伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2009年10月

大阪府・豊中市のことばの教室で出会った子ども

2009年10月28日

子どもの真剣な眼差し


 豊中市のことばの教室3校の連絡会が主催し、3校のどもる子どもと保護者が集う「吃音教室」の今年度の3回目。保護者に話して欲しいとの依頼がありました。
 4時から6時の予定です。最初の30分は全員で、フルーツバスケットなどを楽しみ、4時30分から5時40分まで、保護者の質問に答えるというスケジュールです。その時間、子どもは話し合いや、表現活動に取り組み、最後に全体で集まり、6時には終了の予定でした。7家族が集まりました。

 子どもが思春期になったら、親としてどう対応したらいいか?
 子どもが、店で自分で注文するのを嫌がるが、練習だからと無理に言わせた方がいいか?
 など、事前に出されていた質問もあるのですが、一人一人に、今困っていること、知りたいことなど尋ねて、私の考えを話したり、他のお母さんの場合はどうかとか、意見を聞いていると、あっという間に6時になってしまいました。
 司会者が、「予定の6時なのでこれで終わります。予定のある人はお帰り下さっていいですが、子どもから是非伊藤伸二の話を聞きたいと、質問が出されているので、時間があれば聞いていって下さい」と話しがあり、保護者との交流会は終了しました。

 全体会には全員が残ってくれました。せっかく練習したからと、子ども達は、谷川俊太郎さんの「きりなし歌」をみんなの前で披露してくれました。
 そして、私が子ども達の質問に答えることになりました。私の周りには子ども達が集まりました。たくさん質問のメモが私に渡されました。終了予定の時間はとっくに過ぎています。時間がとても気になりながらも、せっかく質問をしてくれたのですから、全ての質問に答えたいと思いました。質問の一枚一枚に子どもの思いがつまっています。

 ・なんで僕らはどもるんですか?
 ・伊藤さんは、小学校の時に友達にばかにされたりはしませんでしたか?
・伊藤さんは、どもったら恥ずかしいですか?
 ・どもって笑われたりしたら、どういう風に言えばいいですか?
 ・どもりが、ちょっと治る方法を知っていますか?
 ・伊藤さんは、どういうときにどもりますか? どもる時にも本当に波があるのか知りたいです。
 ・学校で、友達がからかって来たとき、「いやだ」といっても聞いてくれません。どうしたらいいですか?
 ・どもりは治ることはあるんですか?
 ・伊藤さんは、小学校の時、発表でよくどもりましたか?
 ・人の前でどもった時はどうしますか?
 ・今の生活で、どもることで困ることはありますか?
 ・プロポーズしたときに、どもったんですか? もし、どもったらきらわれなかったですか?

一枚一枚に、子どもの現在の様子が読みとれるようです、そして未来への不安も。
 一枚を読み上げ、私の体験を話し始めたとき、左前に座っていた子どもの、真剣な眼差しをするどく感じました。一語一句聞き逃すまいとして、じっと私を見つめて真剣に聞いています。私は、最近でも群馬の子ども、静岡の子どもと、子どもたちと話し合ってきました。長年子どもとつきあっています。普段は、気楽に円くなって話し合うのですが、今回は、時間がないので、話し合いではなく、一問一答形式で、私が一方的に答えていくというスタイルだったからだろうと思いますが、このような眼差しで、じっとみつめられたのは初めてです。どもる人や、教師への講演などで、前に座っている人の眼差しでも、このような経験がありません。前日は、岡山県で講演しましたが、最前列の人達は、うなずき、時々目が合い、真剣に聞いていて下さっていることがよく分かります。その、真剣な眼差しとも違うのです。
 一語一句、いい加減なことは言えない、真剣勝負だと私に緊張が走りました。その緊張が全員に伝わったのか、20分以上、一方的に、質問を読み上げて、それに答えていくのを、子ども達は小学低学年から高学年まで、また、3歳のきょうだいまでが、みじろぎもせず、じっとして聞いているのです。

 吃音教室が終わって、3校のことばの教室の担任と、居酒屋で話しました。聞くと、その子は、小学5年生で、普段は全然人の話は聞かないし、学校では、いつも心ここにあらずで、まったく集中力のない子だというのです。幽体離脱しているのではないかと、心理の専門家にみてもらおうと言われている子どもだということでした。その子のことばの教室の担任も、本当にびっくりしていました。そして、その子ばかりでなく、普段は、ふざけて、いつもグループを引っかき回している高学年の子ども、それまで、ねそべってばかりいる、小さいきょうだいも、意味は分からないままに、ただ事ではない雰囲気におされたのか、じっとして聞いていたことも、担当者は一様に驚いていました。

 真剣に大人が話し、それに真剣に聞く子がいれば、こんなに真剣で、集中する場ができることもあるのかと、私は、子ども達を尊敬しました。
 心地よい、緊張感の中で、子どもと私の一問一答が終わりました。
 小学5年生のあの真剣な眼差しの奥に、人にはあまり言えない、言わない、吃音の苦しみ、そして、何か、解決の糸口をつかみたいとの、切実な思いがあったのでしょう。

 この、一問一答は、保護者と私が話している間、遊んだり、表現活動をしている時に、「僕はどもりについて話したいことがあるんだ」という、彼のことばで、急遽、伊藤に何か質問してみようということから、子ども達が短時間に書いたものだったそうです。

 質問に答えながら、自分の子どものころを思い出し、今の、正直なところを話しました。たとえば、「どもったら恥ずかしいですか」の質問に、
 「この年になっても、お寿司やさんですごくどもると思ったら、「トロ」や「たまご」を注文したくてもしないことがあるから、やっぱり、僕も、恥ずかしいのかな・・・。でも、大切なことは、どんなにどもっても言うけれど、そのときは、はずかしくないよ」
 
「今の生活で、どもることで困ることはありますか」の質問に対しては、
 「ウーン、相手は困っているかもしれないけれど、僕が困ることは全然ない。通信販売で注文するとき、必ず、「伊藤伸二」という名前と、住所を言うときどもる。「いいいい・・・伊藤」となるし、住所の「イチ」で必ずどもる。どもらない人なら数秒で終わるのを、僕は、ウーン、何秒かかるかな?、でも1分はかかっていないと思う。向こうも商売だから、僕がどもって時間がかかっても、待っていてくれる。どもっても、通信販売で注文できるから、全然困らないよ」

 「プロポーズの時、どもったら、嫌われないか」の質問に
 「とても好きだから、つきあって下さい、とか、結婚して下さいと言うときは、すらすらしゃべるより、絶対どもった方がいいよ。僕がどもったかどうか覚えていないけれど、どもって言うと、本当に私のこと好きなんだなあとか、この人、本当につきあいたいと思っているのだとか、とても誠実な人だと受け止められる。セールスマンだって、すらすらしゃべる人よりも、とつとつと話したり、どもって、一所懸命話す人の方が成績がいいんだよ」

 自分の体験やエピソードを入れながら、私は、子ども扱いしないで、一所懸命、正直に、本音を話しました。真剣な眼差しを私に送り続けていた5年生のあの男の子に、私の思いが、少しでも伝わればいいのですが。少しでも伝われば、私が小学生、中学生と、どもりに悩んできたことが、無駄ではなかったということになります。
 あの子の、真剣な眼差しは、今後も私の中に生き続けるだろうと思います。
 東京都日野市のことばの教室で「私のどもりはなおりますか?」と言って、ぽろぽろと涙を流した、小さな女の子の、小さい手を握った感触が、いまでも私の中に生き続けているように。
 
その女の子の手の感触が私に一冊の本を作らせました。それは
  『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)1260円

 2009年10月29日           日本吃音臨床研究会 伊藤伸二゜

2009年度 岡山県聴覚・言語・情緒障害教育研究会 2学期研修会

      あなたはあなたのままでいい


2009年10月27日

  
「今から私がお話しすることは、そんなことできないと思うことがあるかもしれません。伊藤が、こういう実践がことばの教室でできればいいなあという理想、願いを話すので、できないことは当然あると思います。それはそれでいいと思います。
 吃音は原因がわからず治療法もありません。とても指導が難しいと言われています。しかし、難しいと言うことは一方でやさしいことでもあります。つまり、自分で考え、自分で組み立てたやり方でいいわけですから、自分のやり方ができるということです。他人から、そんなやり方はだめだとか、変だとか言われる筋合いはありません。私も、もちろん言いません。あなたはあなたのままでいいのです。

 明確な、指導理論と技術があって、指導法が確立しているのなら、その指導法を学び、訓練し、習熟しなければなりません。外科のように手術法が確立している場合、手術の腕の差によって、成功不成功の結果が明らかに違うでしょう。新人とベテランでは、治療効果が違うだろうと思います。しかし、吃音には、ベテラン、新人の差はありません。その人と、どもる子どもの関わりに違いがあるだけの話です。

 今回の講演では、私はこのようにして子どもたちに接してきたということを話すのであって、単なる私個人の提案、願い、希望にしか過ぎません。このような決定的に素晴らしい方法があるというものではありません。
 皆さんは、皆さんの日頃の実践に自信をもって下さい。
 いつまでも、コントロールされた流暢性を身につけようと、「楽に、軽く、ゆっくり話す」ことを指導し、治す・改善にこだわるアメリカの公立学校のセラピストよりも、子ども全体について考える日本のことばの教室の方が、ずっと素晴らしいことをしていると私は思います。これでいいのだと確信をもってもらった上で、こんなこともあるのなら、やってみようかという、レパートリーを少し増やしてもらえればありがたいです。
 私は一貫して一つのことを言い続けてています。それは「どもりを否定しないでほしい」ということです。世界吃音連盟では、自分自身が今なお吃っているにもかかわらず、「この世界から、永遠に吃音をなくしてしまおう」なんて言い出すリーダーがいて、それに同調しそうな動きがあって、私は断固反対しました。
 私はどもりのない社会ではなく、「どもりがどもりとしてそのまま認められる社会」の実現を目指しています。これは35年前、「どもりを治す努力の否定」を提起してから一貫して変わっていません。

 私の講演はこのような出だしで始めます。 

 岡山県の教員研修会に行ってきました。新幹線で岡山まで行き、山陽本線に乗り換えて笠岡駅まで、40分ほどのローカル線の景色を楽しみました。のんびりした気分になりました。倉敷を通り越して、もう広島の福山市の近くです。岡山県の西の外れに、岡山県下のことばの教室、難聴学級、情緒学級の人達が集まりました。とても熱心な人達です。

当初私は、聴覚・言語障害教育部会だけで話すことになっていたのですが、急遽、同じ場所で開かれる、情緒障害児教育部会の人達も、午前中の私の講演を聞いて下さることになりました。総勢90名ほどになりました。
 群馬、静岡の流れで、私の体験、アドラー心理学、エリクソンのライフサイクル論に絡めて話しました。いつものように、全く用意もせずに、流れのままに話しますので、どこにどう話が飛んでいくか見当がつきませんが、一所懸命聞いて下さる熱意が伝わり、私も一所懸命話しました。バソコン、DVDも、私の希望で用意して下さったのに使わずに申し訳なかったですが、やはり私は、パワーポイントを使っての講演より、「じか」の相手とのやりとりをしながらの話の方がいいと改めて思いました。

 午後の部は、聴覚・言語障害部会の人達だけです。吃音の言語指導について話しました。アメリカの吃音治療の現状と、私の吃音臨床の違いを、歴史をふりかえりつつ話しました。そろそろ、アメリカの言病理学を卒業し、日本の吃音臨床をみんなで組み立てていこうというのが私の主張です。よく、理解をして下さった感じがしました。
 
 さらに、竹内敏晴さんから学んだ、日本語のレッスンについて話し、「私は あなたが 好き」と、いろんな言い方で言うなどの表現や、歌を歌って、表現することの楽しさを味わってもらいました。私は竹内さんのレッスンの中で、「歌のレッスン」が一番好きです。だから私たちは、竹内さんに「歌」だけのレッスンをしていただきました。竹内さんのようにはいかないけれど、この楽しさは伝えていかなくてはいけないと思いました。「ぞうさん」や「おててつないで」「シャボン玉」を歌って、あっという間に2時間は過ぎました。

 後でいただいた、講演へのアンケートには、多くの人が、びっしりと感想を書いて下さいました。それを、帰りのローカル線の、乗客のあまりいない車両のなかで読み、とても幸せな気持ちになりました。吃音に関する私の、ある意味偏った主張を、こんなに、真剣に聞いて下さり、共感して下さる人がいる。本当にありがたいことです。
 私を講師として呼んで下さった、研究会の皆さん、しっかり聞いて下さった皆さんに感謝しています。
 
 2009年10月27日   日本吃音臨床研究会  伊藤伸二

第8回 静岡県親子わくわくキャンプ


子どもたちが、わくわくするキャンプ
2009年10月24・25日

 第8回静岡県親子わくわくキャンプが行われた東海大学三保研修館は、日本のほぼ中央に位置する静岡市清水区、有名な「三保の松原」にあります。ここからの富士山の眺めはすばらしいのですが、あいにくの曇天と雨で美しい眺めを見ることはできませんでした。しかし、子ども達のうれしい笑顔や、楽しい声にたくさん出会えました。
 
 どもる子どもだけを集めて行うこのキャンプ。今年で8回目。私は第1回からずっと参加しています。静岡のことばの教室の教員3人が、島根県のスタタリングフォーラムのキャンプの実践の資料を取り寄せ、自分たちも静岡でしたいと、話が盛り上がって、その時、その場から、私のところに、講師として来てもらえないかと電話をして下さったようです。私はすっかり忘れているのですが、もちろん、二つ返事で、喜んで参加しますとお受けしたのでしょう。それが、8年も続いたこと、とてもうれしいことでした。
 先週は、群馬でどもる子どものキャンプでしたが、島根、静岡、岡山が、ずっと継続して、どもる子どものために親子キャンプを継続して開いて下さっていることが、群馬にも広がったのでしょう。子ども達の笑顔に出会うと、このようなキャンプに一緒に加わらせていただいていることに、本当に幸せを感じます。

 3つのキャンプには、それぞれの特徴があります。
 静岡のキャンプの特徴はふたつあります。

 ひとつは、徹底して、子どもが喜び、楽しめることを企画することです。
 駿河湾の魚をで地引き網でとって、天ぷらにしたことがありました。カヌーで湾に出ました。大きな船を借り切って、ナイトクルージングを楽しみました。よくまあ、これだけ毎年、違ったことを計画するなあと、感心します。今年は、夜の水族館の見学でした。めったにできない体験に、親も子もスタッフも大喜びでした。夜と昼の水族館の違い、みどころを学芸員が最初に解説し、そして、借り切りの水族館の見学です。電気を消した中で光る魚、動きが違う魚、不思議な体験をしました。そして、最後に講堂に集まって、質問の時間です。びっくりしました。次から次へと子ども達が質問をしていきます。もちろん、吃りながら、物怖じすることなくどんどん手を挙げます。そして、その質疑内容をしっかり理解して、それを深める質問をしていくのです。的確な質問に驚きました。
このような体験と、講師にきてもらい、お土産になるものを親子で制作します。今年は万華鏡でした。ここまで、子どもの喜ぶこと、楽しいことを徹底追求する、スタッフの企画力、制作の講師の人選に、脱帽です。

 二つ目の特徴は、キャンプの始まる前に、スタッフの事前学習を持つことです。
 静岡はかなり広いので、会場がその真ん中にあるといっても、朝の9時頃から集まるのは大変です。そんな中で、朝の9時15分から、私の講義が始まりました。それは、キャンプのスタッフだけでなく、キャンプには参加できないけれど、私の講義は聞きたいという人にも公開されます。スタッフ以外に、今年も10人ほどが、私の吃音の講義を聞きにだけ参加して下さいました。これは、私にとってとてもありがたく、嬉しいことです。
 キャンプのスタッフである、ことばの教室の担当者が、吃音について、どのように指導すればいいか、ある程度の共通の認識をもってもらうことはありがたいことです。当然私も気合いが入ります。今年は、新しい本を作るためにいろいろと考えていることでもあり、吃音ショートコースでアドラー心理学を学んだ直後でもあったので、ライフサイクル論のエリクソンやアドラー心理学と、私の体験を絡めました。これまで、ずっと一貫して言ってきたことではありますが、ことばの教室で、どもる子どもに対して、どのような目標を立てて指導するか、私の考えを話しました。当然のことながら、今、どもる子どもに指導されていることで、十分にことばの教室は大きな役割を果たしているというのが前提です。それに、私はこのようなことも考えていただくとうれしいと、私の希望を話しました。あっという間の2時間15分でした。
 8年間も連続してこのような講義をしているのですから、当然基本的なことは変わりません。同じような話になるのは仕方がないことです。ところが、「伊藤さんの話は、年々進化していっている」や、「何度聞いても、体験を通しての話だから、胸に響く」「担当者である私たちが、そのままのあなたでいいと、励まされている」というような声を聞くと、脳天気な私は、素直に、とても嬉しいです。私自身、元気が出ます。
 だから、8年も話を聞いてくれる人がいて、私も8年も連続して話すことができるのです。ありがたいありがたい、仲間達です。機会があれば、夜の子ども達との話し合い、保護者向けの学習会での話や、個別相談などの話を紹介できればいいのですが。・・・
  
2009年10月25日    日本吃音臨床研究会 伊藤伸二

全国公立学校難聴言語障害教育研究協議会・山口大会

 2009年7月29・30・31

         うれしい出会い

 10月も半ばだというのに、7月のことを今書いています。これからは、日記風に短くても書いていこうときめましたので、経験したことはできるだけ、書いていこうと思います。7月前にも書きたい経験がたくさんあったのでずか、さかのぼればきりがありません。この全難言の山口大会から、振り返ります。
 山口では、3つのうれしい出会いがありました。

 全国の公立学校の、ことばの教室の教師、難聴学級の教師の、年に一度の全国大会です。シンポジウムや記念講演、障害別の分科会で構成されています。
 私は、吃音分科会のコーディネーターでした。私はこれまで、大分大会、島根大会、宮崎大会、大阪大会、東京大会で吃音分科会のコーディネーターをし、山形大会では、詩人の谷川俊太郎さんと、記念対談をさせていただきました。今年は情緒障害教育と合同開催だったため、1000人を越える教師が参加しました。

 このような全国大会に出させていただいているおかげて、全国のことばの教室の担当者と顔見知りになることができます。それは、大変ありがたいことです。今回も、吃音分科会で発表した群馬のことばの教室の教師から、10月、群馬で吃音キャンプが計画されていることを知りました。それが、前回報告したように、群馬のキャンプに参加にむすびつきました。吃音について、真剣に取り組んで下さる人達と出会うことは、吃音を生きてきた、吃音に取り組んできた間としては、とてもうれしいです。そして、このように次の展開に発展する出会いは、本当にうれしい出会いです。

 吃音分科会は、とても珍しいことなのでずか、3人が実践を報告し、討議しました。通常はふたりです。その3人の発表者の内の女性二人が吃る人でした。ひとりは、以前からの知り合いですが、ひとりの方は初めての方でした。研究討議のときは、4人中、3人が吃音の人ということになります。なんだかうれしい気持ちになりました。話し合いの進行の中で、「こんな時はこんな気持ちだった」などと、吃音の当事者として3人が話すのは、愉快なことでした。初めて出会った、吃音の女性の教師は素敵な人でした。自分の吃音について学ぶために、大学の言語障害コースのある大学に行き、現在、ことばの教室の担当をしています。ご自分が吃音に悩んできただけに、どもる子への接し方が温かいです。
 吃音分科会の打ち合わせや、研究討議の中で、共感し合い、日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリングナウ」の購読会員(年会費5000円)にもなって下さいました。また新しい仲間ができた、うれしい出会いでした。

 今回のシンポジウムのシンポジストのひとりがが北九州の小児科の医師でした。
 実は、少し前に、北九州の小児科医の自主的な研修グループから、吃音について知りたいと、講演の依頼がありました。その会の中心的な存在のその人が、私を推薦して下さったのです。その人が、まさか、今回の山口大会のシンポジストであることは知りませんでした。私たちが本の販売をしているコーナーに挨拶に来て下さったのでずか、私はお会いできず、シンポジウムも聞けませんでした。しかし、夜の懇親会にはでられると聞き、楽しみにしていました。そして出会い、話しました。
 『どもる君へ、いま伝えたいこと』(解放出版社)をとてもいい本だと褒めて下さり、ご自分の医院に5冊おいて、みんなに読んでもらうようにしているのだそうです。そして、小児科の医師に、もっと吃音について学んでほしいと、研修会の講師に私を推薦して下さったのです。
 私の電話相談吃音ホットラインには、毎日2件は相談電話がはいります。幼児吃音の相談が一番多いのですが、その多くは、小児科や児童相談所、保健所などで、「吃音は発達性のものだから、吃音を意識させないで、ほっておけば自然に治りますよ」といわれます。気になりながらも、しらないふりをしていたが、一向になおらないという相談はかなりあります。幼児吃音について、子どもを扱う専門家にも、あまり知られていないのが現状です。そのような状況だから、小児科の先生達が、吃音について理解をして下さるのは、とてもありがたいことです。小児科医の研修会の講師に推薦して下さった人と、山口で出会えたことうれしいことでした。
 その研修会は北九州で、2月3日に予定されています。


 2009年10月21日
                   日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二   










第1回 吃音キャンプ IN GUNMA


  ここにも仲間がいた 


 2009年10月17・18日と、群馬県前橋市にある「国立赤城青少年交流の家で、第一回の「吃音キャンプ IN GUNMA」が開かれました。第一回とわざわざ銘打ったのは、これからも継続していきたいとの意思表示でしょう。これで、私がかかわらせていただいた吃音キャンプは、島根県、静岡県、岡山県に次ぐものとなります。一回だけのキャンプは、山口県でも行われました。どもる子ども達、保護者、その子どもを担当することばの教室の担当者と会うことが大好きな私にとって、とてもうれしいことでした。

 どもる親子の参加は、主催者側の予想を下回り、25名、スタッフのことばの教室の教師が16名と、こじんまりとしたキャンプでしたが、キャンプに組み込まれ、子ども達が遊ぶプログラムと平行してもたれた、保護者、担当者向けの講演会には、会場が町の中心部からかなり離れているにもかかわらず、80人を越える人が集まってくれました。特別仕立てで講演会の開催に頑張ってくれたようです。キャンプには参加できない、保護者や、ことばの教室の教師が大勢参加してくれたことになります。
 
 2時間の講演、どのような切り口で話すか、いつもは悩むのですが、今回は、吃音ショートコースでアドラー心理学を学んだことでもあり、エリクソンのライフサイクル論で私の体験を整理して話し、いかに私が吃音に劣等感をもち、吃音を言い訳にし、口実にして人生の課題から逃げてきたか。高校一年の卓球部を退部した話から、逃げの人生を歩んだことを話しました。劣等性、劣等感、劣等コンプレックスの違いに触れて、私の逃げの人生が、アドラー心理学で言う、劣等コンプレックスなのだと話しました。さらに、今回の話のテーマがどもる子どもの幸せにつながる支援でしたから、幸せを阻むものについて話しました。エリクソンの発達課題である、劣等感にまさる勤勉性を身につけるには、また、劣等コンブレックスにならないようにするためには、共同体感覚の育成が大事だと話しました。
 
 話をしていて、いつもそうなのですが、エリクソンのライフサイクル論、アドラーの劣等コンプレックス、共同体感覚の育成について、アメリカ言語病理学の説明や心理学の解説ではなく、全て自分の体験を通して話すことができるのは、21歳までは吃音に深刻に悩み、21歳の夏からは、吃音に真剣に向き合い、幸せに生きる道を探ってきたからだと思うと、自分の吃音人生が、とてもありがたいことのように思えるのです。吃音について整理し、考え、考え抜いてきたおかげだと、一時、大学の研究者として生きた時代があったことを嬉しく思いました。
 いつもは、参加者の質問を中心に話を組み立てることが多いのですが、群馬の人達とは初めてなので、ときどき参加者を指名し、質問をなげかけることは、したものの、2時間のほとんど話し切りました。みんな真剣に聞いてくれました。
 
 また、多分、半分以上は売れ残るだろうと覚悟しながら、「どもる君へ、いま伝えたいこと」の本が100冊以上入る大きなダンボールに、書籍をいっぱい詰め込んで送りました。しかし、予想に大きく反して、講演が終わると、書籍コーナーに人が集まり、「どもりと向き合う一問一答」の5冊を残して、完売でした。売り切れが続出し、買えずに残念がっていた人が何人もいたのには、本当にびっくりしました。これは、珍しいことです。新しい所へは行くものですね。

 かといって、「どもる君へ、いま伝えたいこと」の本が浸透していなかったわけではありませんでした。ことばの教室の教師が、20冊、10冊と買って下さっていたことが分かりました。また、「どもる君へ いま伝えたいこと」の本を、ことばの教室で読み合わせをしているという人、どもりカルタがおもしろかったという教師も何人もいて、うれしいことでした。一年と立たずに、第3版までいった訳が分かりました。

 夜の懇親会でも、話が弾もました。群馬の地に、私たちと同じように考えて、実践している人が多くいることが分かって、とてもうれしかったです。
 2001年、島根県で開かれた全難言大会で、吃音分科会の発表をした人が、スタッフとして参加しており、島根で私と出会って、大きく変わったとみんなの前で話してくれました。
 私たちと同じように吃音をとらえ、実践している人が多いことに驚かされました。 このような出会いを作って下さった、このキャンプの言い出しっぺに心から感謝をしているのです。そして、それをチームワークよく取り組んだ、ことばの教室の教師たちに、感謝をしているのです。
 全国に予想以上に仲間がいるのではないかと思えました。

  2009年10月19日 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二

第15回 吃音ショートコース

 
  真剣に人生を考えるには、温かい空間が必要 


 2009年10月10日11日12日と開催された、5回目の吃音ショートコースが終わりました。

 第20回の吃音親子サマーキャンプを、このブログでの報告をしないまま、大阪教育大学での集中講義、そして吃音ショートコースが過ぎました。たくさん書きたいことがあるのに、書く時間がとれまいままに、バタバタとして、時間が通り過ぎていきます。そして、今週末は群馬県での吃る子どものためのキャンプ、その次の週が静岡県の吃る子どものキャンプ。次から次へと続く、私にとっては全て重要なもので、いろんな思いがあってなかなか書けませんでした。

 しかし、このブログは日記風のもので、さらさらと書けばいいのだとスタートしたはずなのですが、長年のライフスタイルがなかなか変えられずに、きばって書いてしまいます。このブログの中でも、何度もそういう事をかいていますが、いや、本当にだめですね。

 吃音ショートコースの今回の講師は、アドラー心理学の岸見一郎さん
 内容については、順々に書くとしても、驚いたのは、岸見さんがブログを毎日書いておられることです。私は一度、毎日文章を書こうと決心したことがあります。一日一日、何かを感じ、何かを考え、ふと、いい考えが浮かぶことがあります。それが消えてしまうのはもったいないと考えたからです。もう7年ほど前になるでしょうか。

 教育実践家の平井雷太さんが、考現学というネットワークをもち、そのメンバーにファックスで書いた文章をおくろうというものです。もちろん、それに対してレスポンスし互いに考えようというものでした。平井さんも毎日書いています。旅先でもです。そして、そのネットワークに入るには、月間会費が1万円なのです。このような縛りがあれば、私にも書けるかも知れない。次々他の人の書いた文章がフアックスで入ってきます。その人達の為にも何か発信しなけれはならないと思いますし、月一万円は大きな金額です。
 しかし、今と同じような状況でやはり書くことが出来ませんでした。結局一年ほど、ネットワークのメンバーには発信しないメンバーとして、申し訳ないし、月一万円はさすがにもったいなくなって、そのネットワークから抜けました。
 そして今、性懲りもなく今に至っています。

 私は常に3日坊主です。しかし、それは自分がしていることなので、変えたいと思えば変えることができます。平井さんに出会ったときは、自分を変えることができませんでした。今回、せっかく岸見さんに出会ったのですから、今回こそ変えようと決心しました。また、挫折するかも知れません。それはそれとして、まあ、挑戦してみます。懲りずにおつき合い下さい。
 ブログを書いて、多くの場合コメントのやりとりがあります。書いたものに何かのレスポンスがあれば、それに勇気づけられ書くこともできるかもしれません。しかし、私のブログは私からだけの発信にしました。ご存知のように吃音に対しては、さまざまな考え方、実践があります。そして、私の考えは、一部の人にはなかなか受けいけられないものであるようです。そこで議論で消耗したくないので、是非、私のメールに感想などお寄せいただければ、必ず返事は致します。


 長い、長い言い訳の前書きになりました。
 15回目の吃音ショートコースでテーマとした、アドラー心理学は、ある意味厳しい心理学です。私の吃音へのアブローチもある意味厳しさをもっています。ずっとアドラー心理学を書籍だけでなく、講演や講座に参加して、私が35年前に考えつき、今でも微動だにしないひとつの考え方と、とても共通する。というより、そのままほとんど変わらないといっていいほどなので、吃音とアドラー心理学を結びつけて、吃る人、ことばの教室の担当者や言語聴覚士に学んでもらいたいと計画したのです。

 参加した多くの人にとって、吃音とどう結びついたかは分かりませんが、時間を書けて、参加した仲間達と深めていくきっかけにはなったと確信しています。
 それ以上に参加者の心をつかんだのは、岸見一郎さんの優しい、真摯な、温かい人柄、そして、人生に向き合うライフスタイルでした。休憩中、食事時常に誰かに囲まれ、質問や相談にのっておられました。最後の振り返り場にもいて下さり、「みなさんの、真摯な態度に、胸がつまりました」と涙ぐまれ、絶句されました。温かい3日間だったと、改めて、参加者みんなと共有した一瞬でした。

 こうして、楽しくハードな3日間が終わりました。
 栃木県や神奈川県など関東地方から、沖縄県、鹿児島県の九州地方から、いい仲間が集まりました。この人達と過ごせた3日間はとても貴重な時間でした。

 始めて知らない場にでるのは、不安や恐れがあり、多少勇気がいります。まして、3日間となると少しじゃない勇気が必要かもしれません。それを、一歩前に踏み出せば、新しい世界が開けます。そして、初参加の人たちも、楽しんで下さいました。真剣に自分の、他者の人生と向き合うには、リラックスした、温かい空間がひつようなのです。そのような場を提供したいと常に心がけています。

 詳しくはまた、そして、吃音親子サマーキャンプなどもまた。

 2009年10月15日        伊藤伸二
































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