2012年4月13日(金)
2012年度の大阪吃音教室が開講しました。
毎年の開校式では、自己紹介の意味合いで、また吃音についての情報を共有する意味でも、参加者がみんなに聞きたい質問をして、4つのグループに分かれることをします。これを聞きたいと質問を出した人が、4つのグループにインタビューするという形です。これがなかなかおもしろい。
【1】 いつから吃りはじめたか? (1) 小学校まで (2) 小学校 (3) 中〜大学 (4) 社会人
【2】 どもりの原因は? (1) 真似 (2) 遺伝 (3) ○○が原因 (4) 不明
【3】 どもりをカミングアウトしているか? (1) 家族 (2) 職場 (3) 一般社会すべて (4) 無し
【4】 一番苦手な場面は? (1) 電話 (2) 人前でのスピーチ (3) 本読み (4) 雑談
初参加の人が5人いたので、本人の自己紹介と、その人への質問にかなりの時間をかけましたので、質問は4つでしたが、いろいろとバラエティーにとむ吃音に関する質問がだされました。
どもり始めたのはやはり、小学入学前が多かったですが、中学や、高校生になったからの人も、4人ほどいましたし、初参加の48歳の男性は、それまでまったくどもらなかったし、意識もなかったのが、自己紹介の時、自分の名前がなぜか出なくなり、それから、言いにくくなったそうで、10年前のことだそうです。
アメリカの言語病理学は、よほど強く頭を打たない限り、10歳を超えてどもり始めることは、ほとんどないと言い切っていますが、たくさんの人が集まる、セルフヘルプグループには、10歳を超えてからどもり始めた人は少なくありません。
言語聴覚士の専門学校では、「発達性吃音」と「獲得性吃音」があると教えなければなりません。国家試験にそう出題されるからです。10歳前にどもり始めるのを発達性で、それ以降を獲得性といいます。それを、「心因性吃音」と「症候性吃音」に分けます。脳卒中や交通事故で脳にダメージを受けると、失語症になりますが、吃音によく似た話し方になります。それを以前は吃音ではなく、「吃様症状」として、吃音とは考えず、失語症の言語症状のひとつだと考えていました。このように分け方をすると、これと違って原因が明確でないものはすべて「心因性」になってしまいます。高校生になってから、38歳になってからと言った人は、「心因性」と言えるような強いきっかけはないのです。「発達性」「獲得性」とはばかげた分け方だと改めて思います。
これらの質問コーナーの後、私が参加者の質問をうけて少し話しました。
質問「どもりが治せないという根拠は?」
伊藤「治っていないという事実を言っています。これまで数千人のどもる人に会ってきたが、誰一人として治ったという人に、私は出会っていない」
質問「吃音の症状を軽減させることは可能か?」
伊藤「吃音は自然に変わるもの。自然に変わっていくものに身をゆだねるしかない。軽減させることを目的にして努力しても変わらないが、話すことから逃げない生活の中で、結果として軽減されることは少なくない。どもる人の本当の苦しみは“どもれない苦しみ”で、「どもってもいい」と考えられたら、話せない場面はなくなる。アメリカは、吃音コントローと称して、ごまかす方法を教えている。大切なのは「自分がラクに生きられるか」で、この吃音教室に来て、「どもれる喜び」を味わった人は多い。気持ちが解放され、“伝える”ことの大事さに気づく。価値観が変わる。
質問「どもりを受け入れている人は、他人からのプレッシャーを感じないのか?」
伊藤「受容とか受け入れるという言葉を僕たちは使わない。受容する、受け入れるということは、そんなに簡単なものではない。生涯かけて少しずつ感じていく、プロセスだ。死ぬ直前に感じるものかもしれない。受容する、受け入れるという表現より「どもる事実を受け入れよう」と私たちは言う。どもる事実を認めていても、他人からのプレッシャーからでなくても、恥ずかしいとか、どもりたくない、という気持ちも当然ある。しかし、基本的にはどもる事実を認める。吃音を受け入れられない自分も認め、恥ずかしくても、どもりたくなくても、逃げずに話していく。その生活の中で、どもる事実をさらに認められるようになる。
三重県の津市で、小学生と話したとき驚いた。僕たちは、“普通”になりたくて、もがいてきたが、4年生の男の子が、「どもりを治したくない。少数だからいい。普通になりたくない」と言った。岡山の子どもが、吃音は「責任」だという表現をしていた。「どもる僕たちには、吃音を理解してもらうためにも、どもる責任がある」と言っていた。
あといくつかのやりとりがありましたが、最後に締めくくったのが次のことはです。
「吃音と共に生きる」を難しいと人は言うが、どんなに治したいと、治そうと試みて努力している人であっても、吃音を認められずにいる人であっても、現実には社会生活を送っている人は、「吃音と共に生きている」。ただ、不本意ながら吃音と共に生きるのと、「どもったままでいい」と、納得して生きている違いがあるだけだ。
どっちみち、吃音と共に生きるのなら、納得して生きていきたい。大阪吃音教室では、納得して、覚悟を決めて吃音と共に生きるには、何を知り、勉強し、練習すればいいかを考えています。新しく参加した人も、是非継続して来て下さい。
日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2012/04/27
2012年度の大阪吃音教室が開講しました。
毎年の開校式では、自己紹介の意味合いで、また吃音についての情報を共有する意味でも、参加者がみんなに聞きたい質問をして、4つのグループに分かれることをします。これを聞きたいと質問を出した人が、4つのグループにインタビューするという形です。これがなかなかおもしろい。
【1】 いつから吃りはじめたか? (1) 小学校まで (2) 小学校 (3) 中〜大学 (4) 社会人
【2】 どもりの原因は? (1) 真似 (2) 遺伝 (3) ○○が原因 (4) 不明
【3】 どもりをカミングアウトしているか? (1) 家族 (2) 職場 (3) 一般社会すべて (4) 無し
【4】 一番苦手な場面は? (1) 電話 (2) 人前でのスピーチ (3) 本読み (4) 雑談
初参加の人が5人いたので、本人の自己紹介と、その人への質問にかなりの時間をかけましたので、質問は4つでしたが、いろいろとバラエティーにとむ吃音に関する質問がだされました。
どもり始めたのはやはり、小学入学前が多かったですが、中学や、高校生になったからの人も、4人ほどいましたし、初参加の48歳の男性は、それまでまったくどもらなかったし、意識もなかったのが、自己紹介の時、自分の名前がなぜか出なくなり、それから、言いにくくなったそうで、10年前のことだそうです。
アメリカの言語病理学は、よほど強く頭を打たない限り、10歳を超えてどもり始めることは、ほとんどないと言い切っていますが、たくさんの人が集まる、セルフヘルプグループには、10歳を超えてからどもり始めた人は少なくありません。
言語聴覚士の専門学校では、「発達性吃音」と「獲得性吃音」があると教えなければなりません。国家試験にそう出題されるからです。10歳前にどもり始めるのを発達性で、それ以降を獲得性といいます。それを、「心因性吃音」と「症候性吃音」に分けます。脳卒中や交通事故で脳にダメージを受けると、失語症になりますが、吃音によく似た話し方になります。それを以前は吃音ではなく、「吃様症状」として、吃音とは考えず、失語症の言語症状のひとつだと考えていました。このように分け方をすると、これと違って原因が明確でないものはすべて「心因性」になってしまいます。高校生になってから、38歳になってからと言った人は、「心因性」と言えるような強いきっかけはないのです。「発達性」「獲得性」とはばかげた分け方だと改めて思います。
これらの質問コーナーの後、私が参加者の質問をうけて少し話しました。
質問「どもりが治せないという根拠は?」
伊藤「治っていないという事実を言っています。これまで数千人のどもる人に会ってきたが、誰一人として治ったという人に、私は出会っていない」
質問「吃音の症状を軽減させることは可能か?」
伊藤「吃音は自然に変わるもの。自然に変わっていくものに身をゆだねるしかない。軽減させることを目的にして努力しても変わらないが、話すことから逃げない生活の中で、結果として軽減されることは少なくない。どもる人の本当の苦しみは“どもれない苦しみ”で、「どもってもいい」と考えられたら、話せない場面はなくなる。アメリカは、吃音コントローと称して、ごまかす方法を教えている。大切なのは「自分がラクに生きられるか」で、この吃音教室に来て、「どもれる喜び」を味わった人は多い。気持ちが解放され、“伝える”ことの大事さに気づく。価値観が変わる。
質問「どもりを受け入れている人は、他人からのプレッシャーを感じないのか?」
伊藤「受容とか受け入れるという言葉を僕たちは使わない。受容する、受け入れるということは、そんなに簡単なものではない。生涯かけて少しずつ感じていく、プロセスだ。死ぬ直前に感じるものかもしれない。受容する、受け入れるという表現より「どもる事実を受け入れよう」と私たちは言う。どもる事実を認めていても、他人からのプレッシャーからでなくても、恥ずかしいとか、どもりたくない、という気持ちも当然ある。しかし、基本的にはどもる事実を認める。吃音を受け入れられない自分も認め、恥ずかしくても、どもりたくなくても、逃げずに話していく。その生活の中で、どもる事実をさらに認められるようになる。
三重県の津市で、小学生と話したとき驚いた。僕たちは、“普通”になりたくて、もがいてきたが、4年生の男の子が、「どもりを治したくない。少数だからいい。普通になりたくない」と言った。岡山の子どもが、吃音は「責任」だという表現をしていた。「どもる僕たちには、吃音を理解してもらうためにも、どもる責任がある」と言っていた。
あといくつかのやりとりがありましたが、最後に締めくくったのが次のことはです。
「吃音と共に生きる」を難しいと人は言うが、どんなに治したいと、治そうと試みて努力している人であっても、吃音を認められずにいる人であっても、現実には社会生活を送っている人は、「吃音と共に生きている」。ただ、不本意ながら吃音と共に生きるのと、「どもったままでいい」と、納得して生きている違いがあるだけだ。
どっちみち、吃音と共に生きるのなら、納得して生きていきたい。大阪吃音教室では、納得して、覚悟を決めて吃音と共に生きるには、何を知り、勉強し、練習すればいいかを考えています。新しく参加した人も、是非継続して来て下さい。
日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2012/04/27