大きく変わる吃音の世界、しかし、僕は変わりません
2015年最後のブログです。一年おつき合い下さった皆様に感謝致します。
吃音はここ2年ほどで、大きな変化がありました。その変化について行けない気持ちがあります。しかし、現実は常に受け止めるしかありません。私の開設する吃音ホットラインに、これまではまったくなかった質の相談が寄せられたのも、今年の特徴でした。
「内定がなかなかとれないので、障害者手帳をもらいたいと思っています。どうしたらとれるでしょうか」
就職活動に苦戦しているという女子学生から相談がありました。このような電話は初めてです。私はそのことについては、まったく知識がありません。そこで、「僕は、就職活動に苦戦している人の相談に随分のってきました。一緒にどう取り組めばいいかは考えることができます。幸い、あなたは大阪に済んでいるので、大阪吃音教室に参加しませんか。どう苦戦をのりきったか、先輩がたくさんいますし、今も就職活動を試行錯誤している人がいます。一緒に考えましょう」と提案しましたら、「結構です」と電話が切れました。障害者手帳をとることで頭がいっぱいになっていて、その情報がない僕には用がないということでしょう。
「吃音のある35歳の障害者手帳をもっている青年が、障害年金の申請をしてきました。これまで前例がないので、どう対応すればいいか困っています。対応した範囲では、吃音が、年金をもらわなければならないような生活の障害になっているとは思えなかったのですが、吃音とはどのようなものなのでしょうか」
ある自治体の年金課の職員からの電話でした。これも初めての経験です。
1965年から吃音に向き合い、50年活動を続けてきましたが、苦しくても、日常生活の苦労があっても、吃音はどもる事実を認めて、人としてすべき努力をすれば、ほとんどの仕事に就けると、数千人以上のどもる人と直接会って、実感として持っています。このブログでも紹介しましたが、「そんなにどもっていて、市民の命が守れるのか、消防学校の時代に吃音を治せ」と言われた、兵頭さんが、苦しみながらも消防学校を終えて、今、立派に消防士として働き、恋人もできて充実した人生を送っています。
僕が出会ってきたたくさんの人たちと、障害者手帳を取得したいと願う人、障害者年金を申請する人とは、どう違うのでしょうか。少なくとも、いわゆる吃音の症状の重い、軽いとは関係ないようです。僕が直接出会った数千人のどもる人やどもる子どもの中で、このようにどもっていたら、日常生活で苦労するだろうなあと思った人は5人程度です。その内の一人の佐々木和子さんは、学校の教員になって、今年の3月に退職しました。面接も大変で、「こんなにどもっていて、教師になれるのか」と心配した教育委員会が、大学と、実習先の小学校に問い合わせてきたほどでした。最初の5年ほどは大変だったそうです。それでもがんばって、立派に教師生活を全うしました。
障害者と認め、公的支援を受けて生きるのも、その人がよければ一つの選択肢です。ひとつの選択肢が増えたことは、喜ばしいことかもしれませんが、どう選択するか、どもる人の主体性がこれまで以上に問われることになるだろうと思います。
このように、僕の50年の活動の中で、考えもしなかった状況が訪れた今、僕たちの考えていることを、再度丁寧に説明し、活動していかなくてはなりません。
僕は、このような選択肢が増えたことで、これまで以上に「どう生きるか」を考えなければならなくなったと思います。なので、来年は、「吃音哲学」を提案したいと思っています。
今年も、更新すると言いながら、なかなかブログの更新ができませんでした。相変わらず忙しい日々が続いていたからですが、来年は、吃音の世界が変わってきた以上、忙しいとは言っていられません。できるだけ、ブログの更新に努めたいと思います。今年、あまり更新できなかったことへの反省の思いから、来る年は、なんとかがんばります。
どうか、2016年もよろしくお願いします。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/12/31