伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2017年08月

第28回吃音親子サマーキャンプ報告3 どもることでからかわれたときの気持ちの分かち合い

 どもることでからかわれた時の気持ちの分かち合い

 小学4年生の話し合いの様子を少し紹介します。

 「つまるから、発表せんとって。どもると、いらいらするから、話さんといて」
 そう言われて悲しく、寂しかったという小学4年生の女子。みんなに、そんな気持ちになったことがあるか、そのとき、どんな気持ちだったのか、聞いてみたいと言いました。
 男子は、「おにごっこをしても、ずっとおにをやらされてばかりだった。これは、どもることと関係している」と言います。「そのときは嫌だったし、悲しかった。お母さんに言って、先生に電話をしてもらって、先生が様子を見てくれることになって、一応、落ち着いた」ということでした。他にも、どもることをからかわれて嫌な思いをしたり、悲しい思いをしたりしたことがあると、口々に言います。

 どもることを笑われたり、からかわれたりして、嫌な悲しい気持ちになったのは自然なことで、当たり前だとまず伝えました。
 そして、これから、こういうことが起こったとき、どうするか、どうしたらいいかを話したいんだけど、と子どもたちに問いかけました。
 その前に、でも、そういうときでも、学校には休まずに行っていたとみんなが言うので、学校に行っていたのは、君たちにどんな「力」があったからなんだろうか、話してもらいました。

・ことばの教室の先生と、どもることについて作文を書いて、クラスのみんなに話している。先生は分かってくれてるし、みんなにも伝えたから分かって気をつかってくれている。だから、今は、学校に行けている。
・嫌なことがあっても、無視している。だいじょうぶ、だいじょうぶと思っていたら、だいじょうぶだった。
・困ったときには、家の人や先生に話すことにしている。

 どもったとき、まねをされたり、からかわれたりすると、悲しいし、嫌だ。でも、同じように真似されたりからかわれても、ものすごく落ち込むときもあるし、まあまあそうでもなく大丈夫と思えるときがある。この違いは何だろうか、と話は進みましたが、少し難しいようでした。でも、同じようにからかわれても、嫌な気持ちになるときと、そうでもないときがあるということには、みんな納得でした。

 楽しいことがあるとき、たとえば、休み時間、外に遊びに行けば、嫌なことは小さくなるという子がいました。
 僕は、授業中より休み時間の方が嫌でした。授業中は、教室に先生がいて、ある意味、守られています。休み時間は、ほったらかしの無法地帯になります。授業中、からかうことはできないけれど、休み時間なら先生の目を盗んでからかうことができるからです。その話をしても、子どもたちは、「そんなことはない。そんなに嫌な子はいない」と言います。
 
 好きなスポーツ、好きな遊びをしているときは、あまり落ち込まないという子がいました。何かに夢中になっているとき、楽しんでいるときは、あまり気にならないというのは、みんなに共通していました。熱中できるもの、好きなものをみつけるということは、まねされたりからかわれたりするときの予防になってくれそうでした。

 どもりについて説明することも、落ち込みを少なくしてくれるのに役に立ちそうでした。家の人に言ってもらったり、先生の力を借りたり、自分で説明したり、子どもたちは、それなりに工夫して、自分の周りの環境を生きやすいようにすることをしているのでしょう。

 小学4年生グループには、消防士の兵頭雅貴君がスタッフとして入っていました。せっかくなので、雅貴君に質問をしました。
 みんなが驚いたのが、自分の無線連絡が全消防隊員が聞いているという話でした。放送委員の声を、全校生徒が聞いているのとはまた違ったスケールです。それで、笑う人やまねする人間もいるけれど、その人たちに悪気があるわけではないので、あまり気にしないという発言に、みんな納得していたようでした。

 子どもたちの話し合いの中に、どもる成人が加わる意義がここにあります。しかし、どもる人なら誰でもいいわけではなく、苦労しながら、悩みながらも、「ちゃんと生きている大人」であることが大事です。苦しいこともあるけれど、大人になると、こんな楽しいこと、いいことがあるよと示せる大人のモデルが必要なのです。
 
 最後に、感想を聞きました。

・他の学校でも、まねされたり、からかわれたりしている人がいるんだということが分かった。そして、みんな、それぞれに工夫しているということも。
・初めて参加したけれど、ここに来て、自分の仲間がいっぱいいるということが分かった。
・去年も参加した。今年、新しい子が来て、また、仲間が増えてよかった。2回だけだけど、みんなと話ができてよかった。
・からかわれたり、ばかにされたりしたときの、みんなの気持ちが分かってよかった。
・どもる友達がこんなにたくさんいてびっくりした。どもりのことが分かってよかった。もうちょっと話がしたかった。同じ仲間なので、気持ちがすごくよく分かる。
・こんなにたくさんどもる子がいるなんて思わなかった。
・クラスにもうひとり、どもる子がいるが、ここに来て、全国からこんなにたくさんの子が来ているなんてびっくりした。来てよかったと思う。

スタッフの感想
・僕は、小学4年生のとき初めてサマーキャンプに参加した。その頃の自分を、どんなだったかなあと思い出していた。いつでも、どこでも、いろんな人がいる。ばかにする人もいるけど、そうでない人もいる。だから、恐れることなく、自分は、何をしているときが一番楽しいかを考えて過ごしてほしい。
・しっかりと自分の問題と向き合っていると感じた。初めて会う人に、こんなに自分の気持ちを話すことができてすごいと思った。
・難しい話にもなったが、しっかり考えていたのがよく分かった。誰かが話しているとき、その人の方をちゃんと見て話を聞いている姿が印象的だった。
・次々に手を挙げて話をしてくれた。私が担当している子どもたちに、みんなのことを早く話したいと思った。

 今回のキャンプは、記録をきちんととってあるので、詳しい話の内容は、また、報告できると思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2017/8/31

第28回吃音親子サマーキャンプ報告2 一人ひとりが主役

参加者一人ひとりが主役


 8月18日、当日の朝、あまりにも激しい雨音で目が覚めました。
 大阪スタタリングプロジェクトの東野晃之会長が、いつも迎えに来てくれます。僕も運転はできるのですが、ハンドルを握ると眠くなる体質で、キャンプのように睡眠時間が短くなるときは、特に危ないので、いつも一緒に行ってくれるのです。とてもありがたいことです。
 雨が降っていたので、荷物の詰め込みには少し苦労しましたが、車を走らせているうちに、だんだん空が明るくなっていきました。
 2日目に予定しているウォークラリー。これまで一度も天候のために予定を変更したことはありません。その前後に雨が降ったとしても、ウォークラリーに出発するときには止んでいます。今年も、大丈夫なようです。

 今年は、大阪近辺の若いスタッフが、電車を1本早め、会場の荒神山自然の家に早く来てくれました。
 参加者・スタッフに配布するしおり、スタッフ用の進行表、芝居の台本などの製本・ホッチキスどめをしてくれました。今まで、溝口さんがひとりでこつこつとしていたことをしてもらえた今年、準備が楽になりました。人数が多いと、あっという間にしおりも進行表も台本も仕上がりました。
 時計は12時30分。そろそろ、参加者が河瀬駅に集まり、バスに乗り込んで、自然の家に着く頃です。

 きれいな青空、蝉の声、荒神山の鮮やかな緑、今年も、変わらぬサマーキャンプの場が、全国からの参加者を温かく迎えてくれます。
 今年の参加者は、124名。近畿や東海だけでなく、遠く北は宮城県から、千葉県、東京都、神奈川県などの関東地方から、南は沖縄県、鹿児島県、大分県、福岡県などの九州地方まで、全国からの参加です。特に、沖縄県からは7名、三重県から12名もの方が参加して下さいました。
 三重県からの参加が多いのは、ことばの教室の教員が通ってきているどもる子どもや保護者にサマーキャンプの案内をコピーして渡し、誘って下さっているからだとお聞きしました。初めての参加が多かったのも、今年の特徴でした。

 スタッフの数が昨年に比べ、少し増え、48名でした。そのうち、サマーキャンプ卒業生が11名。子どもの時一緒に参加していた、卒業生の姉も、卒業生と一緒に参加してくれました。うれしいことです。サマーキャンプが大切にしていることも、プログラムや流れもよく知ってくれている卒業生の参加は、頼もしい限りです。また、ホームページや口コミで、ことばの教室の担当者や言語聴覚士の方の参加も少しずつ増えてきました。

 毎年、このようなキャンプが開催できるのは、スタッフが、その場その場で判断して、子どもや親のことを考えてキャンプに集中して下さるおかげだと思います。初めて出会うスタッフなのに、このチームワークのよさ。チーム・サマキャンは、いつも、僕の誇りです。

 サマーキャンプが始まってすぐに1時間ほどスタッフ会議をします。初めて顔を合わせるスタッフもいるので、まず自己紹介からです。学習室をぐるりと一回りするくらいの人数です。とりあえずのプログラムの流れを説明し、話し合いのグループに分かれ、話し合いのすすめかたについて打ち合わせをしました。これだけの打ち合わせで、124名が自然に動いていく、いつも不思議な思いがします。

 スタッフ会議をしている間、参加者は部屋に入り、荷物を片付け、自由時間です。子どもたちは、何度も来ている子が、初めて参加する子どもたちを誘って、早速遊んでいます。すぐに仲良くなっていました。保護者も部屋ごとに話をしています。なつかしい顔、初めての顔、そのすべてを包み込んでくれるサマーキャンプのはじまりです。

 スタッフの顔合わせも終わり、開会の集いが始まります。僕があいさつをします。
開会のつどい 伸二あいさつ開会のつどい 参加者

 このサマーキャンプを始めたきっかけ、目指しているもの、大切にしてほしいことを、参加者全員に語ることで、これからの3日間の基本となる軸を指し示したつもりです。自由に考え、活動してもらいますが、軸だけはぶれずにもっていてほしい、そんな願いを込めて、あいさつしました。必ず触れるのが「対等性」です。スタッフには大学や専門学校の教員、ことばの教室などの教員、言語聴覚士など、普段は「先生」と呼ばれている人たちがたくさんいますが、キャンプでは「先生」禁止です。一般参加者も、スタッフも、ひとりひとりが、ひとりの参加者です。世話をする、ボランティアという考え方は、僕たちにはないのです。
 「一人ひとりが主役」。僕たちがとても大切にしてきた精神です。

 僕のあいさつのあと、参加者の紹介をします。家族ごとに名前を呼びますが、初めての参加なのに、すでに、親子が離れて座っていることも少なくありません。大きな家族キャンプの始まりを予感させてくれます。生活と演劇をともにするグループに分かれます。4つのグループです。色分けされたグループごとに3日間、過ごします。

 その後、場所を変えて、出会いの広場です。最近ずっと千葉市のことばの教室の渡邊美穂さんが担当してくれています。
 初参加の子どもや保護者のことを考え、抵抗の少ないであろうことから始めます。今年は、声を出すこと、歌を歌うことを取り入れたいという渡邊さんの思い入れがあり、それに沿った流れ、組み立てになっていました。事前レッスンのときに、渡辺貴裕さんから教えてもらったハンドパワーのエクササイズも早速取り入れていました。時間の経過につれて、初参加の緊張した、こわばった顔の表情がだんだんゆるやかなものに変わっていきます。そして最後に、グループに分かれてのパフォーマンスです。お題が、旅行、遊園地、宇宙旅行などでした。多いグループでは、30人くらいいたでしょうか。短時間の練習の後、発表です。見事なパフォーマンスです。

出会いの広場 ハンドパワー

 夕食の後は、第1回目の話し合いです。子どもは、年代ごとに、保護者は5グループに分かれて、話し合いが始まりました。
 僕は、今年は、小学4年生のグループを担当しました。4年生は、今年は初参加の4人を含めて7人の参加です。話し合いは、翌日もあります。丁寧なスタートをと思い、ゆっくりとしたペースで始めました。最初に自己紹介。名前とどこから来たのか、そして、このサマーキャンプに来たきっかけ、何を求めてきたのかを話してもらいました。「さあ、誰から?」と言うとすぐに手が挙がります。
 「全国からどもる子どもが参加するから、会ってみたかったから」
 「自分のどもりのことを研究しているから、みんながどんなことを考えているか知りたかったから」
 「去年、来ておもしろかったら、今年も絶対行くと決めていたから」
など、それぞれにちゃんとした参加動機を語ります。話し合いについてはまた報告します。

 話し合いの後は、全員が学習室に集合し、スタッフによる芝居の上演です。せりふを覚えてくるようにと言っておいたのですが、かなりの人が守ってくれて、台本を見ないで、演じています。このときの観客の、見る態度・姿勢のいいこと。温かく、真剣に見てくれます。どもる成人にとって、食い入るようにみつめられる中で、これまで苦手だった芝居を演じます。終わった後、大きな拍手を受け、満足感がいっぱいです。事前レッスンから参加してサマーキャンプだと言い切るスタッフが多いのは、この快感が忘れられないのでしょう。
 僕も、急遽、酔っ払いの役で出演しました。普段、お酒は全く飲めないのですが、酔っ払いの役は得意です。
見本の劇 観客見本の劇 酔っ払い

 夜は、スタッフ会議をします。
スタッフ会議2
 スタッフ会議のとき、気になる子どもの話が出ると、次々に手が挙がり、その子の話し合いでの様子や劇の練習での様子、親のこと、きょうだいのことなど、途切れることなく、その子の物語が語られました。ともすれば、課題があると親が心配して参加している場合も、その子どもたちに対する見方がなんとも言えず温かいのです。その子とのやりとりを再現してくれるスタッフの話に、共感をもって聞くことができます。48人のスタッフたちの、見事な時間・空間でした。人間関係の希薄な、このぎすぎすした時代に、お互いを思いやる、このような空間があることは奇跡だと僕は思います。

 こうして、サマーキャンプ1日目が終わります。
 
 日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/08/30

第28回吃音親子サマーキャンプ 報告 1

 竹内敏晴さんから、渡辺貴裕さんへ、バトンがつながって

 

吃音の夏の最後のイベント、第28回吃音親子サマーキャンプが終わって、10日あまり。参加者から、参加しての感想が少しずつ返ってきています。それらを読みながら、また、サマーキャンプの余韻に浸っています。

 吃音親子サマーキャンプは、7月の事前レッスンから始まります。キャンプの大きな柱、芝居のレッスンをまずスタッフが合宿で受けます。それを、初日の夜にみんなに見てもらい、翌日から練習をするのです。

 竹内敏晴さんは、亡くなる2009年の夏も、変わらぬレッスンをして下さいました。「伊藤さん、がんになったよ」と電話をいただいたのが6月の上旬で、がんの痛みの中で、キャンプのためのシナリオを書き上げ、その事前レッスンも7月にして下さいました。そして、亡くなられたのは、9月8日でした。ぎりぎりまで、僕たちのキャンプを大切にして下さっていたのです。

 竹内敏晴さんが亡くなられてから、その跡を引き継いでくれているのが、東京学芸大学大学院准教授の渡辺貴裕さん。
渡辺さんは、吃音とは全く関係がないのですが、大学生のときから、このサマーキャンプに関わってくれています。渡辺さんの専門は、演劇の手法を使っての教育実践の研究です。だから、事前レッスンも、お芝居を仕上げるということも大切にしていますが、そのプロセス、他者にどうかかわり、どう声を届けていくかというところにスポットを当ててくれています。
事前レッスンには、関東や九州からことばの教室の教師が参加しますが、多いのは、大阪近郊の教師と大阪吃音教室の仲間です。当然、せりふでも、ことばが出てこない場面があります。
 
 そんなとき、渡辺さんは、自分の決められたせりふを言おうとするその人に向かって、相手のことばをしっかり受け止めようと声をかけます。その相手のことばに自分のからだがどう反応するか、相手のことばを受け止めて自分のからだが動くままにことばを返していこうと言います。やりとりで生まれてくる空間を大切にしようということを伝えてくれているのです。
子どもたちと一緒に取り組むエクササイズもたくさん紹介して下さいます。せりふそのものより、他者とともにいる空間を楽しむことができることをまず味わおうというのです。

 今年のお芝居は、ミヒャエル・エンデの「モモ」をもとにした「モモと灰色の男たち」。竹内さんから渡辺さんに演出をバトンタッチしてすぐに上演して2度目の芝居です。たっぷり芝居のおもしろさを味わいました。
 録画を担当してくれている井上詠治さんがその様子を撮影し、映像を編集してくれました。それを見て、みんな復習したようです。
 小道具や衣装の担当は、元神戸のことばの教室の教員の西山佳代子さんと神奈川県の教員の鈴木尚美さん。毎年すばらしい衣装と小道具を作ってくれています。衣装と小道具が、お芝居をぐっと深みのあるものにしてくれるだけでなく、子どもたちが芝居に入っていくのを支えます。
 適材適所でどうしてこんないいチームワークがとれるのか、いつも不思議です。おかげで、うちには、いろんな小道具が段ボールに何箱もたまりました。

 吃音親子サマーキャンプは、吃音についての話し合い、芝居の稽古と上演、親の学習会が3つの柱ですが、子どもには、これらに作文教室とウォークラリーが加わります。
 どもる子どもにとって、これらの活動がうまく機能しています。吃音についての話し合いが大好きな子もいれば、作文が大好きな子、それらは少し苦手だけれど、芝居の稽古と上演が大好きな子。ウォークラリーでリーダーシップを発揮する子。それぞれ苦手や得意なことがありますが、バラエティに富んだプログラムなので、一人ひとりがどこかで主役になれるのです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2017/8/29

吃音親子サマーキャンプ、無事、終了!

第28回吃音親子サマーキャンプ、終わりました

 吃音の夏の最後のイベント、第28回吃音親子サマーキャンプが終わりました。
 毎年、吃音親子サマーキャンプというお祭りが終わると、夏も終わりで、少し寂しくなります。そして、虫の声がにぎやかになり、秋の訪れを感じるのですが、今年は、まだまだ暑い日が続いています。サマーキャンプの会場である滋賀県彦根市の荒神山自然の家の涼しさが恋しいです。

 毎年のことですが、いつも不安を抱いてキャンプの準備を始めます。あのとき少し気になったあの子は参加するだろうか。多くの人が参加して下さるだろうか。同時に、これまでスタッフとして参加して下さった人が、今年も参加して下さるだろうか。
 そんな心配もあったのですが、今年の28回目の今年のキャンプ、124名の参加でした。スタッフの数が昨年に比べ、少し増え、48名でした。そのうち、サマーキャンプ卒業生が11名。卒業生の姉も参加してくれました。サマーキャンプが大切にしていることも、プログラムや流れもよく知ってくれている卒業生の参加は、頼もしい限りです。また、ホームページや口コミで、ことばの教室の先生や言語聴覚士の方の参加も少しずつ増えてきたように思います。

 今年は、近畿や東海だけでなく、遠く北は宮城県から、また、千葉県、東京都、神奈川県などの関東地方から、南は沖縄県、鹿児島県、大分県、福岡県などの九州地方まで、全国から参加して下さいました。特に、沖縄県からは7名、三重県から12名もの方が参加して下さいました。三重県からの参加がこんなに多いのは、ことばの教室の先生が通ってきているどもる子どもや保護者にサマーキャンプの案内をコピーして渡し、誘って下さっているからだとお聞きしました。初めての参加が多かったのも、今年の特徴でした。

 卒業生は4名。毎年、卒業式を行えるのもうれしいことです。ひとりひとりのこれまでのことを思い浮かべながら、卒業証書の文を考えました。卒業式で、卒業生がひとりひとり自分のことばであいさつをするのを見て、胸がいっぱいになりました。紙に書いたものを読むのではない、今、自分の中から生まれてくる思いを大切にし、自分のことばで自分を語るその姿は、まぶしいくらいでした。また、保護者のことばは、僕たちを幸せな気持ちにさせてくれました。

 卒業式の後、初めて参加した方ひとりひとりに感想をお聞きしました。時間が短かったのですが、続けてきてよかったという気持ちにさせてくれるすてきな時間でした。

 毎年、このようなキャンプが開催できるのは、スタッフが、その場その場で判断して動き、事前に演劇の小道具の製作など準備し、そして何よりも子どもや親のことを考えてキャンプに集中して下さるおかげだと思います。初めて出会う人もいるのに、48名のスタッフの、このチームワークのよさはいつも不思議であり、僕の誇りです。

 人間関係の希薄な、このぎすぎすした時代に、お互いを思いやる、このような空間があることは奇跡だと僕は思います。スタッフ会議のとき、気になる子どもの話が出ると、次々に手が挙がり、その子の話し合いでの様子や劇の練習での様子、親のこと、きょうだいのことなど、途切れることなく、その子の物語が語られました。ともすれば、課題があると親が心配して参加している場合も、その子どもたちに対する見方がなんとも言えず温かく、やりとりを再現してくれるスタッフの話に共感をもって聞くことができるスタッフたちの見事な時間・空間でした。

 今年は、親の学習会に特別ゲスト・兵頭さんを迎え、彼へのインタビューを聞き、事前に学習したレジリエンスやポジティヴ心理学のキーワードを使って、グループごとに模造紙にまとめるという作業をしました。「そんなにどもっていて、市民の命が守れるのか」と言われながらもそれに耐え、念願の消防士になった人、僕たちの中では伝説になっている人、僕が講義や講演の中でよく紹介する人、そんな兵頭さんの生出演で、保護者は大きな力を得たことと思います。ロングインタビューに真摯に応えてくれた兵頭さんに感謝です。
 
 日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/08/22

明日から 第28回吃音親子サマーキャンプ

明日から、第28回吃音親子サマーキャンプ

 5月の沖縄キャンプ、6月に入ってすぐ鹿児島県の難聴言語研究大会と翌日の吃音相談会、そしてその後の緊急入院。6月の1ヶ月がなかったような、そんな時間の流れがへんてこりんになったまま、7月を迎え、大阪の吃音相談会、サマーキャンプの事前レッスン合宿。7月末には、大阪で、全国難聴・言語障害教育研究協議会と第6回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、8月に入ってすぐに山形県での難言の県大会研修会。
 怒濤の毎日を過ごしてきたような気がします。ひとつひとつ、振り返りや、余韻を楽しむ間もなく、明日から、「吃音の夏」最後の大きなイベントである、吃音親子サマーキャンプです。サマーキャンプは、今年で第28回を迎えました。ここまで続くとは、始めた頃には想像もできなかったことです。

 それぞれの行事には、準備が伴います。ひとつが終わってその後片付けもできないまま、あっという間に、吃音親子サマーキャンプの前日になりました。
 我が家は日本吃音臨床研究会の事務所でもあり、悲惨というか、めちゃくちゃというか、そんな状態です。それでもなんとか今年もたくさんのスタッフが全国から集まって下さり、キャンプが開催できること、本当にありがたいことだと思います。キャンプが終われば、ぼちぼちとこれまでのことを振り返っていこうと思います。

 今年のキャンプの親の学習会は、これまでとは全く違うスタイルになりそうで、今から僕が楽しみにしています。経験したことは記録として残さないと消えてしまいます。消えないようにできるだけ、書いていきたいと思います。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/08/17

対話の実際


 全難言大会の講習会「吃音」の資料のつづきです。当日はこのようなことを話したつもりです。

 
対話の実際 1 オープンダイアローグ
 オープンダイアローグは、「急性期精神病における開かれた対話によるアプローチ」です。当事者か家族から最初に相談を受けた、医師、看護師などが、治療チームを招集し、24時間以内に初回ミーティングを、本人の自宅や病院、ホテルの一室などで行います。入院させ、薬物療法が中心だったのが、薬を使わず、入院もせずに「開かれた対話」だけで回復する成果は驚異的だと、世界で注目されています。複雑な理論や資格も不要ですが、開発者のセイックラ教授は、オープンダイアローグが「技法」や「治療プログラム」ではなく、「哲学」や「考え方」だと強調しています。そのまま、ことばの教室に導入することはできないまでも、その「哲学・考え方」は生かしたいものです。オープンダイアローグを正しく実践するための12項目の中のいくつかを紹介します。
 対等性 すべての参加者の発言は対等に尊重されます。本人を自分の課題の主人公だと考え、「本人抜きでは何もしない」が原則です。
 応答性 どんな発言にも速やかに応答します。発言者の言葉を使い、しぐさや行動、表情などのメッセージを受け止め、対話を進めます。
 不確実性への耐性 診療なら初診時点で診断と同時に、「どんな治療をするのか」「病状の見通しはどうか」の内容が医師から本人に伝えられます。オープンダイアローグでは最初から「診断」はせず、あいまいなまま進みます。最終的な結論が出されるまでは、あいまいな状況に耐えながら、病気による恐怖や不安を支えるのです。

 この、治療成果に、日本の精神科医は、「自分たちがしてきたことは一体何だったのか」と当初半信半疑でした。しかし、現地での研修や論文などで内容を深く知るにつれて、日本に導入したいと強い意欲を持ち始めています。この2年ほどで、関連書籍や雑誌も出始め、研修会やワークショップも開かれ、この夏、創設者セイックラは、日本家族療法学会に招聘され、講演とワークショップを開きます。今後大きな流れになるでしょう。

 私は、この対話による成果は当然だと思います。私たちが、吃音から解放されたのも、セルフヘルプグループで対話を続けたからでした。吃音親子サマーキャンプも、ことばの教室の教師、成人のどもる人がファシリテイターになり、90分と120分の話し合いがあります。小学6年生になっていじめに合い、不登校になった女子が、90分の話し合いで、顔が晴れやかになり、翌朝の作文教室で「どもっていても大丈夫」と作文に書き、キャンプが終わってすぐに学校に行き始めました。ことばの教室でも、個別指導やグループ活動の中で話し合いがなされています。この対話を、より「哲学的な対話」に少しでも発展できれば、一度確立された「どもっても大丈夫」との自己概念は、思春期・成人期になって、一時的に悩むことがあっても活きてきます。
  
 対話の実際 2 ナラティヴ・アプローチ
 
「ナラティヴ」は、「物語」「物語る」の意味で、「ナラテイヴ・アプローチ」とは、「困難や、問題を抱える人が物語るストーリーこそが、その人の人生を形作っていると考え、困難なストーリーの改訂のために、より好ましい素材を一緒に探し、新しいストーリーを共同で練り上げていくアプローチ」です。
 私は小学校2年生の学芸会で、担任教師から「どもって失敗したらかわいそう」との教育的配慮によって、「どもりは悪い、劣った、恥ずかしいもの」とのレッテルを貼られました。「どもりが治らなければ、僕の人生はない」との物語を、「どもる覚悟さえできれば、できないことはほとんどない」に変えられたのは、セルフヘルブグループでの仲間との対話のおかげです。私は同じように悩む仲間との語り合いで、他の人が語る人生を知り、吃音の否定的な物語から、「どもっていても、豊かな人生は送れる」の物語に変えることができ、生きやすくなりました。セルフヘルプグループでの対話の中で、私たちは「吃音否定」の物語を「吃音肯定」の物語に変えていったのです。

 「その人が問題なのではなく、問題が問題なのだ」
 「人には、その人の人生を生きる能力がある」

 その人が問題だとすると、自分の性格や吃音が問題となり、言語訓練で吃音症状の軽減をめざすしかありません。問題が問題だというのは、吃音のマイナスの影響こそが問題だということで、ジョゼフ・G・シーアンの氷山説そのものです。吃音は治せなくても、自分が受けているマイナスの影響の、行動や考え方は変えることができます。それは、私たちが長年取り組んできて、大きな成果があがっていることです。

 ナラティヴ・アプローチの基本的な技法は「外在化」です。人と問題、吃音と問題を切り離すために、ナラティヴ・アプローチでは、この「外在化」の質問をする対話をしていきます。「外在化」とは自分と吃音を切り離して、自分の内部にあるものではなく、外にあるものとして、吃音に「どもり君」などと名前をつけます。自分の中の吃音が影響を与えるのではなく、外在化した「どもり君」が、話すことから逃げさせたり、自分を消極的にさせたりするなどと考えます。そして、「どもり君」の影響をあまり受けていない経験を見つけるための対話を繰り返し、「どもるから何々ができない」ではなく、「どもりながらも何々ができる」のオルタナティヴ・ストーリー(別のストーリー)に変えていきます。吃音に影響を受けない物語をつくっていくのです。

 吃音は学童期に内面化し、劣等感を強めます。自分の内面にある吃音を自分の外に出し、客観的に見る「外在化」に取り組みます。たとえば、ことばの教室で、子どもたちと言語関係図を一緒に作ります。立体を描くことが難しい子どもはブロックを使って、吃音の問題を外に出します。自分の吃音を外に出し、かたちあるものとしてとらえると、取り組みやすくなります。言語関係図、どもりカルタ、絵本などを使って、自分の吃音、吃音から受ける影響について、対話を続けます。最近は、「どもりキャラクター」と対話をする実践を、私たちのことばの教室の仲間は取り組んでいます。はじめ、どもりは敵で悪者のキャラクターだったのですが、対話を重ねるうちに、怖くなくなり、どもりが自分を助けてくれる友だちのようになるという物語に変わっていきます。これまでの吃音に対する否定的なナラティヴが、これからも吃音とつきあえるというナラティヴに変わっていくのです。「吃音否定」の物語を「吃音肯定」の物語に変えていくことが、吃音を治すための言語訓練に代わる、今後の吃音の取り組みだといえるでしょう。

 対話の実際 3 当事者研究
当事者研究は、北海道・浦河の統合失調症のコミュニティである、べてるの家の取り組みです。統合失調症の人たちが、薬や病院で管理されていたのを、薬を最小限にとどめ、社会生活に出て行きます。そこで起こる摩擦や困難を、「苦労を取り戻す」といい、その困難を自分で助けるために当事者研究をします。
 小学生のときは、担任教師やクラスの仲間など周りの理解があったので、あまり大きな問題にはならずに過ごせたとしても、中学生、高校生になって、さらには就職してから悩み始めることは少なくありません。ライフステージによって吃音の状態も、悩みも、困難な状況も変わります。そのとき、自分の困難を自分で研究する「当事者研究」で対処できるようになれば、それが、「逆境を生き抜く力」であるレジリエンスが育っていることになります。ことばの教室で、からかいの問題などを一緒に研究し、対処法を探ることは、その後の生活に活きてきます。

 おわりに
 「吃音は劣った、恥ずかしいもの」とのネガティヴな物語を、「吃音とともに豊かに生きる」物語に変えるには、吃音を肯定的にとらえている人との「哲学的対話」が不可欠です。レジリエンスが育つ主要な要素である「洞察・関係性」は、対話の中で、「感じる、知る、理解する、洞察する」と育っていきます。そのために、親や教師が同行する必要があるのです。最初は、話すことは楽しいと思える会話を十分に経験し、次に、自分や吃音と向き合う「哲学的対話」の力を育てます。子どもの話をしっかり聞き、興味・関心をもって質問し、私たち大人も、自分の人生を率直に語っていくことが大切でしょう。

 参考文献
『ナラティヴセラピーの会話術』 国重浩一 金子書房
『ふだん使いのナラティヴ・セラピー』D・デンボロウ著 小森康永・奥野光訳 北大路書房
『オープンダイアローグとは何か』 斎藤環著+訳 医学書院
『吃音の当事者研究−どもる人たちが「べてるの家」と出会った−』 向谷地生良・伊藤伸二 金子書房
『どもる君へ いま伝えたいこと』伊藤伸二 解放出版社
『サバイバーと心の回復力−逆境を乗り越えるための七つのリジリアンス−』奥野光・小森康永訳 金剛出版
『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック−どもる子どもの生きぬく力が育つ−』伊藤伸二・吃音を生きる子どもに同行する教師の会編著 解放出版社

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/08/11

将来を展望しての、どもる子どもへの支援


先日、山形県大会から帰って、今は吃音親子サマーキャンプの準備です。7月28日の、第46回 全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会 近畿大会がずいぶん前のように感じます。
 近畿大会では、午前中の2時間30分、いくつかに分かれて講習会がありました。僕はその中の「吃音」の講習会です。気合いが入りすぎて、パワーポイントを用意しすぎました。僕はやはり、パワーポイントを使わずに、原稿なしで話す方が向いているようです。
 その時の資料を、前半と後半の2回に分けて紹介します。僕が、現在、考えていることです。


 将来を展望しての、どもる子どもへの支援
           〜言語指導から哲学的対話へ〜
                       日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


はじめに
 吃音は、どもる程度も、吃音から受ける影響も、大きな個人差があります。かなりどもっていても、話すことの多い仕事に就いて、豊かに生きている人がいます。一方、親も伴侶も吃音と気づかない程度の人が吃音に深く悩んでいます。吃音は、症状が軽減することで生きやすくなり、悩みが少なくなるような単純なものではありません。どもる程度と、吃音の悩みや生活への影響の程度には相関関係があまりありません。
 また、かなりどもっていた子が、担任が替わったり、友達関係がよくなることで、あまりどもらなくなったり、吃音の悩みからも解消されることがあります。吃音を治したいと強く願う人がいる一方で、「吃音を治したいと思わない」という高校生や、「吃音に悩んだから今の自分がある」という成人がいます。「これから悩むことはあっても、なんとかやっていけると思う」と、ことばの教室を終了していく子どもがいます。

 吃音に悩むことがあっても、吃音と共に豊かに生きている人は実に多いのです。環境やその人の受け止め方に大きく左右され、変動性も大きい吃音を、症状の問題だとして、言語訓練だけで問題の解決を図ろうとすることには限界があります。

 また、発達障害者支援法の支援対象に吃音が入り、成人のどもる人の動きにも変化が出始めました。障害者手帳を取得して障害者枠で就職したいという人や、障害者年金をもらって生活することを希望する人が出始めました。ことばの教室を終了した高校生から、障害者手帳が欲しいと相談があったと、ことばの教室の教員が驚いていました。私の開設する電話相談・吃音ホットラインも、就職活動で苦戦している女子大学生からの「障害者手帳が欲しい」など、発達障害、障害者手帳がらみの相談が増えました。

 2013年、北海道で、勤める病院で吃音を説明しても理解してもらえないと、看護師が自ら死を選びました。とても残念な出来事でした。一方、地方自治体の消防学校で「そんなにどもっていて市民の命が守れるのか」と強く叱責され、消防学校時代に吃音を治せと迫られたが、私たち仲間の支えもあって、悩みながらも無事消防学校を卒業し、今は消防士として、立派に仕事をしている人がいます。この二つは極端な例ですが、吃音は吃音症状より、吃音をどう受け止めるかでその人の人生は大きく変わります。吃音の治療法はないが、対処法はあるということです。アメリカの言語病理学に学びつつも、これまでの実践を整理し、どもる子どもがどのような青年・成人に育っていくか、子どもの将来を展望して吃音の取り組みを再構築する時期に来ていると私は思います。

 精神医療の世界の潮流−健康生成論
 これまで当然のことと考えられていた認識や思想、価値観などが劇的に変化するパラダイムシフトが、精神医療、福祉の世界で起こっています。従来、精神疾患の研究、臨床は、病気の人の弱点や劣っている負の側面に力点が置かれてきました。つまり、病気と対決し、診断し、治療する「疾病生成論」でした。WHO(世界保健機構)は健康について、「肉体的、精神的、社会的にも満たされた状態」と定義しています。病気があっても健康に生きられることに着目し,その健康要因を解明しようとする「健康生成論」が今、注目されています。「健康因」として近年大きく取り上げられ、教育、医療、福祉の分野以外にも広がっているのがレジリエンスです。

 ナチスの強制収容所から健康的に生き延びた人々の存在が、レジリエンス研究のはじまりですが、アメリカの心理学者ウェルナーの、ハワイ諸島のカウワイ島の研究で、世界的に注目を集めました。貧困、暴力など劣悪な環境のこの島で育った、1955年に出生した698名を長年にわたって追跡し、3分の2には脆弱性が見られたが、3分の1は、能力のある信頼できる成人になったと報告しました。この健康な人たちには、「逆境を乗り越えるか、心的外傷となる可能性のある苦難から生き延びる能力、回復力がある」として、弾力・回復・復元力を意味する「レジリエンス」が備わっていると表現しました。精神医療の世界では、環境に恵まれない、トラウマを負った子どもたちのレジリエンスをいかに引き出すか、育てるかが取り組まれています。

 日本では、阪神淡路大震災で、心的外傷後ストレス障害(PTSD)が話題になりました。東日本大震災では、子どものレジリエンスが注目されました。スクールカウンセラーとして被災地で活動した、臨床心理士の国重浩一は、心的外傷後ストレス障害は、世間が考えているほど多くない、多くは災害を自然現象と受け止め、しなやかに生きていると報告しています。さらに、つらい体験の中から、人としてより成長するPTG(心的外傷後成長)への関心も広がっています。「吃音に悩んだから今の自分がある」と語るどもる人が少なくないのはそのためです。この回復力に注目するレジリエンスは、回復力を探す目のつけ所として、「洞察、独立性、関係性、イニシアティヴ、創造性、ユーモア、モラル」を挙げました。

 アメリカ言語病理学の限界
 言語訓練だけで吃音の問題の解決を図ろうとすることに限界があることは、長い歴史のあるアメリカ言語病理学でも早くから分かっていました。1950年にはウェンデル・ジョンソンが言語関係図で、X軸:吃音症状、Y軸:聞き手の態度、Z軸:本人の受け止め方の立体を提示し、症状だけでなく、聞き手である環境、本人の吃音の受け止め方にもアプローチすべきだと提起しました。1970年にはジョゼフ・G・シーアンが吃音氷山説で、吃音は吃音症状の問題ではないと明確に打ち出しました。吃音症状は吃音の問題のごく一部で、本当の問題は、水面下にあり、吃音を否定的にとらえ、話すことから逃げる行動や、どもりは悪い、劣ったものとする考え方、どもることへの不安や、どもった後の恥ずかしい感情だとしました。シーアンは「吃音は治らないかもしれないが、消極的に生きる必要はありません。あまりハンディキャップをもたずに生きることはできます。そのためには吃音を受け入れ、話すことから逃げない生活をしていきましょう」と主張し続けました。
 ところが、アメリカ言語病理学は、これらに基づいた吃音臨床を提案できませんでした。どもる人の脆弱性や吃音症状が、正常な発話モデルからすると異常であり、劣っている、欠如しているととらえ、それがその人全体のありかたにマイナスの影響を与えるとして、吃音症状の消失、軽減に依然として力点を置きます。

 世界最新と言われる、バリー・ギターの流暢性形成技技法の「ゆっくり、そっと、やわらかく」の言語訓練は、1903年に始まった伊沢修二の楽石社の技法とほぼ同じで、100年以上私を含め、大勢のどもる人が失敗してきたものです。カナダの世界的な吃音治療専門センター「ISTAR(アルバーター大学吃音専門治療・研究所)」でも、ゆっくり話すスピードコントロールしか治療法がなく、4週間の集中治療の期間は、スピードコントロールができてあまりどもらなくなっても、100%が再発すると、センターで言語聴覚士をしていた池上久美子が報告しています。北米の吃音治療には「吃音と共に生きる」という発想自体がないといいます。

 吃音の症状の改善だけで、人生を乗り切れるのは、比較的少数例です。少しでも改善できたら、その人は自信がもて、人生が楽しくなるほど、吃音は単純なものではありません。
 幼児に対しては、オーストラリアから始まった、言い直しをさせて、どもらない話し方を身につけさせるリッカムプログラムが、日本でも取り入れられ始めています。少数の事例をもとに治療効果が公表されますが、これまでの環境調整や幼児期の自然治癒と比べてどう効果が違うのか、明確なエビデンス(科学的・統計的根拠)はありません。100年以上の吃音治療の歴史がありながら、吃音治療に取り組むどもる人、臨床家にとって、吃音は大きな問題であり続けています。
 
 世界に誇れる、日本のことばの教室の実践
 日本のことばの教室は、教育現場に設置されたこともあり、アメリカなどと違って、吃音を治すことにこだわらず、吃音と向き合い、子どもと一緒に吃音の学習をし、おしゃべりや遊びなどを通して、その子どもの自己肯定感を高め、吃音が改善されずとも、学校の場で楽しく過ごせることを目指しています。
 私は、日本のことばの教室の実践こそ、世界に誇れるものだと考えています。ところが、近年「吃音を治したいと思う人に、完全には治らなくても、少しでも吃音を軽減させてあげることが必要だ」と、「吃音を治す・改善する」への提言が医療関係から復活し始めています。リッカムプログラムもその動きに連動するものでしょう。
 あくまでも流暢性にこだわるアメリカ言語病理学に惑わされることなく、日本のことばの教室が、教育現場での実践をより確信をもって取り組むためには、「健康生成論」の中心となるレジリエンス(回復力・逆境を生き抜く力)を教育現場で育てることが大切だと思います。そのためのひとつの方法が、「哲学的対話」です。

 どもる子どもが、ことばの教室の教師や家族や友人との対話や、どもる子どものグループの中での対話を通して、自分の気持ち、情報、価値観などを分かち合い、自分の体験を整理して、経験を言語化します。その中で、これまでは人生を左右しかねない大きな問題だったものが、自分の力で対処できるものに変わります。これは、これまで多くのどもる人や、どもる子どもが経験してきた、エビデンス(統計的・科学的根拠)のあるものです。それを近年の精神医療の世界のレジリエンスなどの研究が後押ししてくれています。これまでの実践に加えて、少しの時間、子どもと哲学的な対話ができれば、レジリエンスが育つことにつながるだろうと思います。

 言語訓練より哲学的対話
 劇作家・平田オリザは、『対話のレッスン』(小学館)で、「会話」は知り合い同士の楽しいおしゃべりで、「対話」は他人との新たな価値や情報の交換や交流だとして、日本には対話がないと言います。「仲間との会話はできても、他人との対話ができない子どもたちが、引きこもったり、精神的に病んでしまうことが起こる。対話が失われつつある現代にあって、教育現場で対話について教え、実践しなければならない」と対話のレッスンをすすめます。
 子どもたちが今後話していく相手は、何を考えているか分からない他者で、相手が何を考えているかを知る方法が「対話」です。吃音について自分のことばで説明することをいとわない、対話する力を育てることは、言語訓練で吃音が改善されることよりはるかに大事なことです。
 また、哲学者の中島義道は『対話のない社会−思いやりと優しさが圧殺するもの』(PHP新書)で、「あらゆる言葉によるコミュニケーションのうち、日本では、哲学的対話のみがスッポリ抜け落ちている」と指摘し、各個人が自分固有の実感、体験、信条、価値観にもとづいて語ることを哲学的対話だと言います。
 哲学的対話の基本原理として、「人間関係が完全に対等である」「相手に一定のレッテルを貼る態度をやめ、相手をただの個人として見る」「相手の語る言葉の背後ではなく、語る言葉そのものを問題にする」「いかなる相手の質問にも答えようと努力する」「相手との対立を避けず、むしろ相手との対立を積極的に見つけ、相手との些細な違いを大切にし、発展させる」「社会通念や常識に納まることを避け、新しい了解へと向かっていく」「自分や相手の意見が途中で変わる可能性を受け止める」ことなどを挙げています。   続く

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2017/08/10





神山五郎先生からのメッセージ


  昨日紹介した、神山先生からの、2016年の90歳のお祝いの会の参加者へのメッセージを紹介します。神山先生のご自身の歴史を語っておられて貴重です。お祝いの会には、吃音研究者・臨床家、言友会関係の人たちと大勢集まったのですが、ブログでも紹介しましたが、僕も会の最初の頃に神山先生との思い出を話しました。参加者全員へのメッセージに僕の紹介だけがあったこと、今更ながら、僕への期待、吃音への思いがあったのだと思いました。だから、大阪教育大学を退職すると伝えたとは、「勘当だ」とまで怒られたのでしょう。勘当された僕ですが、僕なりに、神山先生の意図された道とはちがっても、充分に「吃音道」を歩んできたと思います。

 73歳になつた今でも、沖縄、鹿児島、山形と、この夏声をかけていただいて、話す機会がもてること、吃音一筋に生きてきた、僕へのご褒美のように思えて、新しい出会いに感謝しているのです。では、神山先生からのメッセージ紹介します。

「思い意ずるままに」〜感謝をこめて〜神山五郎
                             平成28年5月26日


 只今、過日皆様と共に撮って頂いた集合写真をゆっくり見ております。瞬時に貴名を想起できなくても、色々なイメージが走馬灯のように浮かんで参ります。そして、その方々の歴史と時期を同じくする私の歴史が浮かんで参ります。

 敗戦後の自信のなかった日本で、吃音(どもり)その他の言語障害児者にとって、米国などのSpeech Therapy(スピーチセラピー)(言語治療)の動きは憧れの的でありました。その的のあたりを留学して学位までとって帰国した私は、まだ理解が必ずしも深くないことにも気づかず、猛烈に働き出しました。東京大学医学部・講師、国立聴力言語障害センター・言語課長などの職を与えられたことにも支援されました。丁度、東京オリンピックの年でした。

 恩師の切替(きりかえ)一郎東大医学部耳鼻咽喉科教授及び米国留学先のDr.Martin F.Palmer教授の御指導の深さを忘れることはできません。かくて米国仕込みの学問を翻訳しながら、処女地日本に導入し始めた次第です。当然、実践の結果色々な誤りを生じ、私課長をはじめ、課員は悩みました。すなわち、米国の教科書通りにやっても治らない言語障害が多々あったのです。この私の誤りが決定的になったのは、学会での指摘ではなく、言語障害児者対策の現場からでした。もっと具体的に記せば、私が国立聴力言語障害センターを数年で退職し、ごく近接して創設された東京都心身障害者福祉センター医学判定科長へ就任してそのことの重大さに気づかされました。

 東京都は、私共の新しい職場を含め、心身障害者への総合的対策を行うとPRして下さいました。その結果、私の前の職場のサービスを受けながらご不満のあった御本人、御家族の方々が、この新しいセンターの聴覚言語障害科・医学判定科へ来られ、医学判定科長の私が、ごく近くの国立聴力言語障害センターの言語課長であったことを知らず、ビシビシと治らぬことを指摘されたのです。申し訳なかったです。

 しかも、この件で目覚めさせていただき、転勤先の新しいセンター所長原田政美先生(医師)の「障害は治らないから障害という。治るのは病気である」との透徹したお考えに馴染んで参りました。従って、私の周囲で研修されていた方々、職員各位も混乱されたことと思います。

 さらに混乱を招いたのは「努力の否定」を私が言い始めたことです。「頑張れ」「頑張れ」…しかも結果は変わらない。今迄は、頑張り続けないのは意志が弱いからだという前提がありました。この「意志が弱い」を否定し「もっと楽しくやれる工夫をしようという好奇心」の大切さを私は主張し始めました。このあたりのことが原因で、神山の言うことが変化し御迷惑をお掛けしたことと存じます。結局「遊び」の重要性を私は初めて意識したのです。

 大阪教育大学の助手から講師まで、昇進し、私を含めて教授・助教授を助けて下さった伊藤伸二先生は、明治大学文学部歴史学科の御卒業で、大学の教職にありながら、NHK厚生文化事業団等から研究費を得て、大胆に研究されました。そして「吃音を持ちながらも日本の社会に堂々と生活している」方々を次々に発掘され、原田政美先生の卓見を一層理解し易くして下さいました。

 このような流れのうちに私はあって、次第に「吃音」だけに捉われていては視野が狭く、偏見を持ち易いと感じ、色々な隣接領域にも突進しました。「植毛」「脱毛」「新興宗教の治療効果」俗に言う「民間療法のメリット、デメリット」等々の体験的研究に励みました。この時代には「吃音」とのご縁は、相談業務で細々と続けておりましたが、著作、翻訳などはありません。さらに健康人の問題、「健康増進」に首をつっこみ、エアロビクス、ジョギング等のカタカナ語を導入したり、心臓疾患の保険適用等の現場的対応を体験したりしました。日本健康運動指導士会を皆で創設し、初代会長を10年以上務め、次にバトンを渡しました。名誉会長を頂いたこともありました。その間、不思議なことに東京都世田谷区千歳烏山に烏山診療所を創設し、15年以上も閉院できなかったのです。

 以上のような、自分勝手な猛勉強をしていた私に何故か見所があると推察されて今日までお見捨てなく見守って下さった方々がおられお集まりくださった。これが本会なのです。
 最後になりますが、全員の方々の御芳志、各位からのお葉書、お手紙、贈り物等々、恩情溢れるお言葉に私は感激しております。幸せです。

 感情が高まり、文も乱れ申し訳ありません。全員の方々からのネクタイ・ネクタイピンを使用したスナップ写真及び某研究会の檀上における写真をこの手紙に同封して郵送させて頂きます。
又、会う時まで、さようなら、お元気で! 五郎


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2017/08/08

恩師 神山五郎先生逝く 

神山五郎死去 毎日新聞ブログ用45

 今日の毎日新聞の「悼む」のコーナーで神山五郎先生の記事がありました。日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリング・ナウ」では特集を組みましたが、ブログではまだ紹介していなかったので、その特集号の一面記事を紹介します。明日は、神山先生からのメッセージも紹介します。


 神山五郎先生、ありがとうございました

 「神山先生が、6月16日(金)午前4時38分に息を引き取られました」
 この報を受け、悲しさ、寂しさ、様々な思いが駆け巡りますが、一番大きなものは、心からの感謝の気持ちでした。

 昨年の島根大会に続いて、全国難聴言語障害教育研究協議会近畿大会での吃音研修会や分科会の講師、臨床家のための吃音講習会、山形県難聴言語研究会の講演、吃音親子サマーキャンプと続く、「吃音の夏」。どもる子どもや保護者、ことばの教室の教員との活動や、言語聴覚士養成の大学や専門学校での講義などの活動ができるのは、すべて、神山五郎先生のおかげです。

 大学を卒業後、大阪教育大学言語障害児教育教員養成一年課程に行きたいと相談してきた後輩を紹介するため、一緒に横浜のご自宅を訪ねました。そのとき、大阪教育大学での教育を、熱く、楽しそうに語って下さいました。大阪に行く気など全くなかった私が、その場で大阪行きを決意していました。この日が、私の運命を変えました。

 1年間学んだ後、研究生として残り、言語障害児教育教員養成一年課程の運営のすべてを任されました。緊張の毎日でした。「Mr. Ito」と、私の能力を超えた様々な指示がどんどん私のデスクにたまります。必死にこなしましたが、「あんな怖い神山先生と、よく毎日一緒にいられますね」と多くの人から心配されました。たくさんのことを厳しく指導していただきましたが、特に文章について、大久保忠利・東京都立大学教授から、「君は、どこで文章修行をしたのか」と褒められたとき、私信にまで赤ペンで指導されたことを話していました。

 文部省に申請していた、言語障害教育一年課程から特殊教育特別専攻科への格上げと、教員1名の増員が許可されたとき、「東京都身障センターのスピーチセラピストか、大学の教員か、おまえの好きな道を選べ」と言って下さり、私が「教員」を選ぶと、実績のない私の、書籍や論文の共著など、実績作りに奔走して下さいました。将来、大学教授の道につながる文部教官助手に採用されました。

 全国各地のことばの教室の教員の協力を得て開催した3か月の35都道府県38会場での全国巡回吃音相談会も、2冊の書籍の出版も、大学の教員だからできたことでした。しかし、講師に昇進し、楽しくやりがいがあったのに、私は大学を辞める決意をしました。私の将来を考えてのことであったとしても、心理学からのアプローチを指向していた私に、医学部大学病院での医学研修や興味のもてない研究テーマを設定するなど、今後の私の進路のすべてが神山先生の意向で決められていくことに強い反発を感じたからです。

 自分の人生は自分で決めると、大学を辞めることを報告しに行った時、病院近くの猪苗代湖のほとりで、「俺が、どんなにおまえに期待をしていたか。それを無にするなら勘当する」と、ものすごい剣幕で怒られました。その後は、一切会うことはなかったのですが、数年前に私の方から訪ねて再会したとき、とても喜んで下さいました。だから、昨年90歳のお祝いの会にも参加できました。

 後日送られてきた34名の参加者への感謝の手紙の中に、私のことだけが書かれていました。神山先生の私への思いの強さを改めて知りました。
 私の2冊目の本へのコメントを胸に刻んで精進していきます。ありがとうございました。合掌

 
  つねにすがすがしい好漢    神山五郎
 高倉健に惚れ、かつどもりである大学教官というふうに彼を紹介しておこう。事実、伊藤伸二を慕うどもる人々や関係する学生は多い。彼自身も面倒見がよくつねにすがすがしい。
 彼がどもりながら話すせいか、聞き手はつい彼の指示に素直に従ってしまう。かようにどもりであるメリットを生かし続けている好漢である。
 この度、どもりであることを主張し、生かす自他の方法、体験などを集め、評価し、書となすという。草稿は全く見ていない。世のなかから厳しく批判されたほうが薬になる段階に彼はいる。読者の叩き方が強ければ強いほど、彼は強くなる。一つおおいにやっつけてください。彼がどうさばくか、それを見るのもまた楽しい。
(郡山市熱海総合病院・健康教育センター所長)
 『吃音者宣言 言友会運動十年 伊藤伸二編著 たいまつ社 1976年』

      『スタタリング・ナウ  275号 2017年7月18日』


日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/08/07

吃音講習会の余韻の中で、次への展望を語る


 笑いと熱気に満ちていた、第6回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会。その夜の打ち上げ会は、例年のように、笑いにあふれた楽しいものでした。

 講習会最後のセッションのティーチインは、丸くなって、一言話すのですが、「楽しかったです。勉強になりました」など、どこにでもあるような感想を言う人は一人もいないところが、僕たちの講習会の特徴です。1分間ほどでと制限をつけますが、なかなかその時間に収まりません。いろんなことを感じ、考えたことをその人のことばで紡ぎ出していきます。幸せに包まれる時間です。研修が主体の講習会なのに、何か、カウンセリングワークショップでのふりかえりのように、みんなは自分を語ります。
 初めて参加した人が、温かい、いい雰囲気だとよく言ってくれます。それは、きっと、僕たち自身が、みんなとの出会いを喜び、企画する僕たち自身が楽しんでいるからでしょう。
 沖縄、鹿児島、島根、兵庫、大阪、愛知、栃木、神奈川、千葉の吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会の人たちがひとつの目的をもって集まる。その集まりを大切にして、自分自身が楽しんでいる。そこに全国から集まってきてくださる。なんと幸せで豊かな時間なのだろうと、いつも思います。

 もう一泊した僕たちは、翌日、余韻に浸りながら、来年の計画と今後の日程の調整をしました。吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会の、沖縄、鹿児島、栃木、千葉の事務局メンバー(代表・事務局長・事務局次長)全員が残っているというのがすごいところです。

 9時から15時まで、今後の計画を話し合いました。昨日までの興奮状態をひきずっての事務局会議なので、新しいアイデアがどんどん出てきます。第7回の講習会の展望と、新しい書籍の出版に向けて、話し合った後、5日間も一緒にいたのに、まだ話したりないような感じで、別れました。
 その後、8月1日は、山形の研修会の準備と当日配布資料の印刷をし、翌2日は山形市に向かいました。
 山形での出会いは、次回から報告します。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/8/6
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