伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2014年04月

大阪吃音教室開講


 大阪吃音教室は、これまでにないある緊張の中でスタートしました。40年前に「吃音を治す努力の否定」という、センセーシヨナルな提起をしたのですが、それに似た感慨をもって、新たな年度へスタートしました。
 僕がまた書くつもりですが、仲間の西田逸夫さんが書いて下さったものをまず紹介します。

 

4月11日、2014年度の大阪吃音教室を開講しました。
開講式には珍しく、初参加の方がおられませんでした。そこで、以前から伊藤伸二が深い関心を寄せ、「吃音とともにどう生きるか」を考える大きなヒントとなる仏教思想について、じっくり話し合う機会にしました。

 まず、今春から行信教校(ぎょうしんきょうこう=浄土真宗本願寺派の僧侶、教師を育成する専門学校)に通い始めた村田朝雅が、仏教思想、中でも法然、親鸞の「他力本願」の思想を概説しました。
それを受けて伊藤が、法然の「難行」(なんぎょう)と「易行」(いぎょう)についての考え方を解説し、どもりの課題とのつながりについて、伊藤が日頃考えていることを語りました。

 「どもりを治す」というのは、吃音専門の臨床家も難しいと表明し、長期間単調な訓練を続けても達成できるかどうか分からない「難行」です。それに比べて、自分がどもることを「しかたない」と認め、「どもりのままで日常を生きる」ことは、どもる人が誰でもその気になりさえすればできる「易行」です。

 もともと、仏教徒には「難行」がつきものでした。
 長期間、つらい修行を続けるのが当たり前と考えられていました。法然は、それではごく一部の仏教徒しか救われないので、信心を持つ人なら誰でも救われる方法を考えに考え、「ただただ念仏を唱える」という「易行」に思い至ったのでした。

 今、「どもりは治さないといけない」という固定観念を持つ人が多いのは、仏教思想の流れに置き換えると、「難行苦行を積んだものだけが救われる」とほとんどの仏教徒が考えていいた頃に対応するのではないでしょうか。
どもる人の多くが「易行」に勤しみ、日常生活を楽に豊かに生きる日々が少しでも早く来るよう、2014年度も大阪吃音教室の活動を活発にし、広めて行きたいと再認識した、そんな開講式でした。

 西田さんの文章でした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/04/30

人間は、もともと、吃音と共に生きていくことができるように、基本設定されている


基本設定の吃音

 日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリング・ナウ」は今月号で236号になります。
 1994年6月から発行し、「吃音と共に生きる」をテーマによくここまで続いてきたと、強い感慨があります。幅広い領域から学び、幅広い活動を続けてきたから、掲載できる内容があったから、続いてきたといえるでしょう。購読年会費5000円を払って下さる多くの読者。その内容について、レスポンスをして下さる読者に支えられて続けることができました。多くの人々に支えられてここまできたのだと、感謝しているのです。

 さて、2014年の4月号のテーマは、「いのちの吃音」。
 櫛谷宗則(くしや しゅうそく)さんが、私たちのために、吃音について考えたことを書いて下さいました。
 
 櫛谷宗則がこのように自己紹介をして下さっています。
 昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。「宿なし興道(こうどう)」といわれた豪快な禅僧、澤木興道老師の高弟、内山興正(こうしよう)老師について19歳で出家得度(しゆつけとくど)。安(あん)泰(たい)寺(じ)に10年間安(あん)居(ご)する。老師の隠居地に近い宇治田原町の空家(耕(こう)雲(うん)庵(あん))に入り、縁ある人と坐りながら老師のもとに通う。老師遷(せん)化(げ)の後、故郷へ帰り地元などで坐禅会を主宰。大阪では谷町のプレマ・サット・サンガで、毎年9月末に坐禅法話会を続けている。
 伊藤伸二さんとは10年ほど前、朝日新聞に載った伊藤さんの紹介記事が面白かったので、「共に育つ」への原稿をお願いしたのが始まりです。

 <編著書>
『禅に聞け−澤木興道老師の言葉』『澤木興道 生きる力としてのZen』『内山興正老師 いのちの問答』『澤木興道老師のことば』『禅からのアドバイス−内山興正老師の言葉』(以上、大(だい)法(ほう)輪(りん)閣(かく))
『コトリと息がきれたら嬉しいな−榎本栄一いのち澄む』(探求社) 『共に育つ』(耕雲庵)など。

 この号が、日本吃音臨床研究会の新たな旅立ちを記念するような内容になりました。スタタリングナウの巻頭は私がその号の内容に即してかくのですが、タイトルを「基本設定の吃音」としたのです。

 人間には、もともと「吃音と共に生きる力」が備わっている。
 その基本設定を自分にとって不都合なものだとして、無理に変えようとすることによって、誤作動が起こり、さまざまな新たな人生の問題が生じるのではないか。もともとも備わっている、基本設定を信じることが、いのちとしての吃音を生きることだ。

 こう書き出して、僕の人生を振り返りました。昨年6月、オランダでの第10回世界大会で、世界的に著名な小説家、デイヴィッド・ミッチェルさんと対話をした時、僕と同じような体験を語りました

 「自分自身である吃音と闘えば闘うほど相手が攻撃をしてきた。内戦に敗れて、絶望したとき、もう自分のDNAを傷つけたくない、自分の中のどもりさんに、君の存在を認めるよと言ったとき、どもりさんは、僕も君を認めるよと言ってくれた」

 「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて往生をばとぐるなりと信じて、念仏まふさんと思ひたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」
 
 親鸞の歎異抄の、阿弥陀仏の本願力を信じて、念仏を唱える時、すでに浄土は約束されているとのことばが、ずっと頭から離れませんでした。法然・親鸞・道元を通して出会った仏教と、ミッチェルさんのDNAの話と、櫛谷宗則さんが書いて下さった「いのちの吃音」が結びつき、人は吃音と共に生きるようにできているとの思いに至った。
 
 紀元前のデモステネスの時代から現代まで、人間は悩みながらも吃音と共に生きてきた。どんなに吃音を否定しようとも、吃音と共に生きてきたことは誰も否定できない事実です。言語病理学ができ、吃音が治療の対象となって、吃音の新たな問題が生まれた。本来、DNAに組み込まれている、吃音と共に生きる力を奪ったものは何か。どうすれば本来の力を取り戻すことができるかを考える時期にきていると僕は思います。

 その出発に今月号の「スタタリング・ナウ」をしたいと思いました。

 人が出会うお寺として有名な應典院の住職・秋田光彦さんが、そこで出会う人々を紹介した書籍 『今日は泣いて明日は笑いなさい』(株式会社・KADOKAWA) で僕たちのことを紹介して下さっている文章も掲載しました。

 吃音に対する社会の理解がないから、吃音は治療、少しでも軽減すべきだとの主張があります。一見どもる人を思う優しさの表れのようにみえますが、原因が分からず、治療法がない、100年以上も全世界で失敗してきたもの、治せない、話しことばの特徴を治せと求めるとは、なんと残酷なことでしょう。

 不都合なものは、闘って挑戦して克服するという、勇ましい西洋思想ではなく、共に生きる東洋思想、とりわけ仏教思想が、吃音と相性がいいとずっと考えてきました。

 「吃音は神様が私たちを選んでプレゼントしてくれたものだと考えたらいいよ」
 吃音親子サマーキャンプの子どものことばが、キャンプだけでなく、私がかかわるキャンプやことばの教室の子どもたちに共感をもって広がっています。

 吃音への理解が少ない社会であっても、社会は敵ではなく、味方だと考え、自分と他者を大切にして誠実に日常生活を送る。どもる自分を日常生活の中に委ねて、どもりながら生きる中でこそ、吃音の理解は広がり、吃音そのものも変化していきます。それは、僕を含めて世界中のどもる人、どもる子どもが経験しています。

 「吃音はそのままを生きるものなのだ」
 そのことを今後、いろんな角度から考えていきたいと思います。

 スタタリング・ナウに関心をお持ち下さったら、購読会員になって下さい。下記の郵便振替口座に5000円ご送金下されば購読会員になれます。

 口座番号 00970−1−314142   加入者名 日本吃音臨床研究会

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/04/28

 



今は消防士の中学生時代


 どもる自分とのつきあい

 H・Mさんの小学校の時の作文を前回紹介しました。今回は、中学生になってからです。
  しっかりと自分を見ている。その鋭さに脱帽します。吃音と共に生きると覚悟はできても、まっすぐ直線的に変化していくわけではありません。曲がりながら、そして時に後ずさりしながら、それでも自分らしくありたいと願ってすすんでいくものです。
 表面的な、急激な変化ではなく、心から納得したいと、確かな歩みを始めた彼の顔は、当時の僕たちにとって、清々しく感じられました。


<中学1年生> 
 ぼくは、小学校の2年生の時、自己紹介で吃って笑われてとても悲しかった。そのときは、周りの子も吃音のことをよく知らず、ぼく自身も吃らないようにと気をつけていた。でも、それが自分をきんちょうさせて、よけいに吃ってしまうことになった。吃るのがいやで一生懸命隠そうとしていた。
 3、4年生の時には、担任の先生がどもりのことをみんなに話してくれて、今までの友だちとも話しやすくなった。でも、違うクラスの子で  「50音全部つまらんと言ってみ!」とからかってくる子もいた。
 5、6年生になると、何があったか分からないけれど、からかってくる子もいなくなった。
 中学に入学し、さっそく自己紹介があった。少しは吃ったけれど、わらわれはしなかった。すぐに友だちもできて、仲良くなれた。新しい友だちはどもりのことを知らないと思うけれど、自然に分かってくれたのか、ぼくが話し終わるまで待っていてくれる。でも、授業中に発表することはできない。中学になってから先生も変わったし、やっぱり吃っているときのみんなの反応が気になる。
 小学校6年生の時のサマーキャンプで書いた作文に、「どもりを隠そうとしている自分が悪い」と書いたと思うけれど、やっぱり口で言うほどそう簡単なことではなかったことを実感した。今から考え方を変えるといって急には変われない。誰でも吃ることとスラスラ話せるのでは、スラスラ話せる方がいいと思う。
 これから少しずつ何年かかるかは分からないけれど、どもりということを、ぼくの一つの個性として受け止めたいと思う。

 −−−やはり、彼は、昨年書いた作文のことを憶えていた。そして、考え方を変えることはそんなに簡単にはいかないものだと言っている。そのとおりだと思う。
 サマーキャンプは、1年間のうちで、たった3日間で、残りの362日は、子どもたちにとって厳しいことも待っている現実の生活だ。その日常生活で、いかにして吃っている自分と折り合いをつけ、吃りながらも自分らしく生きていくことができるか。迷いながら、悩みながら、ときに立ち止まりながらの毎日であることは、ある意味、当然のことだと思う。
 そして、中学2年生になった彼は、今年もサマーキャンプに参加した。
 その顔はすっきりとしていた。ふっきれたのかと思った。突き破ったなという感じがした。
 そして、書いた作文が次のものである。−−−
 

<中学2年生>  表向きと心から
           
 ぼくは、幼稚園のときからどもっていて、その時はお姉ちゃんもお兄ちゃんもどもっていたそうです。でも、お姉ちゃんもお兄ちゃんも小学生ぐらいになるとどもりがなおりました。お母さんも、ぼくが小学生になったらなおると思っていたみたいで、ぼくもいつかなおると思っていました。
 しかし小学校に入って、しばらくたっても僕だけなおりません。そして総合医療センターに行きました。そこでも、なおると言われ、2年間通いました。
 そしてお母さんがたまたまみつけてきた、吃音教室に行き、そこで初めて「吃音は治らない」ということばを聞きました。今まで家でもなおると信じ、病院でさえなおると言っていたのが一気に崩れていくような感じでした。
 吃音教室での目的は、どもりとうまくつき合うということでした。小学5、6年ぐらいのときに、もうどもりでもいい、とか、そんなことを言った覚えがあるけれど、それでも心のどこかに、どもりはいやという気持ちがあったと思う。
 どもりでもいいやと言ったのは、ただの自分の自分に対する思い込みだったと思う。今まで何年間もなおると信じていて、そんな1、2年で考えを正反対にすることはできないと思う。それを一気に強引に変えようとしたから、表だけになってしまったと思う。
 ゆっくりでもいいからどもりと向き合って、心から納得できるようになりたい。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/04/06
 

どもる子どもの レジリエンス


 嫌だった吃音と向き合う

 消防学校での1年を終えて、この4月無事に消防士として旅立ったH・M君。

 もう少し彼の人生につきあって下さい。僕たちが想像する以上に彼の消防学校の1年は、厳しく、時に苦しく、つらい経験や思いをしたと僕には思えます。
 耐えがたい、つらいことから回復していく力、しなやかなに生き抜く力を、「レジリエンス」といい。近年いろんな分野で注目され始めています。この力は、一朝一夕につくものではありません。子どものころから、吃音について僕たちと一緒に学び、少しずつ、少しずつ自分のからだにしみ込んでいくものでしょう。彼は日々の吃音とのかかわりを作文や、日記として残しています。
 日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリング・ナウ」2004年11月号で紹介した一部を紹介します。

 5年生の時の作文
  
      吃音

 ぼくは、吃音で、いやなことはたくさんあります。
 本読みや自己紹介でどもるとみんながクスクス笑うことです。バカにされるようでとてもいやでした。マネされたりとてもいやです。
 その中でも一番いやなのは、話を最後まで聞いてくれないことです。友だちとしゃべっていて、他の友だちが話しかけると、後からの方がゆうせんになるのです。ぼくは、他の人より2倍ぐらい時間がかかります。
 そのことでとてもいやで、こまっているのは、ぼくだけだと思っていましたが、大阪吃音教室に行ってから同じ仲間がいてとてもうれしいです。とても気持ちが楽になりました。吃音はまだいやですが、吃音のおかげで、すなおさを学べました。吃音と向き合う大切さを学びました。

 
 6年生の時の作文

 どもりに対する気持ち    

 ぼくは、いつから、どもり始めたかは、覚えていないけれど、幼ち園のころには、もうどもっていた。そのころ、ぼくは、自分でもどもっているという意識はありませんでした。友達に、なんでつまっているの?と聞かれてもなんとも思いませんでした。小学校1年生になっても、知らない人とも話しかけれていたし、よく話していました。
 でも、2年生のとき、自己紹介で、どうしても自分の名前が言えなくて、笑われたときがありました。それを境にどもりを意識し始めました。どもると笑われるからどもらないようにしようとか、もうあんまりしゃべりたくないとか、どもりに対する気持ちがいろいろ変わりました。授業中はあまり手を挙げず、自分で積極的に手を挙げられなくなりました。友だちに話しかけるときでも、話しているとちゅうで、どもって言葉がでないとき、(どもっているとき)に、どこかへ行ってしまって最後まで話を聞いてくれないときもありました。
 こういうできごとで、どもりに対する気持ちが、うらみというか、早くなおってほしいと思いました。なぜかというと、どもっているから発表できない、積極的に意見を言えないと思っていたからです。
 でも、大阪吃音教室や吃音親子サマーキャンプに行っていると、それは、どもりをかくそうとしている自分のせいだということが分かりました。自分がどもりをかくそうと思っているから、あまり話さなかったり、楽しく話せなかったりしている。今まで、どもりのせいだ、どもりのせいだと、全てをどもりのせいにしていたけど、それはどもりをかくそうとしている自分のせいだったんだ。
 どもりに対する、早くなおれ、という気持ちが、別にいいじゃないかという気持ちに変わりました。
 このサマーキャンプは、吃る人ばかりで、話しやすく、とても楽しいです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/04/05

 

どもる人が、ついてはいけない、つけない仕事などない


 自らの可能性を閉ざさない

 前回紹介した、若き消防士についてもう少し書きます。
 どもる子どもの保護者のための相談会や、講演会で親の関心は将来の職業です。どんな仕事につけるだろうか心配しています。その時、僕は自分の経験を含めて、たくさんのどもる人の仕事について実例をもとに話します。多くの親は「そんなにいろんな仕事について、がんばっているのですか」ととてもびっくりします。

 僕の強みは、大勢のどもる人に直接出会って、語り合った人の数が多いことでしょう。おそらく世界一だろうと思います。1965年にどもる人のセルフヘルプグループを創立し、全国組織のリーダーとして活動してきた、その中で出会う人。全国35都道府県を3か月かけて廻った「全国吃音巡回相談・講演会」で600名近い人たちと出会い。その後全国各地や世界大会などで出会った人。数千人から一万人近くにはなっているのではと想像します。

 たくさんの、いろんな仕事に就いて、苦労しながらも充実して生きている人にたくさん会ってきました。僕自身も、高校生の時、音読ができなくて、僕だけ音読を免除して欲しいと国語の教師に頼んで、やっと卒業ができました。電話もできない、自己紹介で自分の名前が言えない、人前で発表もしたことがない人間が、社会人として働いて生きていけるか、とても不安で大阪豊中市の成人式の会場にいたことを、強烈に覚えています。当時、どんな仕事ができるか、まったく想像も出来ませんでした。

 その僕が国立の教員養成大学である、大阪教育大学の教員になるとは、想像すらできません。
 「どもりながら、嫌な経験もしながら、不安や、恐れをもちながら、誠実に、まじめに仕事に取り組めば、道は自ずと開かれる」
 このように生きてきたたくさんのどもる人を僕は知っています。もちろん、どんな仕事といっても、限界があるのは、どもらない人にも共通です。誰もが教師や、弁護士になれる訳ではありません。しかし、能力があり、資格があり、ただ、「どもる」という条件だけで、就けない仕事はないと言っているのです。

 すごくどもりりながら、教師として、医師としてがんばっている仲間を何人も知っています。看護師になったものの、医師や患者との会話、伝達、電話、さまざまな場面で苦労しながら看護師としてがんばっている人。その人たちが、何の苦労もなく仕事をしているわけではありません。話をじっくり聞いていくと、その苦労は、並のものではありません。はたして、僕ならできるだろうかなあ、とつい考えてしまうほどです。それでもがんばって生き抜いています。その苦労が人間として、職業人としてその人たちを成長させています。

 たくさんの人の、実際の苦労を聞きながら、どもるからこそ、どもりに悩んだからこそ、この人たちはこんなに素敵な人になったのだとよく思います。

 消防学校の1年間の彼の苦労、やめたいとまで思った気持ち、それを僕たちに話して共に考えた日々。この1年の大変な日々を、家族が支え、仲間の僕たちが、ほんのわずかですが支えました。消防学校へ行って、「吃音を理解して欲しい」と親も、僕たちも言うことはできません。僕たちに出来ることは、悩みや、苦労に耳を傾け、そうであっても、自分の力で切り抜けていけると彼を信じることだけでした。

 大きな援助は出来ませんし、必要はありません。できるだけ小さな援助、ヘルプが大切です。おそらく、彼が、彼を支える両親、両親が僕たちを信頼して頼ってくれた、その支えがなければ、無事に消防学校を卒業できたかどうかは分かりません。できたかもしれませんが、途中でやめていたかもしれません。

 ちょっとした、ほんのわずかな、支援といっていいのか、援助といっていいのか、言い言葉が見つかりませんが、一緒にいて、一緒に考える仲間が必要なのだと思います。
 それと、一番大事なのは、「吃音を治す、少しでも症状を軽減させる」ではなく、「吃音とどう向き合い、つきあい、サバイバルしていくか」を真剣に考え、学び、取り組むことです。

 彼は、小学5年生ぐらいの頃から、大阪吃音教室に参加し、「論理療法」などを勉強していたのです。吃音とつきあうためには、それなりの学習が不可欠です。何もしないで、「吃音と共に生きていく」生き方は身につくものではありません。次回は、小学生の時、彼が書いた作文を紹介しましょう。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/04/04










吃音と共に、消防士として生きる、あなたへ

 消防学校を卒業しました


 昨年の4月に消防学校に行き始め、大変苦労していたHさんから、うれしいメールがとどきました。そのメールと僕からの返信を紹介します。
 「どもり」には、緊急の対応がある消防士には無理だと世間では言われるかもしれません。しかし、大阪スタタリングプロジェクトの仲間には、消防士は何人もいますし、海上保安庁、警視庁に勤めているひとがいます。看護師はそれこそ、たくさんいます。
 それぞれに苦労しながらも、どもりを肯定し、誠実にどもりや仕事に向き合ったとき、道はおのずから開かれていきます。一人の青年のこれからの人生へのエールです。どもりを治したい、少しでも改善しなければと、どもりを否定的にとらえていたら、彼のような経験はできなかったでしょう。いずれ、詳しく彼のことは紹介したいですが、今回は、とりあえず、メールの紹介にとどめます。

 伊藤さん、お久しぶりです。
 
おかげさまで明日、消防学校を卒業することになりました。10月から、消防学校学生兼消防署職員として、消防署に勤めさせてはいただいていたのですが、明日でようやく兼務から外れるかたちになりました。

10月からの半年間は正直、学校とは違った意味でのつらさが多々ありました。
電話がなると若手が積極的に出る、というのが当たり前なのですが、電話の一声目がどうしても出ません。でもそれが仕事なのであまえることもしていません。
自分なりに工夫し、多少一声目が出やすい方法を見つけるのですが、それに慣れてきたころ、その方法でも言葉が出なくなります。そしてまた新しくなにか方法を考え、またそれでも出なくなる。そのいたちごっこで、大変です。
今現在吃音が激しい時期で、今日は1人ずつ名前を呼ばれて、はい、と答えるのにも、言葉が出ませんでした。
まわりから特にとがめられることはないのですが、自分自身これらのことを気にしない程のメンタルはまだないようです。

しかし、消防活動技術の試験ではほめられることもありました。正直、電話応対や、コミュニケーションの部分で人より時間がかかってしまったり、聞き取りづらかったり、迷惑をかけてしまっているところが多々あるとは思いますが、これなら負けない、というものを見つけ、がんばっていきたいと思います。

これまでは出張所というところで勤務していたので多少緩いところもありましたが、4月からは本署で勤めることになりました。また環境もかわり、吃音の調子も変化していきしんどいことも増えてくるとは思いますが、がんばります!

とりあえず、今は明日の卒業式で、はい、と言えるかが不安です(笑)

報告が遅くなってしまい申し訳ありません。また、伊藤さんや、大阪のみなさんに力を借りることもあると思いますが、その際はよろしくお願いいたします。


季節の変わり目ですので、お身体にはくれぐれも気をつけてください。 2014年3月28日


HM様

しばらく大阪を離れていたためにお返事が遅れました。

うれしい報告ありがとうございます。よく、ここまでがんばれたと、心からの敬意を表します。

周りは、「どもっても大丈夫」と簡単に言うことができますが、本人にとっては、どんなに大変なことだったろうと、
同じ道を歩んできた当事者として、想像できます。

あなたは、大学の就活の時、「消防士になりたいが、できるだろうか」と相談してきました。

「どもる苦労は、いつもついて回る、どっちみち苦労するなら自分の本当にしたい仕事で苦労したほうがいい」

このように言ったこと、つい最近のことのように思い出しています。

消防学校は半年ではなく、兼務職員として半年あったのですね。前半の、指導教官の部屋に入るとき、名前が言えずに、何度も練習をさせられました。それでも、どもって言えないと「どもりを治せ」と言われ、あなたは悩んでいました。最後には、「そんなにどもっていて、市民の命が守れるのか」と言われ、僕たちに相談しましたね。ここが一番の踏ん張りどころでした。
わざわざ、一泊二日の合宿に大阪まできて、僕たちのいろんな話に耳を傾けました。この大変だったとき、よく乗り切れたと思います。

そして、後半の半年は知らなかったのですが、また違う苦労があったのですね。この一年のがんばりは、今後に生きてきます。

「消防活動技術の試験ではほめられることもありました」は、うれしいですね。ことばにハンディーがある分、他のことでは人一倍がんばって下さい。それが、消防士として成長させていくことになるのでしょう。

この一年、耐えることができたのだから、これからも、いろいろとあるだろうけれど、 乗り越えていけると確信しています。

しかし、つらいことも、へこむこともあるでしょう。強気でがんばらないといけないのは基本としてあるものの、
弱音を吐くこともとても大切です。互いに愚痴が、弱音がはける仲間が消防士仲間でひとりでもできるといいですね。

少なくとも僕たちは、その仲間に入れておいて下さい。困ったときはいつでもご連絡下さい。大阪スタタリングプロジェクトの仲間は、いつもあなたの味方です。つらいとき、僕たちのことを思い出して下さい。僕たちもつらいとき、あなたが、がんばっている姿を思い浮かべます。僕たちは、常にあなたと共にいます。

たくさんの勇気をありがとう。お元気で。

伊藤伸二


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