伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2009年04月

言語聴覚士の専門学校の講義 3



       楽しさよりも喜び


 「ある吃る青年ーのアプローチ」と並んで、私の定番のひとつは「吃音親子サマーキャンプ」の紹介です。これまでの講義内容は、毎年すこしずつ変化しているのですが、このふたつだけは変わりません。
 学童期・思春期の吃る子どもへの支援を考える、一番適切な教材です。
 私の講義は一方通行のものではありません。ただ話して、学生が聞いてノートをとるだけの講義なら、朝から夕方まで、6日間も連続する講義には耐えられないたろうと思います。話す方は平気で、いくらでも話せるのですが、聞き手のつらそうな顔をみると、つらいことを想像すると、とても一方的には話せません。
 講義をし、質問を受け、ひとりひとりに感想・意見を求めます。一日に何度も指名されます。しかし、「パス」の権利は与えています。言えないこと、言いたくないこと、考えが浮かばないこと、分からないことは当然あるからです。
 小学校。中学・高校と私は指名されても吃るのが嫌で、分かっている答えでも「分かりません」と答えていました。そのうち、どうせ「分かりません」としかこたえられないのだからと、だんだん勉強しなくなっていきました。そして、今度は本当に「分からなく」なっていきました。
 こんな経験があるから、指名される、発表するのが、人前で意見を言うのが苦手な人がいるのは承知しています。しかし、言語聴覚士というコミュニケーションの専門家になるのですから、苦手なことにも挑戦する必要があります。どんどん指名するのが私の講義スタイルです。

 もうひとつ、グループデッスカッションがあります。できるだけグループで話し合う形をつくります。「吃音親子サマーキンプ」にしても、このようなことをしていると、説明、解説すれば効率はいいのですが、頭に、胸に残りません。
 
 6人のグループを作って、2日3日、小学生から高校生、親やスタッフ合計で140名ほどの参加の吃音親子サマーキャンプについて考え欲しいといいます。
 これまで、「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ」という私の主張や、アメリカの言語病理学については、話しています。その上で「吃音を治したいと」と考えている、吃る子どもや保護者を対象に、言語聴覚士やことばの教室の教師など、吃音の臨床家として取り組むキャンプです。どのような目標をたてて、具体的にどのようなプログラムを作るか。子供会や、YMCAなどのキャンプとは違うものです。

 話し合いを開始すると、楽しい話し合いが始まります。自分の子どもの頃経験したキャンプや、学生時代のボランティアの経験のある人がいますから、その人が、イニシャティブをとってそれぞれのグループは弾んで話し合っています。だいたい、まとまつたところで発表してもらいます。私たちが取り入れたいようなアイディアを出すグループもあります。
 その全てのグループが考えるのは「楽しいキャンプ」です。これは、どんなところでこの演習をしても例外は全くありません。

 それぞれのグループがよく考えたことを評価した上で、私たちのキャンプ「2000年」のビデオを観てもらいます。このビデオはとてもよくできたビデオで、ビデオジャーナリストを将来の仕事として目指していたSさんの力作です。彼は、吃音とは何の興味も、縁もなかった人ですが、本屋でふと手にとった「新・吃音者宣言」を買ってしまい。じっくり読んで、吃音に、私の生き方に興味を持って下さった人です。 
 60分ほどのビデオを観て感想を言ってもらいます。これも全ての人が口をそろえて言います。「私たちが考えたキャンプとは、全く違っていた」と。
 
 私たちのキャンプは、とてもハードです。90分の話し合いが2回、60分の話し合いが1回の計3回その当時はありました。さらに90分の作文教室があります。これでもかこれでもかと、吃音に向き合う時間があるのです。この話し合いには、吃る人と、言語聴覚士やことばの教室の教師などの臨床家のふたりがコンビを組みます。ファシリティターとして、1グループに二人が入ります。

 もう一つの柱が、劇の上演に3日間で取り組むことです。2日間稽古をして、最終日に、大勢の前で上演するのです。これもかなりハードです。音読や発表を苦手としてきた子どもに、それ以上に困難な劇の上演に取り組んでもらうのです。

 あまりの、ハードさに、学生はびっくりしますが、初日の子ども達の顔が、どんどん変化して、帰り際の楽しさのあふれた、輝く笑顔をみて、びっくりします。

 そこで私は「楽しさと、喜び」の違いについて話します。与えられた楽しさは、一時的なものだ。苦しくても、自分に向き合い、自分を知り、吃音について学び、苦手なことに挑戦して、仲間とともに成し遂げる。これが、自分で勝ち取った喜びです。それを子ども達は楽しかったと感じるのです。あたえられたものではこうはいきません。
 「楽しかった、また、来年きたい」ほとんどの子どもの感想です。
 これが、キャンプに一時的な与えられた楽しさとは質的に違うことです。この達成感と、自分も出来たという実感が、学校にもどってからも、じわじわと生きてくるのです。
 いつでも、何人もの学生がふともらす感想があります。
 あの子ども達がうらやましい。あんなにいい場を経験できることがうらやましいといいます。そして、自分も参加したいと思ったと感想を描く人がいます。

 この私たちのキャンプ、今年で20回目です。

    2009年4月8日       伊藤伸二
















言語聴覚士の専門学校の講義 2



 治す努力を否定した、青年との吃音の取り組み 

 
 吃音の講義を一日、一日で、学生の吃音に対する考え方が大きく変わっていきます。吃る人がそんなに生活で苦労して悩んでいるとは、想像も出来なかったという状態から、少しずつ、吃音がいかに生活に影響するかを理解していきます。
 
 私の講義の定番は「あるひとりの吃る青年」の事例検討です。これまで、彼のことを私は何度も、いろんなところで話してきました。彼にとってはいい迷惑だろうと思いますが、私の吃音の取り組みを支える大きな存在です。

 心理療法や精神療法など新しい提案をした人は、とても難しいクライアントと出会っています。その取り組みの中から多くのことを学び、新しい療法を作り上げていくのです。私の場合も、彼との出会いは、とてもとても大きなものでした。彼との出会いがなかったら、今私が確信をもって、吃音と共に生きる生き方を提案できているかどうか、自信がありません。今の私があるのは、彼との6か月の取り組みがあったからなのです。彼にいくら感謝してもしたりないくらいです。彼との取り組みで多くのことを学び、整理ができました。

 ある大学の図書館に勤める23歳の青年は、私がこれまで出会ったことのないほどの、かなり吃る人です。ひどく吃るだけでなく、話そうとすると舌がでる随伴症状に悩まされています。しかし、小学5年生から、何度も吃音の治療に通い、全てが失敗するどころか、ますます悪化して、高校2年の時には、それまでなかった、舌がでる随伴症状に悩みます。このような体験があるから、治療に対するモチベーションがほとんどありません。上司の紹介だから仕方なく、私の所に来た人です。
 電話はまったくとることができず、来館者との応対ができずに、このままでは退職しなければならないかもしれないところまで追い込まれています。困り、悩んではいても、どうすればこの状態から転換できるか見当もつかずに悩んでいます。

 これまで私が、「吃音はどうなおすかではなく、どう生きるかだ」と話すと、必ず来た反論と批判を受けました。「吃音の軽い人、積極的な人」ならそれは出来ても、吃音が重くて、消極的な、元気のない人には無理だというのです。だから、彼と出会ったとき、私は彼との吃音との取り組みで、これまでの反論にこたえられるかも知れないと、私は意気込み、一所懸命になりました。

 この彼と私の吃音の取り組みについて「インシデント・プロセス・メセッド」という事例研究の手法をつかって、学生に考えてもらうのです。学生が質問しなかったことには私は彼の情報を提供しません。つまり、学生達が自分で彼に3回ほどの面接の中で、今後の取り組みに必要な情報をえるというものです。
 1グループの6人が、どのような゜情報を得て、問題点を探り、目標を設定し、具体的にどのようにプログラムを組んで取り組むかをかんがえるのですお。
 この質問をするところからがおもしろいのです。的確に質問するグループもありますし、不必要な質問もあります。質問に対する受け答えの中で、面接の時にどのような情報が必要なのかを学んでいきます。子どものころの生育歴など、順を追ってきいていくのは下手な質問です。現在の状態をみて、その現在の状態を理解するのに、必要なことだけ、質問をすればいいのですが、これがなかなか難しいようです。

 自分たちが私に質問して得た、情報をもとに、彼の問題とは何かを考え、どのように変わることが彼にとって必要か、彼がかわるためにどのような取り組みが必要か、自分が言語聴覚士として、彼にどのようなアブローチをするかを、ディスカッションして、グループごとに発表してもらいます。
 
 時に、素晴らしいアイディアが出ますが、まだ講義を聴いて2日目なので、とても難しい課題だとはおもいますが、とにかく自分たちが考えることが大切です。全部のグループが発表したあとで、それぞれにコメントして、私の実際に試みたアプローチを話します。吃音を治す試みや、訓練は一切しないで、かれの行動がどんどん変化して、最終的には随伴症状がなくなるという実際の事例に学生はびっくりします。
 ここで詳しくかくことは出来ませんが、どんどん積極的に大きく変化していくのです。吃音に直接的なアプローチをしなくても、吃る人の行動や、考え方、感情が変わることを理解してもらいます。

 彼との吃音臨床のおかげで、本人が決意しさえすれば、誰でもが、「吃音と共に生きる」生き方ができるということを、確信をもっていえるように為ったのです。

 この彼の具体例をもとに、吃音の治療の歴史や、アメリカの取り組み、私の吃音臨床の説明へと入っていきます。
 この日の講義で、学生の吃音へのイメージが大きく変わります。
 この私の取り組みに興味がある方は、1000円分の切手を同封してお申し込み下さい。彼の実践と、「建設的な生き方」を提唱する、デイビット、レイノルズ博士のワークシヨツプの記録の冊子をお送りします。

 こうして、学生と私の吃音学習が進んでいきます。

                   2009年4月7日   伊藤伸二
















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