伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2019年06月

治らなかったからこそ、吃音は、深く尽きない話題を提供してくれる〜第4回新・吃音ショートコース報告〜

治らなかったからこそ、吃音は、深く尽きない話題を提供してくれる
   


 第4回 新・吃音ショートコースの参加者の感想を紹介しましょう。

新・吃音ショートコース みんな2 新しい発見、気づき、感情が次々とうまれる、常に新鮮な場であり、とてもおもしろかった。こんなすごい「世界」を吃音の人でも、まだ知らない人がたくさんいて、同時にもったいないと感じた。もっと共有していけたらと思う。もっと多くの人が大阪吃音教室がしているようなことをしたらどうなるだろうと興味がわいた。

 枠組みにとらわれないのに進行できる力はすごい思います。大阪吃音教室での決まりきった講座もきちんとできない私にとっては信じられません。枠組みにとらわれない、有意味感、この2つのことをもう少し考えていきたいと思いました。

 今、うれしさがこみあげています。この2日間、衝撃の連続で、あっという間に終わってしまった感覚です。ここに来て、まだまだ変化する自分の価値観に、心が追いついていないけれど、そういう世界にいられることの感謝を感じています。この2日間がまた私の転機になりそうな予感がします。

 1日のみの参加でしたが、内容が濃く、あっという間に時間が過ぎてしまいました。改めて、このような場は、自分自身が周りの人に認めてもらえると同時に、自分自身が自分に「居てもよい」と思える場であることを感じました。「人間関係をよりよくしていくには」を考える時間では、様々な意見が上がった中で「自分も相手も大切に」というのが共通しているのではないかと思いました。世の中は不確実なことや不安なことばかりですが、自分でもよく分からない吃音とつきあってきたことは、自分自身を褒めてもよいのではと思えました。これからも、不確実さに耐えながらもその中で楽に生きるヒントをみつめていきたいと思います。

 初めて参加しました。大阪吃音教室とは違い、2日間かけて吃音について考えられる貴重でとても楽しい時間でした。参加者の希望や話し合いの流れによって勧められていく形は予測がつかないため飽きることなく、気づけばあっという間に時間が過ぎていきました。自分の発表については、参加者からいただいた意見や考えたことをゆっくりと振り返って、現場に活かせるようまとめていけたらと思います。他の人との伊藤さんの対話での聞き方は、答えや考えを提供するのではなく、自ら考えさせながらすすんでいるように感じ、勉強になり、自分も少しでも近づきたいと思いました。

 「吃音が治らないものでよかった」と、しみじみと感じた2日間でした。吃音が治療の対象に過ぎないものだったら、この2日間の「豊か」な話し合いの課題として成立するはずもありません。新たな視点、新たな考え方をもとに、考えても考えても、語り合っても語り合っても、尽きない話題を提供してくれる吃音と、これからも向き合っていきたいと思っています。

 どもることからいろいろな考え方にふれ、そして、自分の生き方につながっていく大事な時間でした。健康生成論の3つの要素から、ことばの教室の教員として、私の子どもたちのかかわりや学習に活かせることや意味づけができました。特に、吃音キャラクター、どもりカルタについて取り組んでいることは「把握可能感」にあたり、どもることを客観的にみながら自分の語りにつながっていくと思いました。

 言語聴覚士としての葛藤を発表してもらったことはとてもよかった。言語聴覚士が、吃音をもつ人とどう対峙していけばいいか現場の話が聞けてよかった。事実としてこのような技法が現場で行われているのを聞いて、何という難行を強いるのかと感じた。これを機に、別のやり方で当事者に向き合ってもらえたらうれしい。発表の広場でのどもれなかった女性の話はとても興味深かった。漠然と言い換えしても別によいと思っていたが、吃音を悟られまいと言い換えをするパターンと、どもってもどもらなくてもどっちでもいいやということで言い換えをするのとは違うことが分かった。文学賞の発表で朗読された文章はとても共感できた。自分の過去の体験と照らし合わせながら聞いていた。自分ももう少し勇気があれば、文学賞に出せるような体験ができたのかもしれないと思うと、少し悔しかった。頭をフル回転させる2日間でした。

 応答性ということで、インプット、アウトプットを思いました。体験したこと、考えたこと(インプット)を、感想として話す、文章に書く(アウトプット)応答性があって、それらが深まり、自分のものとなっていくように思いました。ことば文学賞で文章を書く、新・吃音ショートコースで発表する、人の話を聞いて感想を返す、これらの経験がとても大切なのではと思います。悩んでいなくても、課題がなくても、参加すること、話の輪に入ってみることの意味を、他の人に語っていきたい。

 悩みの共有という点で、自分には関係ないと思わせる他の人の悩みも、なにかしら関係してくるものだと思いました。今は悩みはない(と思っているだけかもしれませんが)ですが、ただ単にどもりの順位が下がっただけのような気もしますし、これからまたどもりがランクアップしてくるだろうと思われるので、そのときはショートコースで課題として話したいと思います。

 少しだけですが、語ることができ、よかったです。他の人たちの語りや対話を聞いて、自分が抱えている問題と照らし合わせて考えていた時間が長かったです。調子が下がっていたときは、本当にSOCの3つの感覚が落ちていたことにも気がつきました。変われる所を変える勇気をもって、今の問題を改めて振り返ってみたいと思いました。

新・吃音ショートコース 伸二2 応答性を担保するのには、今回の参加者数くらいが適度なのだろうと思う。学ぶ段階から意味を見出し、それを活かすためには、「対話」という方法によって、自分のことを語った人たちの思考が整理された、ありようなのだと再認識した。健康生成論は刺激的、よい頭の整理になった。次々と新たなものを取り入れているようだが、実はベースは、通奏低音は同じであることが、おもしろい。

 最後の振り返りは、ひとりひとりがどのような経験をしたかが聞ける豊かな時間でしたが、改めて感想として書いてもらうと、こような場を共に過ごしたことのありがたさを思います。来年も、同じ頃に、第5回 新・吃音ショートコースを開く予定です。普段の生活からちょっと離れて、吃音と人生をじっくり考える時間をぜひご一緒しましょう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/29

吃音を生き抜くための哲学的対話〜第4回 新・吃音ショートコース報告〜

吃音を生き抜くための哲学的対話〜第4回 新・吃音ショートコース報告〜

 6月15・16日、第4回新・吃音ショートコースを開催しました。
 吃音哲学〜吃音の豊かな世界への招待〜をテーマとした、今回の新・吃音ショートコース。千葉、東京、神奈川など遠くからの参加者もあり、総勢18名で、濃密な時間を過ごしました。
 以前は、吃音ショートコースという名前の研修会を開いていました。精神医学、臨床心理学、教育学、演劇など幅広い領域の第一人者を講師に迎えたその研修会では、論理療法、アサーション、アドラー心理学、交流分析、認知行動療法、ゲシュタルト療法、当事者研究、内観、建設的な生き方、トランスパーソナル心理学、からだとことばのレッスン、笑いとユーモア、サイコドラマなどを学び、体験しました。それらの記録は5冊の書籍となり、または年報として出版され、僕たちの宝になっています。
 新しく始まった、新・吃音ショートコースは、それら学んだ多くのことを、日常生活やこれからの人生に、またどもる子どもたちの支援に、どう活かすかを探っていく時間になっています。吃音を切り口にして、生きるということを考える「吃音を生き抜く、吃音哲学」がテーマなのです。
 メディア等で取り上げられる吃音はネガティヴな面が多いのですが、どもりながら豊かに生きている私たちの体験を普遍的なものとして提示し、丁寧に発信していくことが、今一番大切なことだと思っています。新・吃音ショートコースは、そのような場です。
新・吃音ショートコース みんな
 最初からプログラムが決められていないので、そのプログラム作りからスタートしました。
 午後1時半、自己紹介とプログラム作りが始まりました。自己紹介は、ちょっとだけ自己開示をしたものをとお願いしました。その自己紹介の中に、今回のショートコースで取り上げたいいくつかの興味深いテーマがありました。自分なりの課題を持って参加して下さっていることが分かります。
 1日目の終了時刻は、午後9時半。普通の研修会とはちょっと違うぞと感じられたようです。食事時間と、ときどきの休憩はありますが、後は、ひとりひとりの吃音、生活、人生にふれる貴重な時間になりました。話題提供をするのは、ひとりですが、参加している人は、それを自分の経験と照らし合わせながら、自分ごととしてその場にいます。対話を通して、自分に気づき、他者に気づく、深い温かい空間になりました。
 
1.当事者としての自分と、言語聴覚士としての自分の葛藤
 言語聴覚士として働くどもる人が、現場での違和感を率直に話して下さいました。この人がもった違和感、そして、それをみんなの前で話してみようとされた覚悟のようなもの、それは、自分の当事者性を大切にしてきたからこそ生まれたものだと思います。これからどう生きていくか、どう臨床を続けていくか、真剣なやりとりが印象的でした。

2.我が子の名前が言えなかった経験から、子育てを考える
 出産して6ヶ月、ママ友の集まりに出かけ、自分の子どもの名前が出なかった経験を話して下さいました。ママ友が言った「名前、忘れたの?」ということばに深く傷つき、怒りと哀しみを覚えた彼女にとって、何気なく声をかけてくれた相手は「嫌な人」になりました。そのときの嫌な気持ちを100としたら、今はどれくらいかなという問いかけから始まり、今、嫌な気持ちが40ほどに下がってきたのはなぜだろうか、自分にどんな力があったのだろうか、と考えていきました。名前が言えなかった子どもが、中学生くらいになった時、このことを話すとしたらどんなふうに話すかなという話になるころには、彼女にとって嫌だったあの経験は、経験自体は変わらないけれど、その意味づけはまったく違ったものになったようでした。当事者研究風にかかわりました。

3.人とちゃんと深くかかわりたい、つながりたいと思っている青年
 人の悩みのほとんどは、人間関係にあると言えます。深く関わりたいと思いながら、傷つくのが怖いという思いから、関係を作っていくのをためらい、インターネットなどでのつながりを求めていくことは、現代の多くの人が抱えている問題と共通することだと思います。表層のつきあいではないものを求める青年は、自分のこれまでを真摯に振り返りました。家族、特に祖父との関係、学校時代のこと、研究室でのことなど、僕との対話を通して、彼の思考が深くなっていくのが感じられました。「まだみんなの前では言えないこともある」と彼は言いました。当然だろうと思います。何も全てを話すことがいいとは思っていません。まだ言えないことを自分は持っているとの思いを持ちながら、ぼちぼちと、楽に生きることを探っていければと思います。彼とは、これからも対話を続けていきたいと思いました。
新・吃音ショートコース 伸二
4.ことば文学賞の発表
 吃音体験を綴ることで始まった、大阪吃音教室の「ことば文学賞」、今年で第22回目でした。吃音だけに限らず、ことば、人生、仕事、コミュニケーションなど、幅広い視点で体験が綴られています。文学とあるので、構想、構成、ことばの使い方、書き出し、会話の効果的な取り入れ方、ユーモアなど、様々な観点から、作品を読みました。そして、最優秀賞1点と優秀賞2点を選びました。
 作者名を知らされないまま、僕は作品を読みました。そして、3作品を選びました。参加者は、作品の朗読を聞きながら、きっと自分の体験と重ね合わせていたことでしょう。 受賞作品は、日本吃音臨床研究会のニュースレター、「スタタリング・ナウ」紙上で紹介する予定です。

 ざっと2日間の新・吃音ショートコースを振り返りました。
 参加者の感想は、次回、紹介します。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/27

当事者同士でないと理解し合えないのか


 島根県難聴言語教育研修会報告 6
 
 前回に続いて、島根の研修でこんな質問が出されました。 

伊藤さんはどもる当事者で、長年吃音研究・臨床をしてきたから、「吃音を認めて、吃音と共に生きよう」と言えるけれど、私のようにどもる当事者でもなく、若く、経験も浅い人間が、「吃音と共に豊かに生きよう」など、とても言えそうにありません。だから、治したいという子どもには、効果がないかもしれないけれど、音読練習や発声訓練を、つい、してしまいます。どう考えればいいですか。

 この質問は、前回の質問と同じように、言語聴覚士養成の大学や専門学校で、必ず出てくる質問です。私はこのように答えました。
 
 この質問の前提には、同じような経験をした人なら共感し、理解し合えるという、思い込みがあります。「当事者同士は理解し合える」かというと、必ずしもそうではありません。すごくどもる人は、ほとんどともらないのに吃音に深く悩んでいる人のことはおそらく理解できないでしょう。反対に、あまりどもらない人が、一言一言どもって苦労している、その苦労は本当のところは理解できないでしょう。どもる状態が同じ程度であっても、その人の社会的立場、経済力、親の経済力、周りの環境で、その人の悩みや苦労はまったく違います。同じようにどもる経験をしていても、互いに理解できないのです。当事者同士なら理解し合えるは、誤解であり、幻想です。そのような状況に、僕はたくさん出会ってきました。
 そもそも、「人はわかり合えない」が大前提です。その上で理解しようと想像力を働かせる。理解しようと努める。そのために互いが自分を率直に語り合う「対話」が必要なのです。理解しようとすることが、コミュニケーションだとも言えるのです。
 
 どもる人同士でも分からないのですから、みなさん教員や言語聴覚士が、どもる子どものことが分からないのは当然です。だらこそ、「無知の姿勢」で本人に教えてもらうのです。そして、みなさんは、教員として、言語聴覚士として、知り得た、知識、情報はすべて、相手に伝え、その上でどうしようかと、対等の立場で子どもと話し合うのです。「吃音を治したい」といくら子どもが言っても、現実には治療法はないし、多くの人は治っていないのですから、正直にそれを伝えるだけです。その上で、こんなふうに言えるのではないでしょうか。

 「私は吃音は治せないけれど、君が吃音とどう向き合い、どうつきあえばいいか、一緒に考えることはできる。私はどもらないけれど、どもる子どもや、どもる人の体験を直接聞いたり、本を読んで知っているので、その人たちがどう考え、どうつきあっているかを伝えることができる。また、私にも、自分の気に入らないことや、短所といわれるものや、劣等感はあるし、これまでいろんな苦労もしてきた。そんな苦労から、あなたのことは少しだけれど想像はできる。一緒に吃音について、勉強し、考えていきませんか」

 同じような体験をしていないと、その問題についてはっきりと主張できない、提案できない、相談にのれないというのなら、精神科医や臨床心理士、ソーシャルワーカーなど、相談業務に携わる人は、万引きの経験、犯罪経験、離婚経験など、様々な人生経験をしなければならなくなります。そんなことはできるはずもないです。そう話すと、多くの人は笑いますが、理解してくれるようです。

 このようなことを話したことについても、後で話しかけてくれた教員はこう話してくれました。
 
 
「吃音は治療ではない、教育なのだということばに、改めて心が揺さぶられる思いがしました。「どもらないようになりたい」といつまでも考え続けてしまう目の前の生徒に、どもらない私はどうことばを発するべきか、どもらない私のことばをこの生徒はどう受け止めるだろうかと思うことは何度もあります。今日の話の中で、精神科医や臨床心理士が、経験していないことについて語れないのだとしたら…というくだりに、ストンと落ちるものがあり、自分の中で一つ定まったものがあると感じています。本人の気持ちを尊重しつつも、担当者としての思いは伝えることが必要。伝えればいいというのも、私にとっては日頃のかかわりを肯定してもらえたようで、大きいことでした」
 
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/06/22 

吃音が、簡単に治るものでないことを伝えられない人に、僕が薦めている本『母よ嘆くなかれ』(パール・バック著 伊藤隆二訳 法政出版局)

    島根県聴覚言語障害教育研修会報告 5     

 昼食時に、僕に対しての質問を書いてもらいました。30枚ほどの質問をその場で読んで答えていくのですが、僕はこの時間が一番好きです。自分が伝えたいと思うことをなんとか伝えようとして話すことは、好きというよりは、しなければならないことです。僕がどんな講演も断らないのは、僕には、ことばの教室の担当者や言語聴覚士に伝えたいこと、聞いてもらいたいことがあるからです。しかし、それは必ずしも聞き手の皆さんにとっての聞きたいこととは一致しないかもしれません。ところが、質問紙に書いてあることは、その人が自分の意思で聞きたいと思ったことです。その人が聞きたいから、知りたいから、書いて下さったのです。その人に向かって話すこと、僕は、それが好きなのです。また、その質問は、その人だけでなく、他の人にも役立つと考えているからです。その中で、2つの質問を紹介します。

 「吃音に治療法がなく、治っていない人が多いのは分かりましたが、治したいとの思いをもっている人に、治らないかもしれないと伝えるには、その人との関係性ができてからでないとできないと思います。そのような人と関係性をもつにはどうしたらいいですか」

 これはよく出る質問です。子どもとの、保護者との関係がまだできていない、指導が始まった初期の段階では、「治らない」とは言えないというのです。関係性ができてからと考えていると、なかなか、「今が、そのタイミング」だと見つけるのは、それこそ名人芸の域だと思います。関係性のできていない初期段階で、「吃音を治すことはできないけれど、吃音から受けるマイナスの影響は予防することはできるし、吃音と共に豊かに生きることはできる。そのことを一緒に考え、取り組みましょう」などと、丁寧に話すことはできます。僕の吃音ホットラインという電話相談では、すべてが初対面で、関係性はできていません。その中でも丁寧に説明すればほとんどの人が理解してくれます。その時、「治っていない」という、その人にとってネガティヴな情報は20%で、後の80%は、どもりながらちゃんと生きている子どもや大人がいること、どうしたら吃音に勝たないまでも負けない子どもに育てられるかのヒントは、話すことができます。
 多くの人は、「そのうち成長していけば治る」と小児科医師などから言われたと言います。僕が、「自然治癒」といわれる現象はあるけれど、せいぜい45%程度で、もし自然治癒が75%などと言われたら、それは頭から信じない方がいい。「自然治癒」しないで、どもっていても、問題がないような子育てを考えませんか? と提案すると、多くが賛成してくれます。僕は、僕の書いた本や、親の会が発行するパンフレットを紹介します。そして、困ったとき、何か知りたいときは、いつでも電話して下さいといって吃音ホットラインが終わります。
 専門家として知り得た事実をきちんと伝えること、それがことばの教室の担当者としての役割で、関係性がまだ持てていないと感じても伝える必要があるのです。
 「関係性ができてから伝えるのではなく、事実をきちんと伝えることによって、関係性ができるのです」と締めくくりました。これは僕のゆるぎない立場です。

 これは、1972年、大阪教育大学で学んでいるとき、神山五郎教授が必読の書として紹介していた、ノーベル文学賞受賞者パールバックの「母よ嘆くなかれ」(法政大学出版局)に強く共感したことがベースになっています。僕が読んだ当時とは訳者が変わっていますが、今も出版されているロングングセラーなので、質問をして下さった方に、是非お読み下さいと薦めます。

 僕の一日の講義が終わった後、何人かの人が話しかけてくれました。
 「吃音の話を通して、通級で関わる全ての子どもにもつながることを教えていただいたと思います。その子を信頼し、どもりながらでも、この子はしっかり生きていく、この子はきっと成長し、変わっていくというまなざしで子どもに接し、目には見えなくても子どもの中の芯となる部分を、子ども自身が育てていく手助けができるようになりたいと思いました。「関係性ができてから、相手と話すのか?」の問いは、自分が今悩んでいたことでもあり、「関係性ができているから話すのではなく、話すから関係性ができていく」ということばでした。正直な思いを伝えたいけれど、率直な思いを話すことで、相手が傷つかないだろうか、関係が壊れてしまわないだろうかと、どこか怖さのようなものを感じて踏み込めずにいました。しかし、それをどう受け止めるかは相手次第であり、思いに寄り添いながらも自分の知り得る情報の中で、必要なことを的確に伝えていくことが大切な役割であると改めて気づくことができました。「治したい」「治ると信じている」という保護者に対しては、もっとしっかり対話をしていきたいと感じました。そして、何よりも困難な状況の中でも、ちゃんと生きている人がいるということを忘れず、子どもたちのやりたいことの後押しができる職員になりたいと思いました」

 このような内容のことを話して下さいました。しっかりと伝わったとうれしくなりました。

 もう一つの質問は、次回に回します。


 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/06/21

健康生成論で読み解く、ある社会のできごと


   島根県聴覚言語障害教育研修会報告 4

 週末の「新・吃音ショートコース」は、とても濃厚な、深い2日間でした。また、報告するとして、今日は、中断していた、島根県聴覚言語障害教育研修会報告です。
 今回は、1970年代から1980年代に提唱された、アーロン・アントノフスキーの「健康生成論」が、40年経った今、再び注目され、レジリエンスやポジティブ心理学と連動し、大きく注目されていることを受けて、それを吃音の教育・臨床に生かす話をすることにしていました。健康生成論について、一度でも聞いたことがあるかとまず質問しましたが、誰もいませんでした。一方的に講義のように話しても、新しい知識はなかなか入っていかないだろうと思い、今、みんなも知っている話題から入ることにしました。また、グループで話し合いができるよう、設定しました。
 「元農林水産省の事務次官が、ひきこもりがちな自分の息子を殺害した事件がありました。私の仲間には、ひきこもりの若者や、その家族を支援する仕事をしている人がいて、とても他人事とは思えません。そこで、あの元事務次官に、どのような<力>があれば、あの残念な事件を防ぐことができたか、グループで話し合って、後で報告して下さい」
 これだけ話して、グループで話し合ってもらいました。そして、各グループから出てきた話に、僕なりにコメントしていきました。僕と同年代のあの親の苦悩はとても理解できますが、どのような<力>が彼にあれば、あの不幸な事件は防げたのでしょうか。それを、僕は健康生成論的に説明していきました。

 1970年代、医療社会学者、アーロン・アントノフスキーは、アウシュビッツの強制収容所の想像を絶する恐怖を経験し、何年も難民であり続けても、健康な状態をもち続けた3割の女性はなぜ健康でいられたのか。彼女らへのインタビューから、その人たちの特徴を抽出したのが、首尾一貫感覚(Sense of Coherence)です。
 「ストレスフルな出来事・状況にあっても、その人の内外にある資源を上手に動員し、糧にさえ変えて、健康で元気に明るくいきいきと生きていくことを可能にする力」として、首尾一貫感覚として3つを挙げました。

把握可能感 自分の置かれている状況を一貫性のあるものと理解し、説明や予測が可能とする感覚。
処理可能感 困難な状況に陥っても、解決し、先に進める能力や、困難を乗り越えるに必要な“資源”(相談できる人やお金、知力など)があり、それを引き出せる感覚。
有意味感 いま行っていることが、自分の人生にとって意味のあることで、時間や労力など、一定の犠牲を払うに値するという感覚。

 元農林水産省の事務次官に、この首尾一貫感覚(Sense of Coherence)があれば、あの悲惨な事件は防げたのではないかというのが僕の考えです。
 「若者のひきこもり」について、親として、人間として、学んで整理していたら、長年続いた息子のひきこもりについて、「把握可能感覚」がもてたでしょう。そのチャンスは何度もあったのです。また、相談できる機関を調べ、SOSを出して一緒に考えてくれる人がいたら、「処理可能感」をもてたでしょう。そして、今、自分の人生にとって、息子の人生にとっても、この問題にちゃんと取り組むことに意義があるとの<有意味感>をもっていれば、息子と向き合い、取り組めたでしょう。そう考えると、僕は、残念でならないのです。
 このように、アントノフスキーの首尾一貫感覚は、今起こっている社会のできごとについて整理するときの視点を提供してくれます。
 そのような話をして、その健康生成論を吃音の教育・臨床に活用しようと提案したのが、午前中の3時間でした。吃音と健康生成論については、これから何度も触れることになると思います。午前中の3時間を受講して下さった92名のことばの教室、難聴教室、支援学級の担当者は、とても興味をもって聞いてくれているように僕には思えました。
 そして、休憩に入って、僕に対して質問を書いてもらいました。午後の最初にその質問のすべてに答えることにしました。そのことは次回に。

 2019/06/19 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二

吃音と向き合うにふさわしい、健康生成論、レジリエンスの時代

島根県研修報告 3

 島根県には、島根スタタリングフォーラムで毎年来ていますが、島根県・難聴言語障害教育研究会での研修で講義をするのは4年ぶりくらいでしょうか。大石益男さんの思想が根付く島根は、僕にとってとても話しやすい県のひとつです。
 今回の話の中心は、精神医療・福祉の世界では大転換が起こっているのに、なぜ吃音の世界では大転換が起こらないのかとの疑問をなげかけ、大転換を作り出した、健康生成論、レジリエンス、ポジティブ心理学などと吃音との関係を紹介することにしています。
島根聴言研 パワポスクリーン ところが実は、1976年に、僕はすでに大転換を起こしているのです。「吃音者宣言」です。「吃音を治す・改善する」が、どもる人、どもる子どもにとって、幸せにつながる道だと、誰もが信じて疑わなかった大前提を転換することを、僕は提案したのです。それが、「吃音を治す努力の否定」と「吃音者宣言」です。構想から発表するまでは半世紀も前のことですが、僕は、今でもその考え方は全く変わらないどころか、ますます一つの方向としては正しかったと信じています。なぜなら、50年の風雪を耐えて、今まだ残っていることになるからです。
島根聴言研 会場全体みんな 僕は、今までほとんど語ることがなかった「吃音者宣言」について、再び語るようになりました。それは、1970年から1980年代という同じ時期に提案された、アーロン・アントノフスキーの「健康生成論」が40年以上の歳月を経て、今再び脚光を浴びているからです。また、レジリエンスも最近注目され、当事者研究、オープンダイアローグなど、僕がこれまで考え、実践してきたことと、とても似ていることが、集中して紹介されるようになったからです。
 とても傲慢に聞こえるかもしれませんが、1965年に創立したセルフヘルプグループ・言友会の活動の中で、50年前に構想し、発表した「吃音を治す努力の否定」「吃音者宣言」の路線が、吃音の世界では無視され、軽視されてきましたが、精神医療、福祉、臨床心理などの世界では、間違っていなかったことが証明されたように思えるのです。
島根聴言研 伸二講演中 吃音について語りながら、健康生成論やレジリエンス、ナラティヴ・アプローチや当事者研究、オープンダイアローグなどについても話せることはとてもありがたいことです。
島根聴言研 書籍販売 「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」は今年で8回目になり、これまで、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンス、当事者研究、オープンダイアローグ、哲学的対話などをテーマにしてきました。今後、「健康生成論」についても話していきますが、「健康生成論」について公の場で話すのは今回が初めてです。島根県の支援教育にあたる教員のみなさんが、どう受け止めて下さるかとても楽しみで、研修会資料を用意しました。
 今回の島根県の報告を3日連続でする予定でしたが、突然舞い込んだ仕事などで、できませんでした。今日から「新・吃音ショートコース」が2日間の日程で始まります。それが終わってから、もう一度仕切り直して報告したいと思います。
 21年間様々な領域から講師を招いて学んできた「吃音ショートコース」を終えて、「新・吃音ショートコース」では、参加者ひとりひとりのテーマについて、じっくりと、当事者研究風に、ナラティヴ・アプローチ的に、オープンダイアローグ的に話し合います。参加申し込み書の中には、それぞれ、今後の人生に影響しそうな、人生の大きなテーマが書かれています。気合いを入れて、しかし気負わずに、楽しく向き合っていこうと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/15

大石益男さんの思想が根づく島根の聴覚言語障害教育



島根県での研修報告 2

 島根県の研修は、3日間行われ、僕は、その最終日の7日に、吃音を担当しました。午前3時間、3時間、計6時間の講義です。6時間しゃべっても、それでも、足りないくらいでした。
 前日の夕方、出雲空港から島根入りをしたのですが、夜には懇親会が開かれました。懇親会の会場は、ホテルの近くで、僕が着いたときには、広間に18人ほどが集まっていました。
 冒頭、事務局長の吾郷典子さんが挨拶し、その後、ひとりひとりの自己紹介が始まりました。それは、僕との出会いを織り込んだ自己紹介でした。
島根聴言研 懇親会6人 吾郷さんは、22年前、国立特別支援教育総合研究所の短期研修で、僕の吃音の講義を受けました。「しじみちゃん」という愛称で呼ばれていたのを思い出します。宍道湖のしじみです。そのとき、吾郷さんが僕に「島根にぜひ来てほしい」と言ってくれたのです。その年の年末年始、僕は恒例となっていた玉造温泉で過ごしていました。そのときに、前のブログに書いたように、暮れも押し詰まった、多分12月26日か27日頃に、研修会が開かれたのです。そんな日程だったのに、たくさんの人が集まってくれました。
 懇親会には、僕と初めて会うという担当者も参加して、おもしろかったのは、本は読んでいたけれど、著者の実物に会いたいと思っていて、会えてよかったと言ってくれた人がいたことです。本物がいる!という感じなのだそうです。ありがたいことです。
 ことばの教室のベテランの安部満明さんは、僕は忘れていたのですが、国立特殊教育総合研究所時代に、「ショートコース 吃音」という3日間の研修会で、僕の吃音の講義を聞いたのが最初だったと話してくれました。その研修会を企画したのは、島根県のことばの教室の草分け的存在の大石益男さんでした。
 大石益男さんは、島根県では、伝説の人です。僕が、大石さんに会ったのは、1975年でした。当時、大阪教育大学の教員だった僕は、その年、全国巡回吃音相談会で、全国を回りました。3ヶ月をかけ、35都道府県38会場で、吃音相談会をしました。その相談会で、多くのことばの教室の先生に会いました。大石さんも、その中の一人でした。島根県松江市の雑賀小学校ことばの教室担当だった大石さんが、会場設定から宣伝から、いろいろとお世話をして下さいました。そこから、大石さんとのつきあいが始まったのです。
 その後、大石さんは、国立特別支援教育総合研究所の室長になり、念願だった大学教授になって、松江に戻ってきました。ところが、残念なことに、これからという矢先に病に倒れ、亡くなりました。島根との関係で、大石さんとのことは外せません。大石さんは、「障害を治す、改善する」ではなく、その子どもの「暮らし」を大事にすることを貫いた人でした。吃音は、言語訓練ではなく、「自分と他者を大切に、日常生活で話していく」と主張してきましたので、僕と共通することはたくさんありました。基本的な考えが共通していて、同年代の大石さんとは、今後、いろいろな研究や実践ができると思っていたのに、本当に残念でした。懇親会の自己紹介で「大石益男」さんの話が出てくる度に、大石さんとのことを思い出していました。
 大石さんのピンチヒッターで講演したこともありました。大石さんは、病に倒れる前、静岡県の言語障害教育県大会で講演することになっていました。体調がすぐれず、代わりに講演してくれないとかと依頼を受け、僕は、静岡県大会で講演しました。
 また、チャールズ・ヴァン・ライパーの著作である『The Treatment of Stuttering』の本を翻訳しようと、吃音研究者や全国のことばの教室の担当者、どもる人などで、翻訳プロジェクトを立ち上げたときには、いち早く手を挙げ、参加してくれました。何度か合宿し、翻訳したものをみんなで検討していました。内須川洸・筑波大学教授を中心としたこのプロジェクトも、僕が他のことで忙しくなり、5回ほどの合宿で頓挫してしまったこと、今更ながら残念で、申し訳ないことをしました。
 また、大石さんと共通の友人だったのが、高知県のことばの教室担当者で、後に、京都大学医学部付属病院の音声言語外来に移り、さらに京都教育大学教授になられた川野通夫さんです。その川野さんのことも、昨年末、高知市に行ったとき、ブログで書いています。高知での相談会の直前に、川野さんのお連れ合いと電話で話したのですが、川野さんは、今年初めに亡くなりました。そんなことを思い出しながら、僕は懇親会の席にいました。
 島根大学教授の原広治さんも、懇親会にかけつけてくれました。原さんとも、古くからのつきあいです。
島根聴言研 懇親会全体 吃音一筋で生きてきて、いろいろな人とのかかわりがあって、今、ここにいるのだなあと、しみじみと幸せを感じました。二次会には、10人以上が参加し、12時近くまで、吃音について、子どもについて、教育について、話すことができ、いい仲間との時間を過ごしました。

 年間に6回も聴覚・言語障害教育の研修を組んでいる島根県。研修はもちろん、飲んで、しゃべるという文化が、人と人とを結びつけ、子どもの暮らしに活かされているのだと思います。そんな故郷のような島根での居心地のいい時間でした。
 さあ、翌日から、いよいよ僕の吃音の講義です。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/12

出雲市での、どもる子どもとの対話〜自信と劣等感〜

島根県での研修報告 1

 2019年6月6日、久しぶりに出雲空港に降りました。
 2016年の、第45回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会・島根大会以来です。今回は、島根県の聴覚言語障害教育春季研修会が3日連続して行われていて、最終日の7日に、僕の担当する吃音についての一日6時間の研修が組まれています。ことばの教室の経験の浅い担当者が増えてきて、できるだけ早い時期に研修を持ちたいという事務局の企画でした。常に学び続けることの大切さを文化として引き継いでいる島根県のことばの教室は、すばらしいと思います。
 空港には、ことばの教室の担当者2人と小学5年生の男の子が迎えに来てくれました。小学5年の男の子は、僕と話がしたいということで、受け持っていることばの教室の担当者が連れてきてくれたのです。駐車場に行くまで、「何年生?」「5年生です」など一言二言ことばを交わした後、車に乗って宿泊先のホテルに着くまでの30〜40分間、後部座席でいろいろと話をしました。
 彼は、4年生までは軽い連発だったそうですが、最近はことばが出なくて、本人のことばでいうと、難発になったとのことでした。周りから変に思われるのが嫌だと言います。どうしたいかと聞くと「治したい」と言います。僕は、吃音はそんなに簡単に治るものではないことと、75歳になり、こんなにいろいろなところで講演したり講義したりしている僕でも、いまだにどもっていることを話しました。あっさりと「治らない」と言いましたが、次に、将来についての話になりました。彼は、バスケット選手になりたいそうですが、バスケットクラブで、ボールを持って、味方にパスをするときに声をかけることになっているのだけれど、そのことばが出ないことで今困っていると話しました。僕は、剣道で相手に打ち込んだときに「面!」「胴!」と言えずに困っているという話は聞いたことがありますが、バスケットについては初めてでした。「所属しているクラブで決まっていることばでなくても、どんなことばでも出せばいい」、それがダメなら「吃音について話せばいい」などと、いろいろと具体的な対処方法を提案しながら、アメリカの、プロのバスケット選手、ボブ・ラブのことを彼に話しました。こんな時、いろんな人の吃音人生を知っていることは、僕の強みです。

 ボブ・ラブは、子どものころから吃音に苦しみ、いじめられた経験からプロのバスケットの世界に入ったと講演の中で語っています。アメリカのプロバスケットチームNBAの元スーパースターでしたが、試合に勝ったときのヒーローインタビューや雑誌の取材などは一切断り、吃音については向き合うことなく、避けていました。現役のときは、バスケットに集中し、吃音を無視していたので、どもることで困ることはありませんでした。ボブ・ラブが困ったのは、現役を引退してからでした。吃音と向き合わざるを得なくなったからです。
 
 ホテルに着いたので、彼とは別れました。少し休憩してから、研修に参加していることばの教室担当者18人くらいと懇親会に出ました。そこに、彼の担当者が参加していました。ホテルに着き、僕と別れてから、ファミリーレストランでアイスクリームを食べながら、どうだったか話をしたそうです。そしたら、僕と話すことができて感激してアイスクリームが喉を通らないくらいだったとのことでした。75歳の僕の話を、小学5年生が聞いて、何か感じるところがあったとしたら、こんなに幸せなことはありません。
 話題になったバスケットボールのボブ・ラブについて、「自信と劣等感」という視点でかなり前に文章を書いているので、紹介しましょう。


  
自信と劣等感

 「吃音のコンプレックスと戦うためにバスケットを続けた」
 1997年8月。シカゴブルズの親善大使、ボブ・ラブさんは子どものころから吃音に苦しみ、いじめられた経験からプロのバスケットの世界に入ったことを大阪で講演した。 NBAの元スーパースター、ボブ・ラブさんの半生は、自分の苦悩の人生をかけて、あるいは人生を通して、大切なことを私たちに伝えて下さっている。
 ボブさんがバスケットで得た数々の栄光は、自信は、吃音の劣等感を和らげることにはならなかった。それでも、バスケットに集中できた現役時代には吃音を無視することができた。しかし、現役を引退すると吃音と向き合わざるを得なくなる。吃音のために再就職ができず、やっと得た仕事がレストランでフロアーの掃除や皿を洗う仕事だった。スーパースターだった時の年収と栄光との落差に、この15年間をボブさん自身「最も苦悩に満ちた屈辱の日々」と述懐する。
 なぜこのようなことが起こったのだろう。それは、ボブさんがバスケットの技術は超一流でも、吃音とつき合う術を知らなかったからだ。吃音については、治療を含めて何も試みなかった。試合前のインタビューやヒーローインタビュー、テレビ、雑誌の取材など、公的なスピーチだけでなく、マクドナルドでハンバーガーを注文することすら避けていた。
 レストランのオーナーに吃音治療をすすめられ、いいセラピストに出会えたことは幸運だった。そのセラピーの中で、初めて吃音と直面ができ、真剣に吃音に取り組めた。
 「重度の吃音者が、吃音を克服してブルズの親善大使として成功する」このように紹介されるボブさんの体験は、一般的には、言語治療の成功例として受け止められるかもしれない。《1年半の会話練習で障害を克服》などと、言語治療で話せるようになったことがあまり強調されると、吃音治療は効果があり、ボブさんのように努力をすれば治るのだととらえられる。
 しかし、私はそうは思わない。言語治療は、ボブさんが初めて吃音と直面し、吃音に取り組むきっかけを作ったに過ぎない。会話練習そのものよりも、40歳を過ぎるまで取り組まなかった吃音に直面し、真剣に取り組んだことが重要なのだと思う。
 「劣等感をバネにする」という生き方がある。確かに、劣等感をバネにして、努力し、何かを成し遂げたと紹介される、いわゆる偉人は少なくない。「今に見ていろ、私だって」と、自分に劣ったものがあると意識した時、それに代わるもので自信をつけようとする。そのことで一定の成功感、自信を得ても、劣等感をもった事柄に向き合うことがなければ、その自信は、砂上の楼閣のようなものだろう。ボブさんの自信はそのようなものだった。
 自信は、「何かに他者より優れている」というような相対的な自信と、「例え何々ができなくても、私は私だ」という揺るぎない自己信頼感からくる自信の二通りがあるように思う。
 相対的な自信は不安定だ。常に強敵は現れ、競争にはきりがない。またそれを維持するための不安も起こる。相対的な自信だけでは、自己信頼感は生まれない。
 どうしたら自己信頼感が得られるのだろうか。できないことはできないと受け入れ、劣等感をもった事柄に直面し、不安や恐れがあっても、その苦手なものに取り組む過程の中でこそ、自己信頼感が生まれ、育っていくのではないか。
 ボブさんの場合、バスケットで得た自信をどうすれば生かすことができたであろうか。話題は自信のもてるバスケットに関してのことだ。自信のあることは比較的話しやすい。逃げることなく、どもってもインタビューを引き受ける。そうすれば、例えひどくどもりながらインタビューで話しても、ボブさんが恐れた嘲笑したり蔑む人が中にはいたかもしれないが、多くは聞いてくれただろう。どもったからといって、選手としての実績、栄光には変わりはないことに気づいたことだろう。
 ボブさんの体験は、吃音を隠し、吃音から逃げるのではなく、吃音に直面し、それに真剣に取り組むことの必要性と大切さを教えてくれている。
 「吃音を忘れて何かに打ち込もう。吃音以外の何か自信のもてるものをみつけよう」これらが、あまり役に立たないことをボブさんの半生が示してくれている。(1998.5.31)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/9

島根県のことばの教室との長いつきあい

島根県のことばの教室との長いつきあい

 2019年6月7日、島根県出雲市で、島根県・聴覚言語障害教育の春季研修会が開かれます。事務局によると、新しいことばの教室の担当者も増えてきたので、できるだけ早いうちに、研修の機会をもちたいと考え、5・6・7日の3日間の研修会をするのだそうです。このように担当者の研修を大切にしている島根県はすごいなと思います。これまでのいい文化が受け継がれているのでしょう。
 僕は、何回も島根県の研修で講義をしていますが、4年ぶりに、島根県で丸一日、吃音の講義をすることになりました。昨日、レジメを完成させ、事務局に送りました。

 島根は、「島根スタタリングフォーラム」というどもる子どもと保護者のための吃音キャンプもしています。今年で21回になります。そのキャンプをするようになったきっかけは、今回のような研修会の場でした。

 21年前、僕は、年末年始を、島根の玉造温泉で過ごすため、島根に行きました。せっかく島根に来ているのだからと、ことばの教室の教員が企画してくれて、年末の忙しいときに、研修会がもたれました。泊まってい厚生年金の保養施設に迎えに来ていただき、帰りも送っていただきました。帰りが遅くなり、施設の方に裏口を開けてもらったことを覚えています。そのときの打ち上げの場で、キャンプをしようと盛り上がったのです。フォーラムの事務局の担当者は何回か代替わりしていますが、ずっと続いてきて、今年、21回目です。
 そんなことで、島根県のことばの教室担当者との関係は古く、長く、深く続いています。
 決定的だったことは、僕が、21歳のとき、東京正生学院で出会った初恋の人が島根県出身だったことです。講演などではよく話すことですが、この初恋の人のおかげで、僕は、吃音を認め、人を信じることができ、これまで生きてくることができたのです。
 初恋の人については、以前、文章を書いていますので、紹介します。


    初恋の人              『新・吃音者宣言』芳賀書店
 小学2年生の秋から、どもることでいじめられ、からかわれ、教師から蔑まれた私は、自分をも他者をも信じることができなくなり、人と交わる術を知らずに学童期、思春期を生きた。凍りつくような孤独感の中で、不安を抱いて成人式を迎えたのを覚えている。
 自分と他者を遠ざけているどもりを治したいと訪れた吃音矯正所で、私の吃音は治らなかった。しかし、そこは私にとっては天国だった。耳にも口にもしたくなかったどもりについて、初めて自分のことばで語り、聞いてもらえた。同じように悩む仲間に、更にひとりの女性と出会えた。吃音矯正所に来るのは、ほとんどが男性で、女性は極めて少ない。その激戦をどう戦い抜いたのかは記憶にないが、二人で示し合わせては朝早く起き、矯正所の前の公園でデートをした。勝ち気で、清楚で、明るい人だった。
 吃音であれば友達はできない、まして恋人などできるはずがないと思っていた私にとって、彼女も私を好きになっていてくれていると実感できたとき、彼女のあたたかい手のひらの中で、固い氷の塊が少しずつ解けていくように感じられた。
 直接には10日ほどしか出会っていない。数カ月後に再会したときは、生きる道が違うと話し合って別れた。ところが、別れても彼女が私に灯してくれたロウソクのような小さな炎はいつまでも燃え続けた。長い間他者を信じられずに生きた私が、その後、まがりなりにも他者を信じ、愛し、自分も愛されるという人間関係の渦の中に出て行くことができたのは、この小さな炎が消えることなく燃え続けていたお陰だといつも思っていた。
 この5月、島根県の三瓶山の麓で、どもる子どもだけを募ってのキャンプ『島根スタタリングフォーラム』が行われた。このようなどもる子どもだけを対象にした大掛かりな集いは、私たちの吃音親子サマーキャンプ以外では、恐らく初めてのことだろう。島根県の親の会の30周年の記念事業として、島根県のことばの教室の教師が一丸となって取り組んだもので、90名近くが参加した。
 「三瓶山」は、私にとって特別な響きがある。彼女の話に三瓶山がよく出ていたからだ。
 「今、私は他者を信じることのできる人間になれた。愛され、愛することの喜びを教えてくれたあの人に、できたら会ってお礼を言いたい」
 30人ほどのことばの教室の教師と、翌日のプログラムについて話し合っていたとき、話が弾んで、何かに後押しされるように、私は初恋の人の話をしていた。その人の当時の住所も名前も決して忘れることなくすらすらと口をついて出る。みんなはおもしろがって「あなたに代わって初恋の人を探します!」と、盛り上がった。絶対探し出しますと約束して下さる方も現れた。
 三瓶山から帰って2日目、島根県斐川町中部小学校ことばの教室からファクスが入った。
「初恋の人見つかりました。なつかしい思い出だとその人は言っておられましたよ」
 私は胸の高鳴りを押さえながら、すぐに電話をかけた。34年間、私に小さな炎を灯し続けてくれた彼女が、今、電話口に出ている。三瓶山に行く前には想像すらできなかったことが、今、現実に起こっている。その人もはっきりと私のことは覚えており懐かしがってくれた。会場から車でわずか20分の所にその人は住んでいたのだった。電話では、《小さな炎》についてのお礼のことばは言えなかったが、再会を約して電話を切った。
 どもる子どもたちとのキャンプ。夜のキャンドルサービスの時間に、ひとりひとりの小さなローソクの炎は一つの輪になって輝いていた。子どもたちと体験したこの一体感が、私にその話をさせ、さらに34年振りの再会を作ってくれたのだ。子どもたちとの不思議な縁を思った。
 子どものころ虐待を受けた女性が、自分が親になったときに子どもを虐待してしまう例は少なくない。しかし、夫からの愛を一杯受け、夫と共に子育てをする人は子どもを虐待しない。
 人間不信に陥った私が、人間を信頼できるようなったのは彼女から愛されたという実感をもてたからだ。この子どもたちは、小さな炎と出会えるだろうか。小さくても、長く灯り続ける炎と出会って欲しい。一つの輪になったローソクの小さな、しかし、確かな炎を見つめながら願っていた。(1999.6.19)

 この話には、後日談もあります。
 再会を約束した彼女と、松江市の駅前で待ち合わせて、34年ぶりに会いました。
私に、人は信じうるという小さな炎を灯し続けてくれた人。もう会うことはないと思っていたが、決して忘れることのなかった人です。待ち合わせの場所での出会いはおもしろいものでした。少し早く指定の場所に行き、彼女を待ちました、多くの人が通りかかる所です。この人かな、あの人かな、この人でないように、などいろんな思いがめぐりました。相手も、僕と同じような思いだったらしいです。
 「あっ、この人だ!」一瞬に35年間が縮まりました。もちろん体型も顔も変わっていますが、面影ははっきりと残っています。昔の二人に戻るのにそれほど時間はかかりませんでした。2時間も話せればそれでいいと思っていましたが、予定していなかった食事も含めて6時間も話し込んでいました。
 「21歳の時の伊藤さんは、かなりどもっていた。こんなにどもっていても、一所懸命自分を語り、前をみつめている姿に勇気づけられた」
 僕だけが、彼女から生きる勇気をもらったと思っていたのですが、私も、彼女に、少なからず影響を与えていたのだと聞いて、とてもうれしかったです。

 こんな思い出のある島根での研修。92名が参加すると聞いています。どんな出会いがあるか、とても楽しみです。
 話すテーマは、健康生成論。2019年の僕のテーマは、健康生成論です。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/5
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