伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2020年08月

吃音親子サマーキャンプ (3)

自己概念くずし 「どもっていては、好かれない」は思い込みだった

 今日は、幻の第31回吃音親子サマーキャンプの初日。今頃は、公式プログラムが全て終わり、スタッフ会議の真っ最中です。子どもたちや保護者は、入浴を済ませ、それぞれの部屋で、リピーターの人は、1年ぶりの再会を喜び、その間のたくさんのできごとを話し、初めて参加した人は、少しずつ打ち解けていることでしょう。複数回参加している人が、初参加の人にさりげなく声をかけ、話をし、話を聞き…そんな温かくやさしい文化がいつの間にか根づいている素敵な空間なのです。
サマキャンの写真 ワークブック表紙 10% こんなふうに、きっと今頃は…と思いをはせているのは、僕たちだけではなかったようです。今、僕の個人メールに、いくつかメールが届いています。メールの件名につけられているのは「#サマキャン2020」です。SNSでの拡散をねらっているものではなく、吃音親子サマーキャンプへの強い思いを、今年はそれぞれの地でかみしめているのです。遠く離れていても、サマーキャンプのことを思うことで、つながりを一層強めているということでしょうか。
 思えば、30年間、そんな思いを持った人たちと出会ってきました。そんなうれしい出会いがあったからこそ、30年間も続けてこられたのだと思います。奇跡のような30年間だったような気がします。
 3日間、荒神山のシンボル、楠の大きな木を思い出しながら、過ごすことにします。


第3回吃音親子サマーキャンプ(1990年)
     会場  滋賀県 皇子山のユースホステル
     参加者 20人


   
自己概念くずし
                      伊藤伸二

 私たちは日々、様々な人、出来事と出会う。同じ体験をしても、その体験についての感じ方、受けとめ方は、人それぞれに違う。これは、個々人が違った自己概念をもっているからである。
 「私は〜である」「私は〜が好きだ」「私は〜苦手だ」「私は〜についてこう思う」
 自分自身をどう受けとめ、どのように思っているか、自分自身に対して持っている概念を自己概念と言う。
 これらの自己概念が行動や思考の枠組みをつくる。
 自分の自己概念を知り、それがどのように行動に影響しているかを知る。それが自分を生きづらくさせているのであれば、その自己概念をくずし、新たな自己概念を作り上げなければならない。私たちの場合、どもりについての受けとめ方が自己概念の中核をなす。
 今年の吃音親子サマーキャンプで、中学3年生から大学1年生までの7人と私たち成人吃音者でじっくりと話し合った。「どもっていては、話すことが多い仕事につくべきではない」。職業選択の話になった時、彼たちは、このような自己概念を持っていた。この概念はその後のより良い生き方につながらない。これをくずし、新しい自己概念をつくることが大切だ。
 私たちは、彼たちに自分の体験や、セルフヘルプグループに集まる多くのどもる人の体験について話した。話すことの多い仕事に多くのどもる人が実際についていること。私たちがこれまで逃げてばかりいてつまらない、中・高生時代を送り、損をしたと考えていることなど。
 若い人たちが、一人でどもりに悩んでいたのでは、考えられないことが、話し合いの中で明らかになっていく。彼らにとって、私たちとの出会いは、これまで持っていた自己概念について検討するいい機会となった。次に彼らに必要なのは、行動することだ。行動してみて、私たち吃音の先輩の言っていたことが、間違っていなかったことを知る。行動を通して、新たなに自己概念がつくられる。

 「どもっていては、人から好かれない。まして異性から好かれるはずがない」
 私は、これまでの経験から、この固い思い込みをもっていた。そんなことはない、と多くの人から言われたが、信じられなかった。そんな僕に、先輩は、どもっていてもダンスはできると、ダンス教習所に連れていってくれた。その教習所はレッスンの後、自由に踊る時間がある。その内レッスンでは踊れるようになったが、レッスン後のパーティーになると、全く踊れない。その時は自分でパートナーをみつけなければならないからだ。どもることへの不安と恐れから「踊っていただけませんか」と申し込めないのだ。じっと他人が楽しそうに踊っているのを、指をくわえてながめているほどばかばかしいことはない。何日もそんな日が続いた。逃げずに行動してみよう。意を決して申し込む。何度も、何度も断られる日が続く。それでもめげずにチャレンジしてみた。数日後、踊ってくれる人が現れた。うれしかった。不思議なもので一度自分で申し込み、踊れると自信がつき、積極的に申し込めるようになった。
 次のステップとしては、踊ってくれた人を喫茶店に誘いたい。女子大学のスポーツクラブ主催のタンスパーティーに大学のクラスメート4人で行ったとき、自分一人ではできなかったが、仲間と一緒に誘った時、女子学生3人と喫茶店に行くことができた。皆は楽しそうに話し、2時間はあっと言う間にすぎた。私はほとんど話すことなく聞き役にまわっていたが、少なくとも場の雰囲気をこわさないよう明るくしていた。後で分かったことだが、べらべらしゃべり、場を盛り上げていた友達よりも、静かに聞き役になっていた僕が一番好感を持たれて、3人の女性から好かれていたらしい。その中の一人と付き合うことができ、そのことを知った。この経験があって初めて、「どもっていても、好かれないということはない」ことを知り、長年もっていた「どもっていては、人から好かれない。まして異性から好かれるはずはない」との自己概念をくずすことができた。
 頭の中だけで考えていたのでは、自己概念をくずすことはできない。できるところから行動することが、大切なのだと分かった。(1992.11.30)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/21

吃音親子サマーキャンプ (2)

吃音の子どもの早期自覚教育

 第1回の吃音親子サマーキャンプは、今日と同じで、本当に暑い日でした。民宿で、冷房が完備されておらず、30回のキャンプの歴史で、暑さを強烈に覚えているのは、第一回のキャンプだけです。それだけに強い印象として残っています。
 今日は、8月20日、サマーキャンプの前日です。事務局の僕たちはもちろん、翌日からのサマーキャンプを思って、ワクワクしていますが、参加者も同じようです。30年の間には、遠くから参加した人もいました。北海道や岩手から参加した人もいました。最近は、沖縄からの参加が増えました。道中、どんなことを思いながら参加してくるのでしょうか。遠い所から、家族で参加する、そのことだけですごいなあと思います。そんな人たちの思いにこたえられるよう、僕たちはいつも丁寧に誠実に向き合おうと努めました。1年間のうちのたった3日間が、人生を変える大きな転換になることもあるのですから。


第2回 吃音親子サマーキャンプ(1991年)
     会場  滋賀県 西教寺
     参加者 34人

  
吃音の子どもの早期自覚教育
                              伊藤伸二

 盛岡市で開かれた日本公衆衛生学会で興味ある2つの発表があった。(1991.10.16)禁煙教育と性教育に関してである。
 喫煙経験者の低年齢化が進んでいる。中学校ではたばこを吸う教師が多い学校ほど、また、両親、兄弟など近親者や友人がたばこを吸う環境にある生徒ほど喫煙経験者が多いことも報告された。この状況の中で、小学校からの禁煙教育の必要性が叫ばれている。関西のある小学校でスライドやビデオを使っての取り組みがなされ、5年生の女子は次のような感想を寄せている。『たばこを吸うと体に悪いことは知っていましたが、けむりを吸っただけでも、がんになったりする確率が高いと聞いてびっくりしました。今までもお父さんに「たばこをやめたら」と言ってきたけれど、今日帰ったら「家族のためにもやめて」と言います』
 また、現代の母親の大半が性教育は小学校3・4年生までに始めるべきだと考えるなど親の意識の変化が報告された。家庭内で性の話がタブー視された一昔前から考えると大きな変化だと言える。また、望まない妊娠をし、中絶する少女たちの増加や子どもの性意識や性行動の変化を受けて、来年度からは、生活科・理科の教育の中に性教育が入ってくる。性の管理ではなく、本来の豊かな性を教えることが必要だとする教師の動きも出始めている。
 これら早期教育の視点からとらえるとき、吃音の子どもの教育の実態はどうであろうか。
 今夏開かれたサマーキャンプで中学2年生の子どもを持つ父親から次のような発言があった。『小学校の2年からことばの教室に通っているが、ことばの教室の先生は「ちょっと言いにくいからそれをスムーズになるために教室に来るのやで」と子どもに説明してくれました。何年も通級しても変わらないので子どもは「こんなにしているのになんで治らないのや」と言うようになり、6年生になったら「こんなに来ているのに、普通の病気でもこんなに長くない」と行かなくなりました。そのときは、ことばの教室の先生からは子どもに説明がありませんでした。私たち家庭の中でも、どもりについて話題にするのを避けてきました。これからどう対応したらいいでしょうか…』
 家庭の中でも、またことばの教室の中でも、吃音が直接の話題になっていない実状が話された。

 幼児期の吃音は「子どもの面前で、ことばの間題を話題にしないようにします」「子どもにことばの異常を意識させないよう工夫することによって悪循環が進むのを防ぎ、どもりの問題が自然に衰え、通過するのを待ちます」
 学齢期の吃音は「自分のことばの問題を進んで人に打ち明けるよう励ましましょう」
            −『子どものどもり』(日本文化科学社1976年)

 幼児期にひたすら隠し続け、話題にのぼらなかった問題を、学齢期になれば急に言えるようになるだろうか。
 親も、指導する側も「どもりを治したい」との本音を持ち、治るならと建前で「どもってもいいよ」と励ます。敏感な子どもであれば、本音と建前を見破ってしまうであろう。自分らしくよりよく生きるためには、吃音を持っている自己を肯定して生きることが大切だが、自己肯定する態度の育成はできるだけ早期に始めた方が効果がある。どもっている子どものそのままを本音で受け入れ、どもりのことをオープンに話していくことを早期にする必要がある。
 子どもの頃、母親にも先生にも友達にもどもりのことを話題にできず、一人で悩んでいたが、誰かに話したかったという成人のどもる人は多い。吃音をできるだけ意識させない接し方でなく、どもりをオープンに話すことで、自覚をうながすことがむしろ必要なのではないか。
 私たちは、吃音の早期治療ではなく、吃音の子どもの早期自覚教育を提唱し、その教材作りやプログラム化の取り組みを開始したい。そのとき、禁煙教育や性教育の取り組みや教材作りに学ぶべきものはあるかもしれない。(1991.10.31)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/21

吃音親子サマーキャンプ 1

  自己受容

 今年の吃音親子サマーキャンプの日程は、2020年8月21・22・23日でした。
 今日は、8月19日。例年なら、吃音親子サマーキャンプ直前で慌ただしく準備している頃です。キャンプのしおり、サマーキャンプの旗、芝居の台本や小道具、朝のスポーツの道具など、持っていく荷物で、部屋中いっぱいになっているはずでした。慌ただしく、忙しいけれど、大好きな時間でした。しかし、今年は、新型コロナウイルスのために中止になりました。
 吃音親子サマーキャンプは、昨年、節目の30回を終えました。朝日新聞記者が3日間、密着取材をして下さり、キャンプ最終日、写真入りで大きな記事になったことを、みんなで喜び合いました。30年間、夏の行事として定着していた吃音親子サマーキャンプがなくなり、なんとも不思議な夏を過ごしています。
 30年間の歴史を刻んできた吃音親子サマーキャンプ、大勢のどもる子どもたち、その親、そして、ことばの教室の担当者や言語聴覚士の人たちとの出会いがありました。昨年、これまでの参加者の総人数を、朝日新聞の記者から尋ねられ、過去の記録を整理してみると、どもる子どもと家族の参加者が2199人、スタッフが1027人、合計3226人の参加でした。
 どもる大人と、ことばの教室の教師や言語聴覚士などの専門家との共同の取り組みは、世界的にも珍しいものです。吃音親子サマーキャンプの後のニュースレターで、毎年、その年のサマーキャンプの報告をしていました。30年間を、毎回、巻頭言として僕が書いたニュースレターの一面記事で振り返ってみます。

第1回 吃音親子サマーキャンプ(1990年)
     会場  滋賀県 和迩浜の民宿
     参加者 50人

   
自己受容
                         伊藤伸二

 「自己を受容し、自己を肯定して、素直に自分らしく生きる」
 どもる人に限らず、全ての人々の願いだと言っていい。人は、自分の持っている欠点やマイナスだと思っている部分をできれば取り除きたいと思い、また取り除こうと努力もする。
 しかし、努力をしてできることとできないことがあり、その判別はそれほどたやすいことではない。成人してから体重を増やしたり減らしたりすることは意志と努力があればできるが、身長を自らの努力で伸ばすことができると思っている人はいない。吃音の場合、努力すれば治ると周りの人は思いやすく、どもる人自身も正しい方法をみつけ、努力すれば治ると思ってしまう。だから、努力すれば治るかもしれないものを受容するというのは、敗北者のすることであり、建設的な生き方を目指す人間のすることではないと考えてしまう。
 吃音症状を治すための確たる治療法がない中で、「吃音は努力すれば治るもの」と考えない方が賢明である。
 吃音問題解決の道は、自己を受容することから始まる。そして到達目標もまた自己受容なのである。自己を受容することは出発点なのだが、全てまるごとの自己受容というわけにはいかない。これまで自分で自分に×印(バッテン)を与えてきたことが、50あるとしたら、そのうちの1つでも2つでも受け入れることから自己受容の道を歩み始めたといえよう。パッと道が開ける、いわゆる悟る人は極めて少ない。自己否定から一足とびの自己受容はむしろ、もろい。傷が癒えた薄皮が、一皮一皮はがれるような長い道のりだと思う。自分が好きになるときもあれば、嫌でたまらないときもある。吃音症状に波があるように、自己受容と自己否定の波の中で揺れ動いているのが自然の姿なのではないか。その波があるということを知っておくことも大切だと思う。
 自己を受容する出発点として、どのようなことができるであろうか。どのようなプロセスを経て自己受容への道を歩むことができるのか。人は、それぞれに違い、一人の成果が他の人にも応用できるということでもない。しかし、大勢の体験をもとに整理する中から共通のものもあるはずである。理論というほどのものではなく、おそらく、提案にしかすぎない程度のものだろう。それでもないよりはある方がよい。
 どもる人の自己受容の内の一つ、吃音の受容は吃音を話題にし、他人の吃音を聞き、他人の吃音の体験を聞くことから始まる場合が多いと、私たちは体験的に知っている。かつて大勢の吃音に悩む人が吃音治療機関を訪れた。吃音の症状そのものは効果があまりなかったが、行ってよかったという人は多い。この世で自分一人が吃音で悩んでいるという状態から、悩んでいるのは自分だけではない、これだけ大勢の人がどもりに悩み、苦しみ、しかし、その中で生きようとしている、自分以外のどもる人との出会いは、吃音に直面し、吃音を客観的にみつめる契機となる。
 今夏の吃音サマーキャンプでは、「どもる子どもの話し合い」「グループを作っての協同作業と発表の場」をプログラムの中に入れた。プレッシャーの中で、他の子どもがどもりながらも発表し、発言する姿に接して、子どもたちはきっと何かをつかんでくれると確信したからである。
「楽しく過ごせた。みんなどもりだから」
 「一番楽しかったのはみんなとトランプしたこと。こんな楽しいことは初めてだった」

 吃音矯正所の宿舎で、消灯時間が過ぎてからも、人目をしのんで夜遅くまで話し合ったり、トランプをしたり、飲んだ若い頃のことが昨日のことのように思い出される。
 吃音の受容は、自分以外のどもる人との出会いから始まることがある。どもる人のセルフヘルプグループの誕生もそこからであった。(1990.8.31 )


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/19

吃音と就職・就労 12

大学生の座談会 〜吃音と就職について〜 

 吃音と就職・就労について、たくさんの人の体験を紹介してきました。ひとりひとりが、真摯に自分に向き合い、吃音に向き合っているということに、改めて敬意を表します。
 吃音と就職や、吃音と仕事は、永遠のテーマなので、また、どこかで取り上げたいと思いますが、第一弾のしめくくりとして、若い人たちの吃音と仕事についての座談会の様子を紹介します。
 1994年10月、大学生が、就職について座談会をしています。当時の大阪言友会(現在の大阪スタタリングプロジェクト)の機関紙に掲載されていたものです。1994年というと、ちょうど就職氷河期と言われ始めた頃です。「就職氷河期」は、1994年の新語・流行語大賞の特別賞に選ばれています。かなり厳しい就職状況だった頃の、当時、大学生の生の声です。26年経った今でも、それほど大きな違いはないように思います。


【座談会】 テーマ 就職と吃音
参加者   A(大学4年 医学部)
      B(大学4年 教育学部)  
      C(大学4年 商学部)
      D(大学3年 商経学部)  
      E(大学2年 文学部)   
      F(公務員 20歳)

 ◇就職活動にあたって
A B君とC君は来春卒業だけど、就職活動の現状はどうですか?
B 世間で言われている通り、今年の就職状況はすごく厳しい。一流企業だったら、1200人受けて60人しか採用されないとか。会社に入ってからも嫌でも営業をやらされることが多いみたい。今になってあわててる人もいるし、大学院へ進んだり、フリーターになったりする人もいて、さまざま。でも、みんな世間のルールに従って、それなりのことはしているみたいです。
C 会社訪問は面接重視で、自分をアピールする必要があるから、自分からしゃべらないとだめ。どもってたら、ちょっと変な目で見られるかもしれないけど、やっぱり話す内容が大事で、どもるかどうかはそんなに関係ないと思う。
A 面接ではどんなことを聞かれるの?
C 大学で何をしたかを聞かれることが多い。勉強でもクラブ活動でも何でもいいから、とにかく自分の個性をアピールすることやね。話す内容を前もって考えとくといい。
B 現状では、入りたい会社に入るというよりは、入れる会社に入るって感じだね。
C 僕も30〜40社ぐらい受けたけど、本命はだめだった。結局、希望していたよりは少し規模の小さい会社に決まった。なかなか希望通りにはいかないよ。

 ◇就職に備えて
A 大学に入る時に将来の就職のことを考えていましたか?
D 全然考えてなかった。むしろ就職するのが嫌だから大学に入ったという感じ。学科も適当に決めてしまった。
E 僕は文学部なんだけど、指定校推薦で入ったとか、偏差値のねらい目だから来たという人が多いみたい。文学部だと先生になるぐらいしかないという話も聞きます。
C 文系と理系の選択の時にちょっと考えた。はじめは、自分はあんまりしゃべるのが得意じゃないから理系にしようかなと思ったけど、そうやって自分で殻を作るのが嫌だったから、結局、文系にした。そのことで後悔はしていません。
A 僕は小さい時から、「おまえは口下手だから、会社に勤めたり、商売をするのには向いていない。だから勉強して医者にでもなりなさい」と言われてきて、ずっと医学部に入ること以外は考えたことがなかった。何も考えずに親や周りの人達に影響されてきたけど、今になって、結果として、そのことがすごくよかったと思っています。
E でも、周りにそういうことを言ってくれる人がいなくて、高校の時に、社会のことや会社に入ってからどんなことをするのかなど、わかっていない人が多いと思う。
B 大学に入ってから、したいことを見つけようとする人も多いんじゃない?
A じゃ、今、将来のことを考えて何かしていますか?
F 僕は公務員3種の試験を受けるために勉強しようと思っているけど、資格があると有利なんじゃないかな。履歴書にたくさん書いてあったら、こいつ頑張ってるなあと思ってくれるからね。みんな、何か資格を持っていますか?
一同 持ってない。(ションボリ)
D 僕の周りでは、ほとんどの人が将来のことなんか何も考えていない。そんな中に居ると影響されてしまう。
E でも会社に入れば、朝早く起きて会社に行って、働いて、疲れて帰ってくる。その繰り返しで、気がついたら60歳ぐらいになっている、なんてことを想像したら、何かこわいものがあるんじゃないですか。

 ◇就職と吃音
A 吃音が就職にどう影響すると思いますか?
F 僕は郵便局の配達をしているんだけど、吃音のことよりも仕事の内容の方で大変やな。なかなか人並に仕事をこなせなくて、頑張ってるつもりなのにもんくを言われることが多い。一緒に仕事をしている人とも合わないし、吃音のことより、そっちの方が問題やね。
A どもって失敗したことないの?
F 郵便局に入って初めての自己紹介の時、めちゃくちゃにどもって、「あーうー」って言うだけで、自分でも何を言ってるのかわからんかった。その時に、僕はどもりだと言うつもりだったけど、やっぱり言われへんかった。
E そんなにどもったんなら、言うまでもなかったんちゃう?(笑)
C どもるからって、殻に閉じ込もってたらダメだと思う。どもりながらでも、自分のことをアピールしないと、面接でも何を言ってるのかわからないような学生は採ってもらえないし。今は自己主張の時代やからね。
A F君もC君も、吃音のことをあまり気にしないタイプだと思う。だから、吃音に対しても姿勢が前向きやと思う。
C 吃音で悩んでてもしゃあないからね。考えても解決できないし。気にせんと楽しくやった方がいいわって思ったら、あんまり気にならない。友達との関係でも、どもったからどうこうなるってもんでもないし。
A どもる人で大阪の人たちの中にも、教師をしている人がかなりいるようですね。
D 意外です。
A 話すことが目的になっているような仕事はつらいと思うよ。話すことが手段である場合はいいけど。
E 自分がどもるから、わざと話すことの多い職業に就くというのではなくて、どもる、どもらないには関係なく、自分のしたいことを見つければいいと思う。
F どもってたらセールスなんかはしんどいと思うなあ。商品を買ってもらうためには説明する必要があるけど、言葉が出なかったら仕事にならないような気がする。
A C君は営業をしたいと言ってたけど、どもってたら大変なんじゃない?
C 他の人の倍、働けばいいと思うよ。自分の考えをアピールしたいし。なんとかしゃべれると思う。
A 吃音のことで、何か不安に思うことはありますか?
D 会社に入ったら、僕には電話はかけられませんとは言えないからねえ。そんなことを考えていると不安になってくる。
E 自分では、最善を尽くして、それほど不安は持ってないとしても、相手がそれではダメだと思うかもしれない。ちゃんと話せなかったらクビになることもあるんじゃないかな。
B バイト先で電話のことでひどく怒られたことがあったよ。それに、はっきりそうと言われたわけじゃないけど、どもってうまく説明できないためにクビになったこともある。
C 僕も吃音については、気にせんようにはしてるけど、社会人になったら吃音で不安なことは多いと思う。学生の間は、いくらどもっても別になんともないけど、会社はクビになるかもしれへんからなあ。
A 僕の場合は難発やから、内容を曲げて言ってしまうことがあるけど、そのことで将来、致命的なことになるんじゃないかという不安はあった。最近、わざとどもるテクニックを知ってから、この方法なら大事な場面でも、たとえひどくどもっても、言いたいことが言えると思えるようになって、ちょっと安心している。それ以前は、手術の時に、「メス」と言えなかったらどうしようとか、バカなことを考えていたから。
E 「切るもの」とか、言い換えたら。(笑)
B 僕は話すことにウエイトのかかる職業にあこがれてはいるけど、実際にはできないような気がする。やってみないとわからないけれど。
D 話すことの多い職業に就く人や他のことの方が大事な職業に就く人など、いろいろあっていいと思うが、自分のことになると今はわからなくて、これから考えていこうと思っている。
E ただ自分がどもるということだけで、話す職業に就くのは安易だと思う。僕の場合は、話すことにはそんなに興味はないので、話すことにはこだわらずに自分のしたいことをしてみたい。何かを書くような仕事に就けたらいいなあと思っています。
C どもるから不便なことは多少あるけど、どもったからダメってことはないし、どもるからといって自分からは何もしないのはあかんと思う。自分の殻を作ってしまうからね。だから、あんまり考えないようにして、何でもしようと心がけています。
A 今までの話を聞いて、どもってもなんとかなるという面と、どもるからダメだという面と両方あると思う。だから、ある人の場合はなんとかなるし、ある人は失敗したりするんだと思う。どちらか一方だけ取り上げて、就職と吃音はこうだ、というようなことは言えないと思う。
F 結論としては、吃音にこだわらずに、自分のしたいことをしようということじゃないですか。
A 吃音と就職ということについて言えば、結局はその人次第だと思う。吃音に影響される人はすごく影響されるし、気にしないタイプの人は、うまくやっていけるんじゃないか。就職というのは、まったく自分自身の問題なんだから、うまくいってもいかなくても、自分独自の生き方を悔いのないように選んでいきたいよね。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/18

吃音と就職・就労 11

本が好きで、選んだ仕事

 将来の夢、大きくなったら…など、小学校の卒業文集で作文に書いたかどうか、今では明確に覚えていませんが、漠然と、新聞記者か弁護士か、そんなことを考えていたような記憶がかすかに残っています。吃音に悩み始めてからは、どんどんとそんな夢は小さくなり、成人式を迎えたときには、仕事をしている自分の姿を思い描くことができませんでした。
 どもる人に限らず、人は、どんなことを考えて職業を選んでいくのでしょうか。年齢が上がるにつれて、だんだんと現実的になっていくと聞きます。
 一度は会社に勤めたけれど、本に救われ、本が大好きだったことで、転職し、古本屋を始めた人がいます。人それぞれの選択の道があるんだなあと思います。

私の選んだ道

 職業欄に「自営業・古本屋」と書くようになって早いもので二十年になる。
 特別に古本屋修行をしたわけでなく、聞きかじった知識のみで数年間のサラリーマン生活を経てからの開店だった。初めの頃は、店番だけで一日が過ぎていった。たまに、お客さんが店に入ってくるだけでへんに緊張していた。陳列した本の種類も自分の蔵書を置いているだけだった。もちろん、棚はがらがらに空いていた。自分ひとりの店なので気楽に続けることができたのだろう。それでも仕入れを兼ねて古本屋の同業組合に入ってわかったことだが、先輩の店主さんには変わった人が多かった。いまも当時もとても儲かる商売ではなかった。苦しくとも自分が好きで選んだ仕事だけに、夢にあふれて楽しく働いていた。しかし開業してからは、大阪吃音教室との関わりも時間の制約などで、足が遠のく一方だった。
 常に最適な職業選択を心がけたはずであったが、最近「あっ!どうも違うかなあ?」と、思うことが多くなった。といっても、もう後にはもどれないから、到底しかたないのだが、時たま、「どうして古本屋さんを職業に選んだのですか?」と聞かれるときがある。そんな時は、「子どものときから、本が好きだったからです」とか、「自由に本が読めて楽しいからです」と答えることにしている。心の中では、「今でも本の値段が言えないで、困っています。とりあえず、値段をそろばんに置くようにして、呼吸を整えて言うのですが、それでもうまく言えないときがあります。そんな時は、最終手段です。値段を紙に書いて同じようにします。それでも出ない時は…あはは、それだけ待たせればお客さんの方が気を使って代金を出してくださいます。本当にこれでいいんですかね。悩んでいます。それと生来の商売の才能がなくって、いまも二足のワラジで働いていますが体がくたくたです。年ですかね」と嘆いている。
 そもそも、本当に本が好きだったのか…。よくよく思いだしてみると、小中学生時代の国語、本の朗読には決していい記憶はない。自分の番になるまでのいやな緊張感。ドクンドクンと、心臓の鼓動が体の中で鳴り響いていた。やがて自分の番が来る。いざ、立ち上がっても、口はカラカラに乾いて声が出ない、どうしても出ない。見る見るうちに顔に血液が集まりはじめる。メガネが曇るほどの毛穴からの大量の汗は手でぬぐうが止まりそうにない。どうにかしなくてはと慌てている自分、やっぱりだめだと絶望的に落ち込む自分、周りの友達や先生の気配のみに鋭くなっている自分、そんな何人もの意識が余計に混乱させていた。なんとか、頭の上のほうで声を出して読み始めるが、出てくる言葉は心の意思が届かずしどろもどろ。早く、はやく終わってくれと叫びたかった。最悪の状況は果てしもなく続く。悪戦苦闘の末、読み終わった後、今度は深い後悔の念が起こる。
 今から冷静に考えて思うと、その時は気の遠くなるぐらいの長さだったそんなドタバタも、ほんの数分だったろう。しかし、国語の授業が終わった後も、机から立ち上がって、気分転換をする気力もなかった。顔を上げることなどできず机の上をみつめて、時間の過ぎるのを待っていた。自然と独りでいる方が気が楽になった。休み時間も、独り教室でくすぶっていた。
 どもった後の落ち込んだ気分をなんとかしようと、本の森にさ迷いこんだ。本の中に意識を集中していると、自然と気分が落ち着いてくる。欲しい本を探して、遠くの本屋さんまで行くこともあった。時々、知らない本屋さんでも店に入ると何か一冊でも買うようになった。本の楽しみが段々分かっていった。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/17

吃音と就職・就労 10

吃音に不安をもちつつ、これから就職する若い人への5つのアドバイス

 吃音と就職・就労について、いろいろな人の体験を紹介してきました。40社以上の面接を受けた人、しんどくてもつらくても決して逃げなかった人、どもるからこそ他のことでカバーしようと一生懸命努力した人、そのどれもがこれから就職しようとする人や、今、仕事をしている中で苦労している人にとって、何らかのヒントになるのではないでしょうか。空想の話ではなく、実際に生きている人の体験です。
 今日は、1994年11月に書かれた、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんの「就職と吃音」と題する文章を紹介します。大阪吃音教室の講座の中で、多くのどもる人が話し合いをしてきた中でみつけてきた心得が満載です。


就職と吃音
                             東野晃之

 まだ学生の頃、社会人の人から「社会は厳しい。甘くない」とよく聞かされた。アルバイトの経験はあっても本当に就職をしていない身では、反論したくてもなすすべもなかった。学生から社会人へ、この旅立ちへの不安は、吃音でなくても誰もがその人生周期の大きな変化に緊張し、身構えを固くすると思われる。ことばに苦労してきたどもる人は、この大きな変化の時を迎えて、症状の軽い、重いに関係なく、自分の吃音と向かい合わざるを得なくなる。その時に抱く、就職への不安や心配の度合いには、個人差があるものの、その人がこれまで家庭や学校生活で身につけてきた、吃音への関わり方、人間関係のあり方が大きく影響するようである。
 例えば、吃音へのとらわれが強く、消極的な生活をしてきた人ほど、「これからは、厳しく、甘えが許されない」と想豫し、就職への不安や心配を増していく傾向にある。この不安や心配の中身をもう少し具体化すると、「電話の応対や対人関係などが苦手などもる自分は、職場という組織で人並みにやっていけるだろうか」とか、「厳しい職場のなかでは、どもっていては、受け入れられないに違いない」と、いった考えが浮かんでくるのではと思われる。
 これから就職をする若い人たちへ、何かアドバイスを送りたい。まず、これらの不安や心配は、残念ながら事前には解消することは不可能である。つまりいくら考えても、……だろうか、……に違いない、という想像や推測から生じている不安や心配は解消できない。唯一の解消法は、実際に就職して、不安や心配な事柄に直面し、自分で確かめてみるしか方法はない。また、職場がどもりに対して優しい職場かどうかも、実際のところは就職してみないとわからない。では、なんの対策も立てずに、不安や心配を持ちながら見切り発車のように就職活動をし、就職したらよいのか、というとそうは思わない。どもる人間としての対策は必要だ。
 その1. どもりでない人のなかには、面接や採用後のことを予見して、仕事に役立つ資絡や特技を積極的に身につける人がいる。言葉にハンディを持つどもる人なら、なおのこと自分をアピールするものを身につけたい。
 その2. どもるがゆえの不安や心配を軽減するには、自分への信頼感を高めることである。つまり、自信をもつこと。ささいなことでも、小さな自信を積み重ねていけばいい。電話が苦手であれば、積極的に挑戦してみる。たとえ、どもっても逃げないでできたという自信は大きい。苦手なことに挑戦するには言友会が絶好の場である。
 その3. 自分のやりたい職に就く。就職難で自分の希望する職につきにくい状況だが、可能な限り努力した方がよい。就職しなければならないから、とか、生活のためにという就職より、自分の興味や関心を優先した方が、将来に目標をもつこともできて、少々のしんどさにも耐えることができる。
 その4. 会社や上司や同僚が、どもりをどうみるかは、他人の評価である。どもりたくてどもっているどもる人はいないのだから、他人の評価は自分の責任外と考えた方がよい。それよりも、職場や仕事に適応していくために具体的な努力をしていく方が得策である。 その5. 最後に、人間関係やコミュニケーションに関して悩んでいる人は、どもる人に限ったことではない。試しに書店をのぞいてみれば、これに類する解決法と題する書籍の多さに驚くはずである。就職を前に、自分の吃音について、人間関係やコミュニケーションについて、自分自身について真剣に考えてみてほしい。今が絶好の機会である。それには毎週の大阪吃音教室に欠かさず参加してみることをお勧めしたい。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/16

吃音と就職・就労 9

「吃音は必ず治る」と信じて生きてきたのに、「治らない」とあっさり言われた。

 話すことから徹底的に逃げた僕と正反対に、決して逃げなかった人の体験を紹介します。看護師としての仕事は、どもる彼女にとって厳しいものだったと思います。逃げないという選択肢の中で必死に生きてきた彼女の物語は、何度も読んでいますが、心に響きます。
 看護師の仕事、幼い子どもの子育ての真っ最中に、彼女は6ヶ月間、毎週、大阪吃音教室に参加し続けました。看護師が、毎週決まった時間に仕事をあけて参加する、普通に考えると不可能に近いことです。しかし、彼女はやりきりました。ここで踏ん張って「吃音と向き合う」ことをしなければ、自分の未来はないと信じたからでしょう。大阪吃音教室も、時間が合えば参加する程度なら、あまり成果は得られないのかもしれません。大阪吃音教室で大きく変化し、大きく成長した人はほとんど、半年や一年を通して毎週参加し続ける人です。そうでなければ、「吃音と共に生きる」ことを体得するのは難しいのでしょう。「吃音と共に豊かに生きる」は、そんなに容易いことではありません。
 彼女は看護師長として後輩を育て、専門学校などでも講義をしていました。今は定年退職していますが、満ち足りた人生を送ったと思います。その後の生活のことや、今あの頃を振り返ってどう思うかなど、また、文章を書いてみませんかと言ったとき、彼女は、「あの頃は、どもっていることで本当に苦しかった。でも、その頃の方が自分らしく、しっかりと、豊かに、濃く、生きていたと思う。だから、書くことができたけれど、今はもう書けない」と言いました。
 現在、仕事をしながら、しんどい思いをしている人にぜひ、読んでいただきたい体験です。

 
自分の中の吃音               

 物心がついた頃から、どもっていた。厳格で、潔癖な母は、何とか私のどもりを治そうと、私の異常な発音に注意深くなっていた。母の前で話すときは緊張し、どもる。どもるたびに、困惑し、悲しそうにする母の顔を見るのが辛かった。
 小学校、中学校時代は男子生徒から馬鹿にされたり、はやしたてられ何度となくみじめな思いを味わった。しかし、それでも、学校を欠席することは、その後の学校生活を含めて一度もなかった。自己紹介、国語の朗読、研究発表、与えられたことは、皆と同じようにしてきた。どんなにひどくどもっても苦しくても逃げることはしなかった。本当は辛いと言って泣きたかった。逃げたかった。でも、それをしなかったのは、逃げる勇気がなかったからかもしれない。
 母は、「どもりは必ず治る」と、私を勇気づけ、私もそれを信じて疑わなかった。どもりが治ることが、母の、そして私の共通の願いだった。
 高校一年のとき、民間吃音矯正所へ行った。期待して行った吃音矯正所は、劣等感、罪悪感を更に植えつけただけで、多くのどもる人たちが経験したのと同じ結果となった。
 どもるハンディを持つ私に、何がしかの資格を持たせたかった母に言われるまま、看護学校へ進んだ。そして、免許を得た私は、単身で大阪へ出た。友人も知り合いもない土地、働くのも初めての経験、更に重いどもり、何とも言えない不安を感じつつ、私の大阪での都会生活が始まった。
 看護師としての生活は、毎日スタッフ間の申し継ぎ、電話の応対、病棟内放送、緊急時の医師への連絡等、話さなければならないこと、伝えなくてはならないことばかりで、どれもが辛い仕事だった。
 毎日毎日、どもり続け、悩み続けた。日ごとに、朝の来るのが辛くなった。何度も退職しようと思った。それでも学校を休まなかったように、仕事を休むことはなかった。皆の前でどもり続けた私は、ことごとく、自分を責め、そして辛くて逃げようとする自分も決して許さなかった。どもれば嘆き、逃げようとすれば自分を責める繰り返しだった。結婚、育児と生活環境が変わっても、それは同じだった。
 話すことから逃げずに、毎日毎日あんなに話し続けているのに、私のどもりは消えない。どんなに人前で話し続けても、どもることへの恐怖心は増すばかりだった。私はだんだん疲れてきた。どうすればいいのか。前へ進むことも引き返すことも、逃げることもできない状態に自分自身を追い込んでいった。
 途方に暮れていたときに、大阪吃音教室と出会った。高校生の時に通った、吃音矯正所とは全く雰囲気が違った。「どもりは必ず治る」と信じてきたのに、ここでは、「治らないよ」とあっさりと言われた。これまで、背負ってきた大きな荷物は何だったのだろう。ここに通い続けたいと心底思った。しかし、家族と、看護師の仕事を持つ身に、毎週金曜日の夕方からの吃音教室への参加は大変だった。それでも、無理をして毎週参加し続けて、私は大きなものを得た。
 「吃音と正しくつき合う講座」の中で、吃音について、吃音の原因や治療の歴史について、また他のどもる人の体験など、多くのことを学んだ。どもりは治らないかもしれないが、自分のせいではないこと、自分を許し、ほめることの大切さを知った。
 なんとか治そうと必死になっていた頃の、肩に背負っていた大きな荷物が軽くなった。もう自分を苦しめることはやめよう。どもりを治そうと必死になることはやめよう。そう思えたら自分をあれほど苦しめていたもう一人の自分がいなくなった。大阪吃音教室と出会えたことは私の生涯で劇的なことだった。これまでどもることで苦しいことばかりの連続だったけれども、生きていてよかったなあと、今は思える。これから先、もっと苦しいことに出会うかもしれない。でも今度からは、少し気楽にやってみようと思う。そしてやっぱり逃げないで生きていこうと思う。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/15

吃音と就職・就労 8

吃音を治す努力ではなく、より良く生きる努力をしよう

 48年前に僕が「吃音を治す努力の否定」を提起した時、何の努力もしないのかと捉えた人もいたようです。吃音を治す努力より、人として生きることにこそ、目を向け、努力しようというものであり、努力のエネルギーを、仕事や生きる楽しみにこそ使おうとの提案でした。それを具体的に示してくれています。
 社内の問い合わせが多いが、どもってうまく話せない。そのとき、どうするか。彼女は、過去の問い合わせを洗い出し、整理し、社内サイトにまとめ、Q&Aを大量に作成し、どもってうまく話せないという自分の弱点をカバーしました。前に紹介した黙認値も、苦手な電話から逃げるために、電話がかかってこないように、完璧な仕事をしました。これが私たちが使うサバイバルです。産休に入るときの送別会で彼女に送られた賛辞にも、彼女はまだ「吃音があったからこういうことができた」「吃音があってよかった」のように、吃音を肯定することはできないと言っています。吃音を肯定できなくても、どもっている自分を認め、その自分のまま生き抜いている姿に清々しさを感じます。
 「吃音と共に生きる」と言葉では簡単に言うことができるけれど、実際はこんなに大変な努力を、どもる人それぞれがしています。心からのエールを送ります。大変な努力だけど、それが充実した人生につながっているのだと僕は思います。
 長い文章ですが、就職活動や面接で悩んでいる人、就職してからさまざまな困難な中にいる人に、ぜひ読んでもらいたいと願っています。吃音に悩む人の就職活動を支援する人にもお読みいただきたいと思います。自分にとってのより良い環境を求め願うだけでなく、本来努力しなければならないのは、ここだということを彼女はさりげなく伝えてくれます。

 
サバイバル・イン・マイ・ライフ

 就職して一カ月の頃思ったこと。それは「すらすら話せなくてつらい」や「どもることを変に思われてつらい」といった気持ちではなかった。「私はなんて自分のことしか考えてこなかったんだろう」。仕事をしてお給料をもらうことがいかに大変か、自分がいかに甘えた心を持って過ごしてきたか、ずっしりと打ちのめされていた。
 これは、私が仕事で認められるまでのストーリーである。

 就職したIT会社は、学生のとき19日間のインターンシップで課題に対する能力や姿勢を見てくれ、発表時に私がひどくどもっても中身を評価してくれた会社だ。この会社の入社研修はとても厳しかった。研修課題は自作のプログラムを提出し合格することを条件に始まった。与えられたものは、課題が書かれた資料と外部ネットワーク接続不可のパソコンのみ。講師への質問不可、研修者同士の教え合い不可。たった一人で合格しなければならなかった。
 日が経つにつれ、まわりはどんどん合格して第二、第三の課題に進んでいく中、私は一カ月経ってもいまだ第一の課題を提出できるレベルに到達できないでいた。
 課題を提出できない。研修に合格できない。すなわち私は仕事ができない。自分の吃音のことだけを心配して、それだけで頭がいっぱいだった入社前の私が恥ずかしい。どんどん心が暗くなり、追い詰められていく。どこか高いところから飛び降りてしまいたい。吃音以外のことで初めて死を考えた。
 隣の席の研修生が退職した。彼女も私と同じく第一の課題を提出できていないうちの一人だった。私は辞めたくない。もう逃げたくない。あんなに吃音で苦労した就職活動をもう一度やるなんて絶対に嫌だ。私は死にたいのではなく、生きて、社会で活躍したいんだ。
 時間はかかったが、全ての課題に合格することができた。そして開発部門に配属された。
 配属先の自己紹介では吃音のことは言わなかった。入社前は「最初の自己紹介で吃音のことを言わなかったらいつ言うんだ。自己紹介は絶好のチャンスだ」と思っていた。しかし言わなかった。差別を恐れて隠そうとしたわけではなく、能力を平等に見てくれるこの厳しい会社で、吃音のことを言うのはどこかずるいような、大目に見てほしいという甘えがあるような、自分だけ特別待遇をお願いしているような気がした。だから言わない選択肢を選んだのだ。
 私が開発担当になった機能はトラブルが多く、社内の問い合わせが多かった。電話がかかってきても、どもってうまく話せない。私は過去の問い合わせを洗い出し、整理し、社内サイトにまとめた。Q&Aも大量に作成した。私に電話をかけなくとも、それらを見れば解決できるようにした。問い合わせが段々減って行った。この取り組みが評価された。 そのうち開発職よりも問い合わせを解決していくことにやりがいを感じ、新しくできた問い合わせ対応専門チームに志願した。社外のお客様からの問い合わせを直接受けるチームだ。今までのような製品の中の一部の機能だけでなく、製品全体について、自分でプログラムを読んだり開発担当に聞いたりして問い合わせを解決していく。お客様と電話で対応するチームであれば志願していなかったが、有り難いことにメールのみでやり取りを行うチームであった。

 開発職のとき、「人を巻き込むのが下手だ」と言われていた。吃音があるから人と話すのは怖い。しかしこの問い合わせ対応チームの仕事ではそんなことを言っていられなかった。15分で解決しなければならないこともある。話すことへの怖さはありながらも、どんどん質問しに行った。電話では自分の名前が言えないが、対面では知り合いには名乗らなくていいし、初めての人には社員証を見せればいい。急いでいても、電話したくないがゆえに別の階まで階段をダッシュするなど社内を走り回った。人を巻き込めるようになったことと、情報を文章にして整理し残したりQ&Aを作成したりする習慣ができていたので、私の問い合わせ解決数はチーム内で一番になった。
 あるとき、お客様先を訪問した社員から、お客様が私の問い合わせ対応について「この人はすごいね」と褒めてくださっていたと聞いた。すると、他の社員からも次々にお客様の褒め言葉を伝えてくれた。顔も合わせたことのない、文章だけでやりとりしていた私への褒め言葉。なんとも嬉しかった。
 吃音のことはずっと隠していたわけではなかった。私がどもって話すのに時間がかかると相手の時間を使ってしまうことは事実であるし、電話でどもっていると電話や電波の調子が悪いという誤解を与えてしまい、余計な修理やアンテナ工事等が発生してしまう恐れもある。だから、仕事をするうえで吃音者であることは隠していていいものではないと気付いた。ただ、吃音者であることを人前で自分の口から伝えるのは勇気がいる。それに全員に言って回ることはできないので、社内の連絡先検索サイトのプロフィールに「吃音という言語障害持ちです」と書いておいた。書いておくことで自分の気持ちも楽だった。このプロフィールを見て私が吃音者であることを知った人は多いが、誰一人吃音を馬鹿にしたり差別したりしなかった。苦手な電話が減ってメールでの問い合わせが増えてほしいという希望も少し込めていたが、変わらず電話がかかってきたので、吃音を気にしていない人が多いことが複雑だが嬉しかった。

 就職して8年が経ち、結婚・妊娠して産休に入る際にチームメンバーが送別会を開いてくれた。参加者は数人だと聞いていたが、サプライズで40人近く来てくれた。私はどもって言えない言葉がたくさんあるので飲み会や送別会には基本的に参加しないし、社内に友達は一人もいない。そんな私のためにこんなにも人が集まってくれたのだ。もらった色紙には、「あなたがいたから問い合わせ対応チームが成功した」、「あなたが書いたQ&Aや整理された情報に何度も助けられた」、「あなたの仕事に対する姿勢に多くの人が影響を受けていた」、「あなたの活躍はレジェンドだと思う」など、私の仕事ぶりについて先輩・後輩両方から「尊敬」「感心」「感謝」の言葉がたくさん書かれていた。
 仕事という全く新しい環境で、最初は吃音のことで頭がいっぱいだった私は、自分を恥じ、仕事において本当に悩まなければならないことを第一に考えるようになった。そのうえで吃音者である自分はどうすればいいのかを考えた。本当に悩むべきことは吃音じゃない。けれども吃音を持ってサバイバルしていかなければならない。「吃音があったからこういうことができた」とか「吃音があってよかった」のように、吃音を肯定することはできないけれど、吃音者として人生を生き延び、生き抜きたくて行ったことが、結果的に評価されたり感謝されたりした。活躍したかった私は、ちゃんと活躍できた。

 子供が産まれ、これからは私の書き言葉ではなく、私の話す言葉で子供を育てていかなければならない。この先、言葉を話すことが普通とされている場面がどんどん出てくるだろう。しかし、きっと頭をフル回転させて別の方法がないか考えるだろうし、伝えなければならないことはどもってでも伝えるだろう。一番は子供のことなのだから。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/13

吃音と就職・就労 7

どもって電話がとれない。電話を回避する対策とは

 黙認知ということばを初めて知りました。
 苦情の電話がかかってきたときの対応に困った人が考えたことは、電話がかかってこないようにすることです。そのために、自分のミスをゼロにすること、チェックリストを作り自分のミスを書き出して暗記すること、そして、見直しを何回もすることでした。300ページもあるカタログの、関係しそうな所を丸暗記したというから驚きます。どもるために、電話が嫌だとの理由でここまで努力したことが、仕事に対する自信となったのでしょう。僕なんかは、この人と同じ年頃の頃は、どもるのが嫌さに、全ての話す機会から逃げていただけでした。吃音をただの言い訳にしていた僕は情けなくなります。吃音のために、人一倍努力してきた人の体験を紹介します。

   
どもりと仕事と黙認知(もくにんち)
               
 「将棋の駒が、音楽のメロディみたいに、流れるように勝手に動くんです」
 「十年間一つの仕事に勤めていると、一般の人には見えないものが見え、聞こえ、匂うようになる。本では書けない、大学では教える事が出来ない技術、知識である。これを、黙認知(もくにんち)と呼びます。日本は黙認知を持ったベテランの職人が多くいたので、優れた製品が出来た」
 20歳でプロの将棋の世界で一番強かった、羽生名人と、大赤字の伊藤忠商事を黒字経営に復活させた丹羽社長の二人がテレビで語っていた。
 早稲田大学の近くにある、どもりの東大と呼ばれていた東京正生学院で、21歳の私は、3年間勤めている会社に4か月の休職願いを出して、どもりを治すために必死になっていた。
 「手紙がきてるぞ。これは、君の会社か」
 学院の先生が渡してくれた手紙には、早く帰ってこいと書かれていた。大部屋で一緒に寝泊りしている友人がのぞき込んで言った。
 「ほんまやったんやな。4か月も休めるはずない、絶対うそをついていると、みんなで話していたんや。ほんまに、いい会社やな」
 21歳の青年に、理由もなく帰ってこいという会社なんて私も無いと思う。私が抜けた事で、会社が困っているのである。
 私は20歳で黙認知を持ち、21歳までの1年間、ベテランのような仕事をこなしていた。私の替わりに誰が付いても、10年ぐらいたたなければ私と同じ仕事はできない事は、うすうす分かっていた。私が、ベテランと同等の技術を持てたのは、特別に優秀であったからではない。どもって電話をすることを嫌い、電話から逃げるために取った行動の結果そのようになったのだ。
 18歳の新入りの私に争えられた仕事は、鉄板の切込み図面を書くだけの、誰でもできる単純な作業だった。しかしそれは、いろいろな不具合、不良品が出て来る。それを解決しながら、進めていかなければならない。また、不良品が出たら、関係者に電話をしなければならなかった。
 私は受話器を取る。「み〜み〜……」と声が出ない。「おまえ誰や」。電話の向こうで怒鳴り声が聞こえる。私は何も伝言できずに、そのまま静かに受話器を置く事が度々あった。 その頃の私は、子どもの頃流行っていたボクシングの漫画、「明日のジョー」の主題歌を良く口ずさんでいた。「サンドバックに浮かんで消える、憎いあんちくしょうの顔めがけ、たたけ、たたけ」。人生の勝負に負け続けている私にも、少しは男としての闘争心が残っていたからだと思う。
 夢の中で、リングの中央でダウンしているジョーに、トレーナーのたんげのおっつあんが、泣きそうな声で叫んでいる。「立て、立つんだジョー。立つんだ」。私は、ぼうとしながら、自分に言われているように思い、布団から立ち上がる。
 通勤の電車。私は椅子に座って、腰を曲げて、顔は床を見て、ぶつぶつ独り言を言っている。「どうする。電話すらできないでどうする」
 その時代は、誰一人どもる仲間はいない。未熟で硬直した頭で出した答えは、電話がかかって来なくすることであった。そのためには、自分のミスをゼロにすることと、鉄板の切り込み作業者のミスをゼロにすることだ。チェックリストを作り自分のミスを書き出して暗記する。見直しを何回もする。組立者と一緒に考え、組立者が質問した事は、次の物件では聞かなくても分かるようにした。設計者の図面間違いを解決するために、設計者の300頁のカタログで、関係しそうな所を丸暗記した。
 前向きでかっこいい話に聞こえるが、とんでもない。深夜になって、不安になり眠れず、しかたなく布団の中で、会社の書類を出して見ていた。
 2年後、ほとんど電話がかからなくなった。全くトラブルが起こらないのである。不良品、不具合はゼロになっていた。20歳で、板金加工、組立作業、設計、自分の仕事に係る事、全て見えていた。図面を見ると、数字が勝手に浮かび上がってきて、わたしはそれをエンピツで書くだけだった。
 しかし、仕事には自信がもてても、電話が鳴るとビクッとした。どもる事に関しては、何も変わっていなかった。21歳の時、どもりを治すために東京に行きたいと、4か月の休職願いを会社に出した。本社の常務が会いに来て、休職の制度が会社には無い事を私に告げた。私は、「休めないのでしたら、退職手続きをとってください」と、どもらずにしゃべっていた。
 20年後。会社はリストラの嵐が吹き荒れ、ベテラン社員が次々にやめさせられていく。仕事の状況が急変した。大量の見積りを私ひとりで処理できるはずが無い。客からは苦情の電話ばかりである。増員の要求は認められない。「どんどんくる見積りをどうする」。今は会社を辞められない。家族、友人に、実情を説明して、正月以外は休日出勤をする事、朝三時ごろに家を出ることを告げた。
 3年後の今は、近所の主婦3人のパートナーが、見積りできるようにシステムを作り変えて、ようやく軌道に乗り、今年から、日曜日は休めそうだ。
 この半年、さらなるリストラで、営業のベテランが次々退職し、私にもその危機は迫っていた時、全社会議で、幹部みんな一言発表することになっていた。当日私の順番が回り、マイクを持つ。社長始め百人の、社員の顔をしっかりと見て、そして、力強く、私は大きな声で、しゃべりだした。
 「せせせせせ〜きさんの、ほほほほうこくです。ぜぜ前期は一日三億、一か月七十億、一年八百五十億の見積りをしました。ここ今期は、部長より、原価の指示があり…」
 席に戻ると、同僚が、「ぴったし、一分だ。それより、後ろの照明事業部の連中が、八百五十億を聞いてざわついていたぞ」と、言った。この発表で私個人のリストラ問題は消滅した。数日後、私の仕事を手伝ってくれているパートナーが、FAXで字が潰れたところが読めないと聞いてきた。しばらく考えて、「消防認定キュービクル」にして下さいと、指示を出す。パートナーは首をかしげて、そのようには読めない、と言った。輪郭からほぼ間違いなくあっていると思う。
 話の上手な新入社員が、電話の受付をして困った時、どもる私に助けを求めて電話を替わってくれと言う。また、違う分野で黙認知が生まれてきているのが実感できる。
 20年前に必死に努力したのは、どもって電話をしたくなかったからだが、今度は「妻子を養う為」と言う、人に話しても恥ずかしくない理由が有るのがうれしい。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/11

吃音と就職・就労 6

「次郎物語」に支えられた「吃音物語」

 今日、紹介する人は、自分に向いている職種は接客業だと確信し、百貨店に就職します。でも、研修中に担当者から言われたことばの「今は研修中ですから、どもっても構わないですが、店頭に立つ時は絶対にどもらないで下さいね」は、厳しいものだったと思います。困った彼女は、電話での応対に、ボイスレコーダーを使います。思いついたとしても実際になかなか使えるものではないと思うのですが、ボイスレコーダーを相棒と呼び、それを初めて使うときのくだりや見事成功を収めたファインプレーなど、ユーモアにあふれています。
 また、彼女にとって、大切な一冊の本、下村湖人の「次郎物語」の中のことばが紹介されています。そのことばが支えになったと言います。「次郎物語」にちなんで、「吃音物語」。タイトルは、本の題名から来ていました。

 
吃音物語

 「世の中にはどんな健全な人間をでも、一見変質者らしく振る舞わせる二つの大きな原因があるが、その一つは食物の飢餓であり、もう一つは愛の飢餓である」
 これは私の人生のバイブルとしている下村湖人著『次郎物語』の名言であるが、恐れながら私はこれにもう一文つけ加えたい。
 「変質者らしく見せる三つめの原因、それは言葉の飢餓である」と。
 本格的にどもりであることを悩み始めたのは社会人になってからであり、学生の頃にいくつかアルバイトを経験した結果、自分に向いている職種は接客業であると確信したことが闘いの始まりであった。まさかどもりが接客の妨げになるなどとは考えなかったからだ。それは幼少期と比較すると、言葉の言い換えや独自の言い回しで、うまくどもりをごまかすことができるように変わっていたからだと思う。発話に詰まった時の、無限に思える魔の時間。それを刻む時の間隔が修練され、いつの間にか積極的に突き進んでいたこと。一点集中よりもリズムだろう。組み合わせだろう。そして何よりも、誰にも迷惑をかけなければ問題ない、自分は自分、他人は他人という薄情な根性が、私を自信家に仕立てあげていたのだ。日々どもりながらも、どもりは全く弊害のないものだと信じていたのである。
 しかし、念願の接客業に就いたことで、誰にも迷惑はかからない、という主張が自分勝手な考え方であるということに気づかされると同時に、十数年かかって鍛え上げたはずの精神がガラスのようにあっさりと砕け散った。百貨店に就職した私は、研修の三日間で逃げたい衝動に駆られた。研修ではロールプレイングがあり、順に決まった接客フレーズを話していかなければならない。そして一人が終わる度、悪いと思うところを皆が指摘していくのである。私は当然、どもっていることを数名から指摘され、まるで公開処刑のように感じた。最上階から最下層への墜落。「こんなん、どっかで見たなあ」というデジャヴ。
 ああそうだ。国語の朗読だ。ちょうどこんな雰囲気だった。だが今は顔を隠すための教科書はない。それにあの時は友人に囲まれていた。今は初対面の四十名ほどがこちらを覗き見、非難している。誰にも伝わらない孤独感。比較されたくないという劣等感。錯綜する記憶。私はその場でしゃくり泣いてしまった。どもりであることが理由で、こんなに悲痛を感じ泣いたのは初めてだった。まさか人前で泣くことになるとは思わなかったが、どうしても涙をこらえることができなかった。
 「今は研修中ですから、どもっても構わないですが、店頭に立つ時は絶対にどもらないで下さいね」
 研修担当者が放ったこの止めの一撃が、今なおずっしりと胸に応え続けることとなった。「どもらない。それは不可能」だという絶望感から、すぐに辞めることを決意した。 しかし、研修が終わり帰宅する準備をしていると、私が配属される先の部署の先輩が挨拶に来て下さったことで、一筋の光が差した。それまでの研修とは打って変わる優しい眼差しと天使のような柔らかな口調。この方の元で働けるなら! という希望が湧き、元来の優柔不断の性格も影響して、できるところまでやってみようと、逃げたい気持ちを抑えた。同時に、何としてもどもりであることを隠し通さなければならない、という使命感が芽生えた。
 どもってしまうと相手の時間も奪ってしまい、電話代も倍かかる。「おかしな店員がいる店」と評判が立ち、会社のイメージも損なうことになる。研修の時に念押しするように放たれたあの言葉は会社の意志であり、それに従うことができないのであれば、私自身が悪い。絶対にどもることは許されないのだ。
 ところが、いざ店頭に立ち接客をすると、少々どもることはあっても、言葉の言い換えやジェスチャーなどで十分対応でき、研修で味わったような悲惨な状態にはならなかったので安心した。だが気の休まる時間も束の間、電話の応対が私を困らせた。
 電話の場合、最初に発する言葉でどもってしまうと、後に控える普段問題なく発話できている言葉も全てドミノ倒しのように崩れてしまうからだ。それに加え、会社名がやたら長い上に苦手な言葉から始まる。先輩方は七秒ほどで言い終えていたが、私は倍かかっても言えず惨敗した。受話器を持つ手が震え、嫌な汗をかく。その度に、電話機の機能が業務用にもっと向上してくれることを願った。受話器をとれば、お決まりのご挨拶と会社名が先方に流れるようなシステムを導入してさえくれれば、こんなに苦労をする必要はないのだから。
 いや電話機に文句を言っても仕方がない。私は悩んだ末、電機屋に向かい当時一番性能の良い最新のオリンパスのボイスレコーダーを購入した。再生する時に、できるだけ生の音声に近いものが良いと店員に告げ、案内された機種がそれだった。
 帰宅すると早速、電話応対時の挨拶と会社名を録音した。うまく言えたと思ったものを再生してみる。なかなかクリアに聞こえるじゃないか。これなら周りで聞かれていても違和感を感じないかもしれない。頼もしい相棒が現れたことに、私はニヤリ笑った。
 翌日、相棒の出番が来た。恐れるものは何もない。気はすっかり大きくなっていた。受話機をとる。昨日録音したものを再生する。自らの幼稚な声が流れる。出だしは当然完璧であったため、後は落ちついて順調に会話ができ、相棒とのファインプレーは見事成功を収めた。
 だが戦法はすぐに周りに気づかれた。あの天使のような先輩が、ニコニコ笑顔で近寄り「何やってるん?」とこれまた優しい口調で聞いてきた。京都弁の発音で。私はどもりであることを知られるよりも、変人だと思われる方がマシだと考えていたので「気にしないで下さい」と先輩のような最高の笑顔で応えた。
 しかしほどなくして、私は相棒と別れる決心をした。再生ボタンを押す度になんだか空しい気分になり、そんなものにすがりついている自分が嫌になってきたからだ。勇気を奮い立たせて名乗ることを決し、あれから七年経つが、いまだにきちんと社名を名乗ることができずにいる。ものすごく省略し、毎日ごまかし続けているが、それでもボイスレコーダーに頼っていた頃よりはずっと気分が良い。
 最近になって大阪吃音教室を訪れるようになり、吃音という言葉を知り、私の知らないところでこんなにもたくさんのどもり人(じん)がいることがわかり嬉しくなった。今まで自分以外のどもり人に出会ったことがなかったため、意外と身のまわりにもたくさんいるのではないか? と思い始めた。すると、職場など日常生活で、どこからかどもりながら話されている声が聞こえてくるようになった。あの人もどもりかあ、と確認すると自分の味方が増えたような気になり、また嬉しくなる。とりわけ一番驚かされたのが、失礼ながら変人であると勝手に怪しんでいたお客様がいるのだが、変人ではなく、ただのどもり人であったということだ。そのお客様は常連で、しょっちゅう電話で商品の問い合わせをされたり、御来店して下さるのだが、話し方がとにかく変だったのだ。特に御来店されて直接お話をする時よりも、電話の方が様子がおかしい。突然長い沈黙があったり、声を伸ばしたりされることもある。私は自分がどもりで悩んでいる身でありながら、知らずとはいえ仲間をただの変人で片付けてしまっていたことを、胸中で詫びた。
 先にも紹介した『次郎物語』。私は辛いことがあるといつも主人公次郎に励まされた。なかでも最も勇気づけられた言葉がある。
 「命も命ぶりで卑怯な命は役に立たない。卑怯な命というのは自分の運命を喜ぶことの出来ない命だ。その運命に身を任せるというのは、どうなってもいいと言うんでない。その運命の中で気持ちよく努力することだ。結局は運命に勝たなければいけない。だが闘うことばかり考えていると、つい無茶をやるようになる。無茶では運命に勝てない。自分では力の及ばないことや道理にはずれたことをするとかえって負ける。それに勝てるのは、ただ命の力だ。勝つことや負けることを忘れて、ただ自分を伸ばす工夫さえしていけば、おのずとそれが勝つことになるんだ。だけど自分を伸ばすためには先ず運命に身を任せることが大切だ。楽しんで生きる工夫をし、敵にまわして闘うのじゃない。有難い味方だと思いそれに親しむ。それでこそほんとうに自分を伸ばすことが出来る。運命を喜ぶものだけが正しく伸びる。そして正しく伸びるものだけが運命に勝つ」
 これは物語中で、次郎の恩師である朝倉先生が次郎に放った言葉であるが、私は「運命」を「どもり」に置き換えて何度も読んだ。
 そして、大阪吃音教室の考えである、「吃音は治らないのだから、治そうとせず、吃音と共に生きる努力をする」という方針が、朝倉先生の言葉と深く合致した。
 吃音と共に生きていく覚悟を決めることができたものの、堂々と人前でどもってみる、という段階に進むには、まだまだ努力の途中だ。「絶対にどもらないでくださいね」という声がある限り、「どもってはいけない」という背水の陣を敷かないでいることが、私にできるだろうか。当分できそうにない。
 ただ安心していいのは、もう一人ではないということだ。今は気ままに吃音教室に参加して、もっといろいろな話を聞きたい。それだけだ。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/10
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