吃音についてかかわることのできる幸せ

 2009年8月22日23日

 岡山県青少年教育センター閑谷学校で、吃音キャンプが開かれました。
 私は、第一回の開催から相談を受けていて、保護者の話し合いや、保護者の勉強会の講師として参加をしています。毎年、毎年、当たり前のように参加して、知らない間に、7回をむかえていたことになります。
 何事も、始めることは比較的簡単ですが、継続していくのは大変です。この岡山キャンプを最初に計画し、文字通りキャンプの中心にいた、実行委員長と事務局長が4回まで、勤務の都合で参加できなくなりました。中心人物が、それも言い出しっぺが抜けるというのは、どのような行事でも大きな、大きなことです。今後開催していくのは無理なのではないかと、内心心配していました。しかし、やはり、言い出しっぺの二人の大きな功績だと思いますが、後に続く人たちがいました。その人たちのがんばりで、7回目を迎えたという訳です。
 これは、とてもすごいことだと思います。言い出しっぺの二人と、それを消さないようにとする人たちの両方に脱帽です。その輪の中に常に入れてもらっていることの幸せを思います。

 保護者への私の話は、7回ともなると、何を話せばいいかいつも困ります。連続して参加する人も少なくないからです。何回も参加しているお母さんが、何回聞いても胸にしみてくる話だといって下さいました。疲れがいっぺんに飛んでしまうほどのありがたいことばです。そのお母さんは、聞く話は同じようであっても、子どもの成長、自分自身の成長、そして、そのときの課題や悩みと重ねて聞くと、新鮮に聞くことができるのだと言って下さいました。
 
 保護者だけでなく、子どもたちとも一時間ほど話すのですが、今年は中学生になって、自己紹介で自分の吃音のことを話すかどうかが中心でした。
 自分のためにも、聞き手であるクラスメイトのためにも、自分の吃音について、最初の自己紹介で話した方がいいと考えて、話した子どもがいました。
 私は小学5年生になった頃から、中学生になっての自己紹介が不安で、恐ろしくおびえていました、しかし、自分の吃音についてなど話すことすら考えがおよびませんでした。ただ、無事に終えたいとばかり考えていた、中学一年生の私と比べれは、この子ども達が、真剣に吃音と向き合っている姿が、まぶしくもありました。
 吃音についての話題すら避けていたあの頃の私は、何だったのだろう。
 誰にも吃音に就いての苦しみや不安を話せなかった。誰も、僕の吃音に関心をしめさなかった。自分が言わないから当然のことなのですが、吃音について、他人が耳を傾けてくれるとは、まったく思えなかったのです。しかし、この岡山キャンプに来る子ども達は、ことばの教室というベースキャンプ地があって、さらにキャンプでさらに成長している。私の子どものころにはこのような場がなかった。その環境の差はとても大きなものだと思います。

 「自己紹介で吃音について話した方がいい」という意見が大勢でした。どうしてそうなのかについては、吃音について周りの人に理解して欲しいからという声が多かったのですが、あえて、「私はどもります」と言わなくても、どもっても、話すことから逃げないで、どもればわざわざ言わなくてもという意見もありました。
 ただ漠然と、「話した方がいいから」ではなくて、話したいと思ったら話せばいい。話しても、話さなくても「どつちでもいい」と最後に私が話して、時間切れで中途はんぱで話し合いが終わったのは残念でした。次回は、もつと掘り下げた話し合いができるかもしれません。とても楽しみな子ども達です。

 二組の家族が、キャンプに参加はしないけれども、少しだけ私たちの顔を見たいと来てくれました。握手をしたり、写真をとったり、同窓会のような雰囲気でした。ただ顔を見にきてくれる子どもや親がいることは、とてもうれしいことでした。

 私は、なかなかブログが更新できません。吃音についていろんな行事に参加して、たくさん経験して、考えること、書きたいことががたくさんあるのに、次々と行事が続き、なかなか書けずにいました。
 書くからにはちゃんとしたことを書かなくてはという、論理療法で言う「非論理的思考」があるからだろうと思います。まあ、中途はんぱでも、ふと考えた、気づいたことが大切なことだとも考え、書いていこうと思います。と言いながら、こんなことをブログで何度も書いているのですよね。 ハハハハハ。
 
 明日から、第20回の吃音親子サマーキャンプです。今年も24府県から140名が参加します。できるだけ早く、ちよっとしたことでも書いていきます。
 懲りずにおつき合い下さい。
                 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二