治らなかったからこそ、吃音は、深く尽きない話題を提供してくれる
第4回 新・吃音ショートコースの参加者の感想を紹介しましょう。
新しい発見、気づき、感情が次々とうまれる、常に新鮮な場であり、とてもおもしろかった。こんなすごい「世界」を吃音の人でも、まだ知らない人がたくさんいて、同時にもったいないと感じた。もっと共有していけたらと思う。もっと多くの人が大阪吃音教室がしているようなことをしたらどうなるだろうと興味がわいた。
枠組みにとらわれないのに進行できる力はすごい思います。大阪吃音教室での決まりきった講座もきちんとできない私にとっては信じられません。枠組みにとらわれない、有意味感、この2つのことをもう少し考えていきたいと思いました。
今、うれしさがこみあげています。この2日間、衝撃の連続で、あっという間に終わってしまった感覚です。ここに来て、まだまだ変化する自分の価値観に、心が追いついていないけれど、そういう世界にいられることの感謝を感じています。この2日間がまた私の転機になりそうな予感がします。
1日のみの参加でしたが、内容が濃く、あっという間に時間が過ぎてしまいました。改めて、このような場は、自分自身が周りの人に認めてもらえると同時に、自分自身が自分に「居てもよい」と思える場であることを感じました。「人間関係をよりよくしていくには」を考える時間では、様々な意見が上がった中で「自分も相手も大切に」というのが共通しているのではないかと思いました。世の中は不確実なことや不安なことばかりですが、自分でもよく分からない吃音とつきあってきたことは、自分自身を褒めてもよいのではと思えました。これからも、不確実さに耐えながらもその中で楽に生きるヒントをみつめていきたいと思います。
初めて参加しました。大阪吃音教室とは違い、2日間かけて吃音について考えられる貴重でとても楽しい時間でした。参加者の希望や話し合いの流れによって勧められていく形は予測がつかないため飽きることなく、気づけばあっという間に時間が過ぎていきました。自分の発表については、参加者からいただいた意見や考えたことをゆっくりと振り返って、現場に活かせるようまとめていけたらと思います。他の人との伊藤さんの対話での聞き方は、答えや考えを提供するのではなく、自ら考えさせながらすすんでいるように感じ、勉強になり、自分も少しでも近づきたいと思いました。
「吃音が治らないものでよかった」と、しみじみと感じた2日間でした。吃音が治療の対象に過ぎないものだったら、この2日間の「豊か」な話し合いの課題として成立するはずもありません。新たな視点、新たな考え方をもとに、考えても考えても、語り合っても語り合っても、尽きない話題を提供してくれる吃音と、これからも向き合っていきたいと思っています。
どもることからいろいろな考え方にふれ、そして、自分の生き方につながっていく大事な時間でした。健康生成論の3つの要素から、ことばの教室の教員として、私の子どもたちのかかわりや学習に活かせることや意味づけができました。特に、吃音キャラクター、どもりカルタについて取り組んでいることは「把握可能感」にあたり、どもることを客観的にみながら自分の語りにつながっていくと思いました。
言語聴覚士としての葛藤を発表してもらったことはとてもよかった。言語聴覚士が、吃音をもつ人とどう対峙していけばいいか現場の話が聞けてよかった。事実としてこのような技法が現場で行われているのを聞いて、何という難行を強いるのかと感じた。これを機に、別のやり方で当事者に向き合ってもらえたらうれしい。発表の広場でのどもれなかった女性の話はとても興味深かった。漠然と言い換えしても別によいと思っていたが、吃音を悟られまいと言い換えをするパターンと、どもってもどもらなくてもどっちでもいいやということで言い換えをするのとは違うことが分かった。文学賞の発表で朗読された文章はとても共感できた。自分の過去の体験と照らし合わせながら聞いていた。自分ももう少し勇気があれば、文学賞に出せるような体験ができたのかもしれないと思うと、少し悔しかった。頭をフル回転させる2日間でした。
応答性ということで、インプット、アウトプットを思いました。体験したこと、考えたこと(インプット)を、感想として話す、文章に書く(アウトプット)応答性があって、それらが深まり、自分のものとなっていくように思いました。ことば文学賞で文章を書く、新・吃音ショートコースで発表する、人の話を聞いて感想を返す、これらの経験がとても大切なのではと思います。悩んでいなくても、課題がなくても、参加すること、話の輪に入ってみることの意味を、他の人に語っていきたい。
悩みの共有という点で、自分には関係ないと思わせる他の人の悩みも、なにかしら関係してくるものだと思いました。今は悩みはない(と思っているだけかもしれませんが)ですが、ただ単にどもりの順位が下がっただけのような気もしますし、これからまたどもりがランクアップしてくるだろうと思われるので、そのときはショートコースで課題として話したいと思います。
少しだけですが、語ることができ、よかったです。他の人たちの語りや対話を聞いて、自分が抱えている問題と照らし合わせて考えていた時間が長かったです。調子が下がっていたときは、本当にSOCの3つの感覚が落ちていたことにも気がつきました。変われる所を変える勇気をもって、今の問題を改めて振り返ってみたいと思いました。
応答性を担保するのには、今回の参加者数くらいが適度なのだろうと思う。学ぶ段階から意味を見出し、それを活かすためには、「対話」という方法によって、自分のことを語った人たちの思考が整理された、ありようなのだと再認識した。健康生成論は刺激的、よい頭の整理になった。次々と新たなものを取り入れているようだが、実はベースは、通奏低音は同じであることが、おもしろい。
最後の振り返りは、ひとりひとりがどのような経験をしたかが聞ける豊かな時間でしたが、改めて感想として書いてもらうと、こような場を共に過ごしたことのありがたさを思います。来年も、同じ頃に、第5回 新・吃音ショートコースを開く予定です。普段の生活からちょっと離れて、吃音と人生をじっくり考える時間をぜひご一緒しましょう。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/29
第4回 新・吃音ショートコースの参加者の感想を紹介しましょう。
新しい発見、気づき、感情が次々とうまれる、常に新鮮な場であり、とてもおもしろかった。こんなすごい「世界」を吃音の人でも、まだ知らない人がたくさんいて、同時にもったいないと感じた。もっと共有していけたらと思う。もっと多くの人が大阪吃音教室がしているようなことをしたらどうなるだろうと興味がわいた。
枠組みにとらわれないのに進行できる力はすごい思います。大阪吃音教室での決まりきった講座もきちんとできない私にとっては信じられません。枠組みにとらわれない、有意味感、この2つのことをもう少し考えていきたいと思いました。
今、うれしさがこみあげています。この2日間、衝撃の連続で、あっという間に終わってしまった感覚です。ここに来て、まだまだ変化する自分の価値観に、心が追いついていないけれど、そういう世界にいられることの感謝を感じています。この2日間がまた私の転機になりそうな予感がします。
1日のみの参加でしたが、内容が濃く、あっという間に時間が過ぎてしまいました。改めて、このような場は、自分自身が周りの人に認めてもらえると同時に、自分自身が自分に「居てもよい」と思える場であることを感じました。「人間関係をよりよくしていくには」を考える時間では、様々な意見が上がった中で「自分も相手も大切に」というのが共通しているのではないかと思いました。世の中は不確実なことや不安なことばかりですが、自分でもよく分からない吃音とつきあってきたことは、自分自身を褒めてもよいのではと思えました。これからも、不確実さに耐えながらもその中で楽に生きるヒントをみつめていきたいと思います。
初めて参加しました。大阪吃音教室とは違い、2日間かけて吃音について考えられる貴重でとても楽しい時間でした。参加者の希望や話し合いの流れによって勧められていく形は予測がつかないため飽きることなく、気づけばあっという間に時間が過ぎていきました。自分の発表については、参加者からいただいた意見や考えたことをゆっくりと振り返って、現場に活かせるようまとめていけたらと思います。他の人との伊藤さんの対話での聞き方は、答えや考えを提供するのではなく、自ら考えさせながらすすんでいるように感じ、勉強になり、自分も少しでも近づきたいと思いました。
「吃音が治らないものでよかった」と、しみじみと感じた2日間でした。吃音が治療の対象に過ぎないものだったら、この2日間の「豊か」な話し合いの課題として成立するはずもありません。新たな視点、新たな考え方をもとに、考えても考えても、語り合っても語り合っても、尽きない話題を提供してくれる吃音と、これからも向き合っていきたいと思っています。
どもることからいろいろな考え方にふれ、そして、自分の生き方につながっていく大事な時間でした。健康生成論の3つの要素から、ことばの教室の教員として、私の子どもたちのかかわりや学習に活かせることや意味づけができました。特に、吃音キャラクター、どもりカルタについて取り組んでいることは「把握可能感」にあたり、どもることを客観的にみながら自分の語りにつながっていくと思いました。
言語聴覚士としての葛藤を発表してもらったことはとてもよかった。言語聴覚士が、吃音をもつ人とどう対峙していけばいいか現場の話が聞けてよかった。事実としてこのような技法が現場で行われているのを聞いて、何という難行を強いるのかと感じた。これを機に、別のやり方で当事者に向き合ってもらえたらうれしい。発表の広場でのどもれなかった女性の話はとても興味深かった。漠然と言い換えしても別によいと思っていたが、吃音を悟られまいと言い換えをするパターンと、どもってもどもらなくてもどっちでもいいやということで言い換えをするのとは違うことが分かった。文学賞の発表で朗読された文章はとても共感できた。自分の過去の体験と照らし合わせながら聞いていた。自分ももう少し勇気があれば、文学賞に出せるような体験ができたのかもしれないと思うと、少し悔しかった。頭をフル回転させる2日間でした。
応答性ということで、インプット、アウトプットを思いました。体験したこと、考えたこと(インプット)を、感想として話す、文章に書く(アウトプット)応答性があって、それらが深まり、自分のものとなっていくように思いました。ことば文学賞で文章を書く、新・吃音ショートコースで発表する、人の話を聞いて感想を返す、これらの経験がとても大切なのではと思います。悩んでいなくても、課題がなくても、参加すること、話の輪に入ってみることの意味を、他の人に語っていきたい。
悩みの共有という点で、自分には関係ないと思わせる他の人の悩みも、なにかしら関係してくるものだと思いました。今は悩みはない(と思っているだけかもしれませんが)ですが、ただ単にどもりの順位が下がっただけのような気もしますし、これからまたどもりがランクアップしてくるだろうと思われるので、そのときはショートコースで課題として話したいと思います。
少しだけですが、語ることができ、よかったです。他の人たちの語りや対話を聞いて、自分が抱えている問題と照らし合わせて考えていた時間が長かったです。調子が下がっていたときは、本当にSOCの3つの感覚が落ちていたことにも気がつきました。変われる所を変える勇気をもって、今の問題を改めて振り返ってみたいと思いました。
応答性を担保するのには、今回の参加者数くらいが適度なのだろうと思う。学ぶ段階から意味を見出し、それを活かすためには、「対話」という方法によって、自分のことを語った人たちの思考が整理された、ありようなのだと再認識した。健康生成論は刺激的、よい頭の整理になった。次々と新たなものを取り入れているようだが、実はベースは、通奏低音は同じであることが、おもしろい。
最後の振り返りは、ひとりひとりがどのような経験をしたかが聞ける豊かな時間でしたが、改めて感想として書いてもらうと、こような場を共に過ごしたことのありがたさを思います。来年も、同じ頃に、第5回 新・吃音ショートコースを開く予定です。普段の生活からちょっと離れて、吃音と人生をじっくり考える時間をぜひご一緒しましょう。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/29