どもることでからかわれた時の気持ちの分かち合い
小学4年生の話し合いの様子を少し紹介します。
「つまるから、発表せんとって。どもると、いらいらするから、話さんといて」
そう言われて悲しく、寂しかったという小学4年生の女子。みんなに、そんな気持ちになったことがあるか、そのとき、どんな気持ちだったのか、聞いてみたいと言いました。
男子は、「おにごっこをしても、ずっとおにをやらされてばかりだった。これは、どもることと関係している」と言います。「そのときは嫌だったし、悲しかった。お母さんに言って、先生に電話をしてもらって、先生が様子を見てくれることになって、一応、落ち着いた」ということでした。他にも、どもることをからかわれて嫌な思いをしたり、悲しい思いをしたりしたことがあると、口々に言います。
どもることを笑われたり、からかわれたりして、嫌な悲しい気持ちになったのは自然なことで、当たり前だとまず伝えました。
そして、これから、こういうことが起こったとき、どうするか、どうしたらいいかを話したいんだけど、と子どもたちに問いかけました。
その前に、でも、そういうときでも、学校には休まずに行っていたとみんなが言うので、学校に行っていたのは、君たちにどんな「力」があったからなんだろうか、話してもらいました。
・ことばの教室の先生と、どもることについて作文を書いて、クラスのみんなに話している。先生は分かってくれてるし、みんなにも伝えたから分かって気をつかってくれている。だから、今は、学校に行けている。
・嫌なことがあっても、無視している。だいじょうぶ、だいじょうぶと思っていたら、だいじょうぶだった。
・困ったときには、家の人や先生に話すことにしている。
どもったとき、まねをされたり、からかわれたりすると、悲しいし、嫌だ。でも、同じように真似されたりからかわれても、ものすごく落ち込むときもあるし、まあまあそうでもなく大丈夫と思えるときがある。この違いは何だろうか、と話は進みましたが、少し難しいようでした。でも、同じようにからかわれても、嫌な気持ちになるときと、そうでもないときがあるということには、みんな納得でした。
楽しいことがあるとき、たとえば、休み時間、外に遊びに行けば、嫌なことは小さくなるという子がいました。
僕は、授業中より休み時間の方が嫌でした。授業中は、教室に先生がいて、ある意味、守られています。休み時間は、ほったらかしの無法地帯になります。授業中、からかうことはできないけれど、休み時間なら先生の目を盗んでからかうことができるからです。その話をしても、子どもたちは、「そんなことはない。そんなに嫌な子はいない」と言います。
好きなスポーツ、好きな遊びをしているときは、あまり落ち込まないという子がいました。何かに夢中になっているとき、楽しんでいるときは、あまり気にならないというのは、みんなに共通していました。熱中できるもの、好きなものをみつけるということは、まねされたりからかわれたりするときの予防になってくれそうでした。
どもりについて説明することも、落ち込みを少なくしてくれるのに役に立ちそうでした。家の人に言ってもらったり、先生の力を借りたり、自分で説明したり、子どもたちは、それなりに工夫して、自分の周りの環境を生きやすいようにすることをしているのでしょう。
小学4年生グループには、消防士の兵頭雅貴君がスタッフとして入っていました。せっかくなので、雅貴君に質問をしました。
みんなが驚いたのが、自分の無線連絡が全消防隊員が聞いているという話でした。放送委員の声を、全校生徒が聞いているのとはまた違ったスケールです。それで、笑う人やまねする人間もいるけれど、その人たちに悪気があるわけではないので、あまり気にしないという発言に、みんな納得していたようでした。
子どもたちの話し合いの中に、どもる成人が加わる意義がここにあります。しかし、どもる人なら誰でもいいわけではなく、苦労しながら、悩みながらも、「ちゃんと生きている大人」であることが大事です。苦しいこともあるけれど、大人になると、こんな楽しいこと、いいことがあるよと示せる大人のモデルが必要なのです。
最後に、感想を聞きました。
・他の学校でも、まねされたり、からかわれたりしている人がいるんだということが分かった。そして、みんな、それぞれに工夫しているということも。
・初めて参加したけれど、ここに来て、自分の仲間がいっぱいいるということが分かった。
・去年も参加した。今年、新しい子が来て、また、仲間が増えてよかった。2回だけだけど、みんなと話ができてよかった。
・からかわれたり、ばかにされたりしたときの、みんなの気持ちが分かってよかった。
・どもる友達がこんなにたくさんいてびっくりした。どもりのことが分かってよかった。もうちょっと話がしたかった。同じ仲間なので、気持ちがすごくよく分かる。
・こんなにたくさんどもる子がいるなんて思わなかった。
・クラスにもうひとり、どもる子がいるが、ここに来て、全国からこんなにたくさんの子が来ているなんてびっくりした。来てよかったと思う。
スタッフの感想
・僕は、小学4年生のとき初めてサマーキャンプに参加した。その頃の自分を、どんなだったかなあと思い出していた。いつでも、どこでも、いろんな人がいる。ばかにする人もいるけど、そうでない人もいる。だから、恐れることなく、自分は、何をしているときが一番楽しいかを考えて過ごしてほしい。
・しっかりと自分の問題と向き合っていると感じた。初めて会う人に、こんなに自分の気持ちを話すことができてすごいと思った。
・難しい話にもなったが、しっかり考えていたのがよく分かった。誰かが話しているとき、その人の方をちゃんと見て話を聞いている姿が印象的だった。
・次々に手を挙げて話をしてくれた。私が担当している子どもたちに、みんなのことを早く話したいと思った。
今回のキャンプは、記録をきちんととってあるので、詳しい話の内容は、また、報告できると思います。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2017/8/31
小学4年生の話し合いの様子を少し紹介します。
「つまるから、発表せんとって。どもると、いらいらするから、話さんといて」
そう言われて悲しく、寂しかったという小学4年生の女子。みんなに、そんな気持ちになったことがあるか、そのとき、どんな気持ちだったのか、聞いてみたいと言いました。
男子は、「おにごっこをしても、ずっとおにをやらされてばかりだった。これは、どもることと関係している」と言います。「そのときは嫌だったし、悲しかった。お母さんに言って、先生に電話をしてもらって、先生が様子を見てくれることになって、一応、落ち着いた」ということでした。他にも、どもることをからかわれて嫌な思いをしたり、悲しい思いをしたりしたことがあると、口々に言います。
どもることを笑われたり、からかわれたりして、嫌な悲しい気持ちになったのは自然なことで、当たり前だとまず伝えました。
そして、これから、こういうことが起こったとき、どうするか、どうしたらいいかを話したいんだけど、と子どもたちに問いかけました。
その前に、でも、そういうときでも、学校には休まずに行っていたとみんなが言うので、学校に行っていたのは、君たちにどんな「力」があったからなんだろうか、話してもらいました。
・ことばの教室の先生と、どもることについて作文を書いて、クラスのみんなに話している。先生は分かってくれてるし、みんなにも伝えたから分かって気をつかってくれている。だから、今は、学校に行けている。
・嫌なことがあっても、無視している。だいじょうぶ、だいじょうぶと思っていたら、だいじょうぶだった。
・困ったときには、家の人や先生に話すことにしている。
どもったとき、まねをされたり、からかわれたりすると、悲しいし、嫌だ。でも、同じように真似されたりからかわれても、ものすごく落ち込むときもあるし、まあまあそうでもなく大丈夫と思えるときがある。この違いは何だろうか、と話は進みましたが、少し難しいようでした。でも、同じようにからかわれても、嫌な気持ちになるときと、そうでもないときがあるということには、みんな納得でした。
楽しいことがあるとき、たとえば、休み時間、外に遊びに行けば、嫌なことは小さくなるという子がいました。
僕は、授業中より休み時間の方が嫌でした。授業中は、教室に先生がいて、ある意味、守られています。休み時間は、ほったらかしの無法地帯になります。授業中、からかうことはできないけれど、休み時間なら先生の目を盗んでからかうことができるからです。その話をしても、子どもたちは、「そんなことはない。そんなに嫌な子はいない」と言います。
好きなスポーツ、好きな遊びをしているときは、あまり落ち込まないという子がいました。何かに夢中になっているとき、楽しんでいるときは、あまり気にならないというのは、みんなに共通していました。熱中できるもの、好きなものをみつけるということは、まねされたりからかわれたりするときの予防になってくれそうでした。
どもりについて説明することも、落ち込みを少なくしてくれるのに役に立ちそうでした。家の人に言ってもらったり、先生の力を借りたり、自分で説明したり、子どもたちは、それなりに工夫して、自分の周りの環境を生きやすいようにすることをしているのでしょう。
小学4年生グループには、消防士の兵頭雅貴君がスタッフとして入っていました。せっかくなので、雅貴君に質問をしました。
みんなが驚いたのが、自分の無線連絡が全消防隊員が聞いているという話でした。放送委員の声を、全校生徒が聞いているのとはまた違ったスケールです。それで、笑う人やまねする人間もいるけれど、その人たちに悪気があるわけではないので、あまり気にしないという発言に、みんな納得していたようでした。
子どもたちの話し合いの中に、どもる成人が加わる意義がここにあります。しかし、どもる人なら誰でもいいわけではなく、苦労しながら、悩みながらも、「ちゃんと生きている大人」であることが大事です。苦しいこともあるけれど、大人になると、こんな楽しいこと、いいことがあるよと示せる大人のモデルが必要なのです。
最後に、感想を聞きました。
・他の学校でも、まねされたり、からかわれたりしている人がいるんだということが分かった。そして、みんな、それぞれに工夫しているということも。
・初めて参加したけれど、ここに来て、自分の仲間がいっぱいいるということが分かった。
・去年も参加した。今年、新しい子が来て、また、仲間が増えてよかった。2回だけだけど、みんなと話ができてよかった。
・からかわれたり、ばかにされたりしたときの、みんなの気持ちが分かってよかった。
・どもる友達がこんなにたくさんいてびっくりした。どもりのことが分かってよかった。もうちょっと話がしたかった。同じ仲間なので、気持ちがすごくよく分かる。
・こんなにたくさんどもる子がいるなんて思わなかった。
・クラスにもうひとり、どもる子がいるが、ここに来て、全国からこんなにたくさんの子が来ているなんてびっくりした。来てよかったと思う。
スタッフの感想
・僕は、小学4年生のとき初めてサマーキャンプに参加した。その頃の自分を、どんなだったかなあと思い出していた。いつでも、どこでも、いろんな人がいる。ばかにする人もいるけど、そうでない人もいる。だから、恐れることなく、自分は、何をしているときが一番楽しいかを考えて過ごしてほしい。
・しっかりと自分の問題と向き合っていると感じた。初めて会う人に、こんなに自分の気持ちを話すことができてすごいと思った。
・難しい話にもなったが、しっかり考えていたのがよく分かった。誰かが話しているとき、その人の方をちゃんと見て話を聞いている姿が印象的だった。
・次々に手を挙げて話をしてくれた。私が担当している子どもたちに、みんなのことを早く話したいと思った。
今回のキャンプは、記録をきちんととってあるので、詳しい話の内容は、また、報告できると思います。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2017/8/31