つかの間の休憩、伊根方面へ
金子書房の最初の校正を終え、少しのんびりしようと、車で伊根方面に行ってきました。伊根は、舟屋で有名です。そこに、辻調理師学校時代の同級生がいます。
僕は、大阪教育大学を辞め、カレー屋の経営を始める前に、調理師学校に行きました。若い子たちが多い中、僕の年代の人もちらほらいて、自然とその人たちと、学校が終わった後、喫茶店などで話をするようになりました。その中のひとり、倉野剛さんが、実家の京都府与謝郡伊根町の舟屋を継いでいたのです。20年以上も前に、筑波大学教授の内須川洸さんと僕たちのプライベートの旅行で一度訪れたことがあります。
会うのは、7、8年ぶりです。彼の娘さんが梅田のライブハウスでコンサートをするという知らせを受け、そこに行って、彼と会いました。それ以来の再会です。
電話で話したのですが、最近は、中国や韓国、アメリカやヨーロッパなどからのお客さんが増えたそうです。今、流行のインスタ映えでしょうか。舟屋の風景は日本の原風景を色濃く残している、珍しいところです。絵になるので、誰かの紹介でパーッと拡散したのでしょう。話のとおり、当日の宿泊客は、僕たち以外すべて外国の人でした。
早めに着いて、近所をぶらぶら散歩しました。「舟屋日和」という新しい施設があり、その中のイネカフェという喫茶店に入りました。ぼーっと長時間過ごせそうな居心地のいい喫茶店です。記念写真撮影用の席もありました。
倉野さんとは、いろいろ話をしました。昔話から、今、考えていることまで、話が途切れることがありません。人生のある時期、それも調理師学校にいた、たった1年だけのつきあいですが、こうして続いていることの不思議な縁を思いました。新鮮な魚料理をおなかいっぱいいただき、テレビが設置されていない夜を過ごしました。いいものです。
翌日、出発前に、彼が今住んでいる家を見せてもらいました。大学は建築学科で、一時期、建築関係の仕事をしていて、今でも建築には興味を持ち続けてきた彼は、あちこちの旅行で拾ってきた廃材を利用して、なんともすてきな空間をこしらえていました。柱や天井の梁に、昔の家の材木が使われています。土間に置いてある灯りは、なんと、かき氷機でした。ほんの少し灯りを灯し、その影を楽しんでいるとのこと、豊かな生活ぶりを見せてもらいました。久しぶりの友との語らいはつきることはありませんでした。
つかの間の休憩でした。
第20回の島根スタタリングフォーラムから、昨夜帰りました。20回まで続くとは、20年前には想像もしませんでした。
事務局の森川さんが、前日の金曜日の午後3時、広島駅まで迎えに来てくれました。ありがたい毎日を過ごしているなあと実感しています。島根での報告はまた。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/29
金子書房の最初の校正を終え、少しのんびりしようと、車で伊根方面に行ってきました。伊根は、舟屋で有名です。そこに、辻調理師学校時代の同級生がいます。
僕は、大阪教育大学を辞め、カレー屋の経営を始める前に、調理師学校に行きました。若い子たちが多い中、僕の年代の人もちらほらいて、自然とその人たちと、学校が終わった後、喫茶店などで話をするようになりました。その中のひとり、倉野剛さんが、実家の京都府与謝郡伊根町の舟屋を継いでいたのです。20年以上も前に、筑波大学教授の内須川洸さんと僕たちのプライベートの旅行で一度訪れたことがあります。
会うのは、7、8年ぶりです。彼の娘さんが梅田のライブハウスでコンサートをするという知らせを受け、そこに行って、彼と会いました。それ以来の再会です。
電話で話したのですが、最近は、中国や韓国、アメリカやヨーロッパなどからのお客さんが増えたそうです。今、流行のインスタ映えでしょうか。舟屋の風景は日本の原風景を色濃く残している、珍しいところです。絵になるので、誰かの紹介でパーッと拡散したのでしょう。話のとおり、当日の宿泊客は、僕たち以外すべて外国の人でした。
早めに着いて、近所をぶらぶら散歩しました。「舟屋日和」という新しい施設があり、その中のイネカフェという喫茶店に入りました。ぼーっと長時間過ごせそうな居心地のいい喫茶店です。記念写真撮影用の席もありました。
倉野さんとは、いろいろ話をしました。昔話から、今、考えていることまで、話が途切れることがありません。人生のある時期、それも調理師学校にいた、たった1年だけのつきあいですが、こうして続いていることの不思議な縁を思いました。新鮮な魚料理をおなかいっぱいいただき、テレビが設置されていない夜を過ごしました。いいものです。
翌日、出発前に、彼が今住んでいる家を見せてもらいました。大学は建築学科で、一時期、建築関係の仕事をしていて、今でも建築には興味を持ち続けてきた彼は、あちこちの旅行で拾ってきた廃材を利用して、なんともすてきな空間をこしらえていました。柱や天井の梁に、昔の家の材木が使われています。土間に置いてある灯りは、なんと、かき氷機でした。ほんの少し灯りを灯し、その影を楽しんでいるとのこと、豊かな生活ぶりを見せてもらいました。久しぶりの友との語らいはつきることはありませんでした。
つかの間の休憩でした。
第20回の島根スタタリングフォーラムから、昨夜帰りました。20回まで続くとは、20年前には想像もしませんでした。
事務局の森川さんが、前日の金曜日の午後3時、広島駅まで迎えに来てくれました。ありがたい毎日を過ごしているなあと実感しています。島根での報告はまた。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/29