伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2018年11月

第20回島根スタタリングフォーラム 初恋の人

第20回島根スタタリングフォーラム 初恋の人

 島根スタタリングフォーラムに関するエピソードの第二段として、「初恋の人」を紹介します。
島根フォーラム じゃんけん列車島根フォーラム パワポ表紙
 他者への信頼を取り戻せた体験として、僕がよく話をする「初恋の人」は、三瓶の出身でした。どもりを治すために行った東京正生学院で出会った人です。第1回のフォーラムの時、スタッフの打ち合わせで翌日のプログラムについて話し合っているとき、その場の雰囲気で、僕は、初恋の人の話をしていました。参加していたスタッフが僕以上に盛り上がって、「初恋の人、探します!」という声があがり、そして実際に探し当てて下さったのです。
 すぐに電話をし、松江で会う約束をしました。その1年後に会うことができました。「初恋の人、探します」という番組が以前ありましたが、実際に初恋の人と再会できるとは、これだけとっても、僕はラッキーな幸せな男だとつくづく思います。

 少し早めに待ち合わせ場所に行って、この人かな、あの人じゃない方がいいなとか、行き交うたくさんの人を見ていました。そして、ひとりの女性が近づいてきて、この人だ!とすぐに分かりました。あのときと変わらず、すてきな人でした。少し話すだけと思っていたのですが、6時間も話しこんでしまいました。

 そんな思い出深い話をもつ島根スタタリングフォーラム。今年もいつものように、前日に広島に行き、事務局の森川和宜さんに車で迎えに来ていただきました。夕食は、いつも行く「ケンブロー」というトンカツの店。ここで、北海道「べてるの家」の向谷地生良さんと偶然に出会ったこともありました。何かとエピソードの多い島根です。

 では、1999年に書いた「初恋の人」を紹介します。
 
    
初恋の人
                             伊藤伸二
                       『新・吃音者宣言』(芳賀書店)

 小学2年生の秋から、どもることでいじめられ、からかわれ、教師から蔑まれた私は、自分をも他者をも信じることができなくなり、人と交わる術を知らずに学童期、思春期を生きた。凍りつくような孤独感の中で、不安を抱いて成人式を迎えたのを覚えている。
 自分と他者を遠ざけているどもりを治したいと訪れた吃音矯正所で、私の吃音は治らなかった。しかし、そこは私にとっては天国だった。耳にも口にもしたくなかったどもりについて、初めて自分のことばで語り、聞いてもらえた。同じように悩む仲間に、更にひとりの女性と出会えた。吃音矯正所に来るのは、ほとんどが男性で、女性は極めて少ない。その激戦をどう戦い抜いたのかは記憶にないが、二人で示し合わせては朝早く起き、矯正所の前の公園でデートをした。勝ち気で、清楚で、明るい人だった。
 吃音であれば友達はできない、まして恋人などできるはずがないと思っていた私にとって、彼女も私を好きになっていてくれていると実感できたとき、彼女のあたたかい手のひらの中で、固い氷の塊が少しずつ解けていくように感じられた。
 直接には10日ほどしか出会っていない。数カ月後に再会したときは、生きる道が違うと話し合って別れた。ところが、別れても彼女が私に灯してくれたロウソクのような小さな炎はいつまでも燃え続けた。長い間他者を信じられずに生きた私が、その後、まがりなりにも他者を信じ、愛し、自分も愛されるという人間関係の渦の中に出て行くことができたのは、この小さな炎が消えることなく燃え続けていたお陰だといつも思っていた。
 この5月、島根県の三瓶山の麓で、どもる子どもだけを募ってのキャンプ『島根スタタリングフォーラム』が行われた。このようなどもる子どもだけを対象にした大掛かりな集いは、私たちの吃音親子サマーキャンプ以外では、恐らく初めてのことだろう。島根県の親の会の30周年の記念事業として、島根県のことばの教室の教師が一丸となって取り組んだもので、90名近くが参加した。
 「三瓶山」は、私にとって特別な響きがある。彼女の話に三瓶山がよく出ていたからだ。
 「今、私は他者を信じることのできる人間になれた。愛され、愛することの喜びを教えてくれたあの人に、できたら会ってお礼を言いたい」
 30人ほどのことばの教室の教師と、翌日のプログラムについて話し合っていたとき、話が弾んで、何かに後押しされるように、私は初恋の人の話をしていた。その人の当時の住所も名前も決して忘れることなくすらすらと口をついて出る。みんなはおもしろがって「あなたに代わって初恋の人を探します!」と、盛り上がった。絶対探し出しますと約束して下さる方も現れた。
 三瓶山から帰って2日目、島根県斐川町中部小学校ことばの教室からファクスが入った。
「初恋の人見つかりました。なつかしい思い出だとその人は言っておられましたよ」
 私は胸の高鳴りを押さえながら、すぐに電話をかけた。34年間、私に小さな炎を灯し続けてくれた彼女が、今、電話口に出ている。三瓶山に行く前には想像すらできなかったことが、今、現実に起こっている。その人もはっきりと私のことは覚えており懐かしがってくれた。会場から車でわずか20分の所にその人は住んでいたのだった。電話では、《小さな炎》についてのお礼のことばは言えなかったが、再会を約して電話を切った。
 どもる子どもたちとのキャンプ。夜のキャンドルサービスの時間に、ひとりひとりの小さなローソクの炎は一つの輪になって輝いていた。子どもたちと体験したこの一体感が、私にその話をさせ、さらに34年振りの再会を作ってくれたのだ。子どもたちとの不思議な縁を思った。
 子どものころ虐待を受けた女性が、自分が親になったときに子どもを虐待してしまう例は少なくない。しかし、夫からの愛を一杯受け、夫と共に子育てをする人は子どもを虐待しない。
 人間不信に陥った私が、人間を信頼できるようなったのは彼女から愛されたという実感をもてたからだ。この子どもたちは、小さな炎と出会えるだろうか。小さくても、長く灯り続ける炎と出会って欲しい。一つの輪になったローソクの小さな、しかし、確かな炎を見つめながら願っていた。(1999.6.19)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/11/2

第20回島根スタタリングフォーラム 老舗鰻屋のタレ

第20回島根スタタリングフォーラム  老舗鰻屋のタレ

 10月27・28日、第20回島根スタタリングフォーラムがありました。滋賀県で開催している吃音親子サマーキャンプは、来年30回ですが、それに次ぐ回数を重ねています。始めたときは、まさか20回まで続くとは、誰も思ってはいなかったのではないでしょうか。僕は、1回目からずっと参加しています。島根フォーラム 横断幕島根フォーラム 出会いの広場

 第7回島根スタタリングフォーラムを特集した『スタタリング・ナウ』(2006年1月、NO.137号)に、僕は、「老舗鰻屋のタレ」と題する一面記事を書いています。第1回目の親の話し合いの時間は、僕の一方的な講演でしたが、その後、話し合いや学習会的な要素が加わり、老舗の味わいが出てきたと書いています。7回でもすごいと思いましたが、今回、20回目を迎えて、僕も感慨ひとしおでした。
 島根には、たくさんの出会いがあります。第2の故郷とも言えるような場所です。人への信頼を取り戻せた体験として、僕がよく話をする「初恋の人」も、島根のこのフォーラムでの出来事でした。「初恋の人」も、紹介しようと思いますが、今回は、「老舗鰻屋のタレ」を紹介します。

    
老舗鰻屋のタレ
           日本吃音臨床研究会 伊藤伸二
     2006年1月21日 『スタタリング・ナウ』NO.137

 どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトは、名称の変更はあったが、創立して40年になる。ミーティングである大阪吃音教室は、週1回のペースでずっと続いてきた。「吃音を治す、軽くする」路線から、「吃音と向き合い、吃音とともに生きる」路線へ、新たな視点での活動に切り換えてからも30年以上がたつ。
 毎週毎週40年も飽きませんかと尋ねられることがある。吃る状態に焦点を当てた取り組みを続けていたら、おそらく飽きたことだろうが、吃音と向き合い、「どう生きるか」を学び、話し合うことに飽きることはない。常に新鮮なのだ。大阪吃音教室の話し合いが、奥深く、かつ新鮮なことを、私は「老舗鰻屋のタレ」によくたとえる。
 創業100年の老舗鰻屋のタレは、創業時のものに、毎日新しいタレを継ぎ足し継ぎ足し、年を重ね、熟成されてきているという。100年前のものがごく微量でも残っていると思うと楽しい。
 大阪吃音教室も、40年、30年と通い続ける人からまだ半年や1ヶ月の人、今日初めて参加する人など様々だ。その人たちの人生が混じり合い、熟成されていくのがいい。新しいだけでも、古くからいる人だけでもダメで、違った年月を経た、さまざまな人がいることで、ミーティングの場は、ほどよいバランスとなり、独特の味わいを醸し出している。
 同じようなことが、滋賀県で、毎年夏に開き、16年になる吃音親子サマーキャンプの親の話し合い、子どもの話し合いにもみられる。初めて参加する人も少なくないため、最初の時間はその人たちのために使うことが多いが、だんだんと、複数回参加している人も話し合いに加わってくる。その体験に基づく話を聞きながら、新しく参加した人は、今まで気がつかなかった視点やものの見方・考え方に気づいていく。また、複数回の人は初心に返ることができる。これが、初めて参加の人、2度目の人、3度目の人と、いろんな経験をしてきた人が混在していることの素晴らしさだと言えよう。16年間続けてきた老舗の味わいだ。 昨年5月に開かれた第7回島根スタタリングフォーラムの親の話し合いで、このグループも老舗の味わいが出てきたと思えた。第1回は、私の一方的な講演だった。その後、話し合いや学習会的な要素が加わり、回を重ねてきた。
 当初は、親のこれまでの不安や悩みに耳を傾けることにほとんどの時間が使われ、親の表現を借りれば、「涙、涙の話し合い」だった。
 吃るのは母親のせいだと、児童相談所などで言われた人がいた。吃る子どもを持ち悩んでいること、将来に不安をもっていることを初めて話すことができた親もいた。子どもの吃っている姿を「かわいそう」で見ていられないというひとりの親の発言から、参加者全員が「そうだそうだ、かわいそうに思う」と反応したときもあった。「かわいそう」と思われる子どもの方が「かわいそう」ではないかと、時間をかけて話し合った。「どもりは一生治らない!!」と早朝登山で叫んだ小学1年生のことばにショックを受け、「連れてくるんじゃなかった」と私に訴えてきた親がいた。そのことを取り上げて話し合ったこともあった。
 誰にも話すことがなかった思いを存分に出し、お互いに聞く中で、共通の土壌が耕されていく。
 親の話し合いは、3時間の枠が2回あり、合計6時間。7年分をトータルすると42時間。じっくりと吃音と向き合ったことになる。参加回数の違う人たちがおりなす人生が響き合う、吃音についての話し合いは、吃音をテーマに親たちと人生談義をする趣だった。吃音をひとつの切り口にして親も自分の人生を語る時間だったように思う。 吃音について不安を出し合い、吃音についての知識を得る段階から、自分自身の人生をみつめながら、子どもについて語り合う、しっとりとした深まりのあるものへ。老舗の味わいはこれからも熟成し、まろやかなものとなっていくだろう。
 親の人生とは交わることのない、「吃音を治す、軽くする」路線からは、生まれない世界だ。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/11/1
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