レジリエンスと防災教育
東日本大震災から2年。今年も3月11日がやってきました。
このブログでも触れましたが、吃音親子サマーキャンプに3年連続して参加した、宮城県女川町の阿部さん一家のことを思い出す日です。当時小学6年生だった莉菜さんが、キャンプの時私のグループで、不登校になっている辛さを話して、みんなからいろんなレスポンスを受けて元気になっていったこと、キャンプから帰って学校へ行き始めて、中学を卒業して高校生活が始まる前に、津波で亡くなったこと、この日は私にとって、特別の忘れたくない一日です。
亡くなった多くの人々に思いをはせ、残った人間として、この一年をどう生きたのか、これからの一年をどう生きるのかを考える大切な一日で、私には、大晦日から元旦を迎える一日以上の意味をもっています。
いろんな特集番組を見ながら、いろいろと考える一日です。
かつて経験したことのない、地震と大きな津波の連動、原子力発電所のすさまじい人災を考えたら、多くの日本人にとって、死生観、人生観が大きく変わるだろうと思いました。確かに、一時的にその機運があったかに見えましたが、日本人の特徴でしょうか、被災地以外の日常は、経済重視の、元の人生観に戻り、大転換のチャンスを逸してしまいました。原子力発電の所の再稼働を多くの人が反対していたのに、今はもう半数以上が賛成するという、信じられない事態になっています。福島の人たちはこの変わり身の早さをどう感じているでしょうか。申し訳ない気持ちが広がっていきます。
吃音をどう生きるかについて、3.11から私たちが教訓とすべきものを整理すると「レジリエンス」と「防災教育」にたどりつきます。これは私にとっては新しいことではなく、ことばは違いますが、これまで、「早期治療から早期自覚教育へ」や「悩む力、どもる力」などですでに書いてきたものと同じようなことです。
新しい年を迎えるに当たって、私たちが学び、展望すべきことを考えます。
昨年の私たちの活動は「ナラティヴ元年」でした。吃音講習会ではテーマに成り、ひの報告集を今編集しています。ナラティヴ・アプローチを学ぶ中で、精神科医の小森康永さんから、「レジリエンス」の概念を教えていただき、さらに、国重浩一さんをご紹介いただきました。新しくいろんな人と出会っていけるのは、「吃音を治す・改善する」を目指していないからだ。つくづくありがたいことだと思います。
スクールカウンセラーとして被災地に入った、臨床心理士の国重浩一さんから、被災地の子どもたちの様子をお聞きしました。世間一般で言われているような、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で子どもたちは大変な状況に必ずしも多くの子どもが陥っているわけではないこと、自然災害は誰の責任でもないと受け止めていると話して下さいました。
「逆境を乗り越え、心的外傷となる可能性のあった苦難から新たな力で勝ち残る能力、回復力」というレジリエンスの概念は、たくさんのどもる子どもたちと重なりました。どもることを指摘されたり、からかわれたりしながら、音読や発表で苦戦しながら、子どもたちは、時に落ち込みながらも、元気で生き延びている。
かわいそう、治してあげなくてはという「脆弱性モデル」ではなく、「レジリエンスモデル」でどもる子どもとつきあいたいとおもいます。そろそろ、子どもは守られるだけの存在だという子ども観から脱却しなければならないのです。もう一つが防災教育です。
「津波てんでんこ」で知られる防災教育の徹底さが、生死の明暗を大きく分けました。石巻市の大川小学校では全校児童108人中74人が津波の犠牲になりました。なぜ教師は子どもたちを助けられなかったのか、苦しい中で検証が続いています。
一方、群馬大学・片田敏孝教授から「地震がきたら、家族を待たずにてんでんばらばらで逃げろ。ひとりでも生き延びろ」の防災教育を受けた釜石市の小学・中学生は、2926人中、学校の管理下になかった5人を除いて全員が、津波から逃げ、「釜石の奇跡」と言われています。しかし、子どもたちは「日頃教えてもらったことを実践したまでで、奇跡でも何でもない。これは僕たちの実績だ」と話していました。
このふたつの体験から私たちは何を学ぶか。
吃音は、どもること自体には何の問題もありません。吃音をマイナスのものととらえ、吃音を隠し、話すことから逃げる、シーアンの吃音氷山説の水面下が大きな問題です。吃音を理由に人生の課題から逃げる劣等コンプレックスに陥ることで吃音は問題となるのです。そうならないための予防教育を、私は早期自覚教育として提案してきました。
これが、防災教育に似た「予防教育」だといえます。ことばの教室で、吃音キャンプで、吃音の予防教育を受けた子どもたちは、レジリエンスを発揮して、元気で生きています。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/03/15
東日本大震災から2年。今年も3月11日がやってきました。
このブログでも触れましたが、吃音親子サマーキャンプに3年連続して参加した、宮城県女川町の阿部さん一家のことを思い出す日です。当時小学6年生だった莉菜さんが、キャンプの時私のグループで、不登校になっている辛さを話して、みんなからいろんなレスポンスを受けて元気になっていったこと、キャンプから帰って学校へ行き始めて、中学を卒業して高校生活が始まる前に、津波で亡くなったこと、この日は私にとって、特別の忘れたくない一日です。
亡くなった多くの人々に思いをはせ、残った人間として、この一年をどう生きたのか、これからの一年をどう生きるのかを考える大切な一日で、私には、大晦日から元旦を迎える一日以上の意味をもっています。
いろんな特集番組を見ながら、いろいろと考える一日です。
かつて経験したことのない、地震と大きな津波の連動、原子力発電所のすさまじい人災を考えたら、多くの日本人にとって、死生観、人生観が大きく変わるだろうと思いました。確かに、一時的にその機運があったかに見えましたが、日本人の特徴でしょうか、被災地以外の日常は、経済重視の、元の人生観に戻り、大転換のチャンスを逸してしまいました。原子力発電の所の再稼働を多くの人が反対していたのに、今はもう半数以上が賛成するという、信じられない事態になっています。福島の人たちはこの変わり身の早さをどう感じているでしょうか。申し訳ない気持ちが広がっていきます。
吃音をどう生きるかについて、3.11から私たちが教訓とすべきものを整理すると「レジリエンス」と「防災教育」にたどりつきます。これは私にとっては新しいことではなく、ことばは違いますが、これまで、「早期治療から早期自覚教育へ」や「悩む力、どもる力」などですでに書いてきたものと同じようなことです。
新しい年を迎えるに当たって、私たちが学び、展望すべきことを考えます。
昨年の私たちの活動は「ナラティヴ元年」でした。吃音講習会ではテーマに成り、ひの報告集を今編集しています。ナラティヴ・アプローチを学ぶ中で、精神科医の小森康永さんから、「レジリエンス」の概念を教えていただき、さらに、国重浩一さんをご紹介いただきました。新しくいろんな人と出会っていけるのは、「吃音を治す・改善する」を目指していないからだ。つくづくありがたいことだと思います。
スクールカウンセラーとして被災地に入った、臨床心理士の国重浩一さんから、被災地の子どもたちの様子をお聞きしました。世間一般で言われているような、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で子どもたちは大変な状況に必ずしも多くの子どもが陥っているわけではないこと、自然災害は誰の責任でもないと受け止めていると話して下さいました。
「逆境を乗り越え、心的外傷となる可能性のあった苦難から新たな力で勝ち残る能力、回復力」というレジリエンスの概念は、たくさんのどもる子どもたちと重なりました。どもることを指摘されたり、からかわれたりしながら、音読や発表で苦戦しながら、子どもたちは、時に落ち込みながらも、元気で生き延びている。
かわいそう、治してあげなくてはという「脆弱性モデル」ではなく、「レジリエンスモデル」でどもる子どもとつきあいたいとおもいます。そろそろ、子どもは守られるだけの存在だという子ども観から脱却しなければならないのです。もう一つが防災教育です。
「津波てんでんこ」で知られる防災教育の徹底さが、生死の明暗を大きく分けました。石巻市の大川小学校では全校児童108人中74人が津波の犠牲になりました。なぜ教師は子どもたちを助けられなかったのか、苦しい中で検証が続いています。
一方、群馬大学・片田敏孝教授から「地震がきたら、家族を待たずにてんでんばらばらで逃げろ。ひとりでも生き延びろ」の防災教育を受けた釜石市の小学・中学生は、2926人中、学校の管理下になかった5人を除いて全員が、津波から逃げ、「釜石の奇跡」と言われています。しかし、子どもたちは「日頃教えてもらったことを実践したまでで、奇跡でも何でもない。これは僕たちの実績だ」と話していました。
このふたつの体験から私たちは何を学ぶか。
吃音は、どもること自体には何の問題もありません。吃音をマイナスのものととらえ、吃音を隠し、話すことから逃げる、シーアンの吃音氷山説の水面下が大きな問題です。吃音を理由に人生の課題から逃げる劣等コンプレックスに陥ることで吃音は問題となるのです。そうならないための予防教育を、私は早期自覚教育として提案してきました。
これが、防災教育に似た「予防教育」だといえます。ことばの教室で、吃音キャンプで、吃音の予防教育を受けた子どもたちは、レジリエンスを発揮して、元気で生きています。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/03/15