應典院住職・秋田光彦さんによる大阪吃音教室の紹介
應典院との不思議なつながりを、2回書いてきました。最後の今回は、應典院の住職、秋田光彦さんのご著書『今日は泣いて、明日は笑いなさい』(KADOKAWA)の中から、ひとつのエッセイを紹介します。僕の吃音人生や大阪吃音教室のことを紹介して下さいました。とてもありがたいことでした。
まず、そのエッセイの前に、『今日は泣いて、明日は笑いなさい』の〈はじめに〉から、秋田さんのことばを紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/4/29
應典院との不思議なつながりを、2回書いてきました。最後の今回は、應典院の住職、秋田光彦さんのご著書『今日は泣いて、明日は笑いなさい』(KADOKAWA)の中から、ひとつのエッセイを紹介します。僕の吃音人生や大阪吃音教室のことを紹介して下さいました。とてもありがたいことでした。
まず、そのエッセイの前に、『今日は泣いて、明日は笑いなさい』の〈はじめに〉から、秋田さんのことばを紹介します。
私が住職を務めるお寺は、浄土宗大蓮寺と應典院。この本には、そのふたつのお寺で私が寄り添ってきた人々の、あるいは立ち会ってきたいろいろな出来事を綴っています。心から共感したり、うーんと唸ったり、しみじみと切なかったり。お寺を巡るそんな心の情景を一つひとつ拾い上げました。
大乗仏教では、他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心を「大悲」といってたいせつにしています。大悲。好きな言葉です。悲しむだけ悲しめばいい。よく悲しむことによって、慈悲の心は深まっていくからです。
その行方にほんとうのよろこびがある。そう信じたいと、思います。
凹んだことがあると強くなれる
毎週金曜日の夜、ある個性を帯びた人たちが應典院に集まってきます。世代はいろいろ、男女もまちまちですが、みな同じ吃音者、つまりどもりの人々です。
その「大阪吃音教室」は、治療のための教室ではありません。むしろ勉強会のような印象が強い。メンバーがテキストを持ち寄って、対人コミュニケーションやケア、セラピーなどについて学びあいます。そのわりにガッツリ知識や情報を得ようというどん欲さもなく、和気あいあいとして、空気はゆるい。たぶん、ここが同じ境遇の人たちどうしが、安心して集える居場所だからでしょう。
この教室をリードしてきたのは、四十年以上自身の吃音と向きあってきた伊藤伸二さんです。日本吃音臨床研究会の会長であり、著作十五冊を持つ大学講師でもあるのですが、そういう肩書きとはまったく程遠い、気さくで、闊達なおじさんです。
伊藤さんの前半人生は、まさにどもりとの闘いでした。小学校二年で吃音に気づき、不安と孤独に苛まれ、二十一歳で上京して、「憧れだった」東京正生学院の寮に一ヶ月入寮。ここは全寮制の吃音矯正所で、伊藤青年は絶対完治すると、一日も休まず訓練に明け暮れます。
「結局治らないのですよ。でも、治る治らんより、ぼくには矯正所にいる同じ吃音者の存在が何よりもありがたく、ずっと心を支えられた」退寮してから、伊藤さんは吃音者どうしの自主グループをつくります。みなで悩みを語りあったり、支えあったりする。まだセルフヘルプなどという考え方はなかった時代、都会の片隅に、同じ境遇の若者たちが人づてに聞いて加わっていきました。研究会の前身です。
「東京で大学生しながら、キャバレーのボーイのバイトをやっていましてね、客の前でどもってしまって、『ありがとうございます』が言えない。殴られましたよ。なのに、キャバレーのお姉さんもバンドマンも貧乏学生のぼくに、みんなやさしかった」
高度成長期絶頂期の頃、すべては進歩すると国民は刷り込まれていましたが、富める者の陰には必ず貧しい者がいました。貧しくとも、互いに惹かれあい、密かに支えあって生きていたのでしょう。現場があってそこに直に関係しながら存在していることの力強さに、伊藤さんは気づいたのです。吃音とは、どう治すかではなく、どう生きるか、という問題ではないかと。
「で、吃音と闘うことを諦めたんですよ、治すことを断念した」伊藤さんの、吃音人生の第二章の幕開けでした。二十五歳の時のことでした。
さらにこの人の人生は華々しいのです。約束された国立大学教授への道を捨てて、カレー専門店のオーナーに転身したり、世界で初めて吃音の国際大会を提唱して成功させたり、「組織に就職したことはない」が、吃音とは片時も離れず、ずっと一緒に生きてきました。髪をかきあげ、鼻をこすり、よく笑う。七十歳に近いとは思えない若々しさ。時間があえば、週末の大阪吃音教室に顔を出します。
「ここでは毎回、生きる意味とか人とつながることとか、みんなで真剣に話しあっている。居酒屋でもないのに、そんな話を延々やっているなんて、すごいと思いません? これ全部どもりのおかげなんだ。みんな同じだから安心できる。向きあえる。だから、ここは当事者どうしが共生する場所、『矯正から共生へ』だよね」と笑う。
六十歳を過ぎてから仏教書をよく読むようになりました。易行往生を説いた法然上人に惹かれるといいます。
「吃音を完治しようとするのは、難行苦行。ぼくのように諦めよう、受け入れよう、というのは誰でもできるから易行。だから、法然さんに惹かれる。どうしようもない自分をそのままでいいと受け入れたのだから」
弱さをきちんと受け止めて、そこから人生を生き直す。
弱さの中に、本当の強さがある。伊藤さんの生き方を見ていると、そう感じます。
『今日は泣いて、明日は笑いなさい』 浄土宗大蓮寺・應典院住職 秋田光彦著
(2013年 KADOKAWA P.98〜P.101)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/4/29