで回ってきました。
面接の後半、それぞれが興味のある時事ネタを語る時間がありました。彼は、当時、興味のあった時事ネタを自分なりの意見を交えて一生懸命語りました。
そして面接が終わりました。それぞれの受験者に対し、講評がありました。彼は、面接官からこう言われました。
「君の時事ネタの話が一番良かったよ。過去にも君のような子がいたよ。その子は苦労しながらもがんばって30社ほど受けて、見事内定を取ったよ。だから君もできるはず」
その言葉を受け、少しホッとしました。最低な面接だと思っていたが、少しはいいところもあったみたいだった。また、自分のような吃音を持つ人でも内定を得られることを知ったこと。不安でたまらなかった就職活動に少し勇気を持つことができました。
彼は就職活動をするにあたって、ひとつ心に決めていたことがありました。どうせどもりなので、何十社も受けて落ちることになるだろう。どうせ落ちるなら、最初の1社目は自分が一番行きたい会社を受験しよう。先生に無理と言われても、クラスメイトに馬鹿にされても、それでも一番行きたい会社を最初に受けよう。
見事に落ちて、「やっぱりダメだったじゃん!」ってみんなの笑い話にでもなればいいと思っていました。そう心に決めて、本格的に就職活動を始めました。
彼は、決意どおり、一番行きたい会社に一通目の履歴書を送りました。そして幸運なことに、面接のアポをとることができました。
面接当日。初めて袖を通すスーツ。緊張しながら会社の受付に向かいました。予想と反して温かく迎え入れてくれました。
役員面接、作文、適性試験。適性試験は何も準備していなかったのと、緊張でほとんど問題が解けませんでした。しかし、作文や面接では、学校で努力してきたこと、会社が作る製品への想い、会社への想いを一生懸命語りました。
そして社長面接。学校名がなかなか言えない彼に対して、にこやかな笑顔で「どうぞ座ってください」と言ってもらい、終始和やかな雰囲気で面接は行われました。
すべての試験が終わりました。
「ダメだった…」
率直な感想でした。
面接以外何も準備していなかった。それは吃音以前の問題でした。でも、彼の心の中で何か吹っ切れた気がしました。
これからが本番だ。吃音のハンディを背負っているが、何とか受かるまでがんばろう。失敗を踏まえて、決意を新たにしました。さっそく何社か面接のアポを入れ、まったく準備していなかった適性試験の問題集を買って、次の試験に備えました。
数日後、最初に受けた会社から面接の結果が届きました。どうせ落ちているだろうと思っていたのですが、なんと、合格していました。彼は驚き、にわかには信じられませんでした。自分の何が良かったのだろう?
とりあえず、ひと安心しました。こうして、彼の就職活動は意外な形での幕切れとなりました。
10月。内定式。内定者には、必要書類とともに、花束が贈られました。
花束などもらったことがない彼は、少し恥ずかしいなと思いながら、学校に戻りました。クラスに戻ると、みんなが花束を見て、うれしそうに祝ってくれました。
「内定式で花束なんてくれるの! いい会社やん!」
照れながらも、彼は花束を見て少し誇らしい気持ちになりました。
吃音があると就職できないと絶望していた十代後半。吃音を持たなくても、就職が難しかった時代。
吃音が就職に不利に働くとするなら、なお一層強い決意を持って臨まなければならない。その強い決意が、就職への道を開いたのかもしれない。吃音がなければ、そこまで強い決意を持てただろうか。
そして現在。
不満をたくさん持ちつつも彼はまだその会社に勤め続けています。経営状態も良くなく、明日どうなるか分からない身ですが、あのときの強い決意と覚悟は、いつまでも忘れないでいたいと思っています。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/9