吃音に深く悩む人と、在日朝鮮人
クレインという名前の出版社を作った文弘樹さんは、在日朝鮮人の三世です。出版社を始めた当初から、在日朝鮮人二世である金鶴泳の作品集を刊行したいとの思いを抱き続けてきたといいます。僕たちが「スタタリング・ナウ」で金鶴泳の特集をしたとき、文弘樹さんは、その思いを綴ってくれました。「なぜ私はこの日本で朝鮮人として生まれてきたのか」という問いに掴まれます。それも人並み以上にこの問いに掴まれました。小学校から高校まで、文さんは、ごく一部の人を除いて在日朝鮮人であることを隠しています。しかし、大学に進学し、在日朝鮮人文学に出会い、「朝鮮人として悩み苦しんでいるのは私だけではない」と知って、孤独感から解放されたといいます。
僕は、話す言葉を聞けば、誰もがどもる人間だと気づくにもかかわらず、必死の思いでどもることを隠し続けました。隠すには話すことから逃げるしかありません。高校一年の時、思いを寄せた女子高校生に「どもる人間」であることを知られたくないだけの理由で、大好きな卓球部を退部しました。文弘樹さんと、本質的には違いはあるものの、「自分を隠す」ことには違いありません。
『凍える口〜金鶴泳作品集』(発行:クレイン)を、是非多くの人に読んで欲しいとの願いをこめて、文弘樹さんが僕たちに書いて下さった文章の一部分を紹介します。
明日は、文さんに依頼され、『凍える口〜金鶴泳作品集』(発行:クレイン)に書いた、僕にとっての『凍える口』を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/30
クレインという名前の出版社を作った文弘樹さんは、在日朝鮮人の三世です。出版社を始めた当初から、在日朝鮮人二世である金鶴泳の作品集を刊行したいとの思いを抱き続けてきたといいます。僕たちが「スタタリング・ナウ」で金鶴泳の特集をしたとき、文弘樹さんは、その思いを綴ってくれました。「なぜ私はこの日本で朝鮮人として生まれてきたのか」という問いに掴まれます。それも人並み以上にこの問いに掴まれました。小学校から高校まで、文さんは、ごく一部の人を除いて在日朝鮮人であることを隠しています。しかし、大学に進学し、在日朝鮮人文学に出会い、「朝鮮人として悩み苦しんでいるのは私だけではない」と知って、孤独感から解放されたといいます。
僕は、話す言葉を聞けば、誰もがどもる人間だと気づくにもかかわらず、必死の思いでどもることを隠し続けました。隠すには話すことから逃げるしかありません。高校一年の時、思いを寄せた女子高校生に「どもる人間」であることを知られたくないだけの理由で、大好きな卓球部を退部しました。文弘樹さんと、本質的には違いはあるものの、「自分を隠す」ことには違いありません。
『凍える口〜金鶴泳作品集』(発行:クレイン)を、是非多くの人に読んで欲しいとの願いをこめて、文弘樹さんが僕たちに書いて下さった文章の一部分を紹介します。
・・・・それからというもの、積極的に朝鮮人として生きていくためには、まず民族のアイデンティティーの獲得が必要だという自覚のもと、朝鮮語を学び、同じ在日の友人達と交わり、政治集会に参加し、といった活動を行なっていきました。そしてその活動は、当時の私にとっては生き甲斐のようなものにもなっていました。
しかし、いつの頃からか、そうした活動が少しずつ重荷になってきたのです。言葉一つとっても、朝鮮人なのだから朝鮮語を話せるようになるのは当然だという前提で学ぶものですから、言葉を習得する楽しみよりも、話せなければいけないという責任感が先行して、朝鮮語の勉強が楽しくないのです。政治集会にしても、朝鮮人差別は厳然とあり、その撤廃のために闘うのは当然なのですが、一方で、闘う当人達の非抑圧者としての正当性によりかかる態度に違和感を感じるようなことも多々ありました。
そんなときに、金鶴泳の小説に出会いました。『あるこーるらんぷ』というタイトルの単行本でした。「錯迷」「あるこーるらんぷ」「軒灯のない家」の三作品を収めていました。それぞれの作品に胸打たれました。それぞれの作品が悲しみと閉塞感とに包まれて、けっして読む者に勇気を与えるような内容ではありませんでした。ただ共通して、登場人物達は、自力では逃れることのできない朝鮮人という運命を背負いながら、ときに出口のない自閉の谷に落ち込みながら、少しでもそこからはい上がろうと懸命に生きていました。強い政治的メッセージを織り交ぜることなく、享受した生が結果として朝鮮人であった人間の感情を丁寧な筆致で描いていました。そうなのです。彼の作品においては、在日朝鮮人は、格闘する生のプロセスを経て「朝鮮人」に昇華していくのではなく、この日本で朝鮮語もしゃべれず、朝鮮人としてのアイデンティティーの獲得にも頓挫する「在日朝鮮人」のままにその運命を受け入れていくことの確かさに力点が置かれているのだと思います。在日朝鮮人が、いつの日にか真正な「朝鮮人」になるだろうなんていう不確かなことに賭けるのではなく、いまある「在日朝鮮人」という自らの存在の確かさに賭ける、この金鶴泳の姿勢に私は惹きつけられたのです。
彼、金鶴泳は、在日朝鮮人二世であると同時に吃音者でした。彼にとっての人間としての苦悩は、まず「吃音者」としての苦悩から始まります。その苦悩する姿は『凍える口』に克明に描かれています。そしてその作品の中だけでなく、今回の本に収録している日記にも、吃音矯正に努力している様子を見受けることができます。彼は吃音を矯正したいという強い目的を持った時期がありました。『凍える口』の中にこんなせりふがあります。
「私という人間から吃音をひいた人間がほんとうの私という人間だ」
ここを初めて目にしたとき私はこう読みかえていました。「私という人間から朝鮮をひいた人間がほんとうの私という人間だ」
物心ついてから金鶴泳は、数限りなく「俺から吃音を取ってくれ」と願ったことでしょう。そして、小説『凍える口』を書いたことによって、吃音から解放されたと言っています。それは吃音を矯正したのではなく、「吃音であることも含めて自分という人間である」ということを自覚したということではないでしょうか。そんな金鶴泳にとっては「在日朝鮮人であることも含めて自分という人間である」ことは自明のことであったと思います。ですから、金鶴泳は吃音者であることによって、同時代の在日朝鮮人作家が書き得なかった、「民族を支えにしない個人の感受性を支えにした、いたって個人的な作品」を書き得たのだと思います。
吃音者であれ、在日朝鮮人であれ、自らがのぞんでそうなったのではありません。だからこそ「なぜ私は吃音者として生まれたのか」、「なぜ私はこの日本で朝鮮人として生まれたのか」という問いに掴まれます。そしてその問いの答えは、おそれずに言うなら、吃音者であろうと、在日朝鮮人であろうと、それが自分という存在であり、その存在を拠り所にして、この社会を生きていくしかないのだと自覚することではないでしょうか。
その「自分という存在を拠り所に、いたって個人的な金鶴泳の作品」が、世代、在日・日本人の違いを超えて読み継がれていってほしいと思っています。そして今回刊行した『凍える口 金鶴泳作品集』がその役割を担うことができるなら、発行者としてこれ以上の喜びはありません。
(「スタタリング・ナウ」2004.8.21 NO.120より)
明日は、文さんに依頼され、『凍える口〜金鶴泳作品集』(発行:クレイン)に書いた、僕にとっての『凍える口』を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/30