伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2016年06月

発達の大原則


 しばらく、生活の中でいろいろな出来事があって、更新できませんでした。
今日からまた更新を開始します。よろしくお願いします。第一回吃音講習会の、浜田さんの講演の続きです。今回で最後になります。


 第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男



発達の大原則

 私は、世間が発達、発達と言う以前から子どもの育ちの問題をやっています。「発達」ということばは、60年代、70年代の初めくらいまでは専門家は使っても、親御さんたちが使うことはなかった。それが、80年代、90年代ぐらいにさかんに親のことばとして使われ、先生方にはもう必須の用語になった。これはちょっとまずいんじゃないかなと私は思っています。というのも、発達ということばは、どうしても「力をつける」というところにアクセントが置かれている。人の育ちをもっと全体的にとらえるためには、発達をこれとは違ったイメージで考えていく必要がある。それで、最近私は、「発達の大原則」を説いて回っています。もともとはさんざん発達批判をやってきた人間が、発達の大原則などという変に聞こえるかもしれませんが、ほんとはすごく単純な話です。

最初に、ちょっとおおげさに、「人はどうやって生きているのか」と考えます。ずいぶんと難しそうな問ですが、これには誰もが否定できない答えがあります。それは「からだで生きている」ということです。「からだで生きている」ということは、からだのあるところで生きてるわけで、それは「ここの今」です。人はからだでここの今を生きている。もちろん昨日も生きていましたが、昨日は昨日身を置いていた昨日のここの今を生きていた。明日もおそらく生きているでしょうが、明日は明日身を置くであろう明日のここの今を生きている。人はからだで、「ここの今」を生きるしかできない。だけど、刹那的に生きているということではありません。ここで今こう話していても、つい昨日のことを考えて、「しまった、ああすればよかった」などと思ってしまう。あるいはつい先のことを考えて、不安になったり、希望を描いたりする。だけど、生きているのはやはり身体のあるここの今です。

では、ここの今、このからだでどんなふうに生きているのかと考えれば、このからだの中に今手持ちにしている力、今からだに備わっている力で生きている。それ以外の生き方はできない。たしかに今日できないことも明日はできるようになってるかも知れません。ここでいう明日は文字通り明日かも知れないし、十日後、一ヵ月後、一年後かも知れません。それを象徴的な意味を込めて明日と言うとして、その明日には今日できないこともできるようになっているかもしれません。しかし、はっきりしているのは、明日できるようになるかも知れない力で今日を生きることはできないということです。今日は今日の手持ちの力で生きる以外にない。これは当たり前のことです。

 別の言い方をすると、今日やりたいけれど、力がまだ備わってないとして、そんな時、どうすればよいのか。学校的発想では、できなければできるようにがんばりましょうということになる。だけど、それは、できない今どうするのかという問いの答えにはなっていない。というのも、できるようにがんばって努力したって、できるようになるまではできないわけです。そのできない今どうするかという聞いているわけです。できるように努力するというのでは答えにならない。では、できない今はどうすればよいのか。これも答えは単純で、できないことはできないと諦めて、自分の現在の手持ちの力でやり繰りして生きる。それ以外の生き方はできないということです。そうやって手持ちの力を使ってなんとかやり繰りしていくうちに、結果的に明日できるようになるかも知れない。もちろん、ならないこともある。人が生きるというのはそういうものです。

 発達は結果であって目標ではない

 世の中でさかんに「発達、発達」と言われるようになった現在、「発達のために」というふうに、発達が目標になっている。だけど人間は発達のために生きているわけじゃない。今、それぞれ手持ちの力を最大限使って生きる以外にない。そうだとすれば、子どもや障害をもつ人たちに関わる仕事では、力を身につけさせるとか治すという発想に立つ以前のところで、その人が今自分のからだに備わっている力をちゃんと使って生きるような場面、体験を提供してるかという目で見るべきだと思います。今はとかく、子どもにどう力をつける、どう力を伸ばすのかというところに目がいきがちですが、そうじゃなくて今の手持ちの力を使ってこの世の中をしっかり生きていける体験を子どもに提供してるかどうか。そういう目で見たときに発達観は変わってくると私は思っています。
 発達はけっして目標ではなくて、結果だと私は強調したい。結果である部分を目標にした時に問題はすり返られる。昔話に「舌切り雀」という誰もが知っている話があります。人の好いおばあさんとおじいさんが怪我をした雀を治したら、のちに雀がお礼に大きいつづらと小さいつづらをもってきて、どちらかどうぞと言う。そこで謙虚なおばあさんとおじいさんは小さいつづらを選んだところ、そこには金銀財宝が詰まっていて大金持ちになる。その話を聞きつけら隣のおばあさんとおじいさんが、うちもと、雀にわざと怪我をさせて、治してあげた。お礼に、大きいつづらを選んだら、ガラクタばかりだったという話ですね。

 これは、小さい方を遠慮がちに選んだ謙虚さを説く教訓というふうにとられやすいのですが、そこにはもっと大きい教訓がある。最初のおばあさんとおじいさんは、お礼のつづらをもらおうと思って雀を治してやったわけじゃない。親切にした結果としてつづらがもらえたのです。ところが、後のおばあさんとおじいさんは、お礼につづらをもらおうと思って治療した。そこに大きな教訓があるわけで、とかく私たちはお隣の意地悪のおばあさんとおじいさんのようなことをしてしまいがちになってはいないのか、ということなんですね。

発達を目標にするようになった時、世の中は錯覚に巻き込まれると私は思っています。力は、これを使って人どうしがともに生きる世界を広げるためにある。そうして手持ちの力を最大限に使っていくなかで、結果として力は身につく。それが発達の原則です。それにまた、自分の力を使って何かをするというとき、それで自分が喜べて嬉しいとか、それが自分のためになるといったイメージで考えやすいのですが、実は人は自分の手持ちの力を使って何かをやって、それが自分の喜びになる以上に、相手が喜んでくれるということ喜びを感じたりするものです。これはすごく大きいことです。

 人間と他の動物の違いを、二本足で歩く、ことば、道具を使う、などが言われますが、あまり言われていない大事なことは、人間は自分の力を使って何かをして相手が喜んでくれるとうれしい生き物だということ、端的に言えばプレゼントができる生き物です。鳥なども雛に餌をあげたりしますが、それは雛が喜ぶからそうしているというのではなくて、単なる本能的行動だと言った方がいい。その点、人間は相手が喜ぶのがうれしくて、プレゼントする。これは肝心なことで、たとえば子育ては結構面倒ですが、その子育てが順調にできるのは、育てる過程で子どもが喜ぶ顔がうれしいんです。だから多少の苦労もいとわずにできる。子どもがにっこり笑ってくれて「おいしい」と言ってくれたり、「うれしい」と言ってくれたり、それが親にとってはうれしい。

 子どもも、
   何かをして相手が喜ぶのがうれしい

子どもたちも同じで、何かをして相手が喜んでくれたらうれしい。人間はもともとそうした生き物です。ところが、今の子どもたちは自分の力を使って何かをして相手が喜んでもらえる機会をほとんどもてずにいる。それでも、年長の子どもに赤ちゃんの面倒を見させると、すごく喜んで赤ちゃんをあやして、笑わせようと努力して、笑ってくれるとそれがうれしい。幼稚園の子どもに赤ちゃんの面倒を見させるなんて、できないと言うかも知れませんが、ちょっと昔や、開発が進んでない国では3,4歳で赤ちゃんを見ている。しかも任せている。

 子育ての文化が子どもの世界の中にあるという中で生きていれば、3,4歳でも赤ちゃんを見られるし、そういう生き方をしている民族がいまもあちこちにある。その点で、今の日本の子どもたちは自分の力を使って相手が喜んでくれる機会をほとんどもってない、非常に惨めなところで生きていると私は思ってるんです。
 神戸の震災の後でしたか、神戸では「トライやるウィーク」という、5日間連続で、子どもが行きたいところで職場体験をするということをしています。5日ではまだ中途半端だと私は思いますが、それでもおもしろいことはいろいろ出てくるらしい。

 勉強もせず、やんちゃしていて授業もまともに出ずに廊下でウロウロしていて、茶髪にピアスの中学2年生が、保育所に行った。行く気は全然なかったが、しょうがないから保育所に行ってみた。ところが、保育所はぼうっとしていられない空間で、運動場でぼうっと立っていてもすぐに子どもが寄ってきて、「お兄ちゃん、どこから来たん?」と聞き始めるから無視できない。小さい子どもから聞かれると、上から見下ろしてはしゃべりづらいから腰を下ろしてしゃべる。しゃべり始めるとおもしろくなってくる。中学生も小さい子ども時代があるので、遊びは知っている。それで子どもと遊び始めると相手が喜ぶ。その喜ぶのがすごくうれしくなって5日間ではまってしまって、「俺は保育士になる」なんて言い始めたそうです。彼は、自分の力を使って何かをやって相手が喜んでくれたという体験を初めて味わったんですね。ここに育ちの原則があるのだと私は思います。
 ところが、今の子どもたちはそういう機会をもててないところにいて、学校では力を身につけることばかりを求められている。しかもその身につけた力は試験で試されるばかりで、その力を使う体験を味わえてないことが多い。

 吃音の場合も、何であれ、手持ちの力を使って思いを伝えるとうところに焦点を当てなきゃいけないのに、流暢にしゃべる力そのものだけを問うて、これでは効率的でないとか、世間から受け入れられないのでここをなんとかしましょうという話になったところに問題があると思うんです。今の子どもたちは、力をもっていればもつだけ経済的に豊かに生きていけるというようなところに集約されてしまっている。この構図が問題だと思っているんです。これは大問題で、口で言うのは簡単ですが、どうしたらいいかわからない。みなさんが考えていただけたらと思います。ちょうど時間になりました。ご静聴、ありがとうございました。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/6/28
 

子どもと一緒に生活をつくる

週末、第5回講習会のための実行委員会が合宿で開かれました。鹿児島、島根、大阪、愛知、神奈川、栃木 千葉の仲間13名が集まり、いろんな話ができました。ありがたい仲間たちです。またその報告はしますが、浜田さんの講演の続きを紹介します。
 前回の続きです。

第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男



自閉症の子ども親の体験

 私が自閉症の問題をずっとやってきて、出会ったお母さんからこんなエピソードを聞いたことがあります。息子さんは1960年生まれで、もう50歳を超えている、関西で自閉症第一号といわれている人です。自閉症は昔からあった障害ではありません。1943年、アメリカでレオ・カナーという精神科のお医者さんが11の症例を集めて、特有の症状を示す症候群があるのを発表して以来ですから、まだ70年ほどしか経ってない。日本で第一症例が出たのが1950年の後半で、関西では1960年に関西一号とか言われてました。

 小児科のお医者さんも誰も知らないという時代でした。この息子さんは自傷行為もあるし他害行為もあるという結構重度の方だったのですが、お母さんは普通学校に入れました。幼稚園にも行かせていましたので、集団生活には慣れていましたが、学校ではやっぱりいろいろトラブルを起こす。そのつどお母さんは学校に行くものですから、同級生の子どもたちともなじみになって、学校に行くと子どもたちが寄ってきて、「おばちゃん、おばちゃん」と言ってくれる。ある時、息子と数人の友だちとで遊んでる場にお母さんも横にいた。そのときなにかのきっかけで息子さんが同級生の女の子にかみついたんだそうです。さすがに自分の目の前で自分の息子が友だちに噛みついたら叱りますよね。「やめなさい!」と言って怒ったんだそうです。そしたらその噛まれた女の子が「おばちゃん、怒らんといて。この子が噛むのはこの子のことばみたいなもんだから」と言ったそうなんです。小学校1年生ですよ。すごいなあと思いましたね。

 幼稚園からのつき合いがあったんでしょうが、こんなに小さな子どもでも、そういうふうに思えるということなんですね。本当に大事なのはその子を治すということじゃなくて、その子とどうつきあうかの、そういうスキルです。そうすると周りも生きやすくなる。周りから理解されると本人も楽になる。そう思うんです。障害は、もちろん、治るものならば治った方がいい。でも、治る治らないにかかわらず、その人、その子どもとのつき合いはあって、そこの部分を大事にしたいと思うんです。

 あー、それで思い出しましたが、そのお母さんが先ほどの伊藤さんの話とそっくりのお話をして下さいました。自閉症第一号と言われて以降、いろんな同じような障害をもつ人たちとのつき合いが増えてきて、「自閉症親の会」を作って、そのリーダーを長くやってこられた。私がそのお母さんとお出会いしたのは、その子がもう高校生年代ぐらいの時でした。親として大ベテランになっていましたが、そのお母さんがある日、私としゃべっているときに「自閉症は治ってもらったら困る」とおっしゃったんです。「治りたくない」という話が先ほどありましたが、「治ってもらったら困る」と言われるのを聞いて、やっぱり不思議に思いますよね。「治ってもらったら困る」ってどういうこと、と思ったんですが、お話を聞いてみるとよくわかる。

 自閉症が世間でかなり知られるようになってから、○○療法があるとか、××療法があるとか、あるいは自閉症に効く薬物が開発されたとか、あれこれ宣伝されたりする。たとえば、もうずいぶん前になりますが、厚生省の薬物研究班が自閉症の新薬を開発したと、一面トップの新聞記事になったことがあります。すると、その研究班に属している医者を探して、その人が勤める病院に列ができる。それくらい親御さんたちは必死になって、あちこちと子どもを連れて、いわゆる病院ショッピングをする時代がありました。この自閉症の新薬も、効果があるかどうかを確認できないということが後に明らかになって、「がせネタ」だったということが判明します。でも、そうした情報に親御さんたちが引きずりまわされる様子を見ていて、これではいけないと思ったと、そのお母さんは言うんですが、それだけではありません。大事なのはもうひとつの理由です。

 自閉症がもし風邪が治るみたいに治るんだったら、そりゃあ治してもらったらいい。だけどそんな簡単に治るもんじゃないことは重々わかったというんですね。人間は複雑な生き物だから壊れることもあるし、壊れたときに簡単に修理ができるような簡単な生き物じゃない。治る治るって、そうそう簡単に治るものじゃないことはよくわかりました、そのうえで、なおかつこの子は治るという思いでその子をあちこち引きまわしたりする。でも、「治る」という思いで薬を飲ましたり訓練したりするということは、現に治っていないこの子を否定するに等しい。治る治るという思いでいることは、現に目の前にいて治っていないその子どもを否定するに等しい。それはやっぱりおかしいとお母さんはおっしゃる。裏返して言うと治る治らないに関係なく、この子はこの子のまま私は引き受けて生きていきますと言いたかったんですね。それはまっとうな感覚だと私は思います。

 治る治らないに関係なしに、この子のまま私は引き受けて生きていきます、そういう感覚を親御さんが自分の中でしっかりもつことがお互いの関係を楽にする。伊藤さんのことばで言うと「諦める」ことなんですが、「まあそんなものだ」と諦める、あるいは「断念する」。それは、結構大事なことです。人間だからできないことはあるわけです。そんな場合は、それを引き受ける、諦める、断念することが、生きるうえですごく大きな意味合いとしてあるんじゃないかって、私は思うんです。

 生きるかたち

 私は今回、テーマとして「ありのままに生きるかたち」を掲げて、「かたち」という表現を使ってます。「生き方」じゃなくて「生きるかたち」と言っています。「生き方」と別にたいして差がないと言えばないんですが、生きるかたちという方がむしろ普通は言わない言い方なので、何なんだと思われたかもしれません。私は、「生き方」ということばに抵抗感をもった時期がありました。「私の生き方」、「あなたの生き方」、「彼女の生き方」となると、生き方をその人がそれぞれ選んでいるニュアンスがすごく強い。どんな生き方を私はすればいいかという、選べるニュアンスで言っている。だけど、人には選べないことがたくさんある。どうしようもなく引き受けざるを得ないことがたくさんある。

 自分が生まれた家は選べない。男に生まれたら男、女に生まれたら女、性同一性障害の状態であればそういう状態で生まれているわけで、選べない。障害をもって生まれれば障害をもったかたちで生まれざるを得ない。それは選べない。もちろん自分たちの生きていく道を選べることはいいことだし、いくつか選択肢があったとき、その自分の思いに沿って生きていくこと意味を私は否定しません。すごく大事なことだと思う一方で、選べないということも相当ある。この選べなさを引き受けて生きていく側面もちゃんと見ないといけない。「生きるかたち」というのは、自分に与えられていて引き受けざるを得ない部分にちゃんと目を向けようということでもあるわけで、「生き方」という選ぶところにアクセントを置くんじゃなくて、選べなさにもちゃんと着目して、自分たちなりの生きるかたちをどうつくっていくかという目で見たほうがいいんじゃないか。そういう意味を込めて、「生き方」という言い方をあえて避けて、「生きるかたち」と言っています。

 諦める

 そういう構図を改めて考えたとき、今の子どもたちが学校の中で求められているものは、選ぶ方向、努力してなんとか切り開いていく方向ばかりに目がいっていると思うのです。すごく消極的に聞こえるかもしれないけれど、諦めることは、実はすごく大事なことです。諦めるを字で書くと「諦念」の「諦」という字です。もともとは仏教用語で、しっかり、はっきり見るということです。諦めるとは明らかに見るという意味で、それを引き受けてやっていくということだとすれば、諦めるとか、断念するというのは相当大事なことです。もちろん自分の与えられた条件をなんとか乗り越えることも必要だと思います。たとえば今のような時代の中で、私たちは生まれてしまった、ああもう断念しましょう、諦めましょうというのは、ちょっとまずいかなと思います。だけど、どんなに頑張っても変えようのないこと、選びようのないことはいくら言ってもしょうがないので、それは引き受けましょう、ということです。

 自分のからだを引き受ける

 先ほど控え室で少し話していたんですが、障害のなかには、どうしても変えようがない、治しようがない障害もある。たとえば生まれた時に腕が最初からなくて、どんなふうにやっても生えてこない。これは引き受けるよりしょうがない。ただ、これも微妙なところがあって、小さいとき可哀想だから義手をつけようということがある。そうして義手をつけることで偽った自分のからだを外に見せ、腕がない自分を隠す。だけど、隠して世間に向かって自分は他の人と同じ格好ですよと見せることは、実は自分自身を受け入れないということに等しい。だから、大人になってからそれがすごくつらくなる。隠すことで、そのまま世間にさらしちゃいけないからだだとして、自分のからだを否定してしまう。それはすごくしんどい。五体満足という、世間のドミナント・ストーリーを自分のものとして受け入れて、それに沿わない自分のからだを差別するのです。世間一般のドミナント・ストーリーを自分の中に吸収し、それによって自分を裁き、否定するのですから、それはとてもつらいことです。吃音の世界でも、人はみなすらすらとことばを喋るものだというドミナント・ストーリーに呑み込まれるなかで、自分の吃音を恥じ、それを克服しようとする。しかし、その克服の努力そのものが、実は自分を裁き、自分を否定することにもなる。
 それでも四肢欠損の障害の場合、ない手足が生えてくるはずがありませんから、結局は、それはそのまま引き受ける以外にないのだけど、吃音の場合、どもっているけれどこれは治るかもしれないというか、ボーダーで行きつ戻りつすることがあったりするものですから、治るという話にどうしても飛びついてしまいがちになる。だけど、それが結局、ドミナント・ストーリーに自分が飲み込まれて、自分を否定してしまうことにもなるわけですですから、どもる自分を、どこかでそんなものだと引き受けた方がずっと楽。ことばが人に自分の思いを伝えるものとしてあるとすれば、どもろうとどもるまいと、伝わるものは伝わる。そう開き直ることができないと、結局、一生自分のありのままを認められずに、自分自身を差別し続けながら生きていかなきゃならないということになる。
 そういうみじめなありようをなんとか越える道を探るためには、まず一つには、いまの学校のドミナント・ストーリーを組み替える努力をしなきゃいけないのではないかと思っています。つまり学校という場を、子どもが力を身につける場から、力を使う場に転換できないだろうか。子どもはいつも大人から見れば半人前かもしれないけれど、かつて子どもたちは自分の手持ちの力を使って家庭、地域の中で、子どもなりの一人前を生きてきた。しかし、今の子どもたちは自分の手持ちの力を使う機会を失い、その一方でいつ使うかわからないような力を身につけることばかり求められている。そうした状態は今日の貨幣経済が続き、グローバリズムが続いている限りは続いていくのかもしれません。非常に悲観的な言い方をすると、日本経済が潰れたときにはじめて学校は変わる、そういうものかもしれません。そこまで言ってしまうとちょっと無責任になってしまいますが、いまはいまで、やはり子どもたちが自分の手持ちの力を使う機会をどう提供したらいいのか、生活の中でいかに子どもたちが自分の力を使えるのか考えなければいけないのではないかと思っています。
 
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/21続きを読む

ソーシャル・スキル


  前回の続きです。

第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男


前回の続きです。


ソーシャル・スキル

 考えてみると、人間がこんなにしゃべるようになったのはここ4,50年じゃないか。そういうなかにあるからこそ、対人関係のちょっと厳しい、気が利かない、空気が読めない人たちが浮かび上がるようになっていると思うんです。そのなかで発達障害の子どもが取り出されて、ソーシャル・スキルのトレーニングがなされる。そのことそのものの意味を私は否定するつもりはありません。その訓練で対人関係を円滑にするスキルが一定程度でも身につくのなら、まあそれはそれでいい。だけど、ほんとうのところ、それは抜本的な解決にはならない。むしろとにかくスキルを高めなければという錯覚をさらに強めているところがある。

 ソーシャル・スキルというような用語を使えば、まるでソーシャル・スキル一般というようなものが客観的にあるみたいに聞こえますが、本当はそう簡単じゃない。質問紙で、これの何項目か当てはまれば発達障害ですよ、と言います。そこで問われるようなスキルがどこかにあって、それを育てることが非常に大事だと思われますが、そもそもソーシャル・スキルって何だろうと考えたとき、人一般とつき合うスキルなんてありえない。人一般ではなくて、おじいちゃんおばあちゃんとつき合うとか、おじさんおばさんとつき合うとか、同年齢の仲間とつき合うとか、あるいは赤ちゃんとつき合うとか、障害をもってる人とつき合うとか……、いろんな人とつき合うソーシャル・スキルがあるはずです。ところがソーシャル・スキル一般みたいなものがあるかのように考えて、苦手だと思われる質問項目をなんとか訓練してうまく生きていけるようにしましょうというふうになる。それは子どものためという善意で行われるのでしょうが、そこには奇妙な逆説もある。

実際、ソーシャル・スキルの苦手な子どもたちが別のクラスに集められて訓練をされると、ソーシャル・スキルの問題がない子どもたちはソーシャル・スキルの苦手な子どもとつき合う機会が少なくなり、その子どもたちとつき合うソーシャル・スキルを失っていく。これはまずいと私は思うんです。もともとソーシャル・スキルの苦手な子たちもいて、努力したからといってそれはそう簡単には変わらない。むしろそう知ってつき合っていけば、そのソーシャル・スキルの苦手な人たちとのつき合い方も身についてくるわけで、そのことが僕は大事だと思うんです。

 障害をもつ子どもたちを特別に訓練するために、特別支援学級とか特別支援学校を用意するという発想は、実は結果として、その障害をもつ子たちだけの集団をつくることになる。そうすると、障害をもたない人たちは、障害をもつ人たちとつき合う機会を失い、そういうソーシャル・スキルを失っていく。そうなると、障害をもっている人ともっていない人がともに生きていけるような社会はそれだけ形成されにくいということになります。今は問題をすべて個人の能力に集約してしまって、その個人の能力をいかに伸ばすかという話になっているから、社会全体のなかではむしろ両者を分断して、結果的にはお互いがともに生きあえない世界をつくってるということになるんだと思うんです。

 ソーシャル・スキルというものを能力として取り出して、個人の中で、その能力を伸ばせばいいんだという発想は間違ってると私は思います。問題を個人の中にすべて集約させて、個人の力を伸ばす、個人の障害を治す、軽減するというところにはまりこんでいるのが、今の私たちの教育観、発達観です。だから「発達」が流行るんですが、それは実はものすごく困ったことなんです。個人の能力、個人のスキルを育てる、そういう考え方が蔓延して、人の多様性をそのありのままに認める発想がどんどん少なくなっているのです。世の中にはややこしい人もいれば、そうじゃない人もいて、お互いがお互い様で生きているはずなのに、そういう感覚がどんどん失せてしまっている。そんななかで障害も努力すれば治る、訓練すれば軽くなるという発想が強くなってしまっているんですね。

 たとえば吃音を例に言えば、吃音はおかしい、ほとんどの人が吃音なしにちゃんと喋れているにそれができないのは不思議だ、どうして吃音になってしまうのかというふうに言われがちですが、じゃあ吃音ではない人がどうしてどもらずにしゃべれているのかというと、実はこれもわからない。どもらずにしゃべれているのも実は相当に不思議なことなんです。こんなにぺらぺらと、どもりもせずによくしゃべるなあと思う。人はいちいち頭の中で次に何をしゃべろうかなどと考えずに、次々と口からしゃべっている。口先でしゃべっている。自ずとそうなっているわけで、スキルがきちっとあってそれをうまく組み立ててしゃべっているわけじゃない。からだで自ずとしゃべって、それがごく自然になってしまっている。だから、どもるのが不思議なんじゃなくて、どもらない私たちの方がずっと不思議なんです。なんでどもらずにしゃべれるのだろうか、なんでうまく舌をかまずにしゃべっているんだろうと思いはじめると、訳がわからなくなります。そう考えると、障害が不思議ではなくて、障害をもってないことの方が本当は不思議なんです。
 
3歳、4歳になればたいていの子どもがぺらぺらしゃべっているのに、その年齢でまだ全然ことばが出てこない子がいたとすれば、たいていの人は「みんなしゃべってるのに、なんでこの子はしゃべられへんのやろう」となります。けれど、逆にぺらぺらしゃべる子どもを前にして、生まれて3,4年でなんでこんなによくしゃべれるのかと考えたら、それがよくわかりません。言語発達心理学の本を読んでも、人がそんなふうにしゃべれるようになるメカニズムはわかっていない。障害の部分を取り出して、どうしてみんなができていることができないんだろうというけれど、本当に不思議なのは、まともにしゃべってる子ども、まともに育っているといわれている子どもの方で、そっちの方がずっと不思議なんです。
 
だけど、障害をもってない方が多数派ですから、少数派の方が「どうして?」という目で見られてしまう。そうじゃなくて、自分たちがしゃべれている方が不思議だと思えれば、多少どもる人がいても、言おうとしていることはわかるわけだから、ちょっと待てばわかるんだし、それでいいじゃないとなる。ところが、実際にはなかなかそんなふうに思ってくれなくて、許されない。どうしてそうなるんだろうと思います。そりゃ聞く方もちょっとつらくなったりすることがあるけれど、それでもそんなものだと思えばいいわけです。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/18

子ども時代は、大人になるための準備の時代ではない

 前回の続きです。

第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男



かつては家庭と地域が
    子どもの生活のメインだった


 こういうことを言わなきゃいけなくなった時代が、ここ50年なんです。学校教育は140年の歴史がありますが、最初の100年ぐらいは学校はドミナントじゃなかった。地域、家庭がドミナントだったもので、学校は副次的、子どもたちの世界ではサブだった。メインじゃなかった。ですから、なんとか済んでいたんです。

 たとえば具体例をあげますと、僕らの子ども時代は「農繁休業」がありました。百姓の子は農繁期、つまり、田植え、麦刈り、秋の稲刈り、芋ほりの時期は学校を一週間ほど休む。そうじゃない子たちは学校に行く。そうすると学校に行ってる子は、「休めていいなあ」と言うけれど、実は学校の方がずっと楽だから百姓の子にとっては農繁休業は嫌なんです。だけどそれは、休んでいいというかたちで学校が地域、家庭の方に譲っていたんです。そういう時代がありました。メインは家庭や地域の生活、しかも学校の勉強なんかできなくてもかまわないという文化があ日った。進学がなかった時代、中学校を出た先は、成績が良かろうと悪かろうと一緒だった。僕らの子ども時代は、成績のいい悪いが自分の人生を決めなかった時代です。比喩的に言うと、男の子にとって学校の勉強ができるかできないかは、相撲が強いか弱いか、走るのが速いか遅いかとあまり変わらない値打ちの時代だった。その中で、子どもたちにとって学校はメインじゃない。学校はサブで、地域や家庭の生活がメイン、そうした時代が100年続いて、その後の50年が今の子どもたちの時代と言っていいんじゃないかと思うんです。

 ですからこの50年の変化は相当に大きく、学校がメインで、学校の物語がドミナント・ストーリーになっている。力を伸ばすことが大きな意味をもち、力を身につけて試験で発揮するところに大きな価値が見出されてしまっている。障害をもっている子どもたちにとっては、障害を治すということが、あるいは軽減するということが最大の課題になっている。そんな状況の中に、子どもたちはいるわけです。力を使って生きるということじゃなくて、力を身につけることそのものに焦点があてられるようになっているというあたりを、私たちがどうとらえていくかが、非常に重要な課題になっているんじゃないかなと思います。

 子ども時代は、
  大人になるための準備の時代ではない


 今、子ども時代は将来大人になるための準備の段階で、子どもは将来に備えて準備をする存在だと思われています。だけど、考えてみますと、人生の中で準備の時代ってあるのでしょうか。子どもは大人になるための準備の時代を生きているんじゃなくて、むしろ子どもは子どもの本番を生きている。その時その時をその子どもとしての手持ちの力で生きている。それがごく当然の見方だと私は思っているんです。
 障害児教育のなかでも、社会に出た時にちゃんと困らないように準備をしましょうみたいな話になりがちで、そのためにとにかく力を伸ばすのが大事だというような錯覚に陥る。最近、「発達障害」ということがさかんに言われるようになって、ソーシャル・スキルの問題が前面に出るようになっています。じっさい、発達障害の人が増えているように言われますが、診断基準が時代によって変わりますので、ほんとうに増えているのかどうか、数値で比べてもわからない。ただ、特別支援学校や特別支援学級に入っている子どもたちが増えているのは間違いないのですが、それはむしろ発達障害に対する目が厳しくなった結果だと言った方が正確ではないかと思います。そんなふうに発達障害が注目されるようになった理由のひとつははっきりしていて、産業構造が大きく変わってきたということなんです。かつては第一次産業、第二次産業が中心でしたから、仕事のうえで人と出会って、対面でコミュニケーションする領域は限られていた。ところが、今は、職業のほとんどが対人関係を必要とする。それだけ人間関係が重視される時代なんです。

 そのことは子どもの生活領域にもあてはまるかもしれません。僕らの小さい頃、親とコミュニケーションというか、しゃべるなんてことがあまりなかった。親と顔を合わせてしゃべるとうのは、何か恥ずかしくて照れるというような時代でしたから、親と一緒に働きはしたけれど親とゆっくり話をしたなんて記憶がありません。でも今は、親と子がことばでしゃべらなければいけない場面は非常に多い。友だち同士の遊びなども、かつてのように自然の物を相手にする遊びではなくて、ほとんどがことばを使った人相手の遊びになりますから、結局は人間関係がむき出しになってくる。人間関係の中で何かをつくりだして、共同の生活が成り立つのがかつての人の生き方だとすると、今は、むき出しの人間関係のなかで、貨幣のやり取りを通して、なんとか生活のための稼ぎをしなければならない。そういう構図になっているために、どうしても人間関係が前面に出てしまう、そういう時代なんですね。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/18

自尊感情が育つには

 前回の続きです。

第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男


自尊感情が育つには 

 
 学校のなかで最近、よく「自尊感情」ということが言われます。自分自身のことを好きですかと聞くと、日本の学校年代の子どもたちの場合、「自分が好きだ」と言える子がすごく少なくて、自分の嫌なところとか駄目なところばっかり見てしまっている子が多い。それはおそらく自分がこの世の中で意味のあることをしているという感覚をもてないからじゃないかと思うんです。このように自尊感情が低いという子どもたちの現実を前にして、学校の中では「しからずにほめましょう」なんてよく言われます。だけど、私は「ほめる」というのは違うなあと思ってるんです。「ほめる」というのは、こちらで一定の基準を用意していて、ここまできたらほめますよという、どちらかというと上から目線がある。ほめてあげるみたいなニュアンスが、どこかついてまわる。小学校の低学年ぐらいだとこれでも効きますが、学年があがってくるとほめたぐらいで喜ばない。ほめてもらって喜ぶほど馬鹿じゃないと思っている。

自尊感情を育てるのに大事なのは、ほんとうは「喜ばれる」ことだと思うんです。子どもがそこにいて元気でいるだけで親は嬉しいし、そのことを喜んでくれる、あるいは我々の時代だと、子どもがいて働いてくれて親が助かる。ほめてはくれないけど喜んでくれている。喜ぶ顔を直接見せなくても、親から助かったと思ってもらっていると子ども心に感じていたということがあった。そのことが自分たちの価値だったし、大仰に言うと、生きる意味を実感できることでもあった。それが今の子どもたちにはほとんどなくなってしまっている。自分が何かをして相手に喜んでもらえるという機会がない。
 
私の子ども時代、50年ほど前は、子どもたちは子どもとしての手持ちの力を使うことを求められていた。今は経済的に余裕ができたためか、子どもたちは力を使うことを求められなくなっている。子どもは家のことはしなくていいから、学校の勉強をしておけばいいというふうになっている。逆に言うと、力を使って役立つ感覚がない。
 私は、小学校にあがる前後から18歳頃まで、畑に連れて行かれて仕事をしていました。働いても、それが当たり前だと思われて、ほめてもくれなかった。ただ、助かっていると思ってくれていることは子ども心に感じていました。母親は病弱でしたから、きつい畑仕事などで、すぐに疲れて寝込んでしまう。それで、子どもが働くことは母親を支えることだとしっかり意識していて、「もうお母ちゃん、寝とき」と言っていました。子どもなりに家族の共同生活の一翼を担って、一人の生活者のである感覚が子どものなかにあった。今、子どもたちはそうした感覚をすっかり失っているわけで、経済的には裕福でも、精神的には相当貧しい生き方を強いられているかも知れない。

 こう言ったからといって、子どもに奉仕活動をしろというつもりはありません。もし、奉仕活動を学校の中で制度化すると、させられているだけになってしまいます。いずれにしても今の子どもたちは、自分の力を発揮したことで誰かが助かったと思ってくれている感覚をもたないまま、学校生活を送る。勉強ができる子どもたちは、成績を上げることに楽しみを見出せるかもしれないけれど、その勉強もさっき言ったように学校教育制度のハシゴを渡るために使われるだけだとすれば、これもみじめなことかも知れない。それに、小学校くらいまではともかくとして、中学校くらいになると勉強が嫌で嫌で、成績が悪いことで精神的に傷つけられ続ける子どもたちも確実にいます。それでも、身につけた力で世界が広がるという感覚がもてれば、成績なんか関係なく学校の勉強はおもしろいということになるはずですが、そういう雰囲気が失われて、学校の成績ひとつに勉強の意味が集約されてしまうと、勉強ができる子どもたちはそこに乗れるからまだいいとして、そうじゃない子どもたちにとって学ぶことの意味が見えない。勉強のできる子どもたちの場合、学んだ力で成績を争うだけというのはさもしいとは思いますが、なんであれ成績が上がれば親は喜んでくれるし、教師もほめてくれるし、友だちは一目置いてくれる。だけど中学校になれば、基本的に相対評価です。順番を競うなかで、確実に勉強ができないと思わざるを得ない子どもたちが、少なくとも2,3割は出てきます。学校で学んだことが自分たちの生活につながり、自分の世界が広がる体験に結びつけばともかく、そうでなくなったとき、学ぶことの意味はただ成績だけになって、しかもどんなにがんばってもその成績はビリから何番目ぐらいのところで上がらないという子どもが出てくる。学力、学力保障というけれど、相対評価でやる限りは、どんなにがんばっても、絶対できない子がいる。学力は努力しだいで伸びるかのように言う人がいますが、そんなものじゃない。

 人間もまた他の動物と同じように自然のもので、ひとつの物差しで切れば必ずばらつきができる。身長という物差しで切れば、いいものを食べていなくてもめちゃくちゃ体が大きくなる子もいれば、いいものを食べても背の伸びない子もいる。自然はひとつの物差しで切れば必ずばらつきが出るようになっている。学力という物差しで切れば、同じように、ちょっとやっただけでほとんどわかる子もいれば、ちょっとやそっとではわからない子もいるわけです。これは当たり前だと言うべきなんです。その当たり前のところを認めた方が、教師も子どもも生きやすくなる。別に、学校の勉強ができなくても、その子はその子で生きていける。学力はちょっと苦手な子どもでも、自分の世界を繰り広げていける希望さえもてれば生きていける。逆に私たちがこの希望を提供できるような世界を子どもたちに与えることができなければ、子どもたちはどんどんしんどいことになっていく。

そういう当たり前のところを認めて考えていかなきゃいけないのに、その一元軸で学力を保障しようという話に終始している。大阪の方では最近ひどくなって、そういう傾向がさらに強くなってきている。こうなるともう中学校くらいになるとつらくなる子が確実に出てきます。

 今いじめ問題が大津でさかんに騒がれていますが、ああいうふうに警察が介入するようになると、結局、いじめはただ摘発の対象になり、いじめっ子を摘発しなきゃいけないという話になる。僕は、摘発の問題ではなくて、学校という場の構図の問題として考えなきゃいけないと思ってるんです。子どもたちは学校の勉強がおもしろくなくっても、学校に行かないわけにいかない。不登校という手がありますが、不登校はそれなりの勇気がいる。その道を選んでしまうと社会からはみ出してしまう現実が確実にある。それでも不登校を選ばざるを得ないし、また自ら選ぶ人たちもいて、それはそれでいいと思うんですが、多くの子どもたちはそこまでできなくて学校には行く。でも勉強はおもしろくないから、結局、連れどうしがたむろする。しかも今の社会は消費社会ですから、子どもたちの消費欲求をくすぐるようなものがいっぱいあって、それにあおられてもいる。そういう中で子どもたちはどんな生き方ができるようになるのかと考えた時に、結構厳しいと思うんです。
 
そういう構図を考えた時、今、私たちが子どもの育ちとしてイメージしている「子どもたちは大人に守られながら将来必要な力を身につけている」ということが、相当大きな錯覚をはらんでいることがわかると思うんです。だけど誰もが錯覚しているから、錯覚と気がつかない。
 こういう話を学校の先生方にもよくするし、親御さんにもお話しします。すると、理屈はわかると言う。「そうでしたね、自分の学校時代もそうでした」とみんなが言うけれど、「じゃあ、わかりました、先生。今日からうちの子どもにそんなに無理して勉強させないようにしましょう」と言えるかどうかというと、これができないわけです。たとえ話で言うと、子どもたちみんなが一所懸命走っている。走りながらお互い「おい、おれたち何のために走ってるんだろう」と言う。「うーん、わからんなあ」、「わからんのやったらやめとこか」と言えるかどうかです。やめたとしたら自分ひとりが取り残されることは目に見えていますから、やめられない。錯覚の怖さはみんなが錯覚することなんです。

 だから、力を身につけて、使って世界を広げるところに学びの意味がある、育ちの意味があると言えば、みんなその通りですねと言う。だけど、力を身につけることだけを競う状況ができあがってしまうと、みんなが走ってる中で、「何でこんなに走らないといけないのだろう、何でこんな勉強をしないといけないのだろう」と言いながらやめられない。やめたとたんに自分だけが外れる。現に確実に外れる子たちがいると、外れた中で自分たちの楽しみを見つけざるを得なくなって、それがいびつな方向にいってしまうこともある。学校がそういう構図の中にあることがわかっていてもやめられない。それがドミナント・ストーリーだと私は思っているんです。考えてみると怖いです。

 では、どうしたらいいかという話になる。僕も口先だけでこういうことを言うんですが、逆にいつも最後の質問の時間になると「じゃあどうしたらいいんですか」と聞かれるんです。「うーん」と唸って、「それは先生方が考えることでしょう」と(会場 大爆笑)ごまかしている。どうしていいのかわからないのだけれど、答えははっきりしている。それは、子どもたちの、今の力を使う世界をつくりましょうということなんです。学校を、力を伸ばす場所と考えるんじゃなくて、身につけた力を使う場所として展開していかなきゃいけないでしょうということなんです。
続きます

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/18

言語訓練の無意味

第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男



相手に伝わる、受け止めること
    −言語訓練の無意味


 以前、私は花園大学の福祉系の学科にいました。そこには、障害をもつ学生が結構いました。盲や聾(ろう)、四肢欠損の人や肢体不自由の人も多かった。僕が勤めてすぐの、今から30年以上も前は、肢体不自由で、知的に問題のない人たちが相当、養護学校に行っていた時代です。印象に残っている脳性まひの学生の話をします。
 手足はそんなに不自由ではなく、他の子が少しペースを緩めれば一緒に補助具なしで歩くことができる。手の方も少し不器用だが、レポートや試験の時はマス目を少し大きくするくらいの手立てでよかった。ただ発音がはっきりしない。構音がうまくいかないので訓練をしようということで、小学校1年生から言語訓練を受けて、大学まできた。ところが、本人はその言語訓練が嫌で嫌でしょうがなかったというんですね。発音をはっきりさせようとの訓練ですから、1年生ぐらいだったら絵カードを見せて、特に発音しづらいものを取り出して、「これは何ですか」と聞かれる、それで「りんご」と答えるというような訓練です。おもしろくないのは当然ですね。先生にとっては、この社会で生きていくためには発音をはっきりさせなきゃと、一所懸命に訓練・指導に励むのですが、それが本人は嫌いだったと言います。

 自分の思いをことばで相手に伝え、相手にその思いを汲み取ってもらってコミュニケーションの世界は広がるものです。ですから、私たちは相手がおそらく知らないだろうと思うことをしゃべる。また相手にものを聞く場合は、自分が知らないことを相手は知っていると思うから聞く。ところが、学校ではその原則がしばしば崩れる。先生は自分が知っていることを子どもに聞く。これはコミュニケーションとしてはすごく歪(いびつ)です。絵カードを指して、「これは何ですか」と聞く訓練は、発音がはっきりしゃべれるかどうかを試すものであって、実際はコミュニケーションでも何でもない。学生も、そのことを知っているから言う気にならない。発音を訓練しているんだからしっかり言いましょうという場に置かれて、本人は当然おもしろくない。コミュニケーションのための力を伸ばすと言いながら、その場がコミュニケーションの場になっていないという非常に屈折した状況になっている。これでは子どもが嫌になるのも当然です。

 同じような話を、STになりたての人から随分昔に聞いたことがあります。脳溢血で倒れたおじいちゃんが命はとりとめて回復した後、失語症のリハビリをすることになった。それではじめてリハビリ室に入った時、STから「お名前は?」と聞かれたのですが、おじいちゃんは自分の名前が言えない。冷や汗をかきながら努力しても言えない。その自分の障害の現実をつきつけられて何とも言えない思いに駆られるんですが、そのうち、そのおじいちゃんは、STの前のカルテに自分の名前が書かれていることに気がついたんだそうです。「お名前は?」と聞かれたが、名前を知らないから聞いてるんじゃなくて試されているんだとわかって、ぞっとしたという話です。本人が回復してからそのことを聞いたSTは、自分は一体何をしていたんだろうと思ったといいます。
 
 生活の中で伸びる力

 養護学校で言語訓練を受けて大学までやってきた先の彼は小学校、中学校、高校と、その言語訓練を受けてきて、嫌で嫌でしょうがなかったし、その訓練で力が伸びたとも思えないと言っていました。客観的にどうだったかはわかりませんが、とにかく本人の思いとしてはそうだったのです。

 ともあれそうして彼が大学に入ってみますと、他のほとんどの学生たちは、すぐに友だちの輪をつくって楽しい学生生活をはじめている。けれど、彼は、自分の発音がはっきりしないから、周りが理解してくれないだろうし、自分のはっきりしない言葉を聞き取ってはもらえないのではないかという引け目があった。それで、みんなが楽しくしているなかで、彼はひとりでぽつんとしている状況がしばらく続いたのだそうです。

 でも、あるとき彼は思いなおすんですね。自分も大学に入学した以上、勉強もしたいし、友だちとも楽しく遊びたい。それなのに、こんなうつうつしていてはつまらない。そういう思いで思い切って友だちの輪の中に飛び込んでみた。それで彼がしゃべり始めると、発音がはっきりしないので、周囲の友だちはわからない。でも、わからないからといって、のけ者にしよう思うような人はいないものです。

 彼が一所懸命に話そうとしますと、周囲も一所懸命に聞こうとする。聞こうとする姿勢が相手に見えると、こちらも一所懸命しゃべろうとする。そうしているうちにだんだんとわかるようになって、1,2ヶ月もすると彼の言うことはほとんどわかるようになってきたというんですね。そで彼自身も「発音がはっきりしてきたと思います」と言う。客観的に測っていないからわからないのですが、伝わるようになった実感はすごくあったんですね。おそらく周りの人の耳が慣れてきたことが大きいと思いますが、とにかく発音がはっきりしてきて、自分のことばが通じるようになってきたように思えるようになった。

 これは何なのかということです。彼は友だちの輪に入る前に、改めて養護学校の先生のところに行って、言語がはっきりしないと困るからと言語訓練を受け直したわけじゃない。彼はそのときのはっきりしない発音のまま友だちの輪の中に入って、自分の手持ちの力を一所懸命最大限使おうとして努力した。相手はそれを聞き取ろうとして努力する中で力が伸びてきたように思う、ということなんですね。

 力は身につけて、使って、根を下ろす

 力を伸ばすというとき、その伸ばした力は、たった今使うところで生きてくる。この当たり前のことをどこかで私たちは忘れている。学校教育の中で力を伸ばすというときには、伸ばした力は貯まるものだというのが前提になっていて、その貯まった力は将来使うものだと思っている。これは相当の錯覚だと思います。力は身につけただけでは貯まらない。使わなければ根を下ろさない。リハビリの世界で「廃用の原則」と言われている原則があります。つまり、使わない力は萎える。これはごく当たり前の原則です。筋肉という比較的単純な器官でも、80歳くらいの人が骨折してベッドでの生活を1ヶ月間もすると、その間筋肉を全然使わない。すると、骨折は癒えたけれど、ベッドから降りたとき立てなくなっている。力は使わなければ萎えるんですね。

 これはごく当たり前のことですが、学校教育の中ではその当たり前の事実を見つめようとせずに、とにかく大事な力だから身につけましょう、身につけば、身についたかどうかを試験で試しましょうとなる。それで点数がついて、合格点に達すればちゃんと進級できるし希望の学校に上がれる。試験が終わってしまえば、もう身につけたはずの力が萎えて、なくなっていても別にかまわないし、現に力は萎えて、もう使い物にはならない。そうして小・中・高・大という学校教育制度のハシゴを渡るためにだけ力を身につけるということが結果的に起こってくる。このことが、私は今の子どもたちの育ちを大きく歪めていると思います。力は身につけて、使って、根を下ろす。この当たり前の感覚を失って、教師も子どもも保護者もその錯覚の中にはまり込んでしまって、非常にしんどい思いをしていると思うんです。

伝えようとすることが基本、
      伝えるかたちは二の次


 「治す」という発想も同じです。伝えよう、しゃべろうということは、人に自分の思いを伝えることですから、伝えるかたちがつたなくても、あるいはどもっても、伝わればいい。どもるかどうかは関係なくて、思いを伝えることが基本です。ことばってそういうものです。伝えたい思いを横において、その伝え方に意識がいってしまうと、人に馬鹿にされないかたちで伝えたいというようなことが先にたってしまう。そうしてと、大切な伝えたい思いよりも伝えるかたちの方が前面に出てしまう。それで伝えたい思いのほうがかえってそこなわれてしまう。そうした状態は、当然、そこを乗り越えなければいけない。

 「英国王のスピーチ」の映画を私も観ました。最後の場面で彼が開戦のスピーチをするとき、国王として伝えることが基本で、伝えるかたちは二の次だと開き直って、ようやく囚われていたジレンマを乗り越えることができたのかなと、私は思いました。
 力は使ってはじめて根を下ろす、使うために力を身につける。そう考えれば、どもっても伝わればいいというのが基本なんですが、私たちはしばしばそのことを見失って、錯覚してしまう。

 今の時代は、子どもたちの育ちについて、力は身につけば将来使えるから、それをいましっかり身につけて準備しましょうというのが常識になっていますが、そこでは力のもつ意味を取り違えている。身につけた力は身につけたそのときに使ってはじめて意味を持つにもかかわらず、そのことを忘れている。ただ誤解のないように言い添えておけば、私が身につけた力を使うといったときに必ずしも実生活で応用が利くということを言いたいわけじゃない。学校で教わることのなかには実生活ではほとんど応用しないようなものもたくさんあります。微分積分なんか、習ったけれど一度も使ったことのない人がほとんどでしょう。

 それじゃ意味がないのかというと、それは違うと思う。全員に無理して教えることはないと思うけれど、微分積分をわかるようになった子どもたちにとっては、それで数学の世界が圧倒的に広がる。それが本人の喜びとなるし、楽しみにつながる。身につけた力を使った世界が広がるんですね。本来そういうものだと思うんです。古典だって、学校で習ったけれども卒業してからは一度も読むことがないという人がほとんどでしょうが、古典を学ぶことで昔の人が使ってることばのままに、その人たちの世界を体験し直すことができる。それがすごくうれしい。そういう目で見直せば、学校の勉強はみんな大事だと言っていいんだろうと思うんです。ただし、それは、学んで身につけた力によってそれを使った世界が広がるということで、そうなったときにはじめて学ぶことが意味を持つと思うんです。

 このあたりが今の子どもたちの育ちの中ですごく錯覚されていて、将来社会に出たときに必要になるという立て前で勉強しているんだけれども、実際は、小・中・高・大という学校教育の制度のハシゴを渡るために学力が求められているだけで、そこを渡り終われば、学力は剥げ落ちてもかまわない。学校のなかで多くの子どもたちはいまそういう非常に惨めな学びを強いられている、僕はそう思うんです。 −続きます−

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/17

今子どもたちの世界をおおっている『錯覚』


第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男


前回の続きです


今子どもたちの世界をおおっている『錯覚』

 世の中全体を包んでいる物語、当たり前だと思われている物語を、ちょっと横に外して眺めてみると、そこには相当の錯覚が入り込んでいるように思います。錯覚が怖いのは、みんなが錯覚すると錯覚でなくなるからです。
 「子どもは弱い存在だから大人から守られなければならない、そしてそのなかで将来必要な力を身につける」
 このドミナント・ストーリー、世間一般に通用しているこの支配的な見方は、一見当然のことのように見えるのですが、一つひとつよく見てみると、どうもおかしいということに気づきます。一つには、子どもが大人から守られるのは当然だけれど、守られっぱなしの状況が今の子どもたちを包んではいないだろうか。これが一つの疑問です。
 もう一つ、「将来必要な力を身につけていく」という点ですが、赤ちゃんの時代は本当に無力で、生活者としてはひとりで生きていけない。その状態から将来大人になっていくためには膨大な力を身につけなきゃいけない。そのこと自体は正しいのですが、力を身につけて、その力をちゃんと使って生きているのかを考えたときに、今の子どもたちの状況は必ずしもそうはなっていない。
 この「守られながら」と、「将来必要な力を身につける」の両方に少しずつ疑問があります。
 今の子どもたち、とりわけ障害をもっている子どもたちの障害に対するドミナント・ストーリーは「治す」「力を身につけ、伸ばす」ということで、それは共通ですから、この講習会で論議されていることと重なるんじゃないかと思いますので、少しお話します。
 
 子どもは、守られっぱなしの存在ではない

 子どもは弱い存在で、大人から守られなきゃいけないというのはその通りだけれど、子どもは本来守られっぱなしではないはずです。今は「子どもを守れ」のキャンペーンがなされていて、とりわけ児童虐待等の問題が表に出る状況では、たしかに子どもは当然守られなきゃいけない。

 私は1947年の生まれで、子ども時代は1950年代から60年代です。その時代の子どもと、今の子どもを比較すると随分違います。よく子どもが変わったというけれど、生き物としての子どもがそうそう簡単に変わるとは考えられない。変わったのは子どもの生きている時代、状況です。ここ50年の大きな変化です。一番大きな違いは、昔の子どもたちは働いていたことです。家庭の中に仕事があった。私の家は百姓で、自給自足の生活で、衣服、学校の勉強道具など、お金でまかなうのはせいぜい2割程度ではなかったかと思います。家族はみんな一緒に働いていた。街に住む子どもたちも、もっぱら守られる存在だったかというとそうじゃない。洗濯機、掃除機、炊飯器、冷蔵庫がないだけでも家の仕事がどれだけ増えるかが見当つくと思います。子どもは、家族の生活の一部を担い、家族の共同生活の一部を守っていたのです。

 「子守り」のことばが差別的だということで、いまは死語になりましたが、学齢期前後の子どもが赤ちゃんを背中におんぶしている風景は日常的にあった。言ってみれば子守りは子どもの文化だった。子どもたちは大きく言えば守られていたが、一方的に守られる存在ではなく、自分より弱い存在を守る立場にもいました。子育ての文化を吸収した子どもたちがサイクルを経て、自分が大人になり子どもができたときに、その子育ての文化の延長上で子育てが行われる。これが人類の継続の仕方だったんだろうと思うんです。今は、赤ちゃんの世話をしたことのない状態で大人になり、自分の子どもが生まれて初めて赤ちゃんを抱く。守られっぱなしのまま大人になって、そこで初めて守る立場になるという奇妙な構図になっているのです。

 虐待問題などもそこに起因している、とまでは言いませんが、そうしたファクターが相当大きいと私は思っています。子育ては、家族の中で誰かできる人が担う。父親、母親が畑仕事で忙しければ、当然きょうだいが見ていた。そういう構図の中で人間は生きてきた。

 ところが、ここ50年、子どもたちは、「子どもとしての力」を発揮する機会を奪われてきた。小学校の高学年であれば、大人の仕事の半分ぐらいはできる。大人が一日かけて一枚の畑を耕せるとすれば、男の子2人が手伝うなら、父親が一日かかる仕事が半日で済むので助かる。そうして家族が共同生活者として生きてきたのが、人間の自然な形だったと思うんです。都市生活を送っていた子どもたちも、その時その時の手持ちの子どもとしての力を発揮することを求められ、そのことで親たちに喜ばれ、自分自身の存在の価値を確認できた。仕事はしんどくて嫌だけど、自分の力で共同の生活が成り立っていると実感を持てた。しかし、今、子どもたちはそういう力の発揮は求められなくて、学力を身につけることばかり求められている。そこには相当大きな錯覚があると思う。

 子どもの育ちを「力が伸びる」とか「力を伸ばす」とかいいますが、いまはそこにばかり目がいくようになっています。障害の人に対しては、障害を何とか治すという発想が強固に出てきたのが、ここ50年だと私は思います。力があろうとなかろうと、その手持ちの力を使って生きるという、ごく当然の発想がだんだんと見失われてきて、個人として力を蓄えなければこの世の中でちゃんと生きていけないというふうに思われている。しっかり学び、しっかり身につけ、障害は治しましょうという話に巻き込まれてしまっているんですね。
 この構図がドミナント・ストーリーで、時代の変化とともにそうなってしまっている。力を身につけるのは当然だと思われやすいんですが、力を身につけることにはまり込んでしまったがゆえに、何のために力を身につけるかが見えなくなっているのです。

 身につけたら、使って生きるが基本

 一歳の子は、歩行の力が身につくとその力を使って世界が広がる。ことばの力が身につけば自分の思いをことばに乗せて相手に伝えるコミュニケーションの世界が広がる。衣類を自分で着ることができるようになれば、それだけ日常生活が自由になる。学齢前に身につけた力は、だいたい身につければすぐに使うことになっている。それが当り前です。

 ところが、学校に上がると、そこで身につけた力を日々を生きる暮らしの中で使っているかどうかが怪しくなってきます。もっとも読み書きの力などはすぐ使うところにつながります。今の私たちの生活にが文字が溢れていますから、だれもがいつも文字を見ているという生活をしている。しかし、見たら意味がぱっと入ってくる大人と、読み書きができない子どもとでは、同じ文字を見ても、見え方は当然違う。たとえば韓国のハングルの新聞を広げてみたとき、読めない人には、ただ謎の模様が広がっているだけです。それが、ハングルを覚え始めると謎の模様のなかから読める文字だけが浮かび上がってくるし、文字と文字とを重ねて単語が読みとれるようになると、謎の模様のなかから意味のあるその単語が浮かび上がってくる。これはすごくうれしいことです。子どもたちが文字の読み書きを学び始めたとき、すごく関心を持って、喜ぶのは当たり前です。力を身につけるということは、その力を使った世界が広がるということです。これが学ぶことの原点です。

 歩行の力が身につけば、ただちにこれを使って歩行の世界を広げる。そういうことを日々やってるから、体の中に歩行の力が根を下ろす。ことばもそうです。ところが、学校では力を身につけることばかり求められて、それを使うのは試験のだけでそれ以外にはないということになりがちです。これでは身につけた力が根を下ろすことはない。これは単純な育ちの原則です。

 学校の先生方の集まりに出たりすると、「この子たちにどういう力をつけるか、どうやったらその力は身につくのか」という話がよく出てきますが、一方で、その力を使って子どもがどう生きているかにはなかなか目がいかない。力は貯まるものだと思い込んで、一所懸命勉強して貯めることばかり考える。今は使わないかも知れないが、将来になればそれが役立つから貯めていくんだと言いますが、これはほとんど嘘です。じっさい、高校入試や大学入試で膨大な知識を学びんでも、試験が終わったら数ヶ月もするとほとんど剥げ落ちている。力を身につけることに必死になるが、身につけた力を使った世界をどう繰り広げるかにほとんど無関心の状況になっているんですね。これは非常に奇妙なことで、この錯覚は相当深刻な問題だと私は思います。

 日本の英語教育なんかはその典型です。私たちは中学校から英語を習い始めましが、これが成功したとは思えない。学校の試験以外に身につけた力を使う場面が全然ないないんですからね。試験では力を発揮できても、コミュニケーションの力として使うことがなければ、それによって世界が広がるということにはなりませんし、身につけた力も根を下ろさない。「将来のために、将来のために」といって英語を学んで、いよいよその将来がやってきたとき、その英語はほとんど使えないのですからおかしなことです。力を身につけることに一所懸命になるだけの今の学校教育のかたちは、大きな錯覚に包まれているいうほかありません。 つづく

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/17

ありのままを生きるかたち−治すという発想を超えて


 今週末、全国から14名の仲間が集まり、第5回臨床家のための吃音講習会(8月11日12日)の実行委員会が合宿で行われます。
 第4回に続いてテーマは、「子どものレジリエンスを育てる」です。一年一年と僕たちは吃音についての考え、実践を深めていますが、これまでの講習会の報告をします。
 まず、講師として来て下さった、浜田寿美男さんの講演です。浜田さんには、たくさんの著書がありますが、基本的な考え方は、僕とほとんど同じだと、僕は考えています。長いですが、少しずつお読みいただければうれしいです。

第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男



 浜田です。私は吃音の専門家でも当事者でもないので、今日の話が伊藤さんの話とうまく絡んでいくか不安な気持ちがあります。だけど先ほどの伊藤さんの基調提案を聞きながら、私が普段、障害の子ども、とりわけ自閉症や発達障害の子どもたちとの関わりで考えてきたこと、あるいは障害が直接問題にはならないが、学校の中でいろいろ問題を抱えている子どもたちと一緒に考えてきたことが、かなり重なると考えていました。

 自己紹介

 私は「発達心理学」で、子どもの育ちの心理学を長くやってきました。一昨年、63歳で定年退職して現場から身を引き、少しゆっくりしたいと思っていたのが、残念ながらゆっくりできていません。発達の仕事をしながら、裁判の仕事が多く、「法心理学」の世界に首を突っ込んでしまいました。きっかけは、1974年の「甲山事件」です。
 知的障害者の入所施設・甲山学園で、2人の子どもがあいついで行方不明になって溺死体で発見されました。それが殺人事件にされたために、警察の捜査が進められ、学園職員の当時22歳の保母さんが逮捕されました。いったん不起訴になったのが、4年後に再逮捕されて1978年から裁判になりました。

 彼女が疑われた理由は、2人のうちのあとの男の子が行方不明になる直前に先生がその子を連れているところを見たという学園の子どもたちの目撃供述です。唯一の証拠が知的障害の子どもの目撃供述なので、法の専門家だけでは無理だから、発達関係、障害の関係者に参加させることになり、知り合いに弁護士がいたので、私が関与することになりました。日本の裁判は、時間がかかります。1974年の事件が1978年に裁判になり、決着が、1999年です。無罪判決が確定するまで、25年かかりました。

 第一審では、事案に応じて弁護士以外の人間が法廷で弁護人の役割を行うことができる特別弁護人という制度があり、私はその特別弁護人としてこの事件におつき合いをしました。これをきっかけに、それ以降、私は刑事裁判の仕事から抜けられなくなり、気がつくとどっぷりとつかっていました。今は私の仕事の8割、9割方は冤罪関係の仕事です。
 やってないのにやったと間違われて、獄中にいる人たちの自白や、関連の目撃供述の分析の仕事がほとんどです。発達心理学の人間が刑事裁判で「うその自白」や間違った目撃の問題に関わるのは、二股をかけているように見えますが、私の中ではかなり共通している部分があります。この世の中のできごとについて、じっくり関わらなければいけない仕事として、それぞれさせていただいています。自己紹介めいた話をしましたが、最初に伊藤さんは少数派だという言い方をされましたが、私も少数派です。

 なぜ冤罪は起こるか

 確定死刑囚で獄中にいる人の冤罪だとの主張で関わっている事件が2件あります。
 1961年の事件で、本人は85歳で獄中で無実を訴えている「名張毒ぶどう酒事件」と、1966年の事件で、現在、獄中で無実を主張している元プロボクサーの「袴田事件」です。また死刑事件ではありませんが、いま関わっている事件として「日野町事件」があります。滋賀県日野町で起きた事件で、無期懲役の判決を確定して獄中から冤罪の主張を続けていたのですが、かなえられないまま、今年の3月に獄中で亡くなり、遺族が再審請求を引き継ごうとしています。その人たちは、取り調べの過程の中で自白をしている。無実の人が死刑や無期懲役になるような大事件で、自分の首を絞めるような嘘の自白をするはずがないと、一般には信じられているかしれませんが、無実の人でも逮捕され、過酷な取調状況に置かれると、特別に精神力が弱くて根性がない人でなくても、状況次第で虚偽の自白に陥る可能性がある。私自身、事件にかかわるたびに、人間って結構弱い存在だと思い知らされます。

 「光市母子殺人事件」は死刑が確定しましたが、私は弁護側の依頼でこれも鑑定しました。この事件の場合、元少年がやったことは間違いないですが、どのようにしてこの事件を起こしてしまったのかという経緯については、裁判所の事実認定に間違いがあるんじゃないか、元少年本人の主張には相当根拠があるんじゃないかということで、その分析結果を鑑定書を書きました。この事件は世間からの非難を強く受けた事件で、私のような主張は圧倒的少数派で、下手をすると脅迫状が舞い込んできたりします。

 こういうところで生きていますから、伊藤さんも相当外れた人間かも知れませんが、私も相当外れた人間です。今、この講習会に参加の皆さんも、ちょっと外れる危険性のある人たちだと思いますね。世間から外れて生きるというのは相当しんどいことですが、世の中の真ん中にいるとなかなか見えないこと、少しはみ出してみてようやく見えることが結構ある。位置的には、少し外れているほうがいいと私自身は思っています。

 発達関係の仕事の大先輩で、三年ほど前にお亡くなりになった岡本夏木さんは、何か迷った時には少数派につきなさいとよく言っておられた。「どちらか迷った時には少数派についたほうがいい。多数派につくと流れに乗るだけで考えなくてすむ。しんどいけれども、少し距離を置いて、流れから外れたほうが世の中はよく見える」と言うんですね。そうだなと思っています。

 ドミナント・ストーリー

 多数派であることは、ナラティヴ・アプローチの話で言いますと、ドミナント・ストーリーにはまっていることです。ドミナントとは支配的ということですから、これは世の中全体にある支配的な考え方のことですが、私たちの身の周りには、そうした多数派の支配的な物語があります。しかし、その多数派の主張が正しいとは限らない。世の中がしんどい状況になればなるほど、どっぷりはまっていることの問題性が見えにくくなるような気がします。

 私は看板としては「発達心理学者」ですが、世の中が発達、発達と言うのが嫌なものですから、この看板を掲げながら、「発達、発達と言うことの方に問題がありはせんでしょうか?」という話をしています。その意味では、吃音問題でのここでの議論と、私の考えていることは結構共通するところがありますから、私なりに今の子どもたちが置かれている発達状況と重ねて、お話できればと思っています。 つづく

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/16

沖縄から新しい風が吹く 吃音親子キヤンプ

 2016  沖縄 キャンプ実行委員会


2016 沖縄3
 
 変わる勇気と覚悟

 人が変わるとき、かなりのリスクを伴います。これまで通りにしていれば、多少不満足でも、歩み慣れている道なので、ある意味楽です。

 吃音の世界も同じことが言えるのでしょうか。100年以上も吃音の「治療・改善」の努力を続けても、ほとんど効果がないどころか、「治したい」にいつまでもしがみつくことになり、その人の人生を危ういものにしているにもかかわらずです。「こっちがだめなら、こっちの道を」にならないのが、僕には不思議でなりません。変化することの難しさでしょうか。

 沖縄の僕の仲間の変身は見事でした。2012年の夏、第一回臨床家のための吃音講習会に、先輩の言語聴覚士の紹介で参加した彼女は、これまで自分が学び、自分が伝えてきた「吃音」と、僕たちが考え、取り組んでいる吃音のあまりの違いに驚きます。驚いたものの、彼女の感性は「これが本物だ」と感じ取ったのでしょう。2日間の講習会で、彼女は確実に変わったようです。

 しかし、それを沖縄に帰って、言語聴覚士の仲間に伝えるのは、大きなリスクを伴います。これまで、吃音治療法を教えてきた専門家としての自分を否定することになります。「これは、本当かもしれない。どもる人、どもる子どもにとって、こちらの方が役に立つかもしれない」と考えても、いざ方向転換をするとなると、やはり尻込みしてしまうでしょう。しかし、彼女は、前へ突き進みました。

 その年の年末には、僕を沖縄での講演会に講師として呼び、その後、言語聴覚士の研修会を開きました。予想外の100名ほどの人が集まりました。それから毎年、僕を呼び続けました。そして、彼女がまいた「一粒のタネ」は、仲間に広がり、今年の11月、沖縄でキャンプを開こうというビッグな企画につながったのです。

 5月29日は、講演会とワークショップ、30日は、専門学校での講義を行いましたが、それに先立って、28日には、キャンプの実行委員会のメンバーが集まりました。15名ほどの言語聴覚士、ことばの教室の教師の顔を見たとき、僕は涙が出そうになりました。彼女がたった一人で、沖縄の地にまいた「吃音を治すのではなく、どう生きるかだ」が、ここまで広がったのですから。

 言語聴覚士が音頭取りになり、ことばの教室の教師と実行委員会を開いて行うキャンプは初めてです。島根県、静岡県、岡山県、群馬県のキャンプは、僕が講師としてかかわっていますが、どれもみんな、学童期の子どもが中心なので、ことばの教室の教師が中心です。言語聴覚士とことばの教室が連携して行われる吃音キャンプ。沖縄で始まるこの風が、全国に吹いてくれることを願っています。
 「吃音を治す、改善する」ためのキャンプではない、子どものレジリエンスを育てるキャンプがです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/14

 

どもりはどもり、「吃音症」と呼ばないで


 しばらく休んでいましたが、今日から再開です。今日、どんな媒体なのかは知りませんが、日刊「アメーバーニュース」に月9のドラマ「ラブソング」関連の記事として、吃音についてこのような紹介がありました。

●「吃音症(きつおんしょう)」とは…米国精神医学会の診断基準(DSM−5/精神疾患の分類と診断の手引)では「小児期発症流暢障害」と呼び、「神経発達障害群」に分類されている。2005年に施行された「発達障害者支援法」の中では「発達障害」に含まれ、支援の対象となっている。LD(学習障害)やADHD(注意欠如・多動性障害)などの発達障害、場面緘黙(ばめんかんもく)症等、社交不安障害(SAD)と併存する場合もある。現在でも“特効薬”や決定的な治療法は存在しない。

  吃音の本質は何も変わっていないのに、数年前には、考えられないような吃音の解説です。このような吃音の「ナラティヴ(物語)」が、どもる人本人にどのような影響を与えるのか。僕にはマイナスの影響しか頭に浮かんできません。

 <吃音症>は、僕が大嫌いなことばです。ほとんど毎日かかってくる、僕の電話相談「吃音ホットライン」ででも、「私は<吃音症>なんですが…」と前置きして話す人が、ときどきあります。まず僕は「<吃音症>ということばは、できたら、やめませんか」と、つい言ってしまいます。

 いつから<吃音症>が一般的に使われるようになったのか。僕の印象では、シリーズで紹介してきた「英国王のスピーチ」の字幕に入ってからでしょうか。<Stuttering>はこれまでずっと、<吃音、どもり>と訳されていました。厚労省の役人か、専門家かは分かりませんが、いつのまにか<吃音症>が出てきました。

 役人や専門家はともかく、どもる人本人が<吃音症>を抵抗なく使うのが、僕には理解できません。医療従事者にとって、<吃音、どもり>より、<吃音症>の方が、専門家としての「治療・改善」に好都合なのでしょう。何とか、医療モデルに吃音を引きずり込みたい。弱い、かわいそうな存在として援助したい。そんな思惑があるとしか、僕には思えません。

 僕は、悩んでいた時、「どもり」ということばが嫌いでした。「やもり」、「いもり」、「けれども」、「大森君」も嫌いでした。「ど」と「も」と「り」、この3文字のうち、2文字がつながっていることばは、「どもり」を連想させるからです。

 マスコミが自主的に「どもり」を自己規制し、放送禁止用語のようになったために、「どもり」が使われなくなりました。「吃音」はあまり一般的ではなく、「自分の名前が言えない、ことばが出ないのが、吃音だと、30歳になって初めてインターネットで知った」という人が現れています。

 「どもり」を死語にしたくない。私を取材した記者にそのことを話すと、みんなよく理解して下さいました。各新聞社がその後、「どもり」を使ってくれるようになりました。それは、記者が問題の本質を理解して下さったからでしょう。TBSの「報道の魂」(2005年10月16日放送)「ニュースバード〜ニュースの視点」では、アナウンサーも斉藤道雄解説委員も、なんども繰り返し、堂々と「どもり」と発言して下さっています。

 <吃音症>となると疾患になり、治療の対象になります。吃音を治療の対象にすべきではないと私は主張してきました。「どもり」は紀元前から知られている、古くからある、ひとつの、話すとき、発語するときの形です。それが、突然、<吃音症>とされる。このことばの暴力に、なぜ、どもる人がもっと敏感にならないのか、とても不思議です。

 ナラティヴア・プローチを勉強したとき、「人はストーリーを生きる」とありました。僕は、自分の体験を通して、そのことに強く納得したのでした。「どもり」はひとつの文化と言っていいくらい、人として生きるのに、様々なことを教えてくれるテーマです。そんな「どもり」を、<吃音症>と呼んでしまうと、貧弱なストーリーしか語れないと僕は思います。

 教育評論家の芹沢俊介さんが、僕の著書「新・吃音者宣言」(芳賀書店)の書評を書いて下さったものを紹介します。記事が読みにくいのではとテキストにもしました。紙面でも読めますが、文字データもつけました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/12


芹沢 書評 PDF 001
 新・吃音者宣言        伊藤伸二著          芳賀書店1600円

   吃る言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である
 長い吃音へのアプローチの歴史は吃音と吃音者を分離し、吃音症状にのみ焦点をあてた歴史だった。症状の消失、改善に一喜一憂するその陰に吃る主体である人間が置いてきぼりにされていたと著者は述べる。
 著者は三歳ころから吃りはじめた。しかし吃るということが、悪いこと、劣ったことだという意識をもった(もたされた)のは小学校二年生の秋の学芸会のときからであったと書いている。成績優秀だった著者は、ひそかに学芸会の劇でせりふの多い役がつくのではないかと期待していた。だがまわってきたのはその他大勢の役でしかなかった。

 落胆した著者は、友だちに、伊藤は吃りだからせりふの多い役をふられなかったのだと言われ、言いようのない屈辱感を味わう。そして教師への不信とあいまって稽古期間中に「明るく元気な自分から暗くいじけた自分に変わっていってしまった。いじめの標的になり、自信を喪失し、自分が嫌いになっていった。吃ることを自己存在を否定する核に据えてしまったのである。人前で話すこと、人前に立つことを避けるようになった。自己をも喪失した状態になっていったのである。

 著者はすべての不幸の原因は吃音にあると考え、必死に吃りを治そうと試みる。だが治そうとすればするほど、逆に自分の居場所を失うことにやがて気がつくのだ。
 この本はそこから吃ることの全面肯定にたどりつくまでの、著者の涙と笑い、苦しみと喜びの軌跡が綴られている。吃ることを症状として自己の外に置いてしまったことの内省のうえに立った、吃音の自分への取り戻し宣言である。

 吃る自己の全面的受け入れにはじまり、吃る言語を話す少数者としての誇りをもって、吃りそのものを磨き、吃りの文化を創ろうという地点まで突き進むのである。負の価値としての吃りの解体が目指されているのである。

 吃る言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である。こうした自覚にいたるにはどうしたらいいか。
 まず吃音症状に取り組むという姿勢から離れること、吃音症状と闘わないこと、矯正の対象にしないことである。吃ることをオープンにしていくことも大切だ。いまでは幼稚園段階で吃音を意識する子どもたちが出てきている。親は子どもと吃音について話しあうために、自己の内部にある境界線を壊しておく必要があるだろう。

 さらには「吃ってもいい」を大前提に吃音を磨いていくには、吃音者は自分の声に向き合うという課題も生まれてくる。言葉とは何かを考えることも大切になってくる。長い間、虐げてきた自分の吃り言葉に無条件でOKを出すと、このように様々な喜びに満ちた未知が開けてくる。
 この本は意図された自分史ではない。そのときどきに発表されたエッセイの集積が、自分史を構成するまでに熟したものだ。子育て論、自分育て論に通底する爽快感あふれる一冊。

 伊藤伸二(いとうしんじ)伊藤伸二ことばの相談室主宰。日本吃音臨床研究会会長
2000.2.29      エコノミスト(毎日新聞社発行)      
評者 芹沢 俊介
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