伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2012年10月

吃音とナラティヴ・アプローチ


 11回静岡県わくわくキャンプのスタッフ学習会の今年のテーマは、「ナラティヴ・アブローチ」です。
 静岡のように、毎年このような学習会がもたれるのはありがたいことです。スタッフ40人ほどが、聴いて下さいました。
 そのために、準備して考え、話したことが財産になっていきます。昨年度のテーマは、「英国王のスピーチ」でした。2時間も映画についてだけで話せるとはおもわなかったですが、どんどん話が広まり、深まっていきました。いい聞き手のおかげだとおもうのですが、私たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」に2号にわたって紹介しました。

 ジョージー6世が開戦スピーチが成功したのは、「どもる、ためな国王」から「どもっても、国民に伝えなければならない、言葉のある、責任感ある誠実な国王」へと語りを変えたことにあると、昨年話しました。今年は、それを受けて、吃音の言語治療の歴史が、1903年の伊沢修二からはじまり、1930年のアイオワ学派の主張、1950年のジョンソンの言語関係図、1970年の、シーアンの吃音氷山説にいたる話をしました。
 1970年にシーアンが、吃音の症状と言われているものよりも、吃音に影響うける行動・思考・感情にこそ問題があると指摘したのに、アメリカ言語病理学は、それを重視せず。相変わらず「ゆっくれ、そっと、やわらかく」発音をして吃音をコントロールすることを目指しています。

 その歴史をはなすために、出てきたのが、伊沢修二の教え子、松澤忠太の「吃音矯正教科書」でした。そのタイトルには「最新」とあります。1924年に書かれたものですが、いまから読み返すと、かなり理にかなったことを書いているのです。もちろん、この方法は、後の民間吃音矯正所に受け継がれていきますが、アメリカ言語病理学の最新と言われる、バリーギターの「統合的アプローチ」の流暢性促進技法とほとんど変わらないのです。

 1965年、東京正生学院でこれらを教えてもらって、結局治らなかったので、ばかにしていたのですが、今でも通用するものだったのかと、驚きです。
 吃音症状といわれるものへのアプローチは、そろそろあきらめて、「ナラティヴ・アプローチ」に転換すべきだと話したのが、今回の学習会でした。また、どこかで紹介したいと思います。

 後で読ませたいただいた振り返りの中に、ことばの教室の先生が「もっと、早く、この話を聞きたかった」とありました。うれしいことでした。今からでも遅くない、私は、語り続けなくてはならないと思いました。

 学習会が終わって食事をしながらのスタッフ会議の後、キャンプはスタートしました。申し込みは100名を超えていたのに、キャンセルが入って、100の大台は届きませんでしたが。にぎやかにキャンプはスタートしました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/31

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第11回静岡での吃音親子キャンプ やはり「たまご・トロ」が言えない


 10月26日静岡に行きました。

 良い仲間たちのいる所へ行くと、元気がでます。少し風邪気味で、体調は万全ではなかったのですが、元気になって帰ってきました。静岡のキャンプでは、キャンプが始まる前、午前中にキャンプスタッフや、私の講演だけを聞く下さる人のための、学習会があります。そのために、静岡には前日に行きます。

 静岡と言えば魚のおいしいところです。静岡駅のシヨッピングビルの6階にとてもおいしい寿司屋があります。そこへ行くのが、私の密かな静岡行きのたのしみでもあります。沼津魚がし寿司ですが、少し遅く行くと満席になります。その人は5時30分に入りました。カウンターが1席だけ空いていました。

 私は、人前で講義や、講演など話すことがとても多いです。13年ほど前は、人前で話すときに限っては、ほとんどどもらなくなっていました。ところが、からだとことばのレッスンの竹内敏晴さんが私の「情報伝達のことば」を壊して下さいました。自分では自然に話していたつもりですが、竹内さんからすると、意識的にどもらない話し方をしていると写ったようです。情念ほとばしるある芝居の主役をさせていただき、その厳しい稽古の中で、これまでの「人前では、ほとんどどもらない」状態が破壊され、芝居の上演の4か月後になって、私は再び人前でもどもるようになりました。

 その当時からも、寿司屋で注文するときは「トロ」「たまご」は苦手で、拍子をつけたり、なんとかごまかして注文していたのですが、私のことばが壊されてからは、一段と言いにくくなりました。魚のあまりおいしくない大阪では普段はあまり寿司屋には行きません。でも、静岡では行きたいのです。私の好きなネタの多くは言いにくい。せっかくだから言いますが、久しぶりに吃音を意識します。普段の講演で吃音を意識することはほとんどありません。どもる時はどもるし、どもらない時はどもらない、自然に任せていますが、「トロ」「たまご」とちよっと離れたカウンターの向こうの握っている人に届けないといけない。講演で緊張も、上がることもなく、吃音を意識することもまったくない私が、吃音を意識する唯一の場面でしょうか。緊張とは違う、何か不思議な感覚でず。

 やはり、何度か聞き返されました。聞き返されて言う時、アメリカの言語病理学の「そっと、ゆっくり、柔らかく」の吃音コントロール法なんて、まったく役にたちません。「そっと、やわらかく」言うと、雑音飛び交う場での、板前さんにとどきません。ゆっくり言うのもこんな場では難しい。いつものどもりながらいうしかありません。

 一年に何回か、このようなことを経験するのは、いやじゃありません。むしろ好きです。やはり「どもりは治らない」を身にしみて経験できるからです。「どもせずに言いたい」でもそれができない。人生の中で、自分ではどうにもできないことの、一つや二つあった方がいいと思うからです。
 やはり、静岡の寿司はおいしかった。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/29 

新潟の夜は 温かかった

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 新潟言友会15周年の大会。言友会から離脱し、関係がまったくなくなった私を呼んで下さった意味を考えました。
 ご存知のように吃音は原因も未だに解明されていません。また、治療法も、1903年に伊沢修二の楽石社が提案した吃音治療法と、ほとんど同じの「ゆっくり、そっと、柔らかく」発音して吃音をコントロールする、バリー・ギターの「統合的アプローチ」しかありません。この程度のことしか提案できないアメリカ言語病理学に私は期待していません。

 「治っていない、治せていない」状況が、100年以上も続いているのです。
 それでもなお、「治す・改善する」があきらめられないのは、私からすると、本当に不思議なことです。
 40年も前に「吃音を治す努力をするよりも、自分のしたいこと、しなければならないことに努力しよう」と、「吃音を治す努力の否定」を提案しました。その頃の社会的な状況、吃音の臨床研究の実力も、まったく変わっていないことを考えると、やはり私は、自分の方向は間違っていなかったと思います。私の考え、主張を、誤解されないように、丁寧に多くの人に伝えていく必要があると思いました。

 どんな小さな集まりでも、私の話を聞いて下さるのであれば、どんな所へも行きたい。最近は以前よりは自由に動けるようになったので、そう思います。関係を絶った言友会からも、このようなお誘いをいただいたことが、とてもありがたかったのです。

 懇親会には、この写真の他に二人参加して下さいました。新潟は広くて、帰る交通機関がないからと、お二人は少し早く帰られたのですが、たんなる雑談ではなく、一人一人が今回の私の話について感想を言い、講演会ではできなかった質問をして下さいました。私の話がどこまで伝わったのか心配でしたが、みなさんが、共感をもって聴いて下さったこと、少し意外でもありましたが、とてもうれしいことでした。共感した上で「吃音を認めた上で、吃音を改善するために努力することはどうか」との質問がありました。

 懇親会には30代の若い人と60代に入ったばかりの人半々でしたが、そのような質問はやはり、若い人でした。
 60歳に入った人は、それぞれの人生で、悩みつつも自分の人生を大切に、いつまでも「吃音を治す・改善する」にこだわっていられず、生きてきた上で、どもりながらも生きることができると、体感している人たちでした。その人たちは「とても共感した」と言って下さり、本質的なことも理解して下さっていました。

 本質的なこととは何か。
 「吃音とともに生きる」なんて、伊藤が言うことなら、アメリカの研究者も言っていることで、何も新しいことでもなんでもない。こう言う人がいます。それは本当にそうです。吃音は治せないのですから、当然吃音と共にみんな生きているのです。しかしそれは、吃音治療の一環として「吃音を受け入れる」ということです。そうすれば、「吃音の改善に結びつく」との発想です。
 また、「吃音治療・改善に努力して」、それでも、治らなかったら、その部分を受け入れる。だから、「自分で引き受けられる程度の吃音」に治療・改善しようという発想です。

 治療のプロセスとして、治療の結果として認めざるを得ないから「吃音共に生きる」という考えと、今、この時から、子どものころから、一切の「治療・改善」を目指さないで、今のまま、そのままを認めて「吃音と共に生きる」と言い切るのとは、「吃音と共に生きる」という同じ文言をつかっても、まったく違うものです。

 「治療。改善」は目指さないものの、より楽に声が出るように、「日本語の発音・発声」の基本を学び、自分の発音発声のメンテナンスをすることは、それが必要な人には必要だと私たちは取り組んできました。ことばに関して、何もしないと言っているわけではないのです。とても誤解されているようです。どもらないように、ことばに取り組むのと、自分の思いをより相手に伝わるために、発音・発声には意識するのとは違います。
 『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』(解放出版社)にかなりのページを使って、どもる私たちにとっての、ことばのレッスンについて、詳しく書きました。
 
 これも、さきほどの「吃音と共に生きる」の「発音・発声に取り組む」が同じように見えても、本質的なところではぜんぜん違うことを、60歳代の人たちがよく分かって下さったのは、望外の喜びでした。

 その人たちが、「吃音について、こんなに豊かな話ができたこと、幸せだ。今日は、本当に良い日だった」と私の手をしっかり握って下さったとき、新潟に、不安をもちながらも来て、本当によかったと思いました。

 今から、静岡に向かいます。第11回の静岡県の吃音キャンプです。今年は参加者が多くて、100人を超えているそうです。第1回から私を講師として呼んで下さっていますが、どもる子ども、保護者、ことばの教室の先生、言語聴覚士とまた新しい出会いがあるのが楽しみです。、

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/26

新潟の第三回吃音フォーラム


 新潟市で行われた、吃音フォーラムに行ってきました。
 1975年、私は大阪教育大学の教員時代、ふたりの私の研究室の学生ふたりをお供に、全国吃音巡回相談会の旅
に出ました。北海道の帯広市を皮切りに、明日は札幌、次は青森、秋田などと3か月をかけて全国を回りました。今から思えば、よくまあ、あんなことができなあと、当時のエネルギーに感心します。その時、もちろん新潟市にも来ました。その時、会場の設定や、宣伝など親身にお世話して下さったのが、当時佐渡島のことばの教室の、金井町立金井小学校ことばの教室の先生だった、計良益夫さんでした。
 あの相談会は、講師料はいらない、交通費も、宿泊費も自腹で、会場設定だけは、地元のことばの教室の先生にお願いしました。あの当時、ことばの教室の先生たちは、ことばの教室の草分けのような人たちで、熱意のある、すばらしいひとたちばかりでした。いまだに、当時出会った人の中で交流が続いています。その中でも、名前が珍しいということもあって、計良さんのことはよく覚えているのです。

 参加者は40名をこえていたでしょうか、その中にことばの教室の先生で、名札に「計良」とある人に、ぶしつけにも、娘さんですかと尋ねていました。やはり、計良さんは、とてもよくがんばっていた人で、よくそのような質問を受けるようです。なんとも懐かしい新潟の地です。

 講演は、「吃音と上手につきあうために、英国王のスピーチから学ぶ」でしたので、多くの人か、英国王のスピーチを見て下さっていました。なぜ、あの開戦スピーチが成功したのか、多くの人は、言語訓練の成果だと見て取っていますが、そうではありません。「どもってもいい」と覚悟をきめたからです。どうしてあの映画からそれが言えるか説明し、1903年から始まった吃音治療の歴史について解説し、世界最新と言われる統合的アプローチは、1903年から始まった、日本の民間吃音矯正所の治療法と、まったく同じで、2012年と、1903年とほとんどかわっていないことを紹介し、そろそろ、「吃音治療・改善・コントロール」をあきらめ、吃音と共に生きることを提案しました。

 参加のみなさんは、とても真剣に聴いて下さり、二部の質問コーナーではいい質問が出て、4時間はあっという間に過ぎました。ことばの教室の先生が8人ほど参加して下さっていたようで、幼児・学童期の子どもの質問もありがたいことでした。その後、8人で、居酒屋で3時間以上も楽しい語らいがありました。
 
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/24

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この日曜日、新潟市で講演します。


 先週は、香川県の小児科医師会の研修会で講演しましたが、今週末は、新潟での講演です。
 私は1965年にどもる人のセルアヘルプグループ言友会を作り、長年全国組織の会長をするなどしてきましたが、事情があって、20年ほど前に、全国組織から離脱し、今は、言友会とは関係がなくなりました。
 今回、縁があって、にいがた言友会が講師として私を呼んで下さったので、話しに行ってきます。
 昔、全国を巡回して相談会をしたことがあり、久しぶりの新潟です。近くにお住み方、よかったらお出かけ下さい。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/18



「第3回にいがた吃音フォーラム」のご案内
―にいがた言友会15周年記念大会―
テーマ「吃音とともに生きる」

 吃音自助グループ「にいがた言友会」は再結成15年を記念して「第3回にいがた吃音フォーラム」を企画いたしました。
 吃音で悩んでおられる成人の方、吃音のお子様をお持ちの方と共に吃音について考えるひとときにしたいと思っております。
 講演の講師としてお呼びしている先生は、吃音当事者として吃音臨床に携わって来られた日本吃音臨床研究会代表の伊藤 伸二氏です。講演題目は「吃音と上手につきあうために、今できること〜映画『英国王のスピーチ』から学ぶ〜」
 現状の吃音問題に何らかのヒントを与えるものと期待しております。
 お忙しい中、お時間をつくりご参加いただきますようご案内申し上げます。



開催日時  平成24年10月21日(日)13:30〜17:00
会  場  新潟市万代市民会館 3階306号室
      〒950−0082 新潟市中央区東万代町9−1 ☎025−246−7711
      JR新潟駅より徒歩5分
      
参加費   大人1000円 子供(中学生以下)500円

プログラム内容
13:00   受付開始
13:30   オープニング
      挨拶
      にいがた言友会モットー唱和
14:00   講演「吃音と上手につきあうために、今できること」
〜映画『英国王のスピーチ』から学ぶ〜
      講師:日本吃音臨床研究会 代表 伊藤 伸二氏
15:30   休憩
15:45   しゃべり場コーナー
      「これだけは伊藤伸二さんに聞いておこう」
      <児童吃>ファシリテーター 魚沼市立須原小学校  佐藤弘子教諭
                    阿賀野市立保田小学校 計良由香教諭
      <成人吃>ファシリテーター にいがた言友会員
17:00   閉会

月刊紙 スタタリングナウの10月号


 吃音講習会報告

 日本吃音臨床研究会は、毎月「スタタリングナウ」というニュースレターを発行しています。今月号で218号です。毎月よく9続いてきたものだと思います。私は毎号、巻頭言を書くのですが、毎月となると大変です。そろそろ、ネタが尽きるとおもいながらも、他の書き手に助けられて続いています。
 今月号のテーマは、今年の夏に開かれた「吃音講習会の報告」です。報告は、どもる子どもの保護者であり、高校の教師でもあり、毎週大阪吃音教室に参加している、坂本英樹さんです。送られてきた原稿を読んで、うなりました。すごいんです。

 2日間の吃音講習会は、中身の濃いもので、それを8ページのニュースレターで紹介するのは難しいことです。それを私たちが大切にしていることを、ぎりぎりの紙面制限の中で、表現されています。講習会のテーマはナラティヴアプローチでした。これまでの、吃音のネガティヴなストーリーを、新しい、自分を生きやすくするストーリーに変えていこうというテーマです。
 私の基調提案から、発達心理学者の浜田寿美男さんの記念講演と、浜田さんと私の対談を国立特別支援教育総合研究所の牧野泰美さんが司会して下さるという、贅沢なものでした。夜はグループの話し合い。翌日は、ことばの教室の教師、保護者、言語聴覚士、成人の当事者のシンポジウム。昼からは、保護者のための公開吃音相談会。バラエーティーにとんだプログラムでしたが、一貫して流れていたのが、吃音を否定しないこと、どもる人や、どもる子どもには、自分の問題に向き合う力があることの確認でした。

 私の著書や論文のすべて読み、スタタリングナウを創刊号から購入して読み、私の主張をよく理解していなければ、また、ナラティヴ・アプローチについて学んでいなければ、また、浜田寿美男さんの著作をよく読んでいなければ、とても書けない、力作でした。

 私たちは、これまでとは違う、吃音についての物語を語り、文章にしていかなくてはなりません。その時期に、一年前から坂本さんが私たちの仲間に加わって下さった意味を考えたのでした。

 吃音講習会の報告書は、来春、私たちの年報として発刊の予定です。機会がありましたら、是非お読みいただきたいと思います。新しい吃音の臨床の提案になっています。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/16

 

小児科医師会の研修会


 昨日、香川県小児科医師会の研究会で講演をしてきました。
 今年の5月、全国医師会の研修会での私の講演を聞いて下さった方が、香川県でも話して欲しいと依頼を受けての講演です。これまで、北九州医師会、山口県医師会、尼崎市医師会で吃音の話をさせていただきました。小児科医師会のお医者さんが、吃音の話を聞いて下さるのはとてもありがたいことです。と言うのも、どもる子どものことが心配でまずお母さんが相談するのは、かかりつけの小児科の先生が多いと思うからです。
 ところが、何カ所かの小児科医師と話してわかっとは、どもる子どもの8割が自然治癒するという情報が行き渡っていて、「そのうちに自然に消えていくから心配しないで」という人が少なくないことです。自然治癒については、吃音の研究者の中でも8割という人もいれば、5割程度という人もあり、正確なところは分かりません。45パーセント程度がまあ妥当なところではないかと話しました。

 今回は。ナラティヴアプローチについて、英国王のスピーチに絡めて話しました。90分ほどみなさん真剣に耳を傾けて下さり、質問もして下さいました。また、私も吃音なので今日の話はよく分かりましたと言いに来て下さった方もいました。吃音については、まだ古い情報がそのまま使われているとの印象を持ちました。

 自然治癒について、不思議なことがあります。これまで吃音の発生率は1パーセントと言われてきました。そして、自然治癒は80パーセントともそれにあわせて言われてきました。しかし、この80パーセントはあまりにも多い数字だとは思っていましたが、最近アメリカでは、発生率は5パーセントど有症率が1パーセントとも言われるようになりました。とても奇妙な数字です。その発生率だと、80パーセントが自然治癒したことになります。自然治癒した後の治っていない人、つまり有症率1パーセントになります。そうすると、かつて、発生率が1パーセントと言われていたことを考えれば、どう考えればいいのでしょう。10年ほど前は1パーセントと言われていたのに、5パーセントに増えているのは、どういうことなのでしょう。首をかしげたくなります。

 いかに、数字というのはいいかげんなものかということなのでしょうか。自然治癒80パーセントと言われようが、45パーセントといわれようが、自分の子どもがどもり続けていれば、そんな数字は何の意味ももちません。
 数字でものを言うことは難しいとつくづく思います。
 とにかく、小児科の先生が、吃音について関心を持って下さったのは、とてもうれしいことでした。
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/15
2012年10月15日21時37分05秒0001

吃音親子サマーキャンプ 最終日・感動のフィナーレ


  卒業式も、先輩の挨拶もすばらしかった


 23回、吃音親子サマーキャンプを続けて来ましたが、本当に不思議に思うことがあります。一年一年と参加者が違うのだから、昨年はよかったけれど、今年のキャンプは、あまりよくなかったなどと、満足できずに帰る人もいるのではないかと、実は毎年不安なのです。これまでのキャンプもたくさんの感動場面があってよかったのですが、今年もすばらしいキャンプだったと、参加者のみなさんか言って下さいました。決してお世辞ではないことは、伝わってきます。
 最終日は劇の上演。そして卒業式です。今年も2人の卒業生がいました。高校3年生だから卒業と言うことではありません。3年以上参加していることが条件です。高校2年生から参加して、高校3年生のときも参加した人は、卒業式をしてもらえずに、もっと早くキャンプを知っていたら3年をクリアーできたのにと悔しがった人が何人もいます。
今年は、小学2年生から参加している、文句なしの卒業生と、ぎりぎり3年の卒業生がいました。つきあった年月に差はあるものの、私にとっては、ふたりとも印象深い卒業生でした。本人の挨拶、二人を支えた家族や友人の挨拶は感動的でした。涙、涙の卒業式でした。

 最後の振り返りに、今年大学を卒業する兵頭雅貴君を指名しました。
 彼の就職の苦労を知っていたからです。かれば、次のような話をしてくれました。
 将来のことを不安に思っている保護者の皆さんには、とても大きな勇気づけとなった話でした。それを紹介します。

     消防署の試験に合格     兵頭雅貴 
 
 僕は、春に消防署の試験を、大阪と東京を受けた。大阪は落ちたけど、東京は受かることができた。そのとき、いろいろ考えたことがあった。大阪の吃音教室には小学校の4年生のころ行っていたけど、もう10年くらい行ってなかった。10年ぶりくらいに参加して、相談させてもらった。そこで、やりたいことを自分からあきらめることはないというアドバイスをもらった。消防署の方から、どもっていてはだめだと言われたら、仕方がないけど、消防署もいっぱいあるし、10箇所くらい受けて、それでもだめだったら仕方ないけど、ということを言っていただいて、心が楽になった。
 面接を受けるときにも、どもるということをはっきり面接官に伝えて、どもり倒しました。それでも、合格することができた。これから消防署の学校に行かないといけないんですけど、そこも上下関係がめちゃくちゃ厳しいと聞いています。不安なことはいっぱいあるんですけど、僕は、初めにどもりだということを打ち明けて、それで合格しているのだから、後になってあっちが、どもることで何か言ってきても、僕としては反論できる。あかんのやったら、初めから落としておけやと言える。どもることを初めから言っておいて、それはよかったと思います。
 今、こうして前に出たので、ちょっと言いたいことがあります。今、いろいろ悩んでいる人が多いと思うんですけど、僕も最近までずっとそうだったんですけど、自分のことがどんどん嫌になっていく。頭では分かっているのに、一歩が踏み出せない自分が本当に嫌で嫌でした。だから、自分のことを嫌いにならないような選択をしていけば、少しは楽になるのではないかなと思いました。こんな意見をもあるよということを心の片隅においておいていただければと思います。

吃音親子サマーキャンプ 2日目


 伝統の力

サマーキャンプ2日目は、作文教室からスタートします。朝食をとった食堂が作文教室会場に変わります。衛生面を考えて、スタッフが手際よく、テーブルに白い紙を敷いていきます。書き終わってからも、消しゴムのカスが残らないよう最新の注意を払います。だから、食堂の方も許して下さるのでしょう。ありがたいことです。

 「どもりのことについて作文を書きます。昨日の夜は、どもることで話し合いをしました。みんなでどもりのことについて考えたね。この時間は、ひとりで自分のどもりに向き合う時間です。どもる子は、自分のどもりのことで嫌だったこと、悔しかったこと、悲しかったこと、うれしかったことなど、できるだけ具体的に書きましょう。お父さんやお母さんはご自分のお子さんのどもることについてのエピソードを具体的に書きましょう。きょうだいで参加している子は、自分のきょうだいのどもりのことについて書いてね。ことばの教室の先生やスピーチセラピストの方は、ご自分が指導していらっしゃるお子さんのことを書いてみましょう。タイトルをつけて下さい。どうしても書けない人は、その書けない自分と向き合いましょう」

 そんなふうに呼びかけると、食堂は静かになり、鉛筆の音だけが静かに響きます。本当にシンプルに呼びかけるだけです。話し合いのとき、「じゃ、今から話し合いを始めます」と言ってスタートするのと同じです。これだけで成立していくのですから、キャンプのいい文化が文化として根付いていっているのを感じます。
 書き上げた子どもたちが、作文用紙を持って並びます。目を通して、足りないところを指摘し、書き足してもらいます。また、しっかり書けている子とは、そのことについてことばを交わします。書いた作文を通して、会話が成立します。2度、3度、書き直したり、書き足したりしに、自分の席に戻っていく子もいます。親たちも、久しぶりの原稿用紙を前に苦労しながら原稿用紙のマス目を埋めているようです。同時に並行プログラムとして行われているサマキャン基礎講座に参加しているスタッフ以外は全員が書いています。その光景は壮観です。

 サマキャン基礎講座は、サマキャンに参加するのが初めて、あるいは2度目というスタッフが対象です。とりあえず一日参加した後、自分の経験したことをもとに、この基礎講座に参加します。疑問に思ったこと、聞いたみたいことなどを出し合います。長年サマキャンに参加しているスタッフがそれに答えていきます。サマキャン卒業生で、スタッフになった子たちにとっては、サマキャンの裏側というか、背景を初めて知ることにもなります。貴重な経験のようです。

 作文の後は、2回目の話し合いです。作文を書いたことで、話が深まることもあります。それぞれが自分と、自分のどもりと向き合ったことで、起きることなのでしょう。

 午後は、芝居の練習が始まります。以前は、スタッフが、早く配役を決めて練習をしなきゃと思ったようですが、昨年あたりから変わってきています。4つのグループに分かれて練習をしているので、それぞれどんなふうに練習をしているか分かりません。その練習の様子を交流したことで、ヒントをもらい、芝居の練習風景が変わっていったのです。声をだすこと、相手に届く声を出すこと、相手に働きかけるからだをつくること、そんなことから始めるグループが多いようです。みんなでセリフを言ってみて、どんなふうに言ったらいいか、考えるグループもあります。せりふを言う役だけでなく、言われる側や、そのやりとりはしていないけれど、同時にその舞台に出ている者の動きも大切です。どんな気持ちで聞いているのだろうか、こんなせりふを言われたらどんな気持ちになるだろう、どんなからだになるだろう、そんな問いかけから、小さなエクササイズやワークのようなものが生まれているグループもあるようです。いろいろやってみて、最後に配役を決めたというところが多かったようでした。
 その後は、唯一の野外活動である、荒神山へのウォークラリーです。私は親の学習会をしているので、残念ながら一度もこのウォークラリーには参加していません。かなりきつい行程のようですが、頂上に着くと、眼下に琵琶湖がきれいに見えるそうです。そこで、キャンプの間は口にすることのないおやつを食べます。この時間だけ許されているのですが、それも楽しみのひとつのようです。今年は、年上のお兄ちゃんお姉ちゃんたちを中心に縦割りを意識させてウォークラリーをしました。年上の子どもたちに大事な役割を持ってもらったのです。この試みは大成功でした。実に細やかに、小さい子どもたちの世話をし、配慮をし、声を掛け合っていました。スタッフの高齢化に伴う苦肉の策だったこともあるのですが、いい効果をもたらしたようです。

 子どもたちが芝居の練習やウォークラリーを楽しんでいる間、親たちは、学習室で親の学習会に参加しています。今年は、親の参加が54名。かなりの大所帯です。机といすを配置し、「吃音ワークブック」をテキストに、親ならではの学習を進めます。この学習会は午後5時過ぎまで続きます。

 子どもたちが山から下りてきました。今日の夕食は、外で食べます。木でできた大きなテーブルに、子どもたちも親たちもそれぞれ思い思いに座ります。親子で座っているかと思えば、全然別の親子だったり、きょうだいかと思ったらそうではなかったり、入り交じっています。ごはんをよそい、カレーをかけて準備しているのは、お父さんたちです。今年父親は19名参加しています。複数回参加している父親が呼びかけたようで、初参加の父親もよく動いて下さいました。周りは少しずつ暗くなっていきます。静かです。みんなが座っているところだけがにぎやかで、明るく浮かび上がっています。大きな大きな家族の夕食の団らんの光景です。まさに吃音ファミリーです。その光景を見るたびに私は幸せな気持ちになります。
 
 こうして2日目が過ぎていきます。いえ、まだ夜の部がありました。子どもたちは、芝居の練習です。親たちは、子どもより先に入浴し、フリートーク。学習室には大きな輪がいくつもできました。父親も母親も適当に混ざって、話は尽きないようです。
 子どもたちはいよいよ配役も決まり、本格的な練習が始まりました。こうしてキャンプ2日目が静かに過ぎていきました。
 
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/08

吃音親子サマーキャンプ


 今回は張り切って、写真を使って吃音親子サマーキャンプを報告しようと考えたのですが、大学の集中講義や、講演などのスケジュール。今、3冊の冊子や書籍の執筆に追われて、またまた更新が滞ってしまいました。
 幸い、7月にリニューアルした日本吃音臨床研究会のホームページに、吃音親子サマーキャンプのたくさんの写真と報告が掲載されつつあります。そのホームページをお読みいただくことで、私はキャンプの話題から一時離れようと思います。是非、ホームページをのぞいてみて下さい。どんどん成長するホームページになっています。

 ホームページは次のアドレスです。
 http://kituonkenkyu.org/

 セルフヘルプグループの部屋では、朝日の福祉ガイドブックが掲載されています。セルフヘルプグループの貴重な資料です。また、ことばの教室の実践集も全編掲載しています。
 関心のありそうな方に、是非お知らせ下さい。よろしくお願いします。
 明日は、キャンプの卒業式について、少し書こうと思います。

 また、オオカミ少年のようですか、書いていきますので、よろしくお願いします。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/03
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