伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2019年11月

吃音で悩んでいたころ、両親はどんな接し方をしましたか?

第17回 吃音キャンプOKAYAMA 保護者からの質問に答えて3

吃音キャンプOKAYAMAの最後のセッションは、保護者から出された質問に答えました。その続きです。


伊藤さんの両親は、伊藤さんの吃音のことをどのように思っていらっしゃいましたか。


 僕はこれまで、母親のことはいろいろな所で話してきたんですが、父親のことはあまり話してきませんでした。初めて、『親・教師・言語聴覚士が使える、吃音ワークブック(解放出版社)」の本に、父親、母親のことを書きました。今から思えば、本当にありがたい、いい父親、いい母親だったと感謝しています。
 僕は小学2年生の秋から吃音に悩んだのですが、その前の僕は、どもっていたけれど、元気で活発でした。それは、父親にも母親にもほんとに愛されていたからです。愛されているという実感が持てたからです。実感を持てたのには、証拠があって、母親は、子どもの頃から童謡や唱歌をいっぱい歌ってくれました。僕を胸に抱いて、歌を歌い、たくさんの歌を教えてくれました。その中に、「動物園のらくださん」という歌があります。その歌、ほとんどの人が知りません。童謡をよく知っている人でも知らないんです。母親が僕のために特別に作ってくれた歌なのか、ものすごく稀な歌なのか、分からないけれど、それを歌ってくれるときは、母親に愛されているという実感を持てるんです。
 中学2年生のとき、どもりを治すために発声練習をやっている僕に、母親は「うるさい。そんなことしても、どもり、治りっこないでしょ」と言いました。そのとき、僕は、涙をぼろぼろ流して「くそ婆」と言って、そのときから母親とは全くしゃべらなくなりました。それは20歳まで続きました。大学受験に失敗した僕は、家が貧乏だったので、浪人生活を家ではできないと思い、家出同然のようにして大阪に行きました。新聞広告を見て、新聞配達店を調べ、そこに住み込んで、新聞配達をしながら、浪人生活をしました。大阪という大都会での孤独は、家族がいる家の中でぽつんと孤立している孤独とは違いました。19歳の僕は、本当に寂しかったのです。そのときに、ふと母親が歌ってくれた、「動物園のらくださん」の歌のメロディが浮かんでくるのです。すると、ああ、あのとき、「うるさい。そんなことしても、どもり、治りっこないでしょ」と母親は言ったけれど、母親は、僕のことを嫌っていたわけではないだろう。更年期障害だったのかもしれない。分からないけれど、そんなことを思いながら、母親への思いが回復し、母親を憎んでいた気持ちが消えました。それは、子どものときに徹底的に愛されていたからだと思うのです。
 僕の父親は、すごくどもります。87歳で死にましたが、最後までどもっていました。その父親も、僕をとってもかわいがってくれました。寝るとき、僕を布団の中に入れてくれて、仏教にまつわる話やおとぎ話など、いっぱいしてくれました。大人になってから、高野山の話を聞くと、あっ、これ、父親から聞いたなと思いました。父親は、僕にいろんな物語を話してくれていたということで、父親にも感謝しています。
 子どものころに両親から徹底的に愛されたという基本的信頼があったから、僕は、小学校の2年生から悩み始めて、中学2年生からは、家族の中でも仲が悪くなって、ひとりぼっちになってしまったけれど、愛を取り戻すことができた。東京正生学院で初恋の人と出会ったときも、その愛を受け止めることができたのは、子どもの頃に愛されたという実感があったからだと思います。そのように、愛されていたにもかかわらず、どもる父親、どもる夫をもった妻である母親であるにもかかわらず、二人は、どもりのことは僕に一切言わなかったし、心配もしていなかった。三重県の山奥の田舎から、県庁所在地の津市に引っ越してきたときも、母親は、学校に慣れたかとか、友だちはできたかとか、そんなことは一切言わなかった。勉強しろ、宿題しろと言われたこともない。おかげで僕は、勉強ができなかったんたけど、でも、今から思うと、勉強するのも友だちを作るのも、それは全部僕の責任だと、つまり、課題は僕にあると思っていたということだったのかと思います。親の課題は、身の安全と健康を守ること、おいしい食事をつくることで、生活上の最低限のことは、親はしっかりとしてくれた。吃音についても、一切言わなかったし、僕からも言わなかった。つまり、しっかり、僕を悩ませてくれた。中途半端に慰められたり励まされたりすることが、実は一番つらいことです。とことん悩んで、そこから自分の力で這い上がらざるを得なかった。
 夏休み、他の友だちが遊んでいるときに、図書館に行って本を読んだり、映画を見たりした。これが僕の、他の人の人生を自分の人生のごとく想像して、悲しんだり、悔しかったり、怒ったりするという、物語能力を育ててくれました。そのことが、将来、どもりは治らないかもしれないが、どもりながらもちゃんと生きていけるかもしれないと思わせてくれたのです。だって、今まで読んできた小説や文学の中で、いろんな困難を抱えながら、人は生きていた。いろんな矛盾の中で人は生きているということを僕は、小説や文学書や、映画とか、いろんなものを通して学んだ。その僕の物語能力が、僕を支えてくれたような気がします。
 父親は、本を読めと直接には言わなかったけれど、書斎には本があり、父親は常に本を読んだり、机に向かっていた。その父親の姿は、僕にはとてもありがたいものでした。宿題をせず、成績が悪くて、怒られるのは僕の責任。高校受験のときも、勉強せずこれだけ成績が悪かったら、家の近くの県立津高等学校には行けないよと先生から言われたとき、母親は、「それは、本人のことですから。一応は、先生のことばは伝えますけど、私の口から、伸二に勉強しろとは言いません」と言ったそうです。先生がこんなことを言ってたよということは言ってくれました。
 自分の人生は、自分でコントロールするのだということを、子どもの頃から植え付けられていたおかげで、大都会の大阪に出ていって、新聞配達をしながら浪人生活をするという自立性が育ったんじゃないかなと思います。だから、とても感謝しています。
 父親は、僕が最初に本を出版したとき、送ったら、よかったなと言ってくれて、ほんとに綿密な感想文を書いてきてくれました。僕が大阪教育大学に就職したときも、すごく喜んでくれました。ということは、父親は、ずっと僕のことを気にはかけていてくれて、僕は僕なりに生きていくことができると、信頼してくれていたんじゃないかなと思います。
 母親は母親で、自分の夫がすごくどもりながらも、ユーモアがあり、明るくて、敗戦の大変な時代、6人家族をちゃんと養ってくれた夫を見ているので、僕のこともちゃんとやっていけると思っていたのかもしれない。ということは、僕は信頼されていたのだと思います。僕は、就職したのが、28歳なんです。2年間浪人して、大学に4年行って、それからまた3年行って、そのときにはもう27歳になっていました。普通なら、そろそろ就職しろとか言うと思うけれど、父も母も一切言いませんでした。そして、今までは、アルバイトで生活してきたけれど、大阪教育大学に行くときは、しっかりと勉強したいので、お金を出してほしいと、初めて僕は、父親に甘えました。父親は気持ち良く、お金を出してくれました。父親に頼らないで生きた時代があり、甘えた時代もあり、僕は愛されていたし、信頼されていたと思います。いい父親、いい母親だったと、ほんとに感謝しています。そんな父親、母親でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/11/16

吃音が治った人はいませんか?

第7回 吃音キャンプOKAYAMA 保護者からの質問

 最後のセッションは、保護者から出された質問に答えました。その続きです。


吃音は治るのは難しいということだけれど、伊藤さんが知っている人で、治った人はいますか。


 いい質問ですね。54年間も、どもる人のセルフヘルプグループで活動し、世界大会に参加し、30年間も吃音親子サマーキャンプをし、その他に、岡山や、島根、沖縄、群馬でもキャンプに参加しています。おそらく世界で一番、僕がどもる子どもとどもる人に出会っているでしょう。7000人、8000人、ひょっとしたら1万人くらいの人と直接会話をしているかもしれません。その中で、僕の印象でしかないけれども、どもる訓練を一生懸命して、その結果、治ったという人には会ったことがありません。知らない間にしゃべりやすくなっていた、改善されたという話はたくさん聞きます。僕自身も、昔から比べれば、ずいぶんしゃべりやすくなっています。だから、吃音は、否定したり避けたり逃げたりしないで、つらくても、ストレスのあるところでも、緊張する場面でも、あえて挑戦して話していくうちに、変わっていくと言えると、僕は思います。日本では、数人程度ですが、変わらなかった人もいます。世界大会で出会った人たちの中に、変わらなかった人はいっぱいいましたが。その人たちに共通するのは、ほぼ間違いなく、常に治療を受けている人たちです。アメリカやオーストラリアなどには、身近なところにセラピーがあり、セラピストがいます。だから、困ったことがあったらすぐ治療、訓練となるのでしょう。ところが、日本は、それほど訓練機関がないので、自分なりにサバイバルしていかなければならない。つらくても、緊張する場面でも、話をしていくということを繰り返しながら、しのいで、場慣れをしていくことによって、あれだけ電話でどもっていたのに、いつの間にか電話することが得意になったという人はいっぱいいます。発表とか、大勢の前で話をするということは、みんな上達していきます。
 今年の夏、三重県津市で開催した臨床家のための吃音講習会で、佐々木和子さんという聾学校の教員だった人に、僕がインタビューしました。彼女は、伊藤伸二がいるというだけの理由で、島根県から大阪教育大学に来ました。大阪教育大学は、教員養成大学なので、昔は、ほぼ100%が教員になったけれど、彼女は教師になるつもりはまったくなかった。彼女は、これだけどもる人間は、将来、仕事には就けないので、家事手伝いをすることになるだろうと思っていた。島根県の松江市のことばの教室で、大石益男さんに出会って、話を聞いてもらっているときに、『人間とコミュニケーション』という、僕が一番最初に出した、海外の研究者の翻訳書を読んだ。その本の後書きに、この本は、大阪教育大学で作ったと書いてあった。それだけを頼りに、どもっている自分の居場所があるだろうと思って彼女は大阪教育大学に来ました。最初、出会ったとき、本当にびっくりしました。こんなにどもる女性に会ったのは、初めてです。その後も、彼女ほどどもる人に会ったことがないくらい、どもっていました。本人は、全く教員になるつもりはなかった。でも、4年間、僕たちといろんな経験をする中で、吃音に対する否定的な感情がなくなり、教育実習に行ったときに、それなりに子どもたちが聞いてくれた経験もあって、教員になろうと思って、島根県の教員採用試験を受けました。学科試験に合格し、後は、顔合わせ程度の面接で、彼女はものすごくどもった。島根県の教育委員会は、これだけどもる人間がどうして教師になりたいと思うのか、実際に教師としてやっていけるのか、と思ったのでしょう。大阪教育大学にも、教育実習先の大阪教育大学付属小学校の担当教員にも問い合わせが来ました。僕たちは、彼女のような、吃音に苦しみながらそれなりにしっかりと生きてきた人間が教育には必要だ、彼女は面接ですごくどもったかもしれないし、大人との会話ではどもるかもしれないけれども、教育実習では子どもたちと丁寧にゆっくりと自分のペースで授業をし、もちろんどもるけれども、面接のときのような状態ではないから、ぜひ彼女を採用してほしいと言いました。島根県は、それを聞いて、しぶしぶ彼女を採用しました。その後、彼女がどうなっているのかなあと気にはなっていたのですが、21年前に島根県で吃音キャンプが開かれることになり、そのとき、彼女に久しぶりに会いました。本当にびっくりしました。あれだけどもっていた彼女が、ほとんどどもっていませんでした。何か訓練でもしたのかと聞くと、そうではなく、教師として話さなければならないから、どもりながらでも話をしていく中で、知らず知らずのうちに変わっていったとのことでした。そういうふうに変わっていった例はいっぱいあります。
 一方、ジョン・ステグルスというオーストラリア人の僕の親友ですが、彼は、「わーたーしーのー」ととてもゆっくりのしゃべり方をします。本当にまったりとした話し方をずっとしています。僕たちはどもる仲間同士なのに、こんなしゃべりかたをずっとしているんです。不自然で気持ちが悪いから、彼に、「君は普段でもこんなしゃべり方をしているのか」と聞いたら、「家族の前では仮面を脱いで、どもっても平気でしゃべれる。でも、一歩家を出ると、仮面をかぶって、こんなしゃべり方になる。言語聴覚士に教えてもらったこのゆっくりとした話し方で、どもらないということが身についてしまったので、今さら、仮面を脱ぐことができない」と言いました。そういう人もいます。
 今、思い出しましたが、日本にもいました。1986年の世界大会を開く前の年、九州の能古島で全国大会を開いたときに、熊本から来た70歳近い老人が発言しました。「みーなーさーんーのーかーんーがーえーかーたーはーまーちーがっーてーいーまーすー。どーもーりーはーなーおーりーまーすー」と、こんなしゃべり方をした。話を聞いたら、朝起きたら必ず発声練習をする。仕事が終わったら、山に登ってまた発声練習をする。1日に少なくとも1時間は訓練をする。そのあげくが、「みーなーさーんー」と言うしゃべり方なんですね。それを聞いて、そのとき参加していた100人近くの人たちは、そんな、個性のない、まったりとした、不自然なしゃべり方をするよりも、どもってしゃべっている方がよっぽどましだと発言して、総スカンをくったことがあります。
 そういうゆっくりとした話し方を続けることができるのか、これを続ける意味があるのかと考えたとき、僕は、どもりながら、緊張する場面でも逃げずに話していきたいと思います。すると、自然に変わっていく。そんな話はたくさん聞いていますが、治った人というのは聞いたことがありません。
 僕の大好きな、片岡仁左衛門という人間国宝の歌舞伎役者がいます。歌舞伎に、近松門左衛門作の、どもりの絵師又平と、その妻お徳との夫婦愛を描いた「傾城反魂香」という演目があります。又平がものすごくどもるんです。今度、大阪で、文楽でその演目をするので楽しみにしているんですが。中村吉右衛門、中村鴈治郎、片岡仁左衛門が、主人公の又平の役をした歌舞伎を実際に見ました。その片岡仁左衛門さんは、歌舞伎俳優の家に生まれて、歌舞伎俳優になることが宿命づけられている。けれども、彼は、子どものころから、どもっていた。芸事で発声練習などいろんなことをしながら、片岡孝夫という名前で映画にも出るようになり、舞台でも主演するようになった。でも、NHKの大河ドラマに出演したとき、せりふがどうしても言えなくて、中村錦之助などたくさん大御所がいる中で、NGの連続だったことを、本人が語っています。
 女優の木の実ナナも、あれだけ主演女優をしながら、渥美清に「おにいちゃん」と呼びかけるせりふが言えなくて、撮影が2日間ストップするという経験をしています。職業として、映画俳優や歌舞伎俳優になり、日常的に言語訓練をしても、吃音は残るということです。歌舞伎のせりふの独特の節回しになると、舞台ではどもらないが、舞台を降りるとそれなりにどもる。だから、完全に跡形もなく消えてしまうということは、あり得ないんじゃないでしょうか。
 でも、教師や俳優、アナウンサーなど、話すことの多い仕事をしているうちに、だんだんとしゃべれるようになるということはあります。だから、それを治ったといえるのかもしれません。アナウンサーの小倉智昭さんは、どもりは治らないとはっきりと言っています。周りから見たら、治ったかのように見えているけれども、やっぱり吃音という意識はあるし、友だちのところに電話をかけるときにはどもる。僕が、人前でしゃべるときは比較的どもらなくなったのは、大学の教員として、講義や講演をすることを重ねていく中で、それなりに話すときのテンポやスピード、間などが自然に身についたからだと思います。仕事を通して、自分のことばを獲得していくものだと思います。訓練をしてなんとかしようとしても、おそらく吃音は改善していかないだろうと思います。練習はしない方がいい。それより、自分が何をしたいのか、何をするのかという人生の目標を早く決めて、そのための努力をする中で、ことばは変わっていくと、僕は信じています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/11/15

吃音キャンプOKAYAMAで、どもる子どもの保護者の質問に答える1

第7回 吃音キャンプOKAYAMA
保護者からの質問に答える


最後のセッションは、保護者から出された質問に答えました。紹介します。

子どもがすごくつらい思いをしているとき、どう対応すればいいのか。学年が上がってくるにつれて、いろいろ問題が出てくるだろうけれど、そのとき、親としてできることは?


 当事者研究という考え方がある。ひとりで抱えるとしんどいけれど、自分の抱えている問題を一緒に考えてくれる仲間や親がいると、自分で処理ができ、解決できる。健康生成論で紹介したが、処理可能感がとても大事だ。吃音で悩んで困っているときに、「つらかったね」「しんどかったね」という共感は、最初はとても大事なことだけど、ただ悩みを聞いているだけではなく、じゃ、困ったことや悩みを一緒に研究しようと、研究にもっていく。悩みや困ったことは、どうして起こったのか、どういう状況なのか、根掘り葉掘り、聞いていく。聞くことが却って、その人を傷つけるのではないかと思うようだけれど、これは誤った考えだと思う。根掘り葉掘り聞くということは、その子の困っていることや悩んでいることに対して、関心があるということの表れだから、ちゃんと聞いて確認しないと、失礼だと思う。困っていることを困ったんだねと終わらせてしまうことは、せっかく子どもが考えたり工夫したりするチャンスを失ってしまうことになる。
 また、「こういうことがあったから、あの子は、僕のことを嫌っているに違いない」と子どもが言ったとする。「こういことがあった」という出来事に関して、できるだけ質問し、出来事を確認する。そして、子どもが「こういうことがあったから、こういうことを考えた」と言ったとしたら、「あなたはそう考えたんだね。だけど別の考え方はないかな」と、質問していく。それは、誰もがもってしまう、偏りがある考え方を広げていくことになる。
 興味、関心をもって、根掘り葉掘り聞いていくことによって、あんなことを言ったけれども、前はこんなことがあった、前は違うことも言っていたなどと、その子どもの持っている角度を広げることができる。今度はこんなことをやってみたらどうかと、提案もできる。まずは、しっかりと話を聞いて、「研究」というキーワードと「受け止め方、考え方を柔軟にする」の視点を持ってほしい。つらい思いや、困っている子どもにどう接したらいいかという質問ですが、困ったことや悩んでいることを一緒に研究することはできるのではないでしょうか。僕なら、そういうふうにします。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/11/10

僕の吃音の失敗を繰り返さないでほしい

 第17回 吃音キャンプOKAYAMA PART4
僕の吃音の失敗を繰り返さないでほしい


友浦 次の質問です。どもりと上手につきあうために、一番大切なことって何ですか。
伊藤 つきあうには、つきあう相手のことを知らないとつきあえないね。この人と友だちになりたいなあと思っても、その人を知らないと、どういう人か分からないと、とてもつきあえない。だから、つきあう相手、どもりについてしっかりと勉強することだね。みんなは学校で、国語、算数、理科、社会など教科を勉強しているね。それと同じように、吃音について勉強する。「吃音科」として、どもりについてしっかりと勉強することがひとつ。もうひとつは、友だちや家族など、自分じゃない別の人、他人のことに敬意を表す、その人のことを認めること。嫌な人間だとしても、からかったり、なんでこんなしゃべり方するのと言ってきたりする人だとしても、その人にも、きっといいところがある。相手のいいところを探したり、その人のがんばっているところを認めて、その人を信頼する。それが一番かなあ。僕は、小中高と、他人が信頼できなかった。だから、学校の友だちや先生はみんな敵だと思っていた。そんな敵だらけの学校の中では、どもって話すことはできない。嫌な奴も中にはいるけれども、全体としては、ちゃんと僕のことを見てくれているし、僕はこの社会に生きているんだという感覚を持つこと。そうでないと、どもりとは上手につきあえないなあと思います。
友浦 2つの大事なことがあったよね。1つ目は、吃音のことをよく勉強すること。2つ目は、人のいいところをみつけること。できそうだよね。
伊藤 きっといいところがあるから。自分にもいいところがあるし、相手にもいいところがあるよ。
岡山キャンプ 伸二と子どもたち後ろ姿
友浦 じゃ、最後に、ここにいる子どもたちに、メッセージをお願いします。
伊藤 一週間前に、「ヒロシマ」という原爆の映画を見ました。昔の映画です。原爆が落とされて、5年後か6年後にできた映画です。広島公園の記念碑に、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」という文章が書いてある。僕は、どうしても吃音とくっつけてしまうんだけど、僕は、どもることは悪いことで、どもっている自分はだめなんだと思って、勉強も、友だちとの関係も避け、学校の役割もできるだけしなくて、楽しくない生活をしてきた。ものすごく失敗したなと思う。ちゃんとどもりを認めて、ちゃんとしゃべっていったら、そして勉強もしていけば、楽しい小学校時代、中学校時代、高校時代が送れたんじゃないかと思います。みんなには、僕がしてきた失敗はしてほしくないと思います。その失敗の一番は、「どもりは悪いもので劣ったもの、治さなければならないもの」と考える考え方です。その考え方をぜひ変えて、どもりながらでも、自分のしたいことはする、できるんだと思ってほしい。僕の失敗を、僕の過ちを繰り返してほしくないという思いがあるから、いまだにこうして一生懸命、しゃべっています。
 どうしてこんなに一生懸命にならないといけないのかと、自分でも思います。今回も、パワーポイントの準備をしました。結局は、それをうまく使いきれなかったけれど、一生懸命努力はする。それは、みんなに僕のしてきた失敗をくり返してほしくないからです。吃音についてどう思うかと聞かれたら、「後悔」ということばが一番当てはまる。何か行動をして失敗して後悔するならいいんだけど、何もしないで、どうせ僕はだめだと、行動しないうちから諦めていた。どもっていても、したいと思ったことは、してみたらよかったと思う。そういう後悔を、みんなにはしてほしくないなあと思います。戦争の過ち、戦争の失敗を繰り返さないようにと同じで、僕のしてきた失敗を子どもたちには繰り返して欲しくないと強く思います。
友浦 ありがとうございます。みんな、今日は、伊藤さんからいっぱいお話が聞けてよかったね。みんなでお礼を言おう。
こどもたち ありがとうございました。
伊藤 僕も、聞いてもらって、ありがとうございました。
子ども いえいえ。

子どもたちからの質問に答えていると、いろんなことが思い出されます。初めて参加する子どもたちも多かったのですが、楽しいやりとりの時間になりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/11/3 

吃音は、自然に変わる 吃音キャンプOKAYAMA 3

 第17回 吃音キャンプOKAYAMA PART3
吃音は、自然に変わる
 

友浦 伊藤さんの本を読んでいたら、どもりは練習なんかしなくても、自然に変わると書いてあったけれど、どういうことですか。
伊藤 どもりに限らず、精神的なことでも、精神的というのは心のことだけど、治そうとすればするほど、却って病気が悪くなるということがある。それはどもりも一緒。どもりを改善しようとか、軽くしようとか思って練習すればするほど、だんだん、どもる自分はだめな人間だと思ってしまう。それは、僕はよくないと思う。そうではなくて、どもっている自分を認めて、僕はこういう話し方だけど、言いたいことはちゃんと言おう、言わなければならないことは言おう、とした方がいい。僕は、小学校のとき、全然できなかったけど。僕は、小、中、高時代、逃げて逃げまくって、すごく損をした。本当は友だちになれたかもしれないのに、本当は恋人になれたかもしれないのに、その人にしゃべりかけないで、勝手に、僕なんか、好きになってくれるわけはないと自分で思い込んで、しゃべりかけなかった。だから、今から思うと、すごく悔しい。小、中、高時代に戻りたいと思うけれど、それは、どもらない人間として戻りたいのではなくて、どもりのことを勉強して、いろんなことを知って、知恵のある、どもりに対してかしこい少年として戻りたい。そしたら、ちょっとくらい、からかわれても、「なんで、そんなこと言うんや」と言えただろうし、「放っておいてくれ」と言えたかもしれない。発表も、どもってでもできたかもしれないし、いろんなクラスの役割もどんどん引き受けたかもしれない。
 21歳のときに、治そう治そうとすることは、却って自分をだめにすると分かってからは、どんなにどもっても、僕は働いた。アルバイトで、接客業もこども百科事典のセールスもした。そのとき、嫌なことも経験したけれど、ちゃんと聞いてくれる人がほとんどだった。どもりながらもしゃべっていけば、相手も聞いてくれるんだなあということが分かった。そのとき、僕は、どもりながらでも、ちゃんと生きていけると分かった。僕は、友だちがほしい、恋人がほしいと思っていたけれど、周りから「どもっていても、友だちはできるよ、恋人はできるよ」と、何万回言われても、信用できない。けれども、実際に友だちや恋人ができたら、どもっていても友だちや恋人はできるんだと思えた。実際に経験するということは大事だね。大切なこと、プレッシャーがあって緊張する場面で、しゃべっていくことが大事だと思う。そうすると、いろんな嫌なことがあって落ちこむこともあるけれど、それも練習するうちに、だんだんと落ち込みが軽くなっていく。
 人生の中で一番安全な小学校という場で、できるだけどもって、どもり倒して、笑われてからかわれたりしながら、がんばっていたら、変わっていくと思うよ。ふと、気がついたら、あれ、前よりずいぶんしゃべれているなあと思う。不思議なことで、逃げて逃げてしゃべらなかったら、笑われたりからかわれたりしない代わりに、しゃべることには慣れない。しゃべることが多ければ多いほど、結果としてだけど、言語訓練みたいになるので、だんだんとあまり人前ではどもらなくなるように変わっていった。でも、僕は治ったわけではないけどね。
岡山キャンプ 横から全体
友浦 ありがとうございます。練習とかじゃなくて、おしゃべりをいっぱい楽しんだら、変わってくるよと伊藤さんが、今、おっしゃって下さったから、みんなも、学校で通級で、おしゃべりを楽しんで下さい。では、その次。どもっていて、よかったと思ったことはありますか。みんなは、ある?
子ども ある。
伊藤 えーっ。どもっていて、よかったことがあるの?
子ども うん。
伊藤 どういうこと?
子ども どもっていてもよかったと思ったときは、どもったとき、笑われずに「よかったね」と言ってくれた。
伊藤 そうか、そうか。普通の人なら、どうってことないことでも、ちょっと成功したりすると、よかったと思ったのね。確かに、僕らも、「おはよう」って、なかなか言えなかったのに、「おはよう」と言えたときに、気持ちのいい1日になる。どもってない人間なら、「おはよう」を言うくらい当たり前だから、そんなことで喜んだりしないよね。だから、喜ぶことが増えるね。
友浦 喜ぶことが増える、いいですね、それ。
伊藤 僕は、どもってよかったと思ったことはないね。でも、どもりでよかったことはいっぱいある。どもりに悩んだおかげで映画が好きになったし、本が好きになった。東京正生学院でどもる仲間と出会えたし、自分の一番関心のあるどもりについて勉強することができた。おかげで、勉強もせず、成績がめちゃくちゃ悪かったのに、国立大学の先生になったよ。
子ども えっ。本当?
伊藤 本当だよ。どもりでなかったら、僕は、国立大学の先生にはなれなかったと思う。もちろん、昔は勉強はしなかったけれど、21歳からはいっぱい勉強したよ。今でも、すごく勉強しているよ。世界大会を世界で初めて開いた、それも何千万円というお金をかけて開催したけれど、それも、どもりのおかげだ。その後も、たくさんの有名人、たとえば、谷川俊太郎さんとか鴻上尚史さんとか、いろんな人と対談をしたり、本を16冊も書いた。そして、75歳になって、こうして岡山のキャンプに来ている。この2週間後には島根県や沖縄県にも行く。なんかどもりで得したことばっかりだ。僕はどもりのおかげで、生涯をかけてする「道楽」ができたので、いまだに楽しい生活をしている。大人になると、楽しい生活が待ってるよ。でも、それには条件がある。どもることを否定しないこと、どもっているのが僕だ、私だ、と思うこと。そして、言いたいこと、言わなければならないことは、どんなにどもっても言っていくこと。そうすると、人から信用され、信頼されるし、人間関係も広がっていく。僕は今、友だちがいっぱいいる。それも世界中にいる。これは、どもりでなかったらあり得ない。いい人生を送ってきたと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/11/2

吃音キャンプOKAYAMA 子どもたちからの質問に答えて

 第17回 吃音キャンプOKAYAMA PART2
「なんでそんな話し方なの?」と聞かれたら…


 子どもたちからの質問が続きます。

友浦 伊藤さんの好きなことは、何ですか。
伊藤 カレー? いやいや、好きな食べ物ではなくて、好きなことだね。好きなことは、本を読むことと、映画を見ること。僕は子どもの頃、友だちがいなくて、ひとりぼっちだったから、ひとりでできる、映画を見ること、本を読むことをしていた。本ばっかり読んでいたけど、そのことが、今、自分が本を書いたり、人前で話すことにすごく役に立っている。また、映画ばっかり見ていたことで、いろんな人の人生を知ることになった。難しい本も読んでいた。夏休みも、みんなは友だちと遊びに行くけれど、僕は友だちがいないから、すぐ近くの県立図書館に行って、毎日、本を読んでいた。映画館に行って、警察に捕まったりもした。
子ども うん? なんで?
伊藤 捕まったんだよ。
子ども なんでや。
伊藤 昔は、中学生がひとりで映画を見に行ったらだめだった。今は、どう?
子ども いいよ。
子ども 親と一緒ならいいよ。
伊藤 今は、中学生がひとりで映画館に行ってもいいの?
子ども あかん。
伊藤 あかんよね。昔もだめだった。映画を見て帰ろうとしたとき、出口で立っていた人を見て、「きっとこの人は警察官」だと直感したので、知らん顔をして、出口まで来てだーっと走って逃げた。警察官は追いかけてきたけれど、僕の方が速かったので逃げました。
子ども はははは。
友浦 伊藤さんの本、みんな、大きくなったら読んでほしいと思っているんだけど、読んでいて分かりやすい。すごくいいことがいっぱい書いてある。それは、伊藤さんが今までいっぱい本を読んだり、映画を見たりしていたからだったんだね。そのことで素敵な本を書いて下さる人になったんだと思うよ。みんなも、しっかり本を読んでね。
伊藤 みんなも、いろんな本を読んで下さい。
岡山キャンプ 伸二アップ
友浦 次は、友だちから、なんでそんな話し方なの?と聞かれたら、どう答えたらいいですか。みんなは、そんなこと聞かれたこと、ある?
子ども ある、ある。
子ども ない。
伊藤 あるのか。
友浦 あるね。いじわるじゃないけど、みんな、聞いてきたりすること、あるよね。
子ども 4、5人くらいある。
伊藤 そのとき、どういうふうに答えたの?
子ども 病気じゃないとか、
伊藤 ほかには。
子ども 言い方がだめなのかもしれないけれど、なんか笑ってきたり。
子ども うん、笑われた。
伊藤 そうか、そういう人に、なんで?と聞かれたら、一番いいのは、「君、本当に知りたいの?」と聞く。その子が本当に知りたいんだったら、教えてあげるから、僕と一緒に吃音の勉強をしようよって。
子ども ああ。
伊藤 そして、『どもる君へ いま伝えたいこと』という本があるから、これをしっかり読んでと言って貸してあげたらいい。なんでそんな話し方をするの?というのは、ただからかいのために言う子もいるかもしれないけれど、やっぱりなんでかなあと疑問に思う子もいる。だから、本当に知りたいのかと聞いたらいい。からかいたくて言っているのか、本当に僕のことを知りたくて聞いているのかが分かるよね。
子ども うん。
伊藤 それで、からかって聞いてくる子のことは、相手にしなくていい。「わからん!」と言えばいい。「君も、なんでそんなしゃべり方なの?」と聞いてやってもいい。人それぞれ話し方は違うからね。どもらない人でも、声が小さい人もいるし、ぼそぼそとしゃべる人もいる。有名な精神科医で、実際に、その人の講演を、何度も聞いたけれど、その人は、「私は自他共に認める滑舌が悪い」といっている。どもってはいないけれど、わかりにくい話し方をする人はいる。アナウンサーでも、もうちょっと練習したらいいのにと言いたくなるくらいの人もいる。そんなふうに、人はいろんなしゃべり方をするから、「なんで君はそんなしゃべり方なの?」と聞かれても説明できないんだ。説明できないことをしつこく聞いてくる子とは、友だちにならない。でも、ほんとに僕のことを知りたくて聞いてきた人にはちゃんと教えてあげたらいい。
子ども うん。
友浦 みんな、通級教室で勉強していると思うから、本気で知りたいという友だちには、教えてあげて下さいね。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/11/1
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