伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2017年02月

大阪吃音教室は、ますます充実していきます。

大阪スタタリングプロジェクトの運営会議

運営会議1

運営会議2


 年に一度の大阪スタタリングプロジェクトの運営会議が、2月18・19日に應典院で行われました。
 18日は午前中、「新生」や「スタタリング・ナウ」の発送をし、その後、場所を移動して運営会議です。
 それぞれが仕事を持ちながらの活動ですが、なんとかやりくりして、18日は22人、19日は14人が参加しました。その出席率の高さにも驚きます。

 話し合いは、東野会長の進行で進みます。まず、2016年度の振り返りからです。
 ひとりずつ、担当した大阪吃音教室の講座のこと、参加した講座のこと、吃音教室以外のイベントのこと、個人的なことなど、話します。合いの手も入り、チャチャも入り、楽しい時間です。

 その後、2017年度の大阪吃音教室のスケジュール、担当者、毎週の世話人、「新生」の発送日や編集担当、日本吃音臨床研究会との共同の活動やイベント、吃音親子サマーキャンプ、親・臨床家のための吃音講習会、新・吃音ショートコースのことなど、活動の幅広さを感じさせる話し合いが続きます。去年と一緒、今までどおり、ということではなく、常に、実際の取り組みを通して、あるいは参加してみた感想をもとにして考えるので、バージョンアップしていきます。形式的な、通り一遍のことが好きではない僕にとって、とても居心地のいい会議です。

 昨年からの新しい企画として、映像化プロジェクトの活動があります。井上詠治さんが中心になって進めてくれています。
 2016年度は、2つの映像を形にしてくれました。ひとつは、自分の体験を作文にし、それを自分で読む姿を映像で撮り、それをYouTubeで流したことでした。藤岡さん、赤坂さん、堤野さんが、撮影に協力してくれました。
 体験を文集にしたり冊子にしたりして出版してきましたが、映像は初めてでした。撮影現場は、本格的な機材が並び、井上さんの姿は監督のようです。編集されたものは本人の声がしっかり撮れていて、映像のもつ力の大きさを改めて感じさせてくれました。
 千葉県の看護師が、どもりながら豊かに生きていくと決めたものの、日常生活の中で時につらくなることもあるけれど、その映像をみて、勇気づけられたという話を聞きました。どもっていたら将来大丈夫かと心配している保護者にとっても、どもる本人が、どもりながら、自分の体験を語る姿は、どもっていても大丈夫ということを確信に変えてくれる力があります。

 また、竹内敏晴さんから学んだからだとことばのレッスンの模様を映像にしてくれました。日曜日開催した大阪吃音教室は、午前中はからだのことを、午後は歌や詩で声を出し、せりふまで言うエクササイズを行いました。その様子も、編集中で、もうすにぐアップできそうです。

 この2つの取り組みに続いて、今度は、吃音の基礎知識を質問に答える形で考えていこうという取り組みを行います。

 前期20回、後期20回、計40回の大阪吃音教室のスケジュールが見事に決まっていきます。担当者も、「私、それ、します」とか「それ、やてみたかった」とか、「一度、挑戦したかった」など、講座の担当者も苦労することなく決まっていきます。講座をたんとうすると、関連書籍や、吃音教室の記録などでかなり勉強しなければなりませんが、担当することでそれができるからうれしいといいます。

 1987年から、それまで日曜日に、言語訓練的な例会を、根本的にあらため、「吃音とともに豊かに生きる」ために、さまざまな領域のことを学んでいく、今の金曜日の大阪吃音教室を始めたときは、40回のすべての講座の担当を僕がしていました。
 毎回、1週間かけて資料をつくり、金曜日の朝にできあがることもしばしばでした。そうして、資料が蓄積され、改訂され、積み重ねられてきました。そして今、僕の担当する講座がとても少なくなりました。うれしく、ちょっと寂しく、そんな思いです。

 講師を呼んでの吃音ショートコースが終わり、新しく、新・吃音ショートコースとして再開したものも、おおむね、この形で2017年も続けていくことになりました。
 1月に行ったそれは、ばたばたと準備・宣伝しましたが、今度は、余裕をもって、皆さんにお知らせしていくことができます。ぜひ、ご予定に入れて下さい。
 日時は、12月9・10日です。会場は、大阪近郊を考えています。

 いい時間を過ごしました。まだ、2016年度は1ヶ月以上残っていますが、継続の力を大切にして、毎日を過ごしていきたいです。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/02/20

吃音のドキュメンタリー映画「The Way We Talk」(私たちの話し方)上映とトーク全編


 順序を変えて紹介してしまいましたので、再度最初から、最後までのトークを再投稿することにしました。3回にわけたものを一つにまとめました。長くなりますがこれで全編です。


 人が集まるお寺として有名な應典院(おうてんいん)で、毎年幅広い団体が参加する、應典院コモンズフェスタ2017参加イベントとして、この企画がされました。

 トークのゲストは、一ノ瀬かおるさんです。一ノ瀬さんは、漫画家として活躍する一方で、北海道浦河の「べてるの家の当事者研究」に強い共感と関心をもち、向谷地生良さん親子を大阪に迎えて事前の学習をするなど、準備を続けてこられました。そして、昨年10月、大阪大学で、530名が参加した「当事者研究全国交流集会大阪大会」を、運営委員長として開催されました。大阪の地に当事者研究を根づかせた人です。

 壇上には、大阪吃音教室を運営する、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんと、コモンブフェスタの企画者のひとり、藤岡千恵さん。藤岡さんは、一ノ瀬さんが運営委員長として開催した全国交流会で「吃音の当事者研究」の発表をしました。僕が司会進行をしながら、一ノ瀬さん、東野さん、藤岡さんの4人でトークをしました。

 まず、「The Way We Talk」(私たちの話し方)上映の後、一ノ瀬さんに興味をもたれたことを三つほど出していただき、それをキーワードに話し合われたことを紹介します。しかし、発言者に校閲を受けていませんので、多少のニュアンスに違いはあるかと思います。正確なものは後日、本人の校閲を受けて紹介する予定です。

  コモンズフェスタ 映画の上映とトーク

平松 壇上にお上がり下さい。登壇者の紹介も含めて、伊藤さん、お願いします。

壇上の4人

伊藤 こんばんは。日本吃音臨床研究会の伊藤伸二です。時間としてはそれほどなく、55分くらいですが、よろしくお願いします。登壇して下さった人をまず紹介します。

 一ノ瀬かおるさんです。漫画家ですが、ご自身のいろんなことも含めて、北海道べてるの家の当事者研究に関心を持たれて、應典院でまず当事者研究の学習会をされました。そして、ぜひ、大阪でというすごいエネルギーを持って、昨年、当事者研究の全国交流集会を大阪でされました。あれよあれよという間に、大阪で大きなイベントをやって下さいました。当事者研究を大阪になんとか根を下ろしたいと思って下さっている方で、今回、このイベントにぜひ来て下さいとお願いしましたら、快く来て下さいました。ありがとうございました。

 横にいるのが、さきほど開会の挨拶をしましたが、大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんです。そして横が藤岡千恵さんです。藤岡さんは、当事者研究の交流集会で、吃音のことで発表をした人で、一躍有名になったらしい人です。今回も、登壇をしてもらいました。

 話の進め方について、ちょっとだけ打ち合わせをしました。まず、一ノ瀬さんにこの映画を見て感じたこと、考えたことを3つか4つぐらいにまとめていただいて、話してもらって、それを基にみんなで話したいなと思っています。そういう方向で進みます。
 まず、一ノ瀬さん、ごらんになって、どんな感想をお持ちになりましたか。

伊藤と一の瀬

一ノ瀬 一言で言うと、本当にすてきな映画でした。

伊藤 そうでしたか。それはうれしいです。

一ノ瀬 皆さんは、もう何回も見られているんですよね。だったら、もしかしたら感動が薄いのかもしれませんが、私は、あ〜と思いました。最初、マイケル・ターナーさんの、僕は吃音という苦労を抱えている、どういう苦労を抱えているのか、そういう話ですすんでいくのかと思っていたら、最後、どんどん自分自身が、なぜだか分からない、得体がしれないんですけど、癒やされていきました。おや、なんだろう、この得体のしれない心地よさは、と思っていました。最後、人間って、なんで生きているんだろうね、みんなどういうふうに向き合って何をしているんだろうね、という語りかけをそっとされたような気がしました。

伊藤 そっと、ね。

一ノ瀬 いい作品に出会ったとき、それを作った人としゃべりたくなるんですよ。ターナー君、ターナー君、私、こう思っているよ、と。今回、マイケル、しゃべろう、みたいな気持ちがすごい出ました。

伊藤 じゃ、今度、大阪に呼びますかね。

一ノ瀬 英語、勉強しときます。質問を何個かピックアップしようと思っていたのですが、メモをとることもなく、自分自身が癒やされてしまって、ほわっとしていました。皆さんは、この映画を見るのは何回目ですか。

東野 僕は、3回目です。でも、やっぱり、1回目のときよりは2回目、2回目よりは3回目と、印象は違いますよね。おっしゃられたように、マイケル自身がどんどん変わっていくでしょう。吃音そのものも、最初の、吃音を持っているのに、ないようにしていたみたいな感じで話をしていたけれども、ずっと終盤にいくと、吃音を認める、だんだん受け入れていくような話の展開になっていきますよね。それがすごいなと思いますね。

藤岡 私は今日で、この映画を見るのは、2回目です。最初は、大阪吃音教室の仲間たちと、下の研修室Bで見たんです。マイケルが大阪吃音教室に来たときもその場に一緒にいて、マイケルの話も聞きました。それまではアメリカや世界では、治した方がいいというか、流暢にしゃべれるほうがいいという考え方で、そういうアプローチばかりだとずっと聞いていたのでそういう認識だったんですけど、マイケルに会って、話を聞いたときに、新鮮だったし、うれしかったです。
伊藤さんのことを知って、是非会いたいと日本に来てくれて、話を聞くと、ほんとに共通していることがたくさんあった。日本とアメリカ、日本と世界の境界がないんだなあと思いました。映画の中のメッセージも響くものがたくさんあるんですけど、最後のお母さんとの会話がすごく残っています。後日談で、私たちが下の研修室で映画を見た日に、マイケルの子どもが生まれたという話を聞きました。映画の話に、お母さんと子どもの話をしている場面がありますが、なんかすごい不思議なつながりというか、縁を感じました。

伊藤 さきほど一ノ瀬さんが見ているうちに、なんか自分が癒やされたというお話でしたが、もうちょっとどんな感じなのか、話していただけますか。

一ノ瀬 得体が知れないんです。整理できていないのですが、探りながらしゃべります。何なんでしょうね。ものすごく安心したんです。同時に、作中のエピソードの中で、ブタだったかなあ、ゾウだったかなあ、机の上にゾウの赤ちゃんがいるのに、みんなそれをいないことにして、しゃべっていたみたいなエピソードが出てきましたね。
 ブタ? ゾウ? カバ?! カバでしたか。カバのこと、なるほどと思いました。いないことにしてしゃべったときの会話って、いないことにしているのでしゃべれないじゃないですか。そこで、ふっと、「カバ、いるね」と誰かがそう言ってくれると、「う、うん。実は、私もそう思っていた」みたいになって、これ、なんでいるんだろうねみたいな話ができていくと、

伊藤 誰かが言ってくれたらね。

一ノ瀬 そう。実は私もそう思ってた、みたいになる。しゃべれないところが開かれていくんです。その対話の語りかけを、まずして下さったような気がしたんです。「そうじゃない?」と言われた気がしたんです。「しゃべっていいの?」。じゃ、私もちょっとしゃべりたい、みたいな。それをやさしく、まず、最初にしゃべってくれた感じがしたんです。でも、まだ、得体が知れないなあ。何だろう。ターナーさんは、実際、どんな方でした? 伊藤さんは、実際、会われたんですよね。

伊藤 会いました。ターナーさんは、仕事としては農夫なんですね。ソフトで、繊細で、映像にも出てきてましたけれど、僕が話をしているのを一所懸命聞いてくれているあのまなざしが、まだいまだに印象に残っています。人の話をちゃんと聞いて咀嚼して、自分の中で対話をしようとする。そういう人だから、撮影を始めて、たかだか1年なんですが、1年間であそこまで変わっていくというのは、すごいです。それなりにきっかけがあって、もちろん親友から問いかけられたことが映画づくりのはじまりですが、そこから撮影に入って、1年でいろんな人を巻き込んで、それなりに変わっていった。

一ノ瀬 すごい行動力ですね。

伊藤 すごいですね。新婚旅行に日本を選んで、僕に会いに来るというのもすごいですし。

一ノ瀬 不思議ですけど、でも、彼の中で25年間、蓄積されてきた物語はすごかったんだったんだなあということが分かりました。映画の作りが、ドキュメンタリーとしても見事でしたね。

伊藤 ああ、そうですか。

一ノ瀬 本当に、語りが私たちの心にじわじわ浸透していって、吃音がどういうものかも分かりました。最初、家族とは語らなかったというところ、びっくりですよね。最後、改めて見ると、考えられないくらいです。

伊藤 両親だけでなく、おじいちゃんも、おばあちゃんも、弟も、吃音ですからね。

一ノ瀬 家では、吃音について全然しゃべらなかったんですよね。

伊藤 たくさんどもりがいながら、どもりのことは一切しゃべってこなかった。カバはたくさんいたのに、カバなんていないということですよね。すごいですよね。

一ノ瀬 でも、いるわけですからね。

伊藤 これが、どもりのすごくおもしろいところです。このイベントの最初、オープニングに出てきたスキャットマン・ジョンは、カバよりももっと大きな「象」なんですよ、彼が言うには。自分は、象という、ほんとに周りから見たら、めちゃくちゃ大きな動物を引き連れて歩いているにもかかわらず、自分は象なんて引き連れて歩いていない、象と一緒にはいないという、象を見ないで生きてきた。スキャットマンワールドというCDを出すときに初めて、吃音に向き合わざるを得なくなるのですが、それが52歳のときのことなんですよ。マイケルは25歳、スキャットマンは52歳。そこまで向き合えない吃音って、何だろうかと思います。

一ノ瀬 では、私は3つぐらいカードが切れるらしいので、じゃ、一つ目のカードにいきます。

伊藤 はい、どうぞ。

一ノ瀬 なぜ、語れない、語らないのか、です。分からなかった? でも、気づいていますよね。気づいているのに、語らなかった、語れなかった。そこから、語るとどうなるのか。それは一体、社会とか人生とかに何を生み出したのか。結局、語りとは何なのかみたいな話を、私はすごく考えたいのですが。じゃ、まず、お二人に聞いてもいいですか。きっかけ、ターニングポイントといえばいいでしょうか、吃音と向き合うとき、まあ向き合ってここにいらっしゃるわけですけれど、そのタイミングと、その前後、自分の象がぽこっと動いたのか、どういうことだったのか、ちょっと教えて下さい。

東野 映画の初めに、弟がいたでしょう。弟と最初に吃音の話を始めますけれど、弟は最初あんまり乗り気じゃなかったでしょ。あんまり話したくないけど、しゃあないなあ、みたいな。

伊藤 うん、そんな感じだったね。

東野 結局、吃音というのは、劣ったもので、恥ずかしいものだし、それをことばにしてオープンにしたくないという気持ちがどもりに悩んできた人たちにとってはある。自分も劣った、恥ずかしいものだと思っているし、きっと人も自分のことをそう見ているに違いないという、思い込みなんだけど、そういうものを持っているんです。だから、なかなか自分から、吃音のことを話したがらない。きっかけとしては、映画でもそうでしたけど、吃音のグループにかかわり出したときから、そこに参加して、どもっているのは自分だけじゃなかったんだということが分かり、仲間の前で、吃音の話をし、それに対する反応も返ってくる。お互いの吃音に対する共感、悩みなどを分かち合うことがあって初めて、自分のことが語れるようになる。苦しさも語れるようになる。それがひとつのきっかけだと思うんです。ひとりでは難しいけれど、仲間の力が、語れるようになったきっかけかなあと思います。

伊藤 藤岡さんが語れなかったのは、どうしてなんですか。

藤岡 カバを隠していたときですか。

伊藤 結局、親とも吃音について話をしていないわけでしょう。そして、僕たちと出会うまで、ほとんど誰にも、自分の核である、中心にある問題でありながら、マイケルのようにずっと語ってこなかった。語らなくさせたものとは、どういうものでしょう。

藤岡 私は、たぶん、3歳ころからどもり始めて、どもりの存在に気づいたのは、同じどもりの父のメッセージだったんです。私がどもりながら「おおおおおとうさん」と言ったら、父が「もう一回、ゆっくり、お父さんと言ってみ」と言うので、ああ、このしゃべり方はあかんのかなあと思い始めました。小学校に入ったとき、自分とクラスメイトとの違いというものを突きつけられたような気がして、すごい劣等感を持ってしまいました。
 私もやっぱりマイケルの家族と同じように、吃音の話は自分からはしなかったし、学校の先生にも親にも、吃音のことを話したいとも思わなかったし、悩んでいるということも知られないように振る舞ってました。なんでそこまでかたくなになったのか。やっぱりどもっていたら、受け入れられないと思っていたし、親からの「あなたはどもらないでしゃべりなさい」というメッセージを自分なりに受け取って解釈して、「どもっていたら愛されないんだ。どもらないしゃべり方をしないといけないんだ」と思ったのです。どもりを存在しないことにしていたし。

伊藤 親からも否定され、また周りからも否定されていると感じることについては、語れないということなんだろうと思うんです。存在をないものとしているものに対しては語れないということになってくると思うのですが、それをお聞きになってどうでしょう。

一ノ瀬 ターナーさんと伊藤さんが語られることを順序で考えると、ターナーさんは、今、吃音についていろいろと気づいて、語っていこうとされたり、治療も受けられたりしてますよね。まあ、受けたり受けなかったりですが。でも、伊藤さんは、ずいぶん前から、もういいじゃないかというスタンス。それは間違ってはいないですか。(はい)
 それを語るためにあえて言わせていただくのですが、たとえば、藤岡さんは、当事者研究の全国交流会の「吃音の当事者研究」で話されていたことによれば、子どもの頃から、どもらないように工夫して、吃音をコントロールして、シーアンの言う「カバ」を隠して、しゃべれる自分を作り上げましたよね。作り上げることも可能だとしたら、その方がいいというコメントもあると思うのですが。

伊藤 それはあります。アメリカの言語病理学やそれにつながる人たちは、周りからどもりだと分からなくなれば、それはそれで万々歳で、それができたらあなたのどもりの問題はなくなったと同じだから、それでいいじゃないかと言います。「かなりゆっくりとした話し方で、多少の不自然さはあったとして、どもるよりはいいでしょう。あなたは、どちらを選択しますか?」と迫ります。選択と言いながら、治療者としては「不自然なゆっくりの話し方でも、どもらない方がいい」との価値観をある意味、どもる人に押しつけていると言えなくもないんです。だから、アメリカでは、どもらないようにコントロールする方法を身につけさせようとするんです。

一ノ瀬 それは、理にはかなっていると思うんです。社会からの要求がきていて、それに合わせようとして、それを成長と位置づけ、みんなで努力して、さあ社会に適応できましたねという流れは、一般的に、私が子どもの頃からの基本的な社会からのスタンスなんですよね、社会の要求としては。それをあえて、そうではないと、伊藤さんたちは言われる。自分たちのどもりと向き合っていこうという、それは、どういうものなのでしょうか。

伊藤 専門家集団、治す立場にある人は、「ゆっくり、そっと、やわらかく」言う訓練で、どもらないようになったら、それで何の文句があるのかと言うんです。ところが、当事者、本人にしてみれば、そういうふうに、「どもらない方がいい」の価値観に縛られて、どもらないように気をつけて、話をしている自分に疑問を感じはじめます。これが本当に自分なのか、世間に合わせて、世間に合っていることばを、外国語でも学ぶように学んでしまった、この僕のことばは、自分のことばじゃないと思うときがあるんです。

 小学生の子どももそうで、ロボットのようなしゃべり方は、僕はしたくないと言ったりします。ある子は、小学生で気づいたり、ターナーは25、6歳で気づいたり、僕は21歳で気づいたり、スキャットマン・ジョンは、52歳で気づいたり、この年齢の幅があるのは一体何なんだろうと思って、すごい不思議なんです。

一ノ瀬 私は、当事者研究の取り組みを、NPOを立ち上げて、みんなでやったり、もちろん私も一緒にやっています。その中で出てくるのが、「定型さん」とか「社会的な与党」とか、「べきものさし」とか表現しますが、そういうものさしをみんな持っているということです。たとえば、この場面では、どもらずにさらっと言うべきだとか、自分の中にそういうものさしをストックしている。そのものさしが多ければ多いほど、それは、おりのようになっていく。おりの中で、「べきものさし」に囲まれている。でも、べきものさしが言っていることって、社会の与党なんです。大多数で正しいように迫ってきます。「そうするべきだよね」と言ったら、みんな、「う、うん」(不本意ながらも、みんな賛成するみたいな)と言う。べきものさしを抱えていくことの不都合は、それがおりのように頑丈になっていくことと、そのものさしで、今度は他人をはかってしまうことです。

 私はこういう「何々すべき」で生きているのに、なぜあなたはこの「べき」を使わないのかなということになり、心のすさんだサイクルが起こる。それは吃音だけじゃなくて、いろんな所で発生している。社会の与党からの要求と、自分が野党だから、人数が少ないから、与党に屈するべきかとか。これもべきべき、です。こういうことがいろんなところで起こっている。だから、あえて、お伺いしたかったのです。

 ターナーさんは、自分で語りを始められましたね。しゃべろうとされていた。これは、相当難しいんじゃないかと思うんです。私は、この映画のタイトル「私たちの話し方」と聞いて、うっかりの吃音の話し方ってこうだよね、定型の話し方ってこうだよねという、そのことを言っているかと思ったら、違ってました。
 自分の中に何があって、自分はどういう苦労を抱えているか、まず自分が明らかにする。あきらめるんですよね。明らかにして、それをそのまま受け取って、さらにそれから語っていこうとする。この話すところに行くまでに、何段階もあると思うんですが、これって、ただ事じゃないと思います。

 ちょうど、数日前、ここ應典院で、「母娘問題」を取り上げ、それを語ってみようというイベントをしたんです。母娘問題ってご存じですか。
 娘が母の要求してくる人生をそのまま生きようとしている。自分の人生の優先順位が、母が求めるものになってしまっている。そんな優先順位をもって生きてしまう娘たちの苦労なんだけど、それに気づくまでにすごい時間がかかります。私は、母の要求で、今、服を選んでいる、この進路を選んでいるということに、娘本人が気づいていないんです。もう一体化してしまっているから。でも、「母娘問題」を語るとき、そこを分離して、さらに自分の中を見て、どうなっているか観察していくんです。えらい作業なんです。このあたりの苦労を、どういうことをされてきたのか、どういうしんどさがあったか、聞かせて下さい。

東野 さっきの話に、「べき思考」というのがあったでしょう。人前で、どもって話すべきではないという、そんなことは、僕たちにいっぱいあるわけです。もちろん、それに囲まれていると、話せなくなってくる。それから解放されないとまず語ることができない。今回の配布資料の中にありますが、ジャーナリストの斎藤道雄さんが、「すべきだ、治すべきだ」というのは、自分のことばではなく、他人のことばなのだと言っているんです。さきほど、与党という話があったけれど、まさしくそういうことで、他人が言っていることです。大多数の人はおそらくそんなふうに考えるだろうという考え方です。一方、僕らが治すことにこだわらなくて、自分はこのままでいいんじゃないか、そんなにがんばらなくていいんじゃないかというのは、他人のことばではなく、私のことばなんですよ。その違いについて斎藤さんは書いている。

 とてもよく分かるなあと思う。「べき」に囲まれているとき、大きな劣等感をもっているときは、自信がないので、人と吃音についての対話ができない。でも、セルフヘルプクループに来て、どもりながら話をしたことを真剣にみんなに聞いてもらい、中には、「お前、なかなか良いことを言うな」とほめてもらったりする。そんなことがあると、自信ができてきて、少し吃音について語れるようになるという経験をしたことがある。その積み重ねかなという気がする。

藤岡 私も、やっぱり自分のどもりを絶対に明るみに出してはいけないという時代が長くて、その頃はもう、「べきものさし」だらけで、ちょっとでも、どもってしまったら、終わりだという感じだった。この映画、すごく奥が深いなと思うのは、自分との対話というか、「どもるな」というのは、結局自分が自分に言っていることばなんですね。私は、父が「ゆっくりいいなさい」と言い直しをさせたことをずっと、父が、私の吃音を否定して、そういうメッセージを送ったと思っていました。だけど、少し離して別の視点から見たら、父は、自分の目の前の娘が自分と同じようにどもっていたら、心配になって、あわててしまって、父なりに娘のことを必死に考えて言ったかもしれない。「ゆっくりしゃべれ=どもるお前など認めない」ではなかったのに、それを自分の中で増幅させて、世間の人も目の前にいる大事な人も、たぶん、「自分がどもったら、否定される」という、自分で「べきものさし」をさしていたんだと思います。

 ほとんどの人は、どもる人に対して、「どもるあなたはだめです」とか「人として劣ってます」と思っていないと思うんですが、それを、「目の前の人がそう思っているに違いない」と、自分が思うから、語れなくなる。そのことをマイケルの弟も、グループで知り合った親友も、いろんな人が表現を変えて、そのメッセージ伝えていた。そのことが、この映画の一つ大きいところだと思います。私も吃音について語れなかった頃は、自分がどもるなんて絶対に出せなかった。でも、仲間に出会って、「どもりって、何?」というところから考えて、そんなに悪いものじゃないというのが分かったとき、人に吃音について伝えてみたら、目の前の人は、私の吃音なんてたいした問題じゃないんですよね。自分の中で勝手に大きくしていただけでした。そこがたぶん、どもる人が悩む大きなポイントなんだろうなと思います。

伊藤 さきほどの話で、自分のしている行動が、母親に支配されてのものなのか、自分が主体的なのかに気づくということがとても難しいということがありましたが、僕たちも、似たような経験をしています。僕たちを支配してきたのは何かです。僕たちは、どもることそのことに悩んできたのではないのではないかとの疑問です。社会の中の「流暢に、効率よくしゃべることが普通」という、これを僕たちは社会通念という言い方をしますが、それが実は、僕たちを苦しめているんではないか、ということに気づくというのは、すごく難しいです。

 どもることで、人に笑われたり、からかわれたりした経験はあったにせよ、「私はどもることで悩んでいます」というのとは、ちょっと違う視点です。どもる僕たちを生きにくくさせてきた張本人は別のところにある。「吃音に悩んでいるのは、どもらないで話すことが、普通だという社会通念にしばられて、そうしたいのに、それができないことの悩みだ」と、僕たちは考えるようになりました。この自分を悩ませてきた正体に気づくのはとても難しい。どもる当事者が、ただ単に話し合っているだけでは気づけない。吃音以外の人の悩み、苦しみに耳を傾け、他の、全く違うほかの領域から学び、その立場の経験とか、いろんなものが混ざり合って、実はこれは自分たちだけの思い込みかもしれないぞというふうに気づける。それには、よほどの機会と人との出会いなどが複雑にからむんでしょうね。  

一ノ瀬 こうやって、先輩たちが、語りをしてくれることによって、ことばが移っていくじゃないですか。気づいて、ほんとに生身で語ることばが、自分のことばにもなってきている。安心できる場所とかことばとか、大事ですね。 映画の一番最初に、桟橋が出てきましたね。うわ、あれ、分かると思ったんです。私、漫画家なんですけど、売れるためにはどうしたらいいんだろうかと考えて研究はするんですけど、何かいつも心の中につっかえているんですよ。漫画を描こうと思っても、何かつっかえているものがいつもあるんです。
 だいたい、売れている漫画って、作家性が満ちあふれていて、「ワンピース」を見たら、尾田栄一郎が把握できるくらいの作家性にあふれている。たぶん、みんなに通る、語れる、伝わることばって、あの垣根がとれているんだと思うんですね、今のところの私の研究では。私には、あるんですよ、垣根が。語れないんです。これ、得体が知れないんです、みつけられていないんです。いったい何が垣根になっているのか、探さなきゃいけないんです。あっ、また、べきべきしてるな。

伊藤 何か少し、その垣根が見えてきたりすることはないんですか。

一ノ瀬 あるんです。こうして、大阪吃音教室の方と話したり、この前のコモンズフェスタで「母娘問題」の人と話をしていると、この構図は見たことがある、この構図は、ものすごく自分に当てはまるというものがあります。たぶん、私は吃音ではないけれど、ターナー君、めっちゃ分かるよ、あるよ、その壁、みたいな。でも、何か分からない、それ、みたいな。
 2枚目のカードを切らせていただいたのが、私には、今、壁があります。ちょっと生きづらいんです。何か分からない段階だからだと思います。時間をかけて、いろんな語りを聞いて、ほどほどにゆるゆると自分を認めつつ、ちょっと自分を語りつつ、いってみようと思いました。あんまりやり過ぎるとしんどいので。

伊藤 僕たちも大きな壁を感じながら、その正体がわからなかった。東野さんの話にあったように、僕たちはセルフヘルプグループの中で対話を続けてきました。ある程度の壁はわかっても、それ以上いけなかった時に、精神医学、臨床心理学、社会学、教育学、演劇など、他の領域から学ぼうとしました。
 どもる本人たちだけで話し合っていたのでは、僕たちは、ここまでは到達できなかったと思います。どもる人たちが、自分の経験だけで語っていると、いかに勉強しようと何しようと、どうしても同じところでぐるぐると回ってしまう。世界の吃音の学者や臨床家たちが、いまだに「吃音を治す、改善する」の間で堂々巡りをしているのは、言語病理学という治療学というところにずっと居続けるから、見えないんです。
 ところが、僕らは、もう20年前に、どもりとか言語障害学という枠を全部外して、たとえば、交流分析、論理療法、アサーション、森田療法、内観療法、ナラティヴアプローチなどを、吃音ショートコースと名づけた2泊3日のワークショップで学んできました。いろんなものを勉強していく中で、いろんなワークショップに出ていって、いろんな人の悩みを聞きました。その中で、吃音と、今このことで悩んでいるこの人の悩みとは同じではないけれど、さきほどおっしゃったように、壁にぶちあたって、なかなか人に言えなかったり、つかめなかったり、そういう感覚、とてもよく分かると思いました。他の領域との接触がない限りは、何かヒントがつかめないような気がしているんです。

一ノ瀬 應典院の寺町倶楽部という組織が存在しているのですが、そこの会則を拝見すると、「越境」ということばが、たぶん、出てきている。そういうテーマっていいよねと言っていて、なるほどなと思っていたのですが、今、すごく感じました。應典院ってそういうこと、できますよね。なぜか、私も、大阪吃音教室の方と出会いました。
 ここ、お寺ですよね。なぜ、應典院で大阪吃音教室をしようとされたのですか。お寺だからと思われたわけじゃないですよね。

伊藤 全然そうじゃないです。詳しく話す時間はないですが、あるきっかけで、ご住職の秋田光彦さんに出会っていたからです。

一ノ瀬 應典院に集まる人たちは、越境をぽんとしてしまう。だって、ここも本堂でありながら、劇場であり、スクリーンをセットすれば観劇もできるし。この越境感、ちょっと大切にしていきたいですね。
 最後のカードを切らせていただきたいんですけど。私たちの当事者研究のNPOでは、弱さの情報公開ということばで、弱さを語ります。吃音を語るとか、母娘を語るとか、研究するとも言うんですが、自分の中にある、はかなさ、弱さ、苦労というものの情報を公開する。私は、こういうはかなさ、弱さ、苦労をもっていますという情報を公開する。そして、その弱さでつながっている。ターナーさんがまさにされてましたね。自分の吃音のことを語ることによって、これまで存在しているのに見て見ぬふりをしてきた「カバ」がいるよねということから、カバつながりの社会をこっちで産む。今までカバなし社会で来たのを、カバあり社会で生きていく。これって、私個人としては、得も言われぬ、まか不思議な居心地の良さがあるんです。大阪吃音教室に初めて行ったときに、なんだ、この居心地の良さは、と思いました。何をしていただいているわけでもないのに、なんか得体が知れないが、気持ちがいいなあと思った。その正体はまだまだ分からないのですが。カバのいるグループを、皆さんは形成されていますよね。大阪吃音教室は、何年くらいされているのですか。

伊藤 49年くらいですか。

一の瀬 すごいなあ。これって、私から見ると、ひとつの社会的な現象というか、ひとつのコミュニティから社会になりつつあるんじゃないかと、勝手に思っているんです、流れとして。これって、どんな社会になるんですか。もし、弱さでつながる社会が実現するとします。社会は今、こういう定型が社会適合しているので、常識という、揺れ動いているけれど、得体の知れない圧力で定義されるじゃないですか。定型といわれているものに、さあ合わせろと言って、みんな、一生懸命合わせてますよね。そこから、一歩引いて、私は野党です、私はこういう弱さを持っていますとオープンにすることって、しくみとしてはだいぶんこれまでとは違う生き方だと思うんです。これが、社会になっていくんでしょうか。もし、なったらどういうことになるんでしょうか。私は分からないので、3人に聞いてみたいのですが。

東野 さっき、一ノ瀬さんが、ターナーと同じで、私も壁を持っているんですと自分のことを話された。それも、自分のどっちかというと、弱いものを出しているわけですよね。それを出せるというのは、とっても大切なことで、すばらしいと思っています。そういう弱さをもっている自分も含めて自分を認めないと、なかなか出せない。自分のどもりを否定し、認めなくて、最初のターナーのことばのように、見て見ぬふりをしていると、出せない。だから、自分を認めるということが必要なことだろうと思います。それと、吃音の場合は、これまで隠してきた自分の弱さ、できなさが、社会の中で隠すことができない瞬間があるんです。
 たとえば、僕はそうでもないけど、自己紹介で自分の名前が言えない人はたくさんいます。これって、周りの人たちからみたら、えっ、なんで?と思うでしょう、自分の名前なんだから。でも、「私は、どもるから、名前の最初の文字が出ないんです」と公表しなければ、やっていけないところがある。追い詰められたら、言い方が変だけど、それを知らないふりをしていたら、あいつは変な奴だと、みんなから見られる。人間関係や仕事もうまく回らなくなってくるから、どこかで、自分のことを、自分のどもりのことを開示しなければいけない。弱いところを誰かに伝えないといけないとき、カミングアウトの瞬間がきます。このことを、大阪吃音教室で、お互いに分かち合っていることが、ひょっとしたら、弱さを共有していることにつながるのかなと思いました。

藤岡 ちょっと視点が違うかもしれないですけど、私が伊藤さんや仲間に出会って、一番よかったことは、現実を知ったことだと思います。さっき、お話したように、父親からの「どもるな」というメッセージは、結局、自分が自分に言っているもので、たぶん、目の前の人は、そんなに私がどもろうが、どもろまいか、関係ない。どもっても、関係も変わらない。そのことが分かったことが一番大きかった。それが分からなくて、想像の世界で、私がどもってしまったら、関係が変わってしまうのではないかと思うから、「絶対にどもっては話せない」、「どもりは隠さないといけない」だったのです。でも、そうじゃないということが分かったことが一番の収穫です。
 今は、吃音で不便と思うことや恥ずかしいなあと思うことはもちろんあるんですけど、もう悩んでいません。映画にあった、どもらないスイッチがあったらどうするかという話ですが、もちろん、私が大阪吃音教室に出会う前だったら、すぐ押していたと思うんです。だけど、今、目の前にそのスイッチがあったとしたら、そういうスイッチがあるんやなあという感じで、別に押すとか押さないとかでなく、スイッチがあるという、ちょっと押してみたいけど、別に、押すことにそんなに意味がないというか、そのような感じになれたことが大きいです。

伊藤 もう後1、2分しかないので、弱さのことで少し話します。弱さを肯定しないと、たとえば、病気や障害や、何らかの劣等感やハンディを持っている人間は、競争社会という強い者の社会に押し込まれて、戦わないといけない。弱さを肯定する、弱さを認めない限りは、いつまでたっても、その競争の原理から抜け出られない。
 さきほど、一ノ瀬さんが、大阪吃音教室に来て、ほっとしたとおっしゃって下さったけれど、とてもありがたいです。また、僕たちは27年間、吃音親子サマーキャンプをしてますが、参加した人たちがみんな口をそろえて言うのは、ほんとにここはほっとできる場だということです。僕たちにとってはこれが日常なので、「安心できる場」とよく言われると、それはなぜかと考えます。
 「どもることが普通の、この世界がうれしい」とキャンプに初めて参加した高校生が言いました。どもることが認められて、悩んでいる弱さを認められ、弱音を吐くことができる。世間からみれば、弱いことを言う人を、誰も批判しない場、そういう場でないと、とても息がつけない、息を吹き返すことができない。
 キャンプが終われば、また、大変な現実の社会に出ていくにしても、まずは一息、息を吹き返す場で、弱さを共に感じながら、お前も弱いのか、俺も弱い、そうだよねと言う。これまで弱さを認めたくなくて、見て見ぬふりをしてきましたが、その弱さを、何も自慢することはないけれど、弱さを認め合う場をどこかで持っていないといけないんだろうなと思います。そういう場が、大阪吃音教室であったり、吃音親子サマーキャンプの場であったりすると思う。

一ノ瀬 見ないふりをしないというのは、いいですね。今、日本は、笑い事ではない、様々な問題に直面しています。原発さん、どうするの? と思うのですが、すごく見ないふりをされる。見ないふりをしないという態度をみんなでとっていくというのは、

伊藤 大事でしょうね。

一ノ瀬 キーワードかもしれません。とても悩んで、研究もずっとかかるし、いろんな積み重ねもいるけれど、見ないふりをしないという態度を自分からとっていく。これはちょっといいキーワードとして考えられるかなと思いました。

伊藤 見ないふりをしない。現実が、どんなにつらくても、苦しくても、その現実に向き合う。僕たちの今年のテーマは、対話です。オープンダイアローグや、ナラティヴアプローチ、当事者研究の流れの中で、対話ということを重視して、一年間、考えていきます。価値観が違っている目の前の人間とも、粘り強く対話をしていきたいし、そして、何よりも自分自身の奥にある吃音そのものと対話をしたい。見えないふりをし、触れたくなかった、見たくなかった「カバ」や「象」をしっかり見て、そのものと対話をする。それは、ひとりでは難しいけれど、仲間がいればできるということではないでしょうか。残念ですがもう時間です。最後に一ノ瀬さん、何か一言あれば。

一ノ瀬 得体の知れない心地よさを感じる大阪吃音教室の皆さんと、得体の知れないご縁で、この場にいさせていただいている。こういう仕組みで新しい社会になっていくといいですね。みんなで、越境しながらいきたいですね。ありがとうございました。

伊藤 お疲れ様でした。ありがとうございました。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/02/09i


なぜ、吃音について語ることができなかったのか


「The Way We Talk」(私たちの話し方)上映とトーク

 前回2回に分けて、トークの内容を紹介しました。それは途中からでした。今回紹介するのがトークの開始で、次に続いていきます。ややこしいことですみません。順番が逆になってしまいました。これをお読みいただいて、前回の二回に戻っていただければと思います。


 人が集まるお寺として有名な應典院(おうてんいん)で、毎年幅広い団体が参加する、應典院コモンズフェスタ2017参加イベントとして、この企画がされました。

 トークのゲストは、一ノ瀬かおるさんです。一ノ瀬さんは、漫画家として活躍する一方で、北海道浦河の「べてるの家の当事者研究」に強い共感と関心をもち、向谷地生良さん親子を大阪に迎えて事前の学習をするなど、準備を続けてこられました。そして、昨年10月、大阪大学で、530名が参加した「当事者研究全国交流集会大阪大会」を、運営委員長として開催されました。大阪の地に当事者研究を根づかせた人です。
 壇上には、大阪吃音教室を運営する、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんと、コモンブフェスタの企画者のひとり、藤岡千恵さん。藤岡さんは、一ノ瀬さんが運営委員長として開催した全国交流会で「吃音の当事者研究」の発表をしました。僕が司会進行をしながら、一ノ瀬さん、東野さん、藤岡さんの4人でトークをしました。
 まず、「The Way We Talk」(私たちの話し方)上映の後、一ノ瀬さんに興味をもたれたことを三つほど出していただき、それをキーワードに話し合うことにしました。その中の少しを紹介します。しかし、発言者に校閲を受けていませんので、多少のニュアンスに違いはあるかと思います。正確なものは後日、本人の校閲を受けて紹介する予定です。

  コモンズフェスタ 映画の上映とトーク

平松 壇上にお上がり下さい。登壇者の紹介も含めて、伊藤さん、お願いします。

壇上の4人

伊藤 こんばんは。日本吃音臨床研究会の伊藤伸二です。時間としてはそれほどなく、55分くらいですが、よろしくお願いします。登壇して下さった人をまず紹介します。

 一ノ瀬かおるさんです。漫画家ですが、ご自身のいろんなことも含めて、北海道べてるの家の当事者研究に関心を持たれて、應典院でまず当事者研究の学習会をされました。そして、ぜひ、大阪でというすごいエネルギーを持って、昨年、当事者研究の全国交流集会を大阪でされました。あれよあれよという間に、大阪で大きなイベントをやって下さいました。当事者研究を大阪になんとか根を下ろしたいと思って下さっている方で、今回、このイベントにぜひ来て下さいとお願いしましたら、快く来て下さいました。ありがとうございました。

 横にいるのが、さきほど開会の挨拶をしましたが、大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんです。そして横が藤岡千恵さんです。藤岡さんは、当事者研究の交流集会で、吃音のことで発表をした人で、一躍有名になったらしい人です。今回も、登壇をしてもらいました。

 話の進め方について、ちょっとだけ打ち合わせをしました。まず、一ノ瀬さんにこの映画を見て感じたこと、考えたことを3つか4つぐらいにまとめていただいて、話してもらって、それを基にみんなで話したいなと思っています。そういう方向で進みます。
 まず、一ノ瀬さん、ごらんになって、どんな感想をお持ちになりましたか。

伊藤と一の瀬

一ノ瀬 一言で言うと、本当にすてきな映画でした。

伊藤 そうでしたか。それはうれしいです。

一ノ瀬 皆さんは、もう何回も見られているんですよね。だったら、もしかしたら感動が薄いのかもしれませんが、私は、あ〜と思いました。最初、マイケル・ターナーさんの、僕は吃音という苦労を抱えている、どういう苦労を抱えているのか、そういう話ですすんでいくのかと思っていたら、最後、どんどん自分自身が、なぜだか分からない、得体がしれないんですけど、癒やされていきました。おや、なんだろう、この得体のしれない心地よさは、と思っていました。最後、人間って、なんで生きているんだろうね、みんなどういうふうに向き合って何をしているんだろうね、という語りかけをそっとされたような気がしました。

伊藤 そっと、ね。

一ノ瀬 いい作品に出会ったとき、それを作った人としゃべりたくなるんですよ。ターナー君、ターナー君、私、こう思っているよ、と。今回、マイケル、しゃべろう、みたいな気持ちがすごい出ました。

伊藤 じゃ、今度、大阪に呼びますかね。

一ノ瀬 英語、勉強しときます。質問を何個かピックアップしようと思っていたのですが、メモをとることもなく、自分自身が癒やされてしまって、ほわっとしていました。皆さんは、この映画を見るのは何回目ですか。

東野 僕は、3回目です。でも、やっぱり、1回目のときよりは2回目、2回目よりは3回目と、印象は違いますよね。おっしゃられたように、マイケル自身がどんどん変わっていくでしょう。吃音そのものも、最初の、吃音を持っているのに、ないようにしていたみたいな感じで話をしていたけれども、ずっと終盤にいくと、吃音を認める、だんだん受け入れていくような話の展開になっていきますよね。それがすごいなと思いますね。

藤岡 私は今日で、この映画を見るのは、2回目です。最初は、大阪吃音教室の仲間たちと、下の研修室Bで見たんです。マイケルが大阪吃音教室に来たときもその場に一緒にいて、マイケルの話も聞きました。それまではアメリカや世界では、治した方がいいというか、流暢にしゃべれるほうがいいという考え方で、そういうアプローチばかりだとずっと聞いていたのでそういう認識だったんですけど、マイケルに会って、話を聞いたときに、新鮮だったし、うれしかったです。
伊藤さんのことを知って、是非会いたいと日本に来てくれて、話を聞くと、ほんとに共通していることがたくさんあった。日本とアメリカ、日本と世界の境界がないんだなあと思いました。映画の中のメッセージも響くものがたくさんあるんですけど、最後のお母さんとの会話がすごく残っています。後日談で、私たちが下の研修室で映画を見た日に、マイケルの子どもが生まれたという話を聞きました。映画の話に、お母さんと子どもの話をしている場面がありますが、なんかすごい不思議なつながりというか、縁を感じました。

伊藤 さきほど一ノ瀬さんが見ているうちに、なんか自分が癒やされたというお話でしたが、もうちょっとどんな感じなのか、話していただけますか。

一ノ瀬 得体が知れないんです。整理できていないのですが、探りながらしゃべります。何なんでしょうね。ものすごく安心したんです。同時に、作中のエピソードの中で、ブタだったかなあ、ゾウだったかなあ、机の上にゾウの赤ちゃんがいるのに、みんなそれをいないことにして、しゃべっていたみたいなエピソードが出てきましたね。
 ブタ? ゾウ? カバ?! カバでしたか。カバのこと、なるほどと思いました。いないことにしてしゃべったときの会話って、いないことにしているのでしゃべれないじゃないですか。そこで、ふっと、「カバ、いるね」と誰かがそう言ってくれると、「う、うん。実は、私もそう思っていた」みたいになって、これ、なんでいるんだろうねみたいな話ができていくと、

伊藤 誰かが言ってくれたらね。

一ノ瀬 そう。実は私もそう思ってた、みたいになる。しゃべれないところが開かれていくんです。その対話の語りかけを、まずして下さったような気がしたんです。「そうじゃない?」と言われた気がしたんです。「しゃべっていいの?」。じゃ、私もちょっとしゃべりたい、みたいな。それをやさしく、まず、最初にしゃべってくれた感じがしたんです。でも、まだ、得体が知れないなあ。何だろう。ターナーさんは、実際、どんな方でした? 伊藤さんは、実際、会われたんですよね。

伊藤 会いました。ターナーさんは、仕事としては農夫なんですね。ソフトで、繊細で、映像にも出てきてましたけれど、僕が話をしているのを一所懸命聞いてくれているあのまなざしが、まだいまだに印象に残っています。人の話をちゃんと聞いて咀嚼して、自分の中で対話をしようとする。そういう人だから、撮影を始めて、たかだか1年なんですが、1年間であそこまで変わっていくというのは、すごいです。それなりにきっかけがあって、もちろん親友から問いかけられたことが映画づくりのはじまりですが、そこから撮影に入って、1年でいろんな人を巻き込んで、それなりに変わっていった。

一ノ瀬 すごい行動力ですね。

伊藤 すごいですね。新婚旅行に日本を選んで、僕に会いに来るというのもすごいですし。

一ノ瀬 不思議ですけど、でも、彼の中で25年間、蓄積されてきた物語はすごかったんだったんだなあということが分かりました。映画の作りが、ドキュメンタリーとしても見事でしたね。

伊藤 ああ、そうですか。

一ノ瀬 本当に、語りが私たちの心にじわじわ浸透していって、吃音がどういうものかも分かりました。最初、家族とは語らなかったというところ、びっくりですよね。最後、改めて見ると、考えられないくらいです。

伊藤 両親だけでなく、おじいちゃんも、おばあちゃんも、弟も、吃音ですからね。

一ノ瀬 家では、吃音について全然しゃべらなかったんですよね。

伊藤 たくさんどもりがいながら、どもりのことは一切しゃべってこなかった。カバはたくさんいたのに、カバなんていないということですよね。すごいですよね。

一ノ瀬 でも、いるわけですからね。

伊藤 これが、どもりのすごくおもしろいところです。このイベントの最初、オープニングに出てきたスキャットマン・ジョンは、カバよりももっと大きな「象」なんですよ、彼が言うには。自分は、象という、ほんとに周りから見たら、めちゃくちゃ大きな動物を引き連れて歩いているにもかかわらず、自分は象なんて引き連れて歩いていない、象と一緒にはいないという、象を見ないで生きてきた。スキャットマンワールドというCDを出すときに初めて、吃音に向き合わざるを得なくなるのですが、それが52歳のときのことなんですよ。マイケルは25歳、スキャットマンは52歳。そこまで向き合えない吃音って、何だろうかと思います。

一ノ瀬 では、私は3つぐらいカードが切れるらしいので、じゃ、一つ目のカードにいきます。

伊藤 はい、どうぞ。

一ノ瀬 なぜ、語れない、語らないのか、です。分からなかった? でも、気づいていますよね。気づいているのに、語らなかった、語れなかった。そこから、語るとどうなるのか。それは一体、社会とか人生とかに何を生み出したのか。結局、語りとは何なのかみたいな話を、私はすごく考えたいのですが。じゃ、まず、お二人に聞いてもいいですか。きっかけ、ターニングポイントといえばいいでしょうか、吃音と向き合うとき、まあ向き合ってここにいらっしゃるわけですけれど、そのタイミングと、その前後、自分の象がぽこっと動いたのか、どういうことだったのか、ちょっと教えて下さい。

東野 映画の初めに、弟がいたでしょう。弟と最初に吃音の話を始めますけれど、弟は最初あんまり乗り気じゃなかったでしょ。あんまり話したくないけど、しゃあないなあ、みたいな。

伊藤 うん、そんな感じだったね。

東野 結局、吃音というのは、劣ったもので、恥ずかしいものだし、それをことばにしてオープンにしたくないという気持ちがどもりに悩んできた人たちにとってはある。自分も劣った、恥ずかしいものだと思っているし、きっと人も自分のことをそう見ているに違いないという、思い込みなんだけど、そういうものを持っているんです。だから、なかなか自分から、吃音のことを話したがらない。きっかけとしては、映画でもそうでしたけど、吃音のグループにかかわり出したときから、そこに参加して、どもっているのは自分だけじゃなかったんだということが分かり、仲間の前で、吃音の話をし、それに対する反応も返ってくる。お互いの吃音に対する共感、悩みなどを分かち合うことがあって初めて、自分のことが語れるようになる。苦しさも語れるようになる。それがひとつのきっかけだと思うんです。ひとりでは難しいけれど、仲間の力が、語れるようになったきっかけかなあと思います。

伊藤 藤岡さんが語れなかったのは、どうしてなんですか。

藤岡 カバを隠していたときですか。

伊藤 結局、親とも吃音について話をしていないわけでしょう。そして、僕たちと出会うまで、ほとんど誰にも、自分の核である、中心にある問題でありながら、マイケルのようにずっと語ってこなかった。語らなくさせたものとは、どういうものでしょう。

藤岡 私は、たぶん、3歳ころからどもり始めて、どもりの存在に気づいたのは、同じどもりの父のメッセージだったんです。私がどもりながら「おおおおおとうさん」と言ったら、父が「もう一回、ゆっくり、お父さんと言ってみ」と言うので、ああ、このしゃべり方はあかんのかなあと思い始めました。小学校に入ったとき、自分とクラスメイトとの違いというものを突きつけられたような気がして、すごい劣等感を持ってしまいました。
 私もやっぱりマイケルの家族と同じように、吃音の話は自分からはしなかったし、学校の先生にも親にも、吃音のことを話したいとも思わなかったし、悩んでいるということも知られないように振る舞ってました。なんでそこまでかたくなになったのか。やっぱりどもっていたら、受け入れられないと思っていたし、親からの「あなたはどもらないでしゃべりなさい」というメッセージを自分なりに受け取って解釈して、「どもっていたら愛されないんだ。どもらないしゃべり方をしないといけないんだ」と思ったのです。どもりを存在しないことにしていたし。

伊藤 親からも否定され、また周りからも否定されていると感じることについては、語れないということなんだろうと思うんです。存在をないものとしているものに対しては語れないということになってくると思うのですが、それをお聞きになってどうでしょう。

会場全体

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/02/09

弱くてもいい、弱さの肯定が生きる力


前回のトークの続きです。 後編

一ノ瀬 こうやって、先輩たちが、語りをしてくれることによって、ことばが移っていくじゃないですか。気づいて、ほんとに生身で語ることばが、自分のことばにもなってきている。安心できる場所とかことばとか、大事ですね。 映画の一番最初に、桟橋が出てきましたね。うわ、あれ、分かると思ったんです。私、漫画家なんですけど、売れるためにはどうしたらいいんだろうかと考えて研究はするんですけど、何かいつも心の中につっかえているんですよ。漫画を描こうと思っても、何かつっかえているものがいつもあるんです。
 だいたい、売れている漫画って、作家性が満ちあふれていて、「ワンピース」を見たら、尾田栄一郎が把握できるくらいの作家性にあふれている。たぶん、みんなに通る、語れる、伝わることばって、あの垣根がとれているんだと思うんですね、今のところの私の研究では。私には、あるんですよ、垣根が。語れないんです。これ、得体が知れないんです、みつけられていないんです。いったい何が垣根になっているのか、探さなきゃいけないんです。あっ、また、べきべきしてるな。

伊藤 何か少し、その垣根が見えてきたりすることはないんですか。

一ノ瀬 あるんです。こうして、大阪吃音教室の方と話したり、この前のコモンズフェスタで「母娘問題」の人と話をしていると、この構図は見たことがある、この構図は、ものすごく自分に当てはまるというものがあります。たぶん、私は吃音ではないけれど、ターナー君、めっちゃ分かるよ、あるよ、その壁、みたいな。でも、何か分からない、それ、みたいな。
 2枚目のカードを切らせていただいたのが、私には、今、壁があります。ちょっと生きづらいんです。何か分からない段階だからだと思います。時間をかけて、いろんな語りを聞いて、ほどほどにゆるゆると自分を認めつつ、ちょっと自分を語りつつ、いってみようと思いました。あんまりやり過ぎるとしんどいので。

伊藤 僕たちも大きな壁を感じながら、その正体がわからなかった。東野さんの話にあったように、僕たちはセルフヘルプグループの中で対話を続けてきました。ある程度の壁はわかっても、それ以上いけなかった時に、精神医学、臨床心理学、社会学、教育学、演劇など、他の領域から学ぼうとしました。
 どもる本人たちだけで話し合っていたのでは、僕たちは、ここまでは到達できなかったと思います。どもる人たちが、自分の経験だけで語っていると、いかに勉強しようと何しようと、どうしても同じところでぐるぐると回ってしまう。世界の吃音の学者や臨床家たちが、いまだに「吃音を治す、改善する」の間で堂々巡りをしているのは、言語病理学という治療学というところにずっと居続けるから、見えないんです。
 ところが、僕らは、もう20年前に、どもりとか言語障害学という枠を全部外して、たとえば、交流分析、論理療法、アサーション、森田療法、内観療法、ナラティヴアプローチなどを、吃音ショートコースと名づけた2泊3日のワークショップで学んできました。いろんなものを勉強していく中で、いろんなワークショップに出ていって、いろんな人の悩みを聞きました。その中で、吃音と、今このことで悩んでいるこの人の悩みとは同じではないけれど、さきほどおっしゃったように、壁にぶちあたって、なかなか人に言えなかったり、つかめなかったり、そういう感覚、とてもよく分かると思いました。他の領域との接触がない限りは、何かヒントがつかめないような気がしているんです。

一ノ瀬 應典院の寺町倶楽部という組織が存在しているのですが、そこの会則を拝見すると、「越境」ということばが、たぶん、出てきている。そういうテーマっていいよねと言っていて、なるほどなと思っていたのですが、今、すごく感じました。應典院ってそういうこと、できますよね。なぜか、私も、大阪吃音教室の方と出会いました。
 ここ、お寺ですよね。なぜ、應典院で大阪吃音教室をしようとされたのですか。お寺だからと思われたわけじゃないですよね。

伊藤 全然そうじゃないです。詳しく話す時間はないですが、あるきっかけで、ご住職の秋田光彦さんに出会っていたからです。

一ノ瀬 應典院に集まる人たちは、越境をぽんとしてしまう。だって、ここも本堂でありながら、劇場であり、スクリーンをセットすれば観劇もできるし。この越境感、ちょっと大切にしていきたいですね。
 最後のカードを切らせていただきたいんですけど。私たちの当事者研究のNPOでは、弱さの情報公開ということばで、弱さを語ります。吃音を語るとか、母娘を語るとか、研究するとも言うんですが、自分の中にある、はかなさ、弱さ、苦労というものの情報を公開する。私は、こういうはかなさ、弱さ、苦労をもっていますという情報を公開する。そして、その弱さでつながっている。ターナーさんがまさにされてましたね。自分の吃音のことを語ることによって、これまで存在しているのに見て見ぬふりをしてきた「カバ」がいるよねということから、カバつながりの社会をこっちで産む。今までカバなし社会で来たのを、カバあり社会で生きていく。これって、私個人としては、得も言われぬ、まか不思議な居心地の良さがあるんです。大阪吃音教室に初めて行ったときに、なんだ、この居心地の良さは、と思いました。何をしていただいているわけでもないのに、なんか得体が知れないが、気持ちがいいなあと思った。その正体はまだまだ分からないのですが。カバのいるグループを、皆さんは形成されていますよね。大阪吃音教室は、何年くらいされているのですか。

伊藤 49年くらいですか。

一の瀬 すごいなあ。これって、私から見ると、ひとつの社会的な現象というか、ひとつのコミュニティから社会になりつつあるんじゃないかと、勝手に思っているんです、流れとして。これって、どんな社会になるんですか。もし、弱さでつながる社会が実現するとします。社会は今、こういう定型が社会適合しているので、常識という、揺れ動いているけれど、得体の知れない圧力で定義されるじゃないですか。定型といわれているものに、さあ合わせろと言って、みんな、一生懸命合わせてますよね。そこから、一歩引いて、私は野党です、私はこういう弱さを持っていますとオープンにすることって、しくみとしてはだいぶんこれまでとは違う生き方だと思うんです。これが、社会になっていくんでしょうか。もし、なったらどういうことになるんでしょうか。私は分からないので、3人に聞いてみたいのですが。

東野 さっき、一ノ瀬さんが、ターナーと同じで、私も壁を持っているんですと自分のことを話された。それも、自分のどっちかというと、弱いものを出しているわけですよね。それを出せるというのは、とっても大切なことで、すばらしいと思っています。そういう弱さをもっている自分も含めて自分を認めないと、なかなか出せない。自分のどもりを否定し、認めなくて、最初のターナーのことばのように、見て見ぬふりをしていると、出せない。だから、自分を認めるということが必要なことだろうと思います。それと、吃音の場合は、これまで隠してきた自分の弱さ、できなさが、社会の中で隠すことができない瞬間があるんです。
 たとえば、僕はそうでもないけど、自己紹介で自分の名前が言えない人はたくさんいます。これって、周りの人たちからみたら、えっ、なんで?と思うでしょう、自分の名前なんだから。でも、「私は、どもるから、名前の最初の文字が出ないんです」と公表しなければ、やっていけないところがある。追い詰められたら、言い方が変だけど、それを知らないふりをしていたら、あいつは変な奴だと、みんなから見られる。人間関係や仕事もうまく回らなくなってくるから、どこかで、自分のことを、自分のどもりのことを開示しなければいけない。弱いところを誰かに伝えないといけないとき、カミングアウトの瞬間がきます。このことを、大阪吃音教室で、お互いに分かち合っていることが、ひょっとしたら、弱さを共有していることにつながるのかなと思いました。

藤岡 ちょっと視点が違うかもしれないですけど、私が伊藤さんや仲間に出会って、一番よかったことは、現実を知ったことだと思います。さっき、お話したように、父親からの「どもるな」というメッセージは、結局、自分が自分に言っているもので、たぶん、目の前の人は、そんなに私がどもろうが、どもろまいか、関係ない。どもっても、関係も変わらない。そのことが分かったことが一番大きかった。それが分からなくて、想像の世界で、私がどもってしまったら、関係が変わってしまうのではないかと思うから、「絶対にどもっては話せない」、「どもりは隠さないといけない」だったのです。でも、そうじゃないということが分かったことが一番の収穫です。
 今は、吃音で不便と思うことや恥ずかしいなあと思うことはもちろんあるんですけど、もう悩んでいません。映画にあった、どもらないスイッチがあったらどうするかという話ですが、もちろん、私が大阪吃音教室に出会う前だったら、すぐ押していたと思うんです。だけど、今、目の前にそのスイッチがあったとしたら、そういうスイッチがあるんやなあという感じで、別に押すとか押さないとかでなく、スイッチがあるという、ちょっと押してみたいけど、別に、押すことにそんなに意味がないというか、そのような感じになれたことが大きいです。

伊藤 もう後1、2分しかないので、弱さのことで少し話します。弱さを肯定しないと、たとえば、病気や障害や、何らかの劣等感やハンディを持っている人間は、競争社会という強い者の社会に押し込まれて、戦わないといけない。弱さを肯定する、弱さを認めない限りは、いつまでたっても、その競争の原理から抜け出られない。
 さきほど、一ノ瀬さんが、大阪吃音教室に来て、ほっとしたとおっしゃって下さったけれど、とてもありがたいです。また、僕たちは27年間、吃音親子サマーキャンプをしてますが、参加した人たちがみんな口をそろえて言うのは、ほんとにここはほっとできる場だということです。僕たちにとってはこれが日常なので、「安心できる場」とよく言われると、それはなぜかと考えます。
 「どもることが普通の、この世界がうれしい」とキャンプに初めて参加した高校生が言いました。どもることが認められて、悩んでいる弱さを認められ、弱音を吐くことができる。世間からみれば、弱いことを言う人を、誰も批判しない場、そういう場でないと、とても息がつけない、息を吹き返すことができない。
 キャンプが終われば、また、大変な現実の社会に出ていくにしても、まずは一息、息を吹き返す場で、弱さを共に感じながら、お前も弱いのか、俺も弱い、そうだよねと言う。これまで弱さを認めたくなくて、見て見ぬふりをしてきましたが、その弱さを、何も自慢することはないけれど、弱さを認め合う場をどこかで持っていないといけないんだろうなと思います。そういう場が、大阪吃音教室であったり、吃音親子サマーキャンプの場であったりすると思う。

一ノ瀬 見ないふりをしないというのは、いいですね。今、日本は、笑い事ではない、様々な問題に直面しています。原発さん、どうするの? と思うのですが、すごく見ないふりをされる。見ないふりをしないという態度をみんなでとっていくというのは、

伊藤 大事でしょうね。

一ノ瀬 キーワードかもしれません。とても悩んで、研究もずっとかかるし、いろんな積み重ねもいるけれど、見ないふりをしないという態度を自分からとっていく。これはちょっといいキーワードとして考えられるかなと思いました。

伊藤 見ないふりをしない。現実が、どんなにつらくても、苦しくても、その現実に向き合う。僕たちの今年のテーマは、対話です。オープンダイアローグや、ナラティヴアプローチ、当事者研究の流れの中で、対話ということを重視して、一年間、考えていきます。価値観が違っている目の前の人間とも、粘り強く対話をしていきたいし、そして、何よりも自分自身の奥にある吃音そのものと対話をしたい。見えないふりをし、触れたくなかった、見たくなかった「カバ」や「象」をしっかり見て、そのものと対話をする。それは、ひとりでは難しいけれど、仲間がいればできるということではないでしょうか。残念ですがもう時間です。最後に一ノ瀬さん、何か一言あれば。

一ノ瀬 得体の知れない心地よさを感じる大阪吃音教室の皆さんと、得体の知れないご縁で、この場にいさせていただいている。こういう仕組みで新しい社会になっていくといいですね。みんなで、越境しながらいきたいですね。ありがとうございました。

伊藤 お疲れ様でした。ありがとうございました。
   「映画上映とトークの夕べ」のトークすべてではないですが紹介しました。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/02/03

どもりと向き合い、語ることは

 一ノ瀬かおるさんたちとのトークで話されたこと

人が集まるお寺として有名な應典院(おうてんいん)で、毎年幅広い団体が参加する、應典院コモンズフェスタ2017参加イベントとして、この企画がされました。

 トークのゲストは、一ノ瀬かおるさんです。一ノ瀬さんは、漫画家として活躍する一方で、北海道浦河の「べてるの家の当事者研究」に強い共感と関心をもち、向谷地生良さん親子を大阪に迎えて事前の学習をするなど、準備を続けてこられました。そして、昨年10月、大阪大学で、530名が参加した「当事者研究全国交流集会大阪大会」を、運営委員長として開催されました。大阪の地に当事者研究を根づかせた人です。

 壇上には、大阪吃音教室を運営する、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんと、コモンブフェスタの企画者のひとり、藤岡千恵さん。藤岡さんは、一ノ瀬さんが運営委員長として開催した全国交流会で「吃音の当事者研究」の発表をしました。僕が司会進行をしながら、一ノ瀬さん、東野さん、藤岡さんの4人でトークをしました。

 まず、「The Way We Talk」(私たちの話し方)上映の後、一ノ瀬さんに興味をもたれたことを三つほど出していただき、それをキーワードに話し合うことにしました。その中の少しを紹介します。しかし、発言者に校閲を受けていませんので、多少のニュアンスに違いはあるかと思います。正確なものは後日、本人の校閲を受けて紹介する予定です。

一ノ瀬 ターナーさんと伊藤さんが語られることを順序で考えると、ターナーさんは、今、吃音についていろいろと気づいて、語っていこうとされたり、治療も受けられたりしてますよね。まあ、受けたり受けなかったりですが。でも、伊藤さんは、ずいぶん前から、もういいじゃないかというスタンス。それは間違ってはいないですか。(はい)
 それを語るためにあえて言わせていただくのですが、たとえば、藤岡さんは、当事者研究の全国交流会の「吃音の当事者研究」で話されていたことによれば、子どもの頃から、どもらないように工夫して、吃音をコントロールして、シーアンの言う「カバ」を隠して、しゃべれる自分を作り上げましたよね。作り上げることも可能だとしたら、その方がいいというコメントもあると思うのですが。

伊藤 それはあります。アメリカの言語病理学やそれにつながる人たちは、周りからどもりだと分からなくなれば、それはそれで万々歳で、それができたらあなたのどもりの問題はなくなったと同じだから、それでいいじゃないかと言います。「かなりゆっくりとした話し方で、多少の不自然さはあったとして、どもるよりはいいでしょう。あなたは、どちらを選択しますか?」と迫ります。選択と言いながら、治療者としては「不自然なゆっくりの話し方でも、どもらない方がいい」との価値観をある意味、どもる人に押しつけていると言えなくもないんです。だから、アメリカでは、どもらないようにコントロールする方法を身につけさせようとするんです。

一ノ瀬 それは、理にはかなっていると思うんです。社会からの要求がきていて、それに合わせようとして、それを成長と位置づけ、みんなで努力して、さあ社会に適応できましたねという流れは、一般的に、私が子どもの頃からの基本的な社会からのスタンスなんですよね、社会の要求としては。それをあえて、そうではないと、伊藤さんたちは言われる。自分たちのどもりと向き合っていこうという、それは、どういうものなのでしょうか。

伊藤 専門家集団、治す立場にある人は、「ゆっくり、そっと、やわらかく」言う訓練で、どもらないようになったら、それで何の文句があるのかと言うんです。ところが、当事者、本人にしてみれば、そういうふうに、「どもらない方がいい」の価値観に縛られて、どもらないように気をつけて、話をしている自分に疑問を感じはじめます。これが本当に自分なのか、世間に合わせて、世間に合っていることばを、外国語でも学ぶように学んでしまった、この僕のことばは、自分のことばじゃないと思うときがあるんです。

 小学生の子どももそうで、ロボットのようなしゃべり方は、僕はしたくないと言ったりします。ある子は、小学生で気づいたり、ターナーは25、6歳で気づいたり、僕は21歳で気づいたり、スキャットマン・ジョンは、52歳で気づいたり、この年齢の幅があるのは一体何なんだろうと思って、すごい不思議なんです。

一ノ瀬 私は、当事者研究の取り組みを、NPOを立ち上げて、みんなでやったり、もちろん私も一緒にやっています。その中で出てくるのが、「定型さん」とか「社会的な与党」とか、「べきものさし」とか表現しますが、そういうものさしをみんな持っているということです。たとえば、この場面では、どもらずにさらっと言うべきだとか、自分の中にそういうものさしをストックしている。そのものさしが多ければ多いほど、それは、おりのようになっていく。おりの中で、「べきものさし」に囲まれている。でも、べきものさしが言っていることって、社会の与党なんです。大多数で正しいように迫ってきます。「そうするべきだよね」と言ったら、みんな、「う、うん」(不本意ながらも、みんな賛成するみたいな)と言う。べきものさしを抱えていくことの不都合は、それがおりのように頑丈になっていくことと、そのものさしで、今度は他人をはかってしまうことです。

 私はこういう「何々すべき」で生きているのに、なぜあなたはこの「べき」を使わないのかなということになり、心のすさんだサイクルが起こる。それは吃音だけじゃなくて、いろんな所で発生している。社会の与党からの要求と、自分が野党だから、人数が少ないから、与党に屈するべきかとか。これもべきべき、です。こういうことがいろんなところで起こっている。だから、あえて、お伺いしたかったのです。

 ターナーさんは、自分で語りを始められましたね。しゃべろうとされていた。これは、相当難しいんじゃないかと思うんです。私は、この映画のタイトル「私たちの話し方」と聞いて、うっかりの吃音の話し方ってこうだよね、定型の話し方ってこうだよねという、そのことを言っているかと思ったら、違ってました。
 自分の中に何があって、自分はどういう苦労を抱えているか、まず自分が明らかにする。あきらめるんですよね。明らかにして、それをそのまま受け取って、さらにそれから語っていこうとする。この話すところに行くまでに、何段階もあると思うんですが、これって、ただ事じゃないと思います。

 ちょうど、数日前、ここ應典院で、「母娘問題」を取り上げ、それを語ってみようというイベントをしたんです。母娘問題ってご存じですか。
 娘が母の要求してくる人生をそのまま生きようとしている。自分の人生の優先順位が、母が求めるものになってしまっている。そんな優先順位をもって生きてしまう娘たちの苦労なんだけど、それに気づくまでにすごい時間がかかります。私は、母の要求で、今、服を選んでいる、この進路を選んでいるということに、娘本人が気づいていないんです。もう一体化してしまっているから。でも、「母娘問題」を語るとき、そこを分離して、さらに自分の中を見て、どうなっているか観察していくんです。えらい作業なんです。このあたりの苦労を、どういうことをされてきたのか、どういうしんどさがあったか、聞かせて下さい。

東野 さっきの話に、「べき思考」というのがあったでしょう。人前で、どもって話すべきではないという、そんなことは、僕たちにいっぱいあるわけです。もちろん、それに囲まれていると、話せなくなってくる。それから解放されないとまず語ることができない。今回の配布資料の中にありますが、ジャーナリストの斎藤道雄さんが、「すべきだ、治すべきだ」というのは、自分のことばではなく、他人のことばなのだと言っているんです。さきほど、与党という話があったけれど、まさしくそういうことで、他人が言っていることです。大多数の人はおそらくそんなふうに考えるだろうという考え方です。一方、僕らが治すことにこだわらなくて、自分はこのままでいいんじゃないか、そんなにがんばらなくていいんじゃないかというのは、他人のことばではなく、私のことばなんですよ。その違いについて斎藤さんは書いている。

 とてもよく分かるなあと思う。「べき」に囲まれているとき、大きな劣等感をもっているときは、自信がないので、人と吃音についての対話ができない。でも、セルフヘルプクループに来て、どもりながら話をしたことを真剣にみんなに聞いてもらい、中には、「お前、なかなか良いことを言うな」とほめてもらったりする。そんなことがあると、自信ができてきて、少し吃音について語れるようになるという経験をしたことがある。その積み重ねかなという気がする。

藤岡 私も、やっぱり自分のどもりを絶対に明るみに出してはいけないという時代が長くて、その頃はもう、「べきものさし」だらけで、ちょっとでも、どもってしまったら、終わりだという感じだった。この映画、すごく奥が深いなと思うのは、自分との対話というか、「どもるな」というのは、結局自分が自分に言っていることばなんですね。私は、父が「ゆっくりいいなさい」と言い直しをさせたことをずっと、父が、私の吃音を否定して、そういうメッセージを送ったと思っていました。だけど、少し離して別の視点から見たら、父は、自分の目の前の娘が自分と同じようにどもっていたら、心配になって、あわててしまって、父なりに娘のことを必死に考えて言ったかもしれない。「ゆっくりしゃべれ=どもるお前など認めない」ではなかったのに、それを自分の中で増幅させて、世間の人も目の前にいる大事な人も、たぶん、「自分がどもったら、否定される」という、自分で「べきものさし」をさしていたんだと思います。

 ほとんどの人は、どもる人に対して、「どもるあなたはだめです」とか「人として劣ってます」と思っていないと思うんですが、それを、「目の前の人がそう思っているに違いない」と、自分が思うから、語れなくなる。そのことをマイケルの弟も、グループで知り合った親友も、いろんな人が表現を変えて、そのメッセージ伝えていた。そのことが、この映画の一つ大きいところだと思います。私も吃音について語れなかった頃は、自分がどもるなんて絶対に出せなかった。でも、仲間に出会って、「どもりって、何?」というところから考えて、そんなに悪いものじゃないというのが分かったとき、人に吃音について伝えてみたら、目の前の人は、私の吃音なんてたいした問題じゃないんですよね。自分の中で勝手に大きくしていただけでした。そこがたぶん、どもる人が悩む大きなポイントなんだろうなと思います。

伊藤 さきほどの話で、自分のしている行動が、母親に支配されてのものなのか、自分が主体的なのかに気づくということがとても難しいということがありましたが、僕たちも、似たような経験をしています。僕たちを支配してきたのは何かです。僕たちは、どもることそのことに悩んできたのではないのではないかとの疑問です。社会の中の「流暢に、効率よくしゃべることが普通」という、これを僕たちは社会通念という言い方をしますが、それが実は、僕たちを苦しめているんではないか、ということに気づくというのは、すごく難しいです。

 どもることで、人に笑われたり、からかわれたりした経験はあったにせよ、「私はどもることで悩んでいます」というのとは、ちょっと違う視点です。どもる僕たちを生きにくくさせてきた張本人は別のところにある。「吃音に悩んでいるのは、どもらないで話すことが、普通だという社会通念にしばられて、そうしたいのに、それができないことの悩みだ」と、僕たちは考えるようになりました。この自分を悩ませてきた正体に気づくのはとても難しい。どもる当事者が、ただ単に話し合っているだけでは気づけない。吃音以外の人の悩み、苦しみに耳を傾け、他の、全く違うほかの領域から学び、その立場の経験とか、いろんなものが混ざり合って、実はこれは自分たちだけの思い込みかもしれないぞというふうに気づける。それには、よほどの機会と人との出会いなどが複雑にからむんでしょうね。  つづきます

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/02/02

應典院・コモンズフェスタ 吃音のドキュメンタリー映画の上演とトーク


 「The Way We Talk上映会とトーク」

 人と人とが出会うお寺として有名な應典院で、「The Way We Talk上映会とトーク」イベントが行われました。

 應典院は、大阪吃音教室の会場として使っているところですが、演劇や映画、いろんな種類のイベントが常時開催され、常に、大勢の様々な人々が集まります。僕たちも、これまで、コモンズフェスタに、桂文福さんの講演や、竹内敏晴さんと鯨岡峻さんとの対談や、セルフヘルプグループの意義などのイベントを企画してきましたが、今回、久しぶりの参加でした。マイケル・ターナーの吃音ドキュメンタリー映画は、昨年の4月に大阪吃音教室の開校式で上映し、40名以上がすでに見ているので、参加者は少ないと思っていたのですが、僕たち関係者以外からの参加もあり、結局、今回も40名が参加してくれました。

 終わった後、やりとりされたメールをまず紹介します。トークに登壇した藤岡千恵さんからです。

 昨日、開催された、コモンズフェスタの企画の「The Way We Talk上映会とトーク」イベント、おつかれさまでした。

 應典院の本堂ホールに入った瞬間、大きなスクリーンが目に飛び込んできました。早くから会場に入ってセッティングしてくださる方がいたから、あのサイズのスクリーンでの上映が叶ったこと、感謝です。当日までの打ち合わせや準備や手配、当日の進行など、溝口さんがリードしてくださったことで、このタイトなスケジュールでのイベントや分刻みの当日のスケジュールが何事もなく終えられたこと、本当にありがとうございました。

 ミニシアターのような雰囲気のなかで「The Way We Talk」を観ることができて、映画の世界にどっぷり浸ることができました。音楽も、景色も、マイケルのナレーションも、大阪吃音教室の開講式の時の研修室で観た時も心地よかったですが、あの時の数倍、映画の世界観にどっぷりハマったという感じでした。
 今回、エンドロールで、伊藤伸二さんの名前が二番目に流れたことに気づき、マイケルにとって伊藤さんとの出会いが大きかったことを改めて感じました。マイケルとの出会いも不思議な縁を感じます。

 昨日、帰りの電車でトークのゲストの一ノ瀬かおるさんからさっそくメールがありました。
 
 「すてきな場に呼んでいただいて、ありがとうございました。光栄でした!みなさんによろしくお伝えください」とのことでした。トークでは、「桟橋で行き止まったシーンの、あの感覚がわかる」と言われていた一ノ瀬さんから出てくる言葉や視点に、私も刺激をうけました。
 伊藤さんの「どもる人だけでなくいろんな領域の、いろんな立場の人と交わるからこその豊かな世界」というメッセージ(実際に言われた内容と違っているかもしれませんが)、本当に納得!です。トークが始まるまでは、50分を長く感じていましたが、始まってみると「え!??もう時間!?」という感じでした。

 スポットライトを浴びてドキドキされながら(!)司会をしてくださった平松さんもよかったですし、ゆったりと話される、大阪スタタリングプロジェクトの会長・東野晃之さんからはあの場でも安心感をもらいました。早くから会場に入り撮影の準備や本番の撮影をしてくれた井上さん、スクリーンや会場の設営をしてくださったみなさん、資料の印刷と物販担当してくださった坂本さん、早めに来てくださった赤坂さん、昨日参加されたみなさん、ギリギリまで準備してくださった伊藤さん、溝口さん、皆で叶えた上映会だったと思います。
 みなさん、本当にありがとうございました。 藤岡千恵


 坂本英樹さんからのメールです。

 コモンズフェスタ、盛況のうちに終わりましたね。40人の来場は上々の出来でしょう。1月9日東京渋谷のロフト9でビールを飲みながら、あの映画を観た私は、お寺だけに般若湯(お酒)を飲みながらのイベントにしたかったなと一人いらぬことを考えていました。

 あの大画面で観たことで新たな気づきを得た人も多いと想像します。吃音氷山説のジョゼフ・G・シーアンの場面です。どもっているにもかかわらず、それをなかったことにして隠そうとしているのを、吃音を「カバ」という大きな動物」に喩え、誰にも見えているのに隠しているどもる人の現実を表していました。二回見ているのに「カバ」に気づけなかったという、新たな発見がありました。

 「どもるという経験」、「どもる経験を語る」ということについて展開されたトークは聞き応えがありました。東野晃之さんからはグループのもつ意味について、藤岡千恵さんからは、父親から伝えられたと考えていた、どもってはいけないというメッセージは実は自分自身が与えていた命令であったという、洞察が示されました。

 そのうえで伊藤伸二さんと一ノ瀬かおるさんから、他領域との交流の重要性、そこから開かれていく世界のイメージが語られました。
 普段とは異なる聴衆を得て、語りは進化、深化していくものだと悟りました。

 またの機会があれば、また!、ですね。 坂本英樹


 西田逸夫さんからのメールです。

 スクリーン、大ホールで使える最大の210インチのものを選んで正解でしたね。開演3時間前に、集合可能なメンバーが集まった甲斐がありました。

 個人的には、2度目に「The Way We Talk」を観て、確かめたいシーンがありました。最後近く、マイケルがお母さんから「もし子どもがどもり始めたらどう思う?」と尋ねられる場面です。去年の開講式に最初に観たとき、答えを返そうとしたマイケルの手が震えたような気がしたのですが、映画終了後の記憶がおぼろげで、自信を持てませんでした。

 今回見直すと、その場面、お母さんから尋ねられた後に長い間があり、画面が大きく揺れて、マイケルの涙をこらえているような、くぐもった声が続きます。
 記憶していた以上にマイケルの心の動揺が描かれていて、以前よりも一層、大好きなシーンになりました。
                                                   西田逸夫

 トークでの僕の発言はまた紹介します。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/02/01
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