1965年夏、「吃音が治らないと人生はない」と思い詰め、民間吃音矯正所で1か月必死に訓練したものの、治らず、治すことをあきらめてから、僕の人生は大きく変わりました。「吃音を改善する」には、吃音治療・言語訓練しかありませんが、「治らない・治せない」となると、吃音とどう向き合うか、考え、工夫せざるを得なくなります。そこには「吃音で良かった」とまで言う、吃音の豊かな世界が広がっていました。
僕は、吃音の原因究明や言語訓練に終始するアメリカ言語病理学には関心がなくなりました。代わりに、治せない、簡単には解決しない、人間の普遍的な悩みや問題に関心を移し、様々な領域から学んできました。
交流分析、アサーション、論理療法、森田療法、パーソンセンタードアプローチ、トランスパーソナル心理学、ゲシュタルトセラピー、サイコドラマ、認知行動療法、内観法、笑いとユーモア、竹内敏晴レッスン、演劇・詩などの表現、アドラー心理学、当事者研究、ナラティヴ・アプローチなど、その道の第一人者から、ワークショップ形式にこだわり、3日間のワークショップで学んできました。それぞれが僕たちの考えの血となり肉となりました。
その中でも、論理療法、ナラティヴ・アプローチは、吃音のために作られたのではないかと思えるくらいに、吃音の問題を考えるのに、ぴったりとくるものでした。その二つの加えて、これも吃音について考えるのにぴったりだと思える概念に出会えました。
「どうにも答えの出ない、対処しようのない事態に耐える能力。性急に証明や理由を求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」の、ネガティヴ・ケイパビリティ(negative capability)です。ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐えぬく力。その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていると確信して、耐えていく持続力を生み出すと言います。最近注目されている、オープンダイアローグの「不確実性への耐性」そのものです。紹介者の帚木蓬生さんは、こう紹介しています。
「私たちが、いつも念頭に置いて、必死で求めているのは、問題解決能力だ。しかしこの能力では、表層の「問題」のみをとらえて、深層にある本当の問題は浮上せず、取り逃してしまう。その問題の解決法や処理法がない状況に立ち至ると、逃げ出すしかない。それどころか、そうした状況には、はじめから近づかない。私たちにとって、わけの分からないことや、手の下しようがない状況は、不快で、早々に解答を捻り出すか、幕をおろしたくなる。しかし私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちている。むしろそのほうが、分かりやすかったり処理しやすい事象よりも多い。だから、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくる。私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医の職業生活も、作家の創作行為も、随分楽になった。ふんばる力がついた。それほどこの能力は底力を持っている」。 (帚木蓬生)
この本で、帚木さんは、ネガティブ・ケイパビリティについて話したときの、スクールカウンセラーのコメントを紹介しています。
「学校現場は、すぐに解決できない問題だらけで、教育者には問題解決能力以上に、「ネガティブ・ケイパビリティ」が重要になってくる。子供たちにも、ネガティブ・ケイパビリティを培う視点も重要だ。解決しなくても、訳が分からなくても、持ちこたえていく。消極的に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められている。どうにもならないように見える問題も、持ちこたえていくうちに、落ち着くところに落ち着き、解決していく。持ちこたえていれば、いつか、そんな日が来る。「すぐには解決できなくても、なんとか持ちこたえていける。それは、実は能力のひとつなんだよ」と子供にも教えてあげたい」
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』 朝日選書 帚木蓬生
僕の、吃音に深く悩んでいた学童期・思春期は、本当につらいものでした。吃音を完全に否定し、「どもりが治らないと僕の人生はない」と思い続けていました。実際、『どもりは必ず20日間で治る』の本をバイブルのようにして練習していました。でも、一向に治りません。いつ先生に当てられるか、音読させられるか、いつもびくびくしていました。いったい、この僕の吃音はどうなっていくのか、まったく見えてきません。
友達との楽しい遊びも、スポーツも、勉強もせず、何一つ楽しいことのない学校へ僕が行き続けていたのは、何だったのだろうと思います。このネガティヴ・ケイパビリティの考え方に出会って、そうか、僕にはこのネガティヴ・ケイパビリティがあったのだと思うと、あの苦しかった、学童期・思春期が、いとおしいものに思えてくるのです。この力が僕にはあり、その状況に耐えている中で、何かの力が熟成され、今の幸せな人生につながったのだと思います。
この能力は、どもる子どもや保護者、臨床家にとって、極めて重要です。原因もわからず治療法もない吃音が、今後、どうなっていくかは誰もが不安です。展望をもって、自信をもって、どもる子どもの指導をしている人がいるとしたら、それこそ変です。あまりも、無知で傲慢です。どもる本人も、親も、臨床家も確実なことは何も言えません。
いつどもるか、どの場面でどもるか、どもる本人も、確実にはわかりません。臨床家も、かなりどもる子どもを目の前にして、なんとかしてあげたいと思うでしょうが、これまでの治療法を見よう見まねで取り組むだけで、何の展望ももてません。
吃音は生活の中でこそ変化するものだと信じて、子どものそばにいることしかできないのです。どもる子どもにとって、一人ではその状況には耐えられませんが、一緒に考え、見守ってくれる人がいれば、耐えることができるのです。
この6月、県難聴・言語障害教育研究会 鹿児島大会の講演で、吃音には、ネガティヴ・ケイパビリティが必要だと話しました。興味をもって下さった人が多かったのは、ありがたいことでした。ことばの教室の教師が、誠実に吃音に取り組み、悩んできたからでしょう。
ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、レジリエンス、オープンダイアローグに通底しているのが、このネガティヴ・ケイパビリティだと思います。これまで学んできたことが、どんどんつながり、深まっていきます。「吃音を治す・改善する」の取り組みでは、決してつながっていかないものです。45年前に、大きな方向転換をして本当によかったと思います。
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』 朝日選書 帚木蓬生
この本の朝日新聞の記事も紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二