2010年11月20日 横浜で相談・講演会がありました。
自分が言われて嫌なこと、されて嫌なことはしない
私の講演相談会はだいたい、参加者の質問から入ります。話したいこと、是非伝えたいことがあるのですが、参加して下さった皆さんが「本当はこのことを知りたかったが、話してもらえなかった」と思ってお帰りになるのは、とても申し訳ないと思うからです。
また、私は本をたくさん書いています。特に「親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック」(解放出版社)には、かなり詳しく書いているので、最近は、「必ず、絶対に」などの表現で買って下さいとお願いしています。わざわざ、講演会に足を運んで下さる人ですから、吃音と深い関わりのある人たちです。せっかく、私という、少数派の吃音についての考えに出会ったのですから、やはり、本で確認していただきたいのです。
最近は、本を買っていただくために全国を回っているのではないかと思うくらい、お願いをしているような気がします。講演会などで、いろんな質問に出会う度に、読んでいただきたいとの思いが強くなります。とてもいい本だと思います。
というような前置きをしていますので、まとまった話は本を読んでいただくことにして、今、その人が本当に困っていること、知りたいことを話したいのです。
まず、ひとりの父親が質問しました。スタッフがメモをしたものを元に再現していますので、少しはズレがあるかもしれませんが、大筋は間違いはないと思いますので、これから、できるだけ紹介します。私の記録にもなるからです。
父親
小学1年生の男の子です。
友だちに吃ることを指摘されたこともあって、本人が自覚しているのかどうかは分かりませんが、授業参観に行ったとき、班で討議しなさいと言われても、じっと座っているだけで、うちの子どもは全然発言しないんです。
性格的なものなのか、吃ることが原因なのか、分からないけれど、親としては「もっと活発に友だちと遊んだり、発言しなさい」と、言ってあげた方がいいのか。どうでしょうか。
伊藤
私は子育てや、教育の基本として考えているのが、「自分が言われて嫌なこと、自分がされて嫌なことはしないでおこう」です。もしあなたが、職場であまり積極的なほうではなく、たまたまひとりでいた時に、職場の上司から、「君なあ、職場は人間関係が大事なんだから、ひとりでいないで、もう少し、積極的にみんなと交わったらどうなんだ。また、会議でもあまり発言しないようだけど、もうちょっと積極的にしてもらわないと困るね」と言われたらどうですか。
父親
そうですね。困りますね。それは、嫌ですね。
伊藤
嫌でしょう。お子さんも、積極的に発言したいと思っているのに、なかなかできないのかもしれない。原因がどうであれ、したいと思いながらなかなかできない時、親からさきほどのようなことを言われたら、その子の現在を「お前はだめだ」と否定しているとになりませんか。だから、そんなこと言わない方がいいです。言われてもできないですし。「自分は能力のない、だめな人間だ」と思うだけですよ。
僕は、課題という言い方をしますが、どんなに親が子どものことを心配して、こうあって欲しいと思っても、不安や心配は親の課題です。
どんなに苦しくても辛くても、子どもは、周りの人の力を借りることがあったとしても、基本的には、自分の力で、自分の課題に向き合っていかなければならない、なんとかしなければならない。学校で勉強する、宿題をする、友だちとうまくやっていく、楽しい学校生活にするのは子どもの課題であって、親の課題ではない。
学校で起こっていることに、親としてできることはほとんどない。親としてできることは、子どもが安心していられる居場所を家庭の中でつくることです。家庭の中で、こうしろとかああしろとか言われずに、自分のそのままでいられるできる場所をつくることが親としてできることで、学校生活について親としてできることはない。
自覚しているかどうか分からない、と言われましたが、子どもと、吃音について話し合っていないのですね。友だちに言われたりすることもあるんですか?
親としては、子どもから吃音について尋ねられたり、子どもの友達から、吃音について指摘されたり、尋ねられたりすることは、嫌なんでしょうね。指摘されることを不安に思ったり、マイナスのものと考えるのでしょうが、僕はそうは考えないで、チャンスだと思った方がいいと思うんです。
子ども本人が親に、「どうして僕、こんな話し方なの」と聞いてきたり、友だちが、「おっちゃん、00君の話し方、なんでこうなん」と聞いてきたときに、嫌だと思わずに、「よかった。よく聞いてきてくれた。ちゃんと説明しょう」と待っていたらいいんです。
子ども扱いしないで、正直に、率直に吃音について勉強したことを話してあげればいいんです。小さな子どもであったとしても、こう言われたら、こう言おうと準備をすることは親としてできることですね。
今回の話のキーワードにしたいのが、常に複数の選択肢があるということです。
友だちが、吃ることを笑ったり、からかったりして、それが嫌だ、どうしようと子どもが相談してきたら、話し合って下さい。吃音について、友だちに説明できるチャンスがきたと思いましょう。その説明を、子ども本人が言うか、親が言うか、担任に言ってもらうか、いくつかの選択肢を子どもと相談する。相談するということが極めて大事だと、私は常に言い続けてきました。常に子どもと相談して下さい。
相談するということは、アドバイスするのではなくて、対等の人間として話し合うのです。子どもを常に対等と考えるということです。親と子、先生と子としての役割はあるけれど、人間としてはあくまでも対等です。親がよかれと思って、先回りして行動を起こしたり、言ったりするのではない。親が先回りして、子どものためだとしてしまうと、自分の課題は自分で取り組み、解決できるという子どもの能力、力をそいでしまう。
相談して、子どもができること、親ができることを仕分けることが大切で、頼まれたからと言って、全てを親がしなければならないわけではないし、すべて、子どもだけがしなければならないことではない。「こうして欲しい」と、子どもがことばで、ちゃんと言ってきたことは、手伝うこともできますが、できるだけ、手出しをしないというのが、子育ての基本だと思います。
僕は今、自分の父親母親にありがたかったと感謝しています。子どもの頃から、勉強しろ、友だちと遊べ、ともだちをたくさん作れといわれたことがない。今、それはありがたかったと思います。ご質問に応えたことになりますか?
「分かりました」と言っていただいたので、この話題は終わり、次の質問に移りました。
2010/11/30 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二
自分が言われて嫌なこと、されて嫌なことはしない
私の講演相談会はだいたい、参加者の質問から入ります。話したいこと、是非伝えたいことがあるのですが、参加して下さった皆さんが「本当はこのことを知りたかったが、話してもらえなかった」と思ってお帰りになるのは、とても申し訳ないと思うからです。
また、私は本をたくさん書いています。特に「親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック」(解放出版社)には、かなり詳しく書いているので、最近は、「必ず、絶対に」などの表現で買って下さいとお願いしています。わざわざ、講演会に足を運んで下さる人ですから、吃音と深い関わりのある人たちです。せっかく、私という、少数派の吃音についての考えに出会ったのですから、やはり、本で確認していただきたいのです。
最近は、本を買っていただくために全国を回っているのではないかと思うくらい、お願いをしているような気がします。講演会などで、いろんな質問に出会う度に、読んでいただきたいとの思いが強くなります。とてもいい本だと思います。
というような前置きをしていますので、まとまった話は本を読んでいただくことにして、今、その人が本当に困っていること、知りたいことを話したいのです。
まず、ひとりの父親が質問しました。スタッフがメモをしたものを元に再現していますので、少しはズレがあるかもしれませんが、大筋は間違いはないと思いますので、これから、できるだけ紹介します。私の記録にもなるからです。
父親
小学1年生の男の子です。
友だちに吃ることを指摘されたこともあって、本人が自覚しているのかどうかは分かりませんが、授業参観に行ったとき、班で討議しなさいと言われても、じっと座っているだけで、うちの子どもは全然発言しないんです。
性格的なものなのか、吃ることが原因なのか、分からないけれど、親としては「もっと活発に友だちと遊んだり、発言しなさい」と、言ってあげた方がいいのか。どうでしょうか。
伊藤
私は子育てや、教育の基本として考えているのが、「自分が言われて嫌なこと、自分がされて嫌なことはしないでおこう」です。もしあなたが、職場であまり積極的なほうではなく、たまたまひとりでいた時に、職場の上司から、「君なあ、職場は人間関係が大事なんだから、ひとりでいないで、もう少し、積極的にみんなと交わったらどうなんだ。また、会議でもあまり発言しないようだけど、もうちょっと積極的にしてもらわないと困るね」と言われたらどうですか。
父親
そうですね。困りますね。それは、嫌ですね。
伊藤
嫌でしょう。お子さんも、積極的に発言したいと思っているのに、なかなかできないのかもしれない。原因がどうであれ、したいと思いながらなかなかできない時、親からさきほどのようなことを言われたら、その子の現在を「お前はだめだ」と否定しているとになりませんか。だから、そんなこと言わない方がいいです。言われてもできないですし。「自分は能力のない、だめな人間だ」と思うだけですよ。
僕は、課題という言い方をしますが、どんなに親が子どものことを心配して、こうあって欲しいと思っても、不安や心配は親の課題です。
どんなに苦しくても辛くても、子どもは、周りの人の力を借りることがあったとしても、基本的には、自分の力で、自分の課題に向き合っていかなければならない、なんとかしなければならない。学校で勉強する、宿題をする、友だちとうまくやっていく、楽しい学校生活にするのは子どもの課題であって、親の課題ではない。
学校で起こっていることに、親としてできることはほとんどない。親としてできることは、子どもが安心していられる居場所を家庭の中でつくることです。家庭の中で、こうしろとかああしろとか言われずに、自分のそのままでいられるできる場所をつくることが親としてできることで、学校生活について親としてできることはない。
自覚しているかどうか分からない、と言われましたが、子どもと、吃音について話し合っていないのですね。友だちに言われたりすることもあるんですか?
親としては、子どもから吃音について尋ねられたり、子どもの友達から、吃音について指摘されたり、尋ねられたりすることは、嫌なんでしょうね。指摘されることを不安に思ったり、マイナスのものと考えるのでしょうが、僕はそうは考えないで、チャンスだと思った方がいいと思うんです。
子ども本人が親に、「どうして僕、こんな話し方なの」と聞いてきたり、友だちが、「おっちゃん、00君の話し方、なんでこうなん」と聞いてきたときに、嫌だと思わずに、「よかった。よく聞いてきてくれた。ちゃんと説明しょう」と待っていたらいいんです。
子ども扱いしないで、正直に、率直に吃音について勉強したことを話してあげればいいんです。小さな子どもであったとしても、こう言われたら、こう言おうと準備をすることは親としてできることですね。
今回の話のキーワードにしたいのが、常に複数の選択肢があるということです。
友だちが、吃ることを笑ったり、からかったりして、それが嫌だ、どうしようと子どもが相談してきたら、話し合って下さい。吃音について、友だちに説明できるチャンスがきたと思いましょう。その説明を、子ども本人が言うか、親が言うか、担任に言ってもらうか、いくつかの選択肢を子どもと相談する。相談するということが極めて大事だと、私は常に言い続けてきました。常に子どもと相談して下さい。
相談するということは、アドバイスするのではなくて、対等の人間として話し合うのです。子どもを常に対等と考えるということです。親と子、先生と子としての役割はあるけれど、人間としてはあくまでも対等です。親がよかれと思って、先回りして行動を起こしたり、言ったりするのではない。親が先回りして、子どものためだとしてしまうと、自分の課題は自分で取り組み、解決できるという子どもの能力、力をそいでしまう。
相談して、子どもができること、親ができることを仕分けることが大切で、頼まれたからと言って、全てを親がしなければならないわけではないし、すべて、子どもだけがしなければならないことではない。「こうして欲しい」と、子どもがことばで、ちゃんと言ってきたことは、手伝うこともできますが、できるだけ、手出しをしないというのが、子育ての基本だと思います。
僕は今、自分の父親母親にありがたかったと感謝しています。子どもの頃から、勉強しろ、友だちと遊べ、ともだちをたくさん作れといわれたことがない。今、それはありがたかったと思います。ご質問に応えたことになりますか?
「分かりました」と言っていただいたので、この話題は終わり、次の質問に移りました。
2010/11/30 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二