前回の続きです。
クイズ3 小学校時代で一番嫌だったことは、何だったと思う?
子 発表。
子 先生に怒られる。
伸二 それはあったなあ。そうじ当番をさぼってばっかりだったから、先生には怒られたなあ。
子 いじめられた。
伸二 いじめられた記憶はないね。笑われて嫌だったけれど、もっと嫌だったこと。みんなは、そんな経験、してないのかなあ。
子 ヒント、出して。
伸二 他の人が楽しいこと。
子 いじめ?
子も伸二も いじめられて楽しいか? 楽しくないやろ
伸二 他の人は楽しいけれど、僕は嫌だったこと。
子 遊ぶこと。
伸二 そう、遊びたいのに、友だちに「僕も仲間に入れて」と言ったら、仲間に入れてくれたかもしれないのに、僕は仲間に入れてくれないと思って、全く言わなくなった。つまらなかった。遊ばなかった人間が辛いことって何だろう。今のヒントで分かるかな。僕が小学校時代、一番嫌だったことは何だろう。
子 会話ができなかった。
伸二 そう、会話ができなくなったことで、何が嫌になったか。
子 学校。
伸二 うーん、学校は、いやだったけどね。
子 勉強。
伸二 さっきのヒント、忘れたのか。他の人が楽しいのに、僕だけ楽しくないことやで。
僕と比べたら、君たちは悩みは少ないのかな。僕が一番嫌だったのは、運動会と遠足。
子 えーーーー。なんで−−−
伸二 みんなは、運動会のとき、友達とお弁当を食べるの?
子 食べるよ。
子 分かった。友だちとお弁当を食べれない。
伸二 そう。話ができないから、仲間に入れないから。僕は足が速かったし、運動が大好きだっけれど、運動会が嫌いだった。僕と一緒に弁当を食べてくれる人がいるだろうか、とても心配だった。また、昔の遠足は、今と違って、1時間か2時間くらい歩くんだ。友だちと横になって歩く。他の人は、楽しそうにしゃべっているのに、僕はいつも一人ぼっちなんだ。さびしかった。
だから、小学校、中学校、高校で一番つらかったのは、高校2年生のときの修学旅行。遠足と違って、修学旅行は、長い。先生は観光バスに乗るとき、「仲のいい友だちと一緒に座ってもいいよ」と言うけれど、僕はいつもひとりぼっちだった。つらいなあ。聞くも涙、語るも涙の小学校、中学校、高校時代を送った。
劣等感というのは、他の人と僕とは違うと感じること、考えることなんだけど、劣等コンプレックスというのは、どもりを言い訳にして、理由にして、本当はしないといけないことを、したいことをしないこと。どもりだから何々ができない、どもるから僕はだめなんだと、どもるから仕方がないやと、本当はしないといけないことをしなかった。みんなは、「どもるから何々ができない」と、しなければならないことをしなかったことがある人いる?
子 ない。ないよ、そんなん
伸二 ないのか。すごい、みんなはえらい。僕と全然違うね。そうじ当番とどもることは関係ないし、飼育当番とどもりは関係ないのに、僕はさぼっていた。そうじはしないし、勉強はしないし、普段の宿題はしないし、夏休みの宿題もあまりしなかった。
子 えーーーーー。
伸二 みんなは、するの?
子 する。するよ。とうぜんじゃん。
伸二 僕は全然だった。発表や音読することは、どもりと関係あるけど、どもりと関係ないことでもしなくなった。
子 いやなら逃げればいい。
伸二 そう。だから、逃げて勉強もしなかったんだ。今から思うと、すごい損をしたなあと思う。僕から声をかけていったら友だちができたかもしれないし、遊んでくれたかもしれない。運動会や遠足のとき、一緒に弁当を食べてくれたかもしれない。それなのに、僕は勝手に逃げていた。だけど、僕は、21歳から、すごく変わりました。ものすごく元気になりました。小、中、高校と全然違って、元気になりました。何があったでしょう。
クイズ4 21歳の時何があったでしょうか
子 ことばの教室に行った。
伸二 うん、ことばの教室じゃないけど、どもりを治す学校に行った。
子 友だちができた。
伸二 友達ができたことは、大きいね。友だちはともだちだけど、どんな人かな。
子 ことば専門の弁護士かな。
伸二 もう時間がないので、答えを言おうかな。
子 同じようにどもる人。
伸二 ピンポーン。当たり。どもりを治す学校に行って、それまでは僕だけが悩んでいたと思っていたのに、東京正生学院という学校には、300人も来ていた。こんなにたくさんどもる人がいるのかと思った。「僕だけじゃなかったんだ」とほっとした。
うれしかったのは、僕がどもることで嫌だったこと、悲しかったことを話すと、みんな、「そうやそうや、僕も同じや」と真剣に聞いてくれた。そのとき、僕は、そこに泊まり込んで1ヶ月いたけど、毎日がお祭りのように楽しかった。また明日、みんなと話ができる。聞いてくれるし、しゃべれる。そう思うと、天国にいるような気持ちだった。
クイズ5 そのとき、僕が一番うれしかったことは何でしょう。
子 一緒に話を聞いたり、遊んでくれた。
伸二 そういう友だちができたのはすごくよかったね。でも、それよりもっといいこと。
子 友だちが守ってくれた。
伸二 うん、守ってくれたのはうれしかったね。
子 彼女ができた。
伸二 そう、これは大きいね。僕は男の友達もいなかったから、女の子に好かれるはずがないと思っていた。でも、僕をほんとに好きになってくれた人がいた。どもりの学校で、「どもってもいいや」と僕がどもりながらどんどんしゃべれるようになったときだから、彼女は、こんなにどもっているのに、自分のことを一生懸命しゃべる伊藤さんがとてもすてきだ、大好きと言ってくれた。
子 デート、した?
伸二 毎日毎日したよ。朝早く起きて、15日くらい毎日デートした。それが、僕の初恋の人。そのとき、僕も生きていけると思った。
そこで、東京正生学院が終わってから、言友会という、どもる人の会を作ったんだ。それが、今から50年前。だから、50年前に僕の小学校時代が始まり、しばらくして中学校が始まり、高校時代になり、そして、一人前の大人になっていった。
話すことの多い仕事なんてできないだろうと思っていたのに、ことばの教室の先生を教育する大阪教育大学の先生になって、どもりのことを勉強し、研究して、どもりのことをいっぱい話した。
僕が自慢できることは、日本で初めてどもる人の会を作って、全国に広げたことと、世界で初めて「どもる人の世界大会を開こう」と言い出して、今から30年前に第一回の世界大会を京都で開いたことです。3年ごとに世界大会は開かれて、この前、オランダで第10回大会が開かれたんだよ。どもりの本をたくさん書いて、こうしてどもる子どもたちのキャンプをしたり、いろんなところでどもる子どもに会ってきました。
僕がそうしてどもりの悩みから解放されたのは、自分のどもりのことを話したこと、それを聞いてくれた人、仲間がいたこと。そして、人間っていいなあ、あたたかいなあと思えたこと。どもりに悩んでいたときは、友達も、周りの社会もみんな僕にとって「僕を理解してくれない敵だ」と思っていたけれど、人間っていいなあと思えたことがよかったね。
そして、「どもってもいいや」と思って、どもっていったら、中にはからかう人もいたけれど、ほとんどの人はちゃんと聞いてくれてた。僕は、家がとても貧乏だったので、大学生活は全部自分でアルバイトをしてだしていたんだ。いろんな種類の、たくさんのアルバイトをして、「どもっていても、いろんな仕事ができる」ことを、僕の経験を通して知ったんだ。
あっ、時間が足りなくなりました。今日はDVDを見ようと思ったのに、残念。
子 イエイ(と歓声があがる)
伸二 ごめんね。
子 結婚した?
伸二 結婚? できたよ。結婚したし、今とても幸せです。僕のいい仲間たちと、どもりについていっぱい勉強し、話し合い、いろんな活動をしているよ。これから本も書くつもりだし、一生懸命遊んでいる。海外旅行したり、車で遠くへでかけたり。大好きな映画を見たり。はい、以上が伊藤伸二の話でした。
子どもとの対話の時間はあっという間にすぎました。僕があんなに苦しんできた小学生時代と、キャンプにくる子どもたちとは全然違います。僕は、誰にもどもりのことを話さずに、ひとりで悩んでいましたが、この子どもたちは、ことばの教室に通い、どもりのことを勉強し、どもりのことを話し合う仲間がいる。
僕が21歳で生まれ変われたように、子どもたちは小学校の時代に、ことばの教室の先生、どもる仲間と出会い、「どもっていても、まあ、いいか」と考えるようになっている。ここにいる子どもたちは、思春期、成人期になって困ること、悩むことがあるだろうけれど、なんとか生き抜いてくれるだろうと確信を持ちました。
「どもりを治す、少しでも軽くする」などと、いつまでも、どもりの症状といわれているものに関わらず、どもりにしっかり向き合い、どもりについての勉強をして、「吃音哲学」をもてば、僕が、21歳からは別人のように楽しく、豊に生きられたように、この子どもたちは生きていけると思いました。
さて、今から、17回目になる、島根スタタリングフォーラムと名付けられた、吃音キャンプに出かけます。この続きは、島根から帰ってから書きます。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/10/30