楽しさよりも喜び
「ある吃る青年ーのアプローチ」と並んで、私の定番のひとつは「吃音親子サマーキャンプ」の紹介です。これまでの講義内容は、毎年すこしずつ変化しているのですが、このふたつだけは変わりません。
学童期・思春期の吃る子どもへの支援を考える、一番適切な教材です。
私の講義は一方通行のものではありません。ただ話して、学生が聞いてノートをとるだけの講義なら、朝から夕方まで、6日間も連続する講義には耐えられないたろうと思います。話す方は平気で、いくらでも話せるのですが、聞き手のつらそうな顔をみると、つらいことを想像すると、とても一方的には話せません。
講義をし、質問を受け、ひとりひとりに感想・意見を求めます。一日に何度も指名されます。しかし、「パス」の権利は与えています。言えないこと、言いたくないこと、考えが浮かばないこと、分からないことは当然あるからです。
小学校。中学・高校と私は指名されても吃るのが嫌で、分かっている答えでも「分かりません」と答えていました。そのうち、どうせ「分かりません」としかこたえられないのだからと、だんだん勉強しなくなっていきました。そして、今度は本当に「分からなく」なっていきました。
こんな経験があるから、指名される、発表するのが、人前で意見を言うのが苦手な人がいるのは承知しています。しかし、言語聴覚士というコミュニケーションの専門家になるのですから、苦手なことにも挑戦する必要があります。どんどん指名するのが私の講義スタイルです。
もうひとつ、グループデッスカッションがあります。できるだけグループで話し合う形をつくります。「吃音親子サマーキンプ」にしても、このようなことをしていると、説明、解説すれば効率はいいのですが、頭に、胸に残りません。
6人のグループを作って、2日3日、小学生から高校生、親やスタッフ合計で140名ほどの参加の吃音親子サマーキャンプについて考え欲しいといいます。
これまで、「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ」という私の主張や、アメリカの言語病理学については、話しています。その上で「吃音を治したいと」と考えている、吃る子どもや保護者を対象に、言語聴覚士やことばの教室の教師など、吃音の臨床家として取り組むキャンプです。どのような目標をたてて、具体的にどのようなプログラムを作るか。子供会や、YMCAなどのキャンプとは違うものです。
話し合いを開始すると、楽しい話し合いが始まります。自分の子どもの頃経験したキャンプや、学生時代のボランティアの経験のある人がいますから、その人が、イニシャティブをとってそれぞれのグループは弾んで話し合っています。だいたい、まとまつたところで発表してもらいます。私たちが取り入れたいようなアイディアを出すグループもあります。
その全てのグループが考えるのは「楽しいキャンプ」です。これは、どんなところでこの演習をしても例外は全くありません。
それぞれのグループがよく考えたことを評価した上で、私たちのキャンプ「2000年」のビデオを観てもらいます。このビデオはとてもよくできたビデオで、ビデオジャーナリストを将来の仕事として目指していたSさんの力作です。彼は、吃音とは何の興味も、縁もなかった人ですが、本屋でふと手にとった「新・吃音者宣言」を買ってしまい。じっくり読んで、吃音に、私の生き方に興味を持って下さった人です。
60分ほどのビデオを観て感想を言ってもらいます。これも全ての人が口をそろえて言います。「私たちが考えたキャンプとは、全く違っていた」と。
私たちのキャンプは、とてもハードです。90分の話し合いが2回、60分の話し合いが1回の計3回その当時はありました。さらに90分の作文教室があります。これでもかこれでもかと、吃音に向き合う時間があるのです。この話し合いには、吃る人と、言語聴覚士やことばの教室の教師などの臨床家のふたりがコンビを組みます。ファシリティターとして、1グループに二人が入ります。
もう一つの柱が、劇の上演に3日間で取り組むことです。2日間稽古をして、最終日に、大勢の前で上演するのです。これもかなりハードです。音読や発表を苦手としてきた子どもに、それ以上に困難な劇の上演に取り組んでもらうのです。
あまりの、ハードさに、学生はびっくりしますが、初日の子ども達の顔が、どんどん変化して、帰り際の楽しさのあふれた、輝く笑顔をみて、びっくりします。
そこで私は「楽しさと、喜び」の違いについて話します。与えられた楽しさは、一時的なものだ。苦しくても、自分に向き合い、自分を知り、吃音について学び、苦手なことに挑戦して、仲間とともに成し遂げる。これが、自分で勝ち取った喜びです。それを子ども達は楽しかったと感じるのです。あたえられたものではこうはいきません。
「楽しかった、また、来年きたい」ほとんどの子どもの感想です。
これが、キャンプに一時的な与えられた楽しさとは質的に違うことです。この達成感と、自分も出来たという実感が、学校にもどってからも、じわじわと生きてくるのです。
いつでも、何人もの学生がふともらす感想があります。
あの子ども達がうらやましい。あんなにいい場を経験できることがうらやましいといいます。そして、自分も参加したいと思ったと感想を描く人がいます。
この私たちのキャンプ、今年で20回目です。
2009年4月8日 伊藤伸二