我が師匠・竹内敏晴さんへのお別れの手紙


 9月7日午前3時50分、あなたは永遠の旅に旅立ちました。

 6月5日に膀胱がんが発見されたと、直接竹内敏晴さんからお電話をいただいたのが6月8日。その時から、この日が来ることの覚悟はしていたものの、不死鳥のような竹内さんのことだから、もっと長く私たちのそばにいて下さるだろうと、ひそかに思っていました。その一方で、6月20・21日と第20回吃音親子サマーキャンプのお芝居の事前レッスンを危ぶむ気持ちもありました。吃音親子サマーキャンプをとても大切に考え、子ども達のために脚本を書き、演出をずっとして下さっていました。2000年にはそのキャンプにも来て下さり、子ども達、保護者にレッスンもして下さいました。自分が脚本を書き、演出した「森は生きている」の芝居を、スタッフ達がどう演じるのか、心配そうに、しかし、楽しそうに観ていて下さる影像が手元に残っています。私の大切な宝物になりました。

 竹内さん、あなたはよく、「私はしゃべれなかった人間だが、君たち吃る人はしゃべれる人間だ」と言っていました。いろんな意味でそれには賛成しかねましたが、ご自分が聴覚言語障害者であるという認識は、一貫してもっておられ、私たちを仲間として見ていて下さいました。それはとてもありがたいことでした。今から思えば、とても無理なお願いや、突然のお願いをしたことがありましたが、常に私たちのことを最優先に考えていて下さったように思います。
 昨年の吃音ショートコースにもう一度来て欲しいとお願いしたときも、一年以上前から決まっていたスケジュールを調整し、とても無理をしながら、3日間たっぷりと私たちにつきあって下さいました。もっと早く言ってくれればいいのにと、断られても仕方がないところを、他の人に迷惑を掛けてでも、私たちのために、無理矢理3日間を作って下さいました。無理をお願いして本当によかったと思っています。
 あの時の吃音ショートコースでのレッスン、シンポジウム、私との対談は、70人ほどの参加者の胸深くきざまれているからです。

 膀胱がんと診断され、どのような治療を選択するか、どこの病院にするか、いろんな思いがめぐり、迷われていたとき、そんな大変な時期に、「吃音親子サマーキャンプの脚本、予定したものを破棄して、もう一度、一から考え直している」と言って下さいました。私は20回の記念すべきキャンプだから、大スペクタクル巨編をお願いしますと、アホなお願いと、プレッシャーをかけていました。笑いながら、「20回目のキャンプ」をとても喜び、意識して下さっているようでした。そして、スタッフの事前レッスンのぎりぎり3日ほど前に、脚本がファックスで届きました。正直に言って、信じているものの不安がありました。事情を知っているだけに、催促も出来ませんでした。
 宮沢賢治の「雪わたり」でした。昨年秋の吃音ショートコースでほんの少しだけレッスンをして下さり、参加者みんなが弾んでキツネになって動いた懐かしい芝居です。
 
 私は、いつも参加しているが、都合で今年は参加できないと言っているスタッフに連絡しました。膀胱がんのことを、まだ内緒だよと念を押して、これが最後のキャンプのための事前レッスンになるかも知れないから、なんとか無理をして参加して欲しいと誘いました。その人たちは事前レッスンに参加したくても、やむなく諦めた人たちです。その事情を理解しながらも、不参加を表明している人にも、無理をして参加して欲しいと話しました。いつもなら絶対にしないことです。何人かは、強引にスケジュールを変更して来てくれました。どうしてもダメな人も、無理をして少しの時間だけど顔を出してくれました。
 竹内さんのレッスンによく参加していた常連がほぼ参加して、にぎやかな事前レッスンになりました。いい仲間達と、最後になるかもしれないレッスンを一緒に味わいたかったのです。竹内さんも、久しぶりに参加したスタッフに声をかけ、同窓会のようにいつものメンバーが集まっているのを喜んで下さっているように私には感じられました。「キックキック トントン キックキック トントン」足を大きく上げて、私たちはキツネになりました。「竹内さん、がんなんかに負けないで」私なりの応援でした。

 みんなに、膀胱がんのことを話すつもりでいたようですが、「伊藤さん、みんなは知っているの?」の質問に私は話していませんと答えましたね。それは、半分ホントで半分ウソでした。参加できないと言ってきた人に、参加を求めるには、がんのことを言うしかなかったので、その人には言いましたが、みんなには言っていませんでしたから。「そうか」と、結局は話さないままに、知らない人にとっては、いつもと変わらない、充実したレッスンになりました。

 20回目のキャンプ。子ども達は楽しく「雪わたり」の稽古に励み、楽しく上演しました。そして、20回をふりかえるセッションで、このキャンプがこれまで、竹内さんの脚本で、お芝居をしてきたこと、このキャンプを支えてきて下さったのは、竹内さんであることを話して、感謝の気持ちを届けようと、みんなで、大きな拍手で感謝の気持ちを表しました。名古屋まで届いたでしょうか。

 20年以上の深いつき合いでした。とても私たちのことを大切に考えて下さいました。たくさんの思い出があります。書き出せば、1冊の本になりそうなくらいです。
 ゆっくりする時間がほとんどなく、本を執筆し、全国各地の要望に応えてレッスンを続け、本当に動き続けた、激動の人生でした。
私たちは十分すぎる教えをいただきました。でも、どこかで、もう少し、そばにいて欲しかったとの思いはあります。でも、きりがありませんね。いつまでも続くわけにはいかないのでから。私たちは十分たくさんのことをいただきました。
 どうか、ゆっくりとお休み下さい。ご冥福を心からお祈りします。
 ありがとうございました。我が師・竹内敏晴さん。さようなら。

    2009年9月13日          
              日本吃音臨床研究会 伊藤伸二