べてるの家はすごかった
8月は私にとって忙しい月です。北海道から帰っていろんなことがあつたのに、書けないままに日がすぎていきます。忘れないうちに記録として残したい。ブログをしていないときには、たくさんの経験をしながら、ほとんどが、記録として残ることなく、消えていました。せっかくブログを始めたのだから、できるだけ、書き綴っていきたいと思います。
少し遅れていますが、できるだけ書いていくつもりです。よろしくお願いします。
2008年 8月4日 べてるの家へ
ビデオなどで見ていて、イメージしていたのとは違うような気がしましたが、ここがべてるの家の事務所、と作業所というところに、9時に集合しました。あまり広くない部屋の入り口の半分くらいのスペースにイスがまあるく並べられています。研修費として1000円を支払い、資料をもらいました。研修者は25人ほどいたでしょうか。
司会者が「これから始めます」と開会を宣言し、まず、研修・見学者全員が自己紹介をするように言われました。長く話す人もいますが、私は「奈良の家族会の伊藤です」とだけ言いました。家族会の人、当事者の人、医者や大学教員などの専門家、いずれにも関係しないが「べてる」が好きな人。初めての人も、何回か来たことがあるという人もいます。
さて、次に何が始まるかと期待していると、「では点呼します」と作業所の100人を越える全員の名前を次々と読み上げていきます。
「からだの調子はいいのですが、気持ちはよくありません」「前日飲み過ぎてからだはきついですが、気分はいいです」「今日は何時まで働きます」
ひとりひとりがその日の体調と気分を発表し、何時までどの仕事をするかの自分の予定を告げるのです。私たち研修者の後方では、電話の応対やパソコンに向かいながら仕事をしています。自分の名前が呼ばれたら自分の予定を発表していくのです。
研修者がいるいないにかかわらない、「べてるの家」の一日の始まりに、同席しているということだったのです。普段の生活そのままです。そりゃそうですよね。年間何千人も訪れるべてるの家が、見学者のために、日常とは違うプログラムをつくるというのは、大変です。私たちの日常をどうぞ見て下さいということでしょう。
精神障害者自らが司会をし、記録者が名簿に記録していきます。その事務所にいる人全員当事者のような、いるとしたら、誰がボランティアやソーシャルワーカーなどの当事者以外なのか、まったく分かりません。
なんか、とても温かい空間ですが、淡々といつものように、いつものことをしている、朝のミーティングです。
そのミーティングの終わりに、芸能ならぬ、「迎能プロダクション」が歌を歌ってくれました。大きな声でまるでスターです。この歌が素晴らしい。替え歌ですが、自分の病気のことを、病気の賛歌を、べてるの家の精神を、「ズンドコ節」や、「高校3年生」のメロディにのせて歌うのです。
高校3年生のメロディにはこんな歌詞がつけられています。
赤い夕日がべてるを染めて
支援のごはんを食べるころ
アーアーアーアーアー
明るい精神病
ぼくらグループホームに住もうとも
自炊している人も たくさんいる
泣いた日もある へこんだ時も
SSTやったり 話し合ったり
アーアーアーアーアー
明るい精神病
ぼくら 病気をやっているかぎり
べてるの仲間はいつまでも
このほか、幻覚と妄想の歌など、とても楽しい、笑ってしまう、でも考えさせられたり、しんみりしたり、うなずいたり。
大阪スタタリングプロジェクトでしている「吃音川柳」「どもりかるた」のようなものです。ここにも私たちの仲間がいる、そんな連帯の気持ちが、わき上がってきました。一緒に口ずさみながら、うっすらと涙がにじんできました。
この歌を、この歌を歌う姿を見て、その同じ空間にいたことだけでも、べてるの家に、はるばる来た甲斐がありました。これで帰っても満足したでしょうに、その後、もっとすごいことが待っていました。それは次回に。
伊藤伸二