人は、他者との関係の中で変わることができる
前回、結婚式で両親への感謝の手紙を読んだ女性の話題がありました。
この、Dさんについて、私なりの感想を書きます。
私はおそらく世界一だと考えていることがあります。どもる人、どもる子ども、どもる子どもの親に直接出会った数です。1965年秋、どもる人のセルフヘルプグループ「言友会」を創立し、現在は言友会を離れたものの、長年全国組織の会長としてたくさんのどもる当事者と会ってきました。さらに、1986年には、世界で初めてのどもる人の世界大会を京都で開催し、世界中のどもる人に会ってきました。
言友会を離脱してからは、大阪スタタリングプロジェクトや神戸スタタリングプロジェクト、日本吃音臨床研究会の様々な活動や、吃音親子サマーキャンプなどで、たくさんの人と出会ってきました。
その中には、記憶として残るたくさんの人がいます。
講演や講義の時、何かの質問をされたとき、私のコンピューターが働きます。瞬時に、その話題にふさわしいどもる人の顔が、体験がよみがえります。
Dさんの体験も、私のハードディスクに収まりました。折に触れ紹介していくことになるだろうと思います。
Dさんが最初、大阪吃音教室に参加した時のことを覚えています。人と話すとき、大勢でも、少人数でもかなりどもり、仕事をやめたい、やめようと考えていたころ、私たちと出会いました。上司がいい人で、吃音について相談したが、やめなくてもいいと、言ってくれました。そのことを最初の日に話すのですが、まず、自分の名前を言うのに一苦労で、その後の話もかなりどもっていましたが、最後まで言い切っていました。
その日から、彼女は毎週金曜日の大阪吃音教室に通い続けました。「吃音を治したい」「自分を変えたい」と必死に訴える人でも、実際にそのために努力をする人はほとんどいません。それは、数千人以上のどもる人に出会っての実感です。誰かに治してもらいたい。自分はあまり変えないで、周りが変わって欲しい。そのように感じる人と、たくさん出会ってきました。
しかし、彼女は違いました。この大阪吃音教室で何かを掴もうとしている。その熱意が感じられました。そこで、私は初めて、吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加しないかとすすめました。これまで参加したいと申し込んでくる大学生や成人のどもる人がいたのですが、すべて、キャンプへの参加を断ってきました。以前のブログに書いたような気がしますので、詳しくは書きませんが、この参加は、彼女にとっても、吃音に悩む女子高校生にとっても大きな意味をもちました。そして、吃音ショートコースの「当事者研究」にも参加し、みずからみんなの前で当事者研究をしました。自分の吃音と真摯に向き合い、誠実に他者と関わろうとする。何かが変わらないはずがありません。
3月23日の大阪吃音教室で彼女は結婚式で両親への手紙を読んだことを報告しました。
吃音教室の仲間は、自分のことのように、とても喜びました。結婚式の司会者がアナウンサーのように、きれいに朗読するのを聞いたことがあります。誰かに代読してもらうことも可能だったろうに、どもりながら、どもりながら手紙を自分で読み上げる。そのシーンを想像しただけで胸が熱くなります。
1年前に、会社を辞めようかとさえ思っていた彼女が、仕事を辞めずに続け、結婚を機に辞めたものの、大きなハードルであったであろう、手紙の朗読をして、それを誇らしげに報告してくれたことに、仲間として幸せな気持ちになれたのでした。
どもる男性の最後にくるハードルのひとつは、息子の結婚式で、新郎の父親として参列者に挨拶することです。それが不安で、富山から私の所に通ってきた人がいました。女性にとってのハードルは今まで知らなかったのですが、この両親への感謝の手紙になるのでしょう。
人は変わることができます。しかし、一人で座禅したりヨガをしたりして変わるものではありません。
だからと言って、難行苦行の厳しい学問や修行は誰にでもできることでありません。それが必要なら、私たち凡人は変わることはできないでしょう。誰でもがそんなに苦労せずにできることはないでしょうか。
浄土宗の開祖、法然は誰もができるやさしい行いを「易行(いぎょう)」として選択しました。
私はなまけものです。努力をそんなにできる体質ではありません。私は、ただ、自分が創立した言友会に参加し続けました。それは大した苦労ではありませんでした。むしろ、とても楽しいものでした。その楽な、楽しい行動の中で、私は変わっていきました。
彼女は、大阪吃音教室に通い続けました。都合をつけて、他の用事を捨てて、断って参加し続けたのには努力はいったでしょうが、大阪吃音教室は苦行の修行の場ではありません。ただ、他者の体験、発言に耳を傾け、自分も発言する。話したり、文章に書いたり、一緒に遊びに行ったりする中で、彼女は変わっていったのです。遊びや趣味だけの仲間ではなく、人生を真剣に考え、吃音にしっかりと向き合っている仲間の輪の中だったから、変わっていったのだと、私は思います。
ただ、大阪吃音教室に参加するだけでいい。継続して参加するだけでいい。その中で、何か動いてくるものがある。そして人は変わっていく。
大阪吃音教室はそのような不思議な「場」「装置」なのです。
日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月28日
前回、結婚式で両親への感謝の手紙を読んだ女性の話題がありました。
この、Dさんについて、私なりの感想を書きます。
私はおそらく世界一だと考えていることがあります。どもる人、どもる子ども、どもる子どもの親に直接出会った数です。1965年秋、どもる人のセルフヘルプグループ「言友会」を創立し、現在は言友会を離れたものの、長年全国組織の会長としてたくさんのどもる当事者と会ってきました。さらに、1986年には、世界で初めてのどもる人の世界大会を京都で開催し、世界中のどもる人に会ってきました。
言友会を離脱してからは、大阪スタタリングプロジェクトや神戸スタタリングプロジェクト、日本吃音臨床研究会の様々な活動や、吃音親子サマーキャンプなどで、たくさんの人と出会ってきました。
その中には、記憶として残るたくさんの人がいます。
講演や講義の時、何かの質問をされたとき、私のコンピューターが働きます。瞬時に、その話題にふさわしいどもる人の顔が、体験がよみがえります。
Dさんの体験も、私のハードディスクに収まりました。折に触れ紹介していくことになるだろうと思います。
Dさんが最初、大阪吃音教室に参加した時のことを覚えています。人と話すとき、大勢でも、少人数でもかなりどもり、仕事をやめたい、やめようと考えていたころ、私たちと出会いました。上司がいい人で、吃音について相談したが、やめなくてもいいと、言ってくれました。そのことを最初の日に話すのですが、まず、自分の名前を言うのに一苦労で、その後の話もかなりどもっていましたが、最後まで言い切っていました。
その日から、彼女は毎週金曜日の大阪吃音教室に通い続けました。「吃音を治したい」「自分を変えたい」と必死に訴える人でも、実際にそのために努力をする人はほとんどいません。それは、数千人以上のどもる人に出会っての実感です。誰かに治してもらいたい。自分はあまり変えないで、周りが変わって欲しい。そのように感じる人と、たくさん出会ってきました。
しかし、彼女は違いました。この大阪吃音教室で何かを掴もうとしている。その熱意が感じられました。そこで、私は初めて、吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加しないかとすすめました。これまで参加したいと申し込んでくる大学生や成人のどもる人がいたのですが、すべて、キャンプへの参加を断ってきました。以前のブログに書いたような気がしますので、詳しくは書きませんが、この参加は、彼女にとっても、吃音に悩む女子高校生にとっても大きな意味をもちました。そして、吃音ショートコースの「当事者研究」にも参加し、みずからみんなの前で当事者研究をしました。自分の吃音と真摯に向き合い、誠実に他者と関わろうとする。何かが変わらないはずがありません。
3月23日の大阪吃音教室で彼女は結婚式で両親への手紙を読んだことを報告しました。
吃音教室の仲間は、自分のことのように、とても喜びました。結婚式の司会者がアナウンサーのように、きれいに朗読するのを聞いたことがあります。誰かに代読してもらうことも可能だったろうに、どもりながら、どもりながら手紙を自分で読み上げる。そのシーンを想像しただけで胸が熱くなります。
1年前に、会社を辞めようかとさえ思っていた彼女が、仕事を辞めずに続け、結婚を機に辞めたものの、大きなハードルであったであろう、手紙の朗読をして、それを誇らしげに報告してくれたことに、仲間として幸せな気持ちになれたのでした。
どもる男性の最後にくるハードルのひとつは、息子の結婚式で、新郎の父親として参列者に挨拶することです。それが不安で、富山から私の所に通ってきた人がいました。女性にとってのハードルは今まで知らなかったのですが、この両親への感謝の手紙になるのでしょう。
人は変わることができます。しかし、一人で座禅したりヨガをしたりして変わるものではありません。
だからと言って、難行苦行の厳しい学問や修行は誰にでもできることでありません。それが必要なら、私たち凡人は変わることはできないでしょう。誰でもがそんなに苦労せずにできることはないでしょうか。
浄土宗の開祖、法然は誰もができるやさしい行いを「易行(いぎょう)」として選択しました。
私はなまけものです。努力をそんなにできる体質ではありません。私は、ただ、自分が創立した言友会に参加し続けました。それは大した苦労ではありませんでした。むしろ、とても楽しいものでした。その楽な、楽しい行動の中で、私は変わっていきました。
彼女は、大阪吃音教室に通い続けました。都合をつけて、他の用事を捨てて、断って参加し続けたのには努力はいったでしょうが、大阪吃音教室は苦行の修行の場ではありません。ただ、他者の体験、発言に耳を傾け、自分も発言する。話したり、文章に書いたり、一緒に遊びに行ったりする中で、彼女は変わっていったのです。遊びや趣味だけの仲間ではなく、人生を真剣に考え、吃音にしっかりと向き合っている仲間の輪の中だったから、変わっていったのだと、私は思います。
ただ、大阪吃音教室に参加するだけでいい。継続して参加するだけでいい。その中で、何か動いてくるものがある。そして人は変わっていく。
大阪吃音教室はそのような不思議な「場」「装置」なのです。
日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月28日