「金沢こころの電話」で話してきました。
3月22日、「金沢こころの電話」のカウンセラーの認定式と研修会がありました。
私はその研修会で、「生きづらさを抱えた人への援助」と題して講演をしてきました。長いつきあいの村田進さんからの依頼で、久しぶりの金沢なので喜んで引き受けたのですが、当日の4日前になってどんな人が聞いて下さるのか、何を話せばいいのか、少し不安になってきました。どのような人が対象かで、話の内容は随分違ったものになります。
自殺防止のための「いのちの電話」の担当者、心理学、カウンセラーの研修を受けた人の研修会だそうで、一年のしめくくりで、カウンセラーの認定式の後が私の講演でした。
「金沢こころの電話」は、1975年、石川・富山で中高生の自殺が相次いだことに心を痛めた高校の教員達によって開設され、東京、関西、沖縄に次いで4番目の歴史があります。それから35年、相談活動が続けられています。その開設にかかわった高校の教員の中に、私と金沢を結びつけてくれた、石川県の教育センターの相談課長の関丕さんがいたということを、その後の話で知りました。
1990年、私は、大分県の山奥で久住山で開かれる、九州大学村山正治教授が主宰するエンカウンターグループに参加しました。それは、2回めの参加で、その時、関さんに会いました。同じグループになり、あるセッションの後、「伊藤さん、大好き」と言ってくれた人です。ファシリテイターではなく一人の参加者として参加していたあるベテランのカウンセラーが、持論のファシリテイター論を持ち出して、このグループの展開があまりにも早いというようなことを言い始めたとき、私が「あなたの理論を今、聴きたくない」とぴしゃりと止めたことに共感して下さったのです。そして、「私の定年前に、石川県の教育センターの教員研修の講師として呼ぶから、必ず金沢に来てね」と言われました。
それから、相談課長が二人替わったのですが、その二人もずっと私を呼んで下さり、10年ほど連続して続きました。その研修だけでなく、不登校の生徒の教育相談をしている担当者のいろんな研修の講師として呼んで下さり、金沢とは、とても深いつながりができていました。
その後、村田さんが企画する、「金沢エンカウンターグループ」のファシリテーターを一緒にさせてもらっていたのですが、それも終わり、しばらく金沢に行く機会がなかったので、今回、うれしくて、喜んで出かけたのでした。
「金沢こころの電話」はすごいところです。年末年始の6日間を除いて1日も欠かすことなく電話相談が続けられています。毎年公募され、その間養成したカウンセラーの数は620人を越え、毎年200名弱のカウンセラーがボランティアで相談に当たっています。相談件数は年間7000件、4台の受話器で4人のカウンセラーが相談に当たっています。
ほとんど休む暇もないくらいに相談電話がかかってくるそうです。
自殺者が全国で3万人を越え、石川県内でも300人前後になったとき以来、相談件数の増加と内容の深刻さが増したようです。
そのカウンセラーに何を話したか、その夜の役員との懇親会でどんな話があったか、については、次回、書きます。書くつもりはなかったのですが、つい懐かしくて、金沢と私の出会いについて書きました。そういうわけで、金沢にはとても親しく、今もつきあいのある人が少なくなくて、私の好きな町のひとつです。
2010年3月24日
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二